朝めしでもたかろうと博麗神社に顔を出したのを遠い昔の事のように思い出す。前の日に霊夢をめっためたにやっつけたから、私はかなり機嫌が良かったんだ。でもその上機嫌はすぐに醒めた。というのも霊夢と、その尻に生えていた尾が私を出迎えたからだ。これが、神社に着いてから三十秒で起こった出来事だ。
私はもちろん偽物を疑ったし触らせるように要求したが、その五分後には、それがおもちゃや、何かしらのいたずらじゃないことがはっきりした。それから四半刻ほど経って、今は二人で湖の上を飛んでいる。前をいく霊夢の尻から伸びる尻尾が風になびいてうねうねと泳ぐ。
猫のものだろう、ということでとりあえず、私達の意見は一致した。霊夢には猫っぽい、自由気ままなところがあったので、仮に生えるとするなら猫のだろうと私も思った。心当たりはないらしい。猫の尻尾が生えるような心当たりが一体何かわからないけど。
あまりに多くの物事がめまぐるしく起こったので、夢であってくれと何度も祈った。何度もつねったからほっぺはきっと真っ赤になってしまっているはずだ。
神社から湖の上を飛ばないと辿りつけないのは一箇所だけだ。どこへ行くのかと訊いたら、曰く「こういうときには知識人を頼るべきよ」と答えた。
「知識人ってさあ」
「何か言った」
「後で言う」
見えてきた門扉は予想通り紅魔館のだった。霊夢を追って着地して、隣に並んだ。パチュリーに知識がないとは言わないけど。
「今どき、知識人=パチュリーって方程式はどうなんだよ」
これは本当に2016年に書かれたSSなのか。
「鬼人正邪」
「新しめの固有名詞を登場させたからどうとかじゃないんだよな」
あと鬼人正邪って、それももう若干古いだろ。
「どうしたら良いのよ」
「なんかもっと、2016年らしいことを言ってほしい」
そういう雰囲気作りって大事だと思う。というと、霊夢は「ふんぞり返る」のお手本を示すみたいにふんぞり返った。空を指差す。
「見てみなさい、空では宝船が魔界を目指して飛んでいる、地では怨霊が断続的に湧きだしている。ほら新しい」
「それもちょっと古い……なんでクリアできてないんだよ」
「まあまあ、ええじゃないか」
「……心綺楼も?」
図書館までは顔パスだった。顔パスっていうか美鈴はめちゃめちゃ腰が低かったし妖精は霊夢の顔を見ただけで廊下の果てまですっ飛んでいった。紅魔郷は完膚なきまでにクリアしたのかもしれない。私には霊夢がよくわからない。しっかり者に見えて変なところで抜けている。自分の身体に変なものが生えても、慌てふためくことなく平然としている。私よりも強いはずなのに、いくつかの異変が解決されずに放置されている。本人はまっすぐ進んでいるつもりらしいけど、私には無軌道に飛び回っているようにみえる。
図書館で私達を出迎えたパチュリーは、霊夢の話をいつもの三白眼で聞いて、いつもの三白眼のまま少し考える素振りを見せたが、いざ霊夢が背中を向けて尻尾を見せつけると流石に目を丸くした。
「偽物じゃないのよね? ……霊夢の腰に、その、本当に生えてるのよね」
「うん」
「栄光印刷が」
「ねこのしっぽがだよ」
「とにかく、私困ってるのよね」
霊夢はパチュリーの向かいにどっかと腰掛けて脚を組んだ。尻尾はどうするのかと思ったら、背もたれの隙間から器用に逃がしている。
「こんな病気は聞いたことがないし。呪いの線も考えたんだけど。尻尾が生えたとき、わたし神社で寝てたのよ? 並大抵の呪いなら跳ね返せるはず」
「ふむ。霊夢が言うなら呪いではないんでしょうね」
「じゃあ原因はなんだって言うんだ?」
「慌てないで、魔理沙。呪い以外でも無防備に寝こけている人間に尻尾を生やす方法なんて、今だけでも五通りは思いつく」
人に尻尾を生やしたいという欲求がこいつになくて本当に良かった。パチュリーは指を立てた。
「だから、その中から一つにしぼるために幾つか質問をするわ。いい?」
「いいわよ。どこからでもかかってきなさい」
口調と一緒に、臨戦態勢に入ったみたいに尻尾も動くものだからつい笑ってしまう。
「最近、狸や狐……そういう人を化かす動物を食べた?」
「獣の肉はここしばらく食べてないなあ」
「そう。まあ、その場合は食べた動物のパーツが生えることのほうが多いわね。もちろん猫も殺してないわよね」
「まさか」
「じゃあ、ここ最近……特に尻尾が生える直前に、何か変わったことをしなかった?」
「変わったこと……あっ、そうだ」
霊夢は天井を見上げた。尻尾も一緒にぴんと伸びた。
「心当たりがあるの?」
「あのね、修行をしたわ。昨日」
「修行は日常的にしてほしいな」
「なるほどね。問診はこれでおしまいにしましょう」
「今のだけで分かったの? 凄いわね」
「知識を名に冠している以上はこれくらいできないと。はじめに言った五つの仮説の中からなら、一つに絞ることができたわ。あくまで仮説だけれど、外部に犯人がいないという条件をみたすならこれがもっともありえると思う」
「聞かせてちょうだい」
「ぜひ聞きたいな」
パチュリーの顎がくっと上がった。尻尾もないのに感情が分かりやすい。
「人型の妖において、尻尾の本数や大きさは得てして妖力のバロメータとなるのは周知のことよね。例えば妖怪の賢者の式である八雲藍やその式、橙がそう。この国では老いて知恵や妖力を持った猫は尾が裂けて二本に増え、猫又という妖怪に成る。万年単位で生きた狐は、尾が九つに増えて化生となる。もちろんこの土地、幻想郷にも、そういった伝承は根付いている。そうそう、地霊殿に棲み着いている火焔猫燐も、二本の尾を持つ」
「かえんびょうりんって誰?」
「五面の……お前五面も行けてないの?」
「まあそれはいいじゃない」
「イージーでも? イージーでも行けてないのか?」
「魔理沙ちょっと煩い」
「魔理沙は黙ってて、大事な話をしているのよ」
「博麗の巫女がシューティング下手らしいって話以上に大事な話があるかよ……」
「その大事な大事な巫女に尻尾が生えたのよ!」
何で怒鳴られたの……?
「とにかく、こういった伝承から、尻尾の本数は妖怪において持ち主の力と密接に関係している。彼らが尻尾を隠さないのはそれが妖怪としての格を表すからなの。そこで、霊夢。貴方昨日、修行をしたと言ったわね。それはきっと妖力……巫女だから霊力かしら。それの向上につながったはずね」
「ちょっと待ってくれ」
ぽん、と手を打つパチュリー。頷き合う二人の間に、思わず割り込んだ。
「もしかして、霊力が増したから、それを表すために尻尾が生えた、ってパチュリーはそう言いたいの?」
「ええ、そうよ」
「でもさ、でもさあ。おかしくないか?」
「何が?」「おかしいところなんてあったかしら」
ちょっと頭痛してきたかもしれない。
「ええと、猫や狐ははじめから尻尾があるよな?」
「種類によるんじゃない?」「それが何か?」
「でも霊夢には、昨日まで尻尾無かったよな?」
「確かめたの?」「でも小さな差だと思うわ」
「一本あった尻尾が増えるのとは訳が違わない? ゼロから一の変化の大きさエグくない?」
「そうかしら」「そんなことないわよ」
「どアウェーかよ」
「反論はおしまいかしら」
パチュリーは勝ち誇ったみたいな顔をした。
「なるほどね、なるほど。私の霊力が……ふふふ」
本人も嬉しそうだから、これ以上は突っ込まないけど。……あ。
「嬉しそうだけど、尻尾生えっぱなしなのはいいのか?」
「あっ、そうか。どうしましょ。ねえパチュリー、これはどうしたら良いのかしら」
霊夢はおそらく自分の意志で尻尾を振ってみせた。順応性がすごい。
「ねえ霊夢。いい? その尻尾は、貴方が手に入れたそれは、勲章なのよ。勲章を隠して歩く軍人はいない。今後は自らの力の強大さを示すしるしとして見せつけて歩けばいい。誇りなさい霊夢。人の身でその領域に到達したのはきっと貴方が初めてなのだから」
身を乗り出して、爛々と目を輝かせてまで言うことだろうか。人類史上初なのだけは、きっと間違いないのだろうけど。
「パチュリー……!」
「霊夢、おめでとう」
パチュリーは咲夜を呼びつけて(瞬きするうちにパチュリーの横に佇んでいた)、レミィを呼んでと言った。それから私達を振り返った。
「レミィにも伝えないと。きっと彼女も祝福したいと思うから」
まるで晩餐会、と呼べるほどの豪勢な会になった。妖怪というやつは今でも人間の生活リズムに興味がないらしい。締め切った厚いカーテンの隙間からはさんさんと照らす太陽の気配がするから、まあ、ちょうど昼くらいだ。朝を食べそびれた今日に限っては、昼から肉料理が並ぶ吸血鬼の無頓着さがありがたい。
「いやあ、嬉しいわ。霊夢もとうとう人間をやめたのね」
「やめてないわよ。でもまあ、ありがとう」
霊夢はつんとすましたような表情でずっと、レミリアの祝福をいなしている。でも腰からは相変わらず白い尻尾が伸びていて、きっと照れているのだろう、もじもじと円を描いている。
「しかもそのことを、私達にはじめに知らせてくれるとはね。光栄ですわ」
咲夜もレミリアも、霊夢も手元にはワイングラスを揺らせている。もちろん私の前にもそれは置かれている。ただなかなか口をつける気にはならなかった。主にこの祝福ムードへの違和感のせいだ。
「ええ、それも私達がいかに霊夢にとって重要な存在か、ってことよ。そうよね霊夢?」
「まあね。そういうことでいいわ」
「しかし、霊夢さんに尻尾がね。この領域に達するなんて凄い才能ですよ、本当に。私だって若い頃に幾人か目にしたことがあるくらいなんですから」
「へえ、人類初じゃなかったのね」
「しかし彼らは皆名うての武芸者として、あるいは詩歌の名手、はたまたその才気をもって名を大陸中に轟かせました。そこに、この年でねえ」
うんうんと頷く美鈴。私は、前例があるんだ、と驚くので忙しい。
それにしても……。
ひたすら祝福される霊夢を見ていると、なんだか落ち着かない気分になってきた。霊夢にまとわりつくレミリア、フラン。少し離れたところに小悪魔もいる。たしかに妖怪の、強い奴らにはなにか、人間らしくないシンボルがある、そういう共通点があるように思えてくる。なら、シンボルを持たない私は……。そんなに食べていないはずなのに胃が重たくなる。こんなことをしている場合ではないのではないか? 時間を無駄にしてはいないか? それは劣等感によく似ていた。
そのあと何を見聞きしたのかはほとんど覚えていない。きっと当り障りのないことを受け答えするうちにお開きになったんだと思う。気づいたら私は自宅に帰りついていた。何もする気が起こらなくて、着替えだけ済ませてすぐに床についた。だというのにその日は遅くまでなかなか眠れなかった。
私がまごついて、神社から足が遠のいているうちにも霊夢はたしかに強くなっていたみたいだった。例の謎のうたげからしばらくすると宝船が空から消え、地上のすべての怨霊が姿を消した。幻想郷はふたたび平穏を取り戻した。
いい加減に気になって神社に行ってみればぬえがお勝手で割烹着姿になっていた。
「おい、なにしてるんだ」
「おっと魔理沙。騒がんでくれよ。ブンヤに見つかるとまずい」
「どうしたんだ、その格好」
「いやなに、普通に霊夢に負けまして」
「負けたくらいでこんなことになるのか。えっなるのか?」
「ちょっとーぬえ、まだできないの」
「へいっただいまお持ちします! へへっ堪忍してくだせえ!」
「ぬえお前、口調まで」
「あれ、魔理沙。来てたのね」
面白かったのでぬえについていくと霊夢は腹這いになって、こいしに腰を揉ませていた。気の抜け切った笑顔を向けてくる。動じろよ。
「あれからどうしてるのか気になってさ。まさかこんな……なんだろう、こんな事になってるとは思わなかったからすげえびっくりしてるんだけど」
「そうそう。あれから私、どんどん強くなれたみたいなの。なんだかコツを掴めたみたいでね。せっかくだからこの子たちには特訓に付き合ってもらってたんだけど、懐かれちゃったみたいで」
「この状況を懐くと言っていいのかはわかんないけど」
二人とも霊夢が身動きするたびにビクッてなってるけど。
「霊夢と戦うのはもう嫌だ、なんでもするから勘弁してくれ、って」
「絶対懐かれてはいないよね」
「でも、二人のおかげで見て、ほら」
そそくさと出ていく二人を見送って、霊夢は自分の頭を指差した。
「触れるのが嫌で触れてなかったけど、それさあ。ええ? そういう方向性で変化していくの?」
霊夢の頭には、獣の耳が生えていた。尻尾のことが念頭にあったから、猫のものだ、と直感した。本体が自慢気に鼻を鳴らすのとタイミングを同じくしてぴこぴこと動いている。尻尾の本数がどうって話じゃなかったのか。尻尾の本数がどうって話もまだ納得してないけど。
「触っていい?」
「だめよ」
「こういうのってお約束じゃないの……?」
無遠慮に触って、やーん、みたいな……。
「馬鹿」
「ごめん」
「とにかくね、また頑張って修行したおかげでこうして、強さの勲章が一つ増えたのよ。魔理沙なら祝ってくれるよね」
いや、どうだろう……。
「私なら、うーん。そんな恥ずかしい格好になるって分かっててまで、強くなりたいとは思わないんだけどなあ」
「へえ」
霊夢は、想像していたよりもずっと真面目な表情になった。
「ねえ、魔理沙。ひとつ訊いていい?」
「……なんだよ」
「強くなるのって恥ずかしいことなのかしら」
「そうじゃなくて」
「私ね、あの日、魔理沙に負けてすごく悔しかったの。だから帰ってから修行したのよ。強くなりたくて、そのために努力をした。これはその結果。努力の結晶。だから私は恥ずかしくなんてないわ。私は尻尾と、耳を晒して生活する。私は、博麗の巫女はこの領域に達した人間だと、誇示して生きる」
その瞳はどこまでもひたむきだった。私は急に居心地が悪くなったような気がした。この間からずっと感じていた違和感が、またふつふつと沸き立った。もしかしたらずっと沸いていたのかもしれない。私が顔を背けていただけで。
「霊夢、私」
「魔理沙だって昔はもっと、強さに、勝利に貪欲だったはず。恥ずかしいことたくさん言ってたでしょう、『魅魔様に勝っちゃった。うふふ、うふふふ』とか」
「今は昔のことはいいだろ」
「『メルトダウンって甘いのかな』とか」
「やめろって」
「『私の武器はすさまじく強力な魔法、略してすさマジックだぜ☆』とか」
「言ってねえよ」
「とにかく、私達ってライバルだったよね? 私が戦うとみんな、ぬえや、こいしみたいになっちゃうの。今まででそうならなかったのは魔理沙だけだった。だからそれがすごく嬉しかったし、これからもずっといい関係でいたかった。勝ったり負けたりする間柄でいたかったの。だから置いて行かれたくなかった。頑張って修行したのよ」
「私……」
「ううん、もういい。結局誰も私にはついてこれないんだわ」
霊夢の背中で、尻尾はぴくりとも動かなかった。
私はもちろん偽物を疑ったし触らせるように要求したが、その五分後には、それがおもちゃや、何かしらのいたずらじゃないことがはっきりした。それから四半刻ほど経って、今は二人で湖の上を飛んでいる。前をいく霊夢の尻から伸びる尻尾が風になびいてうねうねと泳ぐ。
猫のものだろう、ということでとりあえず、私達の意見は一致した。霊夢には猫っぽい、自由気ままなところがあったので、仮に生えるとするなら猫のだろうと私も思った。心当たりはないらしい。猫の尻尾が生えるような心当たりが一体何かわからないけど。
あまりに多くの物事がめまぐるしく起こったので、夢であってくれと何度も祈った。何度もつねったからほっぺはきっと真っ赤になってしまっているはずだ。
神社から湖の上を飛ばないと辿りつけないのは一箇所だけだ。どこへ行くのかと訊いたら、曰く「こういうときには知識人を頼るべきよ」と答えた。
「知識人ってさあ」
「何か言った」
「後で言う」
見えてきた門扉は予想通り紅魔館のだった。霊夢を追って着地して、隣に並んだ。パチュリーに知識がないとは言わないけど。
「今どき、知識人=パチュリーって方程式はどうなんだよ」
これは本当に2016年に書かれたSSなのか。
「鬼人正邪」
「新しめの固有名詞を登場させたからどうとかじゃないんだよな」
あと鬼人正邪って、それももう若干古いだろ。
「どうしたら良いのよ」
「なんかもっと、2016年らしいことを言ってほしい」
そういう雰囲気作りって大事だと思う。というと、霊夢は「ふんぞり返る」のお手本を示すみたいにふんぞり返った。空を指差す。
「見てみなさい、空では宝船が魔界を目指して飛んでいる、地では怨霊が断続的に湧きだしている。ほら新しい」
「それもちょっと古い……なんでクリアできてないんだよ」
「まあまあ、ええじゃないか」
「……心綺楼も?」
図書館までは顔パスだった。顔パスっていうか美鈴はめちゃめちゃ腰が低かったし妖精は霊夢の顔を見ただけで廊下の果てまですっ飛んでいった。紅魔郷は完膚なきまでにクリアしたのかもしれない。私には霊夢がよくわからない。しっかり者に見えて変なところで抜けている。自分の身体に変なものが生えても、慌てふためくことなく平然としている。私よりも強いはずなのに、いくつかの異変が解決されずに放置されている。本人はまっすぐ進んでいるつもりらしいけど、私には無軌道に飛び回っているようにみえる。
図書館で私達を出迎えたパチュリーは、霊夢の話をいつもの三白眼で聞いて、いつもの三白眼のまま少し考える素振りを見せたが、いざ霊夢が背中を向けて尻尾を見せつけると流石に目を丸くした。
「偽物じゃないのよね? ……霊夢の腰に、その、本当に生えてるのよね」
「うん」
「栄光印刷が」
「ねこのしっぽがだよ」
「とにかく、私困ってるのよね」
霊夢はパチュリーの向かいにどっかと腰掛けて脚を組んだ。尻尾はどうするのかと思ったら、背もたれの隙間から器用に逃がしている。
「こんな病気は聞いたことがないし。呪いの線も考えたんだけど。尻尾が生えたとき、わたし神社で寝てたのよ? 並大抵の呪いなら跳ね返せるはず」
「ふむ。霊夢が言うなら呪いではないんでしょうね」
「じゃあ原因はなんだって言うんだ?」
「慌てないで、魔理沙。呪い以外でも無防備に寝こけている人間に尻尾を生やす方法なんて、今だけでも五通りは思いつく」
人に尻尾を生やしたいという欲求がこいつになくて本当に良かった。パチュリーは指を立てた。
「だから、その中から一つにしぼるために幾つか質問をするわ。いい?」
「いいわよ。どこからでもかかってきなさい」
口調と一緒に、臨戦態勢に入ったみたいに尻尾も動くものだからつい笑ってしまう。
「最近、狸や狐……そういう人を化かす動物を食べた?」
「獣の肉はここしばらく食べてないなあ」
「そう。まあ、その場合は食べた動物のパーツが生えることのほうが多いわね。もちろん猫も殺してないわよね」
「まさか」
「じゃあ、ここ最近……特に尻尾が生える直前に、何か変わったことをしなかった?」
「変わったこと……あっ、そうだ」
霊夢は天井を見上げた。尻尾も一緒にぴんと伸びた。
「心当たりがあるの?」
「あのね、修行をしたわ。昨日」
「修行は日常的にしてほしいな」
「なるほどね。問診はこれでおしまいにしましょう」
「今のだけで分かったの? 凄いわね」
「知識を名に冠している以上はこれくらいできないと。はじめに言った五つの仮説の中からなら、一つに絞ることができたわ。あくまで仮説だけれど、外部に犯人がいないという条件をみたすならこれがもっともありえると思う」
「聞かせてちょうだい」
「ぜひ聞きたいな」
パチュリーの顎がくっと上がった。尻尾もないのに感情が分かりやすい。
「人型の妖において、尻尾の本数や大きさは得てして妖力のバロメータとなるのは周知のことよね。例えば妖怪の賢者の式である八雲藍やその式、橙がそう。この国では老いて知恵や妖力を持った猫は尾が裂けて二本に増え、猫又という妖怪に成る。万年単位で生きた狐は、尾が九つに増えて化生となる。もちろんこの土地、幻想郷にも、そういった伝承は根付いている。そうそう、地霊殿に棲み着いている火焔猫燐も、二本の尾を持つ」
「かえんびょうりんって誰?」
「五面の……お前五面も行けてないの?」
「まあそれはいいじゃない」
「イージーでも? イージーでも行けてないのか?」
「魔理沙ちょっと煩い」
「魔理沙は黙ってて、大事な話をしているのよ」
「博麗の巫女がシューティング下手らしいって話以上に大事な話があるかよ……」
「その大事な大事な巫女に尻尾が生えたのよ!」
何で怒鳴られたの……?
「とにかく、こういった伝承から、尻尾の本数は妖怪において持ち主の力と密接に関係している。彼らが尻尾を隠さないのはそれが妖怪としての格を表すからなの。そこで、霊夢。貴方昨日、修行をしたと言ったわね。それはきっと妖力……巫女だから霊力かしら。それの向上につながったはずね」
「ちょっと待ってくれ」
ぽん、と手を打つパチュリー。頷き合う二人の間に、思わず割り込んだ。
「もしかして、霊力が増したから、それを表すために尻尾が生えた、ってパチュリーはそう言いたいの?」
「ええ、そうよ」
「でもさ、でもさあ。おかしくないか?」
「何が?」「おかしいところなんてあったかしら」
ちょっと頭痛してきたかもしれない。
「ええと、猫や狐ははじめから尻尾があるよな?」
「種類によるんじゃない?」「それが何か?」
「でも霊夢には、昨日まで尻尾無かったよな?」
「確かめたの?」「でも小さな差だと思うわ」
「一本あった尻尾が増えるのとは訳が違わない? ゼロから一の変化の大きさエグくない?」
「そうかしら」「そんなことないわよ」
「どアウェーかよ」
「反論はおしまいかしら」
パチュリーは勝ち誇ったみたいな顔をした。
「なるほどね、なるほど。私の霊力が……ふふふ」
本人も嬉しそうだから、これ以上は突っ込まないけど。……あ。
「嬉しそうだけど、尻尾生えっぱなしなのはいいのか?」
「あっ、そうか。どうしましょ。ねえパチュリー、これはどうしたら良いのかしら」
霊夢はおそらく自分の意志で尻尾を振ってみせた。順応性がすごい。
「ねえ霊夢。いい? その尻尾は、貴方が手に入れたそれは、勲章なのよ。勲章を隠して歩く軍人はいない。今後は自らの力の強大さを示すしるしとして見せつけて歩けばいい。誇りなさい霊夢。人の身でその領域に到達したのはきっと貴方が初めてなのだから」
身を乗り出して、爛々と目を輝かせてまで言うことだろうか。人類史上初なのだけは、きっと間違いないのだろうけど。
「パチュリー……!」
「霊夢、おめでとう」
パチュリーは咲夜を呼びつけて(瞬きするうちにパチュリーの横に佇んでいた)、レミィを呼んでと言った。それから私達を振り返った。
「レミィにも伝えないと。きっと彼女も祝福したいと思うから」
まるで晩餐会、と呼べるほどの豪勢な会になった。妖怪というやつは今でも人間の生活リズムに興味がないらしい。締め切った厚いカーテンの隙間からはさんさんと照らす太陽の気配がするから、まあ、ちょうど昼くらいだ。朝を食べそびれた今日に限っては、昼から肉料理が並ぶ吸血鬼の無頓着さがありがたい。
「いやあ、嬉しいわ。霊夢もとうとう人間をやめたのね」
「やめてないわよ。でもまあ、ありがとう」
霊夢はつんとすましたような表情でずっと、レミリアの祝福をいなしている。でも腰からは相変わらず白い尻尾が伸びていて、きっと照れているのだろう、もじもじと円を描いている。
「しかもそのことを、私達にはじめに知らせてくれるとはね。光栄ですわ」
咲夜もレミリアも、霊夢も手元にはワイングラスを揺らせている。もちろん私の前にもそれは置かれている。ただなかなか口をつける気にはならなかった。主にこの祝福ムードへの違和感のせいだ。
「ええ、それも私達がいかに霊夢にとって重要な存在か、ってことよ。そうよね霊夢?」
「まあね。そういうことでいいわ」
「しかし、霊夢さんに尻尾がね。この領域に達するなんて凄い才能ですよ、本当に。私だって若い頃に幾人か目にしたことがあるくらいなんですから」
「へえ、人類初じゃなかったのね」
「しかし彼らは皆名うての武芸者として、あるいは詩歌の名手、はたまたその才気をもって名を大陸中に轟かせました。そこに、この年でねえ」
うんうんと頷く美鈴。私は、前例があるんだ、と驚くので忙しい。
それにしても……。
ひたすら祝福される霊夢を見ていると、なんだか落ち着かない気分になってきた。霊夢にまとわりつくレミリア、フラン。少し離れたところに小悪魔もいる。たしかに妖怪の、強い奴らにはなにか、人間らしくないシンボルがある、そういう共通点があるように思えてくる。なら、シンボルを持たない私は……。そんなに食べていないはずなのに胃が重たくなる。こんなことをしている場合ではないのではないか? 時間を無駄にしてはいないか? それは劣等感によく似ていた。
そのあと何を見聞きしたのかはほとんど覚えていない。きっと当り障りのないことを受け答えするうちにお開きになったんだと思う。気づいたら私は自宅に帰りついていた。何もする気が起こらなくて、着替えだけ済ませてすぐに床についた。だというのにその日は遅くまでなかなか眠れなかった。
私がまごついて、神社から足が遠のいているうちにも霊夢はたしかに強くなっていたみたいだった。例の謎のうたげからしばらくすると宝船が空から消え、地上のすべての怨霊が姿を消した。幻想郷はふたたび平穏を取り戻した。
いい加減に気になって神社に行ってみればぬえがお勝手で割烹着姿になっていた。
「おい、なにしてるんだ」
「おっと魔理沙。騒がんでくれよ。ブンヤに見つかるとまずい」
「どうしたんだ、その格好」
「いやなに、普通に霊夢に負けまして」
「負けたくらいでこんなことになるのか。えっなるのか?」
「ちょっとーぬえ、まだできないの」
「へいっただいまお持ちします! へへっ堪忍してくだせえ!」
「ぬえお前、口調まで」
「あれ、魔理沙。来てたのね」
面白かったのでぬえについていくと霊夢は腹這いになって、こいしに腰を揉ませていた。気の抜け切った笑顔を向けてくる。動じろよ。
「あれからどうしてるのか気になってさ。まさかこんな……なんだろう、こんな事になってるとは思わなかったからすげえびっくりしてるんだけど」
「そうそう。あれから私、どんどん強くなれたみたいなの。なんだかコツを掴めたみたいでね。せっかくだからこの子たちには特訓に付き合ってもらってたんだけど、懐かれちゃったみたいで」
「この状況を懐くと言っていいのかはわかんないけど」
二人とも霊夢が身動きするたびにビクッてなってるけど。
「霊夢と戦うのはもう嫌だ、なんでもするから勘弁してくれ、って」
「絶対懐かれてはいないよね」
「でも、二人のおかげで見て、ほら」
そそくさと出ていく二人を見送って、霊夢は自分の頭を指差した。
「触れるのが嫌で触れてなかったけど、それさあ。ええ? そういう方向性で変化していくの?」
霊夢の頭には、獣の耳が生えていた。尻尾のことが念頭にあったから、猫のものだ、と直感した。本体が自慢気に鼻を鳴らすのとタイミングを同じくしてぴこぴこと動いている。尻尾の本数がどうって話じゃなかったのか。尻尾の本数がどうって話もまだ納得してないけど。
「触っていい?」
「だめよ」
「こういうのってお約束じゃないの……?」
無遠慮に触って、やーん、みたいな……。
「馬鹿」
「ごめん」
「とにかくね、また頑張って修行したおかげでこうして、強さの勲章が一つ増えたのよ。魔理沙なら祝ってくれるよね」
いや、どうだろう……。
「私なら、うーん。そんな恥ずかしい格好になるって分かっててまで、強くなりたいとは思わないんだけどなあ」
「へえ」
霊夢は、想像していたよりもずっと真面目な表情になった。
「ねえ、魔理沙。ひとつ訊いていい?」
「……なんだよ」
「強くなるのって恥ずかしいことなのかしら」
「そうじゃなくて」
「私ね、あの日、魔理沙に負けてすごく悔しかったの。だから帰ってから修行したのよ。強くなりたくて、そのために努力をした。これはその結果。努力の結晶。だから私は恥ずかしくなんてないわ。私は尻尾と、耳を晒して生活する。私は、博麗の巫女はこの領域に達した人間だと、誇示して生きる」
その瞳はどこまでもひたむきだった。私は急に居心地が悪くなったような気がした。この間からずっと感じていた違和感が、またふつふつと沸き立った。もしかしたらずっと沸いていたのかもしれない。私が顔を背けていただけで。
「霊夢、私」
「魔理沙だって昔はもっと、強さに、勝利に貪欲だったはず。恥ずかしいことたくさん言ってたでしょう、『魅魔様に勝っちゃった。うふふ、うふふふ』とか」
「今は昔のことはいいだろ」
「『メルトダウンって甘いのかな』とか」
「やめろって」
「『私の武器はすさまじく強力な魔法、略してすさマジックだぜ☆』とか」
「言ってねえよ」
「とにかく、私達ってライバルだったよね? 私が戦うとみんな、ぬえや、こいしみたいになっちゃうの。今まででそうならなかったのは魔理沙だけだった。だからそれがすごく嬉しかったし、これからもずっといい関係でいたかった。勝ったり負けたりする間柄でいたかったの。だから置いて行かれたくなかった。頑張って修行したのよ」
「私……」
「ううん、もういい。結局誰も私にはついてこれないんだわ」
霊夢の背中で、尻尾はぴくりとも動かなかった。
どこか突き抜けてしまうことを期待していると、少々物足りなさを感じてしまいますね
冒頭からの展開速度を維持できずに終息してしまった尻すぼみ感。
いい話なのに何か凄く間違えている気がするしそうでもない気もする
不吉な気もするし普通に微笑ましい気もする
両人とも可愛かったです
残り4通りが気になる