美味しいものを食べる時、人は誰しも幸福に包まれ、心穏やかになる。
食卓は笑顔に包まれ、みんなが時に他愛もないおしゃべりを、時に感想を口にしながら食べ物を口に運ぶ。まさに至福の時だ。
――だというのに。
「な、なあお前らもうちょっと落ち着いて……」
「何、魔理沙? 私今集中してるから後にしてくれる?」
「そうですよ魔理沙さん、今はとーっても大事なところなんですから」
わたしの祈るような声は、腹をすかせた乙女たちの耳には全く届かなかった。
赤と緑の巫女二人は今にも飛びつかんばかりに目を血走らせながら目の前の鉄板を見つめている。
そこにはジュージューと、暴力的なまでに食欲をそそる音をまき散らす楽器。単純にして明快な焼くという調理法、そしてそれ故人々の心を惹きつけて止まない悪魔の料理。
“焼肉”
それが今、博霊神社の居間の丸机に設置された鉄板の上で音を立てている。ちょうど今さっき肉を焼き始めたばかりなのでまだ赤いが、完璧なタイミングで火が通ったらすぐにでも箸を伸ばすという覚悟が、二人の様子から見て取れる。
唯一の救いは、二人ともまだ箸を持たずに手を膝の上に置いていることだろうか。
少なくとも箸を手に今か今かと待ち構えるのは乙女の恥じらいが許さなかったらしい。親友二人がまだ女を捨てていなかったことに若干の安堵をおぼえる。
「肉は逃げたりしないんだからそんな焦ることは無いだろ」
「逃げるわよ。目の前の女の口の中にね」
「魔理沙さんも甘いですね。料理が逃げないなんて言葉が通じるのは、ボッチ飯の時くらいですよ」
屁理屈だけは一丁前な二人に美味しいものを前にした時の定型文は無意味だった。宗教の都合上、あまり豪華な食事ができない二人だからこそ、こういった場での執着がものすごいのだろう。
「……こんなことなら肉貰わなければよかったぜ」
そう、何を隠そうこの焼肉女子会の発端となったのはわたし、霧雨魔理沙なのだ。
◆
「わたし宛に届け物?」
その日の早朝、わたしの暮らす霧雨魔法店を尋ねてきた男がいた。
幼馴染にして兄妹分の森近霖之助だ。
「ああ、これをな」
背の高い香霖が、少しかがんで、手に持った桶を差し出してくれる。
その中を覗くと、木を薄く切ったような紙――経木というらしい――にくるまれた結構な大きさのものがあった。
「これは?」
「肉だ」
あまりに簡潔な答え。香霖らしいなと思いつつ新たな疑問を投げつける。
「なんで肉をわたしに?」
そう聞くと、香霖は少し迷ったように頭をかき、
「あー、それはだな、僕はあまり隠し事が得意ではないから言うが――」
「うん、香霖嘘つくとすぐ眼鏡のつる上げるからな。そう言った以上はちゃんと包み隠さず全て話してほしいぜ」
「うぐっ!」
まさに今眼鏡のつるに触れようとしていた右手を、慌てて下げる香霖。少しは嘘をつく気だったのだろう。最もこの仕草の意味を知っているのはわたしだけなのであまり気にする必要も無いとは思う。商売の時なんてしょっちゅう嘘ついてるし。
「とにかくだ、これは師匠……魔理沙のお父さんから預かったものだ」
「……お父さん?」
香霖が言うのを躊躇った理由が分かった。わたしとお父……父の間ではちょっとした事情がある。それを気遣ってくれたのだろう。しかし絶縁状態でほとんど顔も見ていない父がなぜこんなものを?
「“もう年だしそんなもん食ったら胸やけがして敵わん、魔理沙にでも持って行ってやってくれ”ってさ。魔理沙、たまには顔見せに行ってあげたらどうだい? 変な意地張らないでさ」
いかにも堅物な父らしい気遣いに、自然と顔が赤くなる。
「ふ、ふーん。まあ遠目から姿を確認するくらいならしてやってもいいぜ。ところで、いくら上等の肉でもこんなにいっぱい食べきれないし、せっかくなら香霖もどうだ? たまには一緒に食事でもしないか?」
話を誤魔化すために話題を肉に戻す。見たところ三キロはありそうだ。わたしはどちらかというと食が細いほうなので――そのせいで背が伸びないのかもしれない――この量を食べきるころには腐らせてしまうだろう。肉は鮮度が命、できるなら今日中に食べてしまいたいところだ。
香霖はわたしの知り合いの中でも食事を特に愉しむ方なので、こういった誘いには乗ってくれるだろう……と思いきや。
「あー済まない。魅力的な提案だけどちょっと無理だ」
「えー、なんでだよ。らしくないぜ」
「この後に新しく商品を仕入れないといけなくてな、その次いでで里の方で別の食事の約束を取り付けてあるんだ。腹を膨らませるわけにはいかない。悪いが別の友達を誘ってくれ」
「……そういうことなら仕方ないな。わかった、肉届けてくれてありがとうな、今度また何か変わった道具持ってくからさ!」
「ああ、楽しみにしてるよ」
香霖と別れた後、わたしはほうきの穂に肉と野菜を吊るし、家を出た。
知り合いで最も肉を欲していそうな人物と言えば、おのずと答えは絞られてくる。そういうわけで、見慣れた鳥居の前に降り立ち、掃き掃除をしている霊夢に声をかけたのだった。
その時にたまたま居合わせた早苗も巻き込んで、わたしたちは焼肉をする流れになったのだ。
三人もいれば、全員満足できる分の肉は食べられるだろうということで、他の連中には内緒のこっそり焼肉パーティーが開かれることになった。
三人ともその見事な霜降りと、鮮やかな赤色の身に感嘆して五分ほど見とれていたのは内緒だ。
◆
「大体三キロもあるんだからちょっとくらい誰かがパクついてもすぐなくなったりしないだろうに」
「「三キロなんてあっという間(です)よ!!」」
……こいつらこういう時はほんと息が合うよな。
早苗の言う通り、わたしが甘かった。一人一キロもあれば全員満足できるだろうと考えていたのは、どうやらわたしだけだったみたいだ。こいつらの頭の中は、どうやったら他の二人よりも多く肉を食べられるかという陰謀策謀が渦巻いているらしい。
しばらくにらみ合っていた霊夢と早苗だったが、ふと霊夢がにやりと悪い笑みを浮かべた。
「あーでもこんないっぱいのお肉食べたら、太っちゃうかもしれないわね~、私は太らない体質だから別にいいけど~」
「うッ……!!」
わざとらしい棒読みはぐさりと早苗の胸を抉った。
――き、汚ねぇ! 女子会で最も言っちゃいけない話題の一つを簡単にぶち込みやがった!
案の定早苗は目線を落としてお腹を触るそぶりを見せる。わたしからしたら、早苗は別に太っているようには見えないが、早苗に言わせればグラム単位でも気になってしまうものらしい。
「普通はこんなにいっぱい食べちゃったらお腹回りがパンパンになって服が着られなくなったり……」
「うっ!!」
「参拝客にあの神社の巫女は太ってるなんて噂を流されたり……」
「ううっ!!」
「その勢いで参拝客が減っちゃったりも、あるかもしれないわね~」
「うううっっ!!!」
悪魔だ、悪魔の顔をしている。
霊夢の一言一句が早苗の乙女メンタルを刺激しているのが分かる。恐らく今早苗の頭の中では、美味しいお肉と体型維持の両天秤が激しく揺らいでいることだろう。
そろそろ肉もいい感じに赤身を残して茶色になってきた。わたしの用意した野菜はまだ火が通っていないようなので、霊夢の狙いは肉一択。
早苗がもだえ苦しんでいる様を好機ととらえた霊夢の箸が動く。
コンマ一秒で箸を持ち、目標に最短速度で迫る。
バシィ!!
「なっ……!!」
しかし完璧に思われた狩りは、もう一膳の箸によって阻止されることとなった。
早苗の箸が霊夢の箸の進路に割り込み、その進行を食い止めたのだ。不覚にも、わたしの目では追うことが出来ないほどの速度だった。今の一瞬に限定すれば幻想郷最速の烏天狗よりも速いんじゃないか?
そんな早苗はうつむき、その表情は伺えない。
「あ、あんた……太ってもいいの!? そのせいで信仰が落ちちゃっても……!!?」
いやだからその理論は無理があるだろう、と呆れ顔のわたし。この場でまともなのわたしだけだな。
しかしそんな霊夢の視線を、早苗が顔を持ち上げ、睨み返す。
苦難を乗り越え、悟りへとたどり着いた殉教者のような目……なんて言うとあまりにも大げさだが、まさにそんなオーラを纏った早苗は、小さく唇を動かした。
「―――――ら」
「何よ?今何か言ったの? 何を言ってもそれはただの言い訳にしか――――」
「“胸”に、行きますから!!」
「「!!??」」
圧倒的不利かに思われた早苗の、それはまさに起死回生の一言だった。
体型維持、それは女子にとって最重要課題である。あまり幻想郷の住人で気にしている者はいないが、一般常識ではそういうことになっている。誰しも脂肪が付くのは嫌がるものだ。
ただし、ある一か所を覗いて!
――おいおいそれを言ったら戦争だぜ!!
早苗の胸部は巫女服の上からでも分かるほど山が出来ており、ぶっちゃけわたしと霊夢よりも大きい。そう、早苗は霊夢の放った弾丸を避けるだけにとどまらず、強烈なカウンターを仕掛けてきたのだ。
だがそれはもろ刃の剣。その発言をしたことで、今まで誰も話題にしていなかった、『あれ? もしかして早苗が一番胸大きいんじゃないか?」という沈黙の議題を、早苗本人が表面化したことになる。
霊夢だけでは無くわたしまで敵に回しかねない発言。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。その覚悟にさすがの霊夢も表情を変える。
「あんた、今自分が何を言ったか分かってるの?」
「ええ! 私の場合栄養は全部胸に行っていますから! 実際最近また下着がきつくなってきたような気がするんですぅ! だから食べても平気なんですぅ! そのお肉いただきますよ!」
おいおい寺子屋の子供か。
わざとらしく胸を張る早苗に、霊夢がわなわなと震えている。それも仕方ない。霊夢はスレンダー体型だ。別にそれを気にしているそぶりは見たことが無いが、こうも自信満々に言われると腹も立ってくるだろう。
長年一緒にいるわたしには霊夢の爆発が時間の問題に感じた。
まったく、やっぱり冷静なわたしがいないとこの場は収まりそうもない。こういう役回りはいつもわたしだ。わたしは両手を広げて不戦のポーズをとりながら二人の間を取り持とうとする。
「おいお前ら、少しは仲良くだな――――」
「 霊夢さんはその端っこの干からびたしいたけでも食べていてください! 肉を目の前にそんなもの食べる人の気が知れませんけれどね!」
「はぁ!? あんたこそ隅の焦げたしめじでも食べてればいいじゃない! どうせ誰も食べないんだから!」
「……お前ら、今なんて言った?」
プチン、とわたしの中で何かの糸が切れる音がした。
人が黙って話の行方を伺っているのをいいことにとんでもない爆弾発言をしたぞこの巫女ども。まるでキノコを邪魔ものみたいに。しかもわたしが丹精こめて原木・菌床から栽培したしいたけとしめじを、食べる人の気が知れない? 誰も食べないだぁ?
「上等だ!! こうなったらわたしが先に肉を食いつくしてきのこの旨さを後からたっぷりと教えてやろうじゃないか!」
「ちょ! いくら肉を持ってきた張本人でもそんな横暴は許さないわよ!」
「というか、もう焦げちゃいますって! 急いで食べないと!」
わたしも箸を片手に熾烈な焼肉戦争に参加しようとした矢先、部屋の襖がスッと開き、小さな影がすっと入ってきた。
「霊夢ー。なんかいい匂いがするけどー」
今までどこに行っていたのか、居候の伊吹萃香がのそりと部屋を見渡す。机を取り囲むわたし達三人とその中央に置かれたホットプレート。その上で香ばしい音と匂いを挙げる高級霜降り肉。
萃香の口元からよだれがつーっと伝う。
萃香はフッとどこか遠い目をした後、手をぽんぽんと叩いた。
「天狗! 烏天狗はおるか!」
「はい、ここに!」
萃香の呼びかけが終わるか終わらないかという時に空から黒い翼を羽ばたかせ、射命丸文が降り立った。それに振り返ること無く確認した後、萃香が一言。
「よし、行け」
「御意」
文はパシャリと写真機を一度こちらに向けると、その一瞬後にはもう目にも止まらぬ速さで幻想郷へと飛び立っていった。
その風のような出来事を脳が理解した後、わたしたちは同時に叫んだ。
「ちょっと萃香! 文に写真撮らせたら他の連中が来ちゃうじゃない!」
「肉は三キロしかないんだぞ!? 他の奴らが来たら一切れくらいしか食えないじゃないか!」
「そうですよ! 何してくれるんですか!」
「うるさーーーーい! こっちが面倒くさい天狗の取材受けている時に隠れて焼肉するなんて! だったらぶち壊してやるのが筋ってもんだろーーーー!」
し、信じられない。完膚なきまでに八つ当たりだ。
頭が痛くなるのを感じながらわたしは、せめて連中がやってくる前に少しでも肉を食おうと箸を伸ばす。
しかし既に神社の境内はにわかに騒がしくなっているのだった。
◆
「ってことがあって大変だったぜ」
「ははは、そうか、そんな楽しいことなら僕もそっちに行けばよかったかな。こっちはかたっ苦しくて料理の味も分からなかったよ」
「里のお偉いさんのところに行ったんだろ? いいもの出されたんじゃないのか? こっちは紅魔館の連中や白玉楼の庭師が追加で肉持ってきてくれたから量はなんとかなったんだけどせっかくの上等な肉は数切れしか食べられなかったよ。やっぱ旨いものは一人で食べるに限るのかもな」
「いや、そうとも限らないよ。酒だって一人で飲むときと大勢で飲む時とじゃあ全然味も変わってくるからね。だからこの幻想郷のみんなは宴会が好きなんだよ」
「? どういうことだ、香霖?」
「ここにいる皆は人間よりも長生きする妖怪や神様が多いからね、一人で食事をしてきた時間も人間とはくらべものにならないはずさ。そんな彼ら彼女らだから、みんなで食べた方が楽しいし、美味しいことを知っているのさ。食事は娯楽だからね」
「……よくわからないけど、独り占めを許さないってことか?」
「フフ、魔理沙もそのうち分かるよ」
「そんなものなのか?」
美味しいものを食べる時、人は誰しも幸福に包まれ、心穏やかになる。
食卓は笑顔に包まれ、みんなが時に他愛もないおしゃべりを、時に感想を口にしながら食べ物を口に運ぶ。まさに至福の時だ。
しかしそれは、一緒に食べてくれる仲間がいるからこそなのかもしれない。そのことにわたしが気付くのは、まだまだ先のことなのだった。
食卓は笑顔に包まれ、みんなが時に他愛もないおしゃべりを、時に感想を口にしながら食べ物を口に運ぶ。まさに至福の時だ。
――だというのに。
「な、なあお前らもうちょっと落ち着いて……」
「何、魔理沙? 私今集中してるから後にしてくれる?」
「そうですよ魔理沙さん、今はとーっても大事なところなんですから」
わたしの祈るような声は、腹をすかせた乙女たちの耳には全く届かなかった。
赤と緑の巫女二人は今にも飛びつかんばかりに目を血走らせながら目の前の鉄板を見つめている。
そこにはジュージューと、暴力的なまでに食欲をそそる音をまき散らす楽器。単純にして明快な焼くという調理法、そしてそれ故人々の心を惹きつけて止まない悪魔の料理。
“焼肉”
それが今、博霊神社の居間の丸机に設置された鉄板の上で音を立てている。ちょうど今さっき肉を焼き始めたばかりなのでまだ赤いが、完璧なタイミングで火が通ったらすぐにでも箸を伸ばすという覚悟が、二人の様子から見て取れる。
唯一の救いは、二人ともまだ箸を持たずに手を膝の上に置いていることだろうか。
少なくとも箸を手に今か今かと待ち構えるのは乙女の恥じらいが許さなかったらしい。親友二人がまだ女を捨てていなかったことに若干の安堵をおぼえる。
「肉は逃げたりしないんだからそんな焦ることは無いだろ」
「逃げるわよ。目の前の女の口の中にね」
「魔理沙さんも甘いですね。料理が逃げないなんて言葉が通じるのは、ボッチ飯の時くらいですよ」
屁理屈だけは一丁前な二人に美味しいものを前にした時の定型文は無意味だった。宗教の都合上、あまり豪華な食事ができない二人だからこそ、こういった場での執着がものすごいのだろう。
「……こんなことなら肉貰わなければよかったぜ」
そう、何を隠そうこの焼肉女子会の発端となったのはわたし、霧雨魔理沙なのだ。
◆
「わたし宛に届け物?」
その日の早朝、わたしの暮らす霧雨魔法店を尋ねてきた男がいた。
幼馴染にして兄妹分の森近霖之助だ。
「ああ、これをな」
背の高い香霖が、少しかがんで、手に持った桶を差し出してくれる。
その中を覗くと、木を薄く切ったような紙――経木というらしい――にくるまれた結構な大きさのものがあった。
「これは?」
「肉だ」
あまりに簡潔な答え。香霖らしいなと思いつつ新たな疑問を投げつける。
「なんで肉をわたしに?」
そう聞くと、香霖は少し迷ったように頭をかき、
「あー、それはだな、僕はあまり隠し事が得意ではないから言うが――」
「うん、香霖嘘つくとすぐ眼鏡のつる上げるからな。そう言った以上はちゃんと包み隠さず全て話してほしいぜ」
「うぐっ!」
まさに今眼鏡のつるに触れようとしていた右手を、慌てて下げる香霖。少しは嘘をつく気だったのだろう。最もこの仕草の意味を知っているのはわたしだけなのであまり気にする必要も無いとは思う。商売の時なんてしょっちゅう嘘ついてるし。
「とにかくだ、これは師匠……魔理沙のお父さんから預かったものだ」
「……お父さん?」
香霖が言うのを躊躇った理由が分かった。わたしとお父……父の間ではちょっとした事情がある。それを気遣ってくれたのだろう。しかし絶縁状態でほとんど顔も見ていない父がなぜこんなものを?
「“もう年だしそんなもん食ったら胸やけがして敵わん、魔理沙にでも持って行ってやってくれ”ってさ。魔理沙、たまには顔見せに行ってあげたらどうだい? 変な意地張らないでさ」
いかにも堅物な父らしい気遣いに、自然と顔が赤くなる。
「ふ、ふーん。まあ遠目から姿を確認するくらいならしてやってもいいぜ。ところで、いくら上等の肉でもこんなにいっぱい食べきれないし、せっかくなら香霖もどうだ? たまには一緒に食事でもしないか?」
話を誤魔化すために話題を肉に戻す。見たところ三キロはありそうだ。わたしはどちらかというと食が細いほうなので――そのせいで背が伸びないのかもしれない――この量を食べきるころには腐らせてしまうだろう。肉は鮮度が命、できるなら今日中に食べてしまいたいところだ。
香霖はわたしの知り合いの中でも食事を特に愉しむ方なので、こういった誘いには乗ってくれるだろう……と思いきや。
「あー済まない。魅力的な提案だけどちょっと無理だ」
「えー、なんでだよ。らしくないぜ」
「この後に新しく商品を仕入れないといけなくてな、その次いでで里の方で別の食事の約束を取り付けてあるんだ。腹を膨らませるわけにはいかない。悪いが別の友達を誘ってくれ」
「……そういうことなら仕方ないな。わかった、肉届けてくれてありがとうな、今度また何か変わった道具持ってくからさ!」
「ああ、楽しみにしてるよ」
香霖と別れた後、わたしはほうきの穂に肉と野菜を吊るし、家を出た。
知り合いで最も肉を欲していそうな人物と言えば、おのずと答えは絞られてくる。そういうわけで、見慣れた鳥居の前に降り立ち、掃き掃除をしている霊夢に声をかけたのだった。
その時にたまたま居合わせた早苗も巻き込んで、わたしたちは焼肉をする流れになったのだ。
三人もいれば、全員満足できる分の肉は食べられるだろうということで、他の連中には内緒のこっそり焼肉パーティーが開かれることになった。
三人ともその見事な霜降りと、鮮やかな赤色の身に感嘆して五分ほど見とれていたのは内緒だ。
◆
「大体三キロもあるんだからちょっとくらい誰かがパクついてもすぐなくなったりしないだろうに」
「「三キロなんてあっという間(です)よ!!」」
……こいつらこういう時はほんと息が合うよな。
早苗の言う通り、わたしが甘かった。一人一キロもあれば全員満足できるだろうと考えていたのは、どうやらわたしだけだったみたいだ。こいつらの頭の中は、どうやったら他の二人よりも多く肉を食べられるかという陰謀策謀が渦巻いているらしい。
しばらくにらみ合っていた霊夢と早苗だったが、ふと霊夢がにやりと悪い笑みを浮かべた。
「あーでもこんないっぱいのお肉食べたら、太っちゃうかもしれないわね~、私は太らない体質だから別にいいけど~」
「うッ……!!」
わざとらしい棒読みはぐさりと早苗の胸を抉った。
――き、汚ねぇ! 女子会で最も言っちゃいけない話題の一つを簡単にぶち込みやがった!
案の定早苗は目線を落としてお腹を触るそぶりを見せる。わたしからしたら、早苗は別に太っているようには見えないが、早苗に言わせればグラム単位でも気になってしまうものらしい。
「普通はこんなにいっぱい食べちゃったらお腹回りがパンパンになって服が着られなくなったり……」
「うっ!!」
「参拝客にあの神社の巫女は太ってるなんて噂を流されたり……」
「ううっ!!」
「その勢いで参拝客が減っちゃったりも、あるかもしれないわね~」
「うううっっ!!!」
悪魔だ、悪魔の顔をしている。
霊夢の一言一句が早苗の乙女メンタルを刺激しているのが分かる。恐らく今早苗の頭の中では、美味しいお肉と体型維持の両天秤が激しく揺らいでいることだろう。
そろそろ肉もいい感じに赤身を残して茶色になってきた。わたしの用意した野菜はまだ火が通っていないようなので、霊夢の狙いは肉一択。
早苗がもだえ苦しんでいる様を好機ととらえた霊夢の箸が動く。
コンマ一秒で箸を持ち、目標に最短速度で迫る。
バシィ!!
「なっ……!!」
しかし完璧に思われた狩りは、もう一膳の箸によって阻止されることとなった。
早苗の箸が霊夢の箸の進路に割り込み、その進行を食い止めたのだ。不覚にも、わたしの目では追うことが出来ないほどの速度だった。今の一瞬に限定すれば幻想郷最速の烏天狗よりも速いんじゃないか?
そんな早苗はうつむき、その表情は伺えない。
「あ、あんた……太ってもいいの!? そのせいで信仰が落ちちゃっても……!!?」
いやだからその理論は無理があるだろう、と呆れ顔のわたし。この場でまともなのわたしだけだな。
しかしそんな霊夢の視線を、早苗が顔を持ち上げ、睨み返す。
苦難を乗り越え、悟りへとたどり着いた殉教者のような目……なんて言うとあまりにも大げさだが、まさにそんなオーラを纏った早苗は、小さく唇を動かした。
「―――――ら」
「何よ?今何か言ったの? 何を言ってもそれはただの言い訳にしか――――」
「“胸”に、行きますから!!」
「「!!??」」
圧倒的不利かに思われた早苗の、それはまさに起死回生の一言だった。
体型維持、それは女子にとって最重要課題である。あまり幻想郷の住人で気にしている者はいないが、一般常識ではそういうことになっている。誰しも脂肪が付くのは嫌がるものだ。
ただし、ある一か所を覗いて!
――おいおいそれを言ったら戦争だぜ!!
早苗の胸部は巫女服の上からでも分かるほど山が出来ており、ぶっちゃけわたしと霊夢よりも大きい。そう、早苗は霊夢の放った弾丸を避けるだけにとどまらず、強烈なカウンターを仕掛けてきたのだ。
だがそれはもろ刃の剣。その発言をしたことで、今まで誰も話題にしていなかった、『あれ? もしかして早苗が一番胸大きいんじゃないか?」という沈黙の議題を、早苗本人が表面化したことになる。
霊夢だけでは無くわたしまで敵に回しかねない発言。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。その覚悟にさすがの霊夢も表情を変える。
「あんた、今自分が何を言ったか分かってるの?」
「ええ! 私の場合栄養は全部胸に行っていますから! 実際最近また下着がきつくなってきたような気がするんですぅ! だから食べても平気なんですぅ! そのお肉いただきますよ!」
おいおい寺子屋の子供か。
わざとらしく胸を張る早苗に、霊夢がわなわなと震えている。それも仕方ない。霊夢はスレンダー体型だ。別にそれを気にしているそぶりは見たことが無いが、こうも自信満々に言われると腹も立ってくるだろう。
長年一緒にいるわたしには霊夢の爆発が時間の問題に感じた。
まったく、やっぱり冷静なわたしがいないとこの場は収まりそうもない。こういう役回りはいつもわたしだ。わたしは両手を広げて不戦のポーズをとりながら二人の間を取り持とうとする。
「おいお前ら、少しは仲良くだな――――」
「 霊夢さんはその端っこの干からびたしいたけでも食べていてください! 肉を目の前にそんなもの食べる人の気が知れませんけれどね!」
「はぁ!? あんたこそ隅の焦げたしめじでも食べてればいいじゃない! どうせ誰も食べないんだから!」
「……お前ら、今なんて言った?」
プチン、とわたしの中で何かの糸が切れる音がした。
人が黙って話の行方を伺っているのをいいことにとんでもない爆弾発言をしたぞこの巫女ども。まるでキノコを邪魔ものみたいに。しかもわたしが丹精こめて原木・菌床から栽培したしいたけとしめじを、食べる人の気が知れない? 誰も食べないだぁ?
「上等だ!! こうなったらわたしが先に肉を食いつくしてきのこの旨さを後からたっぷりと教えてやろうじゃないか!」
「ちょ! いくら肉を持ってきた張本人でもそんな横暴は許さないわよ!」
「というか、もう焦げちゃいますって! 急いで食べないと!」
わたしも箸を片手に熾烈な焼肉戦争に参加しようとした矢先、部屋の襖がスッと開き、小さな影がすっと入ってきた。
「霊夢ー。なんかいい匂いがするけどー」
今までどこに行っていたのか、居候の伊吹萃香がのそりと部屋を見渡す。机を取り囲むわたし達三人とその中央に置かれたホットプレート。その上で香ばしい音と匂いを挙げる高級霜降り肉。
萃香の口元からよだれがつーっと伝う。
萃香はフッとどこか遠い目をした後、手をぽんぽんと叩いた。
「天狗! 烏天狗はおるか!」
「はい、ここに!」
萃香の呼びかけが終わるか終わらないかという時に空から黒い翼を羽ばたかせ、射命丸文が降り立った。それに振り返ること無く確認した後、萃香が一言。
「よし、行け」
「御意」
文はパシャリと写真機を一度こちらに向けると、その一瞬後にはもう目にも止まらぬ速さで幻想郷へと飛び立っていった。
その風のような出来事を脳が理解した後、わたしたちは同時に叫んだ。
「ちょっと萃香! 文に写真撮らせたら他の連中が来ちゃうじゃない!」
「肉は三キロしかないんだぞ!? 他の奴らが来たら一切れくらいしか食えないじゃないか!」
「そうですよ! 何してくれるんですか!」
「うるさーーーーい! こっちが面倒くさい天狗の取材受けている時に隠れて焼肉するなんて! だったらぶち壊してやるのが筋ってもんだろーーーー!」
し、信じられない。完膚なきまでに八つ当たりだ。
頭が痛くなるのを感じながらわたしは、せめて連中がやってくる前に少しでも肉を食おうと箸を伸ばす。
しかし既に神社の境内はにわかに騒がしくなっているのだった。
◆
「ってことがあって大変だったぜ」
「ははは、そうか、そんな楽しいことなら僕もそっちに行けばよかったかな。こっちはかたっ苦しくて料理の味も分からなかったよ」
「里のお偉いさんのところに行ったんだろ? いいもの出されたんじゃないのか? こっちは紅魔館の連中や白玉楼の庭師が追加で肉持ってきてくれたから量はなんとかなったんだけどせっかくの上等な肉は数切れしか食べられなかったよ。やっぱ旨いものは一人で食べるに限るのかもな」
「いや、そうとも限らないよ。酒だって一人で飲むときと大勢で飲む時とじゃあ全然味も変わってくるからね。だからこの幻想郷のみんなは宴会が好きなんだよ」
「? どういうことだ、香霖?」
「ここにいる皆は人間よりも長生きする妖怪や神様が多いからね、一人で食事をしてきた時間も人間とはくらべものにならないはずさ。そんな彼ら彼女らだから、みんなで食べた方が楽しいし、美味しいことを知っているのさ。食事は娯楽だからね」
「……よくわからないけど、独り占めを許さないってことか?」
「フフ、魔理沙もそのうち分かるよ」
「そんなものなのか?」
美味しいものを食べる時、人は誰しも幸福に包まれ、心穏やかになる。
食卓は笑顔に包まれ、みんなが時に他愛もないおしゃべりを、時に感想を口にしながら食べ物を口に運ぶ。まさに至福の時だ。
しかしそれは、一緒に食べてくれる仲間がいるからこそなのかもしれない。そのことにわたしが気付くのは、まだまだ先のことなのだった。
所々に散りばめられた、クスッとできるポイントにめろめろです。
次回作も楽しみにしています。
良かったです
根っからの一人飯派ではあるが、少女達が楽しい食事タイムを送るところは和む。
あと、なんだかんだで仲が良さそうな霧雨父娘にちょっとほっこり。