順序の逆を正せばいいとは自分でもわかっているのだが、後になってから色々と考え込んでしまうことがよくある。思慮のない言動で、いままで多くの後悔をしてきた。
まだ残暑の厳しい晩夏の頃。その日の私は午後から用向きがあり、もし遅れてしまっては不味いから、と午前中の貸本回収を父と母に上手く押し付けて鈴奈庵で店番をしていた。店番と言えば聞こえはいいが、昼前の時間にお客など滅多に来ない。常に気を張っておく必要があるのは、せいぜい室内の湿気ぐらいである。
やることの一通り済んでしまっていた私は、一度整理の終えた棚を何度も目で確認したり、最近新調した綺麗なままの受付机を磨いたりしながら、ただ所在なく時間が過ぎるのを待っていた。気付けば棚の配列を覚えてしまっていた。
今晩の献立はなんだろうか。いつになったら涼しくなるだろうか。寺子屋の子供たちに読み聞かせる次の本はどれにしようか。
何もすることのない私の頭の中でとりとめのない考えが、浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
そうこうしているうちに私の随想の種も尽き、二週目を迎えようかとしているところでふと、本を読みたい、と新しく小さな邪念が湧いて出た。接客が疎かになるといけないので、営業中は読書をしてはいけない。このことはいつも親に口酸っぱく言われている。
私は、子供が悪戯の前にするように、無為にあたりを見渡した。いつも通りの鈴奈庵だった。見慣れた光景に人ひとりいない空間が広がっていた。あるのは無数の本ばかりであった。そう思うと途端に少しばかり寂しくなった。
肝心のお客が来なくてはあの教えを守る意味もないのではないか。それに、この寂しさを紛らせたい。親もまだ当分は戻って来ないだろう。そう思ってしまったが最後、一度浮かんだ出来心は消えることなく膨らみ続け、後に続いていたはずの他愛ない考えを押し出して私の頭を独占していく。
「返却された貸本に書き込みがあるといけないから」
誰に聞かせるでもなく、自分を納得させるようにそう呟いた。今になって思えば取るに足らない屁理屈だが、その時の私は一休和尚が橋を渡った頓知に勝るとも劣らないうまい方便な気がした。そうして、却ってきた貸本の中から自分好みの内容のものを手に取って、書き込みがないかどうか一つの頁につき一字一句まで丁寧に確認していった。幸せな時間だった。寂しさのことなど完全に忘れていた。本が好きな私は単純であった。
「おい」という低くて嗄れた一声が聞こえ、本に視線を落としていた私はぎょっとして顔を上げる。腹に脂肪を蓄えた背の低い老人が目の前に映った。顔全体が垂れ下がったその顔つきは老人特有の温和さを全く感じさせない。眉間に入った深い皺も、その厳めしさを助長していた。来ないはずのお客が来たのだと理解するのに少しかかった。
どうやら私が本に耽っているうちに、店の中に入っていたようである。慌てて「いらっしゃいませ」と言おうとするが、空想の世界から出し抜けに現実の世界に引き戻されたものだから、頭がまだ切り替わらず、焦りもあってか咄嗟の一言が出てこない。冷静さを取り戻すより先に「客に対していらっしゃいませも言えないのか、この店は」と嫌味ったらしく言われてしまったものだから、私の第一声は「いらっしゃいませ」ではなく「申し訳ございません」となった。
こちらに非があるのは間違いないが、このような高圧的な態度にくわえて常に怒っているような顔とあって、私は彼のことを『要注意な客』と身構えてしまった。道理のわからぬ文句をああだこうだと言ってくる冷やかしは、このような手合いが多いからである。
しかし話を聞いていくうちに、どうやらこの不機嫌な老人は、鈴奈庵にとっては『特別のお客』でもあるとわかった。私は自分の粗相のせいで鈴奈庵が被っていたかもしれない不利益を考えるとぞっとした。同時に、やはり親の言いつけは守らなければとも思った。
彼は製本をしたいと言ってきたのだ。製本にはお金がかかる。普通の家ならばとても払うことの出来ないだけのお金がかかる。
余裕がなくて気付けなかったが、よく見ると上下ともに質の良さそうな呉服を着ている。なるほど確かに老体にしてここまで太るだけある。この辺りの長者と言えば塩屋敷の旦那と相場が決まっているから、きっとここから遠く離れた位置に住む里の長者のうちの一人なのだろう。私は妙に納得していた。
私のそんな納得などは置き去りに、彼は自身の名を名乗ると一人で勝手に話を始めていた。喋りはだんだんと熱を帯びていき、世間話もそこそこに本題に入ると鼻息をあらくして、予算に糸目を付けないこと、今まさに執筆中でありひと月もしないうちに完成の予定であること、前もって予約をしておきたいこと、出来栄えにかなりの自信があることを、私にわずかな間しか与えずまくし立てる。
私はそれに「ええ」とか「そうですね」とか適当な相槌を打ちながら、その矢継ぎ早な喋り方やわざわざ手前の原稿に自信があると言うあたりから、ずいぶん強引な人だなという印象を持った。やはり要注意な客人であると思った。
一度身構えてしまったことから来る先入観は、なかなか拭い去れない。
それからしばらくは一方向の会話を続けた。彼は私にかまわず喋りつづける。私は堰を見たことがないが、おそらく『堰を切ったように』とはこのような状態なのだろうな、とつまらないことを考えていた。
「ところで、俺が何について書くかわかるか?」
注意がさまよっていたところ、ふいに老人が問いを投げかけてきてはっとした。またしても現実に引き戻された感じがした。思い返せば確かに、あれだけ喋っていたにもかかわらずまだ本の中身については聞いていない。
私は、唐突な、この子供じみた聞き方が少し可笑しくて、つい噴き出してしまいそうにもなった。しかし、大事なお客である。機嫌をこれ以上そこねてもらっては具合が悪い。さぞ興味ありげといった風に「何について書くのですか?」と訊くしかなかった。口にしたその時の私は、白々しい演技のような気がして不安だった。
少なくとも、彼には上手くいったようだ。待ってましたとばかりにその垂れ下がった頬を持ち上げながら嬉々として話し始める。先ほどの不機嫌はどこかへいってしまったようだ。しかし、上手くいきすぎてしまった。私は気付けば彼から興味のない話を延々と聞かされ続けることとなった。一度話に熱を帯びると、この老人の話はなかなか止まらない。
彼の話す内容は私を半ばあきれさせた。やはり印象通りの強引で、強欲な男だと確信した。私は彼の言葉を話半分に聞きながら、早くこの男から離れてしまいたいとだけ考えていた。あまりにも話が長いので、しまいには店から締め出すようにして「このあと用向きがあるのでお引き取り願いますか」とずいぶんと投げやりな対応をしてしまった。
その時の彼は、寂しそうな顔をしていた気がする。
結局、約束の時刻には間に合わなかった。
「それでそのおじいさんったら、自分の人生について本にするって言ってきたのよ!そういうのって普通他人が書くものじゃない!?挙句の果てには自分の武勇伝について延々聞かされたし!時間には遅れちゃうし!」
午後からは阿求の屋敷でお茶をする約束だった。忙しい阿求から誘ってくれたとあって前々から楽しみにしていた私は、その楽しみを削られた気がして老人のことを思うと癪に障った。阿求の出してくれた美味しそうなお茶菓子には目もくれず、ひたすらその日の午前中にあったことに対して愚痴をこぼしていた。阿求はというと、お茶を飲みながら静かに黙っている。
もちろん理由はそれだけではない。老人は自伝を記したいと言ってきたのだ。歴史に名を残した人物ならともかく、幻想郷で裕福な程度の老人が、一体何を綴るのか。私にはそれが、自分の権威を顕示したいがためだけの金持ちの私欲な気がして腹立たしかった。あの上質そうな呉服も、見せびらかしたくて着ているのだろう。きっと彼が私に話したような自慢話が、彼の原稿には山ほど詰め込まれているのだろう。そんな本をこれから製本すると思うとげんなりした。
「……私には、そのおじいさんの気持ちもわかるけどね。確かにちょっとナルシシズムが過ぎるけど」
老人の愚痴を吐き出し終え、満足したところでようやく阿求が口を開いた。親友の言葉は思いがけないものだった。満足はまた不満足に戻った。
「やけにおじいさんの肩を持つのね」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「面識でもあるの?」
「いや、心当たりがないわ」
「まぁ製本なんて金持ちの道楽だし、阿求とそのおじいさんにも通じるところがあるってことね。貧乏なうちにはよくわからない話だわー」
おどけるように、茶化すように言った。今思うと不用意な発言だった。阿求はこれに対し何も言わなかった。何か言おうとしていたのかはわからない。ただ、なにも言い返さないまま、また静かにお茶を飲んだ。私は場の雰囲気が、予期しない微妙なものになって困惑した。このときの阿求も、寂しそうな顔をしていたかもしれない。
それからは話題が変わり、またいつものように二人で楽しくお喋りをした。両方向からの言葉の応酬があってこそ会話は会話であると、呑気に些細な幸せを実感していた。阿求の様子も、場の雰囲気も、いつもとなんら変わらなかった。
なぜ老人の気持ちがわかるのかは、聞きそびれてしまった。
一か月が過ぎ、二か月が過ぎても老人は鈴奈庵に現れなかった。季節が変わりすっかり肌寒くなっていく。三か月が経って年の瀬も近くなったころ、町内会の会報誌で、人里の北端に住む長者が持病の悪化でなくなったことを知った。
長者の名前は、あの日彼が名乗った名前と一致していた。
皮肉なことに彼の人となりは、本ではなく死を機に世間の噂となって私の耳に届いた。あの日彼の口から語られることのなかった彼の一生の一部を知った。無愛想で熱くなると喧しかったが、誠実であったこと。妻を早くに亡くしていたこと。第二の妻を娶ることを頑なに拒んでいたこと。商いで数々の成功失敗を収めてきたこと。七年ほど前に唯一の息子も亡くし、孫のいなかった彼が寂しい晩年を過ごしていたこと。
私は色々と考え込んでしまった。
強欲な男などどこにもいなかった。私が抱いた印象は、彼の一部分だけを切り取って自分自身で作り上げた、偏見に溢れたものだとようやく気付いた。私はあの日自分がとったぞんざいな態度を思い出して詫びたくなった。もう少し誠実に話を聞いておけばよかったとも思った。思慮のない言動を後悔しても、もう遅い。
そも、本当に自分の権威を見せびらかすために本を作ろうとしていたのだろうか。書肆業の家の娘とあって、自身を本の専門家かなにかだと勝手に思い込んでいたが、本を作る側の気持ちを全く知らないことにいたく気付かされた。私は、製本の意味についてよりいっそう考え込んだ。
老人は、私があの日読むことを通じて寂しさを紛らせていたように、書くことを通じて自身の寂しさを紛らせていたのかもしれない。老い先短い人生に生きる目標を求めていたのかもしれない。人と話す契機の欲しさに、執筆を始めたのかもしれない。あの日饒舌に喋っていたのは、若者が自分の本の中身を聞いてくれる嬉しさに、つい気持ちが昂ったのかもしれない。一度そうだと考えると、そうとしか思えなくなって、私の頭を響き続ける。
私はまた、あの日阿求との間に微妙な雰囲気が出来たことも思い出していた。その時になってようやく、自分の非礼に気付いた。目の前が真っ暗になった。とんでもないことを言ってしまった。
彼女は幻想郷縁起の巻末に『この本を広く公開し、その上で転生を続ける必要があるか皆に問う事にしよう』と書き記していた。転生後の幻想郷の平和を一番に喜んでいた彼女は、自身と縁起の必要性についても深く考えていたのだろう。彼女は執筆のために百年と転生の準備をしてきたという。自身の生は、縁起を書くための生とさえ綴っていた。老人と同じように、彼女も執筆を通して生の実感を覚えていたのかもしれない。
それでは、縁起を書き終えた御阿礼の子は生きる意味を持たないのだろうか。
決してそんな風に思わない。何回転生を重ねていようとも、私にとって阿求は唯一無二の阿求だ。彼女の生きる意味をたった一つの本に限定してほしくない。しかし、この気持ちは彼女に正しく伝わっているのだろうか。たとえおどけるような台詞でも、製本は金持ちの道楽だと言うのは、自身の意義について悩む彼女に、道楽のために生まれ意味もなく死んでいくと言っているようなものではないか。自分の余計な一言が、あの時親友を苦しめてはいなかったろうか。様々な考えと感情が、堰をきったように溢れだした。
過ぎてしまった時間は巻き戻せない。しかし、阿求はまだ生きている。全て私の妄想と思い違いであってもかまわない。私はあの日のことを謝そうと決心した。
求聞持の能力を持つ阿求は、あの日言ったことを一字一句覚えているだろう。しかし、優しい阿求のことだ、本当に気にしていようといなかろうと「そんなこと全く気にしていなかったわ」とか「急にどうしたの、気持ち悪い」とか言って私を煙に巻くに違いない。
だから、自身の済まないと思うこの気持ちを、別の形に昇華させるという手法を以って私は阿求に伝えることにした。思い付くうちで最良の方法だった。
私は阿求と会った日に、会話の自然な流れの中で、幻想郷縁起に続編はないのかと阿求に訊ねた。この前発行の縁起はとても面白かった、出す気があるのならすぐに伝えてくれ、と付け加えて。もし彼女が縁起だけを生きる意味と捉えているのなら、私はここにその本を必要としている読者がいるということを伝えたかった。人が死んでも、製本の品は生き続ける。形を残して読まれ続ける。いつの時代にも必要としている人が、少なくとも、今この時代に一人いることを実感してほしかった。それに、生きる目的などいくらでも作れる。第二、第三の縁起を刊行してしまえばいい。どうせなら阿求には時間の許すかぎり縁起を書いていてほしかった。執筆をしている時の阿求が生き生きしていて好きだった。
やっぱり阿求は目を丸くして「急にどうしたの、気持ち悪い」と言う。どうやら自然な流れではなかったようだ。けれども続けて「でも、ありがとう」とも言ってきた。自然と笑みがこぼれて、また気持ち悪いと言われた。
年が明けてちょっとした時間が出来たら、今度は長者さんのお墓参りに行こうと思う。
まだ残暑の厳しい晩夏の頃。その日の私は午後から用向きがあり、もし遅れてしまっては不味いから、と午前中の貸本回収を父と母に上手く押し付けて鈴奈庵で店番をしていた。店番と言えば聞こえはいいが、昼前の時間にお客など滅多に来ない。常に気を張っておく必要があるのは、せいぜい室内の湿気ぐらいである。
やることの一通り済んでしまっていた私は、一度整理の終えた棚を何度も目で確認したり、最近新調した綺麗なままの受付机を磨いたりしながら、ただ所在なく時間が過ぎるのを待っていた。気付けば棚の配列を覚えてしまっていた。
今晩の献立はなんだろうか。いつになったら涼しくなるだろうか。寺子屋の子供たちに読み聞かせる次の本はどれにしようか。
何もすることのない私の頭の中でとりとめのない考えが、浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
そうこうしているうちに私の随想の種も尽き、二週目を迎えようかとしているところでふと、本を読みたい、と新しく小さな邪念が湧いて出た。接客が疎かになるといけないので、営業中は読書をしてはいけない。このことはいつも親に口酸っぱく言われている。
私は、子供が悪戯の前にするように、無為にあたりを見渡した。いつも通りの鈴奈庵だった。見慣れた光景に人ひとりいない空間が広がっていた。あるのは無数の本ばかりであった。そう思うと途端に少しばかり寂しくなった。
肝心のお客が来なくてはあの教えを守る意味もないのではないか。それに、この寂しさを紛らせたい。親もまだ当分は戻って来ないだろう。そう思ってしまったが最後、一度浮かんだ出来心は消えることなく膨らみ続け、後に続いていたはずの他愛ない考えを押し出して私の頭を独占していく。
「返却された貸本に書き込みがあるといけないから」
誰に聞かせるでもなく、自分を納得させるようにそう呟いた。今になって思えば取るに足らない屁理屈だが、その時の私は一休和尚が橋を渡った頓知に勝るとも劣らないうまい方便な気がした。そうして、却ってきた貸本の中から自分好みの内容のものを手に取って、書き込みがないかどうか一つの頁につき一字一句まで丁寧に確認していった。幸せな時間だった。寂しさのことなど完全に忘れていた。本が好きな私は単純であった。
「おい」という低くて嗄れた一声が聞こえ、本に視線を落としていた私はぎょっとして顔を上げる。腹に脂肪を蓄えた背の低い老人が目の前に映った。顔全体が垂れ下がったその顔つきは老人特有の温和さを全く感じさせない。眉間に入った深い皺も、その厳めしさを助長していた。来ないはずのお客が来たのだと理解するのに少しかかった。
どうやら私が本に耽っているうちに、店の中に入っていたようである。慌てて「いらっしゃいませ」と言おうとするが、空想の世界から出し抜けに現実の世界に引き戻されたものだから、頭がまだ切り替わらず、焦りもあってか咄嗟の一言が出てこない。冷静さを取り戻すより先に「客に対していらっしゃいませも言えないのか、この店は」と嫌味ったらしく言われてしまったものだから、私の第一声は「いらっしゃいませ」ではなく「申し訳ございません」となった。
こちらに非があるのは間違いないが、このような高圧的な態度にくわえて常に怒っているような顔とあって、私は彼のことを『要注意な客』と身構えてしまった。道理のわからぬ文句をああだこうだと言ってくる冷やかしは、このような手合いが多いからである。
しかし話を聞いていくうちに、どうやらこの不機嫌な老人は、鈴奈庵にとっては『特別のお客』でもあるとわかった。私は自分の粗相のせいで鈴奈庵が被っていたかもしれない不利益を考えるとぞっとした。同時に、やはり親の言いつけは守らなければとも思った。
彼は製本をしたいと言ってきたのだ。製本にはお金がかかる。普通の家ならばとても払うことの出来ないだけのお金がかかる。
余裕がなくて気付けなかったが、よく見ると上下ともに質の良さそうな呉服を着ている。なるほど確かに老体にしてここまで太るだけある。この辺りの長者と言えば塩屋敷の旦那と相場が決まっているから、きっとここから遠く離れた位置に住む里の長者のうちの一人なのだろう。私は妙に納得していた。
私のそんな納得などは置き去りに、彼は自身の名を名乗ると一人で勝手に話を始めていた。喋りはだんだんと熱を帯びていき、世間話もそこそこに本題に入ると鼻息をあらくして、予算に糸目を付けないこと、今まさに執筆中でありひと月もしないうちに完成の予定であること、前もって予約をしておきたいこと、出来栄えにかなりの自信があることを、私にわずかな間しか与えずまくし立てる。
私はそれに「ええ」とか「そうですね」とか適当な相槌を打ちながら、その矢継ぎ早な喋り方やわざわざ手前の原稿に自信があると言うあたりから、ずいぶん強引な人だなという印象を持った。やはり要注意な客人であると思った。
一度身構えてしまったことから来る先入観は、なかなか拭い去れない。
それからしばらくは一方向の会話を続けた。彼は私にかまわず喋りつづける。私は堰を見たことがないが、おそらく『堰を切ったように』とはこのような状態なのだろうな、とつまらないことを考えていた。
「ところで、俺が何について書くかわかるか?」
注意がさまよっていたところ、ふいに老人が問いを投げかけてきてはっとした。またしても現実に引き戻された感じがした。思い返せば確かに、あれだけ喋っていたにもかかわらずまだ本の中身については聞いていない。
私は、唐突な、この子供じみた聞き方が少し可笑しくて、つい噴き出してしまいそうにもなった。しかし、大事なお客である。機嫌をこれ以上そこねてもらっては具合が悪い。さぞ興味ありげといった風に「何について書くのですか?」と訊くしかなかった。口にしたその時の私は、白々しい演技のような気がして不安だった。
少なくとも、彼には上手くいったようだ。待ってましたとばかりにその垂れ下がった頬を持ち上げながら嬉々として話し始める。先ほどの不機嫌はどこかへいってしまったようだ。しかし、上手くいきすぎてしまった。私は気付けば彼から興味のない話を延々と聞かされ続けることとなった。一度話に熱を帯びると、この老人の話はなかなか止まらない。
彼の話す内容は私を半ばあきれさせた。やはり印象通りの強引で、強欲な男だと確信した。私は彼の言葉を話半分に聞きながら、早くこの男から離れてしまいたいとだけ考えていた。あまりにも話が長いので、しまいには店から締め出すようにして「このあと用向きがあるのでお引き取り願いますか」とずいぶんと投げやりな対応をしてしまった。
その時の彼は、寂しそうな顔をしていた気がする。
結局、約束の時刻には間に合わなかった。
「それでそのおじいさんったら、自分の人生について本にするって言ってきたのよ!そういうのって普通他人が書くものじゃない!?挙句の果てには自分の武勇伝について延々聞かされたし!時間には遅れちゃうし!」
午後からは阿求の屋敷でお茶をする約束だった。忙しい阿求から誘ってくれたとあって前々から楽しみにしていた私は、その楽しみを削られた気がして老人のことを思うと癪に障った。阿求の出してくれた美味しそうなお茶菓子には目もくれず、ひたすらその日の午前中にあったことに対して愚痴をこぼしていた。阿求はというと、お茶を飲みながら静かに黙っている。
もちろん理由はそれだけではない。老人は自伝を記したいと言ってきたのだ。歴史に名を残した人物ならともかく、幻想郷で裕福な程度の老人が、一体何を綴るのか。私にはそれが、自分の権威を顕示したいがためだけの金持ちの私欲な気がして腹立たしかった。あの上質そうな呉服も、見せびらかしたくて着ているのだろう。きっと彼が私に話したような自慢話が、彼の原稿には山ほど詰め込まれているのだろう。そんな本をこれから製本すると思うとげんなりした。
「……私には、そのおじいさんの気持ちもわかるけどね。確かにちょっとナルシシズムが過ぎるけど」
老人の愚痴を吐き出し終え、満足したところでようやく阿求が口を開いた。親友の言葉は思いがけないものだった。満足はまた不満足に戻った。
「やけにおじいさんの肩を持つのね」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「面識でもあるの?」
「いや、心当たりがないわ」
「まぁ製本なんて金持ちの道楽だし、阿求とそのおじいさんにも通じるところがあるってことね。貧乏なうちにはよくわからない話だわー」
おどけるように、茶化すように言った。今思うと不用意な発言だった。阿求はこれに対し何も言わなかった。何か言おうとしていたのかはわからない。ただ、なにも言い返さないまま、また静かにお茶を飲んだ。私は場の雰囲気が、予期しない微妙なものになって困惑した。このときの阿求も、寂しそうな顔をしていたかもしれない。
それからは話題が変わり、またいつものように二人で楽しくお喋りをした。両方向からの言葉の応酬があってこそ会話は会話であると、呑気に些細な幸せを実感していた。阿求の様子も、場の雰囲気も、いつもとなんら変わらなかった。
なぜ老人の気持ちがわかるのかは、聞きそびれてしまった。
一か月が過ぎ、二か月が過ぎても老人は鈴奈庵に現れなかった。季節が変わりすっかり肌寒くなっていく。三か月が経って年の瀬も近くなったころ、町内会の会報誌で、人里の北端に住む長者が持病の悪化でなくなったことを知った。
長者の名前は、あの日彼が名乗った名前と一致していた。
皮肉なことに彼の人となりは、本ではなく死を機に世間の噂となって私の耳に届いた。あの日彼の口から語られることのなかった彼の一生の一部を知った。無愛想で熱くなると喧しかったが、誠実であったこと。妻を早くに亡くしていたこと。第二の妻を娶ることを頑なに拒んでいたこと。商いで数々の成功失敗を収めてきたこと。七年ほど前に唯一の息子も亡くし、孫のいなかった彼が寂しい晩年を過ごしていたこと。
私は色々と考え込んでしまった。
強欲な男などどこにもいなかった。私が抱いた印象は、彼の一部分だけを切り取って自分自身で作り上げた、偏見に溢れたものだとようやく気付いた。私はあの日自分がとったぞんざいな態度を思い出して詫びたくなった。もう少し誠実に話を聞いておけばよかったとも思った。思慮のない言動を後悔しても、もう遅い。
そも、本当に自分の権威を見せびらかすために本を作ろうとしていたのだろうか。書肆業の家の娘とあって、自身を本の専門家かなにかだと勝手に思い込んでいたが、本を作る側の気持ちを全く知らないことにいたく気付かされた。私は、製本の意味についてよりいっそう考え込んだ。
老人は、私があの日読むことを通じて寂しさを紛らせていたように、書くことを通じて自身の寂しさを紛らせていたのかもしれない。老い先短い人生に生きる目標を求めていたのかもしれない。人と話す契機の欲しさに、執筆を始めたのかもしれない。あの日饒舌に喋っていたのは、若者が自分の本の中身を聞いてくれる嬉しさに、つい気持ちが昂ったのかもしれない。一度そうだと考えると、そうとしか思えなくなって、私の頭を響き続ける。
私はまた、あの日阿求との間に微妙な雰囲気が出来たことも思い出していた。その時になってようやく、自分の非礼に気付いた。目の前が真っ暗になった。とんでもないことを言ってしまった。
彼女は幻想郷縁起の巻末に『この本を広く公開し、その上で転生を続ける必要があるか皆に問う事にしよう』と書き記していた。転生後の幻想郷の平和を一番に喜んでいた彼女は、自身と縁起の必要性についても深く考えていたのだろう。彼女は執筆のために百年と転生の準備をしてきたという。自身の生は、縁起を書くための生とさえ綴っていた。老人と同じように、彼女も執筆を通して生の実感を覚えていたのかもしれない。
それでは、縁起を書き終えた御阿礼の子は生きる意味を持たないのだろうか。
決してそんな風に思わない。何回転生を重ねていようとも、私にとって阿求は唯一無二の阿求だ。彼女の生きる意味をたった一つの本に限定してほしくない。しかし、この気持ちは彼女に正しく伝わっているのだろうか。たとえおどけるような台詞でも、製本は金持ちの道楽だと言うのは、自身の意義について悩む彼女に、道楽のために生まれ意味もなく死んでいくと言っているようなものではないか。自分の余計な一言が、あの時親友を苦しめてはいなかったろうか。様々な考えと感情が、堰をきったように溢れだした。
過ぎてしまった時間は巻き戻せない。しかし、阿求はまだ生きている。全て私の妄想と思い違いであってもかまわない。私はあの日のことを謝そうと決心した。
求聞持の能力を持つ阿求は、あの日言ったことを一字一句覚えているだろう。しかし、優しい阿求のことだ、本当に気にしていようといなかろうと「そんなこと全く気にしていなかったわ」とか「急にどうしたの、気持ち悪い」とか言って私を煙に巻くに違いない。
だから、自身の済まないと思うこの気持ちを、別の形に昇華させるという手法を以って私は阿求に伝えることにした。思い付くうちで最良の方法だった。
私は阿求と会った日に、会話の自然な流れの中で、幻想郷縁起に続編はないのかと阿求に訊ねた。この前発行の縁起はとても面白かった、出す気があるのならすぐに伝えてくれ、と付け加えて。もし彼女が縁起だけを生きる意味と捉えているのなら、私はここにその本を必要としている読者がいるということを伝えたかった。人が死んでも、製本の品は生き続ける。形を残して読まれ続ける。いつの時代にも必要としている人が、少なくとも、今この時代に一人いることを実感してほしかった。それに、生きる目的などいくらでも作れる。第二、第三の縁起を刊行してしまえばいい。どうせなら阿求には時間の許すかぎり縁起を書いていてほしかった。執筆をしている時の阿求が生き生きしていて好きだった。
やっぱり阿求は目を丸くして「急にどうしたの、気持ち悪い」と言う。どうやら自然な流れではなかったようだ。けれども続けて「でも、ありがとう」とも言ってきた。自然と笑みがこぼれて、また気持ち悪いと言われた。
年が明けてちょっとした時間が出来たら、今度は長者さんのお墓参りに行こうと思う。
一つの物事を通して考えさせられることや認識を改めること、そしてその機会を持てること自体がとても大事で貴重なことだと思います
この短さでここまでしっかり描かれたら何も言えません。小鈴の気持ちが変化していく様が実にうまく書けていたと思います。
最初の五行ほど読んだ段階で「良さそうだな」と思いましたが、その予想に違わぬ作品でした。ぜひまた次の作品を読みたいです。
展開にとにかく説得力があり、この短い作品の中での小鈴の心情の変化がありありと見て取れました
老人はすでに亡くなってしまいましたが、阿求には間に合って良かったです
素晴らしかったです
次も期待させていただきます。
それだけに、小鈴の心情をよく感じられました。
とてもよい作品でした。
次回作にも期待したいと思います
作者は作品の中でずっと生き続けている、という事を。
あと「私は」がちょっと多くてクドく感じました。
ストーリーは素晴らしい。もっと読みたいです。
なにをどのように書きたいのかが明確なところが作者さんの美点であると思います。
いらぬお節介になってしまうやもしれませんが、今後への期待を込める意味でも、今作で個人的に気になったところを書かせてもらいます。少しでも参考になれば幸いですし、的外れだと感じられたのなら忘れていただいて構いません。
大雑把に纏めてしまうと、前半の男が店に現れるまでは書かなさすぎていて、後半の男の死を知ってからは、書きすぎているという印象で、そこが勿体ないところです。
作品全体を通して小鈴の心情をなぞる形で語られていて、前半もそれは同じなので移ろうような小鈴の気持ちが読んでいて愉しいものではあります。しかし小鈴の心情に沿うことに拘りすぎてしまったためか、細かいところの描写に目が行き届かず、読んでいてもどかしい気分になってしまう文章になっているように思います。
たとえば
> 却ってきた貸本の中から自分好みの内容のものを手に取って、書き込みがないかどうか一つの頁につき一字一句まで丁寧に確認していった
とありますが、個人的には「どのような本を手に取ったのか」「何故その本を選んだのか」「読んでいる時の心持ちはどういったものだったのか」なども知りたいと感じてしまうわけです。でないとこの後に続く
> せな時間だった。寂しさのことなど完全に忘れていた。本が好きな私は単純であった。
に、理解はできても共感ができなくなってしまうわけです。
尤もこのあたりの匙加減というものは書き慣れてくれば自然と勘所がわかってくるものですから、特に気にするほどのことでも無いでしょうが。
後半については、作者がこの作品を通して書きたかったことを、小鈴の心情を通して書きすぎてしまっているという印象を受けました。
小説の強みというのは読むことによって読者に想像をさせて、想像をさせることにより強い印象を与えることができる点にあるのだと考えています。
ですから、作者の言いたいことをそのまま言ってしまったのでは読者には想像する余地が無いため、理解こそできるものの深い印象を残すことは難しいとなってしまうわけです。
男の死と男の本当の姿、それに阿求を照らし合わせるという問題提議は鮮烈で大変印象深いものです。しかしそれに対する解答、小鈴がどう感じたのかというのはヒントを出して読者を誘導する必要は勿論ありますが、核心の部分はあえて書かない。ぼかして誤魔化して、あえて想像させるとしたほうが読者に与える印象はより深い物になった筈です。
このあたりの匙加減も書き慣れればといったところですが、読者に対して何が伝えたいかよりも、読者にどんな想像をして欲しいかを念頭に置いておけばかなり違うものになるのではないかと思います。
前半については足掛かりが少なくて想像が覚束ない。それによって物語への没入が思ったほどスムーズにいかないという傾向。
後半はわかりやすく書きすぎてしまっているため小鈴の心情を想像する余地が無く、共感が浅いものとなってしまうという傾向。
纏めるとこういったこととなります。
長々と煩いことを書いてしまいましたが、この作品は素直に魅力的でありましたし、作者さんの力量も少し書き慣れれば素晴らしく心を動かす作品を生み出す力があると感じました。不満ではなく期待の表れだと受け取って貰えればと願います。
もし幻想郷縁起の第三巻が出たら小鈴がどう記載されるか楽しみです
人の愚かさを愛を持って描いてあって、端的に良かったように思います。