下町の側溝を無邪気な雨達が流れて、小さな川が出来ている。街の片隅で起こる、そういう他愛の無い、ありふれた、ちょっとした動きを見ているのが好きだ。
この子達はどこに行くのだろう。この子達しか知らない楽しい場所がどこかにきっとあって、みんなそこを目指しているんだわ。微笑ましく思う一方、それは少し羨ましくもある。自分にはそうまでして急ぎたい場所が無いから。
ふらりふらりと、幻想の檻を抜け出して。
降りしきる雨の中、古明地こいしは道端に立ち止まって、雨を眺めていた。
梅雨にはまだ少し早いこの季節、暑さと寒さの入り混じった風に雨の匂いが乗って。春でもなく夏でもない、このぽっかりと穴が空いたような宙ぶらりんの季節に、少し心がそわそわとざわめいていた。「滅びろ梅雨、滅びろ湿気」なんて姉のさとりは毒付いていたが、こいしは雨も好き。雨の香りは今まで気付かなかった街の新しい顔を教えてくれるし、何よりお気に入りの傘を堂々と差せるから。姉に買ってもらった水玉模様の桃色傘を差すのが、雨の日の一番の楽しみである。
細い道路の向こうには公園があって、子供たちが喜声を上げている。色とりどりの雨合羽を着た男の子達が、ぬかるんだ地面の上を縦横無尽に駆け回って、雨などまるでおかまいなし。滑って転んで泥だらけになってもまた立ち上がり、元気に駆けて行く。何だか見ているこっちの方まで駆け出したくなってしまう。
ふと視線を上げると、十字路の角に朽木色をしたお店が建っているのが見えた。駄菓子屋だ。かなり年季の入った店のようで、柱など少し傾いているし、屋根も所々剥げていた。店の前に置かれたベンチはすっかり錆び上がって背もたれなど無く、自動販売機のウインドウにもヒビが入っている。
それでも、大きく開かれた引き戸の向こう側には、様々な種類のお菓子がひしめき合っているのが見えた。
「わぁ」
人間の里にある駄菓子屋ならこいしも行った事がある。そこは、沢山の色あざやかなお菓子に囲まれた、子供達の桃源郷。
外の世界でも幻想郷と同じお店に出会えた事で、こいしは嬉しくなった。
傘を畳んでさっそく店の中に飛び込むと、まずこいしを出迎えたのは、山盛りになったキャンディ、風船ガムなどの小さなお菓子。どれもこれもカラフルな包装につつまれ、様々なキャラクターがプリントされている。そう言えば、姉が風船ガムをふくらませるのが上手くて、子どもの頃に何度も真似しようとしたのを思い出す。結局、上手く出来なかったんだっけ、リベンジのチャンス到来である。
こいしも大好き、チョコレートはすぐ隣にあった。一文銭みたいに穴の開いたチョコレートや、パイプの形をしたもの、中には金の延べ棒を模した金ピカのチョコまである。食べるだけでなく、手にとって一つ一つ眺めているだけでも楽しい。他にも、定番のソースせんべいだとか、ミニドーナツだとか、スナック菓子などが置かれている。里の駄菓子屋よりも数も種類も圧倒的に多い。
奥の棚には瓶詰めにされた酢だこやイカ串が置かれていた。壁際には木刀みたいに長い麩菓子が圧倒的な存在感を放っていたが、さすがのこいしもあれを食べきる自信は無かった。
小さな籠を抱えて狭い店内を行ったり来たりする。あれも欲しい、これも欲しい、ああ、おこずかい足りるかしら? 悩むのもまた楽しいのだ。
「お嬢ちゃん、駄菓子、好きなの?」
一杯になった籠を会計机に置くと、ニコニコ顔の老婆が語りかけてきた。
「うん。好きだよ。だって楽しいじゃない?」
買ったスナック菓子をさっそく口に入れながら、こいしは頷いた。
「うれしいねえ。近頃の子どもはこういうお菓子なんか食べなくて。子どもより大人のお客のほうが多いくらいさ」
「そうなんだ。こんなに楽しいのにね」
「好き嫌いって奴が変わってきてるのかね。子どもも、大人も。昔はよく売れてたそのお菓子も、今じゃ販売中止になっちまって」
「えっ?」
こいしは思わず、手に持っていたスナック菓子を見つめた。いびつに巻いたその形がとても貴重なものに思えて、なんだか食べるのがもったいなくなってしまう。
「こんなに美味しいのになあ……」
こいしの閉じた瞳では、人の心を見ることは出来ない。ましてや、時代の流れなど。
「また来るね、おばちゃん」
こいしがそう言って手を振ると、店主の老婆は静かに微笑みながら言った。
「今月で店、閉めるんだ」
「……そう、なんだ」
寂しさだけを残して。
いつか必ず、終わりは来る。
幕が降りたなら、こいしはどこへ行けばいいのだろうか。
「ただいま、お姉ちゃん」
「あら、こいし。お帰りなさい」姉のさとりは櫛を片手に髪を梳かしながら、イライラと眉をくねらせていた。「あーもう、雨は嫌ねえ。髪が巻いちゃうじゃない、もうっ。滅びろ湿気!」
「お姉ちゃん、天パーだもんね」
「あんたストレートよね、ちくしょう、うらやましいわ。なんで私だけ呪われてんのよ。姉妹なのにずるいじゃないの」
さとりは帽子を胸に抱いたこいしを見やって、首を傾げた。
「……なんかあったの?」
「ううん」
こいしは首を振って否定した。
だけれども、さとりにはお見通しである。たとえ妹の心の声は聞こえずとも、それくらいは分かる。こいしはさとりの妹なのだから。
こいしは昔から、そういうところがあった。奔放そうに見える妹はその実、内に抱えこむ癖を持っている。つらいことがあっても、ひとりでじっと耐えてしまうのである。
「こいし。おやつ食べましょ、おやつ。こういうときは食べて忘れる、古明地家秘伝の気分転換術よ」
さとりは言うがはやいか、机の中をごそごそと漁った。
「面白いのが入ったのよ。外の世界のおやつなんだけどね、なんか最近、幻想郷に大量入荷されたみたいで。めっちゃ安かったから、死ぬほど買ってきてやったわ」
取り出したそれを皿に移して、こいしの前に置いた。
こいしはそのコーンスナックを手に取ると、しげしげと眺めた。
「……そっか。ここが、その先の場所なんだね」
そう言って、こいしは笑った。
なんだかよくわからないが、元気が出たようで何よりである。流石は古明地家秘伝、ご先祖さまありがとう。さとりは心の中で手を合わせつつ、スナック菓子をつまんだ。
さくさくさく。
「私、これのカレー味めっちゃ好きなのよねえ」
「わたしいちご味すき」
「えっなにそれ、そんな味あんの? マジで?」
さくさくさくさく、姉妹二人で。
早くも一袋食べ終わってしまったので、さとりは次の袋を開けた。
「雨だから。早く食べないと湿気っちゃうから」
誰に宛てたのか、言い訳しながら。
「お姉ちゃん」
「なぁに、こいし」
「ちょっと太った?」
スナックくずが気管に入り込んで、さとりは盛大にむせた。
「ちょちょちょ、何言ってるのよこいし。地霊殿の主は少女なのよ、そのプロポーションは完璧、鉄壁、絶壁……」
「おなかぷにぷに」
こいしに腹をつつかれ、さとりは早くも前言をひるがえしてご先祖さまに罵詈雑言を浴びせた。
この子達はどこに行くのだろう。この子達しか知らない楽しい場所がどこかにきっとあって、みんなそこを目指しているんだわ。微笑ましく思う一方、それは少し羨ましくもある。自分にはそうまでして急ぎたい場所が無いから。
ふらりふらりと、幻想の檻を抜け出して。
降りしきる雨の中、古明地こいしは道端に立ち止まって、雨を眺めていた。
梅雨にはまだ少し早いこの季節、暑さと寒さの入り混じった風に雨の匂いが乗って。春でもなく夏でもない、このぽっかりと穴が空いたような宙ぶらりんの季節に、少し心がそわそわとざわめいていた。「滅びろ梅雨、滅びろ湿気」なんて姉のさとりは毒付いていたが、こいしは雨も好き。雨の香りは今まで気付かなかった街の新しい顔を教えてくれるし、何よりお気に入りの傘を堂々と差せるから。姉に買ってもらった水玉模様の桃色傘を差すのが、雨の日の一番の楽しみである。
細い道路の向こうには公園があって、子供たちが喜声を上げている。色とりどりの雨合羽を着た男の子達が、ぬかるんだ地面の上を縦横無尽に駆け回って、雨などまるでおかまいなし。滑って転んで泥だらけになってもまた立ち上がり、元気に駆けて行く。何だか見ているこっちの方まで駆け出したくなってしまう。
ふと視線を上げると、十字路の角に朽木色をしたお店が建っているのが見えた。駄菓子屋だ。かなり年季の入った店のようで、柱など少し傾いているし、屋根も所々剥げていた。店の前に置かれたベンチはすっかり錆び上がって背もたれなど無く、自動販売機のウインドウにもヒビが入っている。
それでも、大きく開かれた引き戸の向こう側には、様々な種類のお菓子がひしめき合っているのが見えた。
「わぁ」
人間の里にある駄菓子屋ならこいしも行った事がある。そこは、沢山の色あざやかなお菓子に囲まれた、子供達の桃源郷。
外の世界でも幻想郷と同じお店に出会えた事で、こいしは嬉しくなった。
傘を畳んでさっそく店の中に飛び込むと、まずこいしを出迎えたのは、山盛りになったキャンディ、風船ガムなどの小さなお菓子。どれもこれもカラフルな包装につつまれ、様々なキャラクターがプリントされている。そう言えば、姉が風船ガムをふくらませるのが上手くて、子どもの頃に何度も真似しようとしたのを思い出す。結局、上手く出来なかったんだっけ、リベンジのチャンス到来である。
こいしも大好き、チョコレートはすぐ隣にあった。一文銭みたいに穴の開いたチョコレートや、パイプの形をしたもの、中には金の延べ棒を模した金ピカのチョコまである。食べるだけでなく、手にとって一つ一つ眺めているだけでも楽しい。他にも、定番のソースせんべいだとか、ミニドーナツだとか、スナック菓子などが置かれている。里の駄菓子屋よりも数も種類も圧倒的に多い。
奥の棚には瓶詰めにされた酢だこやイカ串が置かれていた。壁際には木刀みたいに長い麩菓子が圧倒的な存在感を放っていたが、さすがのこいしもあれを食べきる自信は無かった。
小さな籠を抱えて狭い店内を行ったり来たりする。あれも欲しい、これも欲しい、ああ、おこずかい足りるかしら? 悩むのもまた楽しいのだ。
「お嬢ちゃん、駄菓子、好きなの?」
一杯になった籠を会計机に置くと、ニコニコ顔の老婆が語りかけてきた。
「うん。好きだよ。だって楽しいじゃない?」
買ったスナック菓子をさっそく口に入れながら、こいしは頷いた。
「うれしいねえ。近頃の子どもはこういうお菓子なんか食べなくて。子どもより大人のお客のほうが多いくらいさ」
「そうなんだ。こんなに楽しいのにね」
「好き嫌いって奴が変わってきてるのかね。子どもも、大人も。昔はよく売れてたそのお菓子も、今じゃ販売中止になっちまって」
「えっ?」
こいしは思わず、手に持っていたスナック菓子を見つめた。いびつに巻いたその形がとても貴重なものに思えて、なんだか食べるのがもったいなくなってしまう。
「こんなに美味しいのになあ……」
こいしの閉じた瞳では、人の心を見ることは出来ない。ましてや、時代の流れなど。
「また来るね、おばちゃん」
こいしがそう言って手を振ると、店主の老婆は静かに微笑みながら言った。
「今月で店、閉めるんだ」
「……そう、なんだ」
寂しさだけを残して。
いつか必ず、終わりは来る。
幕が降りたなら、こいしはどこへ行けばいいのだろうか。
「ただいま、お姉ちゃん」
「あら、こいし。お帰りなさい」姉のさとりは櫛を片手に髪を梳かしながら、イライラと眉をくねらせていた。「あーもう、雨は嫌ねえ。髪が巻いちゃうじゃない、もうっ。滅びろ湿気!」
「お姉ちゃん、天パーだもんね」
「あんたストレートよね、ちくしょう、うらやましいわ。なんで私だけ呪われてんのよ。姉妹なのにずるいじゃないの」
さとりは帽子を胸に抱いたこいしを見やって、首を傾げた。
「……なんかあったの?」
「ううん」
こいしは首を振って否定した。
だけれども、さとりにはお見通しである。たとえ妹の心の声は聞こえずとも、それくらいは分かる。こいしはさとりの妹なのだから。
こいしは昔から、そういうところがあった。奔放そうに見える妹はその実、内に抱えこむ癖を持っている。つらいことがあっても、ひとりでじっと耐えてしまうのである。
「こいし。おやつ食べましょ、おやつ。こういうときは食べて忘れる、古明地家秘伝の気分転換術よ」
さとりは言うがはやいか、机の中をごそごそと漁った。
「面白いのが入ったのよ。外の世界のおやつなんだけどね、なんか最近、幻想郷に大量入荷されたみたいで。めっちゃ安かったから、死ぬほど買ってきてやったわ」
取り出したそれを皿に移して、こいしの前に置いた。
こいしはそのコーンスナックを手に取ると、しげしげと眺めた。
「……そっか。ここが、その先の場所なんだね」
そう言って、こいしは笑った。
なんだかよくわからないが、元気が出たようで何よりである。流石は古明地家秘伝、ご先祖さまありがとう。さとりは心の中で手を合わせつつ、スナック菓子をつまんだ。
さくさくさく。
「私、これのカレー味めっちゃ好きなのよねえ」
「わたしいちご味すき」
「えっなにそれ、そんな味あんの? マジで?」
さくさくさくさく、姉妹二人で。
早くも一袋食べ終わってしまったので、さとりは次の袋を開けた。
「雨だから。早く食べないと湿気っちゃうから」
誰に宛てたのか、言い訳しながら。
「お姉ちゃん」
「なぁに、こいし」
「ちょっと太った?」
スナックくずが気管に入り込んで、さとりは盛大にむせた。
「ちょちょちょ、何言ってるのよこいし。地霊殿の主は少女なのよ、そのプロポーションは完璧、鉄壁、絶壁……」
「おなかぷにぷに」
こいしに腹をつつかれ、さとりは早くも前言をひるがえしてご先祖さまに罵詈雑言を浴びせた。
あめ、どろんこ、駄菓子屋。過ごしたことのない青春を思い出しました。
こいしちゃんは何も考えていないようでいろいろ溜めこんじゃうんですね
可愛らしいです
だが滅びろ湿気
ついでに、さとりも
さとりんにピザポテトあげたい