「……ねぇ、アリス」
「何?」
「……暑いわねぇ」
「暑いわね」
遠くから、みーんみんみん、というせみの鳴き声が聞こえる。
中天高く昇った太陽は、お日様燦々爽やかとはいえない強烈な日差しを大地へと降り注がせる。
風もだいぶぬるく、窓を開けていても、じんわりと汗をかいてしまう、そんな季節。
「これだけ暑いと、なまものを扱う店としては、製品の品質維持が大変だわ」
と答えるのは、この店――ひまわり並ぶ太陽の畑及び人里で、今、大人気の喫茶店『喫茶「かざみ」』のパトロン、アリス・マーガトロイド。
彼女の片手が翻ると、一瞬、室内――『かざみ』店内の、商品が陳列されている棚が光を放つ。
「あ、冷たい」
そこに手を浸すのは、本店店主の風見幽香。
幻想郷でも数少ない、洋菓子を取り扱うこの店では、商品のほとんどがなまもの。冷房管理は店の大事な仕事である。
「紅魔館って、建物ごと涼しいと聞いたわ」
「そういう仕組みを使っているのよ」
「へぇ……。
うちも出来ない?」
「あなた、暑さに弱いの?」
「というより、植物は、暑さ寒さには弱いものよ」
「なるほど」
一応、植物を操る妖怪、それが風見幽香。その属性は、どうもそちらの方が強いようだ。
「温室の方は大丈夫なの? あそこ、ものすごい蒸し暑くなりそうなんだけど……」
「にとりが、『そんなこともあろうかと、特製『てんぐくん』をつけておいたよ』って」
「何それ?」
「外気を取り込んで、室内の空気を循環させるシステムみたい」
ということは、死ぬほど蒸し暑くはならないけれども、『外気より気温は下がらない』ということである。
『まぁ、それならいいか』と幽香は納得するのだが。
「けど、にとりのネーミングセンスは、ほんとどうにかならないのかしらね」
「技術力とセンスは別よ」
と、その施設を作るのに尽力しまくっただけでなく、『かざみ』開店の立役者の一人に対してひどい言いざまである。
それはともあれ。
「確かに、室内が、これだけ暑いのはねぇ」
部屋の中にかけてある温度計を見ると、気温は『30度』を示している。
風がない分、外よりも暑く感じるほどだ。
ちなみに、今年の幻想郷は『猛暑の注意』がなされている。
気象を操り、司る妖精や精霊による『気象予報』は的中率100%と大評判だ。
「本店でこれだから、支店の方はもっと暑いのよね」
「あっちの方が風通し悪いからね」
「……暑いのは苦手だわ。寒いのもだけど」
「そのセリフだけ聞くと、ただのわがままにしか聞こえないのが不思議ね」
ともあれ、ちょっと考えないといけないな、と。
時計を見て『そろそろ開店時間か』と腕組みするアリスは、何となく、そんなことを考えたのだった。
「お店の中に、安く冷房を、か。
アリスさん、そいつは無理ってもんですよ」
片手に持ったスパナをジャグリングの要素で上に放り投げながら、彼女、河城にとりは答える。
「やっぱり?」
「当然です」
それについては、きっぱりはっきり、彼女は言う。
よく彼女は『他人に出来ないことでも自分にならできる』と胸を叩く人物だ。
自分の技術に絶対の自信を持っているからなのだろうが、そんな彼女であっても、『出来ること』と『出来ないこと』の区別はしているのだ。
「あれはなかなかめんどくさかったですよ。
パチュリーさんの魔法で作った、何かすごく冷たい石を配管の中に無数に配置して、そこに風を送るようにして、さらにそれをスイッチでコントロールして、冷えすぎないように温度調節できるようにして――って。
報酬は大したもんだったし、得られた技術や知識もありがたかったけど、それを安く作れってのはどだい無理です」
「なるほどね。
まぁ、最初から期待はしてなかったわ」
「お力になれずに」
「いいわよ」
ひょいと肩をすくめて笑ってみせるアリスは、『はい、どうぞ』とにとりの前に紅茶とケーキを置く。
紅茶はもちろんアイスティー。きんと冷える冷たさと甘さが特徴かつ売りのそれを、にとりは喜んで口にする。
「お店は、今日も大繁盛ですね」
「暑いのにね」
『かざみ』の店内は、いつも人でごった返している。
店が小さく、また、店員の数も少ないからなのだが、夏場のこの時期は、そのせいで、室内の気温は右肩上がり。
窓を全開にして、外からの風を通しても、なかなか気温は下がらない。
「多少の障害があろうとも、手に入れたいものがある、ってことで」
何やらわかりきったような口調で、ひょこひょこ、にとりは手にしたフォークを動かした。
「温室はさ、ほら、足下に暖かなお湯が流れる配管を通しているでしょう?
あんな感じで冷房も作れない?」
「ん~……。
冷たい水を流して、そこに暖気を持っていってもらうってのは普通ですけど、そこまで効果のあるもんじゃないですよ。
途中に穴でも空けて、霧吹きみたいに水を出して、気化熱で冷やすってなら話は別だけど」
「……それはちょっとね」
屋外ならばいいが、屋内でそれをやれば、あちこち水浸しになってしまう。
お化け屋敷ならそれでもいいかもしれないが、一応、『飲食店』の形も取っている店でそんなことをやれば、客の不満が直撃することだろう。
「となると、やっぱり冷房を作るしかないのかしらね」
「お金さえ用意されれば」
「このくらいの規模の建物なら、どれくらい?」
「そうですねぇ……。
まぁ、温室を作った時は0からの作成だったから、あんな額になったけど、この建物の場合はシステムを作るだけだから、多分、あれの半額くらいで出来ますよ」
「半額か」
格安といえば格安。
アリスはうなずきつつも、『けど、夏の限られたシーズンの利用で、その金額はどうかしらね』と頭を悩ませる。
涼しい店内。暑い外。客は来るだろう。
しかし、それで投資した金額に見合うだけの『増収増益』となるかはわからない。
回収に何年かかるか。
その間のメンテナンスの費用は。
本当にペイできるのか。
「アリスさんは、優秀な経営者だね」
シビアな視線で物事を捉える彼女に、にとりがぱちぱちと手を叩く。
「普段暮らす家でなら、迷わないのだけどね」
「わかるわかる」
友人割引も使えますよ、とにとり。
しかし、それで提示される割引額は『雀の涙』である。
「あんたこそシビアじゃない」
「河童は金にがめついんです」
にやりと笑って返してくる彼女に、「ま、検討はするわ」と返すアリスだった。
「毎日、暑い!
ならば、涼しい格好をするしかないでしょう!」
翌日、『かざみ』人里支店にやってきたアリスに、支店で働くアルバイトを統括する彼女、東風谷早苗はでけぇ声で宣言する。
「具体的にはこう!
背中ばーん、胸元どーん、丈ずぎゃーん」
「うちそういう店じゃないから」
「ですよねー」
何やらいかがわしいお店で働くお姉さん達が身に纏っていそうな感じにまで『涼しげ』な意匠にされてしまった服のデザインを提出してくる早苗を、アリスは一言で切って捨てた。
「けど、確かに、今年は暑いですね」
『かざみ』人里支店は、本店よりも、やはりさらに暑い。
壁にかかっている温度計を見ると、人が多い時間帯だというのもあるが、驚きの『33度』。外の気温のほうがずっと低いという有様だ。
当然、働いている女の子達は、額に玉の汗を浮かべて頑張っている。
「こりゃ何とかしないと」
アリスも、額にじわりと浮かぶ汗をぬぐいつつ、服の襟元を引っ張って、ぱたぱたと、手であおいで風を送る。
「そう言ってくれると助かります。
他の飲食店の方が、ここより涼しいですからね。
あんまり暑すぎるとお客さんの足も遠のくし、何より働きたくなくなります」
ちなみに、そんな彼女たちをねぎらう意味で、支店の休憩所にはでっかい氷を、常に置いてあるのだという。
あんまり暑くてどうにもならなくなったら、そのそばにいって涼むという寸法だ。
「氷か……。
あちこちに置いておくというのも、それはそれでオブジェとしてよさそうね」
「まぁ、それだけの氷を用意するのも大変ですけどね」
「氷屋の氷って高いのよね」
この時期、人里を練り歩く『氷屋』にはよく客がやってくる。それもまた、幻想郷の人里の風物詩だ。
でっかい氷を買って家に持ち帰り、家族一同、暑い夏を凌ぐのである。
ちなみに、店で使っている、その冷却用の氷も氷屋から買っていたりする。
「氷に風を吹き付けると涼しいでしょ?
それで冷房の代わりにならないかしら」
「冷風扇ですね。
ありだとは思いますけど、あっという間に溶けますよ。氷」
「……ああ、そりゃそうか」
「それなら、にとりさんに頼んで、冷房つけてもらった方が、最終的なコストは安くすむと思います」
「ん~……」
ちらりと店内に視線を向ける。
客は大勢。
しかし、彼らの足は、よく、品物を陳列してある棚の前で止まる。
その棚には商品の鮮度を保つための、冷房の仕掛けがしてあるからだ。
要は、皆、『暑い』のである。
「風のめぐりをよくすれば、もう少し温度は下がりそうだけど、『涼しい』っていうのは無理ね」
「無理ですね」
「冷房をつけてもいいんだけど、夏しか使わない設備ってのがなぁ」
「じゃあ、暖房もつけたらいいんじゃないですか?」
「……暖房も?」
「ええ」
しばし、アリスは沈黙して首をかしげる。
「……冷房と暖房を一緒に作るの? どうやって?」
そこには、どうやら、考えが及ばなかったらしい。
『あー』とうなずいて、早苗は『外の世界にはですね――』という講釈を始めるのだった。
「……ふぅん。なるほど」
それから数日後。
再び、アリスは店ににとりを呼び寄せ、早苗から話のあった『冷暖房設備』――『えあこん』というものについて、作れないかという話をしていた。
「面白そうだね。あったかい空気と冷たい空気をスイッチで入れ替える機能」
「紅魔館には冷房はあるけれど、この手の暖房はないでしょう?
まずうちで技術を身に着けてから、紅魔館に売りに行けば、いいお金になるわよ」
「いいね。そういうギブアンドテイク」
いいよ、とにとりはそれを二つ返事で引き受ける。
「この建物は暑い。うちは涼しいから、この店に来るのがいやになる。
だけど、売ってるものは美味しいから、どうやっても足を運んでしまうんだよね」
だから、自分が通う店なのだから、快適になってもらいたい、と彼女は言った。
早速、両者の間で価格交渉が始まる。
こういう時、引かないアリスと、譲らないにとり。両者の勝負は夏の気温など目じゃないくらい熱い。
「……一体何をするのかしら」
その様を、カウンターの裏から眺める幽香はぽつりとつぶやく。
そうして、その視線を足下に向けて、「はい、どうぞ」と笑顔。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「冷たいものを食べ過ぎると、おなかを壊すから。気をつけてね」
母親に連れられてやってきた、年齢なら7歳くらいの男の子。
外で毎日、元気に遊んでいるのか、小麦色に焼けた肌に真っ白な歯をにかっと見せて、幽香から受け取ったアイスクリームを手に、母親と一緒に店を後にする。
彼らに笑顔で手を振って、ふむ、とうなずく幽香。
『どうされたんですか? 幽香さん』
そんな彼女のアシストである、アリスの人形のうち一体が、幽香へと問いかける。
「ん?
夏は暑いから、何か冷たいもので新製品が出来ないかなぁ、って」
『そうですか』
「……夏、暑い。冷たい……」
ん~、と眉根を寄せる幽香。
その視線が、ふと、カウンターに置かれたジュースの入ったグラスに向いたのは、その時だった。
「……熱い……」
「字が間違ってるぜ、霊夢」
「なるほど、魔理沙。ならばあなたは熱くないのね」
「いや、暑い」
「……暑いわね」
「……熱いな」
幻想郷の片隅にある、とっても、存在そのものが重要な神社。通称、博麗神社。
周囲をうっそうとした木々に囲まれたここでは、毎年、夏になるとせみさんが種類問わず大合唱を行なっている。
今日も朝から、しゃわしゃわしゃわ。
降ってくる音は、度が過ぎて騒音になっている。
「何かさ、冷たいもの、ない?
ほら、あんた、いつぞやの異変で氷の弾丸とかぶっ放してたでしょ。あれ出してよ」
「あいにくと品切れだ」
「じゃあ、魔力を一度ばらばらに分解して冷気に作り直して周囲を冷やしてよ」
「おいそのネタはやめろ」
その神社の主、博麗霊夢は、さすがに今日ばかりはいつもの紅白衣装を脱ぎ捨て、丈の短いシャツとそれにあわせた、かわいい色合いのスカートに身を包んでいる。ちなみに、提供は早苗である。
その友人、霧雨魔理沙は、やはりこちらもこの暑さの中、いつもの見た目にも鬱陶しいモノトーンカラーの服はやめて活動的なシャツとパンツである。提供はアリス(お手製)だ。
「役に立たないわね」
「お前のために役に立つ魔法を身に着けるつもりはない」
「いいじゃない。ケチくさいわね。5円あげるから」
「残念ながら、今、魔理沙さんはとってもお金もちなんだ。ふっふっふ」
「マジで?
……魔理沙。公安の人たち、優しい人、多いって聞くわよ」
「どういう意味だこら!
そうじゃなくて、ちゃんと物を売って金をもらっただけだ!」
「またまたご冗談を」
「よし殴らせろ」
「だが断る」
何やらそんなやり取りをした後、ざっ、と互いに構えを取ったところで、しばし停止。
降り注ぐ夏の日差し。せみさんの鳴き声。
二人はそのまま縁側に腰を下ろすと、はぁ、とため息をついた。
「……熱くて何もやる気にならない」
「暑くてお前と遊んでやる気が起きないぜ」
あー、と二人そろって、縁側の上に大の字になって転がる。
そのままもぞもぞと居間へと移動し、しばし、日陰になっているおかげで、まだ冷えてる畳の上でごろごろする。
しかし、あっという間に畳みは熱を持ち、
「……暑いぞ、霊夢。水浴びにでも行くか?」
「いーわね……」
という具合である。
日が落ちて、風がゆったり流れてくれば、この博麗神社は快適な環境を取り戻すのだが、そうでない時間帯はとにかくどうしようもない。
夏のこの時期、霊夢は、暑さから逃れるために、あちこちの友人の家を渡り歩くのが日課である。
今日、そうでないのは、単に『あまりにも暑すぎるから出歩くのもいや』という理由だ。
「そういや、お前んちに氷室を作ってやったよな。あそこに入るか」
「さすがに凍傷になるわよ」
「ん~……さすがにそうだな」
「やっぱ水浴びが一番じゃない?」
「そうだな。
よし、じゃあ、出かける……」
そこで。
「ごきげんよう」
「あら、幽香。珍しい。一人?」
実に珍しい来客がやってくる。
片手に持った、薄桃色の傘を日傘にして佇む彼女は、この暑さにも拘わらず、いつもの赤白チェック衣装。
見た目に暑苦しいと文句を言いつつも、霊夢は立ち上がる。
「お茶。麦茶、用意するわ」
「ありがとう」
「へぇ、珍しい。
霊夢が他人に、ちゃんと茶を振舞うなんて」
「幽香はうちに来ると、慧音と同じで、必ず賽銭箱にお賽銭を入れてくれるのよ」
へぇ、と魔理沙は声を上げた。
ともあれ、二人は霊夢と共に居間へと上がる。
出される麦茶は二人分。魔理沙が「私の分もよこせ」とテーブルの上に500円載せたら速攻で彼女の分も出てきた。
「何しにきたの? 店はいいの?」
「ん? ちょっとね。
あなた達に、今日は毒味を頼もうと思って」
「ほほう。いいじゃないか、いいじゃないか。
どんなとんでも料理を食わされるんだ?」
この頃、成長期なのか、食べる量が増えている(そして、その内容も吟味するようになっている)魔理沙が身を乗り出した。
幽香はにっこり笑うと、
「はいこれ」
と、片手に持てるくらいのサイズの小さなケースを取り出した。
取っ手の部分が天板に取り付けられたそのケース。触ってみると、ひんやりと冷たい。
さては冷菓子か、と霊夢と魔理沙が目を輝かせた。
この夏の暑い時期、ひんやりひえひえな冷菓子は救世主といっても過言ではないだろう。
早速、霊夢がケースの蓋を開けた。
――と、
「……何これ?」
中に入っていたのは、氷。
――いや、少々、語弊があるか。
中に入っていたのは涼しげな色のグラスに盛られた、氷。削られた氷なのだ。
とりあえず、グラスを手に、それを取り出す。グラスもきんと冷えていて、触っているだけで、夏の暑さを忘れられるくらいに涼しい。
しかしだ。
「……何これ?」
霊夢は、もう一度、同じ言葉をつぶやく。
対して、魔理沙は「おお、カキ氷か」と声を上げる。
「カキ氷?」
「何だ、霊夢。知らないのか。
……っても、そうだな。カキ氷、割と高いもんな」
「へぇ。人里では売ってるの?」
「たま~に、氷屋が売りに来る。
っても、高いんだ。これが。夏のこの時期、貴重な氷を使って作るんだからな。
庄屋の跡継ぎとかがよく食べてるぞ」
「ふ~ん……」
じーっと、『カキ氷』なるものを見つめる霊夢。
「で、これ、どうするの?」
『食べる』と魔理沙が言っているのだから、これは食べられる食べ物なのだろう。
しかし、どうやって食べるのだろうか。
ただ氷を口に入れるだけか? 確かに、涼しくはなるだろうが、そんな味気ない食べ方をして『美味しい』とはとても思えない。
首をかしげる霊夢を尻目に、魔理沙は「幽香、シロップとかないのか?」と尋ねている。
「あるわよ。
それが、これ」
「ほほう。何か色々あるな」
「果物を搾って作った、果汁100%シロップ。砂糖とかは一切使ってないわ」
「おー、いいねぇ。体によさそうじゃないか」
「あとは、生クリームとかを載せてみるとか」
「あ、私はそっちがいいなー。
で、チョコレートかけるんだ」
「そう言うと思って、ほら」
「準備がいいな!」
何やら、魔理沙は、この『カキ氷』なる食べ物の食べ方を知っているらしい。
幽香が、一体どこに持っていたのか、次々とカキ氷の『調味料』を取り出すのを見て、目を輝かせている。
霊夢はとりあえず、魔理沙に倣うことにした。
「何がいいの?」
「初心者はいちごだ」
何が『初心者』なのかはわからないが、ともあれ、霊夢は『いちご』とラベルの貼られた容器を手に取り、それを『カキ氷』の上で傾ける。
「いちごは冬の果物だから、今の時期、なかなか手に入らないのよね」
「高級品じゃないか」
「そうよ。値段だけなら、こっちのメロンとかスイカのほうがいいかもね」
しかし、魔理沙曰く『カキ氷の初心者はいちご味を食べるもの』ということで、霊夢はとりあえず、いちごのシロップをカキ氷にかける。
そうして、渡されるスプーン。こちらも冷たく冷えていて、持っているだけで幸せになれるほどだ。
「それじゃ、いただきまーす」
カキ氷を口にする魔理沙を横目で見ながら、霊夢も氷をすくって口の中へ。
途端、口から響く氷の冷たさ。
口の中から始まって頭のてっぺんまで駆け抜けるそれに、彼女は頭を押さえた。
「一気に食べるから」
くすくす笑う幽香。
霊夢は隣を見る。視線の先では、魔理沙も、頭を押さえてうなっていた。
そして、
「あ~、これだこれだ! これだ、カキ氷!」
それも風物詩とばかりに、彼女は歓声を上げる。
霊夢も、今度はちょびちょびと、カキ氷を口の中に入れていく。
氷の冷たさと一緒に、いちごの甘さが心地よい。
果肉も一緒にシロップの中に混ぜているらしく、たまに、いちごのむぎゅっとした甘さが伝わってくる。
「なかなか美味しいわね」
「だろう? ぜいたく品なんだぜ、これ」
「確かに、人里で売ってる氷なんて高いもんね」
「けど、うまい。
まぁ、ただ氷食べてるだけだけど、暑さを忘れられるだろ」
「食べ終わったら、一層、暑くなりそうだけど」
そんな冗談を口にしつつ、「今度は氷屋でも始めるの?」と幽香に問いかける。
「というより、カキ氷も売ってみるか、ってところ。
あなた達の感想次第だけど」
「私は賛成だ」
「値段次第」
「……相変わらずだわね」
頬に汗を一筋流してから、幽香は、「そんなに高くするつもりはないけど」と言う。
「いや、だけど、これを格安で売ったらアリスが怒るだろ。絶対」
「そうだけど」
「あんたの店、氷、買ってるのね」
しゃくしゃく、氷を食べながら、霊夢。
綺麗に、雪のように、ふんわり削られた氷は口当たりも実にいい。
もう少しゆっくり食べないとな~、と思うのだが、夏の暑さは容赦なく氷を溶かしていく。
頭に『きーん』と来る痛みの直撃を受けない程度にゆっくり、しかし、溶けてしまわない程度に素早く。
かき氷の食べ方は、実に難しい。
「人里のお店では、従業員の冷房に使っていたの。
けど、今度、うちに冷房装置がついたから。買わなくてもよくなったんだけど、それならそれで、氷を使って新商品とか考えられないかなぁ、って」
「なるほどな」
「へぇ。冷房装置。
紅魔館にもあるわよね。
あ、そうだ。紅魔館に行けばいいのよ、魔理沙。涼むなら」
「なるほど」
何やら、この二人、悪巧みを考えたらしい。
顔を見合わせ、ぽんと手を打つ。
「アリスは『氷を買うお金が浮く』って言っていたけれど、氷を買うお金よりも、カキ氷を作って、それを売ったお金の方が多くなればいいのよね?」
「まぁ、そうね」
「というわけで、新商品を考えているの」
「既存のカキ氷屋を潰すなよ。
あいつらは、里に氷を持ってきてくれる、いい奴らなんだぜ」
「わかってるわよ」
既存の店舗の皆様とは仲良く、競い合うことはあれど、潰しあいはしない、というのがアリスの経営方針。
うまいこと、『先達』に擦り寄って、その中に溶け込もうというのだ。
全く、考えが鋭い経営者さまである。
「あ~、美味しかった」
「クリームとチョコレートのカキ氷とか贅沢だぜ」
「あまり食べ過ぎると、おなかが冷えてひどい目にあうわよ」
「わかってるわかってる。この一杯だけで充分だ」
「だいぶ汗も引いたわね」
二人とも、そろって満足したらしい。
空っぽになったグラスを戻してもらって、幽香は、『評判はよさそうね』と立ち上がる。
「じゃ、何とかなりそう」
「お前も最近、忙しいね」
「アリスが急かすのよ。新製品を出せ、って」
「あいつはほんと、厳しいね」
「周りの人たちからは羨ましがられるのよ。『いい経営者だ』って」
「なるほど」
「そんじゃ、頑張ってね。
あ、カキ氷、ありがと」
「こちらこそ」
ひょいと手にした日傘を振って、幽香は縁側に下りると、そのまま神社を後にする。
彼女の日傘が見えなくなる頃、二人は立ち上がると、『よし、紅魔館に涼みにいこう』と声をそろえたのだった。
「よいしょ……っと」
早速、幽香は、人里の支店の軒先で用意を始める。
「幽香さん、どうぞ」
「ありがとう」
後ろから、早苗が、アリスと二人がかりで、何やらごっつい機械を運んでくる。
それを、彼女たちの腰の高さくらいの台にセットする。
頭の上には、青と白の涼しげなデザインの旗。中央に、赤い文字で『氷』と書かれている。
早速、取り出すでっかい氷。
幽香はそれを台の脇に置いて、のこぎりでしゃりしゃりと音を立てて切っていく。
「さすがに、あれは包丁では無理よね」
「手刀ってどうでしょう。氷柱割り!」
「美鈴さんならできるかも」
「……確かに」
とーう、と腕を氷に向かって振り下ろしたモーションのまま、早苗は笑顔を、少しだけ引きつらせる。
切った氷を、手元の機械にセットして、ゆっくりと、上の部分のハンドルを回していく。
すると、
「綺麗ね」
アリスも思わず、そんな感想を口にする。
機械から吐き出される氷は細かく削り出され、まるで雪のよう。
暑い中、店の前で並ぶ客が『何だ何だ』と視線を集めてくる。
氷を小さなカップの中に入れて、スプーンを差す。
そして、
「暑い中、お並び頂いてありがとうございます。
こちら、店主の風見幽香からの、皆様への、ほんのお礼でございます」
アリスがアナウンスをすると、幽香は『どうぞ』と並ぶ客に、それを――新製品の『カキ氷』を配っていく。
「シロップなども多数用意してありますので、お好きなものをお選びください」
幽香に続いて、早苗がトレイの上に何種類ものシロップを用意して、客の間を巡っていく。
目を輝かせて待つ子供の前では、幽香は膝を折って、「はい、どうぞ」と小さな掌にカキ氷を手渡す。
「ぼく、何がいい?」
「えっとね……えっと……これ!」
「スイカ味ね。
はい、どうぞ」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
その母親から、『ありがとうございます』と声をかけられて、いえいえ、と笑顔を返す。
そんな感じで、並ぶ客全員にカキ氷を配った後は、元の位置へ。
また、氷を削ってカキ氷を作り、道行く人々に『カキ氷いかがですか? 本日、サービスでご提供しております』と声をかける。
なお、声をかけるのは早苗の役目。幽香は、まだ、声が出ないらしい。
『マスター、無料で配ってしまってよろしいのですか?』
「いいのよ。
今は周知するための期間。これで、『うちでもカキ氷を売り出すようになった』って宣伝になればいいの」
『なるほど』
「氷を売っている人にも話はつけてあるわ。
その人から氷を仕入れるような契約を結べば、こっちがいくらでカキ氷を売っても構わない、って言ってもらってるし」
『……いつの間に』
「うちの最終的な相手は紅魔館よ。
あんなでっかい総合店舗と戦うんだから、フットワークのよさで勝負しないと」
答えるアリスの顔はやる気満々。
声をかけた、アリスの人形は、『何か本来の目的を見失っているような……』と苦笑いだ。
ともあれ、カキ氷は大人気。
道行く人々も足を止め、ひとときの涼味を味わい、中には『せっかくだから』と列に並んでくれる人もいる。
「カキ氷以外にも、本日より、夏の限定メニューの販売を行っておりまーす!
ぜひ、ご来店くださーい!
あ、こちら、サービスです。どうぞ」
「さすがは早苗。アルバイトの経験を生かしてくれるわね」
道行く人々に声をかけ、しかし、決して呼び止めない。
足を止めて、興味を向けてくれる人にだけ、彼女は声をかけている。
あんまりしつこいセールスは嫌われる。それは、外の世界も幻想郷も同じなのだ。
「お姉ちゃん! おかわり!」
「あたしも、あたしも!」
「……アリス、いい?」
「いいわよ。子供限定ね」
本来は、『お客様お一人につき一つだけ』なのだが、そんなルールは小さな子供には通じない。
屈託のない笑顔で、幽香にカキ氷をせがむ彼らに、彼女は『じゃあ、特別よ』と微笑んで、大盛りのカキ氷を作って渡している。
それに気付いた彼らの親が『こら!』と声を上げるのだが、アリスが「本日はサービスですから」と笑顔を向けると、やはり言葉の矛先を引っ込める。人間とはそういうものなのだ。
「いい感じの売れ行きね。
やっぱり、夏は冷たいものがよく売れるわ」
かてて加えて、『カキ氷』とは幻想郷庶民にとっての高級品。食べたくても食べられなかった。今までは。
しかし、本日より販売の開始された、『かざみ』のカキ氷はお値段控えめ。
店で売っているお菓子よりはかなり割高ではあるものの、これまで売られていたかき氷よりはずっと安い。
だから、彼らはサービス品を食べ終わった後、『もう一杯』とお金を払う。
二度目に手渡される、サービス品よりもずっと大盛りのそれに、彼らは笑顔を浮かべて、カキ氷を口にする。
「こんなに安く売ってしまって、大丈夫なんですか?」
「大丈夫なわけないでしょ。
ある程度の数を売らないと、大赤字のメニューよ」
頭の上から声が降ってくる。
アリスはその声の主を見ることなく、答えた。
声の主――『かざみ』の広報担当、天狗の射命丸文が、ぶわっ、と風を巻き起こして地面に着地する。
その風に揺られる形で、店の入り口に提げられている風鈴が、ちりんちりん、と音を鳴らす。
「また思い切りましたね」
「幽香から提案があったの。
珍しかったから、せっかくだから採用、って形」
「なるほど」
「ただ、氷を仕入れるのがねぇ。
あの氷屋のおやじ、商売に強いわ」
「私も以前から、あの方は見ていますけど、本当に子供の頃から氷屋をやってらっしゃいましたね」
「人里の氷室管理って独占商売だったのね」
「まぁ、才能とかもいりますから」
そんな会話をしながら、文は『私にもくださいな♪』とかき氷をねだる。
彼女に渡されたカキ氷は、『かざみ特製』のカキ氷。
オレンジなどのフルーツと、白玉と、生クリームにカスタード、チョコレートで味付けされた『カキ氷パフェ』とでも言うべきものだ。
「ん~! 冷たくて甘くて美味しいですね~!」
「あんまり食べると、おなかを下すわよ」
「冷たいものは、それがネックですね~」
しゃくしゃく、しゃりしゃり。
氷を削って作られる、雪のようなカキ氷。口の中に残る冷たさと甘味は、夏の暑さの中で、実に心地よい。
「……前と制服のデザイン、変わりました?」
「ノースリーブにして、スカートの丈とデザインを変えただけだけどね」
「見た目にも涼しくていい感じですね。
個人的には、もっと露出度が高いと、写真にした時に受けがいいのですが」
「殴るわよ、このエロ鴉」
「いえいえ、エロいのは私ではなくて、読者の皆様です」
アリスにカメラのレンズを向けて、文はシャッターを切る。
そうして、「じゃあ、取材、よろしいですか?」と一言。
アリスは踵を返すと、「幽香、それじゃ、よろしくね」と幽香の背中に声をかけて、店の中に去っていく。
「幽香さん、シロップ、なくなりました」
「台の裏側」
「はいはい」
「幽香さーん! お店の商品、品切れが出そうですー!」
「はーい!
あ、ごめんね。待たせて。はい、どうぞ」
「わーい!」
子供にたかられ、困惑しながらも笑顔の幽香。
つい最近判明した、彼女の子供好きな一面は、やっぱり相当なものであるようだ。
「……先を越されたわね」
先日、発行された『文々。新聞』を見て、つぶやくのは、紅の館のメイド長。
今年の夏の新商品を企画していた彼女にとって、『かざみ』の足の速さは、やはり脅威であるようだ。
「二番煎じはつまらないから、別の手段を考えましょう」
手にした新聞紙を、彼女は丁寧に畳んで、テーブルの上に置く。
部屋を後にして、入り口ホールへ。
今日も幻想郷の皆々様に大人気の紅魔館。
その一角に、ちみっこい子供が二人。
「さくや、さくや! カキ氷、カキ氷!」
「フラン、あんまりはしゃがないの。
いい? これは偵察よ。うちのお店のために、仕方ないから、あの店を見に行くんだから。わかった?」
「うん、わかった! さくや、フラン、カキ氷!」
それは、この館の名物お嬢様たち。
両方とも、カキ氷が楽しみで仕方ないらしい。
ちみっこお嬢様は、したり顔で自分の妹に言い聞かせたりしているものの、その羽はひっきりなしに上下にぱたぱた。
その妹君のもっとちみっこお嬢様は、笑顔で『早く、早く』と急かしている。
やれやれ、と彼女は苦笑する。
「それじゃ、悪いのだけど」
「はい。こちらはお任せください」
信頼できる部下に館を任せ、メイド長殿は、お嬢様たちを連れて、『偵察』に出発する。
入り口の門を預かる、門番という名のお客様案内係に『行ってらっしゃい』と見送られ、彼女たちは一路、『カキ氷取材』のために出発するのだった。
~以下、文々。新聞一面より抜粋
『いよいよ夏本番到来! 喫茶『かざみ』にて、夏の新メニュースタート!
このごろは、とみに気温も上がり、空はいつも青空、晴天、日本晴れ。
降り注ぐ太陽の光が、夏らしさを讃えると共に、さすがにそろそろうっとうしさを感じるようになってきた昨今であるが、このたび、毎年恒例の『かざみ』夏メニューの販売開始を、読者諸兄にお伝えしたい。
毎年、必ずやってくる、この季節。今年は特に気温が高く、雨が少ないと言うことで、外に出ることを億劫に感じている読者諸兄も多いことだろう。
しかし、そんな諸兄であっても、外へ出ざるを得ない理由が出来た。
それが、このたびの、『かざみ』夏メニューである。
例年通りのアイスクリームやアイスケーキと言った冷や菓子から始まり、今年の目玉は、何と言ってもかき氷だろう。
このお菓子、食べたことはなくとも知っている、というのが幻想郷住人の大半ではないだろうか。かくいう本紙記者もその一人である。
夏のこの季節、氷は貴重品である。これを冷房代わりに使い、涼を取り、暑さをしのぐ――文字にすると簡単なことだが、そこには金銭的な課題が存在していた。
やはり、一般家庭でもそうそう使うことの出来ない上記の冷房。ましてや、その貴重かつ高級な『氷』を食してしまう。文字通り、一般幻想郷住民にとっては高嶺の花の贅沢である。
さて、人里などで、この季節、今までも販売されていた『かき氷』であるが、これをこのたび、『かざみ』にて新メニューとして提供することと相成った。
きんきんに冷えたグラスに山盛りの氷に、果物100%のシロップ。一口するだけで、暑さを忘れられる涼味である。
これは今回、『かざみ』経営者である風見幽香女史と、氷屋の氷吉氏との連携によって現実化した、奇跡のコラボレーションだ。
氷の質は、あの氷室屋の氷吉氏のもの。もはや疑う必要はない。そして、提供される『場所」は、あの『かざみ』である。
その味に、もはや、疑いを抱く必要はないだろう。
実際、本紙記者もこれを早速、食べさせてもらったが、いやはや、素晴らしいものであった。長生きしている当方も、かき氷などと言う贅沢なもの、ほとんど食べたことがなかったのだが、これほどまでにうまいものだとは知らなかったと、素直に白状し、それを褒め称えよう。
現在、かき氷は、『かざみ』にて大好評販売中であり、プロモーションとして、『かざみ』を訪れてくれる皆々様方全てに『無料』でサンプルが提供されている。
サンプルと言っても、味は商品版と全く変わらないことは保証しよう。
このサンプルを食べた後、その味を気に入れば、是非とも、商品版も購入して欲しいとのメッセージを、店主から預かっている。
少しお値段は高めとなってしまうのだが、それはご愛敬として受け入れるべきだろう。
季節限定、そして、貴重な材料を使って、可能な限り安価に提供される商品なのだ。これ以上の要求は、もはや失礼だと言っていい。
それほどの満足度を、この商品は、店を訪れる客全てに提供してくれることだろう。
なお、それ以外にも新商品が追加されているため、お腹を壊さない程度に購入し、夏の暑さと戦っていこうではないか。
著:射命丸文~
「何?」
「……暑いわねぇ」
「暑いわね」
遠くから、みーんみんみん、というせみの鳴き声が聞こえる。
中天高く昇った太陽は、お日様燦々爽やかとはいえない強烈な日差しを大地へと降り注がせる。
風もだいぶぬるく、窓を開けていても、じんわりと汗をかいてしまう、そんな季節。
「これだけ暑いと、なまものを扱う店としては、製品の品質維持が大変だわ」
と答えるのは、この店――ひまわり並ぶ太陽の畑及び人里で、今、大人気の喫茶店『喫茶「かざみ」』のパトロン、アリス・マーガトロイド。
彼女の片手が翻ると、一瞬、室内――『かざみ』店内の、商品が陳列されている棚が光を放つ。
「あ、冷たい」
そこに手を浸すのは、本店店主の風見幽香。
幻想郷でも数少ない、洋菓子を取り扱うこの店では、商品のほとんどがなまもの。冷房管理は店の大事な仕事である。
「紅魔館って、建物ごと涼しいと聞いたわ」
「そういう仕組みを使っているのよ」
「へぇ……。
うちも出来ない?」
「あなた、暑さに弱いの?」
「というより、植物は、暑さ寒さには弱いものよ」
「なるほど」
一応、植物を操る妖怪、それが風見幽香。その属性は、どうもそちらの方が強いようだ。
「温室の方は大丈夫なの? あそこ、ものすごい蒸し暑くなりそうなんだけど……」
「にとりが、『そんなこともあろうかと、特製『てんぐくん』をつけておいたよ』って」
「何それ?」
「外気を取り込んで、室内の空気を循環させるシステムみたい」
ということは、死ぬほど蒸し暑くはならないけれども、『外気より気温は下がらない』ということである。
『まぁ、それならいいか』と幽香は納得するのだが。
「けど、にとりのネーミングセンスは、ほんとどうにかならないのかしらね」
「技術力とセンスは別よ」
と、その施設を作るのに尽力しまくっただけでなく、『かざみ』開店の立役者の一人に対してひどい言いざまである。
それはともあれ。
「確かに、室内が、これだけ暑いのはねぇ」
部屋の中にかけてある温度計を見ると、気温は『30度』を示している。
風がない分、外よりも暑く感じるほどだ。
ちなみに、今年の幻想郷は『猛暑の注意』がなされている。
気象を操り、司る妖精や精霊による『気象予報』は的中率100%と大評判だ。
「本店でこれだから、支店の方はもっと暑いのよね」
「あっちの方が風通し悪いからね」
「……暑いのは苦手だわ。寒いのもだけど」
「そのセリフだけ聞くと、ただのわがままにしか聞こえないのが不思議ね」
ともあれ、ちょっと考えないといけないな、と。
時計を見て『そろそろ開店時間か』と腕組みするアリスは、何となく、そんなことを考えたのだった。
「お店の中に、安く冷房を、か。
アリスさん、そいつは無理ってもんですよ」
片手に持ったスパナをジャグリングの要素で上に放り投げながら、彼女、河城にとりは答える。
「やっぱり?」
「当然です」
それについては、きっぱりはっきり、彼女は言う。
よく彼女は『他人に出来ないことでも自分にならできる』と胸を叩く人物だ。
自分の技術に絶対の自信を持っているからなのだろうが、そんな彼女であっても、『出来ること』と『出来ないこと』の区別はしているのだ。
「あれはなかなかめんどくさかったですよ。
パチュリーさんの魔法で作った、何かすごく冷たい石を配管の中に無数に配置して、そこに風を送るようにして、さらにそれをスイッチでコントロールして、冷えすぎないように温度調節できるようにして――って。
報酬は大したもんだったし、得られた技術や知識もありがたかったけど、それを安く作れってのはどだい無理です」
「なるほどね。
まぁ、最初から期待はしてなかったわ」
「お力になれずに」
「いいわよ」
ひょいと肩をすくめて笑ってみせるアリスは、『はい、どうぞ』とにとりの前に紅茶とケーキを置く。
紅茶はもちろんアイスティー。きんと冷える冷たさと甘さが特徴かつ売りのそれを、にとりは喜んで口にする。
「お店は、今日も大繁盛ですね」
「暑いのにね」
『かざみ』の店内は、いつも人でごった返している。
店が小さく、また、店員の数も少ないからなのだが、夏場のこの時期は、そのせいで、室内の気温は右肩上がり。
窓を全開にして、外からの風を通しても、なかなか気温は下がらない。
「多少の障害があろうとも、手に入れたいものがある、ってことで」
何やらわかりきったような口調で、ひょこひょこ、にとりは手にしたフォークを動かした。
「温室はさ、ほら、足下に暖かなお湯が流れる配管を通しているでしょう?
あんな感じで冷房も作れない?」
「ん~……。
冷たい水を流して、そこに暖気を持っていってもらうってのは普通ですけど、そこまで効果のあるもんじゃないですよ。
途中に穴でも空けて、霧吹きみたいに水を出して、気化熱で冷やすってなら話は別だけど」
「……それはちょっとね」
屋外ならばいいが、屋内でそれをやれば、あちこち水浸しになってしまう。
お化け屋敷ならそれでもいいかもしれないが、一応、『飲食店』の形も取っている店でそんなことをやれば、客の不満が直撃することだろう。
「となると、やっぱり冷房を作るしかないのかしらね」
「お金さえ用意されれば」
「このくらいの規模の建物なら、どれくらい?」
「そうですねぇ……。
まぁ、温室を作った時は0からの作成だったから、あんな額になったけど、この建物の場合はシステムを作るだけだから、多分、あれの半額くらいで出来ますよ」
「半額か」
格安といえば格安。
アリスはうなずきつつも、『けど、夏の限られたシーズンの利用で、その金額はどうかしらね』と頭を悩ませる。
涼しい店内。暑い外。客は来るだろう。
しかし、それで投資した金額に見合うだけの『増収増益』となるかはわからない。
回収に何年かかるか。
その間のメンテナンスの費用は。
本当にペイできるのか。
「アリスさんは、優秀な経営者だね」
シビアな視線で物事を捉える彼女に、にとりがぱちぱちと手を叩く。
「普段暮らす家でなら、迷わないのだけどね」
「わかるわかる」
友人割引も使えますよ、とにとり。
しかし、それで提示される割引額は『雀の涙』である。
「あんたこそシビアじゃない」
「河童は金にがめついんです」
にやりと笑って返してくる彼女に、「ま、検討はするわ」と返すアリスだった。
「毎日、暑い!
ならば、涼しい格好をするしかないでしょう!」
翌日、『かざみ』人里支店にやってきたアリスに、支店で働くアルバイトを統括する彼女、東風谷早苗はでけぇ声で宣言する。
「具体的にはこう!
背中ばーん、胸元どーん、丈ずぎゃーん」
「うちそういう店じゃないから」
「ですよねー」
何やらいかがわしいお店で働くお姉さん達が身に纏っていそうな感じにまで『涼しげ』な意匠にされてしまった服のデザインを提出してくる早苗を、アリスは一言で切って捨てた。
「けど、確かに、今年は暑いですね」
『かざみ』人里支店は、本店よりも、やはりさらに暑い。
壁にかかっている温度計を見ると、人が多い時間帯だというのもあるが、驚きの『33度』。外の気温のほうがずっと低いという有様だ。
当然、働いている女の子達は、額に玉の汗を浮かべて頑張っている。
「こりゃ何とかしないと」
アリスも、額にじわりと浮かぶ汗をぬぐいつつ、服の襟元を引っ張って、ぱたぱたと、手であおいで風を送る。
「そう言ってくれると助かります。
他の飲食店の方が、ここより涼しいですからね。
あんまり暑すぎるとお客さんの足も遠のくし、何より働きたくなくなります」
ちなみに、そんな彼女たちをねぎらう意味で、支店の休憩所にはでっかい氷を、常に置いてあるのだという。
あんまり暑くてどうにもならなくなったら、そのそばにいって涼むという寸法だ。
「氷か……。
あちこちに置いておくというのも、それはそれでオブジェとしてよさそうね」
「まぁ、それだけの氷を用意するのも大変ですけどね」
「氷屋の氷って高いのよね」
この時期、人里を練り歩く『氷屋』にはよく客がやってくる。それもまた、幻想郷の人里の風物詩だ。
でっかい氷を買って家に持ち帰り、家族一同、暑い夏を凌ぐのである。
ちなみに、店で使っている、その冷却用の氷も氷屋から買っていたりする。
「氷に風を吹き付けると涼しいでしょ?
それで冷房の代わりにならないかしら」
「冷風扇ですね。
ありだとは思いますけど、あっという間に溶けますよ。氷」
「……ああ、そりゃそうか」
「それなら、にとりさんに頼んで、冷房つけてもらった方が、最終的なコストは安くすむと思います」
「ん~……」
ちらりと店内に視線を向ける。
客は大勢。
しかし、彼らの足は、よく、品物を陳列してある棚の前で止まる。
その棚には商品の鮮度を保つための、冷房の仕掛けがしてあるからだ。
要は、皆、『暑い』のである。
「風のめぐりをよくすれば、もう少し温度は下がりそうだけど、『涼しい』っていうのは無理ね」
「無理ですね」
「冷房をつけてもいいんだけど、夏しか使わない設備ってのがなぁ」
「じゃあ、暖房もつけたらいいんじゃないですか?」
「……暖房も?」
「ええ」
しばし、アリスは沈黙して首をかしげる。
「……冷房と暖房を一緒に作るの? どうやって?」
そこには、どうやら、考えが及ばなかったらしい。
『あー』とうなずいて、早苗は『外の世界にはですね――』という講釈を始めるのだった。
「……ふぅん。なるほど」
それから数日後。
再び、アリスは店ににとりを呼び寄せ、早苗から話のあった『冷暖房設備』――『えあこん』というものについて、作れないかという話をしていた。
「面白そうだね。あったかい空気と冷たい空気をスイッチで入れ替える機能」
「紅魔館には冷房はあるけれど、この手の暖房はないでしょう?
まずうちで技術を身に着けてから、紅魔館に売りに行けば、いいお金になるわよ」
「いいね。そういうギブアンドテイク」
いいよ、とにとりはそれを二つ返事で引き受ける。
「この建物は暑い。うちは涼しいから、この店に来るのがいやになる。
だけど、売ってるものは美味しいから、どうやっても足を運んでしまうんだよね」
だから、自分が通う店なのだから、快適になってもらいたい、と彼女は言った。
早速、両者の間で価格交渉が始まる。
こういう時、引かないアリスと、譲らないにとり。両者の勝負は夏の気温など目じゃないくらい熱い。
「……一体何をするのかしら」
その様を、カウンターの裏から眺める幽香はぽつりとつぶやく。
そうして、その視線を足下に向けて、「はい、どうぞ」と笑顔。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「冷たいものを食べ過ぎると、おなかを壊すから。気をつけてね」
母親に連れられてやってきた、年齢なら7歳くらいの男の子。
外で毎日、元気に遊んでいるのか、小麦色に焼けた肌に真っ白な歯をにかっと見せて、幽香から受け取ったアイスクリームを手に、母親と一緒に店を後にする。
彼らに笑顔で手を振って、ふむ、とうなずく幽香。
『どうされたんですか? 幽香さん』
そんな彼女のアシストである、アリスの人形のうち一体が、幽香へと問いかける。
「ん?
夏は暑いから、何か冷たいもので新製品が出来ないかなぁ、って」
『そうですか』
「……夏、暑い。冷たい……」
ん~、と眉根を寄せる幽香。
その視線が、ふと、カウンターに置かれたジュースの入ったグラスに向いたのは、その時だった。
「……熱い……」
「字が間違ってるぜ、霊夢」
「なるほど、魔理沙。ならばあなたは熱くないのね」
「いや、暑い」
「……暑いわね」
「……熱いな」
幻想郷の片隅にある、とっても、存在そのものが重要な神社。通称、博麗神社。
周囲をうっそうとした木々に囲まれたここでは、毎年、夏になるとせみさんが種類問わず大合唱を行なっている。
今日も朝から、しゃわしゃわしゃわ。
降ってくる音は、度が過ぎて騒音になっている。
「何かさ、冷たいもの、ない?
ほら、あんた、いつぞやの異変で氷の弾丸とかぶっ放してたでしょ。あれ出してよ」
「あいにくと品切れだ」
「じゃあ、魔力を一度ばらばらに分解して冷気に作り直して周囲を冷やしてよ」
「おいそのネタはやめろ」
その神社の主、博麗霊夢は、さすがに今日ばかりはいつもの紅白衣装を脱ぎ捨て、丈の短いシャツとそれにあわせた、かわいい色合いのスカートに身を包んでいる。ちなみに、提供は早苗である。
その友人、霧雨魔理沙は、やはりこちらもこの暑さの中、いつもの見た目にも鬱陶しいモノトーンカラーの服はやめて活動的なシャツとパンツである。提供はアリス(お手製)だ。
「役に立たないわね」
「お前のために役に立つ魔法を身に着けるつもりはない」
「いいじゃない。ケチくさいわね。5円あげるから」
「残念ながら、今、魔理沙さんはとってもお金もちなんだ。ふっふっふ」
「マジで?
……魔理沙。公安の人たち、優しい人、多いって聞くわよ」
「どういう意味だこら!
そうじゃなくて、ちゃんと物を売って金をもらっただけだ!」
「またまたご冗談を」
「よし殴らせろ」
「だが断る」
何やらそんなやり取りをした後、ざっ、と互いに構えを取ったところで、しばし停止。
降り注ぐ夏の日差し。せみさんの鳴き声。
二人はそのまま縁側に腰を下ろすと、はぁ、とため息をついた。
「……熱くて何もやる気にならない」
「暑くてお前と遊んでやる気が起きないぜ」
あー、と二人そろって、縁側の上に大の字になって転がる。
そのままもぞもぞと居間へと移動し、しばし、日陰になっているおかげで、まだ冷えてる畳の上でごろごろする。
しかし、あっという間に畳みは熱を持ち、
「……暑いぞ、霊夢。水浴びにでも行くか?」
「いーわね……」
という具合である。
日が落ちて、風がゆったり流れてくれば、この博麗神社は快適な環境を取り戻すのだが、そうでない時間帯はとにかくどうしようもない。
夏のこの時期、霊夢は、暑さから逃れるために、あちこちの友人の家を渡り歩くのが日課である。
今日、そうでないのは、単に『あまりにも暑すぎるから出歩くのもいや』という理由だ。
「そういや、お前んちに氷室を作ってやったよな。あそこに入るか」
「さすがに凍傷になるわよ」
「ん~……さすがにそうだな」
「やっぱ水浴びが一番じゃない?」
「そうだな。
よし、じゃあ、出かける……」
そこで。
「ごきげんよう」
「あら、幽香。珍しい。一人?」
実に珍しい来客がやってくる。
片手に持った、薄桃色の傘を日傘にして佇む彼女は、この暑さにも拘わらず、いつもの赤白チェック衣装。
見た目に暑苦しいと文句を言いつつも、霊夢は立ち上がる。
「お茶。麦茶、用意するわ」
「ありがとう」
「へぇ、珍しい。
霊夢が他人に、ちゃんと茶を振舞うなんて」
「幽香はうちに来ると、慧音と同じで、必ず賽銭箱にお賽銭を入れてくれるのよ」
へぇ、と魔理沙は声を上げた。
ともあれ、二人は霊夢と共に居間へと上がる。
出される麦茶は二人分。魔理沙が「私の分もよこせ」とテーブルの上に500円載せたら速攻で彼女の分も出てきた。
「何しにきたの? 店はいいの?」
「ん? ちょっとね。
あなた達に、今日は毒味を頼もうと思って」
「ほほう。いいじゃないか、いいじゃないか。
どんなとんでも料理を食わされるんだ?」
この頃、成長期なのか、食べる量が増えている(そして、その内容も吟味するようになっている)魔理沙が身を乗り出した。
幽香はにっこり笑うと、
「はいこれ」
と、片手に持てるくらいのサイズの小さなケースを取り出した。
取っ手の部分が天板に取り付けられたそのケース。触ってみると、ひんやりと冷たい。
さては冷菓子か、と霊夢と魔理沙が目を輝かせた。
この夏の暑い時期、ひんやりひえひえな冷菓子は救世主といっても過言ではないだろう。
早速、霊夢がケースの蓋を開けた。
――と、
「……何これ?」
中に入っていたのは、氷。
――いや、少々、語弊があるか。
中に入っていたのは涼しげな色のグラスに盛られた、氷。削られた氷なのだ。
とりあえず、グラスを手に、それを取り出す。グラスもきんと冷えていて、触っているだけで、夏の暑さを忘れられるくらいに涼しい。
しかしだ。
「……何これ?」
霊夢は、もう一度、同じ言葉をつぶやく。
対して、魔理沙は「おお、カキ氷か」と声を上げる。
「カキ氷?」
「何だ、霊夢。知らないのか。
……っても、そうだな。カキ氷、割と高いもんな」
「へぇ。人里では売ってるの?」
「たま~に、氷屋が売りに来る。
っても、高いんだ。これが。夏のこの時期、貴重な氷を使って作るんだからな。
庄屋の跡継ぎとかがよく食べてるぞ」
「ふ~ん……」
じーっと、『カキ氷』なるものを見つめる霊夢。
「で、これ、どうするの?」
『食べる』と魔理沙が言っているのだから、これは食べられる食べ物なのだろう。
しかし、どうやって食べるのだろうか。
ただ氷を口に入れるだけか? 確かに、涼しくはなるだろうが、そんな味気ない食べ方をして『美味しい』とはとても思えない。
首をかしげる霊夢を尻目に、魔理沙は「幽香、シロップとかないのか?」と尋ねている。
「あるわよ。
それが、これ」
「ほほう。何か色々あるな」
「果物を搾って作った、果汁100%シロップ。砂糖とかは一切使ってないわ」
「おー、いいねぇ。体によさそうじゃないか」
「あとは、生クリームとかを載せてみるとか」
「あ、私はそっちがいいなー。
で、チョコレートかけるんだ」
「そう言うと思って、ほら」
「準備がいいな!」
何やら、魔理沙は、この『カキ氷』なる食べ物の食べ方を知っているらしい。
幽香が、一体どこに持っていたのか、次々とカキ氷の『調味料』を取り出すのを見て、目を輝かせている。
霊夢はとりあえず、魔理沙に倣うことにした。
「何がいいの?」
「初心者はいちごだ」
何が『初心者』なのかはわからないが、ともあれ、霊夢は『いちご』とラベルの貼られた容器を手に取り、それを『カキ氷』の上で傾ける。
「いちごは冬の果物だから、今の時期、なかなか手に入らないのよね」
「高級品じゃないか」
「そうよ。値段だけなら、こっちのメロンとかスイカのほうがいいかもね」
しかし、魔理沙曰く『カキ氷の初心者はいちご味を食べるもの』ということで、霊夢はとりあえず、いちごのシロップをカキ氷にかける。
そうして、渡されるスプーン。こちらも冷たく冷えていて、持っているだけで幸せになれるほどだ。
「それじゃ、いただきまーす」
カキ氷を口にする魔理沙を横目で見ながら、霊夢も氷をすくって口の中へ。
途端、口から響く氷の冷たさ。
口の中から始まって頭のてっぺんまで駆け抜けるそれに、彼女は頭を押さえた。
「一気に食べるから」
くすくす笑う幽香。
霊夢は隣を見る。視線の先では、魔理沙も、頭を押さえてうなっていた。
そして、
「あ~、これだこれだ! これだ、カキ氷!」
それも風物詩とばかりに、彼女は歓声を上げる。
霊夢も、今度はちょびちょびと、カキ氷を口の中に入れていく。
氷の冷たさと一緒に、いちごの甘さが心地よい。
果肉も一緒にシロップの中に混ぜているらしく、たまに、いちごのむぎゅっとした甘さが伝わってくる。
「なかなか美味しいわね」
「だろう? ぜいたく品なんだぜ、これ」
「確かに、人里で売ってる氷なんて高いもんね」
「けど、うまい。
まぁ、ただ氷食べてるだけだけど、暑さを忘れられるだろ」
「食べ終わったら、一層、暑くなりそうだけど」
そんな冗談を口にしつつ、「今度は氷屋でも始めるの?」と幽香に問いかける。
「というより、カキ氷も売ってみるか、ってところ。
あなた達の感想次第だけど」
「私は賛成だ」
「値段次第」
「……相変わらずだわね」
頬に汗を一筋流してから、幽香は、「そんなに高くするつもりはないけど」と言う。
「いや、だけど、これを格安で売ったらアリスが怒るだろ。絶対」
「そうだけど」
「あんたの店、氷、買ってるのね」
しゃくしゃく、氷を食べながら、霊夢。
綺麗に、雪のように、ふんわり削られた氷は口当たりも実にいい。
もう少しゆっくり食べないとな~、と思うのだが、夏の暑さは容赦なく氷を溶かしていく。
頭に『きーん』と来る痛みの直撃を受けない程度にゆっくり、しかし、溶けてしまわない程度に素早く。
かき氷の食べ方は、実に難しい。
「人里のお店では、従業員の冷房に使っていたの。
けど、今度、うちに冷房装置がついたから。買わなくてもよくなったんだけど、それならそれで、氷を使って新商品とか考えられないかなぁ、って」
「なるほどな」
「へぇ。冷房装置。
紅魔館にもあるわよね。
あ、そうだ。紅魔館に行けばいいのよ、魔理沙。涼むなら」
「なるほど」
何やら、この二人、悪巧みを考えたらしい。
顔を見合わせ、ぽんと手を打つ。
「アリスは『氷を買うお金が浮く』って言っていたけれど、氷を買うお金よりも、カキ氷を作って、それを売ったお金の方が多くなればいいのよね?」
「まぁ、そうね」
「というわけで、新商品を考えているの」
「既存のカキ氷屋を潰すなよ。
あいつらは、里に氷を持ってきてくれる、いい奴らなんだぜ」
「わかってるわよ」
既存の店舗の皆様とは仲良く、競い合うことはあれど、潰しあいはしない、というのがアリスの経営方針。
うまいこと、『先達』に擦り寄って、その中に溶け込もうというのだ。
全く、考えが鋭い経営者さまである。
「あ~、美味しかった」
「クリームとチョコレートのカキ氷とか贅沢だぜ」
「あまり食べ過ぎると、おなかが冷えてひどい目にあうわよ」
「わかってるわかってる。この一杯だけで充分だ」
「だいぶ汗も引いたわね」
二人とも、そろって満足したらしい。
空っぽになったグラスを戻してもらって、幽香は、『評判はよさそうね』と立ち上がる。
「じゃ、何とかなりそう」
「お前も最近、忙しいね」
「アリスが急かすのよ。新製品を出せ、って」
「あいつはほんと、厳しいね」
「周りの人たちからは羨ましがられるのよ。『いい経営者だ』って」
「なるほど」
「そんじゃ、頑張ってね。
あ、カキ氷、ありがと」
「こちらこそ」
ひょいと手にした日傘を振って、幽香は縁側に下りると、そのまま神社を後にする。
彼女の日傘が見えなくなる頃、二人は立ち上がると、『よし、紅魔館に涼みにいこう』と声をそろえたのだった。
「よいしょ……っと」
早速、幽香は、人里の支店の軒先で用意を始める。
「幽香さん、どうぞ」
「ありがとう」
後ろから、早苗が、アリスと二人がかりで、何やらごっつい機械を運んでくる。
それを、彼女たちの腰の高さくらいの台にセットする。
頭の上には、青と白の涼しげなデザインの旗。中央に、赤い文字で『氷』と書かれている。
早速、取り出すでっかい氷。
幽香はそれを台の脇に置いて、のこぎりでしゃりしゃりと音を立てて切っていく。
「さすがに、あれは包丁では無理よね」
「手刀ってどうでしょう。氷柱割り!」
「美鈴さんならできるかも」
「……確かに」
とーう、と腕を氷に向かって振り下ろしたモーションのまま、早苗は笑顔を、少しだけ引きつらせる。
切った氷を、手元の機械にセットして、ゆっくりと、上の部分のハンドルを回していく。
すると、
「綺麗ね」
アリスも思わず、そんな感想を口にする。
機械から吐き出される氷は細かく削り出され、まるで雪のよう。
暑い中、店の前で並ぶ客が『何だ何だ』と視線を集めてくる。
氷を小さなカップの中に入れて、スプーンを差す。
そして、
「暑い中、お並び頂いてありがとうございます。
こちら、店主の風見幽香からの、皆様への、ほんのお礼でございます」
アリスがアナウンスをすると、幽香は『どうぞ』と並ぶ客に、それを――新製品の『カキ氷』を配っていく。
「シロップなども多数用意してありますので、お好きなものをお選びください」
幽香に続いて、早苗がトレイの上に何種類ものシロップを用意して、客の間を巡っていく。
目を輝かせて待つ子供の前では、幽香は膝を折って、「はい、どうぞ」と小さな掌にカキ氷を手渡す。
「ぼく、何がいい?」
「えっとね……えっと……これ!」
「スイカ味ね。
はい、どうぞ」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
その母親から、『ありがとうございます』と声をかけられて、いえいえ、と笑顔を返す。
そんな感じで、並ぶ客全員にカキ氷を配った後は、元の位置へ。
また、氷を削ってカキ氷を作り、道行く人々に『カキ氷いかがですか? 本日、サービスでご提供しております』と声をかける。
なお、声をかけるのは早苗の役目。幽香は、まだ、声が出ないらしい。
『マスター、無料で配ってしまってよろしいのですか?』
「いいのよ。
今は周知するための期間。これで、『うちでもカキ氷を売り出すようになった』って宣伝になればいいの」
『なるほど』
「氷を売っている人にも話はつけてあるわ。
その人から氷を仕入れるような契約を結べば、こっちがいくらでカキ氷を売っても構わない、って言ってもらってるし」
『……いつの間に』
「うちの最終的な相手は紅魔館よ。
あんなでっかい総合店舗と戦うんだから、フットワークのよさで勝負しないと」
答えるアリスの顔はやる気満々。
声をかけた、アリスの人形は、『何か本来の目的を見失っているような……』と苦笑いだ。
ともあれ、カキ氷は大人気。
道行く人々も足を止め、ひとときの涼味を味わい、中には『せっかくだから』と列に並んでくれる人もいる。
「カキ氷以外にも、本日より、夏の限定メニューの販売を行っておりまーす!
ぜひ、ご来店くださーい!
あ、こちら、サービスです。どうぞ」
「さすがは早苗。アルバイトの経験を生かしてくれるわね」
道行く人々に声をかけ、しかし、決して呼び止めない。
足を止めて、興味を向けてくれる人にだけ、彼女は声をかけている。
あんまりしつこいセールスは嫌われる。それは、外の世界も幻想郷も同じなのだ。
「お姉ちゃん! おかわり!」
「あたしも、あたしも!」
「……アリス、いい?」
「いいわよ。子供限定ね」
本来は、『お客様お一人につき一つだけ』なのだが、そんなルールは小さな子供には通じない。
屈託のない笑顔で、幽香にカキ氷をせがむ彼らに、彼女は『じゃあ、特別よ』と微笑んで、大盛りのカキ氷を作って渡している。
それに気付いた彼らの親が『こら!』と声を上げるのだが、アリスが「本日はサービスですから」と笑顔を向けると、やはり言葉の矛先を引っ込める。人間とはそういうものなのだ。
「いい感じの売れ行きね。
やっぱり、夏は冷たいものがよく売れるわ」
かてて加えて、『カキ氷』とは幻想郷庶民にとっての高級品。食べたくても食べられなかった。今までは。
しかし、本日より販売の開始された、『かざみ』のカキ氷はお値段控えめ。
店で売っているお菓子よりはかなり割高ではあるものの、これまで売られていたかき氷よりはずっと安い。
だから、彼らはサービス品を食べ終わった後、『もう一杯』とお金を払う。
二度目に手渡される、サービス品よりもずっと大盛りのそれに、彼らは笑顔を浮かべて、カキ氷を口にする。
「こんなに安く売ってしまって、大丈夫なんですか?」
「大丈夫なわけないでしょ。
ある程度の数を売らないと、大赤字のメニューよ」
頭の上から声が降ってくる。
アリスはその声の主を見ることなく、答えた。
声の主――『かざみ』の広報担当、天狗の射命丸文が、ぶわっ、と風を巻き起こして地面に着地する。
その風に揺られる形で、店の入り口に提げられている風鈴が、ちりんちりん、と音を鳴らす。
「また思い切りましたね」
「幽香から提案があったの。
珍しかったから、せっかくだから採用、って形」
「なるほど」
「ただ、氷を仕入れるのがねぇ。
あの氷屋のおやじ、商売に強いわ」
「私も以前から、あの方は見ていますけど、本当に子供の頃から氷屋をやってらっしゃいましたね」
「人里の氷室管理って独占商売だったのね」
「まぁ、才能とかもいりますから」
そんな会話をしながら、文は『私にもくださいな♪』とかき氷をねだる。
彼女に渡されたカキ氷は、『かざみ特製』のカキ氷。
オレンジなどのフルーツと、白玉と、生クリームにカスタード、チョコレートで味付けされた『カキ氷パフェ』とでも言うべきものだ。
「ん~! 冷たくて甘くて美味しいですね~!」
「あんまり食べると、おなかを下すわよ」
「冷たいものは、それがネックですね~」
しゃくしゃく、しゃりしゃり。
氷を削って作られる、雪のようなカキ氷。口の中に残る冷たさと甘味は、夏の暑さの中で、実に心地よい。
「……前と制服のデザイン、変わりました?」
「ノースリーブにして、スカートの丈とデザインを変えただけだけどね」
「見た目にも涼しくていい感じですね。
個人的には、もっと露出度が高いと、写真にした時に受けがいいのですが」
「殴るわよ、このエロ鴉」
「いえいえ、エロいのは私ではなくて、読者の皆様です」
アリスにカメラのレンズを向けて、文はシャッターを切る。
そうして、「じゃあ、取材、よろしいですか?」と一言。
アリスは踵を返すと、「幽香、それじゃ、よろしくね」と幽香の背中に声をかけて、店の中に去っていく。
「幽香さん、シロップ、なくなりました」
「台の裏側」
「はいはい」
「幽香さーん! お店の商品、品切れが出そうですー!」
「はーい!
あ、ごめんね。待たせて。はい、どうぞ」
「わーい!」
子供にたかられ、困惑しながらも笑顔の幽香。
つい最近判明した、彼女の子供好きな一面は、やっぱり相当なものであるようだ。
「……先を越されたわね」
先日、発行された『文々。新聞』を見て、つぶやくのは、紅の館のメイド長。
今年の夏の新商品を企画していた彼女にとって、『かざみ』の足の速さは、やはり脅威であるようだ。
「二番煎じはつまらないから、別の手段を考えましょう」
手にした新聞紙を、彼女は丁寧に畳んで、テーブルの上に置く。
部屋を後にして、入り口ホールへ。
今日も幻想郷の皆々様に大人気の紅魔館。
その一角に、ちみっこい子供が二人。
「さくや、さくや! カキ氷、カキ氷!」
「フラン、あんまりはしゃがないの。
いい? これは偵察よ。うちのお店のために、仕方ないから、あの店を見に行くんだから。わかった?」
「うん、わかった! さくや、フラン、カキ氷!」
それは、この館の名物お嬢様たち。
両方とも、カキ氷が楽しみで仕方ないらしい。
ちみっこお嬢様は、したり顔で自分の妹に言い聞かせたりしているものの、その羽はひっきりなしに上下にぱたぱた。
その妹君のもっとちみっこお嬢様は、笑顔で『早く、早く』と急かしている。
やれやれ、と彼女は苦笑する。
「それじゃ、悪いのだけど」
「はい。こちらはお任せください」
信頼できる部下に館を任せ、メイド長殿は、お嬢様たちを連れて、『偵察』に出発する。
入り口の門を預かる、門番という名のお客様案内係に『行ってらっしゃい』と見送られ、彼女たちは一路、『カキ氷取材』のために出発するのだった。
~以下、文々。新聞一面より抜粋
『いよいよ夏本番到来! 喫茶『かざみ』にて、夏の新メニュースタート!
このごろは、とみに気温も上がり、空はいつも青空、晴天、日本晴れ。
降り注ぐ太陽の光が、夏らしさを讃えると共に、さすがにそろそろうっとうしさを感じるようになってきた昨今であるが、このたび、毎年恒例の『かざみ』夏メニューの販売開始を、読者諸兄にお伝えしたい。
毎年、必ずやってくる、この季節。今年は特に気温が高く、雨が少ないと言うことで、外に出ることを億劫に感じている読者諸兄も多いことだろう。
しかし、そんな諸兄であっても、外へ出ざるを得ない理由が出来た。
それが、このたびの、『かざみ』夏メニューである。
例年通りのアイスクリームやアイスケーキと言った冷や菓子から始まり、今年の目玉は、何と言ってもかき氷だろう。
このお菓子、食べたことはなくとも知っている、というのが幻想郷住人の大半ではないだろうか。かくいう本紙記者もその一人である。
夏のこの季節、氷は貴重品である。これを冷房代わりに使い、涼を取り、暑さをしのぐ――文字にすると簡単なことだが、そこには金銭的な課題が存在していた。
やはり、一般家庭でもそうそう使うことの出来ない上記の冷房。ましてや、その貴重かつ高級な『氷』を食してしまう。文字通り、一般幻想郷住民にとっては高嶺の花の贅沢である。
さて、人里などで、この季節、今までも販売されていた『かき氷』であるが、これをこのたび、『かざみ』にて新メニューとして提供することと相成った。
きんきんに冷えたグラスに山盛りの氷に、果物100%のシロップ。一口するだけで、暑さを忘れられる涼味である。
これは今回、『かざみ』経営者である風見幽香女史と、氷屋の氷吉氏との連携によって現実化した、奇跡のコラボレーションだ。
氷の質は、あの氷室屋の氷吉氏のもの。もはや疑う必要はない。そして、提供される『場所」は、あの『かざみ』である。
その味に、もはや、疑いを抱く必要はないだろう。
実際、本紙記者もこれを早速、食べさせてもらったが、いやはや、素晴らしいものであった。長生きしている当方も、かき氷などと言う贅沢なもの、ほとんど食べたことがなかったのだが、これほどまでにうまいものだとは知らなかったと、素直に白状し、それを褒め称えよう。
現在、かき氷は、『かざみ』にて大好評販売中であり、プロモーションとして、『かざみ』を訪れてくれる皆々様方全てに『無料』でサンプルが提供されている。
サンプルと言っても、味は商品版と全く変わらないことは保証しよう。
このサンプルを食べた後、その味を気に入れば、是非とも、商品版も購入して欲しいとのメッセージを、店主から預かっている。
少しお値段は高めとなってしまうのだが、それはご愛敬として受け入れるべきだろう。
季節限定、そして、貴重な材料を使って、可能な限り安価に提供される商品なのだ。これ以上の要求は、もはや失礼だと言っていい。
それほどの満足度を、この商品は、店を訪れる客全てに提供してくれることだろう。
なお、それ以外にも新商品が追加されているため、お腹を壊さない程度に購入し、夏の暑さと戦っていこうではないか。
著:射命丸文~
個人利用ではなく商売ゆえに。
最高ですぜゆうかりん