「にしてもアリス、お前っていつからこっちに来たっけな?」
魔法の森に住居を構えるとある魔法使いが口を開く。
声を掛けられた当の本人は楽しんでいた紅茶の香りもすっかり忘れ、ただただ目を丸くしていた。
「・・・何?ボケたの魔理沙?あんたの家に来たのは1時間ぐらい前の事でしょう。」
「へ?ああいや、そうじゃないって。」
魔理沙が腕を後ろに組み、心底楽しそうに笑う。が、別に今のやり取りが特別おかしいという訳では無い。自分の家に誰かが来る時、彼女はいつもそんな顔になる。
「私が聞きたいのは『幻想郷に来てどれくらい経ったか』って事だ。気付いたらこっちで賑やかにやってるイメージだったからさ。」
あぁ、と納得したアリスは紅茶を楽しむ作業へと興味の向きを変えた。この間家に来た時よりいくらか美味しくなっている。恐らく咲夜にでも茶の淹れ方を習ったのだろう。
「さあね、私も覚えてないわよ。気付いたら此処に居た。」
「本当に?」
「本当に。」
「嘘吐いてるだろ?」
「くどいわよ。」
彼女の好奇心に呆れアリスは溜め息を零すが、それとは対照的に魔理沙は楽しそうに笑っている―この二人の会話、というよりも関係そのものをよく表す状況だった。
「でも実際どうしてこっち来たんだ?なんか複雑な理由とかあったり?」
「・・・別に、全然。」
アリスは、嘘を吐いた。
「アリスちゃん、荷物は全部確認した?ハンカチとティッシュとそれとそれと・・・」
「大丈夫、きちんと持ったわ。」
忙しいだろうにわざわざ屋敷から出て幻想郷への“門”の前まで母さんは迎えに来てくれた。
母さんの聞いてきた道具類は全て私の持っている旅行カバンの中に入っている。昨日の内に3回ほど確認したから恐らく間違いも無いだろう。
母さんが心配してくれているのはよく分かる、分かるのだが。
・・・やっぱり少し過剰気味だな、小さい頃から変わっていない。
「辛くなったらいつでも戻ってきてね?それとクリスマスの時も戻ってきてね?お正月の時もお誕生日の時も。」
「そんな頻繁に戻ってきたら意味が無いでしょ・・・」
荷物が一杯に詰め込まれたカバンを持ち、幻想郷の入口へと視線を向ける。禍々しい見た目の入り口から見える世界はまだ不鮮明で、本当にこの先にある物を見たいのならばやはり“門”を越えるしかないのだろう。
この先に広がるのが―
そう頭に浮かんだ刹那、目の前に柔らかく優しい何かが抱き着いてきて私の思考の邪魔をしてきた。その何かは私の頭をゆっくりと撫でまわしている。それが何かは薄々分かるが。
「アリスちゃん・・・また必ず戻ってきてね。」
母さんってこんなに強く力を出せるんだ。そう考えてしまうくらいしっかりと目の前の神様は抱き締めていた。
「・・・うん。」
「ふふっ・・・流石自慢の娘ね。聞きたかった台詞をキチンと返してくれる。」
そうしてまた神様は私の目を見つめながら頭を撫で始める。いつもと同じはずなのに何処か私の心の上を撫でられているような気がした。
「神綺様・・・名残惜しいですが、そろそろお時間です。」
「そっか・・・うん、分かった。夢子ちゃんに迷惑かける訳にはいかないわよね。」
最後まで私の髪に指を絡ませながらゆっくりと母さんが離れていく―それが酷く堪えた。
でも多分、一番堪えたのは母さんだろう。顔を見ればそれぐらいよく分かる。
「・・・アリス、その服似合ってるわね。」
夢子さんも寂しそうな顔で私の横に立った。
・・・あの夢子さんが、だ。
「夢子さんまでやめてよ・・・本当にお別れ会みたいじゃない。」
「そうね、ごめんなさい・・・では神綺様、あとはお任せください。と言っても地上まで送るだけですが。」
神様はコクリと頷いただけだった。泣いて別れを惜しむわけでもなく、ただ頷いた。
私だけ泣いてるみたいでなんだかいけ好かない。
「やっぱり強いんだ、お母さん。」
「アリス・・・?」
「ごめん夢子さん、変な事言って。私は大丈夫。」
「・・・そう。」
夢子さんに背中を押されるままに“門”の奥へと歩みを進めていく。空気が少し張り詰められていくのがよく分かったが、どうにも視界だけが異常に悪い。ぼやけて遠くの神様の姿もあやふやになっている。
「そうだ!アリスちゃん!!」
そのぼやけた神様が遠くから私に最後の言葉を掛けてくれた。
「お手紙、キチンと出しなさいねー!」
ぼやけてたけど、多分あれは母さんだ。
「・・・懐かしいけど未練がましい夢ね。」
魔理沙の家での談笑を終え、家に帰ったアリスは風呂に入るなり早々に寝てしまっていた。
当然そんな中で見れる夢が良い物なわけが無く、彼女にとっては中々に「未練がましい夢」と呼ぶに相応しい夢であった。
「あー・・・こんなんじゃダメよ私。」
気持ちを切り替えようとベッドから抜け出し朝の準備と今日一日の計画を立て始める。まあそんな事をしても一日の計画の大半は計画を立てない人妖たちに狂わされるのだが・・・ちなみにその事をもっともよく理解しているのはアリス本人である。
「そういえば卵が切れてたかな・・・買いに行こうかしら。後は・・・」
他の『するべき事』が思い浮かばず、しばし頭を悩ませる人形遣い。
「取り敢えず今日は魔理沙に会わない方針にした方が良いわね。」
計画を狂わす代表格への対策方法を口にし、台所へと向かう。寝巻姿から普段着へと着替えは起きてすぐに済ませてある、彼女の几帳面な性格をよく表す行動。
「食材は・・・卵が多いわね。昨日はハムエッグだったし、エッグベネディクトにでも使おうかな・・・って、うん?」
おかしい、昨日ハムエッグを朝食で食べたはずだ。それで卵が足りないって話になって。
改めて食材を確認すると一通りの物が揃っている。卵は無論、ライスにパンに肉に野菜、足りない物が無かった。
そして何よりも
「なんで朝食がもう準備中なの・・・?」
トマトとチーズが切り揃えられ、鍋では水が火に当てられている。誰かが此処で直前まで料理をしていた。というよりしている。
「・・・上海!」
取り敢えず彼女はこの家の門番兼友人を大声で呼ぶ。侵入者が入ってきたら少なからず人形に見つかるだろうからだ。
「私が寝てる間に誰か入って来なかった!?私が気付かなかったって事は多分妖怪の一種か何か―」
「アリスちゃん、起きたのね?」
アリスの背後、つまるところこの家の入口から声を掛けられる。
何やら聞き慣れた、優しい声。
恐る恐る振り返ってみればそこには、やはり見慣れた姿があった。
「おはよう、アリスちゃん。」
神様がそこには居た。
私は小さい頃から人形が好きだった。
その理由を聞かれて的確に答えられる自信は無い。人が好きな物を好きたらしめている理由・・・そういうのは地底の悟り妖怪にでも聞く話だ。少なくとも私には分からない。
ただそれに関連する記憶が無い、という訳でもない。
夕焼けが眩しい魔界の街角で、母さんに手を引かれながら私はその世界を目に焼き付けていた。「初めてのパンデモニウム冒険」と母さんは幼い私に言ってくれたが実際は「初めての母との散歩」だろう。
その散歩は幼い私にとって全てが強烈だった。あらゆる物が動き、笑い、喋っている。初めての外出という事で興奮していた私には過剰なくらいだった。
しかし中でも印象的だったのが意外にも、散歩の途中で視界に映った道端の人形劇だった。
小さな箱庭の中で明るい顔をした女の子が器用に動き回る。出会いや邂逅、別れや運命、小さくも大きなドラマを箱庭の上から指先で表現している―その様に強く惹かれて私は10分近く釘付けになっていた。
その途中で母さんが私の傍を離れる事は決して無かった。小さな世界に見惚れている私を暖かな瞳で見つめ続けていた。その散歩の後、夢子さんが嬉しそうにそう話していたのを覚えている。
劇が閉幕し、同時に片付けが始まった。私を虜にしたその小さな世界が終われていくのをボーっと見つめる。
それが幼い私には悲しく感じられたのだろう。見惚れていた顔が徐々に泣きっ面に変わっていった。
「アリスちゃん。」
母さんが優しく頭を撫で、囁く。
「お人形、好きなのね?」
あぁ、これが理由だったのか。でも多分これは私が人形の事を好いてる理由では無い。
母さんが好きな理由だ。
食卓の上に色とりどりの食べ物が並ぶ。チーズとハムのサンドイッチにトマトベースの野菜スープにオムレツに搾りたてのオレンジジュース、その他諸々が一人用の食卓を占拠していた。
「・・・で、聞きたい事は山ほどあるのだけれど。」
尚も料理を作り続ける自分の母親にアリスは呆れたように声を投げかけた。
「ふんふーん、なにかしら~?」
対する神綺は上機嫌で返す。理由はいくらかあるようだったがそれを態々本人に聞くほどアリスも鈍い訳では無い。
「どうして魔界の神たる貴女が私の家で料理を作っているのかしら?」
「うーん・・・そういう目的だったとしか言えないわね。ねえアリスちゃん、果物包丁って何処にしまってる?」
「そこの小棚。ならその母さんの目的って何なの?」
上機嫌だった顔を更に綻ばせながらカットフルーツを皿の上に盛り付けていく神綺。確かな母親がそこに居た。
「アリスちゃんが心配だったのよ。最近お手紙全然くれないんだもの。」
「手紙って・・・あぁ、嘘でしょ。」
「お母さんは嘘吐いてません、約束破ったのはアリスちゃんです。」
遥か昔―と言っても数十年前に交わされた約束を思い出す。ここ最近は忙しくてまるで気にしていなかったが、アリスの気付かない内にもう1年経っていたのである。
「という事はつまり、『1年に1回手紙を出す』っていう詰まらない約束を破る度に母さんがやって来る、と?」
しかもたった数週間遅れるだけで、と付け足しながら改めてテーブルの上を見直してみる。二人で食べきれる量では無いのは明白だった。
「当然よ、もしそれでアリスちゃんに何か起きてたらそれこそ後悔も出来ないしね。はいアリスちゃん、デザート。」
「これ以上乗らないわよ机に・・・というよりデザートもうあるじゃない。」
小皿の上でゆったりと鎮座しているプリンをスプーンで軽く小突くが、神綺は特に気にする様子も無くカットフルーツの配置場所に思考を割いていた。
「じゃあもう一つ質問、母さん忙しいのにこっちに来て平気なの?」
「それは大丈夫よ、今日一日だけだし夢子ちゃんが頑張ってるし。」
結局スペースが見つからなかったのか、指を一つ鳴らし“創造”する。
小さな可愛らしい机がアリスの席の真横に置かれ、そこへカットフルーツの大皿を並べる、創造神らしい解決法だった。
「ほらアリスちゃん、お喋りばっかしてないでご飯も食べる!」
「そのお喋りの原因は誰だと思ってるのかしら。」
神様は近くにあった席を寄せアリスの真向かいに座る。その様子を横目で流しながら優しい赤色をした野菜スープを一口、アリスは口にした。まろやかスープの中にトマトの酸味。この香りはバジルか、そこにセロリやキャベツの食感が小気味よく口の中で音を奏でる、中々に食べやすい。
「・・・どう?美味しい?」
優しい顔で神綺がアリスの顔を覗き込み、微笑む。
変わらないな、この味も母さんも。
アリスはその事に何故か安心し、食事を続けた。
「おっ?何だか良い匂いがあっちの方から・・・」
元来、魔法使いという種族は人外の仲間であるが、近くもない家から香る朝食の匂いを嗅ぎつける霧雨魔理沙のそれは魔法使いの能力云々ではなくただ腹が減っていただけである。
生き物が腹を空かせばとにかくその空白を満たそう、というのが自然の摂理である。特に彼女はそういった本能に身を任せる癖があるので何の迷いも無くその家の方向に向かっていった。
「おっ、やっぱりアリスの家からか。時間も時間だし此処で朝食でも食って行くかな。」
魔理沙はいつものように口角を上げながら人形遣いの家の前に降り立った。
その家の中でパンデモニウムが広がっている事に魔理沙が気付くのはそのドアをくぐってからである―
魔法の森に住居を構えるとある魔法使いが口を開く。
声を掛けられた当の本人は楽しんでいた紅茶の香りもすっかり忘れ、ただただ目を丸くしていた。
「・・・何?ボケたの魔理沙?あんたの家に来たのは1時間ぐらい前の事でしょう。」
「へ?ああいや、そうじゃないって。」
魔理沙が腕を後ろに組み、心底楽しそうに笑う。が、別に今のやり取りが特別おかしいという訳では無い。自分の家に誰かが来る時、彼女はいつもそんな顔になる。
「私が聞きたいのは『幻想郷に来てどれくらい経ったか』って事だ。気付いたらこっちで賑やかにやってるイメージだったからさ。」
あぁ、と納得したアリスは紅茶を楽しむ作業へと興味の向きを変えた。この間家に来た時よりいくらか美味しくなっている。恐らく咲夜にでも茶の淹れ方を習ったのだろう。
「さあね、私も覚えてないわよ。気付いたら此処に居た。」
「本当に?」
「本当に。」
「嘘吐いてるだろ?」
「くどいわよ。」
彼女の好奇心に呆れアリスは溜め息を零すが、それとは対照的に魔理沙は楽しそうに笑っている―この二人の会話、というよりも関係そのものをよく表す状況だった。
「でも実際どうしてこっち来たんだ?なんか複雑な理由とかあったり?」
「・・・別に、全然。」
アリスは、嘘を吐いた。
「アリスちゃん、荷物は全部確認した?ハンカチとティッシュとそれとそれと・・・」
「大丈夫、きちんと持ったわ。」
忙しいだろうにわざわざ屋敷から出て幻想郷への“門”の前まで母さんは迎えに来てくれた。
母さんの聞いてきた道具類は全て私の持っている旅行カバンの中に入っている。昨日の内に3回ほど確認したから恐らく間違いも無いだろう。
母さんが心配してくれているのはよく分かる、分かるのだが。
・・・やっぱり少し過剰気味だな、小さい頃から変わっていない。
「辛くなったらいつでも戻ってきてね?それとクリスマスの時も戻ってきてね?お正月の時もお誕生日の時も。」
「そんな頻繁に戻ってきたら意味が無いでしょ・・・」
荷物が一杯に詰め込まれたカバンを持ち、幻想郷の入口へと視線を向ける。禍々しい見た目の入り口から見える世界はまだ不鮮明で、本当にこの先にある物を見たいのならばやはり“門”を越えるしかないのだろう。
この先に広がるのが―
そう頭に浮かんだ刹那、目の前に柔らかく優しい何かが抱き着いてきて私の思考の邪魔をしてきた。その何かは私の頭をゆっくりと撫でまわしている。それが何かは薄々分かるが。
「アリスちゃん・・・また必ず戻ってきてね。」
母さんってこんなに強く力を出せるんだ。そう考えてしまうくらいしっかりと目の前の神様は抱き締めていた。
「・・・うん。」
「ふふっ・・・流石自慢の娘ね。聞きたかった台詞をキチンと返してくれる。」
そうしてまた神様は私の目を見つめながら頭を撫で始める。いつもと同じはずなのに何処か私の心の上を撫でられているような気がした。
「神綺様・・・名残惜しいですが、そろそろお時間です。」
「そっか・・・うん、分かった。夢子ちゃんに迷惑かける訳にはいかないわよね。」
最後まで私の髪に指を絡ませながらゆっくりと母さんが離れていく―それが酷く堪えた。
でも多分、一番堪えたのは母さんだろう。顔を見ればそれぐらいよく分かる。
「・・・アリス、その服似合ってるわね。」
夢子さんも寂しそうな顔で私の横に立った。
・・・あの夢子さんが、だ。
「夢子さんまでやめてよ・・・本当にお別れ会みたいじゃない。」
「そうね、ごめんなさい・・・では神綺様、あとはお任せください。と言っても地上まで送るだけですが。」
神様はコクリと頷いただけだった。泣いて別れを惜しむわけでもなく、ただ頷いた。
私だけ泣いてるみたいでなんだかいけ好かない。
「やっぱり強いんだ、お母さん。」
「アリス・・・?」
「ごめん夢子さん、変な事言って。私は大丈夫。」
「・・・そう。」
夢子さんに背中を押されるままに“門”の奥へと歩みを進めていく。空気が少し張り詰められていくのがよく分かったが、どうにも視界だけが異常に悪い。ぼやけて遠くの神様の姿もあやふやになっている。
「そうだ!アリスちゃん!!」
そのぼやけた神様が遠くから私に最後の言葉を掛けてくれた。
「お手紙、キチンと出しなさいねー!」
ぼやけてたけど、多分あれは母さんだ。
「・・・懐かしいけど未練がましい夢ね。」
魔理沙の家での談笑を終え、家に帰ったアリスは風呂に入るなり早々に寝てしまっていた。
当然そんな中で見れる夢が良い物なわけが無く、彼女にとっては中々に「未練がましい夢」と呼ぶに相応しい夢であった。
「あー・・・こんなんじゃダメよ私。」
気持ちを切り替えようとベッドから抜け出し朝の準備と今日一日の計画を立て始める。まあそんな事をしても一日の計画の大半は計画を立てない人妖たちに狂わされるのだが・・・ちなみにその事をもっともよく理解しているのはアリス本人である。
「そういえば卵が切れてたかな・・・買いに行こうかしら。後は・・・」
他の『するべき事』が思い浮かばず、しばし頭を悩ませる人形遣い。
「取り敢えず今日は魔理沙に会わない方針にした方が良いわね。」
計画を狂わす代表格への対策方法を口にし、台所へと向かう。寝巻姿から普段着へと着替えは起きてすぐに済ませてある、彼女の几帳面な性格をよく表す行動。
「食材は・・・卵が多いわね。昨日はハムエッグだったし、エッグベネディクトにでも使おうかな・・・って、うん?」
おかしい、昨日ハムエッグを朝食で食べたはずだ。それで卵が足りないって話になって。
改めて食材を確認すると一通りの物が揃っている。卵は無論、ライスにパンに肉に野菜、足りない物が無かった。
そして何よりも
「なんで朝食がもう準備中なの・・・?」
トマトとチーズが切り揃えられ、鍋では水が火に当てられている。誰かが此処で直前まで料理をしていた。というよりしている。
「・・・上海!」
取り敢えず彼女はこの家の門番兼友人を大声で呼ぶ。侵入者が入ってきたら少なからず人形に見つかるだろうからだ。
「私が寝てる間に誰か入って来なかった!?私が気付かなかったって事は多分妖怪の一種か何か―」
「アリスちゃん、起きたのね?」
アリスの背後、つまるところこの家の入口から声を掛けられる。
何やら聞き慣れた、優しい声。
恐る恐る振り返ってみればそこには、やはり見慣れた姿があった。
「おはよう、アリスちゃん。」
神様がそこには居た。
私は小さい頃から人形が好きだった。
その理由を聞かれて的確に答えられる自信は無い。人が好きな物を好きたらしめている理由・・・そういうのは地底の悟り妖怪にでも聞く話だ。少なくとも私には分からない。
ただそれに関連する記憶が無い、という訳でもない。
夕焼けが眩しい魔界の街角で、母さんに手を引かれながら私はその世界を目に焼き付けていた。「初めてのパンデモニウム冒険」と母さんは幼い私に言ってくれたが実際は「初めての母との散歩」だろう。
その散歩は幼い私にとって全てが強烈だった。あらゆる物が動き、笑い、喋っている。初めての外出という事で興奮していた私には過剰なくらいだった。
しかし中でも印象的だったのが意外にも、散歩の途中で視界に映った道端の人形劇だった。
小さな箱庭の中で明るい顔をした女の子が器用に動き回る。出会いや邂逅、別れや運命、小さくも大きなドラマを箱庭の上から指先で表現している―その様に強く惹かれて私は10分近く釘付けになっていた。
その途中で母さんが私の傍を離れる事は決して無かった。小さな世界に見惚れている私を暖かな瞳で見つめ続けていた。その散歩の後、夢子さんが嬉しそうにそう話していたのを覚えている。
劇が閉幕し、同時に片付けが始まった。私を虜にしたその小さな世界が終われていくのをボーっと見つめる。
それが幼い私には悲しく感じられたのだろう。見惚れていた顔が徐々に泣きっ面に変わっていった。
「アリスちゃん。」
母さんが優しく頭を撫で、囁く。
「お人形、好きなのね?」
あぁ、これが理由だったのか。でも多分これは私が人形の事を好いてる理由では無い。
母さんが好きな理由だ。
食卓の上に色とりどりの食べ物が並ぶ。チーズとハムのサンドイッチにトマトベースの野菜スープにオムレツに搾りたてのオレンジジュース、その他諸々が一人用の食卓を占拠していた。
「・・・で、聞きたい事は山ほどあるのだけれど。」
尚も料理を作り続ける自分の母親にアリスは呆れたように声を投げかけた。
「ふんふーん、なにかしら~?」
対する神綺は上機嫌で返す。理由はいくらかあるようだったがそれを態々本人に聞くほどアリスも鈍い訳では無い。
「どうして魔界の神たる貴女が私の家で料理を作っているのかしら?」
「うーん・・・そういう目的だったとしか言えないわね。ねえアリスちゃん、果物包丁って何処にしまってる?」
「そこの小棚。ならその母さんの目的って何なの?」
上機嫌だった顔を更に綻ばせながらカットフルーツを皿の上に盛り付けていく神綺。確かな母親がそこに居た。
「アリスちゃんが心配だったのよ。最近お手紙全然くれないんだもの。」
「手紙って・・・あぁ、嘘でしょ。」
「お母さんは嘘吐いてません、約束破ったのはアリスちゃんです。」
遥か昔―と言っても数十年前に交わされた約束を思い出す。ここ最近は忙しくてまるで気にしていなかったが、アリスの気付かない内にもう1年経っていたのである。
「という事はつまり、『1年に1回手紙を出す』っていう詰まらない約束を破る度に母さんがやって来る、と?」
しかもたった数週間遅れるだけで、と付け足しながら改めてテーブルの上を見直してみる。二人で食べきれる量では無いのは明白だった。
「当然よ、もしそれでアリスちゃんに何か起きてたらそれこそ後悔も出来ないしね。はいアリスちゃん、デザート。」
「これ以上乗らないわよ机に・・・というよりデザートもうあるじゃない。」
小皿の上でゆったりと鎮座しているプリンをスプーンで軽く小突くが、神綺は特に気にする様子も無くカットフルーツの配置場所に思考を割いていた。
「じゃあもう一つ質問、母さん忙しいのにこっちに来て平気なの?」
「それは大丈夫よ、今日一日だけだし夢子ちゃんが頑張ってるし。」
結局スペースが見つからなかったのか、指を一つ鳴らし“創造”する。
小さな可愛らしい机がアリスの席の真横に置かれ、そこへカットフルーツの大皿を並べる、創造神らしい解決法だった。
「ほらアリスちゃん、お喋りばっかしてないでご飯も食べる!」
「そのお喋りの原因は誰だと思ってるのかしら。」
神様は近くにあった席を寄せアリスの真向かいに座る。その様子を横目で流しながら優しい赤色をした野菜スープを一口、アリスは口にした。まろやかスープの中にトマトの酸味。この香りはバジルか、そこにセロリやキャベツの食感が小気味よく口の中で音を奏でる、中々に食べやすい。
「・・・どう?美味しい?」
優しい顔で神綺がアリスの顔を覗き込み、微笑む。
変わらないな、この味も母さんも。
アリスはその事に何故か安心し、食事を続けた。
「おっ?何だか良い匂いがあっちの方から・・・」
元来、魔法使いという種族は人外の仲間であるが、近くもない家から香る朝食の匂いを嗅ぎつける霧雨魔理沙のそれは魔法使いの能力云々ではなくただ腹が減っていただけである。
生き物が腹を空かせばとにかくその空白を満たそう、というのが自然の摂理である。特に彼女はそういった本能に身を任せる癖があるので何の迷いも無くその家の方向に向かっていった。
「おっ、やっぱりアリスの家からか。時間も時間だし此処で朝食でも食って行くかな。」
魔理沙はいつものように口角を上げながら人形遣いの家の前に降り立った。
その家の中でパンデモニウムが広がっている事に魔理沙が気付くのはそのドアをくぐってからである―
そんなふざけた態度の人間にまともな点をやる気になれない
モノ自体はそこまで悪くはなかったんだけど、後書きのウザさ加減で全てがぶち壊しになってこの点数。
読み手にしてみりゃあなたの事情とか言い訳とかどうでもいいんで。
序章ということであまり踏み込んだ感想は書けませんが、期待して次を待たせて頂きます。