Coolier - 新生・東方創想話

蓬莱人 後編

2015/09/07 22:53:37
最終更新
サイズ
25.04KB
ページ数
1
閲覧数
1434
評価数
0/2
POINT
60
Rate
5.67

分類タグ

こちらは、蓬莱人(前編)の続きとなっております。
未読の方はお手数ですが、 蓬莱人(前編) よりご覧ください。



「どういうことだ?」
 思わず声に出た。
 一週間寝ていたというはずなのに、体がきしんでいる。背中を上げるごとに、腕を動かすごとに。頭を永琳のほうへ向けようとするごとに。鈍い痛みは引いてくれない。
 一週間というのは、輝夜が永琳に言わせているのではないだろうか。しかし、永琳は医者だ。治療に関する事で、冗談を言うような人物ではないことは、今まで何度もこの屋敷で治療のお世話になってきた以上、それはない。
 では、本当に私の体は長い時間をかけても完治することはなかったのか。それが本当に正しいのか知るしかない。
 輝夜との殴り合いで感じていたこと。それは頭の中にある一つの考えを薄くなぞってみる。深く考えてはいけないもの。そこから引きずりだしてはいけないもの。見てはいけないものであったが、知らずにはいられなかった。

「だから、薬の効果が薄まってきているのよ。どうしてかしらね」
「何の薬だ」
 分かっているはずなのに、反射的に聞いてしまう。それとも聞かされたかったのか。どちらにしろ、私は目の前の現実が違うものだということを望んでいたのだろう。
 永琳は困ったような顔で、私の顔から屋敷にいる姫君がいると思しき部屋のほうへ視線を移す。
「蓬莱……の薬かしらね。以前、あの子にも同じようなことがあったのよ」
 彼女の突然の話に理解が追いつかなかった。
 蓬莱の薬の話をしている部分まではできる。しかし、同じようなことがあったというのはどういうことか。
 
「こちらに来て、身を隠してからしばらくは誰とも話すことがなかったの。そんな折、あの子が怪我をしたのよ。怪我と言っても、食事中に茶碗の破片で指を少し切ってしまう程度の軽度な傷だったんだけれどね。でも、二、三日してもあの子の傷から、血が出ていたの」
 ぽつりぽつりと、永琳は自分に言い聞かせるように話していく。
「最初はまた同じ場所に切れたのかと思ったわ。でも、茶碗が欠けることなんてそう何度もないでしょう。そこでじっくりと見てみたの。傷口は前に切った場所、同じ大きさ、同じような傷跡だったの」
 彼女は話を続けているが、何かの冗談だと思ってしまう。蓬莱の薬を飲み、不老不死になった体。小さな傷でもあれば、すぐに綺麗さっぱり無くなってしまうはずだ。
「やっぱり信じないわよね。顔に出ているわ。私だって冗談だと思った。でもね、傷は消えなかった。まるで、普通の人間にでもなったかのように消えなかったの」
 信じられない。なぜ、そんなことになるのか。また蓬莱の薬が効かなくなるということ自体に。
「なんで……そうなったんだ……?」
 半信半疑のまま出てきた言葉を投げかける。永琳は苦笑しながら話していく。 
「分からなかったわ。最初はね。その後も何度かあの子が傷を作ってしまう時があったわ。その度に傷が何日も治らない。いい加減私だって自覚するわ。蓬莱の薬が効かなくなっていることに。だからこそ、私は全力で守り続けていたわ。月にいたとき、今このときにあの子を守っている以上に守っていったわ。あの頃のことは、今でも時折愚痴っぽく言われるけどね。『永琳は私を箱の中に閉じ込めて、壊したくないだけでしょう』って」
 多少笑顔を見せるが、かなりきつい頃だったのだろう。一呼吸おいて、彼女は続ける。
「そうやって、あの子を守り続け、この場所を見つけた。そして、少しずつ周りに人が増えていった。そしたらね、あの子が傷を見せることがなくなったのよ。あなたと会ってからも見せることが無かった。冗談のつもりで喧嘩はすべて勝っているのね、と言ってみたのよ。でも、あの子は何度も負けていると話していたの。いつの間にかね、あの子の傷がすぐに消えるようになっていたの」
 ここまでくると、彼女の言葉が意図する事は分かる。むしろ、これで分からなければ、私がこの事を拒否したいだけなのだろう。

「蓬莱の薬は肉体にだけ。それはつまり、社会的、精神的な死は可能なのよ。」



 永遠亭から、どのようにしてここに来たのか記憶がない。気が付いたときには、彼女が愛用していた教壇にもたれ抱えるように座り込んでいた。
 体が熱い。避けるようにしていたはずなのに、逃げるようにしていたはずなのに、いつの間にかここへ向かっていた。
 彼女が亡き後も、彼女の意思を継ごうと寺子屋には様々な人妖が出入りしていた。しかし、彼女に活気のある風景が甦ることはできなかった。少しずつ寺子屋に出入りする者も少なくなり、ついには誰もいなくなってしまったらしい。
 使われていたなかった寺子屋は、授業をするためには気の遠くなるような作業が必要と感じさせる。
 机はあちこちが黒ずみ、腐食している部分を押せばすぐに割れてしまうだろう。
 床は軋み、居住まいを直すだけで床板が悲鳴を上げる。
 ひび割れた窓には、申し訳程度に障子の紙で補修がなされてるが、その部分も今にも剥がれ落ちそうになっている。
 天井を見上げれば、太陽の光が差し込んでくる。陽のあたる教室と言えば聞こえはいいが、雨が降れば授業自体ができなくなってしまうだろう。
 寺子屋の中を一通り見渡した後、先ほど背を預けていた教壇に触れてみる。使われなくなって相当な月日が経つというのに、彼女が授業を行っていたあの頃とほとんど変わりがなかった。空が見える屋根の影響で所々が黒ずんでいるが、きれいなまま。外に持ち出して授業ができるのはないか。
 そんな考えが一瞬頭をよぎるが、誰もいなくなった教室を見る限り、新しい寺子屋ができたか少人数で行うようになったのかで使われなくなった寺子屋に誰が来るのだろうか。
 遠い昔、彼女の立っていた同じ場所に立ってみる。教壇から見える景色は部屋全体を見渡すことができ、かつての子どもたちが座っていた机を一望できる。さっきまで見ていた黒ずんだ机も、場所によって違って見えた。壁や窓に近いほど黒く、真ん中のほうは元の木の色が見てとれた。それはある種の雪山のようだ。
 最後の最後まで続いていた授業。きっと、彼女と彼女の授業はとても愛されていたのだろう。
 いつか、いつものように、変わらない授業が始まらないだろうか。
 朝、生徒たちが来る前に掃除を行い、準備する。
 授業が始まり、遅れてきた生徒に頭突きをして小屋の中に笑いが溢れる。頭突きをされた生徒も痛がりながら、どこか楽しそうに授業を受ける。
 生徒たちが帰った後はと手近な机の前に座り、その日の授業について思い返す。しばらくして明日に向けた授業の準備を始める。
 少しずつ変わりつつも、変わらない日々。
 時折見せてもらった懐かしい日々。いつか戻ってくると願う日々。
 甘い幻想と分かりつつも、再び巡ってくる世界を望んでいた。


 少しでもいい。彼女が戻ってくることを願い、私は寺子屋の中を整理しはじめた。
 まずは机。腐食している部分が激しい机は寺子屋の外に出していく。寺子屋の外に出てみると、草が天に我さきに行かんと生い茂っていた。ここも後でやらなくてはいけないな、と思いつつも、机の運び出しを優先させる。運び終えた時には、寺子屋の外にある机の方が多くなっていた。寺子屋に残っている机は一度部屋の端に寄せ、残っていた掃除用具を使い、床を磨きあげる。
 次いで窓と扉だったが、扉のほうは障子の紙がほとんどなかったため、窓を拭く程度しかできなかった。
 屋根では手始めに寺子屋の周りにある木々から少しずつ木の枝や葉を拝借する。陽の光が入る場所を確認し、おおよその部分に木を敷き、その上に葉を敷き詰める。申し訳程度だが、直接雨が入ることは防げるだろう。
 一通り終わると、辺りは茜色の夕空になっていた。
 教壇に立ち、部屋の中を確認してみる。壁の方はあまり浸食されていなかったため、軽く程度で済んだため、問題はない。寺子屋へ差し込む夕陽の光も窓から入るものだけになった。机は少なくなったため、寂しい感じがするが仕方がない。とりあえず、いつでも授業ができるようになった。

「さて……と」
 最後になった慧音の使っていた教壇。彼女が悩みながらも生徒たちと文字通り真正面からぶつかっていた日々を支えた教壇。
 まずは周りから拭き始める。丁寧に使っていたためか、傷などはほとんど見当たらなかった。内側の方に子どもたちがかくれんぼをしていたところを見つかり、思い切り頭突きをされたのか、少しへこんでいる部分が見えた。今となっては彼女の生きていた証となっていて、愛おしく思える。
 全体を丁寧に拭いた後、引き出しに手をかける。まずは鍵のかかっていない引き出しから。以前見た手紙は無くなっていると思ったが、あの頃のまま残っていた。
 思わず手を止め、手紙を開いてみる。やはり同じ文が書かれていたが、一度見ていたため初めて見た頃のように大きなショックは受けずに済んだ。手紙の他に何か残っているかと思ったが、特に見当たらなかった。
 そしてもう一つの引き出し、鍵のついた引き出しを開ける。鍵穴が錆び、少し開けにくくなっていたが無事に開いた。最初に開けた引き出しと同様、あの頃のままだった。熨斗袋のような封筒が私を待っていたかのように鎮座している。中のものが傷つかないように、そろりと開けていく。中にはあの時と同じ物。久しぶりに彼女に会ったような気がして、懐かしくなり、そして少しだけ泣いてしまった。

 彼女が遺した物を教壇の上に置き、引き出しの中を掃除する。掃除と言っても、ほこりもほとんど無く引き出しの中だけ時が止まっているようだったので、軽く乾拭きをするだけだた。
 一折掃除は終わった。教室の外の雑草取りはできなかったがあきらめよう。
 とりあえず、いつでも寺子屋は再開できる。少し殺風景になりつつも賑やかになることを予感させる、二度と来ることのない寺子屋を後にした。



 家に帰り、文机の上に持ち帰ってきた手紙と封筒を置く。
 彼女はここにいる。
 そう思いつつ、夕飯の支度にかかる。
 気分がいいはずなのに、どことなく胸のつかえが取れない。
 寺子屋はいつでも再開はできるが、果たして昔のように来るのだろうか。私の自己満足だけで終わってしまっているのではないか。
 できることならば、あの賑やかな教室を見えるようになりたい。しかし、私はあの寺子屋に戻ることはできない。戻ったらきっと永遠に居続けるかもしれない。

 でも……季節が巡って……様々な奇跡が起きて……またあの授業ができるとしたら……

「つっ……」
 呆けていたのか、いつの間にか包丁で人差し指を軽く切ってしまっていた。
 指の腹からぷっくりと血が出てくる。少しすれば止まるだろう。しかし、待てども血が止まることはなく、指から一筋の涙がまな板へと落ちることになった。
 やはり、永琳の言うように蓬莱の薬の効果が無くなってきているのだろうか。
 蓬莱の薬がなくなり、周囲に人もなくなっていった。寺子屋もきっとなくなっていくのだろう。その時、私は生きていられるのだろうか。
 零れ落ちていったものを取り戻すことなんてできないのではないだろうか。

 夕食の後、手に持った手紙を眺めていた。
 片付けをしようと思いつつも、手紙のことが気になって手がつけられなかった。

 何度でも思い出せる。何度でも会いたい。伝えたかったことは無い。でも、何度でも聞きたい。なぜ、私にあのようなものを残したのか。
 彼女なりに考え抜いた結果なのだろう。だけど私にとっては呪いのようなものでしかないので、私は手紙を見つめることしかできない。
 遺った手紙を手に持ってみる。何の変哲も無い、どこにでもある紙に、彼女の字が綺麗に残っている。
 できることならば、このまま燃やしてしまいたい。しかし、それは彼女との本当の別れを意味する。それができようも無い。
 結局、私は慧音がいないともう生きられないのだ。輝夜とのケンカの時もそうだ。私にとって慧音は思い出以上の存在になってしまったのかもしれない。
 私自身の命より大事になってしまった彼女の存在。彼女自身もそのことをどことなく感じ取っていたのだろう。だからこそ、自分がいなくなった後にどうなるのか、なんとなく予期していたのか。

 だからこそ、こんなものを遺したのか。
 なんで、こんなものを遺したのか。
 どうして、私を遺したのか。 
 なぜ、私は遺ったのか。
 どうすればいい……
 どうしても会いたい……

 今はもう、彼女の後姿しか見えない。
 彼女の横に立つことはできない。
 どこまで追いかけても、彼女の影ふみを永遠と続けてしまう。
 いずれは影すら踏めなくなってしまうのだろう。

 手元でかさりと音がした。はっとして手元を見てみると、手紙が少し丸くなっていた。

 何度も死に、その度に新しい人生が始まっている。
 私が新しくなろうとも、この幻想郷の景色は変わらない。変わってとしても目の前の景色がほんの少しだけ変わるだけ。
 そんな中、私は蓬莱人としての生き方を繰り返す。
 寝ては起きてを続けるように生き死にが続いていく。何度も私はめぐってくる。
 永遠亭の住人もめぐり続ける。しかし、普通の人妖ではめぐることは稀だろう。
 新しく始めていくのに、過去の経験を持っていることは良いこともある。知識を持ったまま新しい生活が始められるからだ。
 だが、それ以上に昔の人々がいない中で暮らし始めるというのは、相当な困難を伴うだろう。永遠亭で寝込むより前に出会った人々は、すでにいない。
 しかし、記憶としての存在が生きていた頃の人を求めてしまう。それでも、会うことは絶望的だろう。
 そんな時、最初からある程度体格が出来上がっていれば、すべてをあきらめ、新しい関係を作ることができる。
 だが、産まれて間もない赤子はそうはいかない。
 まったく知らない親、まったく知らない親戚。まったく知らない近所の人。まったく知らない幻想郷の住人。そんな中で人と接し続けなければならない。
 産まれたばかりでは、泣くことしかできない。
 動くことはほとんどできない。
 数日のうちに発狂し始めてしまうのではないか。
 そんなことにならないよう、魂から記憶が取り除かれているのではないか。
 だからこそ、新しい世界で一人で立って生きていけるようにしているのではないか。
 もしそうならば、慧音という一人の存在はこの世にすでに無く、思い出の中だけになってしまうのだろうか。

 思い出を持つ人も、少しずついなくなる。
 思い出が無くなった時、本当の意味での別れになるだろう。
 別れしかないのならば、私が彼女の方へ追いつくしかないのだろう。
 繰り返すのならば、繰り返し続けるしかない。
 追いかけて、追い続けて、追い求めて、彼女に会いに行こう。
 少しでも忘れないよう、食器を片付けないまま私は彼女のもとへ相談へ行くことにした。





「こんな夜遅くに何の用かしら。あいにくだけど、診察ならば明日にして頂戴」
 月が真上に上る頃、私は永琳に会っていた。
 通されたのは診察室ではなく、永遠亭の居間だった。障子が開け放たれており、月明かりが部屋に差し込んでいる。
 向かい合う彼女は寝ていたのか、夜着を身にまとっている。眠っていたところを、強引に起こされたものだから、眉間に少ししわが寄っている。
 彼女にしか相談できないことだから、あまり機嫌を悪くさせたくない。
 しかし、今この機会を逃してしまうと、慧音が霧のように消えていってしまう。そんな不安からこの時間に訪れることになった。
「大事な話がある」
「そう、じゃあ明日ね」
「なんで!? まだ何も話していないじゃないか!」
 思わず大きな声が出てしまう。
 永琳の表情は先ほどとは違い、能面のように何の表情も見出せなかった。
「今のあなたじゃ駄目ね」
「だからなんでだよっ!」
「あなたに何を話しても、一人で勝手に妄想を膨らませて結果的にあなたにとっても良くないことになるわ」
 なぜ、話すらしてくれないのか。それならばいっそのこと、門前払いをされたほうがまだ良かった。
 何も言えずに歯噛みをしている私を見て、彼女は呆れるような口調で言ってきた。
「蓬莱の薬についてのことだと思うのだけれど、今は話せないわ。だってあなた、完全に頭に血が上っているもの。」
 そう言われても、納得することができない。
 確かに、聞きたいことは蓬莱の薬についてだった。
 すぐにでも聞きたい。その思いとは裏腹に彼女は取り合ってくれない。理由を教えてはくれない。なぜ、私が突っ走ってしまうと思っているのだろうか。
「きっと彼女を追いかけたいのだろうけれど、追い求めるのはあなたの自分勝手で子供みたいな理屈でしかないのよ。」
 こちらの考えていることがすべて見透かされていた。それほどまでに、私の顔に出ていたのだろうか。
「あなたが望んでいるようにはならないのよ」
「それは、やってみなければ分からないだろう……」
 振り絞ったのは最後の抵抗。彼女の言うとおり、結果というのはすでに見えてしまっているのだろう。
 諦めたとして、その後はどうすればいいのだ。慧音のいない世界。過去の記憶だけ背負ったまま、誰も知らない世界へと再び旅立っていかなければならないというのか。それこそ、私にとって綺麗ごとで片付けられてしまっている結果でしかなかった。
「私には……もう、これしかないんだ……」
「だから、それ自体が頭に血が上って突っ走ってしまっているというのよ」
「じゃあ、どうすればいいんだよっ!」
 竹林に響き渡るような怒声を永琳に向ける。話に来ているとは分かってはいても、心に歯止めが利かない。
 どれほどの声を出しても、彼女は冷徹に接している。それが逆に私の神経を逆なでする。
「教えてくれっ! 私はいったいどうすればいいんだ! 蓬莱の薬について、私にまだ話していないことがあるんだろう!? 少しでいい……教えてくれ……」
 押せども引けども無常に時間が過ぎていく。焦りは怒りに変わった後、落胆に代わっていた。もう、何も聞けないのだろう。これほどまでに、生き続けることが辛いと思ったことはなかった。
 彼女の顔を見ようとしても、視線は机を見つめ続けるだけだった。

 どのぐらいの時間が経ったのだろうか。
 ずっと、動けないままでいた。このままで帰れない。もう二度と、帰ることはできない。
 視界の上には、向かい合うように座っている永琳がいる。口は真一文字に結んだままでいるが、それ以上は見ることができなかった。彼女もまた同じように微動だにしていない。
「私は、どうすればよかったんだろうな……」
 私の中からぽつりと、そんな言葉が漏れていた。
 もう、駄目なんだろう。
 二度と帰れない。
 いろんな事があった。
 慧音と出会ってから。別れてから。その中で、後悔しないですむ事はあったのだろうか。
 彼女との思い出が私の中で生きているなんてとても言えない。
 それはつまるところ、私の中で自分勝手に完結させて、新しい道を生きようとすることにならない。
 ここで思い出を完結させてしまっては、本当に消えてなくなってしまう。
 だからこそ、ここで引けなかったはずなのに。
 私は……彼女との思い出を抱えることを認めてしまったのだろうか。
「どこでもいい……慧音の横顔を見て、また一緒に同じ道を通っていきたいんだ」
 できることなら、もう二度と忘れることが無いように……



「やっぱり、だめだったわよ……」
 ふと、向かいから声が聞こえる。
 彼女自身に向けて言っただろう言葉は、小さくとも聞こえた。
 顔を上げてみると、彼女自身も何かを諦めたような顔だった。
「分かったわ。彼女に会いに行くのならば、手伝いましょう」
「本当か!?」
「ただし、条件があるわ。一つ目は帰ってからもう一度考えてみること。考えが変わらなければ、明日の夜もう一度来なさい。二つ目は実行するときは必ず私を立会人にすること。これは私自身もやらなければいけないことがあるから、条件というより指示ね。もし守れなければ、何があろうとも彼女に会わせることはさせないわ」
 彼女からの突然の提案だった。提案というのではなく、彼女自身が話したように命令のように有無を言わせぬような物言いだった。

なものだった。
 拒否はできない。いや、拒否はしたくない。すでに答えは出ている。
 ただ、さっきも彼女が言ったように、きっと頭に血が上っていたのだろう。
 彼女の条件にうなずく。ここまでくれば、もう迷うものは無い。
「そう……じゃあ、とりあえず今日はもう帰って頂戴。答えは決まっているだろうけれど、それなりに準備がいるでしょう? こちらも色々と準備が必要なのよ」
 彼女の言葉を聞き、安堵する。これで本当に慧音に会いにいくことができるのかもしれない。
 私自身も準備のため、永遠亭から私の家へ帰ることにした。


 家に帰ると、残っていた食器を片付ける。
 箪笥の中から衣服を取り出し、部屋の隅に置いておく。乾拭きをしたあと、一番下の引き出しに出しておいた衣服をしまう。
 机の上を軽く水拭きをし、いつでも食事ができるように準備をする。 
 かめに残っていた水はすべて出し、ほこりが入らないようにふたを閉めておく。
 雨戸は風通しをよくするため、半分だけ閉める事にした。
 手紙と、封筒を持って、ここを絶つ。
 いつの日か、幻想になったあの日々に戻れるように。



 永琳のところ向かったのは、昨日よりも早い時間だった。
 診療室の奥。普段は使わない手術用の部屋。
 音を立てることが許されないような雰囲気の中、私はじっと彼女が来るのを待っていた。

 手には慧音の遺した二つの手紙。
 覚悟は決まっている。
 きっとうまくいく。
 彼女の笑顔をもう一度見ることができる。
 温かく、穏やかな日々をまた過ごせるようになる。
「来たのね。というより、もう昨日の時点で心は決まっていたのでしょうけれど」
「そうね、私はもう未練は無い。そちらも準備が大丈夫ならば、すぐにでも始めてほしい」
 永琳は普段着ている青と赤をつなぎ合わせた服ではなく、白で統一された服だった。
 そして、彼女の手には壷があった。
「もう一度引き返すつもりはあるか、なんて言葉は無意味だろうから、すぐに始めさせてもらうわね」
 手に持っていた壷を、近くの机の上に置く。
「この中には特製の毒が詰まっているわ。普通の毒ならば、永い年月を重ねることによって段々と抵抗ができてしまう。それで、この毒はそのような事態にならないように改良されているのよ」
 壷の中を覗き込んでみる。毒、といわれて灰や紫を組み合わせたようなおどろおどろしい色をしているのかと思っていた。しかし、そこには澄んだ空色の液体があった。においも無く、綺麗な水飴のようにも見える。
「この中に、あなたの心臓を入れるわ。残った体のほうは、こちらで処分しておくから」
「ありがとう……」
 自然と、彼女に対しての礼の言葉が出てきた。
 紆余曲折あったものの、今こうしてこうやって終わることができるのは、彼女のおかげだろう。
「それで、あなたも必要なものは持ってきた?」
 永琳の問いに、手に持っていた封筒を渡す。
 それを受け取った彼女は、中に入っていたものを知っているかのように、当然のごとく取り出した。
 慧音が遺してくれた最後のスペルカード。きっと別の使い方があったのだろう。しかし、私はこの使い方しか思いつかなかった。
 そして、この使い方をするのではないかと、慧音自身も考えていたのかもしれない。
「道具は全部そろったわね。あとはあなたが始めたい時に言って頂戴」
「分かった……始める前に、ひとつだけ確認していいか?」
「何かしら?」
「この方法はあんたや輝夜、永遠亭の住人が生きている限り、駄目じゃないのか?」
「そうね、これが終わった後、あの子たちには事情を説明して、記憶の改ざんをさせるわ。でも、私は薬が効きにくいだろうし、手術を行うにしても自分で自分の脳内を見るわけにはいかないしね。そのときは私が忘れるまで辛抱して頂戴」
「具体的はどれぐらいだ?」
「早くても二,三百年くらいね」
「長いなぁ」
 思わず笑ってしまう。
 彼女が忘れるまでの間、苦しみ続けなければいけないのか。それはそれで大変だな。
「まぁ、なるべく早く忘れるようにするわ」
「そのほうがありがたい」
「そうね、あの子も少しばかり悲しむのかもしれないけれど、どちらにしろ時の流れでみんないなくなってしまうわ」
「そうだな……」
 時が流れれば、必ず終わりが来る。だからこそ、ここまで来ることになったのだ。
 流れに逆らうのではなく、流れに身を任せて彼女に追いついていくようにする。
 いつ流れが合うのか分からない。でも流れているのならば、いつか会える。
 それを信じ、彼女のもとへと向かおう。
「もう大丈夫だ。始めてくれ」
「……………………わかったわ」
 幻想郷で薬師と医師という立場や幻想郷での医療活動を行っている以上、彼女は様々な別れの場面を見てきたはずだ。
 中には手を尽くしてもその甲斐がなかったこともあったはずだろう。
 しかし、それは自分が治療をするという意思を持っていた。
 今回は自分で他人の永遠に終止符をつけようとしている。
 さらに、永遠を殺すという自分自身ができなかったことについて、行わなければならないのだ。
 彼女の中では、渇望していたものができることがあるという点で、利害が一致していたのかもしれない。だが、それがこうもあっさりとできてしまうことにある種の妬ましさもあったかもしれない。
 どちらにしろ、彼女は私の手伝いをしてくれることを選んでくれた。
 どのような結果になるかは永遠に分からないが、手段の一つとして記憶しておくのだろう。
「とりあえず、その診療台に横になって頂戴」
 促されるままに、私は横になる。
 手術中、体が動かないようにするため、堅くなっている手術台。最後の眠りの場所かと思うといささか質素な場所に感じてしまい、思わず苦笑してしまう。
 ほのかに暗い天井をぼんやりと眺める。
 今までいろんなことがあった。
 蓬莱の薬を飲んでからのこと。
 幻想郷にたどり着いてからの日々。
 慧音と過ごした日常。
 いなくなってからの矢のごとく流れていった時。
 懐かしいはずなのに、何度も死んでいたはずなのに、走馬灯が見えたのは初めてだった。
 
「それじゃあいくわね」
 彼女の言葉でぼうっとしていたことに気づく。
 かなりの時間が経っていたのだろう。
 治療用の手袋をはめ、髪の毛が出てこないように帽子をかぶり、マスクをで顔を隠しており、すぐにでも手術を始められるようだ。
 そして、助手である薬売りの姿は見当たらなかった。
 そもそもが治療をするのではなく、人生を終わらせることが目的の手術なのだ。人妖の記憶に残させないために、立ち会う人物は少ないほうが良い。
 終わって、始まっていく。
 次の未来で、きっと会えることを願う。
 口と鼻を覆うように、カバーがかぶさる。
 カバーの中に少しずつ麻酔薬が満たされていく。それと同時に意識の中に靄が満たされていく。
 靄が満たされる頃、私の意識は完全に消えていった。










 「終わったわ……」
 永琳は手に持っていた一つの小さな臓器に向けて話しかける。
 小さく脈を打っているのは、彼女の命がまだ消えては産声を上げているのだろう。
 その産声をさらに小さくするように、毒入りの壷の中へそっと入れていく。
 透き通った青の中に、心臓が影のように映っている。
 壷の中に心臓が浸かりきったことを確認すると、静かにふたをする。
 そして、ふたに口をするように妹紅が持っていたスペルカードを貼り付けていく。こうして、妹紅の永遠は終わった。
 貼り終えた後、永遠亭から少し離れた竹林の中、永琳の手によって埋葬された。



 土の中で幾日が経った頃、最後のスペルが発動された。

 スペル 忘却「フシの別離」

 不死の節目に乗り越えていくため、忘却の手段として残されていたスペル。
 社会的な忘却が行われることによって、本当の死が訪れる。
 製作者の記憶を消し、新しい人生を歩んでほしい。
 そんな慧音の願いとは裏腹に、妹紅自身の存在を忘れていくために使われることになってしまった。








「で、蓮子。今日はどんな本が見つかったの?」
 京都のとある喫茶店。
 静かな店内に、秘封倶楽部のメリーと蓮子がいた。
 昨晩、メリーの夢の中に出てきた竹林の医者に似た人が書いたような本が出てきた、という電話があったのだ。
 なぜ一冊の本から推測されたのかは分からなかったが、彼女は結構な自信があるようだった。
 夜も遅かったため、明日会ってゆっくり話をすることにしようということで、現在に至る。
「この本よ」
 蓮子が差し出してきたのは、和とじをされた藍色の本。四方の角が丸まっているが、それ以外に表紙のほうで痛んでいる部分は見られなかった。
「いやね、メリーが言っていた医者というより、その中に書いてあった人たちが、以前聞いていた人たちに似ているなぁ、と思ってね」
 張り切っていたはずなのに、蓮子の口調からはどこと無く歯切れの悪さが感じられる。
 蓮子のそんな話を横目に、メリーはなんとなしに読んでみる。どうやら医術書ではなく、医者の日記のようなものだった。
 やれ、助手のウサギの耳が片方取れてしまっても、気づかずにいたこと。屋敷の姫が人里で無茶なことをしようとして、必死に止めたこと。彼女が暮らす屋敷でのささやかな日常がつづられていた。
 日々の患者についても書かれているのだが、世間話の内容がつらつらと書かれているだけで、特にこれといったことは書かれていなかった。
 同じような内容が続いていて、特に目新しさは感じない。
 確かに夢で行った場所に似ているが、これといって気になるページはなかった。
 何度も繰り返す日々があったためか、すぐに日記の最後の日までたどり着いていた。
「あら……?」
 最後の日だけ、今までのページと違っていた。
 それは、患者の手術の内容についてだった。
 どんな薬を使い、どのようにして臓器を摘出したか。
 また、患者に対しての手術前のカウンセリング、それによる具体的な対応。手術中と手術後に注意すべき点など、手術内容全般についてこと細かく記されていた。
 患者に向けてだけではなく、医者自身がこの手術を行ってよいのか、という葛藤。手術を行ってしまったことに対する後悔の念が書きつづられていた。

 そして、最後の一文には、患者の意識が無くなる前に詠んだと思われる辞世の句が書かれていた。



 「死に続け 彼岸の君へ 会いに行く 果て無き夢は静かに散り逝く」




お楽しみいただけましたら幸いです。

前回の投稿より長い期間が開きましたが、ようやく投稿に至ることができました。
蓬莱人は某刑事ドラマの中に出てきた話がモチーフとなっております。
ドラマのほうでは、社会的に死んでしまい、その後、自分自身で肉体的な死を選んでしまう話でした。
蓬莱人では、肉体的な死だけでは死ぬことができないため、知り合い全員が忘れるという社会的な死によって、初めて死ぬことができるのではないか。そのようにして書くことになりました。

袖振り合うも多生の縁という言葉のように、人とのつながりというのはどこまでもつながっていると思います。
皆様にも、様々な縁が生まれることを願います。

作品自体についてですが、盛り上がりに欠ける点や、クライマックスが多少駆け足になっているなど、課題が残っていると思います。
お読みいただいて、満足できませんでしたら、申し訳ありません。

これからも、少しずつではありますが、作品を投稿していきたいと思います。
もし機会がございましたら、その際は是非。
ご意見・ご感想・アドバイスなどありましたら、是非。
龍泡
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.60簡易評価
2.無評価名前が無い程度の能力削除
ふつうやで
3.無評価名前が無い程度の能力削除
私はよくわからないんだけど、自分でこの作品は「盛り上がりに欠ける」「クライマックスが駆け足になってる」って評価できているのなら、なんでそれをちゃんと直してから投稿しないのですか?足りない部分がわかってるなら直せばいいと思います。
別に締め切りがあるわけじゃないんだから。自分が満足できるまで書いたらいいのに。