§
リリーホワイトはまだ訪れていない。しかし昼は段々と長くなり風に陽気も混じり始めた頃、博麗神社は深い雪に閉ざされていた。常人の背丈ほどに積み上がった雪はなぜか神社の建物には見当たらず、境内のみが雪の大地と化していた。周囲の鎮守の森にも雪は見られるがせいぜい足首を埋める程度で、寒い幻想郷では至って普通の光景だった。
白い大地には二人分の影がある。腕組をし仁王立ちをする紅白の少女と、スコップを杖代わりにぜいぜいと腹で息をする兎耳の紺白だ。
紅白の少女ははやる気のない目とひそめる眉で兎耳に言葉を投げた。
「ほら、早くしないと日が暮れるわよ」
「だっ、だったら! 少しは、手伝いなさいよ……!」
「私が手伝ったら償いにならないでしょうどん」
「誰が麺類よ八つ当たり巫女、鈴仙・優曇華院・イナバ!」
「誰が八つ当たりよ、博麗霊夢!」
へにょりを加速させる兎耳と長袖ブレザーの少女、鈴仙・優曇華院・イナバは紅白の腋出し巫女服に肩を隠す程度の羽織ものという博麗霊夢を睨みつけたが、涼しい顔で受け流されるだけで、溜息を一つ下を向いた。
鈴仙にはやや大きいスコップで大地を突き刺すと、雪を小さい塊として掘り起こす。それを見つめる瞳が怪しく狂気を湛えた赤色に輝くと、数秒で雪は溶けて無くなってしまった。
「ねー、さっきも言ったけど一気にできないのそれ?」
「あのねぇ、雪ってのは水の波が静止状態にあるからその波を弄ってやれば水になるって言っても、この量を一気に操作できるわけじゃないじゃない」
「ほら、弾幕ごっこの時のビームとか」
「光なんて水に吸収されて著しく減衰するからもっと出来無いに決まってるでしょー」
「あーあ、一気に片付けられるなら里の雪かきでもさせてうちのご利益に出来るのに、残念兎」
「残念兎って! 今残念兎って言った!?」
「はいはい、いいから手を動かす。無位置の不始末も片付けられないんじゃ残念度が加速するわよ」
「うぎぎ……てゐは絶対に帰ったら殴る。一発、いや三発!」
復讐の炎が消え去らない内にか、鈴仙の作業速度は勢いを増した。
呪詛のようにどえりゃーやらこなくそーなどの叫びが聞こえる中、霊夢は、
「残念というより不憫ねぇ……」
白い息混じりにそう呟いた。
§
西の中ほどの空に宵の明星が浮かんでいる。
博麗神社の拝殿から漏れる光が境内の石畳に映り、程なくして空の色を映し始めた。
「はー、遅くなったけど終わった終わった。……ってまだいたのあんた?」
畳敷きの居間のちゃぶ台に突っ伏す鈴仙は、上の方から聞こえてくる声にぎこちなく首を向けた。
「散々人をこき使っておいてちょっと休憩してるぐらいで何よッ」
「はいはい、休憩終わったらさっさと帰りなさいよね。おうちの人が心配してるわよー」
「少しは心配の欠片ぐらい言葉に込めなさいよね! ……どうせ心配してないけど」
「今朝方降って湧いた雪のように冷たいわね。火鉢の炭もう少し入れるわよ」
「冷たいんじゃないのよ、あの方達にとって夜に帰るどころか一年後に帰ったって大差ないんだし。どうぞー」
顎を天板に載せた鈴仙は、ちゃぶ台の向こうに丸い火鉢と炭の色を見ていた。
霊夢が手にした木炭を鉢に三本ばかり追加し、何事かを唱えると炭はあっという間に色付き、若干寒気のあった室内が一気に暖かくなった気がした。
その時の霊夢の静かで強い眼差しにまばたきを忘れた鈴仙は、ようやく我に返ると、途端に眉間に皺を寄せた。
「あの、今のってもしかして」
「ん? ちょっと火鉢の神様に頼んで炭火を早く移してもらったのよ」
「ほぅほぅ……、じゃなくて! 依姫様と同じく神様呼び出せるはずでしょ!?」
「そりゃ出来るけど、別にこの程度で」
「そうじゃなくて、別に私が苦労して雪溶かさなくてもなんかの神様にやってもらえば良かったじゃない」
「……そうね、その手なら里の人達にも博麗神社の有り難みが……」
「そっちじゃなくてわーたーしーのーくーろーおー!」
鈴仙が恨み節を声音にしつつある中、霊夢は向かいに座り込んで、
「冗談よ冗談。大体、神様の力で里の雪かきなんて出来ないわよ」
「そうじゃないけど……なんでよ?」
「冬になったら雪が降って人は生活のために雪を除去しなきゃいけない、この摂理に神様が介入するってことは冬に在るべき里の姿を壊しかねない、ましてや人の業でならまだしも神様の力でだなんて奇蹟を安々と起こせないしそれに」
「それに?」
「そうなったら私が毎年神様呼んで雪かきしなきゃいけないじゃない。そんなめんどくさいことやりたくないわ」
「ちょっとは巫女らしいと思った私が馬鹿でした」
「五月蝿い。さて、だいぶ時間も経ったし夕飯作るの手伝っていきなさい」
「は? なんで私が」
「今夜は兎鍋の気分だからそうしようかしら。胸とか尻とか肉付き良いし」
「だああもう! 手伝えばいいんでしょ手伝えば」
「あ、自分で作った分は食べていいからね」
「言われなくても食ってやるわよ、重労働でおなかペコペコだし」
二人分の立ち上がる姿が障子に影となる。その影は奥へと消えていく。
一方は風のように、もう一方はやや戸惑いの停止を混じえて、風を追いかけて。
§
博麗神社の勝手場は狭い。それが鈴仙の第一印象だった。宴会あった時の後片付けの時などは特にそうで、しかし日常が一人の身には十分な大きさだと思い直したのはいつだったか。
「宴会の時もそうだけど意外と手際良いわよねあんた」
「意外って失礼ね。炊事洗濯掃除ぜんぶ手際良くやらないとやってられないわよ」
「兎があんなたくさんいるんだから手伝わせればいいのに」
「あの兎達に期待したって無駄でしょ。ああ、私は別だけど」
「炎に身を投げるぐらいの献身さはどこへいったのよ」
「そんなの地上の兎に残ってるわけ無いでしょ」
「あんたも地上の兎でしょうが」
鈴仙の手が止まる。
「……そうね」
そして再開された動きの上、顔に浮かぶものを霊夢がちらりと認める。
真紅の瞳は遠く、寂しげでもあり、けれど表情は柔らかい。
霊夢はふーんと鼻で返すと、それきり黙って手元に集中した。
§
「一応泊まっていけるけど本当に良いの?」
玄関戸は開かれ外気が内側にいる霊夢を通り抜けていく。
月星の光がわずかに照らす下に鈴仙はいた。彼女は霊夢の普段と変わらぬ顔に視線を合わせ、
「明日も仕事だからね。それにてゐにお仕置きをしないと」
「犬並に執念深いわね。……今から帰ったら夕飯にも間に合わないと思うけど」
「別にここで食べたから平気よ、ごちそうさま」
「いや、あんたが夕飯作ってないって叱られる方」
「私がいなかったらいないで勝手に作るから平気よ。後片付けが飛躍的に大変になるだけで」
「……不憫兎」
「だからなんか熟語付けて不幸みたいに言わないでよ! 我ながら不憫だけど!」
「はいはい。いいからさっさと帰る」
「ううっ、ぞんざいな」
「早くしないと丁寧な御札や針を手土産にしてあげるわよ?」
「帰る! 帰るからちょっと待って!!」
「ほら、鳥居までは見送ってあげるからさっさとしなさいよね」
「まったく、これも全部てゐの所為だわ……四発は絶対にやってやる」
神社正面の赤鳥居は夜影を伸ばしている。
鈴仙は、じゃあね、と一言残して飛び立っていった。
その姿が見えなくなる。霊夢は普段と変わらぬ境内をしばらく見つめ、少しだけ鳥居の向こうへ横顔を向け、やがて母屋へと足を運んだ。
リリーホワイトはまだ訪れていない。しかし昼は段々と長くなり風に陽気も混じり始めた頃、博麗神社は深い雪に閉ざされていた。常人の背丈ほどに積み上がった雪はなぜか神社の建物には見当たらず、境内のみが雪の大地と化していた。周囲の鎮守の森にも雪は見られるがせいぜい足首を埋める程度で、寒い幻想郷では至って普通の光景だった。
白い大地には二人分の影がある。腕組をし仁王立ちをする紅白の少女と、スコップを杖代わりにぜいぜいと腹で息をする兎耳の紺白だ。
紅白の少女ははやる気のない目とひそめる眉で兎耳に言葉を投げた。
「ほら、早くしないと日が暮れるわよ」
「だっ、だったら! 少しは、手伝いなさいよ……!」
「私が手伝ったら償いにならないでしょうどん」
「誰が麺類よ八つ当たり巫女、鈴仙・優曇華院・イナバ!」
「誰が八つ当たりよ、博麗霊夢!」
へにょりを加速させる兎耳と長袖ブレザーの少女、鈴仙・優曇華院・イナバは紅白の腋出し巫女服に肩を隠す程度の羽織ものという博麗霊夢を睨みつけたが、涼しい顔で受け流されるだけで、溜息を一つ下を向いた。
鈴仙にはやや大きいスコップで大地を突き刺すと、雪を小さい塊として掘り起こす。それを見つめる瞳が怪しく狂気を湛えた赤色に輝くと、数秒で雪は溶けて無くなってしまった。
「ねー、さっきも言ったけど一気にできないのそれ?」
「あのねぇ、雪ってのは水の波が静止状態にあるからその波を弄ってやれば水になるって言っても、この量を一気に操作できるわけじゃないじゃない」
「ほら、弾幕ごっこの時のビームとか」
「光なんて水に吸収されて著しく減衰するからもっと出来無いに決まってるでしょー」
「あーあ、一気に片付けられるなら里の雪かきでもさせてうちのご利益に出来るのに、残念兎」
「残念兎って! 今残念兎って言った!?」
「はいはい、いいから手を動かす。無位置の不始末も片付けられないんじゃ残念度が加速するわよ」
「うぎぎ……てゐは絶対に帰ったら殴る。一発、いや三発!」
復讐の炎が消え去らない内にか、鈴仙の作業速度は勢いを増した。
呪詛のようにどえりゃーやらこなくそーなどの叫びが聞こえる中、霊夢は、
「残念というより不憫ねぇ……」
白い息混じりにそう呟いた。
§
西の中ほどの空に宵の明星が浮かんでいる。
博麗神社の拝殿から漏れる光が境内の石畳に映り、程なくして空の色を映し始めた。
「はー、遅くなったけど終わった終わった。……ってまだいたのあんた?」
畳敷きの居間のちゃぶ台に突っ伏す鈴仙は、上の方から聞こえてくる声にぎこちなく首を向けた。
「散々人をこき使っておいてちょっと休憩してるぐらいで何よッ」
「はいはい、休憩終わったらさっさと帰りなさいよね。おうちの人が心配してるわよー」
「少しは心配の欠片ぐらい言葉に込めなさいよね! ……どうせ心配してないけど」
「今朝方降って湧いた雪のように冷たいわね。火鉢の炭もう少し入れるわよ」
「冷たいんじゃないのよ、あの方達にとって夜に帰るどころか一年後に帰ったって大差ないんだし。どうぞー」
顎を天板に載せた鈴仙は、ちゃぶ台の向こうに丸い火鉢と炭の色を見ていた。
霊夢が手にした木炭を鉢に三本ばかり追加し、何事かを唱えると炭はあっという間に色付き、若干寒気のあった室内が一気に暖かくなった気がした。
その時の霊夢の静かで強い眼差しにまばたきを忘れた鈴仙は、ようやく我に返ると、途端に眉間に皺を寄せた。
「あの、今のってもしかして」
「ん? ちょっと火鉢の神様に頼んで炭火を早く移してもらったのよ」
「ほぅほぅ……、じゃなくて! 依姫様と同じく神様呼び出せるはずでしょ!?」
「そりゃ出来るけど、別にこの程度で」
「そうじゃなくて、別に私が苦労して雪溶かさなくてもなんかの神様にやってもらえば良かったじゃない」
「……そうね、その手なら里の人達にも博麗神社の有り難みが……」
「そっちじゃなくてわーたーしーのーくーろーおー!」
鈴仙が恨み節を声音にしつつある中、霊夢は向かいに座り込んで、
「冗談よ冗談。大体、神様の力で里の雪かきなんて出来ないわよ」
「そうじゃないけど……なんでよ?」
「冬になったら雪が降って人は生活のために雪を除去しなきゃいけない、この摂理に神様が介入するってことは冬に在るべき里の姿を壊しかねない、ましてや人の業でならまだしも神様の力でだなんて奇蹟を安々と起こせないしそれに」
「それに?」
「そうなったら私が毎年神様呼んで雪かきしなきゃいけないじゃない。そんなめんどくさいことやりたくないわ」
「ちょっとは巫女らしいと思った私が馬鹿でした」
「五月蝿い。さて、だいぶ時間も経ったし夕飯作るの手伝っていきなさい」
「は? なんで私が」
「今夜は兎鍋の気分だからそうしようかしら。胸とか尻とか肉付き良いし」
「だああもう! 手伝えばいいんでしょ手伝えば」
「あ、自分で作った分は食べていいからね」
「言われなくても食ってやるわよ、重労働でおなかペコペコだし」
二人分の立ち上がる姿が障子に影となる。その影は奥へと消えていく。
一方は風のように、もう一方はやや戸惑いの停止を混じえて、風を追いかけて。
§
博麗神社の勝手場は狭い。それが鈴仙の第一印象だった。宴会あった時の後片付けの時などは特にそうで、しかし日常が一人の身には十分な大きさだと思い直したのはいつだったか。
「宴会の時もそうだけど意外と手際良いわよねあんた」
「意外って失礼ね。炊事洗濯掃除ぜんぶ手際良くやらないとやってられないわよ」
「兎があんなたくさんいるんだから手伝わせればいいのに」
「あの兎達に期待したって無駄でしょ。ああ、私は別だけど」
「炎に身を投げるぐらいの献身さはどこへいったのよ」
「そんなの地上の兎に残ってるわけ無いでしょ」
「あんたも地上の兎でしょうが」
鈴仙の手が止まる。
「……そうね」
そして再開された動きの上、顔に浮かぶものを霊夢がちらりと認める。
真紅の瞳は遠く、寂しげでもあり、けれど表情は柔らかい。
霊夢はふーんと鼻で返すと、それきり黙って手元に集中した。
§
「一応泊まっていけるけど本当に良いの?」
玄関戸は開かれ外気が内側にいる霊夢を通り抜けていく。
月星の光がわずかに照らす下に鈴仙はいた。彼女は霊夢の普段と変わらぬ顔に視線を合わせ、
「明日も仕事だからね。それにてゐにお仕置きをしないと」
「犬並に執念深いわね。……今から帰ったら夕飯にも間に合わないと思うけど」
「別にここで食べたから平気よ、ごちそうさま」
「いや、あんたが夕飯作ってないって叱られる方」
「私がいなかったらいないで勝手に作るから平気よ。後片付けが飛躍的に大変になるだけで」
「……不憫兎」
「だからなんか熟語付けて不幸みたいに言わないでよ! 我ながら不憫だけど!」
「はいはい。いいからさっさと帰る」
「ううっ、ぞんざいな」
「早くしないと丁寧な御札や針を手土産にしてあげるわよ?」
「帰る! 帰るからちょっと待って!!」
「ほら、鳥居までは見送ってあげるからさっさとしなさいよね」
「まったく、これも全部てゐの所為だわ……四発は絶対にやってやる」
神社正面の赤鳥居は夜影を伸ばしている。
鈴仙は、じゃあね、と一言残して飛び立っていった。
その姿が見えなくなる。霊夢は普段と変わらぬ境内をしばらく見つめ、少しだけ鳥居の向こうへ横顔を向け、やがて母屋へと足を運んだ。
「だっ、だったら! 少しは、手伝いなさいよ……!」
「私が手伝ったら償いにならないでしょうどん」
「誰が麺類よ八つ当たり巫女、鈴仙・優曇華院・イナバ!」
「誰が八つ当たりよ、博麗霊夢!」
霊夢、鈴仙、霊夢、鈴仙、霊夢の順の会話な筈なのに最後が入れ替わってるのが気になった