「おうい香霖、そっち行ったぞ」
危険を知らせるにしては悠長な声に目線を上げると、視界の上を白球が上がっていくのが見えた。天高く上がったそれは重力の影響を受けて、当然落下してくる。恐らく僕の傍らに。
選手でない元にボールが飛んでくるのは、たしかファウルだ。
ぼんやりと思いながら、軌道を予想する。これは動かなくても平気そうだが、一応は恐怖する。
重力がたっぷり働いたボールに当たらないよう身を傾け、草の上で跳ね返るのを見届ける。落ち着いたボールはころころと転がり、僕が背もたれにしていた木の根に引っ掛かった。
荒い縫い目が入った、けれども手に馴染む質感の球を拾い上げる。手のひらで少し転がしてから、投げ返してやる。
軽く手を挙げ感謝を示した魔理沙はツーバウンドしたボールを受け取り、次なる投球に意気込んでいるのか、肩を回しながら背を向けた。彼女をはじめとした他の選手も、疲れた様子はあまり見せない。元気な子達だ。
傍らの点数表を見ると、四の列までが数字で埋まっている。五列一行目に数字を書き終えて下の行に移行したのだから、今は五回の裏、ということになる。
持ち込んだ本はもう読み終えてしまった。
ルールブックによれば、試合はまだ折り返したばかりだ。
○ 森近霖之助
寒さが峠を越え、冬の気配が薄れてくる頃。
睦月の店内には僕の他に、馴染みの冷やかしが二人居た。どちらも外で冷えた体をストーブの前で暖めながら、片や人の家の茶を飲み、片や店の商品をいじくり回していた。
「あんたほんと冬になると雑になるわね」
ストーブの直近で茶を啜っていた巫女服の少女、霊夢が先程まで行っていた弾幕勝負について語りかける。
「今月の戦績、っていっても九割九部私が勝ってるんだけど、その内容、覚えてる?」
「ああ覚えてる。試合の総時間は、夏の半分にも満たないだろうな」
そう言って敗数と日付を淀むことなく、ストーブの反対側に立つ魔理沙が答える。
ストーブを挟んで二人が並ぶ姿は、外界の本で見た表彰台の構図に近い。霊夢の方が中心の熱源に近いのは、先程の勝者であるからだろうか。
「そうだ、霖之助さん」
霊夢が僕を呼んだので、手元から目線を上げる。
「この間頼んでおいた冬服の修繕は? いつ終わりそうかしら」
言いながら彼女が無断で店の奥へ入ってきた。大方、お茶のおかわりを注ぎに来たついでだろう。
「それならもう済んでいるよ。持って帰るかい」
「嘘、それなら早く言ってよ! さっきあんなに寒い思いをしなくて済んだじゃない」
「店に来るなり喧嘩を始めたのは君達だろうに」
奥へ行ってしまった霊夢が見えなくなったので、仕方なく捻った腰を戻し、ストーブで暖まる魔理沙を咎めるような目で見る。
当然、喧嘩といっても本気のものではない。しかし店内に入って来るなり揉めるのは、店主としては控えてもらいたい。
「そんな目で見るなよ、ストーブの火力を上げるか二台にすれば、私たちも揉めないって」
それから魔理沙は目線を外し、店の奥に居る霊夢に声を飛ばす。ていうか冬服でないなら今着てるのは何服なんだよ、と。
「秋服」
「あんまり変わらないじゃないか」
言いながら、まだ寒いとばかりに魔理沙は長袖を引っ張る。それから体を動かすことにしたのか、そこらにあった商品を手に取り軽く振り回し始めた。
「なあ香霖、私にも服を仕立ててくれよ。外の世界じゃヒートなんたらって冬服が出回ってるんだろ。知ってるんだぜ」
以前にもこの話が持ち上がったことはある。が、その際は簡単な完成図を見せた際に「可愛くない」の一声で一蹴された。熱効率と外観のバランスに悩む、気難しい年頃らしい。
「それより魔理沙。ここは店内で、それは仮にも商品だ。寒さで苛立つのは分からなくもないが、振り回すのはやめてくれ」
仮にも、なんだな。と魔理沙が揚げ足を取る。
「とうとう高級な薪も売るようになったか。よく燃えそうで、埃を被せておくには惜しいぜ」
「残念ながらそれは薪じゃない。“バット”と言い、“野球という競技に用いられる”道具だ」
照明にかざして表面を撫でる魔理沙に、僕の鑑定結果を伝える。薪ではなく、バットという商品だと。
「競技の道具、か。といっても振る以外、使い道は無さそうだが」
「大方合っていると思うよ。こちらも同じく、野球に用いられる道具だ」
今度はカウンターに飾りとして置いてあった革製の球を、魔理沙に投げてやる。
左手と胸元で受け取った彼女は、革を繋ぎ合わせた縫い目を指で辿る。
「大まかに言えば、その“硬式ボール”をバットで打ち返す競技だ」
「撃ち返しか。往生際が悪くて好きじゃないな」
「打った先によって双六のように進み、一巡すれば加点。互いの総得点を競うゲームだ」
魔理沙が話を聞き流しながら、木刀の様にバットを軽く振る。先程は薪とも呼ばれた代物だが長さ堅さはちゃんとしたもので、少女の細手でも十分な打撃力を生み出す。
壁やランプに引っかけないか心配していると、話の途中で彼女の奥から響く音が鳴ったのだから驚いた。
一瞬、魔理沙がどこかを叩いたのかと思ったが、そうではないようだ。客の来店を知らせる鈴が揺れたのだ。
「ごめんください」
間延びした声が、バットを下ろした魔理沙の後ろから聞こえた。身を傾けて彼女を避け、「いらっしゃい」と挨拶をしてやる。魔理沙は顔見知りなのか、「よう、早苗」と気軽に挨拶を交わした。
少女の姿を観察する。緑の髪に白い巫女装束。加えて防寒のためか、外来の厚手のケープを纏っている。彼女は挨拶が済むと、同じく魔理沙を躱わすように身を傾けて、僕の方を心配そうに覗き込んだ。
「香霖堂さん、今ってお店やってますか?」
奇妙な質問だった。店の中に店主が居て、日中であれば、開店中だと思うのが普通だ。
眉を潜めながら肯定してやると、彼女はほっとしたように破顔して手を合わせた。
「よかった。魔理沙さんが強盗に入ってるのかと思って。買い物、出直そうか考えちゃいました」
成る程。
店主の前でバットを床に立てて仁王立ちする姿は、客にも、冷やかしにも見られなかったようだ。
これを期に手放させようと、僕は片肘をついて、バットを元に戻すよう指さす。
魔理沙はといえば、ばつが悪そうに、来客に見えないよう小さく下唇を出した。
● 東風谷早苗
私の探し物はたぶん、ここに含まれるはず。
埃をたてないよう気を使いながら、篭の中を探っていく。
簡素な篭には『カラクリ部品、特売中』の札が貼り付けられ、それもずいぶん古い知らせなのか、粘着力は無くなり篭の網目に無理矢理ねじ込まれている。
期限は書いていないが、いつからいつまでがセールなんだろう。
考えながら捜索していると、紙とプラスチックで留められた容器に指が触れる。
「あったあった」
篭の中から目的の品を見つけ出し、裏返して確認する。型番を見ても全く分からないが、大きさは確かに合っているはずだ。
「これくださいな」
カウンターに置くと、店主さんが手元の冊子から目線を上げた。眼鏡を直しつつ、商品を手に取る。
「ボタン電池か。確かに対応する機械がないから、里には出回ってない代物だね」
「やっぱりそうでしたか。河童さんには骨董品扱いされるし、香霖堂さんを思い出して良かったです」
「たしか山の巫女の、えっと」
「東風谷早苗です」
「そうか。魔理沙の紹介かい?」
「はい。その、需要のないものは香霖堂に行けば大抵ある、と聞きまして」
店主さんは首を回して情報源を睨もうとするが、魔理沙さんは奥の品物を覗いて回避する。すぐに、諦めたように息を吐いてこちらに向き直る。
お会計を終え、購入した商品を店主さんから受け取る。そこでふと、入店した際に魔理沙さんがバットを構えていたことを思い出した。
「ところで、魔理沙さんは野球、お嫌いなんですか?」
構える、といってもその顔はどちらかといえば不機嫌そうで、決して慣れ親しんだ道具を手にした様子ではなかった。
私の問いかけに魔理沙さんは、店主さんがもう諦めているのを確認してから、こちらに姿を現した。
「いや、さっきまで外にいて寒かったからな。むしろ野球に関しては、ルールを聞いただけだが、興味を持っている方だ」
へえ、意外です。
私の言葉に、撃ち返しをする側というのは滅多にないからな。と笑顔を見せる。
「でも野球は一人じゃできませんよ。二チーム必要ですから、結構人数が必要なはずです」
本当か。と魔理沙さんが驚く隣。なぜか店主さんも少し驚いて、手元の紙をめくり始める。
「一チーム、何人必要なんだ」
「ええと、十一だっけ、九だっけ? ちょっと待ってください」
過去の記憶を頼りに、指折り数えてみる。
まずピッチャー、キャッチャー。一塁、二塁、三塁に一人ずつ。外野に何人か、二人だっけ三人だっけ? センターって聞いたことあるから、三人かな。
ここまでで一度空の球場を想像して、挙げた一人一人を配置してみる。
一、二、五、八人。他にどこか空いてる場所はないか。
ない、はず。
「たぶん、八人です。それが二チームで、十六人」
「十六人かー。結構多いな、ちょっとした宴会会場にできるぞ」
腕を組みながら、魔理沙さんは何かを考えている。
「もしかして、やる気なんですか」
「もしかしなくても、私はやる気だ」
返事はすぐに返ってきた。
目新しい遊びと、酒の席には足が早い。
私が気づいた、幻想郷の人たちの共通点だ。
「二チームなんだろう。ちょうどいい、私チームと霊夢チームでやってみようじゃないか」
「それって、私も数に入ってるんですか」
「当然」
人数集めも手伝ってもらうからな。と当たり前のように告げられてしまう。
野球自体は、ルールは何となく知っているものの、自分でやった経験は無い。しかし興味がないわけではないし、集団遊びが好きなのは私も同じ。断る理由はない。
「参加者集めは、私たちで全員分やるぞ」
「あれ、霊夢さんと分けるんじゃないんですか?」
自分のチームというのだから、自ら集めた面々同士で試合をするのかと思った。
しかし、「分かってないなあ」と首を振られてしまう。
「霊夢が遊びのために、わざわざ自分の人員集めをすると思うか?」
なるほどと、納得した。霊夢さんが暇潰しのために赴くことはあっても、人を規定人数集めに回るのは、想像しづらい。
加えてこの様子だと、次に魔理沙さんが会ったときに、急に話を持ちかけるのだろう。
「人数の他に、必要なものはあるのか」
メモでも取りそうな勢いで、次に用意するものを訊ねてくる。どうやら本当にやる気のようだ。
「場所は、どこでやるんです?」
「神社じゃ無理か」
「広さが足りない気がしますし、第一霊夢さんが許さなさそうです」
私の住む神社を指されたのかもしれないが、そんなに広くはないし、強行されても困る。然り気無く候補から外しておこう。
私の想像する大きさを、大まかに説明する。キャッチボールが余裕をもってできる距離。それを囲うように、だいたい正方形で塁。それより外に、外野がつく。
「確かに神社じゃ用意できない広さだな。だったら、無縁塚あたりか」
「無縁塚、ですか」
「そうだ。あんまり用は無いが、その分広さはあるぞ。あとはこいつの、仕入れ先でもある」
言いながら、魔理沙さんは親指で店主さんを指す。
店主さんは自分が呼ばれたのかと思い目線を上げたが、そうでないと分かると目線を手元に戻した。
「後は、グローブでしょうか」
「ああ、素手じゃ辛いからか」
「そうですね。最低でも一つは欲しいです」
「グローブなら、そこの箱の中にいくつかあったよ」
若干うわのそら、といった声にそちらを見ると、店主さんが目線を落としたまま、指で店の角をさしていた。
「値段は時価だが、魔理沙に持ち逃げされるよりはいい。特別に安く譲ろう」
「早苗が来たときだけちゃんとセールスするのは、ずるいぜ」
君は勝手に見つけて、勝手にツケで買い物していくからね。と店主さんは怯まない。
魔理沙さんが何か言い返すのか口を開きかけたとき、居間へ繋がるであろう戸口から、霊夢さんが顔を出した。
「おうい、魔理沙。ちょっと」
それから私に気づいて、「あれ早苗じゃん」と溢した。
霊夢さんはいつもの巫女服だったが、少し小綺麗に見える。服を仕立てたばかりなのだろうか。
「遅かったな霊夢。採寸が違ったのか、十二単でも用意してもらってたのか?」
「サイズはばっちりよ、さすが霖之助さん。遅れたのは、ちょっとお昼ご飯作っててね。あんたの分もあるわよ」
店主さんが上機嫌な表情を見せたのは、霊夢さんが親指を立てた前半だけだった。後半については当然、眉を潜める。ここの家主は霊夢さんではないのだから。
「霊夢、また君は勝手に」
「いいじゃない。霖之助さん少食なんだし。早苗も食べてく?」
「あ、折角なら食べてみたい、んですけど……」
「なら決まりだな。香霖に気は使わなくていいぜ、使った分の食材は今度買い戻してやるから」
ずるずる引きずり込まれる私を止めることはなく、店主さんは「勝手にしてくれ」と顔の横で手を振った。家主さんには申し訳なく思うが、滅多にない機会なのでご馳走になることにした。
食事中、先程の野球の話を魔理沙さんが持ちかけた。
霊夢さんは予想通り、人探しはパスするという条件付きで、対戦を許諾した。
○ 森近霖之助
「霖之助さん、来たの?」
意外そうな声に振り返ると、霊夢が到着したところだった。比較的暖かい今日に限ってコートを羽織ってきたのかと思ったが、二の腕についたそれは、茶髪の少女が一人まとわり付いているだけだった。
その少女を半ば引きずるようにして、僕のとなりに並ぶ。
無縁塚の原には、既に魔理沙や東風谷早苗の連れてきた人妖が集まっていた。
「無縁塚の漂流物たちを人質に取られては、従わざるを得ない」
後日、消費した米や卵を納品に来た魔理沙は、僕も当日の無縁塚に集合するよう伝えた。さもなくば無縁塚の物を全て回収し、高値で売り付けてやる。といった趣旨の脅し付きで。
まず、売り物がなくなることを恐れてここを訪れているのではないと断言しよう。僕は外の世界から流れ着いた道具たちが、彼女のようながさつな者の手に渡るのが我慢ならないからこそ、今回は要求を飲むことにしたのだと。
そんな僕の話を聞いているのかいないのか、霊夢は集められた参加者の数を数え始めた。
「ひい、ふう、みい……。思ってたよりちゃんと集まってるのね」
「とりあえずグローブは足りていそうだね」
魔理沙は事前に受けた早苗の説明をもとに、大まかなルールを参加者に話している。その手につけた革製のグローブは、確かに香霖堂のものだ。
本当は値引きで済ますつもりだったのだが、霊夢の作った昼食の味が良かったためレシピと交換となった。つまり、味付けを教えて貰った代わりに、グローブを譲った。
「感謝こそされても、脅されるようなことはしていない筈なんだが」
「あら、それならあの後礼を言われたわよ。霊夢のおかげでツケを増やさず済んだ、って」
「どうして僕に礼は無いんだ」
僕のぼやきに被さるように、霊夢の連れてきた鬼の少女が退屈そうに声を上げた。
「宴会やるって聞いてきたのに、あの面子はなんだ?」
「先に競技をやるのよ。どうせ後でやるだろうから、それまで我慢なさい」
魔理沙がこちらに気づいた。
「来たな宿敵。おお、霊夢が連れてきたのは萃香か」
輪に近づく霊夢につられて、僕も後から移動する。
「ほんとに集まったのね。これで全員?」
「ああ、こんなもんだ。中々の精鋭だろう」
暇そうな精鋭ね。と霊夢の辛烈な言葉が飛ぶ。
魔理沙は気に止めた様子もなく続ける。
「まず私達が見つけてきたのは、咲夜と妖夢」
そう言って、向こうでキャッチボールをしていたメイド服と、こちらへ向かってくる少女を指す。どちらも香霖堂で見たことのある顔だ。
「私が咲夜に声をかけて、早苗が妖夢と会ったときに話してな。咲夜は万能だし妖夢は足速いしで、十分な戦力だろ」
果たしてどこからメイドは万能という発想が出るのだろうか。是非聞いて見たかったのだが、僕が訊ねるより先に、当の本人が急に現れて詰問した。
どんな手を使ったのか、こちらに向かっていた妖夢よりも先に魔理沙に並んでいた。
「それで」
まばたきの合間に、咲夜の姿だけが消える。
「こちらがそのルールブックかしら」
背後から続いた声に振り向くと、僕が持参を命じられた書をめくる咲夜が居た。
今の間に掠め取られたらしい。
「お前な、確かに時間を止められるのは便利だろうけど、そうやってつまらない事にばかり使うのが目立つぜ」
「あなたの炉ほどではないわ」
咲夜は聞き流し、書を僕の手に戻してから、早苗と話した。
「とりあえず、ルールはさっき聞いたのと同じみたい。あなたの記憶してる物で間違いないわ」
早苗はほっと胸を撫で下ろす。それから、霊夢と萃香には後でルールを説明すると伝える。
「あと私が捕まえてきたのはだな」
「捕まえたって、虫じゃないのよ!」
ああ妖精だな。と魔理沙はあしらい、背後を親指でさした。
「チルノにサニーミルク、スターサファイア、ルナチャイルド。あとは近くにいた、ミスティアも連れて来た」
見覚えのある妖精もいた。確かに妖精は集団で行動することが多く、数合わせを考えると適切に思える。
皆やる気に満ちた表情をしているが、唯一、ひとくくりにされた妖怪のミスティアは少し不服そうだ。
「あ、先に言っとくけど、私こいつら三人組と喧嘩中だから! 同じチームにはならないわよ!」
「こっちだって願い下げよ! あんたが味方なら背後から何されるか分かったもんじゃないわ!」
氷精チルノが歯を見せながら威嚇混じりに主張する。三人組のリーダー格らしき妖精、サニーが売り言葉に買い言葉を返す。
「チルノの方が知れてるのは認めるけど、私は妖精じゃないのよねえ」
「人数的にも、お前はチルノと同じチームに分けるから。お守りを頼むぜ」
抗議を続ける夜雀をよそに、魔理沙は早苗へと向き直る。
「で、早苗が連れてきたのが野良神」
「はい。人里人気の高い神様お二人です」
道を開けるようにして、金髪の二人を紹介する。野良との紹介だったが神様相手だからか、霊夢は親しげだ。
「静葉に穣子。久しぶりじゃんあんたたち、いま暇なの?」
穣子と呼ばれた方が、帽子をかぶり直しながら頬をかく。
「まあそろそろ植え付けの時期っちゃ時期なんだけど」
「その準備運動よ、準備運動」
もう一人の静葉という方は、肩を回しながらやる気を見せる。なにか鬱憤でも溜まっていたのだろうか。
まあ秋姉妹は同じチームでいいだろう。と魔理沙がまとめる。
続いて早苗の背後から、もう一人出てきた。
「それとばったり会った、小さい憑喪神を」
「あー、なんだ、そいつは神様に含んでいいのか」
短髪に下駄姿。身の丈ほどある傘を握る様は、新聞で見覚えがあった。
「霊夢的にはどうなんだ、小傘の所属は」
そうだ思い出した。多々良小傘といったか。
「そもそも憑喪神程度、大差ないのよね。大事にされれば神様、捨てられれば妖怪」
霊夢は頭をかきながら、ざっと鑑定する。
「惰性で生きてる妖怪じゃないし。需要があって信仰されれば、呼び名も変化するんじゃないの」
「本当に? 昇格? わちき誉められた!」
「はいはい、わちき誉めたわちき誉めた」
あやすように流した霊夢が、こちらへ向き直った。
「ところで霖之助さんは参加するの? あまり乗り気じゃなさそうだけれど」
僕が口を開くより先に、魔理沙が説明した。
「香霖には一応、奇数だったときのために来てもらった、って感じだ。私たちで偶数人になったから、参加はしないかな」
無縁塚の安全を守るために来た僕としては、参加しないことに不満はなかった。
霊夢が指折りながら、名前を挙げて人数を数え始める。
私、魔理沙、早苗、萃香、咲夜、妖夢、チルノ、ミスティア。妖精三匹、静葉、穣子、小傘。
「十四人ね」
「七、七だな。これだけいれば守備もできるだろう」
それから閃いたというように、指を立てた。
「監督やってくれよ、監督。チームに的確な指示をする監督。格好良いだろう」
「監督って、どっちのだ」
魔理沙は考えていなかったのか、暫し停止して思考する。
「両方。あと審判もだ」
「あ、魔理沙さん、あまり動かないキャッチャーやってもらえばいいんじゃないですか? そうすると外野が三人にできます」
「どうして仕事量が増えているんだ」
お役目御免と高をくくっていた僕からすれば、これほど迷惑なことはない。なんとか逃れようとする。
しかし試合を急かす、主に萃香の声に押され、キャッチャー役のみを試験的に行うことを了承した。
恐らく、両チーム全員が出番のあるシーンは無いだろう。納得する程度に職務を全うしてからは、適当に押し付ければ良い。
「よし、じゃあみんな揃ったしチーム分けるぞ」
人間、現人神、人間、鬼、人間、半霊。妖精、妖精、妖精、妖精、夜雀、秋神、秋神、唐笠妖怪。
実に三種三様な面子が揃った。よくもここまでばらけた面々を集められるものだと感心する。
多少のいざこざはあったものの、話し合いの末に戦力比を考えたチームが決定した。
それから打つ順番は毎回固定しなければならないので、各チームで話し合うことになった。守備位置については、チーム内で適当に決めるように、と魔理沙から大雑把な指示があった。
「よし、打順が決まったぞ。順に言うから、香霖メモしてくれ」
多少の不満は見せたものの、こういう事態は想定していた。持ち込んだ用紙に、各チームの順番を書き留める。
両チーム七人。その打順は、以下のようになった。
魔理沙チーム 魔理沙 早苗 妖夢 サニー ルナ スター 小傘
霊夢チーム 霊夢 ミスティア 萃香 チルノ 咲夜 穣子 静葉
★ 一回表 霧雨魔理沙
「よっしゃ、かかってこーい!」
声を上げて、向こうに立つ霊夢に向けて闘志を見せてみる。素振りは十分。いきなり打ち返してやる。
魔理沙さん頑張れだとか、こっちには飛ばすなだとか。自分のチームからまばらに声援が飛んでくる。不思議な感じだ。
「ちょっと、試し投げしてもいい?」
「なんだ、霊夢はちゃんと練習してなかったのか」
「あんたがいきなり始めたんでしょう」
そういえばそうだったかもしれない。とりあえず、了承する。
私の後ろ、キャッチャーの位置から、香霖の不安げな声がする。
「魔理沙、変に振ったりするなよ。跳ねて僕に当たったら大惨事だ」
分かってるって。と返し、バットを逆さに立てて霊夢の投げる球を見送る。
少し山なりでも、しっかりキャッチャーの手元まで到達する。
どうせ霊夢のことだから、すぐに慣れて速度が上がってくるだろう。慣れないうちに打ち返しておきたい。
考えながら目線を落とした靴には、ベースの目印をつけるために地面を擦った汚れがあった。靴同士を擦らせて土が落ちないかともぞもぞしていると、霊夢の奥から声が聞こえた。
「さあ、背後はあたいに任せて存分に投げなさい!」
チルノの声だ。
香霖から帰ってきた球を受け取りながら、霊夢が振り返る。
「私の真後ろ守ってどうすんのよ。どっちかにずれなさい。そっちの方が球拾えるでしょう」
「そっか、賢いわね!」
それじゃあと、チルノが大股二歩ほど一塁側に動く。ここで初めて、守備側の配置を見た。
投げるのは霊夢。一塁から順に、萃香、チルノ、咲夜。外野は右手から、順に静葉、ミスティア、穣子、か。
結構バランスは良さそうだ。自分のチーム分けに惚れ惚れしながら、声をかける。
「そんなに姿を出して良いのか、チルノ。頭狙い打って被弾させてやるぜ」
「選手の居ないところを狙ってくださいよう」
背後から早苗の指摘が飛んでくる。冗談だよ冗談。
狙えるなら三塁側を狙いたいが、咲夜は自己判断で少し二塁側に詰めている。さすがだな。
「魔理沙、もういいわよ」
霊夢の声に、バットを上げる。早苗に聞いたようにして、肩に担いで構える。
「よっしゃ来い」
呟いて、息を吐く。
一間置いて、球が飛んでくる。
振りかぶった霊夢が投げた球はさっきより真っ直ぐになっていて、少し驚いた。
「ああくそ」
咄嗟にバットを振ったが、かすった当たり方なのが感触で分かった。これでは前に飛ばない。
触ったボールはといえば、背後に高く打ち上がり、焦る観衆の中に落下した。
「こっちに飛ばさないでって言ったじゃないですか」
「故意じゃない。けど、今度から真後ろで待つのはやめたほうがいいな」
妖夢から恐る恐る返却されたボールを、霊夢に返す。
さて、今度は驚かないぞ。
キャッチャーの手元に入るよう投げるなら、検討はつけられる。高さに気を付けて振れば、大体当たるだろう。
肩にバットを構えて、土のついた靴で足元を踏ん張る。
「いくわよ」
霊夢の声で手に力を込め、ひとつ頷く。
霊夢の腕が動いて、手元からボールが現れる。体重を動かして、体をひねり始める。
「そりゃっ!」
ボールとバットが真っ向からぶつかる感覚がした。
ひねる腰に任せて、バットを振り抜く。乾いた音が鳴り、ボールが逆方向に飛んでいく。
もらったと、ガッツポーズをしてやりたかった。しかし打ち返した球は一塁と二塁の間、チルノの正面に真っ直ぐ飛んでいった。
ぱすん、と今度は革のぶつかる音がする。
ボールはチルノの額に直撃、なんてことはせず、胸の前で構えたグローブの中に収まった。
「お、お? ボール入ったよ、これどうすんのさ」
ノーバウンドで捕られたのだから、アウトだ。
いくら勢いがあっても、ぴったり捕られてしまえばだめ。そういうルールだったはずだ。
チルノの好プレーが分かると守備チームは盛り上がり、外野の穣子まで跳ねて喜んだ。
「ちぇ、正面に飛んじゃったか」
思いっきり打てば速い球は捕れないかと思ったが、案外咄嗟に捕れるようだ。それとも、妖精は単純なぶん反応が速いのだろうか。
とりあえず、次の打者である、早苗に交代する。
「魔理沙さん、一つ間違えていた事があるんです」
いったいどうしたと言うのか。交代際、早苗は手早く伝える。
「内野の人数は、本当は四人だったんです。二塁を守る人がもう一人、ショートっていうのが居たはずで、さっきのチルノさんを見て思い出しました」
なのでやっぱり、一チーム九人でした。と笑う。
「元から十六人にすら足りてなかったんだし、別に良いさ。強いて言うなら、人の欠けてる咲夜側を狙ってやれ」
「初心者にそれは、ちょっと難しい注文ですね」
そうは言ったものの、早苗は無事に塁に出塁した。
チルノの頭上を越えるようにボールを打ち返し、早苗は走り出した。ミスティアの球が到着するまでに、一塁へ到着する。
次は妖夢の番だ。早苗が置いていったバットを片手に持って、打席に入る。
「お前、刀背負ったままやるのか」
何を言うのかというような顔でこちらを見た妖夢は、今日においても、普段と同じように刀を二本携えていた。普段なら腰に構えて抜きやすくしている短刀も背中に回し、片仮名の『メ』の字のようにして背負っている。
「そこらに置いておくわけにはいきません」
「まあそうだけど」
「抜けないようにしてあるので、問題はないですし」
確かに柄や鍔の部分を紐で縛って止めており、試合中にうっかり抜ける、なんて事は無さそうだ。
しかし長物を背負っているのは物理的に邪魔そうで、走ればがしゃがしゃと音をたてる。ほとんど重りを背負っているようなもので当然不利と思われるが、妖夢はそれに関して何も思っていないらしい。
「そんなことより、これの構え方なんですけど」
バットを軽く持ち上げて、刀と干渉しないよう器用に構える。
「肩から振らないといけないんでしょうか。ここから打つなんて、不馴れな構えでできなさそうです」
確かに袈裟に切る構えは見たことあっても、横切るボールを遠くに飛ばすために立つ姿は見たことがなかった。
「別にそこは決められてるって聞いてないし、いいんじゃないか、自分のやりやすい方法で」
「なるほど。では」
そう言って妖夢は腰を落とし、体の側面にバットを構えた。
所謂、居合いの構えだ。持ち手の細い部分に鞘をイメージしているのか、右手も添えている。
「それでいくのか」
「これでいきます」
霊夢は困惑しているが、それは私も同じだ。普段の刀の使い方からして、前に飛ぶ気がしていない。
というのも、刀は引くようにして斬るもの、だったはずだ。
「一つ言うなら、球の正面から当てるんだぞ」
「真正面から」
「そう。角度の話で、垂直に当たった方が前に跳ね返せるのは分かるだろ?」
妖夢は納得したことを、うんうんと頷いて示した。
不安は残ったが、とりあえずそのまま送り出すことにする。これ以上はどうしようもない。
「それで来るのね?」
「これで来ます」
霊夢の確認に、真面目に答えて構え直す。
首をかしげてから、霊夢が投球する。
腰を捻って、前に踏み出した勢いを活かしてボールを投げる。数回目の動作で、あっという間に形にしてしまっている。
妖夢は躊躇いなく、刀でも木刀でもない、珍しい獲物を抜いた。やはり目は良いらしく、タイミングも、当たるポイントも合っていた。
その様子がスローモーションのように見えたのは、完璧だったからでも、集中が研ぎ澄まされた訳でもなかった。
「あっ」
妖夢が呻く。打った体勢のまま、暫しその場で停止していた。それから左手首を押さえてから、よろよろと走り出した。
「二塁、投げるわ」
ボールを捕った咲夜は余裕があるのを確認し、先に二塁に送球した。
チルノはボールを受け取り、塁に駆け込む前の早苗にタッチした。それから霊夢の指示を受け、一塁に投げた。
「ダブルプレー、か」
次の打席に入るべくバットを構えていたサニーに、確認するような口調になってしまう。
早苗がアウトでツーアウト目。妖夢が踏めなかったから、スリーアウト目。交代。
「つまり、どういうこと?」
「ぎりぎりお前の打席が回らず、交代だ」
サニーから抗議の声が上がる。しかし、ルールなので仕方がない。
早苗や守備側が帰ってきて、攻撃側と入れ替わる。グローブは十五個も無いため、帰ってきた面々からグローブを受け取る。
やがて妖夢が一塁側から歩いて帰ってきた。左手を押さえ、明らかに力ない。様子を聞いてみると、どうやら左手を痛めたらしい。
「思ったより、衝撃があって」
バットの先端の方で、片手で打ったに近い。加えて霊夢の球が予想以上に速かったのも原因だろう。
「何が悪かったんでしょう」
真面目に聞かれても、まず居合いの構えを正すのが先だった。だが、一言二言でなんとかなる様子ではない。
「とりあえず飛んできた球は両手で取るようにして、しばらく手を休めろ。次の打順までに考えよう」
「みょん」
妖夢の返答を肯定と捉え、自分は投球位置に着くべく肩を叩いて離れる。
背後で妖夢がもう一度小さく呻いた。
△ 一回裏 秋静葉
白球を目で追いながら、バットの快音を聞いた。
「お、霊夢さんきれいに打った」
穣子がよそ見をしながら投げたボールを、一歩後ろに下がって両手でキャッチする。
「適当に投げて頭に当てないでね」
「大丈夫、大丈夫。お姉ちゃんの番が来る前にたんこぶ引っ込むって」
私の打順は、霊夢チームの七番目。直前が穣子で、私が一番最後ということになる。
出番まで暇なので、店主さんが二球持ってきてくれていたボールを使ってキャッチボールをしている。
「ルールでは九回までやるんでしょう。長丁場なのに頭痛いなんて嫌だ、わ」
「わはは、お姉ちゃん変な投げ方」
笑われてしまったが、不慣れなものはしょうがない。不格好ながら、穣子の手に収まる。
バッターボックスから聞こえてきた軽い悲鳴に、二人して目線を送る。
「うへえ、魔理沙さん思いっきり投げた」
「ミスティアだっけ、あの子災難ね」
魔理沙に気合が入っている理由は、先頭打者に簡単に出塁された事、加えてそれが霊夢だったことだろう。
この打順を決めたのは霊夢で、打てる人と打てなさそうな人を交互に配置すれば、毎回チャンスが来るのではないか、という理由だった。
しかし結果的には打てない人に気合の入り直した魔理沙がやってくるという事で、第一の犠牲者、二番打者のミスティアをもって、チーム全員がそれを察しつつあった。
当の本人は、一塁から声を飛ばしている。
「とりあえず振りなさい。仮にも妖怪なんだから力負けすんじゃないわよ」
打席のミスティアは、当たるのはこっちの木材なんだし、とぼやいている。
私たちの居る側、三塁を守っていた早苗が、ミスティアに同情する。
「霊夢さんより球速いですからね。怖いと思います」
「魔理沙にピッチャーを勧めたのはあなたでしょうに」
妹から掛け声が聞こえたので、急いでそちらを向いてボールをキャッチする。両手のひらに、ぺちんと収まる。
三塁から一塁まで、早苗、サニー、スター。外野は手前のレフトから順に、小傘、妖夢、ルナ。
どこへ飛ばすのだろうと考えていると、魔理沙から、次投げるぞ、と声が聞こえた。ミスティアはどこか諦めたのか、振る気配を見せている。
魔理沙が投球する。
ミスティアは体をひねって、狙った場所をとりあえず振り抜こうと、バットを前に出した。
「いや、無理!」
しかし途中で怖気づき、振りかけたバットを途中で止める。
先程鳴った響く音とは違う、こつんという軽い音がした。
軽い当たり方をしたボールは内野の守備まで届かず、魔理沙と一塁の間へ転々と転がり出す。
「なんだそれ、逆に取りづらいぞ!」
魔理沙が驚きながら回収し、一応塁へ向かっていたミスティアより先に、ボールをトスして届ける。
しかしその間に、霊夢は二塁へと到着していた。
「これって、私はセーフでしょ?」
結果的にミスティアはアウトになったが、霊夢が二塁へ進むことができた。
「ミスティアさん、ナイスバント!」
敵チームであるはずの早苗が喜ぶ。それだけ生で見れて嬉しかったのだろうか。
「あれがバント」
「そうみたい」
毎度やっていては、手早く回収されて二塁一塁共にアウトになってしまう。意表を突かないとできないことなのだろう。
「次は鬼さんかあ」
私からのボールを受け取った穣子が、また試合の方を見ながらボールを放る。
酔いが覚めているのか酔っているのか、どちらか判断はつかないが、萃香はきびきびと素振りをして魔理沙の前に立った。
「今日はやけにやる気だな」
「この後の宴会、負けたチームのおごりって聞いたからね」
そんなルールだったのかと訊ねると、早苗は「初耳です」と頬をひくつかせた。
博麗神社でのんべんだらりとしている姿しか知らなかったが、やる気を出すとこうも鬼らしいのか。魔理沙との対戦ではあっけなく、一振りで遠くへ打ち返してしまった。
ルナが転がるボールを追いかけ、ツーバウンドで二塁の手に渡る頃には、萃香は頭を揺らしながらホームへ帰ってきていた。
「文句ないホームランですね」
早苗のトーンは先程より落ちている。そんなルールを知らされたら、好プレーは喜べない。
「二点かあ」
思わず私も同情するようなトーンになってしまう。
まさかこんな真面目にやる羽目になるとは、思っていなかった。
「よし穣子、行くわよ」
「行くって?」
ボールを両手でこね回して、やる気を見せてやる。
「順番が来るよう備えておくのよ。さっき出番はまだって言ったけど、全員打てば、私たちまで回ってくるのよ」
なるほど。と穣子は意地悪く笑う。
「確かに、出番が来ることを期待しとこうか」
「それって、大量得点じゃないですか」
早苗の声を背中に受けながら、ホームに帰ってきた萃香や霊夢とハイタッチする。
だが私たちの意欲も空しく、その後の打者は振るわなかった。
四番手のチルノは空振り三振。五番手の咲夜は三塁へのゴロで打ち取られ、早苗には「どうです見ましたか」というような自慢気な顔をされてしまった。
□ 四回裏 博麗霊夢
魔理沙の投げた球がグローブに収まり、小気味良い音を立てた。
バッターボックスに入っていた咲夜は振らなかったバットを下ろし、キャッチャーに判断を仰ぐ。
「今のは、ストライクかしら」
「うーん、ちょっと遠いかも。ボールかしら」
「ありゃ」
判定を伝え、魔理沙にボールを投げ返したのは、貸し出しキャッチャーの静葉。三回早々で霖之助さんが音を上げ、別のキャッチャーを必要とするようになった。防御側からはこれ以上人数を割けないので、キャッチャーと審判に関しては攻撃側が一人貸し出すルールを定めた。
もちろん公平な判断をする前提で、である。
「咲夜ボール球振らないんだもんなあ」
一回裏の萃香のホームラン。あれが気つけになったのか、以来魔理沙は好投を見せている。
ぎりぎり打てないような場所へわざと投げる、早苗曰く“ボール球”を投げるようになり、空振りやゴロを増やしていた。効果の証拠に、二点をとった初回以降、私たちのチームに加点はない。逆に三回の表にヒットが重なり、二点を取り返されていた。
問題の萃香に対しては、ボール球を大きめに投げ空振りを誘う。つまり、どんなボールでもとりあえず当てようと振る、萃香の弱点に気が付いた。
一応次の打席では言ってはみるが、果たして萃香はボールを選んで振るようになるだろうか。
ぼんやりと考えていると、咲夜が投球を打った音がした。
「ひゃあ、目の前で打たれると覚悟しててもびっくりするわ」
静葉の恐怖をよそに、咲夜はそこそこ力を抜いて走った。
ボールはセンターへ飛び、妖夢の返球が到着するまでに、悠々と一塁へ到着した。
「咲夜のヒット、と」
穣子が手元のメモを取り、足元に書いたカウントを靴底で消す。
この後は穣子、静葉を挟んで、一番の私に戻る。
「よっしゃ、次は私ね!」
「頑張れ穣子」
穣子は振りが大きく、先の打席でもフルスイングを見せていた。あえなくピッチャーフライだったが、今度はどうなるか。
「仲良しだからって判定甘いとか嫌だぜ。まあ大丈夫だと思うが」
サニーを経由して、ボールを受け取った魔理沙が向き直る。
「なにおう、打てば判定なんて関係無いわよ」
「言ったな」
大見得を切った穣子だったが、結局は初球を高々と打ち上げた。
それもほとんど進まず、打球は自分の真上あたり。
ピッチャーが取りに来るほどでないボールならば当然。
「はいアウト」
キャッチャーの静葉が捕球する。念を押して、立ち尽くす穣子にボールを握ったグローブでタッチする。
穣子は小さく、ハイ、と返事をした。
「次は、そっか私か。穣子これ、よろしくね」
もう一度返事をして、穣子がグローブを受け取る。
代わりに静葉がバットを受け取り、腰を伸ばしてから一度素振りをした。
「フェアプレーに免じて、甘めの球でよろしく」
「言わなければ投げてやったのに」
「あら残念」
魔理沙の性格が分かっているのか、静葉はあまり本気にはしていない。
「新キャッチャー、準備できたわよ」
「よし、ちゃんと捕れよ?」
身をひねって、勢いをつけて投球する。投げる魔理沙の姿が、だんだん様になってきている。
毎回早苗にもらっているアドバイスがためになっているのだろうか。
「ストライク」
「よしよし」
静葉は一球目を見逃した。
その後二球目を空振りして、三球目をバットに当てた。
「打ったか」
「げ」
快音とまでは行かないが、外野まで飛ぶ球だった。
打った瞬間、魔理沙に続いてキャッチャーからも都合の悪そうな声が聞こえた気がするが、静葉は指摘することなく塁を目指して駆け出す。
きれいな当たり方をしたのか、打球は外野まで飛んで行く。レフトの小傘が、落下点に駆け寄る。
「おーらいおーらい!」
片目をつむりながら、落ち着いてボールをキャッチする。それから一塁から駆け出した咲夜を見て、慌てて二塁へ投げる。
しっかり捕れたものの肩はあまり良くないようで、バウンドした球が到着する頃には咲夜は塁を踏んでいた。
小傘の反応が遅れたのはあるが、咲夜も意外と健脚なようだ。
「ごめん、次はすぐ投げ返すわ」
「ごめんなさい、捕られちゃった」
各々反省しながら、元の位置へ帰る。静葉は穣子の後ろを通る際、アウトにはなったがランナーを進めたことを誇り、続くキャッチャーの職務を押し付けた。
静葉の倒したバットを拾い上げ、柄の先に付いた土を手で払う。
「さ、真打登場よ」
お祓い棒より遥かに太い持ち手を握り直し、普段のように突き付けてみる。
「様になってるから怖いぜ」
「すっぽ抜けないのを祈りなさい」
「人員欠けで敗退は嫌だなあ」
魔理沙はすでに手慣れた様子で、ボールをグローブとの間で遊ばせる。
どこを狙おうかしら。咲夜が二塁に居るから、三塁に飛ばしてもダメなのよね。
三塁は無いとして、あちこちの顔ぶれを見てみる。二塁を守るサニーが一塁側に寄ってるのが嫌らしいなあ。
「さ、いつでもいいわよ」
考えてから、バットを構える。それから足元も踏み直す。
魔理沙の投球は、打席に立ってみるとより力強く感じた。筋力とかよりも、体力が十分なのだろうか。
一球目は、普通に空振りした。傍から見ていた印象に左右されて、少し振り遅れた。
「よしよしあと二球」
「言ってなさい」
少なくともあと二球は耐えてやろうと、三球目をファウルにしてやった。
続く四球目は、直前より遅かったために当てれると直感した。
「ここ!」
意識して振ると案外上手く行くもので、打球はライト前に飛んで行った。
一塁と二塁の頭上を越えてバウンドしたため、ライトが前に出て捕る。
守備しているのは、ルナチャイルド。バウンド先へ向かおうとするが、途中で足を引っかけて前から転ぶ。
「あっ、こいつ狙いやがったな!」
魔理沙の声を背後に、一塁へ向かう。
センターの妖夢がフォローに寄り、代わりにボールを拾う。一塁に到着したが、二塁は向かえなさそうだ。
今からボールを投げても、咲夜がホームに帰るのが先だろう。妖夢もそれが分かったのか、念のため二塁に投げるだけにした。
「霊夢さすが、容赦ないわ」
「霊夢よくやったわ!」
咲夜やチルノから声援が飛ぶ。味方からの声なのに、素直にほめられている気がしない。
そういえば、ルナチャイルドが転ぶのは二回目かもしれない。確かセンターに上がった球を一緒に追いかけて、一人で足をもつれさせていた。
「タイムタイム。ちょっと作戦会議だ」
魔理沙の挙げた手に、バッターボックスに入ろうとしていたミスティアが立ち止まる。
「とりあえず、三人組の転ぶ方、外野はやめておこう」
交替先を探して、各選手の顔を見る。
「よし、一塁と交替。いいな、スター」
「はーい」
私の隣に居たスターサファイアが応える。
ルナチャイルドを手招いて呼び寄せてから、小さな声で私に報告する。
「ここってほとんどボールを受け取るだけだから、楽で気に入ってたんですけどね」
四回で去るのは惜しいなあ。と溢しながら、軽く息の上がっているルナチャイルドと交替していった。うちのチームの一塁は誰だっけと考えたが、すぐに萃香だったと思い当たった。走らせるのも不安だし、てんで違う方向にボールを投げられても困る。受け取るだけの一塁に置いたのは、結果的に間違っていなかった。
「スター、いま、なんて言ってた?」
適当に、服の心配をしていると伝えておいた。
素直に信じたルナチャイルドは膝に手を当て、手早く呼吸を整え始めた。それを見たのか見ていないのか、魔理沙は即、試合を再開する。
ミスティアがこちらを伺いながら、そろそろと打席に入る。
これで三回目の打席だが、もう魔理沙の球には怖気づかなくなっていた。自分に当たるものでないと分かれば、案外平気なのかもしれない。
「霊夢さん、こっち来たら、代わりに捕って」
「いや、さすがにそれはできないわ。見逃して、入れ替わったあいつを信じなさい」
幾ら慣れ始めとはいえ、そんなにしっかり返せるとは思えない。一塁へ真っすぐは飛んでこないだろうし、急いで反応して取る場所は、体力が整っていても転んで捕れないだろう。よって打つまでは、回復に専念させてやろう。
そう考えていると、案の定、ミスティアはフライを打ち上げた。
「あ、こっちに来たわよ。上から」
「やあ! なんで落ちてくるのよ!」
ルナチャイルドの悲痛な叫びを置いて、二塁へ走り出す。
振り返ると、ミスティアの打った球は高々と上がり、一塁のほぼ真上へ、動かなくても捕れそうな場所へ飛んでいた。
さすがにあれは捕られたでしょう。
フライアウトで交代だろうなと見当をつけ、二塁までを流して走った。
▲ 六回表 スターサファイア
振ったバットに感触は無く、行き過ぎた重みで体がふらついた。バランスを崩して足を踊らせる。
「はい、スター三振」
キャッチャーのスターがアウトを宣告し、諦めて打席を離れる。
これで六回の表、ワンアウト目。
「お前の仇は私が取ってやるぞ」
「その前に小傘ちゃんですけどね」
出迎えてくれた魔理沙さんに困り笑いしつつ、小傘にバットを受け渡した。
それから、代わりに普段抱えている紫色の唐笠を預かる。抱えながらプレーはできないし、放置しておくのも寂しいということで、直前の私か、守備の時は余った攻撃チームが預かることになっている。
「いつも悪いね」
片手で渡したバットに比べて、唐笠は両手で受け取めるように持つ。いくらか自立して動いてくれるとはいえ、重みはある。
傘を開いて、胸元に抱え直す。
「いいんですよ。日傘代わりになってくれるから」
わちきら雨傘なんだけどなあ。と小傘が眉を下げる。心なしか、抱えた紫傘も傾いた気がする。
小傘を見送って、自分の番に向けて腕を伸ばす魔理沙さんがふとつぶやく。
「そういえば、香霖に持っててもらえばいいじゃないか。あいつ、もう向こうで暇してるぞ」
「そう言ったんですけど、駄目なんですって。いじくり回されそうとか、置き引きされそうとか」
「ま、自分の分身なわけだしな。商品にしても売れるかどうかは微妙なところだが」
そんなこと言うと、この傘は機嫌損ねちゃいます。ほら、暴れまわって日傘にしづらい。
それともこの傘は暴れたのではなくて、もう一人の活躍に高ぶっただけなのだろうか。小傘の打った打球をチルノがトンネルし、気を抜いていたミスティアが慌てて駆け寄る構図となった。
「よし、ヒットで出塁。ここから大本命だ」
一番の魔理沙さんが腕まくりをし、打席に向かう。
気配が一つ、このあたりを離れた。見てみると、香霖堂の店主がふらりと歩き出している。暇に耐えられなくなって、物探しに行ったのだろうか。
気を取られていると、魔理沙さんの打ったシーンを見逃した。
快音がして、ガッツポーズをしているという事は、良い打球だったのだろう。奥で小傘がてこてこと走っている。
「どうだ、今の凄かっただろ」
「ごめんなさい、ちょうどよそ見してたわ」
少し残念そうにしたが、すぐに「早く走らないと」とサニーが急かした。本来なら柵で仕切られているらしいのだが、ここには無い。ずっと喋っていては、ホームランになるかは分からない。
魔理沙さんが走り出し、代わりに小傘とルナがやってきた。小傘は靴跡で描いたホームを踏みつけ喜び、ルナはメモとペンを片手におろおろしていた。
「店主さんが、私に押し付けてどっか行っちゃった。いま点入った?」
「一点。でもまだ入るか分からないから、正の字にできるようにしておいてね」
今の一点で、三点目。三対三で、追いついた状況だ。
見ると、魔理沙さんは二塁で止まっていた。急いでも一周はできなかったろうが、三塁までは行けたかもしれない。
小傘が打席に入る早苗さんとハイタッチをし、その流れで私やルナとも手を合わせる。ルナは危うく、ペンで手のひらを刺しそうになった。
「交代交代。選手交代」
早苗さんが打席から、すぐに戻ってきた。何かと思えば、霊夢さんが宣言している。
腕が疲れたのか、肩を回して三塁へ歩く。少し話をした後、咲夜さんがボールを貰って真ん中に出てきた。
彼女とピッチャーを交代するらしい。
試し投げと宣言してから、何回かボールを投げる。
一回の霊夢さんほどではないが、ちゃんとキャッチャーの手元に届いているし、何より霊夢さんはもうやる気が明らかに下がっている。六回で折り返しだから、ちょうどいいのかもしれない。
試合は、比較的早く再開した。
「当たらないよう投げるのも難しいのね」
咲夜さんはそう言っていたが、早苗さんはなかなか打てずにいた。
一球目ストライク、二球目ボール、三球目ボール、四球目ファウル、五球目ボール。
前の回で、早苗さんが言っていた状況だ。ツーストライク、スリーボール。
「勝負球、ってやつが来たりするんですか」
早苗さんは状況を楽しんでいるようで、次の球を待ってワクワクしていた。
一方の咲夜さんはといえば、何かを思い出したように首を傾げていた。
「それじゃあ、奥の手を」
「本当にあるんですね、いつでもどうぞ!」
奥の手と言われて、一番怖がっていたのはサニーだった。どんな速い球が来るのだろうと、気が気でない。
何故かルナも怖がっているし、私も念のため一歩下がっておいた。
霊夢さんと魔理沙さんの動きを見よう見まねで、咲夜さんが体をひねる。それから戻るときに、ボールを前へ放り出す。
決して遅くはないが、手が滑った様子もなく、真っすぐに飛んで来る。先ほどまでと同じで、おかしいところは無いように思えた。
早苗さんは当然、バットを振る。肩にかけた位置から、ボールを打とうと腕が前に出る。
ちょうどバットが水平になるくらいのタイミングで、ボールが消えた。
「あ、あれ?」
当たると確信していたらしい早苗さんは、よろめいてから回転するように体勢を立て直した。
キャッチャーの方を見て、ピッチャーの方を見て、何が起きたのだろうという顔をしている。
「お望み通り。消える魔球、ですわ」
「あ、ボールが、ある」
どうやらサニーも状況は飲み込めていないようで、なぜかグローブにボールが入っている事に驚いている。
それから瞬きをして、ストライク? と何故か私に確認した。
「空振り、だけど」
「ボールは来てたもんね」
「振りましたもんね」
私もサニーも早苗さんも、三人そろってボールを見落としていただけなのだろうか。
違和感に三人で首を傾げながら、早苗さんは打席を出る。バットを妖夢さんに託しながら、さっきのはなんだろうと焦って話し合っている。
そのあたりで、二塁に居た魔理沙さんの声が聞こえてきた。
「さては咲夜、時間止めただろ」
私たちは顔を見合わせるが、早苗さんと妖夢さんはハッとした様子で指をさした。
「投げて時間止めて、キャッチャーのすぐ前でトスし直したんだろ」
「さすが魔理沙、勘づくのが早いわね」
「さすが、じゃない。そんなの打てないから禁止禁止!」
咲夜さんは「折角上手くいったのに」というような表情をしてから、頬を膨らませながら二塁の方を向いた。
「でも店主さんのルールブックを斜め読みしたら、ルール上存在していたわよ」
「そんな馬鹿な。お前みたいな選手がごろごろ居てたまるか」
若干不服そうだったが、咲夜さんは最終的に、今後魔球は投げない、という誓約に同意した。
三塁の霊夢さんが小さく、舌打ちしたように見えた。
今回は既に打席を出た後という事で、早苗さんが辞退してアウトという事になった。なので、三番目の妖夢さんから試合が再開する。
「もう魔球は無いぞ。思いっきりみねうちしてやれ」
二塁から声援が飛ぶ。妖夢さんは複雑そうに声援を受け止めながら、ぎこちなくバットを背負った。
咲夜さんに準備完了を知らせるまで、落ち着かなさそうに握り直したり、肩に置き直したり背を伸ばしたり。
一回に思うままにバットを振って失敗してから、徐々に皆に合わせて構えを変えている。
それから準備完了を伝え、一球目が飛んできた。
構えは合っていたのだが、振り方に迷ったのか。足が前に動いてしまい、少し振り遅れた。
空振り。
「腰回してけ、腰」
魔理沙さんがもうコーチみたいになってるわ。
とりあえず手を傷める事はなさそうだが、妖夢さんはしっくり来ていないのか、首を傾げてもぞもぞ動いている。
「妖夢さん、最初に比べて大体合ってきたね」
ルナが小声で話しかけてくる。
確かに、四回目の打席となれば随分慣れてきている。最初は手を傷めて、二回目は縦に振って当たらない。三回目は剣道のように正面に立とうとして、チーム内から止められた。
「咲夜さんも普通に投げるしかないし、もしかして」
ルナの期待も空しく、ボールを地面に叩き付ける音が鳴った。肩に構えたバットを、斜めに思い切り振り下ろしたらしい。正面に跳ねたボールを、咲夜さんが前に捕りに来る。
妖夢さんは「私この競技向いてないです」と嘆きながら、必死に一塁へ走っていった。
● 九回表 東風谷早苗
最終回を迎えても点差はつかず、思いのほか、試合は拮抗していた。
六回の表に点を取って、三対三。八回に私たちが追加点を取っても、その裏の回で霊夢さんたちも点を取り。
結局四対四と同点のまま、九回の表がやってきてしまった。
「わあ、ここに来てみると怖いですね」
キャッチャーの位置に屈むと、その怖さがよく分かった。ボールはちょっと間違えれば顔に飛んで来そうだし、バットに至っては自分の目の前で思い切り振り抜かれるのだ。
試しに咲夜さんのボールを受けてから、バッターボックスの前で素振りをしているサニーさんの様子を伺う。怖がっている様子は、魔球宣言をされた一時を除き、全くなかった。
「よくこんなのできますね」
「そんなに怖いかな。臨場感、っていうの? 私は楽しかったけど」
「サニーは石頭ですから」
後ろから小さく聞こえた声に振り返るが、声の主は打席の近くにさっと並んでしまった。
サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。九回の打席は、この仲良し妖精の三人から始まる。誰かが塁に出れば、小傘さん、魔理沙さん、私と続く。
覚悟ができた旨を咲夜さんに伝え、ボールを返却する。
「さあ、行くわよ」
気合の入ったサニーさんが、バットを振り回して打席に入る。大丈夫と分かっていても、やはり少し怖い。
「行きますよ」
咲夜さんがひと声かけてから、投球する。
ボールをよく見て、飛んでくる球を受け止めに行く。手に力を入れようとした時に、目の前でバットが振られる。
快音は鳴らず、ボールを取った衝撃が手のひらに伝わる。
空振り。
「くそう」
九回になって本当に気合が入っているのか、サニーさんは思い切りスイングした。踏ん張ったかかとが、土を擦って小さく音を立てる。
投手と打者が構え直し、私も気を引き締める。
二球目は、先程より球の軌道がよく見えた。
少し打者に近い球は打ちづらかったのか、サニーさんの打球は上手く飛ばなかった。ボールは三塁よりも外側に向かって飛んだ。
「ふぁ、ファウル、ファウル!」
もしファウルでなければ、三塁が簡単に取れるゴロになってしまう。だから必死に宣言するのだろう。
咲夜さんと目が合ったので、頷いてファウルだと判定する。
「よかったあ」
「でもツーストライクですよ」
「どっちにしろ振るんだし、関係ないって」
ボールを投げながら傍らを見るも、彼女は全く怯んでいない。
三球目は、ボールだった。すっぽ抜けた球に手を伸ばして捕まえるも、バットは振りそうになったところで留まっていた。
「ツーストライク、ワンボール」
順番待ちのスターさんが靴を動かしながら、声援を送る。
応援が力になったのかは分からないが、サニーさんは次の球を打ち返す。
「よっしゃ!」
「氷精さん!」
「任せなさいって!」
試合も最終回になったからか、選手もみんな熱がこもっている。二塁のチルノさんが、一塁との間に飛んだ球に手を伸ばす。
「あ、無理! ミスティア!」
「もう!」
グローブの先を抜けた打球を、念のため寄っていたミスティアさんが回収する。急いで塁に投げるも、駆け込む方が早かった。
「わあ、間に合った!」
喜ぶ妖精に交じって小傘さんが準備を始める。一人塁に出たため、順番が回るようになったのだ。
バットを拾い上げて、ルナさんが恐る恐る打席に入る。
「振る、振る」
当たったら、走る。と念仏のように唱えながら、小さくバットを構える。
やはり打席に入るのは慣れないのか、唇を固く結び、頬がふっくりと膨らんでいる。
かわいらしいなあと眺めながら、咲夜さんの投球を捕る。バットを振る度に、やあ、であるとか、ぬわ、であるとか。小さく声を漏らしている。
「おわ」
一回のファウルを挟んで、計四回のうめき声であえなく三振となった。
頭をかきながら、続くスターさんにバットを渡す。
「ううん、スター、よろしくね」
「はいはい」
これでワンアウト、一塁。
小傘さんまで回ることは確実だが、魔理沙さんが絡まない打順で、得点に繋がるかどうかは怪しい。先程少し話されたが、打てる人が固まり過ぎているのも問題かもしれない。
「サニー、なんとか帰せるかなあ」
同じことを考えていたのか、打席に入る際に小さくつぶやく。
それから少し待って、スターさんは打席を変えた。
「こっちから打ってみてもいいですか?」
今まで立っていたのは、ホームベースの横に二つ作った打席のうち、三塁側。効き手の問題か、みんな自然とそちら側を選んでいた。
どちらが打ちやすいかは人によるのだから、途中で変えても問題ないのではないか。
「よいしょ。上手くいくかなあ」
一塁側の打席で、数回素振りをする。動きは少しぎこちないかもしれないが、一塁側から走った方が当然塁までは早く到着するのだから、それが有効だと考えたのだろうか。
いいですよ。と咲夜さんに声がかかり、私も構え直す。
咲夜さんは「当たらないと思うけど気を付けてね」とひと声かけてから、ボールを投げた。
ストライクにはなるだろうが、少し高めのボールだった。慣れない構えなら、遠くに飛ばないとの考えだろう。
しかし予想を裏切って、打者はそれを、振らなかった。
小さく鈍い音がした。
バットにボールが当たったからと、スターさんは急いで走り出した。一瞬目線を走らせたが、ボールはすぐ近く、咲夜さんが取るまでもないくらい、微妙に前方を跳ねていた。
バントだ。と外野から声が聞こえた。そうか、打たれる側はこんな感じなのか。
「大丈夫です!」
急いで前に出て、ボールを拾う。一塁に投げるか、二塁に投げるか。
二塁に投げれば一塁のみでツーアウトだが、私の肩で投げて、間に合う保証はない。
少し迷ったが、一塁に送球した。
アウトにした代わりに、サニーさんが二塁へ到着する。
「ナイス、スター」
アウトになって帰ってきたスターさんが、手を振って応える。笑顔で帰ってくる様子から、自分はアウトになるつもりだったのだろう。
さっきの素振りに、すっかり騙されてしまった事になる。
彼女が歩いて戻ってくるので、小傘さんは傘をルナさんに預ける。それからバットを探して、きょろきょろする。
「ああ、こっちですよ」
先程右側の打席で使われたため、私の陰になっていた。頭の方を持って、渡してやる。
「あ」
バットを受け取った小傘さんが、はっとした表情を見せた。
確認するように私を見て、咲夜さんを見て。
両手でバットを抱えたまま、少し放心していた。
「あ、ううん、なんでもない」
それから素振りもせず、すぐに打席に立った。普通に、左側の打席だ。
「大丈夫かなあ」
前を見て、小さくつぶやく。
得点に繋がるのか気にしているのかもしれない。けれどもその表情は、以前の打席よりずっと険しい。
一球目はボールだった。打者の位置が変わったからか、右側の打席の方へ逸れた。
二球目はストライク。整えるためか、真ん中に届いた球だった。
ここまで二球とも、小傘さんは振る様子が無かった。
「振っちゃっていいぜ、咲夜はあんまりボールしないだろうし」
魔理沙さんの声に、三球目をスイングした。が、バットはボールの上を通り、これでツーストライク、ワンボール。
小傘さんは、四球目も振れなかった。
バットを強く握りしめるも、迷ったように動きが止まってしまった。
スリーストライク。これで三つ目のアウト。九回の表が終わって、交代だ。
「小傘さん?」
霊夢さんたちが戻ってきても、小傘さんは打席に入ったまま、バットを下してじっとしていた。いつもなら守備位置が遠いからと、早くにグローブを受け取りに向かっている。
体調でも悪いのだろうか。
「ううん、なんでもないの。ごめん、振れなかったや」
私の問いにぱっと応えて、魔理沙さんに笑いかけた。
まだ手に握っていた物に気づくと、咲夜さんに駆け寄り「次、咲夜さんからだよね」とバットを手渡す。
それから預けていた傘を受け取り、レフトへ向かっていった。
○ 九回裏 森近霖之助
「よし、私の勝ち!」
咲夜から三振を取った魔理沙が声高らかに喜ぶ。試合が終わったのかと思ったが、そういうわけではないようだ。
初回より幾ばくか悔しそうな表情で、咲夜が打席を譲る。
「魔理沙、また勢いついてる?」
「ラスト前だからな。最後まで頑張るぜ」
肩をぐるぐると回し、自分に気合いを入れる。打席に入る穣子も、ぶんぶんと素振りをして戦意を見せる。
これだけ楽しんで活用してもらったなら、もう道具は譲って良いのではないか。レンタルとしていたバットとボールも、グローブとセットの販売ということで売ってしまおう。
ぼんやりと頭の中で商談を続けていると、当たった、と喜ぶ声が聞こえた。
打者が走っていないため、先程の一打はファウルらしかった。
巻き込まれた選手役は疲れたし、持ってきた本も読み終わってしまった。遺失物のスポットも見終わってしまったため、観戦しかすることがない状態だった。一塁側の離れた場所に座り込み、点数係が帰ってくるのを避ける。
「次も当てるからね」
魔理沙の投球は、確かに気合いが入っていた。後少しと分かってきたからか、思いきりが良くなったように見える。
それでも穣子は、宣言通り一二塁間を抜ける球を返した。自分のチームの方へ指を立て、長打のように喜んで走る。
「どうよ、私の初ヒット」
「はいはい、転ばないでよ」
霊夢の声にようやく前を向いた穣子が、無事に一塁へ到着する。それを見届けてから静葉がバットを拾い、打席に立つ。
当ててもいいわよ。と一塁から穣子が声を飛ばす。確か聞いたルールだと、打者に投球を当てると罰としてヒット扱いなのだったか。
「思いっきり投げても避けてくれるだろうってのは、敵ながら信頼できて良いぜ」
「反応できない速度はやめてよね。苦手なの」
威嚇のつもりかぐるぐると魔理沙が再び肩を回し、投げる構えをとった。
静葉は一度バットにかすらせたもののその後は振るわず、三振となった。
これでツーアウトとなり、打順が一巡して霊夢が打席に立った。
「よし、あと四人だな」
額の汗を手のひらで拭い、自信に満ちた様子で魔理沙が笑う。霊夢はといえば、きょとんとした顔で指折り数えている。
「霊夢を押さえて、延長戦。私たちが点を取って、あと三人アウトにする。完璧に四人だ」
そう言われて、今が同点だと思い出したようだ。にやりと笑って、打席で構える。
「終わるまで続けるんでも、私たちが得点無しに押さえればもう一巡よ。咲夜とあんた、どっちの方が体力余ってるのかしら」
「ああ、じゃあ、あれだ。延長はお互いピッチャーを新しく出そう」
それはそれで点の取り合いが始まり、なかなか回が変わらない気もするが。横目で霊夢チームの残りを見て、こっそりと思う。
「それでもまあ、あれなんだけどね」
霊夢が構え直して、魔理沙が投球準備をする。
「私が打って、四人でなくしてやるわ」
宣戦布告に対して、にやりと笑い返したように見えた。
足を振るようにして前に踏み出し、肩を振り回すように、キャッチャーへぶつけるような球を投げる。
位置取りも相まって、魔理沙の球は真ん中の高さを突き抜けるような。スピード勝負と言えるような球だった。
霊夢は分かっていたように、バットを振り抜いた。思いきり振ったように見えたが、正確に真っ向からボールを捉え、長打を予感させる振り方だった。
「あっ」
声を漏らしたのは僕だったのか、穣子だったのか。
端から見てボールとバットの当たり方が、おかしかった。しなるにしては、深すぎる。
折れる。直感的にそう思った。
霊夢も魔理沙も、目を見開いたのが分かった。それでも動きは止められず、振り抜く中で、木製のバットが持ち手の幾らか上から裂けるように、二つになった。
「バットが」
穣子が呟いてから、職務を思い出したように走り出した。ボールは天を目掛けて、確かに上がっていた。
躊躇わずに振り抜いたのが功をそうしたのか、最後の一打の余力はあったのか。鋭く飛んだボールは外野が走るような角度で飛び、レフト方向へ飛んでいった。
レフトの守備位置に居るのは、小傘だ。既に背を向け、走り出している。
思わず、立ち上がって行方を追った。離れたここからなら、打球と彼女が並走しているのが見えた。
霊夢が走るのも忘れ、一塁の辺りから同じ方向を見る。
霊夢にも分かるはずだ。小傘の身長をゆうに越える打球だった。
それでも彼女は後ろに走り、落下点へ近づこうとする。
首を回して球の位置を見ながら、脱げかけた下駄を引っかけて走る。全力疾走し、紫色の傘が揺れる。
そしてついに小傘は、捕球するべく跳躍した。
「ほ」
地面を蹴って、片手を伸ばしてもたかが知れている。
けれども彼女の伸ばした手の先にあったのはグローブではなく唐笠、そしてそこから伸びた長い舌先には、無理矢理装着されたグローブがあった。
遠目から見て、小傘の身長の二倍はあろう高さに到達する。
器用に傘と舌を傾けて、グローブの面にボールを迎え入れる。
一度勢いを殺してしまえば、後は重力に従うだけ。傘の面で一度バウンドしてから、左手の上に収まる。
彼女は全身を目一杯に伸ばして、最後のフライを捕まえた。
スリーアウト。
霊夢の打球はレフトフライになり、九回の裏が終わった。
● 試合中断 東風谷早苗
「もう限界だって、手に取ったときに分かったの」
小傘さんは、弁解するように喋った。
目線の先には左手に収まるボールと、地に転がる二つになったバット。
「遅かれ早かれ、もう壊れちゃうだろうって。別に壊れちゃうのがどうってわけじゃないの。使い込まれたのはこの子にとって良いことだし。でも、せめて、最後の打球は私が受け取ってやろうと思って」
ボールを持つ左手にきゅっと力がこもり、右手にも力が入る。雨の日にやるように、傘が寂しそうに一回転した。
停止した傘の目玉が目の前で止まり、私と目が合う。
傘に皺が寄り、申し訳なさそうに眉を形作る。
「だからその、傘を使ったのは、そういうわけで」
彼女の論点は、反則なのか否かのようだった。
飛んではいけない、能力を使ってはいけないとのことだから、難しいラインなのだろう。判断に悩んだが実行した旨を語る。
「ううん、なるほどな」
魔理沙さんは腕を組んで悩む。霊夢さんは自分の番に壊れたことを気にしているのか、何も言わない。
「まあ反則だ、って言ったところで、再開できないわけだし」
彼女は当時の状況を指折り数える。
九回裏、一塁、ツーアウト。
得点は四対四。
「これは、なあ」
「引き分け、かしら」
顔を見合わせる両チーム主将。その意見が一致する。
「小傘のは、私も気が付かなかったわけだし」
許す。と霊夢さんが手を上げる。
「ですって。よかったですね」
「うん、反則扱いしたら、祟ってやろうかと思った」
あんたは驚かすくらいしかできないでしょう。と霊夢さんは肩をすくめる。
「じゃあ試合終わりか? そうしたら宴会、だな?」
待ちきれないとばかりに、萃香さんが確認する。
「まあ、そういう約束だったしね」
「後味は良くないけどな」
「どこでやるの。博麗の神社? 春野菜なら持って行くわ」
「お嬢様が後で知ったら憤慨しそう。呼んでもいいかしら」
試合が終わったと分かると、全員からふっと力が抜けた。わらわらと思い思いに歩き出しながら、口々に疲れたであるとか、宴会の内容について話し合う。
振り返ってみると、傘とバットを抱えた小傘さんの後ろから、香霖堂さんも着いてきている。このまま一度別れる者はバラバラに抜けていき、博麗神社で再び集まるのだろう。いつも通りの宴会が、始まろうとしていた。
昔に見た試合では選手が一列に並んで挨拶していたが、霊夢さんたちには、自然に集まり自然に別れる、こちらの方が似合っている。
「あの、霊夢さん」
先頭を歩いていた霊夢さんを、小傘さんが呼び止めた。
傘を傍らに自立させ、両手でバットを抱えている。
「供養みたいなのって、できるのかな」
○ 中二日 森近霖之助
先日とはうって変わって、魔理沙はストーブから離れるように居場所を見つける。それから既に来店している客を見つけ、咲夜じゃないか、と声を上げた。
今朝は朝から霊夢が靴墨を借りにやって来て、昼には咲夜が買い物をしに来た。
そこに香霖堂に二日ぶりに魔理沙がやって来て、今日は常連の冷やかし両名が揃ったことになる。
「や、昨日一昨日は本当に肩が辛かったんだぜ」
来るなり商品を見るより先に、霊夢や咲夜に話を始めた。
「当日は楽しくて気にしてなかったんだけどな、宴会終わって覚めたら酷いもんだ。無理しちゃったんだろうな」
「そういえば、宴会の途中は平気だったわね」
「昼になったら肩押さえて帰っていったわ」
ここ二日は最低限の外出に控えていた。と話してから、魔理沙はあの後の神社の様子を訊ねた。
「小傘が供養したいとか言ってたじゃないか。結局、どうしたんだ」
霊夢がお茶をすすりながら答える。
「したわよ。昨日」
「なんだよ、ちゃんと呼べよ」
「別にそんなに面白いものじゃないわ。簡単にお祓いして、焚きあげをするくらい」
私も感謝してるんだからな。と魔理沙は言うが、元を辿ればうちの商品だった筈なのだが。
それから魔理沙は、咲夜と霊夢の座るテーブルセットの上に、見慣れない商品があることに気が付いた。
「これは?」
樹脂製の四角い箱の内側に、緑色のシートが張られている台。中心と四隅の角の一つには、金属の機構がついている。
「野球盤だよ」
霊夢が正しく説明できるか不安だったので、立ち上がってそちらに行ってやる。
「君たちがこの前やった、野球を簡易的に表したボードゲームだ」
盤面上で行う野球だから野球盤、と教えてやる。
二ヶ所に分けて付けられたボタンを指してから、同じく二ヶ所の機構を指す。
「ここが投手、こちらが打者。ボールを模した金属球を置いて、ボタンを押すと打ち出される。打者側のボタンを押すと、バットを模した金属棒が振られる」
試しに指で押して、動くことを示してやる。機構の内部が、がしゃがしゃと音をたてる。
「打った球の結果は、どこに飛んだかによって大まかに決まる。囲いと色がついている場所に、文字が書いてあるだろう。それが打球の結果だ」
ほうほう、と興味を示す魔理沙。自分の指でボタンを押して、確認している。
然り気無く霊夢が席を立ち、お茶のおかわりを注ぎに行く。
「咲夜、ちょっとやってみようぜ」
「ええ、まあいいわよ」
そこに居た咲夜に声をかけ、霊夢の居た席に座る。それから、やっぱり立った方がいいな、と立ち上がり直す。
咲夜が指先で金属球をつまんで、投手の席に置く。それからゆっくり手元のボタンに指をかけ、様子を見る。
球は真っ直ぐ前に飛ばすだけなのだから、打てるかどうかは当然タイミング勝負になる。魔理沙の顔色を窺うようにしてから、投球した。
かしゃん、がしゃん。
「だあ、アウトのとこに入ったか」
魔理沙の反応は早かった。無事に打ち返したものの、アウトと書かれたポケットの中に、金属球が転がり落ちた。
指でつまみ上げて、自分から投手の留め具の中に戻す。
「でもこれなら、空振りすることはなさそうだ。もう一回やろうぜ」
僕は投球前に、咲夜に一言助言してやる。それから机の上に以前読んでいた解説書を置き、遠目から眺める。
先程と同じく、二人はしばらく様子を見あってからボタンを押した。
かしゃん、がしゃん。
振れば当たると言った魔理沙だったが、球が前に飛ぶことはなかった。
「おい! なんだその溝!」
「これが本当の、消える魔球ですわ」
盤面にかじりつく魔理沙をよそに、咲夜はこちらに小さくウインクをした。
実践における動作確認を見届けた僕は、定位置であるカウンターの席に戻る。ちょうど霊夢がお茶を注いで、奥から戻ってきたところだった。
「なにあれ、どうしたの?」
「消える魔球を間近で目撃したんだよ」
魔理沙は予想通り、交代をせがんでいた。「どうやったんだ今の、私にも投げさせろ」とはしゃいでいる。
それを眺める霊夢に、あの野球盤の機能を教えてやる。
「投手側には、ボタンがもう一つ付いている。それを押すと、バットに到達するまでの盤に溝ができる。あのボールは宙ではなく盤上を転がるのだから、当然ボールは溝の中をゆく」
それが消える魔球の正体。能力もいらない、指先一つでできる魔球。
そして僕が入手した解説書は、本物の野球についてではなかった。だから魔球について言及があった。現実にはできない事が、あの盤上では起こりうる。
打った場所によってアウトか決まるというのは守備側の捕球力を揶揄したものかと思ったが、実物を見てみれば分かる、あの柵のことだ。
「あれは、外界の品でしょう。無縁塚で見つけたの?」
否定する。
少し特殊な、押し売りに近い仕入れ先の者が届けた品だ。
「ああ、だから店の奥が少しすっきりしているのね」
「またか」
望まぬ仕入れの後は、代わりに店の中の物が持ち出されている事が多い。後で何が無くなったか、確認しておく必要ができた。
「おい、なんで打たないんだ」
「今のは打てない球だから、ボールよね」
「汚いぞ、そういう仕組みか」
霊夢が魔理沙の方に呆れたような目線を飛ばしてから、僕の手元を見る。
後ろから少し読んでも見覚えがないからか、霊夢が質問してきた。
「霖之助さん、それは?」
「これは“サッカーの解説書”だ」
それなら知ってる。と霊夢が答えた。競技版の蹴鞠みたいなやつでしょう、と。
目標は違うが、彼女の感覚にしては概ね合っている。
「そう、蹴るやつだ。僕も実物は見たことがないが、その解説書が本に挟まっているのを見つけてね。物珍しいから少し読んでいた」
霊夢は覗き込む姿勢から元に戻り、お茶を飲む。
「ただ一つ、読んでいて分からない点がある」
振り返って、霊夢がまだ聞く様子であるのを確認して続ける。
「この中には『選手についたバーを回転させボールをキックする』とある。いったいどういうことだと思う?」
危険を知らせるにしては悠長な声に目線を上げると、視界の上を白球が上がっていくのが見えた。天高く上がったそれは重力の影響を受けて、当然落下してくる。恐らく僕の傍らに。
選手でない元にボールが飛んでくるのは、たしかファウルだ。
ぼんやりと思いながら、軌道を予想する。これは動かなくても平気そうだが、一応は恐怖する。
重力がたっぷり働いたボールに当たらないよう身を傾け、草の上で跳ね返るのを見届ける。落ち着いたボールはころころと転がり、僕が背もたれにしていた木の根に引っ掛かった。
荒い縫い目が入った、けれども手に馴染む質感の球を拾い上げる。手のひらで少し転がしてから、投げ返してやる。
軽く手を挙げ感謝を示した魔理沙はツーバウンドしたボールを受け取り、次なる投球に意気込んでいるのか、肩を回しながら背を向けた。彼女をはじめとした他の選手も、疲れた様子はあまり見せない。元気な子達だ。
傍らの点数表を見ると、四の列までが数字で埋まっている。五列一行目に数字を書き終えて下の行に移行したのだから、今は五回の裏、ということになる。
持ち込んだ本はもう読み終えてしまった。
ルールブックによれば、試合はまだ折り返したばかりだ。
○ 森近霖之助
寒さが峠を越え、冬の気配が薄れてくる頃。
睦月の店内には僕の他に、馴染みの冷やかしが二人居た。どちらも外で冷えた体をストーブの前で暖めながら、片や人の家の茶を飲み、片や店の商品をいじくり回していた。
「あんたほんと冬になると雑になるわね」
ストーブの直近で茶を啜っていた巫女服の少女、霊夢が先程まで行っていた弾幕勝負について語りかける。
「今月の戦績、っていっても九割九部私が勝ってるんだけど、その内容、覚えてる?」
「ああ覚えてる。試合の総時間は、夏の半分にも満たないだろうな」
そう言って敗数と日付を淀むことなく、ストーブの反対側に立つ魔理沙が答える。
ストーブを挟んで二人が並ぶ姿は、外界の本で見た表彰台の構図に近い。霊夢の方が中心の熱源に近いのは、先程の勝者であるからだろうか。
「そうだ、霖之助さん」
霊夢が僕を呼んだので、手元から目線を上げる。
「この間頼んでおいた冬服の修繕は? いつ終わりそうかしら」
言いながら彼女が無断で店の奥へ入ってきた。大方、お茶のおかわりを注ぎに来たついでだろう。
「それならもう済んでいるよ。持って帰るかい」
「嘘、それなら早く言ってよ! さっきあんなに寒い思いをしなくて済んだじゃない」
「店に来るなり喧嘩を始めたのは君達だろうに」
奥へ行ってしまった霊夢が見えなくなったので、仕方なく捻った腰を戻し、ストーブで暖まる魔理沙を咎めるような目で見る。
当然、喧嘩といっても本気のものではない。しかし店内に入って来るなり揉めるのは、店主としては控えてもらいたい。
「そんな目で見るなよ、ストーブの火力を上げるか二台にすれば、私たちも揉めないって」
それから魔理沙は目線を外し、店の奥に居る霊夢に声を飛ばす。ていうか冬服でないなら今着てるのは何服なんだよ、と。
「秋服」
「あんまり変わらないじゃないか」
言いながら、まだ寒いとばかりに魔理沙は長袖を引っ張る。それから体を動かすことにしたのか、そこらにあった商品を手に取り軽く振り回し始めた。
「なあ香霖、私にも服を仕立ててくれよ。外の世界じゃヒートなんたらって冬服が出回ってるんだろ。知ってるんだぜ」
以前にもこの話が持ち上がったことはある。が、その際は簡単な完成図を見せた際に「可愛くない」の一声で一蹴された。熱効率と外観のバランスに悩む、気難しい年頃らしい。
「それより魔理沙。ここは店内で、それは仮にも商品だ。寒さで苛立つのは分からなくもないが、振り回すのはやめてくれ」
仮にも、なんだな。と魔理沙が揚げ足を取る。
「とうとう高級な薪も売るようになったか。よく燃えそうで、埃を被せておくには惜しいぜ」
「残念ながらそれは薪じゃない。“バット”と言い、“野球という競技に用いられる”道具だ」
照明にかざして表面を撫でる魔理沙に、僕の鑑定結果を伝える。薪ではなく、バットという商品だと。
「競技の道具、か。といっても振る以外、使い道は無さそうだが」
「大方合っていると思うよ。こちらも同じく、野球に用いられる道具だ」
今度はカウンターに飾りとして置いてあった革製の球を、魔理沙に投げてやる。
左手と胸元で受け取った彼女は、革を繋ぎ合わせた縫い目を指で辿る。
「大まかに言えば、その“硬式ボール”をバットで打ち返す競技だ」
「撃ち返しか。往生際が悪くて好きじゃないな」
「打った先によって双六のように進み、一巡すれば加点。互いの総得点を競うゲームだ」
魔理沙が話を聞き流しながら、木刀の様にバットを軽く振る。先程は薪とも呼ばれた代物だが長さ堅さはちゃんとしたもので、少女の細手でも十分な打撃力を生み出す。
壁やランプに引っかけないか心配していると、話の途中で彼女の奥から響く音が鳴ったのだから驚いた。
一瞬、魔理沙がどこかを叩いたのかと思ったが、そうではないようだ。客の来店を知らせる鈴が揺れたのだ。
「ごめんください」
間延びした声が、バットを下ろした魔理沙の後ろから聞こえた。身を傾けて彼女を避け、「いらっしゃい」と挨拶をしてやる。魔理沙は顔見知りなのか、「よう、早苗」と気軽に挨拶を交わした。
少女の姿を観察する。緑の髪に白い巫女装束。加えて防寒のためか、外来の厚手のケープを纏っている。彼女は挨拶が済むと、同じく魔理沙を躱わすように身を傾けて、僕の方を心配そうに覗き込んだ。
「香霖堂さん、今ってお店やってますか?」
奇妙な質問だった。店の中に店主が居て、日中であれば、開店中だと思うのが普通だ。
眉を潜めながら肯定してやると、彼女はほっとしたように破顔して手を合わせた。
「よかった。魔理沙さんが強盗に入ってるのかと思って。買い物、出直そうか考えちゃいました」
成る程。
店主の前でバットを床に立てて仁王立ちする姿は、客にも、冷やかしにも見られなかったようだ。
これを期に手放させようと、僕は片肘をついて、バットを元に戻すよう指さす。
魔理沙はといえば、ばつが悪そうに、来客に見えないよう小さく下唇を出した。
● 東風谷早苗
私の探し物はたぶん、ここに含まれるはず。
埃をたてないよう気を使いながら、篭の中を探っていく。
簡素な篭には『カラクリ部品、特売中』の札が貼り付けられ、それもずいぶん古い知らせなのか、粘着力は無くなり篭の網目に無理矢理ねじ込まれている。
期限は書いていないが、いつからいつまでがセールなんだろう。
考えながら捜索していると、紙とプラスチックで留められた容器に指が触れる。
「あったあった」
篭の中から目的の品を見つけ出し、裏返して確認する。型番を見ても全く分からないが、大きさは確かに合っているはずだ。
「これくださいな」
カウンターに置くと、店主さんが手元の冊子から目線を上げた。眼鏡を直しつつ、商品を手に取る。
「ボタン電池か。確かに対応する機械がないから、里には出回ってない代物だね」
「やっぱりそうでしたか。河童さんには骨董品扱いされるし、香霖堂さんを思い出して良かったです」
「たしか山の巫女の、えっと」
「東風谷早苗です」
「そうか。魔理沙の紹介かい?」
「はい。その、需要のないものは香霖堂に行けば大抵ある、と聞きまして」
店主さんは首を回して情報源を睨もうとするが、魔理沙さんは奥の品物を覗いて回避する。すぐに、諦めたように息を吐いてこちらに向き直る。
お会計を終え、購入した商品を店主さんから受け取る。そこでふと、入店した際に魔理沙さんがバットを構えていたことを思い出した。
「ところで、魔理沙さんは野球、お嫌いなんですか?」
構える、といってもその顔はどちらかといえば不機嫌そうで、決して慣れ親しんだ道具を手にした様子ではなかった。
私の問いかけに魔理沙さんは、店主さんがもう諦めているのを確認してから、こちらに姿を現した。
「いや、さっきまで外にいて寒かったからな。むしろ野球に関しては、ルールを聞いただけだが、興味を持っている方だ」
へえ、意外です。
私の言葉に、撃ち返しをする側というのは滅多にないからな。と笑顔を見せる。
「でも野球は一人じゃできませんよ。二チーム必要ですから、結構人数が必要なはずです」
本当か。と魔理沙さんが驚く隣。なぜか店主さんも少し驚いて、手元の紙をめくり始める。
「一チーム、何人必要なんだ」
「ええと、十一だっけ、九だっけ? ちょっと待ってください」
過去の記憶を頼りに、指折り数えてみる。
まずピッチャー、キャッチャー。一塁、二塁、三塁に一人ずつ。外野に何人か、二人だっけ三人だっけ? センターって聞いたことあるから、三人かな。
ここまでで一度空の球場を想像して、挙げた一人一人を配置してみる。
一、二、五、八人。他にどこか空いてる場所はないか。
ない、はず。
「たぶん、八人です。それが二チームで、十六人」
「十六人かー。結構多いな、ちょっとした宴会会場にできるぞ」
腕を組みながら、魔理沙さんは何かを考えている。
「もしかして、やる気なんですか」
「もしかしなくても、私はやる気だ」
返事はすぐに返ってきた。
目新しい遊びと、酒の席には足が早い。
私が気づいた、幻想郷の人たちの共通点だ。
「二チームなんだろう。ちょうどいい、私チームと霊夢チームでやってみようじゃないか」
「それって、私も数に入ってるんですか」
「当然」
人数集めも手伝ってもらうからな。と当たり前のように告げられてしまう。
野球自体は、ルールは何となく知っているものの、自分でやった経験は無い。しかし興味がないわけではないし、集団遊びが好きなのは私も同じ。断る理由はない。
「参加者集めは、私たちで全員分やるぞ」
「あれ、霊夢さんと分けるんじゃないんですか?」
自分のチームというのだから、自ら集めた面々同士で試合をするのかと思った。
しかし、「分かってないなあ」と首を振られてしまう。
「霊夢が遊びのために、わざわざ自分の人員集めをすると思うか?」
なるほどと、納得した。霊夢さんが暇潰しのために赴くことはあっても、人を規定人数集めに回るのは、想像しづらい。
加えてこの様子だと、次に魔理沙さんが会ったときに、急に話を持ちかけるのだろう。
「人数の他に、必要なものはあるのか」
メモでも取りそうな勢いで、次に用意するものを訊ねてくる。どうやら本当にやる気のようだ。
「場所は、どこでやるんです?」
「神社じゃ無理か」
「広さが足りない気がしますし、第一霊夢さんが許さなさそうです」
私の住む神社を指されたのかもしれないが、そんなに広くはないし、強行されても困る。然り気無く候補から外しておこう。
私の想像する大きさを、大まかに説明する。キャッチボールが余裕をもってできる距離。それを囲うように、だいたい正方形で塁。それより外に、外野がつく。
「確かに神社じゃ用意できない広さだな。だったら、無縁塚あたりか」
「無縁塚、ですか」
「そうだ。あんまり用は無いが、その分広さはあるぞ。あとはこいつの、仕入れ先でもある」
言いながら、魔理沙さんは親指で店主さんを指す。
店主さんは自分が呼ばれたのかと思い目線を上げたが、そうでないと分かると目線を手元に戻した。
「後は、グローブでしょうか」
「ああ、素手じゃ辛いからか」
「そうですね。最低でも一つは欲しいです」
「グローブなら、そこの箱の中にいくつかあったよ」
若干うわのそら、といった声にそちらを見ると、店主さんが目線を落としたまま、指で店の角をさしていた。
「値段は時価だが、魔理沙に持ち逃げされるよりはいい。特別に安く譲ろう」
「早苗が来たときだけちゃんとセールスするのは、ずるいぜ」
君は勝手に見つけて、勝手にツケで買い物していくからね。と店主さんは怯まない。
魔理沙さんが何か言い返すのか口を開きかけたとき、居間へ繋がるであろう戸口から、霊夢さんが顔を出した。
「おうい、魔理沙。ちょっと」
それから私に気づいて、「あれ早苗じゃん」と溢した。
霊夢さんはいつもの巫女服だったが、少し小綺麗に見える。服を仕立てたばかりなのだろうか。
「遅かったな霊夢。採寸が違ったのか、十二単でも用意してもらってたのか?」
「サイズはばっちりよ、さすが霖之助さん。遅れたのは、ちょっとお昼ご飯作っててね。あんたの分もあるわよ」
店主さんが上機嫌な表情を見せたのは、霊夢さんが親指を立てた前半だけだった。後半については当然、眉を潜める。ここの家主は霊夢さんではないのだから。
「霊夢、また君は勝手に」
「いいじゃない。霖之助さん少食なんだし。早苗も食べてく?」
「あ、折角なら食べてみたい、んですけど……」
「なら決まりだな。香霖に気は使わなくていいぜ、使った分の食材は今度買い戻してやるから」
ずるずる引きずり込まれる私を止めることはなく、店主さんは「勝手にしてくれ」と顔の横で手を振った。家主さんには申し訳なく思うが、滅多にない機会なのでご馳走になることにした。
食事中、先程の野球の話を魔理沙さんが持ちかけた。
霊夢さんは予想通り、人探しはパスするという条件付きで、対戦を許諾した。
○ 森近霖之助
「霖之助さん、来たの?」
意外そうな声に振り返ると、霊夢が到着したところだった。比較的暖かい今日に限ってコートを羽織ってきたのかと思ったが、二の腕についたそれは、茶髪の少女が一人まとわり付いているだけだった。
その少女を半ば引きずるようにして、僕のとなりに並ぶ。
無縁塚の原には、既に魔理沙や東風谷早苗の連れてきた人妖が集まっていた。
「無縁塚の漂流物たちを人質に取られては、従わざるを得ない」
後日、消費した米や卵を納品に来た魔理沙は、僕も当日の無縁塚に集合するよう伝えた。さもなくば無縁塚の物を全て回収し、高値で売り付けてやる。といった趣旨の脅し付きで。
まず、売り物がなくなることを恐れてここを訪れているのではないと断言しよう。僕は外の世界から流れ着いた道具たちが、彼女のようながさつな者の手に渡るのが我慢ならないからこそ、今回は要求を飲むことにしたのだと。
そんな僕の話を聞いているのかいないのか、霊夢は集められた参加者の数を数え始めた。
「ひい、ふう、みい……。思ってたよりちゃんと集まってるのね」
「とりあえずグローブは足りていそうだね」
魔理沙は事前に受けた早苗の説明をもとに、大まかなルールを参加者に話している。その手につけた革製のグローブは、確かに香霖堂のものだ。
本当は値引きで済ますつもりだったのだが、霊夢の作った昼食の味が良かったためレシピと交換となった。つまり、味付けを教えて貰った代わりに、グローブを譲った。
「感謝こそされても、脅されるようなことはしていない筈なんだが」
「あら、それならあの後礼を言われたわよ。霊夢のおかげでツケを増やさず済んだ、って」
「どうして僕に礼は無いんだ」
僕のぼやきに被さるように、霊夢の連れてきた鬼の少女が退屈そうに声を上げた。
「宴会やるって聞いてきたのに、あの面子はなんだ?」
「先に競技をやるのよ。どうせ後でやるだろうから、それまで我慢なさい」
魔理沙がこちらに気づいた。
「来たな宿敵。おお、霊夢が連れてきたのは萃香か」
輪に近づく霊夢につられて、僕も後から移動する。
「ほんとに集まったのね。これで全員?」
「ああ、こんなもんだ。中々の精鋭だろう」
暇そうな精鋭ね。と霊夢の辛烈な言葉が飛ぶ。
魔理沙は気に止めた様子もなく続ける。
「まず私達が見つけてきたのは、咲夜と妖夢」
そう言って、向こうでキャッチボールをしていたメイド服と、こちらへ向かってくる少女を指す。どちらも香霖堂で見たことのある顔だ。
「私が咲夜に声をかけて、早苗が妖夢と会ったときに話してな。咲夜は万能だし妖夢は足速いしで、十分な戦力だろ」
果たしてどこからメイドは万能という発想が出るのだろうか。是非聞いて見たかったのだが、僕が訊ねるより先に、当の本人が急に現れて詰問した。
どんな手を使ったのか、こちらに向かっていた妖夢よりも先に魔理沙に並んでいた。
「それで」
まばたきの合間に、咲夜の姿だけが消える。
「こちらがそのルールブックかしら」
背後から続いた声に振り向くと、僕が持参を命じられた書をめくる咲夜が居た。
今の間に掠め取られたらしい。
「お前な、確かに時間を止められるのは便利だろうけど、そうやってつまらない事にばかり使うのが目立つぜ」
「あなたの炉ほどではないわ」
咲夜は聞き流し、書を僕の手に戻してから、早苗と話した。
「とりあえず、ルールはさっき聞いたのと同じみたい。あなたの記憶してる物で間違いないわ」
早苗はほっと胸を撫で下ろす。それから、霊夢と萃香には後でルールを説明すると伝える。
「あと私が捕まえてきたのはだな」
「捕まえたって、虫じゃないのよ!」
ああ妖精だな。と魔理沙はあしらい、背後を親指でさした。
「チルノにサニーミルク、スターサファイア、ルナチャイルド。あとは近くにいた、ミスティアも連れて来た」
見覚えのある妖精もいた。確かに妖精は集団で行動することが多く、数合わせを考えると適切に思える。
皆やる気に満ちた表情をしているが、唯一、ひとくくりにされた妖怪のミスティアは少し不服そうだ。
「あ、先に言っとくけど、私こいつら三人組と喧嘩中だから! 同じチームにはならないわよ!」
「こっちだって願い下げよ! あんたが味方なら背後から何されるか分かったもんじゃないわ!」
氷精チルノが歯を見せながら威嚇混じりに主張する。三人組のリーダー格らしき妖精、サニーが売り言葉に買い言葉を返す。
「チルノの方が知れてるのは認めるけど、私は妖精じゃないのよねえ」
「人数的にも、お前はチルノと同じチームに分けるから。お守りを頼むぜ」
抗議を続ける夜雀をよそに、魔理沙は早苗へと向き直る。
「で、早苗が連れてきたのが野良神」
「はい。人里人気の高い神様お二人です」
道を開けるようにして、金髪の二人を紹介する。野良との紹介だったが神様相手だからか、霊夢は親しげだ。
「静葉に穣子。久しぶりじゃんあんたたち、いま暇なの?」
穣子と呼ばれた方が、帽子をかぶり直しながら頬をかく。
「まあそろそろ植え付けの時期っちゃ時期なんだけど」
「その準備運動よ、準備運動」
もう一人の静葉という方は、肩を回しながらやる気を見せる。なにか鬱憤でも溜まっていたのだろうか。
まあ秋姉妹は同じチームでいいだろう。と魔理沙がまとめる。
続いて早苗の背後から、もう一人出てきた。
「それとばったり会った、小さい憑喪神を」
「あー、なんだ、そいつは神様に含んでいいのか」
短髪に下駄姿。身の丈ほどある傘を握る様は、新聞で見覚えがあった。
「霊夢的にはどうなんだ、小傘の所属は」
そうだ思い出した。多々良小傘といったか。
「そもそも憑喪神程度、大差ないのよね。大事にされれば神様、捨てられれば妖怪」
霊夢は頭をかきながら、ざっと鑑定する。
「惰性で生きてる妖怪じゃないし。需要があって信仰されれば、呼び名も変化するんじゃないの」
「本当に? 昇格? わちき誉められた!」
「はいはい、わちき誉めたわちき誉めた」
あやすように流した霊夢が、こちらへ向き直った。
「ところで霖之助さんは参加するの? あまり乗り気じゃなさそうだけれど」
僕が口を開くより先に、魔理沙が説明した。
「香霖には一応、奇数だったときのために来てもらった、って感じだ。私たちで偶数人になったから、参加はしないかな」
無縁塚の安全を守るために来た僕としては、参加しないことに不満はなかった。
霊夢が指折りながら、名前を挙げて人数を数え始める。
私、魔理沙、早苗、萃香、咲夜、妖夢、チルノ、ミスティア。妖精三匹、静葉、穣子、小傘。
「十四人ね」
「七、七だな。これだけいれば守備もできるだろう」
それから閃いたというように、指を立てた。
「監督やってくれよ、監督。チームに的確な指示をする監督。格好良いだろう」
「監督って、どっちのだ」
魔理沙は考えていなかったのか、暫し停止して思考する。
「両方。あと審判もだ」
「あ、魔理沙さん、あまり動かないキャッチャーやってもらえばいいんじゃないですか? そうすると外野が三人にできます」
「どうして仕事量が増えているんだ」
お役目御免と高をくくっていた僕からすれば、これほど迷惑なことはない。なんとか逃れようとする。
しかし試合を急かす、主に萃香の声に押され、キャッチャー役のみを試験的に行うことを了承した。
恐らく、両チーム全員が出番のあるシーンは無いだろう。納得する程度に職務を全うしてからは、適当に押し付ければ良い。
「よし、じゃあみんな揃ったしチーム分けるぞ」
人間、現人神、人間、鬼、人間、半霊。妖精、妖精、妖精、妖精、夜雀、秋神、秋神、唐笠妖怪。
実に三種三様な面子が揃った。よくもここまでばらけた面々を集められるものだと感心する。
多少のいざこざはあったものの、話し合いの末に戦力比を考えたチームが決定した。
それから打つ順番は毎回固定しなければならないので、各チームで話し合うことになった。守備位置については、チーム内で適当に決めるように、と魔理沙から大雑把な指示があった。
「よし、打順が決まったぞ。順に言うから、香霖メモしてくれ」
多少の不満は見せたものの、こういう事態は想定していた。持ち込んだ用紙に、各チームの順番を書き留める。
両チーム七人。その打順は、以下のようになった。
魔理沙チーム 魔理沙 早苗 妖夢 サニー ルナ スター 小傘
霊夢チーム 霊夢 ミスティア 萃香 チルノ 咲夜 穣子 静葉
★ 一回表 霧雨魔理沙
「よっしゃ、かかってこーい!」
声を上げて、向こうに立つ霊夢に向けて闘志を見せてみる。素振りは十分。いきなり打ち返してやる。
魔理沙さん頑張れだとか、こっちには飛ばすなだとか。自分のチームからまばらに声援が飛んでくる。不思議な感じだ。
「ちょっと、試し投げしてもいい?」
「なんだ、霊夢はちゃんと練習してなかったのか」
「あんたがいきなり始めたんでしょう」
そういえばそうだったかもしれない。とりあえず、了承する。
私の後ろ、キャッチャーの位置から、香霖の不安げな声がする。
「魔理沙、変に振ったりするなよ。跳ねて僕に当たったら大惨事だ」
分かってるって。と返し、バットを逆さに立てて霊夢の投げる球を見送る。
少し山なりでも、しっかりキャッチャーの手元まで到達する。
どうせ霊夢のことだから、すぐに慣れて速度が上がってくるだろう。慣れないうちに打ち返しておきたい。
考えながら目線を落とした靴には、ベースの目印をつけるために地面を擦った汚れがあった。靴同士を擦らせて土が落ちないかともぞもぞしていると、霊夢の奥から声が聞こえた。
「さあ、背後はあたいに任せて存分に投げなさい!」
チルノの声だ。
香霖から帰ってきた球を受け取りながら、霊夢が振り返る。
「私の真後ろ守ってどうすんのよ。どっちかにずれなさい。そっちの方が球拾えるでしょう」
「そっか、賢いわね!」
それじゃあと、チルノが大股二歩ほど一塁側に動く。ここで初めて、守備側の配置を見た。
投げるのは霊夢。一塁から順に、萃香、チルノ、咲夜。外野は右手から、順に静葉、ミスティア、穣子、か。
結構バランスは良さそうだ。自分のチーム分けに惚れ惚れしながら、声をかける。
「そんなに姿を出して良いのか、チルノ。頭狙い打って被弾させてやるぜ」
「選手の居ないところを狙ってくださいよう」
背後から早苗の指摘が飛んでくる。冗談だよ冗談。
狙えるなら三塁側を狙いたいが、咲夜は自己判断で少し二塁側に詰めている。さすがだな。
「魔理沙、もういいわよ」
霊夢の声に、バットを上げる。早苗に聞いたようにして、肩に担いで構える。
「よっしゃ来い」
呟いて、息を吐く。
一間置いて、球が飛んでくる。
振りかぶった霊夢が投げた球はさっきより真っ直ぐになっていて、少し驚いた。
「ああくそ」
咄嗟にバットを振ったが、かすった当たり方なのが感触で分かった。これでは前に飛ばない。
触ったボールはといえば、背後に高く打ち上がり、焦る観衆の中に落下した。
「こっちに飛ばさないでって言ったじゃないですか」
「故意じゃない。けど、今度から真後ろで待つのはやめたほうがいいな」
妖夢から恐る恐る返却されたボールを、霊夢に返す。
さて、今度は驚かないぞ。
キャッチャーの手元に入るよう投げるなら、検討はつけられる。高さに気を付けて振れば、大体当たるだろう。
肩にバットを構えて、土のついた靴で足元を踏ん張る。
「いくわよ」
霊夢の声で手に力を込め、ひとつ頷く。
霊夢の腕が動いて、手元からボールが現れる。体重を動かして、体をひねり始める。
「そりゃっ!」
ボールとバットが真っ向からぶつかる感覚がした。
ひねる腰に任せて、バットを振り抜く。乾いた音が鳴り、ボールが逆方向に飛んでいく。
もらったと、ガッツポーズをしてやりたかった。しかし打ち返した球は一塁と二塁の間、チルノの正面に真っ直ぐ飛んでいった。
ぱすん、と今度は革のぶつかる音がする。
ボールはチルノの額に直撃、なんてことはせず、胸の前で構えたグローブの中に収まった。
「お、お? ボール入ったよ、これどうすんのさ」
ノーバウンドで捕られたのだから、アウトだ。
いくら勢いがあっても、ぴったり捕られてしまえばだめ。そういうルールだったはずだ。
チルノの好プレーが分かると守備チームは盛り上がり、外野の穣子まで跳ねて喜んだ。
「ちぇ、正面に飛んじゃったか」
思いっきり打てば速い球は捕れないかと思ったが、案外咄嗟に捕れるようだ。それとも、妖精は単純なぶん反応が速いのだろうか。
とりあえず、次の打者である、早苗に交代する。
「魔理沙さん、一つ間違えていた事があるんです」
いったいどうしたと言うのか。交代際、早苗は手早く伝える。
「内野の人数は、本当は四人だったんです。二塁を守る人がもう一人、ショートっていうのが居たはずで、さっきのチルノさんを見て思い出しました」
なのでやっぱり、一チーム九人でした。と笑う。
「元から十六人にすら足りてなかったんだし、別に良いさ。強いて言うなら、人の欠けてる咲夜側を狙ってやれ」
「初心者にそれは、ちょっと難しい注文ですね」
そうは言ったものの、早苗は無事に塁に出塁した。
チルノの頭上を越えるようにボールを打ち返し、早苗は走り出した。ミスティアの球が到着するまでに、一塁へ到着する。
次は妖夢の番だ。早苗が置いていったバットを片手に持って、打席に入る。
「お前、刀背負ったままやるのか」
何を言うのかというような顔でこちらを見た妖夢は、今日においても、普段と同じように刀を二本携えていた。普段なら腰に構えて抜きやすくしている短刀も背中に回し、片仮名の『メ』の字のようにして背負っている。
「そこらに置いておくわけにはいきません」
「まあそうだけど」
「抜けないようにしてあるので、問題はないですし」
確かに柄や鍔の部分を紐で縛って止めており、試合中にうっかり抜ける、なんて事は無さそうだ。
しかし長物を背負っているのは物理的に邪魔そうで、走ればがしゃがしゃと音をたてる。ほとんど重りを背負っているようなもので当然不利と思われるが、妖夢はそれに関して何も思っていないらしい。
「そんなことより、これの構え方なんですけど」
バットを軽く持ち上げて、刀と干渉しないよう器用に構える。
「肩から振らないといけないんでしょうか。ここから打つなんて、不馴れな構えでできなさそうです」
確かに袈裟に切る構えは見たことあっても、横切るボールを遠くに飛ばすために立つ姿は見たことがなかった。
「別にそこは決められてるって聞いてないし、いいんじゃないか、自分のやりやすい方法で」
「なるほど。では」
そう言って妖夢は腰を落とし、体の側面にバットを構えた。
所謂、居合いの構えだ。持ち手の細い部分に鞘をイメージしているのか、右手も添えている。
「それでいくのか」
「これでいきます」
霊夢は困惑しているが、それは私も同じだ。普段の刀の使い方からして、前に飛ぶ気がしていない。
というのも、刀は引くようにして斬るもの、だったはずだ。
「一つ言うなら、球の正面から当てるんだぞ」
「真正面から」
「そう。角度の話で、垂直に当たった方が前に跳ね返せるのは分かるだろ?」
妖夢は納得したことを、うんうんと頷いて示した。
不安は残ったが、とりあえずそのまま送り出すことにする。これ以上はどうしようもない。
「それで来るのね?」
「これで来ます」
霊夢の確認に、真面目に答えて構え直す。
首をかしげてから、霊夢が投球する。
腰を捻って、前に踏み出した勢いを活かしてボールを投げる。数回目の動作で、あっという間に形にしてしまっている。
妖夢は躊躇いなく、刀でも木刀でもない、珍しい獲物を抜いた。やはり目は良いらしく、タイミングも、当たるポイントも合っていた。
その様子がスローモーションのように見えたのは、完璧だったからでも、集中が研ぎ澄まされた訳でもなかった。
「あっ」
妖夢が呻く。打った体勢のまま、暫しその場で停止していた。それから左手首を押さえてから、よろよろと走り出した。
「二塁、投げるわ」
ボールを捕った咲夜は余裕があるのを確認し、先に二塁に送球した。
チルノはボールを受け取り、塁に駆け込む前の早苗にタッチした。それから霊夢の指示を受け、一塁に投げた。
「ダブルプレー、か」
次の打席に入るべくバットを構えていたサニーに、確認するような口調になってしまう。
早苗がアウトでツーアウト目。妖夢が踏めなかったから、スリーアウト目。交代。
「つまり、どういうこと?」
「ぎりぎりお前の打席が回らず、交代だ」
サニーから抗議の声が上がる。しかし、ルールなので仕方がない。
早苗や守備側が帰ってきて、攻撃側と入れ替わる。グローブは十五個も無いため、帰ってきた面々からグローブを受け取る。
やがて妖夢が一塁側から歩いて帰ってきた。左手を押さえ、明らかに力ない。様子を聞いてみると、どうやら左手を痛めたらしい。
「思ったより、衝撃があって」
バットの先端の方で、片手で打ったに近い。加えて霊夢の球が予想以上に速かったのも原因だろう。
「何が悪かったんでしょう」
真面目に聞かれても、まず居合いの構えを正すのが先だった。だが、一言二言でなんとかなる様子ではない。
「とりあえず飛んできた球は両手で取るようにして、しばらく手を休めろ。次の打順までに考えよう」
「みょん」
妖夢の返答を肯定と捉え、自分は投球位置に着くべく肩を叩いて離れる。
背後で妖夢がもう一度小さく呻いた。
△ 一回裏 秋静葉
白球を目で追いながら、バットの快音を聞いた。
「お、霊夢さんきれいに打った」
穣子がよそ見をしながら投げたボールを、一歩後ろに下がって両手でキャッチする。
「適当に投げて頭に当てないでね」
「大丈夫、大丈夫。お姉ちゃんの番が来る前にたんこぶ引っ込むって」
私の打順は、霊夢チームの七番目。直前が穣子で、私が一番最後ということになる。
出番まで暇なので、店主さんが二球持ってきてくれていたボールを使ってキャッチボールをしている。
「ルールでは九回までやるんでしょう。長丁場なのに頭痛いなんて嫌だ、わ」
「わはは、お姉ちゃん変な投げ方」
笑われてしまったが、不慣れなものはしょうがない。不格好ながら、穣子の手に収まる。
バッターボックスから聞こえてきた軽い悲鳴に、二人して目線を送る。
「うへえ、魔理沙さん思いっきり投げた」
「ミスティアだっけ、あの子災難ね」
魔理沙に気合が入っている理由は、先頭打者に簡単に出塁された事、加えてそれが霊夢だったことだろう。
この打順を決めたのは霊夢で、打てる人と打てなさそうな人を交互に配置すれば、毎回チャンスが来るのではないか、という理由だった。
しかし結果的には打てない人に気合の入り直した魔理沙がやってくるという事で、第一の犠牲者、二番打者のミスティアをもって、チーム全員がそれを察しつつあった。
当の本人は、一塁から声を飛ばしている。
「とりあえず振りなさい。仮にも妖怪なんだから力負けすんじゃないわよ」
打席のミスティアは、当たるのはこっちの木材なんだし、とぼやいている。
私たちの居る側、三塁を守っていた早苗が、ミスティアに同情する。
「霊夢さんより球速いですからね。怖いと思います」
「魔理沙にピッチャーを勧めたのはあなたでしょうに」
妹から掛け声が聞こえたので、急いでそちらを向いてボールをキャッチする。両手のひらに、ぺちんと収まる。
三塁から一塁まで、早苗、サニー、スター。外野は手前のレフトから順に、小傘、妖夢、ルナ。
どこへ飛ばすのだろうと考えていると、魔理沙から、次投げるぞ、と声が聞こえた。ミスティアはどこか諦めたのか、振る気配を見せている。
魔理沙が投球する。
ミスティアは体をひねって、狙った場所をとりあえず振り抜こうと、バットを前に出した。
「いや、無理!」
しかし途中で怖気づき、振りかけたバットを途中で止める。
先程鳴った響く音とは違う、こつんという軽い音がした。
軽い当たり方をしたボールは内野の守備まで届かず、魔理沙と一塁の間へ転々と転がり出す。
「なんだそれ、逆に取りづらいぞ!」
魔理沙が驚きながら回収し、一応塁へ向かっていたミスティアより先に、ボールをトスして届ける。
しかしその間に、霊夢は二塁へと到着していた。
「これって、私はセーフでしょ?」
結果的にミスティアはアウトになったが、霊夢が二塁へ進むことができた。
「ミスティアさん、ナイスバント!」
敵チームであるはずの早苗が喜ぶ。それだけ生で見れて嬉しかったのだろうか。
「あれがバント」
「そうみたい」
毎度やっていては、手早く回収されて二塁一塁共にアウトになってしまう。意表を突かないとできないことなのだろう。
「次は鬼さんかあ」
私からのボールを受け取った穣子が、また試合の方を見ながらボールを放る。
酔いが覚めているのか酔っているのか、どちらか判断はつかないが、萃香はきびきびと素振りをして魔理沙の前に立った。
「今日はやけにやる気だな」
「この後の宴会、負けたチームのおごりって聞いたからね」
そんなルールだったのかと訊ねると、早苗は「初耳です」と頬をひくつかせた。
博麗神社でのんべんだらりとしている姿しか知らなかったが、やる気を出すとこうも鬼らしいのか。魔理沙との対戦ではあっけなく、一振りで遠くへ打ち返してしまった。
ルナが転がるボールを追いかけ、ツーバウンドで二塁の手に渡る頃には、萃香は頭を揺らしながらホームへ帰ってきていた。
「文句ないホームランですね」
早苗のトーンは先程より落ちている。そんなルールを知らされたら、好プレーは喜べない。
「二点かあ」
思わず私も同情するようなトーンになってしまう。
まさかこんな真面目にやる羽目になるとは、思っていなかった。
「よし穣子、行くわよ」
「行くって?」
ボールを両手でこね回して、やる気を見せてやる。
「順番が来るよう備えておくのよ。さっき出番はまだって言ったけど、全員打てば、私たちまで回ってくるのよ」
なるほど。と穣子は意地悪く笑う。
「確かに、出番が来ることを期待しとこうか」
「それって、大量得点じゃないですか」
早苗の声を背中に受けながら、ホームに帰ってきた萃香や霊夢とハイタッチする。
だが私たちの意欲も空しく、その後の打者は振るわなかった。
四番手のチルノは空振り三振。五番手の咲夜は三塁へのゴロで打ち取られ、早苗には「どうです見ましたか」というような自慢気な顔をされてしまった。
□ 四回裏 博麗霊夢
魔理沙の投げた球がグローブに収まり、小気味良い音を立てた。
バッターボックスに入っていた咲夜は振らなかったバットを下ろし、キャッチャーに判断を仰ぐ。
「今のは、ストライクかしら」
「うーん、ちょっと遠いかも。ボールかしら」
「ありゃ」
判定を伝え、魔理沙にボールを投げ返したのは、貸し出しキャッチャーの静葉。三回早々で霖之助さんが音を上げ、別のキャッチャーを必要とするようになった。防御側からはこれ以上人数を割けないので、キャッチャーと審判に関しては攻撃側が一人貸し出すルールを定めた。
もちろん公平な判断をする前提で、である。
「咲夜ボール球振らないんだもんなあ」
一回裏の萃香のホームラン。あれが気つけになったのか、以来魔理沙は好投を見せている。
ぎりぎり打てないような場所へわざと投げる、早苗曰く“ボール球”を投げるようになり、空振りやゴロを増やしていた。効果の証拠に、二点をとった初回以降、私たちのチームに加点はない。逆に三回の表にヒットが重なり、二点を取り返されていた。
問題の萃香に対しては、ボール球を大きめに投げ空振りを誘う。つまり、どんなボールでもとりあえず当てようと振る、萃香の弱点に気が付いた。
一応次の打席では言ってはみるが、果たして萃香はボールを選んで振るようになるだろうか。
ぼんやりと考えていると、咲夜が投球を打った音がした。
「ひゃあ、目の前で打たれると覚悟しててもびっくりするわ」
静葉の恐怖をよそに、咲夜はそこそこ力を抜いて走った。
ボールはセンターへ飛び、妖夢の返球が到着するまでに、悠々と一塁へ到着した。
「咲夜のヒット、と」
穣子が手元のメモを取り、足元に書いたカウントを靴底で消す。
この後は穣子、静葉を挟んで、一番の私に戻る。
「よっしゃ、次は私ね!」
「頑張れ穣子」
穣子は振りが大きく、先の打席でもフルスイングを見せていた。あえなくピッチャーフライだったが、今度はどうなるか。
「仲良しだからって判定甘いとか嫌だぜ。まあ大丈夫だと思うが」
サニーを経由して、ボールを受け取った魔理沙が向き直る。
「なにおう、打てば判定なんて関係無いわよ」
「言ったな」
大見得を切った穣子だったが、結局は初球を高々と打ち上げた。
それもほとんど進まず、打球は自分の真上あたり。
ピッチャーが取りに来るほどでないボールならば当然。
「はいアウト」
キャッチャーの静葉が捕球する。念を押して、立ち尽くす穣子にボールを握ったグローブでタッチする。
穣子は小さく、ハイ、と返事をした。
「次は、そっか私か。穣子これ、よろしくね」
もう一度返事をして、穣子がグローブを受け取る。
代わりに静葉がバットを受け取り、腰を伸ばしてから一度素振りをした。
「フェアプレーに免じて、甘めの球でよろしく」
「言わなければ投げてやったのに」
「あら残念」
魔理沙の性格が分かっているのか、静葉はあまり本気にはしていない。
「新キャッチャー、準備できたわよ」
「よし、ちゃんと捕れよ?」
身をひねって、勢いをつけて投球する。投げる魔理沙の姿が、だんだん様になってきている。
毎回早苗にもらっているアドバイスがためになっているのだろうか。
「ストライク」
「よしよし」
静葉は一球目を見逃した。
その後二球目を空振りして、三球目をバットに当てた。
「打ったか」
「げ」
快音とまでは行かないが、外野まで飛ぶ球だった。
打った瞬間、魔理沙に続いてキャッチャーからも都合の悪そうな声が聞こえた気がするが、静葉は指摘することなく塁を目指して駆け出す。
きれいな当たり方をしたのか、打球は外野まで飛んで行く。レフトの小傘が、落下点に駆け寄る。
「おーらいおーらい!」
片目をつむりながら、落ち着いてボールをキャッチする。それから一塁から駆け出した咲夜を見て、慌てて二塁へ投げる。
しっかり捕れたものの肩はあまり良くないようで、バウンドした球が到着する頃には咲夜は塁を踏んでいた。
小傘の反応が遅れたのはあるが、咲夜も意外と健脚なようだ。
「ごめん、次はすぐ投げ返すわ」
「ごめんなさい、捕られちゃった」
各々反省しながら、元の位置へ帰る。静葉は穣子の後ろを通る際、アウトにはなったがランナーを進めたことを誇り、続くキャッチャーの職務を押し付けた。
静葉の倒したバットを拾い上げ、柄の先に付いた土を手で払う。
「さ、真打登場よ」
お祓い棒より遥かに太い持ち手を握り直し、普段のように突き付けてみる。
「様になってるから怖いぜ」
「すっぽ抜けないのを祈りなさい」
「人員欠けで敗退は嫌だなあ」
魔理沙はすでに手慣れた様子で、ボールをグローブとの間で遊ばせる。
どこを狙おうかしら。咲夜が二塁に居るから、三塁に飛ばしてもダメなのよね。
三塁は無いとして、あちこちの顔ぶれを見てみる。二塁を守るサニーが一塁側に寄ってるのが嫌らしいなあ。
「さ、いつでもいいわよ」
考えてから、バットを構える。それから足元も踏み直す。
魔理沙の投球は、打席に立ってみるとより力強く感じた。筋力とかよりも、体力が十分なのだろうか。
一球目は、普通に空振りした。傍から見ていた印象に左右されて、少し振り遅れた。
「よしよしあと二球」
「言ってなさい」
少なくともあと二球は耐えてやろうと、三球目をファウルにしてやった。
続く四球目は、直前より遅かったために当てれると直感した。
「ここ!」
意識して振ると案外上手く行くもので、打球はライト前に飛んで行った。
一塁と二塁の頭上を越えてバウンドしたため、ライトが前に出て捕る。
守備しているのは、ルナチャイルド。バウンド先へ向かおうとするが、途中で足を引っかけて前から転ぶ。
「あっ、こいつ狙いやがったな!」
魔理沙の声を背後に、一塁へ向かう。
センターの妖夢がフォローに寄り、代わりにボールを拾う。一塁に到着したが、二塁は向かえなさそうだ。
今からボールを投げても、咲夜がホームに帰るのが先だろう。妖夢もそれが分かったのか、念のため二塁に投げるだけにした。
「霊夢さすが、容赦ないわ」
「霊夢よくやったわ!」
咲夜やチルノから声援が飛ぶ。味方からの声なのに、素直にほめられている気がしない。
そういえば、ルナチャイルドが転ぶのは二回目かもしれない。確かセンターに上がった球を一緒に追いかけて、一人で足をもつれさせていた。
「タイムタイム。ちょっと作戦会議だ」
魔理沙の挙げた手に、バッターボックスに入ろうとしていたミスティアが立ち止まる。
「とりあえず、三人組の転ぶ方、外野はやめておこう」
交替先を探して、各選手の顔を見る。
「よし、一塁と交替。いいな、スター」
「はーい」
私の隣に居たスターサファイアが応える。
ルナチャイルドを手招いて呼び寄せてから、小さな声で私に報告する。
「ここってほとんどボールを受け取るだけだから、楽で気に入ってたんですけどね」
四回で去るのは惜しいなあ。と溢しながら、軽く息の上がっているルナチャイルドと交替していった。うちのチームの一塁は誰だっけと考えたが、すぐに萃香だったと思い当たった。走らせるのも不安だし、てんで違う方向にボールを投げられても困る。受け取るだけの一塁に置いたのは、結果的に間違っていなかった。
「スター、いま、なんて言ってた?」
適当に、服の心配をしていると伝えておいた。
素直に信じたルナチャイルドは膝に手を当て、手早く呼吸を整え始めた。それを見たのか見ていないのか、魔理沙は即、試合を再開する。
ミスティアがこちらを伺いながら、そろそろと打席に入る。
これで三回目の打席だが、もう魔理沙の球には怖気づかなくなっていた。自分に当たるものでないと分かれば、案外平気なのかもしれない。
「霊夢さん、こっち来たら、代わりに捕って」
「いや、さすがにそれはできないわ。見逃して、入れ替わったあいつを信じなさい」
幾ら慣れ始めとはいえ、そんなにしっかり返せるとは思えない。一塁へ真っすぐは飛んでこないだろうし、急いで反応して取る場所は、体力が整っていても転んで捕れないだろう。よって打つまでは、回復に専念させてやろう。
そう考えていると、案の定、ミスティアはフライを打ち上げた。
「あ、こっちに来たわよ。上から」
「やあ! なんで落ちてくるのよ!」
ルナチャイルドの悲痛な叫びを置いて、二塁へ走り出す。
振り返ると、ミスティアの打った球は高々と上がり、一塁のほぼ真上へ、動かなくても捕れそうな場所へ飛んでいた。
さすがにあれは捕られたでしょう。
フライアウトで交代だろうなと見当をつけ、二塁までを流して走った。
▲ 六回表 スターサファイア
振ったバットに感触は無く、行き過ぎた重みで体がふらついた。バランスを崩して足を踊らせる。
「はい、スター三振」
キャッチャーのスターがアウトを宣告し、諦めて打席を離れる。
これで六回の表、ワンアウト目。
「お前の仇は私が取ってやるぞ」
「その前に小傘ちゃんですけどね」
出迎えてくれた魔理沙さんに困り笑いしつつ、小傘にバットを受け渡した。
それから、代わりに普段抱えている紫色の唐笠を預かる。抱えながらプレーはできないし、放置しておくのも寂しいということで、直前の私か、守備の時は余った攻撃チームが預かることになっている。
「いつも悪いね」
片手で渡したバットに比べて、唐笠は両手で受け取めるように持つ。いくらか自立して動いてくれるとはいえ、重みはある。
傘を開いて、胸元に抱え直す。
「いいんですよ。日傘代わりになってくれるから」
わちきら雨傘なんだけどなあ。と小傘が眉を下げる。心なしか、抱えた紫傘も傾いた気がする。
小傘を見送って、自分の番に向けて腕を伸ばす魔理沙さんがふとつぶやく。
「そういえば、香霖に持っててもらえばいいじゃないか。あいつ、もう向こうで暇してるぞ」
「そう言ったんですけど、駄目なんですって。いじくり回されそうとか、置き引きされそうとか」
「ま、自分の分身なわけだしな。商品にしても売れるかどうかは微妙なところだが」
そんなこと言うと、この傘は機嫌損ねちゃいます。ほら、暴れまわって日傘にしづらい。
それともこの傘は暴れたのではなくて、もう一人の活躍に高ぶっただけなのだろうか。小傘の打った打球をチルノがトンネルし、気を抜いていたミスティアが慌てて駆け寄る構図となった。
「よし、ヒットで出塁。ここから大本命だ」
一番の魔理沙さんが腕まくりをし、打席に向かう。
気配が一つ、このあたりを離れた。見てみると、香霖堂の店主がふらりと歩き出している。暇に耐えられなくなって、物探しに行ったのだろうか。
気を取られていると、魔理沙さんの打ったシーンを見逃した。
快音がして、ガッツポーズをしているという事は、良い打球だったのだろう。奥で小傘がてこてこと走っている。
「どうだ、今の凄かっただろ」
「ごめんなさい、ちょうどよそ見してたわ」
少し残念そうにしたが、すぐに「早く走らないと」とサニーが急かした。本来なら柵で仕切られているらしいのだが、ここには無い。ずっと喋っていては、ホームランになるかは分からない。
魔理沙さんが走り出し、代わりに小傘とルナがやってきた。小傘は靴跡で描いたホームを踏みつけ喜び、ルナはメモとペンを片手におろおろしていた。
「店主さんが、私に押し付けてどっか行っちゃった。いま点入った?」
「一点。でもまだ入るか分からないから、正の字にできるようにしておいてね」
今の一点で、三点目。三対三で、追いついた状況だ。
見ると、魔理沙さんは二塁で止まっていた。急いでも一周はできなかったろうが、三塁までは行けたかもしれない。
小傘が打席に入る早苗さんとハイタッチをし、その流れで私やルナとも手を合わせる。ルナは危うく、ペンで手のひらを刺しそうになった。
「交代交代。選手交代」
早苗さんが打席から、すぐに戻ってきた。何かと思えば、霊夢さんが宣言している。
腕が疲れたのか、肩を回して三塁へ歩く。少し話をした後、咲夜さんがボールを貰って真ん中に出てきた。
彼女とピッチャーを交代するらしい。
試し投げと宣言してから、何回かボールを投げる。
一回の霊夢さんほどではないが、ちゃんとキャッチャーの手元に届いているし、何より霊夢さんはもうやる気が明らかに下がっている。六回で折り返しだから、ちょうどいいのかもしれない。
試合は、比較的早く再開した。
「当たらないよう投げるのも難しいのね」
咲夜さんはそう言っていたが、早苗さんはなかなか打てずにいた。
一球目ストライク、二球目ボール、三球目ボール、四球目ファウル、五球目ボール。
前の回で、早苗さんが言っていた状況だ。ツーストライク、スリーボール。
「勝負球、ってやつが来たりするんですか」
早苗さんは状況を楽しんでいるようで、次の球を待ってワクワクしていた。
一方の咲夜さんはといえば、何かを思い出したように首を傾げていた。
「それじゃあ、奥の手を」
「本当にあるんですね、いつでもどうぞ!」
奥の手と言われて、一番怖がっていたのはサニーだった。どんな速い球が来るのだろうと、気が気でない。
何故かルナも怖がっているし、私も念のため一歩下がっておいた。
霊夢さんと魔理沙さんの動きを見よう見まねで、咲夜さんが体をひねる。それから戻るときに、ボールを前へ放り出す。
決して遅くはないが、手が滑った様子もなく、真っすぐに飛んで来る。先ほどまでと同じで、おかしいところは無いように思えた。
早苗さんは当然、バットを振る。肩にかけた位置から、ボールを打とうと腕が前に出る。
ちょうどバットが水平になるくらいのタイミングで、ボールが消えた。
「あ、あれ?」
当たると確信していたらしい早苗さんは、よろめいてから回転するように体勢を立て直した。
キャッチャーの方を見て、ピッチャーの方を見て、何が起きたのだろうという顔をしている。
「お望み通り。消える魔球、ですわ」
「あ、ボールが、ある」
どうやらサニーも状況は飲み込めていないようで、なぜかグローブにボールが入っている事に驚いている。
それから瞬きをして、ストライク? と何故か私に確認した。
「空振り、だけど」
「ボールは来てたもんね」
「振りましたもんね」
私もサニーも早苗さんも、三人そろってボールを見落としていただけなのだろうか。
違和感に三人で首を傾げながら、早苗さんは打席を出る。バットを妖夢さんに託しながら、さっきのはなんだろうと焦って話し合っている。
そのあたりで、二塁に居た魔理沙さんの声が聞こえてきた。
「さては咲夜、時間止めただろ」
私たちは顔を見合わせるが、早苗さんと妖夢さんはハッとした様子で指をさした。
「投げて時間止めて、キャッチャーのすぐ前でトスし直したんだろ」
「さすが魔理沙、勘づくのが早いわね」
「さすが、じゃない。そんなの打てないから禁止禁止!」
咲夜さんは「折角上手くいったのに」というような表情をしてから、頬を膨らませながら二塁の方を向いた。
「でも店主さんのルールブックを斜め読みしたら、ルール上存在していたわよ」
「そんな馬鹿な。お前みたいな選手がごろごろ居てたまるか」
若干不服そうだったが、咲夜さんは最終的に、今後魔球は投げない、という誓約に同意した。
三塁の霊夢さんが小さく、舌打ちしたように見えた。
今回は既に打席を出た後という事で、早苗さんが辞退してアウトという事になった。なので、三番目の妖夢さんから試合が再開する。
「もう魔球は無いぞ。思いっきりみねうちしてやれ」
二塁から声援が飛ぶ。妖夢さんは複雑そうに声援を受け止めながら、ぎこちなくバットを背負った。
咲夜さんに準備完了を知らせるまで、落ち着かなさそうに握り直したり、肩に置き直したり背を伸ばしたり。
一回に思うままにバットを振って失敗してから、徐々に皆に合わせて構えを変えている。
それから準備完了を伝え、一球目が飛んできた。
構えは合っていたのだが、振り方に迷ったのか。足が前に動いてしまい、少し振り遅れた。
空振り。
「腰回してけ、腰」
魔理沙さんがもうコーチみたいになってるわ。
とりあえず手を傷める事はなさそうだが、妖夢さんはしっくり来ていないのか、首を傾げてもぞもぞ動いている。
「妖夢さん、最初に比べて大体合ってきたね」
ルナが小声で話しかけてくる。
確かに、四回目の打席となれば随分慣れてきている。最初は手を傷めて、二回目は縦に振って当たらない。三回目は剣道のように正面に立とうとして、チーム内から止められた。
「咲夜さんも普通に投げるしかないし、もしかして」
ルナの期待も空しく、ボールを地面に叩き付ける音が鳴った。肩に構えたバットを、斜めに思い切り振り下ろしたらしい。正面に跳ねたボールを、咲夜さんが前に捕りに来る。
妖夢さんは「私この競技向いてないです」と嘆きながら、必死に一塁へ走っていった。
● 九回表 東風谷早苗
最終回を迎えても点差はつかず、思いのほか、試合は拮抗していた。
六回の表に点を取って、三対三。八回に私たちが追加点を取っても、その裏の回で霊夢さんたちも点を取り。
結局四対四と同点のまま、九回の表がやってきてしまった。
「わあ、ここに来てみると怖いですね」
キャッチャーの位置に屈むと、その怖さがよく分かった。ボールはちょっと間違えれば顔に飛んで来そうだし、バットに至っては自分の目の前で思い切り振り抜かれるのだ。
試しに咲夜さんのボールを受けてから、バッターボックスの前で素振りをしているサニーさんの様子を伺う。怖がっている様子は、魔球宣言をされた一時を除き、全くなかった。
「よくこんなのできますね」
「そんなに怖いかな。臨場感、っていうの? 私は楽しかったけど」
「サニーは石頭ですから」
後ろから小さく聞こえた声に振り返るが、声の主は打席の近くにさっと並んでしまった。
サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイア。九回の打席は、この仲良し妖精の三人から始まる。誰かが塁に出れば、小傘さん、魔理沙さん、私と続く。
覚悟ができた旨を咲夜さんに伝え、ボールを返却する。
「さあ、行くわよ」
気合の入ったサニーさんが、バットを振り回して打席に入る。大丈夫と分かっていても、やはり少し怖い。
「行きますよ」
咲夜さんがひと声かけてから、投球する。
ボールをよく見て、飛んでくる球を受け止めに行く。手に力を入れようとした時に、目の前でバットが振られる。
快音は鳴らず、ボールを取った衝撃が手のひらに伝わる。
空振り。
「くそう」
九回になって本当に気合が入っているのか、サニーさんは思い切りスイングした。踏ん張ったかかとが、土を擦って小さく音を立てる。
投手と打者が構え直し、私も気を引き締める。
二球目は、先程より球の軌道がよく見えた。
少し打者に近い球は打ちづらかったのか、サニーさんの打球は上手く飛ばなかった。ボールは三塁よりも外側に向かって飛んだ。
「ふぁ、ファウル、ファウル!」
もしファウルでなければ、三塁が簡単に取れるゴロになってしまう。だから必死に宣言するのだろう。
咲夜さんと目が合ったので、頷いてファウルだと判定する。
「よかったあ」
「でもツーストライクですよ」
「どっちにしろ振るんだし、関係ないって」
ボールを投げながら傍らを見るも、彼女は全く怯んでいない。
三球目は、ボールだった。すっぽ抜けた球に手を伸ばして捕まえるも、バットは振りそうになったところで留まっていた。
「ツーストライク、ワンボール」
順番待ちのスターさんが靴を動かしながら、声援を送る。
応援が力になったのかは分からないが、サニーさんは次の球を打ち返す。
「よっしゃ!」
「氷精さん!」
「任せなさいって!」
試合も最終回になったからか、選手もみんな熱がこもっている。二塁のチルノさんが、一塁との間に飛んだ球に手を伸ばす。
「あ、無理! ミスティア!」
「もう!」
グローブの先を抜けた打球を、念のため寄っていたミスティアさんが回収する。急いで塁に投げるも、駆け込む方が早かった。
「わあ、間に合った!」
喜ぶ妖精に交じって小傘さんが準備を始める。一人塁に出たため、順番が回るようになったのだ。
バットを拾い上げて、ルナさんが恐る恐る打席に入る。
「振る、振る」
当たったら、走る。と念仏のように唱えながら、小さくバットを構える。
やはり打席に入るのは慣れないのか、唇を固く結び、頬がふっくりと膨らんでいる。
かわいらしいなあと眺めながら、咲夜さんの投球を捕る。バットを振る度に、やあ、であるとか、ぬわ、であるとか。小さく声を漏らしている。
「おわ」
一回のファウルを挟んで、計四回のうめき声であえなく三振となった。
頭をかきながら、続くスターさんにバットを渡す。
「ううん、スター、よろしくね」
「はいはい」
これでワンアウト、一塁。
小傘さんまで回ることは確実だが、魔理沙さんが絡まない打順で、得点に繋がるかどうかは怪しい。先程少し話されたが、打てる人が固まり過ぎているのも問題かもしれない。
「サニー、なんとか帰せるかなあ」
同じことを考えていたのか、打席に入る際に小さくつぶやく。
それから少し待って、スターさんは打席を変えた。
「こっちから打ってみてもいいですか?」
今まで立っていたのは、ホームベースの横に二つ作った打席のうち、三塁側。効き手の問題か、みんな自然とそちら側を選んでいた。
どちらが打ちやすいかは人によるのだから、途中で変えても問題ないのではないか。
「よいしょ。上手くいくかなあ」
一塁側の打席で、数回素振りをする。動きは少しぎこちないかもしれないが、一塁側から走った方が当然塁までは早く到着するのだから、それが有効だと考えたのだろうか。
いいですよ。と咲夜さんに声がかかり、私も構え直す。
咲夜さんは「当たらないと思うけど気を付けてね」とひと声かけてから、ボールを投げた。
ストライクにはなるだろうが、少し高めのボールだった。慣れない構えなら、遠くに飛ばないとの考えだろう。
しかし予想を裏切って、打者はそれを、振らなかった。
小さく鈍い音がした。
バットにボールが当たったからと、スターさんは急いで走り出した。一瞬目線を走らせたが、ボールはすぐ近く、咲夜さんが取るまでもないくらい、微妙に前方を跳ねていた。
バントだ。と外野から声が聞こえた。そうか、打たれる側はこんな感じなのか。
「大丈夫です!」
急いで前に出て、ボールを拾う。一塁に投げるか、二塁に投げるか。
二塁に投げれば一塁のみでツーアウトだが、私の肩で投げて、間に合う保証はない。
少し迷ったが、一塁に送球した。
アウトにした代わりに、サニーさんが二塁へ到着する。
「ナイス、スター」
アウトになって帰ってきたスターさんが、手を振って応える。笑顔で帰ってくる様子から、自分はアウトになるつもりだったのだろう。
さっきの素振りに、すっかり騙されてしまった事になる。
彼女が歩いて戻ってくるので、小傘さんは傘をルナさんに預ける。それからバットを探して、きょろきょろする。
「ああ、こっちですよ」
先程右側の打席で使われたため、私の陰になっていた。頭の方を持って、渡してやる。
「あ」
バットを受け取った小傘さんが、はっとした表情を見せた。
確認するように私を見て、咲夜さんを見て。
両手でバットを抱えたまま、少し放心していた。
「あ、ううん、なんでもない」
それから素振りもせず、すぐに打席に立った。普通に、左側の打席だ。
「大丈夫かなあ」
前を見て、小さくつぶやく。
得点に繋がるのか気にしているのかもしれない。けれどもその表情は、以前の打席よりずっと険しい。
一球目はボールだった。打者の位置が変わったからか、右側の打席の方へ逸れた。
二球目はストライク。整えるためか、真ん中に届いた球だった。
ここまで二球とも、小傘さんは振る様子が無かった。
「振っちゃっていいぜ、咲夜はあんまりボールしないだろうし」
魔理沙さんの声に、三球目をスイングした。が、バットはボールの上を通り、これでツーストライク、ワンボール。
小傘さんは、四球目も振れなかった。
バットを強く握りしめるも、迷ったように動きが止まってしまった。
スリーストライク。これで三つ目のアウト。九回の表が終わって、交代だ。
「小傘さん?」
霊夢さんたちが戻ってきても、小傘さんは打席に入ったまま、バットを下してじっとしていた。いつもなら守備位置が遠いからと、早くにグローブを受け取りに向かっている。
体調でも悪いのだろうか。
「ううん、なんでもないの。ごめん、振れなかったや」
私の問いにぱっと応えて、魔理沙さんに笑いかけた。
まだ手に握っていた物に気づくと、咲夜さんに駆け寄り「次、咲夜さんからだよね」とバットを手渡す。
それから預けていた傘を受け取り、レフトへ向かっていった。
○ 九回裏 森近霖之助
「よし、私の勝ち!」
咲夜から三振を取った魔理沙が声高らかに喜ぶ。試合が終わったのかと思ったが、そういうわけではないようだ。
初回より幾ばくか悔しそうな表情で、咲夜が打席を譲る。
「魔理沙、また勢いついてる?」
「ラスト前だからな。最後まで頑張るぜ」
肩をぐるぐると回し、自分に気合いを入れる。打席に入る穣子も、ぶんぶんと素振りをして戦意を見せる。
これだけ楽しんで活用してもらったなら、もう道具は譲って良いのではないか。レンタルとしていたバットとボールも、グローブとセットの販売ということで売ってしまおう。
ぼんやりと頭の中で商談を続けていると、当たった、と喜ぶ声が聞こえた。
打者が走っていないため、先程の一打はファウルらしかった。
巻き込まれた選手役は疲れたし、持ってきた本も読み終わってしまった。遺失物のスポットも見終わってしまったため、観戦しかすることがない状態だった。一塁側の離れた場所に座り込み、点数係が帰ってくるのを避ける。
「次も当てるからね」
魔理沙の投球は、確かに気合いが入っていた。後少しと分かってきたからか、思いきりが良くなったように見える。
それでも穣子は、宣言通り一二塁間を抜ける球を返した。自分のチームの方へ指を立て、長打のように喜んで走る。
「どうよ、私の初ヒット」
「はいはい、転ばないでよ」
霊夢の声にようやく前を向いた穣子が、無事に一塁へ到着する。それを見届けてから静葉がバットを拾い、打席に立つ。
当ててもいいわよ。と一塁から穣子が声を飛ばす。確か聞いたルールだと、打者に投球を当てると罰としてヒット扱いなのだったか。
「思いっきり投げても避けてくれるだろうってのは、敵ながら信頼できて良いぜ」
「反応できない速度はやめてよね。苦手なの」
威嚇のつもりかぐるぐると魔理沙が再び肩を回し、投げる構えをとった。
静葉は一度バットにかすらせたもののその後は振るわず、三振となった。
これでツーアウトとなり、打順が一巡して霊夢が打席に立った。
「よし、あと四人だな」
額の汗を手のひらで拭い、自信に満ちた様子で魔理沙が笑う。霊夢はといえば、きょとんとした顔で指折り数えている。
「霊夢を押さえて、延長戦。私たちが点を取って、あと三人アウトにする。完璧に四人だ」
そう言われて、今が同点だと思い出したようだ。にやりと笑って、打席で構える。
「終わるまで続けるんでも、私たちが得点無しに押さえればもう一巡よ。咲夜とあんた、どっちの方が体力余ってるのかしら」
「ああ、じゃあ、あれだ。延長はお互いピッチャーを新しく出そう」
それはそれで点の取り合いが始まり、なかなか回が変わらない気もするが。横目で霊夢チームの残りを見て、こっそりと思う。
「それでもまあ、あれなんだけどね」
霊夢が構え直して、魔理沙が投球準備をする。
「私が打って、四人でなくしてやるわ」
宣戦布告に対して、にやりと笑い返したように見えた。
足を振るようにして前に踏み出し、肩を振り回すように、キャッチャーへぶつけるような球を投げる。
位置取りも相まって、魔理沙の球は真ん中の高さを突き抜けるような。スピード勝負と言えるような球だった。
霊夢は分かっていたように、バットを振り抜いた。思いきり振ったように見えたが、正確に真っ向からボールを捉え、長打を予感させる振り方だった。
「あっ」
声を漏らしたのは僕だったのか、穣子だったのか。
端から見てボールとバットの当たり方が、おかしかった。しなるにしては、深すぎる。
折れる。直感的にそう思った。
霊夢も魔理沙も、目を見開いたのが分かった。それでも動きは止められず、振り抜く中で、木製のバットが持ち手の幾らか上から裂けるように、二つになった。
「バットが」
穣子が呟いてから、職務を思い出したように走り出した。ボールは天を目掛けて、確かに上がっていた。
躊躇わずに振り抜いたのが功をそうしたのか、最後の一打の余力はあったのか。鋭く飛んだボールは外野が走るような角度で飛び、レフト方向へ飛んでいった。
レフトの守備位置に居るのは、小傘だ。既に背を向け、走り出している。
思わず、立ち上がって行方を追った。離れたここからなら、打球と彼女が並走しているのが見えた。
霊夢が走るのも忘れ、一塁の辺りから同じ方向を見る。
霊夢にも分かるはずだ。小傘の身長をゆうに越える打球だった。
それでも彼女は後ろに走り、落下点へ近づこうとする。
首を回して球の位置を見ながら、脱げかけた下駄を引っかけて走る。全力疾走し、紫色の傘が揺れる。
そしてついに小傘は、捕球するべく跳躍した。
「ほ」
地面を蹴って、片手を伸ばしてもたかが知れている。
けれども彼女の伸ばした手の先にあったのはグローブではなく唐笠、そしてそこから伸びた長い舌先には、無理矢理装着されたグローブがあった。
遠目から見て、小傘の身長の二倍はあろう高さに到達する。
器用に傘と舌を傾けて、グローブの面にボールを迎え入れる。
一度勢いを殺してしまえば、後は重力に従うだけ。傘の面で一度バウンドしてから、左手の上に収まる。
彼女は全身を目一杯に伸ばして、最後のフライを捕まえた。
スリーアウト。
霊夢の打球はレフトフライになり、九回の裏が終わった。
● 試合中断 東風谷早苗
「もう限界だって、手に取ったときに分かったの」
小傘さんは、弁解するように喋った。
目線の先には左手に収まるボールと、地に転がる二つになったバット。
「遅かれ早かれ、もう壊れちゃうだろうって。別に壊れちゃうのがどうってわけじゃないの。使い込まれたのはこの子にとって良いことだし。でも、せめて、最後の打球は私が受け取ってやろうと思って」
ボールを持つ左手にきゅっと力がこもり、右手にも力が入る。雨の日にやるように、傘が寂しそうに一回転した。
停止した傘の目玉が目の前で止まり、私と目が合う。
傘に皺が寄り、申し訳なさそうに眉を形作る。
「だからその、傘を使ったのは、そういうわけで」
彼女の論点は、反則なのか否かのようだった。
飛んではいけない、能力を使ってはいけないとのことだから、難しいラインなのだろう。判断に悩んだが実行した旨を語る。
「ううん、なるほどな」
魔理沙さんは腕を組んで悩む。霊夢さんは自分の番に壊れたことを気にしているのか、何も言わない。
「まあ反則だ、って言ったところで、再開できないわけだし」
彼女は当時の状況を指折り数える。
九回裏、一塁、ツーアウト。
得点は四対四。
「これは、なあ」
「引き分け、かしら」
顔を見合わせる両チーム主将。その意見が一致する。
「小傘のは、私も気が付かなかったわけだし」
許す。と霊夢さんが手を上げる。
「ですって。よかったですね」
「うん、反則扱いしたら、祟ってやろうかと思った」
あんたは驚かすくらいしかできないでしょう。と霊夢さんは肩をすくめる。
「じゃあ試合終わりか? そうしたら宴会、だな?」
待ちきれないとばかりに、萃香さんが確認する。
「まあ、そういう約束だったしね」
「後味は良くないけどな」
「どこでやるの。博麗の神社? 春野菜なら持って行くわ」
「お嬢様が後で知ったら憤慨しそう。呼んでもいいかしら」
試合が終わったと分かると、全員からふっと力が抜けた。わらわらと思い思いに歩き出しながら、口々に疲れたであるとか、宴会の内容について話し合う。
振り返ってみると、傘とバットを抱えた小傘さんの後ろから、香霖堂さんも着いてきている。このまま一度別れる者はバラバラに抜けていき、博麗神社で再び集まるのだろう。いつも通りの宴会が、始まろうとしていた。
昔に見た試合では選手が一列に並んで挨拶していたが、霊夢さんたちには、自然に集まり自然に別れる、こちらの方が似合っている。
「あの、霊夢さん」
先頭を歩いていた霊夢さんを、小傘さんが呼び止めた。
傘を傍らに自立させ、両手でバットを抱えている。
「供養みたいなのって、できるのかな」
○ 中二日 森近霖之助
先日とはうって変わって、魔理沙はストーブから離れるように居場所を見つける。それから既に来店している客を見つけ、咲夜じゃないか、と声を上げた。
今朝は朝から霊夢が靴墨を借りにやって来て、昼には咲夜が買い物をしに来た。
そこに香霖堂に二日ぶりに魔理沙がやって来て、今日は常連の冷やかし両名が揃ったことになる。
「や、昨日一昨日は本当に肩が辛かったんだぜ」
来るなり商品を見るより先に、霊夢や咲夜に話を始めた。
「当日は楽しくて気にしてなかったんだけどな、宴会終わって覚めたら酷いもんだ。無理しちゃったんだろうな」
「そういえば、宴会の途中は平気だったわね」
「昼になったら肩押さえて帰っていったわ」
ここ二日は最低限の外出に控えていた。と話してから、魔理沙はあの後の神社の様子を訊ねた。
「小傘が供養したいとか言ってたじゃないか。結局、どうしたんだ」
霊夢がお茶をすすりながら答える。
「したわよ。昨日」
「なんだよ、ちゃんと呼べよ」
「別にそんなに面白いものじゃないわ。簡単にお祓いして、焚きあげをするくらい」
私も感謝してるんだからな。と魔理沙は言うが、元を辿ればうちの商品だった筈なのだが。
それから魔理沙は、咲夜と霊夢の座るテーブルセットの上に、見慣れない商品があることに気が付いた。
「これは?」
樹脂製の四角い箱の内側に、緑色のシートが張られている台。中心と四隅の角の一つには、金属の機構がついている。
「野球盤だよ」
霊夢が正しく説明できるか不安だったので、立ち上がってそちらに行ってやる。
「君たちがこの前やった、野球を簡易的に表したボードゲームだ」
盤面上で行う野球だから野球盤、と教えてやる。
二ヶ所に分けて付けられたボタンを指してから、同じく二ヶ所の機構を指す。
「ここが投手、こちらが打者。ボールを模した金属球を置いて、ボタンを押すと打ち出される。打者側のボタンを押すと、バットを模した金属棒が振られる」
試しに指で押して、動くことを示してやる。機構の内部が、がしゃがしゃと音をたてる。
「打った球の結果は、どこに飛んだかによって大まかに決まる。囲いと色がついている場所に、文字が書いてあるだろう。それが打球の結果だ」
ほうほう、と興味を示す魔理沙。自分の指でボタンを押して、確認している。
然り気無く霊夢が席を立ち、お茶のおかわりを注ぎに行く。
「咲夜、ちょっとやってみようぜ」
「ええ、まあいいわよ」
そこに居た咲夜に声をかけ、霊夢の居た席に座る。それから、やっぱり立った方がいいな、と立ち上がり直す。
咲夜が指先で金属球をつまんで、投手の席に置く。それからゆっくり手元のボタンに指をかけ、様子を見る。
球は真っ直ぐ前に飛ばすだけなのだから、打てるかどうかは当然タイミング勝負になる。魔理沙の顔色を窺うようにしてから、投球した。
かしゃん、がしゃん。
「だあ、アウトのとこに入ったか」
魔理沙の反応は早かった。無事に打ち返したものの、アウトと書かれたポケットの中に、金属球が転がり落ちた。
指でつまみ上げて、自分から投手の留め具の中に戻す。
「でもこれなら、空振りすることはなさそうだ。もう一回やろうぜ」
僕は投球前に、咲夜に一言助言してやる。それから机の上に以前読んでいた解説書を置き、遠目から眺める。
先程と同じく、二人はしばらく様子を見あってからボタンを押した。
かしゃん、がしゃん。
振れば当たると言った魔理沙だったが、球が前に飛ぶことはなかった。
「おい! なんだその溝!」
「これが本当の、消える魔球ですわ」
盤面にかじりつく魔理沙をよそに、咲夜はこちらに小さくウインクをした。
実践における動作確認を見届けた僕は、定位置であるカウンターの席に戻る。ちょうど霊夢がお茶を注いで、奥から戻ってきたところだった。
「なにあれ、どうしたの?」
「消える魔球を間近で目撃したんだよ」
魔理沙は予想通り、交代をせがんでいた。「どうやったんだ今の、私にも投げさせろ」とはしゃいでいる。
それを眺める霊夢に、あの野球盤の機能を教えてやる。
「投手側には、ボタンがもう一つ付いている。それを押すと、バットに到達するまでの盤に溝ができる。あのボールは宙ではなく盤上を転がるのだから、当然ボールは溝の中をゆく」
それが消える魔球の正体。能力もいらない、指先一つでできる魔球。
そして僕が入手した解説書は、本物の野球についてではなかった。だから魔球について言及があった。現実にはできない事が、あの盤上では起こりうる。
打った場所によってアウトか決まるというのは守備側の捕球力を揶揄したものかと思ったが、実物を見てみれば分かる、あの柵のことだ。
「あれは、外界の品でしょう。無縁塚で見つけたの?」
否定する。
少し特殊な、押し売りに近い仕入れ先の者が届けた品だ。
「ああ、だから店の奥が少しすっきりしているのね」
「またか」
望まぬ仕入れの後は、代わりに店の中の物が持ち出されている事が多い。後で何が無くなったか、確認しておく必要ができた。
「おい、なんで打たないんだ」
「今のは打てない球だから、ボールよね」
「汚いぞ、そういう仕組みか」
霊夢が魔理沙の方に呆れたような目線を飛ばしてから、僕の手元を見る。
後ろから少し読んでも見覚えがないからか、霊夢が質問してきた。
「霖之助さん、それは?」
「これは“サッカーの解説書”だ」
それなら知ってる。と霊夢が答えた。競技版の蹴鞠みたいなやつでしょう、と。
目標は違うが、彼女の感覚にしては概ね合っている。
「そう、蹴るやつだ。僕も実物は見たことがないが、その解説書が本に挟まっているのを見つけてね。物珍しいから少し読んでいた」
霊夢は覗き込む姿勢から元に戻り、お茶を飲む。
「ただ一つ、読んでいて分からない点がある」
振り返って、霊夢がまだ聞く様子であるのを確認して続ける。
「この中には『選手についたバーを回転させボールをキックする』とある。いったいどういうことだと思う?」
それはそうとやっぱり一本足打法なのかな
高評価ありがとうございます。仮にも小傘をタグ付けしているので、少しでも魅力的に見せられていたら幸いです。
野球の経験は全く無いのでなんとも言えませんが、初心者の彼女が行っている姿は想像しづらいですね。ですがその打法がしっくり来るのはやはり彼女なので、やがて大物バッターになるのかもしれません。
>3 儚い世様
評価ありがとうございます。
スポットの当たる人物以外を簡単に済ませ過ぎたかもしれません。何分ナレーションの文を書き慣れていないもので、このような形になってしまいました。
もう少し進行速度に注意して、情報の不足がないよう気を配りたいと思います。
簡易評価を入れてくださった方、ありがとうございます。
なんとか最後の評価ボタンまでたどり着いていただいたことを本当にありがたく思います。
評価の理由を一言でも付けてくださると喜び倍増なので、次回見かけた際には是非お願い致します。
高評価ありがとうございます……! 毎度不安なオチを評価して頂けると、嬉しさ倍増です。
正しい四月分を何とか投稿し終えたので、そちらもよろしくお願いします。
幻想郷で野球遊び、凄く良いですね!
皆で集まってワイワイとやる草野球の楽しさが伝わってきました。
また、楽しいとか焦っているとか憤慨しているとか、言葉で心情を説明しているのは最低限で、
各人物の仕草、行動が、心情を説明しているその手腕が凄いと感じました。
そして、野球の試合の流れにしても凄く丁寧ですね!
野球未経験でありながら、ここまで流れの機微を描けるなんて…
相当な筆力であると改めて感じます。
一方で、気になった点を幾つか挙げさせてください。
まずは、この野球の試合は軟式ボールじゃいけなかったのかな?と…
幻想入りしたのが木製バットなのでという事もあるのかもしれませんが、
硬式球で詰まらされて芯を食わなかったり、しっかりとグローブのスポットで捕れなかったり、
何より死球が当たった時のあの痛みは結構尋常じゃないモノがあるので…
霊夢、魔理沙、咲夜さんや妖夢、萃香などセンスやパワーのありそうな面々は、まだ硬球に対応していても納得できたのですが、
妖精や一般妖怪たちも参加している「遊び」な以上は、敷居は低い方がより感情移入できたのかなと思います。
また、基本的に行間が無い事も少し気になった点でした。
(ストーリーは起伏やテンションの緩急があって凄く良いと思います!ストーリーではなく、あくまで文体の話です!)
野球のプレーという意味で言えば、例えば、フライが上がってボールが落ちてくるまでの時の止まったような感覚だったり、
痛烈なゴロが息付く暇などないような速さで飛んできたり…
会話にしても、常に同じペースでやり取りされているのではなく、考え込んだり、まくし立てたりする場面があると思います。
そういう時に行間の空き方が変わっていると、その微妙な「間」が感じられるのではないかなと思いました。
と言いつつ、こればかりは作者様のスタイル云々によるものなので、決して正解は無いと思います。
行間を空けすぎると逆に読みにくいという事も当然あるでしょうし…
以上、ほんの少しだけ気になった点だったので、両者合わせて10点だけ割り引かせていただきました。
でも、本当に素晴らしい幻想郷ですね!
皆が生き生きと動いていて、五感を刺激する風景や状況の描写もあって、本当に凄いと思います。
くろさわ様の描く幻想郷に触れていくのが、本当に楽しみです。
最後に…
>フライアウトで交代だろうなと検討をつけ、二塁までを流して走った。
検討⇒見当 でしょうかね。
正直、鬼の首を獲ったように誤字を指摘するのは好きではなく、
普段は自分の中で正しく変換して読み進めるのがほとんどなのですが、
くろさわ様のSSが、描く幻想郷の世界が、あまりに自分の心を打ったもので、
より完璧であって欲しい!という自分の勝手な願いから、ご指摘させていただきました。
以上、長々と大変失礼致しました。
先日は励みになるお言葉をありがとうございました。
遡って頂けるとは思っていなかったもので、相当焦っております。
仰る通り、木製バット落ちを決めた時点で硬式野球になりました。
そう簡単に飛ぶもんじゃないというのは、やはり経験者にとっては気になる点のようですね。
実力差と敷居については、私の中で、みんなが運動できるわけではなく、上手い下手が混ざって遊ぶ。というのが理想としてあった気がします。
何も知らぬ私が書いたからこうなった、というのがあるのかもしれません。
注釈を付けて気を使っていただくなんて、本当に痛み入ります……。
読み返してみると、確かに淡々とした流れが目に付きます。
私自身、行間開けを避ける傾向があります。
不用意に行間を開け始めるとそればかりになる気がして(ただでさえ経過時間が分からなくなる文字量なので……)、地の文で繋げるようになろうと四苦八苦しております。
読みづらい文章となってしまい、申し訳ありません。
自分の思う幻想郷に同意していただけるのは、本当に嬉しいことです。
合う、合わない、がはっきり分かれる二次創作ですが、いぐす様の好みに合ったようで良かったです。
まだまだ拙い文で、騙し騙しの点はありますが。自分の本当に納得したものをお見せできるよう、精進して参ります。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
誤字について。
不思議と何度読み返しても全く気が付かないものなので、どんな勢いでもご指摘いただけるだけで助かっています。
修正しておきます。
本当にありがとうございました。