遠くに、白い頭の山が見えた。富士山である。
頭上には、二羽の鷹が静かに旋回していた。
目の前の地面では、三つの茄子が規則正しく跳ねている。
「一富士二鷹三茄子、ここにいたのか」
そんな呟きと共に目が覚めた。
社務所の天井の木目と見つめ合うのも、なんだか久々な気がする。
大晦日から初詣のお祭り騒ぎで、ここの所まともに寝ていなかったのだ。
それにしても、なんてありきたりな夢を見てしまったのだろう。ここまでいくと逆に珍しいかもしれない。なにか人為的なものさえ感じる。例えば、夢を操る妖怪。でも何のために。
ぽつぽつと考えを巡らせながら普段着の巫女服に着替えて、寝ぼけた太陽が照らす境内で勤めをこなしていくと、徐々に指先まで意識が澄み渡っていく。
それと共に、初夢なんてどうでもよくなってきて、ただの話の種に思え始めた。
他人の夢の話ほどつまらないものはないと言うが、初夢くらいは話題にしてもいいだろう。
「よっ、あけおめ」
「おとといも聞いたわ」
箒で鳥居のあたりを掃いていると魔理沙がやってきた。元旦も来たというのに、暇なんだか律儀なんだか。
「今年はまだ何もやらかしてないんだな」
魔理沙は境内をざっと見回した。今日の神社は平常運行。いまのところ、私達以外には誰もいない。
誠に平和な神社である。
「やらかしなんて言わないでよ。一応、いつもそれなりに好評なんだから」
「確かに、里じゃあ皆が霊夢のやらかしを楽しみにしてるぜ」
魔理沙は一人で盛り上がってカラカラと笑う。相変わらずの無礼千万だ。
「ふん、あんたも正月くらいは実家に帰ったらどうなのよ」
「勘当当事者に向かってなんて容赦のないことを言うんだ」
「お年玉くらいは貰えるかもよ」
「そんなもの、家にいた頃も貰ったことないぜ」
「私も貰った記憶ないなあ」
鳥居を寒々しい風が吹き抜けた。
子供時代の記憶はなんだかはっきりしないのである。まるで何日も経った夢のように穴あきで、地震で崩される前の博麗神社と、術を覚える修行の断片を僅かに覚えているだけだ。
「ねえ、そういえば初夢どうだった」
夢つながりで思い出して早速話題に出すと、魔理沙はぎこちない表情になって、鳥居の向こうに目を背けた。
「……黙秘する」
「なにそれ」
饒舌な魔理沙が急に口を結んだので不思議だった。ただ、考えてみれば夢というのは話し辛い内容のときもある。今日はたまたま、魔理沙がそれだったのだろう。ますます気になるというものだ。
「よっぽど恥ずかしい夢を見たのね」
「……そんなに聞きたきゃお前が先に言え。そしたら言ってやる」
そんなことなら問題ない。今朝の夢ならはっきりと覚えている。
「一富士二鷹三茄子の夢」
「嘘言うな」
「ホントよ」
魔理沙は思い切り空振りしたみたいな顔で首の後ろの癖っ毛を撫で付けた。
「なあ、人が意を決して話そうとしてるのにそれはないだろう」
「なんで初夢ごときでそんなに切羽詰まってるのよ」
「お前にはわからないさ」
拗ねてしまったらしい。どうして夢にそこまで真剣になるのだろうか。今日の魔理沙は少し変だ。
「ねえ、私ほんとに一富士二鷹三茄子の夢を見たのよ。魔理沙だって夢の内容くらい話したっていいじゃない」
「だからそういうのやめろって!」
箒が石畳を打つ、乾いた音が響いた。私は突然のことに戸惑って、魔理沙自身も自分の激高に驚いたようで、なんとも言い難い静寂が続いた。
先に口を開いたのは魔理沙だった。
「……悪かったな。今日は帰るぜ」
魔理沙は最後まで私に目を合わそうとせずに、箒に跨がって行ってしまった。
「……なによ、あんな初夢、全然めでたくないじゃない」
独り言が、冬の寒さに消えた。
それからしばらく色々と考えを巡らせながら機械的に箒を掃き続けていたが、なぜ魔理沙があんなに声を荒げたのか、はっきりとはわからなかった。
しかし、私が聞き出そうとした夢はよほど彼女の弱い部分に触れる類の夢だったらしいという事で、本当は何かのきっかけでその内容を私に相談したかったに違いないという事には考えが及んだ。でなければ、意を決してまで話そうとはしないだろう。今になって色々なことに気付いて、正月気分で軽く考えていた自分をはたきたくなった。
「あーっもうっ!魔理沙らしくもなくウジウジしちゃって!」
それにしても、私はずっと正直に自分の見た夢を話していたのになぜ嘘つき呼ばわりされなければならないのか。段々と怒りがこみ上げてくる。友だと言うのに、あいつは私を信頼していないのだ。
こうしちゃいられなかった。今日は早速厄日だけれど、寝て待ったって吉日にはならない。
箒を放り投げて、魔法の森に飛び立った。
年が明けても相変わらず鬱蒼と暗いこの森に、魔理沙の家は建っている。
「魔理沙ー!出てきなさーい!」
ドンドンと木製のドアを殴る。居留守を続けるならば、この扉も無事では済まないだろう。博麗の巫女の鉄拳を舐めてはいけない。
しばらく殴り続けると、扉の向こうが騒がしくなり始めたので手を止めた。魔理沙がガラクタを踏み超えてくる音だ。
「なんだよ」
扉が腕が通るほどの隙間を開けて、眉間に皺を寄せた魔理沙が顔を覗かせた。
私は同じ過ちを繰り返さないよう、深呼吸してから言葉を紡いだ。
「あのね、言いたいことがあるならはっきり言ってほしいの」
「なんもないって」
「別にどんな夢を見ようが、なにを悩もうが、今更あんたに失望したりなんかしないんだから、なんでも言ってみなさいよ」
それから私はただ、頑としてこちらを向かない瞳をじっと睨んだ。誠意というのはそういったポーズで決まるものではないが、誠意を伝えようとする心は伝わるものだ。
やがて魔理沙は観念して、伺うようにしながら口を開いた。
「羽つき」
「は?」
聞き取られた単語が上手く理解できずに、思わず間の抜けた声が出た。
「お前と羽根つきする夢を見たんだよ!二人でお揃いの振り袖着てな!」
ヤケクソのように叫んだ魔理沙の顔は耳の先まで真っ赤だった。
私は冷静に返そうとした。
「ああなるほど、そういうことも、あるわよね、ぶふぅ、うひひひ」
無理だった。笑いまくった。
だって、重暗い話をされると思って腹を決めてここに来たというのに、そんな可愛らしい夢を見ていたなんて思わないじゃないか。また魔理沙を怒らせてしまうかもしれないとも思ったが、笑ってはいけないと思うほどおかしくなった。
だいたいそんなもの、いつものように「霊夢!羽つきやろうぜ!」と誘ってしまえば済む話で、言い淀むから照れるんだ。どうやら魔理沙は、私よりもちょっぴり大人だったようである。
「うひ、うひひ、あー、おかしい」
「だから言いたくなかったんだよう……」
魔理沙がすっかり背を丸めて情けない声を出したので、私はまた笑いそうになった。
「ちなみに私の一富士二鷹三茄子は本物だから」
「それはもうどうでもいいぜ……」
思わず笑ってしまったけれど、項垂れた魔理沙の声は軽くなったように聞こえた。でも私の夢の話は未だに信じられていない気がする。もうそれでいいや。ひょっとすると信頼というのは、それでいいやと思える心のことなのかもしれない。
「じゃあ、羽つきしましょうか。うちの蔵に振り袖も羽子板もあるから」
「……完勝して目にもの見せてやるからな」
私は再び魔理沙を引き連れて神社に戻った。戻る途中、魔理沙は随分居心地が悪そうだったけれど、蔵に案内すると水を得たように威勢が良くなった。前々から入りたいと言っていたのを私は覚えていたのである。
見つけた振り袖を社務所に持って帰って着てみると、二人ともとっくに着付け方を忘れてしまっていたので帯のあたりがぐちゃぐちゃになって、馬鹿にし合っているうちにどちらが上手く着られているかと争いになった。どっちだってひどかっただろうが、審査員がいなかったので勝負は羽つきに持ち越された。
境内の石畳で行われた羽つきは私の圧勝で、魔理沙はたいそう悔しがった。
正月ごとで、巫女が負けるはずないのだ。
頭上には、二羽の鷹が静かに旋回していた。
目の前の地面では、三つの茄子が規則正しく跳ねている。
「一富士二鷹三茄子、ここにいたのか」
そんな呟きと共に目が覚めた。
社務所の天井の木目と見つめ合うのも、なんだか久々な気がする。
大晦日から初詣のお祭り騒ぎで、ここの所まともに寝ていなかったのだ。
それにしても、なんてありきたりな夢を見てしまったのだろう。ここまでいくと逆に珍しいかもしれない。なにか人為的なものさえ感じる。例えば、夢を操る妖怪。でも何のために。
ぽつぽつと考えを巡らせながら普段着の巫女服に着替えて、寝ぼけた太陽が照らす境内で勤めをこなしていくと、徐々に指先まで意識が澄み渡っていく。
それと共に、初夢なんてどうでもよくなってきて、ただの話の種に思え始めた。
他人の夢の話ほどつまらないものはないと言うが、初夢くらいは話題にしてもいいだろう。
「よっ、あけおめ」
「おとといも聞いたわ」
箒で鳥居のあたりを掃いていると魔理沙がやってきた。元旦も来たというのに、暇なんだか律儀なんだか。
「今年はまだ何もやらかしてないんだな」
魔理沙は境内をざっと見回した。今日の神社は平常運行。いまのところ、私達以外には誰もいない。
誠に平和な神社である。
「やらかしなんて言わないでよ。一応、いつもそれなりに好評なんだから」
「確かに、里じゃあ皆が霊夢のやらかしを楽しみにしてるぜ」
魔理沙は一人で盛り上がってカラカラと笑う。相変わらずの無礼千万だ。
「ふん、あんたも正月くらいは実家に帰ったらどうなのよ」
「勘当当事者に向かってなんて容赦のないことを言うんだ」
「お年玉くらいは貰えるかもよ」
「そんなもの、家にいた頃も貰ったことないぜ」
「私も貰った記憶ないなあ」
鳥居を寒々しい風が吹き抜けた。
子供時代の記憶はなんだかはっきりしないのである。まるで何日も経った夢のように穴あきで、地震で崩される前の博麗神社と、術を覚える修行の断片を僅かに覚えているだけだ。
「ねえ、そういえば初夢どうだった」
夢つながりで思い出して早速話題に出すと、魔理沙はぎこちない表情になって、鳥居の向こうに目を背けた。
「……黙秘する」
「なにそれ」
饒舌な魔理沙が急に口を結んだので不思議だった。ただ、考えてみれば夢というのは話し辛い内容のときもある。今日はたまたま、魔理沙がそれだったのだろう。ますます気になるというものだ。
「よっぽど恥ずかしい夢を見たのね」
「……そんなに聞きたきゃお前が先に言え。そしたら言ってやる」
そんなことなら問題ない。今朝の夢ならはっきりと覚えている。
「一富士二鷹三茄子の夢」
「嘘言うな」
「ホントよ」
魔理沙は思い切り空振りしたみたいな顔で首の後ろの癖っ毛を撫で付けた。
「なあ、人が意を決して話そうとしてるのにそれはないだろう」
「なんで初夢ごときでそんなに切羽詰まってるのよ」
「お前にはわからないさ」
拗ねてしまったらしい。どうして夢にそこまで真剣になるのだろうか。今日の魔理沙は少し変だ。
「ねえ、私ほんとに一富士二鷹三茄子の夢を見たのよ。魔理沙だって夢の内容くらい話したっていいじゃない」
「だからそういうのやめろって!」
箒が石畳を打つ、乾いた音が響いた。私は突然のことに戸惑って、魔理沙自身も自分の激高に驚いたようで、なんとも言い難い静寂が続いた。
先に口を開いたのは魔理沙だった。
「……悪かったな。今日は帰るぜ」
魔理沙は最後まで私に目を合わそうとせずに、箒に跨がって行ってしまった。
「……なによ、あんな初夢、全然めでたくないじゃない」
独り言が、冬の寒さに消えた。
それからしばらく色々と考えを巡らせながら機械的に箒を掃き続けていたが、なぜ魔理沙があんなに声を荒げたのか、はっきりとはわからなかった。
しかし、私が聞き出そうとした夢はよほど彼女の弱い部分に触れる類の夢だったらしいという事で、本当は何かのきっかけでその内容を私に相談したかったに違いないという事には考えが及んだ。でなければ、意を決してまで話そうとはしないだろう。今になって色々なことに気付いて、正月気分で軽く考えていた自分をはたきたくなった。
「あーっもうっ!魔理沙らしくもなくウジウジしちゃって!」
それにしても、私はずっと正直に自分の見た夢を話していたのになぜ嘘つき呼ばわりされなければならないのか。段々と怒りがこみ上げてくる。友だと言うのに、あいつは私を信頼していないのだ。
こうしちゃいられなかった。今日は早速厄日だけれど、寝て待ったって吉日にはならない。
箒を放り投げて、魔法の森に飛び立った。
年が明けても相変わらず鬱蒼と暗いこの森に、魔理沙の家は建っている。
「魔理沙ー!出てきなさーい!」
ドンドンと木製のドアを殴る。居留守を続けるならば、この扉も無事では済まないだろう。博麗の巫女の鉄拳を舐めてはいけない。
しばらく殴り続けると、扉の向こうが騒がしくなり始めたので手を止めた。魔理沙がガラクタを踏み超えてくる音だ。
「なんだよ」
扉が腕が通るほどの隙間を開けて、眉間に皺を寄せた魔理沙が顔を覗かせた。
私は同じ過ちを繰り返さないよう、深呼吸してから言葉を紡いだ。
「あのね、言いたいことがあるならはっきり言ってほしいの」
「なんもないって」
「別にどんな夢を見ようが、なにを悩もうが、今更あんたに失望したりなんかしないんだから、なんでも言ってみなさいよ」
それから私はただ、頑としてこちらを向かない瞳をじっと睨んだ。誠意というのはそういったポーズで決まるものではないが、誠意を伝えようとする心は伝わるものだ。
やがて魔理沙は観念して、伺うようにしながら口を開いた。
「羽つき」
「は?」
聞き取られた単語が上手く理解できずに、思わず間の抜けた声が出た。
「お前と羽根つきする夢を見たんだよ!二人でお揃いの振り袖着てな!」
ヤケクソのように叫んだ魔理沙の顔は耳の先まで真っ赤だった。
私は冷静に返そうとした。
「ああなるほど、そういうことも、あるわよね、ぶふぅ、うひひひ」
無理だった。笑いまくった。
だって、重暗い話をされると思って腹を決めてここに来たというのに、そんな可愛らしい夢を見ていたなんて思わないじゃないか。また魔理沙を怒らせてしまうかもしれないとも思ったが、笑ってはいけないと思うほどおかしくなった。
だいたいそんなもの、いつものように「霊夢!羽つきやろうぜ!」と誘ってしまえば済む話で、言い淀むから照れるんだ。どうやら魔理沙は、私よりもちょっぴり大人だったようである。
「うひ、うひひ、あー、おかしい」
「だから言いたくなかったんだよう……」
魔理沙がすっかり背を丸めて情けない声を出したので、私はまた笑いそうになった。
「ちなみに私の一富士二鷹三茄子は本物だから」
「それはもうどうでもいいぜ……」
思わず笑ってしまったけれど、項垂れた魔理沙の声は軽くなったように聞こえた。でも私の夢の話は未だに信じられていない気がする。もうそれでいいや。ひょっとすると信頼というのは、それでいいやと思える心のことなのかもしれない。
「じゃあ、羽つきしましょうか。うちの蔵に振り袖も羽子板もあるから」
「……完勝して目にもの見せてやるからな」
私は再び魔理沙を引き連れて神社に戻った。戻る途中、魔理沙は随分居心地が悪そうだったけれど、蔵に案内すると水を得たように威勢が良くなった。前々から入りたいと言っていたのを私は覚えていたのである。
見つけた振り袖を社務所に持って帰って着てみると、二人ともとっくに着付け方を忘れてしまっていたので帯のあたりがぐちゃぐちゃになって、馬鹿にし合っているうちにどちらが上手く着られているかと争いになった。どっちだってひどかっただろうが、審査員がいなかったので勝負は羽つきに持ち越された。
境内の石畳で行われた羽つきは私の圧勝で、魔理沙はたいそう悔しがった。
正月ごとで、巫女が負けるはずないのだ。
年始からほっこりしました
照れる魔理沙可愛い。
2人のやりとりが可愛らしかったです