『Twilight』
人生はままならないな、とルーミアは嘆息した。二日ぶりの食事にありついた、こんな満腹の晩に限って、新しい獲物がかかるのだから。
夜の森は決して、静寂に包まれてはいない。風に揺らされた木々が葉を擦り合わせる音や、夜行性の動物が忍び足で歩き回る音、そして、捕食者達の押し殺した息遣い。だが、それらはすべて、森で生きる者が立てる物音だ。例えば、合唱団に音を外す素人が一人混じっていれば、それは確実に音に現れ、聴衆の注目はすべて彼に集まるだろう。そして、音を外した本人だけはそれに気づかずに歌い続ける。今、この森で起こっていることもそれと同じだった。
ルーミアは耳を澄ました。地面を擦る、草鞋の音。森に棲むものならば、捕食者も非捕食者であっても、絶対に足を引きずってはいけないことを必ず知っている。物音は敵に位置を伝え、足跡は敵に足取りを教えてしまうからだ。ほくそ笑む。あまりにも、あまりにもたやすい相手だった。
さらにルーミアは神経を張り詰めさせる。哀れな非捕食者は、今も闇をかき分けてこちらへと近づいてきている。
こんなご馳走が待ちうけていると知っていればな、ともう一度嘆いて、歯に引っかかっていた野犬の筋を、ぷいっと吹き捨てた。
「やあお嬢さん。良い夜ね、こんばんは」
「きゃぁあっ、むぐ」
「こんな夜更けに森を歩いてはいけないよ。大福が食卓を横断しようとするようなものだ。ところで大福は知ってるかい? 餡子を餅で包んだ和菓子だ。家出かしら? 大福が惜しくはなかった?」
悲鳴を上げようとした、口を即座に覆う。もがくことを思い付かれないように無意味なことを喋りながら、木の根に無理やり座り込ませる。
背中が木の幹に密着するように座らせ、伸ばさせた膝の上に体重をかける。
もがき続ける少女を押さえつけながら、このまま抵抗がやまなければいいな、とルーミアは思う。絶対的な力関係があるとはいえ、めそめそされるのは好きではない。それであれば、死の瞬間まで見苦しく生きようとしてくれたほうが良い。そうでなければ不公平ではないか。こちらは生きるため、時には野犬まで胃に収めているというのに? この少女は今どんな顔をしているのだろう? 目を凝らそうとして、苦笑した。取り巻いていた闇を消し去ると、視線が交わる。
手触りの通りの、華奢な少女だった。つやのある黒い髪には軽くウェーブがかかっている。その前髪の下の瞳がまだ光を失っていなかったことが、ルーミアを喜ばせる。
「もう、騒がないね?」
そう確かめると、口を押えていた手を放す。少女は何度か咳き込んでからルーミアを見上げた。どうなるの? と、問いかけるような表情にも見える。
「よかったねえ初めにお嬢さんに目を付けたのが私で。この森には私のほかにも、怖い妖怪がたくさんいるから」
少女の戸惑いを完全に無視し、ルーミアは喋り続ける。
「ある程度の大きさの食べられる肉の塊がまず珍しいのに、それも、幼い人間のメスときたら、みんな涎を垂らして飛びつくご馳走さ。こんな深くまで誰にも見つからずに済んだなんて、奇跡よ」
「そ、それじゃ、あなたも」
「そこなのよ、問題は! 残念ながら私は夕飯を済ませてしまっていてね。もちろん食べられるときに食べておくに越したことはないんだけれど、一度贅沢を覚えてしまうと、これからもデザートには人間の女の子を食べずにいられなくなってしまう可能性がある。でも、君のような考えの浅い娘が他にも何人もいることは期待できないからね、私は遅かれ早かれ、里へと飛び込んでいってしまうだろう。すると、どうなると思う?」
震える声で尋ねる少女に対し、ルーミアは大げさに頭を抱えてみせた。高らかな長広舌に目を回していた少女は、しばらく沈黙した後、おずおずと、巫女に、と答えた。それだ、と指を鳴らす。「巫女に殺されるね、間違いない。だから、私は君を襲うわけにはいかないってわけ。オーケー?」
「う、うん」
「だからと言って、他の連中におめおめと譲ってやるのも惜しいのさ」
そう言うと、少女を立ち上がらせる。「まっすぐ行けばすぐに森から出られる。なるべく足音を立てないように、そして大急ぎで歩いてお家に帰りなさい。次は、私が腹ペコのときに来るんだよ」いいね、と言い添えて、ルーミアは少女の背中を押す。
「……どうしたの? 帰りな、って」
「日が昇るまで、ここにいるわ」
「はぁ?」
「だって、『あなたは私を襲うわけにいかない』んでしょう。なら、ここはこの森で一番安全だわ」
なるほどねえ、とルーミアは天を仰ぐ。気が変わるかもよ、とやり込めようかと一瞬考えたが、少女の身体が小刻みに震えていたので、やめた。
***
ルーミアは居心地の悪い沈黙の中にいた。一人で過ごせない、という不自由さを、しみじみと感じている。それは容易に、理不尽な怒りに変移する。こいつはなぜ自分から寄ってきて、空気を和ませる世間話の一つでもしようとしないのか、と。
隣で、少女が身じろぎするのが視界に入った。地べたに座らせているから寒いのかもしれない。それは自分も同じだし、知ったことか、とルーミアは意固地になる。考え事で頭が埋まっていて、だから、少女が何かしら喋っていたことになかなか気づかなかった。
「……ん、ごめん、なんて?」
「知らなかった、妖怪が人の形をしてるなんて」
「ああ。そうだねえ。人の形を取る妖怪は、ほんの一握りだけど。知らなくても不思議はない。妖怪が人の形をしていることを知った人間のほとんどは、それを誰かに伝える暇もなく事切れるのだから」
いつもの調子で返すと、少女はまた小さく震えて、黙りこくった。気まずい沈黙が続く。ルーミアは、さすがに反省した。
「で、お嬢さんは、こんな時間にどうして出歩いてたの? 自殺志願?」
沈黙は、また同じだけ続いた。そして、
「……家出」
「家出ぇ? そりゃまた、どうして」ルーミアは思う。家があるだけマシじゃあないか。
「お父さんが」
「お父さんね」あの、硬くてすじばった食材だろ。ルーミアは嫌いだったが、その“お父さん”とやらが娘を食卓へ上げてくれるのならば、感謝してやってもいいかもしれない。
「……お父さんがね」
「そこまでは聞いたんだよね。お父さんが何なの」
ルーミアは、恐怖以外の人間の表情を見たことがない。だから、覗き込んだ少女が浮かべているのが羞恥の表情だと分からない。少女はしばらく口ごもってから、意を決したように話し始めた。
「お父さんと喧嘩したの。それで、家にいるのが、嫌になって、こっそり出てきたの」
「はあ」
興味なさげに相槌を打つ。実際に興味はなかったが、ルーミアには一つ、懸念事項があった。
この娘は、家出の原因を取り除かないと帰らないんじゃないか?
それは大変困るな、とルーミアは唸り声をあげる。さすがに二日、三日と近くにおいておけば食欲が抑えられないとは思うが、それより、背中にぴりぴりと感じている、同類たちの食欲のほうが問題だ。次に日が落ちるころには、自分がいようとかまわず襲ってくるに違いない。それは、面倒だった。だから仕方なく、ルーミアは尋ねる。そして、その答えをさらに長い時間、待つことになった。
「それは一体どうして?」
「……魔法。魔法を、勉強したくて」
「ふうん。それで、ここに?」
「ええ。……この森には、魔女がいるって、みんな言ってる」
「魔女がぁ?」居たかなあ、とルーミアは記憶をたどる。喰った覚えはないから、きっとまだ会ったことがないか、居ないかだろう。「だいたい、魔女に会ってどうするのさ」
「魔法を教えてもらうの」即答だった。そんなの決まってるじゃない、と言わんばかりの。
「へえ」
「だって、誰も教えてくれないんだもん。教えてくれる人のところへ、行くしかないでしょう。お父さんはダメっていうし、お母さんも教えてくれない」
「はあ、そう」
「お母さんは自分では魔法を使って楽しそうなことをしてるのに、ずるいわ。お父さんも、魔法の道具を商ってるくせに……」
たがが外れたのか、恐怖を怒りが上回ったのか、少女の口はだんだんと軽くなっていく。ルーミアは、内心辟易としながら、それを聞き流す。
「私は魔法を使えるようになったら、みんなをたくさん幸せにしたいの。でも、ここには居ないのね。居るって大人が噂をしてるのを聞いたのに、魔法使いの幽霊」
「はいはい……うん?」幽霊? それって、まさか。「その大人、悪霊って呼んでなかった?」
「……あ、そうね。悪霊、悪霊って言ってたかも。でも、似たようなものでしょう」
きょとんと見上げる娘を見て、呻く。ルーミアでさえ、その“悪霊”のことは知っていた。嵐のように不定期に表れては暴威をまき散らす、悪意の化身。きわめて力任せで無粋なあれも、確かに魔法ではある。それでいえば、魔女だと呼ぶこともできるだろう。
彼奴だけはやめておけ、と言おうとして、ふと別の考えが浮かんだ。彼奴にも弟子の一人でもできれば、ちょっとは落ち着くんじゃないか。
「あの、魔女の居場所なら、私が知っている。残念だけどこの森じゃないのさ。場所を教えてやるから、日を改めて出直すと良い」
明るい表情を見せる娘を見て、ルーミアはほくそ笑んだ。希望的観測だが、上手くいかなくてもこの娘が死ぬだけで、ルーミアにとっては何も変わらない。
***
朝日に包まれて、ルーミアは苦々しく表情をゆがめる。方向だけ教えて知らんぷりでもよかったのだが、森の外れまで案内するようにと娘に強硬に主張されたのだ。
帰りしなに、娘はぽつりと呟いた。
「私も、金髪にしようかしら」
「ええ? どうしてよ」
「月の光できらきら光って、綺麗だったから」
「……金は目立つよ。赤とかにしな」
「赤なら目立たない?」
「まあ、金よりは」
「……わたし、りさっていうの。霧雨、理沙」
「そうかい」
「あなたは、なんていうの?」
「答えられない。私たちは、名前こそが力だからね」
蟲妖や、夜雀を例に引くまでもなく。名が体を表すのが妖怪だ。「魔女になりたいなら、お嬢さんも、どこかに魔の字を入れると良い」
「ありがとう。……あの、またね!」
「はいはい、また」
駆けていく霧雨理沙に適当に返事をして、その背中を見守る。また会うことになる、とは、露ほどにも思っていない。ルーミアと霧雨理沙はこのように出会って、別れた。
入れ替わりに、赤いシルエットがルーミアの前に舞い降りる。ルーミアは苦笑した。どうせこうなるなら一口だけでもかじっておけばよかったか。赤いリボンを握りしめた、無表情の博麗の巫女に相対して、そう思う。
「ごきげんよう、博麗の巫女さん」
「用は分かっているわよね。糞妖怪」
「いやあ、無事に返したと思うけどなあ」
「そんな言い訳が、通じると思う?」
「巫女は厳しい」
そう笑って、ルーミアはかぶっていた黒いとんがり帽子を引き下げた。陰になったつばの下から、液体のように濃い闇が溢れ出して周囲を包んでいく。
「あんたみたいな強い妖怪にのさばっていられると、迷惑なの。名を封じさせてもらうわよ、ルーミア・トワイライト」
「やってみな、博麗の巫女」
“また”と言った手前、こんなところで倒れるわけにはいかない。やれるだけやってみるしかないだろう。
人生はままならないな、とルーミアは嘆息した。二日ぶりの食事にありついた、こんな満腹の晩に限って、新しい獲物がかかるのだから。
夜の森は決して、静寂に包まれてはいない。風に揺らされた木々が葉を擦り合わせる音や、夜行性の動物が忍び足で歩き回る音、そして、捕食者達の押し殺した息遣い。だが、それらはすべて、森で生きる者が立てる物音だ。例えば、合唱団に音を外す素人が一人混じっていれば、それは確実に音に現れ、聴衆の注目はすべて彼に集まるだろう。そして、音を外した本人だけはそれに気づかずに歌い続ける。今、この森で起こっていることもそれと同じだった。
ルーミアは耳を澄ました。地面を擦る、草鞋の音。森に棲むものならば、捕食者も非捕食者であっても、絶対に足を引きずってはいけないことを必ず知っている。物音は敵に位置を伝え、足跡は敵に足取りを教えてしまうからだ。ほくそ笑む。あまりにも、あまりにもたやすい相手だった。
さらにルーミアは神経を張り詰めさせる。哀れな非捕食者は、今も闇をかき分けてこちらへと近づいてきている。
こんなご馳走が待ちうけていると知っていればな、ともう一度嘆いて、歯に引っかかっていた野犬の筋を、ぷいっと吹き捨てた。
「やあお嬢さん。良い夜ね、こんばんは」
「きゃぁあっ、むぐ」
「こんな夜更けに森を歩いてはいけないよ。大福が食卓を横断しようとするようなものだ。ところで大福は知ってるかい? 餡子を餅で包んだ和菓子だ。家出かしら? 大福が惜しくはなかった?」
悲鳴を上げようとした、口を即座に覆う。もがくことを思い付かれないように無意味なことを喋りながら、木の根に無理やり座り込ませる。
背中が木の幹に密着するように座らせ、伸ばさせた膝の上に体重をかける。
もがき続ける少女を押さえつけながら、このまま抵抗がやまなければいいな、とルーミアは思う。絶対的な力関係があるとはいえ、めそめそされるのは好きではない。それであれば、死の瞬間まで見苦しく生きようとしてくれたほうが良い。そうでなければ不公平ではないか。こちらは生きるため、時には野犬まで胃に収めているというのに? この少女は今どんな顔をしているのだろう? 目を凝らそうとして、苦笑した。取り巻いていた闇を消し去ると、視線が交わる。
手触りの通りの、華奢な少女だった。つやのある黒い髪には軽くウェーブがかかっている。その前髪の下の瞳がまだ光を失っていなかったことが、ルーミアを喜ばせる。
「もう、騒がないね?」
そう確かめると、口を押えていた手を放す。少女は何度か咳き込んでからルーミアを見上げた。どうなるの? と、問いかけるような表情にも見える。
「よかったねえ初めにお嬢さんに目を付けたのが私で。この森には私のほかにも、怖い妖怪がたくさんいるから」
少女の戸惑いを完全に無視し、ルーミアは喋り続ける。
「ある程度の大きさの食べられる肉の塊がまず珍しいのに、それも、幼い人間のメスときたら、みんな涎を垂らして飛びつくご馳走さ。こんな深くまで誰にも見つからずに済んだなんて、奇跡よ」
「そ、それじゃ、あなたも」
「そこなのよ、問題は! 残念ながら私は夕飯を済ませてしまっていてね。もちろん食べられるときに食べておくに越したことはないんだけれど、一度贅沢を覚えてしまうと、これからもデザートには人間の女の子を食べずにいられなくなってしまう可能性がある。でも、君のような考えの浅い娘が他にも何人もいることは期待できないからね、私は遅かれ早かれ、里へと飛び込んでいってしまうだろう。すると、どうなると思う?」
震える声で尋ねる少女に対し、ルーミアは大げさに頭を抱えてみせた。高らかな長広舌に目を回していた少女は、しばらく沈黙した後、おずおずと、巫女に、と答えた。それだ、と指を鳴らす。「巫女に殺されるね、間違いない。だから、私は君を襲うわけにはいかないってわけ。オーケー?」
「う、うん」
「だからと言って、他の連中におめおめと譲ってやるのも惜しいのさ」
そう言うと、少女を立ち上がらせる。「まっすぐ行けばすぐに森から出られる。なるべく足音を立てないように、そして大急ぎで歩いてお家に帰りなさい。次は、私が腹ペコのときに来るんだよ」いいね、と言い添えて、ルーミアは少女の背中を押す。
「……どうしたの? 帰りな、って」
「日が昇るまで、ここにいるわ」
「はぁ?」
「だって、『あなたは私を襲うわけにいかない』んでしょう。なら、ここはこの森で一番安全だわ」
なるほどねえ、とルーミアは天を仰ぐ。気が変わるかもよ、とやり込めようかと一瞬考えたが、少女の身体が小刻みに震えていたので、やめた。
***
ルーミアは居心地の悪い沈黙の中にいた。一人で過ごせない、という不自由さを、しみじみと感じている。それは容易に、理不尽な怒りに変移する。こいつはなぜ自分から寄ってきて、空気を和ませる世間話の一つでもしようとしないのか、と。
隣で、少女が身じろぎするのが視界に入った。地べたに座らせているから寒いのかもしれない。それは自分も同じだし、知ったことか、とルーミアは意固地になる。考え事で頭が埋まっていて、だから、少女が何かしら喋っていたことになかなか気づかなかった。
「……ん、ごめん、なんて?」
「知らなかった、妖怪が人の形をしてるなんて」
「ああ。そうだねえ。人の形を取る妖怪は、ほんの一握りだけど。知らなくても不思議はない。妖怪が人の形をしていることを知った人間のほとんどは、それを誰かに伝える暇もなく事切れるのだから」
いつもの調子で返すと、少女はまた小さく震えて、黙りこくった。気まずい沈黙が続く。ルーミアは、さすがに反省した。
「で、お嬢さんは、こんな時間にどうして出歩いてたの? 自殺志願?」
沈黙は、また同じだけ続いた。そして、
「……家出」
「家出ぇ? そりゃまた、どうして」ルーミアは思う。家があるだけマシじゃあないか。
「お父さんが」
「お父さんね」あの、硬くてすじばった食材だろ。ルーミアは嫌いだったが、その“お父さん”とやらが娘を食卓へ上げてくれるのならば、感謝してやってもいいかもしれない。
「……お父さんがね」
「そこまでは聞いたんだよね。お父さんが何なの」
ルーミアは、恐怖以外の人間の表情を見たことがない。だから、覗き込んだ少女が浮かべているのが羞恥の表情だと分からない。少女はしばらく口ごもってから、意を決したように話し始めた。
「お父さんと喧嘩したの。それで、家にいるのが、嫌になって、こっそり出てきたの」
「はあ」
興味なさげに相槌を打つ。実際に興味はなかったが、ルーミアには一つ、懸念事項があった。
この娘は、家出の原因を取り除かないと帰らないんじゃないか?
それは大変困るな、とルーミアは唸り声をあげる。さすがに二日、三日と近くにおいておけば食欲が抑えられないとは思うが、それより、背中にぴりぴりと感じている、同類たちの食欲のほうが問題だ。次に日が落ちるころには、自分がいようとかまわず襲ってくるに違いない。それは、面倒だった。だから仕方なく、ルーミアは尋ねる。そして、その答えをさらに長い時間、待つことになった。
「それは一体どうして?」
「……魔法。魔法を、勉強したくて」
「ふうん。それで、ここに?」
「ええ。……この森には、魔女がいるって、みんな言ってる」
「魔女がぁ?」居たかなあ、とルーミアは記憶をたどる。喰った覚えはないから、きっとまだ会ったことがないか、居ないかだろう。「だいたい、魔女に会ってどうするのさ」
「魔法を教えてもらうの」即答だった。そんなの決まってるじゃない、と言わんばかりの。
「へえ」
「だって、誰も教えてくれないんだもん。教えてくれる人のところへ、行くしかないでしょう。お父さんはダメっていうし、お母さんも教えてくれない」
「はあ、そう」
「お母さんは自分では魔法を使って楽しそうなことをしてるのに、ずるいわ。お父さんも、魔法の道具を商ってるくせに……」
たがが外れたのか、恐怖を怒りが上回ったのか、少女の口はだんだんと軽くなっていく。ルーミアは、内心辟易としながら、それを聞き流す。
「私は魔法を使えるようになったら、みんなをたくさん幸せにしたいの。でも、ここには居ないのね。居るって大人が噂をしてるのを聞いたのに、魔法使いの幽霊」
「はいはい……うん?」幽霊? それって、まさか。「その大人、悪霊って呼んでなかった?」
「……あ、そうね。悪霊、悪霊って言ってたかも。でも、似たようなものでしょう」
きょとんと見上げる娘を見て、呻く。ルーミアでさえ、その“悪霊”のことは知っていた。嵐のように不定期に表れては暴威をまき散らす、悪意の化身。きわめて力任せで無粋なあれも、確かに魔法ではある。それでいえば、魔女だと呼ぶこともできるだろう。
彼奴だけはやめておけ、と言おうとして、ふと別の考えが浮かんだ。彼奴にも弟子の一人でもできれば、ちょっとは落ち着くんじゃないか。
「あの、魔女の居場所なら、私が知っている。残念だけどこの森じゃないのさ。場所を教えてやるから、日を改めて出直すと良い」
明るい表情を見せる娘を見て、ルーミアはほくそ笑んだ。希望的観測だが、上手くいかなくてもこの娘が死ぬだけで、ルーミアにとっては何も変わらない。
***
朝日に包まれて、ルーミアは苦々しく表情をゆがめる。方向だけ教えて知らんぷりでもよかったのだが、森の外れまで案内するようにと娘に強硬に主張されたのだ。
帰りしなに、娘はぽつりと呟いた。
「私も、金髪にしようかしら」
「ええ? どうしてよ」
「月の光できらきら光って、綺麗だったから」
「……金は目立つよ。赤とかにしな」
「赤なら目立たない?」
「まあ、金よりは」
「……わたし、りさっていうの。霧雨、理沙」
「そうかい」
「あなたは、なんていうの?」
「答えられない。私たちは、名前こそが力だからね」
蟲妖や、夜雀を例に引くまでもなく。名が体を表すのが妖怪だ。「魔女になりたいなら、お嬢さんも、どこかに魔の字を入れると良い」
「ありがとう。……あの、またね!」
「はいはい、また」
駆けていく霧雨理沙に適当に返事をして、その背中を見守る。また会うことになる、とは、露ほどにも思っていない。ルーミアと霧雨理沙はこのように出会って、別れた。
入れ替わりに、赤いシルエットがルーミアの前に舞い降りる。ルーミアは苦笑した。どうせこうなるなら一口だけでもかじっておけばよかったか。赤いリボンを握りしめた、無表情の博麗の巫女に相対して、そう思う。
「ごきげんよう、博麗の巫女さん」
「用は分かっているわよね。糞妖怪」
「いやあ、無事に返したと思うけどなあ」
「そんな言い訳が、通じると思う?」
「巫女は厳しい」
そう笑って、ルーミアはかぶっていた黒いとんがり帽子を引き下げた。陰になったつばの下から、液体のように濃い闇が溢れ出して周囲を包んでいく。
「あんたみたいな強い妖怪にのさばっていられると、迷惑なの。名を封じさせてもらうわよ、ルーミア・トワイライト」
「やってみな、博麗の巫女」
“また”と言った手前、こんなところで倒れるわけにはいかない。やれるだけやってみるしかないだろう。
やりとりも東方らしくて面白かったです。この空気ですよこの空気
魔を入れるといいってセリフが最高にツボ。
しかし赤いのはリボンではなくお札なのだぁ!(細かい)
ルーミア好きなのでとても楽しめました
妙に余裕があるルーミアだなあと思ったけどはこのせいな
これで封印されてああなっちゃうのかー。
エピローグ等で語りすぎず、ここで想像の余地をいろいろ残して終えているのが、余韻があって好きです。
こういうお話があるから、二次創作はたまらない!
あたしゃここにいるよ…
カリスマがあるルーミアって珍しいなぁと思っていたのでなるほどなぁと思いました。
お手本のような短篇でした
話の内容とは関係ないのですが、なんだか懐かしい気持ちになりました
旧作と現行シリーズの隙間を上手く埋めていますね