人間が鬼の退治方法を知っていたのは、もうずいぶん昔の事だという。そして、それはしばし勘違いされがちだが、不死身の鬼を殺す方法ではない。
彼らが人間の社会にやってくれば、人の世の中はすぐ終わる。しかし、人間がいなくなれば人の生み出す畏れはなくなってしまい、鬼もまた死んでしまう。鬼を退治する方法とは、昔に取り決められた、鬼に退いてもらう方法なのだ。あまりに人間にとって強すぎる鬼は、こうした取り決めを覚えていて、その手順通りに鬼を退治するならば、噛み砕いた風にいうならば、鬼はやられたふりをしてくれるのだ。
「人間は弱っちいねぇ」
目の前にいる、これもまた小さい少女の風体をした鬼もそうした取り決めを覚えているのかもしれなかった。私は砕けてほぼなくなってしまった手の出血を縄できつく縛って止めた。目の前にいるのは、どうやら、日本の昔話に登場する、伊吹山の支配者である酒呑童子の慣れの果てのようだった。だとするならば、私が一人でいかに優れた装備や能力を持っていたとしても、絶対に倒すことはできないだろう。鬼の退治方法をしってはいたものの、頭数や長い期間の準備が必要だった。つい5分前に出会った鬼がどういうつもりで私を狙ったのかはわからないが、どうやら、私はもう、あの巫女とは会えないのだろうと思った。石灰と肥料、油石鹸でこっそり作った爆弾を私は残っている方の手でこっそり持った。
「期待外れだったねぇ」
鬼は、見た目の100倍は重たいヒョウタンを振りかぶり私の頭めがけてに打ちおろす。頭蓋の一部が砕けたような気がした。爆弾を鬼の懐に放り込んで私はそのまま走り、泥にまみれながら転げまわる。
鬼のいたところで、激しく反応した爆弾が爆発する。気炎が上がり、ぼんやりとなってしまった視覚で鬼がいたところを見た。真っ暗で冷たい夜の森でそこだけが昼間のように暖かくなる。
鬼の懐は黒ずんで、ところどころ欠けていたものの、その歩みはしっかりとしていた。鬼の表情は閻魔か何かのようにひきつっていて、私を殺そうとにらみつけている。
鬼がかっと叫ぶと、気合のようなものが発射され、私の体は吹き飛ばされてそこらにあった木にぶつかる。もう、何も聞こえない。
今日まで、それなりに懸命に生きてきたつもりだったが、地を這う汚らしい生き物の最後などというのは、結局こういうものかと思った。
鬼が、こぶしを固めて、槌を打ち込むように振り上げた。
『地を這う生き物』
ブギーマンが帰ってから、数日が経っていた。霊夢の結婚騒動からのドタバタもそれなりに落ち着き、前のようなのんびりした日常が戻りつつあると、私は思った。
「ねぇ魔理沙」
「ん?」
それで、霊夢はというと、ここ最近元気がない。あまり口を利かないし、私が遊びに来ると、お茶などを出してそれきり黙っていることばかりだった。何か考え事をしているような感じだ。
「アンタとは結構長い付き合いよね」
霊夢が、どのくらいだっけ? と聞く。私はしばし考え、適当な年数を言うことにした。
「8年くらい?」
「うん、そうよね、そのくらいよね」
そういって、また霊夢はぼんやりと遠くを眺めはじめる。もしかしたら、私は、霊夢が何を考えていて、何を悩んでいるのかわかっているような気がした。
「あいつ、来ないな」
「うん」
ブギーマンは、結局霊夢のしつこい誘いに負けて、少しだけ宴会に参加し、少しだけ酒を飲んで帰って行った。その時に、霊夢は、また顔を出してほしいといい、ブギーマンの住処を教えてもらっていた。廻りの連中は、その様子を見て、霊夢の男の趣味を笑っていたけれど、霊夢はそういう軽薄な感じでブギーマンの居場所を聞き出したような気が私は全くしなかった。もっと、別の大切なことを教えてもらっているような真剣な顔だった。
「ねぇ、魔理沙ってさ」
「なんだよ」
霊夢がためらいがちに、私に尋ねてくる。
「魔理沙って、小さいころのこと覚えてる?」
「小さいって、どのくらいだよ」
いくらなんでも、生まれてから数日間の事を覚えているかと言われると覚えていない。
「そうじゃなくって、5歳とか、10歳とか物心ついた時の事」
10歳が物心ついたときとはずいぶん遅いと思ったが、霊夢はそうではなかったらしい。
「私、みなしごだったの」
なかなか、霊夢は突然つらい話を始めた。私はこの話を掘り下げるべきかどうか迷ったが、霊夢は私の言葉を待っているようだった。
「お前の家族って、聞いたことないな」
「そう、そうなの」
霊夢は、しばし、霊夢の身の上のことを話し始めた。もしかしたら、霊夢は霊夢なりに結婚間近という経験を得て、自分のルーツというものが気になり始めたのかもしれない。
「紫が、しばらく私の面倒を見てくれたの、それが10くらいの時」
今私たちは、18くらいの華の乙女といった年頃だが、霊夢はそのくらいから巫女の修行を始めたのだという。
「しばらく、マヨヒガにいて、巫女の事を習っていたの。3年くらいだと思うわ」
私は、あまり聞きたくなかったが、話の流れの上では聞かなければならないだろう、その質問をすることにした。
「その前は、何してたんだ」
「覚えてないの」
幻想郷で生まれたのは確かだと思う、と霊夢は言った。こういう話をしている間も霊夢の表情はどこか集中力がなさげで、心ここにあらずといった具合だ。
霊夢には悪いが、10歳以前の記憶がないというのは、けっこう異常なことだ。なにか心的な衝撃でモノを忘れてしまったのか、あるいは紫が霊夢の心に何か細工をしたかもしれないと思った。
「なんで、覚えてないんだろうな」
「わからないの」
霊夢は、なんでかしら、とつぶやいて俯いた。私は霊夢にとって非常によくないことが起こっていると感じた。現に霊夢の霊力は、かなり落ち込んでいたからだ。
霊夢は何かにとらわれている。霊夢が自由に空を飛び無限の力を持っているのは、霊夢がひとえに自由な生き物だから。いつも飄々とした霊夢の姿は今はない。
「私、昔、あの人に会っている気がする」
「誰だよ」
「ブギーマン」
実は、私もそんな気がしていた。霊夢が今こんな話をしているのは、最近霊夢に物思うところがあるからだろう。実は慧音と香霖と一緒に霊夢とブギーマンが並んでいるところを見て思ったことがある。
雰囲気というか、顔の作りに共通しているところが多かったのだ。身の上の事情も、霊夢と似ているところが多い、身内が死んでいるか、行方不明で、どちらも妖怪退治を生業にしている人間だ。
「実は、お前の兄貴とかかな?」
私は適当に霊夢が言いたげなことを言ってみる。
「あの人、妹はいないって言ってた」
「そうだよな」
ブギーマンの年齢は25か30の間というところらしい。ブギーマンは、母親と姉、そして狂った父親がいて、全員が彼の言うところでは死んでしまったらしい。だから年齢で霊夢とブギーマンが家族だというのはありえない話だった。
「けど、家族じゃなくても、血縁者って可能性はあるよな」
親戚とか、霊夢と顔立ちが近いという理由なら、それはそれであり得る気がする。
「そうかもね」
「私にも親戚だけっていうなら山ほどいるぜ」
一応は私も金持ちの家の娘だから、そういう縁者もいる。けど彼らのほとんどとは顔を合わせた覚えがないし、必要な時しか会わないのだ。
「まぁ、あんまり気にするなよ、向こうと会えないなら、考えても仕方ないぜ」
霊夢は、私の話がもう聞こえていないようだった。なにかぶつぶつとつぶやいて、夕暮れをぼんやりと眺めているだけだった。
「匂いがする」
「ん?」
「何の匂いだったかしら…?」
「・・・」
このままでは、きっと霊夢はダメになってしまうだろう。私は、この静かな異変を解決しなければならないと思った。虚ろな目をしている霊夢を残して、私は箒にまたがった。
「死んだよ」
「ありがとう」
宴会の後、ひそかに萃香にあの人間を殺すように頼んだ。そして萃香が帰ってきた。もう鬼を殺すことができる人間は幻想郷にはいないのだから、絶対に安全な依頼だ。だが、萃香の角の一部、先端はなくなっていたり、指が何本か足りなかったり、目玉は片方なくなっていた。
「舐めてかかったでしょう」
「あぁ、そうだよ」
なくなった指を萃香は唇で吸っている。鬼の体のつくりはいい加減だから、明日にでもなれば元通りになっているだろう。
「人間の死体は? どうしたの?」
「喰っちまったよ」
もう、安心。霊夢が少し元気がないようなので、様子を見に行って元気が付くものを用意しよう。霊夢の跡継ぎはどうしようか、それとも、私の傍にずっと置いておくというのもいいかもしれない。
「自分で言うのもなんだが、胸糞悪い」
「何が?」
「妖怪が、頭をそろえて備えない人間に不意打ちか」
こんなことをしているから妖怪が弱くなると萃香はかなり不機嫌だった。せっかく妖怪退治との舞台を用意したというのに、恩知らずな奴だ。
「どっちが人間だかわからんよ」
「幻想郷のためだと思って」
「お前の頼み事はもうきかんからな」
萃香は、霧になり、窓の隙間から飛んで行った。
「お前のような、愚か者は初めてだよ、紫」
里のブギーマンがいなくなってしまったので後で代りを用意する必要が出てしまった。しばらく里の人間が無遠慮な雑魚妖怪に食い荒らされるが、さてどうしようか。
隙間から、こっそり博麗神社の様子を伺うと、霊夢が縁でぼんやりと月を眺めていた。寂しそうな横顔を見ていると、初めて霊夢を見た時のことを思い出した。マヨヒガに連れて帰って、稽古をつけ、博麗の巫女として世の中に出した。霊夢は私の子だ。いまさら他の弱い人間などに貰われてはたまらない。
今の霊夢は、しがらみが増えた。霊夢も戸惑っている様だ。またマヨヒガに連れて行って、しばらく稽古をつけたほうがいいのかもしれない。世の中が忘れるくらいに時間がたった時にまたもう一度霊夢を連れてこよう。その時には、魔法使いも鬼も天狗もメイドも吸血鬼も、霊夢の事を忘れているだろう。博麗の巫女は何にもとらわれず、自由でなくてはならない。
「霊夢、霊夢」
私は霊夢の傍にいき、霊夢の肩をそっと抱いた。
「これか」
「あぁ、これが蚕の糸を折る機械さ」
霖之助に紹介してもらった店に行き、霖之助に説明を受けながら工場の様子を眺めていく。女手が蚕の繭をほぐして、糸にする工程に入っている。ここに並んでいる機械の多くは、ブギーマンの狂った父親が持っていた機械が売り払ったものらしかった。つまり私は、連絡の取れないブギーマンの足跡を追っているというわけだ、そして全く情報のない霊夢の幼いころの記憶を追っている。
「・・・臭いな」
「あれを見ろ魔理沙」
霖之助が指さす方向には、竈があり、煮えた湯がもうもうと湯気を立てている、女たちはその中から白い繭を取り出して、板の上にきれいに並べて運んでいる。
「あれは何をしてるんだ?」
「蚕を似ているのさ、煮て、中にいる虫を殺すんだ」
この臭いは、虫の死臭さ。と霖之助は言う。細い針で眉に穴をあけてそこから煮えた虫を取り出している。
「いまに蚕の妖怪が出るぞ」
「魔理沙が言うと本当に出てきそうだからやめてくれ」
流れ作業というのだろうか、多くの女たちが、ひたすらに流れてくる繭を選別し、煮、引き出した糸を巻き取り、結い、そして織物に出荷するために梱包しそういう流れが完璧に出来上がっている。眺めているとなんとなくぞっとする光景だった。
「あの機械はいつごろから?」
幻想郷には不釣り合いな、金属のからくりがかみ合う機械が端の方で並んでいる。猛烈な勢いで糸を編んでいく。
「あれか、あれは15年くらい前に来た機械さ。例のブギーマンの家にあった機材をタダ同然で買い取ったものだよ」
そばに近寄ると、背の大きい、非常に重たそうな金属の塊だった。よく観察すると、機材の端の方に、ひっかいた線が見える。
その線の横に、子供の字らしきもので名前が書いてあった。子供の背比べの後だろう。霖之助もその文字に気が付いたのか、溜息を吐く。
「あの大男にも、こんなに小さい頃があったんだな」
やはりそうなんだろう。ひっかき傷の横には、とよ、という名前と、ひよしという名前がある。
「仲のいい姉弟だったらしい」
「従業員の話では、この工場でよく遊んで、叱られていたそうだ」
なんとも、気の毒な話を効いた。裕福な製糸工場の子供たちが一転、一家離散の地獄行きになるとは。
「慧音が例のブギーマンに連絡を取ろうとしてるらしいんだが」
もう、1週間戻っていないらしいと霖之助はいう。
「そうかよ」
「霊夢、彼の事、少し気に入ってたみたいだから」
「残念だ」と霖之助は、私を店の外に出るように言った。
「霊夢にはなんていえばいい」
「わからない」
「気の利かない大人だな」
「僕も、もう家族のある身だ」
今日は、なんだか身に染みたよと霖之助は言う。最近は霖之助とは話していなかったから、今日はなんとなく、ブギーマンには悪いが充実した日だった気がする。
「ブギーマン、家族は死んでるのはわかったけど、親戚とかはいないのか?他所の中のいい家とかさ」
女の子とか、私くらいの歳のころの親戚とかいないのか?と聞くが、霖之助は「いいや」とすぐに否定した。
「彼の父親、けっこうな、その気難しがり屋のやり手っていえばそこまでだけど。親しい付き合いの人はほとんどいなかったらしい、それこそ、家族以外にはとても厳しい人だったよ」
なるほど、霖之助はその狂ったおやじの事を見知っている奴だったのか。
「うん、もう20年以上前になるかな、商品の注文にいった事があるんだがね、相当気難しい人だった」
そういえば、男の子と女の子がいた気がするなと霖之助は言う。
「今思えば、あれがブギーマンだったんだろうね。 女の子の後ろをいつもついて回っていたよ」
私たちは深いため息をつき、家に帰ることにした。 久しぶりに霖之助と一緒に食事をとることになった。慧音も一緒にいたけれども、まぁ久しぶりの兄貴分との食事はとてもいいものだった。今日はあまり霊夢が元気になりそうな話は聞けなかったが、しばらくはここらを嗅ぎまわって、霊夢のルーツが分かるようなそういう話にたどり着ければと私は思っていた。
「なぁ、このおにぎり味濃すぎね?」
「あ?」
「慧音、よせ」
慧音が発したものすごい殺気で、ベビーベッドで寝ていた赤ん坊が泣き叫び始めた。父親は慌てて、赤ん坊をあやしに走り、母親は「すまん」と赤ん坊のご機嫌を取ろうとあれこれ慌てていたが、赤ん坊は一層泣き叫び始める。
「慧音、まずはその角をしまわないと」
「ぐぬぬ」
大丈夫かお前らと、ちゃちゃを入れながら傍観していると、私もなんとなくあの気難しい父親に久しぶりに会いに行ってもいいかなと、そんな気分になる。
「霊夢がさ」
と、私は慧音に霊夢の小さいころに覚えはないかと聞くことにした。
「あぁ、霊夢か」
意外なことに、慧音は霊夢を相当昔から知っているらしい。慧音の言う昔というのはかなり長い期間の事を言うはずなので、最初は訳が分からなかったが、話を効くとおおよその事はわかった。慧音が、初めて霊夢を見たのは、10年以上前の事らしい。紫に連れられて博麗の巫女として紹介されたそうだ。
「その時の霊夢は、10歳くらいで」
「おい、何言ってんだ」
霊夢はいま18かそこらなのに、10年以上前で10歳くらいのわけがない。
「神隠しだな、そういうこともある」
だから、お前が魔法使いになっても、霊夢とは長い付き合いになるよ。と慧音は言った。
「どういうことだ」
「ほら、怪談話ではよくある話だろう。行方不明になった子供が何年もたってから見つかったら、子供は全く年を取っていなかったって話。幻想郷でおこるそういうことは、たいていは紫の仕業さ、そういうのを神隠しっていうだろう」
暦の上なら、霊夢も相当歳なんじゃないか? と慧音はかるい冗談のように笑って言う。
私は、頭の後ろ側がじんと冷えてきて、金づちか何かでたたかれたような心地がした。
今まで調べてきたことにある一つの仮説が浮かび上がった。
霊夢も、人間である以上、木の股から生まれてきたわけがない。
「おい、どこに行く」
外套かけにかけてあった帽子をぶんどって、箒にまたがって私は博麗神社に向かって飛び出した。
彼らが人間の社会にやってくれば、人の世の中はすぐ終わる。しかし、人間がいなくなれば人の生み出す畏れはなくなってしまい、鬼もまた死んでしまう。鬼を退治する方法とは、昔に取り決められた、鬼に退いてもらう方法なのだ。あまりに人間にとって強すぎる鬼は、こうした取り決めを覚えていて、その手順通りに鬼を退治するならば、噛み砕いた風にいうならば、鬼はやられたふりをしてくれるのだ。
「人間は弱っちいねぇ」
目の前にいる、これもまた小さい少女の風体をした鬼もそうした取り決めを覚えているのかもしれなかった。私は砕けてほぼなくなってしまった手の出血を縄できつく縛って止めた。目の前にいるのは、どうやら、日本の昔話に登場する、伊吹山の支配者である酒呑童子の慣れの果てのようだった。だとするならば、私が一人でいかに優れた装備や能力を持っていたとしても、絶対に倒すことはできないだろう。鬼の退治方法をしってはいたものの、頭数や長い期間の準備が必要だった。つい5分前に出会った鬼がどういうつもりで私を狙ったのかはわからないが、どうやら、私はもう、あの巫女とは会えないのだろうと思った。石灰と肥料、油石鹸でこっそり作った爆弾を私は残っている方の手でこっそり持った。
「期待外れだったねぇ」
鬼は、見た目の100倍は重たいヒョウタンを振りかぶり私の頭めがけてに打ちおろす。頭蓋の一部が砕けたような気がした。爆弾を鬼の懐に放り込んで私はそのまま走り、泥にまみれながら転げまわる。
鬼のいたところで、激しく反応した爆弾が爆発する。気炎が上がり、ぼんやりとなってしまった視覚で鬼がいたところを見た。真っ暗で冷たい夜の森でそこだけが昼間のように暖かくなる。
鬼の懐は黒ずんで、ところどころ欠けていたものの、その歩みはしっかりとしていた。鬼の表情は閻魔か何かのようにひきつっていて、私を殺そうとにらみつけている。
鬼がかっと叫ぶと、気合のようなものが発射され、私の体は吹き飛ばされてそこらにあった木にぶつかる。もう、何も聞こえない。
今日まで、それなりに懸命に生きてきたつもりだったが、地を這う汚らしい生き物の最後などというのは、結局こういうものかと思った。
鬼が、こぶしを固めて、槌を打ち込むように振り上げた。
『地を這う生き物』
ブギーマンが帰ってから、数日が経っていた。霊夢の結婚騒動からのドタバタもそれなりに落ち着き、前のようなのんびりした日常が戻りつつあると、私は思った。
「ねぇ魔理沙」
「ん?」
それで、霊夢はというと、ここ最近元気がない。あまり口を利かないし、私が遊びに来ると、お茶などを出してそれきり黙っていることばかりだった。何か考え事をしているような感じだ。
「アンタとは結構長い付き合いよね」
霊夢が、どのくらいだっけ? と聞く。私はしばし考え、適当な年数を言うことにした。
「8年くらい?」
「うん、そうよね、そのくらいよね」
そういって、また霊夢はぼんやりと遠くを眺めはじめる。もしかしたら、私は、霊夢が何を考えていて、何を悩んでいるのかわかっているような気がした。
「あいつ、来ないな」
「うん」
ブギーマンは、結局霊夢のしつこい誘いに負けて、少しだけ宴会に参加し、少しだけ酒を飲んで帰って行った。その時に、霊夢は、また顔を出してほしいといい、ブギーマンの住処を教えてもらっていた。廻りの連中は、その様子を見て、霊夢の男の趣味を笑っていたけれど、霊夢はそういう軽薄な感じでブギーマンの居場所を聞き出したような気が私は全くしなかった。もっと、別の大切なことを教えてもらっているような真剣な顔だった。
「ねぇ、魔理沙ってさ」
「なんだよ」
霊夢がためらいがちに、私に尋ねてくる。
「魔理沙って、小さいころのこと覚えてる?」
「小さいって、どのくらいだよ」
いくらなんでも、生まれてから数日間の事を覚えているかと言われると覚えていない。
「そうじゃなくって、5歳とか、10歳とか物心ついた時の事」
10歳が物心ついたときとはずいぶん遅いと思ったが、霊夢はそうではなかったらしい。
「私、みなしごだったの」
なかなか、霊夢は突然つらい話を始めた。私はこの話を掘り下げるべきかどうか迷ったが、霊夢は私の言葉を待っているようだった。
「お前の家族って、聞いたことないな」
「そう、そうなの」
霊夢は、しばし、霊夢の身の上のことを話し始めた。もしかしたら、霊夢は霊夢なりに結婚間近という経験を得て、自分のルーツというものが気になり始めたのかもしれない。
「紫が、しばらく私の面倒を見てくれたの、それが10くらいの時」
今私たちは、18くらいの華の乙女といった年頃だが、霊夢はそのくらいから巫女の修行を始めたのだという。
「しばらく、マヨヒガにいて、巫女の事を習っていたの。3年くらいだと思うわ」
私は、あまり聞きたくなかったが、話の流れの上では聞かなければならないだろう、その質問をすることにした。
「その前は、何してたんだ」
「覚えてないの」
幻想郷で生まれたのは確かだと思う、と霊夢は言った。こういう話をしている間も霊夢の表情はどこか集中力がなさげで、心ここにあらずといった具合だ。
霊夢には悪いが、10歳以前の記憶がないというのは、けっこう異常なことだ。なにか心的な衝撃でモノを忘れてしまったのか、あるいは紫が霊夢の心に何か細工をしたかもしれないと思った。
「なんで、覚えてないんだろうな」
「わからないの」
霊夢は、なんでかしら、とつぶやいて俯いた。私は霊夢にとって非常によくないことが起こっていると感じた。現に霊夢の霊力は、かなり落ち込んでいたからだ。
霊夢は何かにとらわれている。霊夢が自由に空を飛び無限の力を持っているのは、霊夢がひとえに自由な生き物だから。いつも飄々とした霊夢の姿は今はない。
「私、昔、あの人に会っている気がする」
「誰だよ」
「ブギーマン」
実は、私もそんな気がしていた。霊夢が今こんな話をしているのは、最近霊夢に物思うところがあるからだろう。実は慧音と香霖と一緒に霊夢とブギーマンが並んでいるところを見て思ったことがある。
雰囲気というか、顔の作りに共通しているところが多かったのだ。身の上の事情も、霊夢と似ているところが多い、身内が死んでいるか、行方不明で、どちらも妖怪退治を生業にしている人間だ。
「実は、お前の兄貴とかかな?」
私は適当に霊夢が言いたげなことを言ってみる。
「あの人、妹はいないって言ってた」
「そうだよな」
ブギーマンの年齢は25か30の間というところらしい。ブギーマンは、母親と姉、そして狂った父親がいて、全員が彼の言うところでは死んでしまったらしい。だから年齢で霊夢とブギーマンが家族だというのはありえない話だった。
「けど、家族じゃなくても、血縁者って可能性はあるよな」
親戚とか、霊夢と顔立ちが近いという理由なら、それはそれであり得る気がする。
「そうかもね」
「私にも親戚だけっていうなら山ほどいるぜ」
一応は私も金持ちの家の娘だから、そういう縁者もいる。けど彼らのほとんどとは顔を合わせた覚えがないし、必要な時しか会わないのだ。
「まぁ、あんまり気にするなよ、向こうと会えないなら、考えても仕方ないぜ」
霊夢は、私の話がもう聞こえていないようだった。なにかぶつぶつとつぶやいて、夕暮れをぼんやりと眺めているだけだった。
「匂いがする」
「ん?」
「何の匂いだったかしら…?」
「・・・」
このままでは、きっと霊夢はダメになってしまうだろう。私は、この静かな異変を解決しなければならないと思った。虚ろな目をしている霊夢を残して、私は箒にまたがった。
「死んだよ」
「ありがとう」
宴会の後、ひそかに萃香にあの人間を殺すように頼んだ。そして萃香が帰ってきた。もう鬼を殺すことができる人間は幻想郷にはいないのだから、絶対に安全な依頼だ。だが、萃香の角の一部、先端はなくなっていたり、指が何本か足りなかったり、目玉は片方なくなっていた。
「舐めてかかったでしょう」
「あぁ、そうだよ」
なくなった指を萃香は唇で吸っている。鬼の体のつくりはいい加減だから、明日にでもなれば元通りになっているだろう。
「人間の死体は? どうしたの?」
「喰っちまったよ」
もう、安心。霊夢が少し元気がないようなので、様子を見に行って元気が付くものを用意しよう。霊夢の跡継ぎはどうしようか、それとも、私の傍にずっと置いておくというのもいいかもしれない。
「自分で言うのもなんだが、胸糞悪い」
「何が?」
「妖怪が、頭をそろえて備えない人間に不意打ちか」
こんなことをしているから妖怪が弱くなると萃香はかなり不機嫌だった。せっかく妖怪退治との舞台を用意したというのに、恩知らずな奴だ。
「どっちが人間だかわからんよ」
「幻想郷のためだと思って」
「お前の頼み事はもうきかんからな」
萃香は、霧になり、窓の隙間から飛んで行った。
「お前のような、愚か者は初めてだよ、紫」
里のブギーマンがいなくなってしまったので後で代りを用意する必要が出てしまった。しばらく里の人間が無遠慮な雑魚妖怪に食い荒らされるが、さてどうしようか。
隙間から、こっそり博麗神社の様子を伺うと、霊夢が縁でぼんやりと月を眺めていた。寂しそうな横顔を見ていると、初めて霊夢を見た時のことを思い出した。マヨヒガに連れて帰って、稽古をつけ、博麗の巫女として世の中に出した。霊夢は私の子だ。いまさら他の弱い人間などに貰われてはたまらない。
今の霊夢は、しがらみが増えた。霊夢も戸惑っている様だ。またマヨヒガに連れて行って、しばらく稽古をつけたほうがいいのかもしれない。世の中が忘れるくらいに時間がたった時にまたもう一度霊夢を連れてこよう。その時には、魔法使いも鬼も天狗もメイドも吸血鬼も、霊夢の事を忘れているだろう。博麗の巫女は何にもとらわれず、自由でなくてはならない。
「霊夢、霊夢」
私は霊夢の傍にいき、霊夢の肩をそっと抱いた。
「これか」
「あぁ、これが蚕の糸を折る機械さ」
霖之助に紹介してもらった店に行き、霖之助に説明を受けながら工場の様子を眺めていく。女手が蚕の繭をほぐして、糸にする工程に入っている。ここに並んでいる機械の多くは、ブギーマンの狂った父親が持っていた機械が売り払ったものらしかった。つまり私は、連絡の取れないブギーマンの足跡を追っているというわけだ、そして全く情報のない霊夢の幼いころの記憶を追っている。
「・・・臭いな」
「あれを見ろ魔理沙」
霖之助が指さす方向には、竈があり、煮えた湯がもうもうと湯気を立てている、女たちはその中から白い繭を取り出して、板の上にきれいに並べて運んでいる。
「あれは何をしてるんだ?」
「蚕を似ているのさ、煮て、中にいる虫を殺すんだ」
この臭いは、虫の死臭さ。と霖之助は言う。細い針で眉に穴をあけてそこから煮えた虫を取り出している。
「いまに蚕の妖怪が出るぞ」
「魔理沙が言うと本当に出てきそうだからやめてくれ」
流れ作業というのだろうか、多くの女たちが、ひたすらに流れてくる繭を選別し、煮、引き出した糸を巻き取り、結い、そして織物に出荷するために梱包しそういう流れが完璧に出来上がっている。眺めているとなんとなくぞっとする光景だった。
「あの機械はいつごろから?」
幻想郷には不釣り合いな、金属のからくりがかみ合う機械が端の方で並んでいる。猛烈な勢いで糸を編んでいく。
「あれか、あれは15年くらい前に来た機械さ。例のブギーマンの家にあった機材をタダ同然で買い取ったものだよ」
そばに近寄ると、背の大きい、非常に重たそうな金属の塊だった。よく観察すると、機材の端の方に、ひっかいた線が見える。
その線の横に、子供の字らしきもので名前が書いてあった。子供の背比べの後だろう。霖之助もその文字に気が付いたのか、溜息を吐く。
「あの大男にも、こんなに小さい頃があったんだな」
やはりそうなんだろう。ひっかき傷の横には、とよ、という名前と、ひよしという名前がある。
「仲のいい姉弟だったらしい」
「従業員の話では、この工場でよく遊んで、叱られていたそうだ」
なんとも、気の毒な話を効いた。裕福な製糸工場の子供たちが一転、一家離散の地獄行きになるとは。
「慧音が例のブギーマンに連絡を取ろうとしてるらしいんだが」
もう、1週間戻っていないらしいと霖之助はいう。
「そうかよ」
「霊夢、彼の事、少し気に入ってたみたいだから」
「残念だ」と霖之助は、私を店の外に出るように言った。
「霊夢にはなんていえばいい」
「わからない」
「気の利かない大人だな」
「僕も、もう家族のある身だ」
今日は、なんだか身に染みたよと霖之助は言う。最近は霖之助とは話していなかったから、今日はなんとなく、ブギーマンには悪いが充実した日だった気がする。
「ブギーマン、家族は死んでるのはわかったけど、親戚とかはいないのか?他所の中のいい家とかさ」
女の子とか、私くらいの歳のころの親戚とかいないのか?と聞くが、霖之助は「いいや」とすぐに否定した。
「彼の父親、けっこうな、その気難しがり屋のやり手っていえばそこまでだけど。親しい付き合いの人はほとんどいなかったらしい、それこそ、家族以外にはとても厳しい人だったよ」
なるほど、霖之助はその狂ったおやじの事を見知っている奴だったのか。
「うん、もう20年以上前になるかな、商品の注文にいった事があるんだがね、相当気難しい人だった」
そういえば、男の子と女の子がいた気がするなと霖之助は言う。
「今思えば、あれがブギーマンだったんだろうね。 女の子の後ろをいつもついて回っていたよ」
私たちは深いため息をつき、家に帰ることにした。 久しぶりに霖之助と一緒に食事をとることになった。慧音も一緒にいたけれども、まぁ久しぶりの兄貴分との食事はとてもいいものだった。今日はあまり霊夢が元気になりそうな話は聞けなかったが、しばらくはここらを嗅ぎまわって、霊夢のルーツが分かるようなそういう話にたどり着ければと私は思っていた。
「なぁ、このおにぎり味濃すぎね?」
「あ?」
「慧音、よせ」
慧音が発したものすごい殺気で、ベビーベッドで寝ていた赤ん坊が泣き叫び始めた。父親は慌てて、赤ん坊をあやしに走り、母親は「すまん」と赤ん坊のご機嫌を取ろうとあれこれ慌てていたが、赤ん坊は一層泣き叫び始める。
「慧音、まずはその角をしまわないと」
「ぐぬぬ」
大丈夫かお前らと、ちゃちゃを入れながら傍観していると、私もなんとなくあの気難しい父親に久しぶりに会いに行ってもいいかなと、そんな気分になる。
「霊夢がさ」
と、私は慧音に霊夢の小さいころに覚えはないかと聞くことにした。
「あぁ、霊夢か」
意外なことに、慧音は霊夢を相当昔から知っているらしい。慧音の言う昔というのはかなり長い期間の事を言うはずなので、最初は訳が分からなかったが、話を効くとおおよその事はわかった。慧音が、初めて霊夢を見たのは、10年以上前の事らしい。紫に連れられて博麗の巫女として紹介されたそうだ。
「その時の霊夢は、10歳くらいで」
「おい、何言ってんだ」
霊夢はいま18かそこらなのに、10年以上前で10歳くらいのわけがない。
「神隠しだな、そういうこともある」
だから、お前が魔法使いになっても、霊夢とは長い付き合いになるよ。と慧音は言った。
「どういうことだ」
「ほら、怪談話ではよくある話だろう。行方不明になった子供が何年もたってから見つかったら、子供は全く年を取っていなかったって話。幻想郷でおこるそういうことは、たいていは紫の仕業さ、そういうのを神隠しっていうだろう」
暦の上なら、霊夢も相当歳なんじゃないか? と慧音はかるい冗談のように笑って言う。
私は、頭の後ろ側がじんと冷えてきて、金づちか何かでたたかれたような心地がした。
今まで調べてきたことにある一つの仮説が浮かび上がった。
霊夢も、人間である以上、木の股から生まれてきたわけがない。
「おい、どこに行く」
外套かけにかけてあった帽子をぶんどって、箒にまたがって私は博麗神社に向かって飛び出した。
ら霖ちゃん可愛いよ霖ちゃん
楽しみに待ってます
それともそれは作者の狙いで誘導されてるんだろうか
次回の展開に期待