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前回までのあらすじ
三十路手前、縁起の纏めも転生の準備も終わってあとは死ぬだけの稗田阿求。その余生を過ごすため、代々の阿礼乙女が住んできたという『棘の庵』に一人住まいを始めました。一年間の猶予でなにが変わるのかと、訝しげに想いつつも楽しげに暮らしています。
師走
上旬には晴天ばかり続いて好調だった師走のお天気は、年末に向かうにつれてだんだんと調子を落としていき、中旬には雨がちらつき、昨日二十日を迎えてついに白いものが降り、初雪を拝謁するに至った。寒さももはや我慢ならぬほど下り坂で、実家の猫が漆で張り付いたかのように火鉢から放れないと、女中のオケラが言っていた。老猫なので致し方なしと想う。私が実家に居た頃はよくお布団に潜ってくる子であったから、冬の夜は互いに暖めあった仲なのだ。出来るだけ長生きして、末は化け猫にでもなってほしい。そうすればもっと暖かくなって、火鉢すらいらなくなるかもしれない。湯たんぽ代わりにちょうど良さそうだと考えたが、たまに引っ掻く湯たんぽはあまり嬉しくない。
明けて今日は二十一日。止まぬ雪は限度を失い、庵の庭も屋根も沈む大雪となった。朝には小降りになって多少は落ち着いたようであるが、これから来るであろう冬本番を暗澹と占わせるには十分な積雪であった。
雨戸を開けて、足に引っかけたお布団を引きずったまま白い庭を眺める。本当になにもかも真っ白で、つられて私の吐く息も白くなる。雪の白は他の物も白へと引き込み、自分とそれ以外の境界線を無くそうとしているようだ。恐るべし雪。しかしその雪の景色に抗うようにして動くものがあった。素早い足取りに揺らめく尻尾、朝日に煌めく雪よりも鋭い眼光を放つそれは猫、どこぞの野良だ。野良は雪を蹂躙するようにしてふみふみ、足跡を残しながら庭を大仰に横切ってゆく。猫の天下ぞここにありと言わんばかりに悠然と歩む姿に、正直、惚れてしまう。あれで抱き上げれば暖かいのだから素晴らしい。歩く湯たんぽ素敵。
見送った野良が雪の小山に姿を消し、さすがに吹き込む風が寒いので雨戸を閉める。行き場をなくした冷風が、庵の中で悔しそうに小さくとぐろを巻いた。
さて雪も降ったし寝直そうと想うも、オケラがやって来たのでそうもいかなくなる。突然、勝手口で私を呼んで、ばたばたと上がり込んできたオケラにあられもない格好を見つけられてしまった。こんなに寒いのだから別段はだけていたわけではなく、ただお布団に潜ろうと頭から入って素足を放り投げていただけなのに、とんでもない声を出された。お布団の綿越しに聞こえるオケラのがらくしゃ声が、遠くの雷鳴のようにくぐもって私の耳に届く。そのまま雲の流れと一緒にどこかへ行ってしまえばいいのにと想うも、図々しく近づくお小言の雷様は私のお布団を強奪、容赦なく押し入れに仕舞うというむごたらしいことをした。するとオケラは、
「ほら、はやく起きないと阿求様も一緒に仕舞っちゃいますよ」
などと薄ら恐ろしいことを平気で言う。実家での女中頭の仕事がなかなか熟れきていると小耳に挟んだが、こちらでまでそういう面倒くさいところを発揮しなくてもよろしかろう。ただでさえ普段から手痛く世話されているというのに、これ以上世話をされてしまったら、元来が怠惰で出来てしまっている私という人間が世話に削られてすっかり小さくなってしまいかねない。世話を焼かれるのも大概にしなければ。
私が朝のまどろみ抜けぬ想いをしていると、オケラが言う。
「そんな面倒くさそうなお顔をされるんだったら、明日からおから、来ませんからね」
それは困るのである。
仕方がないのですぐに起きて着替えた。背に腹は代えられぬ。例え代えられたとしてそれは果たして美味しくものを食べられる身体であろうか。否、怠惰にも怠惰なりの矜恃というものがある故に、ここは世話を焼かれることに甘んじよう。それと同じようにオケラにも女中の意地がある。私が削られて小さくなってしまっては、オケラの意地の行き場が無くなって路頭に迷ってしまうかもしれない。不憫である。
そうなってしまわぬよう、どんな批難を浴びようとも私は怠惰に生活しよう。世話を焼かれてたとえこの身を削られようが、よりふっくらとした怠惰さであれば多少減ったとて痛くも痒くもないのだ。人里では稀に見る立派な主人だと自負するものである。
ふむふむとそのようなことを考えながら、オケラに言われるがまま部屋の片付けを終えた。念を押すが私が主人である。そして背に腹は代えられぬのである。
きれいになりましたね、と、オケラはまるで片付けの褒美かのようにだいぶ遅い朝餉を用意してくれた。大いに悔しく、大いに美味しい。干し鮎をもどしたものが入った味噌汁はちょうどいい塩加減であるし、酢の物は顔を洗ったときのようにさっぱりしている。なにより、冷や飯を出汁で温め直したものが滋味に溢れ、喉の奥をさらさらと流れて身体の奥から温もりを与えてくれる。私がこれをはふはふと口に頬張るたび、オケラが目を細めるので、こちらもにやにやと笑ってやった。
朝餉を終えて一段落する。お前も休んだらとオケラに言うも、動いていないと気が済まないのかせっせこ器を片付け始めた。よく働くようになったものだ。
「良いお嫁さんになるよ」
ついぼそりと口から出て、しまったと想う。こんなことをオケラが聞くとまたいつかのように茹で上がって使い物にならなくなってしまう。茹で上がるとなおさら面倒くさい。
しかし、聞こえていなかったのかオケラは平気に今度は器を勝手で洗い始めた。よかった、本当に。
その後暫く、ひとりで部屋で書きものをする。屋根から落ちる雪と私の筆先だけが静かな時間を刻んでゆく。こんなとき、静かであればあるほど筆の進みは良い気がする。
ものを書くときは自らの内側をのぞき込むようにして、そこに映る様々な事柄と機微で筆先を動かすのが、一等単純で理に適っているように想う。心の水面を凪にし、一石を投じたのちに波紋の重なりや反響をもってして色艶、かたちを文章にしたためてゆく。随筆のようなものであれば、見聞きしたものを自らの言葉で綴らなければならないのだから、なおのことそういったことが大事になってくる。これは私と私自身との会話。常日頃からの鍛錬と健康的な生活を糧にした情緒と心の感度の結実なのである。筆に言葉がのるというもの。
そうして、心の水面に映るものを見定めようと、雪が積もるように繊細な情緒を投げようとしたら、降ってきた落石に私の心は大いにびっくりしてしまった。
突如としてオケラが部屋の襖を開け放ち、そこに引っかかった書籍がさらに隣の書籍の連なりを崩し、畢竟、私の後ろで大雪崩を起こしたのだ。言うまでもなく私の心は波立ちすぎてなんだかしっちゃかめっちゃかで、ものを書くといった気分ではなくなってしまう。
振り向くと、さすがにオケラもばつが悪いのか、危なっかしい岩のような顔つきで困っているようだった。邪魔をしてしまった、という気概がでこぼこと突き出し、今にも転がってしまいそうな不安げな表情であった。しようがないものである。
「なに」
「あの、はい。すいません」
と言ってそのまま襖を閉めようとする。ふむ。
「どうしたの。なにか言いたいことがあるのだろう」
いつもはうるさいくらいあれが駄目これが駄目と言ってくるのに、時折、こちらから歩み寄って聞き出さなければなにも言えないでいることがある。オケラは、特に自身のことに関してそれが顕著であった。多少の面倒さを感じる。
言いたくなければそれでいいけれど、と、私は意地悪してみた。
「私もいま書きものをしていることだし」
襖を、身体が半分隠れるほど開けたままで、オケラは下を向いて黙ってしまう。視線の先を見れば少しだけ疲れた色をした畳があった。畳の目を数えているのかなとこちらが想っていると、ふいにはっきりとした声で返事をし、改めて襖を開けて部屋の中に入ってきた。また書籍が崩れた。
「阿求様にお話があるのです」
その声が明瞭で、私の隣で正座をしている姿が、まるで折り目正しくたたまれた反物を見ているかのような気持ちの良い緊張感をたたえていて、想わず低く、おお、と口から出ていた。いつも私と喋っているときとは違う、女中頭として、ひとりの女としての顔を見せていた。さらにまたそれが深く頭を下げてしまうのだから、年下だ、女中だ、妹のようだとオケラを想っていた私はもはや気が気じゃないのである。
私は内心のうろたえぶりを隠しながら、オケラの話を聞くことにした。
「お話とは」
「じつはですね。あの、その、ですね」
最初の勢いが終わりかけの線香花火のように萎んでしまって、しまいには火花よりも小さく聞き取れない声になった。そしてまた俯いてなにやら考え込んでしまう。
なんだかこれでは埒があかない。花火であるならばそれで趣があるのだろうが、聞こうとしているこちらとしてはなにも無いところで躓いたような想いでふらふらしてしまう。長年付き合って、こういうところがオケラらしいと想う。はっとしてその成長に驚くところもあれば、昔となんら変わらずに傍らで佇んでいるところもある。私は、そういうものを見つけると心の水面に暖かいなにかが流れ込んでくるような気持ちになる。つまりは、安心するのだ。昔と同じ、見慣れた光景が目の前に現れるのを心待ちにしている節がある。オケラの頼りないところを、いつも私にくっついていたあの頃の小さい面影を見つけると、まだ、私はなにかが出来ると想える。安心してしまう。
私はしどろもどろのオケラとは逆に、すっかり落ち着きを取り戻した声で、
「最初から話してみなさい」
ちゃんと聞いているから、と我ながら燻し銀の面持ちで話した。
すると、オケラは最初上目遣いでこちらを見つめていたが、やがて向き直って、改めて頭を下げた。私は落ち着いている。
「阿求様にお伝えしたいことがあります」
「うん」
「稗田のお家にご厄介になって二十年以上、先日は女中頭にまでお執り上げいただき、言葉に尽くせないほどのご恩をくださって、おからはとても幸せでございました」
女中頭の件は私は知らん。たぶんきっとおばばのはからいではないだろうか。
「それで、その」
「うん」
「大奥様がお亡くなりになってから間を置かずにこんなこと、大変申し訳ないのですが」
「なんなの」
伏せていた頭を上げ、私に見せた顔は果たして茹だっていた。
「祝言を、あげさせていただきたいの、です」
ふむ。そうきたか。
はらっと出てきたその言葉に、束の間だけ反応が遅れ、私は最初ただ黙って頷くだけに至った。そうしてオケラの真っ赤な顔を眺めながら「祝言」という言葉を、起き上がり小法師のように、その意味合いを左右に揺らして呆けていた。
はてさて祝言。どっこい祝言。はいはい祝言。あなにえや祝言。
「阿求様、聞こえてらっしゃいますか」
「うん」
茹だったままの顔でオケラは先ほどと同じか、それ以上に不安げな様子であった。言い出そうとしていたときもあれだけまごついていたのだから、普段のオケラの性格も鑑みるに、余程の心構えをしていたはずである。あまり功を奏さなかったが、本人なりに、一世一代のつもりで言い放ったのであろう。それこそ転がって落ちてしまいそうなほど、いままで誰にも言えぬ不安さを茹だった胸の内に抱えていたのかもしれない。
祝言とは、祝言なのだ。オケラがやっとこさ振り絞ったことなのだ。主人の私が、なにごとかとうろたえている場合ではない。
「いつあげるの」
「ふあ」
「祝言、いつあげるの」
心の内は決まっているのに、私は少しばかり考えるふうに腕を組んで、オケラに尋ねた。するとオケラは一度口を真一文字にしたあと、幾らか元気を取り戻した様子で、言う
「まだ、先です。年が明けて落ち着いた頃ぐらいに」
「そうか」
分かった、と、深く頷きながら私が応えると、オケラがいよいよ明るい顔をしてくれた。暗い顔をされているとこちらも暗い気持ちになるからいけない。
「お相手はあれだろう、書物店の跡取り息子の京次郎」
「は、はい」
なるほど例の男である。頭の固い奴ではあるが、悪くはないと想える程度の男ではある。心配はないであろう。
一通り話せて疲れてしまったのだろうか、オケラは蝋燭を吹き消すときほどのため息をついた。そしてなにごとか考えている様子を見せ、またも申し訳なさそうな表情をする。
「阿求様に、祝っていただきたくて」
「そりゃあ祝うさ。オケラのことだもの、おばばが鬼籍に入ったことを後悔するほど盛大に祝ってやるよ」
こくり、と、今度はオケラが深く頷いた。そして整えていた三つ指を畳から離し「いえ、ありがとうございます。よろしくお願いします」としてまた洗い物に戻っていった。
襖の向こうからがちゃらがちゃらと、先ほどはしなかった水と器が弾け合う音が聞こえてくる。私も書きものをしに机へと戻った。勝手から届く洗い物の音を聞きながらお仕事をしていると、不思議と安心し、筆の動きもさらに冴え渡るというもの。いつもは遅れがちな納品も、これならば期日どおりに済ませそうである。
余裕が生まれそうだったのでその後は堕落へと身を任せる。手近な書物を見遣ると、緻密な絵の載るものが一冊、目に入った表紙に踊る見出しが実に興味をそそられるもので、ついつい手を伸ばしてしまった。これは小鈴の貸本屋から借りてきたもので、他にも数冊あるがどれもこれも外界の書物ばかりを選りすぐってきた。美麗な絵、紙面に蔓延る字、底深さをほのめかす字がおとなしく敷き詰められた、まるで固く締めた押し寿司のような印象がそのどれにも在る。うっかりすると指を切ってしまうつやつやした紙には、『能』について記載してあった。優美な着物、様々な能面、またその歴史。そして芸者の、伝統芸能を背負う者としての想いなども綴られてあって、外界での能の立場が慮れる記事である。つらつらとめくっていくなかに、能の演目の『石橋(しゃっきょう)』があった。
ときに、昔、人里で祝い事があった際に、どこからともなく妖怪が現れて能を舞ってゆくことがあった。私はその場にたまたま居合わせ、眺めるに至るに、どうもそれが石橋を舞っているということを同じく居合わせた知人から教えてもらった。よく知らない私にしてもそれは見事な舞で、舞い終わった妖怪の辞儀についつい感心して拍手をしていた。普段はふらふらしているような、浮き草じみた妖怪であったが、その時ばかりは眼の色、挙動から細部の感情表現に至るまで常時から逸脱しており、優雅になるためだけに生まれてきた扇のように、一心不乱に石橋を舞っていたものだ。妖怪は事が済むとまたふらふらと何処かへ行ってしまった。しかしこの石橋、とてもお目出度い演目のようで、祝い事で舞うには理に適っているらしい。固くなったおにぎりのような味気ない顔をしているくせに、なるほどもしかしたら色々と考えているのかもしれない。
広げた書物の欄では、石橋には、舞台一杯の牡丹があるらしい。ふむ。
オケラは昼八つの鐘が鳴る前には稗田の屋敷に帰り、また後で来ると言っていたがそれを私はやんわりと断って、夕飯をひとりで食べた。私だけであるし、それほど手の込んだものは用意出来ないのでオケラが作り置きした豆を煮たものとお粥で終わらせる。温かいものをお腹に仕込んで、寒さを凌ぐというわけである。
器の片付けも早々に、私はそそくさと準備をする。ひとり暮らしを始めてから良くなったことは、私だけでも着物や外套の着付けを早く済ませられるようになったことであろうか。まったく出来なかったわけではないが、その殆どを女中に任せていたので、始めの頃など半刻ほどもあぐねいていたものだ。それがいまや腹巻きも忘れず、長襦袢の半衿だって裏表逆にしないし、帯の模様もきちんと前で合わせられる。あとは首巻き、外套を羽織って、きっとオケラが気を利かせたであろう勝手の柱に掛けられていた手袋をやっとこさ見つけて引っ張り取ったのはご愛嬌、厚手の靴下を履いた足を長靴に差し入れて紐を結べば文句無しである。このとき、面倒臭くとも片結びをしてはいけない。
勝手口の戸を開くと、雪の上に寝そべる暗闇があった。一歩足を踏み出した途端、風は殆ど無いくせに、夜気が小生意気な図々しさで私の頬の熱を舐め取ってゆく。一瞬の震え。吐いた息が白いのを改めて確認してから、さらに二歩目の左足を雪に食い込ませる。寒いのは覚悟の上、目指すは人里から博麗神社までの中ほどにある林。オケラの祝言の為に、そこに咲いているであろう牡丹を摘みに行くのである。
見上げる夜空に月は居ない。それを幸いかどうか分からない気持ちで、私は提灯に火を入れた。
夜気にさらされて冷たくなった耳に、雪を踏む音と、私の息だけが聞こえる。呼吸はゆっくり深く、それにつられて進む歩みも遅くなる。提灯が道先を照らすだけが唯一の熱で、あとは眠ったふりをしている闇が薄目をこちらに寄越しているだけだった。あの暗いところには暖かさが無いのだと想うと、途端に提灯の灯りが力強く見えてくる。時折、蝋燭の火が揺れるたびについつい私の目がそこへと注がれるが、すぐに調子を戻す灯りで心が安らぐ気持ちだった。これだけが頼りなのである。夜の帳を恐る恐るめくり上げるようにして、私と提灯は雪道を少しずつ踏み固めていった。
夜の道を歩くのは好きである。自分の周りを覆う暗闇の中になにかが潜んでいるのではないかと想わなくもなかったが、それ以上になんだかいけないことをしているようで心が浮き上がるのだ。こんな歳にもなって童心のよう、などと自分では想っていることをオケラに話してみたら、洗いたての着物をどさりと渡されただけだった。いいから干してください、というのである。以前はお小言くらいは投げつけてきたものだが、「いい人」が出来てからこっち、だんだんと私の扱いがぞんざいになってきている気がする。私がさらにこの扱いはなんだと不満を言うと、慣れてしまいましたと返ってきた。果たして慣れてしまうものなのだろうかと、考え始めたらその一日を潰してしまった。干すのを手伝わなかったので、そのことについては散々お小言をもらった。
子供の頃のオケラは私が非道いことをすれば怒ることさえあっても、どちらかと言うと物静かな娘であったはず。それが分不相応にも口が回るようになり、女中の仕事が忙しくなるにつれ、強かというかなんというか、兎に角私へのお小言が多くなってしまった。今やそれすら通り越して主人である私に洗濯物を干すのを手伝えと言う。オケラも成長したものである。
こんなことがあった。まだ皆が十代のとき、私が人里で起きた怪奇案件について調べるために出かけようとしたときのことである。迎えに来ていた小鈴の相手をしているオケラの横を、私が駆け抜けようとして誤って玄関で転んでしまったのだ。小鈴は笑っていたがオケラは驚いて心配していた。すると当時の女中頭が怒り心頭で、屋敷の奥から飛んで来た。その様相に場の空気が一変し、もはや出かけるどころではなくなってしまった。女中頭は、オケラをこっぴどく叱った。お前がお付きなのに阿求様を転ばせたのか、と。それはそれは恐ろしい怒りようで、怒られ慣れている私もそのときばかりは始終黙りこんでしまった。私も、オケラも、そして小鈴すらも口を噤んで、三人とも女中頭の雷が過ぎるのをじっと耐えていたものだった。いや、オケラはそうではなかった。オケラは涙ぐんで謝っていた。
いまにして想えば、私の目の前でオケラを叱ることで私への戒めも兼ねていたのかと気づく。頭の回る、二手三手先を常に考えていたあの女中頭のことであるから、この予想は外れてはいまい。ついでに被った小鈴には心中お察しする。
面白かったのがそのすぐ後のオケラである。結局、小鈴は興を削がれたとして本の巣へと帰宅し、ふたりして俯きながら屋敷の奥へと戻る途中で、私はオケラに耳元で囁かれた。
転ばれるなら転ぶとおっしゃってくれないと困ります。
幼い時分からその考え方を不憫に想っていたものだが、まさかこれほどとは。涙目で、一等真面目な顔でこんなことを言うものだから、私の俯きがさらに落陽の途を辿ったのは想像に難くはないであろう。そして私の開いた口を見て、そんなにお口を開けてらっしゃると虫が入りますよ、と。さすがに笑ってしまった。
そのオケラが、あのオケラが、祝言を上げます、だって。
私の後ろをちょこちょこついて歩いていた娘が、腕の太さを気にして洗い物のときでさえ着物の袖を上げるのを躊躇していた娘が、おばばに丁寧語を教えてもらっていた娘が、糠床の世話をよく忘れていた娘が、私といっしょに悪戯をしては泣いて逃げていた娘が、ふたりっきりのときには女中なんてやりたくないと漏らしていたあの幼子が、私の、妹のような子が。祝言だって。
「くふふふ」
夜の雪原で、私はついに笑い出してしまった。感嘆なんてものじゃない、むしろ心底に呆れて笑えてしまうのだ。歩みを止め、提灯の火が揺れるのも気にせず、背中を揺するように笑った。鼻や口から溢れる愉快さが白く濁ることなど構わぬと、私は大いに楽しくなった。これほど愉快なことなど、三千世界、どこにもあろうはずはないのである。
再び歩き出しても、口元の笑みは水飴のようにとろとろしていて、それを意識する私の楽しき想いをさらに冗長させ、ひきつる頬に甘さを感じた。雪中へ一歩踏み出す度に、様々なオケラとの記憶が眠りから覚める。踏み残した私の足跡から、湯気立つように想い出が想起する。そのひとつひとつが甘く、苦く、楽しく、愉快で、尚更に水飴は優しく蕩けてゆく。一層のことなにもかも解けてしまえばいいのに。
そうして、つい来た道を振り返ってみると、私の足跡だけが雪の上に綺麗に並んでいた。小さい足の跡がひとつふたつと空豆みたいな形で連なっている。それは提灯に照らされている近傍だけではなくて、ずっとずっと、人里はあの庵から長く続いているのだと、たとえ見えずとも心の奥底で捉えられた。想えば遠くに来たものだ。人里も遠い。庵も遠い。稗田の屋敷に至ってはどこにあるのかすら分からない。しかし私の足跡がずっと続いていることだけは確信がついた。生まれてこの方、曖昧な前世すら含めても、これほど牢としてやまない心持ちはなかった。確かなものは、得てして自らの中に在ると心得たり。
ならば、ここからさらに歩みを進めなければならない。目的の牡丹まであと僅かであるし、なにより、寒い。夜道のひとり歩きは好きだが、寒いのはすこぶる嫌いである。歩みは進み、引き返せず、自分では止められないものだ。
しばらくまた、雪を踏む音に耳をすませていると、提灯の灯りの向こうの右手に林の影が見えてきた。提灯を掲げた手を上げてみれば、暗い中に仄かな薄紅が、お晩になりましたとこちらに挨拶を寄越している。想わず私も会釈してしまう。やっとたどり着いた。ここの辺りが人里と博麗神社の中間点である。神社への道標として古い石塚もあって、いまは夜に隠れて分からないが、少しばかり汚れた小さいものが地面から顔を出しているはず。腰掛けるのにちょうどいい小ささなので、皆がここで休み、牡丹に見惚れたり林から流れてくる鳥の囀りに聞き惚れたりして憩いを求めるわけである。石塚はもしかしたら今時分は雪に埋まっているかもしれない。その石塚に見守られているのが牡丹の木で、五、六本が群生するこざっぱりとした林であった。
寒いので、すぐに牡丹の木に手を伸ばした。今さっき私に挨拶をしてくれた一輪は少しだけ虫食いがあったが、この際いいであろう。それと、その周りにいた子らをいくつか選別して、摘む。私が届くような低い枝先であればもうさほど新しくもあるまいとして、枝ごと、適当なところを手折って懐に入れた。私に見初められたのが運の尽き、と嘯きたいところではあるが、懐の中のかさばる感触に想わずほのかな後ろめたさを感じてしまう。牡丹の花だけは顔を出させるようにしてあるので、しばらくはその花弁に咎める色を感じることになるだろう。そんな目で見ないでおくれ。お前が私に挨拶をくれたのがいけなかったのだから。
一応、母木にも頭を下げて礼をし、来た道を戻ろうと私は林とそれを取り巻く暗がりに背を向けた。目に入ったのはここまでやって来た私の小さな足跡だけ、ではない。私ひとり分の足跡と、そこから別れるように延びている足跡がもうひとり分、あった。それは林のすぐ手前から人里へ引き返すように曲がっており、さらに提灯で照らすと足跡は方向を変えてまったく別の道に進んでいた。この向きは人里ではない。何処へ、という想いと、その足跡に気づかなかったのは何故かと、私は目を細めた。雪原を歩いてきた際だとて、見渡す限り白い平面には誰の足跡も無かったのである。無垢な雪に一番乗りの足跡を刻められる喜びは誰もが抱くだろうがそれは私も同様で、歩んでいる最中にも常に心中でわくわくしていたのだ。私の記憶は間違いない、ならば、この足跡はついさっき置かれたということになる。近づいて見れば私とさほど違わない、いやさ、まったく大きさの同じ足跡である。女性か、あるいは子供であろうか。私が言うのもなんだが、こんな夜にひとり歩きはいけない。妖精どもに誑かされては夜道に迷うことになるであろうし、妖怪に出くわしたらより危険である。
追えばまだ間に合うかもしれない。そうして夜道の危うさについて説教してやらねば、などと想いつき、私は誰のとも知れないその足跡をさらに踏み固めるようにして歩みを出した。決して雪原の一歩目を奪われたのが癪だからではない。稗田の者として、人里の人間としてちょっとした責任があるのだ。
一歩踏み出すたびに懐に入れた牡丹が顔をふらつかせる。その薄紅の顔色にどこか私への惻隠の情を感じたが、構うものかと、提灯の明かりを闇夜へ投げつけるように掲げた。
すぐに追いつけるだろうと高をくくっていたのだが、雪に残る足跡を息が上がるまでひとしきり駆けて辿ってみたものの、捉えられるのは夜気の刺々しさだとか夜鳥の鳴き声だとかばかりで、凡そ人影らしきものを見つけられずに、とうとう私は疲れて立ち止まってしまった。湧き上がってくる白い吐息にむせ返る。蒸籠で蒸されるお饅頭の気持ちが分かるかのような白さの向こうに、未だ探し人の姿は無い。
まだまだ先に続いている足跡ではあるが、ついつい周囲に誰か居ないか探してしまう。しかし他に足跡が無いのであるからして、見逃しなんてするはずはない。ここまでずっと辿って来たのである。空を飛べる人間も稀に居る幻想郷だが、しかし自分は宙に浮いて足跡だけを残してゆくような律儀な者が居るはずがないのも幻想郷なのだ。
「もしや、妖精の仕業か」
私を誑かすために妖精がこの足跡を付けたのではないかと、瞬間、訝しんだ。と、そのとき。
「降ってきた」
私が庵に帰り着くまで待ってくれと願っていた雪が、待ちきれずついに降ってきたのだ。顎を上げれば綿埃のような雪がゆっくりと、こちらの気も知らずに暢気に落ちてくる。それがまた、まるで猫の欠伸の如き緩やかさと長閑さで私の上向いた頬に落ちてくるものだから、冷たい、と感じるよりもなんだか眠気すら抱いてしまう。眠気が夜空から降りてくるなんて言えばとても素敵なものであるが、この雪原、この寒さで眠ってしまえば二度起きぬこと請け合いである。眠気に誘われるのも時と場合を考えなければならない。今は、探し人の最中なのであるからして。
息を整え、私はまた足跡を追うために重い歩みを進める。もはや駆ける体力も無いが、この雪が本降りになる前に足跡の主を見つけなければ。
「まったく、しようがない輩も居たものだ」
などと舌で唇を舐めつつ言って、前を、見る。白い息が、私を闇夜に誘い込むかのように一筋、風も無いのに前へ前へ流れてゆく。
まただいぶ歩いたのだが、一向に目の前は提灯が照らす雪原ばかり。半刻、ほどは歩いただろうか。普段からしてこれほど身体を動かすこともなく、いい加減身体の調子も芳しくなくなってきそうで、明日、明後日の締め切りの言い訳を考えなければならなくなりそうで、嫌だ。夜通し歩いていたから締め切りを延ばしてほしいなんて、言って快く延ばしてくれるあろうはずがない。よしんば延ばしてくれたとして、必ずや今度はオケラのお小言が、宙を舞う飛燕のように飛んでくるに違いないのだ。嫌である。
それなのに、この足跡を追っている。心中ではもう帰ろうとさえ想っているのに、どうしてか、私はずっと、どこまでも続く雪原を進んでいる。疲れで頭が回っていないせいか、はたまたまさか、なけなしの責任感とやらが私を突き動かしているとでもいうのか。否、どちらでもないような気がする。それは断言出来る。
息を細く吐きながらじっと足跡を見つめていると、ふと気づいた。そうだ、足跡を継いで踏んでいるうちに、この見えない列から抜け出せなくなっているのだ。足跡を追っているのではなく、足跡に手を引かれて無性に歩かされている。いつの間にやら立ち止まることも反れることも許されず、なにか分からない、不可思議な力によって、ただ足を踏み出すことだけを無理強いされているのだ。なんと面妖なことであろう。言葉も発せず、呼吸を刻んでゆくことしか出来ず、右手は提灯を掲げて、左手は袖に仕舞ったまま、まるで子供が引き回す玩具のように、ずるずると私は雪が降るなかをあてどなく歩いている。これでは幽霊の類とそう変わりがないではないか。
この怪しさに今更気づいても遅い。自らの意思で抜け出せないのだ。眠りの中で自由に夢から覚められないのと同じである。故に勝手に足が次の足跡を踏んでいってしまう。足のことなのに、これではお手上げである。手も足も出ない。うむ。
いよいよ妖精か、妖怪の仕業かと暢気すぎる憂慮が私の心に起き上がってきたときである。緩やかな降りの雪の向こう、提灯の明かりが届くか届かないかの辺りに、ついに人影が、見えた。夜中にひとりで散歩する軽薄な足跡の主が、やっと姿を現したのだ。こうなってくると俄然元気が出てくるもので、どうにかして彼の者に説教をしてやらなければ私の気が収まらない。歩かされているのであれば望むところ、むしろ追いつき追い抜き、そして華麗に翻って彼奴にそこへ直れと説き伏せしめねばならぬと、非常なる使命感がふつふつと湧き上がってくるのだ。
そこで待ってろいますぐ追いつくぞ、と、言葉に出来ぬので心中で固く誓う。降る雪に負けぬ滾る気持ちで足を踏み出し、白い息もさらに勢い良く吐き出す始末。しかし、薄々気づいていたというか、案の定というか、前の人影もしっかりと歩んでいるわけなので私との差がなかなか縮まらない。いままでじわりじわり、長い糸を巻き取るように少しずつ少しずつ差を詰めてきたはずなのに、なんだかまだまだ、全部巻き終わるのに時間がかかりそうである。否、この期に及んでまったく差が縮まらない。つかず離れず、こちらとあちらの歩みが同じようで人影の背中の大きさが先ほどから変わらない。見え出した当初と同じ、提灯の明かりがやっと届くくらいの距離で、未だに人影は黙々と歩みを続けている。
それはまるで針仕事に慣れない娘が、こわごわ針を進めているような早さであった。誰も歩いていないまっさらな雪原という布地に、自らが針となって足跡の糸を縫い付けていく。その糸をなぞるようにしているのが私で、どうしてもこれ以上早く歩めないのでやはり距離が縮まらない。堂々巡り。もうどうにかなりそうである。
もはや諦めよう。緩やかに降る雪の中で息絶えるのも風流だと想うしかない。だがせめて、前をゆくあやつの顔だけでも拝みたい、でなければ死に切れないというもの。こんなことになったのは自業自得の極みと言われればそれまでだが、誘いに乗ってやったという自負が少なからず私の中にあるから、そういった自尊心の類を心ばかりでも掬って冥土の土産に頂戴したいのである。すでに覚束ない足取りで大いに白い息を吐きながら、私は前のあやつを見遣った。
夜の暗さの底へ沈殿したかのような白い雪原に浮かぶ背中は小さく、足跡からの予想どおり、どうやら女性のようだ。こちらが心配になるほどふらふらと左右に肩を揺らめかせ、非道く疲労困憊の様子は私と同じである。着物は軽く着流し、袴姿で、とてもこの寒さに耐えられない格好で、色合いも普段私が好むものとそっくりである。背丈は、私と、同じ、くらい。髪は、肩の下ほどの長さで、これもちょうど私と同じ。
はて。あれは私ではあるまいか。
ずっと以前に偶然後ろ姿を写真にとられたことがある。私の背中はこんなふうなのかと、その時分は物珍しさばかりがあって、想わず自嘲の笑みさえこぼれたものだ。それなのに、こうして直に見遣ってしまえばあまり気持ちの良いものではないと想える。私はここに居るのに、あちらにも私が居る、いらっしゃる。恐ろしさよりも呆気にとられる。どういうことだ。
夢などではない。頬で溶ける雪に無愛想な冷たさを感じるし、この気怠い疲労にだとてこれまで歩いてきた道のりのぞんざいさが染み込んでいる。
幻などではない。前に居る背中は妙な意思を持って歩いているように想えるし、肩に降りかかっている雪は幻惑に類する軽さよりもずっと、ちゃんと空から落ちてきている重さや氷の頑なさがある。きっとあの私もとても寒いのだろう。時折見せる背中の震えはまるでおこりの病人のそれである。少しくらい、私の首巻きでも貸してやりたいほどだ。
やはりあれは私である。それもこちらの私ではない私。誰でもない私自身だが、この私とは違う、何処かから来た私。何処から来たのであろう。何処へゆくのであろう。
遠くの明かりさえ失せ、もはや暗闇の黒と雪原の白のみを提灯の火が炙り出している風景。凪の空気が耳朶の感覚をその冷たさで研ぎ澄ませてくれる。それなのに私の呼吸も鼓動も聞こえなくなって、代わりに前の私とこちらの私の歩む音だけが、凪の弦を弾いていた。あちらが一歩踏めばこちらも一歩踏む。二歩でよろめけばこちらもよろめく。ふたつずつのその音が重なり合ってほとんどひとつになりかけていた。足跡は、だんだんと歩幅が狭くなっている気がした。
この足跡を見つけた時から奇妙だと想っていたのだ。あの牡丹が生えていた場所まで刻んできた私の足跡から、まるで離縁するかのように別れていた足跡。それまでずっと私だけが歩いてきていたはずの雪原に突如現れた他の足跡。いま想えば、私はつけられていたのかもしれない。否、まったくの等しい存在だったのだ、こちらの私とあちらの私は。それが牡丹の木の場所からどういうわけか別れてしまった。私の、私の中の影のようなものが勝手にひとり歩きをはじめてしまったのが、あれなのだ。私の一部のくせに、妙に一所懸命なものだ。
それにしたって、前の私は何処へ行こうというのだろうか。主人である私を見限って、何処かへ行きたいのだろうか。何処か遠く、ここではない遠くへ。
ちょっとした不安が心を過ぎって、私が大きく白い息を吐くと、前の私が右へ顔を向けた。それはやはり、紛れも無く私の横顔である。前の私はそうして右を向いていると想ったら次に左を、また次に右を、と、なんだか落ち着かない様子。急に心ここにあらずといった風情で周りを、自分を取り囲んでいる暗闇を見澄ましているようだった。さては主人である私から離れてしまって動揺でもしているのか、などと想うが、くるくる見せてくる左右の横顔はそういった気持ちとは違う、強かな精悍さがある。まるで夜空の星を見定める船乗りのように、闇の匂いを嗅ぎ分け、夜気の冷たい鋭さを頼りに進路を確かめているようだった。いよいよ目的地が近いのかもしれない。この雪中行脚も終わりに近づいているのかもしれない。しかし、相変わらず暗闇は暗闇のままでそれらしきものは見当たらなかった。遠くの灯りすらない。ずっとずっと夜の存在だけがどこまでも張り詰めている。私には、とてもなにかがあるとは想えなかった。
前をゆく私はそれでもまだ頭を左右に振ってなにかを探していた。やはり時折に身体をよろめかせながら、歩みを止めず、ひたすらに雪原に足跡を刻んでいる。必ずある、何処かにある。そう呟いているような横顔を見せる。きっと前の私はなにか確信があって歩いているのであろう。想いつめるような気持ちがあるのかもしれない。それを支えに鉛のように重くなっているはずの身体に鞭打って、この静かな雪原を歩いているのかもしれない。今はまだ見つからないだけだと、想っているのかもしれない。なにかを、何処かを探すために、この私から離れていったのかもしれない。さりとて。
私は、つい提灯を持つ右手を震わせた。闇夜を炙る灯りも一緒になって揺れた。
果たして、前の私は、はたと立ち止まってしまう。まるで最初からその場に立っていたかのように、小さな背中をこちらに向けている。まさか、と想った。刻んできた足跡が点々と私の足元まで繋がっていた。
だのに、私の歩みが止まることはなかった。どんどんとあの背中に近づいていってしまう。なんだか情けないのだが、途端に、捕まえるのが惜しいと、そう想えた。
それまで不思議と理解出来ていた彼奴の気持ちも分からなくなってしまっていた。足だけが前へ前へ進もうとして、私の心と身体を無理くり引きずってゆく。いつの間にやら、雪がやんでいた。あと十歩。あと五歩。あと三歩、あと一歩。
提灯の舳先が前の私の着物に触れた、その直後。
「阿求様」
呼ばれて、私はぎくりと身体をよじる。身体の強張りはそのまま瞼へと伝わって私の目が見開かれた。あれ。
「なにをしてらっしゃるのです、お風邪を召しますよ」
どうしたことか、私が居たのは、人里の、私の棘の庵のすぐ前だった。今まで里の外で歩いていたはずなのに、一体全体、いつここまで辿り着いたのか。周りは見慣れた隣家や生け垣、それらが雪帽子をかぶって真夜中の時をじっと我慢しているかのように佇んでいる。ここは、私の知っている場所だ。
提灯を片手におろおろしていると、後ろから右腕を捕まれ、軽く引き寄せられた。誰だ誰だ。
「お風邪を召しますと言っているのです」
振り返るとオケラである。ぶくぶくと着膨れした姿で、どうやら怒っている模様。今夜はもう来なくていいと私が言ったのに、お節介にもわざわざ訪ねてきたらしい。突然の周囲の変化とオケラに怒られそうなのとで、冷えきった頭が湯たんぽのように熱くなってくる。その中で考えるのは疑問と不安が混ざった練り団子のようなことである。怒られるのは嫌だ。なんで私はここに居る。怒られるのかな。
だって歩いていたのに、と、すぐに適当な言い訳が私の口から這い出てくる。
「雪の中を歩いてたんだ。そうしたら前に別の私が歩いていて、そうだ、あやつ何処へ行った。ここに私が居なかったか。取り押さえてふん縛らねばならん」
必死に口を回すと、目の前の顔は雷様への変貌を催した。私が言った、雪の中を歩いていた、のところを聞いて怒っているのであろう。これがオケラの悪いところで、誰かの発言から自分の気に入らないところだけ抜き出して、さらにそれを大仰に捉えて相手に放り投げてくる。大抵の場合は私がその被害に遭う。やっぱり怒られるのである。
「これだから目を離せないのですよ、おからは。ほら、お早く中に入って。なにをしてらっしゃるのですか」
オケラは今度はまるで牛を引っ張るかのような粗雑さで私の右腕を扱う。こちらも牛歩の足取りで応じたいところであるが、寒いのには同意するので、従った。しかしこれでは本当に牛のようで、そう想っていると途端に眠気も襲ってくる。私も食べては寝てを繰り返す生活を謳歌したいものである。
あんまり私がぐずついて歩くから、オケラに提灯を奪い取られた。灯りは先ほどよりもずっと弱くなっている。きっともうそろそろ蝋燭が溶け消えそうなのであろう。揺れる灯りがさらに私の眠気を誘う。
庵の中はすっかり冷えきっていて、静かな暗がりが私とオケラを迎えてくれた。外と同じかそれ以上の暗さなのに不思議と安心出来る。長靴を脱いで上がると、私自らが着付けした外套や着物をオケラは慣れた手つきで、大根の皮を剥くかのようにあっという間に着替えさせてくれた。
そのときに、ぼとり、白身になった私という大根から落ちたのが、牡丹の花である。
薄紅色の花弁に気づいたオケラが間の抜けた声で、言う。
「あらきれい」
「そうだ、そうだった」
拾い上げる牡丹は四輪。私に挨拶してくれた、虫食いの子が、いない。
「おから、祝言、おめでとう」
牡丹の向こうのその顔は、花弁よりずっと紅に染まっていた。
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前回までのあらすじ
三十路手前、縁起の纏めも転生の準備も終わってあとは死ぬだけの稗田阿求。その余生を過ごすため、代々の阿礼乙女が住んできたという『棘の庵』に一人住まいを始めました。一年間の猶予でなにが変わるのかと、訝しげに想いつつも楽しげに暮らしています。
師走
上旬には晴天ばかり続いて好調だった師走のお天気は、年末に向かうにつれてだんだんと調子を落としていき、中旬には雨がちらつき、昨日二十日を迎えてついに白いものが降り、初雪を拝謁するに至った。寒さももはや我慢ならぬほど下り坂で、実家の猫が漆で張り付いたかのように火鉢から放れないと、女中のオケラが言っていた。老猫なので致し方なしと想う。私が実家に居た頃はよくお布団に潜ってくる子であったから、冬の夜は互いに暖めあった仲なのだ。出来るだけ長生きして、末は化け猫にでもなってほしい。そうすればもっと暖かくなって、火鉢すらいらなくなるかもしれない。湯たんぽ代わりにちょうど良さそうだと考えたが、たまに引っ掻く湯たんぽはあまり嬉しくない。
明けて今日は二十一日。止まぬ雪は限度を失い、庵の庭も屋根も沈む大雪となった。朝には小降りになって多少は落ち着いたようであるが、これから来るであろう冬本番を暗澹と占わせるには十分な積雪であった。
雨戸を開けて、足に引っかけたお布団を引きずったまま白い庭を眺める。本当になにもかも真っ白で、つられて私の吐く息も白くなる。雪の白は他の物も白へと引き込み、自分とそれ以外の境界線を無くそうとしているようだ。恐るべし雪。しかしその雪の景色に抗うようにして動くものがあった。素早い足取りに揺らめく尻尾、朝日に煌めく雪よりも鋭い眼光を放つそれは猫、どこぞの野良だ。野良は雪を蹂躙するようにしてふみふみ、足跡を残しながら庭を大仰に横切ってゆく。猫の天下ぞここにありと言わんばかりに悠然と歩む姿に、正直、惚れてしまう。あれで抱き上げれば暖かいのだから素晴らしい。歩く湯たんぽ素敵。
見送った野良が雪の小山に姿を消し、さすがに吹き込む風が寒いので雨戸を閉める。行き場をなくした冷風が、庵の中で悔しそうに小さくとぐろを巻いた。
さて雪も降ったし寝直そうと想うも、オケラがやって来たのでそうもいかなくなる。突然、勝手口で私を呼んで、ばたばたと上がり込んできたオケラにあられもない格好を見つけられてしまった。こんなに寒いのだから別段はだけていたわけではなく、ただお布団に潜ろうと頭から入って素足を放り投げていただけなのに、とんでもない声を出された。お布団の綿越しに聞こえるオケラのがらくしゃ声が、遠くの雷鳴のようにくぐもって私の耳に届く。そのまま雲の流れと一緒にどこかへ行ってしまえばいいのにと想うも、図々しく近づくお小言の雷様は私のお布団を強奪、容赦なく押し入れに仕舞うというむごたらしいことをした。するとオケラは、
「ほら、はやく起きないと阿求様も一緒に仕舞っちゃいますよ」
などと薄ら恐ろしいことを平気で言う。実家での女中頭の仕事がなかなか熟れきていると小耳に挟んだが、こちらでまでそういう面倒くさいところを発揮しなくてもよろしかろう。ただでさえ普段から手痛く世話されているというのに、これ以上世話をされてしまったら、元来が怠惰で出来てしまっている私という人間が世話に削られてすっかり小さくなってしまいかねない。世話を焼かれるのも大概にしなければ。
私が朝のまどろみ抜けぬ想いをしていると、オケラが言う。
「そんな面倒くさそうなお顔をされるんだったら、明日からおから、来ませんからね」
それは困るのである。
仕方がないのですぐに起きて着替えた。背に腹は代えられぬ。例え代えられたとしてそれは果たして美味しくものを食べられる身体であろうか。否、怠惰にも怠惰なりの矜恃というものがある故に、ここは世話を焼かれることに甘んじよう。それと同じようにオケラにも女中の意地がある。私が削られて小さくなってしまっては、オケラの意地の行き場が無くなって路頭に迷ってしまうかもしれない。不憫である。
そうなってしまわぬよう、どんな批難を浴びようとも私は怠惰に生活しよう。世話を焼かれてたとえこの身を削られようが、よりふっくらとした怠惰さであれば多少減ったとて痛くも痒くもないのだ。人里では稀に見る立派な主人だと自負するものである。
ふむふむとそのようなことを考えながら、オケラに言われるがまま部屋の片付けを終えた。念を押すが私が主人である。そして背に腹は代えられぬのである。
きれいになりましたね、と、オケラはまるで片付けの褒美かのようにだいぶ遅い朝餉を用意してくれた。大いに悔しく、大いに美味しい。干し鮎をもどしたものが入った味噌汁はちょうどいい塩加減であるし、酢の物は顔を洗ったときのようにさっぱりしている。なにより、冷や飯を出汁で温め直したものが滋味に溢れ、喉の奥をさらさらと流れて身体の奥から温もりを与えてくれる。私がこれをはふはふと口に頬張るたび、オケラが目を細めるので、こちらもにやにやと笑ってやった。
朝餉を終えて一段落する。お前も休んだらとオケラに言うも、動いていないと気が済まないのかせっせこ器を片付け始めた。よく働くようになったものだ。
「良いお嫁さんになるよ」
ついぼそりと口から出て、しまったと想う。こんなことをオケラが聞くとまたいつかのように茹で上がって使い物にならなくなってしまう。茹で上がるとなおさら面倒くさい。
しかし、聞こえていなかったのかオケラは平気に今度は器を勝手で洗い始めた。よかった、本当に。
その後暫く、ひとりで部屋で書きものをする。屋根から落ちる雪と私の筆先だけが静かな時間を刻んでゆく。こんなとき、静かであればあるほど筆の進みは良い気がする。
ものを書くときは自らの内側をのぞき込むようにして、そこに映る様々な事柄と機微で筆先を動かすのが、一等単純で理に適っているように想う。心の水面を凪にし、一石を投じたのちに波紋の重なりや反響をもってして色艶、かたちを文章にしたためてゆく。随筆のようなものであれば、見聞きしたものを自らの言葉で綴らなければならないのだから、なおのことそういったことが大事になってくる。これは私と私自身との会話。常日頃からの鍛錬と健康的な生活を糧にした情緒と心の感度の結実なのである。筆に言葉がのるというもの。
そうして、心の水面に映るものを見定めようと、雪が積もるように繊細な情緒を投げようとしたら、降ってきた落石に私の心は大いにびっくりしてしまった。
突如としてオケラが部屋の襖を開け放ち、そこに引っかかった書籍がさらに隣の書籍の連なりを崩し、畢竟、私の後ろで大雪崩を起こしたのだ。言うまでもなく私の心は波立ちすぎてなんだかしっちゃかめっちゃかで、ものを書くといった気分ではなくなってしまう。
振り向くと、さすがにオケラもばつが悪いのか、危なっかしい岩のような顔つきで困っているようだった。邪魔をしてしまった、という気概がでこぼこと突き出し、今にも転がってしまいそうな不安げな表情であった。しようがないものである。
「なに」
「あの、はい。すいません」
と言ってそのまま襖を閉めようとする。ふむ。
「どうしたの。なにか言いたいことがあるのだろう」
いつもはうるさいくらいあれが駄目これが駄目と言ってくるのに、時折、こちらから歩み寄って聞き出さなければなにも言えないでいることがある。オケラは、特に自身のことに関してそれが顕著であった。多少の面倒さを感じる。
言いたくなければそれでいいけれど、と、私は意地悪してみた。
「私もいま書きものをしていることだし」
襖を、身体が半分隠れるほど開けたままで、オケラは下を向いて黙ってしまう。視線の先を見れば少しだけ疲れた色をした畳があった。畳の目を数えているのかなとこちらが想っていると、ふいにはっきりとした声で返事をし、改めて襖を開けて部屋の中に入ってきた。また書籍が崩れた。
「阿求様にお話があるのです」
その声が明瞭で、私の隣で正座をしている姿が、まるで折り目正しくたたまれた反物を見ているかのような気持ちの良い緊張感をたたえていて、想わず低く、おお、と口から出ていた。いつも私と喋っているときとは違う、女中頭として、ひとりの女としての顔を見せていた。さらにまたそれが深く頭を下げてしまうのだから、年下だ、女中だ、妹のようだとオケラを想っていた私はもはや気が気じゃないのである。
私は内心のうろたえぶりを隠しながら、オケラの話を聞くことにした。
「お話とは」
「じつはですね。あの、その、ですね」
最初の勢いが終わりかけの線香花火のように萎んでしまって、しまいには火花よりも小さく聞き取れない声になった。そしてまた俯いてなにやら考え込んでしまう。
なんだかこれでは埒があかない。花火であるならばそれで趣があるのだろうが、聞こうとしているこちらとしてはなにも無いところで躓いたような想いでふらふらしてしまう。長年付き合って、こういうところがオケラらしいと想う。はっとしてその成長に驚くところもあれば、昔となんら変わらずに傍らで佇んでいるところもある。私は、そういうものを見つけると心の水面に暖かいなにかが流れ込んでくるような気持ちになる。つまりは、安心するのだ。昔と同じ、見慣れた光景が目の前に現れるのを心待ちにしている節がある。オケラの頼りないところを、いつも私にくっついていたあの頃の小さい面影を見つけると、まだ、私はなにかが出来ると想える。安心してしまう。
私はしどろもどろのオケラとは逆に、すっかり落ち着きを取り戻した声で、
「最初から話してみなさい」
ちゃんと聞いているから、と我ながら燻し銀の面持ちで話した。
すると、オケラは最初上目遣いでこちらを見つめていたが、やがて向き直って、改めて頭を下げた。私は落ち着いている。
「阿求様にお伝えしたいことがあります」
「うん」
「稗田のお家にご厄介になって二十年以上、先日は女中頭にまでお執り上げいただき、言葉に尽くせないほどのご恩をくださって、おからはとても幸せでございました」
女中頭の件は私は知らん。たぶんきっとおばばのはからいではないだろうか。
「それで、その」
「うん」
「大奥様がお亡くなりになってから間を置かずにこんなこと、大変申し訳ないのですが」
「なんなの」
伏せていた頭を上げ、私に見せた顔は果たして茹だっていた。
「祝言を、あげさせていただきたいの、です」
ふむ。そうきたか。
はらっと出てきたその言葉に、束の間だけ反応が遅れ、私は最初ただ黙って頷くだけに至った。そうしてオケラの真っ赤な顔を眺めながら「祝言」という言葉を、起き上がり小法師のように、その意味合いを左右に揺らして呆けていた。
はてさて祝言。どっこい祝言。はいはい祝言。あなにえや祝言。
「阿求様、聞こえてらっしゃいますか」
「うん」
茹だったままの顔でオケラは先ほどと同じか、それ以上に不安げな様子であった。言い出そうとしていたときもあれだけまごついていたのだから、普段のオケラの性格も鑑みるに、余程の心構えをしていたはずである。あまり功を奏さなかったが、本人なりに、一世一代のつもりで言い放ったのであろう。それこそ転がって落ちてしまいそうなほど、いままで誰にも言えぬ不安さを茹だった胸の内に抱えていたのかもしれない。
祝言とは、祝言なのだ。オケラがやっとこさ振り絞ったことなのだ。主人の私が、なにごとかとうろたえている場合ではない。
「いつあげるの」
「ふあ」
「祝言、いつあげるの」
心の内は決まっているのに、私は少しばかり考えるふうに腕を組んで、オケラに尋ねた。するとオケラは一度口を真一文字にしたあと、幾らか元気を取り戻した様子で、言う
「まだ、先です。年が明けて落ち着いた頃ぐらいに」
「そうか」
分かった、と、深く頷きながら私が応えると、オケラがいよいよ明るい顔をしてくれた。暗い顔をされているとこちらも暗い気持ちになるからいけない。
「お相手はあれだろう、書物店の跡取り息子の京次郎」
「は、はい」
なるほど例の男である。頭の固い奴ではあるが、悪くはないと想える程度の男ではある。心配はないであろう。
一通り話せて疲れてしまったのだろうか、オケラは蝋燭を吹き消すときほどのため息をついた。そしてなにごとか考えている様子を見せ、またも申し訳なさそうな表情をする。
「阿求様に、祝っていただきたくて」
「そりゃあ祝うさ。オケラのことだもの、おばばが鬼籍に入ったことを後悔するほど盛大に祝ってやるよ」
こくり、と、今度はオケラが深く頷いた。そして整えていた三つ指を畳から離し「いえ、ありがとうございます。よろしくお願いします」としてまた洗い物に戻っていった。
襖の向こうからがちゃらがちゃらと、先ほどはしなかった水と器が弾け合う音が聞こえてくる。私も書きものをしに机へと戻った。勝手から届く洗い物の音を聞きながらお仕事をしていると、不思議と安心し、筆の動きもさらに冴え渡るというもの。いつもは遅れがちな納品も、これならば期日どおりに済ませそうである。
余裕が生まれそうだったのでその後は堕落へと身を任せる。手近な書物を見遣ると、緻密な絵の載るものが一冊、目に入った表紙に踊る見出しが実に興味をそそられるもので、ついつい手を伸ばしてしまった。これは小鈴の貸本屋から借りてきたもので、他にも数冊あるがどれもこれも外界の書物ばかりを選りすぐってきた。美麗な絵、紙面に蔓延る字、底深さをほのめかす字がおとなしく敷き詰められた、まるで固く締めた押し寿司のような印象がそのどれにも在る。うっかりすると指を切ってしまうつやつやした紙には、『能』について記載してあった。優美な着物、様々な能面、またその歴史。そして芸者の、伝統芸能を背負う者としての想いなども綴られてあって、外界での能の立場が慮れる記事である。つらつらとめくっていくなかに、能の演目の『石橋(しゃっきょう)』があった。
ときに、昔、人里で祝い事があった際に、どこからともなく妖怪が現れて能を舞ってゆくことがあった。私はその場にたまたま居合わせ、眺めるに至るに、どうもそれが石橋を舞っているということを同じく居合わせた知人から教えてもらった。よく知らない私にしてもそれは見事な舞で、舞い終わった妖怪の辞儀についつい感心して拍手をしていた。普段はふらふらしているような、浮き草じみた妖怪であったが、その時ばかりは眼の色、挙動から細部の感情表現に至るまで常時から逸脱しており、優雅になるためだけに生まれてきた扇のように、一心不乱に石橋を舞っていたものだ。妖怪は事が済むとまたふらふらと何処かへ行ってしまった。しかしこの石橋、とてもお目出度い演目のようで、祝い事で舞うには理に適っているらしい。固くなったおにぎりのような味気ない顔をしているくせに、なるほどもしかしたら色々と考えているのかもしれない。
広げた書物の欄では、石橋には、舞台一杯の牡丹があるらしい。ふむ。
オケラは昼八つの鐘が鳴る前には稗田の屋敷に帰り、また後で来ると言っていたがそれを私はやんわりと断って、夕飯をひとりで食べた。私だけであるし、それほど手の込んだものは用意出来ないのでオケラが作り置きした豆を煮たものとお粥で終わらせる。温かいものをお腹に仕込んで、寒さを凌ぐというわけである。
器の片付けも早々に、私はそそくさと準備をする。ひとり暮らしを始めてから良くなったことは、私だけでも着物や外套の着付けを早く済ませられるようになったことであろうか。まったく出来なかったわけではないが、その殆どを女中に任せていたので、始めの頃など半刻ほどもあぐねいていたものだ。それがいまや腹巻きも忘れず、長襦袢の半衿だって裏表逆にしないし、帯の模様もきちんと前で合わせられる。あとは首巻き、外套を羽織って、きっとオケラが気を利かせたであろう勝手の柱に掛けられていた手袋をやっとこさ見つけて引っ張り取ったのはご愛嬌、厚手の靴下を履いた足を長靴に差し入れて紐を結べば文句無しである。このとき、面倒臭くとも片結びをしてはいけない。
勝手口の戸を開くと、雪の上に寝そべる暗闇があった。一歩足を踏み出した途端、風は殆ど無いくせに、夜気が小生意気な図々しさで私の頬の熱を舐め取ってゆく。一瞬の震え。吐いた息が白いのを改めて確認してから、さらに二歩目の左足を雪に食い込ませる。寒いのは覚悟の上、目指すは人里から博麗神社までの中ほどにある林。オケラの祝言の為に、そこに咲いているであろう牡丹を摘みに行くのである。
見上げる夜空に月は居ない。それを幸いかどうか分からない気持ちで、私は提灯に火を入れた。
夜気にさらされて冷たくなった耳に、雪を踏む音と、私の息だけが聞こえる。呼吸はゆっくり深く、それにつられて進む歩みも遅くなる。提灯が道先を照らすだけが唯一の熱で、あとは眠ったふりをしている闇が薄目をこちらに寄越しているだけだった。あの暗いところには暖かさが無いのだと想うと、途端に提灯の灯りが力強く見えてくる。時折、蝋燭の火が揺れるたびについつい私の目がそこへと注がれるが、すぐに調子を戻す灯りで心が安らぐ気持ちだった。これだけが頼りなのである。夜の帳を恐る恐るめくり上げるようにして、私と提灯は雪道を少しずつ踏み固めていった。
夜の道を歩くのは好きである。自分の周りを覆う暗闇の中になにかが潜んでいるのではないかと想わなくもなかったが、それ以上になんだかいけないことをしているようで心が浮き上がるのだ。こんな歳にもなって童心のよう、などと自分では想っていることをオケラに話してみたら、洗いたての着物をどさりと渡されただけだった。いいから干してください、というのである。以前はお小言くらいは投げつけてきたものだが、「いい人」が出来てからこっち、だんだんと私の扱いがぞんざいになってきている気がする。私がさらにこの扱いはなんだと不満を言うと、慣れてしまいましたと返ってきた。果たして慣れてしまうものなのだろうかと、考え始めたらその一日を潰してしまった。干すのを手伝わなかったので、そのことについては散々お小言をもらった。
子供の頃のオケラは私が非道いことをすれば怒ることさえあっても、どちらかと言うと物静かな娘であったはず。それが分不相応にも口が回るようになり、女中の仕事が忙しくなるにつれ、強かというかなんというか、兎に角私へのお小言が多くなってしまった。今やそれすら通り越して主人である私に洗濯物を干すのを手伝えと言う。オケラも成長したものである。
こんなことがあった。まだ皆が十代のとき、私が人里で起きた怪奇案件について調べるために出かけようとしたときのことである。迎えに来ていた小鈴の相手をしているオケラの横を、私が駆け抜けようとして誤って玄関で転んでしまったのだ。小鈴は笑っていたがオケラは驚いて心配していた。すると当時の女中頭が怒り心頭で、屋敷の奥から飛んで来た。その様相に場の空気が一変し、もはや出かけるどころではなくなってしまった。女中頭は、オケラをこっぴどく叱った。お前がお付きなのに阿求様を転ばせたのか、と。それはそれは恐ろしい怒りようで、怒られ慣れている私もそのときばかりは始終黙りこんでしまった。私も、オケラも、そして小鈴すらも口を噤んで、三人とも女中頭の雷が過ぎるのをじっと耐えていたものだった。いや、オケラはそうではなかった。オケラは涙ぐんで謝っていた。
いまにして想えば、私の目の前でオケラを叱ることで私への戒めも兼ねていたのかと気づく。頭の回る、二手三手先を常に考えていたあの女中頭のことであるから、この予想は外れてはいまい。ついでに被った小鈴には心中お察しする。
面白かったのがそのすぐ後のオケラである。結局、小鈴は興を削がれたとして本の巣へと帰宅し、ふたりして俯きながら屋敷の奥へと戻る途中で、私はオケラに耳元で囁かれた。
転ばれるなら転ぶとおっしゃってくれないと困ります。
幼い時分からその考え方を不憫に想っていたものだが、まさかこれほどとは。涙目で、一等真面目な顔でこんなことを言うものだから、私の俯きがさらに落陽の途を辿ったのは想像に難くはないであろう。そして私の開いた口を見て、そんなにお口を開けてらっしゃると虫が入りますよ、と。さすがに笑ってしまった。
そのオケラが、あのオケラが、祝言を上げます、だって。
私の後ろをちょこちょこついて歩いていた娘が、腕の太さを気にして洗い物のときでさえ着物の袖を上げるのを躊躇していた娘が、おばばに丁寧語を教えてもらっていた娘が、糠床の世話をよく忘れていた娘が、私といっしょに悪戯をしては泣いて逃げていた娘が、ふたりっきりのときには女中なんてやりたくないと漏らしていたあの幼子が、私の、妹のような子が。祝言だって。
「くふふふ」
夜の雪原で、私はついに笑い出してしまった。感嘆なんてものじゃない、むしろ心底に呆れて笑えてしまうのだ。歩みを止め、提灯の火が揺れるのも気にせず、背中を揺するように笑った。鼻や口から溢れる愉快さが白く濁ることなど構わぬと、私は大いに楽しくなった。これほど愉快なことなど、三千世界、どこにもあろうはずはないのである。
再び歩き出しても、口元の笑みは水飴のようにとろとろしていて、それを意識する私の楽しき想いをさらに冗長させ、ひきつる頬に甘さを感じた。雪中へ一歩踏み出す度に、様々なオケラとの記憶が眠りから覚める。踏み残した私の足跡から、湯気立つように想い出が想起する。そのひとつひとつが甘く、苦く、楽しく、愉快で、尚更に水飴は優しく蕩けてゆく。一層のことなにもかも解けてしまえばいいのに。
そうして、つい来た道を振り返ってみると、私の足跡だけが雪の上に綺麗に並んでいた。小さい足の跡がひとつふたつと空豆みたいな形で連なっている。それは提灯に照らされている近傍だけではなくて、ずっとずっと、人里はあの庵から長く続いているのだと、たとえ見えずとも心の奥底で捉えられた。想えば遠くに来たものだ。人里も遠い。庵も遠い。稗田の屋敷に至ってはどこにあるのかすら分からない。しかし私の足跡がずっと続いていることだけは確信がついた。生まれてこの方、曖昧な前世すら含めても、これほど牢としてやまない心持ちはなかった。確かなものは、得てして自らの中に在ると心得たり。
ならば、ここからさらに歩みを進めなければならない。目的の牡丹まであと僅かであるし、なにより、寒い。夜道のひとり歩きは好きだが、寒いのはすこぶる嫌いである。歩みは進み、引き返せず、自分では止められないものだ。
しばらくまた、雪を踏む音に耳をすませていると、提灯の灯りの向こうの右手に林の影が見えてきた。提灯を掲げた手を上げてみれば、暗い中に仄かな薄紅が、お晩になりましたとこちらに挨拶を寄越している。想わず私も会釈してしまう。やっとたどり着いた。ここの辺りが人里と博麗神社の中間点である。神社への道標として古い石塚もあって、いまは夜に隠れて分からないが、少しばかり汚れた小さいものが地面から顔を出しているはず。腰掛けるのにちょうどいい小ささなので、皆がここで休み、牡丹に見惚れたり林から流れてくる鳥の囀りに聞き惚れたりして憩いを求めるわけである。石塚はもしかしたら今時分は雪に埋まっているかもしれない。その石塚に見守られているのが牡丹の木で、五、六本が群生するこざっぱりとした林であった。
寒いので、すぐに牡丹の木に手を伸ばした。今さっき私に挨拶をしてくれた一輪は少しだけ虫食いがあったが、この際いいであろう。それと、その周りにいた子らをいくつか選別して、摘む。私が届くような低い枝先であればもうさほど新しくもあるまいとして、枝ごと、適当なところを手折って懐に入れた。私に見初められたのが運の尽き、と嘯きたいところではあるが、懐の中のかさばる感触に想わずほのかな後ろめたさを感じてしまう。牡丹の花だけは顔を出させるようにしてあるので、しばらくはその花弁に咎める色を感じることになるだろう。そんな目で見ないでおくれ。お前が私に挨拶をくれたのがいけなかったのだから。
一応、母木にも頭を下げて礼をし、来た道を戻ろうと私は林とそれを取り巻く暗がりに背を向けた。目に入ったのはここまでやって来た私の小さな足跡だけ、ではない。私ひとり分の足跡と、そこから別れるように延びている足跡がもうひとり分、あった。それは林のすぐ手前から人里へ引き返すように曲がっており、さらに提灯で照らすと足跡は方向を変えてまったく別の道に進んでいた。この向きは人里ではない。何処へ、という想いと、その足跡に気づかなかったのは何故かと、私は目を細めた。雪原を歩いてきた際だとて、見渡す限り白い平面には誰の足跡も無かったのである。無垢な雪に一番乗りの足跡を刻められる喜びは誰もが抱くだろうがそれは私も同様で、歩んでいる最中にも常に心中でわくわくしていたのだ。私の記憶は間違いない、ならば、この足跡はついさっき置かれたということになる。近づいて見れば私とさほど違わない、いやさ、まったく大きさの同じ足跡である。女性か、あるいは子供であろうか。私が言うのもなんだが、こんな夜にひとり歩きはいけない。妖精どもに誑かされては夜道に迷うことになるであろうし、妖怪に出くわしたらより危険である。
追えばまだ間に合うかもしれない。そうして夜道の危うさについて説教してやらねば、などと想いつき、私は誰のとも知れないその足跡をさらに踏み固めるようにして歩みを出した。決して雪原の一歩目を奪われたのが癪だからではない。稗田の者として、人里の人間としてちょっとした責任があるのだ。
一歩踏み出すたびに懐に入れた牡丹が顔をふらつかせる。その薄紅の顔色にどこか私への惻隠の情を感じたが、構うものかと、提灯の明かりを闇夜へ投げつけるように掲げた。
すぐに追いつけるだろうと高をくくっていたのだが、雪に残る足跡を息が上がるまでひとしきり駆けて辿ってみたものの、捉えられるのは夜気の刺々しさだとか夜鳥の鳴き声だとかばかりで、凡そ人影らしきものを見つけられずに、とうとう私は疲れて立ち止まってしまった。湧き上がってくる白い吐息にむせ返る。蒸籠で蒸されるお饅頭の気持ちが分かるかのような白さの向こうに、未だ探し人の姿は無い。
まだまだ先に続いている足跡ではあるが、ついつい周囲に誰か居ないか探してしまう。しかし他に足跡が無いのであるからして、見逃しなんてするはずはない。ここまでずっと辿って来たのである。空を飛べる人間も稀に居る幻想郷だが、しかし自分は宙に浮いて足跡だけを残してゆくような律儀な者が居るはずがないのも幻想郷なのだ。
「もしや、妖精の仕業か」
私を誑かすために妖精がこの足跡を付けたのではないかと、瞬間、訝しんだ。と、そのとき。
「降ってきた」
私が庵に帰り着くまで待ってくれと願っていた雪が、待ちきれずついに降ってきたのだ。顎を上げれば綿埃のような雪がゆっくりと、こちらの気も知らずに暢気に落ちてくる。それがまた、まるで猫の欠伸の如き緩やかさと長閑さで私の上向いた頬に落ちてくるものだから、冷たい、と感じるよりもなんだか眠気すら抱いてしまう。眠気が夜空から降りてくるなんて言えばとても素敵なものであるが、この雪原、この寒さで眠ってしまえば二度起きぬこと請け合いである。眠気に誘われるのも時と場合を考えなければならない。今は、探し人の最中なのであるからして。
息を整え、私はまた足跡を追うために重い歩みを進める。もはや駆ける体力も無いが、この雪が本降りになる前に足跡の主を見つけなければ。
「まったく、しようがない輩も居たものだ」
などと舌で唇を舐めつつ言って、前を、見る。白い息が、私を闇夜に誘い込むかのように一筋、風も無いのに前へ前へ流れてゆく。
まただいぶ歩いたのだが、一向に目の前は提灯が照らす雪原ばかり。半刻、ほどは歩いただろうか。普段からしてこれほど身体を動かすこともなく、いい加減身体の調子も芳しくなくなってきそうで、明日、明後日の締め切りの言い訳を考えなければならなくなりそうで、嫌だ。夜通し歩いていたから締め切りを延ばしてほしいなんて、言って快く延ばしてくれるあろうはずがない。よしんば延ばしてくれたとして、必ずや今度はオケラのお小言が、宙を舞う飛燕のように飛んでくるに違いないのだ。嫌である。
それなのに、この足跡を追っている。心中ではもう帰ろうとさえ想っているのに、どうしてか、私はずっと、どこまでも続く雪原を進んでいる。疲れで頭が回っていないせいか、はたまたまさか、なけなしの責任感とやらが私を突き動かしているとでもいうのか。否、どちらでもないような気がする。それは断言出来る。
息を細く吐きながらじっと足跡を見つめていると、ふと気づいた。そうだ、足跡を継いで踏んでいるうちに、この見えない列から抜け出せなくなっているのだ。足跡を追っているのではなく、足跡に手を引かれて無性に歩かされている。いつの間にやら立ち止まることも反れることも許されず、なにか分からない、不可思議な力によって、ただ足を踏み出すことだけを無理強いされているのだ。なんと面妖なことであろう。言葉も発せず、呼吸を刻んでゆくことしか出来ず、右手は提灯を掲げて、左手は袖に仕舞ったまま、まるで子供が引き回す玩具のように、ずるずると私は雪が降るなかをあてどなく歩いている。これでは幽霊の類とそう変わりがないではないか。
この怪しさに今更気づいても遅い。自らの意思で抜け出せないのだ。眠りの中で自由に夢から覚められないのと同じである。故に勝手に足が次の足跡を踏んでいってしまう。足のことなのに、これではお手上げである。手も足も出ない。うむ。
いよいよ妖精か、妖怪の仕業かと暢気すぎる憂慮が私の心に起き上がってきたときである。緩やかな降りの雪の向こう、提灯の明かりが届くか届かないかの辺りに、ついに人影が、見えた。夜中にひとりで散歩する軽薄な足跡の主が、やっと姿を現したのだ。こうなってくると俄然元気が出てくるもので、どうにかして彼の者に説教をしてやらなければ私の気が収まらない。歩かされているのであれば望むところ、むしろ追いつき追い抜き、そして華麗に翻って彼奴にそこへ直れと説き伏せしめねばならぬと、非常なる使命感がふつふつと湧き上がってくるのだ。
そこで待ってろいますぐ追いつくぞ、と、言葉に出来ぬので心中で固く誓う。降る雪に負けぬ滾る気持ちで足を踏み出し、白い息もさらに勢い良く吐き出す始末。しかし、薄々気づいていたというか、案の定というか、前の人影もしっかりと歩んでいるわけなので私との差がなかなか縮まらない。いままでじわりじわり、長い糸を巻き取るように少しずつ少しずつ差を詰めてきたはずなのに、なんだかまだまだ、全部巻き終わるのに時間がかかりそうである。否、この期に及んでまったく差が縮まらない。つかず離れず、こちらとあちらの歩みが同じようで人影の背中の大きさが先ほどから変わらない。見え出した当初と同じ、提灯の明かりがやっと届くくらいの距離で、未だに人影は黙々と歩みを続けている。
それはまるで針仕事に慣れない娘が、こわごわ針を進めているような早さであった。誰も歩いていないまっさらな雪原という布地に、自らが針となって足跡の糸を縫い付けていく。その糸をなぞるようにしているのが私で、どうしてもこれ以上早く歩めないのでやはり距離が縮まらない。堂々巡り。もうどうにかなりそうである。
もはや諦めよう。緩やかに降る雪の中で息絶えるのも風流だと想うしかない。だがせめて、前をゆくあやつの顔だけでも拝みたい、でなければ死に切れないというもの。こんなことになったのは自業自得の極みと言われればそれまでだが、誘いに乗ってやったという自負が少なからず私の中にあるから、そういった自尊心の類を心ばかりでも掬って冥土の土産に頂戴したいのである。すでに覚束ない足取りで大いに白い息を吐きながら、私は前のあやつを見遣った。
夜の暗さの底へ沈殿したかのような白い雪原に浮かぶ背中は小さく、足跡からの予想どおり、どうやら女性のようだ。こちらが心配になるほどふらふらと左右に肩を揺らめかせ、非道く疲労困憊の様子は私と同じである。着物は軽く着流し、袴姿で、とてもこの寒さに耐えられない格好で、色合いも普段私が好むものとそっくりである。背丈は、私と、同じ、くらい。髪は、肩の下ほどの長さで、これもちょうど私と同じ。
はて。あれは私ではあるまいか。
ずっと以前に偶然後ろ姿を写真にとられたことがある。私の背中はこんなふうなのかと、その時分は物珍しさばかりがあって、想わず自嘲の笑みさえこぼれたものだ。それなのに、こうして直に見遣ってしまえばあまり気持ちの良いものではないと想える。私はここに居るのに、あちらにも私が居る、いらっしゃる。恐ろしさよりも呆気にとられる。どういうことだ。
夢などではない。頬で溶ける雪に無愛想な冷たさを感じるし、この気怠い疲労にだとてこれまで歩いてきた道のりのぞんざいさが染み込んでいる。
幻などではない。前に居る背中は妙な意思を持って歩いているように想えるし、肩に降りかかっている雪は幻惑に類する軽さよりもずっと、ちゃんと空から落ちてきている重さや氷の頑なさがある。きっとあの私もとても寒いのだろう。時折見せる背中の震えはまるでおこりの病人のそれである。少しくらい、私の首巻きでも貸してやりたいほどだ。
やはりあれは私である。それもこちらの私ではない私。誰でもない私自身だが、この私とは違う、何処かから来た私。何処から来たのであろう。何処へゆくのであろう。
遠くの明かりさえ失せ、もはや暗闇の黒と雪原の白のみを提灯の火が炙り出している風景。凪の空気が耳朶の感覚をその冷たさで研ぎ澄ませてくれる。それなのに私の呼吸も鼓動も聞こえなくなって、代わりに前の私とこちらの私の歩む音だけが、凪の弦を弾いていた。あちらが一歩踏めばこちらも一歩踏む。二歩でよろめけばこちらもよろめく。ふたつずつのその音が重なり合ってほとんどひとつになりかけていた。足跡は、だんだんと歩幅が狭くなっている気がした。
この足跡を見つけた時から奇妙だと想っていたのだ。あの牡丹が生えていた場所まで刻んできた私の足跡から、まるで離縁するかのように別れていた足跡。それまでずっと私だけが歩いてきていたはずの雪原に突如現れた他の足跡。いま想えば、私はつけられていたのかもしれない。否、まったくの等しい存在だったのだ、こちらの私とあちらの私は。それが牡丹の木の場所からどういうわけか別れてしまった。私の、私の中の影のようなものが勝手にひとり歩きをはじめてしまったのが、あれなのだ。私の一部のくせに、妙に一所懸命なものだ。
それにしたって、前の私は何処へ行こうというのだろうか。主人である私を見限って、何処かへ行きたいのだろうか。何処か遠く、ここではない遠くへ。
ちょっとした不安が心を過ぎって、私が大きく白い息を吐くと、前の私が右へ顔を向けた。それはやはり、紛れも無く私の横顔である。前の私はそうして右を向いていると想ったら次に左を、また次に右を、と、なんだか落ち着かない様子。急に心ここにあらずといった風情で周りを、自分を取り囲んでいる暗闇を見澄ましているようだった。さては主人である私から離れてしまって動揺でもしているのか、などと想うが、くるくる見せてくる左右の横顔はそういった気持ちとは違う、強かな精悍さがある。まるで夜空の星を見定める船乗りのように、闇の匂いを嗅ぎ分け、夜気の冷たい鋭さを頼りに進路を確かめているようだった。いよいよ目的地が近いのかもしれない。この雪中行脚も終わりに近づいているのかもしれない。しかし、相変わらず暗闇は暗闇のままでそれらしきものは見当たらなかった。遠くの灯りすらない。ずっとずっと夜の存在だけがどこまでも張り詰めている。私には、とてもなにかがあるとは想えなかった。
前をゆく私はそれでもまだ頭を左右に振ってなにかを探していた。やはり時折に身体をよろめかせながら、歩みを止めず、ひたすらに雪原に足跡を刻んでいる。必ずある、何処かにある。そう呟いているような横顔を見せる。きっと前の私はなにか確信があって歩いているのであろう。想いつめるような気持ちがあるのかもしれない。それを支えに鉛のように重くなっているはずの身体に鞭打って、この静かな雪原を歩いているのかもしれない。今はまだ見つからないだけだと、想っているのかもしれない。なにかを、何処かを探すために、この私から離れていったのかもしれない。さりとて。
私は、つい提灯を持つ右手を震わせた。闇夜を炙る灯りも一緒になって揺れた。
果たして、前の私は、はたと立ち止まってしまう。まるで最初からその場に立っていたかのように、小さな背中をこちらに向けている。まさか、と想った。刻んできた足跡が点々と私の足元まで繋がっていた。
だのに、私の歩みが止まることはなかった。どんどんとあの背中に近づいていってしまう。なんだか情けないのだが、途端に、捕まえるのが惜しいと、そう想えた。
それまで不思議と理解出来ていた彼奴の気持ちも分からなくなってしまっていた。足だけが前へ前へ進もうとして、私の心と身体を無理くり引きずってゆく。いつの間にやら、雪がやんでいた。あと十歩。あと五歩。あと三歩、あと一歩。
提灯の舳先が前の私の着物に触れた、その直後。
「阿求様」
呼ばれて、私はぎくりと身体をよじる。身体の強張りはそのまま瞼へと伝わって私の目が見開かれた。あれ。
「なにをしてらっしゃるのです、お風邪を召しますよ」
どうしたことか、私が居たのは、人里の、私の棘の庵のすぐ前だった。今まで里の外で歩いていたはずなのに、一体全体、いつここまで辿り着いたのか。周りは見慣れた隣家や生け垣、それらが雪帽子をかぶって真夜中の時をじっと我慢しているかのように佇んでいる。ここは、私の知っている場所だ。
提灯を片手におろおろしていると、後ろから右腕を捕まれ、軽く引き寄せられた。誰だ誰だ。
「お風邪を召しますと言っているのです」
振り返るとオケラである。ぶくぶくと着膨れした姿で、どうやら怒っている模様。今夜はもう来なくていいと私が言ったのに、お節介にもわざわざ訪ねてきたらしい。突然の周囲の変化とオケラに怒られそうなのとで、冷えきった頭が湯たんぽのように熱くなってくる。その中で考えるのは疑問と不安が混ざった練り団子のようなことである。怒られるのは嫌だ。なんで私はここに居る。怒られるのかな。
だって歩いていたのに、と、すぐに適当な言い訳が私の口から這い出てくる。
「雪の中を歩いてたんだ。そうしたら前に別の私が歩いていて、そうだ、あやつ何処へ行った。ここに私が居なかったか。取り押さえてふん縛らねばならん」
必死に口を回すと、目の前の顔は雷様への変貌を催した。私が言った、雪の中を歩いていた、のところを聞いて怒っているのであろう。これがオケラの悪いところで、誰かの発言から自分の気に入らないところだけ抜き出して、さらにそれを大仰に捉えて相手に放り投げてくる。大抵の場合は私がその被害に遭う。やっぱり怒られるのである。
「これだから目を離せないのですよ、おからは。ほら、お早く中に入って。なにをしてらっしゃるのですか」
オケラは今度はまるで牛を引っ張るかのような粗雑さで私の右腕を扱う。こちらも牛歩の足取りで応じたいところであるが、寒いのには同意するので、従った。しかしこれでは本当に牛のようで、そう想っていると途端に眠気も襲ってくる。私も食べては寝てを繰り返す生活を謳歌したいものである。
あんまり私がぐずついて歩くから、オケラに提灯を奪い取られた。灯りは先ほどよりもずっと弱くなっている。きっともうそろそろ蝋燭が溶け消えそうなのであろう。揺れる灯りがさらに私の眠気を誘う。
庵の中はすっかり冷えきっていて、静かな暗がりが私とオケラを迎えてくれた。外と同じかそれ以上の暗さなのに不思議と安心出来る。長靴を脱いで上がると、私自らが着付けした外套や着物をオケラは慣れた手つきで、大根の皮を剥くかのようにあっという間に着替えさせてくれた。
そのときに、ぼとり、白身になった私という大根から落ちたのが、牡丹の花である。
薄紅色の花弁に気づいたオケラが間の抜けた声で、言う。
「あらきれい」
「そうだ、そうだった」
拾い上げる牡丹は四輪。私に挨拶してくれた、虫食いの子が、いない。
「おから、祝言、おめでとう」
牡丹の向こうのその顔は、花弁よりずっと紅に染まっていた。
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これぞ小説、って感じの独特の擬音表現が素敵です。
過去シリーズを拝見したことがありませんでしたが、それでも楽しく読めました。
これはもっと評価されてしかるべきだと思う。