梅雨に入って土砂降りも幾度か有って、ようやく晴れ間の差した節。
霊夢は時折思い出したようにおみくじを引く。特別な懸念や願望があるわけでもない。
賽子の出目も分かる身だ、引こうと思えばどんな運勢だって引けるだろう。だから全くの気まぐれだった。
元よりえおみくじは好きか嫌いかで言えば嫌いだ。内容は人が考えた物であるし、そこから神様が選ぶとしても、それは神の言葉と等しいとは言いがたい。神託を前借りする事が不可能な以上、それっぽい答えが出るだけだ。ましてや博麗神社の神は力が弱いのだから、それはもうただのクジ引き状態なのだ。
霊夢は特に何も考えず、おみくじと書かれた箱を振った。
六角柱の箱からせり出る棒に数字が書いてあり、それに応じた引き出しから紙片を渡すのが博麗神社のおみくじシステムである。
出たのは「第一番」。いつの時代かの巫女が拾ってきたという薬箪笥の一番を引けば「大吉」が出てくる。
別に嬉しくも悲しくも無かった。霊夢が適当に引くと大よそ大吉が出るのだ。
張りぼての運勢はどうでも良かったが、引き出しの中に真の問題を見つけた。その大吉が最後の一枚だったのだ。
一度引いたものを戻すのは気が引けるし、新しく注文して一応、御霊を降ろさねばならない。霊夢は並んだ引き出しを睨む、他にも少ないのがあったら一緒に頼みたい。
碁盤の如き四角まみれの薬箪笥から、勘でそれを見つけるのは難しい。しかしくじ箱が有れば話は別だ。霊夢は残り少ない籤を引きたいという気持ちをランダムの中に刷り込むことで、引くことができる。要は賽子と同じだ。
そうしてもう一度引いて見ると今度は「第三十二番 凶」
流石に凶が出ると良い気はしない、凶を引いた事なんてそうそう無い。一枚取ると霊夢はやや乱暴に引き出しを閉めた。
凶はあと十枚程残っていた。さらに引いてみるが同じ数字が出た。特別減っているのは大吉と凶だけということだ。
両極を引いたが、余計な仕事が増えたのだからどちらか言うと凶寄りではないだろうか。
二枚のおみくじを並べ見ていると「霊夢さぁーん」といかにも不吉な声が聞こえた。
振り向くと着崩れかけた巫女服で、息も絶え絶えな早苗が居た。
「霊夢さん大変なんです! 樵に頼んで伐ろうとした木から血が出て、なんかもう大惨事で、とにかくちょっと見て貰えませんか!?」
これはもう確実に凶である。霊夢は恨みを込めて大吉をつま弾いた。
霊夢がついて行くと、妖怪の山の麓付近、雨で流れの増した川に案内された。
「落ちないように気をつけて下さい、それでこの木の根元なんですけど……」
川の上に橋掛け状に杉の大木が横たわっていた。樹齢百年程度はあるだろう、いやもっと古いかもしれない。倒れても感じる荘厳な木に霊夢は感慨にひたりつつ、辺りを見渡す。
「こりゃ相当立派な杉の木ね。血が出たって言ったけど、そのまま刃を入れて倒しきったの?」
「そんな事しませんよ。この間の大雨の日に倒れたらしくて……置いておくのも良くないだろうと伐って運ぼうとしたんです、それでまず根本あたりにノコを入れたら……」
「解体する時に血が出たのね」
「そうなんですよ、そのせいで樵の方々も頓挫してしまって」
霊夢は杉の上に乗りバランスを取る様に手を広げ、根元に向かう。
「血が出るのは祟り木の証拠だもの、怖がって当然でしょうね」
「霊夢さんは怖がって無い様に見えますけど」
「この木その物からは、あまり悪い気がしないのよね」
現場は確かに血塗れで、吸血鬼が食い散らかしてもこうは成らないであろう量の血液が垂れ流されていた。
源は鋸で入れられた切り口で、未だに血があふれている。惨劇の渦中のようなこの現状を目にしたら逃げ出しても仕方あるまい。
しかし霊夢が一番疑問に思うのが、切り口に申し訳程度に巻かれている絆創膏や包帯だった。
「何あれ?」
「痛そうなので取りあえず応急処置をと思って」
「あんたねぇ……」
「神奈子様は祈祷すれば平気って言ったのに、痛々しいんですもん。今日のおみくじは大吉だったのに……」
早苗はぶつぶつ呟いてふてくされている。
「まあ既に倒れてるのに血が出るってのは珍しいわね。折れた所からは血が出なかったの?」
「それがこの木って折れた訳じゃないみたいなんですよ」
「折れてないのに倒れたの?」
どういう事かと思いつつ根本部分を見たが、一目で分かった。この木は根っこごと引き抜けているのだ。だが不思議なことに近くに抉れた穴が見当たらなかった。周りには雑草や小さい木が生えている位で、大きな木が生えていたとはとても思えない。
「この木って何処にあった木なのかしら」
「それがよく分からなくて……山の何処かの杉みたいですが、少なくともこの付近は川の氾濫が多くてこんなに大きな木は無い筈なんですが……」
早苗の言うとおりこの辺りは水の勢いが増し易く、地面も緩いため木が根付きにくいのだ。霊夢はもう一度辺りを見渡すと、顎に手をやり逡巡した。
ならどうしてここに木があるのか、誰かが簡単に引っこ抜けるものでは無い。それに血を流してまで抵抗するだけの力があるのだ、易々と引っこ抜かれるだろうか。そうなれば自ずと答えは限られる。
「早苗は飛んだ木の話って聞いた事ある?」
「ラピュタですか」
「多分違う」
「ですよねー、飛梅くらいなら知ってますが……まさかこの木も飛んで来たんですか?」
「当然よ、飛梅は慕う人を追って飛んだし、その時は松も一緒に飛んだしね。木だって理由があれば飛ぶの」
「さすが霊夢さん、飛ぶ事は不思議ではないと。でも、自分で飛んでくる理由なんてあるでしょうか。ちょっと横になりたかったんですかね」
「理由はここがよく氾濫してしまうからよ、それを防ぎに来たんだと思う。白沢の神だかが洪水を止めるために杉を飛ばしたなんて話もあるし……。現に今回はこの辺整っているしね。でもそれはあくまで今回で、次もいつか有る。この木はその時のため解体されるのを拒んでいるのよ」
早苗は半ば唖然とした表情であふれ出る血を見た。
「木がそこまでしたと……でもこのままじゃ木は死んじゃいますよね、身を投げる程止めたかったならもっと前からそうしても」
「この辺が氾濫しても人には害が無いから人間は対策を練らないでしょ。木もついに重い腰を上げたって事でしょう。それにまあ、今回は身を挺する価値があると思ったんじゃないの」
霊夢は木の陰にひっそりと佇む杉の幼木を見た。早苗も気がついてほっこりと笑った。
「ああ、守っていたんですね……」
しかし、木が横たわっているというのはその場しのぎにしかならない。早苗は神奈子達にその件を話し、氾濫を防ぐためのダムを上流に作り水を逃がす様取りはからう事になった。
そもそも川の氾濫は某神社が湖ごと引っ越してきたのが原因らしい。神奈子もそこは妥協すべきとなり、益は少ないが約束してくれた。その事を木に報告してみると、止めどなかった血はぴたりと収まった。木もそれが最良だとわかっていたのだ。
霊夢はもし駄目だったときはどうしようかと考えていたが、それは杞憂に終わってほっとした。
木は逃げ出した樵が戻ってきて早速伐り始めている。ダムの材料や、余ったら里の方で有り難く活躍させて貰う水戸になった。霊夢は作業を見ながら守矢神社に解決料を徴収してやろうと企んでいたが、驚くべき事に樵の人たちから謝礼を色々貰えた。
やっぱり見てくれている人は見てくれているものだ。霊夢は一人神社でにやにやと顔をほころばせた。
冷めやらぬ喜びを噛みしめる翌日。ご機嫌で縁側に出ると、心なしか見慣れた庭も趣が変わる。茂る葉桜、日差しを溜めこむ庭石、そよ風に揺れるタンポポの綿毛。
ところが、そんな煌めく景観に浮いている木が一本たたずむ。
「あんな白い木あったっけ?」
自問自答を口にしても、霊夢にその覚えはなかった。見慣れた庭に疑問を感じる事自体、常には無い証だ。
昨日見た物よりは大きいが杉の若木みたいなシルエットで背の高さは神社の屋根縁に届くかどうかぐらい。にもかかわらず、葉が刺々しく真っ白なのである。緑が一つもなかった。
奇怪すぎる、そんな植物が聞いたことも無い。霊夢は目を凝らしてみて更に驚いた。白い物の正体は木の葉では無く、紙が結ばれているだけだった。
紙片の様な物が、幹から伸びる枝という枝の先から付け根まで、びっしりと結ばれている。
そしてその木は不気味なだけでなく、明らかに禍々しさを纏っていた。
霊夢は直感する。あの木は人に障る。祟り木であると。
塞翁が馬とは言うが、良いことがあると思ったらこれだから困る。霊夢は小さくため息吹かせ、社務所に向かった。木は理由があれば飛ぶ、つまり神社の庭にあるのも理由がある。ならば逃げる事も無いだろう。取りあえず害が無いように無力化させる必要はあるだろうが、どう処理するかは少し考えてからでも良い筈だ。
腕組みしながら歩いていると社務所の前に魔理沙がいて、霊夢に気づくとバツの悪そうに目を逸らした。
「あら珍しい。こんなとこで何してるの?」
「私が神社に来るのに理由なんて、いつも有ってないようなもんだろ」
斜め上を見る仕草に霊夢は感づいた。
「居たんなら声かけてくれたら良いのに。さては……おみくじ、引きたいんでしょう」
朗らかに言うと、魔理沙は照れくさそうに小さくうなずいた。
魔理沙は稀にこうしておみくじを引きに来る。しかし気まぐれでは無く、半ば賭けという実験だったり、悪い事が続いているからどうすべきかを占うといった具合らしい。
要はおみくじの結果に背中を押して貰ったり、一歩前で踏みとどまったりするわけである。おみくじに委ねる気持ちは霊夢にはわからないが、断る理由は勿論ない。
「良い結果だと、いいわね」
営業スマイルを貼り付け小銭を受け取ると早速六角柱の箱を渡した。魔理沙は箱を手にすると生唾を飲み込んで鼻で息を吸い込んだ。
「ううむむ……!」
そして目を瞑り、何かを念じながら箱を上下に何度も揺らす。実に大げさな動きだ。
引っかかったのか、やや勿体ぶって出てきた棒は「一番」だった。
「やたっ、でたっ! 見ろっ!」
数字を見た途端に魔理沙は飛び跳ねて喜んだ。そこそこ常連でもある魔理沙は大吉の数字は覚えている。漢数字一つに命を救われたかのような狂喜っぷりだが、霊夢は顔を青くしてしまった。
「まさかよりによって一番引いちゃうとは……」
「おいおい、凶でも引くと思ってたのかよ」
「そうじゃないけど、大吉で結構、おめでとう。ただ一番は今ちょっとね……」
霊夢は引き出しを引き抜いて見せた。まだ補充してないのだから中はからっぽなのだ、無い袖は振れない。
それを見た魔理沙はというと今度は悲鳴を上げる様に息を呑んだ。
「ど、どうして何も入ってないんだ、私の大吉はどこにいった」
「昨日私が引いたら無くなっちゃったのよ。スカってことで、ごめんね」
「スカ!?」
おみくじは神社では無く木版で印刷してもらっていて、神社で直ぐには出来ないのだ。タイミングが悪くてご愁傷様としか言えなかった。
諦めきれない魔理沙はどうすればいいんだと霊夢の肩を掴んで揺すったり、突然頭を抱えたりと忙しい。これだからおみくじなんて良いこと無いのだ。霊夢は頭を揺さぶられながら再認識するのだった。
「わかったわかった。増し刷りしてもらったら改めて渡すわよ」
「む、それもありがたみが無さそうだなぁ」
「じゃあ引き直せばいいじゃない」
再びおみくじ箱を差し出すと後ずさりする。
「まて、二度大吉を引けるわけが無いだろう」
霊夢は鼻で笑った。魔理沙にしても自分のバロメーターとは関係なく大吉が出たと考えているのだ。おみくじに頼る必要がどこにあるのか。
「じゃあやっぱり入荷したら渡すわよ」
「入荷とか言うなよ、ありがたみが薄れる」
「もう、ありがたみに拘り過ぎ」
「神社なんてありがたみ屋さんじゃないか」
それは、もっともだろうか。
「ああ、そうだ。折角だから変な木を隔離するの手伝ってよ。そういうの好きでしょ、魔理沙が来た時のために放っておいたの」
「はあ? なんでわざわざそんなことするんだよ」
「ありがたみ屋ですから」
「ありがた迷惑と言いたいのか、上手くないぞ」
取っておいたのは嘘だが、好きそうなのは本当だ。その証拠に渋々ながらも、荷物持ちを買って出てくれた。上手くいったとほくそ笑みながら、社務所から幣や祈祷用の台である八足等を魔理沙に持たせ木の元に向かう。
木を前にして魔理沙は担いで来た台を置いて、顔を歪めた。
「何だこりゃ、禍々しいな」
側に寄ると思考が曇るような嫌な空気が漂う。不意に足下が崩れ、奈落に落とされそうな漠然とした不安感、あまりこの場に居たくないとすら思える。
「やっぱり純正の祟り木かしら。それにこの紙……何かしらね、中を見たいとも思えないけど」
「木に結ぶってんならあれにきまってるだろ」
「あれって何よ」
魔理沙は両手の平を近づけて何度も上下に振った。先ほど見たのと同じ大げさな動作だった。
「ああ、おみくじ?」
霊夢はゆっくり上から下へ木を眺める。
結ばれている紙の質や大きさは揃っていて、一部くたびれて字が透けて見える物もある。確かにおみくじのようだ。
ただやはり数が常軌を逸している。小枝の一本すら見えない程に結ばれていれば、当然葉の一つも無い。幹が無ければ紙で作った木と言っても通用しそうなくらい。根元まで見るとくたびれた注連縄がずり下がって地に落ちていた。
元々はおみくじを結ぶ手頃な神木にされていたのだろう。それにしたってここまで結ばれていると、圧巻を通り越して哀れに思えた。
「葉が出ない程結ばれてりゃ木としては辛いだろうな」
「日も浴びられないし、杉の木だから結んであるのもきっと全部凶関連に違いないわね」
「凶はスギるってか、悪い運勢を託す気持ちは分かるがこれはな」
託され過ぎた、というのはこの枝っぷりから想像に難しくない。
多くのおみくじを受け入れていたのは良かったが、それ故に木自身が弱ってしまい、溜めこんでいた禍がにじみ出てきてしまっているということだろう。
「でもどうしようかしら……こういうの意外と厄介なのよね」
「全部解いてやろうぜ、流石にこの状態ではあまり触りたくないが。霊夢が厄払い的なありがたい事をしてさ」
「おみくじの厄払いが簡単に出来たら苦労しないわ、一つに一人分の厄払いしなくっちゃ。もしくはまとめて焼くしか方法は無いのよ」
「火を付けるつもりか!?」
「まさか、やるわけないでしょ。沢山を一気に供養するのは難しいってこと。対人のお祓いは基本的に個に対してしかやれないのよ、だから人は厄を移した皆の物を集めて御焚きあげしたり、海に流したりして最後は破棄するの」
「へぇ、てっきり面倒だから横着してるのかと思ったぜ」
「まあそれは否定はしないけどね。幣帛とかも最後は焚き上げるし、人ってのは一つ一つ何かに移すのが精一杯で、後は神様なり自然に浄化して貰うのよ」
「幣とかも所詮は中継地点って事か、この木も元はじっくりと浄化するための装置ってわけだ」
「そ、ホント何でこんなの急に現われちゃったのかしら」
動かないのは良いが、こう数が多いと骨が折れそうだ。霊夢は肩を落とした。
その後、おみくじを一つまた一つ払って解くという地道な作業を行い三十個程解けたが、凶や大凶の嵐で開くと滅入りそうだった。途中から中を見るのは止めたが、木は僅かに小枝を見せただけで、先は長い。
「あー、もう駄目。集中力が切れた……続きはまた明日にしようかしら」
「厄介とか言いつつ地道に全部やるつもりなのか、お前にしては殊勝じゃないか」
「私はいつも殊勝よ。まあ、これは確実に人間がやったことだし、後始末くらいはしてあげたいと思っただけよ」
おみくじなんて下らない物の為に、こうして苦しむ必要なんて有る筈がない。もしかしたらこの木は、おみくじの呪縛から逃れるために博麗神社に来たのではないだろうか。
霊夢は軽く頬を叩き、もうひと頑張りしようと喝を入れる。
「私も何か手伝おうか」
「魔理沙が活躍できるのは魔法か飛ぶか火力でしょ」
遠回しに一人でやると伝えたかった霊夢だが、魔理沙は腕を組んでじっくりと考えていた。
その日は結局五十個ほどは解くことに成功した。
しかしまだまだ氷山の一角、長期でやらなくてはいけないだろう。
翌日、他をないがしろにするわけにもいかないので霊夢は里でおみくじを増し刷りして貰い神社に戻った。しかしそこには再び見慣れない姿があった。
緑の髪にやたらとフリルがついたリボンを身に着ける厄神。鍵山雛である。
霊夢は息を潜めてこっそりと様子を伺った。
というのも何故か雛は縄で巻かれ、その端は魔理沙が握っていて非常に怪しい。
面倒なことに成りやしないだろうか、と邪推が止まらない。どうやって声を掛けるべきなのか。
木陰で悩んでいると、雛と目が合ってしまった。これ見よがしにぴょんぴょん跳ねて何か魔理沙に告発しているので霊夢は仕方なく身を出した。
「あんた達神社で何してんの」
「何って霊夢を待ってたんだよ。厄神を連れてきたからな」
「そうよ、 なのに変質者みたいに木陰でコソコソして……」
「鏡見てから言って欲しいわね」
間違いなく簀巻き状態の奴の方が変質者だ。しかし魔理沙が雛を連れて来た意図は読み取れた。
「あの木の事で連れてきたのね。でももうちょっと運び方ってのがあるんじゃないの」
「近づくと良くないって言うから、これで吊るして飛んできた」
「宙でグルグル回っちゃって大変だったのよ」
「バランスがとりづらいのなんのって、やっぱり動くものを運ぶって大変だな、ははは」
魔理沙は武勇伝でも話しているかの様に言う。
「面白すぎる移動方法ね、呆れるくらい」
「それより早く噂の木を見せてよ」
雛は縛られたまま辺りを見回している。こんななりでも助っ人としては適材かもしれない。
二人と一柱の神でおみくじの木の前まで移動すると、雛は感嘆の声を漏らした。
「わぁ、これは凄いわね、よくぞこんなにも。感無量だわ」
「なんだか昨日より邪気が強くなってないか?」
「邪気って……でも確かに重苦しさが増してるわね」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせて同じように頷いた。昨日おみくじを解いた時より頭が揺さぶられるような、どうにも落ち着かない雰囲気が増強されていた。
少しではあるが原因を取り除いたのだから、良くなっても悪くなるような覚えはない。
「謎だな。こんな時こそ専門家だ」
「はいどうも。で、昨日とどう状況が違うのかしら」
雛は手品でも使ったのかいつの間にか解いた縄を手にし、木を一周くるりと歩いた。
「ええ、昨日も不安になるような禍々しさで酷い様に見えたけど、今思うとまだマシだったみたい。おみくじは昨日より減ったのに……」
雛はふーんと素っ気なく応えると、厭わずに木の幹を撫でた。
「昨日より酷いって事は原因が悪化したか、目的が進行したかよ。要するに、昨日に比べて木が衰弱して漏れが酷くなったか、恨み辛みに目覚めて悪い力が増しているか。どっちか或いは両方って所かな」
「恨み辛み……」
どちらもありそうな話だと霊夢は思った。ここまで他者に生を追い詰められたのだ、どうして恨まないでいられようか。深刻なのはどちらにせよ時間の猶予があるとは言いにくい事だろう。
「どうにかなるのかしらね……これ」
「寝覚めは悪いが焼き払ってしまうのも一考かもしれないな」
魔理沙が苦々しく言う。今の様子だと昨日のペースでは焼石に水であるし、二倍三倍でやれる自信も、それで安心という根拠も無い。本当に恨みがあるなら、暴発的に災いの種にもなり得る。
しかし、できれば燃やして解決というのは避けたいのが二人の本音だ。
それを見かねた一柱の神がうっすら笑って、枝のおみくじに触れた。
「考え込まなくても、私がこの木の厄を肩代わりすれば良い話よ」
「なんだよ、そんな事ができるなら先に言えよ」
魔理沙は気の抜けた息を漏らした。
「出来なくはないってだけ。でも今の私はこの木が持っている厄を全部受け持てるほどの余裕は無い」
「じゃあどうするのよ」
「先に私の厄を全部取っ払うわ、それで木の厄を受け止める」
霊夢は納得しかけたが、直ぐに頭を振った。それでは結局やることが木から雛に移っただけである。
「お前はどうやってその厄を祓うんだ、まさか焼身自殺するわけではないだろう」
「そうよ、どこかに厄を放り捨てたりしたら大変な事になるわよ」
雛はゆっくり厄を流しているらしいが、一気に投げ出したらどうなるかは未知数だ。木から漏れる厄を防ぐために別の場所を犠牲にしてしまっては意味が無い。
「わかってるって。だから解き縄をしようかと思う」
「ああ、解き縄……そんな事したらあんた消えちゃうんじゃないの」
「私は厄その物じゃないし、平気よ平気」
「解き縄ってのは、御祓いか?」
「同じような物だけど、焼いたり捨てたりしないのよ。まあ準備要るだろうから、やりながら説明する」
霊夢が手を前に出して催促すると、雛が持っていた縄を放り渡した。
「解き縄は神事でやることが多いんだけど、字の如く縄を解く御祓いみたいな物よ」
縄をハサミで五寸や三寸にいくつか刻み、霊夢は結ってある二本の素線一本一本をつまんで引っ張った。
当然縄は解けて元の素糸になる。
「こんな感じ」
「随分地味だな。でもお祓いみたいってのは、普通とちょっと違うって事だろ」
「穢れを流すとか移すんじゃなくて、解いてその場で消してしまう方法なのよ、お祓いというより分解に近い。火を使わず海にも流さない、人工物で完結できる珍しい方法ね」
「エコって奴だな」
「……うん、たぶん」
たぶん違うけど、面倒なので訂正はしない。結った縄を
「普通に祓うよりパワーがありそうだけどな、それを木にやれば一気解決じゃないか」
「んー、これは欠点があって……自祓しかできないのよ。だから妖怪退治とかにはまず使えないし、そもそも人の姿でないとできないわ」
「それじゃ木には無理か……所構わずに清めたりもできないって事だよな、ちょっと拍子抜けだ」
魔理沙は期待を裏切られたのか、少し残念そうに言う。
「穢れだって多少は必要だから、本来は自然に流してゆっくり清めるのよ。これはそれを無視したちょっとした裏技」
「裏技って聞くとありがたみあるな」
「でしょ?」
そうこう話しているうちに、姿を消していた雛が戻ってきた。
解き縄するのにリボンも無かろうということで、白無垢の装束に着替え髪も降ろしていた。
パッと見では誰だか分からないが、そこは神様、厄が渦巻いてるのが肌で分かり妙な威圧感がある。
「とても厄神には見えないわ、上手く化けたもんね」
「似合ってるくらいの言い方してくれても罰は当らないと思う……」
慣れないのか髪を邪魔そうに掻く雛に、霊夢は切った縄を見せた。
「長さはこんなもんで良いかしら」
「ばっちり。無駄に長くても仕方ないし、短いのでいいわ」
雛は三寸の縄を受け取ると端を口に咥え、にんまり笑った。
「咥えて解くのか、ちょっと間抜け面だな」
「体の中から清めるのよ。それにほら、口は災いの元とも言うし」
「口の悪いのが治るんだったら、幻想郷中の奴にやらせる必要あるだろ」
「あー、それは名案ね」
二人で毒舌な奴らを思い浮かべて笑っていると、いると雛も大きく頷いた。
喋れないのは欠点かもしれない。
雛は両手で咥えた縄の先を解きほぐし、二つの紐の端を摘まんだ。
ゆっくり引くと徐々に縒られた縄が解けていく。時間をかけて口まで解いていくと、やがて縄は無くなり二本の紐となった。
魔理沙が目を輝かせ素糸を見つづけるが、雛は放り捨ててしまった。
「もうおしまいよ?」
「なんだよもう終わりかよ。もっと地面が唸り暗雲立ち込め稲妻走って、ドッカーンとかないのか」
「打ち上げ花火じゃないんだから……」
「そんな派手だったら私が死んじゃうわよ」
「ん? なんかあんた……」
おどけて見せる雛が、二人には今までとは違う様に見えた。
厄のない厄神は何か欠けているというよりも、神と人の垣根を取り除いた、ただの人の様な親しみを覚える。
元を正せば人に成り代わって厄を受けるのだから、根本は限りなく人に近いのかもしれない。それでいて、何処か頼もしい。
「あんまり見ないでよ」
「ああ、つい……」
霊夢が興味深そうに眺めていたら、本人も違和感があるのか困ったようにはにかんだ。
「逆ならともかく神が人になるってのも面白いな、今のお前なら友達にもなれそうだ」
「厄を引き受けるなんてやめて、地味に普通に過ごしたら?」
「無理無理、そんな事してたら皆に忘れられてしまうだろうし、私は人間には向いてないって」
困った様に言う辺りがとても人間っぽい。雛は誤魔化すように「とにかく」と続けた。
「私が厄を引き受けるから、おみくじを外すのは皆でやるんだからね」
「あー、あれ全部解くのは面倒臭そうだ」
「ハサミ使う訳にもいかないしね、まあちゃっちゃとやりましょう」
雛を先頭に少女三人おみくじの木の元に向かった。何度見ても良い気はしない。
「さて地味に厄を引き受けるとしますかね」
雛は片手で自分の肩を揉みながら木に触れる。
そうしてふう、と息を吐いた頃にはもう厄神らしい風体に戻っていた。
「はい、おしまい」
「はやっ、地味……だけど凄いな、木の禍々しさはだいぶ減ったぞ。代わりにお前は近寄り難くなったな」
「私の方がこれでも漏れる量は少ないからね」
雛は解き縄をする前の状態に戻っていて、木の方はただ違和感のある木となっていた。
自然物であるのに人工物の様な無機質さが、違和感の根源なのだろう。今からそれを取り除かなくてはならない。霊夢は軽く息を吸った。
「流石は神様と言っておくわ。さあ、やっちゃいましょう」
枝を折らぬ様に、細心の注意を払いながら二人と一柱で優しく御神籤を解いていく。
下の方は何重も結んであったりと面倒だったが、上の方になると今度は顔を上げないといけないので辛かった。
「さくらんぼ狩りでもしてる気分だな」
「たわわに実ってるのは凶だけどね。こんなに嬉しくない行楽無いわ」
「あら、厄狩りなんて素敵な事言うじゃない」
雛だけ妙に楽しそうである。
飛ぶと上手く踏ん張れずに枝を痛めそうなので、上の方は台を持ってきて外した。
そうすると木の全貌が分かり始めたのだが、その痛々しさに霊夢はそっと目を伏せた。
「想像以上に弱ってるわね、この木……」
「だな、こりゃ酷い」
幹だけでは何とも言えなかったが、枝も全てミイラの様に干からびていて、見るのも忍びない。このままでは風が吹いた程度で、しなることもなく梢はただ折れて朽ちるだろう。
もう手遅れだったのだ。
今さらおみくじを外したところで、太陽の光や雨風に晒され余計に風化を早めるに過ぎない。
「こうなったのは昨日今日の話じゃないでしょ、貴方達が気に病むことないわ。それにこういう依代は打ち捨てられて終わりなのだから、こんなに手を掛けて貰えて幸せに決まってる」
雛は情緒無く満足そうに笑う。やはり神と自分たちとは少し感覚が違うなと二人は思うのだった。
全てのおみくじから解放された杉の木は、着ぐるみをはがされて二周りくらい小さく見えた。
木をこれからどうするか、それは一先ず置いて一仕事終わったので取りあえず一服しようとなり、霊夢が茶を入れて縁側に並んだ。
「植木の世話をしたんだ、菓子くらい出すのが常識だぞ」
「出してるじゃない」
「いつもの煎餅じゃないか。甘い物を出せ」
「そんな気の利いたもの……ああ、今日はあったかも」
霊夢は戸棚に入れてあった最中を持って来た。
「運が良いわね、一昨日頂いたのがあったわ」
「お、言ってみる物だな」
謝礼と一緒にもらった最中だった、あの木はどうなっただろうか。小さな幼木を守らんとしたあの木。早苗の竣工予定からするとまだあの場所に残っているはずだった。
霊夢がぼうっと考えていると魔理沙が最中をちまちま囓りつつ言った。
「しかし神木てのも大変なんだな、人に色々してくれるのは嬉しいが」
「そういや紫も外の世界で神木が良く切り倒されてるとか言ってたっけね。流石に無闇に倒すと祟るとか言ってたけど」
「山の巫女の話では木材欲しさに不届きな輩が御神木に除草剤を入れて、枯らしてしまうとかね。あれはちょっとやり過ぎ」
そう言えば紫もそんな事言っていたかも知れない。
雛は立腹なのか最中をがぶがぶと口に放り込んだ。やや詰め込み過ぎて頬が膨らんでしまっている。
「あんた達ちょっとは遠慮しなさいよ」
「ほっといたらお前全部食べるだろ。糖分過多で病気しない様に厄除けしてやってるんじゃないか」
雛もまた言葉を封じられつつ頷いて、屁理屈に同意を示した。
「ありがた迷惑な奴らね」
「冗談で済めばいいがな、それよりあの木はどうするんだ?」
「御神籤は後で適当にお焚き上げしちゃうけど……木はどうすべきなのか……」
「木も伐ったほうがいいでしょう、どの道もう駄目よ。放置して白蟻でも沸いたら神社が大変なことになるかもしれないし」
厄もとい最中を飲み込んだ雛が飄々という。相変わらずの白無垢なので、余計にドライな言葉に聞こえた。しかし間違っては居ないとも霊夢は思った。
「残念だが仕方ないか。亡骸は私がリースか杖にでもしてやろう」
「神社を白蟻の巣にする訳には行かないけど……でもその前に一つやらせて欲しいことがあるの」
十個ほどあった最中は結局三人でその場で完食してしまった。おなかを満たされた霊夢は社務所から植木鉢を持ってきた。
すらりと伸びた幹は途中に枝を作らず、幹の先から枝葉が分かれていて葉はツヤがあり瑞々しい。
「それは……南天か、どうしたんだそんなもん」
「一昨日、倒れていた木があってね、万が一に備えて用意しておいた苗木よ」
「まあ、余計なことを……」
雛が怪訝そうな目で南天を睨んだ。
「何でよ、木霊移しをやろうってだけじゃない」
「こだまうつし、ってまあ大体想像はつくな。あれだろう、大きな木を切る時にやる奴だ」
「そう、木の御霊を別の木に移してあげるの。この木は神木なんだし、その位はやってあげてもいいと思う」
「でもこいつ杉なんだろ、南天にしたら拒絶反応とか起きるんじゃ無いのか」
「同じ木が有れば一番だけど……止むをえず木を切る理由の一つは邪魔だからでしょう。違う木にしたいときは南天とかが選ばれたりするのよ」
へーと魔理沙は頷くが、納得いかなさそうに小さく首をかしげた。雛も相変わらず南天を睨んでいる。
「とにかくやるわよ」
「多分思ったとおりには成らないわよ」
「うーむ、考えてみたらこの木はきっと……」
魔理沙と雛が小難しい顔をしたが、霊夢は無視して二人の間を抜け、出したままだった台の上に鉢を置いた。それからゆっくりと御幣を振るう。
「社にまします大神の大前に恐み恐みも白さく──」
祝詞を読みつつ、木を想う。確かに木霊を移すのは基本的に生きている木を止むを得ず伐る場合だ。今回は木の方から勝手に来た上に、最初から死に掛け、そんな義理はない。
不運を取り去ろうと、人が使って使って使い潰してしまったのだ。毒を入れて木材にするのと同じとは言わないが、結果からしてみたら似たような物だ。願わくばこの木にはそんな悪い運命ではなく、木としてあるがまま生きて欲しいと思う。その為の木霊移しなのだ。
「まあこんな物でしょう、地味だけどね」
祝詞を読み終えると、木霊の抜けた杉は張り子の如く、見た目だけで中身は空っぽに見えた。
無事に木霊は移ったのだ、木霊もそれを望んでいた証でもある。
「いや、もしかしたら結構大胆な事をしたかもしれないぞ」
「大胆って、成功してるわよ」
「失敗はしてないだろうが、杉はどうするかだよ」
魔理沙は目もくれず指だけ、解かれたおみくじの方を向ける。
「もしかして、まだ人を恨んでるかもしれないって事?」
「それならそれで分かりやすいがな、もうちょっと面倒くさいかもしれん」
と魔理沙は思わせぶりに苦笑いした。雛もやれやれと肩をすくめていて、霊夢はのけ者にされた気分だ。
「何なのよ、言いたい事があるなら言いなさいよ」
むくれた霊夢がぼやいたその時。
──ありがとう──
と何処からともない若々しい声が境内に響いた。
霊夢がきょとんとしていると、雛が南天の方を見る様に顎で促してきた。
「木が喋った!?」
「言いたいことがあれば言えって言ったの巫女じゃない。飛びたきゃ飛ぶし、喋りたければ喋るのよ」
「木ってそんなにポテンシャルある物だっけか」
つまり杉の木霊らしい。霊夢は慌てて向き直った。
フハハよくぞ復活させてくれた、この愚かな巫女め……等と言って襲いかかって来ないとも限らない。固唾を飲んで次の言葉を待ったが、次に聞こえてきた言葉は実に柔らかく響いた。
─これでまたおみくじを結んでもらえるね─
それを聞いた霊夢は拍子抜けしたが、別の意味で虚を突かれた気分だ。思わず鉢に詰め寄った。
「なんでそうなるのよ、折角そうしなくて済むようにしたのに……」
「お人好しというか、木好しというかだなぁ」
「やっぱりねぇ」
魔理沙も雛もこうなるだろうと思っていた様だった。
「そういうつもりじゃなかったのに……」
これでは私がもう一度やれと宣告したみたいではないか。霊夢は胸に微細な痛みを感じつつ、唇を噛んだ。木はもう喋らない。
「貴女が望んだことは解ってると思うわよ。それで尚そうしたいって言うんだから、好きにさせたらいい、誰も損してないしこれはこれで正解でしょうし」
本当に好き好んでそんな役回りをやっているのだろうか。
「深く考えても仕方がないぞ。馬鹿だなって笑ってやればいいんだ、こういう奴はな」
魔理沙は言葉通り笑った。
腹の底は知りかねる。確かにそうかもしれないが、何だか笑うと負けた気がするので霊夢は精一杯のしかめ面を木に向けるのだった。
「まあともあれ一件落着って事でさ、そろそろあれを寄越せ」
何の脈絡なく魔理沙が手を揉みつつ、すり寄ってきたので、霊夢はしかめ面そのままに返事した。
「なによあれって」
「昨日のあれだよ」
「昨日のあれって何よ」
「今解いてたあれだよ」
「あぁ、おみくじ? ちゃんと補充したけど。もうここ片づけるからついでに持ってくる」
霊夢は乱暴に神棚を担いで社務所に向かった。人の善意を不意にされた気分に近かった。でも別に木霊移しをしろなんて誰にも言われていないのだから、何も言えまい。
相変わらず閑散としている社務所に神棚等を仕舞う。
それからおみくじの一番の引き出しを覗き、一番上のぴんと張った一枚を取った。
魔女なら水晶玉でも使えばいいのにと心の底で愚痴り、霊夢はじっと大吉を見つめた。
それから霊夢は再び御神籤を引いて見ると、やはり大吉が出た。
「みーちゃった」
突然声がしてびくっとして霊夢が振り返ると雛がまじまじと見ていた。
白無垢のせいで無駄に恐々しい。その目は嗜虐的でもあり玩具を見つけた子供の様でもある。
「何よ、おみくじ引いたら悪いの」
「別にー、わざわざ大吉引いてたからね」
「引けちゃうんだもの、しょうがないでしょ」
霊夢は眼を逸らして、懐におみくじを突っ込んだ。
「あの若杉が何で神社に来たか分かる?」
「おみくじを取って欲しかったんじゃないの」
「さっきの木の言葉を聞いたでしょ、そんな事思って無かったわ」
「まあ喋ってた内容からすると、あいつはおみくじ狂って事ね。早苗の所に出てくれても良かったのにな」
ちゃんとしたおみくじを引ける場所なんて博麗神社か守矢神社ぐらいだ、要はそこ目指して飛んできたのだろう。まだ見ぬ凶を探して。
「違うわ、もっと狙って来たはず。凶のおみくじを、凶のおみくじを引いて困ってる人を」
「それで博麗神社に来たって、魔の巣窟とでも勘違いしてんのかしら」
「巫女も凶のおみくじを引いたから来たのよ」
霊夢は驚き、懐に入れっぱなしだったおみくじを一つ取り出した。ずっと入れっぱなしだった凶のおみくじは落としたりはしていない。
「まさかあんたあの時見てたの?」
「見てない見てない、でも解ったのよあの木はね」
「だとしても私はおみくじなんて気にしてないわよ」
「木に絆創膏貼ったり、勝手に木霊移しする奴が居るみたいに、お節介やきたかったんでしょ」
雛はそう言うと回れ右して苗木の元に帰って行ってしまった。霊夢は凶のおみくじを眺めつつ頭を掻いた。
若木に結ばれていたおみくじは、確かにただの凶ではなく、悩み有る者が結んでいった物だった。そうでなけれ解くのに苦労することもない。きっとあの木はそういう人の前に現れてはおみくじを引き受けて来たのだ。
しかしおみくじの事をむしろ嫌っている自分が、その対象になってしまったとは。凶のおみくじに悩む人間、そんなふうに写ったとは。
でも本当は心当たりがある。大吉しか引けないのは凶を敢えて引こうとしないからだと。自分は強がって見せてもおみくじの事を気にしてしまう人種なのだと。
あの若木はそんな悩みの種である凶を引き受けるために、来てくれたらしい。
霊夢は凶のおみくじを小さく折って懐に戻した。
「はい念願の大吉よ」
「ふふ、これで新しいキノコの栽培は上手くいく気がするな」
魔理沙はピンとした大吉を手にすると小躍りした。
「そんな事でおみくじ引いてたの?」
「ばっか、お前、良いキノコ育てるのは難しいんだぞ。音楽聴かせたり電気流したりするんだ」
「酷いアメとムチね、それ本当にキノコの育て方なの」
「他にも水をやるときは霧状にしてやるのが良くて――」
キノコ育成論を適当に流しつつ、霊夢は苗木に寄ると懐からおみくじを取り出した。
雛が後ろから問いかける。
「結ぶの?」
「折角来てもらったんだしね、望み通り結んでやるわよ」
「話聞けよ、てお前それ……大吉じゃないか」
「ええ、そうよ」
霊夢は凶では無く大吉の文字を一瞥し、細く折った。今日引いた物と併せて二つ、南天の枝に緩めに結ぶ。
「素直に凶を結んだ方が喜ぶのに」
「それはどうかしらね、木は嫌なんて言ってないわよ」
「おい、そんな事したら大吉で喜んでる私が恰好悪いみたいになるだろ」
魔理沙は手にしたおみくじと南天を交互に見比べている。
「別にあんたは持って帰って良いのよ」
「いや、私も選別にやるよ。霊夢の大吉より私の大吉の方がレアだしな。おみくじの結果より、それまでの努力の成果が本当の結果を生むんだよ」
「急に格好付け過ぎだから」
「バレたか」
魔理沙は舌を出して照れくさそうにすると、おみくじを枝に結んだ。
「貴女達も大概お人好しね」
霊夢は枝を眺めた。この位であればまだ可愛い物だが、これから先どうなるか。
南天は少し経てば人知れず幻想郷の外に飛び出すだろう。そしてまた凶のおみくじを集めるのだ。今度は枯れたりしない様にしてもらいたい。普段は嫌いでどうでも良い大吉だか、今回だけはそのモチベーションに期待したいと霊夢は思った。
き本当はおみくじの事が嫌いなのではない。凶のおみくじもそこまで怖いわけでもない。無意識に大吉を引いてしまう自分を見るのが好きではないのだ。
この木は逆に、おみくじが好きというわけでもなくて、凶のおみくじを半ば義務と思って集めているだけだろう。だから、大吉が嬉しくないなんて事もきっと無い筈だ。
「霊夢さぁーん」
と、何処かで聞いた声がして霊夢が見てみると、案の定早苗が飛んできた。今回は急いでいる風では無い。
「あ、魔理沙さんも! 巷に怪しい妖怪が出たらしいんですけど、一緒に退治しに行きません?」
「一緒に退治って、暢気な事言ってるわね」
「丁度細々した作業に飽きてた所だ、霊夢も一緒に行こうぜ」
少し考えたが、ここに居てもする事があるわけでも無い。
「確かにちょっと暴れたい気分かもね、一丁片づけてやるわ。あんたも、此処はもう良いから適当に帰りなさいよね、一応よその神様なんだから」
雛にそれだけ言うと、三人で飛び上がって現場に向かった。
一人残った雛はしゃがみ込んで、楽しげに語りかける。
「私たちみたいな神は人の為に有るのにね、神心が分からないというか……。巫女は神様に向いてないわ絶対」
南天は風に小さく梢を揺らしていた。
霊夢は時折思い出したようにおみくじを引く。特別な懸念や願望があるわけでもない。
賽子の出目も分かる身だ、引こうと思えばどんな運勢だって引けるだろう。だから全くの気まぐれだった。
元よりえおみくじは好きか嫌いかで言えば嫌いだ。内容は人が考えた物であるし、そこから神様が選ぶとしても、それは神の言葉と等しいとは言いがたい。神託を前借りする事が不可能な以上、それっぽい答えが出るだけだ。ましてや博麗神社の神は力が弱いのだから、それはもうただのクジ引き状態なのだ。
霊夢は特に何も考えず、おみくじと書かれた箱を振った。
六角柱の箱からせり出る棒に数字が書いてあり、それに応じた引き出しから紙片を渡すのが博麗神社のおみくじシステムである。
出たのは「第一番」。いつの時代かの巫女が拾ってきたという薬箪笥の一番を引けば「大吉」が出てくる。
別に嬉しくも悲しくも無かった。霊夢が適当に引くと大よそ大吉が出るのだ。
張りぼての運勢はどうでも良かったが、引き出しの中に真の問題を見つけた。その大吉が最後の一枚だったのだ。
一度引いたものを戻すのは気が引けるし、新しく注文して一応、御霊を降ろさねばならない。霊夢は並んだ引き出しを睨む、他にも少ないのがあったら一緒に頼みたい。
碁盤の如き四角まみれの薬箪笥から、勘でそれを見つけるのは難しい。しかしくじ箱が有れば話は別だ。霊夢は残り少ない籤を引きたいという気持ちをランダムの中に刷り込むことで、引くことができる。要は賽子と同じだ。
そうしてもう一度引いて見ると今度は「第三十二番 凶」
流石に凶が出ると良い気はしない、凶を引いた事なんてそうそう無い。一枚取ると霊夢はやや乱暴に引き出しを閉めた。
凶はあと十枚程残っていた。さらに引いてみるが同じ数字が出た。特別減っているのは大吉と凶だけということだ。
両極を引いたが、余計な仕事が増えたのだからどちらか言うと凶寄りではないだろうか。
二枚のおみくじを並べ見ていると「霊夢さぁーん」といかにも不吉な声が聞こえた。
振り向くと着崩れかけた巫女服で、息も絶え絶えな早苗が居た。
「霊夢さん大変なんです! 樵に頼んで伐ろうとした木から血が出て、なんかもう大惨事で、とにかくちょっと見て貰えませんか!?」
これはもう確実に凶である。霊夢は恨みを込めて大吉をつま弾いた。
霊夢がついて行くと、妖怪の山の麓付近、雨で流れの増した川に案内された。
「落ちないように気をつけて下さい、それでこの木の根元なんですけど……」
川の上に橋掛け状に杉の大木が横たわっていた。樹齢百年程度はあるだろう、いやもっと古いかもしれない。倒れても感じる荘厳な木に霊夢は感慨にひたりつつ、辺りを見渡す。
「こりゃ相当立派な杉の木ね。血が出たって言ったけど、そのまま刃を入れて倒しきったの?」
「そんな事しませんよ。この間の大雨の日に倒れたらしくて……置いておくのも良くないだろうと伐って運ぼうとしたんです、それでまず根本あたりにノコを入れたら……」
「解体する時に血が出たのね」
「そうなんですよ、そのせいで樵の方々も頓挫してしまって」
霊夢は杉の上に乗りバランスを取る様に手を広げ、根元に向かう。
「血が出るのは祟り木の証拠だもの、怖がって当然でしょうね」
「霊夢さんは怖がって無い様に見えますけど」
「この木その物からは、あまり悪い気がしないのよね」
現場は確かに血塗れで、吸血鬼が食い散らかしてもこうは成らないであろう量の血液が垂れ流されていた。
源は鋸で入れられた切り口で、未だに血があふれている。惨劇の渦中のようなこの現状を目にしたら逃げ出しても仕方あるまい。
しかし霊夢が一番疑問に思うのが、切り口に申し訳程度に巻かれている絆創膏や包帯だった。
「何あれ?」
「痛そうなので取りあえず応急処置をと思って」
「あんたねぇ……」
「神奈子様は祈祷すれば平気って言ったのに、痛々しいんですもん。今日のおみくじは大吉だったのに……」
早苗はぶつぶつ呟いてふてくされている。
「まあ既に倒れてるのに血が出るってのは珍しいわね。折れた所からは血が出なかったの?」
「それがこの木って折れた訳じゃないみたいなんですよ」
「折れてないのに倒れたの?」
どういう事かと思いつつ根本部分を見たが、一目で分かった。この木は根っこごと引き抜けているのだ。だが不思議なことに近くに抉れた穴が見当たらなかった。周りには雑草や小さい木が生えている位で、大きな木が生えていたとはとても思えない。
「この木って何処にあった木なのかしら」
「それがよく分からなくて……山の何処かの杉みたいですが、少なくともこの付近は川の氾濫が多くてこんなに大きな木は無い筈なんですが……」
早苗の言うとおりこの辺りは水の勢いが増し易く、地面も緩いため木が根付きにくいのだ。霊夢はもう一度辺りを見渡すと、顎に手をやり逡巡した。
ならどうしてここに木があるのか、誰かが簡単に引っこ抜けるものでは無い。それに血を流してまで抵抗するだけの力があるのだ、易々と引っこ抜かれるだろうか。そうなれば自ずと答えは限られる。
「早苗は飛んだ木の話って聞いた事ある?」
「ラピュタですか」
「多分違う」
「ですよねー、飛梅くらいなら知ってますが……まさかこの木も飛んで来たんですか?」
「当然よ、飛梅は慕う人を追って飛んだし、その時は松も一緒に飛んだしね。木だって理由があれば飛ぶの」
「さすが霊夢さん、飛ぶ事は不思議ではないと。でも、自分で飛んでくる理由なんてあるでしょうか。ちょっと横になりたかったんですかね」
「理由はここがよく氾濫してしまうからよ、それを防ぎに来たんだと思う。白沢の神だかが洪水を止めるために杉を飛ばしたなんて話もあるし……。現に今回はこの辺整っているしね。でもそれはあくまで今回で、次もいつか有る。この木はその時のため解体されるのを拒んでいるのよ」
早苗は半ば唖然とした表情であふれ出る血を見た。
「木がそこまでしたと……でもこのままじゃ木は死んじゃいますよね、身を投げる程止めたかったならもっと前からそうしても」
「この辺が氾濫しても人には害が無いから人間は対策を練らないでしょ。木もついに重い腰を上げたって事でしょう。それにまあ、今回は身を挺する価値があると思ったんじゃないの」
霊夢は木の陰にひっそりと佇む杉の幼木を見た。早苗も気がついてほっこりと笑った。
「ああ、守っていたんですね……」
しかし、木が横たわっているというのはその場しのぎにしかならない。早苗は神奈子達にその件を話し、氾濫を防ぐためのダムを上流に作り水を逃がす様取りはからう事になった。
そもそも川の氾濫は某神社が湖ごと引っ越してきたのが原因らしい。神奈子もそこは妥協すべきとなり、益は少ないが約束してくれた。その事を木に報告してみると、止めどなかった血はぴたりと収まった。木もそれが最良だとわかっていたのだ。
霊夢はもし駄目だったときはどうしようかと考えていたが、それは杞憂に終わってほっとした。
木は逃げ出した樵が戻ってきて早速伐り始めている。ダムの材料や、余ったら里の方で有り難く活躍させて貰う水戸になった。霊夢は作業を見ながら守矢神社に解決料を徴収してやろうと企んでいたが、驚くべき事に樵の人たちから謝礼を色々貰えた。
やっぱり見てくれている人は見てくれているものだ。霊夢は一人神社でにやにやと顔をほころばせた。
冷めやらぬ喜びを噛みしめる翌日。ご機嫌で縁側に出ると、心なしか見慣れた庭も趣が変わる。茂る葉桜、日差しを溜めこむ庭石、そよ風に揺れるタンポポの綿毛。
ところが、そんな煌めく景観に浮いている木が一本たたずむ。
「あんな白い木あったっけ?」
自問自答を口にしても、霊夢にその覚えはなかった。見慣れた庭に疑問を感じる事自体、常には無い証だ。
昨日見た物よりは大きいが杉の若木みたいなシルエットで背の高さは神社の屋根縁に届くかどうかぐらい。にもかかわらず、葉が刺々しく真っ白なのである。緑が一つもなかった。
奇怪すぎる、そんな植物が聞いたことも無い。霊夢は目を凝らしてみて更に驚いた。白い物の正体は木の葉では無く、紙が結ばれているだけだった。
紙片の様な物が、幹から伸びる枝という枝の先から付け根まで、びっしりと結ばれている。
そしてその木は不気味なだけでなく、明らかに禍々しさを纏っていた。
霊夢は直感する。あの木は人に障る。祟り木であると。
塞翁が馬とは言うが、良いことがあると思ったらこれだから困る。霊夢は小さくため息吹かせ、社務所に向かった。木は理由があれば飛ぶ、つまり神社の庭にあるのも理由がある。ならば逃げる事も無いだろう。取りあえず害が無いように無力化させる必要はあるだろうが、どう処理するかは少し考えてからでも良い筈だ。
腕組みしながら歩いていると社務所の前に魔理沙がいて、霊夢に気づくとバツの悪そうに目を逸らした。
「あら珍しい。こんなとこで何してるの?」
「私が神社に来るのに理由なんて、いつも有ってないようなもんだろ」
斜め上を見る仕草に霊夢は感づいた。
「居たんなら声かけてくれたら良いのに。さては……おみくじ、引きたいんでしょう」
朗らかに言うと、魔理沙は照れくさそうに小さくうなずいた。
魔理沙は稀にこうしておみくじを引きに来る。しかし気まぐれでは無く、半ば賭けという実験だったり、悪い事が続いているからどうすべきかを占うといった具合らしい。
要はおみくじの結果に背中を押して貰ったり、一歩前で踏みとどまったりするわけである。おみくじに委ねる気持ちは霊夢にはわからないが、断る理由は勿論ない。
「良い結果だと、いいわね」
営業スマイルを貼り付け小銭を受け取ると早速六角柱の箱を渡した。魔理沙は箱を手にすると生唾を飲み込んで鼻で息を吸い込んだ。
「ううむむ……!」
そして目を瞑り、何かを念じながら箱を上下に何度も揺らす。実に大げさな動きだ。
引っかかったのか、やや勿体ぶって出てきた棒は「一番」だった。
「やたっ、でたっ! 見ろっ!」
数字を見た途端に魔理沙は飛び跳ねて喜んだ。そこそこ常連でもある魔理沙は大吉の数字は覚えている。漢数字一つに命を救われたかのような狂喜っぷりだが、霊夢は顔を青くしてしまった。
「まさかよりによって一番引いちゃうとは……」
「おいおい、凶でも引くと思ってたのかよ」
「そうじゃないけど、大吉で結構、おめでとう。ただ一番は今ちょっとね……」
霊夢は引き出しを引き抜いて見せた。まだ補充してないのだから中はからっぽなのだ、無い袖は振れない。
それを見た魔理沙はというと今度は悲鳴を上げる様に息を呑んだ。
「ど、どうして何も入ってないんだ、私の大吉はどこにいった」
「昨日私が引いたら無くなっちゃったのよ。スカってことで、ごめんね」
「スカ!?」
おみくじは神社では無く木版で印刷してもらっていて、神社で直ぐには出来ないのだ。タイミングが悪くてご愁傷様としか言えなかった。
諦めきれない魔理沙はどうすればいいんだと霊夢の肩を掴んで揺すったり、突然頭を抱えたりと忙しい。これだからおみくじなんて良いこと無いのだ。霊夢は頭を揺さぶられながら再認識するのだった。
「わかったわかった。増し刷りしてもらったら改めて渡すわよ」
「む、それもありがたみが無さそうだなぁ」
「じゃあ引き直せばいいじゃない」
再びおみくじ箱を差し出すと後ずさりする。
「まて、二度大吉を引けるわけが無いだろう」
霊夢は鼻で笑った。魔理沙にしても自分のバロメーターとは関係なく大吉が出たと考えているのだ。おみくじに頼る必要がどこにあるのか。
「じゃあやっぱり入荷したら渡すわよ」
「入荷とか言うなよ、ありがたみが薄れる」
「もう、ありがたみに拘り過ぎ」
「神社なんてありがたみ屋さんじゃないか」
それは、もっともだろうか。
「ああ、そうだ。折角だから変な木を隔離するの手伝ってよ。そういうの好きでしょ、魔理沙が来た時のために放っておいたの」
「はあ? なんでわざわざそんなことするんだよ」
「ありがたみ屋ですから」
「ありがた迷惑と言いたいのか、上手くないぞ」
取っておいたのは嘘だが、好きそうなのは本当だ。その証拠に渋々ながらも、荷物持ちを買って出てくれた。上手くいったとほくそ笑みながら、社務所から幣や祈祷用の台である八足等を魔理沙に持たせ木の元に向かう。
木を前にして魔理沙は担いで来た台を置いて、顔を歪めた。
「何だこりゃ、禍々しいな」
側に寄ると思考が曇るような嫌な空気が漂う。不意に足下が崩れ、奈落に落とされそうな漠然とした不安感、あまりこの場に居たくないとすら思える。
「やっぱり純正の祟り木かしら。それにこの紙……何かしらね、中を見たいとも思えないけど」
「木に結ぶってんならあれにきまってるだろ」
「あれって何よ」
魔理沙は両手の平を近づけて何度も上下に振った。先ほど見たのと同じ大げさな動作だった。
「ああ、おみくじ?」
霊夢はゆっくり上から下へ木を眺める。
結ばれている紙の質や大きさは揃っていて、一部くたびれて字が透けて見える物もある。確かにおみくじのようだ。
ただやはり数が常軌を逸している。小枝の一本すら見えない程に結ばれていれば、当然葉の一つも無い。幹が無ければ紙で作った木と言っても通用しそうなくらい。根元まで見るとくたびれた注連縄がずり下がって地に落ちていた。
元々はおみくじを結ぶ手頃な神木にされていたのだろう。それにしたってここまで結ばれていると、圧巻を通り越して哀れに思えた。
「葉が出ない程結ばれてりゃ木としては辛いだろうな」
「日も浴びられないし、杉の木だから結んであるのもきっと全部凶関連に違いないわね」
「凶はスギるってか、悪い運勢を託す気持ちは分かるがこれはな」
託され過ぎた、というのはこの枝っぷりから想像に難しくない。
多くのおみくじを受け入れていたのは良かったが、それ故に木自身が弱ってしまい、溜めこんでいた禍がにじみ出てきてしまっているということだろう。
「でもどうしようかしら……こういうの意外と厄介なのよね」
「全部解いてやろうぜ、流石にこの状態ではあまり触りたくないが。霊夢が厄払い的なありがたい事をしてさ」
「おみくじの厄払いが簡単に出来たら苦労しないわ、一つに一人分の厄払いしなくっちゃ。もしくはまとめて焼くしか方法は無いのよ」
「火を付けるつもりか!?」
「まさか、やるわけないでしょ。沢山を一気に供養するのは難しいってこと。対人のお祓いは基本的に個に対してしかやれないのよ、だから人は厄を移した皆の物を集めて御焚きあげしたり、海に流したりして最後は破棄するの」
「へぇ、てっきり面倒だから横着してるのかと思ったぜ」
「まあそれは否定はしないけどね。幣帛とかも最後は焚き上げるし、人ってのは一つ一つ何かに移すのが精一杯で、後は神様なり自然に浄化して貰うのよ」
「幣とかも所詮は中継地点って事か、この木も元はじっくりと浄化するための装置ってわけだ」
「そ、ホント何でこんなの急に現われちゃったのかしら」
動かないのは良いが、こう数が多いと骨が折れそうだ。霊夢は肩を落とした。
その後、おみくじを一つまた一つ払って解くという地道な作業を行い三十個程解けたが、凶や大凶の嵐で開くと滅入りそうだった。途中から中を見るのは止めたが、木は僅かに小枝を見せただけで、先は長い。
「あー、もう駄目。集中力が切れた……続きはまた明日にしようかしら」
「厄介とか言いつつ地道に全部やるつもりなのか、お前にしては殊勝じゃないか」
「私はいつも殊勝よ。まあ、これは確実に人間がやったことだし、後始末くらいはしてあげたいと思っただけよ」
おみくじなんて下らない物の為に、こうして苦しむ必要なんて有る筈がない。もしかしたらこの木は、おみくじの呪縛から逃れるために博麗神社に来たのではないだろうか。
霊夢は軽く頬を叩き、もうひと頑張りしようと喝を入れる。
「私も何か手伝おうか」
「魔理沙が活躍できるのは魔法か飛ぶか火力でしょ」
遠回しに一人でやると伝えたかった霊夢だが、魔理沙は腕を組んでじっくりと考えていた。
その日は結局五十個ほどは解くことに成功した。
しかしまだまだ氷山の一角、長期でやらなくてはいけないだろう。
翌日、他をないがしろにするわけにもいかないので霊夢は里でおみくじを増し刷りして貰い神社に戻った。しかしそこには再び見慣れない姿があった。
緑の髪にやたらとフリルがついたリボンを身に着ける厄神。鍵山雛である。
霊夢は息を潜めてこっそりと様子を伺った。
というのも何故か雛は縄で巻かれ、その端は魔理沙が握っていて非常に怪しい。
面倒なことに成りやしないだろうか、と邪推が止まらない。どうやって声を掛けるべきなのか。
木陰で悩んでいると、雛と目が合ってしまった。これ見よがしにぴょんぴょん跳ねて何か魔理沙に告発しているので霊夢は仕方なく身を出した。
「あんた達神社で何してんの」
「何って霊夢を待ってたんだよ。厄神を連れてきたからな」
「そうよ、 なのに変質者みたいに木陰でコソコソして……」
「鏡見てから言って欲しいわね」
間違いなく簀巻き状態の奴の方が変質者だ。しかし魔理沙が雛を連れて来た意図は読み取れた。
「あの木の事で連れてきたのね。でももうちょっと運び方ってのがあるんじゃないの」
「近づくと良くないって言うから、これで吊るして飛んできた」
「宙でグルグル回っちゃって大変だったのよ」
「バランスがとりづらいのなんのって、やっぱり動くものを運ぶって大変だな、ははは」
魔理沙は武勇伝でも話しているかの様に言う。
「面白すぎる移動方法ね、呆れるくらい」
「それより早く噂の木を見せてよ」
雛は縛られたまま辺りを見回している。こんななりでも助っ人としては適材かもしれない。
二人と一柱の神でおみくじの木の前まで移動すると、雛は感嘆の声を漏らした。
「わぁ、これは凄いわね、よくぞこんなにも。感無量だわ」
「なんだか昨日より邪気が強くなってないか?」
「邪気って……でも確かに重苦しさが増してるわね」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせて同じように頷いた。昨日おみくじを解いた時より頭が揺さぶられるような、どうにも落ち着かない雰囲気が増強されていた。
少しではあるが原因を取り除いたのだから、良くなっても悪くなるような覚えはない。
「謎だな。こんな時こそ専門家だ」
「はいどうも。で、昨日とどう状況が違うのかしら」
雛は手品でも使ったのかいつの間にか解いた縄を手にし、木を一周くるりと歩いた。
「ええ、昨日も不安になるような禍々しさで酷い様に見えたけど、今思うとまだマシだったみたい。おみくじは昨日より減ったのに……」
雛はふーんと素っ気なく応えると、厭わずに木の幹を撫でた。
「昨日より酷いって事は原因が悪化したか、目的が進行したかよ。要するに、昨日に比べて木が衰弱して漏れが酷くなったか、恨み辛みに目覚めて悪い力が増しているか。どっちか或いは両方って所かな」
「恨み辛み……」
どちらもありそうな話だと霊夢は思った。ここまで他者に生を追い詰められたのだ、どうして恨まないでいられようか。深刻なのはどちらにせよ時間の猶予があるとは言いにくい事だろう。
「どうにかなるのかしらね……これ」
「寝覚めは悪いが焼き払ってしまうのも一考かもしれないな」
魔理沙が苦々しく言う。今の様子だと昨日のペースでは焼石に水であるし、二倍三倍でやれる自信も、それで安心という根拠も無い。本当に恨みがあるなら、暴発的に災いの種にもなり得る。
しかし、できれば燃やして解決というのは避けたいのが二人の本音だ。
それを見かねた一柱の神がうっすら笑って、枝のおみくじに触れた。
「考え込まなくても、私がこの木の厄を肩代わりすれば良い話よ」
「なんだよ、そんな事ができるなら先に言えよ」
魔理沙は気の抜けた息を漏らした。
「出来なくはないってだけ。でも今の私はこの木が持っている厄を全部受け持てるほどの余裕は無い」
「じゃあどうするのよ」
「先に私の厄を全部取っ払うわ、それで木の厄を受け止める」
霊夢は納得しかけたが、直ぐに頭を振った。それでは結局やることが木から雛に移っただけである。
「お前はどうやってその厄を祓うんだ、まさか焼身自殺するわけではないだろう」
「そうよ、どこかに厄を放り捨てたりしたら大変な事になるわよ」
雛はゆっくり厄を流しているらしいが、一気に投げ出したらどうなるかは未知数だ。木から漏れる厄を防ぐために別の場所を犠牲にしてしまっては意味が無い。
「わかってるって。だから解き縄をしようかと思う」
「ああ、解き縄……そんな事したらあんた消えちゃうんじゃないの」
「私は厄その物じゃないし、平気よ平気」
「解き縄ってのは、御祓いか?」
「同じような物だけど、焼いたり捨てたりしないのよ。まあ準備要るだろうから、やりながら説明する」
霊夢が手を前に出して催促すると、雛が持っていた縄を放り渡した。
「解き縄は神事でやることが多いんだけど、字の如く縄を解く御祓いみたいな物よ」
縄をハサミで五寸や三寸にいくつか刻み、霊夢は結ってある二本の素線一本一本をつまんで引っ張った。
当然縄は解けて元の素糸になる。
「こんな感じ」
「随分地味だな。でもお祓いみたいってのは、普通とちょっと違うって事だろ」
「穢れを流すとか移すんじゃなくて、解いてその場で消してしまう方法なのよ、お祓いというより分解に近い。火を使わず海にも流さない、人工物で完結できる珍しい方法ね」
「エコって奴だな」
「……うん、たぶん」
たぶん違うけど、面倒なので訂正はしない。結った縄を
「普通に祓うよりパワーがありそうだけどな、それを木にやれば一気解決じゃないか」
「んー、これは欠点があって……自祓しかできないのよ。だから妖怪退治とかにはまず使えないし、そもそも人の姿でないとできないわ」
「それじゃ木には無理か……所構わずに清めたりもできないって事だよな、ちょっと拍子抜けだ」
魔理沙は期待を裏切られたのか、少し残念そうに言う。
「穢れだって多少は必要だから、本来は自然に流してゆっくり清めるのよ。これはそれを無視したちょっとした裏技」
「裏技って聞くとありがたみあるな」
「でしょ?」
そうこう話しているうちに、姿を消していた雛が戻ってきた。
解き縄するのにリボンも無かろうということで、白無垢の装束に着替え髪も降ろしていた。
パッと見では誰だか分からないが、そこは神様、厄が渦巻いてるのが肌で分かり妙な威圧感がある。
「とても厄神には見えないわ、上手く化けたもんね」
「似合ってるくらいの言い方してくれても罰は当らないと思う……」
慣れないのか髪を邪魔そうに掻く雛に、霊夢は切った縄を見せた。
「長さはこんなもんで良いかしら」
「ばっちり。無駄に長くても仕方ないし、短いのでいいわ」
雛は三寸の縄を受け取ると端を口に咥え、にんまり笑った。
「咥えて解くのか、ちょっと間抜け面だな」
「体の中から清めるのよ。それにほら、口は災いの元とも言うし」
「口の悪いのが治るんだったら、幻想郷中の奴にやらせる必要あるだろ」
「あー、それは名案ね」
二人で毒舌な奴らを思い浮かべて笑っていると、いると雛も大きく頷いた。
喋れないのは欠点かもしれない。
雛は両手で咥えた縄の先を解きほぐし、二つの紐の端を摘まんだ。
ゆっくり引くと徐々に縒られた縄が解けていく。時間をかけて口まで解いていくと、やがて縄は無くなり二本の紐となった。
魔理沙が目を輝かせ素糸を見つづけるが、雛は放り捨ててしまった。
「もうおしまいよ?」
「なんだよもう終わりかよ。もっと地面が唸り暗雲立ち込め稲妻走って、ドッカーンとかないのか」
「打ち上げ花火じゃないんだから……」
「そんな派手だったら私が死んじゃうわよ」
「ん? なんかあんた……」
おどけて見せる雛が、二人には今までとは違う様に見えた。
厄のない厄神は何か欠けているというよりも、神と人の垣根を取り除いた、ただの人の様な親しみを覚える。
元を正せば人に成り代わって厄を受けるのだから、根本は限りなく人に近いのかもしれない。それでいて、何処か頼もしい。
「あんまり見ないでよ」
「ああ、つい……」
霊夢が興味深そうに眺めていたら、本人も違和感があるのか困ったようにはにかんだ。
「逆ならともかく神が人になるってのも面白いな、今のお前なら友達にもなれそうだ」
「厄を引き受けるなんてやめて、地味に普通に過ごしたら?」
「無理無理、そんな事してたら皆に忘れられてしまうだろうし、私は人間には向いてないって」
困った様に言う辺りがとても人間っぽい。雛は誤魔化すように「とにかく」と続けた。
「私が厄を引き受けるから、おみくじを外すのは皆でやるんだからね」
「あー、あれ全部解くのは面倒臭そうだ」
「ハサミ使う訳にもいかないしね、まあちゃっちゃとやりましょう」
雛を先頭に少女三人おみくじの木の元に向かった。何度見ても良い気はしない。
「さて地味に厄を引き受けるとしますかね」
雛は片手で自分の肩を揉みながら木に触れる。
そうしてふう、と息を吐いた頃にはもう厄神らしい風体に戻っていた。
「はい、おしまい」
「はやっ、地味……だけど凄いな、木の禍々しさはだいぶ減ったぞ。代わりにお前は近寄り難くなったな」
「私の方がこれでも漏れる量は少ないからね」
雛は解き縄をする前の状態に戻っていて、木の方はただ違和感のある木となっていた。
自然物であるのに人工物の様な無機質さが、違和感の根源なのだろう。今からそれを取り除かなくてはならない。霊夢は軽く息を吸った。
「流石は神様と言っておくわ。さあ、やっちゃいましょう」
枝を折らぬ様に、細心の注意を払いながら二人と一柱で優しく御神籤を解いていく。
下の方は何重も結んであったりと面倒だったが、上の方になると今度は顔を上げないといけないので辛かった。
「さくらんぼ狩りでもしてる気分だな」
「たわわに実ってるのは凶だけどね。こんなに嬉しくない行楽無いわ」
「あら、厄狩りなんて素敵な事言うじゃない」
雛だけ妙に楽しそうである。
飛ぶと上手く踏ん張れずに枝を痛めそうなので、上の方は台を持ってきて外した。
そうすると木の全貌が分かり始めたのだが、その痛々しさに霊夢はそっと目を伏せた。
「想像以上に弱ってるわね、この木……」
「だな、こりゃ酷い」
幹だけでは何とも言えなかったが、枝も全てミイラの様に干からびていて、見るのも忍びない。このままでは風が吹いた程度で、しなることもなく梢はただ折れて朽ちるだろう。
もう手遅れだったのだ。
今さらおみくじを外したところで、太陽の光や雨風に晒され余計に風化を早めるに過ぎない。
「こうなったのは昨日今日の話じゃないでしょ、貴方達が気に病むことないわ。それにこういう依代は打ち捨てられて終わりなのだから、こんなに手を掛けて貰えて幸せに決まってる」
雛は情緒無く満足そうに笑う。やはり神と自分たちとは少し感覚が違うなと二人は思うのだった。
全てのおみくじから解放された杉の木は、着ぐるみをはがされて二周りくらい小さく見えた。
木をこれからどうするか、それは一先ず置いて一仕事終わったので取りあえず一服しようとなり、霊夢が茶を入れて縁側に並んだ。
「植木の世話をしたんだ、菓子くらい出すのが常識だぞ」
「出してるじゃない」
「いつもの煎餅じゃないか。甘い物を出せ」
「そんな気の利いたもの……ああ、今日はあったかも」
霊夢は戸棚に入れてあった最中を持って来た。
「運が良いわね、一昨日頂いたのがあったわ」
「お、言ってみる物だな」
謝礼と一緒にもらった最中だった、あの木はどうなっただろうか。小さな幼木を守らんとしたあの木。早苗の竣工予定からするとまだあの場所に残っているはずだった。
霊夢がぼうっと考えていると魔理沙が最中をちまちま囓りつつ言った。
「しかし神木てのも大変なんだな、人に色々してくれるのは嬉しいが」
「そういや紫も外の世界で神木が良く切り倒されてるとか言ってたっけね。流石に無闇に倒すと祟るとか言ってたけど」
「山の巫女の話では木材欲しさに不届きな輩が御神木に除草剤を入れて、枯らしてしまうとかね。あれはちょっとやり過ぎ」
そう言えば紫もそんな事言っていたかも知れない。
雛は立腹なのか最中をがぶがぶと口に放り込んだ。やや詰め込み過ぎて頬が膨らんでしまっている。
「あんた達ちょっとは遠慮しなさいよ」
「ほっといたらお前全部食べるだろ。糖分過多で病気しない様に厄除けしてやってるんじゃないか」
雛もまた言葉を封じられつつ頷いて、屁理屈に同意を示した。
「ありがた迷惑な奴らね」
「冗談で済めばいいがな、それよりあの木はどうするんだ?」
「御神籤は後で適当にお焚き上げしちゃうけど……木はどうすべきなのか……」
「木も伐ったほうがいいでしょう、どの道もう駄目よ。放置して白蟻でも沸いたら神社が大変なことになるかもしれないし」
厄もとい最中を飲み込んだ雛が飄々という。相変わらずの白無垢なので、余計にドライな言葉に聞こえた。しかし間違っては居ないとも霊夢は思った。
「残念だが仕方ないか。亡骸は私がリースか杖にでもしてやろう」
「神社を白蟻の巣にする訳には行かないけど……でもその前に一つやらせて欲しいことがあるの」
十個ほどあった最中は結局三人でその場で完食してしまった。おなかを満たされた霊夢は社務所から植木鉢を持ってきた。
すらりと伸びた幹は途中に枝を作らず、幹の先から枝葉が分かれていて葉はツヤがあり瑞々しい。
「それは……南天か、どうしたんだそんなもん」
「一昨日、倒れていた木があってね、万が一に備えて用意しておいた苗木よ」
「まあ、余計なことを……」
雛が怪訝そうな目で南天を睨んだ。
「何でよ、木霊移しをやろうってだけじゃない」
「こだまうつし、ってまあ大体想像はつくな。あれだろう、大きな木を切る時にやる奴だ」
「そう、木の御霊を別の木に移してあげるの。この木は神木なんだし、その位はやってあげてもいいと思う」
「でもこいつ杉なんだろ、南天にしたら拒絶反応とか起きるんじゃ無いのか」
「同じ木が有れば一番だけど……止むをえず木を切る理由の一つは邪魔だからでしょう。違う木にしたいときは南天とかが選ばれたりするのよ」
へーと魔理沙は頷くが、納得いかなさそうに小さく首をかしげた。雛も相変わらず南天を睨んでいる。
「とにかくやるわよ」
「多分思ったとおりには成らないわよ」
「うーむ、考えてみたらこの木はきっと……」
魔理沙と雛が小難しい顔をしたが、霊夢は無視して二人の間を抜け、出したままだった台の上に鉢を置いた。それからゆっくりと御幣を振るう。
「社にまします大神の大前に恐み恐みも白さく──」
祝詞を読みつつ、木を想う。確かに木霊を移すのは基本的に生きている木を止むを得ず伐る場合だ。今回は木の方から勝手に来た上に、最初から死に掛け、そんな義理はない。
不運を取り去ろうと、人が使って使って使い潰してしまったのだ。毒を入れて木材にするのと同じとは言わないが、結果からしてみたら似たような物だ。願わくばこの木にはそんな悪い運命ではなく、木としてあるがまま生きて欲しいと思う。その為の木霊移しなのだ。
「まあこんな物でしょう、地味だけどね」
祝詞を読み終えると、木霊の抜けた杉は張り子の如く、見た目だけで中身は空っぽに見えた。
無事に木霊は移ったのだ、木霊もそれを望んでいた証でもある。
「いや、もしかしたら結構大胆な事をしたかもしれないぞ」
「大胆って、成功してるわよ」
「失敗はしてないだろうが、杉はどうするかだよ」
魔理沙は目もくれず指だけ、解かれたおみくじの方を向ける。
「もしかして、まだ人を恨んでるかもしれないって事?」
「それならそれで分かりやすいがな、もうちょっと面倒くさいかもしれん」
と魔理沙は思わせぶりに苦笑いした。雛もやれやれと肩をすくめていて、霊夢はのけ者にされた気分だ。
「何なのよ、言いたい事があるなら言いなさいよ」
むくれた霊夢がぼやいたその時。
──ありがとう──
と何処からともない若々しい声が境内に響いた。
霊夢がきょとんとしていると、雛が南天の方を見る様に顎で促してきた。
「木が喋った!?」
「言いたいことがあれば言えって言ったの巫女じゃない。飛びたきゃ飛ぶし、喋りたければ喋るのよ」
「木ってそんなにポテンシャルある物だっけか」
つまり杉の木霊らしい。霊夢は慌てて向き直った。
フハハよくぞ復活させてくれた、この愚かな巫女め……等と言って襲いかかって来ないとも限らない。固唾を飲んで次の言葉を待ったが、次に聞こえてきた言葉は実に柔らかく響いた。
─これでまたおみくじを結んでもらえるね─
それを聞いた霊夢は拍子抜けしたが、別の意味で虚を突かれた気分だ。思わず鉢に詰め寄った。
「なんでそうなるのよ、折角そうしなくて済むようにしたのに……」
「お人好しというか、木好しというかだなぁ」
「やっぱりねぇ」
魔理沙も雛もこうなるだろうと思っていた様だった。
「そういうつもりじゃなかったのに……」
これでは私がもう一度やれと宣告したみたいではないか。霊夢は胸に微細な痛みを感じつつ、唇を噛んだ。木はもう喋らない。
「貴女が望んだことは解ってると思うわよ。それで尚そうしたいって言うんだから、好きにさせたらいい、誰も損してないしこれはこれで正解でしょうし」
本当に好き好んでそんな役回りをやっているのだろうか。
「深く考えても仕方がないぞ。馬鹿だなって笑ってやればいいんだ、こういう奴はな」
魔理沙は言葉通り笑った。
腹の底は知りかねる。確かにそうかもしれないが、何だか笑うと負けた気がするので霊夢は精一杯のしかめ面を木に向けるのだった。
「まあともあれ一件落着って事でさ、そろそろあれを寄越せ」
何の脈絡なく魔理沙が手を揉みつつ、すり寄ってきたので、霊夢はしかめ面そのままに返事した。
「なによあれって」
「昨日のあれだよ」
「昨日のあれって何よ」
「今解いてたあれだよ」
「あぁ、おみくじ? ちゃんと補充したけど。もうここ片づけるからついでに持ってくる」
霊夢は乱暴に神棚を担いで社務所に向かった。人の善意を不意にされた気分に近かった。でも別に木霊移しをしろなんて誰にも言われていないのだから、何も言えまい。
相変わらず閑散としている社務所に神棚等を仕舞う。
それからおみくじの一番の引き出しを覗き、一番上のぴんと張った一枚を取った。
魔女なら水晶玉でも使えばいいのにと心の底で愚痴り、霊夢はじっと大吉を見つめた。
それから霊夢は再び御神籤を引いて見ると、やはり大吉が出た。
「みーちゃった」
突然声がしてびくっとして霊夢が振り返ると雛がまじまじと見ていた。
白無垢のせいで無駄に恐々しい。その目は嗜虐的でもあり玩具を見つけた子供の様でもある。
「何よ、おみくじ引いたら悪いの」
「別にー、わざわざ大吉引いてたからね」
「引けちゃうんだもの、しょうがないでしょ」
霊夢は眼を逸らして、懐におみくじを突っ込んだ。
「あの若杉が何で神社に来たか分かる?」
「おみくじを取って欲しかったんじゃないの」
「さっきの木の言葉を聞いたでしょ、そんな事思って無かったわ」
「まあ喋ってた内容からすると、あいつはおみくじ狂って事ね。早苗の所に出てくれても良かったのにな」
ちゃんとしたおみくじを引ける場所なんて博麗神社か守矢神社ぐらいだ、要はそこ目指して飛んできたのだろう。まだ見ぬ凶を探して。
「違うわ、もっと狙って来たはず。凶のおみくじを、凶のおみくじを引いて困ってる人を」
「それで博麗神社に来たって、魔の巣窟とでも勘違いしてんのかしら」
「巫女も凶のおみくじを引いたから来たのよ」
霊夢は驚き、懐に入れっぱなしだったおみくじを一つ取り出した。ずっと入れっぱなしだった凶のおみくじは落としたりはしていない。
「まさかあんたあの時見てたの?」
「見てない見てない、でも解ったのよあの木はね」
「だとしても私はおみくじなんて気にしてないわよ」
「木に絆創膏貼ったり、勝手に木霊移しする奴が居るみたいに、お節介やきたかったんでしょ」
雛はそう言うと回れ右して苗木の元に帰って行ってしまった。霊夢は凶のおみくじを眺めつつ頭を掻いた。
若木に結ばれていたおみくじは、確かにただの凶ではなく、悩み有る者が結んでいった物だった。そうでなけれ解くのに苦労することもない。きっとあの木はそういう人の前に現れてはおみくじを引き受けて来たのだ。
しかしおみくじの事をむしろ嫌っている自分が、その対象になってしまったとは。凶のおみくじに悩む人間、そんなふうに写ったとは。
でも本当は心当たりがある。大吉しか引けないのは凶を敢えて引こうとしないからだと。自分は強がって見せてもおみくじの事を気にしてしまう人種なのだと。
あの若木はそんな悩みの種である凶を引き受けるために、来てくれたらしい。
霊夢は凶のおみくじを小さく折って懐に戻した。
「はい念願の大吉よ」
「ふふ、これで新しいキノコの栽培は上手くいく気がするな」
魔理沙はピンとした大吉を手にすると小躍りした。
「そんな事でおみくじ引いてたの?」
「ばっか、お前、良いキノコ育てるのは難しいんだぞ。音楽聴かせたり電気流したりするんだ」
「酷いアメとムチね、それ本当にキノコの育て方なの」
「他にも水をやるときは霧状にしてやるのが良くて――」
キノコ育成論を適当に流しつつ、霊夢は苗木に寄ると懐からおみくじを取り出した。
雛が後ろから問いかける。
「結ぶの?」
「折角来てもらったんだしね、望み通り結んでやるわよ」
「話聞けよ、てお前それ……大吉じゃないか」
「ええ、そうよ」
霊夢は凶では無く大吉の文字を一瞥し、細く折った。今日引いた物と併せて二つ、南天の枝に緩めに結ぶ。
「素直に凶を結んだ方が喜ぶのに」
「それはどうかしらね、木は嫌なんて言ってないわよ」
「おい、そんな事したら大吉で喜んでる私が恰好悪いみたいになるだろ」
魔理沙は手にしたおみくじと南天を交互に見比べている。
「別にあんたは持って帰って良いのよ」
「いや、私も選別にやるよ。霊夢の大吉より私の大吉の方がレアだしな。おみくじの結果より、それまでの努力の成果が本当の結果を生むんだよ」
「急に格好付け過ぎだから」
「バレたか」
魔理沙は舌を出して照れくさそうにすると、おみくじを枝に結んだ。
「貴女達も大概お人好しね」
霊夢は枝を眺めた。この位であればまだ可愛い物だが、これから先どうなるか。
南天は少し経てば人知れず幻想郷の外に飛び出すだろう。そしてまた凶のおみくじを集めるのだ。今度は枯れたりしない様にしてもらいたい。普段は嫌いでどうでも良い大吉だか、今回だけはそのモチベーションに期待したいと霊夢は思った。
き本当はおみくじの事が嫌いなのではない。凶のおみくじもそこまで怖いわけでもない。無意識に大吉を引いてしまう自分を見るのが好きではないのだ。
この木は逆に、おみくじが好きというわけでもなくて、凶のおみくじを半ば義務と思って集めているだけだろう。だから、大吉が嬉しくないなんて事もきっと無い筈だ。
「霊夢さぁーん」
と、何処かで聞いた声がして霊夢が見てみると、案の定早苗が飛んできた。今回は急いでいる風では無い。
「あ、魔理沙さんも! 巷に怪しい妖怪が出たらしいんですけど、一緒に退治しに行きません?」
「一緒に退治って、暢気な事言ってるわね」
「丁度細々した作業に飽きてた所だ、霊夢も一緒に行こうぜ」
少し考えたが、ここに居てもする事があるわけでも無い。
「確かにちょっと暴れたい気分かもね、一丁片づけてやるわ。あんたも、此処はもう良いから適当に帰りなさいよね、一応よその神様なんだから」
雛にそれだけ言うと、三人で飛び上がって現場に向かった。
一人残った雛はしゃがみ込んで、楽しげに語りかける。
「私たちみたいな神は人の為に有るのにね、神心が分からないというか……。巫女は神様に向いてないわ絶対」
南天は風に小さく梢を揺らしていた。
物語の骨子から展開、登場人物それぞれの個性と魅力に至るまで全てが私にとって完璧でした
雛が神様やってる…
人と神様のふれあい。こんなお話が大好きで御座います
雛様可愛い。