Coolier - 新生・東方創想話

Restaurant ミズハシ

2016/06/05 17:05:16
最終更新
サイズ
27.02KB
ページ数
1
閲覧数
1963
評価数
6/16
POINT
1060
Rate
12.76

分類タグ

酒を飲みたい
これの続きみたいなものですが、読んでいなくても支障はありません




橋の近くにお堅いのが建ったという話は聞いていた。なんでもあの閻魔さまが建てたのだとか。黒と白にきっちり分かれた四角形の建物だそうで、いかにも彼女が好みそうな味気も温もりもない外装である。矯正施設か収容所のどちらかだろうともっぱらの噂だ。

ここ最近の地底は浮かれている。地上に開かれたことで新しい刺激が毎日のように入ってきて、目まぐるしい変化があちこちで起こっている。その浮かれ騒ぎを抑えようと是非曲直庁が動いたのだと、みな怯えているわけだ。

酔っ払いにちょいと早めの二日酔いを届けてくれる説教をかましていたのはいつ頃だったか。最近はとんと見なくなったが、彼女らの善意が私達にとって強烈に苦いことは記憶にしっかり残っていて、阿呆な噂でも或いはと何処か本気で信じてしまいそうになる。

ただまぁ、殆どの地底の住人には触らぬ神になんとやらで過ごせば良かった。建物がある場所は一号縦穴付近で旧都から遠く離れており、地上への行き来も二号縦穴がある。しかも後者の方が広くて清潔で、道もきちんと整備してあると来てる。普段でさえ地上から落っこちて来る時以外は寄ることも無い場所で、行き辛くなったとて困るものではないのだ。殆どの住人にはね。

そう、僅かだけれど困る住人はいる。例えば、私こと黒谷ヤマメとキスメ。

一号縦穴に向かう道すがらにある橋近くに居を構える橋姫、水橋パルスィは私達の友人だ。

パルスィは基本的には橋でぼけーっとしていて、旧都の方面へ自ら足を運ぶことは少ない。食料の買い足しも半分以上は配送屋に頼む徹底ぶりだ。そんなものだから、遊びや飲みに誘う時は私達が彼女の元まで赴くことが殆どだったのだが、今は例の建物のせいでなんとも近寄り難い。

「ヤマメちゃん、どうする? どうしたらいいの?」

桶にすっぽりと半身を隠した緑髪おさげの女の子が私の袖をついと摘んだ。この子がキスメ、釣瓶落としという妖怪だ。力の強い方でない彼女は内気な性格も相まって、こうして私を頼ってくることが多い。

別に嫌だと愚痴りたいとか悪点だと誹りたいとかではない。友達が困っていたら助けてやりたいと思うし、素直に頼られるのは嬉しい。なにより、頼りきりにならないよう物事を自力で捌こうとしている彼女の努力を知っているから、むしろ偉い生き方をしているのだなと友達として誇らしく思う。

だけど、今回は助けになってやれそうもない。閻魔さまの強大さからすれば、釣瓶落としだろうと土蜘蛛だろうと等しく矮小な存在だ。鉢合わせて説教漬けになるかもと思うと気後れしてしまうし、今回はそれだけで済まない可能性がある。君子ではないが危うきに近づきたくはない。でも、その危うきに近付かれてしまったパルスィのことは酷く気になる。板挟みだ。

「どうしようかねぇ」

私達はその後に続く答えを見つけ出せないまま、パルスィの家がある方角を厳しい面持ちで睨み続けた。

それから2週間。居心地の悪くなったパルスィが旧都に避難してくるのを待つ、だなんて曖昧な態度を取っている間に事態はころころと悪化した。

害があると恐れられても向こうからやってくるでもなく、実際に誰かがとっちめられたとも聞かない。日数が経つほどに閻魔が建てた謎の建築物への好奇心が疼きだし、怖いもの見たさや度胸試しなんかで覗きに行ってみようとする馬鹿が出てくるのは当然だった。酒の匂いも分からぬほど酒臭い町旧都だ。酔いの勢いから生まれる馬鹿も随分と多い。

そんな馬鹿どもは皆してすっかり気勢の逸れた顔で逃げるように帰ってきた。半数近くは擦り傷をあちこち作ったボロボロの格好で、まるで何かと戦って敗走してきたかのようなのだ。
そして、その何かについてはこう証言が上がった。

「橋姫が問答無用で攻撃してきた」

例の建物から橋を渡る者を監視していて、近付こうとすると光弾を飛ばしてくるそうだ。

疑問符が頭の中で飛び跳ねた。あのパルスィが、権力への服従や上下関係を厭うパルスィが何だって是非曲直庁の建物を守っているのか。

問答無用で追い返そうとする番人が居るということで、あの建物は矯正施設や収容所なんかじゃなく、倫理にもとるような実験を行う極秘の研究施設ではないかと新たに囁かれ出すようになった。

洗脳されている。脅迫されている。騙されて利用されている。自棄を起こしている。暴走している。
おかげさまでそんな悪いイメージが頭の中にポンポン沸いてくる。

これはもう臆病風にかまけてる場合じゃないぞということで、真相を確かめるべくキスメと一緒に橋へかけった。道中、僅かな希望を胸にパルスィ宅へ乗り込むも留守で、噂通りに監視をしているのかと岩陰からこっそり閻魔の施設を伺うも人影は無し。

建物内部に入っているのか、はたまたもう既に用済みとして消されたのか。後者だったらそのまま敵討ちに暴れてやるぐらいの意気込みで扉を開けた。

「「パルスィ!!」」
「うわっ!?」

簡素な木の椅子と暗色の長テーブル。幾何学模様の絨毯と白地の壁紙、それらを暖かく照らす壁付けの照明。長テーブルの奥にある棚には色形様々な瓶がずらりと並ぶ。地底ではまだ珍しい冷蔵庫まであり、悲惨な状態にあるかもと心配していたパルスィはその前でグラスを落っことしそうになってわたわたしている。これは、なんと言うか、噂にあるような矯正施設や収容所、ましてや極秘の研究施設なんかには到底見えない。この内装はまるで……。

「なんだ、ヤマメとキスメじゃない。もー、あんま脅かさないでよ」

何とか無事にグラスを捕まえることの出来たパルスィが私たちの方を見た。普通だ、普通のパルスィだ。奇天烈なヘルメット被らされているわけでも、胸元に赤い制御装置を埋め込まれているわけでもない。相変わらずこっちが妬んでやりたいくらいに整った容貌。キスメと顔を見合わせる。

「えっと……、パルスィちゃんだよね?」
「寝ぼけてんの? こんなカビ臭い女が他にいるわけないじゃない」

美人なのにとの言葉が反射的に出そうになって慌てて飲み込んだ。パルスィは褒められると恥ずかしがって、暫く自分の殻にこもってしまうので話し合いが望めなくなる。それは困るのだ。ここは怪しい場所には見えないし、外観も別に邪悪の塊ってわけでもない気がしてきたが、まだ確実に安全とは言い切れない。

「それで、えーと、パルスィは何してるの? って言うか、此処はなに?」
「あれ? 言ってなかったっけ? 私なんでかBARやることになったんだけど」
「「……ばぁ?」」

結局のところ、噂は噂でしかなく、真実は別にあった。

地底では手に入らない酒を飲みたいパルスィと、静かに酒を飲む場所が欲しかった四季映姫。両者の意見が合わさって西洋式の飲み屋を建てることになったらしい。一応の権利者はパルスィになっているが酒の仕入れやら出資やらで頭が上がらず、閻魔さまの意向には余り逆らえない。パルスィ自身が煩いのを良しとしないのもあり、怖いだの寒いだの騒ぎながら近づいてくる酔っ払いどもは弾幕にて追っ払っていたということのようだ。

呆気のない真相にもやもやした感情が胸に溜まってくる。とりあえず、呑気にグラスを磨いているパルスィの頭に一発ぽかりとやってやる。当然彼女は憤ったが、このぐらいは甘んじて受けてもらわないと。私たち地底住人の是非曲直庁アレルギーもあるが、そもそもパルスィがお店を開いたことを教えてくれていれば、こんなややこしい誤解は生まれなかった。

いや、もしかしたら私は拗ねているのかもしれない。友達なら真っ先に伝えてくれてもいいじゃないか。もっと前の段階で相談してくれればいいじゃないか。そう思っていじけているのだ。

キスメはもっと分かりやすい。怒っていますというぷりぷりした表情で、桶から顔を半分出してパルスィを睨んでいる。

「え、え? ちょっと、もしかして怒ってる? なんで?」
「さあね」
「あの、キスメ?」
「……ふんっだ」
「あわわわ、どうしよう。えっと、なんかよく分かってないけど、とりあえずごめん! ほ、ほら、好きな物飲んでいいから、奢るから。ね、機嫌直してよ」

くつっと笑いが溢れそうになったのを咳で誤魔化した。あぁ、不器用だな、パルスィなんだなって。そんなことに安堵を感じた自分が妙に可笑しかった。
キスメの方はどうか知らないが、私としてはいっそ大笑いして許してやってもよかった。だけど、ここまで焦るパルスィは中々拝めないので、折角だからギリギリまで遊ばせてもらおう。

「何でもいいなら一番高いのを。キスメは?」
「……うんと高いのを3本瓶ごと」

視線だけ動かしてキスメを見るが変わらずのふくれっ面で、発言が私の冗談に便乗したものなのか本気なのかは分からない。酒に強いほうでないのに大丈夫だろうか。というか、お店的に許容出来るのだろうか。噂のせいで客らしい客は来ていないはずなのだけど。

そろりとパルスィの方に視線を戻すと、顎に手を当てて思案している。顔の青くなっているわけではないが、直ぐに答えがもらえないと頭の中で慎重に算盤を弾いているんじゃないかと不安になる。

「パルスィ、無理そうなら、その……。勢いで言っただけだし」
「これとか高そうに見える?」
「は?」

紙箱から取り出されたのはずんぐりとした角瓶。とろりとした褐色の液体はブランデーだかウイスキーだか言った筈だ。そら輸入ものだから値は張るのだろうが、ぺーぺーの私に正しい価値判断なんて出来るはずもなし。

「値段とか見ずに適当に買ったもんだからさぁ、どれがどれだか。もらいもんも多いし。えーと、カタログ……カタログはどこだっけ」

引き戸という引き戸が開けられて、食器に布巾に本や書類がカウンターに並べられていく。

「おっかしいなぁ、捨ててはいないんだけど。あっ、もしかしたら家の方にあるかも。取ってくるから待ってて」

キスメの怒りもどうやら演技だったらしい。それが分かったのは、耐えきれなくなった2人分の笑い声がBARに響いたからだ。

パルスィはお店を持った。それだけだ。本人はちっとも変わりが無い。むしろ変わらなすぎだ。カップルはもれなく追い返すし、店内で甘い雰囲気を作ればデストロイで、騒がしい連中は蹴り出される。

橋姫が店を持つことより是非曲直庁の秘密基地である方が現実味がある。そんなことを言う旧都の皆の誤解を大分苦労して解いたというのに、噂の収まった後も大した客入りがあるわけではない。客が少ないのは置いてる酒が変わってるのと値段が少々高いことにもある。酒豪たちからは酔う前に財布が空になってしまうと厳しい評価だ。

良く来る客といえば私とキスメ、地霊殿のペット達か。鬼の頭目が居ることもある。何度か目撃している貸切となっている日は、パルスィ曰く上客が来ているようだ。十中八九出資者の閻魔さまだろう。当然、恐ろしいので貸切の日は近づかない。こう考えると殆ど身内で回っている店である。ちなみに、なんとこれで経営は真っ赤っかではないらしい。私たちは金の落とし方が豪勢ではないから、上客の払いが桁違いに良いのか、他にタネがあるのかもしれない。

大体、三ヶ月くらい過ぎた頃だろうか。その日、店内には酒屋にあるまじき空気が漂っていた。なんて言うか、とても香ばしくて腹の減る匂いが。私とキスメは入るなり席に座らされ、一言喋る前に料理の乗った皿がでんと目の前に置かれた。

「なに?」
「とりあえず食え」

半楕円のものをうす焼きの卵で包んである料理。とろみのある濃い茶のタレと緑の粉がかかっており、蓮華で崩してみると、中は茜色の米に炒められた玉ねぎ、肉、豆を混ぜたものを山の形に盛っているようだ。味を見て欲しいのだろうと解釈し、タレ、卵、米を全て掬って一口。

「うまっ!?」

美味い。見た事ない料理だったが実に美味い。

「美味しい! お米はパラパラだし、色は人参だよね? 飴色玉葱の甘みがお肉の旨味を引き立てつつ脂っこさを隠して、枝豆は色味と食感を足してくれてるんだね! これだけでも美味しいんだけど、醤油風味のタレの辛味が次の一口を止まらなくさせて、ふりかけてある細かくした三つ葉が、香りの単調さを絶妙の塩梅でカバーしてる。卵の淡白な味わいが両者をつなぎ合わせて、すっごい幸せな味わいだね!」

具体的にはキスメの発言の通りだ。タレと卵で口に含んだ時は屋台の味かなって思うんだけど、お米の方の味と組み合わさると屋台とは別の、そう近いところで言うならば

「うん! 本当に美味いよ、この焼き飯!」

どさり。
パルスィがカウンターに突っ伏した。

「だよねー、焼き飯だよねー、コレ」
「えっ、ち、違った?」

私は狼狽えた。隣のキスメも目をぱちぱちっと開いているから、焼き飯の亜種か何かと思っていたに違いない。お米のパラパラ具合と言い、和と中の調合した味付けと言い、どこに出しても恥ずかしくない焼き飯なのに。強いて言うならニンニクを効かせるとなお旨くなりそうだ。

「一応、これ目指したの」

パルスィが開いた手帳の項には可愛らしいタッチで、茜色のお米をうす焼きの卵で包んで濃い茶のタレをかけたオムライスなる料理の絵が描いてある。

「同じじゃん」
「違うのよ。オムライスはなんて言うか、もっとこう、ふわっとしてる感じ」

ふわっとした説明で何がどう違うのか
さっぱりだが、とにかく今しがた頂いた料理とオムライスで似てるのは見た目だけらしい。

話を聞くと以前にやんごとなき理由で地上に行った時、とあるレストランでご馳走になったそうだ。先日ふともう一度食べたくなり、自分でも作れないかと地底にある材料で頑張ってみたものの出来たのは焼飯だったというわけだ。

名前からして洋食といった分類なのだろうオムライス。外界と長い間隔絶され、文化の保護だのなんだので彼岸からの輸入品目には多く規制をかけられている地底は大陸産の食材が零とは言わないが、必要なものを揃えるのは困難を極めるだろう。

ただ、現在ではこの問題を解決出来る簡素にて迅速な方法がある。

「食べたいなら地上に行けばいいじゃん」
「嫉妬のし過ぎで気分悪くなるからあんまし行きたくない」
「あー……」

橋姫の悲しい性質という奴だろうか。気持ちは理解出来なくもない。地上は良いところだ。色彩豊かで空気は清々しく、天井も壁も無い大地には途方もない開放感がある。かつて当たり前に暮らしていた世界はこんなにも明るかったのかと涙腺が緩む。飯も酒も絶品で、自分たちの穴倉暮らしがバカらしく思えてきても仕方ないのかもしれない。

「なら、私たちが必要なもの買ってきてあげるよ。ね、ヤマメちゃん」
「そうだねぇ」

太陽の明るさに眩んで耐えられないと叫ぶ者、パルスィのように妬ましいと爪を噛む者、或いは時代錯誤にも憎しみを燻らせる者。色んな連中がいるが、私は大多数の地底住人がそうであるように地上の華やかさにすっかり惚れ込んだ口だ。お使いくらい苦も難も無い。3人で遊びに行けないのは少し残念であるけれど。

「行ってくれるの?」
「うん! パルスィちゃんがそこまで賞賛するオムライスって料理、私も凄く食べてみたくなっちゃったし」
「私はまぁ、観光がてらで良いのならだけど。それで、何が必要なの?」
「え、知らないけど」
「……ん?」

ちょっと待って欲しい。

「知らないってどういうこと?」
「そのまんまよ。さっきのメモにも作り方なんて書いてなかったでしょ?」

確かにそうだ。絵と名前しか記されていなかった。地上に赴いた時に忘れないよう残したものだと勝手に思っていたが、ふとオムライスが食べたくなった先日に何とか思い出そうと描いたものだったというわけか。

「よ、よくそれで作ろうって思ったね」
「なんとかなるかなーって」

……こいつ、バカなんじゃないだろうか。或いは、必要な食材も調理法も知らずに作って見た目だけでも似せてきたその手腕は天才と褒められるべきか。どちらにせよ、適当に生きてるのは間違いない。




受け入れ打診の手紙はそもそも返事が返ってこないか、返ってきてもやんわりとした文面で拒否を突きつけられた。地上と繋がった縁をしっかり結びつけるために結成された使者団は、その役目を全うすることなく消えゆく運命に晒されていた。

古明地さとりの人選は妥当かつ慎重であったと思う。鬼を除く種族の中から野心家や革命思想家を省き、ある程度の教養と広い交友を持つ者。地上への刺激は少なく、地底に与える影響は大きい。

問題の原因をはっきり言ってしまえば、時期尚早だったのだ。あの頃の地上にとって地底住民はまだ得体の知れない何かで、誰しも積極的に関わろうとはしてくれなかった。頼みの守矢も先の異変の元凶として他の勢力から睨まれており、地底住人を受け入れられる状況ではないようだった。

そんな窮地の折、手を差し伸べてくれたのが紅魔館だった。絢爛な館、可愛らしいメイドたち、最高の食事、上等な酒、すっごい跳ねるふかふかベッド付きの高級な部屋が一人に一部屋。歓待とはまさにあのことで、夢のようなファーストコンタクトが成された。地上に対する好感度はそれはもう爆上がりで、地底と地上の交流再開は確かに異変であったが、はじまりから一歩を歩き出せたのは間違いなく紅魔館、そこの主たるレミリア・スカーレットのお陰であった。

私が使者団の一員として良くしてもらった記憶はまだ新しく、紅魔館には絶大な好意と信頼を寄せている。幻想郷にて洋風文化の聖地みたいなところでもあるし、今回の話、きっと助けになってくれると思っていた。

「は、入れないぃっ!?」

だけど、当てが外れた。

「地底の方は通すなとお嬢様が。申し訳ございません」
「そんな……」

門番の美鈴さんは眉根を下げて弱く笑みを浮かべた。

行事があるなら仕方ない。仕事が込んでいるなら仕方ない。部外者に見られたくない状態なら仕方ない。事情があるなら納得して引くさ。でも、この人は地底住民だからダメだと言った。

ぐらりと足元の地面が揺れたような衝撃を受ける。何で、何で今になって、地底も地上もすっかり仲良しになった頃に差別が出てくるのか。

「ど、どうして私たちはダメなんですか?」

キスメが桶から上半身をぐいっと引き出し、ショックで鈍った私の代わりに会話を継いでくれた。はっとして気を持ち直す。そうだ、落ち込んでいる場合じゃない。友好が崩れようとしているなら止めないと。

「どうしてって……うーん、これ言ってしまっても良いのかなぁ」
「お願いです! 教えてください!」

美鈴さんの返答を恐ろしく緊張して待った。

レミリア・スカーレットが私たちに示してくれていた好意は間違いなく本物だった。組織の長として相応しい器と風格があるのも知っている。それでも感情がひっくり返ってしまう並大抵でない事態。あぁ、旧都で咲く喧嘩や酒乱を思うと想像に難くないのが嫌だ。

「ま、いっか。お二人とも、お耳を拝借」

まずは教えてもらえることにほっと息を吐き、手招きに応じて二人とも美鈴さんに顔を近づけた。美鈴さんは辺りを一、二度見回してから、手を口元に当てて本当に小さな声で語り始めた。

「実は先日、地底の鬼の方がいらっしゃいましてね。酒宴の余興で力比べとして腕相撲をすることになったんですが、タッパの差もあってお嬢様は秒殺されてしまって。暫くは拗ねたままですよ、これ」
「…………え? それだけ?」
「そうですけど。あ、もしかして地底の方が不貞を働いたからと思ってました?」

静かに頷く。だって、口さがなく言ってしまえば地底住民ってのは粗野だ。さらに地上慣れしていないし、心を浮つかせて観光している。なんとも悪意なく軋轢を産んでくれそうじゃないか。

「いやいやいや、地底の方々は気持ちの良い人ばかりで困り事などありませんよ」

寧ろ困るのはお嬢様の方だと美鈴さんは溜め息を零した。

ガラリガラガラと像の崩れる音を聞いた。レミリア・スカーレットは高潔で、ノブレスオブリージュを厳にする徳人ではなかったのか。物珍しさから手に取ってみて、気に入らなかったら放り投げる。これでは、まるで、子供じゃないか。いや、確かに見た目は幼いけれども。

「あははは、考えてること分かりますよ。お嬢様はそれなりに長く生きてこられましたし、館を維持出来るだけの長としての能力も威厳もあります。でも、割と見た目通りな所も多い方なんですよ」

最初の様子からして内密にしておかないといけない話だろうに、既にその形は無くなり、声量も普通に笑顔で美鈴さんは語りだす。
内輪ネタの為だけにワニを捕まえさせてドラクラと名付けていた話。そして早々にその遊びに飽きて、以降の半世紀以上ワニの世話をすることになった話。数年の間隔を空けては気まぐれで見に来るのだが、その度に懐かないことを躾の不行きとされて叱られた話。

愚痴と呼ぶには余りに明るい口調で紡ぎ出され、彼女が単にちょっと口が軽くてお喋りが好きなだけだと知れる。だから、私たちが美鈴さんから一歩引いたのは、決して彼女の態度に気分を悪くしたからではない。喋りに夢中な美鈴さんの後方に音も姿も気配もなく、突然に銀の短髪の女性が現れたからだ。

切れ長の目の中で青の瞳を冷たく尖らせ、優雅な足取りで美鈴さんの背後まで近づくと、ゆったりと絡め取るような動作で首筋にナイフの刃先を這わせる。

「門番の職務を放棄するに飽き足らず、仕える主を貶すなんて。よくないわ。とてもよくないわ、美鈴」
「ひっ!」

紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。これで人間らしい。時空操作という能力もそうだが、この研ぎ澄まされた所作と空気だ。旧都の飲み屋街の真ん中に突っ立ってたって酔っ払いどもからちょっかいかけられまい。まぁ、この人の作る料理はそれはもう舌の蕩ける美味しさで、苦手意識よりも尊敬と感謝の思いが強くある。

「さ、咲夜さん! これは違うんです!」
「言い訳ならお仕置きの後でね」
「う、ぁ、あぅぅぅぅ」

咲夜さんがナイフを離すと、美鈴さんはへなへなと力なく座り込んだ。それを見届けた青の瞳が今度はこちらを向く。

「さてお客様、本日はどのようなご用件で紅魔館へ?」

一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。十六夜咲夜は私の知る限り忠誠心の塊のような人物で、そして仕える主人は地底の住民は館に入れるなと命じている。問答無用で、もしかしたらナイフの一本でも飛んできて追い払われるんじゃないかと緊張していたのに。とても普通な対応だ。地底から来たと分かっていないとか? いやでも、そんなこと完全無欠なこのメイドに限って万に一つでもありえるのだろうか。大体、私の顔は何回か見ているはずだし。んんー、他にも沢山客人は来るから有象無象の一人として埋もれた、と楽観的に考えられないことも……。

思考がぐるぐると回り出してきりがない。

「えっと、私たち、お料理教えて欲しくて。オムライスって言うんだけど……」

紅魔館初めてのキスメは咲夜さんの態度を純粋に好意か好機と受け取ったようだ。若干雰囲気に押されて、顔は桶の下に半分ほど隠れてくぐもった喋りになっている。

「なるほど。しかし、門番から伺っていると思いたいのですが、いま紅魔館に地底の方をお通しすることは出来ません。早めにお帰りくださいませ」

この返答に私はいよいよ頭を抱えた。ついでにぐぅっと唸った。意図がまったく分からない。元より追い返すつもりなら、どうしてわざわざこちらの理由をたずねたんだ。
しかし、「でも……」と粘ろうとした途端にナイフの光がちらつくのを見せられてしまっては、疑問も何も引っ込めて退散せざるを得なかった。

メイド長の意図に気付けたのは戦意回復の為に人里の茶屋で一服している時だ。キスメが座りの悪そうに体を揺すり、手を桶の中に引っ込めてごそごそし出したので股座でも痒いのかと思っていると(幾ら私だって素面の時なら面と向かって言わないだけのデリカシーはある)、何やら紙切れを一枚取り出した。

「なにそれ?」
「分かんない。なんか桶の中に入り込んでた」
「自分で入れたんじゃなくて?」
「入れないよ。うん? これ何か書いて……あっ!」
「どうしたの?」

回り込んで私も紙を覗くと、そこには几帳面な乱れの無い字で料理の作り方が書いてあった。名前はオムライス。

何回か瞬きをして視線をずらすとばっちりキスメと目があった。こんなことが可能なのは一人しかいない。

「……すごいね」
「……うん」

感心しきって息が漏れる。これが瀟洒というやつなんだろうか。

メモは本当に丁寧で、紅魔館のメイド長オススメの材料の買い付け先まで記してあって、私たちは一流の食材を持ち地底へと帰還した。パルスィからは先に預かっていた購入資金の余りとオムライスが報酬として支払われる。バーには変わらず腹の減る良い匂いが立ち込めている。今度はきっちり洋食の香りだ。

「それじゃ、いただきます」
「いただきまーす」
「いただきます」

皿は3人分。まぁ、パルスィの悲願なのだから、彼女がいないのでは締まらない。オムライスは……見た目は確かに先に出されたなんちゃってと同じだ。スプーンで崩し、期待に舌鼓の紐を緩ませながら皆で一斉に一口目を運んだ。

「うんまっ!?」
「ん~! これよこれ! 前に食べたのと同じ味だわ!」

パルスィもご満悦な様子。あんな笑顔とテンションのパルスィは相当にレアだ。しかし、それも納得の美味さ。本当にふわふわとろとろしている。叫びたいほど美味い。頬だって勝手に緩むさ。詳しい味は

「美味しい! 卵がホントにふわふわしてるっ! この柔らかさと仄かな甘みは生クリームを加えて出してるんだね! お米はトマトの酸味と鶏肉の旨味がたまらなく染み込んでて、炒めた玉ねぎと人参の甘さが凄く自然に混ざってるよ! 緑の豆さんはグリンピースって言うんだっけ? 一粒一粒しっかり味がするから個性を失わず、でも主張しすぎない良い脇役だね! 深いコクと僅かな苦味に艶やかに凝縮された素材たちの旨味たっぷりなこのソースがまた格別! そしてお米にも卵にも炒める時贅沢に使ったバターの芳香な香り! 一番最初に来て胃袋をガッと掴んでいくものだから、もう堪らないよね! こんな主役級のみんながお口の中へ一体となって運ばれてきて、しかもそれが上手に調和して、ううん、相乗するんだから幸せだって溢れてくるよ!」

キスメの言に。

私たちは一口一口美味い美味いと感想を零しながら、スプーンを止めることなく一気に完食まで進んだ。ソースまで余らせることなく綺麗に食べ切ると、胸に広がる充足した余韻から暫し無言となった。ホントに美味しかった。私にはそれしか出せる言葉がない。

「生きるのって、美味しいもの食うことだよねぇ。つくづく思うわ」
「だねぇ」

パルスィに全面的に同意する。妖の生きるは酒食のみを由とするにあらず。さりとて、憂も辛いも幸せとて食うての上。意地張るより頬張れ。目細あれど口細なし。食欲以上に真実な執念はない。
一昔前の殿様連中が見たら歯軋りして悔しがるほどに、現在の私たちは多くの美味なるものに手が伸ばせる。食わねば損だろう。この面子だと作るのはパルスィに任せっきりになってしまうけども。だってねぇ、調理法を知っていたって私とキスメの腕でこのオムライスは作れない。そこは今回みたいに買い物でもなんでも雑用に走るからご容赦願いたいところ。

カラン、と鈴が鳴った。

「ちーす、橋姫さん。やってるかい……ん? なにこの匂い?」

あれは彼岸の死神だ。一月前辺りからこの店に訪れるようになった客だ。これまでは夜にしか見かけておらず、噂ほどは不真面目ではないのだなと評価していたが、今は平日の昼間である。鎌も担いでいるから職務中なのは間違いない。本領発揮かと少し感心した。

常ならこの状況だと私は逃げ出していただろう。彼女のことは好いている。カラッとして気持ちの良い奴だし、語りも上手くて聞きも上手い。高説を垂れるほど私も真面目には生きておらず、そもそも地底の職場なんて二日酔いが多くて基本ぐだぐだだ。
では何がマズイのかと言うと、サボる死神ある所に閻魔さまの現れる確率が中々に高いということだ。実際にその場面に遭遇したことはないが、彼女が説教される様子は度々天狗にすっぱ抜かれている。正直、まだ閻魔さまへの苦手意識は消えていない。

でもほら、今はオムライスの美味しさに感動しきったところだ。私とキスメは調理には何も手を出せていないけど、レシピを手に入れ材料を買ってきたことで、なんと言おうか、結束力? こう、私たちのオムライス大成功って感じの協働意識が皆に宿っていた。

つまり、誰かにオムライスを与えて美味しいの一言を引き出し、得意気になりたいとか自慢気にしたいとか、客として人が訪れたことでそんな雰囲気になったわけだ。

私たちは言葉を交わすことなく頷き合うと、パルスィは調理場へ向かい、私は小町さんをカウンターの席に拘束し、キスメはお冷と食器を運ぶ。
動揺する小町さんに「まぁまぁ」と声をかける雑な宥め方をしながら数分、お代わり用にとケチャップライスやソースを多めに作っていたお陰で超スピードで一人前のオムライスが出来上がった。

「とりあえず、食え」
「はぁ、じゃぁ、いただきます」

茜色の米と黄金色の卵と黒茶のデミグラス。スプーンに乗る三種混合の塊が小町さんの口に消えていき、嚥下して喉が動くまでをじっと見ていた。

「おお! 美味い! なんだい、どっきりでもあるのかと思ったが、こりゃ絶品じゃないか!」
「でしょ!」

二口三口と伸びるスプーンにパルスィは輝かんばかりの表情で自分の才能を誇り、私はキスメと拳をこつんとぶつけて小さな栄光を讃えていた。

「いやぁ、ホント美味いけど」
「けど?」
「おたく、昼はレストランなのかい?」

……あ、そういやここバーか。普段使わない言葉だからどうにもパルスィのお店ってイメージ以上になりにくい。でもバーって居酒屋みたいなもんらしいし、飯が出てきて何か問題あるのだろうか。

「なに、お酒ぇ? こんな美味しいオムライスを前にして呆れた奴ね」
「それだよ!」

小町さんが勢いよく立ち上がったものだから、驚いたキスメが桶ごとこてんとひっくり返った。私も付いていた頬杖からずるりと滑り、あわや下顎がカウンターに落下するところであった。水の入ったグラスが傾いたりスプーンが跳ね飛んだりして席が散らからなかったのは幸運と言える。

「な、なによ」
「橋姫、あんたこいつに酒を合わせるとしたら何を選ぶ?」
「えぇ……。うーん、出したくないけど、強いて言うなら癖の弱い甘めの白ワイン?」
「そう! 強いて出せてそれなんだ!」

小町さんの語るところには、だ。バーはお酒と雰囲気に酔うことが目的で食事は飲みの口休め、居酒屋は飲んで食って楽しむ場所で、飯屋なら食うことが主役で酒はあくまで脇役。オムライスは一品で十分に腹を満たせるメニューで、しかもパルスィの作ったものは絶品ときてる。酔いどれで食うのが勿体ない味で、脇に添えるのは水が最適だが、敢えて酒を並べるなら風味を損なわないようなものしかない。これは完全にレストランの体となる。

「映姫さまからはBARってことで預かってるんだから、そこを勝手に変えちゃマズイでしょ」

小町さんの言い分はなんとなく納得出来た。オーナーの意向には逆らえないと言っていたのは他ならぬパルスィで、飯屋に転向するのは確かに問題がある気がする。

「看板は変えないから大丈夫。それに映姫の前ではちゃんとするから、バレないって。あんたも喋ったりしないでね。ここ奢りにしとくからさ」

そのパルスィはあっけらかんとしたものだった。清々しいと言ってもいい。まぁ、いまさら飯を出すなってのはなぁ。小町さんは機会が無いから知らなかっただろうが、私たちここで散々料理食べてきたし。
客が食いたいと言えば店主の気分によっては飯が出てきて、客が飲みたいと言っても店主の気分によっては飯が出てくる。そんないい加減具合でいいんじゃないだろうか。うん、やはりバーという名称に拘るより、パルスィのお店なんだと思っていたほうが勝手が良さそうだ。

小町さんは口を開けて固まっていたが、そのうちにカラカラと声をあげて笑いだした。腰を下ろして長く息を吐くと、食事を再開してそのまま完食まで止まらなかった。グラスの水を空にして両手を合わせる。

「ごっそさん。実に旨かったよ。こいつが奢りとなると高い借りに違いない。いいよ、映姫さまには喋らないさ」

大した騒ぎでもないが、これで丸く収まったかと胸を撫で下ろしていると、ついと袖を引かれた。いつのまにやら私の隣に移動してきていたキスメだ。手招きをするので口元まで耳を持っていく。

「ねぇ、あんなに立派な流し場があるんだから、閻魔さまなら多分気づいているよね?」

コンロ、冷蔵庫、換気扇、グリルにオーブン。電気で動く地底では他に類を見ないほどの最新鋭の厨房。地上でもどれほど持っている人がいるか。重装備だと言われればそうだ。

ちらっと視線を動かすと、パルスィは食後の紅茶の用意をしながら小町さんと談笑している。

「うーん、現状平和だから気にしなくていいんじゃないかな」

もしそうなら、見逃してもらってるってことだ。閻魔さまも案外お堅くないってことなのかもしれない。
低速ですが続きました。この話書いた人はBARでオムライスた食べたことあります。美味しかったです

追記: 誤解を生む書き方をしてしまいました。BARには時間帯によってカフェやレストランの形式をとっていたり、がっつり料理も食べれるダイニングバーというのもあります。ただ日本で単純にBARというと、軽食喫茶ではなくカクテル等のお酒を中心とするお店が多いです
コトワリ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.490簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
バーってあんま入った事無いけど、軽食屋っぽい事もするんですか紅魔館の人らは親切ですね…
6.100CARTE削除
腕相撲~ワニのくだりが非常にレミリアお嬢様らしくて好きです。
7.90奇声を発する程度の能力削除
雰囲気良く面白かったです
10.100ますますますお削除
「酒を飲みたい」「BARミズハシ」でコトワリさんの名前を覚えていました。
穏やかで落ち着いてて、とっても好きですこのシリーズ。
続きが読めるなんて思ってなかったので、心底うれしいです。
また読めたら嬉しいな、なんて思っっちゃったりします。

基本的に水橋さんがやる気がないところが可愛いですね。
自分も水橋さんお手製(想像上の)オムライス風焼き飯が食べたい!
12.100名前が無い程度の能力削除
ごちそうさま
16.100名前が無い程度の能力削除
昼飯をまだ食えてない身にこの小説はあまりにも罪深い