地上への降下は、最初は多くの部隊が参加した。月の住民たちは地上の穢れの大気に適応できないとされていたが、月のヨロイをまとったウサギたちは次々と地上に降りて行った。地上の穢れた妖怪たちを殺してより美しい世界を作るために。
私たちのその部隊の一つだった。いざ作戦が始まると、私たちはより先進的な装備を与えられた。私たちの戦いの様子は月の偉い人たちが常に監視しているそうだった。私たちはエリート部隊と呼ばれ、私たちもそれを誇りに戦った。私たちの闘いと装備が他の部隊の手本になった。
隊長は、まさに模範的な士官で、非常にクールな兵士だった。与えられた任務に必要なことを全て知っていた。私たちの部隊は確かに無敵だった。私たちの装備一つで地上の妖怪はどんなに凶暴で大きな相手もすぐに殺すことができた。
「油断するな」
と隊長は常に言っていたが、どこかその口調には余裕があった。私たちも自分たちは最高の兵士だと、どんなに強い相手がいたとしても私達には絶対に敵わないと確信した。そのころになると色々な部隊と合流を繰り返し、色々な兵士と仲良くなった。そのころの兵士は、善良で、根性があって、使命感があって、みんな月の住人であることに誇りがあった。
噂話を聞けば、どこの隊がどこかの大きな妖怪の群を倒したとか、どこかを占拠した。妖怪たちが次々と投降してくる、奴らには愛国心なんてない、ただの獣だと、私たちは月の兵士として胸を張っていた。
『ホット・ラック』
彼女が月の医者の弟子になってから、数週間が経った。時々耳のないウサギと、医者が話しているところを見かける。
「何を教わっているんだ?」
彼女に聞いたことがある。
「医術の事です」
彼女はいつもそういった。例えば、なんだ、そう聞くと彼女は口を濁した。何も教わっていないのかもしれない。最初は耳のないウサギが口下手なだけなのかと思っていたけれども、もしかすると月の医者はあのウサギに探りを入れたくて身近に置いただけなのだと思った。その証拠に、月の医者はいつも私に聞いていた。
「あのウサギに、何かかわったところはないかしら」
あのウサギの妙なところなんて、挙げればきりがない、私は嗤ってそういったけれども月の医者の本意はそういったものではなかったのかもしれない。あの付きの医者も、館の奥に引きこもっているあのお姫様も、あのウサギと同じ、月からの逃亡者なのだ。月からいつ追手が迫ってくるのか、それにおびえていたはずだ。
ある日、彼女が、耳を失ってしまった子ウサギを世話しているのを見かけた。耳をなくして落ち込んでいる子ウサギに彼女は優しく、狂った瞳で笑いかけた。
彼女の手には、作り物のうさぎの耳があった。嫌がるウサギに少々無理に耳をつける。根本には髪留めが付いていて、ぱちりと音がすると、作り物の耳はピンと空に向かった。
「どうかな」
彼女が笑いかける。幾分か、気が紛れたのだろう子ウサギは、新しい耳をいじってから、少しだけ跳ねて大部屋の方に走っていった。
彼女が逃げ出さなければならない場所とはいったいどんな場所だったのだろう。よほど廻りにひどい奴ばかりだったのだろうか。それともひどく薄気味の悪い場所だったのだろうか。彼女のよどんだ瞳を見ていると、悲しい気持ちになる。
「おい」
ほかにやるまえに、自分が着けたらどうだ。 そういうと、彼女は、気味悪く禿げた頭をさすってから、イカレタ目つきで、はい、それだけ言った。
その日、彼女は、何時までもそこに座って、夜遅くまで月を眺めていた。
「地形に違和感を感じる」
私たちの作戦行動は、常に監視されていた。地上の穢れから身を守るための鎧の状態、心理状態、心拍数、そして視界まで、全てが本拠地で見られていた。
これが日常生活ならば、ひどい話だが、緊張のさなかにある戦場では、ありがたいことだった。冷静な誰かが画面の向こうで指示をくれるのは、冷静な頭で考えればよりマシな事だ。
その日は、確かに、妙な日だった。各地で常に上がっていた勝利の連絡がピタリと止まり、降参してくる妖怪たちはなりを潜めていた。今思えば、あの日までの出来すぎた勝利の数々は、あの日のための布石だったのだろう。
より、多くの、より優秀で、より貴重なウサギたちをごっそりと減らすための準備運動だったのだ。私たちも、さぁ、今日も掃討作戦だ。晩御飯の事を考えていたウサギたちが総出になり、地上の奥深くへと降りて行った。
やはり、最初に異常に気が付いたのは、私たちの隊長だった。作戦前に渡された地上の地図と今歩いている場所の地形が微妙にずれていたそうだ。空にはまんまるな月が浮かんでいた。一度進むのをとめて、機器の具合を確かめた私達に次に下った命令は、進むことだった。
『進め』
一度、何かをひっかく音がした。
「どうした」
隊長が、通信先のウサギに不信感を抱きはじめていた。
『なんでもない、すすんで』
特別な眼鏡に、次の進むべき場所が示される。暗い森の中を示していた。
「予定にない」
先輩が、抗議する。
『いいから』
こんな出鱈目な、指示の仕方があるだろうか? 何か舌足らずな。 まるで酒を飲みすぎた女のろれつのようだった。
「全員、イヤホンを外せ」
こんな指示には従えない、というわけだ。全員が隊長の指示に従い、イヤホンを外す。その途端に、目を保護する眼鏡が灰色の霧に覆われた。
「故障か」
「全員、兜を捨てろ」
隊員に緊張が走った。地上の大気を直に吸い込むと、月のウサギはいつしか地上のウサギと同じように、獣になると言われていたからだ。私たちの部隊は、穢れに耐えられると言われているウサギたちだけで構成されていたが、実際にどうなるのかは、誰も知らなかった。まず、隊長が最初に兜を脱ぎ捨てた。
それを隊列の後ろから見た私も、兜を脱ぎ捨てる。初めて耳にする生の地上の静謐だった。雑多な生き物の鳴き声が静かに響いていた。月とは全く異質の静けさ。しばらく息を止めていたが、意を決してすっと深呼吸をする。草と土の香り、土の下にいる小さな生き物たちの排泄物の匂い、植物の呼吸した後の空気。
「なんだ、この音?」
「虫の鳴き声だ」
「臭うな」
それぞれが、初めての生の地上の感想を言い合う。今や私たちは生の生き物だ、頭になにか一発銃弾を浴びれば、死ぬ。脱ぎ捨てた兜から、ガリガリと耳障りな音が流れる。
「故障かよ」
「全員同時にか?」
『あーあ』
私たちウサギの大きな耳がいやほんの僅かな音を拾った。ぎょっと目を見開いて全員が兜を見た。
『ばれちゃった』
「馬鹿な」
『けど、今から逃げられるかな』
『逃げられるかな?』
奇妙で、薄気味の悪い笑い声が、イヤホンから、何十人何百人と混じった声があたりに響く。きききき、彼女たちはしばらく笑い続けて、そしてそれっきり何もしゃべらなくなった。
「退却だ」
隊長は隊員に指示をしながら、今来た道を戻り始める。あまり考えないようにしたが、みんなきっと同じ気持ちだっただろう。私たちは、罠にはまりつつある。薄い赤い髪の新人などは手が震えていた。
「しっかりしろ」
私が新人の頭を軽くたたくと、彼女は口元を緩めてこちらを見た。
「もう、大丈夫です」
彼女が私に笑いかけた瞬間、彼女のこめかみが弾けた。私はゆっくりと飛散する彼女の頭部を見ていた。
耳をつけてみたらどうだ? そう言った時の彼女の表情は、えもいわれぬ、苦しそうな嬉しそうな、普通の心ではありえない形の笑みを作っていた。
「先輩、先輩」
私たちは、二人で里に薬を売りに来ていた。1週間前に彼女についた嘘を本当の事にしたのだ。彼女についた、大きな仕事、を私は勝手に作り出した。里の家に、薬箱を置くように頼み、それを補てんする仕事を新たに作った。
「先輩は、すごいですね」
彼女の訪問先は、彼女を拒んだ。彼女の一見普通で華奢で、よく見たら不思議な容姿にひるんでしまったのだろう。彼女の背には、売れなかった薬箱、彼女の手には白紙のメモが残されていた。
「私が、ウサギの妖怪だからですか?」
「違うよ」
時には、飾って嘘をつくこともしないと、商品を買ってもらえない。私は彼女にそういうことにした。私は彼女が、死ぬような思いをして、正直に、臆病に生きるのをやめさせるべきだと思った。彼女が現れてから1年が過ぎた。彼女の特技や生活を見ていたら、なんとなく、彼女の前の生活がどんなもので、どんな仕事をしていたのかわかる気がした。
きっと、彼女は月で責任のある仕事をしていて、それがあまりに辛くなり、逃げ出してしまったのだと思った。そして、彼女は逃げ出した自分自身を許せるほど、自分に嘘をつくことがうまくなくて、徳の低い下衆な奴らのようにのらりくらりと生きていくことができないのだろう。私は勝手にそう思うことにした。
「ほら」
私は仕事の帰りに、彼女に作り物の耳を作った。これが、お前の仕事着だ。渋っていた彼女は、私がそういうと、それをしばらく眺めてからそれをつけた。それだけで随分ウサギらしく見えた。これで彼女は安心できるだろうか。
「ありがとう、先輩」
彼女は涙を流して喜んでくれた。彼女の作った耳に比べると、耳の先端は頼りなく緩んでいて、激しく動くと時折耳が取れそうになった。私は月の医者に言った。
「ねぇ、本当に医者の事を教えてやってもいいと思うんだがね」
彼女が本当に月からの刺客、追手ならもう少し賢い奴だろう。あんな馬鹿のようなことで一喜一憂したり、耳を削ぎ落したり、襲われたウサギを身を挺して助けたりなどしないはずだ。もっとこそばゆい方法で私の警戒心を解きに来ただろう。
目つきのイカレタウサギは、その日はしばらく私の作った耳をつけて、鏡を眺めてみたり、庭を自慢げに歩いてみていた。私も、なにか彼女の心によい風が吹いたような気がした。
その日から、とうとう、彼女は眠らなくなった。うたた寝のようなことは今まで一応していた。狂った彼女の目元に、皺がより、皮膚の色は黒ずみ始めていた。わたしは、彼女が眠らなくなった原因が自分にあると思った。
隊長、そして私の後輩は、いなくなった。
後輩の頭を砕いたのは、他の部隊のウサギたちだ。彼女たちは、執拗に私たちを追い回し、月の武器で追い立てた。頼りにするべき、他の隊の仲間たちに誤射の連絡を試みるも、彼女たちは頑として耳を貸さなかった。月の頑強で強力な武器に身を包んだウサギたちから身をかわす方法はなかった。混乱の中で悪態をつく私たちは、隊長の指示により、周囲のウサギたちと戦うことを決めた。
「狂ってる」
「私たちは、この崖を下りる」
囮になる私たちを狙撃で助けろ。隊長はそういった。
「すぐにばれます」
「あいつらがまともならな」
隊長に続く5名の隊員たちは、決死の覚悟で崖を派手に下っていく。二人、私と先輩は狂ったウサギたちをやり過ごし、後ろから撃つ。仲間を殺した、憎悪するべき相手が誰なのかもわからないまま、私は腐った地上の土と草を掘り起こした。
「隠れろ」
気づかれたら、そこで終わりだ。先輩は、私の頭から土と腐った草木をかぶせた。そして自分もその穴倉の中にそっと横たわった。土の中の、穢れ切った、目に見えないほどの小さな虫たちの匂い、ミミズ、ダンゴムシ、水たまりの中には、微細なプランクトンや蚊の幼体。葉っぱの後ろにはアブラムシの集団。
まるで地上のウサギになったようだった。銃を持った猟師に追い立てられるウサギはこうして生き延びたのだろうか。すぐ隣で肩が触れ合う先輩も、私も、こみ上げる荒い息や、震えるからだを殺した。10秒か、20秒か。ザクザクと土を踏みつけて、鼻息荒く、月の兵士たちが、隊長を追って私たちの1メートルにも満たない場所を走り去っていく。彼女たちは、不明瞭な言葉を叫び、声にならない奇声をあげていく。
まるで無限のように思える1分が過ぎる。銃の打ち合いの音が聞こえてくる。
「うまくいったぞ」
先輩が震える私の頭を叩いた。はやく隊長たちを助けるんだ。私は銃身が震えて、的を外さないように、体育座りのような姿勢を取った。本当なら、どちらかが観測手なのだけれど、この日は二人で目についた敵を片っ端から撃つことになった。
大きな銃についた、望遠鏡をのぞき込むと、隊長たちに迫る敵の姿がはっきりと見えた。私は目の前でいなくなった後輩の事を考えながら敵の頭に狙いをつけた。
「まず一人だ」
先輩は、どんどん敵を倒していく。
もしかしたら、本当は狂っているのは私の方なんじゃないだろうか。実は味方を攻撃しているのは、私達で、あのウサギたちはまともなのではないだろうか。
隊長に攻撃する寸前のウサギを望遠鏡の中にとらえ、引き金を引く。まるで映画のワンシーンのように隊長は危機を脱した。私は、今自分がしていることが何か、映画やドラマのキャラクターたちがしているような、そんな気持ちになっていた。
キチガイになった隊員たちの動きは丸見えだ。だれがどう動くか、誰を狙っているのかが手に取るようにわかる。
いや、それどころか、闇の中で敵味方の判別も難しいはずなのに、正気を保っている隊の皆が、どこを見ているか、助けを求めているのかが不思議なくらいにわかり始めた。ぼんやりと彼らの体の周りが発光して見える。この前の店で危ない薬をやった時のように、視界が透明に開けてくる。
私たちの援護射撃が始まると、囮になった隊員は適当に威嚇射撃を繰り返しては、奥に引っ込んだ。終わりが見えてきた。
30人も撃った頃だろうか。次第に、銃声は止んでいく。
『攻撃をやめてくれ』
今度は、まともな声の通信が入る。望遠鏡を見ると、今まで敵だったウサギたちは、また私たちの味方に戻っていた。
「こんどはまともですよね」
「わからんぞ、まともなフリかもな」
隊長が、武器を捨てるように指示している様だった。隊長の声は、とても強い怒りがこもっているように感じた。というか、隊長の体の周りが赤い怒りの色に包まれているのが見えた。 私は目元をごしごしと擦るが、視界は一向に元に戻らない。
「新入りは、どうだ?」
目の前で新入りの頭がなくなったのを見たのは私だけだ。
「死にました」
私がそういうと、隊長はまだ訳の分からない、攻撃してきた隊員をぶん殴った。先輩がそれを止めに入る。彼女たちが言うには、黒い霧のようなものが、周囲に立ち込めてきたとたんに、甘い香りと一緒に、少女の囁き声がしたのだそうだ。そこからの記憶が全くないという。そして、私たちの周りには現に黒い霧がまとわりつくように漂っている。
「私たちは、大丈夫でしょうか」
私たちも、通信で少女のおかしな声を聴いている。それにいま私は危ない薬をやったときみたいに変なものが見えている。
「俺たちは、大丈夫だ」
「●●の事は、すごく、残念だ」
「今は、安全な場所に行くことが第一だ」
味方を殺した、憎い味方達をつれ、私たちはようやく通信の回復した本部のまともな指示に従いながら、今来た道を漸く戻り始める。その途中で、正気に戻った味方達もいたが、結局は使い物にならなかった。どうやら、地上の妖怪の中には、とんでもない、化け物がいるらしい。月の支配者たちのような、特別な力を持っているものがいるのだと、私は思った。いつ私たちもあんな風にキチガイにされるかもわからない。味方を救うためとはいえ、味方をあんなにたくさん殺してしまった。
「しっかりしろ」
「はい」
そんな気持ちに気が付いていたのだろう、先輩は私の肩をたたいた。
「先輩」
「どうした」
変なものが見える、助けてほしいと先輩に言った。
「何が見える」
「先輩たちが、光って見えます」
かなりヤバイ感じだと伝えると、先輩も流石に先ほどの事もあるので、私の隣で懸命に私の肩を揺すった。
「しっかりしろ、うどんげ」
「隊長、そうだ、歌を歌いましょう」
「頭がおかしくなりそうです」
私の視界は、いまやあらゆるものが光り、それぞれが私に様々な感情を訴え始めていた。
「そうだな、おい、讃頌歌を歌おう」
私たちは、喚きながら一緒に歩いた。それを歌い終わると別の唄を歌った。懸命に歌いながら、私たちは手をつないで歩いた。私たちの回収地点は、丁度、後輩がいなくなった場所の近くに設定された。月から私たちの戦いを見ていた人々も、私たちの救助を急いでいるようだった。
「おい、●●の名札、持ってるか?」
「はい」
隊長に、後輩の名札を渡す。
「身体も持って帰ってやりたいです」
「地上に置き去りなんて、可哀想だ」
「回収地点もすぐそこだ」
私は、後輩の頭がひどく損傷しているといったが、皆は重荷になってもいいからちゃんと埋葬しようという意見でまとまった。
「うどん、●〇、今日の事は、残念だったが、よくやった」
「他の連中がなんと言おうと、お前たちは俺たちの仲間だ」
必ず、こんな卑怯なことを仕組んだ、地上の妖怪に報復してやる。隊員たちはようやく怒りと憎悪を向ける相手を取り戻したようだった。
「隊長、うどんげが、かなり苦しそうです」
「がんばれ、あと少しだぞ」
回収地点には、ひとつの赤い煙を上げる発煙筒のようなものが置かれていた。
「あれ」
「なんだなんだ」
一人の鎧をまとったウサギの兵士がこちらに手を振っている。
「あれ、●●じゃないか」
兜をかぶっていて、顔は判断できないが、確かに後輩の鎧だ。それを着た兵士が発煙筒のすぐ隣で元気に手を振っている。
「おい、なんだよ、生きてるじゃないか」
隊員達の間に、馬鹿に明るい歓声が起こる。
「ふざけるなよ、心配させて」
「うどんげ、なんだ、ぴんぴんしてるじゃないか」
隊長が後輩の近くに行って、身体を抱きしめた。
私も、だんだんと、今まで体験した最悪の事態が夢の中だったような気が湧き上がっていた。目の前にぶら下がった、幸せな餌に飛びつくべきだと思い始めていた。
「お前が寝てる間、こっちは大変だったぞ」
私は狂った視界をそっと広げると、少し前までとは全く違った世界が広がっていた。目の前にいる生き物たちの思念が、時には長く、短く、複雑に絡み合っている。それはまるで電子機械の講義の中で見た、オシロの波長のような形で発信されている。いまみんなの頭から発信されている波長は、長く、大きく、穏やかな波長。そして気の狂ったウサギたちの波長は、短く、小さく、のこぎりの歯のような形をしている。そして眼は私に危険を告げ始める。繰り返し、細かく断続的で大きな振幅の波長が目にどんどん飛び込んでくる。
私はとうとう、地上の妖怪にキチガイにされてしまったと思った。膝をついて動けなくなってしまうと先輩が、他の隊員に声をかけて私を抱き起してくれた。
「うどんげの様子がおかしいぞ」
「鎧を外してやれ」
すっかり装備を外されて、私は担架に乗せられた。その間も私の眼は私に最大限の危険を告げ続ける。
「しっかりしろ」
先輩が私をのぞき込む視線の波長は、とても大きく優し気で力強い。その波長を押しのけて機械的で無情緒な波長が私の眼に突き刺さった。その波長の先には、恐ろしいものが見えていた。死んだはずの後輩が、頭の半分をなくした体で、たくさんの手投げ弾を抱えて、こちらに走ってくる。
わっと叫び、私は力の限り、先輩を蹴飛ばした。先輩が転ぶと私はゾンビのようになった後輩に向かって走り、体当たりをして組み付いた。後輩の兜は転がり、欠けた頭部が丸見えになる。こぼれた手投げ弾のいくつかは私のすぐ頭の傍に転がった。爆発まであと1秒とない。地上の悪辣さ、不気味さ、恐ろしさ、自分の身に起こった事も何もわからないまま私はこの時に死ぬはずだった。
爆発の瞬間、隊長が私をかばう様に覆いかぶさるのが見えた。
私は、とうとう彼女に睡眠薬を飲ませることにした。外の世界で不眠に挑戦する人間の記録を見たが、彼らは最後には得体のしれない幻覚を見て、短気になり、発狂するという。
イカレタ目つきのウサギは、それとは真逆で、まるで幸せで穏やかな表情をしている。しかし、彼女の動きは鈍り、食事をしなくなり、会話の内容は痴呆の老人のように要領を得ないものになっていったのだ。彼女は、10時間近くも、私の渡した作り物の耳をつけて鏡を眺めている。夜中は、暗闇で見えもしない鏡に向かって口元を緩ませて立ち尽くしていた。
「疲れるだろう、早く寝よう」
「もう少し」
何とか、寝床に連れて行っても、彼女は嬉しそうな顔をして、じっと天井を眺めてる。
「なぁ、まずいよ。目を閉じないと」
「先輩、あったかいですね」
私はたまらなくなり、医者の棚から薬を持ち出した。私も大国様の医療に感銘を受けたウサギだ、彼女の体重に合う量の薬を飲み物に盛った。
「ほら、これを飲んだらよく眠れる」
「先輩、寝たらいなくならないですよね」
「ならないよ」
子供みたいなことを言うんじゃないと、彼女にそれを飲ませる。
「先輩、実はですね」
「なんだよ」
「私、布団は冷たいほうが好きなんです」
なんだそりゃ、と返事をする頃には彼女は目を瞑って寝息を立て始めた。始めてみる彼女の寝顔だった。なるべく彼女が良い眠りにつけるように、もう一枚毛布を持ってきて、彼女にかぶせた。私は彼女に体を寄せて、ウサギらしく丸まって眠ることにした。
朝はすぐに来た。もしかして、クスリの配分を間違えて永遠の眠りについてやしないだろうかと、よく眠る彼女を見てハラハラしていたが、彼女は朝日がくるとバチりと目を開けて起きた。
「よく寝た」
「そうだろうな」
「朝ご飯は何でしょうか、先輩」
彼女はキョロキョロとあたりを見渡して、首をかしげていた。
「なんだよ」
「あ、いえ。なんでもありません」
食堂に行くと、ウサギたちがもぞもぞと何かを適当に食べている。献立表などのような気の利いたものはなく、食堂とは名ばかりでそれぞれが自分で調達したものを勝手に喰っているに過ぎない。
「あれ、今日のメニューは?」
「里に行くついでに、なんか買ってくるか」
「はぁ」
睡眠薬が余程よかったのか、いつもはのろのろと不健康な動きをしていた彼女はキビキビと歩いた。まだ目にひどいクマがあるが、イカレタ目つきも幾分マシになって、笑顔もなんだか年頃の女らしい普通の笑みのように思えた。
「あの~、先輩質問が」
「なんだよ」
「どこに行くんですか?」
「里に仕事しに行くついでに、飯食うんだよ」
「このバッグは?」
「薬箱だろ、何回言ったら覚えるんだ、今日はたくさん売らないと昼飯ないからな」
はい、わかりました。とやや緊張した面持ちになる彼女はなんだがいつもと全く別人のように思えた。
「先輩、走らないんですか?」
「は?」
「いつもは、ダッシュしますよね?」
「やりたきゃ、一人でやれ」
なんでそんな無駄に体力を使わなきゃならないんだ、というと。彼女はますます不思議そうに首をひねった。里の販売は今までの中で一番うまくいった。彼女は普段ではありえないほどのかわいらしい愛想を振りまいて、薬箱を里中に設置した。
昼飯を食べるころになり、彼女に安いうどんを食わせると、本当にうまそうに食べた。
「サボって、こんなことしてていいんですかね?」
「はぁ?」
このウサギがおかしいのは、いつもの事だったが、何か妙だと私の頭の中で警鐘がなり始めた。
「体重計測でばれますよ、太ったらやばいですよ」
帰りはせめて走りましょう、と彼女が勧めるので、仕方なく私も彼女に付き合って走ることにした。彼女は、ドタドタと変な走り方をしてぜいぜいと息を切らして走り始める。医療所につくと、彼女は荷物をまとめて、自分の棚を掃除し始める。いつものありえない時間をかける清掃と違って、普通の整頓。
「おい」
「はい」
「なんだ、いつもと全然違うな」
「いや、私のセリフですけど」
他の先輩たちはどこに行った。と、彼女は言う。私は嫌な予感がし始めていた。
「それに今日は、ずっと訓練サボりっぱなしじゃないですか、大丈夫ですか?」
まるで、練習を欠かさない相撲取りのような口ぶりだ。
「それに、宿舎も、見たことないし」
彼女がぼりぼりと頭を掻くと、ぼろぼろの耳の作り物が取れて、足元に落ちる。
「え、なに、これ?」
彼女は自分の何もない頭を探り始める。
「耳、作り物?」
「おい、お前、どうしたんだ?」
私の作った耳をじっと見つめて、彼女は夕暮れの空を眺めた。地平線のすぐそばに、うっすらと月が見え始めていた。
「あ、そうだ、思い出した。私、月から逃げてきて・・・耳も、ないんだった・・・」
「あれ、けど先輩はいるし…」
彼女は視線を地面に落して、次第に姿勢を落として蹲った。もしかすると、私は彼女のとても重要な部分に触れてしまって、取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか。
「ねぇ、先輩、なんか変ですよ」
彼女は膝を抱えて、身体をゆする。
「先輩、もう戻りましょう。今日はもう訓練ないんでしょう?」
「あ、そう、そうだよ。もう今日はないんだよな」
「はい」
私は彼女の頭に作り物の耳をつけてやる。それから私よりもずっと体格の大きな彼女の手を引いて、大部屋に移動した。
「もう消灯時間ですか」
「あぁ、そうだ、もう寝よう」
床に転がる彼女に毛布をかぶせると、彼女は当たり前のように目を瞑った。
「先輩、なんか、寒くありませんか」
彼女はカタカタと体を揺さぶった。私は、今朝のように彼女と同じ毛布に入って丸くなると、彼女は、暖かいですね。と言って震えるのを止めた。
「先輩、明日はちゃんと訓練しましょうね」
わかったよ、と彼女に返す。
彼女の心に何が起こったのか、彼女に今までどんな出来事があったのか私はなんとなく理解して。寝床の中で、温い彼女の体温を感じながら、喉からこみ上げる息を押し殺した。
翌日目が覚めても彼女は、元には戻らなかった。一見普通だが、もう取り返しのつかないほどに彼女は壊れていた。彼女は、どうやら、自分に都合の悪い記憶を、都合のいいように組み合わせていた。時折、ふと現れる都合の悪い事実に直面すると、彼女は萎縮して、昔のことを懸命に思い出そうとする様だ。そんな調子だから、前の彼女が持っていた、戦いの心得や非常な集中力もほどほど、私と同じくらい、ちょっとした力自慢程度になっていた。
「先輩、今日は訓練しましょうね」
「わかったよ」
彼女は焦ったように私をせかす。とは言ったものの、彼女の言う訓練がどんなものか全く想像もつかなかった。だが、彼女の望むことをしなければ、彼女はひどく怯えて、震えながら眠る。
なんとかいい方法はないかと、考えあぐねていたある日の事だ、彼女が猛獣のために仕掛けたトラバサミに足をつっかけてけがをしているのを見つけた。彼女の脚から血が流れて、彼女はうんうんと唸っていた。
「間抜けだなぁ、こんなのもわからないのか」
そう言って、トラバサミを外すと、彼女は何か得心したような顔になる。
「ブービートラップですか?」
「うん?」
「見破る訓練ですか?」
それとも、仕掛ける訓練ですか。彼女は自分の脚を痛そうにさすっていった。
「流石先輩、全然わかりませんでした」
それ以降、私と彼女の中に、妙な日課が生まれた。私は、彼女がけがをしないような安全な悪戯を仕掛ける。彼女は大抵はそれに引っかかってしまうのだが、もし彼女がそれを見破れたら、彼女の勝ち。私は、彼女が退屈しないように、新しい悪戯を考え続けた。悪戯が成功しているうちは、彼女が眠るときに震えることはなくなったからだ。訓練という名前のごっご遊びを通じて、彼女のちぐはぐで都合のいい記憶を少しずつ私は彼女が怯えないような形で構築していくことにした。
私たちのその部隊の一つだった。いざ作戦が始まると、私たちはより先進的な装備を与えられた。私たちの戦いの様子は月の偉い人たちが常に監視しているそうだった。私たちはエリート部隊と呼ばれ、私たちもそれを誇りに戦った。私たちの闘いと装備が他の部隊の手本になった。
隊長は、まさに模範的な士官で、非常にクールな兵士だった。与えられた任務に必要なことを全て知っていた。私たちの部隊は確かに無敵だった。私たちの装備一つで地上の妖怪はどんなに凶暴で大きな相手もすぐに殺すことができた。
「油断するな」
と隊長は常に言っていたが、どこかその口調には余裕があった。私たちも自分たちは最高の兵士だと、どんなに強い相手がいたとしても私達には絶対に敵わないと確信した。そのころになると色々な部隊と合流を繰り返し、色々な兵士と仲良くなった。そのころの兵士は、善良で、根性があって、使命感があって、みんな月の住人であることに誇りがあった。
噂話を聞けば、どこの隊がどこかの大きな妖怪の群を倒したとか、どこかを占拠した。妖怪たちが次々と投降してくる、奴らには愛国心なんてない、ただの獣だと、私たちは月の兵士として胸を張っていた。
『ホット・ラック』
彼女が月の医者の弟子になってから、数週間が経った。時々耳のないウサギと、医者が話しているところを見かける。
「何を教わっているんだ?」
彼女に聞いたことがある。
「医術の事です」
彼女はいつもそういった。例えば、なんだ、そう聞くと彼女は口を濁した。何も教わっていないのかもしれない。最初は耳のないウサギが口下手なだけなのかと思っていたけれども、もしかすると月の医者はあのウサギに探りを入れたくて身近に置いただけなのだと思った。その証拠に、月の医者はいつも私に聞いていた。
「あのウサギに、何かかわったところはないかしら」
あのウサギの妙なところなんて、挙げればきりがない、私は嗤ってそういったけれども月の医者の本意はそういったものではなかったのかもしれない。あの付きの医者も、館の奥に引きこもっているあのお姫様も、あのウサギと同じ、月からの逃亡者なのだ。月からいつ追手が迫ってくるのか、それにおびえていたはずだ。
ある日、彼女が、耳を失ってしまった子ウサギを世話しているのを見かけた。耳をなくして落ち込んでいる子ウサギに彼女は優しく、狂った瞳で笑いかけた。
彼女の手には、作り物のうさぎの耳があった。嫌がるウサギに少々無理に耳をつける。根本には髪留めが付いていて、ぱちりと音がすると、作り物の耳はピンと空に向かった。
「どうかな」
彼女が笑いかける。幾分か、気が紛れたのだろう子ウサギは、新しい耳をいじってから、少しだけ跳ねて大部屋の方に走っていった。
彼女が逃げ出さなければならない場所とはいったいどんな場所だったのだろう。よほど廻りにひどい奴ばかりだったのだろうか。それともひどく薄気味の悪い場所だったのだろうか。彼女のよどんだ瞳を見ていると、悲しい気持ちになる。
「おい」
ほかにやるまえに、自分が着けたらどうだ。 そういうと、彼女は、気味悪く禿げた頭をさすってから、イカレタ目つきで、はい、それだけ言った。
その日、彼女は、何時までもそこに座って、夜遅くまで月を眺めていた。
「地形に違和感を感じる」
私たちの作戦行動は、常に監視されていた。地上の穢れから身を守るための鎧の状態、心理状態、心拍数、そして視界まで、全てが本拠地で見られていた。
これが日常生活ならば、ひどい話だが、緊張のさなかにある戦場では、ありがたいことだった。冷静な誰かが画面の向こうで指示をくれるのは、冷静な頭で考えればよりマシな事だ。
その日は、確かに、妙な日だった。各地で常に上がっていた勝利の連絡がピタリと止まり、降参してくる妖怪たちはなりを潜めていた。今思えば、あの日までの出来すぎた勝利の数々は、あの日のための布石だったのだろう。
より、多くの、より優秀で、より貴重なウサギたちをごっそりと減らすための準備運動だったのだ。私たちも、さぁ、今日も掃討作戦だ。晩御飯の事を考えていたウサギたちが総出になり、地上の奥深くへと降りて行った。
やはり、最初に異常に気が付いたのは、私たちの隊長だった。作戦前に渡された地上の地図と今歩いている場所の地形が微妙にずれていたそうだ。空にはまんまるな月が浮かんでいた。一度進むのをとめて、機器の具合を確かめた私達に次に下った命令は、進むことだった。
『進め』
一度、何かをひっかく音がした。
「どうした」
隊長が、通信先のウサギに不信感を抱きはじめていた。
『なんでもない、すすんで』
特別な眼鏡に、次の進むべき場所が示される。暗い森の中を示していた。
「予定にない」
先輩が、抗議する。
『いいから』
こんな出鱈目な、指示の仕方があるだろうか? 何か舌足らずな。 まるで酒を飲みすぎた女のろれつのようだった。
「全員、イヤホンを外せ」
こんな指示には従えない、というわけだ。全員が隊長の指示に従い、イヤホンを外す。その途端に、目を保護する眼鏡が灰色の霧に覆われた。
「故障か」
「全員、兜を捨てろ」
隊員に緊張が走った。地上の大気を直に吸い込むと、月のウサギはいつしか地上のウサギと同じように、獣になると言われていたからだ。私たちの部隊は、穢れに耐えられると言われているウサギたちだけで構成されていたが、実際にどうなるのかは、誰も知らなかった。まず、隊長が最初に兜を脱ぎ捨てた。
それを隊列の後ろから見た私も、兜を脱ぎ捨てる。初めて耳にする生の地上の静謐だった。雑多な生き物の鳴き声が静かに響いていた。月とは全く異質の静けさ。しばらく息を止めていたが、意を決してすっと深呼吸をする。草と土の香り、土の下にいる小さな生き物たちの排泄物の匂い、植物の呼吸した後の空気。
「なんだ、この音?」
「虫の鳴き声だ」
「臭うな」
それぞれが、初めての生の地上の感想を言い合う。今や私たちは生の生き物だ、頭になにか一発銃弾を浴びれば、死ぬ。脱ぎ捨てた兜から、ガリガリと耳障りな音が流れる。
「故障かよ」
「全員同時にか?」
『あーあ』
私たちウサギの大きな耳がいやほんの僅かな音を拾った。ぎょっと目を見開いて全員が兜を見た。
『ばれちゃった』
「馬鹿な」
『けど、今から逃げられるかな』
『逃げられるかな?』
奇妙で、薄気味の悪い笑い声が、イヤホンから、何十人何百人と混じった声があたりに響く。きききき、彼女たちはしばらく笑い続けて、そしてそれっきり何もしゃべらなくなった。
「退却だ」
隊長は隊員に指示をしながら、今来た道を戻り始める。あまり考えないようにしたが、みんなきっと同じ気持ちだっただろう。私たちは、罠にはまりつつある。薄い赤い髪の新人などは手が震えていた。
「しっかりしろ」
私が新人の頭を軽くたたくと、彼女は口元を緩めてこちらを見た。
「もう、大丈夫です」
彼女が私に笑いかけた瞬間、彼女のこめかみが弾けた。私はゆっくりと飛散する彼女の頭部を見ていた。
耳をつけてみたらどうだ? そう言った時の彼女の表情は、えもいわれぬ、苦しそうな嬉しそうな、普通の心ではありえない形の笑みを作っていた。
「先輩、先輩」
私たちは、二人で里に薬を売りに来ていた。1週間前に彼女についた嘘を本当の事にしたのだ。彼女についた、大きな仕事、を私は勝手に作り出した。里の家に、薬箱を置くように頼み、それを補てんする仕事を新たに作った。
「先輩は、すごいですね」
彼女の訪問先は、彼女を拒んだ。彼女の一見普通で華奢で、よく見たら不思議な容姿にひるんでしまったのだろう。彼女の背には、売れなかった薬箱、彼女の手には白紙のメモが残されていた。
「私が、ウサギの妖怪だからですか?」
「違うよ」
時には、飾って嘘をつくこともしないと、商品を買ってもらえない。私は彼女にそういうことにした。私は彼女が、死ぬような思いをして、正直に、臆病に生きるのをやめさせるべきだと思った。彼女が現れてから1年が過ぎた。彼女の特技や生活を見ていたら、なんとなく、彼女の前の生活がどんなもので、どんな仕事をしていたのかわかる気がした。
きっと、彼女は月で責任のある仕事をしていて、それがあまりに辛くなり、逃げ出してしまったのだと思った。そして、彼女は逃げ出した自分自身を許せるほど、自分に嘘をつくことがうまくなくて、徳の低い下衆な奴らのようにのらりくらりと生きていくことができないのだろう。私は勝手にそう思うことにした。
「ほら」
私は仕事の帰りに、彼女に作り物の耳を作った。これが、お前の仕事着だ。渋っていた彼女は、私がそういうと、それをしばらく眺めてからそれをつけた。それだけで随分ウサギらしく見えた。これで彼女は安心できるだろうか。
「ありがとう、先輩」
彼女は涙を流して喜んでくれた。彼女の作った耳に比べると、耳の先端は頼りなく緩んでいて、激しく動くと時折耳が取れそうになった。私は月の医者に言った。
「ねぇ、本当に医者の事を教えてやってもいいと思うんだがね」
彼女が本当に月からの刺客、追手ならもう少し賢い奴だろう。あんな馬鹿のようなことで一喜一憂したり、耳を削ぎ落したり、襲われたウサギを身を挺して助けたりなどしないはずだ。もっとこそばゆい方法で私の警戒心を解きに来ただろう。
目つきのイカレタウサギは、その日はしばらく私の作った耳をつけて、鏡を眺めてみたり、庭を自慢げに歩いてみていた。私も、なにか彼女の心によい風が吹いたような気がした。
その日から、とうとう、彼女は眠らなくなった。うたた寝のようなことは今まで一応していた。狂った彼女の目元に、皺がより、皮膚の色は黒ずみ始めていた。わたしは、彼女が眠らなくなった原因が自分にあると思った。
隊長、そして私の後輩は、いなくなった。
後輩の頭を砕いたのは、他の部隊のウサギたちだ。彼女たちは、執拗に私たちを追い回し、月の武器で追い立てた。頼りにするべき、他の隊の仲間たちに誤射の連絡を試みるも、彼女たちは頑として耳を貸さなかった。月の頑強で強力な武器に身を包んだウサギたちから身をかわす方法はなかった。混乱の中で悪態をつく私たちは、隊長の指示により、周囲のウサギたちと戦うことを決めた。
「狂ってる」
「私たちは、この崖を下りる」
囮になる私たちを狙撃で助けろ。隊長はそういった。
「すぐにばれます」
「あいつらがまともならな」
隊長に続く5名の隊員たちは、決死の覚悟で崖を派手に下っていく。二人、私と先輩は狂ったウサギたちをやり過ごし、後ろから撃つ。仲間を殺した、憎悪するべき相手が誰なのかもわからないまま、私は腐った地上の土と草を掘り起こした。
「隠れろ」
気づかれたら、そこで終わりだ。先輩は、私の頭から土と腐った草木をかぶせた。そして自分もその穴倉の中にそっと横たわった。土の中の、穢れ切った、目に見えないほどの小さな虫たちの匂い、ミミズ、ダンゴムシ、水たまりの中には、微細なプランクトンや蚊の幼体。葉っぱの後ろにはアブラムシの集団。
まるで地上のウサギになったようだった。銃を持った猟師に追い立てられるウサギはこうして生き延びたのだろうか。すぐ隣で肩が触れ合う先輩も、私も、こみ上げる荒い息や、震えるからだを殺した。10秒か、20秒か。ザクザクと土を踏みつけて、鼻息荒く、月の兵士たちが、隊長を追って私たちの1メートルにも満たない場所を走り去っていく。彼女たちは、不明瞭な言葉を叫び、声にならない奇声をあげていく。
まるで無限のように思える1分が過ぎる。銃の打ち合いの音が聞こえてくる。
「うまくいったぞ」
先輩が震える私の頭を叩いた。はやく隊長たちを助けるんだ。私は銃身が震えて、的を外さないように、体育座りのような姿勢を取った。本当なら、どちらかが観測手なのだけれど、この日は二人で目についた敵を片っ端から撃つことになった。
大きな銃についた、望遠鏡をのぞき込むと、隊長たちに迫る敵の姿がはっきりと見えた。私は目の前でいなくなった後輩の事を考えながら敵の頭に狙いをつけた。
「まず一人だ」
先輩は、どんどん敵を倒していく。
もしかしたら、本当は狂っているのは私の方なんじゃないだろうか。実は味方を攻撃しているのは、私達で、あのウサギたちはまともなのではないだろうか。
隊長に攻撃する寸前のウサギを望遠鏡の中にとらえ、引き金を引く。まるで映画のワンシーンのように隊長は危機を脱した。私は、今自分がしていることが何か、映画やドラマのキャラクターたちがしているような、そんな気持ちになっていた。
キチガイになった隊員たちの動きは丸見えだ。だれがどう動くか、誰を狙っているのかが手に取るようにわかる。
いや、それどころか、闇の中で敵味方の判別も難しいはずなのに、正気を保っている隊の皆が、どこを見ているか、助けを求めているのかが不思議なくらいにわかり始めた。ぼんやりと彼らの体の周りが発光して見える。この前の店で危ない薬をやった時のように、視界が透明に開けてくる。
私たちの援護射撃が始まると、囮になった隊員は適当に威嚇射撃を繰り返しては、奥に引っ込んだ。終わりが見えてきた。
30人も撃った頃だろうか。次第に、銃声は止んでいく。
『攻撃をやめてくれ』
今度は、まともな声の通信が入る。望遠鏡を見ると、今まで敵だったウサギたちは、また私たちの味方に戻っていた。
「こんどはまともですよね」
「わからんぞ、まともなフリかもな」
隊長が、武器を捨てるように指示している様だった。隊長の声は、とても強い怒りがこもっているように感じた。というか、隊長の体の周りが赤い怒りの色に包まれているのが見えた。 私は目元をごしごしと擦るが、視界は一向に元に戻らない。
「新入りは、どうだ?」
目の前で新入りの頭がなくなったのを見たのは私だけだ。
「死にました」
私がそういうと、隊長はまだ訳の分からない、攻撃してきた隊員をぶん殴った。先輩がそれを止めに入る。彼女たちが言うには、黒い霧のようなものが、周囲に立ち込めてきたとたんに、甘い香りと一緒に、少女の囁き声がしたのだそうだ。そこからの記憶が全くないという。そして、私たちの周りには現に黒い霧がまとわりつくように漂っている。
「私たちは、大丈夫でしょうか」
私たちも、通信で少女のおかしな声を聴いている。それにいま私は危ない薬をやったときみたいに変なものが見えている。
「俺たちは、大丈夫だ」
「●●の事は、すごく、残念だ」
「今は、安全な場所に行くことが第一だ」
味方を殺した、憎い味方達をつれ、私たちはようやく通信の回復した本部のまともな指示に従いながら、今来た道を漸く戻り始める。その途中で、正気に戻った味方達もいたが、結局は使い物にならなかった。どうやら、地上の妖怪の中には、とんでもない、化け物がいるらしい。月の支配者たちのような、特別な力を持っているものがいるのだと、私は思った。いつ私たちもあんな風にキチガイにされるかもわからない。味方を救うためとはいえ、味方をあんなにたくさん殺してしまった。
「しっかりしろ」
「はい」
そんな気持ちに気が付いていたのだろう、先輩は私の肩をたたいた。
「先輩」
「どうした」
変なものが見える、助けてほしいと先輩に言った。
「何が見える」
「先輩たちが、光って見えます」
かなりヤバイ感じだと伝えると、先輩も流石に先ほどの事もあるので、私の隣で懸命に私の肩を揺すった。
「しっかりしろ、うどんげ」
「隊長、そうだ、歌を歌いましょう」
「頭がおかしくなりそうです」
私の視界は、いまやあらゆるものが光り、それぞれが私に様々な感情を訴え始めていた。
「そうだな、おい、讃頌歌を歌おう」
私たちは、喚きながら一緒に歩いた。それを歌い終わると別の唄を歌った。懸命に歌いながら、私たちは手をつないで歩いた。私たちの回収地点は、丁度、後輩がいなくなった場所の近くに設定された。月から私たちの戦いを見ていた人々も、私たちの救助を急いでいるようだった。
「おい、●●の名札、持ってるか?」
「はい」
隊長に、後輩の名札を渡す。
「身体も持って帰ってやりたいです」
「地上に置き去りなんて、可哀想だ」
「回収地点もすぐそこだ」
私は、後輩の頭がひどく損傷しているといったが、皆は重荷になってもいいからちゃんと埋葬しようという意見でまとまった。
「うどん、●〇、今日の事は、残念だったが、よくやった」
「他の連中がなんと言おうと、お前たちは俺たちの仲間だ」
必ず、こんな卑怯なことを仕組んだ、地上の妖怪に報復してやる。隊員たちはようやく怒りと憎悪を向ける相手を取り戻したようだった。
「隊長、うどんげが、かなり苦しそうです」
「がんばれ、あと少しだぞ」
回収地点には、ひとつの赤い煙を上げる発煙筒のようなものが置かれていた。
「あれ」
「なんだなんだ」
一人の鎧をまとったウサギの兵士がこちらに手を振っている。
「あれ、●●じゃないか」
兜をかぶっていて、顔は判断できないが、確かに後輩の鎧だ。それを着た兵士が発煙筒のすぐ隣で元気に手を振っている。
「おい、なんだよ、生きてるじゃないか」
隊員達の間に、馬鹿に明るい歓声が起こる。
「ふざけるなよ、心配させて」
「うどんげ、なんだ、ぴんぴんしてるじゃないか」
隊長が後輩の近くに行って、身体を抱きしめた。
私も、だんだんと、今まで体験した最悪の事態が夢の中だったような気が湧き上がっていた。目の前にぶら下がった、幸せな餌に飛びつくべきだと思い始めていた。
「お前が寝てる間、こっちは大変だったぞ」
私は狂った視界をそっと広げると、少し前までとは全く違った世界が広がっていた。目の前にいる生き物たちの思念が、時には長く、短く、複雑に絡み合っている。それはまるで電子機械の講義の中で見た、オシロの波長のような形で発信されている。いまみんなの頭から発信されている波長は、長く、大きく、穏やかな波長。そして気の狂ったウサギたちの波長は、短く、小さく、のこぎりの歯のような形をしている。そして眼は私に危険を告げ始める。繰り返し、細かく断続的で大きな振幅の波長が目にどんどん飛び込んでくる。
私はとうとう、地上の妖怪にキチガイにされてしまったと思った。膝をついて動けなくなってしまうと先輩が、他の隊員に声をかけて私を抱き起してくれた。
「うどんげの様子がおかしいぞ」
「鎧を外してやれ」
すっかり装備を外されて、私は担架に乗せられた。その間も私の眼は私に最大限の危険を告げ続ける。
「しっかりしろ」
先輩が私をのぞき込む視線の波長は、とても大きく優し気で力強い。その波長を押しのけて機械的で無情緒な波長が私の眼に突き刺さった。その波長の先には、恐ろしいものが見えていた。死んだはずの後輩が、頭の半分をなくした体で、たくさんの手投げ弾を抱えて、こちらに走ってくる。
わっと叫び、私は力の限り、先輩を蹴飛ばした。先輩が転ぶと私はゾンビのようになった後輩に向かって走り、体当たりをして組み付いた。後輩の兜は転がり、欠けた頭部が丸見えになる。こぼれた手投げ弾のいくつかは私のすぐ頭の傍に転がった。爆発まであと1秒とない。地上の悪辣さ、不気味さ、恐ろしさ、自分の身に起こった事も何もわからないまま私はこの時に死ぬはずだった。
爆発の瞬間、隊長が私をかばう様に覆いかぶさるのが見えた。
私は、とうとう彼女に睡眠薬を飲ませることにした。外の世界で不眠に挑戦する人間の記録を見たが、彼らは最後には得体のしれない幻覚を見て、短気になり、発狂するという。
イカレタ目つきのウサギは、それとは真逆で、まるで幸せで穏やかな表情をしている。しかし、彼女の動きは鈍り、食事をしなくなり、会話の内容は痴呆の老人のように要領を得ないものになっていったのだ。彼女は、10時間近くも、私の渡した作り物の耳をつけて鏡を眺めている。夜中は、暗闇で見えもしない鏡に向かって口元を緩ませて立ち尽くしていた。
「疲れるだろう、早く寝よう」
「もう少し」
何とか、寝床に連れて行っても、彼女は嬉しそうな顔をして、じっと天井を眺めてる。
「なぁ、まずいよ。目を閉じないと」
「先輩、あったかいですね」
私はたまらなくなり、医者の棚から薬を持ち出した。私も大国様の医療に感銘を受けたウサギだ、彼女の体重に合う量の薬を飲み物に盛った。
「ほら、これを飲んだらよく眠れる」
「先輩、寝たらいなくならないですよね」
「ならないよ」
子供みたいなことを言うんじゃないと、彼女にそれを飲ませる。
「先輩、実はですね」
「なんだよ」
「私、布団は冷たいほうが好きなんです」
なんだそりゃ、と返事をする頃には彼女は目を瞑って寝息を立て始めた。始めてみる彼女の寝顔だった。なるべく彼女が良い眠りにつけるように、もう一枚毛布を持ってきて、彼女にかぶせた。私は彼女に体を寄せて、ウサギらしく丸まって眠ることにした。
朝はすぐに来た。もしかして、クスリの配分を間違えて永遠の眠りについてやしないだろうかと、よく眠る彼女を見てハラハラしていたが、彼女は朝日がくるとバチりと目を開けて起きた。
「よく寝た」
「そうだろうな」
「朝ご飯は何でしょうか、先輩」
彼女はキョロキョロとあたりを見渡して、首をかしげていた。
「なんだよ」
「あ、いえ。なんでもありません」
食堂に行くと、ウサギたちがもぞもぞと何かを適当に食べている。献立表などのような気の利いたものはなく、食堂とは名ばかりでそれぞれが自分で調達したものを勝手に喰っているに過ぎない。
「あれ、今日のメニューは?」
「里に行くついでに、なんか買ってくるか」
「はぁ」
睡眠薬が余程よかったのか、いつもはのろのろと不健康な動きをしていた彼女はキビキビと歩いた。まだ目にひどいクマがあるが、イカレタ目つきも幾分マシになって、笑顔もなんだか年頃の女らしい普通の笑みのように思えた。
「あの~、先輩質問が」
「なんだよ」
「どこに行くんですか?」
「里に仕事しに行くついでに、飯食うんだよ」
「このバッグは?」
「薬箱だろ、何回言ったら覚えるんだ、今日はたくさん売らないと昼飯ないからな」
はい、わかりました。とやや緊張した面持ちになる彼女はなんだがいつもと全く別人のように思えた。
「先輩、走らないんですか?」
「は?」
「いつもは、ダッシュしますよね?」
「やりたきゃ、一人でやれ」
なんでそんな無駄に体力を使わなきゃならないんだ、というと。彼女はますます不思議そうに首をひねった。里の販売は今までの中で一番うまくいった。彼女は普段ではありえないほどのかわいらしい愛想を振りまいて、薬箱を里中に設置した。
昼飯を食べるころになり、彼女に安いうどんを食わせると、本当にうまそうに食べた。
「サボって、こんなことしてていいんですかね?」
「はぁ?」
このウサギがおかしいのは、いつもの事だったが、何か妙だと私の頭の中で警鐘がなり始めた。
「体重計測でばれますよ、太ったらやばいですよ」
帰りはせめて走りましょう、と彼女が勧めるので、仕方なく私も彼女に付き合って走ることにした。彼女は、ドタドタと変な走り方をしてぜいぜいと息を切らして走り始める。医療所につくと、彼女は荷物をまとめて、自分の棚を掃除し始める。いつものありえない時間をかける清掃と違って、普通の整頓。
「おい」
「はい」
「なんだ、いつもと全然違うな」
「いや、私のセリフですけど」
他の先輩たちはどこに行った。と、彼女は言う。私は嫌な予感がし始めていた。
「それに今日は、ずっと訓練サボりっぱなしじゃないですか、大丈夫ですか?」
まるで、練習を欠かさない相撲取りのような口ぶりだ。
「それに、宿舎も、見たことないし」
彼女がぼりぼりと頭を掻くと、ぼろぼろの耳の作り物が取れて、足元に落ちる。
「え、なに、これ?」
彼女は自分の何もない頭を探り始める。
「耳、作り物?」
「おい、お前、どうしたんだ?」
私の作った耳をじっと見つめて、彼女は夕暮れの空を眺めた。地平線のすぐそばに、うっすらと月が見え始めていた。
「あ、そうだ、思い出した。私、月から逃げてきて・・・耳も、ないんだった・・・」
「あれ、けど先輩はいるし…」
彼女は視線を地面に落して、次第に姿勢を落として蹲った。もしかすると、私は彼女のとても重要な部分に触れてしまって、取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか。
「ねぇ、先輩、なんか変ですよ」
彼女は膝を抱えて、身体をゆする。
「先輩、もう戻りましょう。今日はもう訓練ないんでしょう?」
「あ、そう、そうだよ。もう今日はないんだよな」
「はい」
私は彼女の頭に作り物の耳をつけてやる。それから私よりもずっと体格の大きな彼女の手を引いて、大部屋に移動した。
「もう消灯時間ですか」
「あぁ、そうだ、もう寝よう」
床に転がる彼女に毛布をかぶせると、彼女は当たり前のように目を瞑った。
「先輩、なんか、寒くありませんか」
彼女はカタカタと体を揺さぶった。私は、今朝のように彼女と同じ毛布に入って丸くなると、彼女は、暖かいですね。と言って震えるのを止めた。
「先輩、明日はちゃんと訓練しましょうね」
わかったよ、と彼女に返す。
彼女の心に何が起こったのか、彼女に今までどんな出来事があったのか私はなんとなく理解して。寝床の中で、温い彼女の体温を感じながら、喉からこみ上げる息を押し殺した。
翌日目が覚めても彼女は、元には戻らなかった。一見普通だが、もう取り返しのつかないほどに彼女は壊れていた。彼女は、どうやら、自分に都合の悪い記憶を、都合のいいように組み合わせていた。時折、ふと現れる都合の悪い事実に直面すると、彼女は萎縮して、昔のことを懸命に思い出そうとする様だ。そんな調子だから、前の彼女が持っていた、戦いの心得や非常な集中力もほどほど、私と同じくらい、ちょっとした力自慢程度になっていた。
「先輩、今日は訓練しましょうね」
「わかったよ」
彼女は焦ったように私をせかす。とは言ったものの、彼女の言う訓練がどんなものか全く想像もつかなかった。だが、彼女の望むことをしなければ、彼女はひどく怯えて、震えながら眠る。
なんとかいい方法はないかと、考えあぐねていたある日の事だ、彼女が猛獣のために仕掛けたトラバサミに足をつっかけてけがをしているのを見つけた。彼女の脚から血が流れて、彼女はうんうんと唸っていた。
「間抜けだなぁ、こんなのもわからないのか」
そう言って、トラバサミを外すと、彼女は何か得心したような顔になる。
「ブービートラップですか?」
「うん?」
「見破る訓練ですか?」
それとも、仕掛ける訓練ですか。彼女は自分の脚を痛そうにさすっていった。
「流石先輩、全然わかりませんでした」
それ以降、私と彼女の中に、妙な日課が生まれた。私は、彼女がけがをしないような安全な悪戯を仕掛ける。彼女は大抵はそれに引っかかってしまうのだが、もし彼女がそれを見破れたら、彼女の勝ち。私は、彼女が退屈しないように、新しい悪戯を考え続けた。悪戯が成功しているうちは、彼女が眠るときに震えることはなくなったからだ。訓練という名前のごっご遊びを通じて、彼女のちぐはぐで都合のいい記憶を少しずつ私は彼女が怯えないような形で構築していくことにした。