歴史は『足あと』だと私は思う。
人間がこの世界に生まれて、そして今に至るまで数え切れないほどの人々が歩いてきた、その証が歴史なのだと思う。ときには横道にそれたり、あるいは隣の人と交差しながらも未来へと向かっていく。
ふと振り返れば私の後ろにはたくさんの足あとがある。そのどれか一つでも欠けていれば、きっと私はここにはいない。
私は先人たちの残してきた足あとに思いを馳せつつ、心のなかで叫んだ。
「藤原氏足あと残しすぎなんですけどぉぉぉぉ!?」
歴史の試験用紙を私は睨みつけた。奈良時代の事件や平安時代の人物を問う設問が並ぶが、回答欄には空白が目立つ。特に後半の藤原氏に関する問題は見るも無残だった。
『菅原道真を左遷したのは藤原○○である。彼は若くして亡くなり、その早すぎる死は道真の祟りと噂された』
『鎌倉初期の歌人であり、新古今和歌集などを撰進したのは藤原○○である』
『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の……という句を残したのは藤原○○である』
知るか。藤原氏どんだけ目立ちたがりなの? なんでそんなに教科書に出てくるの?
私は苦々しく口を曲げながら問題を見直す。そして視線が下に行くほど、増えていく空欄の多さに頭が痛くなる。自身を持って正しいといえるのは名前欄の『宇佐見菫子』という五文字だけかもしれない。読み返したところで答えを思い出すことはできず、段々と焦りが募ってくる。そして周りから聞こえる鉛筆の音も、私に答えを急かしているようで居心地が悪い。横目で周囲を伺うと、同級生は下を向きつつ答案用紙に向かっている。隣の子は問題を全て答えたようだ。妬ましい。
私は鉛筆を置いて、頭を抱えた。きちんと勉強しておけば良かった、と思うのはいつものことだけど、今回は特にそう思う。
そもそも私は勉強をほとんどしておらず、原因はどう考えても幻想郷だった。
この世界とは少しずれた場所に、幻想郷という世界がある。
ひょんなことから私は幻想郷のことを知り、時たまその世界に遊びに行った。行くといっても電車や自転車でたどり着けるような場所ではない。その世界は私の夢と繋がっていて、眠ることで幻想郷へ、妖怪や妖精が存在する異世界へと飛び立つことができた。
でもさすがに試験前だから遊びに行くのは自重しよう、と思っていた。思っていたのだ。けれど気がつけば、毎日のように幻想郷に足を踏み入れていた。
それもこれも全ては教科書が悪い。試験勉強のためと思いつつ、開いたが最後。数分後には私を眠りに誘ってしまう。
「はあ」
今日何度目になるか、ため息を吐いて前を向く。教卓の上にかかっている時計の針は、試験終了まで二十分も時間があることを示していた。
時間はあるけれど、何度問題を見ても答えは思い浮かばない。せめて赤点からは逃げたいけれど、それも難しい。ざっと見たところで、空白をあと3つは埋めなければ。
――お手上げね。
ゆっくりと頭を机の上につけ、目を閉じる。全部諦めて寝ようと思った。
「……寝る?」
唐突に私は目を見開いた。
そうだ。寝てしまえば良いんだ。寝て幻想郷に行けばまだ手はある。答えを調べる方法はある。
問題はどうやって起きるかだけれど、これは授業終わりのチャイムに頼るしか無い。頑張れば問題を回収するまでに三問くらいなら書き込める……と思う。
もう一度時計を見上げる。解けるかどうかは時間との戦いだ。二十分以内に寝て、幻想郷で調べ終える。そして起きた後の十数秒で書けるだけかく。かなり厳しいが、不可能ではない。
私は腕を枕に目を閉じる。急がなければ調べることも出来ない。急いで寝なければ……。
「……それで私のところに来たわけですか」
正座をしたまま稗田阿求は、気だるそうに答えた。
人間の里の寺子屋で、稗田阿求と私は机をはさみ向かい合っていた。ちょうど帰るところだったようで、座布団に座った阿求の手元には、算数の教科書らしい冊子があった。
他の生徒たちは私達を尻目に、廊下の方へと出ていった。玄関の方からは、教師である上白沢慧音の挨拶が聞こえてくる。
「で、稗田家の蔵書を使わせてほしいと」
私は机の上に手を置き、彼女に対して頭を下げた。
「お願いします。あと十分くらいしかないんです!」
目をそらし阿求は教科書を手に取ると、足元の革のカバンへと入れた。
「駄目です。そんなくだらない事に使ってはなりません」
「私にとってはくだらなくないんです!」
「あなたが勉強していないだけじゃないですか」
顔を上げた阿求に、私は一瞬だけ言葉をつまらせた。実際のところ阿求の言うとおりではあるが、そこで折れてしまっては来た意味がない。
「頼みます! 平安時代とか藤原氏とか全然わからないんですよ!」
「藤原氏?」
横の方から別の声が聞こえて、私たちは振り返った。寺子屋の戸口には藤原妹紅が立っていた。彼女は紅いズボンを揺らしながら、私達の方に近づいてきた。阿求は首をかしげて、歩み寄る彼女を見る。
「あら、妹紅さんじゃないですか?」
「ああ。野暮用で慧音を訪ねに来たんだが、忙しそうだったんでこっちに来た。藤原がなんだって?」
横に立つ妹紅は、私の顔を覗き込んだ。そういえば以前、彼女が藤原氏の人間だと聞いたことがある。阿求に聞かなくても、妹紅であれば知っているだろう。
「妹紅さん、お願いします。藤原氏のことを教えてください!」
「聞く必要は無いわよ。くだらないことだから」
肩をすくめる阿求に妹紅は苦笑する。
「でも頼まれたからには教えないとまずいだろう。それに私に関係ありそうなことだし」
「もう勝手にして下さい。私は帰りますから」
阿求はカバンを持って立ち上がると、肩を怒らせ戸口の方へと向かっていった。廊下の向こうへと阿求の姿が消えたあと、妹紅は振り返った。
「何なんだ? まあいいや。藤原氏がどうしたって?」
「ははあ。そんな偉くなっていたんだな、うちの一族」
「知らなかったんですか?」
座布団の上に座り込んだ妹紅は、苦笑した。彼女は私と机を挟み対面している。
「私にはもう関係ない話だからな。で、その問題というのはどういうものだ?」
「ええと『菅原道真を左遷させた人』って誰かわかります?」
妹紅は眉をしかめた。
「……菅原道真? 誰だソレ?」
「知らないんですか!? 学問の神様ですよ?」
「分からないな。私の時代では有名で無かったんじゃないか?」
有名だったと思うけれど、と心のなかで呟く。妹紅はと言えば、菅原道真について本当に覚えが無いようで、腕を組んで考え込んでいる。
「しかし学問の神様か。たぶん関係ありそうな人なら心当たりはあるが」
「誰ですか?」
「武智麻呂だ。あいつは大学制度を作ったりしていたから学問の神様といえば彼だろう」
……武智麻呂って誰? 教科書で習った覚えは無いんですけど?
「えっと、他に学問に関係ありそうな人っていないの?」
「そうは言われてもなあ。もう千年も前の話だから、私だってうろ覚えだ」
確かに大昔の話だし、思い出せというの無理な話だろう。
「はあ。分かりました。では『新古今和歌集に関わった歌人』ってわかります?」
「新古今和歌集? なにそれ?」
「知らないんですか? 有名な歌集ですよ!?」
今の時代にまで名前を残すほどの歌集だ。当時の人間も知っているはずだと思っていたが、妹紅は全く覚えがないのか、しきりに首を捻っている。
「聞いたこと無いな。でも歌人で有名人だとしたら麻呂だろう」
「麻呂? 藤原麻呂という人ですか?」
これも聞いた覚えがない。麻呂なんて胡散臭い名前の人物、本当にいたのだろうか?
心もとないが、今の私には妹紅を信じるほかない。気を取り直して彼女と向かい合う。
「……分かりました。では『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の……』という歌を作った人ってご存知ですか?」
「分かんないな。それにしても随分と図々しい歌だな」
彼女の言葉に、私は頷いた。
「この世界は自分のためにある、なんてかなり偉そうですよね」
本当、いい加減にしろ藤原氏。そう思いつつ妹紅の様子を伺う。
「偉そうねえ。まあ偉い人なら心当たりはあるが」
「誰ですか?」
「父の不比等だ。天皇の下でかなり色々やっていたぞ」
「ああ藤原不比等ですか。彼ならわかります。……って父!?」
私は思わず後ずさった。その様子を不思議そうに妹紅が見つめた。
「ああ。父だ。なんだ? 菫子も知っているのか?」
「超有名人ですよ。確か大宝律令とか作っていいたはずです」
「ふうん。よく分からないが今も有名人なんだな」
「でも、これで何とかなりそうです。助かりまし……あ……」
そういえば藤原不比等はかなり昔、それこそ飛鳥時代あたりの人間ではなかったかだろうか? 確か藤原氏を作り出したのも彼だった気がする。そして妹紅が娘だとすると、せいぜい奈良時代の初めくらいまでしか情報を把握していないのではないか? ということは平安時代や鎌倉時代の人間なんて知っているわけがないのではないか?
私の背中に冷や汗が流れた。そんなこと気にもとめないのか、妹紅が口を開いた。
「そういえば武智麻呂も麻呂も私の兄弟だ」
「先に行って下さいぃぃぃぃぃ!」
妹紅のすまし顔に叫んだが、次第に彼女の輪郭が揺れてぼやけていく。視界は薄い霧に覆われ、妹紅の姿は段々と薄くなり消えていった。
気がつけばチャイムが鳴っていた。
「そこまで。じゃあ答案を回収して下さい」
教団に立つ男性教師が声を書ける。私は目をこすりつつ問題を見返す。けれどやっぱり答えなんて分かるわけなく、私の答案用紙は後ろから回収に来た同級生に、無情にも持って行かれた。
テスト用紙を数えている先生から目をそらし、私は下をむく。
先程まではここに問題用紙があり、そこには何人もの偉人の名前が載っていた。問題や教科書にはなくても、きっと藤原麻呂や藤原武智麻呂の名前も図書館の本にかかれているだろう。
ふと妹紅の顔が頭に浮かんだ。彼女のことは名前が現代に残っているのだろうか。
たぶん残っていないだろう。
人間ではなくなった彼女は、藤原氏にとって忌み子だ。だから彼女の記録は徹底して消しているだろう。妹紅の存在は名門貴族にとって大きな傷になるだろうから。
振り返ってもきっと、藤原妹紅の足あとはない。
例え記録から消されようとも、妹紅はきっと気にしないだろう。だから千年も人里離れたところで、誰にも知られず暮らしていたんだと思う。
でも私は、そういうのは何か嫌だ。
彼女がいることを、彼女が生きていることを記録として残っていなくても、記憶として残しておきたい。そうすれば彼女の作った足あとも、きっと意味のあるものになるはずだから。
歴史は『足あと』だと私は思う。
例え消えてなくなっても覚えている者があれば、きっと誰かがまた足あとを作ってくれる。
でもやっぱり無かったことにしたほうが良いこともある。
「また来たのか菫子」
「げ、なんでこんな所にいるの妹紅さん!?」
「里に行こうとしたところなんだが……、何しているんだ?」
妹紅が不思議がるのも無理はなかった。私は片手持ちのスコップを右手に持ち、竹林近くの藪の中で座り込み、小さな穴をほっていた。
顔をしかめながら私を見る妹紅の視線は、次第に顔から下へと移り、私の左手で止まる。
「その紙はなんだ? 随分と赤い字が書かれているけれど」
「これは……その……、いいから見ないでぇぇぇ!」
テスト用紙を後ろに隠しつつ、顔を赤くして私は叫んだ。
人間がこの世界に生まれて、そして今に至るまで数え切れないほどの人々が歩いてきた、その証が歴史なのだと思う。ときには横道にそれたり、あるいは隣の人と交差しながらも未来へと向かっていく。
ふと振り返れば私の後ろにはたくさんの足あとがある。そのどれか一つでも欠けていれば、きっと私はここにはいない。
私は先人たちの残してきた足あとに思いを馳せつつ、心のなかで叫んだ。
「藤原氏足あと残しすぎなんですけどぉぉぉぉ!?」
歴史の試験用紙を私は睨みつけた。奈良時代の事件や平安時代の人物を問う設問が並ぶが、回答欄には空白が目立つ。特に後半の藤原氏に関する問題は見るも無残だった。
『菅原道真を左遷したのは藤原○○である。彼は若くして亡くなり、その早すぎる死は道真の祟りと噂された』
『鎌倉初期の歌人であり、新古今和歌集などを撰進したのは藤原○○である』
『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の……という句を残したのは藤原○○である』
知るか。藤原氏どんだけ目立ちたがりなの? なんでそんなに教科書に出てくるの?
私は苦々しく口を曲げながら問題を見直す。そして視線が下に行くほど、増えていく空欄の多さに頭が痛くなる。自身を持って正しいといえるのは名前欄の『宇佐見菫子』という五文字だけかもしれない。読み返したところで答えを思い出すことはできず、段々と焦りが募ってくる。そして周りから聞こえる鉛筆の音も、私に答えを急かしているようで居心地が悪い。横目で周囲を伺うと、同級生は下を向きつつ答案用紙に向かっている。隣の子は問題を全て答えたようだ。妬ましい。
私は鉛筆を置いて、頭を抱えた。きちんと勉強しておけば良かった、と思うのはいつものことだけど、今回は特にそう思う。
そもそも私は勉強をほとんどしておらず、原因はどう考えても幻想郷だった。
この世界とは少しずれた場所に、幻想郷という世界がある。
ひょんなことから私は幻想郷のことを知り、時たまその世界に遊びに行った。行くといっても電車や自転車でたどり着けるような場所ではない。その世界は私の夢と繋がっていて、眠ることで幻想郷へ、妖怪や妖精が存在する異世界へと飛び立つことができた。
でもさすがに試験前だから遊びに行くのは自重しよう、と思っていた。思っていたのだ。けれど気がつけば、毎日のように幻想郷に足を踏み入れていた。
それもこれも全ては教科書が悪い。試験勉強のためと思いつつ、開いたが最後。数分後には私を眠りに誘ってしまう。
「はあ」
今日何度目になるか、ため息を吐いて前を向く。教卓の上にかかっている時計の針は、試験終了まで二十分も時間があることを示していた。
時間はあるけれど、何度問題を見ても答えは思い浮かばない。せめて赤点からは逃げたいけれど、それも難しい。ざっと見たところで、空白をあと3つは埋めなければ。
――お手上げね。
ゆっくりと頭を机の上につけ、目を閉じる。全部諦めて寝ようと思った。
「……寝る?」
唐突に私は目を見開いた。
そうだ。寝てしまえば良いんだ。寝て幻想郷に行けばまだ手はある。答えを調べる方法はある。
問題はどうやって起きるかだけれど、これは授業終わりのチャイムに頼るしか無い。頑張れば問題を回収するまでに三問くらいなら書き込める……と思う。
もう一度時計を見上げる。解けるかどうかは時間との戦いだ。二十分以内に寝て、幻想郷で調べ終える。そして起きた後の十数秒で書けるだけかく。かなり厳しいが、不可能ではない。
私は腕を枕に目を閉じる。急がなければ調べることも出来ない。急いで寝なければ……。
「……それで私のところに来たわけですか」
正座をしたまま稗田阿求は、気だるそうに答えた。
人間の里の寺子屋で、稗田阿求と私は机をはさみ向かい合っていた。ちょうど帰るところだったようで、座布団に座った阿求の手元には、算数の教科書らしい冊子があった。
他の生徒たちは私達を尻目に、廊下の方へと出ていった。玄関の方からは、教師である上白沢慧音の挨拶が聞こえてくる。
「で、稗田家の蔵書を使わせてほしいと」
私は机の上に手を置き、彼女に対して頭を下げた。
「お願いします。あと十分くらいしかないんです!」
目をそらし阿求は教科書を手に取ると、足元の革のカバンへと入れた。
「駄目です。そんなくだらない事に使ってはなりません」
「私にとってはくだらなくないんです!」
「あなたが勉強していないだけじゃないですか」
顔を上げた阿求に、私は一瞬だけ言葉をつまらせた。実際のところ阿求の言うとおりではあるが、そこで折れてしまっては来た意味がない。
「頼みます! 平安時代とか藤原氏とか全然わからないんですよ!」
「藤原氏?」
横の方から別の声が聞こえて、私たちは振り返った。寺子屋の戸口には藤原妹紅が立っていた。彼女は紅いズボンを揺らしながら、私達の方に近づいてきた。阿求は首をかしげて、歩み寄る彼女を見る。
「あら、妹紅さんじゃないですか?」
「ああ。野暮用で慧音を訪ねに来たんだが、忙しそうだったんでこっちに来た。藤原がなんだって?」
横に立つ妹紅は、私の顔を覗き込んだ。そういえば以前、彼女が藤原氏の人間だと聞いたことがある。阿求に聞かなくても、妹紅であれば知っているだろう。
「妹紅さん、お願いします。藤原氏のことを教えてください!」
「聞く必要は無いわよ。くだらないことだから」
肩をすくめる阿求に妹紅は苦笑する。
「でも頼まれたからには教えないとまずいだろう。それに私に関係ありそうなことだし」
「もう勝手にして下さい。私は帰りますから」
阿求はカバンを持って立ち上がると、肩を怒らせ戸口の方へと向かっていった。廊下の向こうへと阿求の姿が消えたあと、妹紅は振り返った。
「何なんだ? まあいいや。藤原氏がどうしたって?」
「ははあ。そんな偉くなっていたんだな、うちの一族」
「知らなかったんですか?」
座布団の上に座り込んだ妹紅は、苦笑した。彼女は私と机を挟み対面している。
「私にはもう関係ない話だからな。で、その問題というのはどういうものだ?」
「ええと『菅原道真を左遷させた人』って誰かわかります?」
妹紅は眉をしかめた。
「……菅原道真? 誰だソレ?」
「知らないんですか!? 学問の神様ですよ?」
「分からないな。私の時代では有名で無かったんじゃないか?」
有名だったと思うけれど、と心のなかで呟く。妹紅はと言えば、菅原道真について本当に覚えが無いようで、腕を組んで考え込んでいる。
「しかし学問の神様か。たぶん関係ありそうな人なら心当たりはあるが」
「誰ですか?」
「武智麻呂だ。あいつは大学制度を作ったりしていたから学問の神様といえば彼だろう」
……武智麻呂って誰? 教科書で習った覚えは無いんですけど?
「えっと、他に学問に関係ありそうな人っていないの?」
「そうは言われてもなあ。もう千年も前の話だから、私だってうろ覚えだ」
確かに大昔の話だし、思い出せというの無理な話だろう。
「はあ。分かりました。では『新古今和歌集に関わった歌人』ってわかります?」
「新古今和歌集? なにそれ?」
「知らないんですか? 有名な歌集ですよ!?」
今の時代にまで名前を残すほどの歌集だ。当時の人間も知っているはずだと思っていたが、妹紅は全く覚えがないのか、しきりに首を捻っている。
「聞いたこと無いな。でも歌人で有名人だとしたら麻呂だろう」
「麻呂? 藤原麻呂という人ですか?」
これも聞いた覚えがない。麻呂なんて胡散臭い名前の人物、本当にいたのだろうか?
心もとないが、今の私には妹紅を信じるほかない。気を取り直して彼女と向かい合う。
「……分かりました。では『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の……』という歌を作った人ってご存知ですか?」
「分かんないな。それにしても随分と図々しい歌だな」
彼女の言葉に、私は頷いた。
「この世界は自分のためにある、なんてかなり偉そうですよね」
本当、いい加減にしろ藤原氏。そう思いつつ妹紅の様子を伺う。
「偉そうねえ。まあ偉い人なら心当たりはあるが」
「誰ですか?」
「父の不比等だ。天皇の下でかなり色々やっていたぞ」
「ああ藤原不比等ですか。彼ならわかります。……って父!?」
私は思わず後ずさった。その様子を不思議そうに妹紅が見つめた。
「ああ。父だ。なんだ? 菫子も知っているのか?」
「超有名人ですよ。確か大宝律令とか作っていいたはずです」
「ふうん。よく分からないが今も有名人なんだな」
「でも、これで何とかなりそうです。助かりまし……あ……」
そういえば藤原不比等はかなり昔、それこそ飛鳥時代あたりの人間ではなかったかだろうか? 確か藤原氏を作り出したのも彼だった気がする。そして妹紅が娘だとすると、せいぜい奈良時代の初めくらいまでしか情報を把握していないのではないか? ということは平安時代や鎌倉時代の人間なんて知っているわけがないのではないか?
私の背中に冷や汗が流れた。そんなこと気にもとめないのか、妹紅が口を開いた。
「そういえば武智麻呂も麻呂も私の兄弟だ」
「先に行って下さいぃぃぃぃぃ!」
妹紅のすまし顔に叫んだが、次第に彼女の輪郭が揺れてぼやけていく。視界は薄い霧に覆われ、妹紅の姿は段々と薄くなり消えていった。
気がつけばチャイムが鳴っていた。
「そこまで。じゃあ答案を回収して下さい」
教団に立つ男性教師が声を書ける。私は目をこすりつつ問題を見返す。けれどやっぱり答えなんて分かるわけなく、私の答案用紙は後ろから回収に来た同級生に、無情にも持って行かれた。
テスト用紙を数えている先生から目をそらし、私は下をむく。
先程まではここに問題用紙があり、そこには何人もの偉人の名前が載っていた。問題や教科書にはなくても、きっと藤原麻呂や藤原武智麻呂の名前も図書館の本にかかれているだろう。
ふと妹紅の顔が頭に浮かんだ。彼女のことは名前が現代に残っているのだろうか。
たぶん残っていないだろう。
人間ではなくなった彼女は、藤原氏にとって忌み子だ。だから彼女の記録は徹底して消しているだろう。妹紅の存在は名門貴族にとって大きな傷になるだろうから。
振り返ってもきっと、藤原妹紅の足あとはない。
例え記録から消されようとも、妹紅はきっと気にしないだろう。だから千年も人里離れたところで、誰にも知られず暮らしていたんだと思う。
でも私は、そういうのは何か嫌だ。
彼女がいることを、彼女が生きていることを記録として残っていなくても、記憶として残しておきたい。そうすれば彼女の作った足あとも、きっと意味のあるものになるはずだから。
歴史は『足あと』だと私は思う。
例え消えてなくなっても覚えている者があれば、きっと誰かがまた足あとを作ってくれる。
でもやっぱり無かったことにしたほうが良いこともある。
「また来たのか菫子」
「げ、なんでこんな所にいるの妹紅さん!?」
「里に行こうとしたところなんだが……、何しているんだ?」
妹紅が不思議がるのも無理はなかった。私は片手持ちのスコップを右手に持ち、竹林近くの藪の中で座り込み、小さな穴をほっていた。
顔をしかめながら私を見る妹紅の視線は、次第に顔から下へと移り、私の左手で止まる。
「その紙はなんだ? 随分と赤い字が書かれているけれど」
「これは……その……、いいから見ないでぇぇぇ!」
テスト用紙を後ろに隠しつつ、顔を赤くして私は叫んだ。
×宇佐美
これ重要
ギャグかと思った
の前にクレヤボヤンスとかの超能力でどうにかした方がいいかもいやいやそもそも
勉強しましょう。
軽率な菫子ちゃんが可愛かったです。