世界の全てが見えている者はいない。何故なら境目が多すぎて見るに堪えないからだ。
―――1―――
紅美鈴にとって不運だったのは、その〝手合わせ〟が思いの外聖白蓮にとって面白い物だったことだろう。
宗教戦争、深秘大戦。その二つを経て、戒律を重んじていた妖怪寺の僧侶の意識にはある程度遊びを楽しむ余裕が生まれていた。
だからこれもそんな遊びの一環だった。
人里に置いて妖怪退治を生業とする者達がいるが、その中でも武闘を欠かさない修行者は美鈴と試合し、腕を磨いているという。そんな話を聞いた聖白蓮が、わざわざ紅魔館へと文を出したのだから、美鈴は何事かと面食らったものだ。
『私と組手をしていただけませんか?』
『勿論、構いませんよ』
二つ返事だった。
場所は移り命蓮寺。法堂を使い、いくつかの〝取り決め〟を持って組手が始まった。
最初は穏やかな物だった。もちろん組手なのだから順序の決まった軽い手打ちや組み技などが主となる。聖自身はこれを修行の一環だと考えていたのだから、真面目に取り組んでいた。元々そういう話だった。
そう、最初の方は――最初の方だけは、そうだったのだ。
決して床の板が跳ねて天井を突き破ったり、壁が破れて吹き飛んだりすることはなかった。屋内での手合わせなのだから、弾幕なども以ての外だった。
「――ッ!」
声にならない。呻き声も、肺を圧迫されているのか漏れることはない。
美鈴は法堂の障子諸共外へと突き飛ばされ、白い砂利の敷かれた庭にバウンドして転がり、やがて仰向けに横たわった。雲一つ無い空の太陽が眩しい。
両手による掌打で美鈴を吹き飛ばした聖が、ゆっくりと彼女を追って縁側に立つ。その足取りの軽やかさたるや、これまでの全く疲れを感じさせないような物であった。少なくとも数時間組手をした上でそれなのだから恐ろしい。
美鈴が首だけを動かして聖を見る。それからすぐに肩や太腿、掌など使えるものを総動員して地面を叩き、その場から飛び跳ねて退散した。
彼女が倒れていたところに雷光を発する金剛杵が三本突き刺さる。聖の放った弾幕だ。
間一髪の所でそれを回避し、空中で姿勢を整えて着地した美鈴が再び聖と相対する。
「ごほ、弾幕を使う話は、取り決めでも聞いてなかったんですけどね……」
「貴女なら避けられると思っていました。それに私は使わないと宣言した覚えはありません」
勘弁してくれ。美鈴の胸裡に苦い感情がこみ上げる。弾幕を使う組手など聞いたことがない。
もはや組手の範疇を超え、聖の笑みには本格的に決闘へ持ち込もうとする気配がまざまざと宿っている。まぁ時が違えば自分でもそうなるだろうから、責めることは出来ないのかもしれない。
けれど美鈴は受けたくなかった。これから決闘を始めれば、決着まで相応の時間がかかる。今後の予定に差し支えてしまう。
「改めまして、紅美鈴さん。決闘をしましょうか?」
呼吸を整えて、美鈴が立ち上がった。
「まぁ、挑まれれば受けますよ……それ以外に納得しないでしょうから」
悲しいかな武闘家のさが。挑戦はいつでも受けるのが流儀。
言うが早いか、聖が瞬間的に美鈴の間合いへ突入してくる。
(やっぱり速い……!)
反射で手が出た。貫ための手刀が鋭く聖に放たれる。しかし聖はそれを受け止めてカウンターの拳を放つと、美鈴がそれを受け止める。
聖と美鈴は腕を交差させて至近距離で睨み合った。
「正式な手順ではなかったかもしれませんが……やはり嬉しいです。貴女のような方と手合わせする機会を得られると、昂ぶりますわ」
「弾幕決闘、じゃないんですね……」
「ご存知ありませんか? 今はこういった決闘もあるのですよ」
もちろん知らないわけがない。徒手空拳を絡めた決闘は、あの『三日置きの百鬼夜行』以降、新たな遊びとしてこの幻想郷にも流行ったのだから。
それに特技上、美鈴は弾幕よりもこちらの決闘方法のが得意だ。
美鈴は地面を蹴って、組まれた腕を勢いをつけて解いて後退した。
「昔からありますよ」
「あらあら、これはお恥ずかしい」
今度は美鈴が攻める。大股な歩法で勢いを確保し、聖との距離を詰めて拳を放った。対してそれを手刀で流し、返し手として聖が拳を放つ。だが美鈴はそれを受け止めて手刀を放つ。二人の足が間合いを主張しながら一歩二歩と絡み、後退しては攻め、全身を使った接近戦の攻防が繰り広げられる。
打撃音が小気味よく鳴り続ける。それらの動きや流れは、戦闘のリズムを遠巻きの外野にも伝えていく。
美鈴の手刀を身を捩って避ける聖が、いきなり姿勢を低くして足払いを放った。それを飛んで回避した美鈴は空中で回転し、そのまま遠心力を乗せた踵を聖に向かって振り下ろす。聖は低い姿勢のまま掌で踵を受け止めた。
「お見事」
見事な身体捌きに、感嘆の滲むように聖が言った。
「同じ言葉でお返しさていただきます」
弾かれるようにお互い距離を取って、二人は呼吸を整える。
―――2―――
その決闘を、縁側でお茶をすすりながら見守る者が四人ほどいる。
命蓮寺の妖怪、寅丸星、村紗水蜜、雲居一輪といつもの面々だ。
加えて今回は美鈴の付き添いに十六夜咲夜がいる。普段ならば給仕する側の彼女も、今回ばかりは客人として座布団の上に腰を下ろし、湯のみを持ちながら二人の決闘を眺めていた。昼の時間なので主たちは就寝中。館の業務もこれといって急ぐ物がないので付いてきたという運びである。
「どう、強いでしょう姐さんは」
「ええ。世に聞く身体強化魔法、噂に違わない代物とお見受けしますわ」
一輪の誇らしげな声に咲夜が応じると、それに気を良くした一輪がそうでしょうそうでしょうと頷く。
「そちらの門番殿もやりますね。あの流麗な体捌き、思わず見惚れてしまいます」
今度は村紗が美鈴を褒めた。咲夜も悪い気はしないので、軽く笑って会釈する。
「あれが中国武術って奴かー。動きに無駄がないというのはああいう物の事をいうんでしょうね」
「聞きかじりで恥ずかしいのだが、あれら全てが型になっているというのは本当なのだろうか?」
村紗に次いで寅丸が訪ねてくる。
大昔の日本から地底を経て幻想郷にやって来た聖一行にとって、美鈴が行う武術は目新しく映った。咲夜も心得てはいないが、何度か美鈴から聞いた知識でそれに答えることが出来た。
「さすがに全てではありませんが、歩法、構え、攻撃から予備動作まで、おおよその型は揃っていると本人は語っていましたわ」
「歴史も長く、流派やそれに伴って生まれた型も多いと聞くが、彼女はその内のどれを修得しているのでしょうか?」
「それも、おおよそ、と聞いています。彼女が幻想入りして以降の物は、まだ手付かずだそうですが」
「それはまた、なんとも凄まじい……」
知識半分ではあったが、中国武術についてを唯一知る寅丸が言葉を失くすほど驚嘆する。
「だとすると、聖も一筋縄では行かないのでは……」
「いやそりゃないでしょう。いくら武術の達人だからって、ねぇ?」
一輪の言葉に、咲夜も苦笑しながら頷いた。
「本人もいい加減なところがあるので、どこまで本当かは分かりませんわ」
そうして会話に一区切りがついた所で、決闘の方にも動きがあったらしい。
一際大きな音が響き、その場にいた五人が慌ててそちらを見る。
聖白蓮の拳が命蓮寺の塀に激突し、大きな亀裂を作っていた。その拳を間一髪で逸らさせた美鈴が塀と聖の間におり、その顔は苦笑いで引き攣っている。
「う、噂に違わぬ力、お見事……」
今の一撃、逸らすことが出来てホッとする。まともに食らえば骨折か、それとも腕が吹き飛ばされていただろう。
「あらまぁ私としたことが。しかし貴女も大層不思議な力をお持ちのようで、先程からまるで羽毛と対峙しているが如く、流され、技が思うように当たらず驚いています。これが、貴女の妖怪としてのお力なのですか?」
「いいえ、これはまだ、あくまで武術の範疇ですよ……」
美鈴が行っているのは、打撃点を見極めて攻撃に干渉しそれを少しばかり逸したり、力を極力受け流してダメージを減少させているにすぎない。
これを聞き、聖が本当に驚愕した表情を浮かべる。
「まるで妖術かと思った程です。人間は、かくも奇妙な技を使うのですね」
「貴女の封印から千年を経て、人は多くの事を学び、選び、進んできました。その片鱗を貴女も見てきたのでしょう?」
深秘大戦においては、何人かの者達が外界へと飛び出し、それを堪能したという。千年のブランクがあった聖にはどう映ったのだろうか。
「そうですね。人々は夜を征服し、幻想の領域を埋め立てて生活を謳歌しています。分かっていたとはいえ、実際に目の当たりにしてしまうと、その凄然とした事実が私に突き刺さりました」
それは、百年以上人間たちを見てきた美鈴にとっても共感できてしまう言葉だった。人は〝火〟を手に入れて様々な恐怖に打ち勝ってきた。その速度は時代が進むに連れて加速度的に増していった。
「人間の恐怖や畏怖から生まれた幻想が、今度は人間から不要とされ、切り離されていく。悲しい話です」
美鈴が動く。姿勢を低くして聖へタックル。そのまま腰へ腕を回し押し返していくが、聖も対抗する。魔法強化された彼女の体はまるで鋼のごとくに固く、何より重い。
今度は逆に聖の腕が美鈴の胸へと回され、持ち上げられてしまう。美鈴はすぐさま勢いを殺さずに踵を彼女の後頭部へと叩きつけた。
聖は突然の衝撃に埋めき、腕の力が緩んだ隙を突く形で、美鈴は身を回転させて拘束を解き、体勢を立て直す。
「踵は予想外でした……」
後頭部を抑えながら、聖がぼやく。一応痛みや衝撃は伝わっているらしい。首を振って眩暈を均し、再び美鈴を見据えて彼女が構えた。
「で、何の話でしたっけ?」
「人の幻想離れが深刻だと」
「あぁ、そうでしたね。貴女もそう思いませんか?」
「思わなかったらこの場には居ませんよ」
人間が妖怪の理を拒絶したように、妖怪も人間の理だけで生きていくことは出来ない。
だから賢者たちは境を作り、理を分かち国を作った。
悲しく思うのは美鈴も同じだ。だが仕方のない事だとも思う。
美鈴は言う。
「人間という種族は、多くを生み出しては忘れるものです。無駄なものを省き、洗練していく――この武術はそれをよく表していると思いませんか? それを学んだ身としては、人の業という物の冷淡さがそれとなく分かる気がします」
「では何故その技を使うのですか?」
聖が美鈴との距離を縮地で詰める。すでに姿勢は両手を組んで振り上げおり、彼女はそれを振り下ろした。美鈴が腕を交差させてそれを防ぐが、強化された攻撃は重く、美鈴の身体は軋み、しかしそのまま地面へと倒れ後転することで、辛うじて威力を受け流した。
「人間の技を使い、人間の業の無常さを悟った貴女は、しかしそれを捨てることをしない。妖怪でありながら、まるで人間になることを望んでいるかのようです」
別に聖はそれを責めているつもりで言っている訳ではないのだろう。むしろ慈愛に満ちた表情で、許しを与えているかのようだ。
けれど美鈴にはそれが、どうしても責めているような言葉に思えてならなかった。
「美鈴さん……いえ、紅美鈴。貴女は元々人間なのですか?」
「記憶が始まる限りでは、妖怪として生きています」
「では人を襲い、人に恐怖を与えて?」
「はい。それを悔いることも、悲しむこともありません。それが理であった。それだけの話です」
「けれど今は、そうはしないのでしょう? 紅魔館の方々の話は、よく耳にします。人間を襲わずに、まるで休暇のごとくひっそりと過ごす吸血鬼と、その従僕たち。吸血鬼という種の伝承を聞けば、その有り様は奇妙に思えます」
「そうですね。基本的に襲わずとも生きて行けています。今のところは」
今のところは。という部分を強調して告げる。
いつ爆発するか分からない吸血姉妹に仕える身としては、曖昧に答えることしか出来なかった。
「素晴らしい。貴女は悟りの境地に立っているのですね」
「本職の僧侶様にそう言っていただけるとは、光栄です」
「武術の修行は厳しい物と聞きます。貴女の姿は徳を積む僧侶と同じように見えますよ」
美鈴はその言葉に、思わず吹き出してしまった。
修行僧? まさか、と。
「いいえ。私は貴女達とは対極の場所にいるでしょう」
自分を敬虔だと思ったことはない。肉料理が好きだし酒も好きだ。努力はするが、強いられているつもりでやっていたわけじゃない。ひたむきに修行する僧侶たちと比べられるのは、そもそも前提が異なっている位におかしい話だ。
私は道楽者だ。美鈴はそう思っている。
「勧誘なら、申し訳ありませんが断らせていただきます」
「あら残念」
美鈴が走り、助走をつけた蹴りを放つ。それをひらりと躱す聖に、着地した美鈴が間を置かずにまた蹴り掛かる。右、左と放ったキックのコンビへ―ションも手と腕で受け止められる。
しかし距離は詰まった。美鈴の間合いだ。攻撃速度を上げ、拳、掌、手刀を叩き込んでいく。反撃で出された拳を躱す。円を描くような歩法で相手に踏み込み、避け、後ろを取り、また攻撃する。見事なまでに組み合わさった、無駄のない流れるような連撃が続く。
聖も応戦するが、美鈴の速度に追従できておらず、顔には焦りが浮かんでいた。先程よりも確実に速度が増しているのは分かるが、攻撃を放つが見事に躱される。
美鈴は締めとして聖の腹部に〝打開〟を放った。並みのそれではなく、全身の発勁を総動員して突き飛ばす。そうでもしなければ聖に対しては有効打足り得ない。
いや勿論、まだこれでも足りないのだが。
「……お強いですね、やはり貴女は」
突き飛ばされた聖は膝をついて着地し、そう賞賛する。
「教えも必要ないほどに、貴女の存在は確立されている……そんな方を勧誘出来るほど、私の腕は広くありません」
「強い? 私が?」
対して美鈴は笑った。自嘲的に笑った。
「私は強くありませんよ」
「いいえ。確固たる信念を持って存在している。私はそう思います」
ここで聖が言った強いとは、無論心の強さである。
美鈴もそれを分かっていた。けれど分からないふりをして実力の話で表現する。確固たる信念、それは美鈴にとって触れられたくない話だった。
「あそこで見ている咲夜さんの能力を知っていますか? 時間操作ですよ時間操作、もう反則ですよねぇ」
「人間が持つ能力としては、些か過剰のような気がします」
「そうでしょうか? むしろ人間だからこその能力であると私は思いますがね」
聖が分からないという風に眉を釣り上げた。
「人間の恐怖から妖怪が生まれ、祈願から神が生まれたように、渇望からあの人が生まれたと、私はそう思います」
「時間操作など、まさしく神の所業。人間は神になりたいと?」
「〝力〟を望んだのです。〝恐怖を克服するための力〟を、人間はいつだって望んできた。その表れだと思います」
美鈴が構える。その構えもまた、人間が恐怖を克服するために培ってきた技術の一つだ。
対して聖も構える。彼女の術も、老いと死を恐れ、克服せんがために得た技術である。そう考えれば美鈴の話になるほどと頷けてしまう聖だった。
「本当にお強いのですね、紅美鈴さん」
「だから、貴女ほどじゃありませんって、聖白蓮さん」
美鈴が地を蹴り走る。聖は徐ろに手を振るって弾幕を張った。無数の光線と雷光を伴った金剛杵の剣が飛来する。それを躱し、時には手で弾きながら突撃していく。
距離は再び0になり、美鈴が低い姿勢から掬い上げるように裏拳の打撃を放つ。 しかし聖はそれを掌で受け止め、伸ばされた美鈴の肘に手を添えて畳み、押し返した上で掌打を美鈴の腹部に打ち込んだ。美鈴の身体が浮き上がるほどの衝撃、そして空中へと放り出される。
「スペルを宣言します」
追撃として、金剛杵の雷が美鈴の腹部に刺さった。
さらに、聖自身が追撃のために突き刺さった剣を手に取り、美鈴を両断する。雷の力が腹腔で暴れ、溶けてしまうかのように熱く渦巻いた。美鈴は呻く以外の行動を取ることがきでない。
天符「三千大千世界の主」
スペル宣言。そこから始まる、スペルカードルールの由縁。聖白蓮の魔法強化の一端、高速移動とそれに伴う鋼の肉体による打撃が美鈴を包み込む。縦横無尽に駆け巡る聖から繰り出される打撃の連続、喰らえば終わるまで解放されることはない。
空中へと放られた美鈴が成す術なく殴打されていく。
聖は空中を跳躍し勢いを加速させ続け、締め技として渾身の蹴りで美鈴を地面へと叩きつけた。発生した激しい衝撃が、命蓮寺を揺らす。敷き詰められた砂利が弾け、その下の土が盛り返される。軽い土煙がやがて晴れると、そこには横たわる美鈴の姿があった。
「貴女のような者のいる紅魔館の在り方を、私は羨ましく思います」
聖は美鈴の側に降り立ち、告げる。
「人間と幻想が、より良いバランスの上で生活している。いつかこの世界も、そうなると良いのですが」
横たわった美鈴は答えない。
―――3―――
聖の凄まじいスペルが終わりを告げ、縁側の観客たちもホッと一息を吐く。
「さすがに決まったか」
村紗の言葉に一輪も頷く。あれを見て勝敗を見間違うものは居ないだろう。
咲夜は湯のみを啜り、変わらず決闘の動向を見つめていた。
それを見て、身内が倒され不愉快に感じているのだろうかと思った寅丸が、率先して咲夜に謝罪する。
「無理を言って来ていただいたのに、こんな形で決闘に縺れ込んでしまい申し訳ない。気を悪くしてしまったなら、聖に変わって謝ろう」
しかし咲夜が驚いたように目を見開き、慌ててそれを否定する。
「いえいえ、まさかそんな。決闘なら幻想郷ではよくあることですわ。それに私自身、あれは楽しく観させていただきました。気を悪くなんてとんでもない」
「しかしああなってしまっては、美鈴殿を運ぶことになるのではありませんか? よろしければ寺の者で運ばせますが」
「それこそまさかです。ああ見えて、あの人は結構頑丈なんですよ」
妖怪という種は基本的に外傷に対して頓着しない。
何故なら致命傷にならないからだ。
もちろん傷は残るし打撲や骨折もする。けれどその治癒は人間の比ではないし、治癒の仕方もそれぞれだ。吸血鬼は頭を刎ね飛ばされても一晩で治るというが、そもそも首をくっつければ復活する。
美鈴の場合、気を使い傷を応急処置する術がある。だからどれだけボロボロになろうと咲夜も心配はしていなかった。
「それなんじゃがのう」
突然声が割り込み、四人は驚いて周囲を見渡した。
「ここじゃここじゃ」
その声の主は命蓮寺の瓦屋根からくるりと飛び降り、四人の前で留まった。大きな縞模様の、毛並みのいい尻尾を持つ女だった。眼鏡とキセルがモダンな雰囲気だが、頭に載せた大きな葉が野良の風を思わせる。
言わずと知れた妖怪狸の御大将、二ッ岩マミゾウだ。
「やぁやぁ諸君、本日はお日柄もよく、何やら面白そうな事をしておるな」
「マミゾウさんは神出鬼没ですね」
「そこの銀髪メイドほどではないぞい一輪。で、さっきの話なんじゃがな」
マミゾウはキセルの先を咲夜に向けた。咲夜も眉を上げて応じる。何について問われるか全くわからない。
「噂は聞いておるよ、紅魔館のメイド長。随分面白い能力で遊んでいるという」
「マジックは得意ですよ」
「で、その館の庭師の話も聞いているのだが……紅美鈴。あの者、ついぞ弾幕を使わなかったよな?」
どうやら決闘は全て見ていたらしい。鳥にでも化けていたのだろう。
マミゾウの話に一同が確かにと頷いた。
「何か制約でもあるのかい?」
「うーん……恐らくですけど」
制約というものは美鈴には無い。だから咲夜にはあまり心当たりのない話だ。
けれどもし美鈴が意図して弾幕を使わなかったのであるというのなら。
「約束を守ろうとしたんだと思いますわ。きっと」
「ほう。約束、ねぇ……」
マミゾウの目が、妖怪の目として鋭く細まる。
「ではこれといって使えない理由はないのだな?」
「はい。普段であるならば、それこそ七色の綺麗な弾幕を放つものです」
「ふぅむ、そうかいそうかい」
それを聞き、悩んだマミゾウは翻り、地面へと降り立つ。カカッと下駄の小気味良い音が響く。
そして叫んだ。
「やいやいやい! 紅魔館の門番兼庭師の妖怪、紅美鈴とやら! 貴様何やら奇っ怪の意図を持って決闘に臨んでおったな! 者共の目は誤魔化せても儂の目は誤魔化せんぞ! 頑なに力を使わぬ理由、洗いざらい吐いてもらおうか!」
何事かと聖もマミゾウを見る。美鈴は動かない。
マミゾウは歩き出し、二人に近づいていく。
「お主もそんな決闘では消化不良じゃろう、聖」
「マミゾウ、何を言い出すかと思えば美鈴さんが手を抜いたと? いい加減なことを言うと許しませんよ」
「いや本当じゃて。現に其奴は弾幕を一切使わなかったじゃろう? あそこにおる十六夜咲夜殿も、何かしらの理由で此奴が力を出してないと言うておる。儂はそこが気になって気になって夜も眠ねぬわ」
「た、確かにそうですが……」
たじろぐ聖を一旦置いておき、マミゾウは美鈴の近くに膝をついて声を掛ける。
「聞いておるんじゃろう紅美鈴。さぁいい加減、教えてくれないか」
「……いや手を抜いたというか」
聖がギョッとして美鈴を見る。あれをもろに食らってもう喋れるのか。並の妖怪であれば内臓などが損傷し、回復に専念せねば口も聞けないはずだ。しかしそんな様子はなかったはずだが。
マミゾウはやはりと嫌らしく笑った。
そして肝心の美鈴はというと、申し訳無さそうに笑いながら頬を掻いていた。
「とりあえず約束を守ろうかと……」
「ほほぅ約束とな。咲夜殿も同じようなことを言っておったな。してどんな約束をしたのだ?」
美鈴はまだ申し訳無さそうに笑っている。内容が内容だけに、物凄く言いにくい。けれどマミゾウが譲ってくれるとも思えないので、観念して洗いざらい吐くことにした。
「と、〝取り決め〟で、弾幕は無し、と考えていたので、一応……」
「……は?」
マミゾウは思わず声を漏らして呆れた。聖も「えっ」と声を漏らして聞き返す有り様だ。
〝取り決め〟というのは無論、組手の際に決めた〝取り決め〟である。
競技を決め、型を説明し、弾幕を使わずに組手をしていた時の取り決めである。
つまり美鈴は、決闘が始まってなおその取決めに沿って行動していたということだ。
しかもそれは彼女が一人で勝手に思い込んでいたものだろう。
マミゾウはそこまで察して、それから憤慨した。
「アホか! 律儀にそれを守ってたのか!? あんだけボコボコにされて!?」
「いやいや最後のスペルがアレだっただけで結構善戦してましたよ! ねぇ!?」
「そういう話じゃないわ! 弾幕を使われたら弾幕で返せ! 取り決めに従うって、アホか、純朴か、人間の良い子ちゃんか!」
「ま、待ってください! まだあります!」
美鈴は必死に言い訳する。別に手を抜いていたわけではない。そんな意識は毛頭なかった。ただ、最初に決めた取り決めだけは守りたかったのだ。人間というより、一人の武術家として、ルールを尊重したかった。
「何より、こういった形式の決闘の場合は、ある人との約束でなるべくその人にお見せするように言われてて……」
「じゃあ何か、そのある人物を連れてくれば本気を出すんじゃな?」
こうなれば売り言葉に買い言葉である。マミゾウは次々と根堀り葉堀り聞いてくる。美鈴は慌てて否定した。
「いえいえ、さすがにここまで言われて、皆さんにそんな苦労をお掛けするわけにはいきません。この紅美鈴、全力で行かせて頂きたく思います」
「お主、儂が指摘しなかったら、また弾幕を使わずに戦っただろう?」
「そ、そんなことないですぅ」
「こんの大馬鹿者め……」
もう呆れ返って言葉も出ないマミゾウは、いよいよ踵を返して縁側へと向かう。
「幸い、決闘は二勝先取制。まだ戦ったとてなんら違反はない。お互い好きにやりあえばよかろうて」
そんな小言をボヤきながら、彼女はその場から離れていった。
―――4―――
今までずっと横たわっていた美鈴が〝跳ね起き〟で飛び上がる。そうしてピシっと着地する。まるで痛みなど無いかのような軽やかさだ。
「というわけで、白蓮さん、もう一戦よろしいですか?」
「それは構いませんが……まさか取り決めに従われているとは露知らず、本当に申し訳ありません。静慮が足りませんでした」
聖が頭を下げて謝罪してくるが、美鈴が手を降ってそれを止めさせようとする。ちなみにこの時美鈴の手首は関節から外れていてブラブラしており、それに気付いた美鈴は「うわぁ!」と慌てて手をとって関節に嵌め込んだ。
「アレを勝手に守っていたのは私の方で、聖さんが謝ることではありません。それに本来ならば、決闘を受けた段階で取り決めは破棄されていたはずです。それをしなかったのは、私が下らない流儀に従っていたからなのですから、どうぞ頭を上げてください」
「そう、ですか……有難うございます」
聖は頭を上げて、苦笑する。むず痒い話だ。すれ違いによって気を遣わせてしまっている。美鈴の方こそ申し訳ない気分だった。
「ですが意外です。こう言っては難なのですが、妖怪の中でも、とても律儀な方がいるので、驚きました」
「律儀? 違いますよ、私は本当に、そうしたいからそうしたんです。ただ本当に、約束を守りたかった……」
それが、良い人間の行いであるから。
技を持ち、心を人間に寄せても、所詮は妖怪だ。それが紅美鈴である。
けれど行いだけでも、せめて良い人間らしくしておきたい。
何故なら目の前にいるのは徳の高い僧侶。魔法使いとなった今でも多くの妖怪に慕われる善人なのだから。
ちょっとくらい、それに近づきたかった。憧れた。それだけの話だった。
「けれどもう、それも叶わない。聖さん、ちょっと胸を借りてもいいですか。これからはせめて妖怪らしく、貴女に挑みたい」
聖はそれに何を思ったのだろう。それは美鈴には分からないことだ。
けれど美鈴の言葉に聖は笑い、胸を叩いてそれを受け入れる。
「いつでも来てください。命蓮寺は救われたい妖怪のためにあるのですから」
「ありがとうございます」
美鈴が手を合わせた。気を練り込み全身に巡らせ、損傷箇所を治癒する。まるで風船を捻るような音と水が凝結していくような音が体中から同時に響く。擦過傷も、薄い皮で包まれ、出血が止まる。完治とまでは行かないが、おおよその修復はこれで完了した。
聖もまた、解けていた魔法を巻物を掲げることで掛け直す。
「改めまして、よろしくお願いします」
抱拳礼を行う美鈴に、聖も礼で答えた。
美鈴は抱拳礼を解いて歩き、距離を取って構える。それに合わせて、聖も構えた。
音が止む。
誰もが声を発さずに、それを見ていた。遠くで鳥が囀っても、それが聞こえることはない。
やがて耳鳴りが生まれる。二つの異なる霊力の波が共鳴している。しかしそれも、当事者たちにしか生まれない物だった。
耳鳴りが止めば臨戦。
本当に静かになった時、動くのはどちらか。
縁側の者達が固唾を飲んだ。その瞬間。
「フッ――!」
まず動いたのは美鈴だ。両手を滑らかに動かして気を集束させ、青く煌めくそれを放った。
(気弾っ!)
初手弾幕。
突き刺さるが如く投擲された気弾を、聖は手で弾く。けれど次の瞬間には美鈴が眼前に迫っていた。美鈴の両掌が虹色の光を灯し、聖の腹部に向かって突き出される。
(速――)
掌が触れ、光が聖の中に染みこんでいく。そして、考えられなかったほどの衝撃が彼女を襲った。掌が硬い聖の筋肉を押し込み、そこから衝撃が全身を駆け巡り、暴れ、そのまま後方へと吹っ飛ばされる。
命蓮寺の塀に激突し、その反動で跳ね返された聖は、膝をつく形で着地した
「げっほ……!」
前後の衝撃に体内の息を吐き出し尽くした聖が、慌てて咳込み新たな空気を取り込む。鋼の皮膚と筋肉を貫く突撃と両掌打に、混乱と焦燥が同時に聖の脳内に生まれ、渦を巻く。
けれどすぐに顔を上げて美鈴の方向を見た。これは彼女が持つ生物の本能だったろう。だから美鈴が既に目の前で飛んでいることに気づけた。
調子の整っていない身体を無理矢理横回転させて、聖はその場から退避する。そこに、莫大な勁の込められた美鈴の〝旋風脚〟が放たれた。残念ながら空を切ったそれは、まさしく旋風を巻き起こし、光が飛び、塀にざっくりとした傷を残した。虹色の淡い残光が、ふわふわと綿毛のようにその場を舞う。
「……ふっ!」
息を吸い込んで力を入れ、倒れていた聖が立ち上がり、そうして美鈴と対峙した。まだ腹筋がしびれている。驚いた、まさかこれほどの痛みを伴うとは。
息が整っていない。一方で美鈴は構えを解かず、恐ろしく鋭い眼光でこちらを見据えている。その目はまさしく妖怪のそれであろう。今までの彼女が持っていた蒼天の瞳は、その蒼さを残しつつも黒い瞳孔を獣のように細めていた。
朗らかとした気配が消え失せ、今や暗闇の影を残すのみとなっている。
「これが、貴女の本気ですか……?」
聖は口角を釣り上げながらそう呟く。
そんなはずはないだろう。まだまだあるはずだ。
そういう期待が、聖の頭の中で鎌首を擡げていた。
―――5―――
「ほほぅ」
決闘の二回戦が始まり、その流れを見ていたマミゾウが、心底感嘆したというふうに声を漏らした。
「やるのぅ。先ほどとは鋭さが段違いじゃないか」
美鈴と聖が接近戦に突入した。拳や足がぶつかり合うと同時に先ほどよりも打撃音がここまで聞こえ、その攻撃力の違いを物語っていた。
咲夜も苦笑する。他の命蓮寺の面々は驚きと心配で声が出ないようだ。
「なんぞ、種があるのかい?」
「私も詳しくは知らないのですが……本人曰く、〝勁〟を霊力で嵩増ししている、と」
「ふむ、発勁というやつか?」
「はい。まぁそれだけではなく、気功や法術による身体機能の向上なども併用していると本人は言っていました。他にも単純な運動量として作用させることもあると」
例えば気功を使い傷を癒やしたり、法術によって感覚機能を高めたり、身体を硬くしたり内臓を強化したり、勁を使って爆発的な速度を生み出し、相手との間合いを詰めたり、など。
ここまで聞くと聖の身体強化魔法に近いものと考えてしまうが、運動量という言葉がマミゾウの喉元に引っかかり、単純にそう括ることは止めさせた。
「ほへぇ、気を使うという能力は、色々なことが出来るんじゃのう」
「外の世界で言い表される〝気〟には様々な解釈があるそうです。美鈴は霊力をその解釈に沿って応用することで戦っていると言っていました」
咲夜も曖昧な返答しか出来ずに歯がゆい思いをする。というよりあの妖怪が色々と曖昧なのだ。決して咲夜の落ち度ではない。
「その技術が霊力を基礎とするのなら、我らにも使うことは可能か?」
「どうでしょう? 一度説明を受けましたが、理解するには時間が足りませんでした」
「はっはっは! 時間操作能力者に時間が足りないと言わしめるか! そりゃ残念だ、狸どもに習わせてやろうかと思ったのだが……」
「健康法として太極拳というものがありますよ」
「なるほど最近は儂も身体も弱ってきてな……って誰が老人じゃ!」
まさか咲夜は乗ってもらえるとは思わず、そして反射的に返してしまったマミゾウも、お互いに笑い合った。
そんな漫才を繰り広げている間にも、聖と美鈴は変わらず打ち合っている。
拳が放たれればこれを腕で受け止め、手刀がこればこちらも手刀で合わせる。蹴りが入れば追撃として殴打し、こちらが攻勢に転じる。ガードを破るべく腹部を狙い、崩れれば顔を殴打。当たると思っていた攻撃は躱され、主導権を譲ってしまう。
美鈴は絶えず聖に密着し、猛攻を加えている。一度防御に転じても、確実に二手三手で隙を突き、反撃していた。
基本的な攻撃速度は変わっていない。ただそれらが確かに重みを増していることを、聖は深刻に感じ取っていた。身体強化の魔法は身を固め、感覚を澄まし、速さを与える魔法――だが当然、痛みを取り去るわけではない。
先ほどの攻撃も勿論痛みはあったが、表面的な感覚だった。
一方で今回は、まるで貫かれているかのような痛みがある。
何が違えばここまで痛覚を刺激できるのか、聖には分からなかった。
「シッ――!」
美鈴が聖の横薙ぎの手刀と受け止める。まさか受け止められると思っていなかった聖の思考に一瞬の空白が生まれ、彼女は思わず美鈴の顔を見てしまう。
目があった美鈴は、やんわりとした笑みを浮かべた。
そして聖の脇に拳を添え、それを捻じり込む。
まるで打撃点が爆発したかのような衝撃が、聖へと齎された。〝紅寸勁〟――紅い光の爆風、聖は大きく飛ばされて再び塀に激突した。度重なる衝撃で命蓮寺の塀はボロボロだ。
「やっぱり身体を動かすのはいいですよね」
美鈴が聖に向かって歩きながら笑う。
「平和だと鈍っちゃいますし。殴り合いほど分かりやすい対話もありませんし」
あぁ好戦的になっているなと美鈴は思う。妖怪としての飢餓感、戦うことへの高揚感、襲うことへの興奮。それら全てが綯い交ぜとなって美鈴の全身で脈動している。自然と身体が熱くなっていた。
「何より気持ちがいい。激しい運動の後は、ご飯も美味しいし」
「そうですね」
聖が立ち上がる。もう聖の衣服も大きく破れて、そこから覗く肌にも血が滲み青痣が浮かんでいた。それは美鈴も同様だ。二人の妖怪の闘争の苛烈さを、それは鮮烈に表している。
それでもなお、二人は笑っていた。これが楽しいからだ。
「先ほどの質問に答えましょうか、聖さん」
美鈴が言う。
「人間と妖怪が、より良いバランスの上に紅魔館があると言われましたけど、実はそんなことはありません」
とてつもなく残念そうな表情で。
「我々の食事のには人間が使われています。彼らは外の世界で死のうとした者や弾みでこの世界にやってきてしまった者たちです。それらの命を得て、我々は存続しています」
聖の顔から思わず笑みが消える。元人間だっただけに、この言葉は聖の心に重く伸し掛かる。
「そしてそれらを調理するのはあそこにおられるメイド長と、彼女を始めとした妖精メイドたち。自然の理をねじ曲げられ、今やあの館に従事する妖精たちは異質な存在となってしまった。もうお分かりの通り、とんでもなく歪な塊なのですよ、紅魔館は」
美鈴の顔にも迫真の悲しみが宿っているが、この言、実は些か過剰であった。
食事と言っても多くは血液が主体で、送られてくるのも血液パックが主だっており、人間の肉を調理することはあまり多くない。妖精たちも知能は高いが強制はなく、『一回休み』機能も健在だ。これは幻想郷の各妖怪勢力の中でも突出して異常だとは言い難い。
妖怪は調子に乗ると平然と物事を過剰に語ったり嘘を吐いたりする。
勿論、人間に恐怖や油断を与えるという目的があるのだから仕方のない事だ。
要するに、美鈴は聖を挑発していた。
「理を捻じ曲げ、あまつさえ人間に人間を調理させる、と。それは度し難い行為ですね……」
聖の髪が、ゆっくりと霊力波動の影響を受けて揺らめき出す。感情の高ぶりに応じて体内を流れる霊力が加速する。
「だから、分かるでしょ? 〝妖怪は人間の犠牲無しには生きられない〟のよ」
美鈴の口調も変わった。気を張り巡らせることで、美鈴の髪がそよぎ出す。
共に全力態勢だった。
「そうは思いません。人間が妖怪を克服したように、妖怪もまた、人間から独立することが出来る」
それこそが妖怪の悟り。
「各々が自らの足で立った時、人間と妖怪が手を取り合い、弱者を救済することの出来る世界が訪れるのです」
「そんな世界ならもうあるわ」
「何処です?」
「〝ここ〟よ」
幻想郷――人と妖怪が、互いに手を取り合い生きていく、永遠の箱庭。
「人が虐げられ、弱き妖怪が未だ泣きを見るこの世界のどこが理想郷か!」
美鈴のあまりの傲慢な言葉に、聖が我慢できずに突撃した。ガルーダの翼はどんな距離をも物ともしない。高速で飛来する聖の体当たりを、美鈴は跳躍して回避する。釣れたと思った。
「貴女の言う世界がとても素晴らしい物だというのは私にも分かる。でも妖怪と人間には埋められない溝がある」
恐怖の滞留。祈願の集約。思想の昇華。幻想として顕現した者の、その寿命。
「それを埋める方法があるなら教えてほしい。私にはそれが分からないのよ」
そもそも人間の隙間から幻想は生まれたのだ。幻想という存在は隙間だらけなのだ。
出来た隙間を埋めたいというのは、誰もが思っているかもしれない。
隙間を開くのが妖怪の仕業なら、それを閉じるのは誰の仕事だろう。
美鈴が手から虹色の光を灯し、それを振るった。七色に染まる数多の涙滴弾が聖へと落ちていく。それはともすれば舞い散る花弁のようにも、煌めく花火のようにも見える、美しい物だった。
その雨の中を、聖が飛ぶ。弾幕を払い除けながら、雷剣を振り下ろす。
「それを悟るための修行です……!」
聖の答えとともに重い一撃が肩へと食い込み、美鈴は地面へと叩き落とされる。
すかさず空を蹴って、聖が追撃した。金剛杵を振るい、倒れている美鈴へと一直線で駆け抜ける。
けれどそれは間違いだった。
「スペル!」
突然美鈴がカードを掲げ、〝跳ね起き〟で立ち上がりそのまま屈伸によって跳躍した。まさか反撃に転ずられると思っていなかった聖の顔に一瞬で焦りの汗が浮かぶ。けれど攻撃状態に入り、もう防ぐことが出来ない。
彩翔「飛花落葉」
飛び上がった美鈴が虹色に輝く肘を突き出し、その攻撃が聖の腹部に刺さる。カウンター状態でもろに喰らい、身体をくの字に曲げて空中で静止した聖に対し、美鈴の振り下ろした踵が追撃する。聖が地面へと打ち下ろされる。
そして最後に、美鈴の全力の蹴りが落ちる聖に向かって放たれた。空中での震脚に大気が歪み、七色の光が足先から氾濫する。足先が腰を捉え、落下の速度を上乗せする。その様たるや彗星の如く、命蓮寺の地面へと聖を蹴り落とし、隕石が墜落したように地表を削り、涙滴状のクレーターを作り出した。
美鈴が持つ武技による三連撃。
まさしく意趣返しによる意趣返し。蹴り技で負けた美鈴による、蹴り技返しだ。
そもそも聖の速度にスペルを対応させるのは難しい。回避されてしまえば大きな隙になる。ならば攻撃させてカウンターを狙うのがいい。
「あぁそれと、なんで私がこの武術を使うかって話なんですけど」
勢いが止まり、倒れている聖の腰から足をどけて、美鈴は言う。
「カッコイイから使ってます。そう思いません?」
それで、この戦いは決着だった。
―――6―――
そうして決着がついた所で、マミゾウがまず拍手を送っていた。
「やれば出来るじゃないか」
「天気に恵まれたのでしょう」
咲夜は特に感慨もなく、のんびりとお茶を啜る。決闘には様々な要素が絡むため勝敗もおおよそ五分五分である。咲夜の意味のない言葉にマミゾウが首を捻っていた。
それよりも命蓮寺の門下妖怪たちがざわついている。咲夜は彼女たちに顔を向けた。
「我が館の門番の弾幕、いかがでしたでしょうか。少しでも話の種にしていただけたら幸いです。本人に変わり、皆様にお見せできたことを心よりお礼申し上げますわ」
そう言うと、寅丸が言葉を返してくる。
「ご丁寧にありがとうございます。少しだなんてとんでもない。武術の魅力、虹色に煌めく雨の弾幕もとても美しく、目に焼き付きました」
「こちらも聖尼公の妙技には驚かされました。特に魔人経巻、あれは我が館の知識人が興味をそそられること間違いなしでしょう。今度は紅魔館にお出でになってください。メイド一同、歓待しますわ」
「いや、話を纏めている所悪いが……」
置いて行かれていたマミゾウが、待て待てと口を挟んだ。
「決闘は二勝先取制。どう足掻いてもあと一戦は残っとるはずだが?」
「残念だけど、そうもいかないのよ」
咲夜は懐から銀の懐中時計を取り出して時間を確認する。時刻はちょうど三時を過ぎた辺りだった。
マミゾウに肩を竦めて見せて、残念そうに言う。
「やっぱりね。時間切れみたい」
そうして咲夜が立ち上がる。タイムキーパーは時間に忠実だったのだ。
「大丈夫ですか?」
倒れていた聖に美鈴が声を掛けるが、反応はない。
「まさか死んでる……!?」
「な、なんとか生きてます……」
顔と手が動き、聖が美鈴を見上げた。笑ってはいるが声が震えている。相当のダメージがまだあるようだ。
「大丈夫ですか? 起き上がれます?」
「腰の辺りに違和感がありますが、概ね修復が終わりました」
やはり直撃した腰はダメージが深い。美鈴が手を差し出すと、聖はそれに素直に掴まる。美鈴は肩を貸して聖を立ち上がらせた。
「ありがとうございます聖さん。聖さんのおかげで思い切り動けました。貴女と手合わせできて本当によかった」
「いえいえ。こちらも初戦からご迷惑をお掛けしてしまって……」
「次は決闘か組手か、事前に教えて下さいね。私で良ければいつでもお相手しますよ!」
「はい是非……といいますが、まだ一戦残っているのでは?」
決闘は二勝先取制。現状であれば一勝一敗である。首を傾げている聖に対して、美鈴が申し訳無さそうに笑って口ごもった。
そこへ咲夜がやってくる。
「美鈴、時間よ」
「やっぱりですか。お腹の具合でそんな感じがしてたんですよ~」
「ふふ、何それ。おやつはまだよ」
美鈴が残念そうに肩を落とす。しかし別に腹が減ったから戦えないというわけではない。前々から決まっていたことだ。
このくらいの時刻には出発せねば、間に合わなくなるだろう。
「すみません聖さん、これから夕餉の買い出しに行かなくてはならないのですよ」
だからこそ咲夜がついてきたのだ。咲夜はこれを機に食料を多く買い込む気でいる。美鈴はその荷物持ちだった。
「なんとまぁ! そうでしたか。それでは引き止めることも出来ませんね」
同じく残念そうに肩を落とす聖。これからという時だっただけに、美鈴にも同じ落胆があった。だから美鈴はすかさず言う。
「今度は紅魔館に遊びに来てください。庭園や図書館、メイド長の最高のおもてなしで迎えさせていただきます」
「私からも是非、お誘い申し上げますわ」
美鈴と咲夜に言われ、聖が困ったように眉を上げて笑った。
「今日の決着は、その時にでも」
「……ええ。では近いうちに、是非」
―――7―――
こうして、紅美鈴と聖白蓮の弾幕ごっこは次回へと持ち越された。
身支度を整えた美鈴と咲夜が命蓮寺の門を出て、人里へと降りていく。
美鈴は思う。さすが千年修行する僧侶は、しっかりとした考えを持っている。威風堂々たる彼女の心と技に憧憬を抱いた。
対して白蓮も思う。妖怪とはなんと奇妙な物なのだろうか。武術の強さ、そして美鈴の華麗な弾幕が、鮮烈な体験として刻まれる。そうしてまた一つ、真理へ一歩近付いたような気がした。
「それにしても虹に龍星、ねぇ……紅竜、七面天女の一族かのう?」
「わかりません。ですが二回目の決闘時の気配は、まさしく妖怪のそれでした」
マミゾウと聖が首を撚る。種族が分かれば理解も深まるのだが、二人にもああいった類の妖怪に心当たりはない。
人の技を使う、人を襲わない、人のような妖怪。
「比較的新しい者なのかもしれんな」
「吸血鬼の存在も気になります。色々、複雑なのかもしれませんね」
聖は次の決闘を思う。まだまだスペルは多く残っている。向こうも同じだろう。まだ見ぬスペルと、虹の雨に思いを馳せながら、聖は独り頷く。
「精進しましょう。次の決闘に備えて」
「うーん……」
人里で買い物をする中で、美鈴は唸っていた。心配そうな面持ちで、咲夜が買った肉まんを美鈴に向けた。
「どうしたの? まだ傷が痛む?」
「いえそれは平気なんですけど……」
肉まんを受け取って頬張り、先の決闘で語り合った事柄を思い出す。
妖怪の悟り。人間との溝、境い目。それを埋める方法。
例えば美鈴と咲夜の間には溝がある。それを意識すると、どうにも心がざわついてならない。それを悟るために修行があるのなら……。
「入門してみようかなぁ」
「あら、命蓮寺に? 外勤はどうするのよ」
「ですよねぇ。まぁ、また今度、聖さんに聞いてみればいいか」
美鈴は何となく、空いている咲夜の手を取って笑う。
咲夜は不思議そうな表情を浮かべた後、笑みを浮かべてそれを握り返した。
了
一方、作品のメインではないのでしょうけど、二人の思想の部分はちょっと断片的というか、二人の思いの核心部分がうまくこちらに伝わってくる感がなかった。ただ、バトルの一要素として見ればうまく嵌まっていたと思います。
説明役に回る咲夜の口調に洒落っ気をあまり感じられなかったのが、個人的には寂しかったり。
説明役に回る咲夜の口調に洒落っ気をあまり感じられなかったのが、個人的には寂しかったり。
前半のうちは、二人の戦いも言葉もうまく噛み合ってないように見えて、首をかしげながら読んでいました。
後半から、しっかりと噛み合い、互いに真正面からぶつかり合っていて、気持ちよく読めました。
弾幕ごっこ自体が格闘技の完成系だし
格闘技自体弾幕ごっこというイメージがあるから
めいりんは拳法信仰あたりの妖怪だと思うから白蓮は完全上位変換な印象
神と神官くらい差がありそう
東方的には五ボスと六ボス程度の差だけど
しかしこのマミゾウさん、ノリがいいな!
次も期待してます