私は、自分で言うのもなんだが、結構寛大な方だと思う。
皆が皆、胡散臭いだなんだと陰口をたたこうが気にしないし、ちょっと気に食わないことがあるとだいたい私のせいにしてくるどこかの神社の巫女様に対してもとくに嫌な気持ちはわかないし、後で食べようと取っておいたケーキやプリンなどを橙が食べてしまったとしても声を荒げたりはしない。
そんな私だが、どうしても許せないことが2つだけある。
一つは幻想郷に対して危害を加えること。
いつかの地震騒動の時の比那名居天子がこれにあたる。彼女は遊びで幻想郷の要である博麗神社を倒壊させたあげく、全く持って悪びれる様子がなかった。あの時はさすがの私も堪忍袋の緒が切れたものである。
そしてもう一つは、私の睡眠を邪魔されること。
「あ、起きた」
……それはもう、いきなりふすまを思いっきりあけて、「やい!出てこいスキマ妖怪!ここにいるのはわかってるんだからね!」なんて言われた日には、千年の眠りも覚めますとも、ええ。
少し寝ぼけたまま、私に目覚ましの呪文を投げつけてきた相手を確認する。一応、声で誰かというのはわかっていたけれど、私にはそれが信じられなかった。
寝ぼけ眼に映るのは青いリボンに青い髪、そして背中の三対の氷の羽。間違いない、地震騒動の時の氷精、チルノである。
本来なら、私の眠りを妨げたこの氷精には、軽くデコピン三発は覚悟してもらいたいところであったが、続く疑問が憤りを上書きした。
「あなた、どうやってここに?」
体を起こし、布団と枕をスキマに放り込み尋ねる。
私の家は迷い家と呼ばれる場所の最奥にあり、おいそれとたどりつける所ではない。
勘の鋭い霊夢あたりならあるいはたどり着けるかもしれないが、この氷精に同じことができるとは到底思えない。
「チェンに聞いたの」
「……この場所のことは他言してはいけませんと言っていたはずなんですけどね」
私は、幻想郷の管理者という立場上、むやみに自分の住処を知られるわけにはいかない。
橙には、何度もそう言い聞かせていたはずなのだけど。
「聞いても教えてくれなかったから、弾幕ごっこでボコボコにして案内してもらったのよ、ふふん」
「まあ、自慢気。私の安眠を妨害した上にかわいい部下にまで手をかけただなんて、そんなに私を怒らせたいのかしら」
「あたいだって寝てるとは思わなかったよ。もうお昼なのにさ」
「ここは人妖入り乱れた幻想郷。あなたの常識が私の常識ではありません」
「要するにあんたがナマケモノってこと?」
「……ところで橙はどこに?」
「さっきまで一緒だったけど逃げちゃった。『ゆかりさまに怒られるー』とかいって」
私の言ったことをきちんと覚えていることに安堵すればいいのか、妖精にボコボコにされるなんてとしかればいいのか微妙なところである。相手がただの妖精ならば断然後者であるが、このチルノに関しては妖精の中では群を抜いた力を持っており、幻想郷の閻魔をして妖精の枠からはみ出て妖怪になるかもしれないと言わしめたいわば規格外である。
もっともあくまで妖精の中での規格外であり、私から見れば、ただの冷気を出せる子供であることには違いない。
そういえば、チルノは当たり前のように橙といっていたが、どうして名前を知っているのだろう?勝負の時に名乗ったのだろうか、それとも他の誰かに聞いたのだろうか。
いや、この場所を知るために橙を訪ねたという時点で、橙と私の関係を知っているのだから、少なくとも今日が初対面とは考えにくい。
「ねえ、あなた、もしかして橙の知り合いなの?」
「うん、友達。なかなか一緒に遊べないけどね」
橙はよく外に遊びに行くが、ここからチルノの住処である霧の湖までは結構な距離がある。なかなか一緒に遊べないとはそういうことだろう。
しかしまさか本当に二人が友達だったとは驚いた。橙からもそんな話は聞いたことがない。そういえば、あの子が普段どんなことをしてるかって、私あまり知らないのよね。今度藍に聞いてみようかしら。
「ねえ、あたいあんたに聞きたいことがある」
そんなことを考えていると、チルノが真剣な目をしてこんなことを言ってきた。
あまりに衝撃的で突然の訪問だったからそっちにばかり気を取られていて、肝心の彼女が何故私を訪ねたのかという疑問について今まで言及する機会を逃していた。
しかしこの表情を見るに、その聞きたいこととやらが私を訪ねた要件で間違いないだろう。私は、この氷精が次に何を言い出すのか興味がわいた。だってそうだろう、実は私は、地震騒動の以前から彼女と多少面識があるが、いかにも何も考えていませんというような呑気な笑顔で、毎日毎日飽きもせず遊びまわっている奴。というのが私の彼女に対するおおまかな認識であり、それが今の彼女の表情や言葉と、どうしても重ならない。彼女の住処である霧の湖から決して近くはないここまで来て、私の居場所を聞き出すために橙に勝負までして。
いや、それだけではないだろう。そもそもこの迷い家がどこにあるのか彼女は知らないはず。橙と遊んだことがあるのなら大まかな場所はわかるとしても、結構探し回ったのではないか。つまりこの聞きたいことというのは、彼女にとってそこまでする価値のあったものということになる。私は、あまり興味本位で動くのは好きではないが、ここまでお膳立てされればさすがに気になる。
「あら、なにかしら。言ってごらんなさいな」
私はすでに、安眠を妨害されたことに対する彼女への怒りを忘れつつあった。なんというか、相手側にもそこまでする理由があるのだと思うと、段々許してあげてもいいかなという気持ちになってきたのだ。まあ、子供に手をあげるのはよくないことよね。うん。
私は彼女に質問を促しながら、その内容について考える。何が彼女をそこまでさせるのだろう。彼女が私を頼ってまで、解消したい疑問は何だろう。
もしかして友達と喧嘩したから、仲直りの方法でも聞きに来たのか、それとも私のことで何か聞きたいことでもあるのか。
「あたいって、その、何のために生きてるのかな、って」
私の知る彼女からは想像できないような、自信も元気もない声で、彼女はその疑問を口にした。
私は驚愕していた。予想がまるっと外れたことに対してではなく、彼女がそんな疑問を口にしたことに対してだ。もし、彼女が人間であるならば私もさして驚きはしない。何のために生きるのかというその疑問は、人間であるならば誰しも一度は考える命題だろう。
その疑問を自らに問いかけ続けることで人間は自分の存在意義を見つけ、そして成長し、何者かになっていく。
しかし彼女は妖精である。妖精は成長しないし、妖精以外の何者でもない。だというのに彼女は自分の存在意義を問いかけている。定義しようとしている。この事実が私を驚愕させた。彼女は妖怪になるかもしれないと、いつかの閻魔がいったことも、いよいよ冗談ではないかもしれない。この疑問の答えを彼女が見つけた時、果たしてどうなるのだろうか。
「……どうしてそんなことを聞くの?」
「よく、わかんない。でも、大事なことだって、気がする」
「そう、でもねチルノ、その疑問は自分で考えて答えを出さなければいけない疑問なの。だから私は教えられませんわ」
「……考えてもわかんないから、聞きに来たのに」
「そうムスッとしなさんな。教えられなくても、協力することはできます。私もあなたと同じ疑問を持っていたことがありますから」
「ほんと!?じゃあ教えてよ!」
「ただでは教えられません。『等価交換』と行きましょう」
「『十日交換』?十日たったら教えてくれるってこと?」
「……ええそうです。ただし、先にあなたの答えを教えてくれたら、です」
「わかんないって言ってるじゃん!」
「十日間で、わからないなりに考えてらっしゃい。どんな答えでもかまいませんわ。あなたの答えを教えてくれたら、私も私の答えを返しましょう」
「……わかった。頑張る」
「またここに来るために橙に手をかけられても困りますから、答え合わせは十日後の今の時間、博麗神社でということでよろしいかしら?」
「……勝手にそんなこといっていいの?」
「ええ、いいのよ。霊夢は優しいですからね」
「あたいあんたのこと誤解してたかもしんない」
「約束だからね!」と言い残してここを飛び去って行くチルノ。……ここは迷い家で、簡単には出られないようになっているから、スキマで送ってあげようと思っていたのだけれど、どうもタイミングを逃してしまった。まあ、近くに橙もいるみたいだし、何とかして帰れるだろう。
……これでよかったのだろうか?彼女がどんな答えを出すにせよそれは変化の始まりで、きっと今まで通りにはいられないだろう。彼女の妖怪への変遷を、手助けしてしまうのではないだろうか?そんな不安が頭をめぐるが、すぐに考え直す。
この疑問を抱いてしまったからには、遅かれ早かれ同じこと、いつかは彼女一人でも答えを出してしまうだろう。だったら悩むだなんて彼女らしくないことをする時間は、短いほうがいいではないか、と。それに、もう約束してしまったのだし、今になってあれこれ考えても仕方ない。
今から十日後、彼女がどんな答えを持ってくるのか、それがほんの少し怖くもあり、楽しみでもあった。
私は、風が好きだった。
木の葉や草木が一斉に騒ぎ立てる瞬間が好きだった。その音は、私に幻想郷という世界を感じさせてくれる。この広い世界が、なんとなく生きているような親近感を届けてくれる。
どこかひんやりとした冷たさを伴って響く風鈴の音が好きだった。単純に夏は暑いからっていうのもあるけど、その音には言葉にできない風情がある。
自分の髪や巫女服が風にさらされる感覚が好きだった。涼しいというだけじゃなくて、自分はこの世界で生きているんだなって、風が教えてくれている気がしたから。
……いや、別に風がなきゃ生きているって感じられないわけじゃないけど、風が教えてくれる「生きてる感じ」は私にとっては少しだけ特別なのだ。異変解決の時に、空を飛びながら風を感じることは、私の密かな楽しみでもある。不謹慎だなんて言わせない。向こうは勝手に異変起こして楽しんでるんだから、私だって勝手に異変解決にささやかな楽しみを見出したっていいはずだ。まあ、永夜異変とか星蓮船異変とか、楽しんでるっていうには少し語弊がある場合もたまにあるんだけど。
そんな私だけど、最近疑問に思うことがある。
それは、「人間ってなんのために生きてるんだろう?」というもの。
その疑問の始まりは数日前、神社を掃除していた時、ふと、「風ってどこに向かって吹いているんだろう?」なんて考えてしまったことにある。私は風について詳しく知らないけど、ずっと同じ方向に吹いていたら、いつか何かにぶち当たるはず。そのときは方向を変えるのだろうか?それとも、何とかしてそのぶち当たった何かを超えるのだろうか?でも、そのどちらだったとしてもまた別の何かにぶち当たる。繰り返しになるだけじゃないか。なんてことをぐるぐると考えていたら、当初の疑問は「風って何のために吹いているんだろう?」というものに変わった。そして即座に私はその疑問を否定する。風が吹いていることに意味なんてあるはずがないじゃないかと。しかしすぐに、じゃあ、意味のある事って何だろう?という疑問が頭を埋め尽くした。
風が意味もなく吹いているならば、草木が風を知らせる瞬間も、風鈴が風に乗せて運ぶ音も意味がないのではないか。神社の縁側に座ってお茶を飲む安らかな時間も、空を飛んで風を感じるという私の密かな楽しみも、全部意味がないことなんじゃないか。
そこまで考えて、なんだか私が私じゃなくなってしまうような感覚に陥って、一旦この疑問について考えるのをやめた。
でも、考えないようにしても、頭の中からその疑問が消えることはなかった。そんな時、神社の上空から聞きなれた声がした。
その声の主は、上空3m弱ほどの高さで箒から飛び降りて華麗に着地したのち、「よう霊夢、遊びに来てやったぜ」なんていつもの言葉を口にする。
黒いとんがり帽子からはみ出る少々癖のある金髪。開口一番から図々しさ全開のそいつは、霧雨魔理沙。遺憾ながら私の親友である。
普段の私ならば、そんな魔理沙の図々しさに呆れつつも、なんだかんだでお茶くらいは出してやる。しかし、その日に限って私は、お茶を出せという魔理沙に対して、私に勝ったら出してあげる、と弾幕ごっこを申し込んだ。魔理沙は少し意外そうな表情をしたがすぐに了承してくれた。
私は、なんでもいいから、頭の中の疑問を忘れられる何かがほしかった。だから柄にもなくこんなことをしたんだけど、結局弾幕ごっこの最中も頭はその疑問に支配されたままで。当然そんな状態でまともに魔理沙の弾幕を避けられるはずもなく、久々の惨敗を喫した。
魔理沙も、私が本調子でないことを察したみたいで、「どうしたんだお前」と不思議そうにしていたけど、結果に関しては喜んでいた。「これで堂々と霊夢の茶が飲めるぜ」なんて言って。まるで普段堂々とお茶を要求していないみたいじゃない。
でも、そんな魔理沙を見て、私はそこに『意味』を感じた。私に勝った景品としてお茶をもらうことは、少なくとも魔理沙にとっては意味があることのように思えた。だからこそ、「こいつは何のために生きているんだろう?」という疑問を抱かずにはいられなかった。その答えの先には、意味のあるものがあるという予感がしたから。
そして今現在、「魔理沙は何のために生きているのだろう?」という疑問と、「私が生きてることになんの意味があるのだろう?」という疑問が合わさり、「人間って何のために生きているんだろう?」という疑問になった。我ながら、最初の疑問からよくもまあここまで来たなと感心する。
疑問の片割れである魔理沙の生きる理由について、本人に聞いてみようとも思ったのだが、なんとなく恥ずかしい気がして踏ん切りがつかなかった。魔理沙はかなりの頻度で神社まで来るし、「次来た時でいいか」なんて思ってしまう。そして結局、今まで聞き出せていない。
次こそは絶対に聞いてやる、今や私の頭を占領しつつあるこの疑問も、もとはと言えばあいつが原因みたいなものじゃないか。なんて決意を固めながら、少しでも気を紛らわすためにお茶を体に流し込む。こんなにお茶が味気ないのはいつ以来だろうか。
ああ、魔理沙のやつ何してんだろ?早く来なさいよもう、どうでもいい時はすぐ来るくせに。
「は~い、おはよう霊夢。元気にしてたかしら?」
「……おはようって時間じゃないと思うんだけど」
神社に響いたのは、望んでいたのとは別の声。陽気さの上から胡散臭さをかぶせたようなこの声の主は、幻想郷の管理者こと八雲紫。一応私の上司ということになるのだろうか?全然そんな気はしないけど。
いきなりの登場にそれなりに驚きつつ声のした後ろを振り返れば、魔理沙とは違う整った長めの金髪と、開かれた真っ白な扇子が目に入る。こいつがいきなりここを訪れるのはいつものことなので、普段はさほど動揺したりしないのだが、あんなことを考えていた最中だ。声がした瞬間にビクッと肩を震わせるだけで済んだ私は、むしろ褒められるべきではないだろうか。
「ここは人妖入り乱れた幻想郷。あなたの常識が私の常識ではありません」
「レミリアとかならともかく、あんたはただ寝坊助なだけでしょ」
「そんなことより霊夢、さっきから見ていたのだけど、何をそんなにうんうん唸っているのかしら?」
「いたんなら声かけなさいよ!」
不覚、一生の不覚。まさか見られていたなんて。
いつもなら紫が来た時は気配で大体わかる。腐ってもこちとら妖怪退治の専門家だもの。しかし今日に限っては、いや、ここ数日に限っては間が悪い。
「まあまあそんなに声を荒げないで、あなたが悩んでるなんて珍しいから、なんだか声を掛けづらくて」
「だったらそのまま黙ってどっかいきなさいよ!もう!」
「そうはいきませんわ、こちらも用があってきたのだから」
紫は基本的に私に用がない限り神社には来ない。そしてその用というのは、異変の話だったり、たまには修行をしろという説教だったり、私にとって面倒な場合が大半である。
どうしてこんな時に、と思わずにはいられなかった。紫の様子からして、異変がどうこうという話ではないだろうが、それでもこのもやもやした感覚を抱えて、紫の用とやらに付き合う気にはなれないのだ。
「嫌だって、言ったら?」
だから、私がこんなことを言ってしまうのも当然であると言える。とはいえ、なんだかんだ紫は私を丸め込むのがうまい。私がここで拒絶の意を示したとしても、のらりくらりとした問答をしている間にいつの間にか付き合わされる羽目になるんだろう。そんな予感がする。だからこれは、拒否というよりも癇癪に近い。まあ、その紫の用とやらが、例えば私に何かを報告に来たとか、そういう私に是非を問わないものだった場合は見事にこの癇癪は空振りするのだが。
「霊夢、あなた、何かあったの?」
次の紫の口からは、当然私を丸め込むための言葉が飛び出すとばかり思っていた私は面食らった。
そう言う紫の口調からは、いつもの陽気さも胡散臭さも感じられない。まるで私を心配しているみたいな優しい声色だった。
「……何もない。ただそういう気分なだけよ」
「そう、さっき悩んでいたことと関係があるのね」
「うっさい、ほっといてよ」
「私に言えないようなことなの?」
なんだろう、明らかにさっきの問いかけから、いつもの紫じゃない。
私に言い聞かせるようにゆっくりと、優しく諭すような口調で話す紫なんて私は知らない。私の知る八雲紫という奴は、いかにも余裕綽綽という表情で、大事なところで意味わかんないことばっか言って、何考えてるのかよくわかんない奴なのに。そういう奴だと、思っていたのに。
「……笑わないでよね」
私にとって紫は、できれば弱みを見せたくない奴の一人である。いや、進んで見せたい奴なんて一人もいないけど。
だから今の私は、きっとおかしいのだ。気持ち悪いもやもやを何日も抱えて、いつもと違う紫に絆されて、どこかおかしくなってしまったに違いない。でなければ「今のこいつなら、私の疑問に答えてくれるんじゃないか」なんて淡い期待を持ったりしなかったはずだ。
「保証はできないけど、私、並大抵のことでは笑いませんよ」
そんな紫の返答に、どこか安心している自分がいた。何故だか、今の紫の言葉を聞いていると力が抜けていくような感覚がする。思えば、私が誰かに悩みを相談するなんて初めてかもしれない。
「生きる意味って、なんだと思う?人間は、何のために生きているんだと思う?」
まるでため息をつくように、私はその疑問を口にした。口にした瞬間、自分の中のもやもやが、少しだけ言葉と一緒に外に出て行ったような感じがした。なんだろう、なんだか不思議な気分ね。なんて思いながら紫を見ると、面白いことを見つけたとでも言うようににやにやした笑みを浮かべてこっちを見ていた。
「あらあら」
「……何よ」
「あらあらあらあらまあまあまあまあ」
「何よ!笑わないでって言ったじゃない!」
さっきまでの優しい口調はどこへやら。この私の神経を逆なでするような言動、間違いなくいつもの紫である。私は早速、紫に相談したことに全力で後悔していた。もしかして、さっきまでのは私を嵌めるための演技だったのだろうか?だとしたら許せない。私は、ほんの少しだけ紫の優しさを信じる気になっていたのに。
「もういい!あんたに聞いた私が馬鹿だった。帰って!そして二度と来ないで!」
自分でも意外なほど私は激怒していた。私は割と短気な性格だという自負がある。例えば面倒ごとを押し付けられたりとか、人里に買い物に行ったら食べたかったものが売り切れていたりとか、そういう時に怒りを感じたりする。でもこれは、それとは明らかに質の違う怒りだった。
天子に博麗神社を壊された時だってここまで感情的にはならなかったのに。
もしかして私は、自分で思っているよりもこの胡散臭い妖怪のことが好きだったのだろうか。だから、こんなに声を荒げてしまったのだろうか。
「霊夢」
「帰ってって言ってるでしょ!」
「三日ほど前、チルノにも同じことを言われました。あなたとチルノが同じ疑問を同じ時期に持ったのだと考えると、なんだか可笑しくて、つい、ごめんなさい?」
「……なんで疑問形なのよ」
「別に、絶対に笑わないと約束したわけではありませんし、普通に謝るだけでは、機嫌を直してくれないかと思って」
「チルノの奴には、なんて言ったの?」
「それは自分で答えを出さなければ意味のない疑問だから、私が教えることはできない、と」
「……私もそうだっていうの?」
「ええ、そうです。その疑問の答えは、霊夢、あなたが見つけてこそ価値がある。人間はみな、その問いの答えを持って、自分を何者かに昇華させるのです。普通は、もっと幼い時期、それこそチルノくらいの子供のころに、その疑問は発露するものなのですけど」
「紫も、自分で答えを出したわけ?」
「ええ、そうよ」
「じゃあ紫はなんで、生きているの?」
「ちょうどいいですね。私があなたに用があるといったのは、そのことについてよ。今から一週間後までに、チルノには自分の答えを出すように言ってあります。そしてその時に、参考までに私の答えを教えるとも」
「知りたきゃ一週間待てってこと?」
「ただ待つだけじゃなく、その間に自分の答えを考えておきなさい」
「……それでそのチルノとは、いったいどうやって会うわけ?あいつ霧の湖に必ずいるとは限らないと思うんだけど」
「ですので、彼女との待ち合わせ場所にここを使わせてほしいというのが、私の用事です。まあもうすでに彼女には一週間後ここに来るように言っているので、今更変更はできませんけど」
「あんたいったいうちの神社を何だと思ってんの?勝手にそんな約束しないでほしいんだけど」
「ちょうどいいでしょう。私とチルノの答えを聞いていきなさいな。それがそのままあなたの答えにはならなくとも、道標にはなるでしょう」
「……まあ、いいんだけどさ」
「それでは一週間後までごきげんよう。用事も済んだし、私は帰りますわ」
そう言うと紫は、スキマの中に消えていった。全く持って人騒がせな妖怪である。でも、あいつが笑ってるところなんて初めて見たかもしれない。いつも笑顔と言えば笑顔なのだけれども、そうではなく、吹き出すとかそういう類の笑いである。
初めは笑われたことに怒っていたけれど、ひょっとしたら私は、一生に一度あるかないかというレベルの珍しいものを見たのではないか。そんなことを考えられるくらいには私は落ち着きを取り戻していた。そういえば、疑問形だったとはいえ、あいつが私に謝罪するところも初めて見たな。
気が付けば、私の心は、紫が来る前よりずっと軽くなっていた。あんなに大声を出して怒った後だからだろうか。それとも、なんだかんだ最後には相談に乗ってくれたからだろうか。それとも、あいつのいろんな一面を見たからだろうか。まあ、なんでもいいか。
それよりも、今から一週間後までに、自分の答えを出せと紫は言った。人は何のために生きるのか、その答えを。
紫は、そしてチルノは、いったいどんな答えを出すのだろうか。そして私は、どんな答えを出せばいいのだろうか。
私はそれから一週間、ひたすら『意味のある事』について考えていた。
なぜなら、意味のある事のために人は生きているはずだと思ったから。何のために生きるのかという問いの先には、意味がなければ成り立たないから。
夕飯の材料を人里に買いに行った時、いつもより騒がしかったので何事かと騒ぎの元へ行ってみれば、そこではアリスの人形劇が開催されていた。まるで生きているかのように動く人形、どこか芝居がかった語り口調。それに観客たちが引き込まれているのが見てわかった。終わった後は、拍手喝采が巻き起こった。
別にアリスの人形劇を見るのはこれが初めてではない。でも意味のある事について考えていた私には、それが強烈に焼き付いた。拍手喝采に囲まれて、「ご清聴ありがとうございました」なんてペコリと頭を下げるアリスに、私はあの時の魔理沙と同じ眩しさを感じた。アリスにとって、里で人形劇をやることは意味のある事なんだなって、なんだかストンと理解できた。
人里で、「いらっしゃい!」と元気に野菜を売ってくれたおじさんおばさんも、寺子屋の周辺から聞こえてくる、子供特有の単語だけの意味不明の会話も、ほとんどの人に読まれないっていうのに、凝りもせず人里に新聞を配る烏天狗も、その時の私にはなんだか眩しく見えた。みんなみんな意味がある様に見えた。
私だけが、意味のない世界に取り残されているような気がして、いつもなら歩いて帰る神社への道も、逃げる様に飛んで帰った。
一週間のうち何度か魔理沙が神社に来た。当初の予定通り、魔理沙に生きる意味について聞こうかと思ったけど、なんだか怖くなった。
人里でそうなったように、私だけ取り残されるんじゃないか、あの時感じた眩しさに置いて行かれるんじゃないか。そんな考えが頭をよぎった。魔理沙はそんな私を見て「なんだか最近元気ないなお前」なんて言ってきた。否定するのも面倒だったので、「私にだってそういうときくらいあるよ。あんたと同じ人間だもの」なんて返した。魔理沙はほんの少し驚いたような顔をしたが、すぐに元に戻って「お茶お代わり」と一切の遠慮なく私に湯呑を押し付けてきた。いつもなら邪険に扱うはずのそれは、この時に限ってなんだかとても尊いもののように見えた。魔理沙の持つあの眩しさの中に、一緒に入れてもらえたような、そんな気がした。何故だろう。こんなにも気分がすぐれないのに、こいつとのやり取りはいつもと変わらない。こいつと話している時だけは、いつもの私に戻れる。
もしかして、私が探していた意味というのは、これなのではないだろうか。うまく言葉にはできないけれど、このいつも通りの涼しさに、私は人里で感じたものと同じものがある気がした。こいつと一緒にいるときは、意味のある世界で生きていられるような気がしたのだ。
だから今日、私のなぜ生きるのかの答えとしては、この魔理沙とのやり取りを挙げようと考えている。うまく言葉にできるか不安だけど、まあ何とかなるだろう。まるで、私が魔理沙のために生きているって言うみたいでなんだか気恥ずかしいけど、あくまで言葉で表現しようとすればそういう風に言わざるを得ないというだけで、実際そうであるかと言われれば断じて違う。だから大丈夫と自分で自分を説得する。
「さあて、皆さんおそろいね?」
神社の前には、少しだけ真剣な顔をしたチルノと、たった今スキマから出てきた紫。約束の時間である。
「それでは、チルノ、私、霊夢の三人で、今から発表会を始めます。議題は、生きる意味について」
いつも以上におちゃらけた声で、紫がそう宣言する。いや、発表会ってなによ。もう少しマシな言い方があるでしょ。
「あれ?霊夢も参加するの?」
そういえば、最初はチルノと紫だけでやるって話で、いわば途中参加の私のことをチルノが知るわけない。どう説明したものかと頭を悩ませていると、
「まあ、場所代のようなものよ」
と、紫に勝手に答えられた。その答えにチルノは「ふーん」なんて微妙な表情を浮かべる。
「順番はチルノ、私、霊夢でいい?」
「あたいはいいよ」
「右に同じく」
「じゃあ、さっそくチルノから――
紫は言葉を途中で遮り、空のほうを見た。
私もつられて空を見れば、「おーい」と聞きなれた声が響いた。そしてその声の主は、いつものように箒から飛び降りて華麗に着地を決める。
「なんだこのメンツは?随分珍しい集まりじゃないか。何やってんだ?」
なにやら面白いものを見つけたと言わんばかりの顔で魔理沙がこちらに声をかける。そういえば、魔理沙が神社に来るときは大体昼過ぎの今の時間だった。もっと遅いこともあるけれど、基本的にはこの時間だ。
私は、魔理沙の顔を見て即座に、どうやって帰ってもらおうかと思案した。だってそうでしょう?これから私たちは生きる意味についての紫曰く『発表会』を始めるわけで、ほかの二人はどうか知らないけど、少なくとも私は、その答えを誰かに聞かれるのは気恥ずかしい。ましてや私は魔理沙とのやり取りを生きる意味としてあげようと考えていたわけで。決してそういう意味ではなくとも、魔理沙のために生きていると取れなくもないようなことを言おうとしていたわけで。
さっきはそういう意味じゃないから大丈夫なんて思ったけど、それはあくまで魔理沙本人が聞いていないという前提の下での話だ。聞いているとなれば話が変わる。言えるわけがない。自分の中ではわかっていても、魔理沙や周りがどう取るかというのはまた別の話だ。きっと話したら、「おいおい、霊夢は私がいないと生きていけないのか。しょうがない奴だな」なんてからかわれるに決まっている。だからこそ、いかにも興味津々なんて顔をしているこの親友には、何としても帰ってもらわなければならない。
「魔理沙、悪いけど今日のところは帰って――
「あらちょうどいい、あなたも参加していきなさいな」
「は?」
世界から時間が消えたように感じた。
一瞬紫が何を言っているのかの理解が遅れた。え?なに?魔理沙も一緒にって、どういうこと?
待て待て待て待て!何を言い出すんだこいつは!魔理沙も?一緒に?いや待ってよ、そんなことしたら……
えっと、つまり、私は魔理沙の前で、魔理沙が聞いているにもかかわらず生きる意味を魔理沙といるときに感じたなんてことを言わなきゃいけないってこと?待って、ねえ、待ってよ紫。
私の算段としては、私が魔理沙に帰ってもらう意志を見せれば、ほかの二人も乗ってくれるはずだった。今この場では、魔理沙は完全な部外者だからだ。しかしそんな私の算段は、紫の予想外の一言で吹き飛んだ。まさに裏切られた気分である。
「ちょっと紫!何勝手にそんなこと言ってんの!」
「あら、チルノはどうかしら?」
「うん、あたいも魔理沙の答え、聞きたいな」
「チルノまで!?」
「2対1、可決ですね」
どうやら裏切り者は一人ではなかったらしい。何なんだこいつら、自分の答えを魔理沙に聞かれる羞恥心とかないわけ?
「さっきから何言ってんだ?参加がどうとか、何かのお祭りか?」
「お祭りではなく発表会ですよ。議題は、生きる意味とは何か。ちょうど今から、順番に発表していくところでした」
こうなったら魔理沙が拒否する可能性にかけるしかない。それは一縷の望みのようで、その実結構あり得るんじゃないかと思う。魔理沙はこの集まりをお祭りと称したように、明らかに楽しい何かを私たちに求めている。しかし実際私たちが今からやることは、楽しいことなんかでは決してない。魔理沙からすれば期待外れなはず。
「なんだそりゃ。生きる意味?お前ら3人でか?」
そら来た。見るからに不満そうな顔だ。私たちが集まった理由が、自分の想像していたものとはかけ離れたものだと知って、興味をなくしかけている。よし、このままいけば。
「ええ、チルノと霊夢が、それはもううんうんと悩んでいたものですから。こうしてみんなで答えを言い合って、少しでも助けになれば、と」
魔理沙の雰囲気が変わった。
「悩む?霊夢がか?」
「ええ、というか、あなたなら気づいていたのではなくて?霊夢がなにか悩みを抱えていることを」
雲行きが怪しい。さっきまで興味をなくしかけていた瞳は、光を取り戻して紫を見つめていた。
「何だ霊夢お前、そんなことで悩んでたのか?」
一拍置いてこちらに向き直り、不思議そうに問われる。
「……そうよ、悪い?」
「いや、お前でもそんなことで悩むんだなって」
「なによそれ、私を何だと思ってんの?」
「霊夢は霊夢としか言いようがないぜ」
そんなやり取りをしながら、私はこの先のことを考えていた。これでも、魔理沙とはそこそこ長い付き合いである。次に何を言い出すのか、私には大体見当がついていた。だって今のこいつは、異変に突っ込んでいく時と同じ顔をしているのだから。
魔理沙は、紫に向き直り、「さて」と前置きをして、トレードマークのとんがり帽子に手をかける。
「その発表会とやら、私も混ぜろよ、スキマ妖怪」
「ええ、もちろん。最初からそう言っているじゃありませんか」
ほら見ろ。こうなった魔理沙はもう梃子でも動かない。私がどう説得したって、その決断を変えることはできないだろう。私は頭をフル稼働させて、どう魔理沙に触れずに魔理沙とのやり取りで感じたことを言葉にするかを考え始めていた。
「それじゃあ改めて始めましょうか。順番はチルノ、私、魔理沙、霊夢よ」
紫がそう宣言する。魔理沙の乱入で、どこか弛緩しつつあった雰囲気が締め直された。
「まずはチルノ。あなたはこの十日間で、どんな答えを出したのかしら?」
「あたいは……」
そういえば、ここに来た時から、チルノはなんだか元気がない。今だって、いつものうるさいくらい元気のこもった声とは正反対の萎れた情けない声を出している。
自分のことに頭がいっぱいで気づかなかったが、思い出してみれば彼女は神社に来てからほとんどしゃべっていない。もしかして、私と同じで彼女も不安なのだろうか。自分の答えが本当に正しいのか、不安で不安で仕方なくて、でも考えてもわからなくて。そんな不安に押しつぶされそうになっているのだろうか。
「チルノ」
驚くほど自然に声が出た。
「あんたが何を考えてきたかなんて知らないけど、どんな答えでも私は笑わない。他の奴らも笑わせない。だから安心しなさい。あんたはあんたの答えを言えばいいの」
何を言うか特に決めて名前を読んだわけでもないのに、その言葉は勝手に私の口からスラスラと出ていた。もしかしてこれは、私が誰かにかけてほしかった言葉なのかな。
「霊夢、ありがとう。紫の言う通りだね」
なぜそこで紫の名が出るのか、私が問おうとしたときには、もうチルノは話し始めてしまった。
少しだけ、いつも通りに近づいた声で。
「あたい、ずっと考えてたんだ。紫に相談してからずっと。そしたら、当たり前のことかもしんないけど、霧の湖に帰ると安心するし、他の妖精たちと遊ぶと楽しいって気づいたんだ。でね、ほかにもいろんな楽しいこと、面白いことあるってわかった。弾幕ごっこしたり、次はどんな悪戯するか話したり。だからあたいは、そういう楽しさを、思いっきり味わうために生きてるんじゃないかって思うんだ。楽しくなかったら、どうやって楽しくするか考えて、楽しかったら、もっと楽しくする方法を考えて。うまく言えないけど、そうするために生きてるって、思う」
チルノの答え。それはとても妖精らしくて、何よりチルノらしい答えだと思った。少し口下手だけれど、一生懸命言葉を絞り出して話すその姿と合わせて、何を言いたいのかが伝わってきた。そういうところも含めて、らしい回答だった。
「いい答えです。チルノ、十日間よく考えてきましたね」
「えへへ、次は紫の番でしょ」
優しい笑みを向ける紫と、照れたように笑うチルノ。なんだか親子みたいね。
「そうですね。では十日交換の約束通り、次は私が答えましょう」
紫の顔はさっきのチルノとは正反対に、自信に満ち溢れているように見えた。いつもこういう顔をしている奴と言えばそれまでなのだけれど。
ともかく、紫の答えには、私も興味があった。普段何考えてるかよくわかんない奴が、何を考えているのかを自分から話してくれようとしているのだ。そりゃ興味持つなってほうが無理ってものだろう。
それに紫は、正確には知らないけどものすごく長く生きている。だったらこれから彼女が発するであろう回答は、もしかして一番正しいんじゃないだろうか。一番真理に近いのではないだろうか。
「私が考える生きる意味、それは――
どこかからゴクリ、という音が聞こえた。ひょっとしたら自分の喉からだったかも知れないし、ほかの二人のどちらかからだったかもしれない。とにかく、今ここにいる三人全員が、今か今かと答えを待っているのがわかった。紫を囲む温度が、どんどん高まっているのを感じた。
「ズバリ、愛ですわ」
そして凍り付いた。この場の誰もが一瞬、呼吸することすらも忘れて唖然としたことだろう。私も例にもれず、紫の発する音に理解が追いつくまでに2秒ほどの時を有した。
「愛って、その、アレか?ラブってことか?」
「ええそうよ」
見るからに動揺している魔理沙からの質問を軽く流して紫は続ける。
「生きとし生けるもののすべては、愛を求めて生きるのです。自分が愛することのできる者を求めて、自分を愛してくれる者を求めて、そして自分が愛する者のために生き、自分を愛してくれる者のために死ぬのです。それができた時に初めて、ああ悔いのない生涯だったと思うことができるのです。だから、生きる意味とはすなわち、愛なのですよ」
そう語る紫の口調は、ほんの少しだけ熱を帯びていたが、私の相談に乗ってくれた一週間前と同じ、優しく語りかけるような口調だった。
今更ながら、あの時見た紫は私の幻覚幻聴の類ではなかったのだと安心した。
「じゃあ紫は、何を愛しているの?チェンとか?」
というチルノの問いに対し、紫は目を閉じ、両手を広げて後ろを向いた。そして、風の上に言葉を乗せるような優しい口調で語り始めた。
「この幻想郷に、生きとし生ける人妖のすべてを、私は愛していますよ。人間がいなければ生きていけない妖怪という存在。その妖怪に恐れ慄きつつも、時には勇気をもって立ち向かう人間。そしてそれらが織りなす、奇天烈で愉快で残酷な日常。そこに生きるすべての者たちを、私は愛しています。それは今ここにいるあなたたちも、例外ではなくてよ?もちろん、藍や橙は特別だけれどね」
博麗神社は少し高い位置にあって、そこからは幻想郷の景色が一望できる。もちろん全部ではないし、地上から地底は見えないのだけど。
私は、妙に納得していた。その優しい口調は、そういうことだったのかと。私を心配するようなことを言ったのも、決して演技ではなかったのだと。
もしかしたら、いつもの胡散臭さは建前で、こっちが本当の八雲紫なのかもしれない。
「……私はお前のこと、特に愛してやれんぜ?」
「たとえあなたが私を嫌いになろうとも、私の愛は揺らいだりしませんよ」
魔理沙に振り返ってそういう紫は、口調だけはいつもに戻っていて、なのに魔理沙に愛の告白みたいなことを言っているのがなんだかとても可笑しくて、思わず「ふふっ」なんて笑ってしまった。
「あら霊夢、チルノの時はどんな答えでも笑わないって言ったのに、ひどいですわ」
「いや、だって、あんたがそんなこと言うの、なんだかおかしくて」
なんとか笑いをこらえながら返す。すると紫はしてやったりという顔をして。
「これでお相子ね霊夢」
その言葉に心を打ち抜かれるような錯覚を覚えた。思い出すのは一週間前、柄にもなく激怒したあの時。
まさかこいつは、あの時のことをまだ気にしていたのだろうか。
私は、ほんの少しだけ、八雲紫という妖怪のことを理解できた気がした。
「……もうとっくに許したよ、そんな昔のこと」
なんだか今の紫と話していると、とても優しい気分になれる。
いつもこんな感じだったらいいのにな。
「二人していちゃついてるとこ悪いが、次は私の番だぜ!」
そんな感傷に浸っている私を引き戻す魔理沙の一言。そういっている魔理沙の顔は、答えを言うときの紫と同じで自信に満ちているように見えた。
私は、魔理沙について懸念していることがあった。それは、魔理沙は果たして議題の答えを持っているのかということ。
私が一週間考えても、ようやく朧げに輪郭が見えてきただけのその疑問を、たった今飛び入り参加してきたこいつは答えられるのかと。
しかし、それは杞憂だったようだ。先ほどの魔理沙の声色が、表情が、私に確信させた。こいつは持っているのだ。生きる意味を、自分の答えを。それもチルノのように不安になりながら話すようなことじゃなく、紫のように自信を持って話せるような答えを。
「そうですね。では魔理沙、お願いします」
気が付けば、魔理沙の言葉に耳を傾けていた。
魔理沙は、私が生きる意味について疑問をもった原因の一端であり、同時にその疑問の答えを、うっすら教えてくれた張本人である。そしてそもそも、私は最初紫じゃなくて魔理沙にこの疑問を相談する気でいたのだ。そしてこの集まりの中で、唯一私と同じ人間。
魔理沙の答えを聞けば、私も答えに近づける。どうしようもなくそんな予感がした。
「私にとっては、生きる意味だとか、何のために生きるだとか、そんなこと、何一つ関係ないぜ!」
帽子を被り直し、口角を吊り上げ、声高々に魔理沙はそう宣言した。
この議題を、根底からひっくり返すような一言を、何のためらいもなく言い放ったのである。
私が面食らっている間にも、魔理沙の話は続く。
「もしも、例えば人間を何らかの目的で作った神様みたいな奴がいるとして、私は絶対にそいつの思い通りになんか生きてやらない。他ならぬ私の人生だ。生きる意味だって、ほかの誰かじゃない、私自身が勝手に決める。勝手に決めて、その通りに生きるんだ。今まで私はそうやって生きてきた。魔法がどうしても使いたかったから必死で魔法使いになるための勉強をしたし、それを親に反対されたから家出だってした。そのことに後悔なんてない。今までも、そしてこれからも私の人生は私が決める。今はさしずめ、異変の時に霊夢に並びたてるくらい強くなるのが私の目標で、生きる意味だぜ」
この魔理沙の回答に、心の中でダイナマイトが爆発するような衝撃を受けた。生きる意味は、探したり見つけたりするんじゃなくて、自分で勝手に決める。なんて魔理沙らしい自分勝手で強引な回答だろう。
「あなたらしい野蛮な回答ね、魔理沙」
「この答えが野蛮だっていうなら、人間の大体は野蛮だと思うぜ」
「言い方の問題ですよ」
今まで『意味』を感じた瞬間を思い出す。
アリスの人形劇。魔理沙とのやり取り。八百屋のおじさん。
ああ、そうか、みんな魔理沙と同じように、そこに勝手に意味を作ったんだ。
それでいいんだ。
思えばなんて簡単なことなのだろう。今まで意味のあるものを求めていたけど、違うのだ。私が勝手に、意味があることにしてしまっていいんだ。優しく吹く風も、縁側でお茶をのむ日々も、他人から見れば無意味な事だって、声高々に意味があるって言ってしまって構わないのだ。
チルノの回答を聞いて、らしいと思った。
紫の回答を聞いて、驚いたけど、なんだかすごく似合っていると思った。
何より魔理沙の回答は、その言葉だけで、ああ魔理沙だなってわかるくらい、らしい回答だった。
みんながみんな、自分らしくその疑問と向き合っている。自分らしい答えを出している。
ああ、ようやくわかった。『生きる意味とは何か』その疑問に、どう答えるべきなのか。
そんなふざけた問いかけには、思いっきり自分らしい答えをぶつけれやればいいのだ。そして胸を張って、そのために生きてるんだって言ってやればいいのだ。紫や魔理沙がそうしたように。
「さて、最後はお前だぜ霊夢。そろそろお前が元気になってくれないと、こっちも張り合いがないんだ。頼むぜ?」
「そうね、それじゃあ、いきましょうか」
言われなくてもわかってるっての。
私の、博麗霊夢の回答は。
「私の心って、きっと水みたいな形をしているのよ。外からの刺激が何もなければ静かだけど、風が吹けば波が立つし、石を投げ込まれればポチャンって音と一緒に波紋が広がる。そしてその刺激を、どこかで楽しんでるのよね。そしてそういう刺激に慣れてくると、今度は何もない時間が新鮮に感じる。だから私は、一人でいる時間も、魔理沙やほかの誰かと一緒にいる時間も、どっちも嫌いじゃない。うるさく騒がれたり、気分が乗らないときに異変が起こったりしたときは、そりゃ嫌な気分にもなるけど、終わった後は、たまにならそういうのも悪くないって思える。少し話が変わるけど、私って風が好きなのよ。風が木の葉のなびく音を届けてくれる瞬間とか、自分の髪や巫女服をなでる瞬間とか、たまらなくね。縁側に座ってお茶を飲む時間も好きだし、魔理沙とどうでもいいやり取りをするのだって、まあ、その、嫌いじゃない。とまあ、こんな風に私って自分で言うのもなんだけど、結構なんでも楽しいとか、好きだって思えるのよ。でも私は、それが生きる意味にならないって思ってた。だってそうでしょう?風が吹くから生きるなんて、縁側でお茶が飲めるから生きるなんて、どう考えてもおかしいじゃない。だから私はもっと絶対的な生きる意味を探していたの。魔理沙の回答を聞くまではね。あんたの答えを聞いて、ああ、それでいいんだって思えたのよ。風が吹くなんてどう考えても意味のないことを、私が勝手に意味のある事にしていいんだってね。私が今まで楽しいとか好きだとか感じてきたもの全部を、私の生きる意味にしちゃっていい、そういう風に考えられるようになったのよ。だから、この私の水みたいな心に波を立ててくれる何か、波紋を広げてくれる何か、たまになら、どでかい岩を投げ込んできやがる誰かでもいい、そういうのがあるうちは、それなりに頑張って生きてみようかなって思う。これが私の考える生きる意味」
思うままに言葉をつづけたから、三人がわかってくれたかどうかちょっと心配になった。
それぞれの様子を確認すると、「おー」なんて口を開けてるチルノに、拍手をしている紫、そして
「要するに気まぐれってことか、霊夢らしいな」
なんて笑う魔理沙。
「そんなに、簡単に、まとめないでよ、もう、馬鹿」
不思議と涙が出そうになった。
別に魔理沙のまとめ方が気に食わず泣きたいわけじゃない。
ここから涙がでるのなら、きっと種類としてはうれし泣きになるのだろう。そんな涙だ。
きっと嬉しかったんだ。私の回答を受け止めて、『らしい』なんて言ってくれたことが。
少し不安だったけど、魔理沙が言うのなら間違いない。これは私らしい回答なんだ。
みんなと同じ、らしい答えを出せたんだ。
「さて、チルノも霊夢も悩みは解消されたみたいですし、私はこれにて失礼しますわ」
そう言って紫はスキマに消えた。なんだかんだ言って今回、紫には世話になった。感謝くらいはしておくべきか。
なんて考えていると、紫がもう一度同じところから首だけ戻ってきた。
「そうそう、チルノ、あなたも帰るでしょう?この間送り損ねたことだし、いかが?」
自分のスキマを指さしてチルノに問う紫。どうやら霧の湖までスキマで送っていくという提案をしに戻ってきたらしい。面倒見のいい奴である。
「ううん、いい、自分で帰ったほうが楽しいと思うから」
「あら残念」
「紫もたまにはそれに頼らず自分で帰ればいいじゃん。そんなんだからナマケモノになるんだよ」
「検討しておきましょう、それではごきげんよう」
紫が首をひっこめる。そしてチルノがそれを見送ったあと「じゃあね!霊夢も魔理沙もありがとう!あたいすっきりした!」と残して空へ飛んで行った。
残ったのは、私と魔理沙の二人。私たちの間には、三歩分の距離がある。
「二人きりね」
「ああ、そうだな」
私たちは二人とも、間にある三歩分の距離を縮めようとはしなかった。
「私の心に一番多く波風立てたのは、やっぱりあんたよ、魔理沙」
「光栄だぜ、でだ、そんな恩人の魔理沙さんにお茶の一つも出してくれないのか?」
音が半分になった博麗神社で、私と魔理沙はにらみ合う。
「そうねえ、この間の惨敗の借りを返れば、そういう気分になるかもね」
「おいおい、それじゃあ勝負にならんぜ、私が負けなきゃ茶が出ないじゃないか」
互いに空へ飛びあがりながら、そんな軽口を交わしあう。
「心配しなくても、今日は特別、私が勝っても、あんたが勝っても、茶くらい出してあげるっての」
「そうか、なら遠慮なく行かせてもらうぜ、勝利の美酒のほうがうまいに決まってる」
箒に跨り、戦闘態勢をとる魔理沙。帽子のつばでよく見えないが、おそらく笑っているのだろう。ちょうど今の私と同じように。
「この前の雪辱、晴らさせてもらう。覚悟しなさい魔理沙!」
「上等だぜ霊夢!こっちも万全のお前に勝ってこそ、意味があるってもんだ!」
その言葉を合図に、私たちの弾幕ごっこは幕を開けた。
皆が皆、胡散臭いだなんだと陰口をたたこうが気にしないし、ちょっと気に食わないことがあるとだいたい私のせいにしてくるどこかの神社の巫女様に対してもとくに嫌な気持ちはわかないし、後で食べようと取っておいたケーキやプリンなどを橙が食べてしまったとしても声を荒げたりはしない。
そんな私だが、どうしても許せないことが2つだけある。
一つは幻想郷に対して危害を加えること。
いつかの地震騒動の時の比那名居天子がこれにあたる。彼女は遊びで幻想郷の要である博麗神社を倒壊させたあげく、全く持って悪びれる様子がなかった。あの時はさすがの私も堪忍袋の緒が切れたものである。
そしてもう一つは、私の睡眠を邪魔されること。
「あ、起きた」
……それはもう、いきなりふすまを思いっきりあけて、「やい!出てこいスキマ妖怪!ここにいるのはわかってるんだからね!」なんて言われた日には、千年の眠りも覚めますとも、ええ。
少し寝ぼけたまま、私に目覚ましの呪文を投げつけてきた相手を確認する。一応、声で誰かというのはわかっていたけれど、私にはそれが信じられなかった。
寝ぼけ眼に映るのは青いリボンに青い髪、そして背中の三対の氷の羽。間違いない、地震騒動の時の氷精、チルノである。
本来なら、私の眠りを妨げたこの氷精には、軽くデコピン三発は覚悟してもらいたいところであったが、続く疑問が憤りを上書きした。
「あなた、どうやってここに?」
体を起こし、布団と枕をスキマに放り込み尋ねる。
私の家は迷い家と呼ばれる場所の最奥にあり、おいそれとたどりつける所ではない。
勘の鋭い霊夢あたりならあるいはたどり着けるかもしれないが、この氷精に同じことができるとは到底思えない。
「チェンに聞いたの」
「……この場所のことは他言してはいけませんと言っていたはずなんですけどね」
私は、幻想郷の管理者という立場上、むやみに自分の住処を知られるわけにはいかない。
橙には、何度もそう言い聞かせていたはずなのだけど。
「聞いても教えてくれなかったから、弾幕ごっこでボコボコにして案内してもらったのよ、ふふん」
「まあ、自慢気。私の安眠を妨害した上にかわいい部下にまで手をかけただなんて、そんなに私を怒らせたいのかしら」
「あたいだって寝てるとは思わなかったよ。もうお昼なのにさ」
「ここは人妖入り乱れた幻想郷。あなたの常識が私の常識ではありません」
「要するにあんたがナマケモノってこと?」
「……ところで橙はどこに?」
「さっきまで一緒だったけど逃げちゃった。『ゆかりさまに怒られるー』とかいって」
私の言ったことをきちんと覚えていることに安堵すればいいのか、妖精にボコボコにされるなんてとしかればいいのか微妙なところである。相手がただの妖精ならば断然後者であるが、このチルノに関しては妖精の中では群を抜いた力を持っており、幻想郷の閻魔をして妖精の枠からはみ出て妖怪になるかもしれないと言わしめたいわば規格外である。
もっともあくまで妖精の中での規格外であり、私から見れば、ただの冷気を出せる子供であることには違いない。
そういえば、チルノは当たり前のように橙といっていたが、どうして名前を知っているのだろう?勝負の時に名乗ったのだろうか、それとも他の誰かに聞いたのだろうか。
いや、この場所を知るために橙を訪ねたという時点で、橙と私の関係を知っているのだから、少なくとも今日が初対面とは考えにくい。
「ねえ、あなた、もしかして橙の知り合いなの?」
「うん、友達。なかなか一緒に遊べないけどね」
橙はよく外に遊びに行くが、ここからチルノの住処である霧の湖までは結構な距離がある。なかなか一緒に遊べないとはそういうことだろう。
しかしまさか本当に二人が友達だったとは驚いた。橙からもそんな話は聞いたことがない。そういえば、あの子が普段どんなことをしてるかって、私あまり知らないのよね。今度藍に聞いてみようかしら。
「ねえ、あたいあんたに聞きたいことがある」
そんなことを考えていると、チルノが真剣な目をしてこんなことを言ってきた。
あまりに衝撃的で突然の訪問だったからそっちにばかり気を取られていて、肝心の彼女が何故私を訪ねたのかという疑問について今まで言及する機会を逃していた。
しかしこの表情を見るに、その聞きたいこととやらが私を訪ねた要件で間違いないだろう。私は、この氷精が次に何を言い出すのか興味がわいた。だってそうだろう、実は私は、地震騒動の以前から彼女と多少面識があるが、いかにも何も考えていませんというような呑気な笑顔で、毎日毎日飽きもせず遊びまわっている奴。というのが私の彼女に対するおおまかな認識であり、それが今の彼女の表情や言葉と、どうしても重ならない。彼女の住処である霧の湖から決して近くはないここまで来て、私の居場所を聞き出すために橙に勝負までして。
いや、それだけではないだろう。そもそもこの迷い家がどこにあるのか彼女は知らないはず。橙と遊んだことがあるのなら大まかな場所はわかるとしても、結構探し回ったのではないか。つまりこの聞きたいことというのは、彼女にとってそこまでする価値のあったものということになる。私は、あまり興味本位で動くのは好きではないが、ここまでお膳立てされればさすがに気になる。
「あら、なにかしら。言ってごらんなさいな」
私はすでに、安眠を妨害されたことに対する彼女への怒りを忘れつつあった。なんというか、相手側にもそこまでする理由があるのだと思うと、段々許してあげてもいいかなという気持ちになってきたのだ。まあ、子供に手をあげるのはよくないことよね。うん。
私は彼女に質問を促しながら、その内容について考える。何が彼女をそこまでさせるのだろう。彼女が私を頼ってまで、解消したい疑問は何だろう。
もしかして友達と喧嘩したから、仲直りの方法でも聞きに来たのか、それとも私のことで何か聞きたいことでもあるのか。
「あたいって、その、何のために生きてるのかな、って」
私の知る彼女からは想像できないような、自信も元気もない声で、彼女はその疑問を口にした。
私は驚愕していた。予想がまるっと外れたことに対してではなく、彼女がそんな疑問を口にしたことに対してだ。もし、彼女が人間であるならば私もさして驚きはしない。何のために生きるのかというその疑問は、人間であるならば誰しも一度は考える命題だろう。
その疑問を自らに問いかけ続けることで人間は自分の存在意義を見つけ、そして成長し、何者かになっていく。
しかし彼女は妖精である。妖精は成長しないし、妖精以外の何者でもない。だというのに彼女は自分の存在意義を問いかけている。定義しようとしている。この事実が私を驚愕させた。彼女は妖怪になるかもしれないと、いつかの閻魔がいったことも、いよいよ冗談ではないかもしれない。この疑問の答えを彼女が見つけた時、果たしてどうなるのだろうか。
「……どうしてそんなことを聞くの?」
「よく、わかんない。でも、大事なことだって、気がする」
「そう、でもねチルノ、その疑問は自分で考えて答えを出さなければいけない疑問なの。だから私は教えられませんわ」
「……考えてもわかんないから、聞きに来たのに」
「そうムスッとしなさんな。教えられなくても、協力することはできます。私もあなたと同じ疑問を持っていたことがありますから」
「ほんと!?じゃあ教えてよ!」
「ただでは教えられません。『等価交換』と行きましょう」
「『十日交換』?十日たったら教えてくれるってこと?」
「……ええそうです。ただし、先にあなたの答えを教えてくれたら、です」
「わかんないって言ってるじゃん!」
「十日間で、わからないなりに考えてらっしゃい。どんな答えでもかまいませんわ。あなたの答えを教えてくれたら、私も私の答えを返しましょう」
「……わかった。頑張る」
「またここに来るために橙に手をかけられても困りますから、答え合わせは十日後の今の時間、博麗神社でということでよろしいかしら?」
「……勝手にそんなこといっていいの?」
「ええ、いいのよ。霊夢は優しいですからね」
「あたいあんたのこと誤解してたかもしんない」
「約束だからね!」と言い残してここを飛び去って行くチルノ。……ここは迷い家で、簡単には出られないようになっているから、スキマで送ってあげようと思っていたのだけれど、どうもタイミングを逃してしまった。まあ、近くに橙もいるみたいだし、何とかして帰れるだろう。
……これでよかったのだろうか?彼女がどんな答えを出すにせよそれは変化の始まりで、きっと今まで通りにはいられないだろう。彼女の妖怪への変遷を、手助けしてしまうのではないだろうか?そんな不安が頭をめぐるが、すぐに考え直す。
この疑問を抱いてしまったからには、遅かれ早かれ同じこと、いつかは彼女一人でも答えを出してしまうだろう。だったら悩むだなんて彼女らしくないことをする時間は、短いほうがいいではないか、と。それに、もう約束してしまったのだし、今になってあれこれ考えても仕方ない。
今から十日後、彼女がどんな答えを持ってくるのか、それがほんの少し怖くもあり、楽しみでもあった。
私は、風が好きだった。
木の葉や草木が一斉に騒ぎ立てる瞬間が好きだった。その音は、私に幻想郷という世界を感じさせてくれる。この広い世界が、なんとなく生きているような親近感を届けてくれる。
どこかひんやりとした冷たさを伴って響く風鈴の音が好きだった。単純に夏は暑いからっていうのもあるけど、その音には言葉にできない風情がある。
自分の髪や巫女服が風にさらされる感覚が好きだった。涼しいというだけじゃなくて、自分はこの世界で生きているんだなって、風が教えてくれている気がしたから。
……いや、別に風がなきゃ生きているって感じられないわけじゃないけど、風が教えてくれる「生きてる感じ」は私にとっては少しだけ特別なのだ。異変解決の時に、空を飛びながら風を感じることは、私の密かな楽しみでもある。不謹慎だなんて言わせない。向こうは勝手に異変起こして楽しんでるんだから、私だって勝手に異変解決にささやかな楽しみを見出したっていいはずだ。まあ、永夜異変とか星蓮船異変とか、楽しんでるっていうには少し語弊がある場合もたまにあるんだけど。
そんな私だけど、最近疑問に思うことがある。
それは、「人間ってなんのために生きてるんだろう?」というもの。
その疑問の始まりは数日前、神社を掃除していた時、ふと、「風ってどこに向かって吹いているんだろう?」なんて考えてしまったことにある。私は風について詳しく知らないけど、ずっと同じ方向に吹いていたら、いつか何かにぶち当たるはず。そのときは方向を変えるのだろうか?それとも、何とかしてそのぶち当たった何かを超えるのだろうか?でも、そのどちらだったとしてもまた別の何かにぶち当たる。繰り返しになるだけじゃないか。なんてことをぐるぐると考えていたら、当初の疑問は「風って何のために吹いているんだろう?」というものに変わった。そして即座に私はその疑問を否定する。風が吹いていることに意味なんてあるはずがないじゃないかと。しかしすぐに、じゃあ、意味のある事って何だろう?という疑問が頭を埋め尽くした。
風が意味もなく吹いているならば、草木が風を知らせる瞬間も、風鈴が風に乗せて運ぶ音も意味がないのではないか。神社の縁側に座ってお茶を飲む安らかな時間も、空を飛んで風を感じるという私の密かな楽しみも、全部意味がないことなんじゃないか。
そこまで考えて、なんだか私が私じゃなくなってしまうような感覚に陥って、一旦この疑問について考えるのをやめた。
でも、考えないようにしても、頭の中からその疑問が消えることはなかった。そんな時、神社の上空から聞きなれた声がした。
その声の主は、上空3m弱ほどの高さで箒から飛び降りて華麗に着地したのち、「よう霊夢、遊びに来てやったぜ」なんていつもの言葉を口にする。
黒いとんがり帽子からはみ出る少々癖のある金髪。開口一番から図々しさ全開のそいつは、霧雨魔理沙。遺憾ながら私の親友である。
普段の私ならば、そんな魔理沙の図々しさに呆れつつも、なんだかんだでお茶くらいは出してやる。しかし、その日に限って私は、お茶を出せという魔理沙に対して、私に勝ったら出してあげる、と弾幕ごっこを申し込んだ。魔理沙は少し意外そうな表情をしたがすぐに了承してくれた。
私は、なんでもいいから、頭の中の疑問を忘れられる何かがほしかった。だから柄にもなくこんなことをしたんだけど、結局弾幕ごっこの最中も頭はその疑問に支配されたままで。当然そんな状態でまともに魔理沙の弾幕を避けられるはずもなく、久々の惨敗を喫した。
魔理沙も、私が本調子でないことを察したみたいで、「どうしたんだお前」と不思議そうにしていたけど、結果に関しては喜んでいた。「これで堂々と霊夢の茶が飲めるぜ」なんて言って。まるで普段堂々とお茶を要求していないみたいじゃない。
でも、そんな魔理沙を見て、私はそこに『意味』を感じた。私に勝った景品としてお茶をもらうことは、少なくとも魔理沙にとっては意味があることのように思えた。だからこそ、「こいつは何のために生きているんだろう?」という疑問を抱かずにはいられなかった。その答えの先には、意味のあるものがあるという予感がしたから。
そして今現在、「魔理沙は何のために生きているのだろう?」という疑問と、「私が生きてることになんの意味があるのだろう?」という疑問が合わさり、「人間って何のために生きているんだろう?」という疑問になった。我ながら、最初の疑問からよくもまあここまで来たなと感心する。
疑問の片割れである魔理沙の生きる理由について、本人に聞いてみようとも思ったのだが、なんとなく恥ずかしい気がして踏ん切りがつかなかった。魔理沙はかなりの頻度で神社まで来るし、「次来た時でいいか」なんて思ってしまう。そして結局、今まで聞き出せていない。
次こそは絶対に聞いてやる、今や私の頭を占領しつつあるこの疑問も、もとはと言えばあいつが原因みたいなものじゃないか。なんて決意を固めながら、少しでも気を紛らわすためにお茶を体に流し込む。こんなにお茶が味気ないのはいつ以来だろうか。
ああ、魔理沙のやつ何してんだろ?早く来なさいよもう、どうでもいい時はすぐ来るくせに。
「は~い、おはよう霊夢。元気にしてたかしら?」
「……おはようって時間じゃないと思うんだけど」
神社に響いたのは、望んでいたのとは別の声。陽気さの上から胡散臭さをかぶせたようなこの声の主は、幻想郷の管理者こと八雲紫。一応私の上司ということになるのだろうか?全然そんな気はしないけど。
いきなりの登場にそれなりに驚きつつ声のした後ろを振り返れば、魔理沙とは違う整った長めの金髪と、開かれた真っ白な扇子が目に入る。こいつがいきなりここを訪れるのはいつものことなので、普段はさほど動揺したりしないのだが、あんなことを考えていた最中だ。声がした瞬間にビクッと肩を震わせるだけで済んだ私は、むしろ褒められるべきではないだろうか。
「ここは人妖入り乱れた幻想郷。あなたの常識が私の常識ではありません」
「レミリアとかならともかく、あんたはただ寝坊助なだけでしょ」
「そんなことより霊夢、さっきから見ていたのだけど、何をそんなにうんうん唸っているのかしら?」
「いたんなら声かけなさいよ!」
不覚、一生の不覚。まさか見られていたなんて。
いつもなら紫が来た時は気配で大体わかる。腐ってもこちとら妖怪退治の専門家だもの。しかし今日に限っては、いや、ここ数日に限っては間が悪い。
「まあまあそんなに声を荒げないで、あなたが悩んでるなんて珍しいから、なんだか声を掛けづらくて」
「だったらそのまま黙ってどっかいきなさいよ!もう!」
「そうはいきませんわ、こちらも用があってきたのだから」
紫は基本的に私に用がない限り神社には来ない。そしてその用というのは、異変の話だったり、たまには修行をしろという説教だったり、私にとって面倒な場合が大半である。
どうしてこんな時に、と思わずにはいられなかった。紫の様子からして、異変がどうこうという話ではないだろうが、それでもこのもやもやした感覚を抱えて、紫の用とやらに付き合う気にはなれないのだ。
「嫌だって、言ったら?」
だから、私がこんなことを言ってしまうのも当然であると言える。とはいえ、なんだかんだ紫は私を丸め込むのがうまい。私がここで拒絶の意を示したとしても、のらりくらりとした問答をしている間にいつの間にか付き合わされる羽目になるんだろう。そんな予感がする。だからこれは、拒否というよりも癇癪に近い。まあ、その紫の用とやらが、例えば私に何かを報告に来たとか、そういう私に是非を問わないものだった場合は見事にこの癇癪は空振りするのだが。
「霊夢、あなた、何かあったの?」
次の紫の口からは、当然私を丸め込むための言葉が飛び出すとばかり思っていた私は面食らった。
そう言う紫の口調からは、いつもの陽気さも胡散臭さも感じられない。まるで私を心配しているみたいな優しい声色だった。
「……何もない。ただそういう気分なだけよ」
「そう、さっき悩んでいたことと関係があるのね」
「うっさい、ほっといてよ」
「私に言えないようなことなの?」
なんだろう、明らかにさっきの問いかけから、いつもの紫じゃない。
私に言い聞かせるようにゆっくりと、優しく諭すような口調で話す紫なんて私は知らない。私の知る八雲紫という奴は、いかにも余裕綽綽という表情で、大事なところで意味わかんないことばっか言って、何考えてるのかよくわかんない奴なのに。そういう奴だと、思っていたのに。
「……笑わないでよね」
私にとって紫は、できれば弱みを見せたくない奴の一人である。いや、進んで見せたい奴なんて一人もいないけど。
だから今の私は、きっとおかしいのだ。気持ち悪いもやもやを何日も抱えて、いつもと違う紫に絆されて、どこかおかしくなってしまったに違いない。でなければ「今のこいつなら、私の疑問に答えてくれるんじゃないか」なんて淡い期待を持ったりしなかったはずだ。
「保証はできないけど、私、並大抵のことでは笑いませんよ」
そんな紫の返答に、どこか安心している自分がいた。何故だか、今の紫の言葉を聞いていると力が抜けていくような感覚がする。思えば、私が誰かに悩みを相談するなんて初めてかもしれない。
「生きる意味って、なんだと思う?人間は、何のために生きているんだと思う?」
まるでため息をつくように、私はその疑問を口にした。口にした瞬間、自分の中のもやもやが、少しだけ言葉と一緒に外に出て行ったような感じがした。なんだろう、なんだか不思議な気分ね。なんて思いながら紫を見ると、面白いことを見つけたとでも言うようににやにやした笑みを浮かべてこっちを見ていた。
「あらあら」
「……何よ」
「あらあらあらあらまあまあまあまあ」
「何よ!笑わないでって言ったじゃない!」
さっきまでの優しい口調はどこへやら。この私の神経を逆なでするような言動、間違いなくいつもの紫である。私は早速、紫に相談したことに全力で後悔していた。もしかして、さっきまでのは私を嵌めるための演技だったのだろうか?だとしたら許せない。私は、ほんの少しだけ紫の優しさを信じる気になっていたのに。
「もういい!あんたに聞いた私が馬鹿だった。帰って!そして二度と来ないで!」
自分でも意外なほど私は激怒していた。私は割と短気な性格だという自負がある。例えば面倒ごとを押し付けられたりとか、人里に買い物に行ったら食べたかったものが売り切れていたりとか、そういう時に怒りを感じたりする。でもこれは、それとは明らかに質の違う怒りだった。
天子に博麗神社を壊された時だってここまで感情的にはならなかったのに。
もしかして私は、自分で思っているよりもこの胡散臭い妖怪のことが好きだったのだろうか。だから、こんなに声を荒げてしまったのだろうか。
「霊夢」
「帰ってって言ってるでしょ!」
「三日ほど前、チルノにも同じことを言われました。あなたとチルノが同じ疑問を同じ時期に持ったのだと考えると、なんだか可笑しくて、つい、ごめんなさい?」
「……なんで疑問形なのよ」
「別に、絶対に笑わないと約束したわけではありませんし、普通に謝るだけでは、機嫌を直してくれないかと思って」
「チルノの奴には、なんて言ったの?」
「それは自分で答えを出さなければ意味のない疑問だから、私が教えることはできない、と」
「……私もそうだっていうの?」
「ええ、そうです。その疑問の答えは、霊夢、あなたが見つけてこそ価値がある。人間はみな、その問いの答えを持って、自分を何者かに昇華させるのです。普通は、もっと幼い時期、それこそチルノくらいの子供のころに、その疑問は発露するものなのですけど」
「紫も、自分で答えを出したわけ?」
「ええ、そうよ」
「じゃあ紫はなんで、生きているの?」
「ちょうどいいですね。私があなたに用があるといったのは、そのことについてよ。今から一週間後までに、チルノには自分の答えを出すように言ってあります。そしてその時に、参考までに私の答えを教えるとも」
「知りたきゃ一週間待てってこと?」
「ただ待つだけじゃなく、その間に自分の答えを考えておきなさい」
「……それでそのチルノとは、いったいどうやって会うわけ?あいつ霧の湖に必ずいるとは限らないと思うんだけど」
「ですので、彼女との待ち合わせ場所にここを使わせてほしいというのが、私の用事です。まあもうすでに彼女には一週間後ここに来るように言っているので、今更変更はできませんけど」
「あんたいったいうちの神社を何だと思ってんの?勝手にそんな約束しないでほしいんだけど」
「ちょうどいいでしょう。私とチルノの答えを聞いていきなさいな。それがそのままあなたの答えにはならなくとも、道標にはなるでしょう」
「……まあ、いいんだけどさ」
「それでは一週間後までごきげんよう。用事も済んだし、私は帰りますわ」
そう言うと紫は、スキマの中に消えていった。全く持って人騒がせな妖怪である。でも、あいつが笑ってるところなんて初めて見たかもしれない。いつも笑顔と言えば笑顔なのだけれども、そうではなく、吹き出すとかそういう類の笑いである。
初めは笑われたことに怒っていたけれど、ひょっとしたら私は、一生に一度あるかないかというレベルの珍しいものを見たのではないか。そんなことを考えられるくらいには私は落ち着きを取り戻していた。そういえば、疑問形だったとはいえ、あいつが私に謝罪するところも初めて見たな。
気が付けば、私の心は、紫が来る前よりずっと軽くなっていた。あんなに大声を出して怒った後だからだろうか。それとも、なんだかんだ最後には相談に乗ってくれたからだろうか。それとも、あいつのいろんな一面を見たからだろうか。まあ、なんでもいいか。
それよりも、今から一週間後までに、自分の答えを出せと紫は言った。人は何のために生きるのか、その答えを。
紫は、そしてチルノは、いったいどんな答えを出すのだろうか。そして私は、どんな答えを出せばいいのだろうか。
私はそれから一週間、ひたすら『意味のある事』について考えていた。
なぜなら、意味のある事のために人は生きているはずだと思ったから。何のために生きるのかという問いの先には、意味がなければ成り立たないから。
夕飯の材料を人里に買いに行った時、いつもより騒がしかったので何事かと騒ぎの元へ行ってみれば、そこではアリスの人形劇が開催されていた。まるで生きているかのように動く人形、どこか芝居がかった語り口調。それに観客たちが引き込まれているのが見てわかった。終わった後は、拍手喝采が巻き起こった。
別にアリスの人形劇を見るのはこれが初めてではない。でも意味のある事について考えていた私には、それが強烈に焼き付いた。拍手喝采に囲まれて、「ご清聴ありがとうございました」なんてペコリと頭を下げるアリスに、私はあの時の魔理沙と同じ眩しさを感じた。アリスにとって、里で人形劇をやることは意味のある事なんだなって、なんだかストンと理解できた。
人里で、「いらっしゃい!」と元気に野菜を売ってくれたおじさんおばさんも、寺子屋の周辺から聞こえてくる、子供特有の単語だけの意味不明の会話も、ほとんどの人に読まれないっていうのに、凝りもせず人里に新聞を配る烏天狗も、その時の私にはなんだか眩しく見えた。みんなみんな意味がある様に見えた。
私だけが、意味のない世界に取り残されているような気がして、いつもなら歩いて帰る神社への道も、逃げる様に飛んで帰った。
一週間のうち何度か魔理沙が神社に来た。当初の予定通り、魔理沙に生きる意味について聞こうかと思ったけど、なんだか怖くなった。
人里でそうなったように、私だけ取り残されるんじゃないか、あの時感じた眩しさに置いて行かれるんじゃないか。そんな考えが頭をよぎった。魔理沙はそんな私を見て「なんだか最近元気ないなお前」なんて言ってきた。否定するのも面倒だったので、「私にだってそういうときくらいあるよ。あんたと同じ人間だもの」なんて返した。魔理沙はほんの少し驚いたような顔をしたが、すぐに元に戻って「お茶お代わり」と一切の遠慮なく私に湯呑を押し付けてきた。いつもなら邪険に扱うはずのそれは、この時に限ってなんだかとても尊いもののように見えた。魔理沙の持つあの眩しさの中に、一緒に入れてもらえたような、そんな気がした。何故だろう。こんなにも気分がすぐれないのに、こいつとのやり取りはいつもと変わらない。こいつと話している時だけは、いつもの私に戻れる。
もしかして、私が探していた意味というのは、これなのではないだろうか。うまく言葉にはできないけれど、このいつも通りの涼しさに、私は人里で感じたものと同じものがある気がした。こいつと一緒にいるときは、意味のある世界で生きていられるような気がしたのだ。
だから今日、私のなぜ生きるのかの答えとしては、この魔理沙とのやり取りを挙げようと考えている。うまく言葉にできるか不安だけど、まあ何とかなるだろう。まるで、私が魔理沙のために生きているって言うみたいでなんだか気恥ずかしいけど、あくまで言葉で表現しようとすればそういう風に言わざるを得ないというだけで、実際そうであるかと言われれば断じて違う。だから大丈夫と自分で自分を説得する。
「さあて、皆さんおそろいね?」
神社の前には、少しだけ真剣な顔をしたチルノと、たった今スキマから出てきた紫。約束の時間である。
「それでは、チルノ、私、霊夢の三人で、今から発表会を始めます。議題は、生きる意味について」
いつも以上におちゃらけた声で、紫がそう宣言する。いや、発表会ってなによ。もう少しマシな言い方があるでしょ。
「あれ?霊夢も参加するの?」
そういえば、最初はチルノと紫だけでやるって話で、いわば途中参加の私のことをチルノが知るわけない。どう説明したものかと頭を悩ませていると、
「まあ、場所代のようなものよ」
と、紫に勝手に答えられた。その答えにチルノは「ふーん」なんて微妙な表情を浮かべる。
「順番はチルノ、私、霊夢でいい?」
「あたいはいいよ」
「右に同じく」
「じゃあ、さっそくチルノから――
紫は言葉を途中で遮り、空のほうを見た。
私もつられて空を見れば、「おーい」と聞きなれた声が響いた。そしてその声の主は、いつものように箒から飛び降りて華麗に着地を決める。
「なんだこのメンツは?随分珍しい集まりじゃないか。何やってんだ?」
なにやら面白いものを見つけたと言わんばかりの顔で魔理沙がこちらに声をかける。そういえば、魔理沙が神社に来るときは大体昼過ぎの今の時間だった。もっと遅いこともあるけれど、基本的にはこの時間だ。
私は、魔理沙の顔を見て即座に、どうやって帰ってもらおうかと思案した。だってそうでしょう?これから私たちは生きる意味についての紫曰く『発表会』を始めるわけで、ほかの二人はどうか知らないけど、少なくとも私は、その答えを誰かに聞かれるのは気恥ずかしい。ましてや私は魔理沙とのやり取りを生きる意味としてあげようと考えていたわけで。決してそういう意味ではなくとも、魔理沙のために生きていると取れなくもないようなことを言おうとしていたわけで。
さっきはそういう意味じゃないから大丈夫なんて思ったけど、それはあくまで魔理沙本人が聞いていないという前提の下での話だ。聞いているとなれば話が変わる。言えるわけがない。自分の中ではわかっていても、魔理沙や周りがどう取るかというのはまた別の話だ。きっと話したら、「おいおい、霊夢は私がいないと生きていけないのか。しょうがない奴だな」なんてからかわれるに決まっている。だからこそ、いかにも興味津々なんて顔をしているこの親友には、何としても帰ってもらわなければならない。
「魔理沙、悪いけど今日のところは帰って――
「あらちょうどいい、あなたも参加していきなさいな」
「は?」
世界から時間が消えたように感じた。
一瞬紫が何を言っているのかの理解が遅れた。え?なに?魔理沙も一緒にって、どういうこと?
待て待て待て待て!何を言い出すんだこいつは!魔理沙も?一緒に?いや待ってよ、そんなことしたら……
えっと、つまり、私は魔理沙の前で、魔理沙が聞いているにもかかわらず生きる意味を魔理沙といるときに感じたなんてことを言わなきゃいけないってこと?待って、ねえ、待ってよ紫。
私の算段としては、私が魔理沙に帰ってもらう意志を見せれば、ほかの二人も乗ってくれるはずだった。今この場では、魔理沙は完全な部外者だからだ。しかしそんな私の算段は、紫の予想外の一言で吹き飛んだ。まさに裏切られた気分である。
「ちょっと紫!何勝手にそんなこと言ってんの!」
「あら、チルノはどうかしら?」
「うん、あたいも魔理沙の答え、聞きたいな」
「チルノまで!?」
「2対1、可決ですね」
どうやら裏切り者は一人ではなかったらしい。何なんだこいつら、自分の答えを魔理沙に聞かれる羞恥心とかないわけ?
「さっきから何言ってんだ?参加がどうとか、何かのお祭りか?」
「お祭りではなく発表会ですよ。議題は、生きる意味とは何か。ちょうど今から、順番に発表していくところでした」
こうなったら魔理沙が拒否する可能性にかけるしかない。それは一縷の望みのようで、その実結構あり得るんじゃないかと思う。魔理沙はこの集まりをお祭りと称したように、明らかに楽しい何かを私たちに求めている。しかし実際私たちが今からやることは、楽しいことなんかでは決してない。魔理沙からすれば期待外れなはず。
「なんだそりゃ。生きる意味?お前ら3人でか?」
そら来た。見るからに不満そうな顔だ。私たちが集まった理由が、自分の想像していたものとはかけ離れたものだと知って、興味をなくしかけている。よし、このままいけば。
「ええ、チルノと霊夢が、それはもううんうんと悩んでいたものですから。こうしてみんなで答えを言い合って、少しでも助けになれば、と」
魔理沙の雰囲気が変わった。
「悩む?霊夢がか?」
「ええ、というか、あなたなら気づいていたのではなくて?霊夢がなにか悩みを抱えていることを」
雲行きが怪しい。さっきまで興味をなくしかけていた瞳は、光を取り戻して紫を見つめていた。
「何だ霊夢お前、そんなことで悩んでたのか?」
一拍置いてこちらに向き直り、不思議そうに問われる。
「……そうよ、悪い?」
「いや、お前でもそんなことで悩むんだなって」
「なによそれ、私を何だと思ってんの?」
「霊夢は霊夢としか言いようがないぜ」
そんなやり取りをしながら、私はこの先のことを考えていた。これでも、魔理沙とはそこそこ長い付き合いである。次に何を言い出すのか、私には大体見当がついていた。だって今のこいつは、異変に突っ込んでいく時と同じ顔をしているのだから。
魔理沙は、紫に向き直り、「さて」と前置きをして、トレードマークのとんがり帽子に手をかける。
「その発表会とやら、私も混ぜろよ、スキマ妖怪」
「ええ、もちろん。最初からそう言っているじゃありませんか」
ほら見ろ。こうなった魔理沙はもう梃子でも動かない。私がどう説得したって、その決断を変えることはできないだろう。私は頭をフル稼働させて、どう魔理沙に触れずに魔理沙とのやり取りで感じたことを言葉にするかを考え始めていた。
「それじゃあ改めて始めましょうか。順番はチルノ、私、魔理沙、霊夢よ」
紫がそう宣言する。魔理沙の乱入で、どこか弛緩しつつあった雰囲気が締め直された。
「まずはチルノ。あなたはこの十日間で、どんな答えを出したのかしら?」
「あたいは……」
そういえば、ここに来た時から、チルノはなんだか元気がない。今だって、いつものうるさいくらい元気のこもった声とは正反対の萎れた情けない声を出している。
自分のことに頭がいっぱいで気づかなかったが、思い出してみれば彼女は神社に来てからほとんどしゃべっていない。もしかして、私と同じで彼女も不安なのだろうか。自分の答えが本当に正しいのか、不安で不安で仕方なくて、でも考えてもわからなくて。そんな不安に押しつぶされそうになっているのだろうか。
「チルノ」
驚くほど自然に声が出た。
「あんたが何を考えてきたかなんて知らないけど、どんな答えでも私は笑わない。他の奴らも笑わせない。だから安心しなさい。あんたはあんたの答えを言えばいいの」
何を言うか特に決めて名前を読んだわけでもないのに、その言葉は勝手に私の口からスラスラと出ていた。もしかしてこれは、私が誰かにかけてほしかった言葉なのかな。
「霊夢、ありがとう。紫の言う通りだね」
なぜそこで紫の名が出るのか、私が問おうとしたときには、もうチルノは話し始めてしまった。
少しだけ、いつも通りに近づいた声で。
「あたい、ずっと考えてたんだ。紫に相談してからずっと。そしたら、当たり前のことかもしんないけど、霧の湖に帰ると安心するし、他の妖精たちと遊ぶと楽しいって気づいたんだ。でね、ほかにもいろんな楽しいこと、面白いことあるってわかった。弾幕ごっこしたり、次はどんな悪戯するか話したり。だからあたいは、そういう楽しさを、思いっきり味わうために生きてるんじゃないかって思うんだ。楽しくなかったら、どうやって楽しくするか考えて、楽しかったら、もっと楽しくする方法を考えて。うまく言えないけど、そうするために生きてるって、思う」
チルノの答え。それはとても妖精らしくて、何よりチルノらしい答えだと思った。少し口下手だけれど、一生懸命言葉を絞り出して話すその姿と合わせて、何を言いたいのかが伝わってきた。そういうところも含めて、らしい回答だった。
「いい答えです。チルノ、十日間よく考えてきましたね」
「えへへ、次は紫の番でしょ」
優しい笑みを向ける紫と、照れたように笑うチルノ。なんだか親子みたいね。
「そうですね。では十日交換の約束通り、次は私が答えましょう」
紫の顔はさっきのチルノとは正反対に、自信に満ち溢れているように見えた。いつもこういう顔をしている奴と言えばそれまでなのだけれど。
ともかく、紫の答えには、私も興味があった。普段何考えてるかよくわかんない奴が、何を考えているのかを自分から話してくれようとしているのだ。そりゃ興味持つなってほうが無理ってものだろう。
それに紫は、正確には知らないけどものすごく長く生きている。だったらこれから彼女が発するであろう回答は、もしかして一番正しいんじゃないだろうか。一番真理に近いのではないだろうか。
「私が考える生きる意味、それは――
どこかからゴクリ、という音が聞こえた。ひょっとしたら自分の喉からだったかも知れないし、ほかの二人のどちらかからだったかもしれない。とにかく、今ここにいる三人全員が、今か今かと答えを待っているのがわかった。紫を囲む温度が、どんどん高まっているのを感じた。
「ズバリ、愛ですわ」
そして凍り付いた。この場の誰もが一瞬、呼吸することすらも忘れて唖然としたことだろう。私も例にもれず、紫の発する音に理解が追いつくまでに2秒ほどの時を有した。
「愛って、その、アレか?ラブってことか?」
「ええそうよ」
見るからに動揺している魔理沙からの質問を軽く流して紫は続ける。
「生きとし生けるもののすべては、愛を求めて生きるのです。自分が愛することのできる者を求めて、自分を愛してくれる者を求めて、そして自分が愛する者のために生き、自分を愛してくれる者のために死ぬのです。それができた時に初めて、ああ悔いのない生涯だったと思うことができるのです。だから、生きる意味とはすなわち、愛なのですよ」
そう語る紫の口調は、ほんの少しだけ熱を帯びていたが、私の相談に乗ってくれた一週間前と同じ、優しく語りかけるような口調だった。
今更ながら、あの時見た紫は私の幻覚幻聴の類ではなかったのだと安心した。
「じゃあ紫は、何を愛しているの?チェンとか?」
というチルノの問いに対し、紫は目を閉じ、両手を広げて後ろを向いた。そして、風の上に言葉を乗せるような優しい口調で語り始めた。
「この幻想郷に、生きとし生ける人妖のすべてを、私は愛していますよ。人間がいなければ生きていけない妖怪という存在。その妖怪に恐れ慄きつつも、時には勇気をもって立ち向かう人間。そしてそれらが織りなす、奇天烈で愉快で残酷な日常。そこに生きるすべての者たちを、私は愛しています。それは今ここにいるあなたたちも、例外ではなくてよ?もちろん、藍や橙は特別だけれどね」
博麗神社は少し高い位置にあって、そこからは幻想郷の景色が一望できる。もちろん全部ではないし、地上から地底は見えないのだけど。
私は、妙に納得していた。その優しい口調は、そういうことだったのかと。私を心配するようなことを言ったのも、決して演技ではなかったのだと。
もしかしたら、いつもの胡散臭さは建前で、こっちが本当の八雲紫なのかもしれない。
「……私はお前のこと、特に愛してやれんぜ?」
「たとえあなたが私を嫌いになろうとも、私の愛は揺らいだりしませんよ」
魔理沙に振り返ってそういう紫は、口調だけはいつもに戻っていて、なのに魔理沙に愛の告白みたいなことを言っているのがなんだかとても可笑しくて、思わず「ふふっ」なんて笑ってしまった。
「あら霊夢、チルノの時はどんな答えでも笑わないって言ったのに、ひどいですわ」
「いや、だって、あんたがそんなこと言うの、なんだかおかしくて」
なんとか笑いをこらえながら返す。すると紫はしてやったりという顔をして。
「これでお相子ね霊夢」
その言葉に心を打ち抜かれるような錯覚を覚えた。思い出すのは一週間前、柄にもなく激怒したあの時。
まさかこいつは、あの時のことをまだ気にしていたのだろうか。
私は、ほんの少しだけ、八雲紫という妖怪のことを理解できた気がした。
「……もうとっくに許したよ、そんな昔のこと」
なんだか今の紫と話していると、とても優しい気分になれる。
いつもこんな感じだったらいいのにな。
「二人していちゃついてるとこ悪いが、次は私の番だぜ!」
そんな感傷に浸っている私を引き戻す魔理沙の一言。そういっている魔理沙の顔は、答えを言うときの紫と同じで自信に満ちているように見えた。
私は、魔理沙について懸念していることがあった。それは、魔理沙は果たして議題の答えを持っているのかということ。
私が一週間考えても、ようやく朧げに輪郭が見えてきただけのその疑問を、たった今飛び入り参加してきたこいつは答えられるのかと。
しかし、それは杞憂だったようだ。先ほどの魔理沙の声色が、表情が、私に確信させた。こいつは持っているのだ。生きる意味を、自分の答えを。それもチルノのように不安になりながら話すようなことじゃなく、紫のように自信を持って話せるような答えを。
「そうですね。では魔理沙、お願いします」
気が付けば、魔理沙の言葉に耳を傾けていた。
魔理沙は、私が生きる意味について疑問をもった原因の一端であり、同時にその疑問の答えを、うっすら教えてくれた張本人である。そしてそもそも、私は最初紫じゃなくて魔理沙にこの疑問を相談する気でいたのだ。そしてこの集まりの中で、唯一私と同じ人間。
魔理沙の答えを聞けば、私も答えに近づける。どうしようもなくそんな予感がした。
「私にとっては、生きる意味だとか、何のために生きるだとか、そんなこと、何一つ関係ないぜ!」
帽子を被り直し、口角を吊り上げ、声高々に魔理沙はそう宣言した。
この議題を、根底からひっくり返すような一言を、何のためらいもなく言い放ったのである。
私が面食らっている間にも、魔理沙の話は続く。
「もしも、例えば人間を何らかの目的で作った神様みたいな奴がいるとして、私は絶対にそいつの思い通りになんか生きてやらない。他ならぬ私の人生だ。生きる意味だって、ほかの誰かじゃない、私自身が勝手に決める。勝手に決めて、その通りに生きるんだ。今まで私はそうやって生きてきた。魔法がどうしても使いたかったから必死で魔法使いになるための勉強をしたし、それを親に反対されたから家出だってした。そのことに後悔なんてない。今までも、そしてこれからも私の人生は私が決める。今はさしずめ、異変の時に霊夢に並びたてるくらい強くなるのが私の目標で、生きる意味だぜ」
この魔理沙の回答に、心の中でダイナマイトが爆発するような衝撃を受けた。生きる意味は、探したり見つけたりするんじゃなくて、自分で勝手に決める。なんて魔理沙らしい自分勝手で強引な回答だろう。
「あなたらしい野蛮な回答ね、魔理沙」
「この答えが野蛮だっていうなら、人間の大体は野蛮だと思うぜ」
「言い方の問題ですよ」
今まで『意味』を感じた瞬間を思い出す。
アリスの人形劇。魔理沙とのやり取り。八百屋のおじさん。
ああ、そうか、みんな魔理沙と同じように、そこに勝手に意味を作ったんだ。
それでいいんだ。
思えばなんて簡単なことなのだろう。今まで意味のあるものを求めていたけど、違うのだ。私が勝手に、意味があることにしてしまっていいんだ。優しく吹く風も、縁側でお茶をのむ日々も、他人から見れば無意味な事だって、声高々に意味があるって言ってしまって構わないのだ。
チルノの回答を聞いて、らしいと思った。
紫の回答を聞いて、驚いたけど、なんだかすごく似合っていると思った。
何より魔理沙の回答は、その言葉だけで、ああ魔理沙だなってわかるくらい、らしい回答だった。
みんながみんな、自分らしくその疑問と向き合っている。自分らしい答えを出している。
ああ、ようやくわかった。『生きる意味とは何か』その疑問に、どう答えるべきなのか。
そんなふざけた問いかけには、思いっきり自分らしい答えをぶつけれやればいいのだ。そして胸を張って、そのために生きてるんだって言ってやればいいのだ。紫や魔理沙がそうしたように。
「さて、最後はお前だぜ霊夢。そろそろお前が元気になってくれないと、こっちも張り合いがないんだ。頼むぜ?」
「そうね、それじゃあ、いきましょうか」
言われなくてもわかってるっての。
私の、博麗霊夢の回答は。
「私の心って、きっと水みたいな形をしているのよ。外からの刺激が何もなければ静かだけど、風が吹けば波が立つし、石を投げ込まれればポチャンって音と一緒に波紋が広がる。そしてその刺激を、どこかで楽しんでるのよね。そしてそういう刺激に慣れてくると、今度は何もない時間が新鮮に感じる。だから私は、一人でいる時間も、魔理沙やほかの誰かと一緒にいる時間も、どっちも嫌いじゃない。うるさく騒がれたり、気分が乗らないときに異変が起こったりしたときは、そりゃ嫌な気分にもなるけど、終わった後は、たまにならそういうのも悪くないって思える。少し話が変わるけど、私って風が好きなのよ。風が木の葉のなびく音を届けてくれる瞬間とか、自分の髪や巫女服をなでる瞬間とか、たまらなくね。縁側に座ってお茶を飲む時間も好きだし、魔理沙とどうでもいいやり取りをするのだって、まあ、その、嫌いじゃない。とまあ、こんな風に私って自分で言うのもなんだけど、結構なんでも楽しいとか、好きだって思えるのよ。でも私は、それが生きる意味にならないって思ってた。だってそうでしょう?風が吹くから生きるなんて、縁側でお茶が飲めるから生きるなんて、どう考えてもおかしいじゃない。だから私はもっと絶対的な生きる意味を探していたの。魔理沙の回答を聞くまではね。あんたの答えを聞いて、ああ、それでいいんだって思えたのよ。風が吹くなんてどう考えても意味のないことを、私が勝手に意味のある事にしていいんだってね。私が今まで楽しいとか好きだとか感じてきたもの全部を、私の生きる意味にしちゃっていい、そういう風に考えられるようになったのよ。だから、この私の水みたいな心に波を立ててくれる何か、波紋を広げてくれる何か、たまになら、どでかい岩を投げ込んできやがる誰かでもいい、そういうのがあるうちは、それなりに頑張って生きてみようかなって思う。これが私の考える生きる意味」
思うままに言葉をつづけたから、三人がわかってくれたかどうかちょっと心配になった。
それぞれの様子を確認すると、「おー」なんて口を開けてるチルノに、拍手をしている紫、そして
「要するに気まぐれってことか、霊夢らしいな」
なんて笑う魔理沙。
「そんなに、簡単に、まとめないでよ、もう、馬鹿」
不思議と涙が出そうになった。
別に魔理沙のまとめ方が気に食わず泣きたいわけじゃない。
ここから涙がでるのなら、きっと種類としてはうれし泣きになるのだろう。そんな涙だ。
きっと嬉しかったんだ。私の回答を受け止めて、『らしい』なんて言ってくれたことが。
少し不安だったけど、魔理沙が言うのなら間違いない。これは私らしい回答なんだ。
みんなと同じ、らしい答えを出せたんだ。
「さて、チルノも霊夢も悩みは解消されたみたいですし、私はこれにて失礼しますわ」
そう言って紫はスキマに消えた。なんだかんだ言って今回、紫には世話になった。感謝くらいはしておくべきか。
なんて考えていると、紫がもう一度同じところから首だけ戻ってきた。
「そうそう、チルノ、あなたも帰るでしょう?この間送り損ねたことだし、いかが?」
自分のスキマを指さしてチルノに問う紫。どうやら霧の湖までスキマで送っていくという提案をしに戻ってきたらしい。面倒見のいい奴である。
「ううん、いい、自分で帰ったほうが楽しいと思うから」
「あら残念」
「紫もたまにはそれに頼らず自分で帰ればいいじゃん。そんなんだからナマケモノになるんだよ」
「検討しておきましょう、それではごきげんよう」
紫が首をひっこめる。そしてチルノがそれを見送ったあと「じゃあね!霊夢も魔理沙もありがとう!あたいすっきりした!」と残して空へ飛んで行った。
残ったのは、私と魔理沙の二人。私たちの間には、三歩分の距離がある。
「二人きりね」
「ああ、そうだな」
私たちは二人とも、間にある三歩分の距離を縮めようとはしなかった。
「私の心に一番多く波風立てたのは、やっぱりあんたよ、魔理沙」
「光栄だぜ、でだ、そんな恩人の魔理沙さんにお茶の一つも出してくれないのか?」
音が半分になった博麗神社で、私と魔理沙はにらみ合う。
「そうねえ、この間の惨敗の借りを返れば、そういう気分になるかもね」
「おいおい、それじゃあ勝負にならんぜ、私が負けなきゃ茶が出ないじゃないか」
互いに空へ飛びあがりながら、そんな軽口を交わしあう。
「心配しなくても、今日は特別、私が勝っても、あんたが勝っても、茶くらい出してあげるっての」
「そうか、なら遠慮なく行かせてもらうぜ、勝利の美酒のほうがうまいに決まってる」
箒に跨り、戦闘態勢をとる魔理沙。帽子のつばでよく見えないが、おそらく笑っているのだろう。ちょうど今の私と同じように。
「この前の雪辱、晴らさせてもらう。覚悟しなさい魔理沙!」
「上等だぜ霊夢!こっちも万全のお前に勝ってこそ、意味があるってもんだ!」
その言葉を合図に、私たちの弾幕ごっこは幕を開けた。
個人的に哲学とはこの世の闇を現実と認めて闇との付き合い方を踏まえて物事や人生の意味を求めるものだと思います
霊夢の疑問は一種の野生的な生存本能によるものでしょう
この世の闇の前では魔理沙の自分を貫く論もゆかりの愛もそのままでは通用しませんが闇を受け入れるだけが闇への対処法ではないでしょう
距離をおくのも立派な正闘法だと思います