その日、耳をつんざくような轟音が目覚まし代わりとなって鈴瑚は目を覚ました。そして布団から起きあがった彼女の顔面に容赦なく角材が直撃する。
「へぶぁ!?」
情けない声と共に彼女は再び夢の世界へ旅立った。
「こらー鈴瑚ったら!! 起きてー! 大変よー!」
今度は清蘭のけたたましい声が彼女の目覚ましとなる。鈴瑚が再びむくりと起きあがると彼女に先ほどの角材の一撃による激痛が襲い、思わず顔面を抑えてのたうち回る。
「鈴瑚! 遊んでる場合じゃないわよ!? 一大事よ!」
「……うん、これは一大事だわ。主に私の顔面が」
「あんたの顔面なんかよりもっと大事な物が一大事なの! とにかく起きて!」
「起きてるよー……」
痛みが引きようやく彼女が立ち上がると何かの違和感を覚える。やたら頭上がまぶしいのだ。家の中にいるはずなのに。
「あれ? なんでこんな辺りが明るいの? 清蘭なんか変な照明でも買った? もしかしてあれ? こないだ里のお店で見かけたやつ 顔面フラーッシュ! って感じの」
「あんな不気味なの買うわけないでしょ! あんなの置いておいたら呪われちゃうわよ」
彼女らが言っている電灯とは雲のような入道の顔を模した電灯で目がまぶしく光る代物だ。本物の入道の顔で型をとったリアルな造形と「魔除けのために目を光らせます」という妙なキャッチコピーがウケて今里で流行っているらしい。
実は一輪が寺の運営の足しにとこっそり制作したものだが、夜な夜な街中を徘徊するようになって一騒動となるのはそれはまた別の話である。
「いいから上見てよ上!」
「うえー……?」
鈴瑚が言われるままに頭上を見上げると、ぽっかりと青空が見えていた。
「おお。これは凄い。家にいながら青空が見えるなんて画期的だね。どんな魔法使ったの清蘭?」
「いい加減にしろ!! ねぼすけ兎!」
清蘭の盛大なつっこみと共に腹パンが炸裂し、三度彼女は夢の世界へ旅立った。
◆
「……ははーん。つまり天井が抜けたってことねー」
「そうなのよ。どうしよう。これじゃ風雨を凌げないわ」
ようやく起床をすることが出来た鈴瑚はふむふむと腕を組みながら天井を眺めている。さっき自分の顔面に直撃したのはこの屋根の部材だったのだ。
「どうしようったって……直すしかないよね」
「そう思うでしょ?」
と言いながら清蘭が近くの柱に触れるとぼろりと欠けてしまう。それを見た鈴瑚が驚きの声を上げる。
「おーすごい! ついに物を腐らせる能力身につけたんだ?」
「ちがうっ! つーかなんでそんな能力身につけなきゃいけないのよ!」
「食べ物放置して腐らせるの得意なくせにー」
「う、うっさいわね! 今はその話じゃないの! この家の話してるの!! そろそろ限界みたいなのよ! もうずいぶん放置されてたみたいで……」
どれどれと言った様子で鈴瑚は目の前の砂壁を軽く押すといとも簡単に崩れてしまった。確かに耐久性はないに等しい。これでは少し大風が吹いただけで家はぺしゃんこに潰れてしまうだろう。
「ありゃりゃりゃ……これは困ったなぁ。せっかくいい住処だったのに」
二人はあの月での一件のあと色々あった末に地上で甘味処の屋台を営みながら暮らすことにした。幸い店はそれなりに順調で当分はなんとか暮らしていけそうなくらいは蓄えは出来た。しかしまだ店を構えるまでは至らず、二人は当分の間の住処として里の外れにあったこの廃屋に寝泊まりしていたのだ。
「こうなったら新しい家探すしかなさそうね」
「そうだねぇ。どこかにいい家は転がってないかな?」
「そんな石ころじゃあるまいし……」
「あ、それだよ! 清蘭」
「え?」
「石だよ。石で出来た家。石で出来た家なら崩落することないよ」
本気なのか冗談なのかわからない鈴瑚の言葉に清蘭がジト目を送る。
「……じゃあ何よ。あんたは私に岩に穴でも掘れっていうの!?」
「いけるでしょー。だってあんな重い木槌振り回してるんだからそれをつるはしに持ち替えればいいんだよ。さあ目指せ岩窟王」
笑顔で鈴瑚は清蘭にそう告げると木槌を振り回すような仕草をする。半ば呆れ気味に清蘭が鈴瑚に尋ねる。
「じゃ、聞くけどそのつるはしはどこから調達するのよ?」
すかさず鈴瑚は笑顔で答える。
「作ろう」
「どうやって」
「ここにある農具を加工すれば作れるよ」
そう言うと彼女は部屋の片隅にある農具類を指さす。ここはもともと農倉庫だったのか中には農具が沢山おいてある。すかさず清蘭が質問する。
「……じゃ、それを加工するための道具は?」
「そこは気合いで」
「ふざけるなっ!」
清蘭が思わず木槌で鈴瑚に盛大につっこみを入れると彼女は勢いよく壁に叩き打たれて、そのまま突き抜けてしまう。その衝撃でとうとう廃屋は轟音と共に完全に崩壊し二人は断末魔を残して下敷きとなってしまった。
◆
「……やれやれ……どうしてこうなったの……」
「清蘭が私を吹き飛ばしたからだよー」
「違う! あれはあの家がもうボロボロだったのが悪いの! そんなことより私たちこれからどうすればいいのよー!」
「大丈夫だって。なんとかなるよー」
「全然説得力ないっ!」
などと言い合いながら二人は屋台をひいこらと引いて人気のないあぜ道を住処を探して歩き回っている。いつもなら里で屋台を開いている時間帯だが今日はさすがに休業だ。家がなくなってしまったのでは商売どころじゃない。
「今日は仕方ないねー。楽しみにしていたお客さんたちには申し訳ないけど……」
「本当ねー」
「それにしても残念だわー」
「本当残念よー」
「あんたもそう思うの? 鈴瑚」
「もちろんよー」
「まったく、お客さんたちの笑顔が見られないなんて……」
「売れ残っただんごをおやつに出来ないなんて」
「そうそうだんごをおやつにねー……って、ちょっと待てぃ」
「まったく。今日のおやつは何にしたらいいのか……」
「待てっつーの! あんたは何? 売れ残りを自分のおやつにするために店やってるの!?」
「割とそうだよ?」
「えー……」
ドン引きな表情の清蘭に悪びれる様子なく鈴瑚が告げる。
「だって清蘭の作っただんご美味しいしさー。あんたと一緒でよかったよ」
「そ、そんな急に誉められても……」
彼女の言葉に思わず清蘭は顔を赤くするが、何の話をしていたかすぐ思い出す。
「って違うでしょ! もっと真面目にやりなさいよ! あんたは商売をなめてるの?」
すかさず鈴瑚が少しむっとした表情で言い返す。
「失礼な。私はいつもいたって真面目だよ。今日の清蘭はいつになくつっこみが激しいねぇ。あれ、足りてないんじゃないの? なんだっけカリウムだっけ? カラコルム? カラフルピュアガール?」
「……カルシウム?」
「あ、それだそれ。さすが清蘭」
「……もうつっこむ気力もないわ」
清蘭は思わずうなだれる。すると鈴瑚がぽんと手を叩いて彼女に告げた。
「ね。一休みしようよ」
「え、もう?」
「そんなカリカリしてるってことはお腹空いてるんじゃない? 腹が減っては戦は出来ぬって言うでしょ」
そう言って鈴瑚は屋台の中から素だんごを取り出す。
「はい。どーぞ」
清蘭は誰のせいでイライラしてるんだと鈴瑚をジト目で見つめながらもだんごを受け取る。とりあえずここは彼女の言うとおり一休みして仕切り直した方が良さそうだと思ったのだ。
「いただきまーす!」
二人は屋台にもたれ掛かってだんごをもそもそと食べ始める。今朝清蘭がついたばかりのものなので美味しい。しかし美味しいのは美味しいのだが、やはり何も味付けがしてないとどうも物足りない。
「んー……やっぱなんか味気ないねー」
「仕方ないわよ。今日は果実ソース仕込んでないもん。なんせ急だったし」
「そうだ! 今、即席で作ればいいんだよ」
「えー?」
「なんかない? 野いちごとか」
清蘭はふと辺りを見回したがまだ冬が抜けきっていない田畑には材料になるようなものなどあるわけない。
「だめよー。めぼしい物がなんもない」
「あきらめちゃだめよ清蘭。あきらめたらそこで人生の負け犬になっちゃう」
「そんなこと言われてもねー……」
「負け犬になったらイーグルラヴィじゃなくてドッグラヴィになっちゃうよ。それでもいいの?」
「そっちなの!? ラヴィの方じゃないの!?」
「だってイーグルドッグってなんか格好悪いじゃない。ホットドッグとかアメリカンドッグみたいで」
「食べ物ばっかりね……っていうかドッグラヴィだって十分格好悪いわよ!」
「わかった! つまり犬は格好悪いということだねー」
「それ犬の人に謝りなさいよ。鈴瑚」
「……あれ。二人ともそこで何してるんですか?」
二人が呼びかけに気づき振り返ると犬走椛の姿があった。
「あ、噂をすれば犬の人だわ」
「狼です!」
椛は清蘭にすかさず言い返す。二人を見つけたばかりだというのにすぐさまつっこみを入れられると言うことは普段から犬と言われているのかもしれない。大方、鴉天狗辺りに。
「こんなところでなにやってるんですか。今日はお店は休みなんですか?」
「ごめんねー。ちょっと困った事が起きちゃって休まざるを得なかったのよ」
「そーそー緊急事態って奴が起きちゃってさー」
「なんと。それは残念です……。せっかく非番だったので行こうと思ってたのに」
「本当ごめん。また今度来てちょうだいねー」
椛がいかにもがっかりとした様子できびすを返し、帰途につこうとしたそのとき鈴瑚が呼び止める。
「あ、待って犬天狗さん」
「狼です! ……なんですか?」
「ほら、あんたはいつも買いに来てくれてるから特別サービスだよ」
そう言って鈴瑚は袋に入った素だんごを彼女に渡した。
「え、いいんですか? これ……」
「いいよいいよー。せっかく来たのに申し訳ないしねー。何も味付いてないから適当に味付けて食べてね」
「あ、ありがとうございます!」
そう言うと彼女は嬉しそうに袋を抱え、ふさふさとした白いしっぽを振りながら帰って行った。その様子を見ていた二人はやっぱりあいつ本当は犬なんじゃないだろうかと思わずにはいられなかった。
「さてと……気を取り直して……」
「あ、だんごならもうないよー?」
「え!? なんで?」
「あの犬天狗さんにみんなあげちゃったから」
「は!? 嘘でしょ!? 私まだほとんど食べてないんだけど!?」
清蘭は慌てて屋台を漁るがだんごは見つからない。
「清蘭。客は大切にしないといけないよ。今は確かに痛手かもしれないけど、これが後に花となり実となりやがて朽ち果てるんだよ」
「朽ち果てちゃだめでしょ!? というか私たちのお昼ご飯どうするのよー!?」
「大丈夫。こんな事もあろうかと思って秘策を練っておいたから」
「……秘策って?」
訝しい様子の清蘭に鈴瑚は笑顔で告げた。
「ここは誰かに恵んでもらおうよ」
◆
「……で、なんであんたら私んとこに来るのよ」
昼も過ぎ、麗らかな陽気に誘われいざ昼寝を決め込もうとしていた所を邪魔された穣子は如何にも迷惑そうに突然の闖入者達を見やる。
「だって他にアテないしー」
「腹が減っては戦は出来ないって言うじゃない。それに穣子さんは料理うまいって聞いたしー」
「あのねぇ……」
二人の言い分に穣子は思わずため息をつく。そしてこのままグダグダしててもこいつらは帰りそうもないし、ここはさっさと料理を作って食わせてさっさと帰ってもらおうと決めた。
「んー仕方ないわねぇ。作っても良いけどさー。なんか食材あるの?」
「食材?」
「そーよ。ご飯たかりにくるならせめて材料くらい用意しとくのがスジってもんでしょ」
「あ、ちょっと待ってー」
そう言って鈴瑚は自分の屋台からめぼしい物を取り出すとテーブルに乗せて一つ一つ紹介する。
「だんご作る粉ー。はちみつー。センブリ汁ー。清蘭が放置して腐らせたイチゴー。清蘭が放置して腐らせたりんごー。清蘭が放置して腐らせたみかんー。清蘭が」
「あーもういいわ。ストップストップ! 適当に作ってくるからそこで待ってなさい。あとそのカビだらけのイチゴとかは裏庭にでも捨てときなさいね!」
そう言い残して穣子は呆れた様子で台所の方へ姿を消した。残された二人は腐った果実達を庭に勢いよく投げ捨てると力つきたように床に大の字になる。ふと鈴瑚が口を開く。
「ねえ。清蘭」
「んー? 何よ」
「天井見えるねー」
「あー……そうねー」
しばし間をおいて突然鈴瑚が彼女が告げる。
「ねぇ、この家借りちゃおうよー」
「……は?」
急に何を言い出すのかと思わず鈴瑚を見る清蘭。当の鈴瑚は冗談なのか本気なのかどっちともつかない表情を浮かべている。すかさず清蘭が彼女に言う。
「そんなことしたら流石に穣子さんに怒られるわよ? 私たちご飯たかりに来てるというのにその上、家まで借りようなんてあまりにも厚かまし過ぎるでしょ? それに借りたとしてここから里は離れ過ぎてるわよ。毎日里まで行くの大変じゃないの」
そこまで一息で告げると清蘭は、ふうと息をつく。鈴瑚は表情をかえずぽつりとつぶやいた。
「うーん。惜しいなあ」
「なんでそんなにこの家にこだわるのよ? 確かに悪くない家だけど」
「だって屋根あるし」
「……は?」
「屋根あるじゃんこの家」
「屋根?」
「ほら」
そう言って鈴瑚は上を指さす。釣られて清蘭も上半身だけ起きあがって上を見る。
「……うん。確かに屋根あるわね」
「でしょ? やっぱ家は屋根がないとだめでしょ?」
「そりゃそーだけど……どこの家にも屋根なんてついてるもんでしょ」
「そうね。屋根がないとやーねーなんて」
しばしの沈黙が辺りを包み込む。
「……ねえ、あんたもしかしてそれが言いたかっただけ?」
「あ、ばれた?」
そう言って笑い出す鈴瑚と対照的に清蘭は呆れ果てた様子で再び大の字になる。なんかもう本当疲れた。眠い。飯はまだか。家はどこだ。いっそここに家を建てようか。彼女の思考が徐々に雑になってきたそのときだ。
「おまたせー。できたわよ」
穣子がそう言って土鍋を持ってくる。待ってましたとばかりに二人はテーブルにつく。穣子が土鍋の蓋を開けると沸き立つ湯気と共に姿を現したのはすいとんのようなものだった。しかしすいとんとは何か様子が違う。不思議がる二人に穣子が言った。
「これはだんご汁よ。あんたらが持ってきただんごの粉で作ってみたのよ」
「ほうほう。どれどれー……」
早速一口食べた鈴瑚が口元をゆるませる。
「おー。これは旨い!」
清蘭も続いて食べると同じように幸せそうな表情を浮かべた。
「……んー! いいわね! すいとんとはまた違うこのもちもち感!」
「へぇー。こんな食べ方もあるのねぇ。だんごって」
などと言いながら二人はあっという間に平らげてしまう。
「まったく……よっぽどおなかすいてたのね? 私が食べる分ないじゃない」
そう言いながらも穣子は満足そうな表情を浮かべている。
「いやー。美味しかったよ。よし、このメニューお店のレパートリーにしようよ」
上機嫌な鈴瑚がそう言うと清蘭は呆れた顔で告げた。
「いやいや……うちは甘味処よ?」
「じゃ、これ甘くしようよ。汁の代わりにあんこ入れて」
「それぜんざいじゃない。ぜんざいならもうメニューにあるし」
「じゃ汁はそのままであんこ入れちゃうとか?」
「それ絶対不味い!」
「大丈夫。どーせ味見するの清蘭だし」
「なんでそうなるのよ!? というか全然大丈夫じゃないわそれ!」
などと言い合っている二人に穣子が告げる。
「あんたらこんなとこで油売ってていいの? 家探してるんじゃなかったの? もう日が暮れるわよ」
その言葉で気づいたように立ち上がる清蘭。
「あ、そうだった。ってどうしてそれを穣子さんが知ってるの!?」
「それは私が神様だからよ。……ってのは冗談だけど、あんたらの話し声がちらっと聞こえたのよ」
「もう、あんたの声が大きいからよー。鈴瑚」
「清蘭だって人のこと言えないでしょー」
「ほらほら、わかったから早く行きなさいよ」
二人は穣子に言われるがままに脱兎のごとく里へと下りていった。
「まったく……仲良いいわね。あいつら」
その様子を見ていた穣子は思わずぽつりとつぶやいた。
◆
再び里に下りてきた二人は、手頃そうな廃屋を物色することにした。もう日没も間近だし悠長に構えている時間はない。二人は手当たり次第に人気のない家をあたったが、すでに浮浪人らしき者が住み着いていたり、朽ち果てた骸が転がっていたりと、どの家もすでに先客がいる状態だった。
そんなこんなで二人が途方に暮れている時だ。目の前に幻想のブン屋こと射命丸文がすたっと舞い降りた。
「あら、お二人さん。こんなところで何をしてるのです?」
二人は彼女とはすでに知り合いである。彼女もまた屋台に何度も買いに来てくれている常連なのだ。先ほどの椛といい、もしかして天狗は種族的に甘党が多いのだろうか。
「椛から聞きましたよ。大変なことが起きて今日は店を開けなかったって」
「そうなのよー。ごめんなさいね」
「いえいえ。一体何があったんですか? よかったら教えてくれませんかねえ?」
そう言って彼女はメモを取り出す。どうやら新聞のネタにでもするつもりらしい。
「実は家が大変なことになっちゃって……」
「そうそう、実は私たちのお家がお星様になっちゃったのよー」
「あややや。なんと家が星に!? それは一体どういうことですか」
どうやら彼女は文字通り家が星に変わってしまったと勘違いしているようだ。構わず鈴瑚は話を続ける。
「話せば長くなるけどー」
「構いません。詳しく聞かせてください」
「朝起きたら天井が突然抜けてね」
「ふむふむ」
「そしたら目の前に銀色に光り輝く人が現れてー」
「……え? ……鈴瑚それ……」
思わず清蘭はつっこもうとするが、鈴瑚は笑みを浮かべたまま、清蘭は黙っててとばかりに口元で指を立てる。
「なんと!? もしかして今流行の怪奇現象ですか!? それで?」
文は俄然話に興味を持ったようで言葉にも力が入りつつあった。
その後も鈴瑚の独壇場が繰り広げられ、彼女のその荒唐無稽な物語を文は一字一句聞き逃さずにメモをしている。
彼女も彼女で少しはおかしいと感じないものなのだろうか。新聞記者をしているとそういう感覚も麻痺してしまうものなのだろうか。そしてその感覚の麻痺が捏造や、やらせを生み出しているのではないだろうか。思わず二人にジト目を送る清蘭だったが当の本人たちは全く気にする様子はない。
「……なるほど。話を要約すると朝起きたら目の前に光り輝く宇宙人なるものが現れて、自らをでんがく星人と名乗り、ちくわと煮卵を置きみやげにして二人の家を星に変えそのまま空へ消えてしまった。それで二人は新しい家を探しているということですね」
いたって真顔の文に鈴瑚は少し含み笑いを浮かべながらも告げる。
「そういうことさー。本当、嘘のような話でしょう?」
「ええ、まったくもって信じられませんね」
「でも、そういう信じられないことが起きちゃうのがここなんでしょ?」
「……そうですね。鈴瑚さんの仰るとおりです」
そう言ってうんうんと頷く文。どうやら本当に鈴瑚の話を信じ切っているようだ。清蘭はやってられないとばかりにため息をつく。
「しかし、とんだ災難でしたね。清蘭さん」
「え? ……う、うん。まぁね?」
「大丈夫ですよ。悪いことばかりではありません。きっと次は良いことが起きますよ」
「……そうねぇ。起きると良いわねぇ?」
「それでは二人の幸運を祈りつつ私はこの辺で」
そう言い残すと文はその場から姿を消してしまった。その場に取り残された二人の間に一筋の風が吹き抜ける。
「……さて、鈴瑚。言いたいことはわかるわね?」
「ん?」
「一体何考えてるの? あの天狗にあんなでっち上げ言いふらしてどうするのよ。あれじゃ私たちの変な噂立っちゃうでしょ!? 商売しづらくなるじゃないどうしてくれるのよ!」
まくし立てる清蘭に鈴瑚は笑みを浮かべて告げた。
「逆に考えようよ清蘭。仮に明日の新聞記事に今のことが載るとするよ。記事を読んだ人が話のネタがてら私達のところにやってくるでしょ?」
「……ん。まぁ物好きな人等なら少しは来るかもね?」
「その人をターゲットに新メニューを売り込むんだよ」
「え」
「さあ、そうと決まれば明日から早速売ろう」
「明日ぁ? まだどんなのにするかも決めてないのに?」
「わかってないなぁ。こういうのは新鮮度が大事なんだよ。さあ、早く帰って商品を考えようよ」
妙なときだけ商魂を出すものだ。だが今はそれよりも大事なことがある。清蘭はすっと息を吸うと彼女に告げた。
「……あのね? 鈴瑚」
「ん?」
「私たちはその帰る家を今探してるんでしょーが!!!!! このスットコドッコイ兎!!」
今日何度目かの彼女渾身の一撃が鈴瑚に炸裂する。辺りはもうすっかり日が暮れて宵闇に包まれていた。
◆
「……あらあらそんな大変なことが?」
「そうなのよー。もー最悪って奴よ。もーやだ」
その夜二人は夜雀の酒場にいた。二人はこうやって時折顔を出している。というのも彼女―――ミスティア・ローレライは里で酒場の屋台を開きそれが成功して今や店まで構えるほどになったのだという。二人にとって扱うジャンルは違えど同じ飲食業として刺激されるものがあったし話も通じるよき理解者でもあったのだ。
「……それじゃお二人は今、住処がないってことですか?」
「そーなのよー……私は今夜どうすればいいのー。もーやだ」
少しほろ酔い気味な清蘭は目を潤ませながらカウンターをどんと叩く。どうやら泣き上戸らしい。横でちびちびと果実酒を舐めていた鈴瑚がなだめる。
「だいじょーぶよー。これから暖かくなるから外でも眠れるよー」
「そう言う問題じゃないっつーのー! 全然慰めになってないわ!! 私は落ち着く場所が欲しいの! 心のオアシスが欲しいの! この枯れ果てた私の荒野に潤いと安らぎを与えてくれる場所が欲しいのよ!!」
清蘭は涙目でまくし立てると鈴瑚の方をきっと睨み杵を手に取る。慌ててミスティアがなだめた。
「まぁまぁまぁ。それなら私の家に使ってない部屋あるので、よかったらそこ使っても良いですよ?」
その言葉を聞いた清蘭は思わずぴんと耳を立てる。
「え!? 本当ですか!? 本当にいいんですか? 本当に本当にいいんですか!!?」
「ええ。ほら、私たち同じ妖怪商人同士じゃないですか。困ったときはお互い様ですよ」
「あ、ありがとうございます……っ! このご恩は決して忘れませんっ!」
清蘭は感極まったのかすでに号泣してしまっている。一方の鈴瑚は、にこにこと笑みを浮かべてミスティアに一礼した。
二人が彼女に案内されたその部屋は二人で住むには少し窮屈だったが彼女らにとっては十分過ぎる住処だった。その部屋で清蘭が酔い醒ましついでに床に寝そべっていると壁にもたれ掛かっていた鈴瑚が話しかけてきた。
「ねぇー清蘭」
「……何よ?」
「ねー。昼間言った通りなんとかなったでしょ?」
「……まぁねぇ」
清蘭はごろりと横向きになる。
「ねぇー清蘭」
「……何よ?」
「さっき安息の地が欲しいって言ってたよねー?」
「……ねぇ。あんたもしかして酔ってるの?」
「ん。そーかもしれない」
そう言う彼女は確かに少しろれつが回らない様子だ。そういえばちびちびと果実酒を嗜んでいたものの思いの外、度が強かったのか酔いが回ってしまっているようだった。
「私はねー。安息の場所……見つけたよ?」
「え?」
鈴瑚は笑顔でごろりと寝そべると、その格好のまま清蘭の脇にやってくる。
「ちょっと……酒臭いって」
「それはお互い様だよー」
そう言う彼女の笑顔を間近で見た清蘭は思わず釣られて笑顔を浮かべる。
「ねぇー清蘭」
「……なによ?」
「これからもおいしいだんごたくさん作ってねぇ。私は清蘭が作るだんごが一番好きだからー……」
その言葉を聞いた清蘭は少し恥ずかしそうにしながら背中を向けると、彼女に告げた。
「……あんたにはいつも突拍子もない事言って困らせられてるけど……正直その笑顔を見るとどうでもよくなるのよね。私、あんたに結構助けられてる所あるのかも……だから、その。これからもよろしくね? ……鈴瑚」
ふと清蘭が振り向くと鈴瑚はすでに寝息を立てて眠りこけていた。清蘭ははにかみながら彼女に毛布を掛けると自らも眠りについた。
ちなみに次の日は休刊日だったそうだ。
「へぶぁ!?」
情けない声と共に彼女は再び夢の世界へ旅立った。
「こらー鈴瑚ったら!! 起きてー! 大変よー!」
今度は清蘭のけたたましい声が彼女の目覚ましとなる。鈴瑚が再びむくりと起きあがると彼女に先ほどの角材の一撃による激痛が襲い、思わず顔面を抑えてのたうち回る。
「鈴瑚! 遊んでる場合じゃないわよ!? 一大事よ!」
「……うん、これは一大事だわ。主に私の顔面が」
「あんたの顔面なんかよりもっと大事な物が一大事なの! とにかく起きて!」
「起きてるよー……」
痛みが引きようやく彼女が立ち上がると何かの違和感を覚える。やたら頭上がまぶしいのだ。家の中にいるはずなのに。
「あれ? なんでこんな辺りが明るいの? 清蘭なんか変な照明でも買った? もしかしてあれ? こないだ里のお店で見かけたやつ 顔面フラーッシュ! って感じの」
「あんな不気味なの買うわけないでしょ! あんなの置いておいたら呪われちゃうわよ」
彼女らが言っている電灯とは雲のような入道の顔を模した電灯で目がまぶしく光る代物だ。本物の入道の顔で型をとったリアルな造形と「魔除けのために目を光らせます」という妙なキャッチコピーがウケて今里で流行っているらしい。
実は一輪が寺の運営の足しにとこっそり制作したものだが、夜な夜な街中を徘徊するようになって一騒動となるのはそれはまた別の話である。
「いいから上見てよ上!」
「うえー……?」
鈴瑚が言われるままに頭上を見上げると、ぽっかりと青空が見えていた。
「おお。これは凄い。家にいながら青空が見えるなんて画期的だね。どんな魔法使ったの清蘭?」
「いい加減にしろ!! ねぼすけ兎!」
清蘭の盛大なつっこみと共に腹パンが炸裂し、三度彼女は夢の世界へ旅立った。
◆
「……ははーん。つまり天井が抜けたってことねー」
「そうなのよ。どうしよう。これじゃ風雨を凌げないわ」
ようやく起床をすることが出来た鈴瑚はふむふむと腕を組みながら天井を眺めている。さっき自分の顔面に直撃したのはこの屋根の部材だったのだ。
「どうしようったって……直すしかないよね」
「そう思うでしょ?」
と言いながら清蘭が近くの柱に触れるとぼろりと欠けてしまう。それを見た鈴瑚が驚きの声を上げる。
「おーすごい! ついに物を腐らせる能力身につけたんだ?」
「ちがうっ! つーかなんでそんな能力身につけなきゃいけないのよ!」
「食べ物放置して腐らせるの得意なくせにー」
「う、うっさいわね! 今はその話じゃないの! この家の話してるの!! そろそろ限界みたいなのよ! もうずいぶん放置されてたみたいで……」
どれどれと言った様子で鈴瑚は目の前の砂壁を軽く押すといとも簡単に崩れてしまった。確かに耐久性はないに等しい。これでは少し大風が吹いただけで家はぺしゃんこに潰れてしまうだろう。
「ありゃりゃりゃ……これは困ったなぁ。せっかくいい住処だったのに」
二人はあの月での一件のあと色々あった末に地上で甘味処の屋台を営みながら暮らすことにした。幸い店はそれなりに順調で当分はなんとか暮らしていけそうなくらいは蓄えは出来た。しかしまだ店を構えるまでは至らず、二人は当分の間の住処として里の外れにあったこの廃屋に寝泊まりしていたのだ。
「こうなったら新しい家探すしかなさそうね」
「そうだねぇ。どこかにいい家は転がってないかな?」
「そんな石ころじゃあるまいし……」
「あ、それだよ! 清蘭」
「え?」
「石だよ。石で出来た家。石で出来た家なら崩落することないよ」
本気なのか冗談なのかわからない鈴瑚の言葉に清蘭がジト目を送る。
「……じゃあ何よ。あんたは私に岩に穴でも掘れっていうの!?」
「いけるでしょー。だってあんな重い木槌振り回してるんだからそれをつるはしに持ち替えればいいんだよ。さあ目指せ岩窟王」
笑顔で鈴瑚は清蘭にそう告げると木槌を振り回すような仕草をする。半ば呆れ気味に清蘭が鈴瑚に尋ねる。
「じゃ、聞くけどそのつるはしはどこから調達するのよ?」
すかさず鈴瑚は笑顔で答える。
「作ろう」
「どうやって」
「ここにある農具を加工すれば作れるよ」
そう言うと彼女は部屋の片隅にある農具類を指さす。ここはもともと農倉庫だったのか中には農具が沢山おいてある。すかさず清蘭が質問する。
「……じゃ、それを加工するための道具は?」
「そこは気合いで」
「ふざけるなっ!」
清蘭が思わず木槌で鈴瑚に盛大につっこみを入れると彼女は勢いよく壁に叩き打たれて、そのまま突き抜けてしまう。その衝撃でとうとう廃屋は轟音と共に完全に崩壊し二人は断末魔を残して下敷きとなってしまった。
◆
「……やれやれ……どうしてこうなったの……」
「清蘭が私を吹き飛ばしたからだよー」
「違う! あれはあの家がもうボロボロだったのが悪いの! そんなことより私たちこれからどうすればいいのよー!」
「大丈夫だって。なんとかなるよー」
「全然説得力ないっ!」
などと言い合いながら二人は屋台をひいこらと引いて人気のないあぜ道を住処を探して歩き回っている。いつもなら里で屋台を開いている時間帯だが今日はさすがに休業だ。家がなくなってしまったのでは商売どころじゃない。
「今日は仕方ないねー。楽しみにしていたお客さんたちには申し訳ないけど……」
「本当ねー」
「それにしても残念だわー」
「本当残念よー」
「あんたもそう思うの? 鈴瑚」
「もちろんよー」
「まったく、お客さんたちの笑顔が見られないなんて……」
「売れ残っただんごをおやつに出来ないなんて」
「そうそうだんごをおやつにねー……って、ちょっと待てぃ」
「まったく。今日のおやつは何にしたらいいのか……」
「待てっつーの! あんたは何? 売れ残りを自分のおやつにするために店やってるの!?」
「割とそうだよ?」
「えー……」
ドン引きな表情の清蘭に悪びれる様子なく鈴瑚が告げる。
「だって清蘭の作っただんご美味しいしさー。あんたと一緒でよかったよ」
「そ、そんな急に誉められても……」
彼女の言葉に思わず清蘭は顔を赤くするが、何の話をしていたかすぐ思い出す。
「って違うでしょ! もっと真面目にやりなさいよ! あんたは商売をなめてるの?」
すかさず鈴瑚が少しむっとした表情で言い返す。
「失礼な。私はいつもいたって真面目だよ。今日の清蘭はいつになくつっこみが激しいねぇ。あれ、足りてないんじゃないの? なんだっけカリウムだっけ? カラコルム? カラフルピュアガール?」
「……カルシウム?」
「あ、それだそれ。さすが清蘭」
「……もうつっこむ気力もないわ」
清蘭は思わずうなだれる。すると鈴瑚がぽんと手を叩いて彼女に告げた。
「ね。一休みしようよ」
「え、もう?」
「そんなカリカリしてるってことはお腹空いてるんじゃない? 腹が減っては戦は出来ぬって言うでしょ」
そう言って鈴瑚は屋台の中から素だんごを取り出す。
「はい。どーぞ」
清蘭は誰のせいでイライラしてるんだと鈴瑚をジト目で見つめながらもだんごを受け取る。とりあえずここは彼女の言うとおり一休みして仕切り直した方が良さそうだと思ったのだ。
「いただきまーす!」
二人は屋台にもたれ掛かってだんごをもそもそと食べ始める。今朝清蘭がついたばかりのものなので美味しい。しかし美味しいのは美味しいのだが、やはり何も味付けがしてないとどうも物足りない。
「んー……やっぱなんか味気ないねー」
「仕方ないわよ。今日は果実ソース仕込んでないもん。なんせ急だったし」
「そうだ! 今、即席で作ればいいんだよ」
「えー?」
「なんかない? 野いちごとか」
清蘭はふと辺りを見回したがまだ冬が抜けきっていない田畑には材料になるようなものなどあるわけない。
「だめよー。めぼしい物がなんもない」
「あきらめちゃだめよ清蘭。あきらめたらそこで人生の負け犬になっちゃう」
「そんなこと言われてもねー……」
「負け犬になったらイーグルラヴィじゃなくてドッグラヴィになっちゃうよ。それでもいいの?」
「そっちなの!? ラヴィの方じゃないの!?」
「だってイーグルドッグってなんか格好悪いじゃない。ホットドッグとかアメリカンドッグみたいで」
「食べ物ばっかりね……っていうかドッグラヴィだって十分格好悪いわよ!」
「わかった! つまり犬は格好悪いということだねー」
「それ犬の人に謝りなさいよ。鈴瑚」
「……あれ。二人ともそこで何してるんですか?」
二人が呼びかけに気づき振り返ると犬走椛の姿があった。
「あ、噂をすれば犬の人だわ」
「狼です!」
椛は清蘭にすかさず言い返す。二人を見つけたばかりだというのにすぐさまつっこみを入れられると言うことは普段から犬と言われているのかもしれない。大方、鴉天狗辺りに。
「こんなところでなにやってるんですか。今日はお店は休みなんですか?」
「ごめんねー。ちょっと困った事が起きちゃって休まざるを得なかったのよ」
「そーそー緊急事態って奴が起きちゃってさー」
「なんと。それは残念です……。せっかく非番だったので行こうと思ってたのに」
「本当ごめん。また今度来てちょうだいねー」
椛がいかにもがっかりとした様子できびすを返し、帰途につこうとしたそのとき鈴瑚が呼び止める。
「あ、待って犬天狗さん」
「狼です! ……なんですか?」
「ほら、あんたはいつも買いに来てくれてるから特別サービスだよ」
そう言って鈴瑚は袋に入った素だんごを彼女に渡した。
「え、いいんですか? これ……」
「いいよいいよー。せっかく来たのに申し訳ないしねー。何も味付いてないから適当に味付けて食べてね」
「あ、ありがとうございます!」
そう言うと彼女は嬉しそうに袋を抱え、ふさふさとした白いしっぽを振りながら帰って行った。その様子を見ていた二人はやっぱりあいつ本当は犬なんじゃないだろうかと思わずにはいられなかった。
「さてと……気を取り直して……」
「あ、だんごならもうないよー?」
「え!? なんで?」
「あの犬天狗さんにみんなあげちゃったから」
「は!? 嘘でしょ!? 私まだほとんど食べてないんだけど!?」
清蘭は慌てて屋台を漁るがだんごは見つからない。
「清蘭。客は大切にしないといけないよ。今は確かに痛手かもしれないけど、これが後に花となり実となりやがて朽ち果てるんだよ」
「朽ち果てちゃだめでしょ!? というか私たちのお昼ご飯どうするのよー!?」
「大丈夫。こんな事もあろうかと思って秘策を練っておいたから」
「……秘策って?」
訝しい様子の清蘭に鈴瑚は笑顔で告げた。
「ここは誰かに恵んでもらおうよ」
◆
「……で、なんであんたら私んとこに来るのよ」
昼も過ぎ、麗らかな陽気に誘われいざ昼寝を決め込もうとしていた所を邪魔された穣子は如何にも迷惑そうに突然の闖入者達を見やる。
「だって他にアテないしー」
「腹が減っては戦は出来ないって言うじゃない。それに穣子さんは料理うまいって聞いたしー」
「あのねぇ……」
二人の言い分に穣子は思わずため息をつく。そしてこのままグダグダしててもこいつらは帰りそうもないし、ここはさっさと料理を作って食わせてさっさと帰ってもらおうと決めた。
「んー仕方ないわねぇ。作っても良いけどさー。なんか食材あるの?」
「食材?」
「そーよ。ご飯たかりにくるならせめて材料くらい用意しとくのがスジってもんでしょ」
「あ、ちょっと待ってー」
そう言って鈴瑚は自分の屋台からめぼしい物を取り出すとテーブルに乗せて一つ一つ紹介する。
「だんご作る粉ー。はちみつー。センブリ汁ー。清蘭が放置して腐らせたイチゴー。清蘭が放置して腐らせたりんごー。清蘭が放置して腐らせたみかんー。清蘭が」
「あーもういいわ。ストップストップ! 適当に作ってくるからそこで待ってなさい。あとそのカビだらけのイチゴとかは裏庭にでも捨てときなさいね!」
そう言い残して穣子は呆れた様子で台所の方へ姿を消した。残された二人は腐った果実達を庭に勢いよく投げ捨てると力つきたように床に大の字になる。ふと鈴瑚が口を開く。
「ねえ。清蘭」
「んー? 何よ」
「天井見えるねー」
「あー……そうねー」
しばし間をおいて突然鈴瑚が彼女が告げる。
「ねぇ、この家借りちゃおうよー」
「……は?」
急に何を言い出すのかと思わず鈴瑚を見る清蘭。当の鈴瑚は冗談なのか本気なのかどっちともつかない表情を浮かべている。すかさず清蘭が彼女に言う。
「そんなことしたら流石に穣子さんに怒られるわよ? 私たちご飯たかりに来てるというのにその上、家まで借りようなんてあまりにも厚かまし過ぎるでしょ? それに借りたとしてここから里は離れ過ぎてるわよ。毎日里まで行くの大変じゃないの」
そこまで一息で告げると清蘭は、ふうと息をつく。鈴瑚は表情をかえずぽつりとつぶやいた。
「うーん。惜しいなあ」
「なんでそんなにこの家にこだわるのよ? 確かに悪くない家だけど」
「だって屋根あるし」
「……は?」
「屋根あるじゃんこの家」
「屋根?」
「ほら」
そう言って鈴瑚は上を指さす。釣られて清蘭も上半身だけ起きあがって上を見る。
「……うん。確かに屋根あるわね」
「でしょ? やっぱ家は屋根がないとだめでしょ?」
「そりゃそーだけど……どこの家にも屋根なんてついてるもんでしょ」
「そうね。屋根がないとやーねーなんて」
しばしの沈黙が辺りを包み込む。
「……ねえ、あんたもしかしてそれが言いたかっただけ?」
「あ、ばれた?」
そう言って笑い出す鈴瑚と対照的に清蘭は呆れ果てた様子で再び大の字になる。なんかもう本当疲れた。眠い。飯はまだか。家はどこだ。いっそここに家を建てようか。彼女の思考が徐々に雑になってきたそのときだ。
「おまたせー。できたわよ」
穣子がそう言って土鍋を持ってくる。待ってましたとばかりに二人はテーブルにつく。穣子が土鍋の蓋を開けると沸き立つ湯気と共に姿を現したのはすいとんのようなものだった。しかしすいとんとは何か様子が違う。不思議がる二人に穣子が言った。
「これはだんご汁よ。あんたらが持ってきただんごの粉で作ってみたのよ」
「ほうほう。どれどれー……」
早速一口食べた鈴瑚が口元をゆるませる。
「おー。これは旨い!」
清蘭も続いて食べると同じように幸せそうな表情を浮かべた。
「……んー! いいわね! すいとんとはまた違うこのもちもち感!」
「へぇー。こんな食べ方もあるのねぇ。だんごって」
などと言いながら二人はあっという間に平らげてしまう。
「まったく……よっぽどおなかすいてたのね? 私が食べる分ないじゃない」
そう言いながらも穣子は満足そうな表情を浮かべている。
「いやー。美味しかったよ。よし、このメニューお店のレパートリーにしようよ」
上機嫌な鈴瑚がそう言うと清蘭は呆れた顔で告げた。
「いやいや……うちは甘味処よ?」
「じゃ、これ甘くしようよ。汁の代わりにあんこ入れて」
「それぜんざいじゃない。ぜんざいならもうメニューにあるし」
「じゃ汁はそのままであんこ入れちゃうとか?」
「それ絶対不味い!」
「大丈夫。どーせ味見するの清蘭だし」
「なんでそうなるのよ!? というか全然大丈夫じゃないわそれ!」
などと言い合っている二人に穣子が告げる。
「あんたらこんなとこで油売ってていいの? 家探してるんじゃなかったの? もう日が暮れるわよ」
その言葉で気づいたように立ち上がる清蘭。
「あ、そうだった。ってどうしてそれを穣子さんが知ってるの!?」
「それは私が神様だからよ。……ってのは冗談だけど、あんたらの話し声がちらっと聞こえたのよ」
「もう、あんたの声が大きいからよー。鈴瑚」
「清蘭だって人のこと言えないでしょー」
「ほらほら、わかったから早く行きなさいよ」
二人は穣子に言われるがままに脱兎のごとく里へと下りていった。
「まったく……仲良いいわね。あいつら」
その様子を見ていた穣子は思わずぽつりとつぶやいた。
◆
再び里に下りてきた二人は、手頃そうな廃屋を物色することにした。もう日没も間近だし悠長に構えている時間はない。二人は手当たり次第に人気のない家をあたったが、すでに浮浪人らしき者が住み着いていたり、朽ち果てた骸が転がっていたりと、どの家もすでに先客がいる状態だった。
そんなこんなで二人が途方に暮れている時だ。目の前に幻想のブン屋こと射命丸文がすたっと舞い降りた。
「あら、お二人さん。こんなところで何をしてるのです?」
二人は彼女とはすでに知り合いである。彼女もまた屋台に何度も買いに来てくれている常連なのだ。先ほどの椛といい、もしかして天狗は種族的に甘党が多いのだろうか。
「椛から聞きましたよ。大変なことが起きて今日は店を開けなかったって」
「そうなのよー。ごめんなさいね」
「いえいえ。一体何があったんですか? よかったら教えてくれませんかねえ?」
そう言って彼女はメモを取り出す。どうやら新聞のネタにでもするつもりらしい。
「実は家が大変なことになっちゃって……」
「そうそう、実は私たちのお家がお星様になっちゃったのよー」
「あややや。なんと家が星に!? それは一体どういうことですか」
どうやら彼女は文字通り家が星に変わってしまったと勘違いしているようだ。構わず鈴瑚は話を続ける。
「話せば長くなるけどー」
「構いません。詳しく聞かせてください」
「朝起きたら天井が突然抜けてね」
「ふむふむ」
「そしたら目の前に銀色に光り輝く人が現れてー」
「……え? ……鈴瑚それ……」
思わず清蘭はつっこもうとするが、鈴瑚は笑みを浮かべたまま、清蘭は黙っててとばかりに口元で指を立てる。
「なんと!? もしかして今流行の怪奇現象ですか!? それで?」
文は俄然話に興味を持ったようで言葉にも力が入りつつあった。
その後も鈴瑚の独壇場が繰り広げられ、彼女のその荒唐無稽な物語を文は一字一句聞き逃さずにメモをしている。
彼女も彼女で少しはおかしいと感じないものなのだろうか。新聞記者をしているとそういう感覚も麻痺してしまうものなのだろうか。そしてその感覚の麻痺が捏造や、やらせを生み出しているのではないだろうか。思わず二人にジト目を送る清蘭だったが当の本人たちは全く気にする様子はない。
「……なるほど。話を要約すると朝起きたら目の前に光り輝く宇宙人なるものが現れて、自らをでんがく星人と名乗り、ちくわと煮卵を置きみやげにして二人の家を星に変えそのまま空へ消えてしまった。それで二人は新しい家を探しているということですね」
いたって真顔の文に鈴瑚は少し含み笑いを浮かべながらも告げる。
「そういうことさー。本当、嘘のような話でしょう?」
「ええ、まったくもって信じられませんね」
「でも、そういう信じられないことが起きちゃうのがここなんでしょ?」
「……そうですね。鈴瑚さんの仰るとおりです」
そう言ってうんうんと頷く文。どうやら本当に鈴瑚の話を信じ切っているようだ。清蘭はやってられないとばかりにため息をつく。
「しかし、とんだ災難でしたね。清蘭さん」
「え? ……う、うん。まぁね?」
「大丈夫ですよ。悪いことばかりではありません。きっと次は良いことが起きますよ」
「……そうねぇ。起きると良いわねぇ?」
「それでは二人の幸運を祈りつつ私はこの辺で」
そう言い残すと文はその場から姿を消してしまった。その場に取り残された二人の間に一筋の風が吹き抜ける。
「……さて、鈴瑚。言いたいことはわかるわね?」
「ん?」
「一体何考えてるの? あの天狗にあんなでっち上げ言いふらしてどうするのよ。あれじゃ私たちの変な噂立っちゃうでしょ!? 商売しづらくなるじゃないどうしてくれるのよ!」
まくし立てる清蘭に鈴瑚は笑みを浮かべて告げた。
「逆に考えようよ清蘭。仮に明日の新聞記事に今のことが載るとするよ。記事を読んだ人が話のネタがてら私達のところにやってくるでしょ?」
「……ん。まぁ物好きな人等なら少しは来るかもね?」
「その人をターゲットに新メニューを売り込むんだよ」
「え」
「さあ、そうと決まれば明日から早速売ろう」
「明日ぁ? まだどんなのにするかも決めてないのに?」
「わかってないなぁ。こういうのは新鮮度が大事なんだよ。さあ、早く帰って商品を考えようよ」
妙なときだけ商魂を出すものだ。だが今はそれよりも大事なことがある。清蘭はすっと息を吸うと彼女に告げた。
「……あのね? 鈴瑚」
「ん?」
「私たちはその帰る家を今探してるんでしょーが!!!!! このスットコドッコイ兎!!」
今日何度目かの彼女渾身の一撃が鈴瑚に炸裂する。辺りはもうすっかり日が暮れて宵闇に包まれていた。
◆
「……あらあらそんな大変なことが?」
「そうなのよー。もー最悪って奴よ。もーやだ」
その夜二人は夜雀の酒場にいた。二人はこうやって時折顔を出している。というのも彼女―――ミスティア・ローレライは里で酒場の屋台を開きそれが成功して今や店まで構えるほどになったのだという。二人にとって扱うジャンルは違えど同じ飲食業として刺激されるものがあったし話も通じるよき理解者でもあったのだ。
「……それじゃお二人は今、住処がないってことですか?」
「そーなのよー……私は今夜どうすればいいのー。もーやだ」
少しほろ酔い気味な清蘭は目を潤ませながらカウンターをどんと叩く。どうやら泣き上戸らしい。横でちびちびと果実酒を舐めていた鈴瑚がなだめる。
「だいじょーぶよー。これから暖かくなるから外でも眠れるよー」
「そう言う問題じゃないっつーのー! 全然慰めになってないわ!! 私は落ち着く場所が欲しいの! 心のオアシスが欲しいの! この枯れ果てた私の荒野に潤いと安らぎを与えてくれる場所が欲しいのよ!!」
清蘭は涙目でまくし立てると鈴瑚の方をきっと睨み杵を手に取る。慌ててミスティアがなだめた。
「まぁまぁまぁ。それなら私の家に使ってない部屋あるので、よかったらそこ使っても良いですよ?」
その言葉を聞いた清蘭は思わずぴんと耳を立てる。
「え!? 本当ですか!? 本当にいいんですか? 本当に本当にいいんですか!!?」
「ええ。ほら、私たち同じ妖怪商人同士じゃないですか。困ったときはお互い様ですよ」
「あ、ありがとうございます……っ! このご恩は決して忘れませんっ!」
清蘭は感極まったのかすでに号泣してしまっている。一方の鈴瑚は、にこにこと笑みを浮かべてミスティアに一礼した。
二人が彼女に案内されたその部屋は二人で住むには少し窮屈だったが彼女らにとっては十分過ぎる住処だった。その部屋で清蘭が酔い醒ましついでに床に寝そべっていると壁にもたれ掛かっていた鈴瑚が話しかけてきた。
「ねぇー清蘭」
「……何よ?」
「ねー。昼間言った通りなんとかなったでしょ?」
「……まぁねぇ」
清蘭はごろりと横向きになる。
「ねぇー清蘭」
「……何よ?」
「さっき安息の地が欲しいって言ってたよねー?」
「……ねぇ。あんたもしかして酔ってるの?」
「ん。そーかもしれない」
そう言う彼女は確かに少しろれつが回らない様子だ。そういえばちびちびと果実酒を嗜んでいたものの思いの外、度が強かったのか酔いが回ってしまっているようだった。
「私はねー。安息の場所……見つけたよ?」
「え?」
鈴瑚は笑顔でごろりと寝そべると、その格好のまま清蘭の脇にやってくる。
「ちょっと……酒臭いって」
「それはお互い様だよー」
そう言う彼女の笑顔を間近で見た清蘭は思わず釣られて笑顔を浮かべる。
「ねぇー清蘭」
「……なによ?」
「これからもおいしいだんごたくさん作ってねぇ。私は清蘭が作るだんごが一番好きだからー……」
その言葉を聞いた清蘭は少し恥ずかしそうにしながら背中を向けると、彼女に告げた。
「……あんたにはいつも突拍子もない事言って困らせられてるけど……正直その笑顔を見るとどうでもよくなるのよね。私、あんたに結構助けられてる所あるのかも……だから、その。これからもよろしくね? ……鈴瑚」
ふと清蘭が振り向くと鈴瑚はすでに寝息を立てて眠りこけていた。清蘭ははにかみながら彼女に毛布を掛けると自らも眠りについた。
ちなみに次の日は休刊日だったそうだ。