妹様はよくわからないひとだ。
私が庭で花に水やりをしていると、いつの間にか玄関に座っていてじっとこちらを見ていることがある。
花壇から玄関までは微妙に距離があるから、私が声を掛けるのはちょっと難しい。かと言って、妹様から声を掛けてくることもない。
私に何か用事でもあるのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。特に言葉を発するでもなく、黙ったまま無表情でこちらをじっと見ている。
別に嫌悪感や不快感を感じているわけではないが、見に来るほど面白いことでもあるのか、それが不思議だった。
「あの……妹様、何か私に用事でもあります?」
「いいえ、用があるわけじゃないわ」
「あ、花をお部屋に飾りたくなったとかですか?すぐにお持ちします」
「それも違う。花は持ってこなくていいからね」
「……じゃあ、水やりがしたかった、とかですか?」
「残念、はずれよ」
「えー、もうわかりません。目的を教えてください」
「そういうんじゃないのよ。ただ、見ていていたいと思っただけ。それだけよ」
水やりを終えた私を見て、妹様はそう言った。そしてそのまま、何でもなかった風に館の中に戻っていった。
何だったのだろう。そんなに面白い外見でもしているのだろうか、私は。なにか間違った行動でもとったのだろうか。
あれこれ考えてみたけれど、答えが出ることはなかった。
―――やっぱりよくわからなかった。
妹様はすこし変わったひとだ。
私が門の前で夜勤をしている時には、たまに外に出てきては玄関に座ってじっとしている。
やはりこちらに来る気配はないから、私に用はないのだと思う。夜勤があまりにも退屈だから妹様がここに来る理由を考えてみたけれど、思い当たるものがない。
相変わらず無表情のまま、じっとこちらを見ている。話し相手が欲しいのかとも思ったが、毎夜出てくるわけではないから多分それも違うのだろう。
妹様がいるとわかると、存在が気になって変に緊張した気持ちになってしまう。だから、思い切って声を掛けてみた。
「こんばんわ、妹様」
「こんばんわ、美鈴。ずいぶんと退屈そうね」
「そうでもありませんよ。今日は、妹様もいらっしゃいますし」
「……わたしは星を見に来ただけよ。ちょうど、雲一つない夜だから」
「あー、確かに、これは綺麗ですね」
「でしょう。月も出ていて素晴らしいわ」
「でも、外に出てきてからかなり時間たってますよ。飽きたりしないんですか」
「この星空を見て飽きるやつは、きっと心が死んでるんじゃないかしら。残念なことね」
そういって、妹様は黙ってしまった。
私も夜勤が退屈だから、星を見ることにした。飽きるまで見てやろう、そう思った。妹様の隣りにお邪魔したけれど、相変わらず妹様は黙って星を見ている。
そのまま私と妹様は、一言も話さずに星を見ていた。気まずさや居心地の悪さは不思議と無かった。
結局、そのまま私は眠ってしまった。静寂があまりにも気持ちよかったから仕方がない。目が覚めた時には日が出ていた。
妹様はもう居なくなっていた。さすがに朝までいるはずもないだろうから、当然といえば当然なんだけど。
ただ、私には上着が掛けられていた。私が持ってきた覚えはない。だから、多分妹様が掛けてくれたんだと思う。
贅沢を言えば起こして欲しかったけれど、自業自得だから諦めた。おとなしく自室で寝ることにする。
妹様は星が見たかったのか私に用事でもあったのかは、結局曖昧のままだった。やっぱりよくわからない。
―――変わったひとだなぁ、と思った。
妹様は不器用なひとだ。
館のなかで昼休憩を終えて、私は門に戻ろうとした。その途中で、玄関に傘と雨合羽が置いてあるのを見つけた。
最初は誰かがしまい忘れたのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。傘にはメモが貼ってあった。
『午後は雨』、それだけが書いてあった。名前は書いてなかったから、誰が置いていったかは分からなかった。
お嬢様や咲夜さんに尋ねてみたけれど、どうやら知らないらしい。図書館の二人は違うと思ったし、案の定その通りだった。
妹様にも聞こうとしたけれど、地下から出てくるタイミングがバラバラでなかなか聞けなかった。
それからも、玄関には度々『忘れ物』が置いてあることがあった。『忘れ物』があるときは、必ずと言っていいほど妹様が玄関の近くにいた。
廊下ですれ違ったり、後ろ姿を見かけたり。玄関に座っていることもあった。だからこの『忘れ物』は、妹様が置いていってくれたのだと思う。結局、聞けずじまいだけれど。
暑い日には冷えた飲み物が置いてあることもあった。コップが一つだけ置いてあるのはかなりシュールで、可笑しくて笑ってしまった。
夜勤の時には星座についての本が置いてあったりもした。丁寧なことに、椅子まで置いていってくれていた。
せっかくだから使わせてもらうことにしたけれど、座りながら読んでいるうちに寝てしまった。さぼりというわけではない。断じて違う、ということをわかってほしい。
そうして目が覚めると、私には上着が掛けられていた。誰が掛けてくれたかは分からないけれど、これもたぶん妹様なのだろう。そうだと嬉しいなぁ、なんて少しだけ思ったりした。
だから、妹様は優しいひとなんだと思う。確かな根拠はないけれど、私はそう感じている。
―――不器用な優しさが嬉しい、そんなことを考えた。
気づいたときには、私の周りは妹様でいっぱいだった。
水やりをしている時は、妹様が出てきてくれないかななんて、ちょっと期待してしまう様になった。
夜勤の時には、天気が良くなればいいなんて思ったりした。星が見えれば妹様が出てくるかもしれない、そう考えるようになった。星座について、少しは詳しくなったことを伝えたかった。
『忘れ物』は増えていく一方で、最近ではお菓子の差し入れが置いてあったりもした。形も大きさもばらばらだったけれど、妹様が作ってくれたのかもしれないことが嬉しかった。
妹様は何を考えているかわかりにくい。いつも無表情だし、向こうから声を掛けてくることもほとんどない。
普段は地下にいるから、門にいる私とは接点も少ない。たまに会話をすることはあるけれど、淡々としている返事ばかりだから、楽しんでいるのか怒っているのかなかなか感情が伝わってこない。
ただ私はこのひとのことが嫌いじゃない。むしろ、好ましく思っている。素っ気ない態度も表情の読めない顔も不器用ゆえなんだと思うし、何よりも、行動に優しさが表れているところが好きだ。
妹様なりに精一杯気を使っていることがわかる、そんな下手くそな優しさが私は好きだ。
だから私が妹様と仲良くなりたいと思うことは、普通のことだと思うのだ。
***
花を見るたび、美鈴を思い出した。それは意外とこの館のどこにでも隠れていた。
階段の踊り場、廊下の隅の花瓶、窓から見える外の花壇、カーペットの模様、それらはわたしの日常のあらゆるところに潜んでいて、ふとした時に美鈴のことを考えるようになった。
わたしは別に美鈴と特別仲がいいわけじゃない。普段地下にいるのだから接点はほぼないと言っていいし、何か話すような話題があるわけでも無い。
だから、自分でもなぜこんなに美鈴のことが気になるのか不思議だった。
お姉様や咲夜とは話す機会が割とある。館の中にいるから当然といえばそうなのだけれど。
パチュリーや小悪魔は、本を借りにいくときに会える。星について話し込んだことも無いわけじゃない。
けれど、美鈴と接することはほとんどなかった。びっくりするくらい、なにも思いあたらなかった。
だから、ほとんど会ったことのない美鈴のことが気になったのかもしれない。きっと気まぐれみたいなものだろう。
その感情をなんと呼べばいいのかよく分からないけれど、わたしだけが美鈴のことを知らない、そんな疎外感や寂しさからくるものなんだと思う。
話すようなことも用事があるわけでもなかったけれど、玄関に座ってそのまま美鈴を見ていたことがある。
自由奔放な、悪く言えばなにも考えていないような、そんな雰囲気のやつだと思った。楽しそうやつだ、とも思った。
わたしは話しかけることもせず、ただ黙って座っていた。美鈴は花に水やりをしていたけれど、流石にこちらに気づいて声を掛けてきた。
結局、その場での会話はおよそ会話と呼べるものではなかった。思い返してみるとかなりひどい。
わたしの態度ってこんなに冷たかったかしら。せめて笑顔くらいつくりなさいよ、美鈴が困ってるじゃない。
話題がないまま会いにいくのがまずかったのだと思う。次にいくときは話のタネになるものを用意しよう、そう考えた。
美鈴が夜勤の時に会いに行ったこともある。丁度天気も良かったし、星のことで話せるんじゃないかと思った。
けれどこっちから声を掛けるのはなかなか勇気がいる。話しかけようかな、でも緊張するしどうしよう、なんて考えているうちに美鈴から話しかけてきた。呆れたような、困ったような笑顔だった。
またしても会話はうまく成立しなかった。わたしはすぐに黙ってしまったし、美鈴もそれ以上声を掛けてくることはなかった。
ただ、隣に座って星を見てくれたことは嬉しかった。まともな会話もできない関係だけど、その沈黙に気まずさや不自然さはなかったと思う。わたしの勘違いでなければ、の話だけれど。
そのまま美鈴はすぐに眠ってしまった。しかも、体育座りをしたままこちらに寄りかかってきている。ちょっと重たい。
星を見なさいよ。これじゃ、わたしが寝かしつけたみたいじゃない。早く起きてくれないかしら。というか起きろ。重たいのよ。
なんとなく癪だったから起こすことはしなかった。上着を掛けておいたからそれで勘弁してほしい。
傘を届けたこともある。正しくは、傘を玄関に置きっぱなしにした、なんだけれど。
その日は、朝からパチュリーのところにいた。星についてのあれこれを話してくれるので、暇潰し程度に聞いていた。
今夜も星を見に行こうかしら、そう思ったけれど、『でも今日は午後から雨らしいから、星は見えないかも』、なんて丁寧にパチュリーは教えてくれた。
その後、すぐにパチュリーは自分の研究に戻っていった。仕方ないのでわたしも地下に戻ろうしたけれど、そこでふと思いついた。雨具を持っていくのはどうだろうか。
きっと美鈴は、自分の雨具くらいはあるんだろうけど。でも折角思いついたわけだし、とりあえず持っていくことにした。
そう思って玄関から外を覗いてみたけれど、美鈴は見当たらなかった。休憩中か門の影で寝ているのか、人里に出掛けたのかもしれない。
わざわざ探すのはなんだか恥ずかしかったから、玄関の目につくところに雨具を置いた。メモも張っておいたし、わたしの言いたいことは伝わるはずだ。
名前を書き忘れたことに気づいたのは、地下に戻ってからだった。
これでは雨具が片付けられていないだけじゃないか、と思ったけれど面倒だったからそのままにした。半ばやけくそだった。ちくしょう。
星座の本を置いてみたりもした。さすがに読まないだろうなぁ、と思ったからこっそり様子を見に行った。
美鈴は椅子に座って、本を開いたまま寝ていた。読んでくれていることは嬉しかったけれど、相変わらず寝ていることには呆れた。結局、上着を持ってきて掛けておくことにした。
わたしは、美鈴と仲良くなりたいのだと思う。これは確かなはずだ。理由は明確ではないし、まともにコミュニケーションもとれてはいないけれど、それでも美鈴といるのは楽しい。
本を読んでいるときは、この話は美鈴が好きそうだなんて考えた。紅茶を飲んでいるときには、美鈴はどんな味が好きなのだろう、そんなことを考えたりもした。
自分の行動のいたるところに、美鈴の影を見るようになった。いままで感じたことのない、不思議な感覚だった。
美鈴からしてみればわたしは、よくわからないやつだと思う。愛想はない、表情は読みにくい、距離の取り方が下手くそ。
わたしならこんな奴に関わりたくない。面倒だ。でも、美鈴は嫌がるような素振りは見せたことがない。わたしの勘違いでないことを願う。
こんなわたしに、向こうから声を掛けてくれることが嬉しかった。自然体のまま接してくれることが嬉しかった。
だからわたしも、美鈴みたいに優しく接してみたいと思う。
まずは、自分から声を掛けてみよう。そう強く思った。
***
「あれ、妹様。起きるの早いんですね。おはようございます」
「………おはよう」
「今日は天気がいいですからね。起きてきて正解ですよ」
「……そうね。ねぇ、今日って夜勤だったりする?」
「はい、そうですよ。天気がいい日は星がよく見えそうで、夜勤が楽しみです」
「―――わたしも、わたしも星は好き」
「ですよね。今日は、星を見に来たりしないんですか?」
「行ってもいいのなら。いいのなら、いくわ」
「絶対来てくださいね、絶対ですよ。楽しみに待っています」
「どうせまた寝るんでしょう」
「あ、あれは仕方ないんですよ。今度は大丈夫です、たぶん」
「……そう。それじゃあ、夜に会いましょ。きっといくわ」
「ちゃんと来てくださいね。ずっと、待ってますから」
そう言って、美鈴とフランドールはお互いに笑いあった。花が咲くような、優しい笑顔だった。
お気に入りの一文です。
のほほんとした美鈴とぶきっちょなフランちゃんがかわいすぎてもう…
美鈴の底抜けな優しさとフランの振り絞るような健気さに頬が緩みました
『気づいたときには、私の周りは妹様でいっぱいだった。』は最高の表現だと思います
2人のその後を想像させる素晴らしいお話でした