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夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭
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第十三節 二人の依頼人
「何やってんだそこで」
霊夢が顔をあげると、魔理沙が上から覗き込んでいた。
霊夢と目が合った魔理沙はにっと笑みを見せる。
「体調が悪くて座り込んでたって様子じゃないな。服もぼろぼろ、表情も暗い」
「ここは?」
「ここは天下の大道だ。そこであんたは何してんだ?」
「私は」
霊夢が辺りを見回すと、空から降り注ぐ白光の中を、多くの人人が行き交っている。中には霊夢達の事を見て、顔を顰める者も居るが、殆どの人間は霊夢達の事等知らぬ気に、脇目もふらず何処かから来て何処かへ去っていく。
「大方家出でもしたってとこか? 襲われた跡は無いな」
「私は」
「何だ? 腹が減ったか? 寝床が欲しいか? 悪いが私だってどっちも満足に持ってない」
魔理沙の後ろに誰かが立っている。
紫だ。
あの時は親子かと思った。
魔理沙と同じ金色の髪をしていたから。
でもあの時、紫はここに居なかった。
記憶はあやふやだけれど。八雲紫との出会いは魔理沙との出会いよりもずっと後の筈だ。
だからこれはきっと何かの間違いなんだろう。
それなのに、どうしてか、この場面では魔理沙の後ろに紫が居た覚えがある。
紫の姿は逆光で真っ黒な輪郭しか見えない。けれどその真っ黒な表情が何故だか分かる。いつもの胡散臭い笑みを更に歪ませて、紫が見下ろしてくる。
「私は」
紫の指が霊夢を差す。すると霊夢の喉の奥から声が漏れた。
「霊夢」
それは自分の名前ではなかった。
だけどしっくりくる。
「れいむ? 変な名前だな」
違う。という言葉は出てこなかった。気力が無い。家を飛び出してから無我夢中で歩きまわり、空腹と疲労が極まっている。だからどうでも良い。別の名前を付けられたって、そんな事どうだって良いのだ。
紫の指が再び霊夢をさす。
「博麗霊夢」
また喉の奥から声が勝手に漏れてきた。
その抑揚の無い響きを怒りと勘違いした魔理沙は、宥める様に霊夢の肩を叩く。
「分かった分かった。怒んなよ。私は」
紫が魔理沙を指差した。
「霧雨魔理沙。よろしくな」
魔理沙は笑顔でそう名乗ったが、はっとした様子で自分の喉を押さえた。
「まあ良いか」
思い直した様子で、魔理沙は喉に当てていた手を下ろすと、笑顔で手を差し出してきた。
「魔理沙らしい。よろしくな」
霊夢がその手を握り返すと、立ち上がらされた。そして目の前に菓子パンの入った袋が差し出される。霊夢が魔理沙を見ると、やはり笑っている。眩しい位に晴れ晴れしい笑顔だ。
「お腹空いてんだろ? やるよ。さっき獲ってきた」
魔理沙の言葉でそれが買った物でない事は分かった。盗人だ。それは今までの霊夢の世界には居なかった存在だ。霊夢の居た村では互いが互いを監視しあい、窃盗なんてすればすぐにばれた。そしてそんな事がばれたら、例え子供であっても、村で生きる事が許されなくなる。特に子供は、外で生きていく事が出来ないから、誰も窃盗なんてしなかった。
でも目の前の魔理沙はそれをあっさりと踏み越えた。霊夢の世界とは全く違う存在だ。自分は外の世界に来た。それが魔理沙との出会いではっきりとした。霊夢が家を飛び出してから一日。山の中を朦朧と超えて、町の中を訳も分からず歩き、ここまで辿り着いて、ようやく村を出たという実感が湧いた。
「ありがとう」
受け取って、袋を開け、中のパンを齧る。何処かから盗んできたパンは味がしない。軽い罪悪感と淀んだ爽快感を覚えた。
パンを食べ終えると魔理沙が言った。
「一緒に来るか?」
霊夢が顔をあげると、魔理沙は恥ずかしそうに顔を背ける。
「当てとかあんのか? 無いんだろ? お前も、一人なんだろ? なら一緒に行こうぜ」
「あなたも一人?」
霊夢は魔理沙の後ろに立つ紫を指差す。
「そいつは?」
だが霊夢が指差した時にはもう紫は消えていた。
魔理沙が振り返る。
そこには誰も居ない。
だから不思議そうな顔をして霊夢に問い返す。
「そいつって?」
それに対して霊夢は首を横に振る。
勘違いだ。
そこには魔理沙しか居なかった。今夢見ているのは魔理沙との出会いだ。紫と出会ったのは、この出会いの後に二人がストリートチルドレンとして放浪した後の事だ。だからここに紫は居なかった。
ここには初めから霊夢と魔理沙しか居なかった。さっきのは勘違いだった。
当時もそう思った筈だ。
「行く」
霊夢が呟くと魔理沙は再び霊夢へ顔を戻す。
「ん?」
「一緒に行く」
何か考えがあっての事ではない。ただ差し出された手があった。だから掴んだ。それだけだ。でも今なら、この選択は最善であったと胸を張って言える。
「オーケー。じゃあ一緒に行こうぜ」
「私で良いの?」
霊夢はふと疑問が湧いた。必要無い、邪魔だと虐げてくる村の者達の顔が思い出すと、自分が必要とされるのは何だかそぐわなくて、むしろ不気味に思えた。
魔理沙は帽子を目深に被り答える。
「勿論。誰でも良かったんだ」
「そっか」
その答えで霊夢は安堵する。誰でも良かったから選ばれたという回答は、矛盾なく受け入れられた。むしろ何か理由をつけられた方が反発心が湧いただろう。
「夜は寒いんだ。傍に誰か居て欲しい」
魔理沙が俯いてそう呟くので、霊夢はその手をにぎる。
「分かった。一緒に居るから。だから泣かないで」
魔理沙はしばらく俯いていたが、やがて顔をあげると笑顔で言った。
「だから病める時も健やかなる時も、二人は一緒だぜ」
「死んじゃったら?」
「死が二人を分かつまで。だから死んだらさよならだ。そもそも死んだら一緒に居られないだろ」
「うん」
霊夢が頷くと、魔理沙はよしと一声上げて、歩き出した。手を握る霊夢は引っ張られる様に、魔理沙へついていった。
目を覚ました霊夢は、まずベッドから自分の手を出して、じっと眺めた。何かが意図があっての事ではないが、しばらくそうしていた霊夢は、やがて完全に覚醒し、飛び起きる。
夢を見ていた。夢の詳細は霞がかって、もう殆ど思い出せないが、昔、魔理沙と出会った時の夢だというのは覚えている。
何故今になってその夢を見たのだろう。
胸騒ぎがした。
魔理沙は通り魔に切られ、もう三週間も入院している。怪我自体は治ったのだが、何故か目を覚まさない。原因不明の昏睡状態が続いている。医者は、体が治っているのだから大丈夫だと言っているが、本当にそうだろうかと霊夢は疑問に思う。
魔理沙を襲った明滅する老人が使っていのは普通の刀でないらしい。パチュリーの見立てでは、肉体よりも精神や霊体に切れ味を発揮する刃物だそうだ。手首を切られたパチュリーの従者も未だに傷が癒えていない。普通の傷であればどんなに酷い傷でもパチュリーが魔力を補充すれば治る筈なのにだ。その事から、老人の刀は精神に特攻を与える特殊な武器であるとパチュリーは推論した。だとすれば、体が治ったのに目を覚まさない事にも説明がつく。そして肉体が治ったから安全だという医者の言葉は全くあてにならない事になる。
そして今見た過去の夢。夢が何かを告げているというのなら、最悪の事態が頭をよぎる。
霊夢は居ても立っても居られなくなり、ベッドから跳ね起きると、すぐに着替えて、窓を開いた。空には暗雲が立ち込めて、月の光も星の輝きも見えない。それが凶事を予感させる。
霊夢は窓枠に足を掛ける。夜風が顔にぶつかった。何故か頬に熱が走る。まるで誰かに頬を張られた様に。それが幻痛だとは分かっている。過去の記憶を再現しているのだと分かっている。誰かに殴られた訳ない事は分かっている。けれど飛ぶのは怖かった。
だから嫌なんだと呟きながら、霊夢は窓枠を踏みしめて、夜に踊った。
酩酊の様な気持ちの悪さを覚えながら空を飛んでいると、何処からかサイレンの音が聞こえた。また何処かでスカーレット事件が起きたのかもしれないと霊夢は思った。
魔理沙が昏睡している間も世の中は動いた。
霊夢と魔理沙が調べていた連続不審死は世間に知られる事となった。二週間前に、中学生が日本刀を使い商店街に居た人人を次次串刺しにした事件で世間の注目が一気に増して、恐怖はいや高まり、町の往来も減り気味だ。事件にはスカーレット事件という名前もついた。誰がその名前をつけたのかは知らないが、レミリアの事務所といい、誰かがレミリアを陥れようとしている気がする。
そのレミリアも中国でのショーを終えて、日本に入った。だが姿を現したのは入国した時だけで、それ以後は姿を見せていない。次に人人の前に現れるのは、ファッションショーの時だろう。霊夢達の居る町で行われるのが初回の公演となる。チケットは完売しており、今は転売での吊り上げが加熱しているとか。
魔理沙を襲ったピエロ、そして老人の行方は杳として知れない。
今、町では色色な事が起きている。霊夢が知っているだけでそれだけあるのだから、他にもまだあるだろう。
町が狂い始めている。
それは分かるが、それぞれの事件に関連があるのか、きっかけは何か、誰かが糸を引いているのか、そういった背景がさっぱり分からない。調べる必要はあるのだが、魔理沙が心配で、碌に事件の事に取り掛かれないでいた。
空を飛んでいた霊夢が病院に辿り着いた。ライトで照らされてはいるが、昼間に比べれば薄暗い。流石に夜中とあって電灯のついている病室は殆ど無い。点いているのはほんの僅か。その内の一部屋を見ると、人影が慌ただしく動いている。何か問題が起きているのだろう。魔理沙の部屋に灯りがついていない様に願いながら、病院の窓を数えて魔理沙の病室を探し当てると、幸いにも真っ暗な部屋だった。急いで窓に張り付き、符を貼って、鍵を外し、中に入る。個室だから他の誰かを気にする必要は無い。部屋の中には魔理沙一人が眠っている。
本当に眠っているのだろうか。
そんな不吉な予感が湧いて、霊夢は自分の胸を押さえながら魔理沙に近付き、その口元に手を翳した。翳す前に寝息が聞こえていたし、翳した手には息が掛かった。胸に当てていた手を下ろし、霊夢は息を吐く。
だが単純に安堵する訳にもいかないだろう。魔理沙が未だに目を覚まさない事は確かなのだ。そう考えて、手を握りしめた瞬間、魔理沙が呻き声を上げた。
霊夢が驚いて魔理沙の肩を掴むと、再び魔理沙が呻いた。
何処か悪いのか、危険な状態なのか。
焦りながら、医者に連絡しようと、ナースコールを探していると、腕の中から呻き声とは違う、はっきりとした言葉が聞こえてきた。
「霊夢?」
再び驚いて魔理沙を見ると、魔理沙が寝ぼけた目を開いて、辺りを見回していた。
「ここは?」
霊夢が信じられない気持ちで目を見開き見つめていると、魔理沙ははっと気がついた様子で体を起こした。
「あのじじいは?」
二人の頭がぶつかり、二人は呻きながら頭を押さえる。
霊夢が顔をあげると、魔理沙は諦めた様な目付きをしていた。
「どん位、寝てた?」
「三週間」
霊夢の答えに、魔理沙は項垂れる。
「私、切られたんだよな? 記憶違いじゃなければ。あの後、霊夢が助けてくれたのか?」
「違う。パチュリーの手下の悪魔? 小悪魔? 違いがよく分からないけど、それが助けてくれた」
「そっか。私、また負けたのか」
「うん」
パチュリーに負け、ピエロにやられ、老人に切られた。続け様の敗北が魔理沙を落ち込ませている事は想像に難くない。いや、それどころではない。パチュリーは本気だったか判然としないが、ピエロと老人と対峙した時には一歩間違えれば殺されていた。これまでも危険な目にはあってきたけれど、ここまで連続して、明らかな命の危機に晒された事は無かった。
「ごめんな、霊夢を、また危険な目にあわせちゃって。守れないどころか先に私がやられちゃって。怖かったろ?」
霊夢なんかよりも魔理沙の方がずっと怖い筈だ。実際に襲われたのは魔理沙なんだから。こんな危険な目にばかりあうのなら探偵を辞めたくなってもおかしくはない。
そう考えて、霊夢はぞっとする。
探偵として世間に認められる事は二人にとっての目標だ。もしも魔理沙がそれを諦めたとしたら、出会ってからずっと同じ方向に歩んできた二人の向きが食い違ってしまう事になる。霊夢には何だかそれが、二人の仲が決定的に引き裂かれてしまう様な気がした。
それが恐ろしくて、魔理沙を留めようと言葉を考えて居ると、先に魔理沙が言った。
「私、探偵辞める気は無いから」
魔理沙が霊夢の手を力強く握る。
「私達は、いや私は前に進まないと駄目なんだ。置いて行かれて埋もれちゃう。逃げたら私は駄目になる。だから私は探偵を辞めない。どんだけ危険だろうと、絶対に懲りない」
魔理沙の手が更に力を込めて握りしめる。
「でもそれを霊夢にまでは強制しない。霊夢はきっと私と違って別の道を探せるだろうから」
霊夢が魔理沙の手を握り返す。
「そんな事言わないで」
魔理沙は口を閉じ、そしてまた口を開いた。
「探偵続けるぜ。危ない目にだってまた合う。それでも一緒に居てくれるか?」
「病める時も健やかなる時もって言ったのはあんたじゃない」
それを聞いて、魔理沙は苦笑した。
「随分昔の話を持ち出してくるな。そうだ。確かに言った。じゃああれか。私が死んだら霊夢を開放出来るのか」
「それ以上言ったら怒るから」
「悪い」
魔理沙は霊夢の手を放すと、ベッドに身を預ける。
「怪我してるからかなぁ。何か弱気になってるみたい」
「もう体は治ってるってよ?」
「あのじじいの刀、普通のじゃないぜ。切られた瞬間、意識が落ちたし。お腹の辺りの魔力もまだ戻ってない」
「らしいわね。パチュリーもそう言ってたわ。小悪魔の腕が治りづらいからって」
「魔力を切る刀か。妖刀って奴だな」
魔理沙はベッドの上で体を転がして、病室の中を見回した。
「病院ってこんなところなんだな。うちの寝床より豪華じゃないか」
「特別に豪華な病室らしいわ。紫が手配したの」
「おいおい、後でお金請求されるんじゃないよな」
「紫が払うと思うけど」
二人は少し心配になる。
沈黙が降りる中、魔理沙は自分のベッドの横に置かれた物に目をつけた。
「何か置かれてるけど、何だ?」
「お見舞い。魔導書と新聞ね。パチュリーと文が置いてった」
「そうか悪いな」
「他にもお菓子とか置いてってたんだけど、あんたが起きないから全部食べた」
「おい、まじかよ。ちょっとは残ってないの?」
「昨日の分までは全部食べた。日持ちのしないものばっかりだったから。今日は誰も来なかったし」
「嘘だろ」
愕然とする魔理沙の様子は元気そのものだ。霊夢は安心するとベッドから一歩退いた。
「ま、目が覚めた様で何よりよ。明日には退院出来ると思うから迎えに来るわ」
「あ」
離れていこうとする霊夢の手を魔理沙が掴む。
掴んだ魔理沙自身が困惑した様子で、霊夢の手と顔を見比べた。
「何?」
霊夢が訝しんで尋ねると、魔理沙が弱弱しく笑みを浮かべる。
「いや……今夜泊まってかない?」
変な誘い文句だと思いつつ、霊夢はわざとらしく溜息を吐いてみせた。
だが長い間、話が出来ず寂しかったのも事実だ。
「そう言えば、同じベッドで寝るのも久しぶりね」
「そうだぜ。偶には昔を思い出しつつさ」
「仕方無い」
霊夢は飛び込む様にベッドに入ると、魔理沙の隣で仰向けになった。
「魔理沙、前に進むのは良いんだけどさ」
「おう」
「ちょっとは自分の身を省みてよね」
「分かってるって。今回で懲りたよ。懲りてないけど」
「どっちよ」
二人はしばらく話し合っていたが、やがてどちらからともなく眠りに落ちた。
「博麗探偵局復活!」
事務所に入るなり魔理沙が大きな声で叫んだ。
隣に居た霊夢は耳に手を当てながら、非難がましく魔理沙を睨む。
「何、いきなり」
「だってずっと休業状態だったんだろ? ここから再開って宣言さ」
「元から客なんて来ないじゃない」
「諦めんなよ! それに私が寝てる間にも不審死が拡大し続けてたんだろ? これはもう、探偵の力を求める声が鰻登りの筈だぜ!」
「どうかしら」
呆れながら、霊夢がお茶を入れに行こうとした時、部屋の中に二人以外の声が響いた。
「いや魔理沙の言う通りだよ」
二人が驚いて声のした方を見ると、スーツ姿の女性がソファに座っていた。八雲紫の従者である八雲藍だ。鼻筋の通った涼し気な美女で、まるで映画の中の様な優雅な振る舞いで二人を振り返ると、見る者を蕩かしそうな笑みを浮かべた。
「確かに二人を必要としている者が居る」
「お前何でここに?」
「治ったって聞いたからちょっと顔でも見ておこうかと思ってね。元気そうで何よりだ」
「いや何で勝手に入ってるんだよ」
「ここは紫様の持ち物だ。当然鍵は持ってるよ」
「だからって、一応うちの事務所だぞ!」
怒鳴る魔理沙に向かって、藍は持っていた袋を掲げた。
「あ、そう言えば、お土産を持ってきたよ。丹丸屋のどら焼き。前に美味しい美味しいって言ってたろ?」
「霊夢! お客様だ! 早くお茶を!」
藍はお土産をテーブルに置いて立ち上がる。
「茶は結構。顔を見に来ただけだから、すぐに出る」
「おう、そうか? 一番高い茶っぱで入れてやるぜ?」
「また今度」
藍は魔理沙の横をすり抜けると出口に向かった。
扉を開けようとして、振り返ると二人に告げる。
「さっきも言った通り君達を必要としている者が来るよ。それも二人」
その言葉が引っかかった。
「何で知ってるの? あんたが仕向けた訳?」
「いやこの事務所の情報を教えただけだ。快復が間に合って良かったよ。今日には来る筈だから」
そう言うと、藍は扉を開ける。だが出ていく前に、再び振り返った。
「あ、そうそう。君達の報告を読んだ。吸血鬼が何かを企んでいるんだって?」
「らしい。正確にはレミリアの仲間が何かするって言ってた」
「それと関係があるのか分からないが、実は吸血鬼が行うファッションショーの日が、丁度視察の日程と被っているんだ」
「視察?」
「ああ、市長が何日か掛けて市の全域を視察するんだ。知っているか分からないけれど、この市の市長はお飾りで殆ど実権が無い。実質的な力はインフラを支配している八意の方が遥かに上だからね。それを歯痒く思ってか、つい最近新しく市長になった奴は、視察をするって決めたんだ。その計画では、丁度ファッションショーが行われる日に、会場であるミュージアムの区画を視察する事になる。スカーレット事件やら何やらが起こっている中で、市長に何かあったら、混乱に拍車がかかる。出来の良い偶然だと思わないか?」
「馬鹿言え! 視察の日をずらせよ! っていうか、スカーレット事件があるんだから来なきゃ良いじゃん! 危ないって分かってるんだから!」
「それは出来ないだろうな。視察の日程が決まったのは随分前。当選する前から組まれたものらしい。お飾りとはいえ面子もある。直前で変えられないだろう。市長は綿月の一族でもあるし」
「綿月?」
「政界にも財界にも深く食い込んでいる大きな力と影響力を持った一族だ。恐らく市長は、綿月の名前を出して、この市に楔を打ち込もうとしているんだろう。八意に戦争を仕掛けるという話だね。そういう事情があるし、面子もあるから、一度決まった視察の日程を変えるだなんて、首と胴が離れても曲げないだろうな」
分かるか? と藍が魔理沙と霊夢に流し目をくれた。
「実力者の一族でしかも市長の肩書を持った奴が死ねば、混乱に拍車がかかる位じゃ済まないかもしれない」
正直なところ、藍の話を聞いても、あまりにも話が生活とかけ離れていて、魔理沙達には想像が湧かなかった。けれどそれが不味い事だけは藍の言葉から分かる。
「じゃあショーの日をずらすとか」
「それも無理だ。この前のニュースは見たか? レミリアへのインタビューが取り沙汰されていた。その中で、公演を予定通り行うつもりなのかという記者の質問に、レミリアはこの町での公演をテロとの戦いと言ったんだ。怯えて公演を取りやめるなんてスカーレット事件というテロに屈する事だから、テロに屈しない為にも絶対に予定通り公演を行うとね。賛否両論様様だが、とにかくこの発言で日程の変更や中止は出来無くなった。発言したレミリアは是が非でも応じないだろうし、市長だって警察だってそれを止めさせるなんてしないよ。テロに怯えて屈したと受け取られるから」
魔理沙は頭を押さえて体をのけぞらせた。
「それがレミリアの狙いだったらどうするんだ?」
苛立って、藍に怒鳴るが、藍はあっさりと答える。
「止めなければならないだろうな」
「どうやって?」
「君達が頑張って」
「はあ?」
「レミリアの企みを暴いて欲しいと射命丸から頼まれただろ? 企みが分かれば対処のしようもある」
「いや、そうだけど。お前丸投げかよ」
「こっちもこっちで動くさ。だが君達にも期待している」
一方的にまくし立てた藍は「じゃこれから君達のところに二人来客があるからよろしく」と言って、片手を上げて扉の向こうへ消えた。
扉が閉まり、藍の姿が見えなくなると、魔理沙は疲れた様子でソファに倒れこんだ。
「もう訳分からん。話が大きくなり過ぎだぜ」
「そうね」
霊夢も疲れた様子でソファに座り込む。
「どうしましょう」
魔理沙はしばらく頭を抱えていたが、やがて吹っ切った様に立ち上がる。
「悩むのは止めだ! どうせなる様にしかならん! とにかくまずは客だ! 客が来んのか? 本当か?」
「どうかしら。来るって言ってるから来るのかもね。でもそれにしたって、あんたが退院した今日に来るなんて、タイミングが良すぎない? あんたが切られたの、紫の差金じゃないわよね」
恐ろしい想像をしていると、突然来客を告げるベルが鳴り、二人は驚いて飛び上がる。
二人が恐る恐るディスプレイを見ると、そこには見知らぬ少女が泣きそうな顔で映っていた。
「ここが探偵事務所だって聞きました! 居ますか? 開けてくれませんか?」
そう叫ぶ少女の必死な姿に、二人は慌てて招き入れる。するとディスプレイの中の少女の姿が消え、しばらくすると扉が大きく叩かれた。
「開けて下さい! 大変なんです!」
「何なんだ一体」
魔理沙が緊張しながら扉を開けると、少女が雪崩れ込んできた。倒れそうになったその少女を受け止めて、魔理沙は問う。
「ご用件は?」
「助けてください!」
「何から?」
「大変なんです! 助けてください!」
要領を得ない答えに霊夢と魔理沙は顔を見合わせる。
やって来た客をソファに座らせ、お茶を飲ませる。初めは混乱した様子で、座らせる時にも早く解決してくれと騒いでいたが、座ってお茶を飲むと落ち着いた様子になった。
早速話を聞いてみると少女は名を宇佐見蓮子と言って、最近この町に越してきたらしい。そして誘拐事件と殺人事件の二つに遭遇したとの事だ。
「つまりまずは友達を攫われたんだな? マエリベリー・ハーンだっけ?」
「そうです。喧嘩して飛び出したメリーが、やって来た車に突然」
「で、その車から出てきた奴の中に、あんたが今度の春から通う学校の担任が居たんだな?」
「そうです。それでその後を追って」
「学校に行ったら、頭の潰された死体に出会って、しかも警察に見つかって殺した犯人扱いされていると。成程。大変だな」
言いながら、魔理沙は蓮子の顔をまじまじと見つめる。
話の中に矛盾は無い。だが話の中で度度言葉に詰まっていたのが気にかかった。例えば自分の経歴を話す時や、車を追おうとした時、あるいは死体の惨状を話す時に言葉がつかえていた。加えて、あまりにも細かく記憶しすぎている事も気にかかる。攫った担任の服装と死体の服装が全く同じであった事、職員室で教師達が話していたという担任の噂、死体に出会った時の死体の様子と部屋の様子について、そこまで覚えているのかと驚く位に細かく話す。しかもそういった部分はつっかえない。
ただ、話が作り物かというと、矛盾は無いし、蓮子の恐れ方は本物に見える。
「いずれにしても」
魔理沙はそう言いながら、考えをまとめた。いずれにせよ肝心な事を話していないのは間違いないだろう。言葉が突っかかったのは言いたくない事があったからだ。それを回避する為に言葉を選んでいた。だから言葉に突っかかる。嘘を吐き慣れていないから。
「あんたがうちに来た理由は何だ? 無罪を晴らしてくれって事か?」
「違います。メリーを見つけて欲しいんです」
自分が警察に追われていると言っておきながら、心配しているのはメリーの事ばかり。そこに違和感を覚える。
「何か写真とかあるのか? 顔も分からないんじゃ見つけようが無い」
「これです」
蓮子が差し出してきた画像を見て、二人は開いた口を閉じられなくなった。差し出された姿は、二人の知る八雲紫にあまりにもそっくりだった。まるで紫が子供の姿になった様だ。
「あの、これが、メリーです」
霊夢が問う。
「紫じゃなくて?」
それを聞いて、今度は蓮子が驚いた顔をした。口を開き一瞬つまった様に黙った後、蓮子は言った。
「いえ、メリーです。マエリベリー・ハーン」
だがもう二人はその言葉を信じられない。恐らく紫の悪戯なのだろう。何でこんな時に悪質な悪戯をするのかは分からないが。さっきの話で、蓮子が言葉をつっかえていたのは、きっと何か紫に口止めされている事があるのだろう。
「あいつに子供って居たっけ?」
「聞いた事無いわね」
「それよりは、あいつがこの姿になっているって考えた方がしっくりくるか」
霊夢の顔が蓮子へ向く。
「もう一度、確認するけど、八雲紫って奴を探しているんじゃないわよね?」
「はい」
蓮子は困った様子で二人を見つめてくる。
その姿からこちらを騙そうとする意思は感じられない。状況に流されている様子だ。そこから霊夢と魔理沙は、紫が蓮子も騙してこちらをからかおうとしているんだと判断した。きっと蓮子の前で紫が攫われ、それを追いかけてみると殺人に出会った事は本当だろう。
何だか苛立った霊夢は、虚空に向かって怒鳴り声を上げた。
「聞いてんでしょ! 出てこい!」
紫は何処かで聞いている筈だ。だが霊夢が怒鳴っても、蓮子が身を震わせるばかりで、紫は現れない。やがて反応が無い事が分かると、魔理沙は困った様に笑顔を浮かべた。こうなったらこの芝居に乗るしか無い。
「良いさ。このメリーを探せば良いって事だな。そう難しくないと思うから大船に乗った気で居てくれよ」
それを聞いて蓮子が不審そうな顔をした。全部紫という奴が仕組んだ事で、あんたの事まで騙している、と言ってしまうと傷付けてしまいそうで、魔理沙は慌てて言葉を継ぎ足した。
「実は、そのメリーっていうのは私達の知り合いかもしれないんだ。そういう意味じゃここに話を持ち込んだのは正解だと思うぜ」
蓮子が何か言おうとする。だが言葉が続かない。
さっきの蓮子の話からすれば、蓮子はメリーとかなり昔からの知り合いで二人共最近引っ越してきたという設定らしい。だがそれでは魔理沙達がメリーと知り合いであるという事実に反してしまう。蓮子が何か言おうとして言葉が続かなかったのは、思わずその矛盾を否定しようとしたが、そうすると、蓮子とメリーが昔から知り合いだったという設定に無理があるとばれてしまうからだろう。
そう考えると、蓮子も霊夢と魔理沙を騙そうとしている様に思えるが、その割に騙そうという悪意が感じられない。騙そうとしているというよりは、秘密を隠しているという様子だ。もしかしたら紫が何かもっともらしい理由をつけて口止めしているのかもしれない。そうなると、蓮子は単にその秘密を律儀に守っているだけという事になる。
どうしたもんかと魔理沙は考える。
ここで蓮子を追っ払ってしまうのは何だか可哀想だ。蓮子は紫に騙されているだけで、本当に紫の事を友達と信じているのであれば、蓮子の中では友達が誘拐され、しかも殺人者の汚名を着せられているという事実だけが残ってしまう。それを放っておくのはあんまりである。
それに紫が意味も無くこんな事をするとも思えない。さっき藍が来た事からも、何かこちらに伝えようとしている気がする。それが何かと言えば、レミリアの事だろう。この話とどう繋がるのか分からないが、辿って行けばレミリアの秘密に行き着く様に出来ているのかもしれない。
霊夢も同じ考えの様で、魔理沙と目が合うと頷いた。
初めから紫によって道筋が決められているのだとすれば、後は少しでも得る物を増やすだけだ。
「で、料金の話だけど」
どうせどんな料金でも、お金の出処は紫だろうし、大きく吹っ掛けてやろうと目論んでそう言ってみたが、予想に反して蓮子は驚いた顔をした。まるでお金を払うという事を失念していた様だ。
おいおいと思っていると蓮子は絶望した様な顔で言った。
「あの、幾ら位ですか?」
逆に聞きたい。
「幾らなら払えるんだ?」
すると蓮子は答えに窮した様子で頭を下げた。
「すみません。お金持ってなくて、今すぐには払えないです。でもいずれ払います!」
霊夢と魔理沙の方がすとんと落ちた。内心、ふざけんのも大概にしとけよと紫に悪態をつきつつ、哀れな仔羊に代案を出してやる事にした。ここで依頼を蹴る選択肢は無い。レミリアへの手掛かりになるのであれば手放すのは得策ではないし、何よりあまりにも目の前の少女が可哀想だ。
「そういう事なら、こうしよう。蓮子、私達の仕事を手伝ってくれ。代金はその給料から差し引く」
蓮子が驚いた様子で顔をあげる。
「良いんですか?」
そうするしか無いだろう。とりあえずレミリアの件が解決するまで簡単な仕事をさせて、それを代金にあてるしか無い。だがあまりにも軽軽しい代案では今後の料金体系に響くかもしれないと、霊夢は言葉を添えた。
「勘違いしないで。これは決して救いの手じゃない。探偵の仕事は危険なの。命を落とす事だってありうる。だから軽い返事はしない方が良い」
これ位は脅しておいてもいいだろうと思っての言葉だったが、その隣でつい最近本当に死にかけた魔理沙は渋い顔をした。
蓮子は膝の上で拳を握り締めると顔を上げた。
「私にも出来るんですか?」
「出来る出来ないは覚悟によるさ。覚悟が無いならやめておきな」
魔理沙の言葉に、蓮子は身を乗り出す。
「覚悟があれば、妖怪を退治出来るんですか?」
その言葉を聞いて、魔理沙と霊夢は固まった。少なくとも妖怪の事は表立って知られていない。知っているのは、妖怪に関わりのある者だけだ。目の前の少女も紫と関わりがあるのだから、妖怪について知っているのもおかしくないが、さっきまでメリーが紫という妖怪である事を否定していたというのに、どうしてここで妖怪の話を出してくるのか。
「いえ、皮肉とかではなく、純粋な疑問で」
まるで知っていて当然の様な態度だ。
「私達が妖怪を退治しているなんて表立って言ってないけどどうして知っているの?」
よく観察すれば、蓮子の目に常人よりも強い魔力が宿っているのに気がついた。妖怪という程では無いが、普通の人間とは言いづらい。
「え? ここを紹介して貰った時に」
「誰に?」
「あの、今お世話になっている方に」
「そいつが妖怪なのか?」
「いえ、人間、だと思いますけど。その人も噂で知ったと言っていました」
嫌な予感がする。
妖怪退治について知られても困る事は無いが、もしもここまで紫の筋書き通りであるのなら、紫が何を狙っているのか本当に分からなくなる。それに嫌な予感を覚えた。
「まさか妖怪退治にこの子を連れてく事になるんじゃないよな」
「分かんない。紫が考えてる事、本当に分かんない」
結局考えても分からない。二人は諦めて溜息を吐くと、困惑している蓮子に向けて、弱弱しい笑みを見せた。
「それで、どうするんだ?」
「やります! もうそれしか無いんです!」
「まあ、そう答えるよな」
「仕方ないわね。じゃあよろしく頼むわ」
また二人が溜息を吐くので、蓮子はおろおろと辺りを見回す。
その時、突然来客を告げるベルが鳴った。
二人が驚いて顔をあげる。
「二人目か!」
「今度は何かしら」
ディスプレイを見ると、魔理沙達よりも少し年上の、酷く美しい顔の癖に陰気な表情を浮かべた女が立っていた。見覚えがある。ビルで一度出会った女だ。霊夢が招くと、少しして女が扉を開けて入ってくる。無造作な銀髪の下に隠れた生気の無い目で魔理沙達を見回し、陰った声音で呟く様に言った。
「博麗探偵局はここでよろしいのでしょうか」
霊夢が肯定すると、女は感情の少ない表情でもう一度、霊夢達を眺め回し、再び口を開く。
「私は」
「シャウナだな。前にも会っただろ?」
「覚えて頂けたとは思いませんでした。それで人探しをお願いしたいのですか」
また人探しかと思いつつ、客である事には違いないので、霊夢は急いでお茶を淹れに行く。魔理沙はどうぞどうぞとシャウナを応接セットに座らせ、蓮子を伴って、向かいに腰掛けた。まさかまたただ働きじゃないよなと内心不安に思いつつ、魔理沙は一度頭に手櫛を通すと、身を乗り出して笑みを見せる。
「さて、人探しって言うと?」
「スカーレット事件の事です」
それを聞いて魔理沙は内心、やっぱりかと呟いた。
やっぱり紫は二人の客を使って、レミリアに繋がる情報を与えようとしているのだ。スカーレットといえば、レミリアのファミリーネーム。紫がメッセージとして事件にスカーレットと名付けたのだろう。きっとスカーレット事件にはレミリアが関わっているのだ。以前レミリアを探しにビルへ行った時にシャウナと出会ったのも紫が謀ったのかもしれない。
だとすれば、シャウナの探し人というのはレミリアに違いない。
「犯人を見つけて欲しい?」
先読みした魔理沙の言葉に、シャウナの言葉が一瞬止まる。だが思い直した様に、再び口を動かした。
「話が早くて助かります。けれど」
「個別の犯人ではなく、スカーレット事件全体の真犯人を捕まえて欲しいって訳だな?」
完全に言葉の止まったシャウナの態度を肯定と判断し、魔理沙はわざとらしく咳払いをしてから、人差し指を立てた。
「この事件はまだ警察だって糸口を見つけられていない難事件だ」
次こそ吹っ掛けてやると魔理沙が法外な金額を告げようとすると、今度は魔理沙の言いたい事を悟ったシャウナが間髪入れずに答える。
「言い値を払います。常識の範囲内で」
お茶を持ってきた霊夢が魔理沙の頭を叩き、三人にお茶を出して、自分が魔理沙の後ろに立った。
「並並ならぬ執念を感じるけど、何か理由があるの?」
「この事件に巻き込まれて私の両親は命を落としました。この事件は両親の仇です」
「事件に巻き込まれたねぇ」
そういう設定なのか。
「失礼だけど、あんた日本に住んでるのか? それとも旅行中?」
「日本に住んでいます。少し前に移住してきました」
また最近引っ越してきたって設定なのかと魔理沙は思った。蓮子との関連性が見えて、益益紫の手引が濃厚になる。
そうであるなら、蓮子の時と同じで、話す背景は殆ど虚構だろう。経緯やらを綿密に調査したところで実りは少なそうだ。それならば、シャウナのして欲しい事、つまり紫のさせたい事を聞いた方が話は早い。
「その犯人を見つけて警察に突き出せば良いのか?」
そんな単純は話ではないだろう。
「いいえ、居場所を突き止めて下さい。警察に伝える必要はありません」
「警察に捕まる前に、捕まえて来いって事か?」
いいえとシャウナは首を横に振り、右手を振り上げた。
その手にはいつの間にかナイフが握られていた。
「場所さえ調べて頂ければ十分です」
そのナイフを握った手が振り下ろされる。
「後は私が殺します」
応接テーブルが凄まじい音を立てる。
ナイフが突き立ったのかと魔理沙達は錯覚したが、シャウナの手からはナイフが消えていた。
「手品なら余所でやってくれ」
「失礼致しました」
シャウナがテーブルから手をのける。そこに刃物で傷付けられた様な跡はない。
「とにかく必要なのは情報です。犯人の居場所さえ分かればそれで良い」
「人を殺す覚悟があるなら、私に聞くより個別の事件を起こす犯人を拷問して無理矢理親玉を聞いた方が早いんじゃないか」
それで上手く行くなら警察がもう捕まえているだろうけどという言葉を胸に秘めてそんな事を言うと、シャウナは表情を変えずに答えた。
「残念ながら、彼等は何も喋ってくれませんでした。どうやら実行している者と、首謀者は直接の繋がりが無い様です」
魔理沙が黙りこむ。予想外の答えだ。黙った代わりに背後の霊夢が尋ねた。
「ちなみにその喋らなかった犯人はどうなったの?」
「死にました」
おいおいおいと魔理沙が頭を掻き毟りながら背凭れに体を預けた。
「まさか、この依頼断ったら私達まで殺すつもりじゃないだろうな?」
シャウナが不思議そうな顔をした。
「どうしてですか? 殺す理由がありません」
そうかいと言って、魔理沙は目を瞑り、そして再び体を乗り出した。
「依頼となりゃ、やるだけの事はやるさ。だけどさっきも言った様に、警察でもてこずっている事件だ。全くの手掛かり無しで、一から捜査したってそう簡単にはいかなぜ」
承知の上ですとシャウナが答え、それに付け加えて言った。
「手掛かりは多少ですがあります。そしてこの手掛かりがあるからこそ、ここを訪ねました」
魔理沙は頷く。
そういう話になるだろう。
紫が伝えたい情報が何なのかそれが問題だ。
「その手掛かりって言うのは? そもそもどうしてそれを得た?」
「私の家系は、妖怪退治を専門に行なっていた末裔です。私の両親は特に優秀でした。その両親が言っていたのです」
シャウナは言葉を切ると、悍ましそうに表情を歪めた。
「この事件は、吸血鬼が関わる事件だと」
魔理沙はその言葉の続きを待ったが、シャウナはそれ以上何も言わなかった。
しばらく待って、何も言わないので、魔理沙は聞いた。
「吸血鬼ってのがあんたの言う手掛かりか?」
「そうです」
「え?」
そんな筈が無い。
事件にスカーレットという名前が付いている時点で、レミリアが関わっている事は分かっている。今更そんな分かり切った事が情報の筈が無い。
魔理沙が混乱していると、シャウナがくすりと笑った。初めて見せた笑みではあるが酷薄だった。
「それからもう一つ、この町でレミリア・スカーレットのファッションショーが行われますが、あなた達は参加されますか?」
「いや」
何が言いたいのか分からず、次の言葉を待っていると、シャウナが言った。
「それに参加したいのであれば、チケットの入手方法をお教えしますよ」
何となくシャウナの言いたい事が分かった。
「あんた、レミリアが吸血鬼だっていうのが分かっているのなら、わざわざうちに吸血鬼を探して欲しいなんて頼む必要は無いんじゃないか?」
すると酷薄な笑みのままシャウナが言った。
「一匹とは限らないでしょう? 殲滅するには巣を焼き払わないと」
「レミリアの居場所を探れって事か」
「吸血鬼の、です」
どうにも危険な臭いがする。というより目の前の女が危険過ぎる。会ってすぐの人間に吸血鬼を殺したいから場所を教えろと頼む奴が居るだろうか。レミリアを探させるにしたってもう少し迂遠な言い方があるだろう。こんなにも開け放した殺意を持っているなんて正気の人間とは思えない。
魔理沙はパチュリーの言葉を思い出した。レミリアの他にも子供が居ると言っていた。シャウナはそれの事を言っているのかもしれない。だが魔理沙はその話題を出す事を避けた。それを出せば、目の前の女が更に狂いそうな予感がして。
考えこんだ魔理沙の代わりに、霊夢が会話を継ぐ。
「それでそのファッションショーのチケットの手に入れ方っていうのは? 既に完売してオークションで相当高騰しているみたいだけど、それを買うって話じゃないのよね?」
「何も転売目的の方だけがチケットを持っている訳じゃない。純粋に参加しようとしている方は持っているけれど売ろうとはしないでしょう?」
「だから何よ」
「そういった方が、例えばスカーレット事件で亡くなったとしたら? チケットが余るでしょう? 家族も傷心していてチケットをどうしようかなんて頭に無い。あるいは端からチケットの事なんて知らない家族も居るでしょう。そういった方からでしたら、もしかしたらただで手に入れられるかもしれません」
「あんた」
思わず霊夢は立ち上がりそうになった。あまりにも人の不幸につけこむ手段だ。
「よくもそんな事が言えるわね」
シャウナはその言葉を無視して言った。
「丁度事件に巻き込まれて余ったチケットが三枚あるのを知っています。向こうからコンタクトを取ってくる様に取り計らいます」
「何をするのよ」
「ネットに友達がスカーレット事件に巻き込まれたという設定で、相手の共感を誘い、チケットを譲ってもらえる様な書き込みを行います」
「相手が見なかったら?」
「見るように仕向けますわ。ご安心を。あなた達への連絡先さえ教えていただければ、後は全て上手く行く様に致します。そちらが話を合わせてくだされば、あなた達はチケットを手に入れられる。それもただで」
そう言って、シャウナが笑みを深めた。
霊夢は吐き捨てる。
「最低ね」
人の不幸を踏み台に、相手の善意を踏みにじり、騙して蜜を啜る最低の行為だ。霊夢はふざけるなと断ろうとしたが、それを魔理沙が制した。
「良いぜ。乗った」
霊夢が非難の色を浮かべて魔理沙を睨むが、魔理沙は冷たい目でシャウナを見つめている。
「話が分かる」
「うるせえ」
シャウナの心無い褒め言葉を切って捨てると、魔理沙は霊夢を見て言った。
「霊夢、ここは乗っておいたほうが良い。絶対だ」
霊夢にはそう思えない。射命丸から貰った前金があるのだからチケットを手に入れるならオークションで落札すれば良い。その金を惜しんで、悪魔に魂を売る理由は無い。紫がレールを敷いてるのであれば、レミリアに近付く最短距離は紫の代理人であるシャウナの話に一から十まで従う事かもしれない。だが魂を売ってまで紫の用意した最短距離を行く必要はない。レミリアの事務所は分かっているし、仲間であるパチュリーと面識がある、他の子供が居るという情報やレミリアの住む場所が近くにあるという話も聞いた。まだまだ情報は薄いが、決して追えない訳じゃない。ましてチケットなんてお金を出せば買えるのだから、ここで人の心を捨てる必要はない。
「落ち着け、霊夢。野放しにしておくのが不味いって言ってんだ」
レミリアならすぐに捕まえられると反論しようとして、霊夢は魔理沙の言いたい事に気がついた。
魔理沙はこう考えたのだ。何よりもまず、目の前の女を放置しておけない。蓮子を放っておけなかった様に、このシャウナも放っておけない。ただシャウナの場合、放っておけないというのはシャウナが他人に危害を加える事を見過ごせないという事だ。吸血鬼を殺すと息巻き、その手掛かりを探す為に殺人を犯したとのたまう女だ。さっきのチケットを手に入れる方法からして人の心がある様に思えない。そんな奴の話をここで断ったらどうなるか。まず魔理沙達が逆恨みされて殺される可能性がある。次にショーの会場で無茶をしでかす可能性がある。更に万が一ショーで手掛かりを得られなかった場合どんな強行に走るか分からない。スカーレット事件とは別に、この女自身が犯人となって連続殺人が行われるだろう。そうなってしまう位ならば相手の言葉に乗っておいて、少しでも相手の感情を慰撫し、大人しくさせておいた方がいい。この狂人は下手に対応すれば何をするか分からない。そしてもしも何かしでかしたらすぐに対処出来る様に、こいつの動きを知っておいた方が良い。野放しにはしておけない。
「とりあえずこれが連絡先」
連絡先を受け取ったシャウナはいつの間にか元の無表情に戻っていた。
「ありがとうございます」
「連絡が来るのを待ってれば良いんだな」
「ええ。後はこちらで」
そう言ってシャウナは席を立った。
チケットを渡すのだけが目的だったかの様だ。
ショーへの参加が紫のさせたい事だったのかと訝しむ。だとしたらこんな狂った女を差し向ける必要は無い様に思えた。
「おい、依頼の話だけど」
「内容は先程話した通りです。それとも前金が必要ですが」
「前金は良い」
下手に金を受け取っておくと面倒な事になりそうだ。
「成功した暁には言い値を払います。それで良いでしょう?」
「結局私達がやるべき事は?」
「吸血鬼の住処を教えて下さい」
そう言うと、シャウナはさっさと事務所を出て行ってしまった。
残された魔理沙溜めていた息を大きく吐いた。
「危ねえ! 断ったらあいつ私達の事殺してたぞ。絶対!」
「あいつも紫の差金? 随分な人選だわ」
「まずあいつを警察に突き出した方が良いんじゃないか?」
「証拠が無いわ」
「前に会った時はまともそうに見えたんだけどな」
「いやあの時からおかしかったけど。そうか、あの時レミリアを探していたのは、殺す為だったのね」
「いや、それは違うぜ。だってあの時にはまだスカーレット事件て名がついてないし、それにレミリアが日本に来たのは最近なんだろ?」
「そうね。確かに。じゃああの時は本当に会おうとしただけだったの?」
考えても分からず諦めた魔理沙は蓮子に笑いかけた。
「ま、こんな感じで、変な依頼人も多い。だから心してくれよ」
だが蓮子は心ここにあらずと言った様子で、シャウナが座っていた場所を眺めている。
魔理沙が肩に触れると、蓮子が飛び上がる。
「どうした? 怖かったのか?」
「いえ。確かに怖い事を言ってましたけど、でもあんまり悪い人には」
何言ってんの! と霊夢と魔理沙が同時に叫ぶ。
「だって両親を亡くしたんですよね? 大切な人を亡くしたらおかしくなるものかなって」
「そんな優しい狂い方じゃなかっただろ? 普通じゃないぜ」
「そうですか。そうかもしれません」
何だか蓮子が落ち込んだ様子を見せた。
理由は分からないがそれを払拭する為に、霊夢は手を打った。
「とにかくやる事をやりましょう」
「やる事って?」
「とりあえずご飯」
霊夢が真顔で言った。
それを聞いて魔理沙は笑う。
「そうだな。蓮子は何か食えない物はあるか?」
「何でも食べられます」
そう答えた蓮子の頬を、魔理沙が両手で挟み込んだ。
「後、敬語無しな。私達は仲間だぜ。遠慮は無し。年も同じ位だろ?」
蓮子が頷くと魔理沙は満足そうに笑い、霊夢と一緒に厨房へ向かった。
「そこで待ってろよ。今日は何にすっかなぁ」
「まずは消化しやすいものよ。あんた入院してたんだから」
「ええ!」
残された蓮子はしばらく立っていたが、やがてすとんとソファに座り直した。
そこに魔理沙が再び顔をのぞかせた。
「あ、そうだ、蓮子。お前の友達を探すのちゃんとやるからな。さっきの依頼人の仕事もやるけど、蓮子の方もないがしろにはしないぜ」
蓮子が振り返ると、魔理沙が何だか気まずそうな顔をしている。
「というより、多分レミリアの話を追っていけば、自然に会えると思う」
そう言って、魔理沙は顔を引っ込ませた。
再び一人になった蓮子は、ぽつりと呟いた。
「レミリア・スカーレット」
そのファミリーネームには聞き覚えがある。友達のフランドール・スカーレットだ。吸血鬼だと自分で言っていた。あのシャウナという女性が殺そうとしている存在だ。メリーの顔が思い浮かぶ。スカーレット事件という単語が浮かぶ。
何か繋がりそうで繋がらない。
それぞれが関わりありそうで、はっきりとしない。
もどかしい思いをしながら前を見つめていると、油の爆ぜる音が聞こえ、美味しい匂いが漂ってきて、やがておかゆが運ばれてきた。
「来たぜ、メール」
シャウナから依頼のあった日の翌日、魔理沙は昼食の蕎麦を置いて、二人にモニタを見せた。
「スカーレット事件で友達を失くし、その友達が生前行きたがってたからチケット下さいと乞食した結果、見事にチケットくれるっていう連絡が来たぜ。しかもただだってさ。やったぜ」
うんざりした様子の魔理沙が苛立った様子で蕎麦を啜る。
同じく嫌な顔をした霊夢がモニタに顔を近づけた。
「で、その売ってくれるっていうのはどんな人なの?」
「私達より年上の女だ。高校生。もしかしたらシャウナの知り合いなのか? だとしたらえげつないなんてもんじゃないぜ。両親は無くて、一緒に住んでた祖父も失踪。養護施設の誘いを断って、大きな屋敷で一人っきりで住んでいるらしい。そして今回友達が自分の屋敷で死んだんだってさ」
「ご飯の味が無くなる情報をありがとう」
「どういたしまして。でも私の所為じゃないぜ。とにかくチケットは当日貰える。三枚だから、蓮子も参加出来るけどどうする?」
「私も行く。これが探偵の仕事なんだし、メリーの手掛かりもあるかもしれないし」
「うーん、まあ手掛かりは。いや、そうだな。で、当日チケット貰ったら一緒に観る事になるからちゃんと話を合わせてくれ」
「一緒に?」
「そう。友達を亡くした同士だからお互い励まし会いましょうみたいな感じ」
「実際に会うの? 顔合わせたら更なる罪悪感に襲われそうなんだけど」
「私だって出来ればチケット郵送してもらって、顔を合わせずに済ませたかったさ。でもあのシャウナって奴が一から十まで決めちゃってるんだからしょうがないだろ。今更断るのだって後味悪いし。チケットは欲しいですけどあなたとは会いたくありませんって言えないだろ? 言えるか?」
「あーもう。それで、名前は?」
「えーっと、随分珍しい名前なんだが。っていうか、読めない」
魔理沙はそう言って、モニタを指さした。
「苗字も名前も初めて見たぜ。なんとかようむ」
そこには魂魄妖夢と書かれていた。
続く
~其は赤にして赤編 13(刑事3)
夢が偽りだというのならこの世界は嘘吐き達の住む箱庭
最初
~其は赤にして赤編 1
一つ前
~其は赤にして赤編 11
第十三節 二人の依頼人
「何やってんだそこで」
霊夢が顔をあげると、魔理沙が上から覗き込んでいた。
霊夢と目が合った魔理沙はにっと笑みを見せる。
「体調が悪くて座り込んでたって様子じゃないな。服もぼろぼろ、表情も暗い」
「ここは?」
「ここは天下の大道だ。そこであんたは何してんだ?」
「私は」
霊夢が辺りを見回すと、空から降り注ぐ白光の中を、多くの人人が行き交っている。中には霊夢達の事を見て、顔を顰める者も居るが、殆どの人間は霊夢達の事等知らぬ気に、脇目もふらず何処かから来て何処かへ去っていく。
「大方家出でもしたってとこか? 襲われた跡は無いな」
「私は」
「何だ? 腹が減ったか? 寝床が欲しいか? 悪いが私だってどっちも満足に持ってない」
魔理沙の後ろに誰かが立っている。
紫だ。
あの時は親子かと思った。
魔理沙と同じ金色の髪をしていたから。
でもあの時、紫はここに居なかった。
記憶はあやふやだけれど。八雲紫との出会いは魔理沙との出会いよりもずっと後の筈だ。
だからこれはきっと何かの間違いなんだろう。
それなのに、どうしてか、この場面では魔理沙の後ろに紫が居た覚えがある。
紫の姿は逆光で真っ黒な輪郭しか見えない。けれどその真っ黒な表情が何故だか分かる。いつもの胡散臭い笑みを更に歪ませて、紫が見下ろしてくる。
「私は」
紫の指が霊夢を差す。すると霊夢の喉の奥から声が漏れた。
「霊夢」
それは自分の名前ではなかった。
だけどしっくりくる。
「れいむ? 変な名前だな」
違う。という言葉は出てこなかった。気力が無い。家を飛び出してから無我夢中で歩きまわり、空腹と疲労が極まっている。だからどうでも良い。別の名前を付けられたって、そんな事どうだって良いのだ。
紫の指が再び霊夢をさす。
「博麗霊夢」
また喉の奥から声が勝手に漏れてきた。
その抑揚の無い響きを怒りと勘違いした魔理沙は、宥める様に霊夢の肩を叩く。
「分かった分かった。怒んなよ。私は」
紫が魔理沙を指差した。
「霧雨魔理沙。よろしくな」
魔理沙は笑顔でそう名乗ったが、はっとした様子で自分の喉を押さえた。
「まあ良いか」
思い直した様子で、魔理沙は喉に当てていた手を下ろすと、笑顔で手を差し出してきた。
「魔理沙らしい。よろしくな」
霊夢がその手を握り返すと、立ち上がらされた。そして目の前に菓子パンの入った袋が差し出される。霊夢が魔理沙を見ると、やはり笑っている。眩しい位に晴れ晴れしい笑顔だ。
「お腹空いてんだろ? やるよ。さっき獲ってきた」
魔理沙の言葉でそれが買った物でない事は分かった。盗人だ。それは今までの霊夢の世界には居なかった存在だ。霊夢の居た村では互いが互いを監視しあい、窃盗なんてすればすぐにばれた。そしてそんな事がばれたら、例え子供であっても、村で生きる事が許されなくなる。特に子供は、外で生きていく事が出来ないから、誰も窃盗なんてしなかった。
でも目の前の魔理沙はそれをあっさりと踏み越えた。霊夢の世界とは全く違う存在だ。自分は外の世界に来た。それが魔理沙との出会いではっきりとした。霊夢が家を飛び出してから一日。山の中を朦朧と超えて、町の中を訳も分からず歩き、ここまで辿り着いて、ようやく村を出たという実感が湧いた。
「ありがとう」
受け取って、袋を開け、中のパンを齧る。何処かから盗んできたパンは味がしない。軽い罪悪感と淀んだ爽快感を覚えた。
パンを食べ終えると魔理沙が言った。
「一緒に来るか?」
霊夢が顔をあげると、魔理沙は恥ずかしそうに顔を背ける。
「当てとかあんのか? 無いんだろ? お前も、一人なんだろ? なら一緒に行こうぜ」
「あなたも一人?」
霊夢は魔理沙の後ろに立つ紫を指差す。
「そいつは?」
だが霊夢が指差した時にはもう紫は消えていた。
魔理沙が振り返る。
そこには誰も居ない。
だから不思議そうな顔をして霊夢に問い返す。
「そいつって?」
それに対して霊夢は首を横に振る。
勘違いだ。
そこには魔理沙しか居なかった。今夢見ているのは魔理沙との出会いだ。紫と出会ったのは、この出会いの後に二人がストリートチルドレンとして放浪した後の事だ。だからここに紫は居なかった。
ここには初めから霊夢と魔理沙しか居なかった。さっきのは勘違いだった。
当時もそう思った筈だ。
「行く」
霊夢が呟くと魔理沙は再び霊夢へ顔を戻す。
「ん?」
「一緒に行く」
何か考えがあっての事ではない。ただ差し出された手があった。だから掴んだ。それだけだ。でも今なら、この選択は最善であったと胸を張って言える。
「オーケー。じゃあ一緒に行こうぜ」
「私で良いの?」
霊夢はふと疑問が湧いた。必要無い、邪魔だと虐げてくる村の者達の顔が思い出すと、自分が必要とされるのは何だかそぐわなくて、むしろ不気味に思えた。
魔理沙は帽子を目深に被り答える。
「勿論。誰でも良かったんだ」
「そっか」
その答えで霊夢は安堵する。誰でも良かったから選ばれたという回答は、矛盾なく受け入れられた。むしろ何か理由をつけられた方が反発心が湧いただろう。
「夜は寒いんだ。傍に誰か居て欲しい」
魔理沙が俯いてそう呟くので、霊夢はその手をにぎる。
「分かった。一緒に居るから。だから泣かないで」
魔理沙はしばらく俯いていたが、やがて顔をあげると笑顔で言った。
「だから病める時も健やかなる時も、二人は一緒だぜ」
「死んじゃったら?」
「死が二人を分かつまで。だから死んだらさよならだ。そもそも死んだら一緒に居られないだろ」
「うん」
霊夢が頷くと、魔理沙はよしと一声上げて、歩き出した。手を握る霊夢は引っ張られる様に、魔理沙へついていった。
目を覚ました霊夢は、まずベッドから自分の手を出して、じっと眺めた。何かが意図があっての事ではないが、しばらくそうしていた霊夢は、やがて完全に覚醒し、飛び起きる。
夢を見ていた。夢の詳細は霞がかって、もう殆ど思い出せないが、昔、魔理沙と出会った時の夢だというのは覚えている。
何故今になってその夢を見たのだろう。
胸騒ぎがした。
魔理沙は通り魔に切られ、もう三週間も入院している。怪我自体は治ったのだが、何故か目を覚まさない。原因不明の昏睡状態が続いている。医者は、体が治っているのだから大丈夫だと言っているが、本当にそうだろうかと霊夢は疑問に思う。
魔理沙を襲った明滅する老人が使っていのは普通の刀でないらしい。パチュリーの見立てでは、肉体よりも精神や霊体に切れ味を発揮する刃物だそうだ。手首を切られたパチュリーの従者も未だに傷が癒えていない。普通の傷であればどんなに酷い傷でもパチュリーが魔力を補充すれば治る筈なのにだ。その事から、老人の刀は精神に特攻を与える特殊な武器であるとパチュリーは推論した。だとすれば、体が治ったのに目を覚まさない事にも説明がつく。そして肉体が治ったから安全だという医者の言葉は全くあてにならない事になる。
そして今見た過去の夢。夢が何かを告げているというのなら、最悪の事態が頭をよぎる。
霊夢は居ても立っても居られなくなり、ベッドから跳ね起きると、すぐに着替えて、窓を開いた。空には暗雲が立ち込めて、月の光も星の輝きも見えない。それが凶事を予感させる。
霊夢は窓枠に足を掛ける。夜風が顔にぶつかった。何故か頬に熱が走る。まるで誰かに頬を張られた様に。それが幻痛だとは分かっている。過去の記憶を再現しているのだと分かっている。誰かに殴られた訳ない事は分かっている。けれど飛ぶのは怖かった。
だから嫌なんだと呟きながら、霊夢は窓枠を踏みしめて、夜に踊った。
酩酊の様な気持ちの悪さを覚えながら空を飛んでいると、何処からかサイレンの音が聞こえた。また何処かでスカーレット事件が起きたのかもしれないと霊夢は思った。
魔理沙が昏睡している間も世の中は動いた。
霊夢と魔理沙が調べていた連続不審死は世間に知られる事となった。二週間前に、中学生が日本刀を使い商店街に居た人人を次次串刺しにした事件で世間の注目が一気に増して、恐怖はいや高まり、町の往来も減り気味だ。事件にはスカーレット事件という名前もついた。誰がその名前をつけたのかは知らないが、レミリアの事務所といい、誰かがレミリアを陥れようとしている気がする。
そのレミリアも中国でのショーを終えて、日本に入った。だが姿を現したのは入国した時だけで、それ以後は姿を見せていない。次に人人の前に現れるのは、ファッションショーの時だろう。霊夢達の居る町で行われるのが初回の公演となる。チケットは完売しており、今は転売での吊り上げが加熱しているとか。
魔理沙を襲ったピエロ、そして老人の行方は杳として知れない。
今、町では色色な事が起きている。霊夢が知っているだけでそれだけあるのだから、他にもまだあるだろう。
町が狂い始めている。
それは分かるが、それぞれの事件に関連があるのか、きっかけは何か、誰かが糸を引いているのか、そういった背景がさっぱり分からない。調べる必要はあるのだが、魔理沙が心配で、碌に事件の事に取り掛かれないでいた。
空を飛んでいた霊夢が病院に辿り着いた。ライトで照らされてはいるが、昼間に比べれば薄暗い。流石に夜中とあって電灯のついている病室は殆ど無い。点いているのはほんの僅か。その内の一部屋を見ると、人影が慌ただしく動いている。何か問題が起きているのだろう。魔理沙の部屋に灯りがついていない様に願いながら、病院の窓を数えて魔理沙の病室を探し当てると、幸いにも真っ暗な部屋だった。急いで窓に張り付き、符を貼って、鍵を外し、中に入る。個室だから他の誰かを気にする必要は無い。部屋の中には魔理沙一人が眠っている。
本当に眠っているのだろうか。
そんな不吉な予感が湧いて、霊夢は自分の胸を押さえながら魔理沙に近付き、その口元に手を翳した。翳す前に寝息が聞こえていたし、翳した手には息が掛かった。胸に当てていた手を下ろし、霊夢は息を吐く。
だが単純に安堵する訳にもいかないだろう。魔理沙が未だに目を覚まさない事は確かなのだ。そう考えて、手を握りしめた瞬間、魔理沙が呻き声を上げた。
霊夢が驚いて魔理沙の肩を掴むと、再び魔理沙が呻いた。
何処か悪いのか、危険な状態なのか。
焦りながら、医者に連絡しようと、ナースコールを探していると、腕の中から呻き声とは違う、はっきりとした言葉が聞こえてきた。
「霊夢?」
再び驚いて魔理沙を見ると、魔理沙が寝ぼけた目を開いて、辺りを見回していた。
「ここは?」
霊夢が信じられない気持ちで目を見開き見つめていると、魔理沙ははっと気がついた様子で体を起こした。
「あのじじいは?」
二人の頭がぶつかり、二人は呻きながら頭を押さえる。
霊夢が顔をあげると、魔理沙は諦めた様な目付きをしていた。
「どん位、寝てた?」
「三週間」
霊夢の答えに、魔理沙は項垂れる。
「私、切られたんだよな? 記憶違いじゃなければ。あの後、霊夢が助けてくれたのか?」
「違う。パチュリーの手下の悪魔? 小悪魔? 違いがよく分からないけど、それが助けてくれた」
「そっか。私、また負けたのか」
「うん」
パチュリーに負け、ピエロにやられ、老人に切られた。続け様の敗北が魔理沙を落ち込ませている事は想像に難くない。いや、それどころではない。パチュリーは本気だったか判然としないが、ピエロと老人と対峙した時には一歩間違えれば殺されていた。これまでも危険な目にはあってきたけれど、ここまで連続して、明らかな命の危機に晒された事は無かった。
「ごめんな、霊夢を、また危険な目にあわせちゃって。守れないどころか先に私がやられちゃって。怖かったろ?」
霊夢なんかよりも魔理沙の方がずっと怖い筈だ。実際に襲われたのは魔理沙なんだから。こんな危険な目にばかりあうのなら探偵を辞めたくなってもおかしくはない。
そう考えて、霊夢はぞっとする。
探偵として世間に認められる事は二人にとっての目標だ。もしも魔理沙がそれを諦めたとしたら、出会ってからずっと同じ方向に歩んできた二人の向きが食い違ってしまう事になる。霊夢には何だかそれが、二人の仲が決定的に引き裂かれてしまう様な気がした。
それが恐ろしくて、魔理沙を留めようと言葉を考えて居ると、先に魔理沙が言った。
「私、探偵辞める気は無いから」
魔理沙が霊夢の手を力強く握る。
「私達は、いや私は前に進まないと駄目なんだ。置いて行かれて埋もれちゃう。逃げたら私は駄目になる。だから私は探偵を辞めない。どんだけ危険だろうと、絶対に懲りない」
魔理沙の手が更に力を込めて握りしめる。
「でもそれを霊夢にまでは強制しない。霊夢はきっと私と違って別の道を探せるだろうから」
霊夢が魔理沙の手を握り返す。
「そんな事言わないで」
魔理沙は口を閉じ、そしてまた口を開いた。
「探偵続けるぜ。危ない目にだってまた合う。それでも一緒に居てくれるか?」
「病める時も健やかなる時もって言ったのはあんたじゃない」
それを聞いて、魔理沙は苦笑した。
「随分昔の話を持ち出してくるな。そうだ。確かに言った。じゃああれか。私が死んだら霊夢を開放出来るのか」
「それ以上言ったら怒るから」
「悪い」
魔理沙は霊夢の手を放すと、ベッドに身を預ける。
「怪我してるからかなぁ。何か弱気になってるみたい」
「もう体は治ってるってよ?」
「あのじじいの刀、普通のじゃないぜ。切られた瞬間、意識が落ちたし。お腹の辺りの魔力もまだ戻ってない」
「らしいわね。パチュリーもそう言ってたわ。小悪魔の腕が治りづらいからって」
「魔力を切る刀か。妖刀って奴だな」
魔理沙はベッドの上で体を転がして、病室の中を見回した。
「病院ってこんなところなんだな。うちの寝床より豪華じゃないか」
「特別に豪華な病室らしいわ。紫が手配したの」
「おいおい、後でお金請求されるんじゃないよな」
「紫が払うと思うけど」
二人は少し心配になる。
沈黙が降りる中、魔理沙は自分のベッドの横に置かれた物に目をつけた。
「何か置かれてるけど、何だ?」
「お見舞い。魔導書と新聞ね。パチュリーと文が置いてった」
「そうか悪いな」
「他にもお菓子とか置いてってたんだけど、あんたが起きないから全部食べた」
「おい、まじかよ。ちょっとは残ってないの?」
「昨日の分までは全部食べた。日持ちのしないものばっかりだったから。今日は誰も来なかったし」
「嘘だろ」
愕然とする魔理沙の様子は元気そのものだ。霊夢は安心するとベッドから一歩退いた。
「ま、目が覚めた様で何よりよ。明日には退院出来ると思うから迎えに来るわ」
「あ」
離れていこうとする霊夢の手を魔理沙が掴む。
掴んだ魔理沙自身が困惑した様子で、霊夢の手と顔を見比べた。
「何?」
霊夢が訝しんで尋ねると、魔理沙が弱弱しく笑みを浮かべる。
「いや……今夜泊まってかない?」
変な誘い文句だと思いつつ、霊夢はわざとらしく溜息を吐いてみせた。
だが長い間、話が出来ず寂しかったのも事実だ。
「そう言えば、同じベッドで寝るのも久しぶりね」
「そうだぜ。偶には昔を思い出しつつさ」
「仕方無い」
霊夢は飛び込む様にベッドに入ると、魔理沙の隣で仰向けになった。
「魔理沙、前に進むのは良いんだけどさ」
「おう」
「ちょっとは自分の身を省みてよね」
「分かってるって。今回で懲りたよ。懲りてないけど」
「どっちよ」
二人はしばらく話し合っていたが、やがてどちらからともなく眠りに落ちた。
「博麗探偵局復活!」
事務所に入るなり魔理沙が大きな声で叫んだ。
隣に居た霊夢は耳に手を当てながら、非難がましく魔理沙を睨む。
「何、いきなり」
「だってずっと休業状態だったんだろ? ここから再開って宣言さ」
「元から客なんて来ないじゃない」
「諦めんなよ! それに私が寝てる間にも不審死が拡大し続けてたんだろ? これはもう、探偵の力を求める声が鰻登りの筈だぜ!」
「どうかしら」
呆れながら、霊夢がお茶を入れに行こうとした時、部屋の中に二人以外の声が響いた。
「いや魔理沙の言う通りだよ」
二人が驚いて声のした方を見ると、スーツ姿の女性がソファに座っていた。八雲紫の従者である八雲藍だ。鼻筋の通った涼し気な美女で、まるで映画の中の様な優雅な振る舞いで二人を振り返ると、見る者を蕩かしそうな笑みを浮かべた。
「確かに二人を必要としている者が居る」
「お前何でここに?」
「治ったって聞いたからちょっと顔でも見ておこうかと思ってね。元気そうで何よりだ」
「いや何で勝手に入ってるんだよ」
「ここは紫様の持ち物だ。当然鍵は持ってるよ」
「だからって、一応うちの事務所だぞ!」
怒鳴る魔理沙に向かって、藍は持っていた袋を掲げた。
「あ、そう言えば、お土産を持ってきたよ。丹丸屋のどら焼き。前に美味しい美味しいって言ってたろ?」
「霊夢! お客様だ! 早くお茶を!」
藍はお土産をテーブルに置いて立ち上がる。
「茶は結構。顔を見に来ただけだから、すぐに出る」
「おう、そうか? 一番高い茶っぱで入れてやるぜ?」
「また今度」
藍は魔理沙の横をすり抜けると出口に向かった。
扉を開けようとして、振り返ると二人に告げる。
「さっきも言った通り君達を必要としている者が来るよ。それも二人」
その言葉が引っかかった。
「何で知ってるの? あんたが仕向けた訳?」
「いやこの事務所の情報を教えただけだ。快復が間に合って良かったよ。今日には来る筈だから」
そう言うと、藍は扉を開ける。だが出ていく前に、再び振り返った。
「あ、そうそう。君達の報告を読んだ。吸血鬼が何かを企んでいるんだって?」
「らしい。正確にはレミリアの仲間が何かするって言ってた」
「それと関係があるのか分からないが、実は吸血鬼が行うファッションショーの日が、丁度視察の日程と被っているんだ」
「視察?」
「ああ、市長が何日か掛けて市の全域を視察するんだ。知っているか分からないけれど、この市の市長はお飾りで殆ど実権が無い。実質的な力はインフラを支配している八意の方が遥かに上だからね。それを歯痒く思ってか、つい最近新しく市長になった奴は、視察をするって決めたんだ。その計画では、丁度ファッションショーが行われる日に、会場であるミュージアムの区画を視察する事になる。スカーレット事件やら何やらが起こっている中で、市長に何かあったら、混乱に拍車がかかる。出来の良い偶然だと思わないか?」
「馬鹿言え! 視察の日をずらせよ! っていうか、スカーレット事件があるんだから来なきゃ良いじゃん! 危ないって分かってるんだから!」
「それは出来ないだろうな。視察の日程が決まったのは随分前。当選する前から組まれたものらしい。お飾りとはいえ面子もある。直前で変えられないだろう。市長は綿月の一族でもあるし」
「綿月?」
「政界にも財界にも深く食い込んでいる大きな力と影響力を持った一族だ。恐らく市長は、綿月の名前を出して、この市に楔を打ち込もうとしているんだろう。八意に戦争を仕掛けるという話だね。そういう事情があるし、面子もあるから、一度決まった視察の日程を変えるだなんて、首と胴が離れても曲げないだろうな」
分かるか? と藍が魔理沙と霊夢に流し目をくれた。
「実力者の一族でしかも市長の肩書を持った奴が死ねば、混乱に拍車がかかる位じゃ済まないかもしれない」
正直なところ、藍の話を聞いても、あまりにも話が生活とかけ離れていて、魔理沙達には想像が湧かなかった。けれどそれが不味い事だけは藍の言葉から分かる。
「じゃあショーの日をずらすとか」
「それも無理だ。この前のニュースは見たか? レミリアへのインタビューが取り沙汰されていた。その中で、公演を予定通り行うつもりなのかという記者の質問に、レミリアはこの町での公演をテロとの戦いと言ったんだ。怯えて公演を取りやめるなんてスカーレット事件というテロに屈する事だから、テロに屈しない為にも絶対に予定通り公演を行うとね。賛否両論様様だが、とにかくこの発言で日程の変更や中止は出来無くなった。発言したレミリアは是が非でも応じないだろうし、市長だって警察だってそれを止めさせるなんてしないよ。テロに怯えて屈したと受け取られるから」
魔理沙は頭を押さえて体をのけぞらせた。
「それがレミリアの狙いだったらどうするんだ?」
苛立って、藍に怒鳴るが、藍はあっさりと答える。
「止めなければならないだろうな」
「どうやって?」
「君達が頑張って」
「はあ?」
「レミリアの企みを暴いて欲しいと射命丸から頼まれただろ? 企みが分かれば対処のしようもある」
「いや、そうだけど。お前丸投げかよ」
「こっちもこっちで動くさ。だが君達にも期待している」
一方的にまくし立てた藍は「じゃこれから君達のところに二人来客があるからよろしく」と言って、片手を上げて扉の向こうへ消えた。
扉が閉まり、藍の姿が見えなくなると、魔理沙は疲れた様子でソファに倒れこんだ。
「もう訳分からん。話が大きくなり過ぎだぜ」
「そうね」
霊夢も疲れた様子でソファに座り込む。
「どうしましょう」
魔理沙はしばらく頭を抱えていたが、やがて吹っ切った様に立ち上がる。
「悩むのは止めだ! どうせなる様にしかならん! とにかくまずは客だ! 客が来んのか? 本当か?」
「どうかしら。来るって言ってるから来るのかもね。でもそれにしたって、あんたが退院した今日に来るなんて、タイミングが良すぎない? あんたが切られたの、紫の差金じゃないわよね」
恐ろしい想像をしていると、突然来客を告げるベルが鳴り、二人は驚いて飛び上がる。
二人が恐る恐るディスプレイを見ると、そこには見知らぬ少女が泣きそうな顔で映っていた。
「ここが探偵事務所だって聞きました! 居ますか? 開けてくれませんか?」
そう叫ぶ少女の必死な姿に、二人は慌てて招き入れる。するとディスプレイの中の少女の姿が消え、しばらくすると扉が大きく叩かれた。
「開けて下さい! 大変なんです!」
「何なんだ一体」
魔理沙が緊張しながら扉を開けると、少女が雪崩れ込んできた。倒れそうになったその少女を受け止めて、魔理沙は問う。
「ご用件は?」
「助けてください!」
「何から?」
「大変なんです! 助けてください!」
要領を得ない答えに霊夢と魔理沙は顔を見合わせる。
やって来た客をソファに座らせ、お茶を飲ませる。初めは混乱した様子で、座らせる時にも早く解決してくれと騒いでいたが、座ってお茶を飲むと落ち着いた様子になった。
早速話を聞いてみると少女は名を宇佐見蓮子と言って、最近この町に越してきたらしい。そして誘拐事件と殺人事件の二つに遭遇したとの事だ。
「つまりまずは友達を攫われたんだな? マエリベリー・ハーンだっけ?」
「そうです。喧嘩して飛び出したメリーが、やって来た車に突然」
「で、その車から出てきた奴の中に、あんたが今度の春から通う学校の担任が居たんだな?」
「そうです。それでその後を追って」
「学校に行ったら、頭の潰された死体に出会って、しかも警察に見つかって殺した犯人扱いされていると。成程。大変だな」
言いながら、魔理沙は蓮子の顔をまじまじと見つめる。
話の中に矛盾は無い。だが話の中で度度言葉に詰まっていたのが気にかかった。例えば自分の経歴を話す時や、車を追おうとした時、あるいは死体の惨状を話す時に言葉がつかえていた。加えて、あまりにも細かく記憶しすぎている事も気にかかる。攫った担任の服装と死体の服装が全く同じであった事、職員室で教師達が話していたという担任の噂、死体に出会った時の死体の様子と部屋の様子について、そこまで覚えているのかと驚く位に細かく話す。しかもそういった部分はつっかえない。
ただ、話が作り物かというと、矛盾は無いし、蓮子の恐れ方は本物に見える。
「いずれにしても」
魔理沙はそう言いながら、考えをまとめた。いずれにせよ肝心な事を話していないのは間違いないだろう。言葉が突っかかったのは言いたくない事があったからだ。それを回避する為に言葉を選んでいた。だから言葉に突っかかる。嘘を吐き慣れていないから。
「あんたがうちに来た理由は何だ? 無罪を晴らしてくれって事か?」
「違います。メリーを見つけて欲しいんです」
自分が警察に追われていると言っておきながら、心配しているのはメリーの事ばかり。そこに違和感を覚える。
「何か写真とかあるのか? 顔も分からないんじゃ見つけようが無い」
「これです」
蓮子が差し出してきた画像を見て、二人は開いた口を閉じられなくなった。差し出された姿は、二人の知る八雲紫にあまりにもそっくりだった。まるで紫が子供の姿になった様だ。
「あの、これが、メリーです」
霊夢が問う。
「紫じゃなくて?」
それを聞いて、今度は蓮子が驚いた顔をした。口を開き一瞬つまった様に黙った後、蓮子は言った。
「いえ、メリーです。マエリベリー・ハーン」
だがもう二人はその言葉を信じられない。恐らく紫の悪戯なのだろう。何でこんな時に悪質な悪戯をするのかは分からないが。さっきの話で、蓮子が言葉をつっかえていたのは、きっと何か紫に口止めされている事があるのだろう。
「あいつに子供って居たっけ?」
「聞いた事無いわね」
「それよりは、あいつがこの姿になっているって考えた方がしっくりくるか」
霊夢の顔が蓮子へ向く。
「もう一度、確認するけど、八雲紫って奴を探しているんじゃないわよね?」
「はい」
蓮子は困った様子で二人を見つめてくる。
その姿からこちらを騙そうとする意思は感じられない。状況に流されている様子だ。そこから霊夢と魔理沙は、紫が蓮子も騙してこちらをからかおうとしているんだと判断した。きっと蓮子の前で紫が攫われ、それを追いかけてみると殺人に出会った事は本当だろう。
何だか苛立った霊夢は、虚空に向かって怒鳴り声を上げた。
「聞いてんでしょ! 出てこい!」
紫は何処かで聞いている筈だ。だが霊夢が怒鳴っても、蓮子が身を震わせるばかりで、紫は現れない。やがて反応が無い事が分かると、魔理沙は困った様に笑顔を浮かべた。こうなったらこの芝居に乗るしか無い。
「良いさ。このメリーを探せば良いって事だな。そう難しくないと思うから大船に乗った気で居てくれよ」
それを聞いて蓮子が不審そうな顔をした。全部紫という奴が仕組んだ事で、あんたの事まで騙している、と言ってしまうと傷付けてしまいそうで、魔理沙は慌てて言葉を継ぎ足した。
「実は、そのメリーっていうのは私達の知り合いかもしれないんだ。そういう意味じゃここに話を持ち込んだのは正解だと思うぜ」
蓮子が何か言おうとする。だが言葉が続かない。
さっきの蓮子の話からすれば、蓮子はメリーとかなり昔からの知り合いで二人共最近引っ越してきたという設定らしい。だがそれでは魔理沙達がメリーと知り合いであるという事実に反してしまう。蓮子が何か言おうとして言葉が続かなかったのは、思わずその矛盾を否定しようとしたが、そうすると、蓮子とメリーが昔から知り合いだったという設定に無理があるとばれてしまうからだろう。
そう考えると、蓮子も霊夢と魔理沙を騙そうとしている様に思えるが、その割に騙そうという悪意が感じられない。騙そうとしているというよりは、秘密を隠しているという様子だ。もしかしたら紫が何かもっともらしい理由をつけて口止めしているのかもしれない。そうなると、蓮子は単にその秘密を律儀に守っているだけという事になる。
どうしたもんかと魔理沙は考える。
ここで蓮子を追っ払ってしまうのは何だか可哀想だ。蓮子は紫に騙されているだけで、本当に紫の事を友達と信じているのであれば、蓮子の中では友達が誘拐され、しかも殺人者の汚名を着せられているという事実だけが残ってしまう。それを放っておくのはあんまりである。
それに紫が意味も無くこんな事をするとも思えない。さっき藍が来た事からも、何かこちらに伝えようとしている気がする。それが何かと言えば、レミリアの事だろう。この話とどう繋がるのか分からないが、辿って行けばレミリアの秘密に行き着く様に出来ているのかもしれない。
霊夢も同じ考えの様で、魔理沙と目が合うと頷いた。
初めから紫によって道筋が決められているのだとすれば、後は少しでも得る物を増やすだけだ。
「で、料金の話だけど」
どうせどんな料金でも、お金の出処は紫だろうし、大きく吹っ掛けてやろうと目論んでそう言ってみたが、予想に反して蓮子は驚いた顔をした。まるでお金を払うという事を失念していた様だ。
おいおいと思っていると蓮子は絶望した様な顔で言った。
「あの、幾ら位ですか?」
逆に聞きたい。
「幾らなら払えるんだ?」
すると蓮子は答えに窮した様子で頭を下げた。
「すみません。お金持ってなくて、今すぐには払えないです。でもいずれ払います!」
霊夢と魔理沙の方がすとんと落ちた。内心、ふざけんのも大概にしとけよと紫に悪態をつきつつ、哀れな仔羊に代案を出してやる事にした。ここで依頼を蹴る選択肢は無い。レミリアへの手掛かりになるのであれば手放すのは得策ではないし、何よりあまりにも目の前の少女が可哀想だ。
「そういう事なら、こうしよう。蓮子、私達の仕事を手伝ってくれ。代金はその給料から差し引く」
蓮子が驚いた様子で顔をあげる。
「良いんですか?」
そうするしか無いだろう。とりあえずレミリアの件が解決するまで簡単な仕事をさせて、それを代金にあてるしか無い。だがあまりにも軽軽しい代案では今後の料金体系に響くかもしれないと、霊夢は言葉を添えた。
「勘違いしないで。これは決して救いの手じゃない。探偵の仕事は危険なの。命を落とす事だってありうる。だから軽い返事はしない方が良い」
これ位は脅しておいてもいいだろうと思っての言葉だったが、その隣でつい最近本当に死にかけた魔理沙は渋い顔をした。
蓮子は膝の上で拳を握り締めると顔を上げた。
「私にも出来るんですか?」
「出来る出来ないは覚悟によるさ。覚悟が無いならやめておきな」
魔理沙の言葉に、蓮子は身を乗り出す。
「覚悟があれば、妖怪を退治出来るんですか?」
その言葉を聞いて、魔理沙と霊夢は固まった。少なくとも妖怪の事は表立って知られていない。知っているのは、妖怪に関わりのある者だけだ。目の前の少女も紫と関わりがあるのだから、妖怪について知っているのもおかしくないが、さっきまでメリーが紫という妖怪である事を否定していたというのに、どうしてここで妖怪の話を出してくるのか。
「いえ、皮肉とかではなく、純粋な疑問で」
まるで知っていて当然の様な態度だ。
「私達が妖怪を退治しているなんて表立って言ってないけどどうして知っているの?」
よく観察すれば、蓮子の目に常人よりも強い魔力が宿っているのに気がついた。妖怪という程では無いが、普通の人間とは言いづらい。
「え? ここを紹介して貰った時に」
「誰に?」
「あの、今お世話になっている方に」
「そいつが妖怪なのか?」
「いえ、人間、だと思いますけど。その人も噂で知ったと言っていました」
嫌な予感がする。
妖怪退治について知られても困る事は無いが、もしもここまで紫の筋書き通りであるのなら、紫が何を狙っているのか本当に分からなくなる。それに嫌な予感を覚えた。
「まさか妖怪退治にこの子を連れてく事になるんじゃないよな」
「分かんない。紫が考えてる事、本当に分かんない」
結局考えても分からない。二人は諦めて溜息を吐くと、困惑している蓮子に向けて、弱弱しい笑みを見せた。
「それで、どうするんだ?」
「やります! もうそれしか無いんです!」
「まあ、そう答えるよな」
「仕方ないわね。じゃあよろしく頼むわ」
また二人が溜息を吐くので、蓮子はおろおろと辺りを見回す。
その時、突然来客を告げるベルが鳴った。
二人が驚いて顔をあげる。
「二人目か!」
「今度は何かしら」
ディスプレイを見ると、魔理沙達よりも少し年上の、酷く美しい顔の癖に陰気な表情を浮かべた女が立っていた。見覚えがある。ビルで一度出会った女だ。霊夢が招くと、少しして女が扉を開けて入ってくる。無造作な銀髪の下に隠れた生気の無い目で魔理沙達を見回し、陰った声音で呟く様に言った。
「博麗探偵局はここでよろしいのでしょうか」
霊夢が肯定すると、女は感情の少ない表情でもう一度、霊夢達を眺め回し、再び口を開く。
「私は」
「シャウナだな。前にも会っただろ?」
「覚えて頂けたとは思いませんでした。それで人探しをお願いしたいのですか」
また人探しかと思いつつ、客である事には違いないので、霊夢は急いでお茶を淹れに行く。魔理沙はどうぞどうぞとシャウナを応接セットに座らせ、蓮子を伴って、向かいに腰掛けた。まさかまたただ働きじゃないよなと内心不安に思いつつ、魔理沙は一度頭に手櫛を通すと、身を乗り出して笑みを見せる。
「さて、人探しって言うと?」
「スカーレット事件の事です」
それを聞いて魔理沙は内心、やっぱりかと呟いた。
やっぱり紫は二人の客を使って、レミリアに繋がる情報を与えようとしているのだ。スカーレットといえば、レミリアのファミリーネーム。紫がメッセージとして事件にスカーレットと名付けたのだろう。きっとスカーレット事件にはレミリアが関わっているのだ。以前レミリアを探しにビルへ行った時にシャウナと出会ったのも紫が謀ったのかもしれない。
だとすれば、シャウナの探し人というのはレミリアに違いない。
「犯人を見つけて欲しい?」
先読みした魔理沙の言葉に、シャウナの言葉が一瞬止まる。だが思い直した様に、再び口を動かした。
「話が早くて助かります。けれど」
「個別の犯人ではなく、スカーレット事件全体の真犯人を捕まえて欲しいって訳だな?」
完全に言葉の止まったシャウナの態度を肯定と判断し、魔理沙はわざとらしく咳払いをしてから、人差し指を立てた。
「この事件はまだ警察だって糸口を見つけられていない難事件だ」
次こそ吹っ掛けてやると魔理沙が法外な金額を告げようとすると、今度は魔理沙の言いたい事を悟ったシャウナが間髪入れずに答える。
「言い値を払います。常識の範囲内で」
お茶を持ってきた霊夢が魔理沙の頭を叩き、三人にお茶を出して、自分が魔理沙の後ろに立った。
「並並ならぬ執念を感じるけど、何か理由があるの?」
「この事件に巻き込まれて私の両親は命を落としました。この事件は両親の仇です」
「事件に巻き込まれたねぇ」
そういう設定なのか。
「失礼だけど、あんた日本に住んでるのか? それとも旅行中?」
「日本に住んでいます。少し前に移住してきました」
また最近引っ越してきたって設定なのかと魔理沙は思った。蓮子との関連性が見えて、益益紫の手引が濃厚になる。
そうであるなら、蓮子の時と同じで、話す背景は殆ど虚構だろう。経緯やらを綿密に調査したところで実りは少なそうだ。それならば、シャウナのして欲しい事、つまり紫のさせたい事を聞いた方が話は早い。
「その犯人を見つけて警察に突き出せば良いのか?」
そんな単純は話ではないだろう。
「いいえ、居場所を突き止めて下さい。警察に伝える必要はありません」
「警察に捕まる前に、捕まえて来いって事か?」
いいえとシャウナは首を横に振り、右手を振り上げた。
その手にはいつの間にかナイフが握られていた。
「場所さえ調べて頂ければ十分です」
そのナイフを握った手が振り下ろされる。
「後は私が殺します」
応接テーブルが凄まじい音を立てる。
ナイフが突き立ったのかと魔理沙達は錯覚したが、シャウナの手からはナイフが消えていた。
「手品なら余所でやってくれ」
「失礼致しました」
シャウナがテーブルから手をのける。そこに刃物で傷付けられた様な跡はない。
「とにかく必要なのは情報です。犯人の居場所さえ分かればそれで良い」
「人を殺す覚悟があるなら、私に聞くより個別の事件を起こす犯人を拷問して無理矢理親玉を聞いた方が早いんじゃないか」
それで上手く行くなら警察がもう捕まえているだろうけどという言葉を胸に秘めてそんな事を言うと、シャウナは表情を変えずに答えた。
「残念ながら、彼等は何も喋ってくれませんでした。どうやら実行している者と、首謀者は直接の繋がりが無い様です」
魔理沙が黙りこむ。予想外の答えだ。黙った代わりに背後の霊夢が尋ねた。
「ちなみにその喋らなかった犯人はどうなったの?」
「死にました」
おいおいおいと魔理沙が頭を掻き毟りながら背凭れに体を預けた。
「まさか、この依頼断ったら私達まで殺すつもりじゃないだろうな?」
シャウナが不思議そうな顔をした。
「どうしてですか? 殺す理由がありません」
そうかいと言って、魔理沙は目を瞑り、そして再び体を乗り出した。
「依頼となりゃ、やるだけの事はやるさ。だけどさっきも言った様に、警察でもてこずっている事件だ。全くの手掛かり無しで、一から捜査したってそう簡単にはいかなぜ」
承知の上ですとシャウナが答え、それに付け加えて言った。
「手掛かりは多少ですがあります。そしてこの手掛かりがあるからこそ、ここを訪ねました」
魔理沙は頷く。
そういう話になるだろう。
紫が伝えたい情報が何なのかそれが問題だ。
「その手掛かりって言うのは? そもそもどうしてそれを得た?」
「私の家系は、妖怪退治を専門に行なっていた末裔です。私の両親は特に優秀でした。その両親が言っていたのです」
シャウナは言葉を切ると、悍ましそうに表情を歪めた。
「この事件は、吸血鬼が関わる事件だと」
魔理沙はその言葉の続きを待ったが、シャウナはそれ以上何も言わなかった。
しばらく待って、何も言わないので、魔理沙は聞いた。
「吸血鬼ってのがあんたの言う手掛かりか?」
「そうです」
「え?」
そんな筈が無い。
事件にスカーレットという名前が付いている時点で、レミリアが関わっている事は分かっている。今更そんな分かり切った事が情報の筈が無い。
魔理沙が混乱していると、シャウナがくすりと笑った。初めて見せた笑みではあるが酷薄だった。
「それからもう一つ、この町でレミリア・スカーレットのファッションショーが行われますが、あなた達は参加されますか?」
「いや」
何が言いたいのか分からず、次の言葉を待っていると、シャウナが言った。
「それに参加したいのであれば、チケットの入手方法をお教えしますよ」
何となくシャウナの言いたい事が分かった。
「あんた、レミリアが吸血鬼だっていうのが分かっているのなら、わざわざうちに吸血鬼を探して欲しいなんて頼む必要は無いんじゃないか?」
すると酷薄な笑みのままシャウナが言った。
「一匹とは限らないでしょう? 殲滅するには巣を焼き払わないと」
「レミリアの居場所を探れって事か」
「吸血鬼の、です」
どうにも危険な臭いがする。というより目の前の女が危険過ぎる。会ってすぐの人間に吸血鬼を殺したいから場所を教えろと頼む奴が居るだろうか。レミリアを探させるにしたってもう少し迂遠な言い方があるだろう。こんなにも開け放した殺意を持っているなんて正気の人間とは思えない。
魔理沙はパチュリーの言葉を思い出した。レミリアの他にも子供が居ると言っていた。シャウナはそれの事を言っているのかもしれない。だが魔理沙はその話題を出す事を避けた。それを出せば、目の前の女が更に狂いそうな予感がして。
考えこんだ魔理沙の代わりに、霊夢が会話を継ぐ。
「それでそのファッションショーのチケットの手に入れ方っていうのは? 既に完売してオークションで相当高騰しているみたいだけど、それを買うって話じゃないのよね?」
「何も転売目的の方だけがチケットを持っている訳じゃない。純粋に参加しようとしている方は持っているけれど売ろうとはしないでしょう?」
「だから何よ」
「そういった方が、例えばスカーレット事件で亡くなったとしたら? チケットが余るでしょう? 家族も傷心していてチケットをどうしようかなんて頭に無い。あるいは端からチケットの事なんて知らない家族も居るでしょう。そういった方からでしたら、もしかしたらただで手に入れられるかもしれません」
「あんた」
思わず霊夢は立ち上がりそうになった。あまりにも人の不幸につけこむ手段だ。
「よくもそんな事が言えるわね」
シャウナはその言葉を無視して言った。
「丁度事件に巻き込まれて余ったチケットが三枚あるのを知っています。向こうからコンタクトを取ってくる様に取り計らいます」
「何をするのよ」
「ネットに友達がスカーレット事件に巻き込まれたという設定で、相手の共感を誘い、チケットを譲ってもらえる様な書き込みを行います」
「相手が見なかったら?」
「見るように仕向けますわ。ご安心を。あなた達への連絡先さえ教えていただければ、後は全て上手く行く様に致します。そちらが話を合わせてくだされば、あなた達はチケットを手に入れられる。それもただで」
そう言って、シャウナが笑みを深めた。
霊夢は吐き捨てる。
「最低ね」
人の不幸を踏み台に、相手の善意を踏みにじり、騙して蜜を啜る最低の行為だ。霊夢はふざけるなと断ろうとしたが、それを魔理沙が制した。
「良いぜ。乗った」
霊夢が非難の色を浮かべて魔理沙を睨むが、魔理沙は冷たい目でシャウナを見つめている。
「話が分かる」
「うるせえ」
シャウナの心無い褒め言葉を切って捨てると、魔理沙は霊夢を見て言った。
「霊夢、ここは乗っておいたほうが良い。絶対だ」
霊夢にはそう思えない。射命丸から貰った前金があるのだからチケットを手に入れるならオークションで落札すれば良い。その金を惜しんで、悪魔に魂を売る理由は無い。紫がレールを敷いてるのであれば、レミリアに近付く最短距離は紫の代理人であるシャウナの話に一から十まで従う事かもしれない。だが魂を売ってまで紫の用意した最短距離を行く必要はない。レミリアの事務所は分かっているし、仲間であるパチュリーと面識がある、他の子供が居るという情報やレミリアの住む場所が近くにあるという話も聞いた。まだまだ情報は薄いが、決して追えない訳じゃない。ましてチケットなんてお金を出せば買えるのだから、ここで人の心を捨てる必要はない。
「落ち着け、霊夢。野放しにしておくのが不味いって言ってんだ」
レミリアならすぐに捕まえられると反論しようとして、霊夢は魔理沙の言いたい事に気がついた。
魔理沙はこう考えたのだ。何よりもまず、目の前の女を放置しておけない。蓮子を放っておけなかった様に、このシャウナも放っておけない。ただシャウナの場合、放っておけないというのはシャウナが他人に危害を加える事を見過ごせないという事だ。吸血鬼を殺すと息巻き、その手掛かりを探す為に殺人を犯したとのたまう女だ。さっきのチケットを手に入れる方法からして人の心がある様に思えない。そんな奴の話をここで断ったらどうなるか。まず魔理沙達が逆恨みされて殺される可能性がある。次にショーの会場で無茶をしでかす可能性がある。更に万が一ショーで手掛かりを得られなかった場合どんな強行に走るか分からない。スカーレット事件とは別に、この女自身が犯人となって連続殺人が行われるだろう。そうなってしまう位ならば相手の言葉に乗っておいて、少しでも相手の感情を慰撫し、大人しくさせておいた方がいい。この狂人は下手に対応すれば何をするか分からない。そしてもしも何かしでかしたらすぐに対処出来る様に、こいつの動きを知っておいた方が良い。野放しにはしておけない。
「とりあえずこれが連絡先」
連絡先を受け取ったシャウナはいつの間にか元の無表情に戻っていた。
「ありがとうございます」
「連絡が来るのを待ってれば良いんだな」
「ええ。後はこちらで」
そう言ってシャウナは席を立った。
チケットを渡すのだけが目的だったかの様だ。
ショーへの参加が紫のさせたい事だったのかと訝しむ。だとしたらこんな狂った女を差し向ける必要は無い様に思えた。
「おい、依頼の話だけど」
「内容は先程話した通りです。それとも前金が必要ですが」
「前金は良い」
下手に金を受け取っておくと面倒な事になりそうだ。
「成功した暁には言い値を払います。それで良いでしょう?」
「結局私達がやるべき事は?」
「吸血鬼の住処を教えて下さい」
そう言うと、シャウナはさっさと事務所を出て行ってしまった。
残された魔理沙溜めていた息を大きく吐いた。
「危ねえ! 断ったらあいつ私達の事殺してたぞ。絶対!」
「あいつも紫の差金? 随分な人選だわ」
「まずあいつを警察に突き出した方が良いんじゃないか?」
「証拠が無いわ」
「前に会った時はまともそうに見えたんだけどな」
「いやあの時からおかしかったけど。そうか、あの時レミリアを探していたのは、殺す為だったのね」
「いや、それは違うぜ。だってあの時にはまだスカーレット事件て名がついてないし、それにレミリアが日本に来たのは最近なんだろ?」
「そうね。確かに。じゃああの時は本当に会おうとしただけだったの?」
考えても分からず諦めた魔理沙は蓮子に笑いかけた。
「ま、こんな感じで、変な依頼人も多い。だから心してくれよ」
だが蓮子は心ここにあらずと言った様子で、シャウナが座っていた場所を眺めている。
魔理沙が肩に触れると、蓮子が飛び上がる。
「どうした? 怖かったのか?」
「いえ。確かに怖い事を言ってましたけど、でもあんまり悪い人には」
何言ってんの! と霊夢と魔理沙が同時に叫ぶ。
「だって両親を亡くしたんですよね? 大切な人を亡くしたらおかしくなるものかなって」
「そんな優しい狂い方じゃなかっただろ? 普通じゃないぜ」
「そうですか。そうかもしれません」
何だか蓮子が落ち込んだ様子を見せた。
理由は分からないがそれを払拭する為に、霊夢は手を打った。
「とにかくやる事をやりましょう」
「やる事って?」
「とりあえずご飯」
霊夢が真顔で言った。
それを聞いて魔理沙は笑う。
「そうだな。蓮子は何か食えない物はあるか?」
「何でも食べられます」
そう答えた蓮子の頬を、魔理沙が両手で挟み込んだ。
「後、敬語無しな。私達は仲間だぜ。遠慮は無し。年も同じ位だろ?」
蓮子が頷くと魔理沙は満足そうに笑い、霊夢と一緒に厨房へ向かった。
「そこで待ってろよ。今日は何にすっかなぁ」
「まずは消化しやすいものよ。あんた入院してたんだから」
「ええ!」
残された蓮子はしばらく立っていたが、やがてすとんとソファに座り直した。
そこに魔理沙が再び顔をのぞかせた。
「あ、そうだ、蓮子。お前の友達を探すのちゃんとやるからな。さっきの依頼人の仕事もやるけど、蓮子の方もないがしろにはしないぜ」
蓮子が振り返ると、魔理沙が何だか気まずそうな顔をしている。
「というより、多分レミリアの話を追っていけば、自然に会えると思う」
そう言って、魔理沙は顔を引っ込ませた。
再び一人になった蓮子は、ぽつりと呟いた。
「レミリア・スカーレット」
そのファミリーネームには聞き覚えがある。友達のフランドール・スカーレットだ。吸血鬼だと自分で言っていた。あのシャウナという女性が殺そうとしている存在だ。メリーの顔が思い浮かぶ。スカーレット事件という単語が浮かぶ。
何か繋がりそうで繋がらない。
それぞれが関わりありそうで、はっきりとしない。
もどかしい思いをしながら前を見つめていると、油の爆ぜる音が聞こえ、美味しい匂いが漂ってきて、やがておかゆが運ばれてきた。
「来たぜ、メール」
シャウナから依頼のあった日の翌日、魔理沙は昼食の蕎麦を置いて、二人にモニタを見せた。
「スカーレット事件で友達を失くし、その友達が生前行きたがってたからチケット下さいと乞食した結果、見事にチケットくれるっていう連絡が来たぜ。しかもただだってさ。やったぜ」
うんざりした様子の魔理沙が苛立った様子で蕎麦を啜る。
同じく嫌な顔をした霊夢がモニタに顔を近づけた。
「で、その売ってくれるっていうのはどんな人なの?」
「私達より年上の女だ。高校生。もしかしたらシャウナの知り合いなのか? だとしたらえげつないなんてもんじゃないぜ。両親は無くて、一緒に住んでた祖父も失踪。養護施設の誘いを断って、大きな屋敷で一人っきりで住んでいるらしい。そして今回友達が自分の屋敷で死んだんだってさ」
「ご飯の味が無くなる情報をありがとう」
「どういたしまして。でも私の所為じゃないぜ。とにかくチケットは当日貰える。三枚だから、蓮子も参加出来るけどどうする?」
「私も行く。これが探偵の仕事なんだし、メリーの手掛かりもあるかもしれないし」
「うーん、まあ手掛かりは。いや、そうだな。で、当日チケット貰ったら一緒に観る事になるからちゃんと話を合わせてくれ」
「一緒に?」
「そう。友達を亡くした同士だからお互い励まし会いましょうみたいな感じ」
「実際に会うの? 顔合わせたら更なる罪悪感に襲われそうなんだけど」
「私だって出来ればチケット郵送してもらって、顔を合わせずに済ませたかったさ。でもあのシャウナって奴が一から十まで決めちゃってるんだからしょうがないだろ。今更断るのだって後味悪いし。チケットは欲しいですけどあなたとは会いたくありませんって言えないだろ? 言えるか?」
「あーもう。それで、名前は?」
「えーっと、随分珍しい名前なんだが。っていうか、読めない」
魔理沙はそう言って、モニタを指さした。
「苗字も名前も初めて見たぜ。なんとかようむ」
そこには魂魄妖夢と書かれていた。
続く
~其は赤にして赤編 13(刑事3)
遺族に仇うちに貢献させるなんてこれ以上ない気遣いじゃないのか
しかも同年代のやつをあらたに危険に巻き込みながら、つまらない表面的な道徳で人を非難出来るんだろうか
そこらへんがいかれているというかリアルなサイコパスな思考回路なんだろう