Coolier - 新生・東方創想話

ようやく、自然に、笑えた気がした

2016/05/03 20:09:48
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 古い記憶。頼りなく浮かび上がる思い出は、そのところどころが虫に食われたように欠けている。

 夕日の差し込む和室。縁側、ミシン。それを動かす母の姿。だが、それは茜の一色のみだった。

 抜けていく。記憶が抜け落ちていく。その感覚、それを自覚できてしまうのが、何よりもおそろしいのだ。

 母の顔は抜け落ちた。残るのは輪郭だけ、色も茜の一色のみ。あの声も、音も、とうの昔に消えている。これ以上、何を奪おうというのか。これからも、きっと何かが消えていく。そしてその何かを思い出せなくなり、ついには消えていくのだ。恐ろしい、ただひたすらに恐ろしい。

 ゆっくりと、ゆっくりとミシンを動かす母の姿が好きだった。好きだった、はずなのだ。

 これだけではない。もっとたくさんの思い出たちが、思い出すたびに不完全になっていく。もうそれしか残されていないのに、それすらも無情に奪っていく。


 誰か、この化け物を止めてくれ。忘却という名の化け物を。


 声は、誰の耳にも届かない。







 たった一つの簡単なことでも、それを「する」っていうのは難しい。少なくとも私はそう思うし、それはきっとこれからも変わらないだろう。

 どうしてだろうか。意識なんかしなければ、それはとっても簡単なはずなのに。それとも、本当に難しいのかもしれない。

 私は、成長しているのだろうか。








 「ねえ、おじいさん。壊してあげようか?」








 ある冬の朝、レミリア・スカーレットは妹を探して朝の庭園を散歩していた。冬独特の静かな空気が、耳を刺すように刺激する。その感覚を楽しみながら、昨晩から降り積もった雪を踏みしめていく。

 レミリアは、空気が好きだ。空気が自身にもたらす感覚が好きなのだ。まるで、何かに包まれているかのような春の空気。じっとりとまとわりつき、肌を滑っていく夏の空気。くっついたり、離れたりを繰り返す秋の空気も好きだ。そんなレミリアが特に好いているのが冬の空気である。

 冷えた空気は、時に痛みを伴うほどに刺さる感覚を伴う。だがその痛みと静謐さが、まるで停止している空間を生み出す楔になっているとレミリアは思うのだ。

 一声でもあげたら壊れてしまう。そんな空間を壊さぬように、わずかな緊張感と悪戯心が、ほんの少しレミリアの口を緩ませた。

 目当ての人物は、すぐに見つかった。枯れた木の天辺を見て佇んでいるその姿は、レミリアの足を止めるには充分だった。人によっては滑稽に映るかもしれない。だが、その風景を壊したくないとレミリアは思ったのだ。

 じっと木を見上げる妹。その瞳には、どんな景色に見えているのだろうか。きっと自分とは違う世界が彼女には見えるのだろう。それを理解できることが姉として嬉しくもあり、そして、理解できないことに少し、寂しくなった。

 口を開き、レミリアはそれを閉じた。景色の動きに気が付いたのか、妹はレミリアの方へと視線を向けた。時が動き出したように、妹……フランドール・スカーレットは、少しの驚きの後に笑顔を浮かべた。


「おはよう、お姉さま」

「おはよう、フラン。随分と早起きね」

「あはは、寝てないよ。お姉さまとは生活リズムが違うんだから」


 美鈴がね、教えてくれたのというフランドールの言葉に、レミリアは何をと返した。妹はにこりと微笑むと、地面に指をさす。真っ白な雪面を見て、レミリアは納得した。


「それで、私に何か用なの?」


 フランドールの一言で、レミリアはここに来た目的を思い出した。自分と同じ紅の瞳を輝かせて、フランドールは言葉を待っている。レミリアは、ゆっくりと言葉を出した。


「フラン、お外に出たい?」







 以前に、フランドールはしばらくの間紅魔館を出たことがある。フランの力を封じる呪具の試験と、新しくできあがりつつあった里の守り人としての役割、そして、フランドール自身の社会勉強の意味合いもあった。提案したのは八雲紫である。

 いかに自分の力と向き合っていくかという心、他の者とふれあい、付き合っていく好奇心。危険な出来事もあったが、その体験はフランドールを確かに成長させたのだ。その変化は館の住人達が驚くほどであり、門番にいたっては目に涙を浮かべていた。

 そんな妹の成長を、レミリアも態度にこそ出さなかったものの嬉しく思っていた。機会があれば、またやらせてあげたい。そう思えるほどには。
 
 昨日のことだった。珍しい客が紅魔館へとやってきたのだ。レミリアが迎えた客人、上白沢慧音は、差し出された紅茶で軽く喉を潤すと、早速ということで口を開いた。内容はごく明快で、しばらくの間フランドールを里に招きたいというものだった。


「……まあ、話は大体わかったけど。どうして妹を?」

「毎年この季節に、年忘れとして里で祭りをやっているのです。特に名前がついているわけでもないのですが、私個人としても是非妹君と話してみたいし、いい機会かと思って伺ってみたのです」


 幻想郷には、人間たちの住む集落は大小含めいくつもの集落が存在している。慧音達の住む里はその中でも一番の規模を誇っており、祭りなどをするときは必然的に舞台にされるのだ。

 目の前にいる半獣はとりわけ人間の世界に溶け込んでいる。周りの者達がのんべんだらりと過ごす幻想郷で、自分と同じように守り人をしたフランドールに興味を持ったことは必然だった。


「ふうん。他に理由は?」

「はい?」

「他にもあるでしょう。私は隠し事や謀はあまり好きではないの。ちゃちゃっと喋りなさいな。あと、その口調もね」

「あ、いや……」

「前に神社の宴会で貴女の姿を見たことがあるけれど、その時はそんな喋り方じゃなかったことは憶えているわ。ここは人間の世界ではないし、口調なんて私は気にしない」

「……ふ、普通に話してもいいか?」

「どうぞ、慧音」


 見抜かれたことが気恥ずかしいのだろうか、少し上気しながらも恐る恐る聞き返した慧音を見て、レミリアは少しばかり教え子を持つ気分というものを知った気がした。


「私自身、貴女の妹君に会ってみたいというのはもちろん本当だ。ただ、それ以外に会いたいという奴がいてな。今日は彼女らの代表としても来ているんだ」

「貴女以外に?……となると、スキマか、九尾のどちらかかい?」

「あ~、両方だ。片方はもう冬眠しているみたいだが」
 

 心底申し訳なさそうな顔をして、慧音は返事をする。レミリアはなんとなく予想はついていたものの、ため息を隠すことはできなかった。

 以前にフランドールに守り人をさせようと提案したのは八雲紫であった。レミリアはその提案を受け入れたのだが、その際に紫の式である八雲藍がフランドールの世話をしていたのだ。どうやら長い間一緒にいたことで、フランドールのことが気に入ったらしい。咲夜が人里で会うたびに妹様の様子を聞いてくると辟易していたことを、レミリアは思い出す。

 慧音からの話をまとめると、どうやら師走の終わりの間らしい。今まで外に出た経験が少ないフランドールには難しい話かもしれなかったが、紫が冬眠しているため藍が保護者につくことと、何か問題があったり、問題を起こしたりしたならば即座に帰宅させるという条件をつけて、レミリアはその案を受け入れた。

 帰り際、本当はフランドールも交えて直接話したかったと慧音はつぶやいたが、いかんせん長い間地下にいたせいか、人見知りの気があることをレミリアが告げる。余計なことを言ったと思ったのだろうか、レミリアの言葉を聞いて顔をゆがませる慧音は、もうすでに人間だった。

 妹に、もっと色々な世界を知ってほしい。それはレミリアの本心である。しかし、不安定な心と、フランドール本人でさえも抑えることが難しい大きな力。妹に世界を知ってもらうために、その妹を地下に押し込んでまで方法を模索する皮肉は、何度もレミリアの心を折りかけた。世界を回り、友を得てもなお、妹にその世界を見せることが出来なかったから。

 今、少しずつではあるがその夢が叶いつつある。自分がその力になれないことに歯がゆさを覚えるが、そんなものは血にでも混ぜて飲んでしまえばいい。妹が、フランドールがどのように成長していくのか。それを傍で見守ることが、レミリアにとっての幸福なのだ。

 日傘を差し、慧音を見送る。すでに太陽は半分ほどを山に隠していた。ほどなく日も暮れるだろう。門まで足を運ぶと、夕暮れを背にして門番が稽古に励んでいる。

 ふと、視界に別の映像が重なった。

 号泣、手を差し出す、微笑み。

 歯車の回る音が、どこからともなく聞こえた気がした。






 もう少しで年を跨ごうかという人里の大通りは、たくさんの人間たちでごった返していた。もともとのほほんとした性格の多い幻想郷の人間たちではあるが、今日はその性格がいい方向に里を熱気で包んでいる。この時期になると、どこもかしこも赤字覚悟で安売りを始めてしまうため、知らず知らずにお祭り騒ぎになってしまうのだ。

 まるで弾幕ごっこのように行きかう人々を眺めながら、茶屋に腰を下ろしていたフランドールは感嘆の声をあげる。その姿を見て、向かいの席に座っていた妖狐、八雲藍は薄く笑った。


「こういうのを見るのは、初めて?」

「うん。すごいよね。こう、ぶわーって……いや、違うなあ。なんていうか、人間がぶわーってしてるんじゃなくて、こう、エネルギーみたいなのがぶわーってしてるっていうか、う~ん」


 自分の語彙力に頭を悩ませるフランドールの姿は、藍の目を彩るには十分すぎる姿だった。

 レミリアから話を聞いた次の日、フランドールは即座に賛成し、こうして人里へとやってきていた。その日のうちに咲夜から霊夢伝いに紫に話が届き、とんとん拍子で話が進んだ。

 煌びやかな七色の羽根は、以前にパチュリーが拵えた呪具であるの指輪の力で、その姿を消している。副次的な効果で吸血鬼としての力まで封じられてしまうが、それによって日傘をせずとも太陽の下を歩き回ることができるのは幸運と呼ぶべきなのか、不幸なのかはフランドール本人にしかわからない。

 以前に藍がフランドールと共に過ごしていた時、強く抱いた感想が『聡い子』だった。

 精神的な年齢のはく離。子供のような純真さを持ちながら、図書館で得たのであろう知識で育った理知的な一面。その過程を埋め合わせるような不安定さは見ていて何度か不安にもなったが、それがフランドールが持つ独特の魅力だと藍は思っている。正しく狂気に中てられたというやつなのかもしれない。外の景色を見て外見年齢相応に目を輝かせているフランドールを見ると、否が応でもそう考えてしまう。

 寒さのせいか主は惰眠を貪っており、式は配下の猫たちとそこかしこを飛び回っている。少しばかり、寂しかったのも事実だった。

 
「ねえ、ラン」

「なあに?」

「この後は、どこに行くの?」

「そうね、まずは慧音先生の所に伺おうかしら。もしかしたらまだ勉強を教えているかもしれないけど」

「寺子屋、私行ってみたい!」


 きっと羽根があったのなら姉と同じようにぱたぱたと揺らしているに違いない。早く行こうとせがむフランドールの手を取って、藍は茶屋を後にした。

 道行く途中の物全てが、フランドールにとっては新鮮だった。きょろきょろ視線を巡らせ、時に足を止める。周りの喧騒と反比例するかのように、二匹の間には穏やかな時間が流れていた。

 しばらくすると、目当ての建物が見えた。慧音が勉強を教えている寺子屋である。はたして、まだやっていたようだ。子供たちに気づかれないように庭から入ってみると、閉ざされた障子戸の中から子供たちの元気な声がフランドールの耳に入った。藍は授業が終わるまで待っていようかと考え、ちらりとフランドールの顔をのぞく。はじけんばかりに輝く紅い瞳を見て、苦笑してしまった。







「いやあ、ろくに相手も出来ず、すまなかったね」

「私は構わないわよ。それに、あの子にもいい思い出になったみたい」


 差し出された茶に口をつけ、藍はそう返した。教員室の窓からは、子供たちに混じって野球に興じるフランドールの姿が見える。その顔は、笑顔であふれていた。

 結局、フランドールの好奇心に負ける形で、藍は寺子屋へと入っていった。子供たちは突然の予期せぬ来客に驚き、そしてあの紅魔館の吸血鬼だと慧音が告げると、飛び上がるように騒いでいた。買い物などでよく里を訪れる妖怪とは違い、フランドールは人里に来たことさえ初めてである。子供たちが驚くのも無理はなかった。

 そのあとはフランドールも子供たちに混じって授業を受けることになった。机に突っ伏したり隠れて他のことをやっている子供たちもいる中で、フランドールは最後まで慧音の授業を面白そうに聞いていた。その姿勢に感動したのか、慧音はフランドールのことをたいそう気に入ったようである。


「しかし、意外だったよ」

「何が」

「いや、あの子の姉から人見知りだと聞いていたのでさ。ちょっと心配だったんだ」

「ああ……確かにそうかもしれないわね。けど大丈夫よ、あの子の場合は知識に経験が追い付いていないだけだと思うから」

「なるほど、な」


 小気味のいい音が聞こえた。慧音が窓を見ると、悠々と本塁を踏むフランドールと、祝福する子供たちが見えた。


「本当はね、もっといっぱい遊びたいのよ」

「確かに、そうだろうな」

「前の里ではね、本当に全部おっかなびっくりって感じだったのよ。ただ、里を離れるときに言っていたわ。もっとみんなとお話がしたかった、もっといっぱい遊びたかったって」

「やはり、あの大きな力が原因なのか?」

「みたいね。レミリアも本当はもっとこういう触れ合いをさせてあげたいと言っていたわ。けど、未熟な精神では力が暴走する可能性もある」

「だから閉じ込めた、というわけか。皮肉なものだよな、世界を知りたいと願うほどに遠ざかっていくというのは」

「紫様とあそこの魔女には感謝しているわ。おかげでこうして彼女と知り合うことが出来たのだから」
 

 藍の顔を見て、慧音は笑った。何かおかしなことを言ったかしらと藍が返す。まるで母親のようだと言った慧音の言葉に、藍は思わず眉が下がってしまった。

 慧音に用意してもらった住処を確認し、二匹の妖怪は寺子屋を後にした。帰り際、子供たちに手を振るフランドールの姿はもうすでに人の子で。そんな彼女の笑顔を見ると、藍は胸が温かくなるのだ。橙も、この吸血鬼の妹も。どちらも大切な娘なのだ。どうか、今回の人里での体験がフランドールにとって実りあるものになるようにと、藍は心の中で静かに祈るのだった。

 だが、少しばかり気にかかる点もある。寺子屋を出る前に聞いた慧音の言葉を藍は思い返す。


「……それでだな、貴女たちの住むところなんだが、近くに外の世界から来た老人が住んでいてね」 

「知っているわよ」

「っ、貴女に隠し事は出来ないね」

「だって、ここに流れ着くくらいだもの。脛に傷くらいは持っているでしょう」

「ああ、まあ特に悪いことをしたりはしないだろうから大丈夫だろうさ。ただ、脛に傷ってわけじゃあないんだ」

「病気?」



 慧音は人里の人間を好いている。だからこそ、あの含みが藍には気にかかった。

 不意に、袖に重みがかかる。視線を向けると、隣を歩いていたフランドールが足を止めていた。その顔は一軒の大衆食堂に向いている。そこから聞こえてくる粗野で、だが温かみのある声を聴いて歩を止めたようだった。


「ねえ、ラン」

 
 フランドールが振り向く前に、藍はその頭に手を乗せる。今日はお外で食べよっかという藍の言葉で、フランドールの顔に花が咲く。少しばかりの不安はあったが、それは実際にその時が来たら考えようと、藍はフランドールの手を優しく握ると、食堂へ入っていくのだった。







「妹様は勿論のことですが、お嬢様も、立派になられましたね」


 フランドールを送り出したその日の夜。冬独特の澄み切った星空を見上げながら、美鈴はそう呟いた。隣でその言葉を聞いていたレミリアは、白い息を一度吐き、興味深そうに美鈴に視線を向けた。


「どこら辺がさ」

「他の者を頼るようになられました。ただ頼るのではなく、自身のことをはっきりと理解したうえで、頼る。それは転ずれば弱さとも捉えられかねませんが、誰かを頼るということにも度量が必要なのです。私はそう考えています」

「そんなものか、な」

「ええ。これでも年長者なのです。偶には格好の一つくらいつけたくもなるのですよ」


はっと短く笑うレミリアの姿を見て、美鈴は肩をすくめる。格好をつける目論見は、見事に外れてしまったようだ。だがその言葉を聞いて、レミリアは少しばかり救われた気がした。

 あの時に見た映像は、果たしてあの子が体験する運命なのだろうか。だとしたら、それは少しばかり酷にも思える。妹は、自分と違ってとても優しい子なのだから。


「お嬢様がどんな運命を感じたかは知りませんが」


 思考を遮るように発せられた美鈴の言葉に、我に返る。見やった美鈴の顔は、まさしく子の成長を見守る母のそれに見えた。


「妹様が傷ついたら、私たちが癒してあげればよいのです。私たちは家族なのですから。大丈夫です、お嬢様の妹なのですから」

「……格好つけるな」

「年長者ですから」


 歯車の動く音が、どこかで聞こえた気がした。









「昨日のおじいさん、大丈夫かなあ」


 あくる日の朝。朝食時にフランドールはそう呟いた。その顔は真に心配そうな顔をしている。その顔を見て、藍はやはりこの子は優しい子なのだと再確認した。

 先日、食堂で夕食を済ませた二匹は用意された家へ向かうための道を歩いていた。その道中、一人の老人を見つけたのだ。

 老人は疲れているのだろうか、呆とした様子で道端の切り株に腰かけていた。いくら人里の中とはいえ、既に日は暮れて星が輝いている。どうしたのだろうかと藍が考えるより早く、フランドールは老人の下へと駆け寄っていた。

 話を聞くと、どうやら迷子になってしまったらしい。今藍たちがいるのは長屋街であり、こうも暗くなると確かに道を見失ってしまうのもわからない話ではなかった。


「ねえ、ラン。おじいさんを送っていこうよ」


 こうして藍たちは老人を家まで送っていったわけだが、少しばかり気にかかる点もあった。

 まず、服装。人里の者達は主に和装なのだが、老人はシャツにスラックスという出で立ちだったこと。もしかしたら外来人なのかもしれない。その服装も、年の瀬だというのにいやに薄着だった。

 もう一つは、老人の家までの道のりだ。迷子になったとは言っていたが、実際には曲がり角を二つほど曲がると直ぐに老人の家に着いたのだ。藍たちに用意された家も、老人の家からすぐ近くの処にある。

 そして、何よりも気にかかったことがある。老人はフランドールのことを孫のようだと言っていたが、その話題を、ごく短い道のりの間に二回、そして、藍たちに名前を二回訪ねてきたのだ。

 多分、あの老人が慧音の言っていた者なのだろう。確かに、外の世界よりも平均寿命の短い幻想郷では、そう捉えられるのも無理はないのかもしれない。

 静かに過ぎていく夜の中で、先ほどの老人だろうか、おうい、おういという声が聞こえてくる。藍は少しばかり耳を動かし、その声が無くなったことを確認すると、寝る支度を始める。元々衣服くらいしか持ってきていなかったので、準備という準備はせずに済んだ。

 遊び疲れたのかすぐに布団に入ったフランドールを見る。疲れていながらも、おやすみと言ったフランドールの顔は、笑顔であふれていた。久しぶりの外だ、明日からのことを夢に考えていたのだろう。

 以前に人里の守り人をしていた時とは違い、今回は純粋に楽しんでもらうためにフランドールを連れてきたのだ。どうか、今回の体験も彼女にとって有意義なものになればいいと思い、藍は寝床に向かうのだった。
 

 




「こんにちは、には早いか。おはよう、おじいさん」


 翌日の朝、フランドールは老人の家を訪れていた。なんとなくではあるが、今まで出会ってきた人間と違うものを感じたのもあったが、藍が朝早くから出かけてしまったのもあり、暇だったのだ。一人にされるということに少しばかりの寂しさを感じたが、藍がそれだけ信頼してくれていると考えると嬉しくもあった。

 老人の所に行こうと考えたのは、純粋に興味があったからだ。なんとなくではあるが、老人が今まで自分と出会った人間とは少し違うのを感じたからかもしれない。それを上手く表現することは今のフランドールには難しかったが、感覚的なものが、それを感じ取ったのだ。


おや、随分とかわいいお客さんだ


 老人は、縁側に腰を掛けながら、一人将棋を指していた。聞くと、どうやら将棋の勉強をしているらしい。一向に上手くならんわと坊主頭をぴしゃりと叩きながら笑う老人につられて、フランドールもつられて苦笑した。

 昨日のことを聞いてみると、老人はよく覚えていないと返した。説明はできないのだが、そういう感覚らしい。昨日の夜に藍が言っていたように、老人は外の世界から来たのだという。望んで、こちらの世界に残ったのだと。


こっちはのんびりしてていいやな

「そう?里の外には妖怪とかたくさんいるよ?」

妖怪より怖い奴、たくさん見てきたからなあ


 フランドールにとって、怖いという感情は大体が自分自身の感情に対して感じるものであった。老人は笑いながらしゃべっていたが、その顔に浮かび出た皺は、それがきっと真実であり、老人はそれを見てきたのだろうということを真に語っていた。


帰れる気がするんだよ

「え?」

帰れる気がなあ、するんだよ

「どこに?」

どこだろうなあ


 不意に会話が飛んだことに少しばかり動揺したが、先ほど言っていたことだろう。そこまで言って、老人は再び将棋の書に目を通す。ひゅうと通り抜けた風も気にせずに。吸血鬼とはいえ、暑さ寒さは感じる。フランドールは少しばかり体を震わせながらも、将棋盤に目を落とした。 

 将棋を指す老人と、それを見つめる少女。それは本当に老人と孫のようで、だからだろうか、来客は声をかけるのに一瞬の躊躇を必要とした。


「……今日はお孫さんも一緒なのかしら」

   
 突然聞こえた声の主の方へ、フランドールは振り向く。そこにいたのは、大きなかごを背負った白髪の少女。緩い風に吹かれてなびくその髪は、冬の禿げ上がった地面と透き通った空に、いやに馴染んで見えた。


「貴女はだあれ?」

「初めまして、フランドール。慧音から話は聞いてるわ。私は妹紅。藤原妹紅って言うの」
 

 老人からも、目の前の妹紅という存在からも、フランドールはある感覚を感じ取っていた。たぶん共感なのかもしれない。

 どこか、壊れた感じがすると。







「モコウはいい人なんだね」

「そういう訳じゃないわ。ただ頼まれたからやってるだけよ」


 老人と別れたフランドールは、そのまま妹紅に連れられて里の大通りを歩いていた。その手には先ほど露店で買ったたい焼きが握られている。妹紅は既に食べ終えてしまっていたが、立ち食いをしないフランドールの育ちに、思わず苦笑してしまった。

 フランドールの言葉は、妹紅が老人のもとを訪れた理由についてだった。自警団は里の見回りを行う際、畑仕事のできないものや金の無いもの、先ほどの老人のように生産能力の無い家に対して、心ばかりではあるが食料を供給している。飢えることの無いようにという里の取決めである。

 もちろん反対の声もあるが、大体の家庭が一人暮らしかよぼよぼの老夫婦である。大半の者はこの制度に概ね協力的であり、それがいい意味で里の活性化にも繋がっている。フランドールの言葉は、その説明を受けてのものだった。

 広場につき、ようやく見つけた長椅子に腰を下ろして、フランドールはたい焼きをほおばる。その姿は見た目相応の童子に見え、妹紅は吸血鬼であるということを一瞬失念してしまった。


「おじいさんは、何処に帰りたいんだろうね」

「生まれ故郷とか、じゃないかしら」

「……ああ、ごめんなさい。私が間違ってたね。おじいさんは『何時に』帰りたいのかなあって、そう思ったの」


 見た目はこそ、それこそ広場で追いかけっこをしている子どもたちとそう変わらないが、人の本質を見る目はすでに養われているのか。


(違うな)

 
 養われている、というよりは既に持っているというのが正しいのかもしれない。

 自分と異なる存在と触れ合うことが極端に少なく、その眼は常に己の中を見つめていたのだろう。だからこそ、人の本質を見抜くことが出来るのかもしれない。その眼には飾りは映らず、本質しか見ることが出来ないだろう。それを無垢と呼ぶべきか不幸と呼ぶべきかは、妹紅には判断がつかなかったが。


「さっきね、おじいさんの『目』を見たの」

「ええ」

「すごいの。あのおじいさんは、壊れているけれど、壊れてなかったの」

「そう、貴女はそう感じるのね」

「怒らないんだ」

「別に怒ったりしないわよ。ただ、どうしてそう思ったのかしら?」

「例えばさ、もし五体満足な生き物が手足を失ったら、それは元の形と違うの。心もそう。だけど、おじいさんは何て言うのか、なあ。んん……どこか壊れてもそれが正常なの。『それが正常になっていっちゃう』の。そんな感じがする。上手く言えないんだけど」


 空にたなびく帯状の雲を眺めながら、妹紅はその言葉を聞いていた。きっと、この話は悲しい話なのだ。だが、それを何とはなしに聞いてしまう自分も、それを淡々と語る吸血鬼の少女も、きっとどこかが壊れているのだ。それが正常なのだ。

 たくさんの不幸を見てきたし、それ以上の理不尽も、不条理も味わってきた。何時からだろうか、それらにたいして感情の波が立たなくなったのは。

 視線を下ろすと、フランドールは広場の反対側に出ている出店たちを眺めていた。きっとこういう体験が少ないのだろう。その顔は好奇心にあふれている。どこか根元が似ていても、目の前の少女と自分は違うのだ。 


「出店、行ってみようか」

「いいの?」

「ええ、今日はもう回るところもないし。元々楽しむために里に来たんでしょ。慧音も保護者もいないみたいだから、付き合うわよ」


 そう聞くやいなや、立ち上がったフランドールは出店に駆け出す。その後ろ姿が小さくならぬように、妹紅は歩き出すのだった。









 ひとしきり里を回った妹紅達は、夕食ということで大通りにある酒屋へと入った。里を回っている途中で藍と会ったのだが、マヨヒガで急な用事が入ったらしく、今日は家を空けようと思っていたらしい。妹紅と一緒にいたのは好都合だと、一緒にいてくれないかと言われてしまった。妹紅としても今日一日でフランドールに興味がわいたので、別に構わないと二つ返事で了承した。基本的に他人とあまりかかわらない妹紅がこの頼みを引き受けたのは、単にフランドールという存在に興味がわいたからといのもあるが、どこか自分と似た雰囲気を持つ彼女を、もう少し観察してみたいと思ったからだった。

 そんな頼みを引き受けて、何が食べたいかと妹紅が尋ねると、フランドールは意外なことに、こう言ったのだ。


「私、お酒が飲みたい」


 そんなこんなでこうして酒屋へとやって来たのだが、年の終わりがすぐそこに来ているこの時期は、どこもかしこも年忘れで騒ぎたい里の人間たちでごった返していた。妹紅としてはもうちょっと静かなところがよかったのだが、隣でこの粗野な空気を楽しんでいるフランドールを見ると、そんな考えも引っ込んでしまった。

 案内された席に座り、一息をつく。フランドールは店員に差し出された品書きを興味津々に眺めていた。ちなみに、一番疲れたのがフランドールが吸血鬼であると上手く説明することだったのは内緒である。


「あら、妹紅じゃない」


 いきなり名前を呼ばれたことに、思わずして身体に緊張が走る。声の方向へ視線を向けると、そこには見慣れた腐れ縁が隣のテーブルでぐい呑みを手にして笑っていた。


「……貴女が里に来るなんて珍しいわね。診療所は大丈夫なの?」

「年の瀬だからね。年始くらいはゆっくりしたいのよ。だから今日は優曇華と一緒に往診ってわけ」


 そう言ってぐい呑みを一口あおり、八意永琳はほうと息を吐いた。結われた髪が微かに揺れ、その眼は薄く細まり、危うげ、というべきであろう美貌を醸し出すのに一役を買っている。永琳の向かいでは、弟子である鈴仙が疲れた表情を隠しもせずに無言でグラスをあおっている。


「……まさか輝夜のやつは来てないでしょうね」

「姫はイナバ達とお留守番をしているわ。心配しなくても大丈夫よ。それに、もし会ったとしても、今日の貴女はそんな気分じゃないでしょう?」


 くすりと笑いながら、永琳は妹紅に微笑みかける。本人は特に意識をしていないだろうが、その動作が一つ一つが忌々しいほどに似合っていることに、妹紅は軽く舌を鳴らした。

 そういえば、と妹紅は思い向かいの席へ視線を向ける。既に注文したいものは決めていたのだろうフランドールは、場の空気を壊さぬようになのか、単純に興味がないのか、静かにその場にたたずんでいた。

 
「ごめんなさい、フランドール。もう注文は決まったかしら?」

「うん。けど……お店、変えようか?」

「ああ、こいつらのことは気にしなくていいわよ」

「そんなこと言って、酷いわねえ。私は八意。八意永琳よ。飲んだくれてるのが優曇華。ここであったのも何かの縁。よろしくね」


 よろしく、そう一言だけ返すと、フランドールはじいっと永琳を見つめた。五秒ほどだろうか。ぴくりとも動かないフランドールの姿に妹紅が若干の不安を覚え始め、微笑んだまま視線を外さない永琳に鈴仙が気づいた頃、弾かれたようにフランドールは笑った。


「エイリンも、すごいんだね」

「ふふ、ありがとう」

「吸い込まれそうなくらい深くて、けど人間臭い。それでね、とっても丸いの」


 鈴仙は、思わず妹紅に視線を投げた。妹紅も詳しくは分からなかったが、どうやらフランドールは永琳を気に入ったらしい。一緒に食べよ、というフランドールの言葉を聞いて、妹紅はまだ注文をしていないことに気付くのだった。







「しかし偉いわねえ、短い期間とはいえ里の守り人をやるなんて」

「私は、大したことなんてしてないよ。ランがいなかったらきっと出来なかっただろうし、里のみんなからはたくさんのことを学んだ。護りたいって思えるようになった。だからできたんだと思う」

「自分が何をしたのか。何ができるのか。それをきちんと自覚できるっていうのはとっても難しいことよ」

「そう、かな」

「ええ。私でもすんなりとできない時があるもの。貴女はいい子よ。フランドール」

 酒が入ってから既に一刻ほどが経っている。味わったことの無い料理の数々と飲んだことの無い酒にフランドールは目を輝かせていたが、時が経つにつれて、段々と話はまじめな方向へと傾いていた。久しぶりに知り合い以外の話し相手が出来て楽しいのか、永淋はフランドールを独占している。その様子を見ながら、鈴仙は赤くなった顔をさらに赤くするために、注文した日本酒をちびちびとあおっていた。


「しっかし、こうやって見ると本当に里の子供と変わらないわね。吸血鬼だなんて嘘みたい」

「確かにね。けど、あんたにはわかるだろう。あの子の波長がさ」

「まあ、ね」 


 妹紅の言葉にすげなく返事を返し、鈴仙はフランドールを見つめる。その眼差しに力を籠めると、フランドールの波長を覗き見た。 


「……やっぱり不思議だわ」

「何が」

「あの子の波長。なんていうか、そう、整ってるけど歪なのよ」

「なんだそりゃ」


 鈴仙が説明をしようとしたところで、フランドールのそういえばという声が聞こえた。見ると、フランドールがこちらを向いている。別にやましいことがあるわけではないのだが、思わず鈴仙は言葉を止めてしまった。


「レイセンも、エイリンもお医者さんなんでしょう?」

「いや、師匠はともかく、私は別に医者ってわけじゃないのだけれど……ただ薬売っているだけだし」

「おじいさんのこと、治せないかなあ」

「おじいさん?」


 永琳が聞き返したので、妹紅が代わりに老人のことを説明した。最初は軽く聞いていた様子の永琳だったが、フランドールが体験した話と、普段の老人の生活を聞く内に、その顔に真剣味が宿っていく。ひとしきり話を聞き終えると、場には沈黙が流れた。その空気をフランドールは理解することが出来なかったが、からんとなった氷の音が静寂を破ったことで、その沈黙が硬質な空気を纏っていたことを察した。


「優曇華」

「……直に接したことはありませんが、噂話程度には聞いたことがあります」

「そう。あとで本人にも接触してみて頂戴」


 鈴仙の顔には、既に酔いは見られない。その様子に少しばかりの関心をもって、妹紅はフランドールを見やった。その表情は、結果がわからないゆえの不安すらも感じさせないほどに、きょとんとしている。病気なの、と尋ねるフランドールに、永琳は短く首肯した。


「治るの?」

「そう、ね。まだ直接見ていないから何とも言えないけれど、難しいかもしれないわ」

「そんなに重い病気なの?朝は元気そうだったけれど……」

「……」


 今度診てみるわと言葉を濁し、永琳は残っていた酒に口をつける。その態度に妹紅は隠すこともせずに舌を鳴らした。永琳の態度そのものが気に食わなかったわけではない。わかっているのだ。フランドールが聡い子だということを。だからこそ、これ以上の追及をしないことを。それらを永琳が全てわかっていることをだ。そして、その永琳の態度がこの話題の結末を物語っていることがだ。

 フランドールを見ると少しの戸惑いを見せていたが、やはり追及をすることはなかった。

 身体のせいで、中途半端にしか酔いが回らないことに憤りを覚えながら、どうか、少しでもフランドールにとって良い結末になるようにと、妹紅は願うのだった。







 慧音は心配していたが、その後も老人とフランドールの交流は続いた。老人はよくフランドールのことを忘れてしまったが、それはそれと割り切っていたため、彼女はさしたるショックを受けることもなく交流を続けることが出来た。もっとも、何度も繰り返される将棋の話だけはうんざりしてしまったのも事実だったが。

 人里で過ごす時間は、外の世界に触れ合うことの少なかったフランドールにとっては新鮮で、刺激的だった。

 寺子屋の授業は寝ている子どもたちもいたが、それでもフランドールにとっては興味の沸く内容であったし、軒先で店主が煙管をくゆらせているやる気の無い雑貨屋も、まるで宝物庫のようであった。

 里での期間はあっという間に過ぎ、翌日には一度紅魔館へ戻ることになっていた。冬は日が沈むのが早い。まして外の世界ほど科学の光が多くない幻想郷ではなおのことである。買い物を済ませた藍とフランドールは、この後をどうしようかと話しながら家路についていた。その道中で、二人は老人と出会った。

 こんばんは。フランドールはそう言おうとしたところで、その口の動きを止めた。藍も気づいたのか、挨拶のために浮かべた笑顔が消える。老人は無表情な顔をそのままに、二人を見つめていた。否、二人の後ろを見つめていた。その眼は何をとらえているのか、少なくともフランドールにはわからなかったが、今までに様々なものを壊してきてしまった自分の直感が告げていた。

老人は今まさに『壊れている』。


「ラン」

「なに?」

「荷物置いたら、ケイネ先生呼んできてくれないかな。もしいればモコウも」

「フランは、どうするの?」

「おじいさんと一緒にいるよ。なんか、心配だから」


 隣に立つ吸血鬼は、本当に成長した。今まさに、藍は心からそう感じた。だが、


「大丈夫?」

「大丈夫だよ。喧嘩するわけでもないんだから」


フランは老人の手を取ると、近くの切り株に老人を座らせ、自身は目線を老人の高さに合わせる。老人の手を重ねるように包みながら、こんばんはと挨拶をした。


「こんばんは、おじいさん」


 ぼんやりとしていた老人の視線が、フランドールを捉える。老人は笑顔を浮かべながら、こんにちわと挨拶を返してくれた。ゆっくりと手を放すと、フランドールは老人の横に腰を下ろし、老人と同じように視線を空へ向けた。


「いつも、こんな風に星を眺めているの?」


 フランドールの問いかけに、老人はそうだと応える。外の世界に比べて格段に空気が澄んでいる幻想郷の夜空は、たくさんの星たちを夜空に輝かせてくれる。白い息を吐きながら、老人は夜空を指さし、しゃがれた声で話を始めた。

 子供の頃は、ここと似たような田舎で過ごしていたこと。自分が勉学を始める理由になった初恋、結婚、そして仕事。老人は途切れることなく話を続ける。所々が曖昧で話の内容が突拍子もなく変わってしまっても、同じ内容の話を繰り返しても、たとえ母や息子の名前の所で言い淀んでしまっても。フランドールはただゆっくりと、ゆっくりと相槌を打ち続けた。

 老人の視線は、再び夜空に向いている。だが、その瞳は星たちを見ているわけではない。フランドールは、姉から聞いたことがある。人間の生は短く、だからこそ光り輝いているのだと。そこが人間の良いところだと言っていたし、以前よりも人間と触れ合う機会の多くなったフランドールには理解できた。

 だが、横で星空を眺めている老人を見て思う。

 どうして人間には、『こんなこと』が起きてしまうのだろう、と。

 その答えを見つけることが出来ないまま、フランドールは藍たちが来るまでの間、老人の話を聞き続けるのだった。







 新しい年が明け、しばらくの日が経った。
 
 紅魔館へと戻った今フランドールは、大図書館で本を探していた。久しぶりに藍と過ごした日々は、それは楽しいものであったが、それと同時に、解決していない興味を残してきてしまったことが気がかりになっていたためであった。

 少しでもその興味を知ろうと探しているのだが、どうにもぴたりと当てはまる書物が見つからない。何度目かわからないため息を吐き、目を閉じる。数秒の後に目を開くと、再び本棚を探し始めた。

 そんな妹姫の様子を、大図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは、そわそわとしている小悪魔と共に眺めていた。既に外では日が高く昇っている時間帯であり、本来ならばフランドールは寝ている時間帯である。しかしここ最近は、昼夜を問わずにフランドールは資料探しに没頭している。一度小悪魔が探し物の手伝いを申し出たが、フランドールは優しく断った。


「自分だけでやりきりたいの」


 と、言葉を添えて。



「本当、姉に比べると真面目ねえ、妹様は」

「お嬢様が聞いたら起こりますよ」

「構わないわよ。事実だもの」

「しかし、見つかるんですかね」

「どうかしらね。見つかるかもしれないし、見つからないかもしれないし、ね」


 不安げな表情を戻せない小悪魔とは対照的に、パチュリーは口元に笑みを浮かべている。家族の成長を見ることは、館の主と同じように、いつしか魔女にとっても喜びの一つになっていた。存外、情が深いのだ。

 びゅうと、風の音が響く。窓もなく、造りがしっかりとしているこの館で風の音が聞こえるというのは珍しいことである。フランドールの耳にも入ったのか、本を探す手を止め、見えないほどに高い大図書館の天井へ顔を向けている。
 
 休憩にも丁度良いだろうと、パチュリーがフランドールに声をかけたところで、大図書館のドアベルが鳴る。開いた先にいたのはメイド長である十六夜咲夜。どうしたのかとパチュリーが尋ねると、客人が来ているとのことだった。こんなにも年の早くから客が来るのも珍しい。扉を開けた十六夜咲夜に続いた姿もまた、この場所には縁が遠いものであった。


「貴女たちは……確か」

「年明けからごめんなさい。私の名前は藤原妹紅。隣は上白沢慧音。ここにフランドール・スカーレットさんがいるってレミリアから聞いてね。伝えたいことがあって伺わせてもらったの」
 
「そう。小悪魔、お客人にお茶を」

「モコウ、ケイネ!」


 その場を離れる小悪魔と入れ替わるように、フランドールは妹紅たちに駆け寄ると、明けましておめでとうと挨拶をした。その顔には突然の来客に対する喜びが笑顔となって表れていたが、段々と、その表情が戻っていく。慧音たちの顔は、真剣味を帯びていた。

 パチュリーに促され、皆が円卓に腰を下ろす。気を利かせたのだろう、小悪魔が淹れた緑茶で口を湿らせて、慧音はフランドールに視線を向ける。その口からどんな言葉が出るのかと緊張していたフランドールだったが、そこから出てきたのは言葉ではなく、何回かの吐息だけだった。


「いいよ、慧音。私が言う。伝えたほうがいいって提案したのは私だからね」


 俯いた慧音の代わりに口を開いた妹紅が、フランドールに語りかける。だが、瞬時に理解が出来たのは、落ち着いて聞いてね、という前置きだけだった。


「お爺さんがね、倒れたの」






 
 老人が発見されたのは、年が明けて数日の後だった。

 年明け早々の見回りで、妹紅は老人のもとへと向かっていた。老人のほかにも、年による呆が進んでいるものはいるが、老人は妹紅の担当だったのだ。外来人だから、というのも理由の一つではあったが、直接的な原因は、自警団との喧嘩だった。

 
俺の財布を、こいつらがとったんだ!


 話を聞いた時の老人の言葉だった。勿論、そんなことは誰もしていないし、老人の財布は家の棚に保管されていた。いままでも、物忘れや、夜の徘徊などで目を付けられてはいたのだが、この件を自警団の者たちはどうしても、快く思えなかったのだ。人間同士、多少の摩擦は生じてしまう。しかしこの件は、溝を作ってしまうには十分な出来事であった。

 その件から、老人の様子を見に行くことは、妹紅が進んで行うようになった。里の者たちも積極的には関わりたくない。さりとて、放り出すわけにもいかない。里の長や慧音たちが悩んでいるところに、助け舟を出したのだ。

 不死人となった長い生の中で、妹紅は老人と同じような症状の者を幾度も見た。他の者たちよりは上手く対応もできる。そしてなにより、妹紅自身も気が楽だった。


「こんにちは、おじいちゃん」

おう、〇〇じゃねえか。旦那はどうしたい?


 老人の目には、妹紅の姿は近所の若奥さんとして、時としては孫になり、従姉妹になり、娘になっていた。その度に妹紅は調子を合わせ、見回りを続けてきたのだ。

 そして、長い生の中で得たその経験は、もう老人が元に戻ることは無いだろうということも悟らせていた。

 死なぬ、死ねぬ身体になったからこそ思うことだった。せめて最期は、と。

  
「……冷えるな」


 年の瀬に会った吸血鬼の妹の姿が思い起こされる。あの娘の目は、老人の何を見ていたのだろうか。少し聞きたい気分に駆られた。

 老人の家にたどり着いた妹紅は、玄関から挨拶を投げかける。返事はなかったが、老人が普段から履いている靴は、そのままになっていた。寝ているのかもしれないと縁側に回ると、都合よく雨戸が開いていた。隙間から中を覗き込んだ先。薄暗闇の中で、老人が正座しているのを見つけることが出来た。

 ふうと一息を吐いたところで、息が止まった。何か、違和感があったのだ。老人は正座をしながら、何かに掴まっていた。それが柱だと気づき、妹紅は雨戸を無理やり開いて居間へと押し入った。


「っ!お爺さん!?」







 もし、命を落とさなかったことを幸運と呼ぶのならば、老人は幸運だったのだろう。だが、身体に幾本もの管を通され、ベッドに横たわるもの言わぬ老人の姿を見た時、フランドールはただ目を見開くことしかできなかった。


「……頭に強い衝撃を受けたみたいでね、もう少し発見が遅れていたら、危なかったわ」


 ぼうとしたままのフランドールの横で、永琳が説明をする。フランドールの耳にはその言葉は聞こえず、とてもわざとらしく、声だけが響く。

 妹紅から老人が倒れたと聞き、すぐさまにフランドールは老人が搬送された永遠亭へと向かった。レミリアは反対の言葉は一切言わず、美鈴をつけて送り出してくれた。

 妹紅たちに案内されながら永遠亭へ向かう途中、フランドールの中には得体の知れないものが広がっていた。以前に人里を脅威から守った時の、あの口の渇き、動悸、そして不安。負の感情がない交ぜになった、どす黒い赤子のような感情が、じわりじわりと広がっていった。どうして老人のもとへ向かったのか。その瞬間だけは、興味よりも、この胸の中にある得体のしれないものを抑えたいがための行動だった。

 その感情は確かに治まった。だが、それ以上の何かが、フランドールの中で吹き荒れていた。それを言葉に形容することも、態度で表現することもできず、ただただ老人の姿を、フランドールは眺めることしか出来なかった。

 どれほどの間眺めただろうか。フランドールは老人から永琳に向き直ると、尋ねた。


「ねえエイリン」

「……なあに?」

「おじいさんは、この後どうなっちゃうの?」


 思わず、永琳はフランドールを抱きしめたい衝動に襲われた。目の前の少女は解りかけているのだろう。だからこそ『治るのか』ではなく、『この後どうなるのか』と問いかけたのだ。

 永琳はフランドールの前でかがむとその両手で抱きしめようとしたところで、その手で頭をゆっくりと頭を撫でた。きっと、この子を抱きしめるのは自分ではないだろうから。立ち上がった永琳は窓際へと歩くと、棚の上に置いてあった花瓶と水差しを手に取った。


「人間には脳があるって、知ってる?」

「うん。調べたの」

「人間はね、生まれてからたくさんのことを覚えていくの。例えば親に叱られたり、先生に教えられたりしながら。こんなふうに」


 話しながら、永琳は水差しを花瓶の口に傾ける。水差しから流れ出した水が、花瓶の中へと吸い込まれていくのを、フランドールはぼうと眺める。

 
「そうやって蓄積した記憶だったり、経験だったりが、脳に蓄積されていくの。そして、それを取り出したり、組み合わせたりして、成長していくの」

「うん、なんとなくだけど。わかるよ」

「ただ、年齢を重ねると、どうしてもその機能が衰えてくる。ちょっとたとえが悪いけれど、この花瓶と水差しで言うのならば、上手く水を入れられなかったり、所々、水が溢れてしまったり、ね」

「お爺さんは、違うの?」

 
 フランドールの問いかけに、永琳は直ぐには答えず、窓を開けた。冬の風が、竹林の間を通ってびゅうと流れ込んでくる。乾いた風が目に当たり、思わずフランドールは目を閉じた。目を開き、花瓶を持っている永琳の手が薄く光っているとに気づいた。

 窓から外へと差し出された花瓶の縁が、溶けた。溢れた水が、永琳の手を伝って、つうと流れ落ちた。


「今、流れていった水は、時間」


 花瓶はどんどんと溶けて縮んでいく。


「今、流れ落ちたのは、経験」

「そんな」

 
 永琳が握っていた部分より上が、溶けて無くなった。永琳は逆の手で花瓶の底を支える。花瓶が溶けるのは止まらず。少しずつ溢れていた水が、ついにばしゃばしゃと音を立て始める。


「思い出。記憶。知識」

「エイリン、わかった。わかったからっ」


 終に、花瓶が無くなった。


「それでもね」


 振り返った永琳が、濡れた手をフランドールの眼前に差し出す。うすぼんやりと輝くその手には、花瓶の内側に張り付いていたのだろうか、一片の花びらが張り付いていた。


「感情だけは、最後まで残るの」


 花びらが、燃えた。


「これが、これからお爺さんに起こること」


 その手には、もう何も残ってはいなかった。




 


 迷いの竹林を抜け出たところで、妹紅と慧音と別れ、フランドールと美鈴は紅魔館への帰路に就く。既に日は沈み始め、痛みを感じるほどに、風がびゅうびゅうと吹いていた。

 呪具の力によって、フランドールは日光を浴びても大丈夫な体になっているが、その作用として吸血鬼の力も弱まっている。今まで外出する際には、主に美鈴が一緒に付き添ってくれた。今も、美鈴に肩車をされながら、霧の湖上空を飛んでいる。だが、そこには今までのような楽しさはない。フランドールは喋らず、そして美鈴もフランドールに声をかけようとはしなかった。

 湖を抜け、門前にたどり着くと、ひょいと美鈴の肩から飛び降りて、フランドールは口を開いた。


「ありがとうメイリン。私、部屋に戻るね」

「ええ、ごゆっくり」


 振り向いたその顔は笑んでいたが、それがどこか歪んでいた。館へと駆けていく妹姫の後ろ姿を見送りながら、美鈴は右肩をすくめた。ここから先は、自分の役割ではないなと。そうして門前に立ち直ると、美鈴は己の日常を再開したのだった。






 その日の夜。レミリア・スカーレットは棺桶ではなく、ベッドに身体を預けていた。普段ならばもう寝ている時間帯である。日を跨いだことを備え付けの柱時計が鳴いて知らせる。眠らなかった理由が、ノックの後にゆっくりと扉を開いた。


「お姉様」

「いらっしゃい、フラン。どうしたのかしら?」

「あのね、一緒に寝てもいい、かな」


 明かりの無い暗闇の中で、フランドールの紅い瞳が揺れる。構わないわとレミリアが返すと、フランドールはゆったりとした足取りで、シーツの中に潜り込んだ。


「お姉様、寝てると思ってたんだ。私」

「もし私が寝ていたら、どうしたの?」

「その時は、部屋に戻ろうと思ってた。だけどよかった。お姉様が起きていてくれて」

「だって私にはわかるもの」

「本当に?」

「本当よ」


 くすくすと笑うフランドールの髪を手で梳きながら、レミリアは言葉を返す。妹の顔に母親の面影があることに気付いて、昔は自分が母の手に守られていたことを思い出した。時計の音だけが響く空間で、少女たちは会話を続ける。


「お姉様」

「なあに?」

「おじいさんのこと、これからも見に行っていいかな」


 レミリアは両の手で、フランドールの頬を包む。先程まで揺れていた赤い瞳が、今度は真っすぐにレミリアを見据えた。その目尻が少しばかり下がっている。困惑しているのだ。


「フランは、どうしてお爺さんが気になるの?」


 少し意地悪な質問だったのかもしれない。瞼を閉じてしまったフランドールは、しばらくの間ううんと唸ると、ぱっと目を見開いた。


「きっとね、私は、終わりを見てみたいんだ。ああ、いや、違う。きっと私はね、『どうやって終わっていくのか』を見てみたいんだと思うの」

「怖いのに?」

「怖い。それにね、きっと悲しくもなる。だけど、見てみたいの。私が出会ってきたみんなの中で、おじいさんが一番終わりに近いから」


 はっきりと応えながらも、困った表情は治らない。最近は起こさなくなってきているが、それは癇癪を起こしてしまった後に浮かべるばつの悪そうな表情と、とてもよく似ていた。


「きっと、こう思うのは悪いことなの。おかしいとも思うの。だってね、おじいさんがあんなことになっちゃってるのにね、悲しいんだよ。けど一緒にね、もっと見てみたいとも思っちゃうの。そんな自分も、怖いの」


 レミリアの胸に、フランドールは額をすり寄せる。きっと、今もたくさんのことを考えているのだろう。己の中にある邪悪な部分を断じているのだろう。それこそが、妖怪の本分であるはずなのに。そんな妹を抱きしめながら、その髪に、レミリアは己の顔を埋めた。


「ねえ、フラン。貴女が悲しくなったら。私がこうやって抱きしめてあげる。貴女が辛い時には、この館の皆で楽しませてあげる。貴女が怒ったならば、私が一緒に喧嘩してあげる。だから今は、貴女の思うようになさい」

「……ありがとう、お姉様」


 その言葉を最後に、レミリアたちは瞳を閉じた。








 それから、フランドールの生活は少し変わった。姉と同じように夜に寝て朝に起きる生活になり、朝は美鈴を付き添いに慧音の寺子屋で勉学に励み、寺子屋が終わると永遠亭へ足を向け、老人を見舞う。永琳の手伝いをすることもあれば、他の患者たちの見舞いに行き、時には鈴仙とともに里へ薬を売りに行くこともあった。

 老人は、今も病室のベッドで横たわっている。意識はどうやら取り戻したらしく、フランドールの呼びかけにも反応していた。文字通り、『反応』でしかなかったが。きっと、以前のように戻ることは難しいだろうと、心のどこかでフランドールは確信していた。


「今日も寒いね。おじいさんは寒くない?大丈夫?」


 はっきりとした言葉は返ってこない。ただ時々に唸り声のような音が老人の口から発せられるだけである。だが、それだけで十分だった。


「今日はね、寺子屋の皆で野球をしたの。私ホームランを打ったんだよ。すごいでしょう。あとね、最近は少しずつ漢字も教えてもらってるの。とっても難しいんだけどね、格好いいし、面白いんだよ。あ、あとね……」


 大仰に、身振り手振りを交えながら、フランドールは老人に話を聞かせる。その合間合間に、冬の風がびゅうびゅうと、激しく竹林を抜ける。その音がまるで、老人を連れ去っていくかのように感じてしまうのだ。そう思っていたから、たとえはっきりとした返事が無くとも、フランドールは日々の出来事を老人に語って聞かせた。

 それは、見るものによっては『ままごと』のように見えるかもしれない。だが、老人に語り掛けるフランドールは、できる限りの語彙と工夫を凝らして、ひたすらに毎日語り続けた。そして、美鈴や妹紅が迎えに来て永遠亭から戻ると、今度は館の住人たちにもその日の出来事を話す。そんな生活が続いたある日、フランドールがいつものように老人に語り掛けていると、珍しく病室に客人がやってきた。永遠亭の姫である、蓬莱山輝夜だった。


「カグヤ」

「こんにちは、フランドール」


 輝夜に連れられ、フランドールはとある場所へと連れられた。何処に行くのかとフランドールが尋ねると、輝夜は紅葉の間でお茶をしましょうと提案した。長い廊下を何度か曲がった先にある大きな広間。そこには、幾人もの人間たちが思い思いに冬のひと時を過ごしていた。

 永遠亭には、フランドールが見舞っている老人以外にも沢山の人間が療養、静養をしている。その大半が生活能力、見守ってくれる存在の欠如、もしくは里の医療所では管理が難しいような患者たちである。世間にその存在を明かしてから、永遠亭はそのような者たちを受け入れてきた。主である輝夜は、穢れを持つ者たちとの交流を持つという提案をあっさりと受け入れたのだ。勿論善意ばかりではないのだが、輝夜自身は楽しんでいた。

 フランドールたちがやってきたのは、その中でも比較的身体の自由が効く者たちが使う『紅葉の間』という一室だった。立つのが辛い、逆に寝ているのが辛い、といった願いを少しでも叶えるために、畳で出来ている和室部分と、フローリングにテーブルという洋室部分が一緒になっている。輝夜はテーブル席に着いている老婆に声をかけながら、腰を下ろした。


「こんにちは、キクさん」

こんにちはあ、輝夜様。フランちゃんも、こんにちは

「うん、こんにちは」

 
 輝夜にキクと呼ばれた老婆は、身体が弱く、ひどい肺炎のため永遠亭へと運ばれた。今は症状も改善し、このように自由な行動が許されている。もうすぐここを出て、里へ戻る予定になっている。


ねえ輝夜様、元気になったら、ここのみんなにおはぎを持ってきてあげますねえ

「あらあら、ありがとう。でも今はまだ外も寒いからね、もうちょっとだけ、ここでゆっくりしていってくださいな。またこじらせちゃっても、大変だもの」


 老婆とゆったり談笑する輝夜の姿は、まだ見分の浅いフランドールから見ても、非常に様になって見えた。老婆も、きっと終わりが近いものなのだろう、だが、談笑する姿は少しではあるが、生気が見て取れた。

 他の患者たちも、輝夜たちの存在に気が付くと、挨拶だったり世間話をする。それらを一つ一つ、丁寧に、輝夜は聞き、返事を返すのだった。


「はあ、ちょっとだけだと思っていたのに、お茶を飲みすぎちゃったわ。お腹ががぼがぼよ。フランドールは大丈夫?」

「うん、私は大丈夫。カグヤっていつもこういうことしているの?」

 
 こういうこと、というのは患者たちの相手をしているのかということだろう。来た時と同じように長い廊下を歩きながら、時々ね、と輝夜は返す。


「他者と交流を持つ、それはとても新鮮なことよ。どんな形でもね」

「ごめんなさい」

「んん?どうしたのかしら」

「気を遣わせちゃって」


 輝夜はくすりと笑うと、フランドールの頭を優しく撫でる。その笑みを、フランドールがどこかで見た気がした。 


「私は、私がやりたいようにやっているだけよ。私が貴女とお茶をしたいと思ったから、貴女を誘ったの。なあんにも気にする必要なんてないわ」

「そうなの?」

「そうよ。だって私、姫だもの」


 帰り際、フランドールはもう一度老人の様子を見た。フランドールがバイバイと言うと、老人は薄っすらと目を開けたが、すぐにその眼を閉じた。反応しているのはわかる。だが、先程の老婆たちと比べてしまう自分も間違いなく存在していた。何を思っているのかまでは、わからなかった。だからだろうか、フランドールは知りたくなったのだ。

 老人の意識を、そして心を。







「他人の心に潜る術、ねえ」

「うん。そういう魔術ってないかな」


 館に戻ったフランドールは、パチュリーに相談をしていた。理由を正直に話すと、日陰の魔女は小悪魔に指示を飛ばして、本を探しに行かせた。そして、フランドールに向き直ると説明を始める。


「いくつかの方法はあるけれど、もちろん可能よ。ただ、個人で行う術式は今の妹様には難しいわね」

「そうなんだ……」

「だから、お守りをあげる」


 そう言って、パチュリーが指を鳴らすと、本と実験器具の山から、何かがふわふわと浮かび上がってきた。フランドールの手に乗ったそれは、杖の柄だった。


「それと、小悪魔が持ってきた本があれば、まあ何とかなるでしょう。後は自分でどうにかしなさいな」

 小悪魔が持ってきた本を受け取ると、ありがとうと言いながら、フランドールは大図書館を後にする。その後姿を見送りながら、パチュリーは物憂げにコーヒーカップに口を付けた。はたして、少女吸血鬼が何をしようとしているのか。そして、その希望的な予想が叶うのか。動かない大図書館は、考えるのをやめた。ここから先は、フランドールが自分で解決することなのだろうから、と。


「パチュリー様、お代わり、いかがいたしますか?」

「そうね、お願い」


 どこかで、歯車が回った音がした。







 それから数日の後、フランドールは遂に老人の意識の中に潜ることを決めた。パチュリーが貸してくれた幾冊の本を、眠ることも忘れて読み続け、自身の中では完璧と思えるほどに理解した。その姿は、館の住人たちに少なからずの不安と恐怖を与えた。もし、パチュリーが説明を行わなければ、それこそ以前のように不安定になってしまったのかと、言葉を濁さずに言えば狂気に囚われてしまったのかと思わせるには充分な姿だった。

 だが、もしかしたら本当に狂気に支配されていたのかもしれないとフランドールはここ数日の自分を振り返って思う。何故、こんなことをしているのか。そこにもっともらしい理由や、小難しい理屈をつける段階は過ぎているのだ。ただ、純粋な気持ちだけがあったのだから。

 永琳にこのことを相談したとき、フランドールは何とも言えない罪悪感に襲われた。いわば実験だ。どれだけ言葉を取り繕うとも、どれだけ態度を改めようとも、一番に来ているのは欲求なのだ。そうであれば、これは実験だった。だからこそ、フランドールは余計なことは言わず、ただ淡々と永琳に告げた。告白が終わるまで永琳は言葉を挟まず、ただ、じっとフランドールの顔を見据えていた。

 怒られるだろうか、詰られるだろうか。長い沈黙の後に、永琳はフランドールの肩に手を置いた。


「本来ならば、私は患者に対しての勝手は許さないわ。けれど、いいでしょう。貴女が使うのは『魔法』なのだから。それは医術の領分とは違うところにある」


 肩が軋む。永琳の手に力がこもった。


「貴女はもう、自分を罰することが出来る。だからこそ、覚悟しなさい。それを行うことで、あの老人に何が起きても。貴女自身に何があっても」  


 痛みと共に、フランドールは自身の肩に何かが乗ったのを感じた。あの時の重みと痛みを今一度思い出すと、フランドールは指に嵌めていた指輪を外す。吸血鬼の力を封じるために、パチュリーが苦心をして拵えてくれた呪具だ。この道具がなければ、今もまだ自分は館を出ることは出来なかっただろう。今、外に出ている自分だからこそわかることだった。

 ゆっくりと深呼吸をする。背中に、ほんのりとした熱と軽い痛みが走る。服を突き破り、極彩色の羽が姿を現した。軽くそれを動かしフランドールは眼前に己の羽先を映した。

 姉とは違う、枯れ枝のような骨と極彩色の宝石でできた翼。それがまるで、未だに未熟である自分の姿のようにも見えてしまい、牙が生え戻っていることに気づかず、唇を噛んでしまった。


「私は、成長しているのかな」


 知らず、何時か日記に書いたことを呟きながら、フランドールはベッドの横にある椅子に腰を下ろすと、老人の手を両手で握りしめる。握りつぶさぬように、優しく。


「ごめんね、おじいさん」


 フランドールの身体に、光の筋が浮かび上がる。それは徐々に数と太さを増して、老人の身体にも走っていった。謝るフランドールの顔は、どこか歪んでいた。

 ゆっくりと、眠気に似た感覚が現れる。身をゆだね、フランドールの意識は老人の中に吸い込まれていった。

 喋るもののいなくなった病室。その扉が開き、鈴仙は老人の手を握りながら意識を失っているフランドールを見ると、軽くため息を吐く。


「何かあったら止めなさいって、どうすりゃいいのよ」


 フランドールが永遠亭に来るようになってから、鈴仙もフランドールと接する機会が自然、増えていた。普段色々と気苦労が絶えない生活の中で、この吸血鬼少女との交流が癒しとなっていることを、鈴仙は自覚している。一緒に笠を被り、薬を売りに出かけたこともあった。あのてゐですら、客人扱いということも勿論あるからだろうが、フランドールの前ではいい姉といった姿を演じていたのだ。

 以前に里の酒屋でフランドールの波長を覗き見た時、整っていながらも歪んでいることに気づいたが、一緒に接する機会が増えたからこそ、鈴仙はあの波長の意味が分かった。

 純粋なのだ。純粋だからこそ、整っているし、そして同時に歪んでいるのだ。


「本当、何事もなければいいんだけど」

 
 返事は、ない。

  



 

 暗い。ただひたすらに暗い中を落ちていることだけはわかった。浮遊感が止まり、そこでフランドールは、自分が老人の意識の中に潜り込んだことを思い出した。

 僅かだが、遠くに光が見える。ただそこに向かって、フランドールは歩いた。老人の意識の中にいるからだろうか、その光の先に道が続くのだと確信していた。そして、光を抜けた。

 茜空が視界に映る。その空は所々が罅割れ、そして一部は割れていた。割れた空から、鉄塔が逆さに街に突き刺さっている。別の罅割れからは、巨大な階段が街へと続いている。何かが、大量にその階段を下りている。太陽が出ていたが、不思議と体に不調は感じられない。その太陽からは、黒いものがとめどなく、滝のように街へと流れ込んでいる。フランドールはその光景をひとしきり眺めると、丘を下りて街へと歩き出した。

 老人の意識の中にいるからだろうか、フランドールは自分が歩いているのが道路であると認識することが出来た。 ビルという建物も、アンテナという単語も、電車という金属の蛇も。街は、そのほとんどが喰われていた。そんな街で、ある者は生活をし、またある者は建物を貪り、ある者は音の鳴らない楽器を吹き鳴らし、またある者は殺しあっていた。その人間すべてが真っ黒で、顔が無かった。

 太陽が照り付ける鉄橋を越え、雪の降る踏切を渡り、音のない商店街を抜けて、フランドールはひたすらに歩く。確信していた。老人がいる場所を。しばらく歩くと、アスファルトで舗装された道は次第に畦道となり、何人もの人間が刺さっている田園風景の中で蛙の鳴き声だけが鮮明に聞こえてきた。

 一軒の平屋。その門前で、少年が真っ黒な人間たちを棒切れで叩いていた。動かなくなった人間が、消えていく。何処からか、また人間が生え、空から降り立ち、ゆっくりと少年に詰め寄っている。フランドールは駆けると、顕現させた炎剣で、人間たちを切り伏せた。

 少年は無邪気な笑顔で、ありがとうと言った。そして、フランドールは確信した。この少年が、老人なのだと。

 フランドールは少年に目線を合わせるように少しかがむ。どうして闘っていたのかと、尋ねた。


あいつら、俺の宝物を狙ってくるんだ
 

 その宝物を見せてもらっていいかと続けて尋ねると、少年は元気に首肯した。庭先へと足を踏み入れる。一本の桜の木が、鮮やかに咲いていた。

 老人は、何を守っていたのだろうか。少年に招かれて、フランドールは家の中へ足を踏み入れる。廊下の先、閉まっている襖を、少年は誇らしげに開けた。


ほら、これが宝物!







 真っ黒な人間が、一人。外にいた者たちとは違い、服を着ている。割烹着に身を包んだ人間は、縁側で古いミシンを使っている。もう、動きもぎこちない。人形のような動きのそれを、少年はフランドールに紹介する。


俺の母ちゃん!

「あ、ああっ……」 

 
 もう、これだけなのだ。老人に残されたものは、たったこれだけなのだと知って、フランドールは声を漏らす。そこで気づく、父親がいないことに。震える声で、フランドールが少年に聞いた。お父さんはどうしたのかと。少年はあっけらかんと、答えた。


喰われちゃったんだ


 以前よりも、沢山の者たちと触れ合ってきた今だからこそ、フランドールには理解が出来た。これが、どれほどに悲しく、惨いことかを。残ったわずかな理性で、少年に礼を言うと、フランドールは家を飛び出した。

 外へ駆け出ると、今までの道をひたすらに走った。息を切らし、足を止める。呼吸を整えて周りを見渡すと、視線の先で、黒い山が動いていた。その山は、泣き笑いの表情を浮かべながら、街を食べ、黒い涎をだらだらと吐き出していた。


「っ、お前か……」


 泣き笑う山は、赤い涙を流しながら只々口を動かして、真っ黒な人間を、街を、そして老人の心を貪りながら泣き、黒い涎を垂れ流して笑う。

 もう、限界だった。

 視界が、赤く滲んでいく。全身に痛みが走るほどに、力がこもる。牙が折れるほどに、歯がかみ合う。フランドールの心が、ただ一つの感情に凝縮されていく。







「お前がああああぁぁぁ!!」

 
 咆哮。翼の宝石たちが火柱へと姿を変える。腕から生えた炎の刃が、怒りと比例するようにその大きさを増していく。紅の弾丸となって、フランドールは泣き笑う山へと飛び込む。街を越え、川を越え、山を越え、もはやその視界が巨大な顔のみとなった。

 その顔に刃を振り下ろそうとしたところで、山が笑うのをやめた。その顔が、老人の母だと理解し、瞬間、手が止まる。その躊躇を見透かしたかのように、巨大な顔は再び涙を流しながら、笑った。


「う……おおおぉぉっっ!!」


 炎剣が、山の額に突き刺さる。山は悲鳴をあげながら、それでも笑うことを止めない。フランドールは己の中にある全ての力を、炎剣に注ぎ込んだ。


「消えろ……消えろっ!この世界からああぁ!!」


 感情が爆発する。視界が、真っ白に染まっていく。山が吹き飛んでいくのを確認して、フランドールは意識を手放した。





 

 初めに見えたのは、少年の頃の記憶。手をつなぐ母の顔は、とても優しかった。

 次に見えたのは、思春期の記憶。畦道を、初恋の少女と笑いながら帰った。

 青年の記憶。上司の叱責に、激しい怒りを覚えた。次に映ったのもまた、上司の顔だ。その顔は先程よりも幾分更けていたが、その顔は穏やかだった。

 子の記憶。腕に抱いた赤子の顔と、微笑む妻の顔が、幸せを運んでくれた。

 悲しみの記憶。父は、母は幸せだったのだろうか。棺桶に入ったその顔を見ても、わからなかった。

 恐ろしい記憶。自分が、色々なことを忘れていることを、周りに言われた。恐怖と不安をや少しでも和らげるために、日記をつけた。

 不確かな記憶。どこを歩いているのかもわからない。ただ、誰かに会いたくて歩いていることだけは覚えていた。

 最後の記憶。金髪の少女と将棋を指した。またなにかやってしまったのだろうか、苦笑いを浮かべる少女を見ると申し訳ない気持ちになったが、感謝している。幸せだった。


「っっ……!」







「フランドール、フランドール!?しっかりして!」


 誰かに呼びかけられて、フランドールは目を覚ました。視界に鈴仙の顔が映るが、何か頭がしゃっきりとしない。しばらくフランドールがぼうとしてると、すぐ戻るわと言い残して、鈴仙は誰かを呼びに部屋を出て行った。


「おじいさん」


 老人の顔を見て、夢の内容を思い出すように、少しずつではあるが思い出してきた。老人の世界、守りたかったもの。そして、食べられてしまった思い出たち。それらを思い出して、涙があふれてきた。

 あの化け物たちも、またしばらくすれば復活するだろう。確信があった。きっと、老人の最期を貪るまで、奴らは泣き笑いながら口を開くのだろう。手を開き、老人の『目』を見る。その姿は、やはり以前に見た時よりも崩れていた。喰われているのだ。最早、原形を保つことが出来ないほどに。

 以前に里で守り人をしていた時、沢山の子供たちと触れ合った。彼らには、彼女らには、夢と希望と、可能性が溢れていた。だからこそ、守れたのだ。

 終わりがこれなのか。

 フランドールはその手を老人の眼前に掲げる。涙を流しながら、必死に作った歪んだ笑顔。自分が、今まさにあの化け物と同じ表情をして、同じことをしようとしている。


「ねえ、おじいさん。壊してあげようか?」


 今病室には、フランドールと老人だけだ。壊すことは造作もない。それこそ手を握ればいいだけの話なのだ。だが、それは同時にあの化け物たちを殺すことと同時に、老人を殺すことでもあるのだ。老人の思い出を、記憶を。

 老人はうっすらと目を開けると、フランドールの手をじいと見た。これを握れば、老人はもうこんな苦しい生活を、あんな苦しい思いをしなくて済むのだ。握る手に力がこもり、ついに指先が『目』に触れた。

 あとちょっと、ほんとうにちょっとの力を込めるだけで、老人は死ぬだろう。様々なものから解放されて。だが、フランドールはその手をそれ以上動かすことが出来なかった。残っていたのだ。自分と将棋を指してくれた記憶が。その時に感謝を感じていたことが。


「う、ううっ、うう……!」


 呻きながら、フランドールの目からはさらに涙が溢れる。その手首を、老人は優しく掴んだ。思わずフランドールが視線を向けると、老人の瞳には意思が宿っていた。


「おじい、ちゃん」

だいじょうぶだよお嬢ちゃん。そんなことはしなくていい

「だって、あいつらが来るよ。おじいちゃんのこと、たべちゃうよ」

かわりになあ、一緒に桜を見よう。うちの庭の桜はとおっても綺麗なんだ。きっと俺は忘れちまうから、お嬢ちゃん、覚えておいてくれな。頼んだわ

「……うん、うんっ」


 泣きながら笑うフランドールの顔を見て、老人の瞳から意思が抜けていく。瞼を閉じると、老人は眠り始めた。

 しばらく後に病室になだれ込んできた永琳と輝夜と鈴仙は、三者三様にフランドールを抱きしめた。優しく皆を引き離し、フランドールは濡れた頬を拭って、永琳に言った。


「エイリン、もう、しばらくここに来るのはやめようと思うの」


 こうして、フランドールと老人の一冬は終わりを告げた。







 白い世界の冬が過ぎ去り、幻想郷には再び春がやってきた。春告精を筆頭に、妖精たちが俄かに騒ぎ始める。梅の花が咲いて、そして桜の花が咲く季節になった。

 温かい太陽の光を、迷いの竹林の竹たちが程よく遮ってくれる。そんな道を、藤原の妹紅は今日も歩いていた。温かくなってきたからだろうか、どこか自分の心の中も軽くなったような気がする。そして自分と同様に春の陽気にでも中てられたのか、案内している妖怪たちを一瞥した。


「本当に似てますねえ、貴女たち」

「そうかしら、やっぱり嬉しいわね。そう言われると」

「もしかして、隠し子だったりしませんか?」

「本当、里親にでもなろうかしら。最近橙が修行ばかりで構ってくれなくてね」 

「あやや、やっぱり春ですなあ。力ある妖怪が、こんなにも日和るとは」


 妹紅に案内されている射命丸文と八雲藍の会話を聞きながら、妹紅はフランドール・スカーレットへと目を流す。今日は呪具をつけておらず、姉とお揃いの日傘を差している。そのため、彼女が今どんな表情を浮かべているか、妹紅は見ることが出来なかった。

 
「しかし、記念写真を頼んでおきながら、家族の者が来ないとはなんともまあ」

「いや、凄く来たがってたわよ。ただ、この子を認めているからでしょう」

「なるほど。確かにレミリアさんの翼、うずうずしてましたね」

「……着いたよ」


 妹紅の言葉に藍たちは視線を前に移す。永遠亭の門前では、永琳と妖怪兎たちが出迎えとして待っていた。そんな兎たちに先導されながら、永遠亭の庭先へとまわった。妹紅は退散しようと踵を返したが、永琳に半ば強引に連れられる。


「うわあ……」

 
 口を開いたフランドールの目に映ったものは、幾本もの桜。それらがそれぞれに花を咲かせている。その下で、患者たちと兎たちが、思い思いの時間を過ごしていた。輝夜の提案であった。せっかく綺麗に咲いたのだから、花見をしよう、と。

 フランドールは視線を巡らせた。そうして、一本の桜の木の下に向かって、駆けだした。その後を、藍と文が追う。そのまま立ち止まっていた妹紅に、永琳が口を開いた。


「きっとこれから先、あの老人のような症状はこの世界でも増えていくでしょう」

「そう思うか」

「避けられないわ。皮肉よね。知と経験をもって勝ち取ってきた力の先に待っているものが、それを捨てられることなのだから」

「辛いな」

「だから、私たちがいるんじゃないかしら」

「……お前も随分穢れに染まってきたな」

「だって主が自分から穢れるんだもの。私だけが、ていうわけにもいかないでしょう」

「今日は流石に野暮なことはしないさ」

「そうして頂戴。何か飲み物、いる?」


 フランドールたちの姿を見て、妹紅は久しぶりに酔いたいと思った。







 一本の桜の木の下、鈴仙が押す車椅子に、老人は座っていた。フランドールがしばらくぶりにみたその姿は、以前よりも幾分か痩せていた。視線を合わせるように、少しかがんだ。

 もう、あの時の老人はいない。だが、約束だった。

 日傘を畳む。フランドールは老人の手を、その両手で優しく包むと、意識して大きく声を出した。


「こんにちは、おじいさん」


 老人の口と瞼が僅かに開く。確かに、悲しかった。だが、嬉しくもあった。もう一度出会えたのだから。
 

「私はね、フラン。フランって言うの!」


 思えば、老人の前で笑うとき、いつも心の中には何かがあったことをフランドールは思い出していた。だが、今はない。その笑顔は、とても自然なものだった。


「ねえおじいさん、お友達になりましょう!」







 ようやく、自然に、笑えた気がした。
 

久しぶりに、自分の中では長い文章を書きました。長い文章をかける作者の方たちはやはり尊敬します。

もし、誤字脱字やご指摘などあったら、いただけると嬉しいです。

最後に、この作品を読んでくれた読者の方々に、感謝を。ありがとうございました。
モブ
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コメント



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1.80名前が無い程度の能力削除
いろいろ考えさせられるお話でした。ただ、フランが心に潜るにあたって永琳はもっと反対するような気がします
2.無評価名前が無い程度の能力削除
あなたのフランちゃんのファンになりました。
3.90名前が無い程度の能力削除
あなたのフランちゃんのファンになりました。
4.90奇声を発する程度の能力削除
良いね、面白かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
純粋だからこそ歪んでいるというのが自分にしっくり来る気がします。
面白いお話でした。