多々良小傘に関する命題
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辺り一面に咲いた梅の香りが聖白蓮の嗅覚を刺激した。幻想郷では花見と言えば一般的に桜を指すらしいが自分は梅の方が好きだとこの時期になると聖はいつも感じている。香りは桜よりもずっとしっかりしているし、丸っこい花弁も可愛らしい。そういう風に考えるのは自分の育った時代のせいかなと悩んでしまう。いつまでも古臭い感覚では人を導くことなんて出来ないと歩きながら考えていた。なんでも真面目に考えてしまうのは悪い癖だと彼女自身感じていた。
そうやって思いを巡らせながら梅林の中を散策していると見知った人物に出会った。聖と同じく一人で歩いており、目が会ったとなると挨拶しないわけにはいかない。
「こんにちは。神子さん」
「こんにちは。久しぶりですね」
「神子さんも梅を見に?」
「ええ。やはり桜よりも梅ですね」
聖白蓮と豊聡耳神子は信仰や立場の違いはあれどこういった場面では感性が一致することがある。そういった時の会話の風景は傍から見れば普通の女性同士の世間話に見える。しかし、この2人を見つけた他の梅見客は一定の距離をとるようになり、いつしか2人を中心に円形の空白地帯が発生していた。
会話の内容はやがて里での生活について移っていき、しだいに議論の様相を呈してきた。
「私たちはここの世話になっているのですから。派手な行動は慎むべきでしょう。貴方のご友人も同様です」
「地味になってしまっては存在感をなくしてしまいますよ。信仰を集めるためにも少しぐらい派手なほうがいい」
「そうは言いましてもね……」
聖白蓮曰く、物部布都は里で食い逃げ犯を捕まえようと追いかけたら弾幕で店の品物や壁などを壊してしまった。最終的に見事捕まえたが犯人に骨折を負わせたと聞いていた。蘇我屠自古は男の子から「草ボーボーの大根みたい」と揶揄された仕返しにその子の寝込みを襲ってお漏らしするほど怖がらせたらしい。
「被害が出ているんですから少しぐらいじゃないですよ。これでいいと思っているのですか?」
厳しい表情で語る聖とは対照的に神子は余裕たっぷりの笑顔だった。
「その話では悪いのは里の人ですね。彼女たちは悪くない。貴方のところだって……」
神子曰く、幽谷響子はお経をパンクロック風にアレンジして夜な夜なバンド仲間と歌っているという。うるさいということで博麗の巫女から厳重注意を受けているらしい。村紗水蜜は川辺で水死体のふりをして助けようと近寄ってきた人間を驚かしているとのことだった。
神子はジェスチャーを交えて楽しげに語っていた。聖は微笑を作りながら聞いているのだがときおり頬が痙攣しており無理に笑顔を作っているのは明らかだった。そろそろ限界かなと周囲の人間が警戒し始めた。聖と神子はしばしば里の衆人のなかで喧嘩しており、そういう仲で有名だった。
「それについては私から叱っておきます。なにぶん修行中の身ですから」
「貴方も頑固ですよね。人間と妖怪の平等は無理ですよ」
「千里の道も一歩からです。時間をかけてお互いのイメージを変えていきます。そのためには、まず
「では、小傘さんも変わると思いますか?」
突然現れた名前に聖は困惑した。
「どうして小傘さんが出てくるのですか?」
「命蓮寺の一員でしょ。出入りする姿をよく見られてますよ」
「墓地で人を驚かそうとしているだけで信者ではありませんよ。礼儀正しくていい子です」
「驚かそうとしているのが問題なのです。『人を驚かす程度の能力』で驚きの感情でお腹を膨らませる彼女の特徴は人間に恐怖を振りまく典型的な妖怪のそれではありませんか。『妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する』という幻想郷の原則からすれば積極的に驚かそうとするあの子は退治されて然るべき存在ですよ。近くで見てきたのに気づかないのですか」
聖と神子の間に突風が巻き起こった。風にあおられた梅の枝は揺れ、辺りには枝がしなる音で満たされていた。
「人を驚かすといっても下手だと聞いています。優しい子ですし退治されることはないと思いますよ」
神子は大げさに首を振った。
「結果がなければ問題視されないなんて、事なかれ主義に染まってますね。その理屈では先の天邪鬼騒動もお咎めなしってことになりますよ。第一、妖怪だって変わることができると主張したのは貴方でしょう。努力して驚かすのが上手になったら、本気で嫌悪感を示す人間だって出てきます。早めに手を打って驚かすのを諦めてもらうのが賢明だと思いますよ」
ここまで一気にまくしたてると、神子は聖の顔をじっと見つめた。生徒を指導しようとする教師のようだった。「いかがです」
聖は視線を落として考え込んでいた。
「ま、無理にとはいいません。よくよく考えてください」
芝居がかった動作で神子は回れ右をして聖に背を向けた。
「ごきげんよう」と、神子はその場から離れた。
聖はしばらくその場に立って思考を巡らせていた。風は収まる気配を見せず木々のしなる音がノイズのように絶え間なく聞こえていた。
-2-
雲居一輪は命蓮寺の一室で聖と向かい合って座っていた。
「最近、小傘さんがどうしているか知っていますか」
「小傘ですか」
一輪は首を傾けながら、頭の中を整理していた。
「最近は墓地よりも里に行っていますね。相変わらず失敗ばかりですけど」
「どんな風に驚かしているのですか?」
「物陰から飛び出て『うらめしやー』とか『おどろけー』とか言っているだけですよ。けど大きな傘が目立ってみんな気付くので誰も驚かないんですよ。私にもやりますけど驚いたことないですよ。やられたのは響子くらいですね」
一輪としては身振り手振りを交えながら笑い話のつもりで話をしていたのだが思いのほか聖が真面目に聞いているのに気が付いた。
「姐さんどうかしました。そんな真面目な話でしたっけ」
「実はですね……」
梅林での話を聞いた一輪は不機嫌な表情を作った。
「そんなの屁理屈ですよ。気にする必要はないです」
「しかし、理屈は通っているんですよ。積極的に人間に迷惑をかけようとするのは問題です。うちとしては見極める必要はあると思います」
一輪と聖は長い付き合いだった。なので、時折聖がこのように猪突猛進になることは一輪も承知していた。しかし、このまま放っておくと100キロで突っ走った聖が小傘と正面衝突し誘拐同然に命蓮寺に連れてくることも考えられた。そうなる前に小傘の印象を変えないと大変なことになるなと一輪は不安になった。
「じゃあ、ぬえを呼びますよ。小傘と仲いいんです」
「いったい何なの?」
緊張感のない様子でぬえは前髪をいじっていた。どうも前髪が伸びて視界の邪魔になっている様子だった。
一輪が切り出した。「最近小傘にあった?」
「会ったけど、それが?」
「そん時どうだった?」
「いつも通り人間を驚かせようとしてたわ。けど相変わらずへったくそで、最終的にガキにいじられる始末。あれじゃ、妖怪の面汚しね」
一輪は微笑みながら頷いた。狙い通りの発言をしてくれている。
「やっぱり、小傘は驚かすのが下手よね。危なくない妖怪だったら5本指には入ると思うわ」
「そうそう、向いてないって私からも言ったわ。けど『これが自分のアイデンティティなの』って譲ろうとしないのよ。そこはカッコよかったわー」
一輪の胸中がざわつき始めた。話が悪い方向に行っている気がする。一輪は聖に視線をむけ、次にぬえを見た。これ以上喋らなほうがいいと思ったが、一度勢いづくと滝のように喋りだすのがぬえの悪い癖だった。前髪をいじるのもいつのまにか止めていた。
「私としてもね。人間をビビらせるのはプロみたいなもんだから。あきらめない小傘の根性を見込んで助け船を出そうとしたのよ。団子食べながらあーでもない、こーでもないって驚かす算段をしたの。昔を思い出して楽しかったわ。それでねー、いくつか思いついたから伝授したの。嬉しそうだったし、次に会った時が楽しみね。そのあとも新しいアイデアができたから言うつもり。具体的にはね……」
「それで小傘さんが里から追い出されたらどうするんですか……」
それまで黙っていた聖がようやく口を開いた。ゆっくりだがぬえの声にかき消されない重みのある口調だった。
「はあ、そんなのないない。あいつ結構……」
ここでぬえは聖の異変に気が付いた。表情は相変わらず微笑んでいるのだが全身から溢れている妖気の量が尋常ではなく怒っていることが明らかだった。
「一輪、ちょうどいいので村紗と響子を呼んできてください。あ、ぬえはそのままで」
ぬえの顔から血の気が引いていくのが一輪にもわかった。おそらくこのまま説教だなと想像がついた。ぬえと小傘に心の中で謝罪しながら一輪は障子を開けた。
-3-
夕刻に差し掛かった里では人々の往来が激しく活気があった。聖はその雑踏の中で小傘を探していた。
命蓮寺の者と話していても埒が明かないので直接話をしようと考えていた。しかし、よくよく考えてみると聖は小傘とこれまであまり会話をしていなかった。命蓮寺の敷地内で会ったときに言葉を交わす程度で一番長かった会話が墓地を使用するために挨拶に来た時だった。
探してみると簡単に小傘を見つけた。物陰に隠れているつもりなのだろうが大きな傘を開いたまましゃがみこんでいるためどの角度から見ても傘が目立っていた。本当に驚かすのが下手だな、と聖は微笑んだ。
聖は小傘の後ろから声をかけた。「小傘さん」
うわぁ、と声をあげた小傘はバランスを崩し両手をばたつかせたが尻餅をついてしまった。
お尻をさすりながら小傘は立ち上がった。「聖さんですか。いきなり驚かさないでくださいよ」
「どうしたんですか。いきなりお茶なんて」
茶屋の席で聖と小傘は向かい合って座った。すでに夕方でもあり店内は空席が目立っている。
「今までゆっくり話したことがなかったので。せっかく里の中で会いましたし」
小傘はあまり気乗りした様子ではなくむしろ戸惑っているのが見て取れた。
お茶と饅頭が運ばれてきた。小傘はためらいもなくかぶりつくと笑顔がこぼれた。
話しを切り出したのはもちろん聖からだった。「驚かしは上手くいっていますか?」
「あんまり上手くいってないね。いろいろ工夫してるんだけど人間はちっとも驚いてくれないのよ。みんな心臓つよいのかな」
「驚かすのを辞めようと思ったことはないのですか」
小傘は首を振った。「それはないよ。私は驚かすのが生きがいだもん」
聖の眉がピクリと動いたが表情は変えないように努めた。
「どうしてそんなに驚かすのにこだわるんですか」
ん~、と小傘は唸り声を上げながら考え込んだ。
「悔しいんです」
小傘はお茶を飲んで一呼吸ついてから語りだした。
「まだ傘だった時ですけど。最初は普通に使われていたんです。扱いも丁寧でいい持ち主だと思っていたんですけど、ある時お店に置かれたまま迎えに来なくて。待つしかありませんでした。思い出して取りに来てくれるんじゃないかって」
小傘の目線の変化につられ聖も上を見上げてみた。当然ながら、そこには天井しかなく空は見えなかった。視界の外から小傘の溜息が聞こえた。
「けど、そのあと私を使ったのは別の人でした。置かれた場所も使う人も何度も何度も変わって。最後は子供のチャンバラごっこに使われて原っぱに置き去りにされました。捨てられちゃったし、誰にも使われることはないんだなって。悲しかったし、悔しかったんです」
小傘は両手を目線の高さまで上げて、紅葉のように広げた手をじっと見つめた。「気づいたらこうなってました。驚かすのもそのせいだと思います。忘れないで、使って欲しかったって言いたいんです」
最初の持ち主の顔もよく覚えてないですけど、と付け加えたのを最後に沈黙が続いた。お茶を口に運ぶと小傘は視線を落とした。
危なっかしいと聖は不安を感じた。今は驚かすという段階で踏みとどまっている。しかし、いずれ彼女の感情が憎しみに転化し人に害をなす可能性も十分にあった。神子の言った通り早いうちに対応した方が良いように思えた。
確認のつもりで聖は尋ねた。「人間は嫌いですか?」
小傘は首を横に振った。顔を上げた時にはいつもの明るい表情に戻っていた。
「いえ。やっぱり私は傘なんです。人の役に立ちたいし、一緒に遊ぶのも好きです」
返事は聖にとっては予想外で、目を丸くして聞き返した。「人と遊ぶことがあるんですか」
「はい。ベビーシッターのつもりでやってます。他にも鍛冶仕事を」先ほどとは打って変わって自慢げに語り始めた。子供と缶けりをして遊んだとか、針供養が近づくと体当たりで営業をしかけているといった話だった。楽しげに語る小傘につられて聖も笑顔になった。
やがて鐘の音が聞こえてきた。命蓮寺が鳴らす鐘で夕刻を告げる音だ。
鐘の音をきいた小傘は壁に立てかけていた傘にあわてて手を伸ばした。「すいません聖さん。遊ぶ約束があったので行きます。お茶ごちそうさまでした」
「いえ、私こそ付き合っていただいてありがとうございます」
小傘は店の外へ出ようと足を踏み出したが、急に立ち止まった。
「そういえば聖さん。歩き方に癖がありますけど、昔怪我とかしませんでした?」
「……」
「あ、今驚いたでしょう。じゃあ、当たりだ」
「……よく分かりましたね」
怪我をしたのは事実だった。まだ人間だったころ、山で修行中聖は崖から落ちて大けがを負った。無事に治ったが、それが死を意識した最初の出来事だった。その後、歩き方に癖がついたが幻想郷に来てから指摘されたことは一度もなかった。
小傘は得意げな顔でポーズをとった。「だって私傘だもん。人の歩いてる姿はいっぱい見てきたから」暖簾をくぐると全速力で駆け出した。小傘の下駄の音が聖にも聞こえた
-4-
聖が神子に再び会ったのは梅林での出会いからおよそ1週間後であった。里での買い物の最中で一輪が手伝いとして一緒にいた。
「小傘さんの件はどうなりました?寺に入れる決心はつきました?」
挨拶もそこそこに神子は聞いてきた。妙に人を小ばかにしたような表情が気になったが聖は無視した。
「その必要はありません。何もしなくても大丈夫です」
神子の表情が真剣なものに様変わりした。「驚かすのを辞めるとでも言ってたのですか?」
「いいえ。やっぱり驚かすのは続けるようです」
意味を測り損ねたようで黙っている神子に対して教師のように聖は語った。
「驚かす意欲はありますが、それと同時に人の役に立ちたいという思いも持っています。人と遊んだり仕事をして里と良い関係を築こうとしています。そうしようとしたのは彼女自身で、そうなるように導いたのは里の人々との関わりです。これから先も交流の中で変わっていき驚かす意欲は小さくなると思います。むしろ、私たちが彼女をお手本とすべきでもあります」
とは言ったものの、そのままお手本にするのは難しいと聖は考えている。小傘が人の役に立ちたいと願うようになったのは彼女が元々人に役立つ道具だったからだと思われる。命蓮寺の面々はそのような背景をもっていない。それはこれからの課題だった。それでも、小傘は聖の理想を後押ししてくれると聖は考えている。
「驚かしがエスカレートする可能性はいいのですか」
「可能性は低いです。やりすぎて問題になってしまったら彼女自身が反省して改めると思います」きつい視線で神子をにらみつけた。「そもそも神子さん。小傘さんを表面だけで一方的に判断していませんか」
神子は一瞬だけ目を閉じたのち、ゆっくりと目を開いた。
「……前に、彼女の欲を読んだことがあります。特徴的だったのは『傘でありたい』、『人を驚かせたい』、『人の役に立ちたい』の3つでした。10の欲の中にはいっているとなると取り除くのは難しいですが、実際に話をした貴方がそういうなら大丈夫でしょう」
聖の顔に花が咲いたような笑みが浮かんだ。神子にもようやく理解してもらえたし、聖自身も小傘から学べたものもあった。神子からの話で始まった今回の出来事は大きな収穫があった。
……アレ?
ここで、聖に疑問が浮かんだ。神子は小傘に『人の役に立ちたい』欲があるということを知っていた。だったら、小傘が追い出されるような状況にはならないと予想できたのではないだろうか。そもそも梅林では欲の話は出てこなかった。もっというならば、いたずらが過ぎて里を追い出されるのはぬえや村紗のほうが可能性は高い。それなのに、あえて小傘を筆頭にしたのはなぜか。
ここまで考えた聖は神子の顔をもう一度見た。気持ち悪いぐらいにニヤニヤ笑っている。いたずらをした直後のぬえの顔に似ていると聖は気づいた。
「……ひょっとして、からかっていたのですか。神子さん」
神子は両手を空に向けてやれやれと言いたげなポーズをとった。
「貴方のその真面目な性格、改めた方がいいですよ。もっと柔軟に生きないと」
その場にいた雲居一輪曰く「あの時、姐さんの顔色がみるみる変わりましてね。まるで梅の花みたいに真っ赤になりましたよ。そのあとですか?神子さんと喧嘩になりました。けど、顔を真っ赤にしながら喧嘩する姐さんは正直言って可愛かったですね」
作者さんとは気が合いそう