私たちは今、永遠亭の離れにある屋敷に来ている。
私たちの事情を知った永遠亭の薬師のはからいで、お邪魔することになった。
ほとぼりが冷めるまで、と言っていたのだが、人々の間の噂話は加熱していくばかりで一向にその気配は見えない。
私のことは何をいってもいい。
だけど、阿求のことまで悪く言わないでほしい。
確かに、私は魔女で阿求は人間。
普通ならば、結ばれることはないだろう。
だが、私たちは愛し合っている、それを何故非難されなければいけないのだろう。
分かっている、彼女はただの人間ではない。
阿礼乙女という特別な存在だ。
でも、それでも、彼女は阿礼乙女以前に、稗田阿求という一人の少女なのだ。
そこには役目だとか、幻想郷縁起などは関係ない、ただのか弱い少女なのに。
永遠亭に来ても、里の人々の間での根も葉もない憶測での中傷や噂に阿求は深く心を痛めていた。
そんなことをしなくても良いのに、私たちの関係を記事にした文屋の烏天狗が一々、人々の間での私たちの根も葉もない噂などを纏めた新聞記事を持ってくる。
そのせいで、阿求は心を痛め、私は怒り、あの文屋の烏天狗を痛い目に合わせようとした。
しかし、そんな私を阿求が止めた。
「やめてください、アリスさん……彼女は、文さんは悪くない。事実を、記事にしただけです。なにも……なにも悪くないんです……」
俯き、私に抱きつき、顔を私に埋めて苦しそうにそう呟き、私を止めた阿求。
そんな私たちを見て、あの烏天狗は、「そうですよ! 私はただ、貴女たちの仲睦まじい姿を幻想郷の皆さんに知ってもらいたくて記事にしただけですから!」と、胸を張って答え、その漆黒の翼をはためかせて去っていった。
私はそんな烏天狗に何も言えずに、ただ見るだけしかできなかった。
烏天狗が立ち去り、暫く経って、阿求が涙ぐみながら絞り出すように小さな声で泣き声を呟いたのを私はただ抱きしめることしかできなかった。
阿求は、私の腕の中で嗚咽をあげて泣き、泣き終えたと思ったら、悲しげな瞳で何処か虚空を見つめていた。
そんな様子をみるのが、私にとっては何よりも耐え難く、だからなのだろうか?
私は、ある提案をした。
「ねぇ、阿求……心中、しましょう?」
憔悴し、痩せてしまった阿求は、その提案を聞くと、力なく頷いた。
毎日毎夜寝付けず、睡眠薬を服用して眠る毎日はどれだけ辛いのだろうか。
それなのに、私には何もしてあげる事ができなかった。
「常世ならば、邪魔するものもきっといないわ」
そんなことは有り得ない、彼女は転生しないといけないのだから。
でも、それでも、私はこれ以上阿求に苦しんでほしくない。
それに、もう阿求は一人じゃない、私が居る。
私が阿求の転生を終わらせ、二人だけの永遠の世界を得る方が良い。
阿求にそう伝えると彼女は私に弱々しく微笑み、「お願いしますね、アリスさん」と、呟き身体を預けてきた。
私はそれを受け止め、抱きしめた。
世間は決して私たちの仲を許しはしないだろう。
ならば二人だけ、心の中に生きていけるのであればそれで良い。
「じゃあ、今夜は全てを忘れて、最後の日を楽しむことにしましょうか」
ところで、人形劇を披露した給金などで私の手元には、この一晩では使えきれぬ程のお金が残っていた。
どうせあの世までは決して持っていけないもの。
だから、今夜は思い切り散財することにした。
二人で暮らすようになってから阿求が倹約を心掛けていたため、こういうことは久しぶりだけど、きっと許してくれるでしょう?
「美味しい料理に舌つづみをうつ。これほどの幸せはないわね」
最後となる夕食の膳には、この幻想郷で取れたあらやる珍味がところ狭しと並べられていた。
「阿求、口を開けて?」
箸でお刺身をとり、かつてそうしていたように、手ずから食べさせてあげる。
もとから、世の目をはばかる交際だったために、発覚する以前の生活ではこうしたことでも、ささやかな楽しみになっていたのを思い出す。
満面の笑みで私に差し出してきた阿求を思い出して赤面していると阿求がきょとんと首を傾げていた。
そんな仕草が可愛くて思わず撫で回すとくすぐったそうに目を細めていた。
こうしている間は全てを忘れてくれているようで私としても心の底から笑うことができる、楽しんでくれているようで良かった。
夕食を終え、部屋に備えられている露天風呂で一緒に湯浴みをすることにした。
ふと空を仰げば、雲居の影から月が覗いていた。
お湯から立ち上る湯気に揺らめく月は幻想的でいつまでも見ていられるような気がした。
「背中を流してあげますね?」
背後からは、石鹸の爽やかな匂いに混ざり、阿求のどこか甘い匂いが漂ってきた。
それが消えてしまうのが惜しくて、私が阿求の体を洗うときはいつもは石鹸を少なめに使って、体を洗ってあげていたのだけど、これでそれも最後になることになる。
お互いを洗い終わって泡を流した後、阿求を抱き締めて、その熱を感じていた。
冬の風で逃げていくその体温すらも、惜しく感じられる。
それから、どれだけの時間そうしていたのだろうか?
お互いの体はすっかり冷えてしまっていることに気付いた。
「湯冷めをしちゃったわね。もう一度、お湯に浸かりましょう」
しばらく湯を共にしているうちに、私たちは、どちらともなく肌を合わせていた。
ぴたりと密着しているせいで、お互いの鼓動がはっきりと伝わってくる。
「アリスさん……たくさん、愛してください……」
狭い浴槽では動きも限られるけど、それでも動くたびに、湯はざばぁ、ざばぁと、外へと溢れ出していってしまっていた。
揺蕩うお湯の上に、形も定まらぬ月が映っているのが見えた。
抱きしめた手の片方を解き、それを掬おうとしてみても指の間から逃げていくばかりで、何も残らなかった。
阿求もそれに気付いたのか、掬おうとしている私の手の上から阿求の手を合わせて、「これでお月様は逃げられませんね」と、はにかみながら呟いた。
その姿が、とても儚く、今にも消えてしまいそうで、私はなにも言えなくなった。
こんな時だというのに、心に浮かぶのは未練ばかり。
明日からはもう、阿求のこの優しさを感じることも、この月もを見ることすら叶わない。
急に切なくなってきたのだから、私から心中を言い出しておいて勝手なものだと自嘲する。
再び両の手で、今にも壊れてしまいそうな阿求を抱きしめる。
「もっときつく、愛しても、良いかしら……強く、もっと強く……」
すると阿求も答えるかのように強く抱きしめてきたので、お互いの存在を確かめあうように、私たちはまた狂おしく交わった。
翌日目を覚ました頃、もう日は高く、晴天の空には、風花が舞っていた。
強く吹いている風が妖怪の山の冠雪を飛ばしているせいだと分かった。
いつもより強い日差しのせいで、その陰影までもがはっきりと見られる。
「今日はとても良い日和ね。風が強いことだけが気になるけれど……夜までにはおさまるわね」
窓を開けて、ふと空を仰いでみれば、ひとひらの風花がふわふわとこちらの方に舞い落ちてくるのが見えた。
思わず掌を差し出すと、それは私の体温で頼りなげに消えていき、まるでこれからの私たちのようで、感傷的な気分になった。
そんなことを考えていると、窓から入る冷たい風のせいで阿求も目を覚ましたようで、背後で起き上がる気配がした。
「おそようさまね、阿求。ちょうどもうすぐ昼食の時間になるわよ」
それから私たちは、陽が沈むまでの時間をゆっくりと、お互いの存在を確かめるように過ごしていた。
丁度見計らったかのように風も収まった宵の口、牡丹雪が優しく降る中、私たちは出発することにした。
「大丈夫、阿求?」
雪に足を取られ、つまずいてしまった阿求に、私は手を差し出した。
その手は小さくて冷たく、それでも仄かに暖かく、もう、離してなるものかと私に決意させ、思わずぎゅっと強く握りしめていた。
「ここからは二人、手をつないでいきましょう?」
雪深い山道をしばらく登り、頃合いの場所を探していると少し道から外れた場所に、平らかな雪原が見えました。
「このあたりが良いわね」
すぐに死出の旅に発つ私たちにとっては、贅沢すぎるように思える仮寝の宿には、柔らかそうな処女雪が積もっていた。
足を踏み入れることすらも躊躇われるが、ここ以上の場所もないだろう。
上海たちに持たせた提灯でたどってきた道を照らせば、二人分の足跡が刻まれている。
きっとこれが、私たちのこの世に残す最後の痕跡になるのだろう。
「それじゃあ阿求、この睡眠薬を……」
睡眠薬を飲んだ後、阿求は私に一度だけ、二人でダンスを踊ってくれないかと、頼んできた。
いつか見た、私の弾幕ごっこを見てダンスだと感じ、阿求も私と踊りたいと思っていたそうだ。
そして、それが、稗田阿求としての最後のわがままだと。
「わかったわ。それじゃあ私と阿求の、最初で最期の最高のダンスを踊りましょう?」
音楽は二人で口ずさむ、想い出の小夜曲、照明は月明かり、弾幕のかわりに舞うは雪、観客は上海たちだけの、二人で舞う最初で最期の舞台。
もっと早く二人でこうして踊れていたら、もっと上手く過ごすことができていれば。
しかし、それはもはや考えても詮なきこと。
こうして、力のかぎり心を込めて阿求と共に舞うことだけが、阿求のために、私のためにしてあげられる最期のことなのだから。
「少し、眠くなってきたわね」
踊りをやめ、二人で寄りかかれる枯れ木のところまでいくと、その幹に寄り添うようにして座りこんだ。
「とは言っても……眠りに落ちるまでにはいま少し
時間が必要なようね。それまで昔話でもしようかしら……」
今は過ぎ去りし思い出を、二人で一つ一つ確認するように話していくうちに眠気は増していき、ぼんやりとする頭ではそれが本当にあったことなのかも、もはやわからなくなってきた。
まるで、これまでの全てが夢の出来事であったかのよう。
思わずそう呟くと、「夢じゃ、ありませんよ。現実、きちんと私は覚えていますから……」と、阿求がしなだれかかってきた。
そんな阿求を撫でながら、ふと見ると、この世の名残り、夜も名残り、しんしんと降りつのる雪で、さっきまでの足跡はもう、消えかかっているところだった。
私たちの命も、それとともに消えゆくのだとなんとはなしに理解した。
瞼が重く、体も段々と暖かくなってくる。
もう眠ってしまいたい。そうしてしまえばどんなに楽なことか。
だけど、目を閉じる時が、この世を去る時。
その前に、阿求に最後のお願いをしようと思った。
「阿求……口付」
「アリスさん……口付けを、してください」
すると、同じ想いだったのか、阿求に先に言われてしまった。
苦笑しながらの末期のキスは、こんなことになる前と変わらず、暖かく、柔らかい感触で、ほんのり甘酸っぱかった。
唇をそっと外すと、私は眠気まなこで阿求を見つめた。
雪灯りに照らされた阿求の顔は、まつげが凍り、鼻も頬と赤くなっていましたが、私を見て微笑んでくれているように見えた。
出来るだけ長く、この顔を見ていたい。
でも、視界はどんどんぼやけてくる。
「阿求、あなたは……もう、眠ったかしら……?」
そっと頬を撫でると力無くこちらに寄りかかってくる阿求。
それを支え、眠ったのを確信し、どこかほっとするのと、残念なのと、複雑な気分になった。
もうすこしだけ顔を眺めていたいのに、あなたは眠っているのだから。
でも、私も眠気が限界になってきた。
それじゃあ、私も眠るわね……。
おやすみなさい、最愛の、私の、私だけの阿求。
目を覚ますと、そこは静謐な空気の流れる病室だった。
「起きたのね、アリス」
何故、永遠亭の薬師がいる?
いや、そんなことはどうでもいい。
阿求は一体どこにいるのだろう。
ぞくりと嫌な予感がした。
「阿求! どこにいるの、阿求!」
答えあぐねている薬師の様子から、全てが理解できてしまった、理解したくない、全てが。
「あー……落ち着いて聞いて、アリス。阿求は、発見された時には、もう……
まあ……アリスだけでも生き残ったのが不幸中の幸いだったわ」
それを聞いた私が言葉を無くしてずっと黙っていると、薬師は諦めたかのようにため息を吐き、何処かへ立ち去りました。
それからしばらくの月日が流れ、とはいってもまだ肌寒さの残る季節だけど、私は退院することになった。
けれども、未だに実感がわかない。
私だけが残されて、阿求だけが逝ってしまったとは、どうにも思えないのだから。
「お世話になりました。見送りはここでもう大丈夫です」
最後の診察を受けた後、薬師や助手の兎に礼を言い、
帰路につこうと外に出れば、ついさっきまで、にわか雨が降っていたようだった。
空には虹が、足元には水たまりが、木々は濡れて、葉からは滴が落ちていた。
雨上がりの冷たく吹きすさぶ風が、私の身に沁みた。
ふと隣を見てみれば、それを共に防ぎ、共に歩むべき阿求はもういない。
日が暮れる頃迄、立ちすくんでその風を受け続けながら、私は一人になったという意味をやっと理解した。
阿求は、もう、この世にはいない。
そう思うと、目に映る景色が途端に寂しいものにしか
感じられなくなってきた。
作られた、模造の、満たされない物語の世界にしか感じられない。
久しぶりの我が家に帰れば、埃がうっすらと積もっていて、窓を開けて風を入れると、それがふわりと宙に舞い上がった。
鬱陶しいくらいの明るい日光のせいで、そのひとつひとつの影までもがはっきりと見られる。
いつか、これによく似た風景を見た気がした。
何か見覚えがあるのだけれど思い出せない。
窓辺を指でなぞると、埃が指についた。
それをそっと掌の上にのせてみても、当然消えること無く残ったまま。
きっとあの日消えたひとひらの雪は阿求で、この埃は私なのだろう。
私だけが、消えずに残ってしまった。
その時、私の心の中にあの日見た風花が散った。
「阿求の逝ってしまった世界はどのようなところなのだろう?」
一つだけ、わかっていることがあった。
阿求はそこにひとりきりでいる。
ならば、私のやらないといけないことは明白だった。
たとえそこがどんな場所であれ、私は阿求の傍に居ないといけないのだから。
「一人で寂しかったわよね……。
長い間待たせちゃったわね…」
キッチンから包丁を取り出し、私はそれを喉に突き立てた。
しかし、なかなか上手くいかないものだということが分かった。
一度目は中途半端な、死ねない傷を作っただけだった。
二度目はさっきの痛みを知る分だけためらいがちになってしまい、なかなか深く刺さらない。
思い切って勢いをつけた三度目、ようやく刃は喉深くまで入ってきて、あとはこれを抜くだけ。
食い込んだ刃を抜くと、血しぶきがあたりに飛び散ったのが見えた。
断末魔の苦しみが襲ってくる中、白い壁に朱い華が咲いているのがちらりと見えた。
息も絶え絶えになってきた頃、目だけであたりを見てみると、血の海には埃が浮いています。
綺麗な場所で、苦しまずに死ねたであろう阿求を少し羨ましく思った。
あの時、純白の上で眠ったままにいられたなら、私もそうできたのだろうか。
だけれど、この苦しみは、阿求を待たせてしまった罰なのだから、甘んじて受け入れる他ないだろう。
しかしなぜだろうか……?
次第に痛みすら感じられなくなってきた。
これは、今度こそ、死は指呼の間ほどまでに近づいているということだろうか。
あの日、二人で包んだ月が、今では一人で手の届きそうな程近く、大きく見える。
窓から覗く漆黒の空に、際立って輝く孤独な月。
しかし、それに手を伸ばす力はもう残っていない。
そして、それを欲しいとも、もう思わない。
阿求のいない世界には、なんの未練も持てないから、だろうか。
今尚狂おしく抱いている、尽きることのない阿求への慕情だけが、今の私の全てだから。
この想いだけを持って、阿求のところへ行くのだから。
しかし、そのうちに目が霞んできて見えなくなって、光の外へ外へと意識も追いやられてきてしまった。
閉じた瞼の裏には、果てもない真っ暗な景色が広がっていた。
そこは、すべてを包む、優しい闇の世界だった。
客観視できてないとは言いませんが、どことなく横道の無さすぎる話であるように感じました
しかし、それがあまり感じられないのが残念。
具体的に言えば、いきなりアリスと阿求が好きあっていることを読者に投げつけて説明していないこと。アリスの提案を受けた阿求の想いがわからないこと。二人の関係を受けた周りの反応と二人の反論が書かれていない。など、読者の想像では補えない部分が多いと感じました。
まるで、感動的な物語の感動的な部分だけを切り取ったような、物足りなさを感じます。
これからの期待を込めて、この点数を。