霊夢は歓喜した。必ずや今年の新米を天の美禄へと昇華させねばならぬと決意した。霊夢はものの価値が分からぬ。霊夢は博麗の巫女である。妖怪をとっちめて、異変を解決しながら暮らして来た。しかし酒の良し悪しには人一倍敏感であった。
今年は水の不足もなく、日照も申し分なかったので、米の出来がたいへん良いそうである。秋彼岸も過ぎ、稲刈りの終わった田には稲架が列になっていくつも並び、下げられた稲は日に日に黄金色へと変わり、誰もが待ち遠しげにそわそわしていた。
やがてのんのんいって動く脱穀機から黄金の粒がこぼれ出てくると、米屋の前に行列が出来る。炊きたてで、つやつやした新米を頬張るのは何よりの幸せである。それを求めて人々は長い事文句も言わずに並んでいる。
しかし霊夢はそんな所には行かない。近所の百姓から米を分けてもらったからである。籾をはがされ、糠をはがされ、色白美人となったお米に、霊夢は愛おしげに指を突っ込んで混ぜ、感触を楽しんだ。
「さあ、麹を取りに行かなくっちゃ」
霊夢は立ち上がると里へと飛んだ。数日前に里の麹屋に米を持ち込んで麹を頼んでおいたのである。旨い酒にはいい麹が欠かせない。霊夢のお師匠である先代の巫女は麹づくりも自分でしていたが、それを霊夢がものにする前に消えてしまった。何度かは自分でも麹づくりをしてみた霊夢だったが、餅は餅屋、麹は麹屋で、結局店に頼む方が自分で作るよりも旨く出来るのであった。
さて、麹屋の前まで行くと、掃除をしていた女の子が顔を上げた。
「あ、霊夢さん、こんにちは」
「こんにちは、出来てる?」
「はい、出来てますよ。お父さん、霊夢さんだよ」
奥から麹屋の親父が出て来て麹をくれた。霊夢は紙袋を開けて中を見る。白い麹カビに包まれた米がぎっしり詰まっていた。良い香りがする。霊夢は満足して代金を支払い、再び飛んだ。
見送っていた店の女の子に、通りがかりの男が声をかけた。
「博麗の巫女さんがどうしたんだ」
「ああ、どぶろくを仕込むそうですよ」
「な、なんだって!」
その噂がたちまち里中に知れ渡り、里人が神社へと押し寄せた。
「くっ、ください! 霊夢さんの作ったどぶろくを! ください!」
「金ならある! いくらでも払う!」
「お神酒! お神酒!」
「古来より神社で巫女が作る酒と言えば!」
「そう、KU・CHI・KA・M I☆SYUに他ならない!」
「霊夢さんに噛み噛みされたお米!」
「そのお米を元に醸されたお酒!」
「唾液が発酵を促進する!」
「そのお酒が欲しい!」
「というかむしろ唾液が欲しい!」
「唾液ソムリエに、俺はなる!」
「ケダモノラプソディや!!」
「ええい、うるさい! 麹を仕入れたのに口噛み酒なんて作るわけないでしょ! とっとと帰れ!」
霊夢が怒鳴ると、里人たちは「なーんだ」と言って帰って行った。どうして里人って変態しかいないのかしらと霊夢は嘆息した。
さて次なる工程は水である。酒の質は米の旨さにも依るが、水の旨さにも依る。不味い水では旨い酒は出来ない。幻想郷にはあちこちに水が湧いているが、今年の仕込みはどこの水でやろうか。霊夢は座り込んでしばらく考えていた。すると後ろからつんつんと肩をつつく者があったので振り向いた。八雲の紫が隙間から半分体を出してにこにこしていた。
「はぁい、霊夢」
霊夢はにっこり笑い返して、何も言わずに紫の額にお札を張っ付けた。紫は「にゃあ」と言って隙間から転がり落ちて畳の上で仰向けに転がった。
「何するのよう、動けないじゃない」
と紫は赤ん坊がするように手足をもたもたと動かした。しかし霊夢はそんな事には一切頓着しない。
「なんか用?」
「楽しそうな事やってるから、見に来たの」
「あげないわよ?」
「もう、ケチんぼ」
紫はぷうと頬を膨らました。しかし動けないから、そのまま仰向けに天井を向いて、しかし目だけは霊夢の方に向けている。
「ねえ紫、美味しい水って何処に湧いてるかしら」
「そりゃ妖怪の山の中腹にある天水ね」
「ああ、庚申塔のあるトコの」
「そうそう」
ならばそこで水を汲んで来よう。重いだろうけれど、美味しいお酒の為ならばそんな苦労は気にもならない。霊夢は立ち上がって大きな樽を抱えて外に出た。紫が「え、ちょっと、わたしはこのままなの? 霊夢? 霊夢ってばぁ」と騒いでいたが、霊夢はそちらを見もしなかった。
○
妖怪の山は次第に紅葉の気配が近づいているらしかった。秋神の姉妹が張り切っているのかも知れない。
霊夢は中腹の湧水の所に降り立った。誰も居ない。大きな岩の間から水が湧き出ていて、半割りにした竹に水が走って汲みやすくしてある。脇に立っている庚申さんには、蒸かした芋がお供えしてあった。
霊夢は樽を置いて、水が溜まるのを何ともなしに待った。お天気は良いし、気候は申し分ないから、昼寝でもしたいような気分になる。
水音に耳を澄ましながらぼんやりしていると、頭上でばさばさ羽音がした。烏天狗の射命丸文が現れた。「霊夢さんだ、霊夢さんだ」と嬉しそうに腕をぶんぶん振っている。
「霊夢さん、こんにちは! 何をやっているんですか?」
「見りゃ分かるでしょ、水汲んでんのよ。どぶろくの時期だし」
「あやや、そういえばそんな季節ですね。それにしても、おっきな樽ですねえ、持って帰れるのですか?」
「頑張るのよ」
「頑張るんですか! あのあの、差支えなければお手伝いいたしましょうか?」
「……何か企んでんの?」
「そんな! ただの親切心ですよ、えへへ」
文は水の溜まった樽に手をかけると、よっこいせと持ち上げた。流石に天狗の膂力である。見た目こそ華奢であるから、軽々とは見えないが、つらそうにも見えない。霊夢は感心して、素直にこの好意に甘えた。
神社に戻ると紫は相変わらず畳に転がっている。文がそれを見て「ひえ」と声を上げた。おずおずと紫に声をかける。
「あの……なにをしてるんですか」
「ちょっと放置プレイを」と紫は言った。
「は、はあ」
「文、さっさと来なさい」
霊夢は紫には頓着せずに、文に言って樽を台所に運ばした。置かれた樽の中で透明な水がちゃぷちゃぷと揺れた。秋の深まった時期の水は冷たくて美味しいだろう。
それから霊夢は手ぬぐいを姉さんかぶりにし、割烹着に袖を通した。そうして今度は米をザルに移し、それを文に運ばして神社の裏の小川に行った。そこで米を洗うのである。
腕をまくり、スカートの裾を上げて、じゃぶじゃぶと景気よく音を立てて米を研いでいく。ザルの中で揉まれた米から、白い研ぎ汁が小川にたなびいて流れて行く。米は二種類、うるち米ともち米を使う。だからザルを二つに分けての作業である。もう一つは文がやっているが、慣れないのか、霊夢程手際がよくなかった。
霊夢は付いて来た文を遠慮なくこき使う。文は何故だか嬉しそうにこき使われる。水が濁らなくなるくらいまで丁寧に米を研いで、それをまた台所に持ち帰った。それから汲んで来た水に浸す。一晩浸してそれから蒸さねばならない。何だかんだと作業しているうちに、日が西に傾く時分である。
酒造りは手早く、しかし根気の要る仕事だから、焦ってもいけないし、もたもたしてもいけない。今は待つ時だから、霊夢はきっぱり気持ちを切り替えてお茶を淹れた。座敷に腰を下ろして、ぼんやりする。ふと見ると、文が何となく所在なさげにもじもじしている。
「何してんのよ。ほら、座んなさい」
「お邪魔しますです、えへへ」
文は嬉しそうに霊夢の隣にちょこんと腰を下ろした。霊夢ははてと首を傾げた。
「何で隣に座んのよ、狭いじゃないの。向かいに行きなさいよ」
「あややや……」
文は少し残念そうに霊夢の向かいに座った。霊夢は黙ったままお茶を淹れてやる。転がったままの紫が抗議の声を上げた。
「ちょっとぉ、わたしにもお茶頂戴よう」
「嫌よ。あんた自由にしとくと碌な事しないもの」
「やぁん、もう」
紫は恨み言をちくちく呟きながら、もたもた手足を動かした。しばらくは努めて無視していた霊夢だったが、いい加減に鬱陶しくなったので、札をはがしてやった。
「はー、自由って素晴らしいわ」
紫はぐいぐいと伸びをして、霊夢の横に座り込んだ。文が「あっ」と言った。急須に湯を汲みかけた霊夢の脇で、紫はひょいひょいと指を振って、隙間から湯呑みを取り出した。既に濃いお茶が注がれている。霊夢は顔をしかめた。
「何よ、嫌味ね」
「だってここのお茶いっつも出涸らしなんだもの」
と紫は澄ましたものである。霊夢は嘆息してまたお茶をすする。文は何だかじとっとした視線で紫を見ていた。
何かお茶請けが欲しいと思った。そう考えて、ふと思いついて席を立った。台所に置いた米麹をひとつかみ、そいつに塩を少しまぶし、皿に乗せて持って来る。文が不思議そうな顔をした。
「どうするんです、それ」
「ん」
霊夢は麹を指先でつまむと、そのまま口に放り込んだ。くにくにした麹の食感の奥に、芯の残ったような歯ごたえがある。少しばかりの塩辛さに、咀嚼するとほのかに甘い。
昔、先代の巫女がまだいた頃、麹の季節になるとお茶請けによく生麹が出た。先代が自分で仕込む麹は、幼い霊夢をふわふわと良い気分にさせるには十分であった。
今食べる麹屋の生麹も無論美味しいけれど、矢張り思い出の麹の味には劣るような気がした。実際に先代の麹の方が上であったのか、既に思い出の中にしかない分、誇張された美味として記憶に残っているだけなのか、それは分からなかったけれども。
○
「ほら、これが花道というのだよ」
ある春先の暖かい日、先代の巫女が筵に広げた麹を示しながら言った。平らに広げられた麹に、何本かの真っ直ぐな窪みが通っている。霊夢は首を傾げた。
「この線の事?」
「そうそう」
「何の意味があるの?」
「こうしておくとうまく麹が広がってくれるのさ」
それにこうしないと熱が上がり過ぎるからね、と先代は言った。
春先、暖かくなり始めると博麗神社ではいつも麹づくりをする。麹ムロのない所では、時節が暖かくならなくては麹づくりが出来ない。先代はいつもこの時期に麹を沢山仕込み、乾燥させたものを涼しい所で保管して、一年間使う。
翌日、麹にはびっしりと、白くふわふわしたものがまとわりついていた。先代はひとつまみ口に放り込むと、満足げに頷いた。
「うん、良い花がかかった」
「お師さま」
と霊夢は言った。先代は振り向いた。
「わたしにも頂戴」
「ふふ、いいよ」
先代は麹をまたひとつまみ、霊夢の手の上に落とした。初めて食べた麹は、変に固くて、不思議な香りがして、味らしいものはなくて、少し拍子抜けしたけれど、ずっと噛んでいると何だか美味しいような気もした。ふわりと鼻に抜けて来る不思議な麹の香りは、幼い霊夢を何だかふわふわと良い気分にさせた。
霊夢はもっと欲しいと言ったが、先代は使う分がなくなると言って、
「えい」
「もがっ!」
○
我に返ると、隣にいた紫が霊夢の口に羊羹の切れ端を押し込んでいた。霊夢は口をもがもがさせた。紫はにこにこしながら小首を傾げた。
「どうしたのよ、ぼうっとしちゃって」
「……むぐ」
霊夢は羊羹を噛みながら、黙って紫の額にお札を貼り付けた。紫は「あう」と言って仰向けにひっくり返った。
「何するのよう、せっかく親切で羊羹あげたのに」
「うるさい。人が思い出に浸っている所を……文、この馬鹿妖怪部屋の隅にでもやっといて」
「あややや」
文は「失礼しますです」と言いながら紫をずるずると部屋の隅に引っ張って行った。少し機嫌が良さそうであった。
引きずられながら、紫が言った。
「それで、なによ、思い出って」
「お師さまの事」
「ああ」と紫は合点が入ったような声を出した。「お酒造りだけは上手かったものね、あの子は」
「だけとか言わないでよ」霊夢は嘆息した。「お師さまはちゃんとしてたわよ。まあ、巫女としての才能はなかったけど」
「そうでしたねえ、先代の巫女。でも確かに、あの頃のお酒はかなり美味しかったですね」と文が言った。
「そのお酒造りだけはきちんと教わってないのよ。結界とか妖怪退治とかどうでもいいけど、それを教われなかったのが悔しい」
「いやいや、博麗の巫女としてそれはどうなんですか……」
「まあ、霊夢らしくていいんじゃない」と紫は笑った。「今年のお酒、期待してるわよ?」
「同じくです!」
「妖怪がお神酒を期待するんじゃないの!」
と霊夢は文のおでこを小突いた。文は少し頬を赤くした。
○
鬼の萃香がどぶろくの甕に抱き付いている。にへにへとだらしなく表情を緩め、「美味しくなぁれ、美味しくなぁれ」と言いながら甕を撫で回している。
水を汲んで来て米を浸けた翌日、霊夢は早速米を蒸して、人肌程度に冷まし、そこに麹をほぐして混ぜ込んだ。そうして汲んで来た水と一緒に甕に仕込む。第一段階はこれでよし、後は三日後の二段目の仕込みがある。それまでは何度かかき混ぜながら、温度を管理しながら待つ。
しかし仕込んだ日の午後、それまで何処かに行っていた萃香がやって来て、そうしてずっと甕から離れない。三時のお茶をすすっていた霊夢は、いい加減に気に障って立ち上がった。
「こら萃香。お酒に呪いをかけるのやめなさい」
「人聞き悪いなあ。呪いじゃないぞぉ、おまじないだぞぉ」
「呪いって書いてまじないって読むって知ってる?」
そう言いながら霊夢は萃香の首根っこを引っ掴んだ。萃香は「知らーん」と言いながらも甕にかじりついて離れない。鬼の膂力相手では霊夢には力比べは出来ない。下手をすると甕が割れそうだから、諦めて離した。萃香は手に持った瓢箪をぐいとあおり、さっきよりもぴったりと甕に抱き付いて、すりすりと頬ずりした。
「ふふふー、楽しみだなあ。霊夢のお酒ぇ」
「こんの、酔っ払いめ……」
萃香の角が甕の近くでふらふらする度に、霊夢は気が気でなかった。酒を飲みながら次の酒を楽しみにするなぞ――自分もよくやると気付いたので頭を振った。
萃香は甕に抱き付いたまま寝ていた。器用な事をするものだと霊夢は思った。寝ているからと思って甕からはがそうとしたが、やっぱり動かない。諦めて放っておく。
お茶を片づけて、ぼつぼつ夕餉の支度でもしようかと思っていると、縁側から魔理沙が上がって来た。
「霊夢ー。茸採って来たから何か作ってくれ」
「ああ、魔理沙。丁度いいわ、夕飯作るの手伝いなさい」
「へいへい」
魔理沙は霊夢に着いて台所に行こうとして、座敷の中の甕と萃香に目を留めた。
「何やってんだ、あれ」
「どぶろく仕込んだの。それに萃香が抱き付いて離れないのよ」
「へえ、どぶろくか! そりゃいいな」
しまった、余計な事言った、と霊夢は舌打ちした。魔理沙はけらけら笑った。
「今年もそんな季節だもんなあ。それで、今年のは満足いく出来になりそうか?」
「まだ一段目の仕込みだから分かんないわよ」
それに、別に毎年満足していると霊夢は呟きながら、歩き出した。魔理沙は後ろから廊下を踏みながら着いて来た。
「そうか? だって、この前師匠には適わないとか何とか言ってたじゃないか」
「お師さまのお酒は特別よ。あーあ、ホントに教わり損ねて失敗したわ」
「なんで教わらなかったんだよ」
魔理沙は慣れた手つきでかまどに火を入れながら、言った。
「教わる前に居なくなっちゃったの。お師さまと実際に暮らしたのは三年くらいだったかな。最初はまだ早いって言われて、次は傍で見てただけ。来年は教えてあげるって言ってくれたのに、どぶろく仕込む前の夏に居なくなっちゃったから、結局教われなかった。あー悔しい」
「そんなに旨かったのか?」
「すっごく」
「ふぅん……霊夢がそこまで言う酒か。飲んでみたかったなあ」
霊夢はそれには答えずに、まな板に茸を並べて切り出した。
○
先代の巫女が甕の中から白く濁ったものを柄杓で汲み出した。果物のような、何処か頭がくらくらするような不思議な匂いがした。先代はそれをザルで濾して、湯呑みに注いで、一口すする。
「うん。上出来」
その様子を霊夢はじっと見ていた。神社に来て二年目だ。昨年もあの飲み物を仕込んでいるのを見た。飲みたいと言ったが、まだ早いと言われた。今年こそは飲んでみたい。霊夢は先代に近づいて袖を引っ張った。
「お師さま」
「ん?」
「わたしも飲みたい」
先代は呵々と笑った。
「君にはまだ早いってば。去年も言っただろう?」
「早くないもん」
「ふぅん?」
「わたしも巫女になるんだもん。お酒くらい、飲めるもん」
先代は少し考えている様子だったが、やがて苦笑しながら霊夢に湯呑みを差し出した。
「仕様がないなあ。ほら」
霊夢は受け取って中を見た。微かな琥珀色を湛えながらも、湯呑みの底が見えぬ程度には濁った液体である。ふわりとした、甘い匂いがして、何処となく甘酒にも似ている。霊夢は甘酒の味を想像しながら一気に飲み干した。米の甘味を感じたと思ったら、喉から鼻にアルコールが抜け、思わずむせ返った。先代は大いに笑った。
「そんな風に一気に飲むもんじゃないよ。ゆっくり、一口ずつ飲むのさ」
先代は湯呑みにもう一杯注いでくれた。それからもう一つ、湯呑みに注ぐ。そうして霊夢の方に差し出した。
「はい、乾杯」
「――! 乾杯!」
霊夢は嬉し気に湯呑みをかちんと合わせた。大人になったような気分だった。
先代がするように、霊夢は鳥のように口先をすぼめ、啜るようにして少しずつ飲んだ。甘い匂いがするのに、舌にはきりりと辛く、胃の腑に落ちると、腹の底にぽっと火が灯ったような気分になった。
自分ではそのつもりもないのに、あっという間に一杯飲み干し、物欲しそうな目をする霊夢を前にして、先代は苦笑した。
「君はお酒の強さでもわたしを越しちゃうのか。参ったねえ」
先代の頬には既に朱が差して、目もとろんとしていた。そうしてぷつぷつと何か呟いている。
「ホントに、君は何でも直ぐにわたしを追い越しちゃうな。羨ましいよ」
「お師さま?」
「ん、ああ、何でもないよ」
先代は目を閉じて黙ってしまった。指先でつついても動かない。
霊夢はそうっともう一杯、自分の湯呑みに注いで、またちびちびと飲んだ。飲む程に気分が良くなるようであった。
「なあ、君」
先代が言った。霊夢は勝手に飲んだ事を怒られるかと思って、慌てて姿勢を正した。
「はい、お師さま」
「来年仕込む時は、作り方を教えてあげようね」
先代は片目だけ開けて、にっこり笑った。緊張が一気にほぐれ、霊夢はぱあっと顔を輝かした。こんなに美味しいものの作り方を教えてもらえるなんて、と霊夢は思わず先代に抱き付いた。
「おいおい、どうしたんだい」
「なんでもない!」
ぐりぐりと押し付けて来る霊夢の頭を撫でながら、先代はいつものように苦笑した。
○
初添と呼ばれる最初の仕込みから三日目に、さらに蒸米、麹、水を足す中添をし、それからさらに三日経ってからさらに蒸米、麹、水を仕込む留添を行う。最初の仕込みから数えて三回、俗に三段仕込みと呼ばれるこの製法は、酒の度数を高め、味を良くする。
酒蔵などで大きな樽で仕込む場合は三段目の仕込みから数週間置くが、小さな甕一つ分の量であれば、それほど時間はかからない。
いよいよ完成間近で、味見でもしてみようかという頃になって、色んな連中が神社にやって来た。こんな時には鼻が利くんだから、と霊夢は半分呆れながらも座敷の前に仁王立ちして、それらを迎え撃った。中庭や廊下にお札を貼り付けた有象無象がいくつも転がった。
「ちょっとお、味見くらいいいじゃないのよぉ!」と紫が喚いた。
「そうですよう、お願いしますよ、霊夢さん」と文が言った。
「ずるいずるい、ずーるーいー!」と萃香が大騒ぎした。
「妖怪相手ならともかく、わたし相手にこれはないだろぉ」と魔理沙が呻いた。
「あーあー、うるさい」霊夢は煩げに手をぱたぱたと振った。「いい? これはお神酒。つまり神様に捧げる大事なお酒なの。あんたら有象無象が口を付けていい代物じゃないの。分かった?」
と霊夢は傲然と胸を張った。
「普段は神事なんかやらない癖に」
「何の神様だかも分かんない癖に」
「自分で飲みたいだけの癖に」
「あー、うるさいうるさい」
霊夢は転がっている連中を尻目に、甕から一杯救い出し、ザルで丁寧に粕を濾して湯呑みに注ぐ。
一杯目は神聖な儀式。誰にも言わないけれど、これは霊夢が酒造りを始めてからずっと決めている事である。
目を閉じて、そうっと香りを嗅いだ。
「……違うなあ」
と呟いて、それから一口。口の中でしばらく遊ばせるようにしてから飲み下す。それから嘆息した。
「今年も駄目か……」
香りは果物のようだし、味だって悪くはない。けれど、記憶にある先代の酒の味にはまだ追い付かなかった。
「でも、段々近くはなって来たかなあ」霊夢は湯呑みに残った分を一息に飲み干した。「ねえ、お師さま?」
――簡単に追いつかれちゃ、わたしの立つ瀬がないじゃないか。
苦笑交じりのそんな声が聞こえるような気がした。
霊夢は立ち上がり、転がっている連中の札をはがしてやった。
「え、あれ」
「随分あっさり……」
あっさりと解放されてぽかんとしている連中を前に、霊夢は湯呑みを置いて、酒を注いでやった。
「ほら、味見してよ。今年も悪くない出来よ」
「――! 霊夢ぅ!」と萃香が霊夢に抱き付いた。
「はいはい、ほら、さっさと飲みなさい」
「もう、素直じゃないんだから」
「あややや、いただきまーす」
「どれどれ……お! 良い匂いじゃないか」
霊夢も自分の湯呑みに注いでまた一口。
その時、玄関の方からまた覚えのあるような案内を乞う声が聞こえる。庭に誰かが降りた気配がある。どうせ段々と人が増えるだろう。霊夢は苦笑した。
「ほら、早く来なさいよ。なくなっちゃうわよ」
それからの事を書く必要はない。大体想像した通りの結末だったのである。
登場人物がみんなとてもかわいいです。
テンポがよくて読みやすかったです
霊夢が大変愛らしかったです。
最高に素晴らしい
思い出に追いつく日はあるのだろうかとついセンチメンタリチックな気持ちになりました
過去と今を交互に見せられつつも、それぞれの霊夢に違った魅力があって良かったです
そして最後はやっぱり宴会になるのか
霊夢の二次創作の楽しみがぎっちり詰まった良い作品でした。
匿名50を最初に読んだときに入れてしまったので、無評価で失礼します。
先代が酒作りを教えなかったのは、この先、人々に名前さえ忘れられたとしても、
どぶろくを作る度に霊夢が、あるいは「霊夢のお酒」を飲む度に妖怪たちが、
「そういえば、先代の酒は美味かったな」と
自分の事を思い出してくれるように……ということだったのかもしれませんね。
何はともあれ、いい酒の肴になるお話だ。
書いて下さった作者さんに感謝です。
宴会に至る過程は、このように楽しいものだと良いですね
先代いいキャラしてますし慕う霊夢も可愛かったです。