人形あやつりが呼ばれたのは春の頃。
主人である西行寺幽々子より庭師が一刻の暇を与えられた午後に、白玉楼の古ぼけて頑丈そうな門前へアリス・マーガトロイドは立っていた。冥界の小さな太陽が灯る清掃された庭では静けさだけが取り残されていて、散っていく桜の降り積もる音と来訪者の足音だけが
四方に拡がった枯山水の庭から続く縁側へ広げられた一対の敷物の上、向かい合って座る二人の間ではまず短い挨拶が行き交った。そもそもの始まりは幽々子の書いた依頼である。
──死なないものが私は怖い。死なない人形というものがあるのだろうか。教えてほしい。
使いとして外出した庭師が持ち帰ってきた答えはひとつ。
──春の庭でお答えします。一人分ほどの桜の花びらを用意してお待ちあれ。
こうして抜け目なくアリスの隣には山となった花片が積み上げられており、二人のあいだから言葉が消えるとすばやい魚のような翻りを見せて人形あやつりの指が踊った。そこへ嵌められていた糸繰り指輪から桜の上へ、無数の水皺じみた冷たい線がそそがれていく。
「『人形なんて何匹死んでも何とも思わないものね』。昔、とある亡霊がそう言ったのです」
白い高曇りの空のように透った声でアリスが言うと、桜の山の中腹あたりから少女の裸腕が突き出てきた。むきだしの二の腕を見せながら伸ばされた腕はゆっくり踊るように旋回して中空を掴み、次には手放す動作をやってのけた。すると山の反対側から滑らかで冷たい片肢も現れて、いくらか目減りした積花の上で手と同じように踊りはじめる。円環を模しながら、ひとつとして同じ挙動のないひるがえりを目で捉えると幽々子は口元へ袖をあてた。
「そのようにしていつも鳥瞰を気取る亡霊は人形の死を認めています。おそらくは生も。そして鳥瞰ゆえに、まるで夢を見るようにして生死をとらえているのでしょう」
中から掻き回されているにも関わらず桜の花はひとつとして山からこぼれ落ちることなく、通り過ぎていく腕と肢に沿って窪みが刻まれ移っていく。詠うというにはあまりにも単純なアリスの声が匂いとなって、たおたおと白玉楼に香るようだった。音といえばそれのみ。糸を繰り続けてさゆらぐ指も二対の視線も動きを見せてはいたが、あらゆる
「一つの
謎掛けと同時に亡霊へ向かって片腕が飛び出し、花を洗うようにして頬を指でなぞっていく。存在しない胴へ続くはずの断面からは桜の欠片が零れていった。鬼百合のごとき瞳で相手を見つめる観客の口元は垂れた布で隠されたままで、それを受けるアリスの顔には植物的な理性がはびこっている。頬をなぞる指が増えた。先だって白を滑る既存の指と全く同じ軌跡で、徒刑を思わせる揺らぎを用いながら六本目が廻って続き、やがて人の身における死のようなあっけなさで白磁を離れて山に戻ると、手のひらは五本指に戻っていた。この
幻戯となった指の動きが肉の反射の鋭さでひきつると、枯山水の庭を目指して桜の腕と足がはね跳んだ。深く深く。波を象る白砂の上に落ちた片端ずつの手足は象徴の水流に流されてくるくると弄ばれ、ときには沈みかけさえした。見えざる何かに吹き散らされて残された花の山も庭へ花けぶりとなって向けていったが、いかなる作用によるものか地面へ落ちるよりも前にすべての色を失ってそのまま消えてしまった。役割を終えたあらゆる花がそうするように。
観客は黙ったままだ。人形あやつりの演目中に自ら動くことは礼儀にもとると言わんばかりの隠微な所作に対し、そのような反応もすでに折込み済みなのか朗々とアリスは続けていく。
「夢は醒めるのであり、眠れる現を過ごす生者に死という目覚めを促すのが とある亡霊の役目。目を開けずに夢を見続ける不死者たちを亡霊は恐れているのです。同じ場所に立つ異種らを」
庭のあちこちに隠れていた静寂が拭い去られて、おびただしい気配が生まれつつある。
「柳の下に人形が立つとすれば、それは欲望に塗れた人形でしょう。とすれば、俯瞰した飽き性の亡霊に見つけることができるでしょうか? いいえ。いいえ。何かひとつでも欲望に固執するようになれば、それを奇貨として別の結末があるものを」
いつしか潮騒の音を奏でるようになっていた人形あやつりの指がたゆたう。いまだ風はない。擬腕と偽腿が喰らい合う模樹は限界を迎えたものか遂には砕々と散って、白く乾いた砂玉を散らしながら残骸の花びらを地吹雪のごとく地上へ広げた。首をもたげて跳ね回る激流の勢いでうねるその色は予想に反して青く──凍てついた波濤のように青かったために、白玉楼の庭は束の間の海が作られていくようだった。
そして一息に空が砕け散った。蒼という蒼をすべて微塵の雪に変えながら振り落とし、その下から現れた新しい空のまとう色は桜である。雲一つない花色の空には鈍い太陽がきらめき、旧い空が庭先に落ちては海の青と混ざって小波に変わっていく。
糸繰りの指が止まった。冥界のか細い太陽の下でも碧翠の仄かな光は息絶えてしまうものか、やがて水面と化していた花は桜色に戻っていき、空もまた端や太陽の縁から酸蝕されていくように蒼穹へ様変わりしていった。しばらくしてすっかり全ての色が元通りになってしまう頃になっても、姿勢を崩すことなく人形あやつりと亡霊は対峙していた。
「かくして暇を持て余した末の疑問も終わりでございます。願わくば信じられるほどの大きな欲望を惜しまれぬよう」
アリスの口上が済むと地に這っていた花群れが庭から流され来たり、はじめに用意されていた場所へ無邪気に積み重なっていった。そして桜がすっかり戻されてしまうと客人は立ち上がり、縁側から降りて来た道を門へ向かっていく。この客人の背後を追いながら幽々子は言った。
「奇面獣の問答に下手な歌の真似事まで添えて、『死なない人形というものがあるのか私にはわからない』という一言の代わりにわざわざ一つの舞台をこしらえてみせる。これが欲望?」
「死なない人形というものがあるのか私にはわからない」
「なるほどねぇ」
手首をそっと握って引かれた少女が振り返ってみると、亡霊の姫は死者の微笑みを浮かべていた。
「最近の人形劇だと幕引きまで人任せなのかしら」
亡霊が能力を行使すると人形は桜の花塊となって崩れ去った。仮初の体の中で撚り合わされていた糸の根が断たれたのだ。そうして冥界へ颯々とした風が吹きこむと、欠片が乱舞して一切の遠慮のなく幽々子の視界を覆う。その形式と羅列。乱れる花の幕に亡霊姫は意味を読み取った。『これは死なりや?』と。ただの偶然であったかも知れぬし、仕組まれた絵画ということもある。どちらにせよ演者の胸先三寸によるものだろう。常のごとく。
今度の謎掛けにも沈黙を守る幽々子の目先、霧散した桜色の向こう側にある門下でアリスは笑って立っていた。
「霊が宿る前に人形を爆発させてもらうなんて賢いでしょう? ごきげんよう」
ひらひらと降り落ちる花びらの向こう側でスカートをつまんで優雅に挨拶をすると、亡霊の小さな拍手を背に人形つかいは空へ飛び去っていった。
以上は春の事。白玉楼へ人形あやつりを呼んだ次第の顛末であるが、この件から事あるごとに主人が『龍を食べたい』という旧来の我儘を思い出したように言いはじめたのには、食事番でもある庭師を閉口させたということである。
(終)
思わず感嘆を漏らしてしまいました。
でも、この作品の本質は描写なのでしょうね、大変お上手でした。
珍しい組み合わせですが、良かったです。
>単語は造語も混ざっているのでしょうか。展開に何か下敷きはあるのでしょうか。
いくつか造語は用いています。
展開に関して下敷きはありませんが、最初の謎掛けはスフィンクスのなぞなぞを もじったものです。
簡単ではありますが返答させていただきました。