ある昼下がり、博麗霊夢は唐突にダイコンを食べたいと思った。
その日は秋も半ば、名月の頃近づく一日であったが、何をどう思い間違えたのか、お天道様が急に張り切り始めたので朝からずっと蒸し暑く、背に汗もにじむような日和だった。
まだ歳越も先だから、取り立ててするべき事もなく、かといって何か始めるには暑すぎる。昨日までの涼しさに身体がようやっとなじんできた頃合い、見計らったようなこの暑さ、霊夢はぬれ縁に身体を投げ出して、うなりながら空を見上げていた。
風のある昼、影の辺りに寝そべっているとひどく心地よい。かといって湿度が変わってくれるわけではないから、心持ち楽になると言ったくらい、まだまだ息苦しい。たまに、ちびりちびりと冷たい水を口に運びながら、通りすぎてゆく雲をじっと眺めつつ、時の潰れるに任せていたのだった。
その内に、のんびり掛けてゆく雲ひとつひとつに名前をつけてみるというどうしようもない遊びを思いついて、適用な雲を指差しながらあれこれ命名に頭を悩ませ始めた。
ひょろりとして細長いもの:ごぼうぐも
ころっとして丸いもの:ばれいしょぐも
出っ張りのある不格好なもの:こんぺいとうぐも
こんな具合である。
その内、気まぐれな風が「ばれいしょぐも」を引き伸ばしてしまった。改めて「かんしょぐも」と名前をつけて満足する。
ちらりと右の方に目を転じた時、霊夢は奇妙な雲を見つけた。
それは、「ごぼうぐも」よりはだいぶ太いが、「かんしょぐも」のようなすらっとした美がない。「こんぺいとうぐも」のような出っ張りもなく、どちらかと言えば丸っこいのだが、長さ太さが気に食わない。もう少し頭が割れていれば、「たまねぎ」や「はくさい」とでも呼んでやれたものを、あるいは形がねじれていれば「ながいも」あたりになぞらえてやれるのだが、どうもちょうどよい物を思いつかないのだった。
じっとねめつけているうち、汗の玉が額から滑り落ち、つるりと頬を伝ってこめかみに消えた。霊夢は、およそ気付く素振りを見せなかった。こんな遊びでも気が入ると集中していいのかもしれない。じっと雲の動きを見すえている、その瞳の鋭さは言葉のたとえに堪えない。その頭脳の中では今図鑑がパタパタと忙しなくページをめくっているところなのである。
どのくらいか、ずいぶん時間が経って、例の不定形な雲が屋根の影に隠れてしまった頃、霊夢は急に体を起こした。不機嫌な顔で中へ引っ込むと、顔を洗って戻ってきて、そのままトンと地をけった。
えんえんと考えている間に、太陽はてっぺんに上り詰めてしまった。そんな時間に、食べ物のことばかり考えていたものだから、すっかりお腹が減ってしまったのだ。
霊夢の頭のなかには、ずっとあの雲が浮かんでいた。白いそれはぐるぐると渦を巻いた末に、ひょろひょろとヒゲを生やした。寸詰まりで不格好な白いものから、何本もヒゲが生えている。
長考がひねり出した命名は、「だいこんぐも」だった。一決したところへ、空腹が文句をねじ込んできた。空腹氏はダイコンが食べたいとのたまう。脳みそ氏は本能に負けてダイコンに賛成した。こうして霊夢はダイコンを探しに空へ舞い上がったのである。
字義通りに里へすっ飛んでいって、首尾よく2本のダイコンを調達してきた霊夢は、台所に駆け戻り、さっそく並べてこれを洗った。井戸水が冷たくて気持ち良い。1本はゴシゴシ洗ってから水気を切って、取り合えず端っこに放り出してしまう。昼飯なんだから1本あれば十分なはずだ。それに、空腹氏が腹の底でうなり声を上げているものだから、あれこれと調理する気も起こらない。
包丁を構え、洗った1本を4等分に分け、皮をむきながら、どうやってやっつけたものか考える。今日はよく働く脳みそ氏である。せっせと皮を向き時間を稼いでいる内、ぽんっと浮かんで出たのがおろし器である。霊夢は少し背伸びして、棚からおろし金を引きずり出すと、はげたダイコン片をあてがって丁寧にすりおろしていった。
白く濁った水たまりにふやけたようなおろしが次々と吐き出される。適度に水を切ってはお皿に移すこと四半刻、片手に乗るくらいの器からあふれ出るほどの大根おろしが完成した。
また霊夢は、茶わんを取り出すと朝のご飯の残りをよそう。それとかつお節に梅干し、しょう油を用意していそいそと食膳につく。
空腹氏が銅鐘の横っ面をひっぱたいたような野太い声で雄叫びを上げる。霊夢はさっと辺りを見回した。幸い、今はひとりきりだった。
「いただきます」と手を合わせ、用意したものをご飯の上に手早く乗せて、早速口に放り込む。これがいけない。ダイコンが辛い。梅が辛い。しょう油も辛い。そこへご飯の甘みにかつおの旨み、舌の上で五味が綱引きするからつばが出る。
ツンと鼻に吹き抜けるダイコンおろしをこらえつつ、せっせと口を動かしてかみ砕くことしばらくの後、もう完全に入り混じって何が何やらわからなくなったうまいものの混合を一息に飲み下せば、空腹氏が幸せに浸って次を催促する。霊夢はその勧めに任せて二口三口と箸をばかり動かした。
御膳を半分ばかりかきこんだころ、霊夢はつっと立ち上がって台所に戻り、ぬるいお茶をくんで口に含む。あの綱引きの余韻が穏やかな渋みに包み込まれて言葉にならないほど幸せである。
ちゃぶ台にもどって残りのご飯を終え、また茶を含むのは言うまでもない。
こうして昼ごはんが終わり、食器を水につけてからぐりりとひとつ台所を見回せば、まだ手を付けていないダイコン1本に切り分けられたダイコン4分の3片、緑の葉が残っている。
さてこれをどうしたものか、切ったものは早めに使うしか無い。煮物なら多少はもつからよいだろう。ダイコン葉もいためておけば数日のおかずにはふさわしい。
問題は手付かずのダイコン2号君である。こちらをどうしたものかと脳みそ氏に蹴りを入れてみるが、今度は満腹氏と同盟を組んで聞かず言わずの有り様である。
霊夢は眠たい眼をこすりつつ、ゴソゴソと物置を探して縄を一本取り出した。それで2号君をグルグルに縛り上げて、ぬれ縁に取って返す。軒先を見聞した後、南側の一角にぶら下げて満足すると、影のあるところに戻って柱に背を預け、腕を組んでうたた寝に興じ始めた。
なるほど仲秋のみぎりである。まだしばらくは日差しも強いだろうし、干すには持って来いだろう。たくあんなら急いで食べなくとも悪くなりはしない。明日も明後日もダイコン暮しとしゃれこむのも悪くはないが、こうして長期の計を練るのも良いものであろう。
衣食足りて礼節を知るという。お腹がいっぱい、後顧の憂いもなし、昼下がりの小春日和と三つそろえばどんな霊夢も丸くなるもの。両手をお腹の上に組み、両目を優しくつむって寝息を立てる秋の昼、ぬれ縁に憩うのは極上の幸せといえるだろう。
霊夢がひとしきり夢の世界に遊び疲れて目を覚ましたのは夕暮れ方であった。もう太陽は傾いて山の向うに消えつつある。ダイコン2号君は縛られたまま窮屈そうに身を揺すっていた。
あくびひとつを縁側に残して、霊夢は顔を洗い台所に戻った。さてダイコンとその葉っぱが待っている。もう少し働いて胃袋にも余地を作ってやらないといけない。
まずダイコン3片の皮をむき、厚さ半寸ばかりの半月に切り分けて鍋に移す。ひたひたくらいに水を入れ、火をおこしてしばらく待つ。
その間に米を洗って炊く用意にとりかかる。
もうもうと湯気が立ち始めるころに、竹串を取り出してダイコンの様子を見ればさくっと通って柔らかい。しめしめとほくそ笑みながら、だし汁とみりんを入れて味を見る。砂糖を少し足すと甘くなって調度良い。火加減を調整しながらしょう油を混ぜ、黄金色の液に浸ったダイコンをにこにこ眺めつつ、次はダイコン葉にてをつける。
細かく切った葉を鍋に入れていため、しょう油と酒で軽く味をととのえるだけなのだが、これが炊きたての御飯と合わさると究極の兵器となるのである。香り高いごま油に葉特有のほのかな苦みが加わり、ご飯の甘みをいやが上にも引き立てる。しかも調理中の台所は胃に毒である。ふつふつ炊きあがるご飯の湯気に、ごま油のパチパチ弾ける音や匂い、出汁の匂いにしょう油の匂い、どれひとつとっても空腹を刺激せずにはおかないのだから全部合わされば致死的のガスである。満腹氏はすっかりやられてしまって見る影もなく、今霊夢の体内は空腹氏の独り舞台である。手を動かしながらギラギラと鍋の中釜の中を見詰めている。
窓の外はつるべ落としの言葉通り、はやとっぷりと暮れて宵の口。夕飯にはうってつけの頃合いとなった。
さて用意が整って、霊夢は豪華な食卓に着いた。
元気よく
「いただきます」の挨拶をするや、箸を取り上げて早速ダイコンの煮物にとりかかる。あめ色の鮮やかなそれを割ると、まだ中はほんのり白い。炊きたてのご飯にのせると熱すぎていけない。舌先をやけどしそうになる。ふうふうと息を吹きかけて冷ます時間が惜しいほどであった。焦らしに焦らされ、きゅうきゅうと情けない悲鳴を上げるお腹に(待て)を申し渡し、まずダイコンを口に含む。
ほんのりと漂うしょう油の香り。その辛みの間からいじらしく顔をのぞかせる甘み。これである。炊きたてのふっくりした米粒を口に入れると旨みがぐわっと口内を一巡する。これこそ暴力でなくてなんだろう。五味の暴力を全身に行き渡らせるように、霊夢は時間をかけしっかりとかみ砕してから飲み込んだ。
夕飯。一日の幸せはこれに尽きる。
一通りダイコン御膳を平らげてしまうと、また満腹氏がのたりのたりまぶたの上に横たわる。まして時間は夜である。油も惜しければ昼の疲れもある。霊夢は食器を片付けて今日という一日を終わらせることにした。
歯を磨いて寝間着に着替え、布団を敷いてからふと首を回すと、軒先にぶらんと揺れるダイコンの影が遠く感じられる。
その向こうにのっぺりとした山々が連なり、満天の星をさえぎって眠っている。気の早い若い月がよちよちと夜空を歩き始めるのを眺めながら、霊夢は(おやすみなさい)と静かな応援を送りつつ、安らかな眠りにつくのであった。
その日は秋も半ば、名月の頃近づく一日であったが、何をどう思い間違えたのか、お天道様が急に張り切り始めたので朝からずっと蒸し暑く、背に汗もにじむような日和だった。
まだ歳越も先だから、取り立ててするべき事もなく、かといって何か始めるには暑すぎる。昨日までの涼しさに身体がようやっとなじんできた頃合い、見計らったようなこの暑さ、霊夢はぬれ縁に身体を投げ出して、うなりながら空を見上げていた。
風のある昼、影の辺りに寝そべっているとひどく心地よい。かといって湿度が変わってくれるわけではないから、心持ち楽になると言ったくらい、まだまだ息苦しい。たまに、ちびりちびりと冷たい水を口に運びながら、通りすぎてゆく雲をじっと眺めつつ、時の潰れるに任せていたのだった。
その内に、のんびり掛けてゆく雲ひとつひとつに名前をつけてみるというどうしようもない遊びを思いついて、適用な雲を指差しながらあれこれ命名に頭を悩ませ始めた。
ひょろりとして細長いもの:ごぼうぐも
ころっとして丸いもの:ばれいしょぐも
出っ張りのある不格好なもの:こんぺいとうぐも
こんな具合である。
その内、気まぐれな風が「ばれいしょぐも」を引き伸ばしてしまった。改めて「かんしょぐも」と名前をつけて満足する。
ちらりと右の方に目を転じた時、霊夢は奇妙な雲を見つけた。
それは、「ごぼうぐも」よりはだいぶ太いが、「かんしょぐも」のようなすらっとした美がない。「こんぺいとうぐも」のような出っ張りもなく、どちらかと言えば丸っこいのだが、長さ太さが気に食わない。もう少し頭が割れていれば、「たまねぎ」や「はくさい」とでも呼んでやれたものを、あるいは形がねじれていれば「ながいも」あたりになぞらえてやれるのだが、どうもちょうどよい物を思いつかないのだった。
じっとねめつけているうち、汗の玉が額から滑り落ち、つるりと頬を伝ってこめかみに消えた。霊夢は、およそ気付く素振りを見せなかった。こんな遊びでも気が入ると集中していいのかもしれない。じっと雲の動きを見すえている、その瞳の鋭さは言葉のたとえに堪えない。その頭脳の中では今図鑑がパタパタと忙しなくページをめくっているところなのである。
どのくらいか、ずいぶん時間が経って、例の不定形な雲が屋根の影に隠れてしまった頃、霊夢は急に体を起こした。不機嫌な顔で中へ引っ込むと、顔を洗って戻ってきて、そのままトンと地をけった。
えんえんと考えている間に、太陽はてっぺんに上り詰めてしまった。そんな時間に、食べ物のことばかり考えていたものだから、すっかりお腹が減ってしまったのだ。
霊夢の頭のなかには、ずっとあの雲が浮かんでいた。白いそれはぐるぐると渦を巻いた末に、ひょろひょろとヒゲを生やした。寸詰まりで不格好な白いものから、何本もヒゲが生えている。
長考がひねり出した命名は、「だいこんぐも」だった。一決したところへ、空腹が文句をねじ込んできた。空腹氏はダイコンが食べたいとのたまう。脳みそ氏は本能に負けてダイコンに賛成した。こうして霊夢はダイコンを探しに空へ舞い上がったのである。
字義通りに里へすっ飛んでいって、首尾よく2本のダイコンを調達してきた霊夢は、台所に駆け戻り、さっそく並べてこれを洗った。井戸水が冷たくて気持ち良い。1本はゴシゴシ洗ってから水気を切って、取り合えず端っこに放り出してしまう。昼飯なんだから1本あれば十分なはずだ。それに、空腹氏が腹の底でうなり声を上げているものだから、あれこれと調理する気も起こらない。
包丁を構え、洗った1本を4等分に分け、皮をむきながら、どうやってやっつけたものか考える。今日はよく働く脳みそ氏である。せっせと皮を向き時間を稼いでいる内、ぽんっと浮かんで出たのがおろし器である。霊夢は少し背伸びして、棚からおろし金を引きずり出すと、はげたダイコン片をあてがって丁寧にすりおろしていった。
白く濁った水たまりにふやけたようなおろしが次々と吐き出される。適度に水を切ってはお皿に移すこと四半刻、片手に乗るくらいの器からあふれ出るほどの大根おろしが完成した。
また霊夢は、茶わんを取り出すと朝のご飯の残りをよそう。それとかつお節に梅干し、しょう油を用意していそいそと食膳につく。
空腹氏が銅鐘の横っ面をひっぱたいたような野太い声で雄叫びを上げる。霊夢はさっと辺りを見回した。幸い、今はひとりきりだった。
「いただきます」と手を合わせ、用意したものをご飯の上に手早く乗せて、早速口に放り込む。これがいけない。ダイコンが辛い。梅が辛い。しょう油も辛い。そこへご飯の甘みにかつおの旨み、舌の上で五味が綱引きするからつばが出る。
ツンと鼻に吹き抜けるダイコンおろしをこらえつつ、せっせと口を動かしてかみ砕くことしばらくの後、もう完全に入り混じって何が何やらわからなくなったうまいものの混合を一息に飲み下せば、空腹氏が幸せに浸って次を催促する。霊夢はその勧めに任せて二口三口と箸をばかり動かした。
御膳を半分ばかりかきこんだころ、霊夢はつっと立ち上がって台所に戻り、ぬるいお茶をくんで口に含む。あの綱引きの余韻が穏やかな渋みに包み込まれて言葉にならないほど幸せである。
ちゃぶ台にもどって残りのご飯を終え、また茶を含むのは言うまでもない。
こうして昼ごはんが終わり、食器を水につけてからぐりりとひとつ台所を見回せば、まだ手を付けていないダイコン1本に切り分けられたダイコン4分の3片、緑の葉が残っている。
さてこれをどうしたものか、切ったものは早めに使うしか無い。煮物なら多少はもつからよいだろう。ダイコン葉もいためておけば数日のおかずにはふさわしい。
問題は手付かずのダイコン2号君である。こちらをどうしたものかと脳みそ氏に蹴りを入れてみるが、今度は満腹氏と同盟を組んで聞かず言わずの有り様である。
霊夢は眠たい眼をこすりつつ、ゴソゴソと物置を探して縄を一本取り出した。それで2号君をグルグルに縛り上げて、ぬれ縁に取って返す。軒先を見聞した後、南側の一角にぶら下げて満足すると、影のあるところに戻って柱に背を預け、腕を組んでうたた寝に興じ始めた。
なるほど仲秋のみぎりである。まだしばらくは日差しも強いだろうし、干すには持って来いだろう。たくあんなら急いで食べなくとも悪くなりはしない。明日も明後日もダイコン暮しとしゃれこむのも悪くはないが、こうして長期の計を練るのも良いものであろう。
衣食足りて礼節を知るという。お腹がいっぱい、後顧の憂いもなし、昼下がりの小春日和と三つそろえばどんな霊夢も丸くなるもの。両手をお腹の上に組み、両目を優しくつむって寝息を立てる秋の昼、ぬれ縁に憩うのは極上の幸せといえるだろう。
霊夢がひとしきり夢の世界に遊び疲れて目を覚ましたのは夕暮れ方であった。もう太陽は傾いて山の向うに消えつつある。ダイコン2号君は縛られたまま窮屈そうに身を揺すっていた。
あくびひとつを縁側に残して、霊夢は顔を洗い台所に戻った。さてダイコンとその葉っぱが待っている。もう少し働いて胃袋にも余地を作ってやらないといけない。
まずダイコン3片の皮をむき、厚さ半寸ばかりの半月に切り分けて鍋に移す。ひたひたくらいに水を入れ、火をおこしてしばらく待つ。
その間に米を洗って炊く用意にとりかかる。
もうもうと湯気が立ち始めるころに、竹串を取り出してダイコンの様子を見ればさくっと通って柔らかい。しめしめとほくそ笑みながら、だし汁とみりんを入れて味を見る。砂糖を少し足すと甘くなって調度良い。火加減を調整しながらしょう油を混ぜ、黄金色の液に浸ったダイコンをにこにこ眺めつつ、次はダイコン葉にてをつける。
細かく切った葉を鍋に入れていため、しょう油と酒で軽く味をととのえるだけなのだが、これが炊きたての御飯と合わさると究極の兵器となるのである。香り高いごま油に葉特有のほのかな苦みが加わり、ご飯の甘みをいやが上にも引き立てる。しかも調理中の台所は胃に毒である。ふつふつ炊きあがるご飯の湯気に、ごま油のパチパチ弾ける音や匂い、出汁の匂いにしょう油の匂い、どれひとつとっても空腹を刺激せずにはおかないのだから全部合わされば致死的のガスである。満腹氏はすっかりやられてしまって見る影もなく、今霊夢の体内は空腹氏の独り舞台である。手を動かしながらギラギラと鍋の中釜の中を見詰めている。
窓の外はつるべ落としの言葉通り、はやとっぷりと暮れて宵の口。夕飯にはうってつけの頃合いとなった。
さて用意が整って、霊夢は豪華な食卓に着いた。
元気よく
「いただきます」の挨拶をするや、箸を取り上げて早速ダイコンの煮物にとりかかる。あめ色の鮮やかなそれを割ると、まだ中はほんのり白い。炊きたてのご飯にのせると熱すぎていけない。舌先をやけどしそうになる。ふうふうと息を吹きかけて冷ます時間が惜しいほどであった。焦らしに焦らされ、きゅうきゅうと情けない悲鳴を上げるお腹に(待て)を申し渡し、まずダイコンを口に含む。
ほんのりと漂うしょう油の香り。その辛みの間からいじらしく顔をのぞかせる甘み。これである。炊きたてのふっくりした米粒を口に入れると旨みがぐわっと口内を一巡する。これこそ暴力でなくてなんだろう。五味の暴力を全身に行き渡らせるように、霊夢は時間をかけしっかりとかみ砕してから飲み込んだ。
夕飯。一日の幸せはこれに尽きる。
一通りダイコン御膳を平らげてしまうと、また満腹氏がのたりのたりまぶたの上に横たわる。まして時間は夜である。油も惜しければ昼の疲れもある。霊夢は食器を片付けて今日という一日を終わらせることにした。
歯を磨いて寝間着に着替え、布団を敷いてからふと首を回すと、軒先にぶらんと揺れるダイコンの影が遠く感じられる。
その向こうにのっぺりとした山々が連なり、満天の星をさえぎって眠っている。気の早い若い月がよちよちと夜空を歩き始めるのを眺めながら、霊夢は(おやすみなさい)と静かな応援を送りつつ、安らかな眠りにつくのであった。
私も大根食べたくなりました