しんしんと雪が降る、なんてものではない。
“モリモリ”と雪が降ると表現したほうが正しいのではないだろうか。
この数日で、博麗神社はすっかり真っ白になってしまった。真っ白になったうえで標高が1メートル高くなった。
「言葉が出ないわ……」
そんなわたしの呟きも、いまだ降りしきる雪に吸い込まれて消えた。
おこたの誘惑をなんとか振り切って、白い凹凸だけになった境内へ出る。
どれだけ雪が降っていても、お賽銭箱へ続く道が埋もれていてはいけない。
元々だれも来ないでしょ、とか言わないこと。
「あら」
と、凹凸の中で、特に存在感を示す凸を見つけた。
境内の片隅にあるそれは、明らかに自然のものではなく、誰かが作ったもの。
かまくらだ。
「もう。妖精の仕業ね」
積もった雪に足跡をつけながら、わたしはかまくらの前に立つ。
すぐに壊してやろうかと、そう思いながら近づいたものの、思いのほか出来がよくて躊躇してしまった。
これだけ雪が降れば、材料は十分なのだろう。かまくらは大きく立派で、大人2人くらいなら入れそうだ。
「……ただ壊しちゃうのも、なんかもったいないわね」
そこにかまくらがあるのだから、入らないで壊してしまうのは野暮というものだろう。
小さいころに、魔理沙とかまくらを作ったことを思い出していた。
こんなに雪がなかったし、所詮子供が作るもので、とても入れるような大きさのかまくらはできなかった。
大きなかまくらの中に入るのは、ちょっとした夢でもあった。
「どれどれ」
腰を曲げて、天井の低いかまくらへ身体を入れる。
入ってみると、外見の大きさとは裏腹に狭苦しいものだ。
身体の向きを入れ替えて、かまくらの中から外を覗く。
視野を狭められた世界は、ただ降りしきる雪と、積もり積もった白いじゅうたんだけがあった。
「思ったよりつまんないなあ」
一介のかまくらへ無茶を言ってしまった。
それこそ、ただ雪でできているだけの穴なのだから仕方ない。
慈悲はない、と内心呟きながらかまくらを出た。すぐに取り壊してしまおうと考えていたのだ。
広がった視界の中に、赤くそびえる洋館が見えたとき、そんな思考は一瞬で凍り付いた。
思考だけでなく、全身が一瞬、固まって動かなくなる。
すぐにハッとなって、袖で強く目をこすり、ぼやけた視界で改めて見上げた。
やっぱり変わらない。目の前には赤い洋館が……紅魔館があった。
「嘘でしょ」
震える声を漏らしながら、ゆっくりと振り返ると、そこには”一介の”かまくらがある。
思考を整理しようと、わたしは自分がさっきまでいた場所を思い出していた。
言うまでもない、わたしがいたのは博麗神社だ。
「あれ、霊夢さん。いらっしゃってたんです?」
背後から快活な声が聞こえた。
肩ごしに、緑のドレスと赤い長髪が特徴的な、紅魔館の門番が見える。
真っ白な景色の中で、門番の、紅美鈴の赤髪はとても目立っていた。
「美鈴」
「いつの間に門を通ってたんですか? わたし、今日はちゃんと門番してたんだけどなあ」
おどけて笑う美鈴の声も、今のわたしにはまともに聞こえてこなかった。
美鈴が門番をしている館、当然紅魔館であり、目の前にはその美鈴がいる。
もはや疑いようがない。わたしは博麗神社から、紅魔館へ瞬間移動してしまったのだ。
「……霊夢さん? 顔色が悪いですよ」
怪訝な表情で、美鈴がわたしの顔を覗きこんでくる。
ようやく、目の前の妖怪がわたしへ話しかけていることに気づいた。
「……いや。なんでもないわ」
「? そうですか」
美鈴は詮索してくることなく、「参ったなあ」と再び笑顔になる。
「わたし、気づかないうちに寝ちゃってたのかも。これだけ寒くて、雪まで降っていれば、絶対に眠気なんてこないと思ってたのに。あ、これ咲夜さんには内緒でお願いしますね」
「はあ」
「お夕飯はしっかり食べたいタイプの妖怪なんです」
「なら、今晩は悲しい冬の日になりそうね?」
最後の言葉は、わたしが発した言葉ではない。
からかうような言葉の響きなのに、対面する美鈴の笑顔は一瞬で青くなった。
「本当に、懲りない門番ね」
「え、えへへ」
「えへへじゃありません」
「うう」
美鈴の背後から近づき、肩にぽんと手を置いたメイドは「と言いたいところだけど」と続けて、わたしの顔を見た。
「今日のところは、どうやら美鈴は悪くないみたい」
「え。どういうことですか?」
「それは、この巫女に訊けば分かるんじゃない?」
微笑みながら眉を上げるメイド、十六夜咲夜に、わたしは難しい顔で問いかける。
「咲夜。あなたはなにか知っているの?」
「さあ。あなたがなにを知りたいのかも知らないけど。でも、そのかまくらから突然出てきたことだけは知ってる」
見ていたのか。それなら話は早そうだ。
「続きは中でしましょうか」と咲夜に連れられて、わたしは紅魔館に向かって歩を進める。
後ろで、いまだ話に着いてこれなそうな美鈴に、咲夜が振り返って言った。
「美鈴、あなたは真面目に門番をすること。後で、紅茶を持っていきますから」
美鈴が、再び彼女らしい笑顔になった。
◆
応接間に通され、紅茶を差し出されると、「お嬢様を迎えに上がります」と言って咲夜は出て行った。
紅茶をひと啜りして、相変わらずマズイなあとか思いながら、どこか落ち着かない気持ちでいた。
やたらに広い応接間で1人座っているのもそうだけど、やっぱり事の異常さが問題だ。
大きな窓から、真っ白な庭にひとつ佇む凸を眺める。まるで、普通のかまくらにしか見えないのになあ。
「霊夢。紅魔館に来るのは久しぶりじゃない」
弾んだ声と同時に、応接間の扉が開いた。
まだそんなに待っていないのに、紅魔館の主人は応対が早いものである。
そんなことを考えながら、咲夜に連れられて、応接間に入るレミリアを見上げた。
レミリアの頭がジャイアントアフロになっていた。
「ごふっ」
口につけていた紅茶が思い切り口から出た。
喉を通りかけていた紅茶が全部気管に入って滅茶苦茶咳き込む。
1秒と経たないうちに咲夜がわたしの背中をさすっていて、テーブルに吐き出した紅茶は全てキレイに拭き取られていた。
「お嬢様の前ではしたない。紅茶はゆっくりと飲むものですわ」
「いいのよ咲夜。霊夢もきっと、久々にわたしに会えて嬉しかったのね」
レミリアは清楚ぶって笑うけど、問題はそこじゃない。
レミリアの髪型がおかしい。
爆発してる。
ボサボサとかじゃなくて、たわしレベルのそれだ。たわし・スカーレットだ。
「れ、レミリア……」
「あら、なにをそんな変顔に。って、ああ、これかしら?」
わたしの視線の向かう先に気づいたのだろう。
レミリアは無い胸を張って、えっへんと語りだした。
「わたしのビューティフルアフロのことね? 以前にも増して、磨きがかかったでしょう?」
むしろ、それでお風呂を磨いたらキレイになりそうだ。ってそうじゃない。
わたしの知っているレミリアは、青みのある銀髪に、ウェーブのかかった肩ほどまでの髪型だったはずだ。
それが今では、ただひたすらに爆発している。
実験で失敗した博士みたいになってる。
「い……イメージチェンジ? かしら?」
誇り高そうに胸を張るレミリアへ、まさかたわしみたいなどと言うわけにもいかず、なんとか言葉をひねり出す。
無難そうな言葉だと思いたかったものの、目の前の2人は、きょとんとした様子で顔を見合わせていた。
「イメチェンもなにも」
「お嬢様は、前からずっとこの髪型ですわ」
真顔で言い返される。なに言ってんだこの人たち。
もしかして、レミリアとはしばらく会っていないから、見慣れていないのはわたしだけなのだろうか。
わたしが最後に会った日からまもなく、この髪型に変えたのだろうか。
そういうことならば、館の人妖たちは、もうレミリアのたわしに見慣れているのかもしれない。
「そ、そう。まあ、しばらく会ってなかったから、レミリアが髪型変えたの初めて知ったのよ。うふふふ」
ともかく、なんとか髪型には触れないように話を進めていこう。
思ったことはハッキリ言うほうだと自覚はしているけど、髪型を否定的にどうこうと言うのは社交的じゃない。
たわしとかいう絶望的な比喩も、わたしの中だけで留めておこうと思った。
「霊夢」
「ん、うふふ、なにかしら」
平常心だ。平常心。
極めて明朗な笑顔を作るわたしに、レミリアはどこか首を傾げながら口を開いた。
「わたし、500年前からこの髪型だけど」
ん~。
んん~~~~~~~。
◆
重たい扉をバーンと開いて、埃っぽい図書館をずんずん歩いていく。
立ち並ぶ本棚の間をきょろきょろと見回して、ようやくパチュリーの姿を見つけた。
「パチュリー。ちょっと」
「美鈴は何をやっているのかしら」
「今回は公認よ。たぶん」
特に許可を取ることもなく、パチュリーの対面へ腰をかける。
本が山積みになったテーブルの向こう側で、パチュリーは変わらず本に目を落としていた。
「要件は簡潔に」
「じゃあ、単刀直入に言うわ。レミリアのあれはなに?」
ずい、と身を乗り出して問いかける。
あれから、レミリアのアフロがどうしても気になってしまい、本題に全く身が入らず、話半分に切り上げてしまったのだ。
まるで自然のもののように盛り上がるアフロへ、いよいよわたしはドッキリかと疑いをかけていた。
ドッキリならば、パチュリーにまでその手は伸びていないはずだ。
パチュリーはそういう、いわばくだらないことに加担する性格ではない。
「あれ、だけじゃ分からないのだけど」
「言うまでもないでしょ。その、髪よ。髪! あれはなんなの?」
パチュリーは変わらず真顔のまま本を読んでいる。
「髪って、いつも通りじゃない。なにを大騒ぎしているのか分からないわ」
ああ……
「パチュリー。あなたまでドッキリに加担しているとは思わなかったわ」
「はあ」
「どうせ360度わたしを見張っているヤツがいるんでしょう。誰? 文ね? あいつなら考えそうな手口だわ。真実を吐くなら今のうちよ」
「頭大丈夫?」
なんでわたしが頭の心配をされなければいけないのだ。
小悪魔がテーブルに近づいて2人分の紅茶を置いたので、小悪魔にも声をかけて訊いてみる。
「ねえ、小悪魔」
「なんでしょう」
「レミリアの昔の髪型、覚えてる?」
「レミリアお嬢様は、昔からお美しいアフロでしたよ」
「ねえ、パチュリー様」と小悪魔は同意を求めて、パチュリーは表情ひとつ変えず無言のままだ。
無視されているのに、小悪魔はトレイを抱えてニコニコ笑っている。
たぶん、それがパチュリー的肯定であることを小悪魔は知っているのだろう。
……ということは……。
「レミリアはアフロだった……?」
もはや真実だ。真実となってしまった。
レミリアは500年前からアフロであった。生まれたときからアフロ。先天性アフロ。
いや、そんなはずがない。そんなはず。
もしくは、わたしの頭が、本当におかしくなってしまったのだろうか。
「それより、霊夢。かまくらのこと、わたしにも聴かせてくれるかしら」
と、珍しく、パチュリーから口を開いた。
もうパチュリーまでその話を知っているのか。地下の図書館から見えるわけがないし、咲夜に聞いたのかしら。
「先ほど、咲夜さんがお伝えしてくれたんですよ」
「ふーん。やっぱり」
なにも訊いていないのに、小悪魔が教えてくれる。親切な悪魔だ。
「あなたが突然、入った形跡のないかまくらから出てきたって聴いたけれど」
「ええ。正確には、博麗神社で入ったはずのかまくらから出たら、そこは紅魔館だった」
「異常なかまくらね」
全くその通りだ。まさに、かまくらで空間を移動したことになる。
普通のかまくらに空間移動機能は供えられていないのだから、やはり異常だ。
「まるで糸電話みたいですね」と小悪魔。
「糸電話?」
「はい。知りませんか? 糸電話」
そりゃあ、糸電話くらいは知っているけど。
小悪魔の例えに、確かにそんな風でもあるなあと思う。違いとすれば糸がないことと、伝えているものが音だけでなく、まるまる物体であることか。
「ともあれ、このまま放置しておくわけにはいかないわね」
そう言うと、パチュリーは読んでいた本をテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。
「小悪魔。探していた本は見つかったかしら」
「それが、どこにも見当たらなくて。申し訳ありません」
「いいわ、どうせ魔理沙ね……まったく」
パチュリーはわたしに背を向け、1人図書館の扉を歩を進めていく。
それを追いかけて、「どこへ行くの?」と訊ねると、「かまくらよ」とパチュリーは答えた。
◆
外は変わらず重たい雪が降り続いている。
上掛けを身に着けたパチュリーは、それでも寒そうに病弱な身体を震わせていた。
「あのかまくらで間違いないかしら」とパチュリー。
「あのかまくらも何も、あれしかかまくらないでしょ。というか、紅魔館でもかまくらを作るヤツなんているのね」
「フランが、小悪魔と美鈴と一緒に作ったの」
「フラン様、出来上がったときはとても嬉しそうでしたよ」
「そうね」
小悪魔の言葉に、パチュリーはほんの少しだけ微笑んだ。
パチュリーがこうやって笑うのを見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。
まじまじパチュリーの顔を眺めていると、それに気づいたパチュリーはバツが悪そうに「はやく始めるわよ」と言った。
「始めるって。何を?」
「決まっているでしょう。実験よ」
「実験って。あのかまくらに入るつもり?」
「もちろん」
「誰が」
「あなた」
馬鹿をおっしゃいうさぎさん。
「あんなわけのわからないものに、どうしてまたわたしが入らなきゃいけないの」
「わけのわからないものだからこそ、あなたが入るんでしょう。あなたは唯一、あのかまくらを通ってきたのだから。安全性は保障されてるわ」
「保障されてるならパチュリーが入ってよ」
「入る者によって安全性が変わるかもしれないわ」
にべもない。パチュリーの性質から言って、これ以上言い争っても無駄だろう。
ため息をつきながら、雪の中をかまくらへ近づいていく。
このかまくらも、こう見ると立派にできている。
小悪魔と美鈴の助けがあったにしろ、フランドールもけっこう上手に作ったと思う。
「はやく入って。寒いから」
「分かってるわよ」
パチュリーに急かされて、いそいそとかまくらに入る。
博麗神社のかまくらより、少し広くて、開放感があるだろうか。
前と同様に、入ってから向き直り、狭い入口から外を眺めた。
パチュリーと小悪魔は、その視野の中にはいない。見えるのはやはり真っ白な世界だけ。
今度は博麗神社のかまくらに戻っていくのだろうか。
それとも、あの一回きりで、空間移動はもう起こらないのだろうか。
十数秒程度待ってから、意を決してかまくらの外に出た。
そこにあるのは、博麗神社なのか、紅魔館なのか。
どちらでもない。
わたしの視界には、神社とも館とも似つかわしくない、立派な和風建築物があった。
「……あれ?」
今度は、思考が停止するというよりも、拍子抜けと言った感想がふさわしかった。
思わず、振り返ってかまくらを眺める。かまくらは確かにそこにある。
改めて和風建築物に向き直った。この屋敷は、見た事がある。ここにわたしは来たことがある。
「どこだっけ、ここ」
なんかよく思い出せないので、まあいいか。
それにしても、この展開は予想外だった。
博麗神社のかまくらは紅魔館に繋がったのだから、紅魔館のかまくらは博麗神社に繋がるとばかり思っていた。
どうやらそうではないらしい。紅魔館のかまくらは別に繋がっていた。
「誰かいないかしら」
とりあえず、誰か人を探そうと思い、屋敷の周りを歩いていく。
ここもまた、土の茶色が一切見えない。地面は全て真っ白で、わたしの歩いた場所に点々と足跡が残っている。
本当に今年の冬は、幻想郷中がとんでもないことになっているらしい。
「あら」
ようやく、視界の向かう側に人影を見つけた。
向こうも同様に、わたしの姿を見つけたらしい。
こちらが近づくと同時に、向こうもわたしに近づいてきた。何か、持っているものが太陽に煌めいた。なんだろう。あれは……刀かな。
刀?
「スラアアアアアアアアアアアアアアッシュ!!!」
「ひいいっ!?」
前髪がはらはらと目の前に落ちてくる。
いつの間にか目の前にいたソイツは、わたしを斬り殺さん勢いで刀を振り抜いて、わたしは間一髪なんとか回避する。
「不覚……ここに至るまで侵入者に気づかないとは」
「ちょ、ちょっと」
「問答無用。侵入者は全て斬る!」
わたしも、ここにきてようやく、目の前にいるのが誰なのか、そしてここがどこなのかに見当がついた。
ところが、目の前のコイツはそうではない。周りが全く見えていないのか、わたしを斬り殺すことしか考えていないらしい。猟奇殺人犯かよ。
「刀の錆になってもらうわっ」
「……っ」
放たれる一閃は、その軌道が揺れ動いて、とても常人では回避できない斬撃だ。
しかし、わたしも伊達に博麗神社の巫女ではない。
ギリギリまで引きつけた斬撃は、揺れ動いていた軌道が一直線に戻る。
その紙一重で斬撃を避け、ほんのわずかにバランスを崩した瞬間を見逃さない。
後頭部に神速拳骨を喰らわせると、ソイツはかわいい声で「いたっ」とうめいた。
「そんなんだから半人前なのよ」
「くぅ、人を舐めてかかるもいい加減に……って、あれ」
そこでようやく、魂魄妖夢はわたしの顔を見た。
しまった、とでも言いたげに、少しずつ変な笑顔に変わっていく。
「れ、霊夢。なんだ、初めから霊夢だって言ってくれれば」
「ぬん」
「いたっ!」
神速拳骨その2。
◆
屋敷の客間に通されてしばらく待っていると、奥のふすまから1人の幽霊と1人の半人半霊が姿を現した。もう”人”で単位合ってるかわかんねーなこれ。
幽霊の方、西行寺幽々子は楽しそうにニコニコ笑っている。
半人半霊の方、魂魄妖夢は居心地悪そうに縮こまった格好をしていた。
「ごめんなさいね、霊夢。妖夢が面白……失礼なことをしてしまって」
「あんたが一番鬼ね」
「その、霊夢……殺しかけてしまって、本当に申し訳ない」
妖夢が、バツが悪そうにわたしへ謝罪する。
殺しかけてしまって申し訳ない、ってすごい文句だなあと思う。
「まあ。殺されなかったし別にいいわよ」
特に怒ってもいないし、個人的には、さっきの拳骨2発で済んだ話だと思っていた。
サバサバと返答すると、妖夢はどこか安心した顔をして、幽々子は改めてニッコリ笑った。
「和解成立。でも、霊夢。質問してもいいかしら?」
「ん」
「妖夢が言うには、あなたは幽冥結界を通ってこなかったと」
幽々子は、横に座る妖夢へ視線を向ける。
妖夢は「結界には常に気を向けていますから」と胸を張った。「じゃあどうして霊夢に侵入されたのかしらね」という幽々子の言葉でまた小さくなった。
「実際、わたしも気になっているの。霊夢、あなたがどうやって白玉楼に来たのか」
「それは――」
ここからは、パチュリーにもしたような説明をした。
博麗神社のかまくらに入ったところ、紅魔館のかまくらに出たこと。
そこで紅魔館のかまくらに入ってみたところ、今度は白玉楼のかまくらに出た、ということ。
「……」
幽々子は難しい顔をして、唇に指を当てながら考え始めた。
珍しい姿だと感じて、妖夢をちらりと見ると、妖夢もまた呆気にとられた表情をしている。
本当に珍しい姿なのだろう。
もしかしたら、幽々子はなにか知っているのだろうか。
そうしたら、このかまくらがどういうものなのか、なぜ空間移動するのか、分かるかもしれない。
暫時の沈黙ののち、幽々子がゆっくり口を開く。わたしと妖夢は息を飲んだ。
「うーん。ちょっと、わからないわ」
えぇ……。
「幽々子さま……」
妖夢が幽々子の横でぷるぷると震えていた。
「幽々子さまは、どうしていつもそうなのですか!」
「そう、って?」
「幽々子さまは不真面目が過ぎます。今だって、どう見ても核心を突くシーンだったではありませんか!」
シーンって。
「そんなこと言っても、わからないものねえ」
調子が乱れる様子もなく笑顔のままだ。
妖夢をからかって遊ぶのが本当に好きなんだな、と思った。
「まあまあ。妖夢、そんなに怒らないで頂戴な」
「怒ります! もう、幽々子さまったら……」
「と、ところで、白玉楼にもかまくらなんてあるのね。誰が作ったの?」
一生やってそうだったので、無理やり話題を変えることにした。
わたしの質問に、幽々子は手のひらを合わせて、嬉しそうな顔で答えてくれた。
「あれはねえ。妖夢が作ったの」
「妖夢が?」
妖夢は慌てた様子でわたしに言い返す。
「か、勘違いしないで、霊夢。幽々子さまがどうしても作ってほしいとせがむから」
「じゃあ、つまらなかった?」と幽々子。
「……そんなことは、ないですが」
妖夢は顔を赤くして、座布団に視線を落としてしまった。
幽々子と顔を見合わせて、苦笑いする。なんだかんだで、この白玉楼は楽しそうだ。
「白玉楼でも、これだけ雪が降ることは珍しいから。時にはこういうこともいいわ」
「でも、今回限りですよ、幽々子さま。このような子どもじみた遊びは――――」
妖夢の表情が厳しく変わったのは、その瞬間だった。
「侵入者です、幽々子さま。撃退して参ります」
「あらあら。殺さないようにね」
「承知しました」
妖夢は客間から縁側に出ると、すぐに飛び立って姿を消す。
それにしても、命知らずな侵入者だ。この白玉楼が誰の場所なのか知らないのだろうか。
振り返って、幽々子の顔を見つめる。
いつもニコニコして、掴みどころのないヤツだけど、その能力は何者をも死へ誘える。
「なあに、霊夢。わたしの顔に何かついてるかしら」
「ん。なんでもないわ」
「そう?」
そこで、幽々子はいつも細めている目を少しだけ開き、わたしを見つめ返した。
「あの、かまくら。気を付けた方がいいわ」
「……っ」
「妖気は大したことないけれど、その方向性が危うい」
「……方向性?」
「そう。ただ空間を移動しているだけならば、何も恐れることはないわ。でも、その本質が違っていたとしたら」
本質……?
それはつまり、ただの空間移動ではなかったとしたら、ということ?
「……よく意味が分からないわ」
「そうね。わたしにもその本質は分からない。だからこそ、気をつけた方がいいということだけ」
「……肝に銘じておく」
「ええ。あら、妖夢。おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「はやっ」
まだ1分と経っていない気がするんだけど。
妖夢は、鞘に納められた刀だけを片手に戻ってきた。侵入者はどうやら追い払ったようだ。
「普通の妖怪ならば、この程度です」
「ふふ。頼もしいわ、妖夢」
「……ありがとうございます」
「でも、侵入者って、白玉楼へ何しに来るのかしら」
先ほどから疑問に思っていたことを、なんとなく口にする。
すると、幽々子と妖夢はキョトンと顔を見合わせた。
……なんか、この光景さっきも見たな。
「知らないの、霊夢?」
知らない、って。なんの話だろうか?
わたしの様子を見て、幽々子は「着いてらっしゃい」と後ろの襖を開いた。
続く妖夢の後ろから、わたしも背中を追う。
短い廊下を通り抜けて、中庭に出た。この中庭は、わたしも来たことがある……気がする。
「中庭には西行妖があるの。白玉楼の自慢」
「侵入者はみな、この西行妖を狙ってやってくるんだ」
そうだ、西行妖。その名前は憶えている。
西行妖は、一度異変の中心にもなった巨木の名前だ。
決して花を咲かせることがなく、それが咲き乱れたとき何者かが復活するという、巨大な桜の木――
「本当、立派なキノコだわ。素敵」
「ええ、本当にその通りですね。幽々子さま」
わたしはやっぱり頭がおかしくなってしまったのだろうか。
「ええ―――――――――――――!!!?!?!?!?!?!」
絶叫した。
あまりの突然さに幽々子と妖夢がマジで引くくらい絶叫した。
それぐらい目の前の光景はどうにかしていた。
西行妖、それは決して花を咲かせることのない桜。
だったはずなのに、目の前にそびえるのは、桜の木ほどにでかい一本のキノコだった。
「……霊夢?」
幽々子が心から困惑したような苦笑いで声をかけてくる。
でもわたしからしたらそれどころではない。
「ゆ、幽々子。あれは……」
「あれ? 西行妖です」
「妖夢、あれ」
「西行妖です」
いやあれはどでかいキノコですやん!
「何を勘違いしているのか知らないけれど……西行妖は白玉楼に伝わる由緒正しきキノコよ」
真面目な顔で解説する妖夢。
「いや、そんな……じゃあ、前に異変を起こしたのは」
「もちろん、春度でキノコに花を咲かせようと」いやそれ真面目顔で言う台詞じゃないだろ!
あまりのことに膝からガクリと崩れ落ちてしまう。
いくらなんでも、西行妖がキノコだったはずがない。幽雅に咲かせ墨染めのキノコじゃないか。
いや、別に西行妖がキノコになろうがなんでもいいのだけど、問題はこの現象が起きていることそのものだ。
わたしは何かに化かされているのだろうか。もしくは、世界そのものが変わってしまっているのか。
世界そのものが、変わってる?
……いや、そんなはずはない。
そんな大それたこと、起こせるヤツなんて。
少なくとも、分かったことがひとつある。
レミリアがジャイアントアフロになったのも、西行妖がキノコになったのも、どちらもかまくらを通ってから起きたことだ。
あのかまくらは……
「ねえ、妖夢。いつもの、またほしいわ」
「もう、幽々子さまったら。ほんの少しですよ」
「やった」
ふと、2人のそんな会話が耳に入ってくる。
見上げる先には、キノコに近づいていく妖夢の姿。
妖夢は刀を一閃したかと思うと、小さな欠片を握って戻ってきた。
「……なにそれ」
「これはね、西行妖の柄の一部なの」と嬉しそうな幽々子。
「ほんの少しならば、削っても西行妖は再生するから」
「ふうん。で、なにに使うの?」
「これを乾燥させて粉にして、鼻から吸い上げると、それはもうこの世のものとは思えない幸福感に見舞われて、もう、それはもう」
……。
◆
半日ぶりに戻ってきた博麗神社の境内は、変わらず真っ白に埋め尽くされていた。
日が落ちかけ、薄暗くなって、わんさかと降っていた雪は少しだけ勢いを弱めた。
今は雪が舞っている、といった程度だろう。
拝殿に入り、冷えたおこたに火を入れて、温かくなるのを待つ。
待ちながら、今日の出来事について考えていた。
「やっぱり違う……よね」
思考の中心は、かまくらで空間移動したことよりも、空間移動した先での”変化”だ。
ウェーブのかかったセミロングだったレミリアが、ジャイアントアフロに。
大きな桜の木だった西行妖が、巨大なキノコに。
わたしの記憶違い、というより、わたしの目が変になってしまったのかとも考えた。
でも……流石に、ねえ?
――あの、かまくら。気を付けた方がいいわ。
幽々子に忠告された言葉が反芻される。
妖気は大したことないが、その方向性が危うい。そう幽々子は言っていた。
方向性が危ういとはどういうことなのだろう。
幽々子もハッキリとは分からないと言っていたから、なにか勘に似たものかもしれない。
しかし、常人の勘とは話が違う。あの幽々子が言う”勘”だ。
「かまくらが変化に関係しているのは、たぶん間違いないと思うけど」
かまくらで空間を移動したから、これらの変化が起きた。
その因果関係はおそらく間違いない。
となると、実際に空間を移動したわたし自身に影響が及んでいるということだろうか。
わたしが見ている世界だけ、おかしくなっているのかもしれない。
でも、自分に何か憑いているのかと言われたら、そんな感じもしないし。
う~ん。
「分からないわ……」
「何が、分からないんだ?」
「わたしが憑かれているのか、もしくは世界が本当に変わってしまったのか」
「なんの話やらさっぱりだが、面白そうじゃないか」
……。
独り言のつもりが、いつの間にやら会話になっている。
「わたしにもひとつかませてくれよ」
「魔理沙はまず、何も言わずにおこたへ入ってこないこと」
「許可制か? じゃあ、こたつへ入りました」
「事後申告は規約違反につき出入り禁止です」
「そんな」
出入り禁止を通告したにも関わらず、この霧雨魔理沙という女、一向におこたから出ようとしない。
火を入れてからしばらく経って、ちょうど温かくなってから入ってきた分、冷たいおこたで待っていたわたしはより損した気持ちだ。
「それより、なんか悩んでたみたいだけど、気になるな?」
「魔理沙には関係ないわ」
「冷たいこと言うなよ。もしかしたら、意外なことで役に立てるかもしれないぜ」
そんなわけないでしょ、と言いかけて、あながちそうでもないかもしれない。
魔理沙にも、一連の変化について、確かめておいた方がいいだろう。
「じゃあ、魔理沙」
「お。ばっちこいだぜ」
「レミリアの髪型についてどう思う?」
「あのたわしか? いやー、こう言ったら悪いけど、初見のときからあれは無いと思ってたぜ」
そう言って魔理沙は快活に笑った。
初見のときから無いと思っていた。魔理沙の中でも、レミリアの髪型は最初からああだったんだ。
考え込んでいるわたしの前で、魔理沙は怪訝そうな表情になる。
「どうした? 神妙な面持ちで」
「……ん。なんでもない」
「ふうん。まあでも、あのアフロはやたらに人気があるよな、人間に」
……なにそれ?
思わず、こたつの上で身を乗り出していた。
「どういうこと、それ?」
「え、な、なんだよいきなり」
「いいから」
わたしに急かされて、困惑した様子の魔理沙が口を開く。
「どういうことって、そういうことだぜ。人里では、あのアフロが人間のあいだで大人気なんだ」
「大人気って、嘘でしょ」
「なんで嘘つく必要があるんだよ。というか、霊夢は知らなかったのか?」
意外だなあ、と魔理沙は続ける。
「いつも人里中を、大名行列みたいにアフロの集団が歩いてるじゃないか」
「いや怖すぎでしょそれは」
人里をぞろぞろと流れるアフロの川を想像して、あまりの異様さに気持ち悪くなりそうだ。
顔をしかめるわたしに、魔理沙は「まあ、見慣れてみれば面白いけどな」と笑った。
「あいつらは本当に狂信者みたいなもんだぜ。みんな、レミリアの真似してるんだ」
「へえ~……」
レミリアも、いつの間にか人里への強い影響力を持っていたのだ。
冗談みたいだったカリスマも、いまや本物になっているのかもしれない。
……いや。
それって、おかしい。
「……みんな、レミリアの真似してるって、そう言ったわよね」
「え? ああ、そう……だけど」
人間がレミリアの真似をして、アフロヘアーになっている。
これは、変化の前の世界とは明らかに違うことだ。
だって、セミロングのレミリアのときは、その髪型を崇める人間なんてどこにもいなかった。
レミリアの髪型がアフロに変わったことで、一見それとは関係ないことにまで影響が及んでいる。
変化に働いているであろうなんらかの意志。それとは完全に離れたところで、まるでドミノ倒しのように起きた”二次的影響”なのだ。
じゃあ、本当に、世界そのものが変わっているの?
「おい、霊夢。大丈夫か?」
「……なんでもないわ」
「なんでもないこと、ないだろ。すごい汗かいてるぜ」
だって、こんなのは、些細な妖怪ではなし得ないことだ。
あのかまくらに憑いているものは、誰も気づかないうちに、世界を塗り替えている。
幽々子の言葉が三度よみがえる。妖気の方向性が危うい、という言葉……
「魔理沙。西行妖のこと、知ってるわよね」
わたしにはもうひとつ訊かなければいけないことがある。
「なんだよ、ぶっきらぼうに」
「いいから。答えて」
「そりゃあ、知ってるよ。あのどでかいキノコのことだろ? あんなキノコ、白玉楼でしか見た事ないぜ。自他とも認めるキノコ博士のわたしが言うからには間違いない」
やっぱり、こっちの変化も本当に起こっている。
でも、それ以上に重要なことは、西行妖が新たに巻き起こしている変化だ。
「キノコ博士の魔理沙から見て、西行妖のこと、どう思う?」
「……そこは笑うとこだぜ」
「なんでもいいわよ。お願い。答えて」
「どう思うって言われてもなあ」
「なんていうか、そうね、西行妖が周りに及ぼしている影響、とか」
わたしの剣幕に、魔理沙も茶化した話ではないことに気づいたのだろう。
こたつの中でもそもそと座りなおすと、真面目な顔で話し始めた。
「影響という点で見れば、最悪なキノコだな。あれは」
「最悪?」
「霊夢も知ってるだろ。白玉楼に侵入した妖怪が西行妖を勝手に削って、乾かしたヤツを幻想郷中で売りさばいてるんだ」
……なにそれ。
「あのキノコはアヘン同然だからな。人間妖怪関わりなく、吸ったヤツはだいたいダメになるんだ。耐性とバッドトリップでやめられなくなって、どんどん量が増えていき、最終的には死ぬ」
「……し、ぬ?」
「そうだ。簡単に言うと、あのキノコは精神に不可逆的なダメージを与える。だから、初めは心だけだったのが、最後には身体の機能を司るところまでぶち壊してしまう」
幽々子が、キノコの欠片を貰ってえらく喜んでいたのを思い出す。
あの様子では常習だったし、その割に幽々子に変わりはなかったから、その程度のものなのだと思っていた。
でもそれは、幽々子が実質肉体のない身だったからなのだろうか。
魔理沙は「今や幻想郷全体があれで毒されてるぜ」と不機嫌そうに続けた。
「密採者、つまり白玉楼に侵入するヤツは、妖夢が気を張って撃退してくれてるらしいんだけどな。それでも、どうしても漏らしはある」
妖夢が侵入者に過敏だったのは、そういうことだったのだ。
「こういうことは言いたくないけどさ。このままじゃ、幻想郷はどんどん終わりに近づいていくばかりだぜ。楽園が聞いて呆れるな」
憤り半分と、諦観が半分。
そんな魔理沙の声色から、もはやどうしようもないほどに蔓延してしまっているのだろうと、汲み取れた。
全身が強張るように緊張して、心臓が周りから押しつぶされるような感覚に襲われた。
もはや、笑って済ませられるような次元を超えている。
西行妖の変化が、二次、三次と影響を与えていき、壊れかけの幻想郷になってしまった。
それも、博麗神社の巫女であるはずの、わたしのせいで。
「霊夢。お前、本当に顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「……うん、そうね。ちょっと休む」
「何も食べてないだろ。何か作ろうか。おかゆとか」
「いい、大丈夫。眠れば治るわ」
「でも」
「ごめん。独りにして」
まくしたてるように魔理沙へ言い放つ。
無茶苦茶言っているな、と申し訳ない気持ちになった。
でも、それから魔理沙は何も言わず、帚を手にして拝殿から出ていった。
こたつの掛布団へ顔をうずめて、不快なほど張りつめた心臓の鼓動を感じていた。
元に戻さないといけない。わたしは博麗神社の、楽園の巫女なのだから。
でもどうすればいいの?
どうしようもないくらいに蔓延った西行妖の瘴気を、どうやって取り除くというのか。
わからない。
◆
あまりの寒さに、起きたり眠ったりを繰り返していた気がする。
最終的に目を覚ましたとき、こたつの台に伏せた状態で、流れたよだれで袖が濡れていた。
こたつでそのまま眠ってしまったのだ。
当然、こたつの火はとっくに消えていて、余熱すら残っていない状態だった。
幸い風邪を引いた様子はなくて、それでもあまりに寒いものだから、上掛けを引っ張り出して肩に掛けた。
「夢……なわけ、ないよね」
差し込んでくる太陽の明るさがまるで白々しい。
ここ数日の大雪が止んで、久しぶりの太陽なのに、気持ちはまったく晴れなかった。
それどころか、わたしに現実を再認識させるような、わたしを責めてくるような、そんな気にすらなってくる。
「雪かき、しなくちゃ」
ようやく雪が止んだのだ。降雪中に一切かいていない分、これからが大変だ。
それに、今は何かに没頭したい気分だから。
乾ききっていない長靴を履いて、拝殿の玄関から外に出た。
結晶が全ての光を反射して、白い凹凸が宝石のように煌めいていた。
「おはよう」
突然、横から声が聞こえた。
声の方向に視線を向けると、三角帽子を目深に被った魔理沙が立っていた。
「……昨日からずっといたの?」
「まさか」魔理沙は笑った。「朝早く起きて来たんだ。こんなにいい天気だしな」
皮肉のように聞こえてしまうのは、間違いなくわたしが捻くれているからだ。
「一晩寝て、元気になったか?」
「まあ、ね」
「ふうん、まあ、顔色はちょっと良くなったかもな」
魔理沙がわたしの顔を覗きこんでくる。
それを見つめ返すでもなく、目を逸らすでもなく、無表情のままでいた。
魔理沙が微笑から、口をきゅっと横に結んだ。
「なにがあった?」
魔理沙が問いかけてくる。
「別に。なにもないわ」
「嘘言うなよ。そんなわけないだろ」
「本当になにもないから」
「なんでそんな意地張るんだ? 誰が見たって、おかしいって分かるぜ」
「……魔理沙、怒ってるの?」
わたしの言葉に、魔理沙はハッとした様子で、肩筋張った体勢から力を抜いた。
三角帽子を直す素振りをして、俯き気味に口を開いた。
「わたしなら力になれる。お前がなにに悩んでいても、どんなに無茶苦茶が起こっていても」
「……」
「わたしだけが、お前の力になれる」
視線を上げて、魔理沙がわたしを直視した。
思わず、今度はわたしが視線を逸らしてしまった。
「きっと、信じてくれないわ」
「信じるさ。霊夢の言うことなら」
「本当に無茶苦茶言うわよ。これからわたしは」
「そんなのいつものことだろ?」
魔理沙はおどけて、それから小さく笑った。
その姿がおかしくて、口元の筋肉が弛緩していくように、つられて笑ってしまった。
いったん拝殿の中へ戻り、昨日起こったことについて、詳細まで全てを魔理沙に話した。
出されたお茶を啜りながら、魔理沙はわたしの話を真面目に聴いてくれた。
「霊夢は悪くない」
開口一番、魔理沙はわたしにそう言った。
「そんなことない。わたしが何も考えないでかまくらに入って、そうして幻想郷はおかしくなってしまったんだから」
「悪いのはかまくらに憑いてる何者かだろ。霊夢は被害者だ」
「博麗神社の巫女が、被害者でいちゃいけないのよ」
「それじゃあ、これから加害者になればいい。妖怪退治の加害者だ」
魔理沙は大胆な笑顔を見せて、続ける。
「わたしはその共犯だ」
魔理沙の言葉はしたたかで、確固だ。
後ろ向きだった気持ちが、少しずつなくなっていく。
差し込む太陽に日干しされて、蒸発していくような感覚。まるで、元々そこになかったかのような。
「……頼りにしてるわ」
「当たり前だぜ。わたしにかかれば、絶対に失敗はない」
魔理沙が右手を差し伸べてくる。
その手を握り返して、魔理沙に引っ張られながら拝殿を出た。
幻想郷の上空を2人で飛び、気がつけば眼下が緑色に覆われていた。
魔法の森の上空。魔理沙が居を構えるその場所だ。
「魔理沙の家へ行くのかしら?」
「ああ。霊夢が話してくれたこと、なにかの本で読んだ記憶があるんだ」
「本当?」
驚いて問い返すと、「わたしの記憶がおかしくなければな」と魔理沙はおどける。
もしそういうものがあるならば、この状況では大きな進展だ。
少なくとも、敵の正体すら分からない今に比べれば。
上空から、魔法の森の開けた一角に降りる。
すぐ目の前に、魔理沙の住む住居が見えた。
玄関のそばに菜園があって、なにやら怪しげな植物がたくさん生えている。
「なにあれ」
「あんまり近づくなよ。石投げてくるからな」
「えぇ……」
魔理沙の後ろに続き、玄関から中へ入った。
客間と呼ばれるものはもちろんなく、案内された部屋は分厚い本でぐしゃぐしゃだ。
「もう少し掃除したらどうなの」
「どこになにがあるか分かってれば、別にいいだろ?」
「それじゃあ、例の本はどこに?」
「それは探してみないと分からない」
魔理沙もたいがい頓珍漢だ。
本の山を探索し始めた魔理沙の後ろで、ガレキの山のような部屋を眺めた。
自他ともに認める蒐集家であることは知っていたけれど、ここまでとは思っていなかった。
ここにある本、全部読了しているのだろうか。
きっと魔理沙のことだから、そうなのだろう。
魔理沙の探索は数十分ほど続いた。
待っている間退屈だったので、わたしも探すのを手伝おうといくつか手に取ったが、ちょっと解読不可能な言語の本ばかりだったのですぐに諦めてしまった。
魔理沙の「見つけたっ」という言葉を聞きとると、わたしはすぐに食いついた。
「本当!?」
「ああ、これで間違いないぜ。ちょっと待ってくれよ、と」
わたしの横で、魔理沙がぺらぺらと本をめくっていく。
部屋に山積みの本の中では、何だかずっと薄い本だった。
一見してみれば取るに足らない書物、しかしこの中に、わたしの求める答えがある。
「これだ」
魔理沙がある頁を開き、それを見せてくれる。
一番に目に入ったのは、筆で描かれたかまくらの絵だ。
文字はよくわからない言語で書かれており、まったく読めなかったものの、魔理沙が代わりに読んでくれた。
「『豪雪の年のみ姿を現し、その地域のかまくらへ非局在的に介在する。かまくらは人為的に作られるものであるが、かまくらが作られるとただちに寄生し、全てのかまくらを余すことなく組織網でつなぐ』」
「なんか、よく分からないわ」
「つまり、コイツは幻想郷中のかまくら全てに分散して存在している妖怪、ってことだろう。そして、寄生したかまくらを全てネットワークでつなぎ合わせる」
魔理沙が続きを読んでいく。
「『常人には影響を及ぼさないが、強い力を持った者が中に入ると、その魔力を利用して、別の位置座標に存在するかまくらへと転移させる』」
「それだわ。わたしに起きたことと同じっ」
「まだ続きがあるぜ。『転移した者に対して、現実に何らかの変化をもたらすことで化かして遊ぶ。これは転移するたびに起こり、観測者以外に変化が感じ取れない』」
なにも指摘する点がない。
完全に、わたしの身に起こった現象と一致している。
読み上げながら、魔理沙も目を見開いて、驚いた様子だった。
「前に読んだときはこんなものもあるのかって、適当に読み流してたんだ」
「でも、ちゃんと覚えてた。すごいわ」
「あ、ああ。そうだな」
魔理沙は照れたように頬をかく。
決してお世辞などではない。魔理沙が覚えてくれていたおかげで、核心に近づけている。
もし魔理沙が覚えていなかったら、魔理沙がいなかったら、わたし1人でどうしていただろう。
「んん、続きを読むぜ」
「うん」
「『もたらされた変化は、それによって新たな変化を作り出し、現実が大きく変容する。ほんの小さな変化が大きな変化となり、原型すらなさなくなることがある。したがって、この”かまくらの怪”は、しばしば非常に危険な変化を現実にもたらす』」
まさに、ドミノ倒しのような変化だ。
最初の変化は次の変化を生み、その変化がまた次の変化を生んでいく。
きっと、このドミノには枝分かれもあるのだろう。ひとつの変化から複数の変化が生まれて、まったく手が負えなくなってしまうんだ。
「『もたらされた変化を打ち消すためには、移動先のかまくらから元のかまくらへ転移すればよい。しかし、転移するかまくらは無作為に選ばれ、ほとんど元のかまくらへ戻れることはない。そうして転移を繰り返すうちに、観測者は悪循環に陥る』。……霊夢は、2回しかかまくらを通ってきてないんだよな?」
「ええ。なにかおかしいって、思ったから」
「わたしだったら、面白がって何十回も転移したかもしれないな」
背筋が冷たくなるような冗談だ。
でも、わたしも幽々子から忠告されなければ、もっと通ってしまったかもしれない。
今なら、幽々子の言う方向性の危うさも理解できる。
入った者を化かす、そんな無邪気な”遊び”のもとで、世界が如何様にでも変わってしまうのだ。
「『では、元のかまくらへ選択的に戻るにはどうすればよいのか。答えは単純であり、非局在化している”かまくらの怪”を、指定の2つのかまくらに局在化させればよいのである』」
「魔理沙」
「ああ、これだ。『"かまくらの怪”は強い魔力を好み、引きつけられる性質がある。そうして、強い魔力を持つ者がかまくらへ入ると、そこへ近づき、一瞬のうちに転移させる』」
魔理沙が頁をめくった。文章はまだ続いている。
挿絵には、まるで蜘蛛の巣のような組織網が描かれていた。
「『しかし、本妖怪は生の持つ人間以外を転移させることができないため、それを利用して、2か所のかまくらへおびき寄せることができる。具体的には、生は持たないが強い魔力を持つものを、集めたいかまくら2か所へ置くことである』」
「つまり、こういうことだな」と魔理沙は更に続ける。
「コイツは幻想郷中のかまくらに分散して存在しているが、強い魔力におびきだされてどこかに集まってくる。だから、強い魔力を持った無機物を狙ったふたつのかまくらに置いてやれば、コイツはそこだけを繋ぐようになって、決まった転移をすることができる」
「でも、生はないけど強い魔力を持つものって」
「まあ、具体的にはこういうもののことじゃないか?」
魔理沙はごそごそと懐を漁ると、陰陽玉の描かれた八角形のものを取り出した。
わたしもすっかり見慣れている、魔理沙のトレードマークとも言える、ミニ八卦炉だ。
確かにこれならば、生はないが豊富な魔力に満ちている。
「ほら、霊夢」
魔理沙が、ミニ八卦炉をわたしに差し出してくる。
「え?」
「え? じゃないだろ。ほら、貸すよ」
わたしは思わず、魔理沙の顔を見つめ返してしまう。
これは、ミニ八卦炉は、魔理沙の特に大切なもののはずだ。
「もうひとつは、霊夢のお祓い棒とか使えばいいだろ。あれもなんか業が深そうだからな」
「でも、これって」
「遠慮するなって。ちゃんと返してくれればそれでいい」
いや、遠慮して当たり前だろう。
魔理沙の命とも言えるものを、こんなに呆気なく貸し出してしまっていいのだろうか。
「そんなにあっさり、って思ってるだろ」
心中を言い当てられて、思わずドキリとする。
そんなわたしを見て魔理沙は苦笑し、「あっさりなんかじゃないぜ」と口を開いた。
「霊夢が思っている以上に重い決断だよ。わたしにとってはな」
「魔理沙」
「でも」
魔理沙は、近くのテーブルに置いてあった三角帽子を目深に被った。
「お前が困ってる」
差し出されていたミニ八卦炉が、更にずいと突き出された。
魔理沙の顔は、三角帽子に隠れて口元しか見えない。きっと、魔理沙からもわたしの顔はほとんど見えていないだろう。
見えていなくて助かったと思った。今のわたしの顔は、とても他人に見せられる顔じゃなくなっていたからだ。
「……かならず、返すわ」
「ああ」
魔理沙の手からミニ八卦炉を受け取ると、すぐに踵を返して、魔理沙の家から出た。
魔法の森から飛び立ち、お祓い棒を回収するため博麗神社へ向かう。
右手に握りしめたミニ八卦炉は、少しだけ魔理沙の温かさが残っているような気がした。
そこからは早いもので、
わずか2回、転移をやり直しただけで、幻想郷は元の姿に戻った。
2か所のかまくらに集められた”かまくらの怪”は、目に見えるほどに強力な妖気を放ち、見ていた幽々子や妖夢、紅魔館の面子たちを驚かせていた。
2回の転移を終えたのち、今度は博麗神社の1か所のみに”かまくらの怪”を集め、一網打尽に封印した。
こうして、幻想郷中の全てのかまくらは、名実ともに一介のかまくらへ戻った。
◆
放置に放置を重ねた博麗神社の雪は、その自重ですっかり凍り付き、雪かきが地獄の重労働と化していた。
うんうん言いながら雪を削り、境内の石畳が見えてくるころには、積み上げられた雪の塊が山並みを形成していた。
「ようやく終わりが見えてきたわ……」
「ていうか、なんでわたしまで駆り出されてるんだー?」
近くで雪かきを手伝ってくれている魔理沙が不満の声を上げる。
そりゃあ、1人より2人の方が雪かきは捗るというものだろう。
「つべこべ言わずに、きびきび働きなさいな」
「人使い荒いぜ……せめて、お礼の一言くらいは聴かせてほしいもんだな」
「ありがとう、魔理沙。本当に感謝してるわ」
「……」
魔理沙はぽかんと口を開き、さぞさぞ意外そうな表情のまま固まってしまった。
なによ。自分でお礼を言えって、言ったんじゃない。
「……ほら、手を止めないで働く!」
「あ、ああ」
改めて魔理沙を急かし、2人で雪かき作業に従事する。
1時間も経たないうちに石畳の全てを顔を出し、残りはまた後日やることにした。
あまりにも雪が重たすぎて、そろそろわたしも限界だ。
「魔理沙、お疲れさま」
「本当だぜ、まったく。貸してたミニ八卦炉を回収しに来ただけなのに、まさかこんなことに巻き込まれるとは」
「いま、お茶を入れてくるわ」
拝殿へ撤収し、2人分のお茶を入れて、いつものおこたまで持っていく。
魔理沙が既に火を入れてくれたようで、おこたの中はほんのり温かかった。
「うぅ~。生き返るなあ」
魔理沙は顔を弛緩させて、お茶で温められた息を吐き出した。
わたしも一口お茶を啜って、一息ついたところで、「というかさ」と魔理沙が切り出す。
「なに?」
「このミニ八卦炉って、どうして霊夢に貸してたんだっけ?」
「……」
……全てが元に戻ったあと、まるでなにも無かったかのように、変化した事柄を覚えている者はいなくなった。
レミリアの髪型は昔からウェーブのかかったセミロング。
白玉楼の西行妖といえば、決して咲き誇ることのない巨大な桜の木だ。
魔理沙も、わたしが話した”かまくらの怪”のことを全て忘れていた。
それもまた、妖怪によって生じた変化の結果起きた二次的変化だったということだろう。
「……ミニ八卦炉はね。ちょっとお鍋を煮るのに使ったのよ」
「なんじゃそりゃ」
まあ、忘れてしまったとしても構わないと考えている。
わたしの記憶の中には、確かに、その出来事が焼き付いているのだから。
「あれ。あんなところにかまくらがあるじゃないか」
帰りがけに、魔理沙は境内の片隅にあるかまくらを見つけた。
妖精が作ったと思しき、全てのキッカケになったかまくら。
今はただの、平々凡々なかまくらに過ぎないけれど。
「魔理沙は、かまくらが好き?」
「まあ、嫌いじゃないな。覚えてるか、昔、わたしたち2人でかまくら作ったこと」
「ええ」
「あのときのかまくらは酷かったよなあ。空間が狭すぎて手しか入らなかったんだよな」
笑いながら昔話をする魔理沙。
魔理沙はもう忘れていると思っていたけど、覚えていたのはわたしだけじゃなかったようだ。
「でもこのかまくらはよくできてるぜ。大人2人くらいなら入れそうだ」
「そうね。一緒に入る?」
「いいな、それ。……って、え?」
ということなので、よく状況が飲み込めていなそうな魔理沙を引っ張り、2人でかまくらに押し入った。
当然、1人で入ったときよりはるかに狭くて、かまくらの中でぎゅうぎゅう詰めになってしまった。
「ちょっと、霊夢、あんまり押すなよ! 潰れる!」
「そんなこと言ったって、こっちだってスキマがないの!」
なんやかんやで身体の向きを入れ替えて、2人で一緒にかまくらの外を見た。
前に見たときと変わらず、ただひたすらに白銀の世界が広がっている。
「こういう狭いところ、なんだか落ち着くんだよな」
不意に魔理沙が、そんなことを呟いた。
わたしとしては意外な言葉で、「広いところが好きそうなのに」と返すと、魔理沙は小さく笑った。
「こういう、狭いところにフィットする感じが好きなんだ」
「そういうのって、なんていうのかしら。引きこもり?」
「酷い言われようだな」
「じゃあ、やっぱり狭いところに独りきりがいいの?」
ううん、と魔理沙は少し考えてから、言葉を返した。
「ふたりでもいい、かな」
…………。
「……ふたりでもフィット感があるから、な!」
「……ふふ。なにそれ」
「笑うなよ。霊夢はどうなんだ、このフィット感」
フィット感の感想を訊かれる日が来るとは正直思ってなかった。
でも魔理沙の言う通り、確かにいいフィット感かもしれない。
「わたしも好きかも。このフィット感」
「だろ? このフィット感」
「このフィット感」
程よくフィットしてくる魔理沙の温もりは、心地よい。
「それじゃあ、これから加害者になればいい。妖怪退治の加害者だ」
「お前が困ってる」
魔理沙の台詞が、霊夢への絶対的信頼と自分への絶対的自信に溢れていて本当に好き。
こういう形のレイマリもありですね。
前回のゴ……Gもそうですが、あなたのレイマリ最高です。