Coolier - 新生・東方創想話

凡人の剣

2015/11/30 16:41:41
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1.
 雨を斬れる様になるには三十年、空気を斬れる様になるには五十年、時を斬れる様になるには二百年は掛かると言う。では舞い散る桜の花弁を斬るには一体何年掛かるのだろうか。
 私は目の前をひらひらと落ちていく桜の花弁を眺めながらそんな事を考えていた。雨を斬るよりは難しそうだが、空気を斬るよりは簡単そうだし、四十年もあれば十分だろうか。試しに楼観剣を振り下ろしてみた。案の定、刀身が届く前に花弁はさらりと身を翻し私を嘲笑うかの様に地面へ逃げていった。
 そもそも、空気を斬るとは一体何の事なのか。全身に力を込めて楼観剣で空気を薙いでみると、当然の如く刀は空を切る。この空を切るというのは恐らく空気を斬るとは全く別のものなのだろう、いくら自分が未熟者とはいえそれ位は分かる。では時を斬るとは? 最早妄人の戯言にしか感じられない域である。
 機械的に、刀身を持ち上げては振り下ろしを繰り返していく。昨日の私の剣と今日の私の剣は何か違うか、そう問われたらその答えは何も違わない、だろう。こんなことをしていて本当に強くなれるのだろうか。そんな不安が脳裏をよぎる。
 いけない、私は稽古の最中に何を考えているのだろうか。こんな雑念だらけの剣を振っていては強くなれぬのも道理。罰として後三千回素振りを追加しよう。私は刀に意識を集めて研ぎ澄ます。刀身を滑る様に視線を走らせ切っ先で固定、大きく深呼吸を二つ。今この瞬間、刀と私の境界は崩れ去り私は一振りの刃となる。
 一、二、三……。それまでの稽古で既に肉体は悲鳴を上げていたが無視してひたすらに剣を振るい続ける。それからどれ位の時間が経っただろうか、千二百四十七回まで数えた所で妖夢を呼ぶ声があった。
「よーむー、ご飯まだー?」
「すいません、幽々子様。ただいま支度します」
 素振りに夢中で気付かなかったが太陽は既に中天に達しており、幽々子様の昼食を用意するという日課を失念していた事に私は今更気付いた。普段の稽古に素振りを三千回も追加すれば昼時を過ぎる事など明白だったのに、一体私は何をしているのか。自分の迂闊さを腹立たしく思いつつ駆け足で炊事場に向かった。

 半刻後、並べられた料理に目を輝かせる幽々子様の目の前で私は平伏していた。ついでに半霊も隣で床にひれ伏している。
「申し訳ございません。半刻も幽々子様のお昼の時間を遅らせてしまうなどこの魂魄妖夢、一生の不覚」
「別に大丈夫よ? あんまりお腹も空いていなかったし」
「幽々子様、左様に見え透いた嘘で私を慰めるのはお止めください。幽々子様が食べ終わるまで私はこのままでいます」
「妖夢、頭を上げて、ね? そんな風にされたら私も食べ辛いわ。後微妙に私の事馬鹿にしてない?」
「滅相もございません」
 私は幽々子様に言われて渋々頭を上げた。幽々子様はそんな私に微笑んでみせた。
「じゃあ罰として妖夢のおかずを一品貰おうかしら」
 幽々子様は私の分の川魚の塩焼きが載せられた皿を自分の下に引き寄せた。それにより幽々子様の川魚の塩焼きは五匹に一足して六匹となった。
「それじゃあいただきます、妖夢」
「……いただきます」
 午前中の稽古で身体は栄養を欲しているはずなのに食欲は湧かなかった。幽々子様が時折心配そうにこちらを見るのでその時だけ箸を伸ばして機械的に口に放り込んでいった。惨めだった。幽々子様の優しさが一番私を惨めにしていた。庭師兼剣術指南役として幽々子様にお仕えして暫く経つが今の自分は半人前ですらない。剣を教えるどころか自分の剣の道すら拓けていない。幽々子様の料理の準備という最低限の責務すらままならない。あれ? 幽々子様の料理の準備は果たして庭師やら剣術指南役の責務に入るのだろうか。いや、幽々子様が求めている以上は私の仕事だ。とにかく今の自分は何一つ満足にできていないのだ。
 お師匠様、私は心の中で自分の祖父、魂魄妖忌に語り掛ける。私は貴方を恨みます。今の悩みはつまるところ、貴方が私に禄に剣の振り方も教えずに頓悟して行方をくらませた事に起因しているのですから。祖父はお前が剣を握るなど百年早いと私に稽古を付けようとしなかった。祖父から教えられたのは専ら庭の手入れの仕方、それから時々剣を握る為の心構えだった。その癖ようやく刀の研ぎ方などを教えてくれる様になり始めたと思った矢先、後は任せたと書置きを残して突然姿を消してしまった。全くなんと無責任な事か。
 人間の里で手に入れた剣術指南書を読み漁ったり、人里の剣術道場に通ってみた事もあったが無駄だと気付いて直ぐに辞めてしまった。つまり私の剣はほぼ全て我流だった。そんな私にはきっと人を斬るための刀より幽々子様の空腹を満たすために包丁でも握っている方がお似合いなのだろう。せめて幽々子様が私の剣術指南を受けてくだされば、ここまで不安に感じる事も無かっただろう。しかし幽々子様は剣を握るのを嫌がった。そもそも弾幕勝負という枠に囚われなければ幽々子様が死の概念が存在する相手に負けることなど有り得ないのだし、弾幕勝負なら剣術に出番はない。要は剣術を指南する必要性など端から無いのだ。
 そういった後ろめたさにも似た情動から、どうして剣術指南を受けてくれないのかと問うた私に幽々子様はこう答えた。
「妖夢はまだ人に教えるには早いわ」
 何故そう思うのかとむきになって食い下がった私に、幽々子様は少し困ったような表情を浮かべた。
「刀で斬らずとも、人は殺せるわ」
 幽々子様が一瞬浮かべた冷たい表情に私は戦慄したが、次の瞬間にはもういつもの能天気そうな表情に戻ってこう続けた。
「それに、妖夢の剣は何というか、平凡なのよねえ。妖忌、あなたの御爺さんは凄かったわよ、こうズババッと」
 幽々子様が剣を振る動作をしてみせた。その動きから幽々子様の言わんとする事は一寸も伝わってこなかったが、何気なく放たれた平凡という言葉が今も私の胸に小さな棘となって突き刺さっている。

 昼食後、食器の片付けを済ました後、庭の手入れを早々に終わらせてから私は再び稽古場として使っている庭の一角に戻った。午前中の残りの千七百五十三回の素振りを終わらしてしまわなければ。しかしそこには幽々子様が待ち構えていた。
「妖夢、また稽古しようとしてたでしょ」
「他にすることもありませんので」
「駄目よ、ふらふらしているじゃない。今日の分はもうお終い」
「しかし……」
「人里の西の市場の近くに新しい甘味処ができたらしいの。凄く美味しい餡蜜っていう甘味があると評判になっているから食べに行きたいんだけど、一緒に行ってくれないかしら?」
「畏まりました」
「じゃあ行きましょうか」
 幽々子様はうきうきした様子で妖夢に笑い掛けた。
「幽々子様、少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか?」
「どうかしたの?」
「行水をしてきたいのですが」

2.
「妖夢にも意外と女の子らしい所があるのね」
 身支度を整えて新しい甘味処とやらに向かう道中で、幽々子様は私の事をからかってきた。
「最低限の身嗜みです」
 そう言いながらも少し頬が紅潮しているのが自分でも分かった。柄にも無い事をしたという後悔の念が湧き上がる。
「そう? 初めて会った頃の妖夢だったらそんな事考えなさそうだけど。良い傾向なんだから恥ずかしがる事無いのに。霊夢達と知り合って変わったのかしらね」
「私は変わってなんかいません」
「変わったわよ。妖忌に連れられて初めて私と会った時の妖夢ったら、眉間に皺寄せて今にも斬り掛かってきそうな凄味のきいた眼でこっちを睨んでくるんだもの」
「そうでしたっけ」
 幽々子に言われた通り、私は少し変わったのかもしれない。昔は他人にほとんど興味が無かった。昔の私の世界は私と、幽々子様と、魂魄妖忌だけで成り立つとても小さな世界で、それ以外の人間は私にとってはノイズも同然だった。だが今は紅白の巫女や魔法使い、それに悪魔の館のメイドなんかと知り合い、彼女等の催す宴会にも顔を出すようになった。自分が何かに影響されやすい性質であるのは自覚している。彼女等に何らかの影響を受けた、いや受けているのかもしれない。だとするなら、その変化は幽々子様の言う様に好ましいものなのだろうか。昔の自分なら今の様な悩みも無く剣を振るえていたのではないのか。
 気付けば人間の里の外れまで来ていた。長屋が何件も軒を連ねているが仕事にでも出ているのか人気は無く閑散としている。何本かまばらに桜の木が植えられ満開の花を散らしているのが目に入った。
「魂魄妖夢だな」
 何処からか私の名を呼ぶ声があった。声の方向に視線を向けると通りの角から一人の中年の男が姿を見せた。男の第一印象は、浪人めいている、だった。本差と脇差を身に着け、古めかしい着物に身を包んでいる。そんな男を武士ではなく浪人らしく、と感じさせるのはぼさぼさの髪、伸びた髭、服のあちこちに付着した汚れ、こちらまで微かに漂ってくるすえた様な異臭、血走った眼だった。男の無造作に伸ばされた長い髪は男の顔を半ば覆い隠し、髪の黒の中に眼だけが浮かび上がって見えるのが不気味さを助長していた。
「どちら様でしょうか」
 私はいつでも楼観剣を抜ける様に警戒を怠らず男に問い掛ける。
「私が誰かなどというのは些末な問題だ。それより君に手合わせをお願いしたい」
 私が異変に手を出して以降、人里で私の存在が噂されたらしく、何度か自称剣客から決闘を挑まれることがあった。この男もその類なのだろうが、その声は外見から受ける印象よりもずっと落ち着いて理知的なものだった。
「お断りします。幽々子様との用事がありますので」
「明日なら相手してくれるのか?」
「はあ、あなたも最強の剣術使いとかいう称号が欲しいんですか?」
 こういった手合いの相手をするのは若干うんざりしていた。その言葉に男は含み笑いを浮かべる。
「そうだな」
「じゃああなたの不戦勝で良いです。では私達はこれで」
「相手をしてくれないならしょうがない。ここは一つ、そこの亡霊のお嬢さんに斬り掛かってみようか」
 私は右手で楼観剣を抜き男と幽々子の間で構えた。
「幽々子様、下がっていてください」
 幽々子様への害意を露わにされた以上、引き下がる事はできない。斬り伏せるより他あるまい。
「頑張ってねえ、妖夢」
 幽々子様は底抜けに暢気な口調で私に応援の言葉を投げ掛けた。
「ようやくやる気になってくれたようだな」
 男は鞘に納めた刀に右手を掛け、悠然と構えていた。相手との距離を目測する。凡そ十メートル。私は地面を蹴り、足を付かずに一跳びで相手に楼観剣を振り下ろす。男は一瞬で間合いを詰められたことにも動揺を見せず、身体を斜めにして最小限の動きで一撃を躱す。
 私は突っ込んだそのままの勢いで男の背後まで飛び、足を着くと同時に身体を回転させ楼観剣を一回、二回と突き出す。男は既にこちらに身体を向けており初撃を躱し、二撃目を刀を抜き楼観剣の切っ先に当てる事で逸らした。男の刀が私の首を落とそうと横薙ぎに払われる。私はそれを態勢を低くして躱し、横方向に跳躍して距離を取った。
 楼観剣越しに男を見据えると、男は再び刀を納めて私を見つめていた。私は小さく首を傾げる。男の剣の振るい方にどこか見覚えがあるような気がしたのだ。
 私に挑んでくるという事は、以前に私に挑んで敗れた者の内の誰かが再戦に来たという事なのだろうか。せめて顔さえ良く見れれば思い出せるかもしれないと一瞬思ったが、直ぐに今まで自分に挑んできた者達の顔を誰一人覚えていない事に気付いた。私は男に語り掛ける。
「私に恨みがあるというなら謝罪します。こんな時間の無駄そのものの争いは止めましょう」
「君は自分が悪くもないのに謝るのか。武士がそんなに軽く頭を下げてはいけない」
「武士じゃありません、庭師兼剣術指南役です」
「似た様なものさ」
 私は意味の無い問答を続けても仕様がないと口を噤み、男に向かって一歩一歩ゆっくりと近づいていく。男がこちらの接近を身構えて待っているのは明白だったが、歩みを緩めはしなかった。相手の刀の軌道を頭の中で思い描く。間合いまで後三歩、二歩、一歩……。
 男の方が最後の一歩を先に踏み込んだ、と同時に私は楼観剣を振り下ろす。相手に命中させる事が目的では無く、相手の攻撃の発生を潰すための牽制だった。だが、その刃は男の身体まで届いていなかった。私の予想に反して男は抜刀しようと踏み込んだのでは無かった。その代わりに私の剣の動きに合わせて前に出した足を戻し上体を後方にずらしていた。私は自分が誘い込まれた事に気付く。男はもう一度足を前に出し、目の前の楼観剣を足で押さえ付けた。そして無防備な私の身体めがけて刀を抜く。
 私は腕を引いて男の足から楼観剣を逃して持ち上げる。男の刃が迫る、真っ直ぐに、ひたむきに、私の命を斬ろうと。刀が私を両断するまでの一瞬、その時間が引き伸ばされたかのように刀が緩やかに動いて見えた。ひらめく刀身の中に映る自分の瞳と目が合う。その瞳は少し悲しそうに見えた。
「鈍い」
 私はそう呟くと満身の力を込めて楼観剣を地面に刺すように突き出した。楼観剣の切っ先が男の刀の腹を捉える。男の刀は桜の花弁のようには逃げていかない。男が刀に込めた力と私が楼観剣に込めた力が重なり、楼観剣は男の刀を貫いた。砕けた刃の破片が宙に舞う。
 男の目が驚愕に見開かれる。しかし私は気付く、男の殺意がその目から失われていない事に。男が居合の為に鞘に当てていた左手が私に向かって突き出されている。その手にはいつの間にか脇差が握られており、私の身体まで数十センチの距離まで近づいていた。だが、完全に私の虚を突いたその一突きですら絶望的に遅過ぎた。私は地面に突き刺さった楼観剣を抜きそのままの勢いで上方に振り上げ、力づくで男の刀を弾く。続いて刀身を翻して峰を向け、男の腹部を殴打した。
 男の身体が吹き飛ぶ。私は男に駆け寄って状態を確認した。男は倒れた際に頭部を打った影響か意識を失っていた。口から微かな呻き声だけが漏れている。峰内した腹部は致命傷を負わせない様直前で減速させた甲斐あって骨が数本折れた程度で済んだようだ。
「幽々子様、この人気絶しちゃってるんですがどうしましょうか?」
「放っておけばいいんじゃない?」
 幽々子様は投げやりにそう仰った。
「駄目ですよ、人里の中とはいえさすがに危険です」
「じゃあ近くの医者でも呼んできたら?」
「医者に診せれば事情を話さざるを得ませんが、話したらこの方はどうなるでしょうか」
 私は幽々子様に問い掛けた。幽々子様はつまらなそうに返事をする。
「やった事は辻斬りと大差ない訳だし、それなりの対応がされるでしょうね」
「私の方はできれば大事にしたくありません」
「じゃあどうするの?」
「白玉楼に連れ帰って応急手当をして、意識が戻り次第帰そうと思います」
「妖夢は優しいのね。でもそこまでする必要無いと思うけど」
 私もそう思う。元はと言えば相手が吹っ掛けてきた喧嘩だ。普段なら適当にそこらの医者の所に放り込んでお終いだったろう。だが気になるのだ。男の剣に感じた既視感は私の中で刻々と膨れ上がっており、その正体を本人の口から聞き出したいという気持ちがあった。
「何となく気が咎めるんです」
 幽々子様は溜め息を吐いた。
「そう。私は甘味処の方に向かうから妖夢は好きにしなさい」
 冷淡に言い残して幽々子様は私を置いて通りの向こうに消えて行った。その様子に私は違和感を覚える。妖夢の提案に幽々子がここまで素っ気ない態度を取る事が意外だった。普段なら幽々子の方が相手の心配をしそうなものなのだが、今日に限っては立場が逆転している様だった。私は男の折れた本差と脇差を地面から拾い上げて鞘に納め、刃の破片も大まかに回収すると男を背負って歩き出した。

3.
 白玉楼に戻った私は予備の布団を一つ空き部屋に運び込んで敷き、男をそこに寝かした。折れた肋骨は固定した方が良いだろうと判断し包帯できつめに上半身を縛った。頭部の方はいまいちどうするべきか分からなかったが、地面に打った部分が腫れて熱を持っていたので濡れた手拭いを当てておいた。その際に髪を払い除けた事で男の顔がはっきりと見えた。外見の荒み具合とは不調和な程整った顔をしている。ただまともに食事を摂っていないのかその頬は痩せこけていた。男の顔を凝視してみたがやはり何処で会ったのかは思い出せない。
 二回目に手拭いの取り換えを行った時、洗面台まで行って手拭いを濡らし直して戻ってきた私は男の目が開いているのに気付いた。
「起きましたか。怪我は大丈夫ですか?」
「耐えられない程ではない。そうか、峰打ちだったな。私は……」
 男は痛みに襲われたらしく顔を歪めて口を噤んだ。沈黙が何となく気まずい。私は目下の懸念事項について提案してみる。
「あの、もし動けそうなら身体を拭かせてくれませんか?」
「そこまで世話になる訳には……」
「幽々子様が戻るまでに身体を綺麗にして頂かないとこちらも困ります。今の貴方、かなり臭いますよ」
「これは失敬。しばらく家に戻っていなかったからな。水場を貸して貰えれば自分で身体を清めてこよう」
 男がそう言って身体を起こそうとするのを私は制した。
「駄目ですよ、あまり動いちゃ。骨折してるんですよ?」
「大丈夫だ、これ位は慣れている」
 男は傍の書机に手を着いて立ち上がった。痛みに顔を歪めてはいるもののしっかり立てている。余りしつこくすると逆に迷惑かもしれないと思い引き下がる事にした。
「分かりました、案内します」
「かたじけない」
 私は男に風呂場までの道程を口頭で説明する。肩を貸そうかと提案してみたが男はそれも固辞して一人で足を引き摺る様にして歩いて行った。
 男が何者なのか聞きそびれてしまった。まあ戻ってきたら聞けばいいか。男が戻って来るまでに少し料理でも用意しておこう。骨折に響くと良くないし食べやすいお粥でも作ろうかと炊事場に行って竈に火を起こし昼飯の残りの米に水、更に味付けとして醤油と塩を少量加えて火に掛ける。男の痩せ細った身体を思い出し、少し多めにお米を入れておく。炊事場を離れて妖忌が残した衣服を取り出すと風呂場まで持って行き、男の脱いだ衣服の上に載せておいた。
 
 粥を器に盛って男の布団を敷いた部屋に戻ってみると、風呂上りの男が妖忌の服に身を包み正座して私の事を待ち構えていた。伸び切った髭は剃られ、髪も後頭部で結んだ事で大分さっぱりとした感じになっていた。私は男の真剣な顔付きに若干たじろいてしまう。
「な、何ですか?」
「済まなかった」
 男は床に頭を擦り付けんばかりに頭を下げた。
「え?」
「私の身勝手な希望で君を望まぬ決闘に巻き込んで済まなかった」
「そ、そんなに気にしないで下さい。確かに最初は乗り気じゃありませんでした。でも、久し振りに人と打ち合ってみて、最近自分の中に渦巻いていたもやもやとした感情が少しだけ晴れた気がしたんです。だからその、何というか、ありがとうございました」
「……それは良かった」
「ああ後、こちらこそ刀を折っちゃって申し訳ありませんでした」
 私の方も頭を下げる。男の刀を拾い上げる時に観察した所、柄や鍔がぼろぼろになっており、かなり使い込まれた刀だと予想された。
「真剣勝負で刀が折れたからといって相手を責める程愚かではないつもりだ」
「結局連れて来たのね」
 幽々子様の声が背後から聞こえた。私は幽々子様の方に向き直る。
「お帰りなさいませ、幽々子様」
「まさか妖夢が家に男を連れ込む日が来るとはね。おまけにお風呂に入らせて布団まで敷いちゃって。こうして妖夢も大人になっていくのね」
「誤解を招く様な言い方は止めて下さい」
「妖夢にも一足遅れで春が来たのね」
 幽々子様は上機嫌にそう返した。先程見せた若干刺々しい対応の面影は無い。大方餡蜜とやらを食べて機嫌が良くなったのだろう。
「幽々子殿、どうか先程の無礼をお許し下さい」
 男が再び頭を下げる。
「別に私は刃を向けられようが斬り掛かられようが良いけど、嫌がってる妖夢に無理矢理闘わせるのは大人気無いんじゃない?」
「返す言葉もありません」
 二人のやり取りからはあまり初対面という感じがしなかった。もしかして男は私だけでなく幽々子様とも会った事があるのだろうか。私は益々混乱した。
「あら美味しそうなお粥。たくさんあるようだし私も貰っていいかしら」
 粥に視線を移した幽々子様の目は輝いていた。
「この後晩御飯もあるんですよ」
「午後のおやつよ」
「先程甘味を食べてきた所では無いですか」
「外の世界には甘いものは別腹って言葉があるの、知ってた?」
「それは甘いものを食べる為の言い訳で、甘くないものを食べる時に使う言葉ではありません」
 全く幽々子様は、と呆れながら私は炊事場にもう一つお椀を取りに戻り、幽々子様用に粥を注いだ。幽々子様は頂きまーす、と言って男よりも早く粥に口を付けた。
「美味しい。やっぱり妖夢はお料理上手ねえ」
「何も入れてない唯の粥なんですが」
「味付けが丁度良いわ」
 男の方に目を向けると、男は手を合わせて拝んでいた。続いて男は私の方にも深々と頭を下げ、木匙を手に取って粥を掬って口に含んだ。
「美味いな。久し振りにまともなものを食べた気がする」
「あんなボロボロの風体になるまで一体何をしていたんですか?」
「一月程山に籠って修行を」
「危ないから止めた方が良いですよ、そういうの。ちゃんとした稽古をできる環境で研鑚を積んだ方が余程効率的ですし」
「無意味な事に気付いた頃には一月も経っていたという訳だ」
 男は笑って言い、それからは黙々と粥を食べ進めていき、空になった器を書机に置いた。
「御馳走様」
「あの、私と何処かで会った事がありませんでしたか?」
 私は意を決して訊ねてみた。男の口元が歪む。
「……やはり覚えていないか」
「すいません」
「何、気にする事はない。君にとっては私など路傍の石も同然だったろうからな」
「何処で会ったんですか?」
「地面に転がる石に名を付けて覚えるなど狂人のする事だ」
「貴方の太刀筋に見覚えがある様な気がしたんです。ですから……」
「最後に君に、頼みたい事がある」
 私の言葉を遮ってそう呟いた男が真剣な面持ちで私の瞳を覗き込む。男の瞳に映り込む私の瞳と目が合った。その瞳は矢張り少し悲しげに見えた。
「最後に?」
「君に与えられた恩に何一つ報えず、厚かましくも君に願望を押し付けるのは心苦しい事ではある。だが今の私にはそれで思い止まれるだけの心の猶予が無い」
「駄目よ」
 幽々子様が私と男の間に立ち塞がり、扇子を開いて口元を隠しながら男の言葉を遮った。
「幽々子殿」
「妖夢の代わりに私が貴方の願い、聞き届けてあげましょう」
「しかし」
「妖夢はまだ半人前の女の子なの」
 男は幽々子様から視線を逸らす様にして俯いた。
「……了解した。無理を言って済まなかった」
 幽々子様は扇子を傾けて男に笑顔を見せる。私の方はといえば、どうやら幽々子様と男に面識があるのは事実らしいという事がはっきりしただけで、二人が何を話しているのか全く理解できていなかった。幽々子様はそのまま部屋から出ていき、男の方も直ぐに布団に横になって眠ってしまった。男の方には眠る前に質問してみたがただ忘れてくれと言うばかりで頼み事について私に教えようとはしなかった。

4.
 その日の真夜中、私はもやもやとした気持ちを振り払えず布団に潜り込んだままじっとしていた。あの後、幽々子様と二人で晩御飯を食べたその時に幽々子様に男の事について訊ねてみたのだが答えては貰えなかった。
「あんな男の事は妖夢にとって問題では無いのよ。あの男は明日にはここからいなくなって、あなたにとってはそれで全部お終い、二度と会う事は無いわ。名前も素性も知る必要は無い」
 そう言われた。あんな男という言い方が引っ掛かったが、幽々子様が私の言葉で前言を撤回して教えてくれる筈も無いので大人しく諦めるより他無かった。
「駄目だ、眠れない」
 常ならばとうに眠りに就いている時間なのに。少し夜風にでも当たるか。私は布団を抜け出して白玉楼の庭園まで歩いた。満開の桜の木々に囲まれて、一本の桜の大樹が花一つ咲かせず聳え立っているのが際立って見える。西行妖、幽々子様が春を集めて咲かせようとして、結局満開にさせる事のできなかった妖怪桜。幽々子様がそれについてどう考えているのか、その真意は計り知れなかったが、私自身はこれで良かったのだと思っている。満開になった桜は、後は散っていくしかないのだから。
 生暖かい風が桜の木々を揺らして桜の花弁がはらはらと舞う。この調子なら後数日で桜の満開のピークも終わり、葉桜に変わっていくだろう。他に賛同者を見つけた事は無いが、私は満開の桜よりも散り際の葉桜の方が好きだった。満開の桜は見ていると何故だが不安な気持ちが込み上げてきてどうしても心から楽しむ事ができなかった。
 花見酒と洒落込もうかと、台所まで酒を取りに行く。棚から酒と杯を出した所で台所の無双窓の隙間から幽々子様の姿を見掛けた。無双窓に近寄ってみると幽々子様が庭の反対側の縁側を歩いていた。はて、と私は疑問に思う。二人暮らしには些か広すぎる敷地の白玉楼においてそちら側の通路が使われる事は滅多に無く、その通路の先にあるのは今は専ら倉庫代わりに使われている離れの小屋位だったからだ。私が時々庭の手入れ用の道具を取りに行く程度で幽々子様が小屋へ向かう理由は思いつかなかった。
 私は僅かな逡巡の後、静かに幽々子様の後をつける事にした。幽々子様の行動が男に関係したものであるならば、直接聞いてもはぐらかされるだけだろうと思った。幽々子様が通路の曲がり角の向こうに消えてから、音も振動も起こさぬ様ゆったりとした歩調で後を追う。曲がり角の所で立ち止まって顔だけ出して様子を見てみると、幽々子様が小屋の障子戸を開いて小屋の中に入ろうとしていた。後ろ手で扉が閉じられ、空間が隔絶される。数分間待ってから私は障子戸の前に立ち、両手で慎重に障子戸をほんの少しだけ開いて出来た隙間から中を覗いた。予めある程度予期していた為、小屋の内部に男の姿を見つけても驚きはしなかった。幽々子様がこちらに背を向けているのに対し男はこちらに顔を向けていたが気付かれた様子は無い。室内の光源は一本の蝋燭の火のみで薄暗く、この距離なら悟られる心配は無いと判断し、そのまま室内を観察し続ける事にした。
 男は床に正座し、本差と脇差、と言っても本差の方は私が叩き割ってしまったものだが、とにかくその二本を目の前の床に置いていた。丁度幽々子様の背中で男の半身が遮られる様な配置で幽々子様が私と男の間に立っている。
「馬鹿な事をしたわね」
 幽々子様が男に喋り掛けた。
「利口な人間だったらこの御時勢に刀など握ってはいなかったでしょうな」
「どうして妖夢に決闘なんか挑んだの。まさか勝てるとでも思っていたわけ、唯の人間の貴方が?」
「どうでしょうか。しかしこうして直接刃を交えてはっきりと再認識しました。あれは剣術などではない、子供の遊びだ」
「あら、負け惜しみ? 妖夢は貴女を殺さない様精一杯手加減してたのよ。妖夢が本気なら最初の一撃であなたの上半身と下半身はお別れしていたでしょうね」
 男は乾いた笑みを浮かべる。
「彼女は私に礼を言いました。私と打ち合って少し気が晴れた、そう言っていました。何か悩み事が有ったようです」
「そう」
 逡巡する様な間が空く。その沈黙を先に破ったのは男の方だった。
「幽々子殿、本当は貴方達の前に現れるつもりは無かった。貴方達の手を煩わせるつもりは無かった。しかし、どうしても耐えられなかったのです」
 男は床に置かれた脇差を拾い上げ、抜いた。鞘を傍らに投げ捨てると刀を振り上げた。まさか幽々子様を。私は幽々子様を守ろうと障子戸に手を掛けた。その一瞬、男と目が合った、そんな気がした。男の視線に射竦められて私は動きを止める。男の瞳は私の瞳と同じ様に、どこか悲しげに見えた。男は刀を逆手に持ち替えて両手で握り、自分の腹に刃を突き立てた。
 傷口から血が溢れ出す。どくどくと、どろどろと。男が低く呻き声を上げる。男の身体が傾き、倒れそうになるが男は血で濡れた左手で身体を支え、右手で脇差を横一文字に引き抜いた。その勢いで脇差が男の手からすり抜けた。
 床に放り出された血塗られた脇差をただ茫然と眺めていた私だったが、幽々子様の身体が淡い桜色の光で包まれていくのに気付いて我に返る。幽々子様の身体の周りにいくつもの霊体がひらひらと舞い、その合間から幽々子様が男に対して手招きする様な仕草をした。
 その途端、男は糸が切れた様に床に倒れた。苦悶の呻きも、衣擦れの音も聞こえてこない。幽々子様の周りの霊体は散り散りになって宙に消えていった。淡い光も消え、部屋は再び薄暗闇と静寂に支配される。私は扉を開いて小屋の中に入った。幽々子様が首だけ曲げてこちらを向く。
「幽々子様」
「妖夢、起きてたの? 覗き見なんて趣味が悪いわね」
「どうしてこんな事に……」
「ここに来た時から決まっていた事よ」
「どういう意味ですか?」
「どうしてって決まってるじゃない。ここは冥界、死者の来る場所よ。この男は白玉楼の敷地を跨いだ時点で半分は死んでいたのよ」
「私が聞きたいのは、彼が死んだ理由です」
「死を操る程度の能力、私の能力よ」
 幽々子様は目を細めて言った。
「どうして彼は自刃したんですか」
「この男はね、妖夢に負けたから死んだの。この世界は強大な力を持つ妖怪で溢れ返っている、でも剣術に限って言えば自分の右に出る者はいない、そんな無根拠な自負だけがこの男の誇りだった。それを妖夢に完全に否定されたから死ぬしかなくなった、それだけの話よ。本当に陳腐でつまらない、愚かな人」
 幽々子様は男の骸を見下ろし侮蔑の表情を浮かべながらそう言い放った。男の身体から流れ出た血液が幽々子様の足元へと伝っていく。私は胸に石でも呑み込んだかの様な息苦しさを感じて瞑目した。
――刀で斬らずとも、人は殺せるわ――
 幽々子様の言葉が頭の中で反響する。

5.
 男の正体に思い至ったのは、それから数日後、いつも通り午前の稽古を行っている最中だった。男が死んだ後、私は夜明けまで白玉楼の広大な敷地の一角に穴を掘ってそこに男の死体を埋め、ついでに大きめの岩を持ってきてその上に設置して簡易的な墓石を作った。
 それからの数日間、幽々子様との間で男に関する会話がされる事は無かった。幽々子様の言っていた通り、白玉楼で自刃した男など最初からいなかったかの様に時は流れた。何度か男の事について質問しようと口を開きかけたが、男の存在を無かったものとして振る舞う幽々子様を見ていると疑問を口に出すのが憚られた。だが稽古場を訪れる度に男の墓が私の視界の端に入ってきて行き場の無い苛立ちにも似た感情に襲われた。おそらくその感情は、自分が男の死に悲しみとかそういった類の感情を微塵も抱けないという事に起因していたのだろう。それでも、私は別の場所で稽古するなどの選択肢は取らなかった。それは逃げだと断じて自分の習慣を崩す事を拒否した。
 そうして墓石を横目に自分の知る剣の型を繰り返しなぞっている最中に、既視感の原因が掴めたのだ。私は稽古を終えると幽々子様の昼食を用意し、直感の真偽を確かめる為人里へと向かった。
 幽々子様へのお土産に団子を買った際に店員に教えて貰った場所へと向かった所、その大きな建物は人気が無く、雑草が生い茂っていて半ば廃墟と化していた。近くを通りかかった人に詳細を訊ねてみる事にした。
「もし」
「ん?」
 若い男性は呼び止められて怪訝そうに振り返り、半霊を見てぎょっとしていたが、私に敵意が無い事を見て取ったのか、あるいは私の事を噂で聞いた事でもあるのか、いきなり逃げ出したりはしなかった。
「何だい?」
「この建物の主を知っていますか?」
「ああ知ってるよ」
「随分荒れているようですが、今留守にしているのでしょうか?」
「失踪したって話だが」
「どうして?」
「さあ? 随分前から様子がおかしくて気の病にでもやられたんじゃないかって噂されていたんだが、とうとうどっかに行っちまったらしい。ここらじゃ有名な剣術道場で昔は門下生もたくさんいたのにな。いつからか門下生に真剣での斬り合いをさせたり異常に厳しい訓練を課したりする様になって、このままじゃ殺されかねないって次々に門下生が辞めていったのさ。門下生が一人もいなくなってからもずっと一人で道場に籠って剣の修練を続けてたって噂だったが、いつの間にか主もいなくなってこの有様さ。多分いなくなったのはここ数か月の話だと思うがね」
 私は若い男性に御礼を言ってその場を離れた。人里の外へと繋がる通りを歩きながら思考を巡らせる。剣術道場の主と、私に決闘を挑んだ男、そしてつい先刻私が思い出した男、三者は同一人物という事でほぼ間違いないだろう。魂魄妖忌が頓悟した後、剣の振るい方も禄に教えられずに剣術指南役という肩書を押し付けられた私は、人里で流通している剣術指南書を読み漁ったりしていたが、それだけでは満足できずに人里の剣術道場に通ってみた時期があった。その時通っていたのが、先程の道場で、その師範があの男だった。だが、門下生となって直ぐに後悔した。最初に男が私の実力を測る為に一対一での稽古を付けたのだが、その時既に男は私より遥かに弱かった。小手先の技術など一切関係ない、圧倒的な身体能力の差がそこにはあった。私は失望しつつも適度に力を抜いて男にわざと敗北したが、男は化物でも見るかのような目付きで私を睨んでいた。私は門下生としての最低限の義理を通す為直ぐに辞めはせず、その後しばらく剣術道場に通った。男は私が来る度に一対一になって熱心に指導しようとしていたが、稽古を不毛に感じた私は結局剣術道場を辞めてしまった。男の教える剣術は結局の所人間が用いる事を前提としたもので、半人半霊の為の剣術ではないと気付いたからだ。
 それからこれは憶測に過ぎないのだが、幽々子様は多分その時期に私には秘密で男に会っていたのではないか。幽々子様は私が人里の剣術道場に通っている事は知っていた。だから私の師事する人間がどのような人間か見極める為に男に会っていた、と考えれば二人に面識があっても不思議ではない。
 男は多分、私に決闘を挑んだ時点で死ぬ気だった。明らかに素人同然の手付きの相手に決して覆る事の無い力の差を感じた絶望、それが男に門下生が命惜しさに逃げ出す様な過酷な修練を積ませ、妖怪の住む危険な山に籠っての修行を敢行させた。そして適わないと理解しつつ私に決闘を挑んだ。幽々子様に遮られた私に対する男の望みは自決の介錯だったのだろう。つまり男の最期の望みはあの決闘の場で私の剣に斬られて死ぬ事だった、筈だ。だが私は男を斬らなかった。男にとっては死闘であっても、私にとっては唯の喧嘩だったからだ。
「下らない」
 口に出してそう呟いてみても心は晴れなかった。私はふと思い出す。昔、魂魄妖忌がまだ幽々子様に仕えていた時の事だ。私は妖忌に剣の道とは何ぞやと訊ねた。妖忌が以前に言っていた真実とは斬って知るものだという言葉を引き合いに出して剣の道とは真実の探求なのかと問いを発した。妖忌は首を振り、真実はあくまで斬るという行為の副産物であり、真実を知る為に斬るのでは順序が逆だと私に告げた。剣の道とは、ただ単に斬る事なのだと言った。斬る対象は人でも、雨でも、草木でも、石でも何でも良い。重要なのは対象を如何に斬るか、それ以上の意味を求めれば本質を見失うのだ、と。
 男は本質を見失っていた。では私は? 私の切っ先のその向こうに本質とやらは果たして存在しているのだろうか。

 白玉楼まで戻った私は午前に引き続き午後の稽古を行う事にし、稽古場まで向かった。男の素性を知った上で墓を眺めてみても矢張り何の感慨も湧かなかった。私は墓を自分の意識から追い出して剣術の型を繰り返し再現する。敢えて自分から相手の間合いに踏み込み刀を抜く素振りを見せて相手の反撃を誘い、踏み出した足を戻しながら上体を後方にずらして相手の剣撃を避ける。その後再び足を踏み出して素早く抜刀する。男が決闘の時に見せた動きによく似た型を私は知っていた。
 刀を抜く度、刀身が私の目の前を横切る。何故私が存在を記憶の片隅に追いやっていた男の太刀筋に既視感を覚えたか。答えは単純な話で私がその太刀筋を見飽きる程に、それもすぐ目の前で眺めてきたからだ。私が男の剣に見ていたのは自分の剣の面影だった。魂魄妖忌からまともに剣術を教えられる事の無かった私は、忘れた筈の男の教えを無意識に、そして忠実に守っていた。私の知る剣の型とは男の剣の型だった。そうして男の教えはまるで呪いの様に今も私の剣に纏わりついている。
 私は汗を拭って乱れた息を整えるために深呼吸をした。空を見上げると白玉楼の桜並木が視界に飛び込んできた。数日前の予想通り桜は満開の時期を過ぎ葉桜へと変わっていた。並木の地面は落ちた花弁で桜色に染められている。私は満開の桜より葉桜が好きだった。満開の桜を見ていると桜の花弁が全て落ちてそのまま枯れてしまうのではないか、そんな気持ちに駆られてしまうのだが、葉桜になって若葉が芽吹いているのを見るとその木がまだ生きているのだと実感できた。葉を付けた桜たちはきっと来年も美しい花を咲かせるのだろう。
 春一番、一際強い向かい風が吹き、風に揺られて葉桜に残った花弁が次々に空に舞い私のいる辺りまで漂ってきた。私はその内の一枚を見据え、脚を開いて重心を低くし、楼観剣の鍔に手を掛け、力を込めた。花弁の落下の軌道と楼観剣の軌道、二つの交差する瞬間を待ち、刀を抜き、込めた力を開放する。刀身が鞘を滑り出て空に触れる。空気の重さを手に感じながらもそれを置き去りにしようと加速していく。刀と花弁が今正に触れんとするその一瞬、桜の花弁はさらりと身を翻し私を嘲笑うかの様に逃げていき、地面に静かに落下した。
二作目になります。読了して下さりありがとうございます。この作品には前作以上に自分の筆力不足を痛感させられ、自分には難易度の高いテーマだったと反省しています。こうすれば少しは面白くなるみたいな指摘や提案がもしあれば教えて頂ければ幸いです。
内容について少し触れておくと、これでも初期の構想ではチャンバラシーンがメインでストーリーはおまけだったのですが気付けばこんな有様になっていました。私の中で妖夢が東方一ウジウジ悩んでる姿が似合うキャラなのが後半部分が膨れた原因と思われます。

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>>1様
ご批評有難うございます。普段から淡々とした説明的な文章を書きがちな方なのですが、今回は話の性質上起伏の無い物語なので特にそれが悪目立ちしてしまった気がします。次回はもっと情感豊かな話を書けるように頑張ります。
kudan
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コメント



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1.30名前が無い程度の能力削除
延々と状況説明をされているような作品。
文章から作者の努力は見えてくるのに、それが読む面白さに繋がっていない。
残念
3.100大根屋削除
あなたの書き方は、私にとってはしっくりとくる文章でした。
文面そのものを追う楽しさと、そこから場面を想像して楽しめる読み手もいることを、お伝えしておこうと思ったので御座います。
4.100名前が無い程度の能力削除
面白かったですよ