.
#01 依頼
魔理沙は桶の中身を森に捨てると、ベッドに倒れこんでしばらく横になっていた。絶えず悪寒がして、顔中が脂汗まみれだった。苦痛の波がいったん過ぎ去ると、身体を起こして服を着替えた。水をコップ三杯ほど立て続けに飲み、椅子の背もたれに身体を投げ出して足を組んだ。天井の木目を睨みつけること数分、午後二時を告げる時計の音、魔理沙は吐き気をこらえてテーブルに散らかっている紙束を漁った。その中から一枚を抜き出すと、内容を確認してから箒をつかんで外に出た。
#02 霧雨魔法店
後に、アリス・マーガトロイドは綴っている。
あの頃は周囲の木もまだ伐採されていなかった。日当たりは悪く、瘴気は玄関先まで手を伸ばし、壁には蔦が這い登り、ガラクタが雨ざらしになって戸外で震えている。家主は不在がちで生活音は皆無だった。〈幽霊屋敷〉と形容したいところだが、幽霊だってあんな辛気臭い場所には住みたがらないだろう。
表には手製の看板が立っていて「何でもやります」と丸っこい字で書いてあった。それは看板というよりも板切れで、下の方に小さく「妖怪退治から水道管工事、魔法薬の調合まで格安で請け負います」と書き加えてあった。場所が場所なら女の子の〈ままごと〉だろうと誰もが合点するだろうが、事実、魔理沙は何でもやった。
実家に見つかりたくないからという理由で里の大っぴらな場所で依頼を探すわけにもいかず、当時は信用もなかったものだから、自然と足は里の中心から離れてより道幅の狭い地区へと向かうことになった。そこでは瓦葺のご立派なお屋敷などはなく、板組みに重石を乗せただけの家々が魔界の谷底のように肩を寄せ合っていた。
森の瘴気にあてられないだけでも充分な人外だが、その形振り構わないバイタリティもまた、人外のそれだった。
#03 巫女様
枕代わりにしていた座布団を部屋の隅に戻して、霊夢は欠伸をしながら社務所から出た。魔法の森に住まう少女が合掌して何事か祈っていた。霊夢は大幣で肩をとんとんと叩きながら「お祈りするなら賽銭も入れてちょうだい」と云った。少女は横目でこちらを睨みつけてきた。
「ちゃんと入れたっつの」
「嘘おっしゃい。私が賽銭の音を聞き逃すと思って?」
「巫女様はなるほど地獄耳だな。噂通りだ」
「どこの噂よ。あんたリスやキノコの言葉でも分かるっての?」
「馬鹿にすんな」
「そっちこそ馬鹿にしないで」
霊夢は少女から三歩ほどの距離を保って立ち止まった。
「顔色悪いわね。今度はどんなゲテモノを食べたの?」
「放っといてくれ」
「妖怪よろしく缶詰に手を出したんじゃないでしょうね」
「そこまで堕ちぶれちゃいない」
「そうね」霊夢は腰に手を当てた。「境内の掃除を代わりに済ませてくれたら、晩飯くらいは出してあげるわよ」
少女は顔をそらした。「飯だけか。銭はくれないのかよ」
「今のご時世、食事にありつけるだけでも幸運じゃなくて?」
「このドケチ」
「お互い様でしょ」霊夢は溜め息をつく。「……参拝客かと思ったら大抵はあんたの顔ばかり、何が目的なのよ」
「別に何でも好いだろ」
「好くない。泥棒の下見の可能性だってある」
彼女はこちらを向いて片方の眉を上げた。それから霊夢の顔をじっと見つめていた。
「なによ。じろじろと」
森の少女は答えずに箒へまたがった。霊夢が止める間もなく彼女は飛び去っていった。霊夢はつま先で石畳を小突いてから社務所に戻った。陰陽玉や針の具合を確かめ、万事抜かりないことを確認してから賽銭箱に貼り紙をして大地を蹴った。貼り紙には「お勤め中 素敵な賽銭箱はこちら」と達筆で記してある。万事抜かりはないのだ。
#04 雨音
依頼内容は単純で、指定された場所まで荷物を運ぶだけだった。問題はその届け先だった。
「麓の村?」魔理沙は依頼人に確認した。「異人に宅配なんて初めてだな」
「なるべく急いで欲しいんだ」依頼人は云った。「まとまった金が要るのはお互い様だろ?」
魔理沙は笑った。「話が分かるな」
あばら家の奥から子供の泣き声が聞こえた。喉がつぶれたような、聞いているだけで胸に釘を打たれるような気分になる声だった。依頼人の妻が夕餉の準備を止めて様子を見に行った。着物から覗いた足の異様な細さに魔理沙は笑いを引っこめた。
奥から声。「あんた、やっぱり医者に見せないとだよ」
「頼むから静かにしてくれっ」依頼人は怒鳴った。「――ああ、すまない。とにかく、頼んだよ」
「まとまった金、だな」
魔理沙は何かの合言葉のように云った。彼は首を振った。
「どうせここいらの出身とばれちまったら、金をいくら積んだってまともに診てもらえないがね」
あんたの噂は聞いてる。大したものじゃないか。頼りにしてるよ。
彼はそう結んで魔理沙の鼻先で引き戸を閉めた。
折からの秋雨のおかげで、ひと眼につかずに荷を運べたのは幸いだった。魔理沙は箒の柄の先に真っ黒な袋をぶら下げて幻想郷を横断した。産業用のポリ袋らしいが、どうして依頼人がそのような代物を持っていたのかについて、魔理沙は訊かなかったし知りたくもなかった。
目的の場所に降り立ったが、廃屋ばかりで誰もいなかった。黒焦げになった家もある。雷でも落ちたのか。焼け落ちた家をよく見ると、炭化した女性の遺体が梁の間から覗いていた。それが女性だと分かったのは髪の毛だけが焼けずに残っていたからだった。魔理沙は雨音のなかで呆然と立ち尽くしていた。帽子のつばから絶え間なく水滴がこぼれ落ちた。
林の奥で何かが動いた。魔理沙は八卦炉を胸の高さに構えた。
木こりらしき恰好をした男が三人やってきた。
魔理沙は鋭い声で云った。
「なんでこんな麓まで妖怪が降りてきてるんだよ」
彼らは顔を見合わせた。ひとりが云った。「あいつから何も聞いてなかったのか。俺たちが受取人だよ」
魔理沙は肩をすくめて箒に結びつけていた荷物を解いた。
「で、――ここの連中はいつの間に夜逃げしたんだ。そんな話、聞いてないんだが」
「俺たちは何も知らない。そもそも、定められた領域外で集落を構えるこいつらも悪い」
魔理沙は八卦炉をにぎる力を強めた。「昔からある村じゃないか。里とは交流こそないが、取引はしていただろ」
今度は彼らが肩をすくめる番だった。「切羽詰まってるのは、何も人間だけじゃない」
「……お前ら、本当は天狗だろ」
彼は質問を無視した。「なぁ、そっちは物を持ってて、こっちは金を持ってる。お互いに早く仕事を終わらせて帰りたいって気持ちは変わらないはずだ。状況はいたってシンプル、誰もが腹を空かせてる、これ以上の真理があるのか?」
「私だって損得勘定くらいできる」
「なら重畳だ」
彼らは荷物を受け取り、約束通りの金を支払った。ポリ袋は重量こそあったが感触は柔らかく、手からぶら下げていると、中身の形状が重力に従って露わになるように思われた。〈それ〉はおぼろげながら己の存在を証明しようと懸命になっていた。
「好い取引だった。よろしく伝えておいてくれ」
彼らはそう云い残して森へと去った。魔理沙はその場に立ち尽くして眼前の妖怪の山を見上げていた。悪寒と吐き気がぶり返してきた。八卦炉をずっと掲げていたままだったことに気づき、懐に戻した。それから地面に唾を吐いて箒にまたがった。焼け落ちた家の遺体が、縮れた髪の奥から蒸発した眼球をこちらに向けていた。
#05 〈決闘法〉前夜
箒の向かう先は自宅ではなく神社だった。濡れた石畳で転びそうになりながら、止まらない咳と、病んだ身体を抱えて魔理沙は歩いた。巫女との会話を思い出し、巾着から硬貨を取り出して賽銭箱に放りこんだ。魔理沙は与えられるはずのない赦しのために手を合わせて必死に祈った。楽園の素敵な巫女は出てこなかった。
魔理沙は境内裏に回った。巫女は縁側に腰かけていた。最初は寝ているのかと思った。魔理沙は立ち止まった。巫女の腕を隠している眼の覚めるように白い袖は、こびり付いた血や肉片のために元の色を失っていた。黄色のスカーフも同じ運命を辿っていた。紅色の袴は深みが増して、めでたいどころか不吉な色合いに染まっていた。虚ろな瞳を向けられて、魔理沙は鳥肌だった。
「なに、こんな雨の夕暮れに」巫女は云った。「あんたも殺されたいわけ」
「退治されるべきなのはお前だろ、この妖怪巫女」
彼女は立ち上がった。魔理沙は冗談抜きに殺されるのかと思い、自分の軽口を呪った。巫女も帰宅したばかりなのか全身ずぶ濡れだった。頬を流れる水滴は今まで泣いていたかのように見えた。彼女は血まみれの大幣を握りしめていたが、人形の糸が切れるみたいに力が抜けて、地面に落っことした。
「せっかく賽銭を入れてやったんだぜ」魔理沙はそれでも云った。「少しは喜んでくれないと有難味がない」
「もう、来ないで」
「はぁ?」
「もう来ないでって云ってるのよ」
彼女は繰り返した。魔理沙は箒の柄で相手の腹を突いてやりたいという衝動に必死で耐えた。
「こちとらな――」と魔理沙は云いかけて唇を噛んだ。顔を上げて巫女の顔を睨んだ。「……仕事の前にここに立ち寄ったら、ちょっとは勇気がもらえるかなって思ってたんだよ。私と同じくらいの女の子が、妖怪退治屋として達者にやってるのを見ていると、頑張らなきゃなって気持ちになってたんだ。でも、今のお前の顔はダメだな。まるっきり妖怪だ。さもなきゃ怨霊だ。夜中に化けて出てこないのが不思議なくらいだ。以前に詰まった排水管の清掃を引き受けたことがあったんだが、お前の顔はそこで見つけた――」
「黙んなさいよ!」
魔理沙は帽子を地面に投げ捨てた。「おう、ちゃんと人間らしい怒り方も出来んじゃねぇかっ」
「上等よ、この社会不適合者!」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎!」
魔理沙が霊夢と喧嘩したのはそれが初めてだった。その時は〈弾幕ごっこ〉じゃなかったから、本当に死ぬかと思った。
#06 霧雨魔法店 II
後に、アリス・マーガトロイドは天狗の取材に答えて次のように語っている。
魔理沙の生活は新しい収入によって劇的に改善した。霊夢の許に舞いこむ妖怪退治の依頼を横取りするようになったのだ。成功払いが原則で、失敗した場合は報酬を受け取らない。事が大きくなれば巫女と共に対処する。〈紅霧異変〉では実際に〝共に対処〟した。〈命名決闘法〉の制定もまた大きな変化だった。そこに魔理沙が一枚噛んでいたなんてことは考えにくいが、彼女と出会う前の、まるで機械のようだった巫女がスペルカードを考案できたのか問われると、私は首をひねらざるを得ないのだ。
#07 一杯の茶
魔理沙は茶碗に箸を置いて合掌した。明瞭な声で「ごちそうさま」と云った。
「お粗末様」
「お前が料理できるなんて思わなかったよ」
「息をするように憎まれ口を云うのね」
「いや、本当に美味かったんだ」魔理沙は両手を振った。「里から離れた場所にずっと独りで暮らしてるとさ、料理に手間をかけるのが馬鹿らしくなってこないか」
「あんたはそうなのね」
「否定はしない」
「定期的にね、御礼に頂いてるのよ。粗末な食べ方をしたらそれこそ罰が当たるじゃない」
食器を片付けながら霊夢は云った。魔理沙はちゃぶ台に両腕を乗せて猫背になった。
「祭りの時にさ、何度もすれ違ったの覚えてないだろ?」
「何いきなり。いつの話よ」
「小さいころ」
「そんなの覚えてるわけないじゃない」
「一緒にいた綺麗な女のひとはどうした。別居中か?」
「死んだわ」
魔理沙は顎を持ち上げた。「そっか。悪い」
「悪いなんて微塵も思ってないくせに」
「失敬な」
「あんたこそ、里の人間がそんな恰好して何やってるのよ」
「家出したんだ」
「そう」
「お前は謝りすらしないんだな」
「森の近くに住んでる半妖のひとは? 馴染みでしょ、頼れば好いのに」
「誰にも借りは作らないって決めてるんだよ」
「へえ、立派ね」
「立派なんて微塵も思ってないだろ」
「ええ」
霊夢が食器を洗っている間、魔理沙は茶の間を物色した。当時の痕跡を探した。写真立てや新聞記事の切り抜きなどが見つかればと心の隅で願っていた。何も出てこなかった。最低限の生活用品。その素気なさはある種の芸術性を獲得していた。人間、シンプルになろうと思えばここまで真っ白になれるんだな、と魔理沙は感心した。
「やっぱり泥棒なのね」
魔理沙の肩が跳ねた。「いや、これはちがう。とにかく違うんだよ」
霊夢は眼を細めながら食後の緑茶を湯呑みに注いだ。魔理沙は両手で受け取り、味わって飲んだ。
「……まともな茶を飲んだのは、いつ以来だろ」
「あんた、普段どんな生活を送ってんのよ」
魔理沙は身を乗り出した。「――さっきの話なんだが」
「なに」
「互いに詮索は無しにしよう」
「……そうね、それが好いと思うわ」
「汚れ仕事は私が引き受けてやる。お前はまっとうな退治屋家業に精を出せば好い」
「勝手に決めないでよ。全部、私の大事なお役目よ」
「あんな顔しといて好く云うぜ」
霊夢が腰を浮かせた。「――また〝あんな顔〟って云ったわねっ」
「すまん。謝るから針は止めてくれ」
巫女は姿勢を戻して正座になった。それから顔をそむけた。「……さっきの話なんだけど」
「なんだよ」
「普段の食事は、もっと質素よ。お客をもてなすのは本当に久しぶりだったから」
「ああ」
「だから、私が大食い女なんて勘違いしてもらったら困るわけ」
魔理沙は耳をほじくる真似をした。「お前にも乙女の恥じらいくらいは残ってたってわけだ」
「ぶっ飛ばすわよ」
巫女の怒りを笑って受け流しながら、魔理沙はちゃぶ台に湯呑みを置いた。
#08 霧雨魔法店 III
ひとつだけ云えるのは、あの二人は依頼の解決にあたって競い合いこそするが、「お前/あんたは引っこんでいろ」と拒絶するようなことはしなかったということだ。〈魔法店〉の玄関先には今も「何でもやります」と書かれた看板が立っているが、魔理沙が以前ほど〝何でも〟やらなくなったのは、腐れ縁である私にとっても喜ばしいことである。
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For a Better Day
#01 依頼
魔理沙は桶の中身を森に捨てると、ベッドに倒れこんでしばらく横になっていた。絶えず悪寒がして、顔中が脂汗まみれだった。苦痛の波がいったん過ぎ去ると、身体を起こして服を着替えた。水をコップ三杯ほど立て続けに飲み、椅子の背もたれに身体を投げ出して足を組んだ。天井の木目を睨みつけること数分、午後二時を告げる時計の音、魔理沙は吐き気をこらえてテーブルに散らかっている紙束を漁った。その中から一枚を抜き出すと、内容を確認してから箒をつかんで外に出た。
#02 霧雨魔法店
後に、アリス・マーガトロイドは綴っている。
あの頃は周囲の木もまだ伐採されていなかった。日当たりは悪く、瘴気は玄関先まで手を伸ばし、壁には蔦が這い登り、ガラクタが雨ざらしになって戸外で震えている。家主は不在がちで生活音は皆無だった。〈幽霊屋敷〉と形容したいところだが、幽霊だってあんな辛気臭い場所には住みたがらないだろう。
表には手製の看板が立っていて「何でもやります」と丸っこい字で書いてあった。それは看板というよりも板切れで、下の方に小さく「妖怪退治から水道管工事、魔法薬の調合まで格安で請け負います」と書き加えてあった。場所が場所なら女の子の〈ままごと〉だろうと誰もが合点するだろうが、事実、魔理沙は何でもやった。
実家に見つかりたくないからという理由で里の大っぴらな場所で依頼を探すわけにもいかず、当時は信用もなかったものだから、自然と足は里の中心から離れてより道幅の狭い地区へと向かうことになった。そこでは瓦葺のご立派なお屋敷などはなく、板組みに重石を乗せただけの家々が魔界の谷底のように肩を寄せ合っていた。
森の瘴気にあてられないだけでも充分な人外だが、その形振り構わないバイタリティもまた、人外のそれだった。
#03 巫女様
枕代わりにしていた座布団を部屋の隅に戻して、霊夢は欠伸をしながら社務所から出た。魔法の森に住まう少女が合掌して何事か祈っていた。霊夢は大幣で肩をとんとんと叩きながら「お祈りするなら賽銭も入れてちょうだい」と云った。少女は横目でこちらを睨みつけてきた。
「ちゃんと入れたっつの」
「嘘おっしゃい。私が賽銭の音を聞き逃すと思って?」
「巫女様はなるほど地獄耳だな。噂通りだ」
「どこの噂よ。あんたリスやキノコの言葉でも分かるっての?」
「馬鹿にすんな」
「そっちこそ馬鹿にしないで」
霊夢は少女から三歩ほどの距離を保って立ち止まった。
「顔色悪いわね。今度はどんなゲテモノを食べたの?」
「放っといてくれ」
「妖怪よろしく缶詰に手を出したんじゃないでしょうね」
「そこまで堕ちぶれちゃいない」
「そうね」霊夢は腰に手を当てた。「境内の掃除を代わりに済ませてくれたら、晩飯くらいは出してあげるわよ」
少女は顔をそらした。「飯だけか。銭はくれないのかよ」
「今のご時世、食事にありつけるだけでも幸運じゃなくて?」
「このドケチ」
「お互い様でしょ」霊夢は溜め息をつく。「……参拝客かと思ったら大抵はあんたの顔ばかり、何が目的なのよ」
「別に何でも好いだろ」
「好くない。泥棒の下見の可能性だってある」
彼女はこちらを向いて片方の眉を上げた。それから霊夢の顔をじっと見つめていた。
「なによ。じろじろと」
森の少女は答えずに箒へまたがった。霊夢が止める間もなく彼女は飛び去っていった。霊夢はつま先で石畳を小突いてから社務所に戻った。陰陽玉や針の具合を確かめ、万事抜かりないことを確認してから賽銭箱に貼り紙をして大地を蹴った。貼り紙には「お勤め中 素敵な賽銭箱はこちら」と達筆で記してある。万事抜かりはないのだ。
#04 雨音
依頼内容は単純で、指定された場所まで荷物を運ぶだけだった。問題はその届け先だった。
「麓の村?」魔理沙は依頼人に確認した。「異人に宅配なんて初めてだな」
「なるべく急いで欲しいんだ」依頼人は云った。「まとまった金が要るのはお互い様だろ?」
魔理沙は笑った。「話が分かるな」
あばら家の奥から子供の泣き声が聞こえた。喉がつぶれたような、聞いているだけで胸に釘を打たれるような気分になる声だった。依頼人の妻が夕餉の準備を止めて様子を見に行った。着物から覗いた足の異様な細さに魔理沙は笑いを引っこめた。
奥から声。「あんた、やっぱり医者に見せないとだよ」
「頼むから静かにしてくれっ」依頼人は怒鳴った。「――ああ、すまない。とにかく、頼んだよ」
「まとまった金、だな」
魔理沙は何かの合言葉のように云った。彼は首を振った。
「どうせここいらの出身とばれちまったら、金をいくら積んだってまともに診てもらえないがね」
あんたの噂は聞いてる。大したものじゃないか。頼りにしてるよ。
彼はそう結んで魔理沙の鼻先で引き戸を閉めた。
折からの秋雨のおかげで、ひと眼につかずに荷を運べたのは幸いだった。魔理沙は箒の柄の先に真っ黒な袋をぶら下げて幻想郷を横断した。産業用のポリ袋らしいが、どうして依頼人がそのような代物を持っていたのかについて、魔理沙は訊かなかったし知りたくもなかった。
目的の場所に降り立ったが、廃屋ばかりで誰もいなかった。黒焦げになった家もある。雷でも落ちたのか。焼け落ちた家をよく見ると、炭化した女性の遺体が梁の間から覗いていた。それが女性だと分かったのは髪の毛だけが焼けずに残っていたからだった。魔理沙は雨音のなかで呆然と立ち尽くしていた。帽子のつばから絶え間なく水滴がこぼれ落ちた。
林の奥で何かが動いた。魔理沙は八卦炉を胸の高さに構えた。
木こりらしき恰好をした男が三人やってきた。
魔理沙は鋭い声で云った。
「なんでこんな麓まで妖怪が降りてきてるんだよ」
彼らは顔を見合わせた。ひとりが云った。「あいつから何も聞いてなかったのか。俺たちが受取人だよ」
魔理沙は肩をすくめて箒に結びつけていた荷物を解いた。
「で、――ここの連中はいつの間に夜逃げしたんだ。そんな話、聞いてないんだが」
「俺たちは何も知らない。そもそも、定められた領域外で集落を構えるこいつらも悪い」
魔理沙は八卦炉をにぎる力を強めた。「昔からある村じゃないか。里とは交流こそないが、取引はしていただろ」
今度は彼らが肩をすくめる番だった。「切羽詰まってるのは、何も人間だけじゃない」
「……お前ら、本当は天狗だろ」
彼は質問を無視した。「なぁ、そっちは物を持ってて、こっちは金を持ってる。お互いに早く仕事を終わらせて帰りたいって気持ちは変わらないはずだ。状況はいたってシンプル、誰もが腹を空かせてる、これ以上の真理があるのか?」
「私だって損得勘定くらいできる」
「なら重畳だ」
彼らは荷物を受け取り、約束通りの金を支払った。ポリ袋は重量こそあったが感触は柔らかく、手からぶら下げていると、中身の形状が重力に従って露わになるように思われた。〈それ〉はおぼろげながら己の存在を証明しようと懸命になっていた。
「好い取引だった。よろしく伝えておいてくれ」
彼らはそう云い残して森へと去った。魔理沙はその場に立ち尽くして眼前の妖怪の山を見上げていた。悪寒と吐き気がぶり返してきた。八卦炉をずっと掲げていたままだったことに気づき、懐に戻した。それから地面に唾を吐いて箒にまたがった。焼け落ちた家の遺体が、縮れた髪の奥から蒸発した眼球をこちらに向けていた。
#05 〈決闘法〉前夜
箒の向かう先は自宅ではなく神社だった。濡れた石畳で転びそうになりながら、止まらない咳と、病んだ身体を抱えて魔理沙は歩いた。巫女との会話を思い出し、巾着から硬貨を取り出して賽銭箱に放りこんだ。魔理沙は与えられるはずのない赦しのために手を合わせて必死に祈った。楽園の素敵な巫女は出てこなかった。
魔理沙は境内裏に回った。巫女は縁側に腰かけていた。最初は寝ているのかと思った。魔理沙は立ち止まった。巫女の腕を隠している眼の覚めるように白い袖は、こびり付いた血や肉片のために元の色を失っていた。黄色のスカーフも同じ運命を辿っていた。紅色の袴は深みが増して、めでたいどころか不吉な色合いに染まっていた。虚ろな瞳を向けられて、魔理沙は鳥肌だった。
「なに、こんな雨の夕暮れに」巫女は云った。「あんたも殺されたいわけ」
「退治されるべきなのはお前だろ、この妖怪巫女」
彼女は立ち上がった。魔理沙は冗談抜きに殺されるのかと思い、自分の軽口を呪った。巫女も帰宅したばかりなのか全身ずぶ濡れだった。頬を流れる水滴は今まで泣いていたかのように見えた。彼女は血まみれの大幣を握りしめていたが、人形の糸が切れるみたいに力が抜けて、地面に落っことした。
「せっかく賽銭を入れてやったんだぜ」魔理沙はそれでも云った。「少しは喜んでくれないと有難味がない」
「もう、来ないで」
「はぁ?」
「もう来ないでって云ってるのよ」
彼女は繰り返した。魔理沙は箒の柄で相手の腹を突いてやりたいという衝動に必死で耐えた。
「こちとらな――」と魔理沙は云いかけて唇を噛んだ。顔を上げて巫女の顔を睨んだ。「……仕事の前にここに立ち寄ったら、ちょっとは勇気がもらえるかなって思ってたんだよ。私と同じくらいの女の子が、妖怪退治屋として達者にやってるのを見ていると、頑張らなきゃなって気持ちになってたんだ。でも、今のお前の顔はダメだな。まるっきり妖怪だ。さもなきゃ怨霊だ。夜中に化けて出てこないのが不思議なくらいだ。以前に詰まった排水管の清掃を引き受けたことがあったんだが、お前の顔はそこで見つけた――」
「黙んなさいよ!」
魔理沙は帽子を地面に投げ捨てた。「おう、ちゃんと人間らしい怒り方も出来んじゃねぇかっ」
「上等よ、この社会不適合者!」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎!」
魔理沙が霊夢と喧嘩したのはそれが初めてだった。その時は〈弾幕ごっこ〉じゃなかったから、本当に死ぬかと思った。
#06 霧雨魔法店 II
後に、アリス・マーガトロイドは天狗の取材に答えて次のように語っている。
魔理沙の生活は新しい収入によって劇的に改善した。霊夢の許に舞いこむ妖怪退治の依頼を横取りするようになったのだ。成功払いが原則で、失敗した場合は報酬を受け取らない。事が大きくなれば巫女と共に対処する。〈紅霧異変〉では実際に〝共に対処〟した。〈命名決闘法〉の制定もまた大きな変化だった。そこに魔理沙が一枚噛んでいたなんてことは考えにくいが、彼女と出会う前の、まるで機械のようだった巫女がスペルカードを考案できたのか問われると、私は首をひねらざるを得ないのだ。
#07 一杯の茶
魔理沙は茶碗に箸を置いて合掌した。明瞭な声で「ごちそうさま」と云った。
「お粗末様」
「お前が料理できるなんて思わなかったよ」
「息をするように憎まれ口を云うのね」
「いや、本当に美味かったんだ」魔理沙は両手を振った。「里から離れた場所にずっと独りで暮らしてるとさ、料理に手間をかけるのが馬鹿らしくなってこないか」
「あんたはそうなのね」
「否定はしない」
「定期的にね、御礼に頂いてるのよ。粗末な食べ方をしたらそれこそ罰が当たるじゃない」
食器を片付けながら霊夢は云った。魔理沙はちゃぶ台に両腕を乗せて猫背になった。
「祭りの時にさ、何度もすれ違ったの覚えてないだろ?」
「何いきなり。いつの話よ」
「小さいころ」
「そんなの覚えてるわけないじゃない」
「一緒にいた綺麗な女のひとはどうした。別居中か?」
「死んだわ」
魔理沙は顎を持ち上げた。「そっか。悪い」
「悪いなんて微塵も思ってないくせに」
「失敬な」
「あんたこそ、里の人間がそんな恰好して何やってるのよ」
「家出したんだ」
「そう」
「お前は謝りすらしないんだな」
「森の近くに住んでる半妖のひとは? 馴染みでしょ、頼れば好いのに」
「誰にも借りは作らないって決めてるんだよ」
「へえ、立派ね」
「立派なんて微塵も思ってないだろ」
「ええ」
霊夢が食器を洗っている間、魔理沙は茶の間を物色した。当時の痕跡を探した。写真立てや新聞記事の切り抜きなどが見つかればと心の隅で願っていた。何も出てこなかった。最低限の生活用品。その素気なさはある種の芸術性を獲得していた。人間、シンプルになろうと思えばここまで真っ白になれるんだな、と魔理沙は感心した。
「やっぱり泥棒なのね」
魔理沙の肩が跳ねた。「いや、これはちがう。とにかく違うんだよ」
霊夢は眼を細めながら食後の緑茶を湯呑みに注いだ。魔理沙は両手で受け取り、味わって飲んだ。
「……まともな茶を飲んだのは、いつ以来だろ」
「あんた、普段どんな生活を送ってんのよ」
魔理沙は身を乗り出した。「――さっきの話なんだが」
「なに」
「互いに詮索は無しにしよう」
「……そうね、それが好いと思うわ」
「汚れ仕事は私が引き受けてやる。お前はまっとうな退治屋家業に精を出せば好い」
「勝手に決めないでよ。全部、私の大事なお役目よ」
「あんな顔しといて好く云うぜ」
霊夢が腰を浮かせた。「――また〝あんな顔〟って云ったわねっ」
「すまん。謝るから針は止めてくれ」
巫女は姿勢を戻して正座になった。それから顔をそむけた。「……さっきの話なんだけど」
「なんだよ」
「普段の食事は、もっと質素よ。お客をもてなすのは本当に久しぶりだったから」
「ああ」
「だから、私が大食い女なんて勘違いしてもらったら困るわけ」
魔理沙は耳をほじくる真似をした。「お前にも乙女の恥じらいくらいは残ってたってわけだ」
「ぶっ飛ばすわよ」
巫女の怒りを笑って受け流しながら、魔理沙はちゃぶ台に湯呑みを置いた。
#08 霧雨魔法店 III
ひとつだけ云えるのは、あの二人は依頼の解決にあたって競い合いこそするが、「お前/あんたは引っこんでいろ」と拒絶するようなことはしなかったということだ。〈魔法店〉の玄関先には今も「何でもやります」と書かれた看板が立っているが、魔理沙が以前ほど〝何でも〟やらなくなったのは、腐れ縁である私にとっても喜ばしいことである。
~ おしまい ~
.
辛い現実を生きる2人が、それでも相手のことを思う姿に感銘を受けました
静かに熱い話は読後感もいいものです
個人的な好みとしてはもう少しわかりやすい方が良かったですが、描写から色々と想像させられる部分もあり、面白く読めました。
よく噛み砕いて、また楽しませていただこうと思います
ただ、この二人の繋がりは友情なのか依存なのか、はたまた共犯なのか断言できないもどかしさも同時に感じました。それも含めてよかったです。ありがとうございます。
暗い展開から明るい流れもいい
ベターとビターがかかってるのかなーとちょっと思いました
昔の暗さがあって、今の2人がある。
そしてその距離感は今も昔もこんな感じ。
そんな2人の描写が素敵でした。
あらそえ……もっとあらそえ……
支え合いとも違う少女たちの関係が、これぞまさにレイマリ。
でも外の世界でも間引きや人買いはあったわけですしまして妖怪はびこる幻想郷、里の外とくれば魔理沙が片棒担ぐ羽目になったようなことがあるのはむしろ自然なのでしょうね…
二人の関係や掛け合いは原作らしい雰囲気でよかったです、いろんな創作がありますが恋愛とかにまで傾いてしまうのは個人的に何か違う気がしていたので…
初めて友達を作るときの不安さと期待みたいなものが台詞に表れててリアル(?)だと感じました、読んでて楽しかったです
スペルカードルールが始まる前の陰鬱さが好きです
合間に入るアリスの台詞も素敵