冬の乾いた風の音が、心身を冷たく切りつける夕暮れ時。
人里離れた田舎道の一角に赤提灯がぼんやりと光っている。人を誘うかのように。
安眠妨害に全力投球するようなデュエットが高々と響く。人を困らせるかのように。
「ヤッツメ、ヤツヤツ、ヤツヤツメー! おっでんはダイコーン、コーンニャークもー!」
「コーン、コンコン、コーンニャーク、コーンニャーク。こーんばーんわー!」
提灯に"八目鰻"と書かれているように、焼き八目鰻をメインとした屋台である。当然お酒もある。冬にはおでんもやってるよ。
店主を務めるは夜雀ミスティア・ローレライ。焼き鳥撲滅運動と金儲けと趣味を兼ねた一石三鳥の商売に励む元気娘だ。
いつもの雀色の服の上からマフラーと黄色いエプロンを着用しており、性格のみならず色合いまで明るく楽しく弾けている。
お手伝いをしてくれているのは山彦の幽谷響子。仏門に入り経を唱える身でありながらパンクを歌い、八目鰻を焼く手伝いまでしちゃう元気娘だ。
お寺は大好きだけど修行が厳しくてつらいため、こうして悪友と一緒に明るく楽しく弾けている。
どういうきっかけで知り合ったのか、鳥獣伎楽などというコンビを組んですっかり仲良くなった元気娘二人。
先日はパンクライブを行ったので、今夜は屋台の番なのだ。
「焼き鳥は撲滅だー! 串焼き食いたきゃ八目鰻を喰えーい! ヤーツメツメツメ、ヤツメツメ!」
「おでんの牛串忘れずにぃー、にーくにくにく、肉を喰えー! 肉汁たっぷり肉を喰えー!」
屋台の番なのだが、歌わない理由は無いし客寄せ効果もあるから歌って問題無いっていうかむしろガンガン歌うべきだ。
そうすればほら、夜雀の能力も相まって鳥目になった獲物がノコノコやってくるって寸法よ。
「やかましい」
そうしたからほら、鳥目になった人間がやってきた。
真白い髪を長々と伸ばした紅白衣装の人間、藤原妹紅がのれんをくぐり、中央からちょっとズレた席に腰をかける。
「いらっしゃ――うげっ。なんで焼き鳥屋が来るのよー? うちは焼き鳥なんかやってないっての!」
「鳥目を治すなら八目鰻を食べるより、元凶を焼き鳥にする方が手っ取り早いと思わない?」
「へーい、八目鰻いっちょー。響子、なんかテキトーに一番高い酒でも出しといて」
「なにがテキトーだ、安いのでいいよ」
話題をそらしつつ、ミスティアはさっそく八目鰻の調理を始める。
その隣では響子が高い酒と安い酒を抱えて頭を悩ませていたが、ここはやはり友情がものを言う。しっかり高い酒を選んで竹製のコップに注いだ。
妹紅はそれに気づきはしたが、一番高い酒と言っても所詮は小さな屋台に置いてあるもの、お品書きで値段を確かめるだけで異論は唱えなかった。
「はーい一番高い酒! おでんもいかが? ダイコンニャクがおいしいよ」
「じゃあダイコンブ」
注文を受けた響子は、意気揚々と大根とコンニャクと昆布を皿に盛った。
注文は多い方がいい、売り上げも多くなるから。
ただし相手は選ばなくてはならない。
注文してないものが出された、だから食べても金を払わなくていいよね間違えた方が悪いんだから! なんて奴もいる。赤字コースだ。紅白人間一号には要注意だ。
「まったく、コンニャクは頼んでないっての」
と言いながら箸を手に取る紅白人間二号。
こいつは頼んでないものを出されても、それを食べさえすれば金を払うタイプである。
紅白の分際で赤字コースでも白字コースでもなく黒字コースだ。
不死鳥どころかネギしょったカモ。おいしく頂いてよい。
とはいえ黒字カモにも好き嫌いや気分というものがあり、ものによっては食べずに突っ返してくることもあるので、ちゃんと食べるものを狙って追加する高度な計算が必要だ。
ミスティアにも響子にもそんな計算をする能力は備わってないので、その場のノリで適当に出している。
予定通りにいかないのが人生だからアドリブでドリフトしてフルスロットルですっ転ぶくらいで丁度いい。
という訳で幽谷響子は新たに牛串と卵を追加した。無許可で。
自分いい仕事してる! といった風に素敵な笑顔を浮かべたので、ミスティアは調理の手を止めてグッと親指を立ててウインク!
一方妹紅は疲れたように目を細めた。それでも文句を言わず牛串を手に取るあたり、響子のチョイスは大成功のようだ。
まだまだ響子のターンは続く。
「ところでモコ……モコハラさんは本当に焼き鳥屋やってないのー?」
「モコハラさんは焼き鳥屋やってるよ。人間の里の大通りで大きな焼き鳥屋さん開いてるよモコハラさん」
「えっ! あの大きな焼き鳥屋、モコハラさんがやってるの!? すごーい!」
「そうだねーモコハラさんすごいねー。息子さんも寺子屋の成績いいって聞くしねー」
「子供いるの!? モコハラさんお母さんだったの!?」
「モコハラさんお父さんだからね。妹紅さん関係ないからね、誰かさんが口やかましいせいで最近焼き鳥屋行けてないし」
「……あれ? モコハ……もこうさん?」
「はい、妹紅さんです」
「妹紅さんは焼き鳥屋やってないのー?」
ようやく勘違いに気づいた響子だが、まったく悪びれずお喋り続行。
お喋りの合間にダイコンブを食べ終えた妹紅は、牛串を手に取って答えた。
「やってないよー。むかーし喧嘩ふっかけてきた夜雀を焼き鳥にしたくらいだよー」
「はーい、焼き鳥の焼いた焼き八目鰻串お待ちどう」
焼き上がったので、ミスティアは自虐しながら八目鰻の串焼きを出す。
牛串と八目鰻串の二刀流となった妹紅は、その場のノリで両方交互に噛みつくことにした。
おかげで酒を飲む手が足りなくなり、失態に気づいて顔をしかめた。
様にならない女である。
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
冬の大地を暖める奇特な太陽さんの没した刻、幻想郷を徘徊するのは夜行性かつ寒さに強い妖怪ばかりである。
人間はもちろん、昼に出歩く妖怪や寒さに凍える妖怪なんて住処でじっとしているものだ。
だがしかし、そんな苦境にあえて立ち向かわんとする者もいる。
住処に閉じこもっていては成せぬことがあるのだ。
断固たる意志の元に。果たすべき使命のために。
夜の闇を突き抜けて。屋台の提灯を追いかけて。
「ヘイヘーイ! 般若湯あるかーい!」
ハイカラな入道使い雲居一輪が意気揚々と来店した、法衣姿で破戒活動するために。
先客は一人、そう広い屋台ではないため空いてる席に座れば自然と妹紅との距離も近くなる。
それを差し引いてもやや距離が近い、妹紅は邪魔にならないようにとほんのわずか身を引いた。
だがその行いを不愉快に思った訳ではない。むしろ気っ風がよくて気持ちいいほどだ。
このノリが続けばさぞ旨い般若湯が飲めたであろう。しかしミスティアは首を傾げてノリを止める。
「はんにゃ? うちはそんなの置いてないよ」
「んもー。今時の若者は般若湯も知らないの? 響子なら知ってるでしょ、寺暮らしなんだから」
「はんにゃ? うちはそんなの置いてないよ」
「般若湯は一般教養でしょうが、なんで知らないの!?」
寺暮らしの山彦は相方の山彦をそのまま返し、首を傾げる仕草まで真似をする。
愕然としたのは一輪だ。まさか夜雀のみならず可愛い後輩まで般若湯を知らないとは!
それでも仏門に携わる者かと叫びたい!
ゆとり教育ここに極めり。
(姐さん……やっぱり酒を飲んではいけないという仏教の教えは問題があります。一般教養の欠落は問題です)
キラリ。目尻を悲しみで光らせ、目頭を押さえて頭を振り、端っこの席の白髪に気づく。
見知った顔だ。オカルトボールの異変の時にやり合った不老不死の発火人間。
「ちょっと、そちらのあなたは知ってるでしょう? 般若湯」
「ああ、知ってる知ってる。十二人の般若が守護する十二階建ての塔、般若塔。最上階には黄金に輝く究極の神酒が祀られており、塔を登り切った勇者だけが飲むことを許されるという……」
「いや、確かにお酒だけどもなんか違くない!? そんな試練を乗り越えないと飲めないものだっけ!?」
「こんなちっぽけな屋台には安酒がお似合いさ……響子ちゃん、一番高い酒おかわり」
「安酒じゃないんかい! あ、響子、私も一番高い酒」
随分と遠回りをしながらも、ようやく酒にありつけるようになった一輪。
嬉しくなって「イヤッフー」と口ずさめば、響子も「Yahoo!」と口ずさみ、ミスティアは「オーイエー」と口ずさんで、妹紅は「ねーちゃんちくわぶひとつ」と口ずさむ。
そこでようやく一輪はミスに気づいた。酒に気を取られるあまり肴の注文を忘れていた。
「夜雀のミストリアちゃん、八目鰻大盛りで」
「ミスティアよー。もうすでに焼いてるから、おでんでも食べてて」
「あ、牛串おいしそう。やっぱ酒には獣肉よねー」
「あいよー♪ 響子、よそったげて」
「大根とちくわもお願い。それと卵」
「うちのは無精卵だから安心よー」
すっかりおでん係となった響子が牛串、大根、コンニャク、卵を颯爽を皿に盛る。忘れず汁もかけるぞ万全だい。
一輪の前に八目鰻とおでんと一番高い酒が並び、まさしく夢の光景だ。
「わーいおいしそー……って、あれ、ちくわは?」
「ちくわが食べたきゃちゃんと頼んでよー」
頼み忘れたっけ? 一輪は首を傾げたがお皿はすでに具沢山。後で注文すればいいやと牛串を手に取る。
酒と獣肉のコラボレーションが与える癒やしの力は五臓六腑に染み渡る。すばらしい。
そりゃもうむしゃぶりつくように牛串、八目鰻、卵、八目鰻のヘビーローテーション。合間合間に酒を飲むのを忘れずに。
「嗚呼、破戒的享楽に耽る悦び――!」
「やっぱ仏教でこの世を救うの無理だな。肉も酒も無い人生なんて鶏肉の無いネギマみたいなもんよ」
「まったくもって! 私は焼きネギが食べたいんじゃあない、焼き鳥が食べたいのよ!」
客二人が禁句を口にするや、ミスティアは電光石火の早業で腕を振るった。
刹那の間も与えず客二人の額に八目鰻用の串が突き刺さり、スコーンという小気味いい音が頭蓋を響かせる。まるで巫女の針攻撃のようだ。
「こちらの焼き人間と焼き入道は私からのサービスよ、受け取っとけバッキャロー」
「すいませーん、火が通ってないんですけどー。セルフサービスすればいいのかセルフバーニングすればいいのか」
「ていうか私、入道使いであって入道じゃないんだけど。なに、雲山を焼けばいいの? 雷火事親父にすればいいの?」
悪びれた様子も見せず、額の串を引っこ抜いて焼却処分してしまう妹紅。
悪びれた様子も見せず、額の串を引っこ抜いてテーブルに置き、頭巾を脱いで額を拭う一輪。
「ミスティア、八目鰻おかわり」
「響子、ちくわ頂戴」
「自分で焼け」
「自分で焼けー」
なんだかんだで客商売。
注文されたものはちゃんと出しました、金になるので。
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
「頼もーう、ここで旨い焼き鳥が食べられると聞いてきたのだが」
「なんですってー! 誰がそんなことをー!!」
唐突かつ空気の読めない発言とともに来店したのは、烏帽子をかぶった小柄な尸解仙、物部布都であった。
一瞬で般若の如き形相になったミスティア・ローレライはすでに包丁を握りしめての殺人未遂体勢だ。
さすがの布都もぎょっと驚いて後ずさる。
「な、なんだ。なにか間違ったか?」
「人生なんて間違いの連続さ。私はどうしてあんなことを……岩笠ぁぁぁぁぁぁ!!」
「違うんです姐さん! この酒は違うんです! ぬえが、ぬえの仕業です! 私の酒はこんな安物じゃありません!」
間違いだらけの酔っ払いが喚き散らし、営業妨害に片足を突っ込んでいる。
店主ミスティアも包丁片手に威嚇しており、唯一まともな響子が苦笑を浮かべながら椅子へとうながす。
「ここは八目鰻屋さんよー。さあさあ座って八目鰻を食べましょー、焼き鳥よりおいしーよ」
「お、おう……」
「はーい、八目鰻一丁! それと高い酒でいいよね」
「え、いや、こやつらと同じもので構わん」
「はーい、こやつらと"同じもの"入りまーす」
一番高い酒を頼んでしまったとはつゆ知らず、布都は隅っこに腰を下ろそうとする。
が、妹紅と一輪に肩を掴まれ、二人の間へと引きずり込まれてしまった。
もう肩がくっつきそうなほど、というか平然とぶつかる至近距離に。
「ここの八目鰻はうまいぞぉ、焼き鳥撲滅運動なんて夢に酔っ払える程度にはな! はっはっはっ」
「お酒もなかなかいいもの仕入れてるしねぇ。ホラホラ、あんたも飲みなさいな! ぽっぽっぽっ」
「席を変えてくれ」
布都の意見なぞ知ったこっちゃないとばかりに、猛烈な勢いで八目鰻を焼くミスティア。
焼き鳥を食べにくるような馬鹿には八目鰻を叩き込んで宗旨変えせねばならない。
正義のため使命のため収入のため、心が炎となって燃え上がって盛り上がってたまらない。
「炎よ踊れい、天を焦がせい! 焼き鳥撲滅運動をヨロシクゥー!」
「なにこの店、怖い」
すっかり呑まれてしまった布都は、すっかり肩身を狭くする。
響子が笑顔で酒を注いでくれたのが唯一の良心だ。一番高い酒だけどね!
せめて酒を飲んで気を紛らわそうとするも――。
「おりゃー! 八目鰻を食えーい!」
瞳をギラつかせたミスティアが、電光石火で焼き上げた八目鰻を皿に載っけて布都の前にシュート!
ガシャンと音を立てて置かれた皿、割れてやしないかと布都に不安が走った。
「う、うむ。いただくとしよう」
おっかなびっくりしながら、八目鰻の串を取る。
香ばしく焼けておりタレの匂いもとろけるようで、食欲が猛烈に刺激される。
焼き鳥撲滅などと抜かしている夜雀は、世辞のひとつも言ってやれば機嫌を治すであろう。
酔っ払い二人は後で絞めればよかろう。
そのように目論んで、物部布都は焼き八目鰻串に大口でかぶりつきました。
非常に上質なタレの味わいがとろーり広がり、香ばしく焼けた八目鰻の味わいが――。
「ムゴッ!? なんじゃこれマッズ、脂っこくてしかも固い! さらに泥臭い!」
思わず吐き出しそうになり、慌てて手で口をふさぐ布都。
しかし心の本音は思いっきり吐き出してしまった。
よりにもよってこの場所で、この面子で。
ミスティア・ローレライは右手に包丁を、左手に包丁を、心に包丁を握りしめる。尸解仙も仙人なら妖怪的にご馳走でいいよね。
藤原妹紅と雲居一輪も露骨に眉根を寄せてヤンキー丸出しのツラになる。オラオラやんのかオラ。
幽谷響子だけは想定外の反応にフリーズしてしまっているが……。
「私の八目鰻が……マズイ……? そんなに焼き鳥が喰いたいかァァァ!!」
「泥臭いぃ? こんなにしっかり泥抜きしてあるのに、どんだけお上品様だよ」
「こちとら肉も酒も断った厳しーい修行生活送ってんのに、なんてぇ贅沢様だぁ道教めぇべらんめぇ」
前門の夜雀、左門の不死鳥、右門の破戒僧。
ただおいしい焼き鳥を食べたかっただけなのに、物部布都絶体絶命の危機。
「ま、待たれよ。落ち着けい。想像していた味と違ったから驚いただけで、決して不味かった訳では」
「なんじゃこれマッズ、脂っこくてしかも固い! さらに泥臭い!」
「時間差すな山彦ォォォ!!」
ああ、なんたる無常。唯一中立だった響子ちゃん、本能によって致命的な復唱!
完全に逃げ場の喪失した布都は、滝のような汗を流しながら席を立とうとする。
が、妹紅と一輪が詰め寄り、左右からガッシリと肩を組んできた。
そしてミスティアが包丁を構えて邪悪な笑みを浮かべる。三日月のように口を開き、瞳をギラギラ輝かせて。
これから起こる惨劇を想像し、響子は耳をふさいでうずくまってしまう。
完全なる四面楚歌! 歌え歌え尸解仙に捧げる鎮魂歌。
「い、いや、食の好みなど人それぞれ。主観的に合わなかっただけで、客観的評価を下すなら実に見事なお手前だと忌憚なき意見を述べざるを得ぬぞ」
「つまり……あんた個人は八目鰻より焼き鳥を食べるってことね? あなたを殺せば焼き鳥を食べる奴が一人減るってことね?」
「待たれよ小鳥殿。小鳥様。別に八目鰻を残すと言うとる訳ではなく、ほれ、おでんもあるし? 小鳥様の料理のお手前を堪能してみたいなーと本心からの願いを述べさせていただくぞ」
「……つまり……焼き鳥を焼いてみろと?」
「なんでそーなるのっ!」
完全に話が通じないミスティア・ローレライ。
焼き鳥屋と間違われるなんて侮辱を受けた時点でもう、思考回路が半ばスパークしていたのだ。
そう、焼き鳥屋に間違われた時点で……。
「そーいえば、ここで焼き鳥が食べられるだなんて誰に聞いたの?」
と、ここで響子が元凶に気づく。
よりにもよってなぜ、焼き鳥撲滅運動の総本山である焼き八目鰻の屋台を焼き鳥屋だなんて!
撲滅運動の文字が見えなかっただけの馬鹿の仕業なのか? それとも――。
ミスティアの興味もわずかにそちらへとそれた。
命運の岐路に立ったと自覚した布都は、全力で責任を押しつけて有耶無耶にせねばという使命感に大火の改新!
「つい先程なのだがな、頭の左右にシニョンをつけた娘に」
「頭の左右に」
「シニョン」
分かりやすい特徴から、妹紅と一輪がとある仙人の姿を思い浮かべる。
説教大好きでお節介。霞を食べていればいいはずなのにいつもなにか食べており、鬼もかくやという大酒飲みのあいつ。
しかしあの仙人がこんな嘘を吹き込む理由が思いつかない。
敵対宗教ならともかく仙人は道教のはずだ。
あのお人好しの仙人がなぜ?
「それって茨華仙っていう説教好きで食いしん坊で大酒飲みの人?」
疑問を口にしたのは響子だ。
たまに屋台にやってきて大酒を飲むお得意さんの一人なので。
「む? いや仙人殿ではなかったぞ、黒髪で……いや、白髪と赤毛も混じっておったな」
「白髪……」
「赤毛……」
珍しい特徴から、妹紅と一輪はぼんやり誰かを思い出しかける。
あれは確か、お尋ね者を討伐せよとの号令が幻想郷全土にかかり、ルール無視の不可能弾幕を解禁した時の――。
「それって天邪鬼の――」
幽谷響子もまたお尋ね者討伐に参加し、不可能弾幕を破られてしまった一人である。
故に、酒で頭が鈍くなっている二人よりも早くたどり着くことができた。
そうだ!
あいつだ!
あいつの名は!
「稀神青娥!!」
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――静寂なる月の都。
賢者としての仕事をしている最中だった稀神サグメは、ふいに酒が飲みたくなった。
仕事が終わったらとっておきの――いや、仕事の後では意味がない。今だ。今この瞬間、飲みたいのだ。
そうでなくては意味がない。例え安酒であろうと今この瞬間に飲んでこそ意味がある。
むしろ仕事中という禁忌を犯してこそ価値があるのかもしれない。
だが飲める訳がない。月の賢者が仕事中に飲酒だなんて。
できるはずがない!
でも!
「お酒飲みたい……」
叶わぬ願いを思わず口にし、稀神サグメはハッと口をふさいだ。
聞かれなかっただろうか。
幸い今は自室に自分一人。
けれど、口に出すと事態を逆転させる能力を持つサグメである。
口に出してしまった以上、すでに事態は逆転を始めている。
酒が飲めないという運命が逆転しているのだから、飲むしかないじゃあないか。
幸い今は自室に自分一人。
飲もう。みずからの意志で運命に従おうとサグメは決め、戸棚にしまってある酒を開封。
事態が逆転しているから仕方ない! 仕方ないんだ!
仕事をサボって飲む酒は最高であった。
―{}@{}@{}- ―{}□{}□{}- ―@@@@@-
――提灯に照らされた人間の里の大通り。
冬の夜となればその寒さから人気も減るというものだが、人里一番の大通りともなれば行き交う人々と妖怪であふれている。
夜遅くまで開いている店も珍しくなく、夜には妖怪専門店として営業しているところもあり、人間と妖怪が一緒に酒を飲んで騒ぐ店だって珍しくもない。それが人間の里である。
提灯の明かりに誘われてあそこの居酒屋、そっちの八目鰻屋、こっちのおでん屋へと引き寄せられる人影のどれくらいが人間で、どれくらいが妖怪なのだろうか。
そんな中、寒風を物ともせずブラブラと歩いている人間でないモノ……霍青娥と宮古芳香の姿もあった。
肉体的に優れる邪仙と、すでに死体のキョンシーであれば、暖を取るため提灯の明かりに飛びつく必要もない。
しかしふいに、霍青娥は提灯の明かりに猛烈な魅力を感じ始めた。
どこかの誰かが回した運命の歯車が、なんの因果か自分にも降りかかっているかのような錯覚。
飲みたい。食べたい。耽りたい。
仙人ならば己の欲と戦いもするが青娥は邪仙である。欲望には忠実だ。
「ねえ芳香、せっかくだしなにか食べて行きましょうか」
「おー、それならモコハラさんが食ーべたーいなー」
「こら、人肉ならこないだ……コホン、人里でそんなこと言っちゃ駄目でしょう?」
「モコハラさんは焼き鳥屋サンだぞーう。すごく美味しいって、えーと、こないだ会った亡霊が言ってた」
「モコ……あの立派なお店かしら?」
こうして焼き鳥屋さんに消える邪仙とキョンシー。
たっぷり肉と酒を堪能した二人は今宵、間違いなく幸せであったという。
ああ、どっかの誰かがやっている焼き鳥撲滅運動が達成する日は遠い……。
―{}@{}@{}- ―{}□{}□{}- ―@@@@@-
「稀神青娥……そいつがうちを侮辱したのね!」
「いやいやいや、なんか間違っとらんか!? 邪仙の名前混じっとらんか!?」
猛る夜雀のプレッシャーを浴びながら精一杯のツッコミを入れる布都。
この際あの邪仙に責任おっかぶせちまってもいいんじゃないか、と思わなくもない。
でも後で犯人違うと判明して連帯責任で死刑というのも怖い。
たかが弱小妖怪だというのにこのプレッシャー、侮りがたし。
「んんー……確か鬼人正邪だっけ?」
「シニョンで角を隠してたと。安直な変装ねぇ」
ようやく思い出したのは妹紅と一輪。
その手には焼き八目鰻の串焼きが握られている。
そして不思議なことに布都の皿は空になっていた。
「お主ら、それ……」
「フッ……こいつは貸しにしとくぜ。モグモグ」
「知らんぷりなさい。夜雀に気づかれないようにね。ムシャムシャ」
二人は小声で告げ、不自然な爽やかな笑みをキラキラ輝かせた。
苦手なものを横からさらって片づけるその手腕、実に見事であり、ありがたい行為である。あるのだが。
(こやつら、タダ飯が目的――!?)
あふれんばかりの下心がひしひしと伝わってくる。
どうしてこんな連中に囲まれねばならぬのか。
きっと鬼人正邪のせい。
なぜもっと早く奴の正体に気づけなかったのか。
シニョンで角を隠していたとはいえ、特徴的な髪をしていたというのに。
うつむいて顔を見せようとしない仕草を不審に感じたのに、なぜもう一歩踏み込めなかったのか。
悔やんでいる布都への興味が失せたらしいミスティアは、響子に訊ねる。
「鬼人正邪ー? なんなのそいつ」
「あれ、ミスティアは知らないの? 革命家の天邪鬼でねー、他人の嫌がることが大好きなの」
「革命家ー? 私の革命(焼き鳥撲滅運動)を邪魔するとかアンチ革命家じゃないの!」
確かに、ミスティアも正邪も革命家と言えよう。
だがミスティアの心には弱者(鳥限定)を護りたいという仁の心がある!
お金をいっぱい儲けてウハウハしたいという欲の心がある!
強者に反逆するため弱者を利用しようとした天邪鬼とは違うのだ!
楽しいからやりたいことやってんだよ、っていう部分は共通しているけれども。
「よぉし! 妹紅、一輪。天邪鬼の首を獲ってきたらうちでご馳走するわ! 一晩中タダ酒とタダ飯を振る舞ったげる!」
「崇高な革命家ミスティアの使命を邪魔するとは許せん天邪鬼だ」
「敬虔で慈悲深いミスティアを傷つけた罪を償わせねばならんな天邪鬼め」
一瞬で義憤に駆られる酔っ払い二人。
ミスティア(タダ酒)のため、ミスティア(タダ飯)のため、そしてミスティア(タダ酒)のため。
天邪鬼討伐やらいでか!
でも。
「その必要はありませんよ」
敬虔で慈悲深い声が、した。
夜雀は、聞き覚えのある声だったので顔を恐怖の予感に歪めた。
響子は、聞き覚えのある声だったので咄嗟にしゃがんで屋台の陰に隠れた。
布都は、聞き覚えのある声だったのでムッとしながら振り向いた。
妹紅は、聞き覚えのある声だったので首を傾げつつ振り向いた。
一輪は、聞き覚えのある声だったので振り向かなかった。
のれんをくぐって、聖白蓮がやってくる。
気絶した鬼人正邪を引きずりながら、とてもいい笑顔で。
「ぴゃっ! パンクライブ襲撃犯!!」
「ああー……寺の暴走族」
ミスティアと妹紅からの印象はあまりよいものではなく、聖はやれやれと困ったような態度を取る。
一方、布都は引きずられている正邪を見て嘲笑した。
「ほう。我を騙した悪逆無道の徒が無様をさらしておるわ。愉快よのう」
「あらあら。こんな分かりやすい悪童に騙されるとは、修行が足りないようですね」
ほんのわずかにライバル宗教の火花が散る。
だが今回の敵は鬼人正邪一人であり、聖のターゲットは身内であった。
「さて、一輪」
「……はい」
「あなたにお話があります」
「…………はい」
「と言うか、お仕置きします」
「………………はい」
「帰りますよ」
「……………………はい」
「ところで、響子もこちらにお邪魔していませんか?」
「いいえ見ておりません」
白旗を上げて観念してしまった雲居一輪。
されど最後の一線だけはゆずれない、それはきっと見事に確実に友情のために。
響子を失っては、気分次第で休業したり場所が変わったりするこの屋台を追いかけにくくなってしまう。
響子を失っては、仏教徒になんの疑問もためらいも持たず酒を出してくれる屋台に行きにくくなってしまう。
そう、だからこれは、見事に確実に友情であるのだ。
自虐的な笑みを、ミスティアに向ける一輪。
(屋台の陰に隠れている響子を、よろしく頼む――)
(もちろんよ。だって響子は、私の相棒だもん――)
友達の友達は友達。
和の心に満ちた優しい風が二人の間を吹き抜けた。
「やっほー」
「Yahoo!」
聖が口の横で手を広げ、健やかにのびのびと呼びかける。
屋台の陰から、健やかにのびのびと返事が響いてくる。
ミスティアは苦虫を噛み潰したような表情になり、一輪は情けなさにすすり泣き、聖はニッコリと笑った。
「響子、帰りますよ」
「やだー! 修行はするけど息抜きもしたーい!」
「一輪、お仕置きの量を増やします」
「やだー! 私はまだ死にたくなーい!」
往生際の悪さを爆発させる仏教徒二人。
さらにはミスティアが響子を渡すものかと、ぎゅぎゅっと力いっぱい抱きしめる。
「鳥獣伎楽だけじゃなく屋台の邪魔までするなんて! 妖怪イジメがそんなに楽しいの? 巫女だってここまで陰険じゃないわよー!」
「いえ、決して虐めている訳ではなく……パンクだってちゃんと音程を取るなどして、修行の一環になるようならですね」
「パンクは魂の叫びなの! 音程よりノリと勢いが大事!」
「ノリと勢いを表現するためにも、まず基礎修行が必要だと言っているのです。我が命蓮寺でも『夜通し読経ライブ』などしていますし……そうだ、ミスティアさんも今度参加しませんか? 新しい世界の扉が開けるかもしれませんよ」
「やなこった!」
平行線を全力疾走する二人。その間に挟まれて震える響子。すでに死に体と化している一輪、ついでに正邪。
酷い状況じゃのうと、布都は酒を舐めながらぼやく。
「どうでもいいからおでんをくれんか? 空きっ腹で酒を飲むのはしんどい」
「ああ、それそれ」
それに妹紅が軽快な反応をした。
「ミスティアが八目鰻を焼いてる間、響子がおでんをよそったり、お酒を出したりしてくれるんだ。それなのに響子を連れてかれたら、ミスティアだけじゃなく客の私達まで迷惑する。まあ、異教徒の迷惑なんざ知ったこっちゃないんだろーけどさ。昔っからお前ら宗教家は」
お祭りの時のように大繁盛というならともかく、数人の客をさばくくらいミスティア一人で十分である。以前は一人でやっていた訳だし。
こうした平日の手伝いは単なる友達同士のコミュニケーションでしかないが、それを教えてやる必要はない。
実は聖に気づかれているかもしれないけれど。っていうか気づかれているけれど。
「……響子のために言ってくれているのは尊いことです。しかし最後の異教徒うんぬんは余計ですね。悪しざまな物言いは要らぬ衝突を招き、貴方自身の心も毒されてしまいますよ」
毒気たっぷりの嫌味を向けられながらも聖の口調はほがらかだった。
ここできつい苦言を返しても逆効果であろうと察する聡明さは確かにある、だがそれ以上にそのような物言いをしてしまう妹紅がただただ憐れだった。
このような少女にこそ御仏の慈悲と、心身を鍛える仏の教えが必要である。妖怪寺などと呼ばれている命蓮寺であれば彼女の特異な事情も悪目立ちすることはない。
だが、裏のない真摯な思いやりであっても、藤原妹紅という人間では届かないのである。
「生憎こちとらとっくの昔に毒まみれさ。だからこうして消毒している。響子、もう一杯。肉団子とロールキャベツも」
「あ、はい!」
山彦らしく反射的な返事をし、ミスティアの手から逃れておでんに向かう響子。
いそいそ一生懸命働く姿に、聖はため息をつく。
「まったく……妹紅さん、あまり肉ばかり食べていてはいけませんよ。野菜は健康にいいのです。キャベツをもっと食べましょう」
「やれやれ、じゃあ肉団子は無しでいいや。そうだ、こっちの尸解仙にもロールキャベツ出したげなよ」
注文の変化に戸惑いつつも、妹紅の皿にロールキャベツを、布都の皿にロールキャベツとその他を適当にアドリブで載せる響子。
その姿を見て聖は苦笑を浮かべ、一輪の首根っこを掴んだ。
「今日のところは大目に見ておきます。ですが響子、朝も早いのですからあまり遅くならないように。一輪、さあ行きますよ」
「は、はい。でもちょっとお待ちを。ミスティア、お勘定持ってって」
一輪は懐から財布を取り出すと、ミスティアに向けて放り投げた。
ミスティアは財布から代金を取り出すと、一輪に向けて放り返した。
このようなやり取りでは代金を多少ちょろまかされても気づけないだろう。
けれど、響子の親友であるミスティアがそのようなことをする娘ではないと一輪は心底信じていた。
そう、相手が巫女や道士ならともかく、あるいは焼き鳥屋ならともかく、響子の仲間である自分に対してそんなこと絶対しないと心底信じていた。
そして響子に財布を預けたなら、持っていく代金を間違えちゃうだろうなって心底信じていた。
信用って大事!
高い酒を頼んだおかげでだいぶ軽くなってしまった財布を懐にしまい直すと、一輪は響子に手を振った。
響子もまた苦笑いになって手を振って、正邪ともども聖に引きずられていく一輪を見送るのだった。
今宵のお寺は騒がしくなりそうだ。
三人の姿が見えなるのを見計らってから妹紅は訊ねる。
「そういえば、天邪鬼の首を獲ってきたらタダ飯タダ酒だっけ。住職さんにご馳走するの?」
「天邪鬼の首を持ってったからする必要ないわ」
フンと鼻を鳴らすミスティアの横で、響子は「お待たせー」とおでんの皿を差し出した。
ようやく腹に物を入れられると、布都は喜び勇んで受け取る。
隣で妹紅がロールキャベツを頬張るのをチラリと見て布都もまずロールキャベツを口にすることにした。
とはいえ、大口を開けて一口で……なんて行儀の悪い真似はしない。
箸で柔らかなロールキャベツを割いて小さくし……。
「うん? 妹紅殿、これ肉が入っとらんか?」
「ロールキャベツだもの、入ってるよ。キャベツは住職様のお墨付きだ、気兼ねなくいただこう」
「くくくっ。あやつ、肉が入っておる料理と知らなんだな? 響子とやら、これなら寺で食べてもバレんのではないか? ほれ、聖白蓮のものだけキャベツのみにし、他のみんなは一口で食べてしまうのだ。目の前で肉を喰らう弟子達に気づかぬ……実に愉快な光景ではないか!」
ケラケラと笑う布都だったが、響子の反応は鈍い。
「うーん……そういうイタズラはしたくないなー。聖様は厳しいけど、優しくて好きだし」
「あんな物理型仏教徒がのう……おお、これは旨し! 口の中で肉がほころぶようだ」
ふんわりとした食感、舌の上に広がる肉とそれに染み込んだ汁の味。極上である。
ロールキャベツの初体験に頬をほころばせ、追いかけるように酒を流し込む。
適当に頼んだ酒だがとても口に合う。
となればもちろん箸も進む。ロールキャベツ、実に美味なり。
箸が進めば酒も進む。本人は安酒を頼んだつもりなので、惜しげなく酒を飲む。
妹紅や一輪と同じ酒を頼んだが、それが一番高い酒だと気づいていない。
高いと言っても屋台の酒、目玉が飛び出るような値段ではない。
それでも置いてある酒の中では一番高いのは確か。加減を知らずに飲むには財布をパンパンにして挑まねばならない。
一輪が財布からどれだけの金を吐き出したかも見ていなかったため、布都はそういった問題に気づけず――。
「酒をもう一杯頼む。ロールキャベツもな」
「あいよー♪」
値段の確認もせず気安く追加!
懐事情を気遣ってくれる者は誰もいない!
後先考えず酒池肉林を謳歌できればここが我々の幻想郷!
そしてそろそろ腹がふくれてきた妹紅が、ふと気になって布都に訊ねる。
「そういえば道教って、酒は飲んでいいんだよね」
「うむ。一輪の奴も道教に改宗すればいいというに、難儀な道を選びおって……」
なんだかんだで気が合う相手のことを思いながら、ぐっと酒を飲む布都。
この悦びをなんの気兼ねもなく分かち合うことができるならば、世は太平であろうに。
そして箸でロールキャベツを掴み。
「肉や魚も食べていいの?」
「だめ」
問いにキッパリ答えつつロールキャベツをパックンもぐもぐ。お肉たっぷりでジューシー!
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
飲食を終えた妹紅は、特に用もないのに屋台に残ってグダグダと時間をすごしていた。
退屈なのだ。宿敵や友達との都合が合わず持て余しているのだ。
布都も結構なペースで飲み食いしたため、そろそろお勘定で現実を知ることになるだろう。
ミスティアと響子はというと、今宵の客足があまり伸びないため呑気にギャーギャー歌ったりぎゃーてーぎゃーて歌ったりしている。妹紅は楽しく聴いているし、布都はよく分からないジャンルながら焼き討ちを連想させるリズムに馴染みつつある。
「ほー、鳥獣伎楽」
「そうよー。たまーにライブやってるから、よかったら聴きにきなさいな」
「むう……楽とはもっとこう雅なものと思うておったが、お主達の歌はなんと言うか、こう……よく響くのう」
湧き上がる新感覚をどう表現したものかと、布都は口ごもってしまった。
実を言うと最初は不快な歌だった。そこも感想として告げるべきか、告げたら心証が悪くならないだろうか。
天邪鬼の策略に引っかかったとはいえ、焼き鳥屋呼ばわりなどという特大地雷を踏み抜いてしまった身の上が、普段はノリノリな布都の心に枷を作ってしまっていた。
しかしその枷も酒の味とミスティア&響子のパンクが半ばぶち砕いてくれている。
妖怪のくせにたいした連中だ。
すっかり上機嫌になっているミスティアは自慢気に語る。
「パンクはソウルの叫びなのよー。これを聴いて響けない奴はタマ無しヤローね!」
「タマて」
「たまたましいしい魂だー! 魂に溜まった鬱憤を吐き出せキャッホウ!」
「ああ、魂のことか」
物部布都は飲酒しているから頬が赤い。
物部布都は飲酒しているので頬が赤い。
物部布都は飲酒しているゆえ頬が赤い。
それ以外の理由など無い。
「あ、そういえばあんたゾンビプリーストなんだっけ? タマ無しなの?」
「誰がそんっ……小人の仕業か」
タマ無しプリースト、即座に犯人に思い当たり正義の怒りに燃える。
思い起こせばオカルトボール騒動の頃、妙に口の悪い小人があちこちで暴言を振りまいていた。
尸解仙だというのにゾンビプリースト呼ばわりされたのは苦い思い出である。だが。
「ぐぬぬ……あの小人め、わざわざ悪口を言いふらすとは……そういう陰険な真似をする奴とは思わなんだ」
「んー? 小人は知らないけど、新聞に書いてあったわよゾンビプリーストって」
「新聞……?」
「新聞は字が小さいから読まないんだけど、見出しにデカデカと書いてあったからねぇ。まあ見出しと写真しか見てないから、どういう記事だったかは知らないけど」
天狗が勝手に届けてくる新聞、それを歓迎する人間や妖怪は意外と多い。
なにせ無料で配布される、使い捨てにしていい紙だ。
ミスティア・ローレライも愛用している。串揚げの下に敷いて油を吸わせるのに丁度いいのだ。
「あー、そういえば私も読んだかも」
思い出したように妹紅も呟く。
世間の流行にとんと興味がなく、新聞を読まないレベルが"高"に分類されてはいるが、流行に興味を持った時は一応読んだりするのだ。当時、黄泉比良坂のオカルトボールを得た妹紅はこれがあれば死ねるのかなと興味を持って集めた。
結果は外の世界に転移させられ面白い奴と戦う程度の異変だったが、その後、結局オカルトボールとはなんだったのかと『文々。新聞』を確認してみたのだ。燃やすのに丁度いい、という理由で処分せず溜め込んでいたので――。
「ってことは、我の敗北、大々的に宣伝されてしまったというのか? 面霊気の時は宗教戦争だったゆえ重要なことではあったが、なぜオカルトボールの騒動の小さな小競り合いまで逐一詳しく――」
「天狗だからなぁ……取るに足らないことでも記事にしたがる生き物だよ」
「ぐむむ……」
布都の頭に天狗への文句が次々と浮かんでくる。
まったくもって不愉快な。これだから妖怪は、これだから妖怪は!
憤りが言葉として喉元までせり上がってくるも、ミスティアが一番高い酒を布都のコップに注いだ。
「まあまあ、ああ見えて意外といいところもあるのよー」
「妖怪同士の贔屓目などだな……」
「焼き鳥撲滅運動の記事を書いてくれたり」
「鳥同士の贔屓目などだな……」
「鳥獣伎楽の記事を書いてくれたり」
「ほう、鳥獣伎楽のな?」
布都の声が喜色を帯びたのを感じ、ミスティアは自慢気に翼をパタパタさせる。
夜雀に山彦が加わりまさしく最強、勢力拡大し放題だ。これは焼き鳥撲滅の日も近い。
「くっくっくっ。飛び回りながら歌えば馬鹿にされ、宴会に乱入して歌えば馬鹿にされ、時代遅れのじーさんばーさんに歌っては馬鹿にされ……長く苦しい道のりだったわー。でもようやく時代が私に追いついてきたわね! ソウルのシャウトがパラダイスにエコーロケーションしてエブリワンのハートがバイブレーション! イヤッフー!」
「ハイカラな雀じゃのう……」
ハイカラな雀は上機嫌で歌い出す。
夜の鳥ぃ、夜の唄ぁ♪ 人は暗夜に灯を消せぇ♪
夜雀が歌えば山彦も歌う。
夜の山ぁ、夜の彦ぉ♪ 人は暗夜にぎゃーてーぎゃーてー♪
楽しくて騒がしい夜が更けていく。
冬の寒さがなんのその。楽しい歌と旨い酒があればへっちゃらさ。
さらに隣に友達がいれば言うことなし。
妹紅の隣に友達はいないけれど、布都の隣に友達はいないけれど。
ミスティアの隣には友達がいて、響子の隣には友達がいるのだから。
夜はまだまだこれからだ。
しかし楽しくて騒がしい時間もそろそろ一区切り。
夜行性のミスティア、生活リズムが不規則な妹紅はともかく、響子は寺の門前を毎朝掃除するのが日課だ。鳥獣伎楽のライブをするというのでなければ夜更かしばかりもしていられない。布都は目的であった食事を終えつつある。
しかし冬の夜は長い。響子や客が帰ってもミスティアは気の向くまま屋台をやるし、夜行性の客もいずれくるだろう。
「ふー。ミスティア、お勘定」
「あいよー。えーと面倒くさいから5000円でいいよ」
一足先に妹紅が財布の紐を解き、ミスティアが伝票を確認して金額を告げると、布都がぎょっと身をすくませる。
値段高くない?
ぼったくり屋台?
「さすが一番高い酒、結構行くねぇ」
「そりゃ一番高い酒だもの。何杯飲んだんだっけ、ええと」
「いっぱい」
「ありゃ、一杯だけ? 伝票と違う……じゃあ2000円でいいよ」
一番高い酒というキーワードにハッとする布都。
自分が頼んだのは妹紅や一輪が飲んでいたものと同じもの……では、この酒は。
そして響子も慌てた。
算数は苦手だが、今回明らかに致命的な間違いを犯しているのが分かる。算数関係なくおかしな点があるのだ。
「ちょっ、ミス――」
「はい5000円。釣りはいらねぇ、取っときな」
が、問題点の指摘に先んじて妹紅はクールに支払いをすませた。
実に見事に最初に提示された金額ピッタリだ。
「おおう! 気っ風がいいじゃない。もらえるもんはありがたくもらっとくわ」
「なぁに、いいってことよ。また今度サービスしてくれ」
「毎度ありー! ほら、響子もご挨拶」
「ま、毎度あり! ……いいのかなー」
算数的に考えて問題は無いはずだ。
ならばいいのだろか。響子にはよく分からない。
「ちょ、ちょいと待てい。我のお勘定は今どうなっておる?」
慌てて布都が切り込む。
安酒と思って適当に飲んでいたせいで、どれくらい飲んだか全然覚えていない。
食事目当てできたから酒はほどほどのはずだ。多分、恐らく、きっと。
もし手持ちが足りなければ、妖怪相手に食い逃げなんて失態を犯さねばならない。
だが今なら、かろうじて人間の慈悲にすがることで回避も可能。
同じ金の貸し借りだろうと、妖怪相手と人間相手ではプライドの傷の深さがだいぶ違うのだ。
「えーっと、そっちのあんたは……3000円ね」
「……妹紅殿。釣りがいらぬなら我におごってくれてもいいんじゃぞ? ほれ、丁度3000円だし」
察した妹紅ではあるが、実はちゃんと計算して飲んでいたためすでに懐に余裕がない。
無視して立ち去ってもいいのだが、一番高い酒だと教えなかった彼女にも責任はある。
「……幾ら足りないの?」
「……100円」
妹紅は財布を再確認する。
硬貨は何枚も入っているが、明るい輝きは見当たらない。
「ミスティア! いらねぇ釣りの100円をそちらさんに回しといたげて」
「へ? え、えーと……2000円が5000円で、100円を、3000円……2900円ね!」
「はい2900円ンンン! 払ったからな、しっかり払ったからな! 追加注文とかせぬしこれで支払い完了じゃな!?」
電光石火で支払い完了、物部布都。
幽谷響子がほんのわずかに疑念を抱いたが、2000が5000で100を3000だから2900という畳みかけるような算数によって意味不明状態。思考能力が追いつかず強制フリーズに陥ってしまった。
こうして100円という金額が幻想の彼方へと溶けて消え、妹紅も布都も退散しようとしたその時。
一人の客がやってきた。
「こんばんはー、やってるかい?」
客はのれんをくぐってわざわざ端っこに座り、ミスティアと響子はほがらかに迎え入れる。
「いらっしゃーい」
「なんにするー?」
頭の弱い妖怪二人の反応はそんなもんだった。
だが、何気なくそいつの姿を確認した妹紅は呆けた顔になる。同じく布都も眉と口元をこれでもかってほど歪める。
その客は、頭の左右にシニョンをかぶり、基本は黒髪で、前髪に白と赤が混じっており、顔を隠すようにうつむき気味だ。
ニヤリと、三日月のように深く鋭く笑みを浮かべ。
そいつは注文を告げる。
「焼き鳥をもらおうか」
顔を上げたそいつは挑発的に舌を出し、親指で首を掻っ切る仕草をする。
布都のような勘違いではない明確な敵対行動だ、夜雀は即座に包丁を投擲!
されどそいつは分かっていたとばかりに、ハンドサインに使ったのとは逆の手を振るう。
布が、ひらりと。
不思議なことに包丁は布にはたかれて見当違いの方向にすっ飛んでしまった。
この回避方法、妹紅も布都もかつての戦いで体験している。
「そうマジになるなよォ、軽い冗談じゃないか」
シニョンを脱ぎ捨てて一対の小さな角をあらわにして笑う少女。
嫌味ったらしい表情と、嫌味ったらしい口調であれば、それを冗談として受け取れるはずもなし。
嫌がらせが大好きで、他者から嫌われると喜ぶ性質の妖怪。
不可能弾幕vs反則アイテムの経験者である妹紅と布都がその名を叫ぶ。
「天邪鬼!!? 馬鹿な、お前は聖白蓮に退治されて――」
「鬼人正邪!? 一輪ともども寺に連行されていったばかりではないか!」
「ああ、おかげで楽に侵入できたよ。お土産もらっておさらばしてきたところさ」
退治されたのは演技でしかなかったようだ、傷一つなく元気してるのがなによりの証拠。
しかもお寺から新たな反則アイテムを奪取してくるとは、なんというやり手。
ミスティア、響子、妹紅、布都は各々の道理で牙を剥く。
「お前かー! うちが焼き鳥屋なんて嘘を言い触らしたのはー!」
「ミスティアと聖様に迷惑をかけるなー!」
「ン……? ってことはタダ飯タダ酒のチャンス到来?」
「よくも騙してくれたのう。我はあやつほど甘くないぞ」
屋台越しのミスティアと響子は威嚇のみだったが、客二人の行動は早かった。
布都は手に小さな竜巻をまとわせながら正邪に殴りかかり、屋台ののれんを荒々しく波打たせる。
すぐさま屋台から飛び出して逃れた正邪を追ったのは妹紅だ。手を開いて腕を大振りにすると、火炎が三本の鋭い刃となって夜の闇を切り裂く。
だが二人は各々勝手に攻撃をしただけで連携が取れている訳ではない。
火爪は一拍の遅れを見せ、正邪は悠々と宙に舞って高笑いをした。
「ハッハッハッ! これでも焼き鳥撲滅運動の心意気は認めてんだぜ? いい下克上じゃねえの。けど私は焼き鳥が大好きでな、撲滅されちゃあ困るのさ」
「知るか馬鹿! 焼き鳥大好きなのに焼き鳥我慢してる私を見習わんかい!」
「天邪鬼が道に逆らう者ならば、天邪鬼に逆らっていれば常に正しいという訳だ!」
火山の噴火のように、巨大な火球を打ち上げる妹紅。
弓矢を取り出し、天へと昇る流星のように次々と矢を放つ布都。
されど正邪は四尺はあろうかという大玉を弾幕に向かって放り捨てると、背中を向けて悠々と飛び去ってしまう。
大玉は大花火となって二人の弾幕をかき消すと、闇夜を艶やかに照らした。
「むう、逃げられたか」
「反則アイテムを駆使されてはやむを得まい」
かつて幻想郷中の猛者から逃げに逃げて逃げまくった鬼人正邪。
このような突発的な遭遇でなんとかできるほど簡単な相手ではない。
しかし我慢ならないのはミスティアだ。あんなにも堂々と宣戦布告するとは許せない。
「ぐぬぬ……このまますますものかー! さっきも言った通り、天邪鬼の首を獲ってきたら、うちでご馳走するわ! タダ飯タダ酒は当たり前、さらに……伝説の"雀酒"も出す!!」
今宵、財布をほぼ空にしてまで一番高い酒を愉しんだ藤原妹紅の瞳がギンギラギンに輝き出す!
今宵、財布を空にしたのに一番高い酒をじっくり味わうこともせず飲んでしまった物部布都の瞳もギランギランに輝き出す!
「雀酒……かつて伝説の復活として幻想郷を賑わしたあの銘酒が再び!」
「以前、霊夢殿から聞いたことがあるぞ……あの雀酒とはこの屋台のものだったか!」
満足行くまで飲み食いした直後だというのに、再び燃え上がる情熱の炎。
これが夜雀の願いに応えるための友情というもの、なら美しいのだが。
「行くぞー!」
「おー!」
欲望のために飛び立つ藤原妹紅と物部布都。
彼女達の天邪鬼討伐はこれからだ!
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
「私もお寺に帰るね。聖様がまだ騙されたままかもしれないし……」
「うん、手伝ってくれてありがとね」
幽谷響子も去ってしまい、一人残されたミスティア。
客は三人と少なかったものの、一番高い酒をたっぷり飲んで、八目鰻もおでんもいっぱい食べて、しっかり儲けられたのに。
響子と一緒に楽しく商売したり、歌ったりして、とっても楽しい夜だったのに。
あの天邪鬼のせいで台無しだ。
「はぁ……今日はもう辞めちゃおっかなー」
「あやや、もう店じまいですか?」
夜雀がぼやいていると、鴉天狗がのれんをくぐって現れた。
新聞記者の射命丸文だ。焼き鳥撲滅運動に理解を示し、応援をしてくれる心強い味方である。
「いらっしゃーい……」
「とりあえず八目鰻と一番度数高いお酒ください。度数高いの」
「あいよー……」
「テンション低いですね。なにかありました?」
客が来れば気分も変わる。
焼き鳥撲滅仲間として愚痴がてら色々話しているうちに、ミスティアの機嫌も少しずつ治っていく。
夜行性の妖怪達も次第にやってきて、夜雀の屋台が賑わいを取り戻すのにそう時間はかからなかった。
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
客が一人去る頃に新しい客が来て……そんなスローペースの客足のため、食材を使い切るには空が白むまで待たねばならなかった。夜行性のミスティアとしては心地よい眠気がやってくる時刻である。
天邪鬼のせいで気分が悪くもなったけど、焼き鳥の屋台だという嘘を信じてやってくる客は物部布都一人だけですんだ。
これは八目鰻の評判と、焼き鳥撲滅運動の成果が実りつつある証かもしれない。
あんなくだらない嘘に騙されるのは新参者くらいに違いない。
そう結論づけたミスティアは、たたんだ屋台を引いて我が家へ帰ろうとする。
と、そこに。
「ただいまー。一晩中がんばったけど、天邪鬼は見つけられなかったよ」
「ごくろーさん」
疲労困憊した様子の藤原妹紅が戻ってきた。
ねぎらいの言葉はかけたものの、成果がないのではミスティアの眠気を覚まさせることなどできやしない。
「あれ、屋台もうおしまい? お腹空いたから、なにか食べたかったんだけど……」
「もうなんも残ってないわ。おでんの汁すら飲まれちゃったわ」
「ええーっ、そんなぁ……」
屋台の進行の邪魔にならないよう道端に着地した妹紅は、ガックリとうなだれて同情を誘おうとする。
ミスティアはため息をついた。同情に誘われてしまったのだ。
「よかったら、うち来る? お茶漬けくらいなら作れると思うけど」
「おお、ありがたい」
「特別に100円でいいわよ」
幻想の彼方へと溶けて消えた100円がカムバック。
「金取るんかい」
「屋台引っ張るのも手伝って」
「身体でも払えと」
なんという無体。空きっ腹で重労働するくらいなら、自宅に帰って芋を焼いてかじっている方がずっと楽ちんだ。
心に隙間風が吹き抜けるのを感じながら、藤原妹紅は空を見上げる。
寒々と乾いた冬の空だ。
早朝の太陽に照らされても、肌が擦り切れそうなほど空気は冷たい。
数少ない友人に頼ろうにも、こんな時間に訪ねられては迷惑だろう。
一人で芋をかじるのは、わびしい……。
妹紅はため息をついた。同情に誘われてくれたことだし。
「梅茶漬けでお願いできる?」
「贅沢言うと湯漬けにするわよ」
妹紅がハンドルをまたいで中に入ってきたので、ミスティアは端に寄ってにんまりと笑った。
これで楽ができる。
そんな喜びとは裏腹に、妹紅は思い出したようにポケットから新聞を取り出した。
「あ、そうそう。さっき文から新聞もらったんだけど」
「あ、いらないならちょーだい。油を吸うのに便利なのよねー」
「いや、お前、記事になってるぞ」
「新聞は字が小さいから読みたくない! 読んで」
「自分で読め」
ハンドルの内側で身を寄せ合ったまま、ミスティアは億劫そうに新聞を広げて小さな文字に視線を這わせる。
やはり読みにくい。字を大きくすればいいのに。
【文々。新聞】
【夜雀が天邪鬼に懸賞をかける】
昨晩、焼き鳥撲滅運動の第一人者ミスティア・ローレライ氏の屋台に、お尋ね者鬼人正邪が過度な挑発行為と営業妨害を行った。八目鰻の屋台を焼き鳥の屋台だという出鱈目を吹聴するなど悪辣極まる犯行。
これを受けローレライ氏は、鬼人正邪を捕縛した者に屋台で一晩無料で飲み食いする権利を与える旨を発表。彼女の焼く八目鰻は人間・妖怪を問わず非常に高い人気を誇り、さらに伝説の『雀酒』を振る舞うとの事。
酒は雀が最初に作ったという伝説があり、それを再現したのが『雀酒』である。飲めば陽気な気分になり歌って踊ってしまうほどの美味であるとされる酒呑み垂涎の品である。
なお、捕らえた天邪鬼をどうするのかという問いにローレライ氏は「雀の国に連れてって舌を切る」と回答。お伽噺の舌切雀に倣うなら舌を切られるのは雀のはずである。筆者としては雀の国なる存在が気にかかる。もしや迷いの竹林にあるという雀のお宿伝説の事だろうか。情報求む。
「んー……文に話したことそのまんま書いてある感じ。楽な仕事ねー」
「今頃この新聞あっちこっち配られてるから天邪鬼狩りする奴も出てくるだろうけど……大丈夫? 予算とか色々」
ミスティアは高々と拳を突き上げ気概をアピールする。
空を突き破らん限りの! 己が拳を見上げて吠える。
「これも焼き鳥撲滅運動のため! 必要な出費よ」
「大食い亡霊とか、大酒飲みの鬼とか、大丈夫か? 雀酒飲み尽くされるぞ」
伝説の復活には結構な労力がかかっている、売り上げゼロで飲み尽くされるのは正直悪夢でしかない。
大見得を切った手前「やっぱなし」なんて言ったら、屋台の人気が落ちてしまう。
鬼に全部飲まれてしまったら大赤字だ。天狗でも大変ヤバい。河童も相当ヤバい。せめて人間なら……。
空を突き破らん限りの! 己が拳を下ろして顔をしかめる。
「……あんたが捕まえなさいよあんたがー。あんだけ馬鹿にされたんだからやり返さないと」
「やるつもりではあるけど、自分ではやらないの?」
「うぐっ……いつぞやの騒動じゃ、妹紅や聖でも捕まえられなかったって奴でしょ? 他にも巫女や魔女やメイドや辻斬りでも駄目だったって聞くわ。そんなの捕まえられる訳ないじゃない」
「よく知ってるなそんなこと」
「文が教えてくれたのよ」
鴉なのか天狗なのかよく分からない卵生妖怪だが、焼き鳥撲滅運動を応援する気持ちは確実に本物。
第一人者であるミスティアへの情報支援に裏はないと見ていい。
「天邪鬼退治は私達に任せて、ミスティアさんは焼き鳥撲滅運動に専念してくださいだってさ。いやー、やっぱ持つべきは鳥仲間ね」
「焼き鳥人間は鳥に入る?」
「入れて欲しかったら、もっと積極的な協力をし――およ?」
ふいに、ミスティアは妹紅へと詰め寄った。
狭いハンドルの内側だ、逃げ場は無い。
「わっ」
驚いた妹紅がのけぞって、ハンドルに腰が引っかかって動きが止まった。
そんな妹紅の両肩を掴み、胸の上に自身のぺったんこな胸を乗っけるように飛びついて、鼻先が唇に触れそうなほど近づける。
「なっ、なに、なんなの?」
「くんくん。くんくん」
急接近と過剰な接触をし、犬のように鼻を鳴らすミスティアの仕草に、妹紅は焦り顔でたじたじだ。
でもそんなの知ったこっちゃない。
目を閉じてしっかり香りを確かめる。
妹紅の香りを確かめる。
妹紅の……。
「……鳥の匂いがする」
「ぎくっ。なんのこと」
「妹紅の口から鳥の匂いがする……」
ギラリ。心の包丁を瞳に宿し、肩を掴む手に力をぎゅぎゅっと込めて爪を突き立てる。
妖怪の鋭さと握力によって白いブラウスが赤く染まり始めた。不老不死の人間相手となれば容赦不要。
「いやぁ、なに言ってんの。焼き鳥なんか食べてないよ。ええ、天に誓って食べてない」
「くんくん、くんくん……くくくんくぅん! から揚げ!」
ブラウスとは裏腹に青く染まる妹紅の顔。
血が抜けつつあるせいだろう、血の気の多い奴だから丁度いい塩梅さ。
「いやいやいや違うのよ。天邪鬼探してちょこっと竹林に行ったらおにぎりと卵焼きとから揚げのお弁当を食べてる狼さんがいてね、純粋に情報収集のためだけにちょこっとお喋りしていただけで決して――」
「から揚げを食べた狼を食べたってことね!」
「さすがの私も妖怪を食べたことはないから! 食べられたことはあるけど!」
「これだから人間は信用できないのよ! 腹掻っ捌いてから揚げ掻き出してやるから覚悟なさい!」
肩から爪を引き抜き、血塗れの手をさらに振り下ろそうとすると、妹紅はみずから体勢を崩して地べたへと逃れ、ハンドルをくぐって逃げ出した。
ミスティアは逆にハンドルを飛び越え、翼を広げながら弾幕を放つ。
鮮やかな光が妹紅を追って飛来し、地面に突き刺さって爆ぜた。
「ひぇぇ、焼き鳥を食べた訳じゃないのにー!」
「今夜の屋台に人肉並べてやるぅ! モツはおでん行きだー!」
賑やかで、騒がしくて、楽しい屋台。
その営業が終了したっていうのに、夜雀と焼き鳥は延長線へ突入。
事態を有耶無耶にすべく妹紅も反撃を開始して、早朝早々青空いっぱい花火で彩られる。
けれど負けじと歌うミスティアのせいで、近場に居合わせた妖怪や妖精は鳥目になってしまい花火を見られない。
これはつまり歌は聴こえど花火は見えず、すなわち歌の勝利と言えるのではないか。
それゆけ我らのヒロイン、歌う夜雀、ミスティア・ローレライ!
焼き鳥撲滅運動を達成するその日まで、倒せ悪の焼き鳥人間!
歌って歌って歌い尽くし、天下に響け焼き鳥撲滅の歌――。
もう歌しか聞こえない!
遠くの空から「おはよーございまーす!」という声が響いてくるのが、地べたに引っくり返ってる妹紅と、それを踏んづけながら空を突き破らん限りに勝利の拳を掲げるミスティアの耳に届いた。
歌以外も聞こえるもんだね。
けれどミスティアはこれから帰って寝る予定なので……。
「おやすみすてぃあー!」
と改変山彦を返すのだった。
果たして響子に届いただろうか?
今日の夕方か夜にでも聞いてみよう。
そして一緒に歌って騒いで楽しい時間をすごすのさ。
END
人里離れた田舎道の一角に赤提灯がぼんやりと光っている。人を誘うかのように。
安眠妨害に全力投球するようなデュエットが高々と響く。人を困らせるかのように。
「ヤッツメ、ヤツヤツ、ヤツヤツメー! おっでんはダイコーン、コーンニャークもー!」
「コーン、コンコン、コーンニャーク、コーンニャーク。こーんばーんわー!」
提灯に"八目鰻"と書かれているように、焼き八目鰻をメインとした屋台である。当然お酒もある。冬にはおでんもやってるよ。
店主を務めるは夜雀ミスティア・ローレライ。焼き鳥撲滅運動と金儲けと趣味を兼ねた一石三鳥の商売に励む元気娘だ。
いつもの雀色の服の上からマフラーと黄色いエプロンを着用しており、性格のみならず色合いまで明るく楽しく弾けている。
お手伝いをしてくれているのは山彦の幽谷響子。仏門に入り経を唱える身でありながらパンクを歌い、八目鰻を焼く手伝いまでしちゃう元気娘だ。
お寺は大好きだけど修行が厳しくてつらいため、こうして悪友と一緒に明るく楽しく弾けている。
どういうきっかけで知り合ったのか、鳥獣伎楽などというコンビを組んですっかり仲良くなった元気娘二人。
先日はパンクライブを行ったので、今夜は屋台の番なのだ。
「焼き鳥は撲滅だー! 串焼き食いたきゃ八目鰻を喰えーい! ヤーツメツメツメ、ヤツメツメ!」
「おでんの牛串忘れずにぃー、にーくにくにく、肉を喰えー! 肉汁たっぷり肉を喰えー!」
屋台の番なのだが、歌わない理由は無いし客寄せ効果もあるから歌って問題無いっていうかむしろガンガン歌うべきだ。
そうすればほら、夜雀の能力も相まって鳥目になった獲物がノコノコやってくるって寸法よ。
「やかましい」
そうしたからほら、鳥目になった人間がやってきた。
真白い髪を長々と伸ばした紅白衣装の人間、藤原妹紅がのれんをくぐり、中央からちょっとズレた席に腰をかける。
「いらっしゃ――うげっ。なんで焼き鳥屋が来るのよー? うちは焼き鳥なんかやってないっての!」
「鳥目を治すなら八目鰻を食べるより、元凶を焼き鳥にする方が手っ取り早いと思わない?」
「へーい、八目鰻いっちょー。響子、なんかテキトーに一番高い酒でも出しといて」
「なにがテキトーだ、安いのでいいよ」
話題をそらしつつ、ミスティアはさっそく八目鰻の調理を始める。
その隣では響子が高い酒と安い酒を抱えて頭を悩ませていたが、ここはやはり友情がものを言う。しっかり高い酒を選んで竹製のコップに注いだ。
妹紅はそれに気づきはしたが、一番高い酒と言っても所詮は小さな屋台に置いてあるもの、お品書きで値段を確かめるだけで異論は唱えなかった。
「はーい一番高い酒! おでんもいかが? ダイコンニャクがおいしいよ」
「じゃあダイコンブ」
注文を受けた響子は、意気揚々と大根とコンニャクと昆布を皿に盛った。
注文は多い方がいい、売り上げも多くなるから。
ただし相手は選ばなくてはならない。
注文してないものが出された、だから食べても金を払わなくていいよね間違えた方が悪いんだから! なんて奴もいる。赤字コースだ。紅白人間一号には要注意だ。
「まったく、コンニャクは頼んでないっての」
と言いながら箸を手に取る紅白人間二号。
こいつは頼んでないものを出されても、それを食べさえすれば金を払うタイプである。
紅白の分際で赤字コースでも白字コースでもなく黒字コースだ。
不死鳥どころかネギしょったカモ。おいしく頂いてよい。
とはいえ黒字カモにも好き嫌いや気分というものがあり、ものによっては食べずに突っ返してくることもあるので、ちゃんと食べるものを狙って追加する高度な計算が必要だ。
ミスティアにも響子にもそんな計算をする能力は備わってないので、その場のノリで適当に出している。
予定通りにいかないのが人生だからアドリブでドリフトしてフルスロットルですっ転ぶくらいで丁度いい。
という訳で幽谷響子は新たに牛串と卵を追加した。無許可で。
自分いい仕事してる! といった風に素敵な笑顔を浮かべたので、ミスティアは調理の手を止めてグッと親指を立ててウインク!
一方妹紅は疲れたように目を細めた。それでも文句を言わず牛串を手に取るあたり、響子のチョイスは大成功のようだ。
まだまだ響子のターンは続く。
「ところでモコ……モコハラさんは本当に焼き鳥屋やってないのー?」
「モコハラさんは焼き鳥屋やってるよ。人間の里の大通りで大きな焼き鳥屋さん開いてるよモコハラさん」
「えっ! あの大きな焼き鳥屋、モコハラさんがやってるの!? すごーい!」
「そうだねーモコハラさんすごいねー。息子さんも寺子屋の成績いいって聞くしねー」
「子供いるの!? モコハラさんお母さんだったの!?」
「モコハラさんお父さんだからね。妹紅さん関係ないからね、誰かさんが口やかましいせいで最近焼き鳥屋行けてないし」
「……あれ? モコハ……もこうさん?」
「はい、妹紅さんです」
「妹紅さんは焼き鳥屋やってないのー?」
ようやく勘違いに気づいた響子だが、まったく悪びれずお喋り続行。
お喋りの合間にダイコンブを食べ終えた妹紅は、牛串を手に取って答えた。
「やってないよー。むかーし喧嘩ふっかけてきた夜雀を焼き鳥にしたくらいだよー」
「はーい、焼き鳥の焼いた焼き八目鰻串お待ちどう」
焼き上がったので、ミスティアは自虐しながら八目鰻の串焼きを出す。
牛串と八目鰻串の二刀流となった妹紅は、その場のノリで両方交互に噛みつくことにした。
おかげで酒を飲む手が足りなくなり、失態に気づいて顔をしかめた。
様にならない女である。
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
冬の大地を暖める奇特な太陽さんの没した刻、幻想郷を徘徊するのは夜行性かつ寒さに強い妖怪ばかりである。
人間はもちろん、昼に出歩く妖怪や寒さに凍える妖怪なんて住処でじっとしているものだ。
だがしかし、そんな苦境にあえて立ち向かわんとする者もいる。
住処に閉じこもっていては成せぬことがあるのだ。
断固たる意志の元に。果たすべき使命のために。
夜の闇を突き抜けて。屋台の提灯を追いかけて。
「ヘイヘーイ! 般若湯あるかーい!」
ハイカラな入道使い雲居一輪が意気揚々と来店した、法衣姿で破戒活動するために。
先客は一人、そう広い屋台ではないため空いてる席に座れば自然と妹紅との距離も近くなる。
それを差し引いてもやや距離が近い、妹紅は邪魔にならないようにとほんのわずか身を引いた。
だがその行いを不愉快に思った訳ではない。むしろ気っ風がよくて気持ちいいほどだ。
このノリが続けばさぞ旨い般若湯が飲めたであろう。しかしミスティアは首を傾げてノリを止める。
「はんにゃ? うちはそんなの置いてないよ」
「んもー。今時の若者は般若湯も知らないの? 響子なら知ってるでしょ、寺暮らしなんだから」
「はんにゃ? うちはそんなの置いてないよ」
「般若湯は一般教養でしょうが、なんで知らないの!?」
寺暮らしの山彦は相方の山彦をそのまま返し、首を傾げる仕草まで真似をする。
愕然としたのは一輪だ。まさか夜雀のみならず可愛い後輩まで般若湯を知らないとは!
それでも仏門に携わる者かと叫びたい!
ゆとり教育ここに極めり。
(姐さん……やっぱり酒を飲んではいけないという仏教の教えは問題があります。一般教養の欠落は問題です)
キラリ。目尻を悲しみで光らせ、目頭を押さえて頭を振り、端っこの席の白髪に気づく。
見知った顔だ。オカルトボールの異変の時にやり合った不老不死の発火人間。
「ちょっと、そちらのあなたは知ってるでしょう? 般若湯」
「ああ、知ってる知ってる。十二人の般若が守護する十二階建ての塔、般若塔。最上階には黄金に輝く究極の神酒が祀られており、塔を登り切った勇者だけが飲むことを許されるという……」
「いや、確かにお酒だけどもなんか違くない!? そんな試練を乗り越えないと飲めないものだっけ!?」
「こんなちっぽけな屋台には安酒がお似合いさ……響子ちゃん、一番高い酒おかわり」
「安酒じゃないんかい! あ、響子、私も一番高い酒」
随分と遠回りをしながらも、ようやく酒にありつけるようになった一輪。
嬉しくなって「イヤッフー」と口ずさめば、響子も「Yahoo!」と口ずさみ、ミスティアは「オーイエー」と口ずさんで、妹紅は「ねーちゃんちくわぶひとつ」と口ずさむ。
そこでようやく一輪はミスに気づいた。酒に気を取られるあまり肴の注文を忘れていた。
「夜雀のミストリアちゃん、八目鰻大盛りで」
「ミスティアよー。もうすでに焼いてるから、おでんでも食べてて」
「あ、牛串おいしそう。やっぱ酒には獣肉よねー」
「あいよー♪ 響子、よそったげて」
「大根とちくわもお願い。それと卵」
「うちのは無精卵だから安心よー」
すっかりおでん係となった響子が牛串、大根、コンニャク、卵を颯爽を皿に盛る。忘れず汁もかけるぞ万全だい。
一輪の前に八目鰻とおでんと一番高い酒が並び、まさしく夢の光景だ。
「わーいおいしそー……って、あれ、ちくわは?」
「ちくわが食べたきゃちゃんと頼んでよー」
頼み忘れたっけ? 一輪は首を傾げたがお皿はすでに具沢山。後で注文すればいいやと牛串を手に取る。
酒と獣肉のコラボレーションが与える癒やしの力は五臓六腑に染み渡る。すばらしい。
そりゃもうむしゃぶりつくように牛串、八目鰻、卵、八目鰻のヘビーローテーション。合間合間に酒を飲むのを忘れずに。
「嗚呼、破戒的享楽に耽る悦び――!」
「やっぱ仏教でこの世を救うの無理だな。肉も酒も無い人生なんて鶏肉の無いネギマみたいなもんよ」
「まったくもって! 私は焼きネギが食べたいんじゃあない、焼き鳥が食べたいのよ!」
客二人が禁句を口にするや、ミスティアは電光石火の早業で腕を振るった。
刹那の間も与えず客二人の額に八目鰻用の串が突き刺さり、スコーンという小気味いい音が頭蓋を響かせる。まるで巫女の針攻撃のようだ。
「こちらの焼き人間と焼き入道は私からのサービスよ、受け取っとけバッキャロー」
「すいませーん、火が通ってないんですけどー。セルフサービスすればいいのかセルフバーニングすればいいのか」
「ていうか私、入道使いであって入道じゃないんだけど。なに、雲山を焼けばいいの? 雷火事親父にすればいいの?」
悪びれた様子も見せず、額の串を引っこ抜いて焼却処分してしまう妹紅。
悪びれた様子も見せず、額の串を引っこ抜いてテーブルに置き、頭巾を脱いで額を拭う一輪。
「ミスティア、八目鰻おかわり」
「響子、ちくわ頂戴」
「自分で焼け」
「自分で焼けー」
なんだかんだで客商売。
注文されたものはちゃんと出しました、金になるので。
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
「頼もーう、ここで旨い焼き鳥が食べられると聞いてきたのだが」
「なんですってー! 誰がそんなことをー!!」
唐突かつ空気の読めない発言とともに来店したのは、烏帽子をかぶった小柄な尸解仙、物部布都であった。
一瞬で般若の如き形相になったミスティア・ローレライはすでに包丁を握りしめての殺人未遂体勢だ。
さすがの布都もぎょっと驚いて後ずさる。
「な、なんだ。なにか間違ったか?」
「人生なんて間違いの連続さ。私はどうしてあんなことを……岩笠ぁぁぁぁぁぁ!!」
「違うんです姐さん! この酒は違うんです! ぬえが、ぬえの仕業です! 私の酒はこんな安物じゃありません!」
間違いだらけの酔っ払いが喚き散らし、営業妨害に片足を突っ込んでいる。
店主ミスティアも包丁片手に威嚇しており、唯一まともな響子が苦笑を浮かべながら椅子へとうながす。
「ここは八目鰻屋さんよー。さあさあ座って八目鰻を食べましょー、焼き鳥よりおいしーよ」
「お、おう……」
「はーい、八目鰻一丁! それと高い酒でいいよね」
「え、いや、こやつらと同じもので構わん」
「はーい、こやつらと"同じもの"入りまーす」
一番高い酒を頼んでしまったとはつゆ知らず、布都は隅っこに腰を下ろそうとする。
が、妹紅と一輪に肩を掴まれ、二人の間へと引きずり込まれてしまった。
もう肩がくっつきそうなほど、というか平然とぶつかる至近距離に。
「ここの八目鰻はうまいぞぉ、焼き鳥撲滅運動なんて夢に酔っ払える程度にはな! はっはっはっ」
「お酒もなかなかいいもの仕入れてるしねぇ。ホラホラ、あんたも飲みなさいな! ぽっぽっぽっ」
「席を変えてくれ」
布都の意見なぞ知ったこっちゃないとばかりに、猛烈な勢いで八目鰻を焼くミスティア。
焼き鳥を食べにくるような馬鹿には八目鰻を叩き込んで宗旨変えせねばならない。
正義のため使命のため収入のため、心が炎となって燃え上がって盛り上がってたまらない。
「炎よ踊れい、天を焦がせい! 焼き鳥撲滅運動をヨロシクゥー!」
「なにこの店、怖い」
すっかり呑まれてしまった布都は、すっかり肩身を狭くする。
響子が笑顔で酒を注いでくれたのが唯一の良心だ。一番高い酒だけどね!
せめて酒を飲んで気を紛らわそうとするも――。
「おりゃー! 八目鰻を食えーい!」
瞳をギラつかせたミスティアが、電光石火で焼き上げた八目鰻を皿に載っけて布都の前にシュート!
ガシャンと音を立てて置かれた皿、割れてやしないかと布都に不安が走った。
「う、うむ。いただくとしよう」
おっかなびっくりしながら、八目鰻の串を取る。
香ばしく焼けておりタレの匂いもとろけるようで、食欲が猛烈に刺激される。
焼き鳥撲滅などと抜かしている夜雀は、世辞のひとつも言ってやれば機嫌を治すであろう。
酔っ払い二人は後で絞めればよかろう。
そのように目論んで、物部布都は焼き八目鰻串に大口でかぶりつきました。
非常に上質なタレの味わいがとろーり広がり、香ばしく焼けた八目鰻の味わいが――。
「ムゴッ!? なんじゃこれマッズ、脂っこくてしかも固い! さらに泥臭い!」
思わず吐き出しそうになり、慌てて手で口をふさぐ布都。
しかし心の本音は思いっきり吐き出してしまった。
よりにもよってこの場所で、この面子で。
ミスティア・ローレライは右手に包丁を、左手に包丁を、心に包丁を握りしめる。尸解仙も仙人なら妖怪的にご馳走でいいよね。
藤原妹紅と雲居一輪も露骨に眉根を寄せてヤンキー丸出しのツラになる。オラオラやんのかオラ。
幽谷響子だけは想定外の反応にフリーズしてしまっているが……。
「私の八目鰻が……マズイ……? そんなに焼き鳥が喰いたいかァァァ!!」
「泥臭いぃ? こんなにしっかり泥抜きしてあるのに、どんだけお上品様だよ」
「こちとら肉も酒も断った厳しーい修行生活送ってんのに、なんてぇ贅沢様だぁ道教めぇべらんめぇ」
前門の夜雀、左門の不死鳥、右門の破戒僧。
ただおいしい焼き鳥を食べたかっただけなのに、物部布都絶体絶命の危機。
「ま、待たれよ。落ち着けい。想像していた味と違ったから驚いただけで、決して不味かった訳では」
「なんじゃこれマッズ、脂っこくてしかも固い! さらに泥臭い!」
「時間差すな山彦ォォォ!!」
ああ、なんたる無常。唯一中立だった響子ちゃん、本能によって致命的な復唱!
完全に逃げ場の喪失した布都は、滝のような汗を流しながら席を立とうとする。
が、妹紅と一輪が詰め寄り、左右からガッシリと肩を組んできた。
そしてミスティアが包丁を構えて邪悪な笑みを浮かべる。三日月のように口を開き、瞳をギラギラ輝かせて。
これから起こる惨劇を想像し、響子は耳をふさいでうずくまってしまう。
完全なる四面楚歌! 歌え歌え尸解仙に捧げる鎮魂歌。
「い、いや、食の好みなど人それぞれ。主観的に合わなかっただけで、客観的評価を下すなら実に見事なお手前だと忌憚なき意見を述べざるを得ぬぞ」
「つまり……あんた個人は八目鰻より焼き鳥を食べるってことね? あなたを殺せば焼き鳥を食べる奴が一人減るってことね?」
「待たれよ小鳥殿。小鳥様。別に八目鰻を残すと言うとる訳ではなく、ほれ、おでんもあるし? 小鳥様の料理のお手前を堪能してみたいなーと本心からの願いを述べさせていただくぞ」
「……つまり……焼き鳥を焼いてみろと?」
「なんでそーなるのっ!」
完全に話が通じないミスティア・ローレライ。
焼き鳥屋と間違われるなんて侮辱を受けた時点でもう、思考回路が半ばスパークしていたのだ。
そう、焼き鳥屋に間違われた時点で……。
「そーいえば、ここで焼き鳥が食べられるだなんて誰に聞いたの?」
と、ここで響子が元凶に気づく。
よりにもよってなぜ、焼き鳥撲滅運動の総本山である焼き八目鰻の屋台を焼き鳥屋だなんて!
撲滅運動の文字が見えなかっただけの馬鹿の仕業なのか? それとも――。
ミスティアの興味もわずかにそちらへとそれた。
命運の岐路に立ったと自覚した布都は、全力で責任を押しつけて有耶無耶にせねばという使命感に大火の改新!
「つい先程なのだがな、頭の左右にシニョンをつけた娘に」
「頭の左右に」
「シニョン」
分かりやすい特徴から、妹紅と一輪がとある仙人の姿を思い浮かべる。
説教大好きでお節介。霞を食べていればいいはずなのにいつもなにか食べており、鬼もかくやという大酒飲みのあいつ。
しかしあの仙人がこんな嘘を吹き込む理由が思いつかない。
敵対宗教ならともかく仙人は道教のはずだ。
あのお人好しの仙人がなぜ?
「それって茨華仙っていう説教好きで食いしん坊で大酒飲みの人?」
疑問を口にしたのは響子だ。
たまに屋台にやってきて大酒を飲むお得意さんの一人なので。
「む? いや仙人殿ではなかったぞ、黒髪で……いや、白髪と赤毛も混じっておったな」
「白髪……」
「赤毛……」
珍しい特徴から、妹紅と一輪はぼんやり誰かを思い出しかける。
あれは確か、お尋ね者を討伐せよとの号令が幻想郷全土にかかり、ルール無視の不可能弾幕を解禁した時の――。
「それって天邪鬼の――」
幽谷響子もまたお尋ね者討伐に参加し、不可能弾幕を破られてしまった一人である。
故に、酒で頭が鈍くなっている二人よりも早くたどり着くことができた。
そうだ!
あいつだ!
あいつの名は!
「稀神青娥!!」
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――静寂なる月の都。
賢者としての仕事をしている最中だった稀神サグメは、ふいに酒が飲みたくなった。
仕事が終わったらとっておきの――いや、仕事の後では意味がない。今だ。今この瞬間、飲みたいのだ。
そうでなくては意味がない。例え安酒であろうと今この瞬間に飲んでこそ意味がある。
むしろ仕事中という禁忌を犯してこそ価値があるのかもしれない。
だが飲める訳がない。月の賢者が仕事中に飲酒だなんて。
できるはずがない!
でも!
「お酒飲みたい……」
叶わぬ願いを思わず口にし、稀神サグメはハッと口をふさいだ。
聞かれなかっただろうか。
幸い今は自室に自分一人。
けれど、口に出すと事態を逆転させる能力を持つサグメである。
口に出してしまった以上、すでに事態は逆転を始めている。
酒が飲めないという運命が逆転しているのだから、飲むしかないじゃあないか。
幸い今は自室に自分一人。
飲もう。みずからの意志で運命に従おうとサグメは決め、戸棚にしまってある酒を開封。
事態が逆転しているから仕方ない! 仕方ないんだ!
仕事をサボって飲む酒は最高であった。
―{}@{}@{}- ―{}□{}□{}- ―@@@@@-
――提灯に照らされた人間の里の大通り。
冬の夜となればその寒さから人気も減るというものだが、人里一番の大通りともなれば行き交う人々と妖怪であふれている。
夜遅くまで開いている店も珍しくなく、夜には妖怪専門店として営業しているところもあり、人間と妖怪が一緒に酒を飲んで騒ぐ店だって珍しくもない。それが人間の里である。
提灯の明かりに誘われてあそこの居酒屋、そっちの八目鰻屋、こっちのおでん屋へと引き寄せられる人影のどれくらいが人間で、どれくらいが妖怪なのだろうか。
そんな中、寒風を物ともせずブラブラと歩いている人間でないモノ……霍青娥と宮古芳香の姿もあった。
肉体的に優れる邪仙と、すでに死体のキョンシーであれば、暖を取るため提灯の明かりに飛びつく必要もない。
しかしふいに、霍青娥は提灯の明かりに猛烈な魅力を感じ始めた。
どこかの誰かが回した運命の歯車が、なんの因果か自分にも降りかかっているかのような錯覚。
飲みたい。食べたい。耽りたい。
仙人ならば己の欲と戦いもするが青娥は邪仙である。欲望には忠実だ。
「ねえ芳香、せっかくだしなにか食べて行きましょうか」
「おー、それならモコハラさんが食ーべたーいなー」
「こら、人肉ならこないだ……コホン、人里でそんなこと言っちゃ駄目でしょう?」
「モコハラさんは焼き鳥屋サンだぞーう。すごく美味しいって、えーと、こないだ会った亡霊が言ってた」
「モコ……あの立派なお店かしら?」
こうして焼き鳥屋さんに消える邪仙とキョンシー。
たっぷり肉と酒を堪能した二人は今宵、間違いなく幸せであったという。
ああ、どっかの誰かがやっている焼き鳥撲滅運動が達成する日は遠い……。
―{}@{}@{}- ―{}□{}□{}- ―@@@@@-
「稀神青娥……そいつがうちを侮辱したのね!」
「いやいやいや、なんか間違っとらんか!? 邪仙の名前混じっとらんか!?」
猛る夜雀のプレッシャーを浴びながら精一杯のツッコミを入れる布都。
この際あの邪仙に責任おっかぶせちまってもいいんじゃないか、と思わなくもない。
でも後で犯人違うと判明して連帯責任で死刑というのも怖い。
たかが弱小妖怪だというのにこのプレッシャー、侮りがたし。
「んんー……確か鬼人正邪だっけ?」
「シニョンで角を隠してたと。安直な変装ねぇ」
ようやく思い出したのは妹紅と一輪。
その手には焼き八目鰻の串焼きが握られている。
そして不思議なことに布都の皿は空になっていた。
「お主ら、それ……」
「フッ……こいつは貸しにしとくぜ。モグモグ」
「知らんぷりなさい。夜雀に気づかれないようにね。ムシャムシャ」
二人は小声で告げ、不自然な爽やかな笑みをキラキラ輝かせた。
苦手なものを横からさらって片づけるその手腕、実に見事であり、ありがたい行為である。あるのだが。
(こやつら、タダ飯が目的――!?)
あふれんばかりの下心がひしひしと伝わってくる。
どうしてこんな連中に囲まれねばならぬのか。
きっと鬼人正邪のせい。
なぜもっと早く奴の正体に気づけなかったのか。
シニョンで角を隠していたとはいえ、特徴的な髪をしていたというのに。
うつむいて顔を見せようとしない仕草を不審に感じたのに、なぜもう一歩踏み込めなかったのか。
悔やんでいる布都への興味が失せたらしいミスティアは、響子に訊ねる。
「鬼人正邪ー? なんなのそいつ」
「あれ、ミスティアは知らないの? 革命家の天邪鬼でねー、他人の嫌がることが大好きなの」
「革命家ー? 私の革命(焼き鳥撲滅運動)を邪魔するとかアンチ革命家じゃないの!」
確かに、ミスティアも正邪も革命家と言えよう。
だがミスティアの心には弱者(鳥限定)を護りたいという仁の心がある!
お金をいっぱい儲けてウハウハしたいという欲の心がある!
強者に反逆するため弱者を利用しようとした天邪鬼とは違うのだ!
楽しいからやりたいことやってんだよ、っていう部分は共通しているけれども。
「よぉし! 妹紅、一輪。天邪鬼の首を獲ってきたらうちでご馳走するわ! 一晩中タダ酒とタダ飯を振る舞ったげる!」
「崇高な革命家ミスティアの使命を邪魔するとは許せん天邪鬼だ」
「敬虔で慈悲深いミスティアを傷つけた罪を償わせねばならんな天邪鬼め」
一瞬で義憤に駆られる酔っ払い二人。
ミスティア(タダ酒)のため、ミスティア(タダ飯)のため、そしてミスティア(タダ酒)のため。
天邪鬼討伐やらいでか!
でも。
「その必要はありませんよ」
敬虔で慈悲深い声が、した。
夜雀は、聞き覚えのある声だったので顔を恐怖の予感に歪めた。
響子は、聞き覚えのある声だったので咄嗟にしゃがんで屋台の陰に隠れた。
布都は、聞き覚えのある声だったのでムッとしながら振り向いた。
妹紅は、聞き覚えのある声だったので首を傾げつつ振り向いた。
一輪は、聞き覚えのある声だったので振り向かなかった。
のれんをくぐって、聖白蓮がやってくる。
気絶した鬼人正邪を引きずりながら、とてもいい笑顔で。
「ぴゃっ! パンクライブ襲撃犯!!」
「ああー……寺の暴走族」
ミスティアと妹紅からの印象はあまりよいものではなく、聖はやれやれと困ったような態度を取る。
一方、布都は引きずられている正邪を見て嘲笑した。
「ほう。我を騙した悪逆無道の徒が無様をさらしておるわ。愉快よのう」
「あらあら。こんな分かりやすい悪童に騙されるとは、修行が足りないようですね」
ほんのわずかにライバル宗教の火花が散る。
だが今回の敵は鬼人正邪一人であり、聖のターゲットは身内であった。
「さて、一輪」
「……はい」
「あなたにお話があります」
「…………はい」
「と言うか、お仕置きします」
「………………はい」
「帰りますよ」
「……………………はい」
「ところで、響子もこちらにお邪魔していませんか?」
「いいえ見ておりません」
白旗を上げて観念してしまった雲居一輪。
されど最後の一線だけはゆずれない、それはきっと見事に確実に友情のために。
響子を失っては、気分次第で休業したり場所が変わったりするこの屋台を追いかけにくくなってしまう。
響子を失っては、仏教徒になんの疑問もためらいも持たず酒を出してくれる屋台に行きにくくなってしまう。
そう、だからこれは、見事に確実に友情であるのだ。
自虐的な笑みを、ミスティアに向ける一輪。
(屋台の陰に隠れている響子を、よろしく頼む――)
(もちろんよ。だって響子は、私の相棒だもん――)
友達の友達は友達。
和の心に満ちた優しい風が二人の間を吹き抜けた。
「やっほー」
「Yahoo!」
聖が口の横で手を広げ、健やかにのびのびと呼びかける。
屋台の陰から、健やかにのびのびと返事が響いてくる。
ミスティアは苦虫を噛み潰したような表情になり、一輪は情けなさにすすり泣き、聖はニッコリと笑った。
「響子、帰りますよ」
「やだー! 修行はするけど息抜きもしたーい!」
「一輪、お仕置きの量を増やします」
「やだー! 私はまだ死にたくなーい!」
往生際の悪さを爆発させる仏教徒二人。
さらにはミスティアが響子を渡すものかと、ぎゅぎゅっと力いっぱい抱きしめる。
「鳥獣伎楽だけじゃなく屋台の邪魔までするなんて! 妖怪イジメがそんなに楽しいの? 巫女だってここまで陰険じゃないわよー!」
「いえ、決して虐めている訳ではなく……パンクだってちゃんと音程を取るなどして、修行の一環になるようならですね」
「パンクは魂の叫びなの! 音程よりノリと勢いが大事!」
「ノリと勢いを表現するためにも、まず基礎修行が必要だと言っているのです。我が命蓮寺でも『夜通し読経ライブ』などしていますし……そうだ、ミスティアさんも今度参加しませんか? 新しい世界の扉が開けるかもしれませんよ」
「やなこった!」
平行線を全力疾走する二人。その間に挟まれて震える響子。すでに死に体と化している一輪、ついでに正邪。
酷い状況じゃのうと、布都は酒を舐めながらぼやく。
「どうでもいいからおでんをくれんか? 空きっ腹で酒を飲むのはしんどい」
「ああ、それそれ」
それに妹紅が軽快な反応をした。
「ミスティアが八目鰻を焼いてる間、響子がおでんをよそったり、お酒を出したりしてくれるんだ。それなのに響子を連れてかれたら、ミスティアだけじゃなく客の私達まで迷惑する。まあ、異教徒の迷惑なんざ知ったこっちゃないんだろーけどさ。昔っからお前ら宗教家は」
お祭りの時のように大繁盛というならともかく、数人の客をさばくくらいミスティア一人で十分である。以前は一人でやっていた訳だし。
こうした平日の手伝いは単なる友達同士のコミュニケーションでしかないが、それを教えてやる必要はない。
実は聖に気づかれているかもしれないけれど。っていうか気づかれているけれど。
「……響子のために言ってくれているのは尊いことです。しかし最後の異教徒うんぬんは余計ですね。悪しざまな物言いは要らぬ衝突を招き、貴方自身の心も毒されてしまいますよ」
毒気たっぷりの嫌味を向けられながらも聖の口調はほがらかだった。
ここできつい苦言を返しても逆効果であろうと察する聡明さは確かにある、だがそれ以上にそのような物言いをしてしまう妹紅がただただ憐れだった。
このような少女にこそ御仏の慈悲と、心身を鍛える仏の教えが必要である。妖怪寺などと呼ばれている命蓮寺であれば彼女の特異な事情も悪目立ちすることはない。
だが、裏のない真摯な思いやりであっても、藤原妹紅という人間では届かないのである。
「生憎こちとらとっくの昔に毒まみれさ。だからこうして消毒している。響子、もう一杯。肉団子とロールキャベツも」
「あ、はい!」
山彦らしく反射的な返事をし、ミスティアの手から逃れておでんに向かう響子。
いそいそ一生懸命働く姿に、聖はため息をつく。
「まったく……妹紅さん、あまり肉ばかり食べていてはいけませんよ。野菜は健康にいいのです。キャベツをもっと食べましょう」
「やれやれ、じゃあ肉団子は無しでいいや。そうだ、こっちの尸解仙にもロールキャベツ出したげなよ」
注文の変化に戸惑いつつも、妹紅の皿にロールキャベツを、布都の皿にロールキャベツとその他を適当にアドリブで載せる響子。
その姿を見て聖は苦笑を浮かべ、一輪の首根っこを掴んだ。
「今日のところは大目に見ておきます。ですが響子、朝も早いのですからあまり遅くならないように。一輪、さあ行きますよ」
「は、はい。でもちょっとお待ちを。ミスティア、お勘定持ってって」
一輪は懐から財布を取り出すと、ミスティアに向けて放り投げた。
ミスティアは財布から代金を取り出すと、一輪に向けて放り返した。
このようなやり取りでは代金を多少ちょろまかされても気づけないだろう。
けれど、響子の親友であるミスティアがそのようなことをする娘ではないと一輪は心底信じていた。
そう、相手が巫女や道士ならともかく、あるいは焼き鳥屋ならともかく、響子の仲間である自分に対してそんなこと絶対しないと心底信じていた。
そして響子に財布を預けたなら、持っていく代金を間違えちゃうだろうなって心底信じていた。
信用って大事!
高い酒を頼んだおかげでだいぶ軽くなってしまった財布を懐にしまい直すと、一輪は響子に手を振った。
響子もまた苦笑いになって手を振って、正邪ともども聖に引きずられていく一輪を見送るのだった。
今宵のお寺は騒がしくなりそうだ。
三人の姿が見えなるのを見計らってから妹紅は訊ねる。
「そういえば、天邪鬼の首を獲ってきたらタダ飯タダ酒だっけ。住職さんにご馳走するの?」
「天邪鬼の首を持ってったからする必要ないわ」
フンと鼻を鳴らすミスティアの横で、響子は「お待たせー」とおでんの皿を差し出した。
ようやく腹に物を入れられると、布都は喜び勇んで受け取る。
隣で妹紅がロールキャベツを頬張るのをチラリと見て布都もまずロールキャベツを口にすることにした。
とはいえ、大口を開けて一口で……なんて行儀の悪い真似はしない。
箸で柔らかなロールキャベツを割いて小さくし……。
「うん? 妹紅殿、これ肉が入っとらんか?」
「ロールキャベツだもの、入ってるよ。キャベツは住職様のお墨付きだ、気兼ねなくいただこう」
「くくくっ。あやつ、肉が入っておる料理と知らなんだな? 響子とやら、これなら寺で食べてもバレんのではないか? ほれ、聖白蓮のものだけキャベツのみにし、他のみんなは一口で食べてしまうのだ。目の前で肉を喰らう弟子達に気づかぬ……実に愉快な光景ではないか!」
ケラケラと笑う布都だったが、響子の反応は鈍い。
「うーん……そういうイタズラはしたくないなー。聖様は厳しいけど、優しくて好きだし」
「あんな物理型仏教徒がのう……おお、これは旨し! 口の中で肉がほころぶようだ」
ふんわりとした食感、舌の上に広がる肉とそれに染み込んだ汁の味。極上である。
ロールキャベツの初体験に頬をほころばせ、追いかけるように酒を流し込む。
適当に頼んだ酒だがとても口に合う。
となればもちろん箸も進む。ロールキャベツ、実に美味なり。
箸が進めば酒も進む。本人は安酒を頼んだつもりなので、惜しげなく酒を飲む。
妹紅や一輪と同じ酒を頼んだが、それが一番高い酒だと気づいていない。
高いと言っても屋台の酒、目玉が飛び出るような値段ではない。
それでも置いてある酒の中では一番高いのは確か。加減を知らずに飲むには財布をパンパンにして挑まねばならない。
一輪が財布からどれだけの金を吐き出したかも見ていなかったため、布都はそういった問題に気づけず――。
「酒をもう一杯頼む。ロールキャベツもな」
「あいよー♪」
値段の確認もせず気安く追加!
懐事情を気遣ってくれる者は誰もいない!
後先考えず酒池肉林を謳歌できればここが我々の幻想郷!
そしてそろそろ腹がふくれてきた妹紅が、ふと気になって布都に訊ねる。
「そういえば道教って、酒は飲んでいいんだよね」
「うむ。一輪の奴も道教に改宗すればいいというに、難儀な道を選びおって……」
なんだかんだで気が合う相手のことを思いながら、ぐっと酒を飲む布都。
この悦びをなんの気兼ねもなく分かち合うことができるならば、世は太平であろうに。
そして箸でロールキャベツを掴み。
「肉や魚も食べていいの?」
「だめ」
問いにキッパリ答えつつロールキャベツをパックンもぐもぐ。お肉たっぷりでジューシー!
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
飲食を終えた妹紅は、特に用もないのに屋台に残ってグダグダと時間をすごしていた。
退屈なのだ。宿敵や友達との都合が合わず持て余しているのだ。
布都も結構なペースで飲み食いしたため、そろそろお勘定で現実を知ることになるだろう。
ミスティアと響子はというと、今宵の客足があまり伸びないため呑気にギャーギャー歌ったりぎゃーてーぎゃーて歌ったりしている。妹紅は楽しく聴いているし、布都はよく分からないジャンルながら焼き討ちを連想させるリズムに馴染みつつある。
「ほー、鳥獣伎楽」
「そうよー。たまーにライブやってるから、よかったら聴きにきなさいな」
「むう……楽とはもっとこう雅なものと思うておったが、お主達の歌はなんと言うか、こう……よく響くのう」
湧き上がる新感覚をどう表現したものかと、布都は口ごもってしまった。
実を言うと最初は不快な歌だった。そこも感想として告げるべきか、告げたら心証が悪くならないだろうか。
天邪鬼の策略に引っかかったとはいえ、焼き鳥屋呼ばわりなどという特大地雷を踏み抜いてしまった身の上が、普段はノリノリな布都の心に枷を作ってしまっていた。
しかしその枷も酒の味とミスティア&響子のパンクが半ばぶち砕いてくれている。
妖怪のくせにたいした連中だ。
すっかり上機嫌になっているミスティアは自慢気に語る。
「パンクはソウルの叫びなのよー。これを聴いて響けない奴はタマ無しヤローね!」
「タマて」
「たまたましいしい魂だー! 魂に溜まった鬱憤を吐き出せキャッホウ!」
「ああ、魂のことか」
物部布都は飲酒しているから頬が赤い。
物部布都は飲酒しているので頬が赤い。
物部布都は飲酒しているゆえ頬が赤い。
それ以外の理由など無い。
「あ、そういえばあんたゾンビプリーストなんだっけ? タマ無しなの?」
「誰がそんっ……小人の仕業か」
タマ無しプリースト、即座に犯人に思い当たり正義の怒りに燃える。
思い起こせばオカルトボール騒動の頃、妙に口の悪い小人があちこちで暴言を振りまいていた。
尸解仙だというのにゾンビプリースト呼ばわりされたのは苦い思い出である。だが。
「ぐぬぬ……あの小人め、わざわざ悪口を言いふらすとは……そういう陰険な真似をする奴とは思わなんだ」
「んー? 小人は知らないけど、新聞に書いてあったわよゾンビプリーストって」
「新聞……?」
「新聞は字が小さいから読まないんだけど、見出しにデカデカと書いてあったからねぇ。まあ見出しと写真しか見てないから、どういう記事だったかは知らないけど」
天狗が勝手に届けてくる新聞、それを歓迎する人間や妖怪は意外と多い。
なにせ無料で配布される、使い捨てにしていい紙だ。
ミスティア・ローレライも愛用している。串揚げの下に敷いて油を吸わせるのに丁度いいのだ。
「あー、そういえば私も読んだかも」
思い出したように妹紅も呟く。
世間の流行にとんと興味がなく、新聞を読まないレベルが"高"に分類されてはいるが、流行に興味を持った時は一応読んだりするのだ。当時、黄泉比良坂のオカルトボールを得た妹紅はこれがあれば死ねるのかなと興味を持って集めた。
結果は外の世界に転移させられ面白い奴と戦う程度の異変だったが、その後、結局オカルトボールとはなんだったのかと『文々。新聞』を確認してみたのだ。燃やすのに丁度いい、という理由で処分せず溜め込んでいたので――。
「ってことは、我の敗北、大々的に宣伝されてしまったというのか? 面霊気の時は宗教戦争だったゆえ重要なことではあったが、なぜオカルトボールの騒動の小さな小競り合いまで逐一詳しく――」
「天狗だからなぁ……取るに足らないことでも記事にしたがる生き物だよ」
「ぐむむ……」
布都の頭に天狗への文句が次々と浮かんでくる。
まったくもって不愉快な。これだから妖怪は、これだから妖怪は!
憤りが言葉として喉元までせり上がってくるも、ミスティアが一番高い酒を布都のコップに注いだ。
「まあまあ、ああ見えて意外といいところもあるのよー」
「妖怪同士の贔屓目などだな……」
「焼き鳥撲滅運動の記事を書いてくれたり」
「鳥同士の贔屓目などだな……」
「鳥獣伎楽の記事を書いてくれたり」
「ほう、鳥獣伎楽のな?」
布都の声が喜色を帯びたのを感じ、ミスティアは自慢気に翼をパタパタさせる。
夜雀に山彦が加わりまさしく最強、勢力拡大し放題だ。これは焼き鳥撲滅の日も近い。
「くっくっくっ。飛び回りながら歌えば馬鹿にされ、宴会に乱入して歌えば馬鹿にされ、時代遅れのじーさんばーさんに歌っては馬鹿にされ……長く苦しい道のりだったわー。でもようやく時代が私に追いついてきたわね! ソウルのシャウトがパラダイスにエコーロケーションしてエブリワンのハートがバイブレーション! イヤッフー!」
「ハイカラな雀じゃのう……」
ハイカラな雀は上機嫌で歌い出す。
夜の鳥ぃ、夜の唄ぁ♪ 人は暗夜に灯を消せぇ♪
夜雀が歌えば山彦も歌う。
夜の山ぁ、夜の彦ぉ♪ 人は暗夜にぎゃーてーぎゃーてー♪
楽しくて騒がしい夜が更けていく。
冬の寒さがなんのその。楽しい歌と旨い酒があればへっちゃらさ。
さらに隣に友達がいれば言うことなし。
妹紅の隣に友達はいないけれど、布都の隣に友達はいないけれど。
ミスティアの隣には友達がいて、響子の隣には友達がいるのだから。
夜はまだまだこれからだ。
しかし楽しくて騒がしい時間もそろそろ一区切り。
夜行性のミスティア、生活リズムが不規則な妹紅はともかく、響子は寺の門前を毎朝掃除するのが日課だ。鳥獣伎楽のライブをするというのでなければ夜更かしばかりもしていられない。布都は目的であった食事を終えつつある。
しかし冬の夜は長い。響子や客が帰ってもミスティアは気の向くまま屋台をやるし、夜行性の客もいずれくるだろう。
「ふー。ミスティア、お勘定」
「あいよー。えーと面倒くさいから5000円でいいよ」
一足先に妹紅が財布の紐を解き、ミスティアが伝票を確認して金額を告げると、布都がぎょっと身をすくませる。
値段高くない?
ぼったくり屋台?
「さすが一番高い酒、結構行くねぇ」
「そりゃ一番高い酒だもの。何杯飲んだんだっけ、ええと」
「いっぱい」
「ありゃ、一杯だけ? 伝票と違う……じゃあ2000円でいいよ」
一番高い酒というキーワードにハッとする布都。
自分が頼んだのは妹紅や一輪が飲んでいたものと同じもの……では、この酒は。
そして響子も慌てた。
算数は苦手だが、今回明らかに致命的な間違いを犯しているのが分かる。算数関係なくおかしな点があるのだ。
「ちょっ、ミス――」
「はい5000円。釣りはいらねぇ、取っときな」
が、問題点の指摘に先んじて妹紅はクールに支払いをすませた。
実に見事に最初に提示された金額ピッタリだ。
「おおう! 気っ風がいいじゃない。もらえるもんはありがたくもらっとくわ」
「なぁに、いいってことよ。また今度サービスしてくれ」
「毎度ありー! ほら、響子もご挨拶」
「ま、毎度あり! ……いいのかなー」
算数的に考えて問題は無いはずだ。
ならばいいのだろか。響子にはよく分からない。
「ちょ、ちょいと待てい。我のお勘定は今どうなっておる?」
慌てて布都が切り込む。
安酒と思って適当に飲んでいたせいで、どれくらい飲んだか全然覚えていない。
食事目当てできたから酒はほどほどのはずだ。多分、恐らく、きっと。
もし手持ちが足りなければ、妖怪相手に食い逃げなんて失態を犯さねばならない。
だが今なら、かろうじて人間の慈悲にすがることで回避も可能。
同じ金の貸し借りだろうと、妖怪相手と人間相手ではプライドの傷の深さがだいぶ違うのだ。
「えーっと、そっちのあんたは……3000円ね」
「……妹紅殿。釣りがいらぬなら我におごってくれてもいいんじゃぞ? ほれ、丁度3000円だし」
察した妹紅ではあるが、実はちゃんと計算して飲んでいたためすでに懐に余裕がない。
無視して立ち去ってもいいのだが、一番高い酒だと教えなかった彼女にも責任はある。
「……幾ら足りないの?」
「……100円」
妹紅は財布を再確認する。
硬貨は何枚も入っているが、明るい輝きは見当たらない。
「ミスティア! いらねぇ釣りの100円をそちらさんに回しといたげて」
「へ? え、えーと……2000円が5000円で、100円を、3000円……2900円ね!」
「はい2900円ンンン! 払ったからな、しっかり払ったからな! 追加注文とかせぬしこれで支払い完了じゃな!?」
電光石火で支払い完了、物部布都。
幽谷響子がほんのわずかに疑念を抱いたが、2000が5000で100を3000だから2900という畳みかけるような算数によって意味不明状態。思考能力が追いつかず強制フリーズに陥ってしまった。
こうして100円という金額が幻想の彼方へと溶けて消え、妹紅も布都も退散しようとしたその時。
一人の客がやってきた。
「こんばんはー、やってるかい?」
客はのれんをくぐってわざわざ端っこに座り、ミスティアと響子はほがらかに迎え入れる。
「いらっしゃーい」
「なんにするー?」
頭の弱い妖怪二人の反応はそんなもんだった。
だが、何気なくそいつの姿を確認した妹紅は呆けた顔になる。同じく布都も眉と口元をこれでもかってほど歪める。
その客は、頭の左右にシニョンをかぶり、基本は黒髪で、前髪に白と赤が混じっており、顔を隠すようにうつむき気味だ。
ニヤリと、三日月のように深く鋭く笑みを浮かべ。
そいつは注文を告げる。
「焼き鳥をもらおうか」
顔を上げたそいつは挑発的に舌を出し、親指で首を掻っ切る仕草をする。
布都のような勘違いではない明確な敵対行動だ、夜雀は即座に包丁を投擲!
されどそいつは分かっていたとばかりに、ハンドサインに使ったのとは逆の手を振るう。
布が、ひらりと。
不思議なことに包丁は布にはたかれて見当違いの方向にすっ飛んでしまった。
この回避方法、妹紅も布都もかつての戦いで体験している。
「そうマジになるなよォ、軽い冗談じゃないか」
シニョンを脱ぎ捨てて一対の小さな角をあらわにして笑う少女。
嫌味ったらしい表情と、嫌味ったらしい口調であれば、それを冗談として受け取れるはずもなし。
嫌がらせが大好きで、他者から嫌われると喜ぶ性質の妖怪。
不可能弾幕vs反則アイテムの経験者である妹紅と布都がその名を叫ぶ。
「天邪鬼!!? 馬鹿な、お前は聖白蓮に退治されて――」
「鬼人正邪!? 一輪ともども寺に連行されていったばかりではないか!」
「ああ、おかげで楽に侵入できたよ。お土産もらっておさらばしてきたところさ」
退治されたのは演技でしかなかったようだ、傷一つなく元気してるのがなによりの証拠。
しかもお寺から新たな反則アイテムを奪取してくるとは、なんというやり手。
ミスティア、響子、妹紅、布都は各々の道理で牙を剥く。
「お前かー! うちが焼き鳥屋なんて嘘を言い触らしたのはー!」
「ミスティアと聖様に迷惑をかけるなー!」
「ン……? ってことはタダ飯タダ酒のチャンス到来?」
「よくも騙してくれたのう。我はあやつほど甘くないぞ」
屋台越しのミスティアと響子は威嚇のみだったが、客二人の行動は早かった。
布都は手に小さな竜巻をまとわせながら正邪に殴りかかり、屋台ののれんを荒々しく波打たせる。
すぐさま屋台から飛び出して逃れた正邪を追ったのは妹紅だ。手を開いて腕を大振りにすると、火炎が三本の鋭い刃となって夜の闇を切り裂く。
だが二人は各々勝手に攻撃をしただけで連携が取れている訳ではない。
火爪は一拍の遅れを見せ、正邪は悠々と宙に舞って高笑いをした。
「ハッハッハッ! これでも焼き鳥撲滅運動の心意気は認めてんだぜ? いい下克上じゃねえの。けど私は焼き鳥が大好きでな、撲滅されちゃあ困るのさ」
「知るか馬鹿! 焼き鳥大好きなのに焼き鳥我慢してる私を見習わんかい!」
「天邪鬼が道に逆らう者ならば、天邪鬼に逆らっていれば常に正しいという訳だ!」
火山の噴火のように、巨大な火球を打ち上げる妹紅。
弓矢を取り出し、天へと昇る流星のように次々と矢を放つ布都。
されど正邪は四尺はあろうかという大玉を弾幕に向かって放り捨てると、背中を向けて悠々と飛び去ってしまう。
大玉は大花火となって二人の弾幕をかき消すと、闇夜を艶やかに照らした。
「むう、逃げられたか」
「反則アイテムを駆使されてはやむを得まい」
かつて幻想郷中の猛者から逃げに逃げて逃げまくった鬼人正邪。
このような突発的な遭遇でなんとかできるほど簡単な相手ではない。
しかし我慢ならないのはミスティアだ。あんなにも堂々と宣戦布告するとは許せない。
「ぐぬぬ……このまますますものかー! さっきも言った通り、天邪鬼の首を獲ってきたら、うちでご馳走するわ! タダ飯タダ酒は当たり前、さらに……伝説の"雀酒"も出す!!」
今宵、財布をほぼ空にしてまで一番高い酒を愉しんだ藤原妹紅の瞳がギンギラギンに輝き出す!
今宵、財布を空にしたのに一番高い酒をじっくり味わうこともせず飲んでしまった物部布都の瞳もギランギランに輝き出す!
「雀酒……かつて伝説の復活として幻想郷を賑わしたあの銘酒が再び!」
「以前、霊夢殿から聞いたことがあるぞ……あの雀酒とはこの屋台のものだったか!」
満足行くまで飲み食いした直後だというのに、再び燃え上がる情熱の炎。
これが夜雀の願いに応えるための友情というもの、なら美しいのだが。
「行くぞー!」
「おー!」
欲望のために飛び立つ藤原妹紅と物部布都。
彼女達の天邪鬼討伐はこれからだ!
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
「私もお寺に帰るね。聖様がまだ騙されたままかもしれないし……」
「うん、手伝ってくれてありがとね」
幽谷響子も去ってしまい、一人残されたミスティア。
客は三人と少なかったものの、一番高い酒をたっぷり飲んで、八目鰻もおでんもいっぱい食べて、しっかり儲けられたのに。
響子と一緒に楽しく商売したり、歌ったりして、とっても楽しい夜だったのに。
あの天邪鬼のせいで台無しだ。
「はぁ……今日はもう辞めちゃおっかなー」
「あやや、もう店じまいですか?」
夜雀がぼやいていると、鴉天狗がのれんをくぐって現れた。
新聞記者の射命丸文だ。焼き鳥撲滅運動に理解を示し、応援をしてくれる心強い味方である。
「いらっしゃーい……」
「とりあえず八目鰻と一番度数高いお酒ください。度数高いの」
「あいよー……」
「テンション低いですね。なにかありました?」
客が来れば気分も変わる。
焼き鳥撲滅仲間として愚痴がてら色々話しているうちに、ミスティアの機嫌も少しずつ治っていく。
夜行性の妖怪達も次第にやってきて、夜雀の屋台が賑わいを取り戻すのにそう時間はかからなかった。
―∬∬∬- ―∬∬∬- ―∬∬∬-
客が一人去る頃に新しい客が来て……そんなスローペースの客足のため、食材を使い切るには空が白むまで待たねばならなかった。夜行性のミスティアとしては心地よい眠気がやってくる時刻である。
天邪鬼のせいで気分が悪くもなったけど、焼き鳥の屋台だという嘘を信じてやってくる客は物部布都一人だけですんだ。
これは八目鰻の評判と、焼き鳥撲滅運動の成果が実りつつある証かもしれない。
あんなくだらない嘘に騙されるのは新参者くらいに違いない。
そう結論づけたミスティアは、たたんだ屋台を引いて我が家へ帰ろうとする。
と、そこに。
「ただいまー。一晩中がんばったけど、天邪鬼は見つけられなかったよ」
「ごくろーさん」
疲労困憊した様子の藤原妹紅が戻ってきた。
ねぎらいの言葉はかけたものの、成果がないのではミスティアの眠気を覚まさせることなどできやしない。
「あれ、屋台もうおしまい? お腹空いたから、なにか食べたかったんだけど……」
「もうなんも残ってないわ。おでんの汁すら飲まれちゃったわ」
「ええーっ、そんなぁ……」
屋台の進行の邪魔にならないよう道端に着地した妹紅は、ガックリとうなだれて同情を誘おうとする。
ミスティアはため息をついた。同情に誘われてしまったのだ。
「よかったら、うち来る? お茶漬けくらいなら作れると思うけど」
「おお、ありがたい」
「特別に100円でいいわよ」
幻想の彼方へと溶けて消えた100円がカムバック。
「金取るんかい」
「屋台引っ張るのも手伝って」
「身体でも払えと」
なんという無体。空きっ腹で重労働するくらいなら、自宅に帰って芋を焼いてかじっている方がずっと楽ちんだ。
心に隙間風が吹き抜けるのを感じながら、藤原妹紅は空を見上げる。
寒々と乾いた冬の空だ。
早朝の太陽に照らされても、肌が擦り切れそうなほど空気は冷たい。
数少ない友人に頼ろうにも、こんな時間に訪ねられては迷惑だろう。
一人で芋をかじるのは、わびしい……。
妹紅はため息をついた。同情に誘われてくれたことだし。
「梅茶漬けでお願いできる?」
「贅沢言うと湯漬けにするわよ」
妹紅がハンドルをまたいで中に入ってきたので、ミスティアは端に寄ってにんまりと笑った。
これで楽ができる。
そんな喜びとは裏腹に、妹紅は思い出したようにポケットから新聞を取り出した。
「あ、そうそう。さっき文から新聞もらったんだけど」
「あ、いらないならちょーだい。油を吸うのに便利なのよねー」
「いや、お前、記事になってるぞ」
「新聞は字が小さいから読みたくない! 読んで」
「自分で読め」
ハンドルの内側で身を寄せ合ったまま、ミスティアは億劫そうに新聞を広げて小さな文字に視線を這わせる。
やはり読みにくい。字を大きくすればいいのに。
【文々。新聞】
【夜雀が天邪鬼に懸賞をかける】
昨晩、焼き鳥撲滅運動の第一人者ミスティア・ローレライ氏の屋台に、お尋ね者鬼人正邪が過度な挑発行為と営業妨害を行った。八目鰻の屋台を焼き鳥の屋台だという出鱈目を吹聴するなど悪辣極まる犯行。
これを受けローレライ氏は、鬼人正邪を捕縛した者に屋台で一晩無料で飲み食いする権利を与える旨を発表。彼女の焼く八目鰻は人間・妖怪を問わず非常に高い人気を誇り、さらに伝説の『雀酒』を振る舞うとの事。
酒は雀が最初に作ったという伝説があり、それを再現したのが『雀酒』である。飲めば陽気な気分になり歌って踊ってしまうほどの美味であるとされる酒呑み垂涎の品である。
なお、捕らえた天邪鬼をどうするのかという問いにローレライ氏は「雀の国に連れてって舌を切る」と回答。お伽噺の舌切雀に倣うなら舌を切られるのは雀のはずである。筆者としては雀の国なる存在が気にかかる。もしや迷いの竹林にあるという雀のお宿伝説の事だろうか。情報求む。
「んー……文に話したことそのまんま書いてある感じ。楽な仕事ねー」
「今頃この新聞あっちこっち配られてるから天邪鬼狩りする奴も出てくるだろうけど……大丈夫? 予算とか色々」
ミスティアは高々と拳を突き上げ気概をアピールする。
空を突き破らん限りの! 己が拳を見上げて吠える。
「これも焼き鳥撲滅運動のため! 必要な出費よ」
「大食い亡霊とか、大酒飲みの鬼とか、大丈夫か? 雀酒飲み尽くされるぞ」
伝説の復活には結構な労力がかかっている、売り上げゼロで飲み尽くされるのは正直悪夢でしかない。
大見得を切った手前「やっぱなし」なんて言ったら、屋台の人気が落ちてしまう。
鬼に全部飲まれてしまったら大赤字だ。天狗でも大変ヤバい。河童も相当ヤバい。せめて人間なら……。
空を突き破らん限りの! 己が拳を下ろして顔をしかめる。
「……あんたが捕まえなさいよあんたがー。あんだけ馬鹿にされたんだからやり返さないと」
「やるつもりではあるけど、自分ではやらないの?」
「うぐっ……いつぞやの騒動じゃ、妹紅や聖でも捕まえられなかったって奴でしょ? 他にも巫女や魔女やメイドや辻斬りでも駄目だったって聞くわ。そんなの捕まえられる訳ないじゃない」
「よく知ってるなそんなこと」
「文が教えてくれたのよ」
鴉なのか天狗なのかよく分からない卵生妖怪だが、焼き鳥撲滅運動を応援する気持ちは確実に本物。
第一人者であるミスティアへの情報支援に裏はないと見ていい。
「天邪鬼退治は私達に任せて、ミスティアさんは焼き鳥撲滅運動に専念してくださいだってさ。いやー、やっぱ持つべきは鳥仲間ね」
「焼き鳥人間は鳥に入る?」
「入れて欲しかったら、もっと積極的な協力をし――およ?」
ふいに、ミスティアは妹紅へと詰め寄った。
狭いハンドルの内側だ、逃げ場は無い。
「わっ」
驚いた妹紅がのけぞって、ハンドルに腰が引っかかって動きが止まった。
そんな妹紅の両肩を掴み、胸の上に自身のぺったんこな胸を乗っけるように飛びついて、鼻先が唇に触れそうなほど近づける。
「なっ、なに、なんなの?」
「くんくん。くんくん」
急接近と過剰な接触をし、犬のように鼻を鳴らすミスティアの仕草に、妹紅は焦り顔でたじたじだ。
でもそんなの知ったこっちゃない。
目を閉じてしっかり香りを確かめる。
妹紅の香りを確かめる。
妹紅の……。
「……鳥の匂いがする」
「ぎくっ。なんのこと」
「妹紅の口から鳥の匂いがする……」
ギラリ。心の包丁を瞳に宿し、肩を掴む手に力をぎゅぎゅっと込めて爪を突き立てる。
妖怪の鋭さと握力によって白いブラウスが赤く染まり始めた。不老不死の人間相手となれば容赦不要。
「いやぁ、なに言ってんの。焼き鳥なんか食べてないよ。ええ、天に誓って食べてない」
「くんくん、くんくん……くくくんくぅん! から揚げ!」
ブラウスとは裏腹に青く染まる妹紅の顔。
血が抜けつつあるせいだろう、血の気の多い奴だから丁度いい塩梅さ。
「いやいやいや違うのよ。天邪鬼探してちょこっと竹林に行ったらおにぎりと卵焼きとから揚げのお弁当を食べてる狼さんがいてね、純粋に情報収集のためだけにちょこっとお喋りしていただけで決して――」
「から揚げを食べた狼を食べたってことね!」
「さすがの私も妖怪を食べたことはないから! 食べられたことはあるけど!」
「これだから人間は信用できないのよ! 腹掻っ捌いてから揚げ掻き出してやるから覚悟なさい!」
肩から爪を引き抜き、血塗れの手をさらに振り下ろそうとすると、妹紅はみずから体勢を崩して地べたへと逃れ、ハンドルをくぐって逃げ出した。
ミスティアは逆にハンドルを飛び越え、翼を広げながら弾幕を放つ。
鮮やかな光が妹紅を追って飛来し、地面に突き刺さって爆ぜた。
「ひぇぇ、焼き鳥を食べた訳じゃないのにー!」
「今夜の屋台に人肉並べてやるぅ! モツはおでん行きだー!」
賑やかで、騒がしくて、楽しい屋台。
その営業が終了したっていうのに、夜雀と焼き鳥は延長線へ突入。
事態を有耶無耶にすべく妹紅も反撃を開始して、早朝早々青空いっぱい花火で彩られる。
けれど負けじと歌うミスティアのせいで、近場に居合わせた妖怪や妖精は鳥目になってしまい花火を見られない。
これはつまり歌は聴こえど花火は見えず、すなわち歌の勝利と言えるのではないか。
それゆけ我らのヒロイン、歌う夜雀、ミスティア・ローレライ!
焼き鳥撲滅運動を達成するその日まで、倒せ悪の焼き鳥人間!
歌って歌って歌い尽くし、天下に響け焼き鳥撲滅の歌――。
もう歌しか聞こえない!
遠くの空から「おはよーございまーす!」という声が響いてくるのが、地べたに引っくり返ってる妹紅と、それを踏んづけながら空を突き破らん限りに勝利の拳を掲げるミスティアの耳に届いた。
歌以外も聞こえるもんだね。
けれどミスティアはこれから帰って寝る予定なので……。
「おやすみすてぃあー!」
と改変山彦を返すのだった。
果たして響子に届いただろうか?
今日の夕方か夜にでも聞いてみよう。
そして一緒に歌って騒いで楽しい時間をすごすのさ。
END
思いっきり叫んで、騒いで、酒とつまみがあって、そんな夜を過ごすのは絶対に楽しいですよね。
読み進めていくうちに思わずにやりとする描写もあり、そしてお話の内容も面白かったです。
幻想郷でその条件だしちゃうと、破滅の未来しか見えてきませんね。
屋台の経営が傾かないことを信じて……
登場するキャラ全員が好き勝手やっていて、読んでいて非常に楽しかったです
響子とミスティアはお互い騒がしい同士でいいコンビ。
こんな屋台があるならぜひいってみたいですね。
「稀神青娥!!」で堪え切れなかった
もこうも2つに分けられ