三叉路
-1-
博麗神社の縁側でお茶を飲むのが私の日課だ。遊びに来るやつらはサボっているだけだろと言うが、すこし意味が違う。サボれるように一日の予定を組み立てているのだ。適度に精神的な余裕を保つのが重要だというのが今までの経験から学んだことで、すぐにお茶が飲めるように湯呑と急須のセットがお盆に載っている。最近ではお盆に載せる湯呑の数が増えた。
縁側に座ってお茶を入れるタイミングを考えていると早苗が飛んできた。妙にテンションの高い様子で目の前に降り立った。
「霊夢さん。魔理沙さんの赤ちゃん産まれたそうですよ。男の子らしいです」
「そう。2人とも元気なの?」
「元気だって射命丸さん言ってましたよ。『見込みがあったら攫うつもりなのでよろしく』とか言っていました。注意しましたけど聞きませんね。きっと」
何がよろしくなのかはよくわからなかった。だから、そうなったら退治に来てくださいと言っているのだと勝手に解釈した。
そうなったら私が行くべきなのだろう。それとも親になった魔理沙が直々に山に乗り込むかもしれない。どちらにしろ、かつてのように文は笑顔で出迎えるだろう。
自分のことのように喜んでいる早苗の顔はこぼれそうな笑顔で、ひたすら喋っている。名前はどうするんだろうかとか、お祝いに何か用意しましょうとかだ。私と言えば縁側で座った状態から少しも動いていない。喜ぶべきなのはわかっている。けど、どうしても心の中でブレーキをかけてしまう。
「そういえば霊夢さんは結婚とか子供とか考えてないんですか?」
「興味ないのよ。早苗は?」
「私はしないつもりです。神奈子様や諏訪子様と一緒にいたいと思っているので」
「じゃあ、信仰を本格的に集めて神格を上げるの?」
「はい。色々やるつもりです」
ここまで喋ると言葉が途切れて沈黙が広がった。この沈黙の空間で何かがおかしいと感じていたのだが何なのかわからなかった。
ちらりと、早苗が鳥居の方に目をやった。
「魔理沙さんの所へ行きましょうよ。全然会ってないじゃないですか」
もう一年になるだろうか。「会いに行く用事がないから」
「会うことだって、十分な用事ですよ。お店も安売りするって噂がありますし、行きましょうよ」
「その気になったらね」
少しずつ早苗が苛立っているのがわかる。こんな会話をすでに何回もしているからそろそろ我慢の限界かもしれない。
「霊夢さん最近動いてないじゃないですか。もう少し積極的になりましょう」
「妖怪退治はサボってないわよ」
「私が言っているのは、人としてです。もっと周りに目を向けたらどうですか。あの子も……」
早苗は再び鳥居の方向に視線をやった。すると、鳥居の下で掃除をしている子がこちらに向かってお辞儀をした。さっきから気にしていたのだろう。
「あの子だって、霊夢さんを見ているんですよ。もう少ししっかりしたほうがいいです」
「あの子は弟子だから。妖怪退治と巫女の作法を教えればそれで十分」
早苗の様子が変わって明らかに怒っているのがわかる。私は妖怪退治で威圧的にされるのには慣れてるからひるむことはまったくない。ただ、さっきからイライラが蓄積されてきた。
「まだ小さいんですよ。普段から頼れるのは霊夢さんだけです。もっと親みたいになろうとか……」
早苗の声が風船がしぼむように小さくなる。右腕を持ち上げて目をやると手首に貼られたお札に気づいた。
瞬きすることなく早苗が私を見つめた。裏切られた犬みたいに。
「そういう馴れ合いは博麗の巫女にはいらないの。そんな弱い奴はあっという間にダメになる」
指を動かすとお札が早苗の手首から剥がれ落ちた。
何も言わず早苗は飛んでいった。
鳥居の方に目をやった。掃除はあらかた終わったようでだいぶきれいになっていた。
弟子の髪はきれいな金髪で遠くから見ると太陽のように見えた。風が吹いて光がきらめいていた。
お茶をいれよう
-2-
香霖堂はいつも独特なにおいがする。たいていは古い本の香りがするのだが、時々新しい商品や燃料の香りが鼻について気になることがあった。今日入店した時ははっきりとした匂いではなかったが懐かしいと感じた。こういう時の勘は大体当たるから店内を見まわしたがそれらしきものはなかった。
諦めてカウンターへ向かうと霖之助さんが暇そうに新聞を読んでいた。
「やあ、霊夢。最近よく来るね」
最近は人里ではなくこちらの方に来ることが多い。
「お茶入れるから。待ってて」
暖簾をくぐって台所へ向かった。
カウンターから店の奥へ目をやるとあるものが壁に立てかけられていた。
箒だ。
色も形もありふれたもので、ほどよく使い込まれていることがわかる。それが誰のものなのかは直感でわかった。ちょっと前まで毎日のように見ていたものだ。
「それは魔理沙のだよ」
霖之助さんがコーヒーをカウンターに置いていた。
まだ私はその苦味に慣れていないから砂糖を入れて調節する。飲んでいる間も箒から目が離せない。
「魔理沙は、霖之助さんのことが好きだと思ってた」
呟くように言った。ずいぶん前からそう思っていて、間違ってないと今でも思っている。
「ああ、告白されたよ」
目を丸くして霖之助さんを見た。先ほどと変わらない表情で天狗が作ったでたらめな新聞を読んでいる。
「……断ったの?」
頷いていた。
「どうして?」
「一緒になっても魔理沙が先に歳をとるだろう。それは幸せにならないよ」
「魔法使いになるとか言わなかったの?」
「そうしたら魔理沙を残して僕が死んでしまうだろうね。僕もそんなに若くないよ」
違います。霖之助さん。
一緒にいる時間の長さは関係ない。
想いを共有して一緒に過ごせればそれでいいんです。それができれば一年も百年も関係ない。
「霊夢。爪噛んでるよ」
慌てて手を膝の上に置いた。今飲んだコーヒーが胃の中を荒らしている気がした。
「けど、僕はこれでよかったと思ってるよ」
「魔理沙が魔法を止めたことが?」
「人間の中に戻れたことが、だよ。あの子は色んなことに首を突っ込みたがるし、家を出てからも里には出入りしていたから。人間を辞めるには向かないと思ってた」
何か反論したかったけど言葉が出ない。魔理沙が魔法使いになったらどうなるか私も不安に感じることはあった。私個人は変わらないと断言できる。けど、博麗の巫女としてはどうか。里との関係はどうか。うまく表現できない不安が胸の中をモヤモヤしていた。
「それで、代わりにもらったのがあの箒なの?」
嫌味にしても結構ひどかったと思う。それでも、霖之助さんは表情一つ変えない。昔はもっと大変なことがあったのだろうか。
「あれはこの前預かっただけだよ。ここなら無くさないだろうって」
最近魔理沙に会ったんだ。そう思うとこれ以上言葉を紡げなかった。魔理沙がなんて言っていたか知るのが怖かった。
「そういえば、あの子は元気でやってる?」
唐突な話題の切り替えに驚いた。けど、私としてもこれ以上悩みたくなくてむしろ助け舟に感じた。
「弟子は元気よ。まだまだ慣れてない様子だけど」
「新しい商品も入荷したし、また連れてきな。喜ぶものもいっぱいあると思うよ」
「そんな甘やかせるつもりはないけどね。昔を懐かしんでもこれからの役には立たない」
新聞に目をやっていた霖之助さんが私の方を見つめてきた。
「霊夢。もっと向き合いなよ。そんなんだから魔理沙に置いて行かれるんだよ」
耐え切れず勢いよく立ち上がった。派手な音を立てて椅子が後ろに倒れこむ。
睨み付けてもいつもと同じ顔で私を見つめてくる。そんな目で見ないでほしい。みじめな気持になってしまって辛くなる。
結局、私は何も言わず店を出た。
空を飛んでいるときは楽な気分になれる。地上にあるめんどくさいものから一時的にでも距離を置くことができるからだと思う。今は少しでも軽くしていたかった。
遠くで早苗が飛んでいるのが見えた。あの方向は人里にむかっているのだろう。体を回転させると人里の人家の屋根が僅かに見えた。あの中に魔理沙が混ざっているはずだ。
魔理沙が実家のお店に戻って結婚した理由を実はよく知らない。嫌な予感はしたのだ。しばらく来ないと思っていたら箒を持たずに神社にやってきたから。妙に真剣な表情だと思ったら、実家に戻って近く結婚することになると言ってきたのだ。本当ならその時に理由を聞くべきだったと今でも思っている。けど、その場ではぎこちない会話だけで終わってしまい、聞けなかった。結婚の披露宴の案内も手紙で受け取ったが、巫女の仕事を理由に欠席した。
聞くのが怖かったのだ。今まで学んだ魔法や、私やみんなと過ごした毎日を捨ててまで実家に帰った理由を。内容によっては魔理沙を嫌いになってしまう気がした。関係を壊したくなかった。
ただ、一つ言えるのは魔理沙が実家に戻ったのは霖之助さんに振られたのが関係していることだった。そうでないとあれほど魔法や不老不死への興味を持っていた魔理沙を諦めさせることはできないと思った。そして、霖之助さんも魔理沙を大切にしていたのもわかった。振った理由は納得できないが、それでも彼なりに魔理沙の将来を気にかけて大切にしていたのだ。長い付き合いでお互いに大切にしていたはずなのにその思いは交わることがなかった。そう思うと悲しくなった。
-3-
すっかり暗くなった博麗神社では、虫たちの声が穏やかさを演出していた。そこに酒を注ぐ音が追加される。今使っているのはお気に入りの赤い切子だ。色と模様が気に入っている。そして、何より私の手に収まる大きさでほどよく大きい。お猪口よりもたくさん酒を注げるから、大めに飲むのに向いている。
褒められた飲み方ではないだろうが、とにかくたくさん飲んで今日言われたことを忘れたかった。まわりの風情を楽しむ余裕もなかった。
「ハ~イ。霊夢」
「何しに来たのよ。紫」
「私も飲もうと思って」
スキマから上半身を出した紫が杯を差し出した。相変わらず唐突に出現する。紫に酒を注いだら自分の切子にも酒を入れる。一口で半分くらい飲んだ。
「そういう飲み方はみっともないわよ。女の子らしくないわ」
「誰も見てないんだからいいでしょ」
こんな夜に来る人なんて普通いない。今までに来たことがあるのは魔理沙ぐらいだ。
「私は見てる」
切子を両手で包んで一瞬黙った。
「覗き魔のあんたは最初から数に入ってない」
「ひどいわ~」
笑いながら酒を飲む紫に少しばかり感服していた。長く生きればこんな風になるのだろうか。
「おチビちゃんの調子はどう?」
「まだまだよ。飛ぶのもできないから、基礎から始めてる」
「ゆっくりでいいわ。素質は十分だから」
振り返って部屋の奥へ顔を向けた。さっきまで聞こえなかった弟子の寝息が聞こえていた。
「そもそもさあ、連れてきたのあんたでしょ。あんたが教育したっていいじゃない」
紫は首を振った。「博麗の巫女は人間の代表だから。霊夢がやったほうがいいの」
そんなの建前に過ぎないと思う。紫から教わった術はたくさんある。
「ま、これは建前ね。実は、霊夢にはもう少し大きくなってほしいのよ。親代わりになって大きくなってくれればいいなって」
早苗や霖之助さんに言われたことを思い出してしまった。私はそんなに頼りないのだろうか。「説教のつもり?」つい、そんなことを言ってしまう。
「おー怖い怖い。そんな不機嫌な顔をしないでよ」
「不機嫌じゃないわ」
「はいはい。魔理沙ちゃんに会えないから寂しいんでしょ。素直に会いに行きなさいよ」
たぶん、それは正しい。対応を間違えたせいで、変な意固地になって一歩も前に進めてないのだ。素直に会えば解決するのだと思うときもある。
「……もう、一年会ってないんだから。向こうだって会う気を無くしてると思う」
時間が経ちすぎてしまって、よくわからないのだ。どんな顔をすればいいか。何を言えばいいか。
「なかなか会わない事だって、初めてじゃないでしょ。その時は会う気がなかったの?」
「そんなことは無かったけど。今回より短かったし……」
だいぶ前の時だけど、一か月くらい会わなかったことがあった。魔理沙は神社にやってこないし、私は退治の仕事が重なって魔理沙の家には行けなかった。ようやく神社にやってきた魔理沙は特に変な様子もなく、「しばらくなにやってたの?」と聞くと「魔法の研究で引きこもってた」と笑って済ませた。あとで聞いた話では実験中に有毒ガスが発生してしばらく動けなかったらしい。教えてくれたのはアリスだった。私も魔理沙もそうだ。弱いところを見せたくないからって表面で誤魔化したりすることがあった。
思えば、あのときが内面をさらけ出した初めての出来事だったのかもしれない。
「時間の長さはそんなに重要じゃない。そのぐらいで切れる程度の仲には見えてなかったわよ」
紫がここまで言ってくるとは思わなかった。戸惑いながら頷くので精一杯だった。
「紫は、魔理沙が実家に戻った理由を知らない?」
「人間の都合なんて知らないわ。人間に聞きなさいよ」
きっと嘘だ。絶対に私以上の何かを知っている。それで教えないのは、こいつは天邪鬼に憧れているのだろうか。
「酔っちゃったから帰るわ。じゃーねー」
唐突に表れて、唐突に紫は帰って行った。残された私は月の光と虫の声と弟子の寝息を観賞しながら残りの酒をゆっくりと飲みほした。
-4-
今日は私が神社の掃き掃除をしていた。なんとなく体が重くなった気がしたのだ。体重が増えたのか、いろいろ考えすぎて心が重くなってしまったのかどちらかなのかわからないけど体を動かして軽くなりたかった。飛ぶためには軽いほうがいいと思う。魔理沙はどうなんだろうと疑問に思う。
硬い表情をした早苗が飛んでやってきた。
「霊夢さん。魔理沙さんから手紙です」
ぶっきらぼうに差し出された手紙を無言で受け取った。
「早苗」
「はい?」
「この前はごめんなさい。酷いことしちゃったわね」早苗に向かって頭を下げた。
「頭上げてください。私もあの時は言い過ぎました」
視界の端で早苗の手があたふた動いていた。頭を上げてもなんとなく目線を合わせられない。
「今更なんだけどさ……魔理沙が実家に戻った理由って何だったの?」
早苗が驚いた顔をしているのがわかる。それも当然だ。けど、すぐに表情を直した。落ち着いて話そうとする姿は何となく神奈子に似ていた。
「魔理沙さんのお父さんが亡くなったんです。それで魔理沙さんのお手伝いが必要になって戻ることになったんです」
ああ、そうだったのか。
そうやって魔理沙は背負い込んで重くなることを選択したんだ。けど、どうしてそれを批判できるか。私と比べたら決断できた魔理沙がすごいと思う。
「あと、魔理沙は旦那さんと上手くやれてるの?」
急に早苗が微笑んだ。ぎこちなく聞く私が滑稽なのだろうか。こっちだって恥を忍んで聞いているのだ。
「私が見た感じでは仲好さそうでした。魔理沙さんも『親父は男を見る目はあったみたいだ』って言っていました」
「うん……ありがとう」
「はい」
早苗は分社の掃除に向かった。すると、強い風が突然起こった。風を全身で浴びた私は気が付いた。この前も今回も早苗の近くにいるときは全くの無風だった。きっと、神格を獲得するための工夫の一つなのだろう。早苗も自分なりの道を歩もうと努力しているのだ。
残された私は封筒を見つめていた。正直、見たいと思うのだが少し怖かった。一年間で変わった魔理沙がそこにいて、私を非難しているのではないか。封を開けずに何度も封筒をひっくり返して、そうではないという証拠を探してしまう。
「大丈夫よ。酷いことを書く子じゃない」
紫の声だけがどこからか聞こえてきた。やっぱり覗き魔だ。
意を決して封を開ける。中から便箋を取り出す。便箋を開く。
読み終えて顔を上げる。青空ばかりが見えた。
この空で数えきれないほど二人で空を飛んで、弾幕を競って、笑いあった。
内容はたった一行だった。
魔理沙らしいと思った。
手紙を袂にしまう。これで、手紙の分だけ重くなった。
それでもいい、会いに行こう。
まだ飛べない弟子と一緒に二人で歩いて行こう。道中では思いっきり話をしよう。里のお店でお菓子を食べて、魔理沙のお店に行こう。
「なにやってたんだ?」と魔理沙は言うだろう。
「ごめん」と言って頭を下げよう。
そうして語り合おう、この一年を。
霊夢、飛んでいるか?
魔理沙
しかし何故こんなにポイントが低いのか。危うく見逃すところだった。