Coolier - 新生・東方創想話

東方夜幡抄 ~Impalpable Eight.

2016/10/14 23:02:04
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1.元寇と神風のエイジア

 立秋が去り、なだらかな風が迷いの竹林に流れこむ。迷いの竹林は幻想郷のどの各所と比較しても涼しく、残暑というものが無かった。しかし、過ごしやすい気候かと言われると別である。
 永遠亭の敷地からやや離れた所に、白い肌に白い耳、やや朱の混じった白い装束、だが髪だけが白と対を成す黒色である少女、因幡てゐが居た。彼女はじっとりとした水分を身に纏っている。人間の不快指数は気温よりも湿度に左右されやすい。なぜなら、人間は体温調節のため気化熱を利用する発汗機能が非常に発達してるためで、今のように涼しくとも湿度が高く汗による体温調節が妨げられている気候は不快に他ならない。
 こうして湿度が高いのは、日本が雨の国だからだとてゐは知っている。アマの国、アマの国、即ち神の国。世界の至る所で雨は神が授けるものだと信じられていたが、殊に日本では雨乞いが盛んに行われ、その多様性は他国と比べ目立つ。
 雨乞いが日本で広まっていた例として、この国で二人目の女性の天皇である皇極天皇の時代に蘇我蝦夷は天皇にか為せないはずの雨乞いを行ったが効果があまり見られず、その後皇極天皇が天に祈った際には雷が鳴り、五日間も雨が振り続けたという。さらに、一人目の女性天皇である推古天皇も高句麗の僧に命じ雨を降らせた記録が残っている。
 永遠亭の主人、蓬莱山輝夜いわくこれらは『たま』の力によるものらしい。霊は『たま』とも読み、元々の字は靈である。この字を分解すると、上から雨、三つの口、巫で構成されている。これで、水のごとく清らかな神力を表す。水と神には深い繋がりがある。彼女達が雨乞いに成功したのは、女性の天皇には靈の字の下部にある巫女の側面があるからだ。
 てゐは近づいてくる気配を感じ、その方向へ振り向く。気配に遅れて、若竹が脱いだ皮や充分な養分を得られず地面に落ちた葉が積もる地面を踏む音が響く。さらに遅れて、てゐを呼ぶ声がした。
「ああ、イナバ、ここにいたのね」てゐに『たま』の力を説明した、輝夜本人だった。てゐと同じ黒い色の長髪の彼女はなぜか片手に長い白い旗を、もう片手には古びた本を持参していた。
「それは……」イナバは白旗を見て、わずかに瞳孔を広げた。
「白あげて」輝夜が白旗を持つ手をあげた。先程から吹いていた風が旗をなびかせる。旗と共に彼女の足よりも長い紅色のスカートも揺れる。「赤は落ちてなかったけど」
「報せを聞いたけど、本当にそんなおとしものがあったのね」
「そんなおとしもの?」輝夜は言葉を繰り返した。「これは、貴女のものでしょう?」
「ええ」てゐは丁寧に頷いてみせた。「ですから、これは私のおとしものでございます」
「ふうん」輝夜は見上げる。そこには竹林に覆い被さる雲のような霧があった。その霧は湿度が高いために発生した水蒸気に、妖怪の瘴気が混ざり合い混沌としている。
 白旗がより大きく揺れた、輝夜は器用に手首を軸に白旗を動かしている。その旗は重く常人なら輝夜のように簡単に動かせないだろうが、天井を容易に連続で持ち上げて投げるほどの力持ちの彼女にとっては容易かった。
 何度も輝夜によって宙をはためく白旗にはマークが描かれ、その下には『南無八幡大菩薩』とセンテンスが綴られている。上にあるそのマークは最古の家紋と呼ばれる笹竜胆がある。
「これは、貴女の名前ね」輝夜がセンテンスの中のワードを見て、てゐに視線を落とした。
「然かし」てゐは首肯する。南無八幡大菩薩とは八幡大菩薩に全てを託す、という意味である。因幡てゐ、彼女は幻想郷でそう名乗る前は弓矢八幡や八幡大菩薩という名前を持っていた。
 「ねえ、それってもしかして……」てゐが輝夜の手にある本を見る。
「空想小説よ」輝夜は皮肉を発した。
「趣味わる。そんなもの持っていらしたの?」
「面白いからね」輝夜が持っていた本は八幡愚童訓、鎌倉時代に成立した八幡大菩薩についての書物であり、元寇の記録書としても有名である。この本について輝夜がコメントした面白いはインタレスティングではなくファニーの方だった。
 元寇は元があだすと書き、モンゴル帝国の侵略という意味で、当時は蒙古襲来や異賊襲来と言われていた。ユーラシア大陸を支配したモンゴル帝国は日本に二度上陸を行い、一対一による一騎打ちをしかける日本に対しモンゴル帝国は集団戦で押しかけ、てつはうなどの兵器を用い日本を苦戦に追いやる。しかし、元軍が二度目の戦を終え退却した時に神風を含める超常現象が起き、日本にやってきた軍船はほとんどが沈没、損壊した。
 外の世界では、一般に元寇は八幡愚童訓と同じ内容でこのように伝わっている。
 しかし、これらの文には多くの偽りが見える。
 そもそも八幡愚童訓というのは、道理も知らない子供にでも分かるように記述された本で、著述者も武士の者ではなく八幡神を信仰していた神官だと考えられている。実際に戦った武士が残した蒙古襲来絵詞とは戦闘の流れなど、他様々な点で今の元寇の歴史と異なる部分がある。
 日本に一騎打ちという文化はなく、それこそ多くの書において武士が集団戦で戦い合う姿が描かれている。また、てつはうは重く、最低で軽い4キログラムのものでも数十メートル飛ぶほどで、それよりも明らかに飛距離のある長弓が武器の日本側が有利なのだ。てつはうと投石器のような兵器を使うとして、大人数が必要である上第一日本まで投石器を海を越えて持って来るのは難がある。海を越えると言えば、モンゴル帝国は陸続きによる侵略を繰り返した軍国で彼らが得意とするのは集団による騎馬戦で上陸戦ではない。また、馬を連れて渡洋するのも困難極まりない。付け加えて、モンゴル帝国軍の構成は、二回あった侵略の両方ともに半数以上が高麗軍や江南軍などであった。
 要するに、本来の元寇は元々モンゴル軍側は不利であり、神風が無くともこの国は支配などされていなかった。
 「それにしても、どうしてこの本の内容が外の世界で正史になっているのかしら」
「自国を蔑視する必要があったのね」
「大陸に勝った歴史を消すため?今では大陸が外の世界で権力を握っているの?」
「いえ……少し前まではアメリカが覇者だったけど、今はヘゲモニーというヘゲモニーが消えたみたいよ」てゐが自分の癖毛に触れた。「第二次世界大戦を終え、戦敗国日本の価値観は大きく変わったね。一度焼け野原になって、総決算したということ」
「価値観の激変は戦前の歴史を否定したのね」
「私が与えたのは神風じゃなくて武運だというのに」
 八幡神が与えた武運は確かに効能を発揮し、元軍を追い返した。
 しかし、その後の人間達により神風は元寇に吹き込み、複雑なアジア情交を塗り固めた。
 人間には気の遠くなるほど永い歴史を生きた二人はこのような真実が葬られ、消された穴を虚構で埋めた歴史を知っている。
 数多の史書が焼き払われ、幾多の歴史が捏造された。
 しかし、その歴史を拗じるという行為も、また歴史の一部である。
 複雑な国家間の関係の吹き荒ぶ神風自体、その一部は自虐史観という複雑なパーツが埋め込まれている。
 歴史を産むのは、人間の永遠の欲望、あるいは永遠の進歩。
 常に絶えず動く欲望と進歩は、常に絶えず動く歴史を作り出す。
 歴史はしばしば大河に例えられる。
 今、この第一章を含める四章構成から成り立つこの抄は最も偉大な武神たる八幡神__またの名を、因幡てゐを巡る、うねりうねる支流の川の、その一部始終である。

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