128人目の魔理沙を見つけたとき、霊夢は涙目になっていた。早朝より続いた魔理沙の騒動に振り回された彼女は、それでも姿勢を正して魔理沙に向かい合った。
「で、あんたは誰?」
「あ? 私がわからないのか、霊夢?」
鳥居に背を預け、魔理沙が佇んでいた。7月に入り夏も盛りを迎えたせいか、袖の短いエプロンドレスを着こなしている。それでも黒い帽子の影より、頬をつたう汗が霊夢に見えた。
うだるような暑さの中で、ミンミンゼミの声がする。正午を僅かばかりすぎ、空の上より地上を照らす太陽の、暑さを黒髪に感じつつ、霊夢はため息を吐いた。
「ええ。そうよ、わからないわ」
「暑さでどうにかなったのか? 私だぜ? 秋風魔理沙だぜ?」
秋風魔理沙。そう名乗った少女は両手に箒を握りしめ、胸を張った。その様子を霊夢は肩を落として見つめた。
「ええ。きっと暑さでどうにかなったのでしょう」
半笑いの霊夢は頭を抱えた。その顔が歪んでいたのは、暑さのせいだけではなかった。
「夢想封印!」
霊夢より放たれた七色の光球が宙を舞い、民家の瓦の上を飛び交い妖怪たぬき、二ッ岩マミゾウへと殺到する。それをマミゾウは紙一重で交わすも、光球の一つが彼女の尻尾をかすめる。たまらずマミゾウは人間の里の、路上の上へと降り立った。
「痛! 出会い頭になにするんじゃ!」
「うっさい。どうせ今回もあんたら妖怪の仕業でしょう!」
「今回?」
「里に大量の魔理沙が現れたことよ!」
霊夢は背後を指差した。青い空の下を魔理沙が箒に乗って浮かんでいた。その下の民家では別の魔理沙があくびをしている。通りを挟んだ向かい側の茶店では、また別の魔理沙が団子を食べていた。マミゾウの視界の中だけでも、十人を超える魔理沙がいた。
道沿いには魔理沙以外に人通りはない。その代わりに民家の障子の裏や、木戸の影より幾つもの視線があった。異様な事態のせいか、里の者は隠れて外の様子を伺っていた。
「いやいや、少なくともわしは関係ないぞ?」
「アンタの子分が魔理沙に化けまくっているんじゃないの?」
以前何度か、狐が魔理沙に化けて神社に出没したことがあった。きつねほど狡猾ではないとはいえ、タヌキも人に化けて悪事を働くことがある。二ッ岩マミゾウはタヌキたちの頭領であり、霊夢が疑いを抱くのには十分な立場だった。その彼女は黒焦げになった尻尾の先っぽをさすりながら、霊夢を睨んだ。
「そんなことやっとらんわ! わしだって魔理沙だらけで目を白黒させておるわい」
「まあ、嘘ではなさそうね」
マミゾウに背を向けた霊夢は、紅いスカートをたなびかせて空へと浮き上がる。ふわふわと彼女の黒髪が漂うのを目で追いつつ、マミゾウは首を傾げた。
「ちょいとお前さん。今度はどこにいくのかえ?」
「紅魔館よ。もしかしたらあいつらが企んでいるのかもしれない。違ったら永遠亭や妖怪の山に殴りこみね」
「あんさん、なんかヤケになっとらんかい?」
止めようとしたのか、マミゾウは霊夢の方へと手をのばした。しかし霊夢が勢い良く振り向き、マミゾウの手を押しのけた。
「余計なお世話よ! 私はね、何も考えたくないの。どうせどっかの妖怪の仕業だから片っ端からぶっ倒すの!」
「お、おもしろそうじゃないか。この晴天魔理沙も混ぜろよ」
声に引かれてマミゾウが振り返ると、砂利道の上に魔理沙が立っていた。晴天魔理沙と名乗った少女は、マミゾウのよく知る霧雨魔理沙と全く同じ姿をしていた。黒い三角帽に白のエプロンドレス。手荷物箒に至るまで、マミゾウの記憶の中の魔理沙と瓜二つだった。
マミゾウは晴天魔理沙の声に応えることができなかった。晴天魔理沙の隣に、更に別の魔理沙がいたため、そちらの方に視線が釘付けになっていた。
「聞きづてならないな。薄雲魔理沙も一枚噛ませろ」
薄雲魔理沙と名乗った少女も、晴天魔理沙と全く同じ姿、同じ声音をしていた。
彼女たちの声に惹きつけられたのか、脇にある民家の木戸が開き、別の魔理沙が現れた。
「ほう。みぞれ魔理沙を無視して妖怪退治とは酷いじゃないか」
「お前らは帰れ!」
三人の魔理沙を前にして、霊夢は拳を震わせつつ叫んだ。額には青筋が浮かんでいる。その隣でマミゾウは、メガネをつけたり外したりしながら注意深く魔理沙を見ていた。
「いやはや、本当にそっくりだのう?」
呆れを表情に貼り付け、呟いたマミゾウが言うと、三人の魔理沙の後ろから別の魔理沙たちの声が聞こえた。
「そっくりもくそも、あられ魔理沙こそが本物の魔理沙だぜ」
「はあ? 五月雨魔理沙にきまっているだろ?」
「厭霧魔理沙を忘れてもらっては困るぜ?」
「本物はこの夕立魔理沙だ!」
いつの間にか通りに集まった魔理沙は、十人以上に膨れ上がり、好き勝手に言い争っていた。霊夢は息を大きく吸うと魔理沙たちに向かって言った。
「集まってくるな!」
眉間にしわを寄せた霊夢の叫び声は、魔理沙以外通る者のいない路地にこだました。
「これは、なんとかせねばならんな。しかし一体誰の仕業じゃ?」
「……やはりこうなっていたか」
商店の脇にある豆腐屋より、尻尾をたゆませ女性がでてきた。夏の真昼だというのに長袖に腕を隠し、女性は霊夢達の方へと歩み寄った。霊夢は顔をあげた。
「八雲藍? なんでアンタこんなところにいるのよ?」
霊夢の隣で立ち止まると、八雲藍は腕を組んだ。服の袖より油揚げを包んだ袋が見え隠れした。よく見ると口元に油揚げのカスがついている。店内で食べていたのかもしれない。
「これは恐らく紫様が原因だ」
マミゾウは顎に手を当て、藍の顔を覗き込んだ。
「ほう。あの女かい。それはまたどうして?」
「最近になって結界が緩んできている。霊夢なら心当たりがあるでしょう?」
話しかけられた霊夢は、何か思い返すかのように視線を上げた。彼女の頭の赤いリボンが頭の動きにあわせて揺れる。
「確かに、言われてみればそうね。てっきりオカルト騒ぎの影響が残っているものだと思ってたけど」
「それも遠因だが、今回の件はもっと深刻だ」
「深刻?」
「結界は紫様によって管理される。もし紫様が倒れれば、結界の維持は困難になる」
霊夢とマミゾウは顔を見合わせた。マミゾウは口をつぐみ、霊夢は口元に手を近づけ顔を下げ、不安そうに上目遣いで藍を見た。
「まさか、紫に何か合ったの?」
藍は霊夢から目を逸らした。髪が揺れ、微かに大豆の匂いがした。
「倒れられて、今も寝込んでいる」
腰に手を当てマミゾウは、顔をしかめた。
「ほう、あの殺しても死にそうにない女がねえ。一体全体どうして?」
「夏バテだ」
「は?」
マミゾウと霊夢は同時に声を上げる。前に立つ藍は顔を伏せた。
「毎日三十度をこす気温に耐えられず、紫様は食っちゃ寝を繰り返す毎日……」
「ふざけんな!」
拳を振り上げ、霊夢は叫んだ。隣のマミゾウは気にしていないのか呆れているのか、表情を変えない。
「それと魔理沙は一体なんの関係があるんじゃ?」
「結界がゆるくなってきたせいで、別の世界の魔理沙が転送されてきたらしい」
怒りのせいか唇を震わせていた霊夢は、藍の言葉を聞いてがっくりと肩を落とした。
「……頭が痛くなってきた」
「で、藍さんや。この事件は放っておいても良いんかい?」
「この世界には魔理沙は一人だけだ。だから多数の魔理沙が出現すれば幻想郷に矛盾が生じ、結界が不安定になる」
マミゾウは藍を見て頷いた。
「そして幻想郷が危険な状態になる、じゃな。とすると矛盾を解消してやればよいわけか」
苦虫をかんだような表情で、霊夢は藍を見た。
「つまり魔理沙を一人残して、あと全部倒せば良いわけね?」
「……いささか乱暴だがな」
「で、そんな面倒なことは誰がやるのかえ?」
霊夢と藍は互いに見やった。先に話しかけたのは霊夢だった。
「……藍。あんたがやりなさいよ」
「悪いが、私は橙に油揚げを届けなければならないんだ」
「その懐の油揚げは、どうせ自分用でしょ!」
メガネを押さえてマミゾウは、顔をしかめて言った。
「しかしこの数の魔理沙を対処するのは面倒じゃな。ここは魔理沙同士で解決してもらうのが得策か」
マミゾウの話に首を傾げたのは霊夢だった。
「どうやって?」
「決まっておるだろ。戦わせるんじゃよ」
集まった魔理沙に霊夢達は話しかけた。里の通りには人だかり、ならぬ魔理沙だかりができ、何十人もの魔理沙が路上に並んでいた。
その光景を内心では不気味に思いつつも、霊夢は魔理沙たちに事情を説明した。
「なるほどな、最強の魔理沙だけが残るってわけか」
「良いんじゃないか。私は一人で十分だ。他はいらねえ」
口々に魔理沙達は言い合う。意外と話が早くまとまったため、霊夢の表情に笑みが戻った。続けて霊夢は魔理沙に話しかける。
「まあ町中だと被害が出るし、どこか別の場所で……」
「ミルキーウェイ!」
「ブレイジングスター!」
「オーレリーズサン!」
星形の球が飛び、光の束が風を切り、箒が宙を舞う。気が付くと辺りには埃が舞い、飛び上がった魔理沙たちが好き勝手に弾幕を展開した。
その様子にマミゾウはあんぐりと口を開けた。
「……おっぱじめやがったわけじゃが?」
魔理沙たちが飛び立つときに生じた砂埃が、思いっきり顔にかかった霊夢は、くしゃみをしつつ苦しげにうめいた。
「こいつらは……」
「こうなっては手遅れだろう。収まるまで様子を見よう」
藍はそう言いつつ、懐に入れた唐揚げを一枚取り、口元に近づけた。しかし藍が唐揚げを食べる前に、霊夢がその頭を叩いた。
「こんなときに何勝手に食べているのよ!」
「まあこうなってしまったら、放っておくしかないじゃろう」
霊夢が振り返った。いつの間にかマミゾウは右手に串団子を持ち、口を開けて頬張っている。
「あんたら……」
霊夢の後ろより乾いた音が聞こえた。振り返ると民家の木戸が開き、中にいた老人が空を見上げていた。その隣の家では中年の女性が同じく魔理沙の様子を伺っている。いつの間にか路上には子どもたちが現れ、魔理沙に声援を送っている。空を飛ぶ魔理沙をよそに、地上では里の人々が見世物のように見やっていた。
その中で霊夢は、ますます顔をしかめた。
「この人達は……」
「ま、気にする必要もあるまいて。幻想郷じゃあ異変なんぞ茶飯事じゃろ」
マミゾウに対し、藍も頷いた。
「この程度の面倒事じゃあ、里の者は死なんだろ」
霊夢は深い溜息を吐き、あとの処理をどうするか考えた。そしてできるだけ民家が壊れないように祈った。
「ほう。小雨魔理沙も中々やるのう」
「む、大雨魔理沙が倒れたな。曇天魔理沙を倒すのに力を使いすぎたか」
「おっと、マスタースパークは薄雲魔理沙か。なんだか霧雨に比べ弱々しいの」
「うむ。案の定霧雨に撃ち負けているな」
「なんであんたら区別できるのよ」
空を見上げるマミゾウと藍に、霊夢がつぶやく。すでに半刻が過ぎ、百人を超えていた魔理沙は、気がつけば残り二人になっていた。弾幕が当った魔理沙は爆発と同時に光を伴い消えていった。藍はその光をじっと見つめた。
「ふむ。弾幕から与えられた衝撃により、この幻想郷内に体を維持する程の力が保てず、元の世界に戻ったのだろう」
「藍、あんた誰に言っているの?」
そのとき霊夢の肩が叩かれた。叩いたのはマミゾウで、彼女は霊夢を見ると空を指差した。
「いよいよ最後じゃ。残ったのは、小雨魔理沙と霧雨魔理沙じゃな」
「……どっちがどっち?」
目をこすり何回も霊夢は瞬きをする。その一方で藍はマミゾウの言葉にうなずいた。
「そのようだ。だが霧雨魔理沙は随分と疲れているな。む?」
片方の魔理沙が八卦炉を手に取る。もう片方の魔理沙も八卦炉を突き出す。両者の八卦炉に光と魔力が集約する。太陽の光を超える明るさが、八卦炉に宿る。二人の魔理沙は同時に叫んだ。
「魔砲『ファイナルスパーク』!」
光の柱が八卦炉より溢れ出る。集約された魔力は一気に解き放たれ、前方へと突き進む。光の奔流は空を走り、ぶつかる。轟音と衝撃派が霊夢達を襲う。土埃が舞い、
ガラス戸が音をたてる。
しかし藍は微動だにせず、ただ油揚げを運ぶ手を止めていた。
「おお、一気に決めにきたな」
マミゾウは頷いた。
「どちらも互角……いや?」
僅かではあるが、一方の魔理沙の光の方が輝きが強かった。ぶつかり合う光はじわりじわりと押され、もう片方の魔理沙へと押し寄せていく。
流れができてしまえば、勝負がつくのは一瞬だった。空を一の字に切り裂き、魔理沙のファイナルスパークが幻想郷の果てまで飛んでいった。空にはたった一人の魔理沙が浮かんでいた。
マミゾウは手をたたき、小さく拍手をする。
「ほう、霧雨が勝ったか。やりおるのう」
目を細めたり、こすったりを繰り返している霊夢は、諦めたのかマミゾウに問いかけた。
「えっと、私達がよく知っている魔理沙が勝った、ということで良いのよね?」
「そうじゃな」
「……もう誰が誰だか全然わからないわ。それにしても霧雨って強いわね」
首をかしげる霊夢を、藍は見つめた。
「勝敗を分けたのは恐らく天気だな」
「天気?」
「どの魔理沙も苗字が天気だっただろう。これは想像だが、その世界で一般的な天候を苗字としてつけられているのだと思う」
「そうだとして、なんで霧雨が一番強いのよ?」
腕を組み、藍は静かに言った。
「魔理沙は魔法の森にすむ。そして魔法の森は魔力を持った茸が生息している。魔法使いは茸の影響を受け、魔力を強めている」
霊夢は頷いた。
「そうね」
「茸に適切な環境は高い湿度と多すぎない雨だ。霧雨などは、うってつけだろう」
「つまり霧雨魔理沙は他の世界の魔理沙に比べ、魔力が強いってこと?」
俯き考えこむ霊夢に、藍は頷いた。
「推測だがな」
「まあこれで一件落着ってことじゃな」
マミゾウは腰に手を当て、朗らかに笑った。しかし霊夢は彼女を睨みつけた。
「これが? この惨状が?」
道端に瓦が吹き飛び、連なる民家の壁はところどころ穴が開いている。路上にはいくつも穴ができている。その上を、黒い煙が薄っすらと空へ伸びている。128人の魔理沙は、人間の里のどこかに、その存在の痕跡を残していた。
往来の人通りは次第に戻ってきており、多少のけが人を除けば大事には至っていた無いようであった。とはいえ民家の修理やら怪我人の介抱をやらなければならず、霊夢は道の隅でうなだれた。
「霊夢。現実から目をそらすことも大切じゃよ?」
「そらせないわよ!」
「何言っているの、このバカだぬきは!」
路上に霊夢の声が、『二重』にこだました。マミゾウが目を見開き、霊夢を見た。
「お前いつから二人になったんだ?」
「へ?」
霊夢が横を見ると、もう一人の霊夢が立っていた。服も姿も、もう一人の霊夢とは全く瓜二つであった。霊夢は声を張り上げた。
「ちょっと、アンタだれよ?」
「は? 私は伊勢霊夢だけど。あんたこそだれよ?」
言い返そうとした博麗霊夢は、伊勢霊夢と名乗った少女の後ろに、何人かの別の霊夢が立っていることに気づいた。
博麗霊夢はマミゾウの方を見て、顔をしかめた。
「……なんだか嫌な予感がするんですけど?」
「……ええっと、アンタだれじゃ?」
マミゾウに話しかけられた別の霊夢は、小首を傾げた。
「私? 出雲霊夢よ」
「私は熊野霊夢だけど、あんたこそ誰?」
「アンタこそ誰よ? この私、諏訪霊夢が退治してやるわ」
言い合いを始める霊夢達をよそに、博麗霊夢は藍の方へ振り向いた。
「……これどういうこと?」
「どうやら紫様の夏バテは本格的にまずいらしい。ちょっと様子を見てくる」
そう言って藍は浮かび上がると、人里の外へと滑るように飛んでいった。
「こら、逃げるな!」
博麗霊夢が手を伸ばしても、もうすでにそこには藍の姿は無かった。霊夢の怒鳴り声は、夏の空へと消えていった。
「で、あんたは誰?」
「あ? 私がわからないのか、霊夢?」
鳥居に背を預け、魔理沙が佇んでいた。7月に入り夏も盛りを迎えたせいか、袖の短いエプロンドレスを着こなしている。それでも黒い帽子の影より、頬をつたう汗が霊夢に見えた。
うだるような暑さの中で、ミンミンゼミの声がする。正午を僅かばかりすぎ、空の上より地上を照らす太陽の、暑さを黒髪に感じつつ、霊夢はため息を吐いた。
「ええ。そうよ、わからないわ」
「暑さでどうにかなったのか? 私だぜ? 秋風魔理沙だぜ?」
秋風魔理沙。そう名乗った少女は両手に箒を握りしめ、胸を張った。その様子を霊夢は肩を落として見つめた。
「ええ。きっと暑さでどうにかなったのでしょう」
半笑いの霊夢は頭を抱えた。その顔が歪んでいたのは、暑さのせいだけではなかった。
「夢想封印!」
霊夢より放たれた七色の光球が宙を舞い、民家の瓦の上を飛び交い妖怪たぬき、二ッ岩マミゾウへと殺到する。それをマミゾウは紙一重で交わすも、光球の一つが彼女の尻尾をかすめる。たまらずマミゾウは人間の里の、路上の上へと降り立った。
「痛! 出会い頭になにするんじゃ!」
「うっさい。どうせ今回もあんたら妖怪の仕業でしょう!」
「今回?」
「里に大量の魔理沙が現れたことよ!」
霊夢は背後を指差した。青い空の下を魔理沙が箒に乗って浮かんでいた。その下の民家では別の魔理沙があくびをしている。通りを挟んだ向かい側の茶店では、また別の魔理沙が団子を食べていた。マミゾウの視界の中だけでも、十人を超える魔理沙がいた。
道沿いには魔理沙以外に人通りはない。その代わりに民家の障子の裏や、木戸の影より幾つもの視線があった。異様な事態のせいか、里の者は隠れて外の様子を伺っていた。
「いやいや、少なくともわしは関係ないぞ?」
「アンタの子分が魔理沙に化けまくっているんじゃないの?」
以前何度か、狐が魔理沙に化けて神社に出没したことがあった。きつねほど狡猾ではないとはいえ、タヌキも人に化けて悪事を働くことがある。二ッ岩マミゾウはタヌキたちの頭領であり、霊夢が疑いを抱くのには十分な立場だった。その彼女は黒焦げになった尻尾の先っぽをさすりながら、霊夢を睨んだ。
「そんなことやっとらんわ! わしだって魔理沙だらけで目を白黒させておるわい」
「まあ、嘘ではなさそうね」
マミゾウに背を向けた霊夢は、紅いスカートをたなびかせて空へと浮き上がる。ふわふわと彼女の黒髪が漂うのを目で追いつつ、マミゾウは首を傾げた。
「ちょいとお前さん。今度はどこにいくのかえ?」
「紅魔館よ。もしかしたらあいつらが企んでいるのかもしれない。違ったら永遠亭や妖怪の山に殴りこみね」
「あんさん、なんかヤケになっとらんかい?」
止めようとしたのか、マミゾウは霊夢の方へと手をのばした。しかし霊夢が勢い良く振り向き、マミゾウの手を押しのけた。
「余計なお世話よ! 私はね、何も考えたくないの。どうせどっかの妖怪の仕業だから片っ端からぶっ倒すの!」
「お、おもしろそうじゃないか。この晴天魔理沙も混ぜろよ」
声に引かれてマミゾウが振り返ると、砂利道の上に魔理沙が立っていた。晴天魔理沙と名乗った少女は、マミゾウのよく知る霧雨魔理沙と全く同じ姿をしていた。黒い三角帽に白のエプロンドレス。手荷物箒に至るまで、マミゾウの記憶の中の魔理沙と瓜二つだった。
マミゾウは晴天魔理沙の声に応えることができなかった。晴天魔理沙の隣に、更に別の魔理沙がいたため、そちらの方に視線が釘付けになっていた。
「聞きづてならないな。薄雲魔理沙も一枚噛ませろ」
薄雲魔理沙と名乗った少女も、晴天魔理沙と全く同じ姿、同じ声音をしていた。
彼女たちの声に惹きつけられたのか、脇にある民家の木戸が開き、別の魔理沙が現れた。
「ほう。みぞれ魔理沙を無視して妖怪退治とは酷いじゃないか」
「お前らは帰れ!」
三人の魔理沙を前にして、霊夢は拳を震わせつつ叫んだ。額には青筋が浮かんでいる。その隣でマミゾウは、メガネをつけたり外したりしながら注意深く魔理沙を見ていた。
「いやはや、本当にそっくりだのう?」
呆れを表情に貼り付け、呟いたマミゾウが言うと、三人の魔理沙の後ろから別の魔理沙たちの声が聞こえた。
「そっくりもくそも、あられ魔理沙こそが本物の魔理沙だぜ」
「はあ? 五月雨魔理沙にきまっているだろ?」
「厭霧魔理沙を忘れてもらっては困るぜ?」
「本物はこの夕立魔理沙だ!」
いつの間にか通りに集まった魔理沙は、十人以上に膨れ上がり、好き勝手に言い争っていた。霊夢は息を大きく吸うと魔理沙たちに向かって言った。
「集まってくるな!」
眉間にしわを寄せた霊夢の叫び声は、魔理沙以外通る者のいない路地にこだました。
「これは、なんとかせねばならんな。しかし一体誰の仕業じゃ?」
「……やはりこうなっていたか」
商店の脇にある豆腐屋より、尻尾をたゆませ女性がでてきた。夏の真昼だというのに長袖に腕を隠し、女性は霊夢達の方へと歩み寄った。霊夢は顔をあげた。
「八雲藍? なんでアンタこんなところにいるのよ?」
霊夢の隣で立ち止まると、八雲藍は腕を組んだ。服の袖より油揚げを包んだ袋が見え隠れした。よく見ると口元に油揚げのカスがついている。店内で食べていたのかもしれない。
「これは恐らく紫様が原因だ」
マミゾウは顎に手を当て、藍の顔を覗き込んだ。
「ほう。あの女かい。それはまたどうして?」
「最近になって結界が緩んできている。霊夢なら心当たりがあるでしょう?」
話しかけられた霊夢は、何か思い返すかのように視線を上げた。彼女の頭の赤いリボンが頭の動きにあわせて揺れる。
「確かに、言われてみればそうね。てっきりオカルト騒ぎの影響が残っているものだと思ってたけど」
「それも遠因だが、今回の件はもっと深刻だ」
「深刻?」
「結界は紫様によって管理される。もし紫様が倒れれば、結界の維持は困難になる」
霊夢とマミゾウは顔を見合わせた。マミゾウは口をつぐみ、霊夢は口元に手を近づけ顔を下げ、不安そうに上目遣いで藍を見た。
「まさか、紫に何か合ったの?」
藍は霊夢から目を逸らした。髪が揺れ、微かに大豆の匂いがした。
「倒れられて、今も寝込んでいる」
腰に手を当てマミゾウは、顔をしかめた。
「ほう、あの殺しても死にそうにない女がねえ。一体全体どうして?」
「夏バテだ」
「は?」
マミゾウと霊夢は同時に声を上げる。前に立つ藍は顔を伏せた。
「毎日三十度をこす気温に耐えられず、紫様は食っちゃ寝を繰り返す毎日……」
「ふざけんな!」
拳を振り上げ、霊夢は叫んだ。隣のマミゾウは気にしていないのか呆れているのか、表情を変えない。
「それと魔理沙は一体なんの関係があるんじゃ?」
「結界がゆるくなってきたせいで、別の世界の魔理沙が転送されてきたらしい」
怒りのせいか唇を震わせていた霊夢は、藍の言葉を聞いてがっくりと肩を落とした。
「……頭が痛くなってきた」
「で、藍さんや。この事件は放っておいても良いんかい?」
「この世界には魔理沙は一人だけだ。だから多数の魔理沙が出現すれば幻想郷に矛盾が生じ、結界が不安定になる」
マミゾウは藍を見て頷いた。
「そして幻想郷が危険な状態になる、じゃな。とすると矛盾を解消してやればよいわけか」
苦虫をかんだような表情で、霊夢は藍を見た。
「つまり魔理沙を一人残して、あと全部倒せば良いわけね?」
「……いささか乱暴だがな」
「で、そんな面倒なことは誰がやるのかえ?」
霊夢と藍は互いに見やった。先に話しかけたのは霊夢だった。
「……藍。あんたがやりなさいよ」
「悪いが、私は橙に油揚げを届けなければならないんだ」
「その懐の油揚げは、どうせ自分用でしょ!」
メガネを押さえてマミゾウは、顔をしかめて言った。
「しかしこの数の魔理沙を対処するのは面倒じゃな。ここは魔理沙同士で解決してもらうのが得策か」
マミゾウの話に首を傾げたのは霊夢だった。
「どうやって?」
「決まっておるだろ。戦わせるんじゃよ」
集まった魔理沙に霊夢達は話しかけた。里の通りには人だかり、ならぬ魔理沙だかりができ、何十人もの魔理沙が路上に並んでいた。
その光景を内心では不気味に思いつつも、霊夢は魔理沙たちに事情を説明した。
「なるほどな、最強の魔理沙だけが残るってわけか」
「良いんじゃないか。私は一人で十分だ。他はいらねえ」
口々に魔理沙達は言い合う。意外と話が早くまとまったため、霊夢の表情に笑みが戻った。続けて霊夢は魔理沙に話しかける。
「まあ町中だと被害が出るし、どこか別の場所で……」
「ミルキーウェイ!」
「ブレイジングスター!」
「オーレリーズサン!」
星形の球が飛び、光の束が風を切り、箒が宙を舞う。気が付くと辺りには埃が舞い、飛び上がった魔理沙たちが好き勝手に弾幕を展開した。
その様子にマミゾウはあんぐりと口を開けた。
「……おっぱじめやがったわけじゃが?」
魔理沙たちが飛び立つときに生じた砂埃が、思いっきり顔にかかった霊夢は、くしゃみをしつつ苦しげにうめいた。
「こいつらは……」
「こうなっては手遅れだろう。収まるまで様子を見よう」
藍はそう言いつつ、懐に入れた唐揚げを一枚取り、口元に近づけた。しかし藍が唐揚げを食べる前に、霊夢がその頭を叩いた。
「こんなときに何勝手に食べているのよ!」
「まあこうなってしまったら、放っておくしかないじゃろう」
霊夢が振り返った。いつの間にかマミゾウは右手に串団子を持ち、口を開けて頬張っている。
「あんたら……」
霊夢の後ろより乾いた音が聞こえた。振り返ると民家の木戸が開き、中にいた老人が空を見上げていた。その隣の家では中年の女性が同じく魔理沙の様子を伺っている。いつの間にか路上には子どもたちが現れ、魔理沙に声援を送っている。空を飛ぶ魔理沙をよそに、地上では里の人々が見世物のように見やっていた。
その中で霊夢は、ますます顔をしかめた。
「この人達は……」
「ま、気にする必要もあるまいて。幻想郷じゃあ異変なんぞ茶飯事じゃろ」
マミゾウに対し、藍も頷いた。
「この程度の面倒事じゃあ、里の者は死なんだろ」
霊夢は深い溜息を吐き、あとの処理をどうするか考えた。そしてできるだけ民家が壊れないように祈った。
「ほう。小雨魔理沙も中々やるのう」
「む、大雨魔理沙が倒れたな。曇天魔理沙を倒すのに力を使いすぎたか」
「おっと、マスタースパークは薄雲魔理沙か。なんだか霧雨に比べ弱々しいの」
「うむ。案の定霧雨に撃ち負けているな」
「なんであんたら区別できるのよ」
空を見上げるマミゾウと藍に、霊夢がつぶやく。すでに半刻が過ぎ、百人を超えていた魔理沙は、気がつけば残り二人になっていた。弾幕が当った魔理沙は爆発と同時に光を伴い消えていった。藍はその光をじっと見つめた。
「ふむ。弾幕から与えられた衝撃により、この幻想郷内に体を維持する程の力が保てず、元の世界に戻ったのだろう」
「藍、あんた誰に言っているの?」
そのとき霊夢の肩が叩かれた。叩いたのはマミゾウで、彼女は霊夢を見ると空を指差した。
「いよいよ最後じゃ。残ったのは、小雨魔理沙と霧雨魔理沙じゃな」
「……どっちがどっち?」
目をこすり何回も霊夢は瞬きをする。その一方で藍はマミゾウの言葉にうなずいた。
「そのようだ。だが霧雨魔理沙は随分と疲れているな。む?」
片方の魔理沙が八卦炉を手に取る。もう片方の魔理沙も八卦炉を突き出す。両者の八卦炉に光と魔力が集約する。太陽の光を超える明るさが、八卦炉に宿る。二人の魔理沙は同時に叫んだ。
「魔砲『ファイナルスパーク』!」
光の柱が八卦炉より溢れ出る。集約された魔力は一気に解き放たれ、前方へと突き進む。光の奔流は空を走り、ぶつかる。轟音と衝撃派が霊夢達を襲う。土埃が舞い、
ガラス戸が音をたてる。
しかし藍は微動だにせず、ただ油揚げを運ぶ手を止めていた。
「おお、一気に決めにきたな」
マミゾウは頷いた。
「どちらも互角……いや?」
僅かではあるが、一方の魔理沙の光の方が輝きが強かった。ぶつかり合う光はじわりじわりと押され、もう片方の魔理沙へと押し寄せていく。
流れができてしまえば、勝負がつくのは一瞬だった。空を一の字に切り裂き、魔理沙のファイナルスパークが幻想郷の果てまで飛んでいった。空にはたった一人の魔理沙が浮かんでいた。
マミゾウは手をたたき、小さく拍手をする。
「ほう、霧雨が勝ったか。やりおるのう」
目を細めたり、こすったりを繰り返している霊夢は、諦めたのかマミゾウに問いかけた。
「えっと、私達がよく知っている魔理沙が勝った、ということで良いのよね?」
「そうじゃな」
「……もう誰が誰だか全然わからないわ。それにしても霧雨って強いわね」
首をかしげる霊夢を、藍は見つめた。
「勝敗を分けたのは恐らく天気だな」
「天気?」
「どの魔理沙も苗字が天気だっただろう。これは想像だが、その世界で一般的な天候を苗字としてつけられているのだと思う」
「そうだとして、なんで霧雨が一番強いのよ?」
腕を組み、藍は静かに言った。
「魔理沙は魔法の森にすむ。そして魔法の森は魔力を持った茸が生息している。魔法使いは茸の影響を受け、魔力を強めている」
霊夢は頷いた。
「そうね」
「茸に適切な環境は高い湿度と多すぎない雨だ。霧雨などは、うってつけだろう」
「つまり霧雨魔理沙は他の世界の魔理沙に比べ、魔力が強いってこと?」
俯き考えこむ霊夢に、藍は頷いた。
「推測だがな」
「まあこれで一件落着ってことじゃな」
マミゾウは腰に手を当て、朗らかに笑った。しかし霊夢は彼女を睨みつけた。
「これが? この惨状が?」
道端に瓦が吹き飛び、連なる民家の壁はところどころ穴が開いている。路上にはいくつも穴ができている。その上を、黒い煙が薄っすらと空へ伸びている。128人の魔理沙は、人間の里のどこかに、その存在の痕跡を残していた。
往来の人通りは次第に戻ってきており、多少のけが人を除けば大事には至っていた無いようであった。とはいえ民家の修理やら怪我人の介抱をやらなければならず、霊夢は道の隅でうなだれた。
「霊夢。現実から目をそらすことも大切じゃよ?」
「そらせないわよ!」
「何言っているの、このバカだぬきは!」
路上に霊夢の声が、『二重』にこだました。マミゾウが目を見開き、霊夢を見た。
「お前いつから二人になったんだ?」
「へ?」
霊夢が横を見ると、もう一人の霊夢が立っていた。服も姿も、もう一人の霊夢とは全く瓜二つであった。霊夢は声を張り上げた。
「ちょっと、アンタだれよ?」
「は? 私は伊勢霊夢だけど。あんたこそだれよ?」
言い返そうとした博麗霊夢は、伊勢霊夢と名乗った少女の後ろに、何人かの別の霊夢が立っていることに気づいた。
博麗霊夢はマミゾウの方を見て、顔をしかめた。
「……なんだか嫌な予感がするんですけど?」
「……ええっと、アンタだれじゃ?」
マミゾウに話しかけられた別の霊夢は、小首を傾げた。
「私? 出雲霊夢よ」
「私は熊野霊夢だけど、あんたこそ誰?」
「アンタこそ誰よ? この私、諏訪霊夢が退治してやるわ」
言い合いを始める霊夢達をよそに、博麗霊夢は藍の方へ振り向いた。
「……これどういうこと?」
「どうやら紫様の夏バテは本格的にまずいらしい。ちょっと様子を見てくる」
そう言って藍は浮かび上がると、人里の外へと滑るように飛んでいった。
「こら、逃げるな!」
博麗霊夢が手を伸ばしても、もうすでにそこには藍の姿は無かった。霊夢の怒鳴り声は、夏の空へと消えていった。
とても面白くて楽しく読ませて貰った。
ちょっぴりカオスな内容ながら、綺麗に纏めてあって良いギャグ作品だと思う。
絶対何かが強い
霊夢一人もらっていきますね。
夕立魔理沙からトラブルメーカーな予感しかしない
128人の霊夢による更なる波乱が期待されます