Coolier - 新生・東方創想話

バー・オールドアダムにて

2016/09/25 04:49:57
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 黒田という悪友がいた話をする。
 
 俺はその日、黒田に用があり、家に行っていいか事前に連絡を入れた。
 「飯を買ってきてくれたらいつでも歓迎するぜ」などとほざいていたので
 弁当屋に寄ってから黒田の家へ向かった。
 
 入るぞ、と部屋に入ってから投げかけると
 黒田はこちらを見ずに「やった、飯だ」と返答した。
 相変わらずの汚い部屋にため息をついて、足で物を除け、座る場所の確保をした。

「まだそれやってるのか」
「まあな。こないだでっかいアップデートがあってな」
「そうか」

 俺は買ってきた親子丼の蓋をあけて適当に答えた。
 食わないのか、と黒田に投げかけると、ああとうんの中間の様な返事をして
 ゲームのコントローラーを投げ捨てた。
 食べ始めるかと思ったが今度はキーボードをカチャカチャと叩き始めた。
 未だに一度も目はあっていない。
 黒田は俺が親子丼を食べ終わるころ、息をひとつ吹いて、こちらに体を向けた。

「腹が減った」
「ん」
「お、カツ丼。やるじゃん、ナイスセンス」
「黒田、母ちゃん心配してたぞ」

 面倒なので、すぐに本題に入った。
 黒田は大学に入った途端、すぐに一人暮らしを初めた。
 バイトをし、親に負担のかけないという条件のもと一人暮らしを始めたのはまあ良いが
 今やっているオンラインゲームのせいか、こいつを大学で見かけたことはない。
 共有の知人に聞いた所、バイト以外はこうしてずっと引き篭もってゲーム三昧だそうだ。

「なんだ、そんなこと言いに来たのか」
「お前の母ちゃんに頼まれなきゃ悪友の家なんて好んで来るかよ」
「ははは、言うもんだ」
「たまには家に帰ってやれよ。今お前んとこ、母ちゃん一人だろ」
「お前の親とよく遊びに行ってると聞いたが」
「そうだけど、一人息子が戻ってこないのは寂しいもんなんじゃないのか」
「そいうもんか」
「そういうもんだ、多分」
「そうかー。……外に出るの、怖いんだよな」
「子供か」
「嘘じゃない、たまに外に出るのが本当に怖くなるんだ」

 確かにこいつのバイト先はここから歩いて数分の飲食店だったはずだ。
 それが理由なのか?
 いや、黒田の性格を知っている俺は、断じて違うと否定できる。
 理由は、面倒くさいからだ。
 黒田は口いっぱいに頬張ったカツ丼をそこらに置いてあったペットボトルのお茶で流し込み、ふうむと腕を組んだ。
 そんなに悩むことなのか、親に会うことは。
 俺は実家暮らしだからよくわからん。

「条件がある。飲んでくれたらそのうち帰ってやる」
「なんでお前が実家に帰る条件を俺が飲まなきゃいけないんだよ」
「冗談冗談、ただちょっと、お願いを聞いてくれないか」
「なんだよ」
「お前、オカ研だったよな」
「まあ、幽霊部員だけどな」
「オカ研だけに幽霊ってか」
「つまんねえ、いいから本題を言えよ」
「最近噂になっている『ドクターレイテンシー』について調べてくれないか?
 俺のやってるこれにもついに現れた」

 ドクターレイテンシー、聞いたことがある。
 ネットで噂されている『身近な都市伝説』。
 黒田がやっているオンラインゲームやSNS、大学のコミュニティの掲示板などに出没している
 ユーザーのことだ。
 そういや、オカ研の調査題材にも上がったことが有る気がする。
 
「うーん、オカ研の誰かが詳しく調べてたかなあ」
「お、マジか。じゃあ教えてくれよ」
「まあいいけど。……黒田、お前そういうの興味あったっけ?」
「オカルトなんて微塵ほど興味もねえよ。ただ、そいつの持ってる装備が
 今俺が欲しいものでな、その素材がどこでドロップするか聞きたいんだよ。
 メッセージ送っても無視されるしよう」

 最近になってドクターレイテンシーは大学生ではないかとささやかれている。
 まあ、職についていない若者であるのはゲームのログイン時間からわかるので
 社会人では無理だろうという推測だ。
 更に、京都にある大学のコミュニティ掲示板への出没記録が多い、というのもわかっている。

「調べるのはいいけど、何か報酬をくれよ。そういうの調べるのって結構大変なんだぞ」
「最近バイト先にさ、○○大の女の子が入ってきたんだよ」
「ほう?」
「結構明るい感じでさ。話も合って」
「ふむ」
「今度合コンをやろうって話になっててな。そういや人員が一人足りないんだが……」
「しかたないな、やってやる」

 内面はくずだが外面は良い黒田だから、悪友の関係で居られている。
 カツ丼を食べ終わった黒田はさて、と再びディスプレイの方に向き直り
 コントローラーを持った。

「俺、続きやるけど」
「そうか、俺は帰るぞ」
「おう。報告、期待しているぞ」
「まあ、出来る範囲で頑張るよ。……なあ、最近かなりハマってるみたいだが、そんなにそのゲーム面白いのか?」
「おうとも。今時あるか、こんなゲーム。
 今の時代は仮想世界やら五感共有やらゲームのくせに大げさなもんばかりだ。
 それと違ってこれは2Dの画面に操作性の悪いコントローラー。
 音声チャットなんてついていないから他人とのやりとりも別のアプリを起動しなきゃいけない。
 人気があまりないのは確かだが
 この時代にわざわざこんなことするんだから、根っからのゲーマーはハマるんだよ。
 そうだな、こういうのは『旧型ゲーム』っていうのかな」

 
 
 黒田の熱弁を適当に聞き流した俺は部屋を後にした。
 早速、オカ研の奴らに聞いてみることにしよう。
 大学の前まで来て、そこでふと気づく。
 しまった、カツ丼の代金をもらっていない。
 今度の合コンのときにでも返してもらうか。

--

 『ドクターレイテンシー』が都市伝説化されている所以は
 その頻出度にある。
 あるSNSで風景の画像を何年か休まず毎日アップし続けていると思ったら
 別のオンラインゲームのトップのギルドに属していることもある。
 ネットの小説で賞を取っていたり、本当に小さな弱小掲示板の管理人だったりもする。
 もし、『ドクターレイテンシー』という名前がアニメやゲームのキャラクターであったりしたら納得がいく。
 だが、ドクターレイテンシーというキャラクターはネットで調べる限り存在しない。
 ドクターレイテンシーは現代に現れた名無しの神だとか、複数人の悪ふざけ説
 現出したイマジナリーフレンドなんかだともささやかれ、噂は広まっていく一方だ。
 今もドクターレイテンシーはネットを通じてその名を広めている。

「と、こんな感じかな。僕が調べた限りでは」
「ちなみに細谷は、見たこと有るか? ドクターレイテンシー」
「僕? そうだなあ、一回だけあるよ。といっても皆知ってると思うよ。新聞の投稿コーナーで見ただけなんだけど」
「それなら俺も知ってる。川柳で佳作に選ばれてたやつな」
「それそれ」

 オカ研の友達に聞いた所、ネットで調べたものに毛が生えた程度の報告が返ってきた。
 当の細谷も、情報がなさすぎてもう興味を失ってしまったらしく
 それより久しぶりだね。お酒でも飲みながらオカルト話でもどう? などと聞いてきた。
 当然俺は、丁重に断って帰路についた。
 オカ研のやつらは話が長い。さっきの調査報告だって俺がだいぶん端折って要点をまとめたものだ。
 そんな奴らと酒を飲みに行っても疲れるだけだ。
 俺は長い話で辟易したため、脳に糖を補給しようと、大学近くのコーヒーショップへと向かった。

 大学近くのコーヒーショップのケーキは、人工甘味料ではなく全て砂糖が使われている。
 故に太りやすいと言われているため、女性の客が少ない。
 更に、今日びわざわざ不健康になるため砂糖を好んで摂取しにくる客など
 そもそもが少なく、つまるところこのコーヒーショップはあまり人が居ないのが常だ。 

「ショートケーキとブレンド」

 注文を行いタブレットの電源を入れた。
 ケーキを待っている間に先程の報告をメモにまとめ、「もう少し調べる」と文末に付け足し黒田にメールを送った。
 これで終わりにするのは流石に黒田も満足しないだろうし、何より俺のオカルト魂に火がついてきたのも事実だ。
 調べれば調べるほどわからないことを調べる行為こそ本当のオカルト好きと言えるだろう。
 先程の報告をしてきた細谷など、オカ研のやつらは、そこらへんの情熱が足りない。
 そういう上辺だけのオカルト好きが多いから、俺はオカ研に行くのが嫌になったのかもしれない。

「おまたせ致しました」
「あ、どーも……」

 タブレットに目を向けていたのでてっきりの俺のショートケーキが来たのかと思った。
 しかし店員が持ってきたそれは、俺の向かいの客のケーキであった。
 誤って返事をしたため、きょとんとした店員に気まずさを感じたものの
 すぐに目線を反らし、ごまかしながらタブレットの操作を続けた(ごまかせていないのは知っている)。

「ふふふ」

 そんな俺の間抜けさが面白かったのか、向かいの客は俺を見て笑いかけた。

「か」
「か?」
「い、いえ、なんでもないです」
「そう、ふふ」

 また間抜けな声を出してしまった。
 だが、それは仕方のないことだ。
 今の今まで気づかなかったが、向かいの客はちょうど俺と同い年くらいの
 可愛らしい金髪の女の子だったからだ。
 「可愛い子だな……」という心の声が漏れそうになった。
 女の子はチョコレートケーキを口に含んできちんと飲み込んでから俺に問いかけた。

「そちらは、待ち合わせ?」
「あ、い、いえ。ここは、よく来るもんで」
「あらそうなの。珍しいわね」
「そちらも、珍しいですね。ここのケーキって……」
「そうね。でも私、そういうのが好きなのよ。太らない体質だし」

 向かいの女の子はまた笑ってケーキを口に含んだ。
 そのうち、俺のケーキも届いたので自分を落ち着かせるために慌てて口に含んだ。

「私もよく来るのよ。友達がいつも待ち合わせに遅れてくるから、時間つぶしに」
「そ、そうなんだ」
「その友達はここに来たがらないんだけどね。太るからって」
「あはは」
「あ、噂をすれば。友達、やっと待ち合わせ場所についたって連絡来た。じゃあね」
「え、あ、うん。ばいばい」

 女の子は残りのケーキを大きな一口で食べて、席を立った。
 足音を背中で聞いて、大きく息を吐いた。
 あんなに可愛い女の子に話しかけるなんて、初めてのことだった。
 ブレンドを口に含み、しっかり味わってから飲み込んだ。
 更にケーキを口に。
 甘い、美味い。
 砂糖の甘さはほっとする。
 この安堵が、わざわざ砂糖を使っているこの店に来る理由だ。
 ……なるほど、これが黒田の言っていた『わざわざ』なのか。
 黒田の言葉を借りると、わざわざ不健康になる材料を使っている
 このケーキは『旧型ケーキ』と言うのだろうか。

「あ、ねえねえ」
「はいぃ!」

 唐突に後ろから声を掛けられた。

「……驚かせちゃった? ねえ、貴方も××大でしょ?」
「う、うん、そうだけど」
「じゃあまた会えるかも。またね」
「……またね」

 そうして金髪の女の子は小走りで去っていった。
 俺はただ、口の周りにクリームを付けてその子の背中を見えなくなるまで見つめていた。




『もしもし。メール見たぞ。早速サンキューな。
 でもあれだけじゃ全然分からないなあ。
 俺はドクターレイテンシーと連絡が取りたいんだ。
 ……そうか、おう。引続き頼むぞ。
 あーそれで例の合コンなんだが、来週末になりそうだ。空いてるか?
 ……おい、どうした。気のない返事だな。
 あ? なに? なにが来たって? 春?
 何言ってんだお前』


--

「どうしたの? 妙に浮ついてるけど」
「い、いやなんでもない。細谷、うちの大学のサークル一覧てどこで見れる?」
「大学の公式HPに乗ってると思うけど」

 次の日、講義を済ませ俺は再びオカ研を訪れた。
 実際の所、ネットで調べられないのであれば人を宛にするしかない。
 うちの大学は京都の中でもそれなりに偏差値は高い方なので
 もしかしたらドクターレイテンシーについて上手く調べてるやつがいないか、と考えたのだ。

「オカ研の他に、そういう類のサークルがないかと思ってな」
「そういう類……うーん。うちと分離した超常現象研究会とか、UMA研究会、あと何かあったかなあ
 ……あ、あとサブカルチャー同好会は?」
「よし、全部当たってみる」
「それでも無かったら学校が公認していない、非公式のサークルとかかな。
 何が有るのとか、全然知らないけど」

 ひとまず気になる所は当たってみることにした。
 数撃ちゃ当たるだろう。
 俺は早速一番見込がありそうな、超常現象研究会に向かうことにした。

「あ、そういえばさ。ちょっと噂で聞いたんだけど黒田君って知り合いなの?」
「黒田? 情報科の黒田なら、知り合いだけど」

 友達、とは言わなかった。
 しかし、まさか細谷の口から黒田の名前がでるとは思わなかった。
 こいつらの関係性とは一体。

「やっぱり! ねえ黒田君にさ、暇な時オカ研に来るように言ってくれないかな」
「別に構わないが……あいつってここの会員だったのか?」
「違うよ。あれ、もしかして知らない? 黒田君、この前オカルト雑誌のコラムに文章が載ったんだよ」
「え?!」
「ええと、ほらこれ。これが面白くってさ。もしよかったら直接話を聞きたいなって。
 知り合いなら君から話を通しておいてよ」

 細谷が差し出した雑誌には、しっかりと黒田の写真が載っていた。
 あいつ、興味が無いとか言ったくせにどういうことだ。
 しかし今思うと納得する。あいつは週に二、三回しかバイトに言っていないくせに
 どうやって生計を立てていたのか気になっていたのだ。
 なるほど、こういう所で小銭を稼いでいたのか。
 なんとなくそこの所、非常に黒田らしいと思った。



 コーヒー臭い大きな息を、ため息として思い切り吐き出した。
 結果から言うと、回ったサークルは全て外れだった。
 一部、ドクターレイテンシーについて調べている者は居たが
 知っている情報は細谷の情報と同等か、それ以下の内容であった。
 疲弊した俺は再び砂糖のケーキがでるコーヒーショップでうなだれていた。

「おまたせ致しました」
「あ、どー……」

 今度は顔を上げて確認する。
 俺以外に客は居ない。よかった、俺の分だ。
 食べようとケーキを切り分けた所、ちょうど黒田から電話がかかってきた。
 タイミングの悪いヤツめ。

『よう、どうだ首尾は』
「学校のオカルト系のサークルにあたってみたが、全滅だよ」
『そうか、だが聞け。俺のやってるゲームでな、初めてドクターレイテンシーからコンタクトがあった』
「本当か?!」
『本当だ。本当だけどな、「メッセージ送るの、辞めてもらっていいですか」ってゲーム上のメッセージで来ただけだ』
「駄目じゃないか」
『だが進展はあっただろ』
「うーんまあ、そうだけど。……それはそうとお前、この前オカルト雑誌に載ったみたいだな。なんで言わないんだよ」
『お、ついにバレたか。良いだろ別に』
「そういうの俺が好きだって知ってるだろ」
『まあそうなんだが……』

 そういうと、黒田はなにやらもにょもにょと口ごもり始めた。
 黒田のこういう態度は珍しい。
 しばらく沈黙が続いたのち、黒田は口を開いた。

『お前に、気持ち悪がられると思ってな』
「なんだって?」
『俺のコラム読んだか?』
「いや、オカ研のやつに雑誌は借りてきたがまだ読んでいない」
『そうか、まあ、なんというか、読んでみてくれ。お前にバレるのも時間の問題だと思っていたし』
「なんだよ、はっきり言えよ」
『……俺、たまに変なのが見えるんだ』
「変なの?」
『幽霊とかじゃないんだ、たまに外を出会えていると、見えることが有る。
 空間の裂け目とか、多分、俺らの世界に居ちゃいけないやつとか』

 俺は昨日、黒田と話したことを思い出した。
 あいつは外が怖いと言っていた。
 単純に面倒臭がっているだけだと思っていたが……

「空間の裂け目、居ちゃいけないやつねえ」
『……変だと思うか? 俺のこと、気持ち悪いと思うか?』
「変だと思う。気持ち悪いと思う」
『……そうか』
「だが、そういうのは俺の大好物だ」
『…………くくく、そっか、そうだったな。
 いや、悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
 お前はそういう気持ち悪いのが好きな、俺よりもっと気持ち悪いやつだったな。あはは』
「言ってろ」
『……ふざけてるように聞こえるかもしれないけどな』
「黒田?」

 黒田の声が急に落ち着いた。

『俺は、昔からずっと悩んでいたんだ。俺には周りが見えない変なものが見える』
「……」
『まわりにその事を言うと、まるで腫れ物を見るような目で見られるんだ。母親だってそうだ』
「……そうなのか」
『俺は友達が多い。だけどそれは表面的なやつらだけだ。真面目な話……つまり今回みたいな妙な事を話すと
 全員に全員、気持ち悪がられる。お前もそうなんじゃないかって不安だった』
「俺は、そんなこと」
『でもお前がそう言ってくれて安心した。さすが幼馴染だな!』
「……まあな。俺は相当なことがない限り、気持ち悪いなんて思わないぜ」
『そうか、良かった。……俺は気付いてほしかったのかも知れない。
 だから雑誌のコラムに投稿した。お前に気付いてほしかったのかも』
「おい、なんかお前らしくないぞ。俺がそんなこと気にすると思うか?」
『……くく、そうだよな。わかった、安心した。また連絡する』

 黒田は満足そうに笑って電話を切った。
 すっかり冷めたコーヒーをすすり、ケーキを口に。
 満足したところで、細谷から貰った雑誌を開く。

「今時」
「わっ」
「あ、また驚かせちゃったわね。ごめんなさい」

 顔をあげると、昨日出会った金髪の女の子が向かいの席に座っていた。
 いつ来たんだ。電話をしてて気づかなかった。 

「今時、珍しいね。紙の雑誌なんて」
「……ああ、オカルト誌だから、そういうの有難がるんじゃないかな」

 よし、今日は緊張せずに話せるぞ。

「ふうん。そういうの、好きなの?」
「まあ。それに、この号に知り合いのコラムが載っているんだ」
「本当? すごい、見せて見せて。隣に行っていい?」
「え、あ、ひゃ、ひゃい」

 噛んでしまった。
 やっぱり無理だ。この子にはかき乱されてばかりだ。

「へえ、この人」
「う、うん。黒田って言う幼馴染なんだけど……」
「ひょっとして、いま電話してた人? ごめんね、話聞いちゃって」
「いや、別にいいよ。全然大した話してないし」

 女の子は雑誌を真剣な表情で見つめている。
 俺は手持ち無沙汰になり機械的にケーキを口に運んでいたが味はよくわからなかった。
 近い。
 なんで女の子ってこんなにいい匂いがするんだろう。
 コーヒーの匂いが邪魔にさえ思えてきた。

「さっき、空間の裂け目とかって言ってたね」
「え、ああ、まあその、黒田が変なやつでさ。たまにそういうのが見えるっていうんだ。
 変な話だよな」
「ううん、とっても興味がある。このコラムの内容も」
「そ、そう。へー君もオカルトとか、こういうの好きなんだ」

 女の子は俺の方を振り向いて、微笑んだかと思うと
 とんでもない事を口に出した。

「ねえ、黒田くんに会いたい」
「…………は?」
「よかったら手配してくれるかな。お願い」

 そんな顔で頼まれたら断れるわけもなく。
 俺は心のなかで血の涙を流しながら黒田に連絡した。
 ふざけやがって、黒田の奴め。

--

 目が覚める。
 昨日は一人でやけ酒をしてそのまま眠ってしまった。
 二日酔いなんてしないが、単純に夜遅くまで飲んでいたせいで寝不足だ。
 身体を起こしたものの、だるい。
 今日は講義が少ない日なのでサボることに決めた。
 これも全部黒田のせいだ。
 くそ、またむしゃくしゃしてきた。
 苛立ちのせいか妙に目が冴えてしまい、手持ち無沙汰でタブレットを手に取った。
 通知が来ている。黒田からのメールだ。
 彼女が出来ました、なんて内容だったら間違いなく俺は包丁をもってあいつの部屋に行くだろう。

 メールの内容は「来てくれ」のそれだけだった。 
 受信時間は30分ほど前。
 彼女と何があったか気になった俺は、急いで着替えて黒田の家へと向かった。



「気持ち悪い」
「どうした?」

 部屋に入った途端、アルコールの匂いが漂ってきた。
 俺は床に散らばっているゴミを避けて黒田が寝ている布団の側に座った。

「昨日、飲みに行ったんだ」
「あの子とか? おい、あの子は俺が最初に目をつけてだな」
「そういうのじゃない。あいつ、ちょっとヤバイぞ」
「え?」
「まあいい。スポーツドリンク買ってきてくれたか? 早くくれ。二日酔いなんだ」

 二日酔い?
 今時の酒はそんなことがないように工夫がされているはずだ。
 『わざわざ』昔の酒を飲まないことには、そうならないはずだが。
 まさか。

「昨日、いわゆる旧型酒を出すバーに行ったんだ。おかげでこのザマさ。ああ気持ち悪い」

 黒田はスポーツドリンクを一気にあおり、下を向いた。
 旧型酒、飲んだことは無いが知っている。
 俺が昨日の夜飲んだような酒ではない、調整されていない酒のことだ。
 
「色々ありすぎて何から話していいからわからないが」
「ああ」
「少なくともコレだけは言える。ドクターレイテンシーの正体がわかった」
「は? マジか?」
「マジだ。ドクターレイテンシーは一人じゃない。いわゆる名無しの存在のグループ、なんと言えば良いのかな。
 オカルトマニアの組織みたいなもんだ。そして、今も仲間を集めているイカれたやつらだ」
「……待て。理解が追っつかない」

 ドクターレイテンシーは一人じゃない。
 グループを成して存在する。
 それはわかる。
 
「イカれた、ってのはどういうことだ?」
「……これは、一般人には話すなと言われた内容だが、いいか?」
「はは、何だよそれ。お前は漫画の主人公にでもなったのか?」
「俺は真面目だ」

 黒田は頭を上げて俺の目を見つめた。
 
「なあ黒田、お前……」
「俺はお前を信じているから話す。いいか?」

 黒田の目は真剣を訴えていた。
 こいつとはもう、二十年程の関係だろうか。
 俺はこんなに真剣で、真面目な……いや、そういう表現は合わない。
 そう、追い詰められている黒田を見たのは初めてだった。

「……話してくれ」
「この世界はあらゆる世界が存在する中の一つだ」
「……は?」
「ドクターレイテンシーはそれを目で見ることが出来る存在だ。
 まあ、ドクターレイテンシーの中にも見れるだけのやつと、実際に世界を行き来できる奴らの二種類がいるんだが」
「……」

 俺は黒田が何を言っているのか理解できなかった。
 黒田はスポーツドリンクを空にして、深く息を吐いた。

「まて黒田、質問していいか。ドクターレイテンシーは一体何を目的としているんだ?
 そしてその……複数あるという世界と何が関係がある」
「お前が紹介した女の子、ハーンと名乗ったが、恐らくあの子が首謀だ」
「は?」
「ハーンは俺みたいな奇妙な目を持ったやつを集めている。何故かはわからんが。
 俺は昨日、ハーンに話をしてくれと頼まれた。それがドクターレイテンシーの目的だ」
「話?」
「空間の裂け目が見えるのならば、その奥はどうなっていたのか、とか。
 居ちゃいけないやつが見えた時、どう対応してた、とかな。
 まあ俺はそういうのに関わらないよう意識してたから、ハーンが求めるような話は無かったけどな」
「……世界云々と言うのはどう関係する」
「ドクターレイテンシーだけが見れる世界のことだ。
 ここからは俺の推測になるけど、いいか」
「頼む」

 黒田は冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いだ。
 それを一気に飲み込み、目をつぶって話し始めた。

「ハーンは別の世界の話を集めている。
 その方法がネット上に散らばっているドクターレイテンシーだ。ああやってネットで情報を拡散していたら
 オカルト好きのやつらがあらゆる手を使って調べることになる。お前や俺のようにな」
「……俺らは、ハーンの網にハマったと」
「そして、そのハマった奴らが新しい『ドクターレイテンシー』になる。
 ハーンはドクターレイテンシー達の情報を得て満足し
 ドクターレイテンシー達はドクターレイテンシーの仕組みの真相を知って満足する。
 そしてそもそもがオカルト好きなやつらだ。面白がって『ドクターレイテンシー』を名乗り情報を拡散する。
 つまり」

 黒田は一呼吸置いて、虚空を見つめた。
 黒田が何を見ているのかは全くわからなかったが
 俺は次に黒田が言う台詞がなんとなくわかってしまった。

「俺もドクターレイテンシーにならなくてはいけない」


--


 これで俺と黒田の話は終わりに近づく。
 黒田の話を聞いてから、一ヶ月が経った。
 
 俺はあいつの話を整理する必要があった。
 あの時の黒田は取り乱していた。
 旧型酒のせいもあったかもしれないが、その前日の夜の出来事が衝撃だったのだろう。
 それであんなに取り乱していたに違いない。
 そして俺は、それに気付くべきだった。
 
 黒田は器用なやつだ。
 良い意味でも、もちろん悪い意味でも。
 子供の頃から何事も卒なくこなすやつだった。
 俺が頑張って入ったこの大学でさえ、黒田にとっては一夜漬けでどうにかなるレベルのものだった。
 対人関係も良好で、恋人が居ない期間が一年空くことは無かった。
 まあ、その関係が一年続いたことは無かったのだが。
  
 黒田は器用なやつだからこそこじらせている悩みがあった。
 それが本人が言う、『空間の裂け目、居ちゃいけないやつ』に関わるかどうかだ。
 ハーンに話を聞いた後、黒田の中では既に話はついていたのかもしれない。
 俺はそれに気づけなかった。

 恐らく黒田の思考はこうだ。
 ハーンに会うことで、今まで見えていた畏怖するべき存在は
 ある程度の人間、つまり『ドクターレイテンシー』達も見ていたことだと知る。
 自分しか見えていない世界を、知る人達が現れる。
 黒田は安堵しただろう。
 狂っていたのは自分だけではない。さぞかし安堵したのだろう。
 さあ、安堵した黒田の次の行動はどうだろう。
 ……そうだ、畏怖した存在の恐怖が無くなる。
 そうすると、果たしてそれは何なのだろうという疑問になる。
 オカルトが好きな俺やオカルト好きを隠していた黒田なら、そういう存在に近づこうと考えると思うんだ。
 
 先ほども言ったが、黒田の捜索願が出されてからもう一ヶ月が経つ。
 黒田はあの話を俺にした次の日から姿を消した。
 バイト先にも現れていないし、もちろん大学でも見かけない。
 すっかり消えたのだ。
 それはもちろん、皆様の予想通り別の世界に行ってしまったのだと思う。
 そう思う理由は、居なくなった黒田の部屋の俺がいつも座るところに小銭が残されていたから事もからもわかる。
 六百六十円。
 あの時のカツ丼の代金だ。
 これが黒田が俺とこの世界にけじめをつけて、別の世界に近づこうとしたという、明確な証拠なんだろうと思う。

 皆様は知らないかもしれないが、最近あるオンラインゲームが稼働した。
 それは黒田がやっていたあのゲームよりも古臭い非常にクラシックなゲームだ。
 俺はそれをプレイしている。
 ゲームをやりたいんじゃない。確認したかったんだ。
 何をかって? わかるだろう。
 そして予想通り、居た。
 ドクターレイテンシーというハンドルネームで、そいつは存在した。
 こいつが黒田なのかはわからない。
 でも俺は黒田なのだと思う。
 あいつのことだ。
 きっとどこに行ってもそれなりにやっていけるはずだ。
 それがどこだって。
 例えば別の次元、パラレルワールドだって、きっと。
 きっと黒田はどこかで生きている。
 当たり前に存在して、きっとドクターレイテンシーを名乗っているのであろう。


 俺と黒田の話はこれで終わる。




『バー・オールドアダムにて』
おわり

初めての秘封作品(?)です
最近、秘封のアレンジCDの作詞を行いました。
伴い、色々と調べていたのですが知れば知るほど燕石博物誌、旧約酒場のブックレットが面白いことに気づきました。
書いててとても楽しい作品になりました。
--
秋の例大祭
「つ41a」あたいんち で出ることになりました
何卒よろしくね
ばかのひ
http://atainchi.com/
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コメント



0.700簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
こういう視点も面白いですね
秘封倶楽部以外にも裏側が見える人たちがいることが分かった旧約は、秘封の世界を広げてくれた気がします
2.80奇声を発する程度の能力削除
面白く楽しめました
4.50名前が無い程度の能力削除
文章から個性を感じない、なんとも言えない作品でした。
6.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです
久々に良いオカルト作品を読んだ気がします

また
秘封作品と言えば、大抵は蓮メリを中心にした世界が描かれるものですが
このように外部の視点から語ることによって
敢えて蓮メリを中心に置かないことによって
却って、ふたりの妖しさが際立ち
魅力的な人物として描かれているように感じました

淡々とした文体も作品の雰囲気に合っていて
良い意味で得たいの知れない『寒気』のようなものが感じられて良いと思いました
8.100南条削除
秘封の方が怪異という形が新鮮でした
黒田が最後にかつ丼代を残していったところも印象的でした
面白かったです
9.100名前が無い程度の能力削除
少し内容をいじれば、「Dr. レイテンシー」ってタイトルで「世にも奇妙な物語」辺りにでも出そうなお話

このお話のタイトルと、作中のいくつかの表現に妙な違和感を感じていましたが、
もしかしてこれ、語り手の彼もまた、“あの酒場”に辿りついたのでは?
そして、今まさにこの話を語っているとか……

だとすれば、蛇足ですが、作者名が「ドクターレイテンシー」で投稿されていたら、
間違いなく舌を巻いていたと思います(蛇足だけに……? 旧約聖書だけに……?)
10.100月見草4削除
すばらしいお話でした。どんなふうに東方と絡むのかなとワクワクしながら読んでました。秘封倶楽部の二人がどれだけ異端か再確認できて旧約酒場の舞台背景からそうきたかとすごく納得しました。とても面白かったです。
11.100名前が無い程度の能力削除
レイテンシー、ネットの海の航行時間のこと。原義は、遅延時間、潜伏、潜在。
「笑い男」みたいな話でした。こういうの大好きです。
13.90がま口削除
メリーと蓮子の会話が無いのに、濃厚に感じる秘封倶楽部の物語。
斬新でも芯がしっかりしている作風、見習いたいなぁ、と思いました。
16.100名前が無い程度の能力削除
話に引き込ませる力。独特の空気。一人称の独特の言い回し
面白いSSね
17.100大根屋削除
のめり込むような圧迫感を感じました
凄まじいものです
18.90名前が無い程度の能力削除
秘封倶楽部が二人揃ってもいないのにとても秘封倶楽部。
このオカルト感が大好きです。
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よかった
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外部から見た秘封って新鮮。旧約酒場舞台ならなおさら。
秘封に限らず、趣味に全力な人って外から見たらなかなか怪異よね、とふと思いました。