Coolier - 新生・東方創想話

東方夜幡抄 ~Impalpable Eight.

2016/10/14 23:02:04
最終更新
サイズ
29.18KB
ページ数
3
閲覧数
2132
評価数
1/5
POINT
90
Rate
3.83

分類タグ



2.言霊と子と黙らす八に

 宇佐神軍が進む。
 この軍を率いるは、祖に須佐之男を持つという古代宇佐神宮の有力祠官の辛嶋ハトメ、宇佐神軍の中央には神輿で担がれた八幡神と玉依姫が居る。横には総大将の大伴旅人や宇努首男人が率いる大和朝廷の征伐軍があった。さらに、二つの軍の後には法師が続く。
 時は720年、養老4年、八幡神はすでに663年の白村江の戦いの頃より武神としての神格を得ていた。宇佐の土着神だった彼女は朝廷と組み倭国南部で力を奮っている時に、九州南部に住まう熊襲という民族との衝突が起きた。律令制による地方支配を進める朝廷だったが、熊襲の民は制度の中心である稲作が自分達のシラス土壌の広がる土地では不適だということを理由に抵抗した。朝廷にとっては頭を抱えざるをえない問題で、白村江の戦いで敗戦して以来遣唐使は朝鮮半島を経由する航路を選ぶことができず、大陸へ渡るためには熊襲の土地を経る他なかった。朝廷が問題を解決しようとするも、それらは全て熊襲の民との摩擦を生むだけであった。そもそも、熊襲の民が抵抗する理由はもう一つあった。古事記、海幸山幸神話より、海幸彦は山幸彦に敗北する。その勝者の山幸彦の子こそ天皇であり、敗者の海幸彦の子こそ熊襲の民であるのだ。
 朝廷から派遣した各地への調査団は威嚇を受け、現地の支配体制を強固なもの、律令国家に近づけるために朝廷は太宰府に武器と兵を集め熊襲の土地に二つ国を造り、農業の技術者を派遣したが熊襲の反感を買うばかりであった。次に朝廷は支配強化のために豊前の国から五千にのぼる人々を移住させ、ついに熊襲の民は大きく出た。自分達の土地に造られた2つの国の、東側の方の国の国司、陽侯史麻呂を殺害した。有能な渡来人の一族から選びぬかれた国守を殺されたとなっては朝廷も黙る訳にもいかず取り急ぎ出兵を行った。
 以前より熊襲、またの名を隼人と交流のあった大伴旅人は天皇を守る軍事氏族の子孫であり、討伐軍の総将軍に選ばれた。しかし、旅人は高齢であり、朝廷はくわえて熊襲の土地と近い宇佐八幡に神託を仰いだ。当時、朝廷に擦り寄っていた宇佐神宮の八幡神は応神天皇の神霊と習合され、伊勢神宮よりも信仰を受けていた。ここまでの神格を得たからには、八幡神も何もしない訳にはいかない。「我征きて降し伏すべし」と託宣を下し、八幡神自ら熊襲の地に攻め込んだ。
「大伴旅人、と言いましたか」てゐの傍らに、菫の染物のような色の髪を後ろで束ねている一柱の女神が居た。彼女は玉依姫命という名前を持っていた。
「もう齢が六十こえているのに、奈良の美しき明日香から追い出されたんだって。無慈悲ねぇ」てゐはフランクな口調で返したが、内心は至極ヒヤヒヤしていた。
 玉依姫命はてゐが産まれる遥か太古に天津神として産まれ、すでに月の都へ移住していた。現在、月は地球を実質的に支配しており、玉依姫命はこの国の監視に自らの分霊を送り込んでいる。平常なら、簡単に地上と月を移動など簡単には為し得ないが、八幡神を祀る神社はそのほとんどが八幡三神という、三位一体のシステムを取り入れており、応神天皇と習合された八幡神に、応神天皇の親族である母の神功皇后など天皇の系譜に居る者、神功皇后が祀った水神などを合わせて信仰していた。三韓出兵を成功させた神功皇后は元々、出兵を成功させるために出兵の地点とした広島の土着神である八幡神や海神を祀っていた。実際、女性の皇族として巫女の側面を持ち、水との繋がりは深く、生命に関わる水の属性を持つ彼女の息子の応神天皇は、胎内に居る時から皇位につく宿命にあった。
 そして、その八幡三神に玉依姫命は適役であった。初代天皇、神武天皇を産んだ身でありながら海神の娘でもあるためだ。玉依姫命には姉が居たが、その姉はとある事情から地上に表立って行動することはなく、天皇の系譜により近いのは妹の玉依姫命であったために彼女が信仰されることとなった。その信仰を通じて、彼女は地上へとやって来ている。その際、あろうことか依玉姫は比売大神の存在が曖昧なことを良いことに彼女を乗っ取り八幡神を差し置いて社殿の中央に居座った。
 天津神は土着神のことを反吐とでも思っている、それがてゐの見解で、初めて会った時は一触即発の事態になるかと予想していた。
 しかし、玉依姫命は
「お前達は生きていても、死んでいても罪を重ねているのだ。それならば、貴き月の都に穢れを持ち運ばないよう貴女を生かす」と声を発した。
 『生かす』は、同時に『活かす』でもあった。玉依姫命の言葉に、てゐは己の緊張の糸を緩ませぬよう心の中で糸を引っ張り直し、これから付き纏うであろう玉依姫命に対して毒づいた。
「亜麻衣海女くく秘緒ひめをあまつさへ行かさせんとしこはくたにぎり」潜ると括るの掛詞に、天津神に対しアマでかけた初句と二句を、すでにてゐは頭の中に入れていた。この時代はニ句切れが主流であった為、そこまで考え後はアドリブで付け足そうと考えていた。続けるフレーズとして相手が生かすと活かすを掛けてきた報復にと同音の行かすの否定を用いた。
 そこまでは、玉依姫も瞬時に理解した。これだけでも面白かったが、それだけでは無いと玉依姫は使われている単語で勘づく。わざわざ字余りを起こしてまで秘緒を使った理由があるはずだ。その理由を、どうやら全体的に自分への皮肉である雰囲気が醸し出されていることから察した。
 この歌には技巧と意味が二つずつ込められている。
 一つ目の技巧は、天津神に対するうたであることのヒントである亜麻、海女、剰へのアマ。そして二つ目の技巧は、括ると潜るの掛詞。
 意味としての一つ目は、あまくく海女あまくくる紐を操る役割の男が、女が恋しく紐を離せない情景を描写している。そして、二つ目は海女は海神わだつみ綿津見わだつみの娘で海の女神である玉依姫を指しているのだろう。海は生命に深く関わりがある。秘緒は、つまりへその緒のことをさしていて、玉依姫の子、神武天皇の居るこの国からいつまでも手が離せていない玉依姫を指しているのだ。
 今、玉依姫が熊襲の城へと向かっている宇佐神軍の中の神輿にてゐと共に乗って隣に居るのは、土着の神にしては中々だと玉依姫自身がこの経緯で評価したためだ。
 宇佐神軍と朝廷の討伐軍の二軍で、討伐軍が徐々に先を越そうとしていた。同じように先行するか辛嶋ハトメに判断を仰がれたてゐは、枕を座布団のように座りかけながら、今の速度で進軍させるように指示した。ハトメが有力祠官である理由は、こうして八幡神の託宣を聞く御杖人の役割があったからだった。
「こちらに助けを求めておいて、やはり名誉は自分達のものにしたいのですね」玉依姫は、ハトメが軍全体に神の指示を伝えている間にてゐに囁いた。
「そういうものよ」てゐは達観した立場で答え、枕から立ち上がる。この枕は薦枕こもまくらと言い、これは八幡神の御験、つまり神体であった。「神軍は戦わないでしょうし、もう、帰るわ。この御霊代は貴方が座っておいて」てゐが薦枕を渡そうとしたが、玉依姫はそれを受け取らなかった。
「若薦が高光る月に爪立てる葦と人の分かち難きこと」
 てゐは薦枕を玉依姫に渡すのを止め、神輿の上ならどこでもいいだろうと適当に投げた。
 葦は足とかけていて、爪から引っ掛けてあるのだろう。さらに、葦には元々悪しがかけられている。天津神がこの国に名付けた葦原中国とは、悪しき者の原の中津国という意味なのだ。実際、伊弉諾と伊弉冉の間の不具の子である蛭子は葦の船に乗せられ海に流される。というのも、蛭子はそもそも縄文時代に居た赫奕たる原初の太陽神なのだ。天津神は自分の支配下に置けない土着神を悪しの船で殺し、太陽神として天照大神を生み出した。
 月の神の卑しい和歌にうんざりしたてゐは、地上の和歌で口直しを望みに大伴旅人邸へ一っ飛びした。

 九州は太宰府、てゐは玉依姫に対し大伴旅人が左遷された先だと紹介したが、ここはとお朝廷みかどだと謳われるほどにこの国では栄華を迎えた都市であった。白村江の戦いの際より数々の防壁と城に守られ、学校院などの施設も充実しており、中心部には政庁の建造物が築かれている。外交も盛んであり、百済の都を模して風水思想に則り造られた都市構造の気の巡りはとても良好なものである。
 大伴旅人邸に太宰府政庁のすぐそばにあり、てゐは太宰府の朱雀大路から北に飛び、かの邸宅に着いた。
 そこでは、歌人でもあった大伴旅人が太宰府や西海道にいる役人などを招き、“書聖”王羲之による最高峰の書、蘭亭序の詩歌がつくられた曲水の宴を意識した梅花の宴が何度も行われていた。意識は現実のほとんどを占める。この辺り一帯は風雅の世界と言っても過言ではない。あちらこちらに言霊がふよふよしており、てゐはそこに居るだけで先程のストレスを忘れることができた。
 その時、溢れる言霊とは異なる気質を感じた。それは邸宅のおかおかから流れ込んでいる。
 誰かと想いてゐがそこに向かえば、そこはかとなく言霊を発する梅の花に腕を伸ばして触れる一柱の男神の姿があった。
 その神は、その神が弄ぶ梅よりも濃い紅色の皮膚で、鼻が異様に長い。てゐは梅から放たれる春の薫りを吸い込み、そこな神の正体に気づいた。
 邇邇芸尊を高千穂に導いた、猿田彦大神だ。
「これは大陸から来たのかな」目の前の男神が梅を触り続けたまま尋ねる。
「え、ええ。そう……もう、都にも咲いているはずよ」
「綺麗な宍色だ」
「梅を見に来たの?」今度はてゐが質問した。
「いや。この花が目的という訳では無かったよ。でも、この花があると聴いていたならば見るために来ていただろうね」
「熊襲のことは貴方には関係ないはずだけど」先程と打って変わって直截的に切り込んだ。その口調に猿田彦大神は数秒黙り込み、急いでパッと口を開く。
「いえ、ここの大伴旅人は私の子孫なのです」
「え?」てゐは声をあげる。自分の知っている情報とは食い違っていた。「大伴の祖神は、たしか、アメノ……なんたらのみことだったはず」
天忍日命アメノオシヒノミコト、それも私の名前ですね。どちらも、邇邇芸尊を導いた者でしょう?」猿田彦大神はもう一つ共通項を言った。「それに、天で共通しています。私は元は伊勢の太陽神ですから」
「ああ、そういえば、たしかに」
「どうですか、私の子孫は。元気でやっていますか?」猿田彦命が優しく声をかける。彼が心配している理由は、てゐが旅人がこちらにやって来たのを左遷とまで言った理由と同一のものであった。太宰府に来てすぐ、旅人の妻が身罷ったという報せが届いたのだ。
「さあ」てゐは少し考えてから冷たくあしらった。変に恩着せがましいのは返って損になる。「随分腰が低いのね」
「比類なき一大の武神の前ですから」
「月の神にあしらわれてる、ね」てゐは言った後からあしらわれてる、の「あし」で玉依姫の葦のことを思い出し後悔した。
「天津神は水分みくまりの神。『土』着の我らを殺せはしない」初めて猿田彦命が敬語を外した。それを皮切りにてゐも声色を変えた。
「馬鹿ね、水侮土だよ」
「ここなら大丈夫だ。八幡神、土克水の性質を知っているか?」
「そりゃあ……水の循環を、土の壁が止める……」てゐが気づく。「あ」
「そう、ここはやたらに壁が多い。大陸の万里の長城は北方の遊牧民に対する防衛、そして北は水の属性に値する」猿田彦大神は続ける。「ここで水の海幸彦を倒したのは土の山幸彦だろう?」
「でも、それは天津神の綿津見による支援があったからよ」
「それはそうだ」素直に折れる猿田彦大神を前に、てゐは何を言わんとしているのか理解し得なかった。「私がここに来た理由はもう一つ、八幡神に忘れてほしくない事があったからなのです。この世界は意識こそが重要で、実際の行動など二の次です。月の神に唯々諾々でも良い」事のまことの迫真性に、てゐは二の句を継げないで居た。
 やがて、戦勝にホクホクと喜ぶ大伴旅人らが帰ってきた。彼らが近づくと共に、猿田彦大神は姿を霊体に戻していく。輪郭が淡くなり、消える間際にてゐへ最後に告げた。
 「比類なき一大の武神よ。決して、国津神の誇りを忘れないでくれ。どうか、ゆめゆめ、お忘れなきよう……」
 邇邇芸尊を導いた猿田彦大神とは言ったが、おそらく、そうではない。に邇邇芸尊を連れて行ったのではなく、邇邇芸尊に高千穂へ追い出されたのだ。猿田彦大神の出自は土着の伊勢の太陽神である。どうして九州の高千穂を案内できようか。

 大伴邸で行われた戦勝の祝賀の宴は大いに盛り上がった。
 熊襲の拠点の七城の内、五城を攻略し終え残りは二城となった。宴の者達は次々に片手を開き、もう片手は二本だけ立てて、今度は最初の片手を閉じる遊びを繰り広げた。よいになるに連れ酔いよいが深くなりゆき、良いよい頃合いとなったところで七と五から和歌を連想させた者が居た。
 てゐはこれが楽しみで宴の隅に霊体として降臨しており、耳を傾け始めた。
 大伴旅人は酒に関する和歌を十三句連ならせ、宴を大いに盛り上げた。その時の心境を葛井大成が梅の盛りと重ね合わせた。百済系の者だが中々やるな、とてゐは想いを寄せた。次に山上憶良が帰ろうとした時に大伴旅人に引き止められ、和歌で答えた。
「憶良らはいまはまからむ子泣くらむそもその母もを待つらむそ」
 これにはてゐも思わず破顔してしまった。憶良の齢は七十を越えている。まさか、泣きべそをかく子も妻もおるまい。
 宴も闌となり、ちらほらと人がちっていく中、一人の男が宴に現れた。男の装いはこの辺りで見る装束ではなく、朝廷の者だと周囲の者が気付いた。男は旅人に近づくと大きな声を発した。
「不比等さまがご薨去なされた。至急、都に戻って頂きたい」
 旅人は急いで都に帰還する支度を始めた。不比等、藤原不比等と大伴旅人は同じ上司を持つ身だった。初めて独身の身で即位した女帝、そして母から娘と女系での継承が行われた元正天皇の下で不比等は平安京遷都や大宝律令編纂に携わり、大伴旅人はその藤原不比等の父、中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼした事によって軍司としての力を奮うようになる__とは行かなかった。
 藤原氏は皇族に取り込むために、数々の古代豪族を滅ぼした。皇族を守る軍事氏族の大伴氏は藤原氏にとって目障りだった。大伴氏は、最後の古代豪族だ。大伴旅人は当然反藤原で、同じく反藤原の長屋王と盟友となった。最後の古代豪族と自分達の地位を揺るがす力を持つ長屋王、藤原氏にとってこれほど邪魔なものはない。
 八幡神は、都に行った大伴旅人が殺されないように自分の分霊を宿させた。
 藤原不比等と訃報と旅人が都に向かったことで宴は終わり、総大将である大伴旅人が抜け士気が下がった朝廷軍に変わって宇佐神軍が熊襲攻略の主力となった。相変わらず、てゐの横には嫌味ったらしい言葉を投げる玉依姫が居たが、どうやら八幡神としての武運を補っているようだった。てゐは玉依姫のこの行動の真意を知っていた。
 月の都はこの国の民からの信仰で成り立っている。それは時に狂える月への恐怖でもあれば、次々に姿を変える月の魅力への謳いでもある。月はこの国の民を支配するために、天皇のシステムを用いた。そのシステムが崩れないように玉依姫が視察に来ているのだろう。おそらく、月の介入はこれだけではない。母も女帝であった女帝、元正天皇がその位に就いているのは、月が陰、すなわち女性の性質を司っているからだろう。
 てゐの月の介入が他にある、という考察は当たっていた。大伴旅人に宿らせた八幡神の分霊は、当時主流となってきた火葬で行う藤原不比等の葬儀で、藤原不比等が月人と交流した、という噂を聴いた。なんでもカグヤという月人の女が藤原不比等を含む五人の貴族に難題をふっかけたらしい。五人の貴族は全てその難題に敗れた。藤原不比等は巧妙な偽物をつくったらしいが、製造者との問題で偽物であることを看破されたらしい。これに対して、てゐは天皇家を乗っ取らんとする豪族を貶めるための策だったのでは、と考えた。
 てゐがその噂話で思考する中、カグヤという固有名詞が出る度殺気を放つ子供が居ることに気づいた。てゐと似た黒色のおかっぱの少女で、どうやら参列の順から藤原不比等の娘らしいことがわかる。その娘は大伴氏に嫁いでいたらしく、それが判明した時に分かったのだが、彼女は藤原不比等の五女で名をモコウと言う。
 後に、てゐは月人のカグヤ、そして変わり果てたモコウと再開するのだが、それはまた別の話である。
 
 訃報は一つではなかった。
 時間を遡れば大伴旅人が深く仕えていた安積親王が死んでいた。太宰府に帰った頃、さらに訃報が届く。盟友の長屋王、さらに立て続けに妻も。勅使により旅人の妻は病死と、長屋王は聖武天皇の第一皇子を祟り殺し、その疑惑を問い詰めた所服毒して自殺したと伝えられた。妻はともかく、長屋王の死は間違いなく藤原氏の陰謀によるものだった。
 長屋王は以前、跡継ぎを決めなければいけない状況で当然天皇の血筋をひく安積親王を推した。しかし藤原氏は自分達の地位を確立させるために安積親王ではなく藤原氏の出自である光明子を推し進めた。その見え透いた浅ましい動機に、当然長屋王は反対した。しかし結果として藤原氏に自殺まで追い込められる。後に、藤原不比等の造った基盤を不比等の子ら四兄弟きょうだい強大きょうだいなものへ発展させ、光明子は皇后として輝くことになる。大伴氏は旅人の心境のごとく衰退していき、藤原の時代が始まることと相成った。
 深く落ち込んだ大伴旅人の前に、母と子の笑い話を詠った山上憶良も旅人の妻を偲び、朝廷軍はより奮わなくなった。八幡神の神軍もそれに感化されたようで個々には何も無いが各個人と各個人の間には暗い雰囲気が流れている。これではいけない、と八幡神は最後の城を攻略する際、自ら熊襲の一族を襲撃した。
 てゐは地で狛犬や獅子などの霊獣を走らせ、空には鷁という白い霊鳥を飛ばした。さらに、以前からお供させている法師達に千手観音の眷属である東西南北など全方角に割り当てられた二十八部衆を召喚してもらい、八幡神はその造像された二十八の善神に大陸から伝わった傀儡舞と呼ばれる踊りで相手の心を揺さぶった。これで地、空、そして二十八部衆による全ての方角による攻撃が為された。しかし、一つ足りない。その大トリを、てゐは隣の座ってるだけのやつに任せるために神軍に御杖人のハトメを通じず、直接神通力による言霊を放った。
「皆の衆!どうやら貴き天津神が貴方達に最後の攻撃を見せてくれるってさ!」
 玉依姫は驚いた顔をした。宇佐神軍が直接信仰を注ぐ八幡神の言霊は、流石の天津神でも覆すことは難しい。玉依姫自身の誇り高い性格も手伝って、彼女は仕方なく神輿から飛び出して神軍に告げた。
「八幡神に紹介を預かった。私の名前は、玉の依り憑く姫、玉依姫。海幸彦とは比べ物にならない、本当の水神がどんなものか見せてさしあげましょう。『綿津見大神』よ!神代の水分みくまりのちからを以て果敢無い海幸彦の末裔を絶やせ!」
 最後の攻撃。それは海からの攻撃だった。あまあまあま。龍に水神が多いのは、龍に水の性質があるからだ。
 玉依姫の言霊による神降ろしの後、海から水で出来た龍が現れ、熊襲の最後の城を一呑みしたのだった。

 その後、てゐは戦勝とあっていくつかの熊襲の城に残っている残党を狩りながら熊襲の死体を何百どころか、何千と持ち帰った。その日の宴は殊更盛り上がった。
 が、同日の夜。てゐに恐ろしい苦しみが襲いかかった。それは殺された熊襲達の怨恨の集合であった。首と、手首と、足首。この世に顕現するための人の器の気の流れを熊襲の怨霊は絶ち、気が留まり抜け出せないてゐを苦しめた。神を存在させるための信仰の真逆の性質、つまり『消えろ』という意思は神にとって最も毒となるのだった。
 消えろ、消えろとてゐの脳内で何度もこだまする。勢いを失うどころか増していく恨み辛みの大合唱はひたすらてゐを蝕み続けた時、フッとてゐの体への負担が減った。ある者の言霊が怨霊の声を上書きしててゐの中で反響していく。これは真言だ。
 その明呪の始まりは如是我聞、では無かった。つまりは、菩薩自身が唱えている。
 徐々に怨霊の拘束が取り払われ、てゐが起き上がると綺羅びやかな装飾品をつけた仏の姿があった。
 弥勒菩薩だ。
 かの仏は神軍についていた法師達の守護を担っていたのだが、何者かによって導き出されたという。その何者かというのは、他でもない先導の神たる猿田彦大神だろう。八幡神はその菩薩に因果応報と四文字で済むはずの長ったらしい真言を刻まれ、日本で最もはやく神仏習合を取り入れた神となる。
 八幡神は日本に仏教を広める足掛かりとなったことで日本に仏教という別勢力を呼び込み、玉依姫から厳しい視線を浴びせられながら誅滅された熊襲の怨霊を鎮め、己の滅罪を果たすための放生会を毎年修めることにした。
 こうして、紆余曲折を経て熊襲と朝廷の衝突、後に隼人の反乱と言い伝えられる戦争は終りを迎え、藤原氏とヤマト王権の支配体制が確立し、次第に宇佐氏は安定した朝廷から必要とされず衰退していった。

 その反乱の後、八幡神は大伴邸の後に八幡宮を建てさせ、その中に猿田彦大神の庚申塔も造った。九州にいくらか弥勒菩薩に関する寺を置き、八幡神土着の地、因幡へと帰った。
 そこで、何の縁か大伴旅人の子で大伴家持が因幡に因幡守としてやってきた。いまだ政界の付近にいた大伴氏を追い出したのは、またしても藤原氏だった。藤原氏の思うがままに動かされ、失意に陥った家持は父の旅人同様哀愁の和歌を詠うようになった。
 しかし、てゐは歌人というのは得てして失意である方が良い詠をつくると考えていた。人の心をより揺り動かさんとするのは、やはり負の感情だ。単調な盛り上がりを見せる詠よりも、初句と二句で美しい風景を描写しその後に己の不遇な境遇の対比を用いているのが侘びと寂びを感じさせる。
 詠といえば、大伴家持は万葉集なる和歌集を編むという初の試みを行っていた。当時は藤原氏との兼ね合いで公の場に出ることは無かったが、後世には日本文学の始祖といわしめ他の作品を圧する古典となる。
 大伴旅人の子で、和歌集を編んでいるという大伴家持の様子を伺いに因幡守の視察と言って家持も出席している新年の宴を覗きにいった。
 時は隼人の乱より三十九年後、春、正月一日。場は因幡国の庁。
 因幡国ははシベリア高気圧が暖流の対馬海流から大量の水蒸気を受けて発生する雪雲の影響を一番先に受けるため、庁舎の敷地の南門から正殿までは素い雪が高く積もり、嫋やかな光を放っていた。家持はさっそく、このことから一つ詠う。
あらたしき年の始めの初春のけふ降る雪のいやけ吉言」
ああ、面白いなあ、とてゐは想った。敷くと重くの掛詞がよくできている。しかし、後から見れば全く異なる方向性の詠が見えた。
 大伴家持の万葉集には万葉仮名という独特の当て字を取り入れている、さきほどの詠は万葉集の最後の句であり、万葉集の記述に当てはめるとこうなる。
「新年乃始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰」
 新の一文字で『あらたしき』と読んでおいて、『はつはるの』は波都波流能と一文字一文字に字を当てている。てゐは自分でも穿っているな、と想う見方で見るとあらたしきは新羅のことを指し、由伎ゆきは雪ではなく、ゆきなのではないか。つまりは、新羅討伐をテーマとしているのだと感じ取れた。その新羅討伐を強く推し進めているのは大伴家持の左遷に一番深く関わった藤原仲麻呂だった。哀愁を帯びた詠ばかりつくっていたはずの彼が祝賀の詠をつくり、さらに万葉集の最後にこの詠を掲載したのは、これほどに完成された自信作だからだろう。
 てゐはその後の宴にもちょくちょく顔を覗かせ、万葉集の裏の姿を知った。そこに、折角この国に来れたのに退屈で仕方がない玉依姫と弥勒菩薩が加わった。気づかれるので止めて欲しい、と言うとかの神仏は霊験灼然なる言霊を用いて黙らせた。
 ついに、神々しい言霊の交流にそこに言霊を操る神々が居ることを唯一彼だけが知り得た。やはり万葉集、よろずの言の葉の言霊に触れた男は違う、とてゐは大伴家持の非人間らしさを再認識した。万で彼女は思い出したが、玉依姫はよく自分の謳い文句として八百万の神々を降ろすことができ、貴女八幡神と百万回戦うことができる、と言う。あの女が万葉集のことを知れば、私はその八百倍の言霊を意のままにする、とでも言うかもしれない。
 神と仏ということで庁舎にある別の部屋に案内され、八幡神らの前に超々古酒が出された。てゐはさっそく口にし、その溢れる潤沢な、色気ともいえる酒の味に感銘してしまった。ところが、彼女以外は誰も酒を餐もうとしなかった。弥勒菩薩はともかく、玉依姫は良いんじゃないか、とてゐと家持は想い次のように詠った。
「あなみにくさかしらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む」そして付け足す。「父の歌です」
「随分な酒好きだったみたいねぇ。言はむすべむすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし」てゐも加勢した。 
「ほう、言いましたね。そんな穢れた酒を……」玉依姫が正座の状態から立ち上がる。
「木花咲耶姫の父、大山祇御にして酒解神よ」玉依姫が両腕を上げると、彼女の手の先に二つの神器たる盃があり、後方には雄々しき男神がいた。「神の力である発酵の力を土着の民達が理解できるか験してみなさい!」
「お前達には、三千年物の酒が丁度うまいだろう」そういって玉依姫はこちらに、神聖な霊気がちた未知みち三千みちの酒を差し出した。
「三千年?」てゐは笑った。目の前の弥勒菩薩のために三千大千世界から取っているつもりなのだ、と勘付いた。しかし、その勘もすぐに消え失せる。
 酒解神が造った酒の液面は透き通っているのに、なにも汚穢を写していなかった。これが高貴な天津神の酒か、とてゐと大伴家持が盃に近づく。
 彼女らがったその須臾、部屋の八隅までに清酒ならざる聖酒が神以て香り立つ。その神酒に、二人は呑む前からってしまった。
『東方夜幡抄 ~Impalpable Eight.』の後編にあたる作品、『東方八幡抄 ~Palpable Night.』(http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/213/1476456934)も良ければご覧ください。
胡桃麺麭
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.80簡易評価
1.10名前が無い程度の能力削除
むつかしい言葉使わないでよ!わかんないのは教養不足だけど読む気失せる!
6.無評価名前が無い程度の能力削除
上のコメント草生える
7.無評価名前が無い程度の能力削除
上のコメント草生える
8.無評価名前が無い程度の能力削除
上のコメント草生える
9.無評価名前が無い程度の能力削除
上のコメント草生える