私たちさとり妖怪は他者の心が理解できる。
人によってはこの力のことを羨むことがあるのかもしれないが、それは愚かな間違いだと私は言うだろう。
確かに他者の心とは時として知りたいと思うときはあるだろう。
周りからの自分への評価や価値、他人の思考は知れればそれだけ得になるときがあることは否定しない。
だがど想像してみてほしい。
もし、あなたの友人知人が心の内ではあなたに罵詈雑言を浴びせかけていたとしたら、どう思うか。
もし、媚び諂っている相手にあなたの心の悪態を知られてしまったら。
私たちはそんな恐怖とともに生きることを余儀なくされた種族だ。
そんな私たちに与えられる運命は、すべての思考する者たちから忌み嫌われるというものだった。
こんな呪われた種族にあこがれる者なんていない。
もちろん、今までの生の中で一切心に嘘を付かず、善なる心でしか思考をしなかった者ならこんな思いを抱かないかもしれない。
しかし、一体どれだけの者がこのようなことを語れるだろうか。
語れるはずがない。
生存本能に従い思考することのない獣や昆虫たちならいざ知らず。
つまるところ私はこの能力を呪っている。
いや、違うわね。
呪ったのは、周りの環境。
私たちさとり妖怪は、妖怪の割に身体的な力はあまり持ちあわせていない。
せいぜい人間と同じぐらいだろう。
なので自給自足だけで生活を成り立たすには一人では到底難しいことだった。
安定を求めるのなら、他人と交流を持たなければならない。
忌避されることを知りながら町に出て必要なものを買い揃えなければならない。
そして、私が呪った周りの環境。
頼らなければいけない存在は。
一番近くに住む種族は。
人間だった。
この世で最も貪欲で醜い出世欲にかられる種族。
心と言葉を一致させることがほとんどなく、故に私たちの能力を一番恐れ嫌う者たちが住む里だった。
私は毎日この醜い種族のもとに赴いて食材などを買いに歩いた。
この環境にも何年も続ければ慣れる、とは到底言えない。
言葉で語られるのではなく心で直接非難されるのだ。
口という媒体を介さずに直接痛みを受ける辛さは、私たち覚りにしか分からないだろう。
例えるなら、こちらは全くの無防備でみぞおちを殴られるようなもの。
ただ、私は人間に希望など持ち合わせておらず、その心にも幾分かは耐性がついた。
人間も私が最低限でしか接点を持たないことを知っていたので、心の内はどうあれ私に危害を加えることはなかった。
もしくは、近づきたくなかっただけかもしれない。
ところで、私にはこいしと言う妹がいる。
彼女は人間にあったことがない。
というよりほとんど外にも出していない。
出したとしても、人間と距離をとって建てられた私たちの家の周りだけだ。
もしこいしが人間と遊びたいなどといったなら、私は力尽くででも止めるだろう。
私はこいしを幽閉しているといっても過言ではないのかもしれない。
無論何の理由もなしに愛する妹にこんな残酷なことはしない。
私はこいしには穢れを知らずに生きてほしいと切に願っている。
世界の穢れを、醜さを、汚点をその一切を知らずに。
綺麗で、美しい世界にこいしを住まわせたい。
これはこいしの幸せを願ってのことなのか、それとも今は思い出すことのできない幼少期、穢れを知らなかった私がそれに触れた時に生じた叶わぬ願いか、それは分からない。
でも、これが私の、呪われた忌まわしい生の中で唯一の希望であり願いだった。
これが間違っていたのか、それは分からない。
いや、間違っていたのか。
でなければこいしが――私の生の中で一番大切で愛おしい妹が――消えてしまうことなどなかっただろうから。
「こんなものかしら」
私はもとより少しだけ膨らんだリュックを叩き、呟いた。
案外生活必需品というものは少ないわね。
珍しく労働をした私の体は少しだけ悲鳴を上げていたが、達成感があふれた私はそこまで気にしなかった。
「準備できましたか?」
外から女性の声が響いた。
私を地底へと追放するため交渉に訪れ、今まさにその道先案内人となる彼女の声が。
名前は確か…四季映姫・ヤ、ヤ…ヤクザさん。
何か外から殺気が発せられたような気がしますが気のせいでしょう。
「はい。…あ、いえ、もう少しだけ待ってください」
答えた私はリュックから取り出した紙と筆を手に机に向かい一筆認めた。
今は消えてしまった私の妹、こいしにあてた手紙を。
消えた。それは少し語弊のある表現かもしれない。
でもそれが一番今のあの娘をよく体現していると思う。
彼女は私の前から消えてしまった。
あの日を境に。
でも、もしかしたら…と、希望を手紙に託しておく。
内容は、私はもうこの家に住むことはないこと。
新しい家は地底にある地霊殿と呼ばれる建物であること。
それだけを書いた。
これ以上私は彼女に望むことはできない。
彼女に来てほしいと伝えることは、許されなかった。
本当は私のもとに戻ってきてほしい。
こいしのいない世界はひどく色あせている。
あの太陽のように明るい笑顔で、また私に生きる希望を授けてほしい。
でも私にはあの娘に償いきれない罪があるから…
「まだですか」
外の女性の声が再び耳に届いた。
その声は先ほどと同じ声色だけど、少しだけ急かさせるような威圧感が含まれていた。
「今行きます」
短く伝え、私は手紙を置き、リュックを肩にかけ外へ出た。
「お待たせしました」
外の女性へと謝罪をこめ頭を下げて私はそう伝えた。
「まあ、いいでしょう。…荷物はそれだけなのですか?」
綺麗な明るい緑色をした髪を大きく特徴的な帽子で覆い、紅白のリボンを付けた彼女――四季映姫――は、私の荷を見て少し驚いたような顔を浮かべた。
「ええ、この家に大切なものなどないですから」
そう、この家に私にとって大切なものなど何もない。
生活に必要だと思えるものを持ち出せば、私の旅支度は完了する。
その程度の価値しかこの家には残されていなかった。
何年も二人で住んでいたこの家には。
「そうですか、では参りましょう」
四季様はすでに私に興味をなくしたようで、一人歩みを進めていた。
私の監視、連行を行うはずの彼女が私に注意を向けないとは…
前を行く彼女のその力強さ、ふてぶてしさに私は恐れとも安心ともいえぬ感情を抱きつつ、彼女の後に続いた。
目指すは地底。
地上の者に疎まれ、忌避された者たちの住まう世界へと。
地底目指して歩き出して何刻かたった頃、私たちは目的の建物へとたどり着いた。
「ずいぶんと大きいですね、地霊殿は」
私は膝の笑いを抑え感想を述べた。
「あなたの仕事場はいくつかありますから、そこを目指しながら話しますね」
こちらを見もせずに、地霊殿へと入ってしまった四季様。
仕方がないので笑う膝に鞭打ち私も追いかけた。
ここに来るまでの道中。
私は好奇心や憎悪の言葉を聞かされた。
どうやら地底にはすでに私がここを統治する役目を授かったことが伝わっているらしい。
その突然の来訪者、侵略者にはふさわしい出迎えだった。
無法地帯をいきなりよそからやってきたものが統治するのだ、ああなるに決まっている。
「ここ、灼熱地獄跡では主に…聞いていますか?」
そんな声を耳が捉え、私は現実へと帰還した。
「ええ、聞いてます。書類作りに、鬼や怨霊たちの統治、そしてここ、灼熱地獄跡ではなにを?」
彼女は、聞こえているのならいいですと言わんばかりにまた前を向いて説明に戻った。
しかし、暑い。こんなところでも仕事か。
そのうち倒れるかもしれないわね。私虚弱だし。
まあ、倒れたら倒れたでいいか。
こいしのいないこの世界に私の生きる意味なんてないのだし。
「以上です。何か質問はありますか」
一通りの説明を終え、私と四季様は外に出た。
私は答えの代わりに沈黙を送った。
「…では、私は帰ります」
「はい。ありがとうございました」
業務的な挨拶が行われ、私と彼女は分かれた。
最後まで私を見ようとしなかったですね。四季様は。
まあ、さとり妖怪なんて見たくはないか。普通。
だけど彼女の中に今まで感じたことのない、普通でない感情も混じっていた。
彼女の心は常に私への同情で一杯だった。
なぜあそこまで私に対して負い目を感じていたんでしょうか。
結果だけを見れば明らかに私は黒だというのに。
そして彼女は当事者ではなかった。
つまり結果でしか判断できない立場なのに。
私は解決しない疑問に頭を悩ませ、すぐにそれを忘れた。
なんであろうと、どうでもいいか。
その一言で。
「は~、終わった」
私はたった今出来上がった書類をまとめ、机の端に置いた。
そして、大きく伸びをした。
ぱきぱきぺき、と小気味のいい音を鳴らす私の体。
しばらく音を楽しんだ後、また別の姿勢で筋を伸ばす。
ぺきぺきぱき。
また、いい音が鳴る。
少しは運動するべきかしら、なんて心にもないことを漏らしてまた悦に入る私。
一通り仕事終わりの娯楽に浸った後、私は机に突っ伏した。
することがない。
今日の仕事どころか今月分の書類整理まですでに終わってしまった。
かといって今から町に出るのも灼熱地獄跡に行くのもあまり乗り気にならない。
そしてこの地霊殿には娯楽のようなものは一切置いていない。
さてどうしたものか。
そんなふうに思考の世界に浸っていた私は、外の異変に気が付くのに一拍を要した。
外が騒がしい。
様々な心の流れが私の頭に流れ込んでくる。
私の能力は、町と少し離れたこの地霊殿にいる限り発動することはほとんどない。
というのにこの騒ぎは。
「さとりとやら、いるかい」
部屋の外から一人の女性の声が届いた。
心を見る限り町にいる鬼の集団がこの地霊殿を囲んでいるようだ。
そして今私に声をかけた女性はその集団のボス扱いの者らしい。
「扉は開いています」
無視して扉を破られれでもしたら後々面倒なことになるだろうからとりあえず答えた。
失礼するよ、と前置きをして、その女性は姿を現した。
流れるような金髪に動きやすような質素な服、そして何より目立つものは額にある一本の角。
「いきなりこんな無礼なことをしてすまないね」
彼女――星熊勇儀と名乗った――はひとまずこの非礼をわびた。
「わびなんてどうでもいいです。何用ですか」
私の問いに彼女は驚いたようだった。
「さとり妖怪は心を読むんだろう。それで分からないのかい?
彼女はおかしそうに、皮肉を込めて言い放った。
なるほど。私の能力に誤解があったのか。
「さとり妖怪は今相手が思い浮かべていることしか読めません」
当たり前だ。心を読むのだから心にないことなんてわかるわけがない。
そして今私の前にいる大柄な彼女には私に対し、ひょろっちいなこいつ、という思いしかなかった。
「なるほど、そりゃまた失礼」
くくっと笑んだまま彼女は言った。
「端的に言おう。私らはあんたを怪しんでいる」
顔を取り換えたように表情を変えた彼女は真面目顔で話を切り出した。
「いきなりよそ者が私たちの土地を治めるってんだ。反発が出ることぐらいわかるよな」
ああ、やっぱり。
私は言葉に出さずそうつぶやいた。
最初に私が地底に来たあの日。
ほとんどの者が私を敵視していた。
だからこうなる日が来ることも予想できた。
しかし実際起こってみると、めんどうなものね。
すでに彼女の心から今日のこれからを読んだ私は話の途中で立ち上がった。
「案内してください。その公開処刑場へ」
いきなりの私の行動に少し面食らった様子の彼女は、しかしすぐ体制を整え私に向き直った。
「わかった。ついてこい」
彼女とともに部屋から出た私に、外で待っていた鬼たちの視線が集まる。
恐怖、嘲り、激怒、憎悪、好奇心、様々な感情が私にぶつけられる。
私は内心ため息をつき前を行く彼女の背中を追いかけた。
「ついたぞ」
旧地獄街の少し開けた場所。俗に言う広場と呼ばれる場所へと私は案内された。
私の前には星熊勇儀が。
そして周りには鬼たちが囲んでいる。
外に出て数分、時間がたつにつれ私の周りを取り巻く鬼たちの姿は増え続け、ここに着いた頃には心のざわめきがあたり一杯を渦巻いていた。
「さて、もう内容は分かってるだろうがいちよう口頭で説明しておくぞ。でなきゃ気分的にやる気が出ない」
私に対してとも、周りに対してとも、自分に対してとも取れるものいいで彼女はこれからの流れを説明しだした。
いきなりの支配者に対し鬼たちは反発を抱いた。
ので、代表として星熊勇儀が私がこの地底を治めるにふさわしいかテストするということだ。
簡単に行ってしまえば気に入らない私を私刑にかけようということだ。
ただ、身体的強さでの争いでは明らかに私が不利ということで、能力の使用はありとされた。
そんなことされても無駄なのに。
「以上だが質問はあるか」
確認作業を終えた彼女は私に最終確認を申し出た。
私は代わりに沈黙を投げかけた。
「そうか、では始めよう」
彼女の言葉を合図に、一人の鬼が私たちの間に歩み出た。
開始の合図をするようだ。
「…はじめ!」
その鬼が合図を出した。
それを皮切りに彼女は私へと駆け寄ってきた。
始まってしまった。
勝ち目のない闘いが。
すでに私の目の前までに迫ってきている彼女の心を読み回避に移る。
最初の一撃は右手から繰り出される私の腹部一直線の拳。
彼女から見て右に動く私。
読み通り彼女の拳は私をとらえることはなく、代わりに空気を震わせた。
分かってはいたけれど化け物ね。
そんな関係ないことに思考を割いているうちに彼女は次の行動に移ろうとしていた。
体を右へと回しながら私をつかむため左手を伸ばす。
読んだ私は急いで後退した。
が、慣れない運動は私の思い通りに体を動かすことを許さなかった。
かわした私の足はもつれバランスを崩してしまった。
「捕まえた」
それを見逃す彼女ではなく、即座に向き直り私につかみかかった。
こうなってしまうと私には何の手立てもない。
心が読めて先が分かったとしても、かわせないのでは意味がない。
彼女の脳裏に私を地面へたたきつけるイメージが浮かんだ瞬間、背中に鋭い痛みが走った。
「あうっ!」
痛みが全身を支配しこのまま目を閉じそうになる。
しかし私は気を失いそうになる頭をたたき起こして次の攻撃に備える。
私の顔めがけた拳。
それを間一髪避ける。
外したとき彼女はなぜだか一瞬安心したような顔を浮かべた気がした。
その隙に私は体勢を立て直し、私を打つためにかがんでいる彼女の後ろへ回り込んだ。
そのまま、彼女の首に腕を絡め絞めた。
彼女は苦しそうに呻いた。
その時、私たちの周りを取り囲む鬼たちの声が大きくなったのを感じた。
その声には怒りが大半を占めていたが少し驚嘆の声も交じっていた。
しかし暴れる鬼を私が抑えれるはずもなく私の体はすぐに引きはがされ5メートル程吹き飛ばされた。
左半身が地面と擦れ、血が滲み出てきた。
やっぱり、私に勝てるはずがない。
彼女は私にゆっくりと近寄ってくる。
私を確実に仕留めるために。
それがわかっていながら、私の頭は回避することを考えていなかった。
こんなうるさいところが私の死に場所か、なんて、それを軽く受け止めていた。
理由は簡単、こいしが私の前にいないから。
私の唯一の希望で望みだったこいしが居ない世界で生きていたってしょうがない。
そんなふうに考えて、私の理性は目を閉じようとしていた。
しかし、私の意思に反して私の本能は生きようとしていた。
いつの間にか彼女にサードアイが向いている。
〈想起〉の力を使おうとしている。
私を殺すものの精神を破壊しようとしている。
「ダメっ!!」
私は思わず叫びサードアイを両手で抱きしめて体に隠した。
この力は絶対に使わないと決めたもの。
あの悲劇を忘れないための戒め。
こいしに対して私にできる唯一の償い。
これだけは破ることはできない。
死んだって守らなければいけない。
「…」
私の叫び声がこだましてから数拍、この場を静寂が支配していた。
彼女も足を止めて私を見ていた。
しかしその静寂はすぐに掻き消えた。
彼女の、星熊勇儀の言葉で。
「参った」
静かだったこの場に、その声はひどく響いた。
しかし、この場にいる者たちはその言葉を理解できなかった。
それは私も同じだった。
参った?
それはどういう意味なのか。
参った、とは一般的に負けを意味する言葉。
それをなぜ彼女が今口にする?
圧倒的有利な立場の彼女が。
今や静寂はどこかへ旅立ち、様々な声がこの場を支配していた。
混乱する声、唖然とした声、驚愕の声。
中には自分の耳がおかしいのかと周りに確認するものや、彼女に聞きに行く者もあらわれた。
参ったとはどういう意味なのか、と。
もしかしたら彼女にしか分からない意味があるのかもしれないというおもいで。
しかし、彼女は当たり前だろうと言わんばかりの態度で私たちの思っている通りのことを言った。
「私の負けだって意味に決まっているだろ」
むしろ、お前大丈夫か、とその鬼を心配する言葉まで付け足された。
「私はお前に能力も使っていいと話したはずだ。お前が圧倒的に不利だから」
周りのざわめきを無視するように彼女は説明しだした。
「だがお前は私の後ろをとった時、能力を使わずなぜか物理的な行動に出た。簡単に振り払われることぐらいわかっていたはずなのに」
「そして、さっきお前は私からその変な目を遠ざけた。私の攻撃を喰らっても上げなかった悲鳴まで上げて」
「その行為にどんな意味があったかなんて私にはわからないが一つ言えることは、私はお前に守られたように感じたということだ」
「負ければ殺されると分かっている勝負で私のことをかばったんだ。そんな奴をこれ以上殴れるわけないだろう」
彼女は周りから注がれる驚愕や敵意の視線にあきれたように肩を落とした。
「私たちがこの騒動を起こした理由は何だ?こいつを殺したかったのか?まあそういうやつもいるかもしれないが」
「本当の目的はこいつがこの地を治めるにふさわしいかを見定めるためだ。そしてこいつは十分な度胸を見せた。だから認めようと思う。意義はあるか?」
彼女の大きく力強い言葉を聞いた鬼たちは最初黙っていたが、一人の鬼が拍手を始めた。
それに呼応するようだんだんと人数は増えていき、音も大きくなっていった。
やがてすべての鬼たちから奏でられる音を聞いた彼女は手を上げそれを制止させた。
私の前に彼女が近づいてきたときにはまたもとのように静かになっていた。
「というわけださとり。これからよろしく」
彼女のその声に応えるよう鬼たちが歓声の声を上げた。
私の度胸を称える声、勇儀の度量の深さに感心する声、私に対する畏怖の念。
そんな、私が感じたことのない感情があたりを飛び回っていた。
「どうしたさとり、もしかして立てないのか?」
私が面食らっていると彼女が心配そうに手を差し伸べてきた。
「大丈夫です。ただ、慣れない状況に呆然としていただけですから」
私はその手をつかまずに立とうとし、痛みで左ひざから崩れ落ちた。
「無茶するなよ。地霊殿まで送ってってやるから」
「結構です。って何するんですか!?」
彼女は倒れた私を無理やり抱きかかえ、背中に乗せた。
「降ろして下さい!」
「それじゃ私はこいつ送ってくるから勝手に解散しといてくれ」
彼女は私の異論を無視して近くの鬼に話しかけた。
「それじゃしっかりつかまっていろよ」
「だから降ろして下さいって!」
そんな不毛な言い争いをしながら私たちは地霊殿へと向かっていった。
「結局なんでお前は能力を使わなかったんだ?」
地霊殿への道中、勇儀が私に話しかけてきた。
「さっきあなたが自分で言っていたじゃないですか」
「いやぁ、あの時はその場を取り成そうと思って言ったことだから、合ってたのかなと気になってな」
「つまり適当だったと?」
「半分本気で半分適当って感じだったな」
はっはっは!と、彼女はまるで冗談でも言ったかのように高笑いして答えた。
この鬼はなんなんでしょう。
さっきまでの真面目さはどこに置いてきたのか。
本当にさっきまでと同じ人物なんでしょうか。
「…理由はもっと別です。言うつもりはありませんが」
私は目を細めながら言った。
「そうか、まあいいや」
どうでもいいみたいに話を終える。
自分から話してきたくせに。
「なら、こちらからも質問していいですか」
「あ?そんなの一々断らなくてもいいだろ。なんだ?」
心を読んだ限り本心でそう思っているみたい。
さっきまで戦っていた相手なのにこのフランクさ。
鬼にとっては普通なのかもしれませんが、こっちとしてはあまりなれないです。
「なぜ私に対し同情の念を持っていたんですか」
「同情?」
そう、同情。
あの時は闘いに集中していて気付かなかったけれど、彼女が私に抱いていたものは間違いなくそれだろう。
「私を地面に倒して追撃を外したとき、妙に安心したような表情になったじゃないですか」
あ~あれかと前置きし、彼女は答えた。
「単純にお前がかわいそうだなって思ったんだよ」
「かわいそう?私が?」
「ああ。地上で何やらかしたか知らんがいきなりこんな無法地帯に押し込められて、しかも嫌われるような役職に着かされたお前が不憫に思えたんだよ」
…意味が分からない。
私が、かわいそう?
そんな感情向けられたことがなさ過ぎて理解できない。
「だからお前の行動にもよったけど、最初っからあんな感じに治めようって思ってたんだよ」
思ったより簡単に事が進んでよかったよ、と、彼女はまた高笑いをした。
混乱している私をよそに。
「…そう…ですか」
私に言える最大限の返答はこれぐらいしかなかった。
それぐらい余裕がなかった。
すべての者に嫌われる宿命のさとり妖怪である私にかわいそうだなんて。
どうやらこの星熊勇儀という鬼はかなり変わった鬼のようだ。
それからは私たちは話すことも尽き、また無言で歩いて行った。
少し移動したところで、私は何やら巨大な嫉妬の波動を感じ取った。
その凄まじさに私は、柄にもなく小さく震えた。
「ん?どうしたさとり?」
「いえ、その…」
私はそれが流れてきた方向へと目をやった。
そこにいたのは、少し小柄な体格にふんわりとした金色の髪を携えてこちらを睨んでいる女性だった。
「あの人は誰ですか?」
「ん、あーパルスィじゃないか」
私が指差したほうへ目を向けた勇儀はその女性の方へと向かっていった。
「こんなところで何してんだ?」
警戒する私とは裏腹に、勇儀はどんどん彼女に近づいて行った。
「勇儀、その娘が無事ってことはあんたの計画はうまくいったのね」
「まあな。何とかなって良かったよ」
…なんで彼女、まだ睨んだままで普通に会話できるんだろう。
それになんで勇儀はそれを気にしてないんだろう。
「あ、悪いさとり。こいつはパルスィっていうんだ」
私の怪訝な視線に気づいたのか、勇儀は私に説明をしだした。
今聞きたいのはそこではないですけど。
「水橋パルスィよ。よろしく古明地さとり」
相変わらず睨まれたままであいさつされた。
なんなの?この人は顔がこれしかないの?
「ところでなんでそんなに険しい顔してるんだ?パルスィ」
よく突っ込んでくれたわ勇儀。
というかやっぱりその顔素ではないのね。よかった。
「…」
無言で睨まれる私。
…あ、そういうことね。
心の声に集中してみれば一発で分かったわ。
つまり、私の現状が妬ましいと。
そういわれても私の故意ではないしむしろ私として一刻も早く降ろしてほしいのだけど。
でも都合の良い理由ができた。
これを使えば勇儀から逃れられるかもしれない。
ただ、どう言えばいいのか。
口に出したら絶対パルスィが面倒なことになるでしょうし。
「もしかしてさとりに嫉妬してるのか?」
あ、この馬鹿、やってしまった。
一発で地雷を踏み抜いてしまった。
私は恐る恐るパルスィの方へと目を向ける。
エルフ耳まで巻き込んで見事に真っ赤に染まってらっしゃる。
「な!?そ、そんなんじゃないわよ!何言ってるのよこの馬鹿!」
彼女が真っ赤な顔で勇儀に向かって怒鳴った。
まあこうなるわ。
いくら図星とはいえそんなこと人前で言われたらテンパるわよね。
勇儀は勇儀で、あれ、違ったかなんてのんきなこと言ってるし。
まったく。このままじゃ帰れなくなるどころか修羅場に巻き込まれそうね。
仕方ない。何とかしよう。
「勇儀さん。ちょっと聞いてください」
「なんだ?」
パルスィに聞こえないように耳打ちをする。
「ここまでくればもう地霊殿はすぐそこなので私を降ろして下さい。そしてあなたはパルスィさんをなだめてください」
「大丈夫なのか?」
「ええ。むしろここでパルスィさんに嫌われてしまってはせっかくあなたが私の印象をよくしてくれたのが彼女を中心に瓦解してしまいますから」
なんとか勇儀を説得してこの場から逃げる。
パルスィも嫉妬対象がいなくなれば幾分かは落ち着くでしょう。
彼女が今テンパっているのは私がいる場で本音を言い当てられたからなのだから、二人きりになって勇儀が適当になだめれば何とかなると思います。
ならなくても私には関係ありません。
「そうか?分かった」
勇儀はいまいち分かっていないようですがまあいいです。
私は勇儀の背中から降りて、急いでこの場を後にした。
まだ体中痛むけどこのままあの場にとどまるよりはましでしょう。
キャーキャーと騒がしい声を耳にして私は地霊殿へと向かって走り去っていった。
何とか地霊殿にたどり着いた私は、体の汚れを落として寝間着に着替えた。
そのままベッドにはいかず、キッチンでコーヒーを飲みながら一服していた。
「は~、疲れた」
今日のことを振り返ってみると、思わずため息が出る。
一月分の書類仕事、鬼との戦闘、ラヴコメ。
一日で済ますには少し濃厚すぎるわね。
明日は多分筋肉痛で動けないでしょう。
でも、それだけ面倒事を済ませた甲斐あってこれからは楽ができそうね。
鬼たちとは、今日の一件で反発も減ったでしょう。
仕事もひとまず落ち着いたし。
そんなことを考えつつ、私は飲み終えたコップを軽く水洗いしてキッチンを出た。
「相変わらず無駄に広いですね」
私一人しか住んでいないくせに地霊殿にはいくつも部屋があり、廊下も広い。
そんなところを一人で歩くのはなかなか落ち着かない。
早く慣れないと。
もう、地上での生活には戻れないのだから。
そう吹っ切れた私の隣で、もう一人の私が呟いた。
こいしが居てくれたら…と。
私はあわててその考えを振り払った。
何を言っている。
今さら戻れるわけがない。
こいしが許してくれるわけない。
落ち着かない足取りで私は自分の部屋に着いた。
もう、何もしないで寝よう。
本当は今日のことを振り返ってみようなんて思っていたけど、そんな余裕はすでになくなった。
さっさと扉を閉めてベッドにもぐりこむ。
もう一人の私が近づかないよう毛布にくるまって。
それでも不安な私は、枕を手探りで手繰り寄せ、体を丸くしながら抱きしめた。
そのまま何も考えず目を閉じて眠りに落ちた。
ベッドの上にあるもう一つの枕を見ないようにして。
―――こんな力いらない。
―――なくなってしまえばいいんだ。
―――そうでしょ?お姉ちゃん。
「待ってっ!!!」
私は自分の叫び声で目覚めた。
「…また、あの夢か」
夢。
こいしがサードアイを自分の手で閉じて、私の前から消えたあの日の夢。
私はこれを何度となく見せられてきた。
まるで私を許さないというかのように。
「…少し散歩でもしましょう」
今日も仕事はある。いつまでも悔いている暇はない。
気晴らしに散歩でもして、今日も乗り切ろう。
そう思い立ち私は寝間着から着替えることにした。
しかしその想いはいったん思考の隅に追いやられた。
私の足に当たった枕のせいで。
枕といっても自分の物なら何も思わない。
私のベッドには二つの枕がある。
一つは私の枕。
もう一つは…こいしの枕。
それが私の足に当たった。
この枕、私が持ってこようと思って鞄に入れたのではない。
いつの間にか入っていた。
そしてなぜか私はそれを、無意識に私のベッドに置いた。
どかそうと思ってもできない。何かに邪魔されてまたいつの間にかここに戻ってきている。
私に罪の意識を忘れるな、と咎めるためなのだろうか。
私のことを忘れるな、とこいしが言っているのだろうか。
「…ごめんさい」
何度もつぶやいた言葉をまた呟いた。
意味などない謝罪の言葉。
だれも聞いてくれない言葉。
…こうしていても仕方がない。
私は無理やり気持ちを入れ替えて着替えに移った。
地霊殿の周りならだれにも会わずにいられるだろう。
先日の一件ががあったとはいえさとり妖怪に会いに来るような物好きはいないから。
「…行ってきます」
私はこいしの枕から逃げるように部屋を後にした。
「?誰か居る」
散歩の経路が半分ぐらい過ぎたあたりで私は地霊殿の中に何者かの気配があることを感じ取った。
物取り?
そんなわけないか。
さとり妖怪の住処に忍び込むなんてリスクが高すぎる。
そもそも地霊殿に盗るようなものなんてない。
じゃあいった何が…
―――パリーン!。
「きゃっ!?」
何?何の音!?
急いで音のした方へ振り返ると、そこには魚をくわえた黒猫がいた。
「(見つかった!?逃げなきゃ!)」
そんな思考が流れてきたかと思うと、黒猫は私の横を通り過ぎ逃げていった。
「ちょ、待って」
私が口を開けたのは、その猫が視界から消えてからだった。
…まさか本当に盗みに入られるなんて。
戸締りしっかりしておかないと。
いや、それより割れた窓を何とかしないと。
はあ、めんどうくさい。
私は散歩を切り上げ地霊殿へと目指して歩いていた。
考えることは先ほどのこと。
盗みをするってことは多分野良猫だと思うけど、それにしては疑問点がある。
盗みに入っているくせに逃げる時に窓ガラスを割るなんてするかしら。
そんなわざわざ自分がいることを主張するみたいなこと。
そもそも逃げる時に周りを確認しないところもおかしい。
もしかして飼い猫だけど脱走したとか捨てられたとかかしら。
…まあ、考えても仕方ないか。見つかったからにはもうここには来ないでしょうし。
そろそろ地霊殿の入り口に着く。
いろいろあったけど気分転換にしては良かったかしら。
「わ、ちょ、暴れるなって」
ん。何か聞こえた?
しかも今の声は…
ああ、また面倒事に巻き込まれるのか。
私はあきらめ気味に声のした方へ歩いた。
行きたくはなかったけど。
なんでそこで騒ぎを起こすのかなあ。
「何をしているんですか勇儀さん。人の家の前で」
私はため息交じりに目の前の猫と烏をつつかれ噛みつかれつつ捕まえている鬼に話しかけた。
「おおさとり。ちょうどいいところに。助けてくれ」
「離してあげたらどうですか。嫌がられているだけのようですし」
困った顔で助けを求めてくる勇儀。珍しいもののような気がするけれど別にうれしくはない。
「いやそういうわけにはいかないって痛って!」
「(お空を離せ!)」
また噛みつかれてる。
この姿からはこの人が鬼の代表とはとても思えないわね。
あれ。この猫さっきの黒猫じゃない。
なんでこんなところで捕まっているのかしら。
「なんで離せないのですか?」
「説明めんどうだからお前の力で理解してくれ」
…ここまで私の力を利用とする人も珍しいわね。
まあ成り行きとはいえ首を突っ込んでしまったのだしそれぐらい協力しますか。
私は勇儀に絡みつく二匹の思考に邪魔されながらなんとか用件を聞きだした。
どうやら旧都のほうでペットが逃げ出したようだ。
そいつが勇儀に相談したからいちよう私の方にも連絡を知るためにここまで来た。
そして来てみればその逃げ出したペットがいたと。
まさか私の予想が当たっていたなんて。
「分かったか?」
「(離せでかぶつ!)」
「(離せ―)」
いつの間にか二匹とも地面に押さえつけていた勇儀が話しかけてきた。
「まあ大体わかりましたよ」
やはり私にとって面倒事だということが。
「それでどうするんですかその二匹」
いつまでも捕まえたままで動こうとしない勇儀。
「んー、こいつらを見つけるまではあいつのところに連れてこうと思ってたんだが」
あいつとは飼い主のことでしょう。
「思っていた。ということは今は違うのですか」
そうだな…。私の問いに一言漏らして考える素振りを見せる。
もちろん二匹とも押さえつけたまま。
ずいぶんおかしな光景ね。
「あいつのところにいたこいつらにも何回か会ってるんだけど、いっつもどこかしら怪我してたんだよな」
まるで自分に説明するようにうんうんとうなずきながら勇儀話し出した。
「でも今のこいつらは怪我してない。別にそれだけなら問題ないけど、あいつの性格を考えるとちょっと気になるんだよな」
思考をぐるぐる回しながら話すから速度かかなり遅い。どうやら頭を使う作業には慣れてないようね。
しかたない。手助けしましょう。
「ようはその飼い主が虐待していたのではないかということですね」
「そう!そういうこと!」
私が代弁すると勇儀は嬉しそうに私の発言に同意した。
心ではさとりってほんと便利だなとか考えながら。
ここまで私の能力を利用できるのは鬼の首領故か。いや単に能天気なだけなんでしょうね。
「あいつは別に悪い奴ではないんだけどな。よく媚を売ってる姿を見るからストレスたまる生き方してるなって思ってたんだよ」
またうなずきながら話し出す勇儀。
「それで私にどうしろっていうんですか」
「簡単なことだよ。虐待がほんとかどうか調べてくれればいい」
「どうやって…ああ、そういうこと」
「そういうことだ。頼んだ」
私はさとり妖怪。私に嘘は通じない。たとえ種族が違えど言葉が通じなかろうと。
「こいつら多分言葉ぐらい理解できるだろうからできるだろ」
「乗り掛かった船だからしますけどもし本当に虐待だったらどうするんですか」
「そんときはそんときだ」
何にも考えてないわねこの鬼。
仕方ない。さっさと済ませてしまおう。
「あなた達の主は虐待していたの?」
私は勇儀に押さえつけられたままでいる二匹に話しかけた。
もう暴れてはいなかった。
「(…してたよ。してたからあたい達は逃げ出したんだ!)」
「してたらしいですよ」
読み終えて私は勇儀へと視線を戻して聞いた通り伝えた。
後はこのお人よしが勝手にしてくれるでしょう。
やっと地霊殿に戻れる。
今日は…灼熱地獄跡の管理か。
よりによって一番面倒な仕事の日じゃないの。
「やっぱりしてたのか。しょうがない。さとり、こいつらを引き取ってくれ」
「は!?」
今なんて言ったこの鬼。
今日の仕事内容なんて比じゃないぐらい面倒なこと言ったように聞こえたけど。
「だって私が連れ帰ったらあいつに見つかるかもしれないだろ。そうなったら返さないといけないことになる」
ここならだれも来ないしちょうどいいだろ。なんて、屈託のない笑顔で話す勇儀。
「いや、無理ですよ」
「なんで?」
「なんでって、この子達すでに妖怪になってますよ。つまり自我があるってことですよ」
動物は私の能力を好いてくる。
でもそれは本能で生きるが故に感情を読まれることを恐れないからだ。
つまり妖怪化しているこの二匹は私の能力を好きにはならない。
「大丈夫だろ。また虐待されるよりはマシだろうから」
「全然マシじゃないと思いますよ。あなただって自分の考えが周りに漏れてたら怖いでしょう」
「漏れて困るようなこと考えてないから大丈夫だが?」
ちっ、この人なら本当にそうな気がして反論できない。
「じゃ、こいつらに聞いてみようか。それではっきりさせるってことで」
「…分かりました」
どうせ私は選ばれないだろうしいいか。
「おまえら今の飼い主かこいつ、どっちがいい?」
いまだに押さえつけたまま問いかける。
抵抗してないしいい加減離してあげたらいいのに。
「(…この人。まだマシそう)」
え、
「(この人かな。優しそうだし)」
ちょっと、
「なんて言ったんだ?」
「…前のほうがいいと」
とたんこの静寂の場に響く二匹の鳴き声。
「嘘ついたろお前」
「…はい」
「なんでそんなこと…まあいいや。じゃ、こいつらのこと頼んだぞ。あいつにはうまく言っとくから」
「…分かりました」
「(…お世話になります)」
「(よろしくお願いします!)」
私とプラス二匹がこの場に残された。
ただの散歩のはずが、どうしてこうなった。
二人との生活が始まって数日たった。
といっても私から何かをするということはほとんどなかった。
あの子達はすでに妖怪化しているから、しつけなんてしなくてもしてはいけないことくらいわかっている。
だから結局私は前とあまり変わらない生活のままだった。
お空が私にべったり懐いてくるのと、それを遠巻きに疑心感半分羨ましさ半分で眺めてくるお燐の視線が気になるぐらいで。
ただ、残念ながらそんな日常も今日までだった。
「聞いてんのかお前!」
「聞いてますよ。この子を返せって話でしょう」
私の前にいるこの男。
こいつのせいで私の日常は今非日常と化している。
こいつはどうやらあの子達の元の飼い主のようだ。
勇儀に押し付けられたあの日、偶然地霊殿のほうへ走っていくこの子達の姿を見ていたようだ。
まったくあの鬼、何が私がうまく言っとくだ。全然ごまかせてないじゃないの。
はあ、どうしよう。
別に私としては返してしまってもいいのだけれど。
でもそうしたら勇儀に潰されそうだしなあ。
それに今私の後ろで震えてる猫――お燐というらしい――を見捨てるというのも酷なものね。
「返せと申されても、この子があなたの猫である証拠はあるのですか?」
「はあ!?証拠だあ?そんなもんなくてもどう見てもそいつは俺の猫だろうが!」
しゃべり方乱暴だなこの人。
ペットに逃げられた怒りとすぐに返さない私への怒りと私への恐怖心でいろいろ限界になってるのかしら。
「そう言われましても、地底には多くの猫又がいます。そんな中どうしてこの子があなたの猫だと分かるのですか」
「自分の飼ってるペットぐらい見りゃ分かるわ!」
「ですからそれでは…」
「うっさいな。お前。なんやかんや言って返すのが嫌なだけだろ」
とたん男は立ち上がりいきなり私の胸ぐらを掴んできた。
「てめえ勇儀さんに気に入られたからって偉そうにしてんじゃねえぞ」
「そんなこと思ってません。ただ、この件はしっかりと話し合った方がいいと言っているだけで…」
私が話し切る前に男は私を思い切り壁に投げつけた。
背中に痛みが駆け巡る。
勇儀ほどではないにしてもこいつも鬼。力は冗談みたいに強い。
「別に俺は力ずくで取り返したっていいんだぞ?」
すでに力を行使してきたくせによく言う。
でもどうしようか。さすがに殴り合いになったらどうしようもない。
とは言っても、いつの間にか駆けつけて来た烏――お空というらしい――と一緒に部屋の隅で震えるお燐。
あんな風に怯えきってる二人を素直に渡すなんてできない。
さて、どうやってこの絶望的な状況を切り抜けようか。
「さとり、大丈夫か?」
いきなり玄関の戸が開かれた。
しかもこの声は…というかここに足を運ぶ人なんて一人しかいないわね。
「勇儀さん!?なんでここに」
星熊勇儀。私の力を恐れない常識外れな鬼。
「旧都のやつがお前が地霊殿の方に行ったって聞いたから見に来たんだよ。それにしてもずいぶん派手にやってんな」
「あ、いやこれは…」
勇儀の登場で一瞬のうちに男の勢いは消えた。
そういえばこいつはよく媚を売ってるなんて言ってたわね。
それなら勇儀には絶対頭が上がらないということか。
「何があったが知らんがこいつは私らの上司みたいなもんだ。あんまり暴力は振るわない方がいいと思うぞ」
「いやでもこいつが、私のペットを返さないから」
先ほどの喧嘩腰はどこに行ったのか。おどおどとしながら勇儀に言い訳をしようとする男。
「ペット?あの隅で怯えてるやつらか?」
部屋を一見し、お燐たちを見つけた勇儀がまるで初めて見たかのような反応をした。
「はいそうです。どう見ても私のなのにあいつが全然返してくれなくて」
と、いまだに痛みで倒れている私を指さす男。
まださっきのほうが本音でしゃべっていただけましでしたね。
必死に敬語で話して心では悪態をついているというギャップが吐き気をもよおすほど気持ち悪い。
「ふ~ん。でも私にもあいつらがお前のペットのようには見えないな」
「え、そんな馬鹿な。勇儀さんも私の家には何度か来てますよね?」
「もちろん。その時にお前のペットも見かけてたけど、もっとまだら模様があったような気がするんだが。青色の」
そう言いつつ心では巻き込んですまないと謝る勇儀。
器用なことしますね。
「いやそんな模様はないですよ私のペットに」
「そうなのか?でも私は確かに見たんだよなああの、青あざみたいな模様」
青あざ。その言葉に男が反応した。
「もしお前があの二匹を自分のペットと言い張るなら、脱走してから傷がなくなったってことだよな。つまりお前が…」
「いや違いますあいつら似てるだけで全然私のペットと違います!」
いきなり踵を返し失礼しましたと言い残して男は外に逃げていった。
「鬼は嘘吐かないんじゃなかったでしたっけ?」
「嘘は吐いてないから問題ない」
なんて、にかっと気持ちのいい笑顔で答えられる。
そういう問題ではないでしょうに。
「そんなことより巻き込んで悪かったな。痛かっただろ」
そして、いきなり真顔に戻って謝罪される。
調子狂うなあ。
「痛いなんてものじゃないです。それに今もまだ痛いです」
「そりゃお前が鍛えてないからだ。というか私を耐えれたんだからそこまでじゃないだろ」
「それとこれとは別ですよ」
ようやく痛みもそんな軽口をたたける程度に引いてきた。
「ほら、立てるか?」
そう言い手を差し出される。
「大丈夫です」
私はその手を取らず一人で立とうとした。
そしてよろけて壁にぶつかった。
「おいおい、無茶するなよ」
「っ大丈夫です」
体を支えられるけどそれを振りほどく。
「あの子たちに辛い様子を見せるわけにはいかないんですよ」
「あの子達?ああ、そういうことか」
私はなんとか平気そうな素振りで部屋の隅にいる二人に近づいて行った。
「(さ、さとり様大丈夫なんですか?)」
お空が私に心配の言葉をかけてくれる。
「ええ、大丈夫です。慣れてますから」
お燐は言葉を探してるようでまだ固まっている。
これが私が気丈にふるまわないといけない理由。
せっかく守ったのだからこの子達にいらぬ罪悪感を持たせたくない。
さっきはどっちでもいいなんて思っていたけど、せっかく一緒になったのだから守ってあげたくなるのは当然よね。
「(…なんであたいたちをかばったんですか)」
そうこう考えている内にお燐も口を開いた。
「なんで?家族を守るのに理由なんていらないでしょう」
「(!家族…)」
家族…か。
さっき別に返してもいいか、なんて考えていたくせによくもまあこんなことが言えたわね。
でも、実際にこの子たちを手放すかもしれないとなったとき、私はそれを認めようとしなかった。
もしかしたら私は一人になることが嫌だったのかもしれないわね。
今まではずっとこいしと二人だったから。
お燐はそれっきり黙っていた。
この子はずっと虐待されてきたから、家族なんて知らなかった。
唯一一緒だったお空は、自分が守らなきゃって思っていたから誰かに甘えることもできなかった。
実際あの男のところではお燐がいつもお空をかばって怪我してたらしいし。
だから今家族といわれて、甘えられる立場になって、いろいろ思うところがあるのでしょう。
「今すぐじゃなくてもいいからね」
そう言い私はお燐の頭を優しくなでてあげた。
「(…)」
「(あ、ずるい。さとり様わたしも!)」
「はいはい」
お空も撫でてあげる。
気持ちよさそうに目を細めた。
こんなことするのも久しぶりね。
…こいし。
こうしてるとどうしてもあの娘のことを思い出してしまう。
何かあの娘が失敗したりして落ち込んでたらこうやって頭を撫でてあやしていた。
あの娘がここにいればいいのに。
あの娘は動物が好きだった。
きっとこの娘たちのことも気に入るでしょう。
「(さとり様?)」
感傷に浸っていると二人が心配そうに私を見上げていた。
「なんでもないわ。大丈夫よ」
そういってまた撫でてあげる。
今はこの娘たちのことを考えよう。
せっかく守ってあげられたのだから。
「…私は帰るぞ。完全に忘れられてるみたいだし」
と寂しそうに言う勇儀の声が聞こえた気がした。
さとり様があの最低な男のところからあたい達を助け出してくれてから何日かたった。
最初あたいはさとり様をあの男と同一視して警戒していたけど、その疑いも晴れて、今ではお空と一緒にさとり様のペットになれたことを幸せに思っている。
でも、そんなあたいの生活は、順風満帆とは言えなかった。
その原因がこれである。
「さとり様。あたいに手伝えることってないですか?」
「あらありがとう。それなら地霊殿周りを見回りしてくれるかしら」
「…分かりました」
あたいは何度かこういったやり取りをしていた。
さとり様と生活を始めて気付いたこと。
それはさとり様のお仕事は大変なんだってこと。
何が書いてあるかわからない紙にハンコを押す仕事。
灼熱地獄跡?ってところの管理。
怨霊の統治。
ぱっと思いつくだけでもこんなにある。
だから、あたいたちを飼ってくれるせめてもの恩返しに何かお手伝いをしたいと思っているのだ。
でも、結果はこの通り。軽くあしらわれてしまって何も手伝えやしない。
何かをしてあげたいのにしてあげれない。もどかしさを感じる毎日。
…分かってる。あたいなんかじゃさとり様のお手伝いなんてできっこないってことぐらい。
人語を話せるようにはなったけど、姿はまだ猫のままなあたいではお仕事の邪魔にしかならないって。
分かってる…分かってるけど。
悔しい。
さとり様に何もしてあげれない自分が憎い。
せめて、一番大変そうな灼熱地獄跡の管理だけでも代わってあげられたら。
火車であるあたいと地獄烏のお空は暑さに耐性がある。
でも地上生まれなさとり様はそれがない。
あたいでも少し暑いなって感じるぐらいなんだからさとり様はもっと暑く感じてるはずだ。
そんな大変な場所に体の丈夫でないさとり様を行かせたくなんてない。
でも、そういってもさとり様ははぐらかして、結局あたいをそこに近づけてくれない。
…人型になれたらお手伝いできるのになあ。
なんて、いつなれるかもわからない妄想をする毎日。
「ただいま戻りました」
地霊殿を何周かし終えて、さとり様の部屋に戻ってきたあたいは、ベッドでグダってるお空を見つけた。
「あ、おりんおかえり」
「ただいま。何してんのさとり様のベッドで」
「きゅうけーい。さとりさまのにおいがしておちつくよ」
「休憩ってなにさ、あんたなんもしてないだろ。てかさとり様のにおい独り占めとか許さんあたいにも嗅がせろ」
「へ?ちょあぶな!」
あたいは言うが早いかベッドに飛び込び気持ちのいいふわふわの毛布に受け止められた。
…ほんとはお空にのしかかるつもりだったのに直前で避けやがった。
「なにすんのー」
と、お空の抗議の声が聞こえるけど無視。
今はこのさとり様のにおいを堪能しないと。
すー、はー。すー、はー。
香水なんてつけてないのになぜかいい匂いのするさとり様。
このにおいが何なのかわからないけど、例えるとしたらお母さんのにおい、かなあ。
子供のころの記憶なんてほとんどないからわかんないけど。
あったかくて優しくて、なんだかすごく安心する。
ずっとこのままで居たいとさえ思えてくる。
でも、さっきからお空が突っついてきていまいち感傷に浸りづらい。
「お空さっきから痛いんだけど」
「むしするから悪いんでしょ」
「いいから後でにしてよ。さとり様が帰ってくるかもしれないんだから…?」
あれ?
「お空。今日さとり様どこに行くって言ってたっけ?」
「え?たしか灼熱地獄跡じゃなかったっけ」
そう。今日さとり様は灼熱地獄跡に行くと言っていた。
でも、いつもなら遅くても正午にはあたい達と食事をするために戻ってくるはずなんだけど。
壁に掛けられている時計を確認する。
…午後2時。とっくに正午を超えてる。
「お空、さとり様が帰ってきたところ見た?」
「え、見てないけど…え、2時?」
お空もあたいの視線を追いかけて時計を確認した。
やっぱり2時なんだ。あたいの見間違いとかじゃなく。
…嫌な予感がする。
「お空!行くよ!」
「うん!」
あたい達は毛布を投げ捨てて走り出した。
目指すは灼熱地獄跡。ここらで一番暑いところ。
気のせいであってください、と願いながら。
「…ここは」
目が覚めた私の視界には見知った天井があった。
「おはようさとり」
すぐ隣で声がした。
まだ意識が朦朧としているけれどその声に聞き覚えがあることはすぐに分かった。
「…何があったか説明していただいても?」
私は彼女の方を振り向きながら言った。
彼女とは、この間勇儀とラヴコメしてた水橋パルスィのことだ。
「別にいいけどあんたなら心読んだ方が早いんじゃない?後、まだ動かなかない方がいいわよ」
またか。地底に来てから私の能力が利用されること多くないですか。
普通ならこんな能力嫌われるはずなのにあの鬼といいこの鬼といい。
「頭が覚醒しきってないので説明していただけると助かるのですが」
「あ、そう。まあいいけど。というか何にも覚えてないの?」
「そうですね…」
私は目覚めきっていない頭を動かして記憶を呼び覚まそうとした。
「灼熱地獄跡の管理をしていたところまでは覚えているのですが…」
そこからか…と、面倒くさそうにつぶやくパルスィ。
「あんた、失神してたのよ。熱中症で」
「失神?ということはあなたが助けてくれたのですか?」
勇儀ならともかくなぜこの人が地霊殿に?
「別に助けたくて助けたんじゃないわ。誰があんたみたいな奴のところに好き好んでいくのよ」
あいつを除いて、と苛立ちながらつぶやかれる。
いつも浴びせられるような悪態を吐かれる。
でもいつものような悪意のためではないように感じられた。
この感情は、嫉妬かしら。
もしかして勇儀がたびたび私のところを訪れるからそれで恨みを買われている?
…あの鬼はどこまで私に面倒事を押し付けてくるのかしら。
「この傷を見なさい。あんたの馬鹿烏に突っつかれたのよ」
そう言い彼女は右腕の袖をめくる。
なるほど確かにくちばしで突かれたような傷がある。
「お空が?なぜでしょう?」
「失神したあんたを助けるために私を呼んだのよ。その時に勢い余ったってわけ」
「それは…ご迷惑を」
「まったくよ。まあいいわ」
パルスィは袖を伸ばしながら話を続ける。
「それで連れてかれた先に倒れたあんたと猫がいたのよ。後は私があんたをここに運んで手当したってわけ」
苛立ちながら締めくくるパルスィ。
あんな風に大事に想われるなんて妬ましい、とか言いながら。
「なるほど。ご迷惑をおかけしましたね。そしてありがとうございます」
少し楽になってきた私は上体だけ起こして頭を下げた。
「礼なんていらないわよ。無理やりやらされたんだから」
と、悪態をつかれる。
でも、本気で苛立ってるわけではなさそう。
「あんたも自分の身の管理ぐらいちゃんとしなさい。あんたは良くても心配する奴らだっているんだから」
「そうですね。分かりました」
説教まがいなことをされる私。
案外面倒見がいい鬼なんですね。
「あんた見た目通り体弱いんだから、ペットも協力させたらどう?あの子らなら暑さにも強いでしょ」
「そんなわけにはいきませんよ!」
彼女の提案を即座に否定する。
そうするわけにはいかない理由があるから。
「どうして?人型になれないからと言って何もできないってわけじゃないでしょ」
「確かに彼女たちに手伝ってもらえればいくらか楽にはなるでしょうけど」
「あそこは怨霊がたくさんいます。そこらの幽霊なんかよりずっと危険な。そんなところに彼女たちを連れていけませんよ」
せっかくできた家族なんだ。危険な目に会わせたくはない。
もう二度と家族を失いたくなんてない。
「ふーん…つまらないわねあんた」
一瞬私は気圧された。
怒りのこもっているような彼女の声に。
「つまらない?どういう意味です」
「あんたが嫉妬するにふさわしくないからよ」
嫉妬?
全ての者に忌み嫌われるさとりにとって最も縁遠いといってもいいような言葉。
そんな言葉を吐かれるなんて。
「両思いなら何も問題ない。そんな奴だと思っていたのに、本当は片思いでしかないなんてね」
両思い?片思い?何を言っているの?
「あんたはあの馬鹿烏や猫に大切に思われてるくせにあんたはそれを返してない。ただ自分のしたいことをしてるだけ。そんなの誰だってできるわよ」
「な、私があの娘たちを大切に思ってないとでも?」
「だからそういってるじゃない」
なんて失礼な。
私の話を聞いてなかったのか。
「そんな訳ないじゃないですか。大切に思っているから危ないことをさせたくないと…」
「だからそれが自分勝手な思いだって言ってんのよ」
私の言葉がさえぎられる。
確実に怒りが込められた声量で。
「あいつらはそんなこと気にしてないわ。危険だろうがあんたが楽になるのならそれが一番いいと、本気でそう思っているのよ」
急に肩を掴まれ叫ばれる。
痛みはない。
「でもあんたはそんな気持ちに応えず、結局無理して倒れた。あいつらがどれだけ自分を責めたか分かってるの!?」
ただ、捕まれた肩から彼女の思いが伝わってくるような気がした。
「それは…でも、私だって彼女たちのことを思って…」
「片思いのなれの果ては不幸しかないのよ」
と、捕まえた肩を離しながら寂しそうに、悔しそうに呟いた。
「どこかの馬鹿みたいに、片思いを引きずって最悪の結果になるのなんて見たくないのよ。そんなの誰も得しない」
いつの間にか冴えていた私の頭に彼女の心が流れ込んでくる。
彼女が絶対思い出したくない、恐怖の記憶が。
「…ごめんなさい。そんなことを言わせてしまって」
「気にしなくていいわよ。自分で勝手に言ったことだから」
彼女はどこかすっきりしたような、吹っ切れたような声で答えた。
「そんなことより、あんたは自分のことを考えなさい。あんたの今しなければいけないことは?」
「あの子たちに謝る…ですか」
彼女の頭が大きく横に振られる。
さとりじゃなくてもわかるぐらいはっきりと否定された。
「いいえ。あいつらにもっと頼るようにすることよ」
頼るように…でも、やっぱり。
「私だってあの子たちを想う気持ちがあります。あの子たちを危険にさらすくらいならと考えてしまいます」
「それなら心配いらないわ」
自信たっぷりに彼女は答えた。
「さとり、妖怪は思いに依存するところが大きいって知ってるわよね」
「もちろんです」
妖怪にとって肉体の損傷はそこまで危険なことではない。
たとえ体が吹き飛んだとしても数日、力の弱いものでも数週間と休めば元通りになる。
妖怪は誰かの強い思いにっよって作り上げられた存在。
それは恐怖だったり愛情だったりと様々だ。
その思いが語り継がれていれば妖怪は死ぬことはない。
この世にその思いとともに縛り付けられるのだ。
しかし、そんな妖怪にも死ぬことはある
一つは弱点などを突かれ、完全に肉体が消滅したとき。
そしてもう一つは、その妖怪の存在理由が消えてしまったとき。
誰からも忘れ去られたり、その妖怪の存在が否定されると、どれだけの力を持っていようがその妖怪は消える。
逆に、多くの者がその妖怪を恐れたりすればそれに比例して妖怪は強くもなる。
外の世界に妖怪が少ないのは、化学が妖怪を否定してしまったから。
「それがどうしたのです」
「あいつらは十分強いのよ。あとは心が望めばそれは力へと変わる」
「?何の話です」
と、その時。部屋の外からドタドタとうるさい足音が響いてきた。
その音はだんだん近づいてきて、私たちの部屋の扉の前まで来た。
「パルスィさんさとり様の様子はどうですか!」
「さとり様まだ起きないですか!」
扉が開かれ、二人の妖怪が姿を現した。
一人は赤髪でおさげの少女。
一人は黒髪で長髪の少女。
どちらも私は見たことない。
「タイミング良いわね。ついさっき目覚めたところよ」
パルスィはこの二人のことを知っているみたい。
パルスィの知り合い?でもなんでこんなところに。
「パルスィさんは知っているのですかこの二人…」
「さとり様!ご無事でよかった…」
「さとり様大丈夫ですか?しんどくないですか?」
私の質問は二人に完全に阻害された。
「え、ええ。大丈夫よ。それより…」
あなた達は誰ですか、と聞こうとした私にパルスィが私のサードアイを指差していることに気づいた。
心を読めってことですか。
…!?
まさか、そんなこと…
「どうしましたさとり様?」
「やっぱりまだどこか具合が悪いんですか?」
まったく、それならそうと早くいっておいてくれればいいものを。
パルスィは心底楽しそうに私を見ている。
悔しい。ですが今回は不問にしておきましょう。
それどころではないですから。
「大丈夫ですよ。お燐、お空」
「ほんとですか?本当に大丈夫なんですか?」
お燐は私を心配するように訊ねてくる。
「ええ。心配かけましたね二人とも」
「いえ、そんなことは」
お空もお燐も私が無事だと分かるとほっとしたような表情を浮かべた、
けど、
「すみませんさとり様」
と、二人同時に頭を下げた。
「さとり様が大変だと分かっておきながらあたいたちは何もしてあげられず…」
私はお燐の言葉をさえぎって、二人を抱きしめた。
「わっ!」
同時に二人が声を上げる。
「謝るのは私の方です」
二人を強く抱きしめながら私は続けた。
「あなた達は私を助けようとしてくれたのに、私はその手を掴まなかった」
「あなた達の想いを分かっていながら無視していた。それがあなた達をどれだけ傷つけていたかも知らずに。いえ、知っていたのに理解しようとしなかった」
二人は黙って聞いてくれている。
「でも、私はようやく気付くことができた。私の愚かさを」
「こんな駄目な私に、これからもついてきてくれるというのなら、これからは一緒に生きていきましょう」
「っはい!!」
いつの間にか私も二人に抱きしめられていた。
強く、優しく。
こんなにも私を想ってくれていたというのに、私はなんて馬鹿なことをしていたのか。
でも、いいわよね。
これから協力し合って生きていければ。
「見せつけてくれて…妬ましいわ」
部屋から出ていくパルスィは笑顔でそう言っていた。
あたいは今、仕事が終わりルンルン気分で地霊殿内を歩いている。
時刻は午後7時。食事とかを済ませてちょっとしたらおやすみの時間だ。
そしてあたいはその時間のためにこの数日間を乗り切ってきたといっても過言ではないぐらい今日の夜が楽しみだ。
理由は…
「どうかしたのお燐。ずいぶん機嫌がよさそうだけど」
不意に後ろから声をかけられる。
あたい達の主の声が。
「さとり様!どうしたの、じゃないですよ」
「え、何がですか?」
あたいの鬼気迫る様子に少しおびえるさとり様。
かわいいなんて思ったら失礼なのかな。
「今日はさとり様と一緒に寝る日ですよ」
そう。これが今日あたいの機嫌がすっごくいい理由。
さとり様と二人っきりで寝るという素晴らしいご褒美のある日。
「ええそうね。でも昨日も一緒だったじゃない」
「何を言ってるんですか!それとは別ですよ!!」
またも少しおびえさせてしまう言い方になってしまった。
でも、これはさとり様が悪い。
心が読めるくせにあたいの真剣な気持ちに気づけてないのだから。
「昨日はお空も一緒だったじゃないですか」
あたい達の一緒に寝るサイクルは、一人で寝る、お空と寝る、さとり様とお空と寝る、さとり様と二人っきりで寝る、の四つで回っている。
だから、昨日と今日じゃ全然違う。
もちろんお空のことも好きだけど、さとり様のことも大好きだからこの四日ぶりの日がすごく楽しみで仕方なかった。
だってさとり様そんじゃそこらの奴らなんか比べ物にならないくらいかわいいんだから。
少しくせっげな紫髪も、整っていながら幼さが残るお顔も、園児服を彷彿とさせる洋服もすべてがかわいらしくて仕方ない。
「…その、ありがとうお燐」
「あ、いやさとり様これはですね…」
まずいちょっと興奮しすぎた。
心を読まれるんだからあんまり下手なこと考えて嫌な思いさせたらいけないのに。
「さ、さとり様はどうしたんですかこんなところで」
「え?…あ、そうそう。ご飯できたから呼びに来たのよ」
「そうだったんですか。では行きましょうか」
あたいはその場から逃げるように食堂に向かっていった。
これ以上あの場にいたら余計さとり様に不快な思いを抱かせることになるかもしれないと思ったから。
う~ん、心が読めるって便利だけど少し厄介だなあ。
「…また、あの夢か」
寝起き最悪な気分で私は目覚めた。
悪夢の内容は相変わらずこいしの夢。
何回見たってなれることのない苦痛が今日も私を苦しめていた。
でも、最近では久々かしら。この夢を見たのは。
お燐やお空と一緒に寝ていたからかここ何日かこの夢を見ることはなかった。
…あ、そういえばそのお燐は?
ベッドの周りに視線をめぐらせ、部屋を眺めてみてもあるのは見慣れた私の部屋だけだった。
お燐が私より早く起きるなんて珍しいわね。
まあいいわ。とりあえず着替えを済ませないと。
「あ、さとり様起きてましたか」
扉が音を立てずに開かれ、お燐が入ってきた。
「いつもこんなにお早いんですか。ちゃんと睡眠足りてますか?」
「え、ええ。お燐こそずいぶんと早いじゃない。」
お燐はすでに普段着に着替えていた。
手には、ついさっき入れられたであろうホットココアがあった。
「あ、これ飲みます?あたいは後でまた淹れますから」
私の視線に気付いたのか、お燐が少し遠慮気味に申し出てくる。
「いいえ。それはあなたが飲めばいいわ。それより今日は何かあったの?こんなに早く起きるなんて」
時刻は午前の4時。
いつもの私でも少し早いこんな時刻にお燐が起きるなんて普通ではありえない。
そう思い私はお燐に尋ねてみた。
「…ちょっと夜中にもよおしてしまって起きたんですよ。その時に…」
お燐は言いづらそうに言葉を濁していたけど、私の力を思い出して話を続けた。
「さとり様の寝言を聞いてしまったんですよ。とても苦しそうな、悲しそうな声を」
「…そうですか」
声に出ていたのか。私の嘆き。
お燐は私を心配するような目で見つめている。
「さとり様。あなたに何があったのですか。地上で一体どんなひどいことが。それにこいしって誰なんですか」
せき止めていた水があふれ出すように、お燐は私に質問攻めをしてくる。
私にとって触れられたくない過去の記憶について。
でも、
「…そこまで聞かれちゃったのなら、もう隠してもあなたが悶々とするだけね」
私はこいしのことを話すことに決めた。
お燐に問い詰められたから、というのもあるけれど、私自身誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
ずっと一人で悩んできたから。
誰かに相談できるなんて思ってもなかった。
だから、それができると分かってしまったらそれに甘えようとしてしまう。
弱いお姉ちゃんよね。ごめんなさい。
私は妹のこいしと二人で暮らしていた。
親はもうとっくに他界していて、私に家族といえるつながりを持つものは、このこいししかいない。
だから私はこいしに何不自由ない生活を送らせてあげるために様々なことをしていた。
こいしのほしいものはできるだけ手に入れたし、やりたいことも自由にさせていた。
ただ一つ、私の決めたルールだけを除いて。
私はこいしに許可なく家から出ることを禁じた。
こいしを人間に触れさせないために。
それ以外のことなら何でも叶えてあげたが、これだけは絶対に認めなかった。
一度だけ、こいしが外に興味を持ったことがあった。
だけど私は「絶対に駄目だ」と言って聞かせた。
ただ、私の見える範囲、つまり家の周辺だけなら外に出ることを許していた。
あの娘は生き物が好きなんだろう。
虫も動物も植物も…そして、人間さえも。
だから私はあの娘を外に外に出すわけにはいかない。
大好きな人間から裏切られるなんて、悲しい目にあわせたくないから。
「ただいま、こいし」
右手の荷物を地面に置き、扉を開けて家の中へと入る。
「おかえりさないお姉ちゃん!」
とたん元気で嬉しそうな声とともに私に飛び込む様に抱き付いてくる少女。
「きゃっ!?…もう、危ないから飛び込むのはやめなさいっていつも言ってるでしょ」
「えへへ、ごめん」
私はその少女の勢いに負け、しりもちをつく形で倒れた。
いつもと同じ小言を言うけれど、いつもと同じ答え、いつもと変わらぬ心が聞こえて結局次もこうなるのだろうなあ、なんて想像をする。
「さすがお姉ちゃんよくわかってる」
少女はにこっと笑みを浮かべて私の方を見る。
「…それを口に出しますか」
「だって意味ないもん」
「まあそうですね」
結局何の反省もしていない少女にため息をついてみる。
しかし、本心を読まれてしまうから演技だとすぐばれてしまう。
少女の名は古明地こいし。
私のたった一人の肉親で、大切な妹。
「そろそろどいてくれませんか」
いまだに私を押し倒したまま動かないこいし。
「え~もっとお姉ちゃんと一緒にいたい」
「今日はもう出かけませんから、ずっと一緒ですよ」
不満な声を上げるこいしに私は何とかなだめようとする。
こんなことを言っているけれど、私も本心から迷惑しているわけじゃない。
愛する妹の好意が嫌なわけがない。
「そりゃそうだけど、まださっきまで一人でいた分のサトリニウムが不足してるんだよ」
「サトリニウムってなんですか」
意味不明なことを言いつつ私を抱きしめ余計に動けなくするこいし。
「サトリニウムはお姉ちゃんからしか取れない私の栄養素だよ。これが不足すると動けなくなっちゃう。ちなみに一日の使用量は1億個」
「ずいぶん燃費悪いのですね」
意味不明な言葉に意味不明な説明を重ねられる。心の中ではなぜかどや顔で。
しかし、次の瞬間、こいしの心は真逆の模様になった。
「うん。だからずっと一緒にいようねお姉ちゃん」
不安そうに、顔を見せずに呟かれる。
私を包むからだは少し震えている。
「もちろんですよ。私は絶対こいしとずっと一緒です」
荷物を離しこいしを抱きしめてやる。
絶対に離さないように強く。
こいしの不安が少しでも減るように。
もう家族が私一人しかいないこいしにとって、私はこいしのすべてなのだ。
だからこいしに寂しい思いをさせるわけにはいかない。
こいしを守ってあげないといけない。
私の腕の中で震えるこいしを見つめて、その決意をより一層強めた。
「あ、今日の晩御飯何?」
突然体を離し私を見て何の関連性もない質問をする。
「ハンバーグですよ」
「ほんと!?やったー!」
こいしは立ち上がりその場で小躍りする。
気持ちの切り替え早すぎません?
まあ、そんなのは今さらな話ですか。
割といつもこんな感じですからね。
それに、いつまでも引きずって暗くなってるよりはこっちの方がこいしらしくていいですし。
「お姉ちゃんいつまで倒れてるの?買ってきたもの冷蔵庫に入れなきゃ」
そういって手を差し出される。
「そうですね。そろそろ入れないと痛んでしまいます」
あなたが倒したんでしょとは口に出さないでおいた。
出そうが出すまいがこいしには意味のないことだから。
「片方持つよ、って結構重いね。お姉ちゃんって見た目と裏腹に力持ちなの?」
「慣れただけですよ」
こいしとそんな雑談をしながら家の奥に向かっていく。
こんな日がずっと続けばいい。
こんなふうにこいしと一緒に楽しく暮らせる日々が。
それが私の細やかで一番な願い。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なんですかこいし」
今日もまたいつものように数日分の食料を買って家に帰ると、いつものようにこいしがじゃれてきたあと、いつもとは違う話を切り出してきた。
「人間ってどんな生き物?」
「!…」
人間。
その言葉がこいしから聞かされるなんて。
「…なぜ、そんなことを知りたいのですか」
「う~ん。たまにお姉ちゃんの心から『人間』って聞こえてくるから、なんとなく気になって」
「なら、今すぐ忘れなさい」
「え?」
こいしは私の態度に驚いたのか、間の抜けた声を出して私の方を見てきた。
人間のことは忘れなさい。
二度目は口に出さずに言った。
こいしの心を疑問の声が埋め尽くす。
なんで?と。
「何でもです。いいですかこいし。絶対に人間と関わりを持とうとなんて思っては駄目です。外に行きたいのなら連れて行ってあげるから」
「う、うん…」
あまり納得はしていないようだけど無理やり押し通した。
こいしには人間との関わりを持たせるわけにはいかない。
何があろうと絶対。
この娘に辛い思いなんてさせるものか。
この日の生活はひどくつまらない、静かなものとなった。
「ただいま」
今日もまた買い出しに行ってきた。
人間のところに何度も足を運ぶのは嫌だけど、自分で狩りできるほど身体能力に自信もない。
それに、身近な動物は大抵こいしのペットになっているから余計に手が出せない。
少しだけ不便だけど、私が我慢すればいいだけだしまあいいかなんて思っていた。
そんなことを考えていたせいか、違和感に気づくのに時間がかかった。
こいしが飛び出してこない。
いつもならとっくにこいしに押し倒されているのに、今日はそもそもこいしが来ない。
でも、家にいないわけではない。
さっきからこいしの心の声が聞こえている。
なぜか私におびえているような声だけれど。
何かあったのかしら。
「こいし、どうしたの」
家に入り、台所を通り過ぎるついでに荷物を置いて、私はこいしのいる居間にやってきた。
「お…おかえり、お姉ちゃん」
こいしは私が来ることを分かっていたはずなのに驚いたように背中を跳ね上げてこっちを見た。
心には焦りと恐れ、それに罪悪感が入り乱れていた。
「なにかあったの」
「な、なんでも…」
ないとは言い切らず口を閉じた。
そんなこと、言ったところで何の意味もなさないと分かっているから。
こいしが私の質問を受け止めた時点でもはや手遅れなのだから。
一瞬浮かんだその言葉を、私に覚られるよう必死に消そうとするこいし。
忘れろ、考えるな、と。
だがその言葉は一瞬だったが私にはひどく心に残るものだった。
「…人間にあったのですか」
「!う、うん…」
居づらそうにうなづくこいし。
私はわざとらしくため息をついて、こいしに問いかけた。
「どこで、どうやってですか」
「…家のすぐ近くで」
一度ばれてしまったものはごまかしようがないと思ったのか、こいしは観念して話しだす。
家の近く?そんなところまで人間がくるなんて。
「その、迷子だったみたいで、それで…」
「気にかかって話しかけた、と」
こくり、と小さくうなずく。
「で、でも、あの子そんな悪い子じゃないと思うんだけど…」
「黙ってなさい」
普段とは違う声色におびえたこいしはもう何もしゃべらなかった。
どうしよう怒られる、と焦るこいしの心の声が聞こえてくるが、私にはそんなことをしている暇はない。
どうやってこいしを守るか、ただそれだけを考えないと。
人間が私のことを気味悪がっても何もしてこないのは、ある意味信頼関係が結ばれているからだ。
何年も人間の町に来るくせに一度も人間を襲ったことのない私を人間たちは嫌悪はするが殺そうとまで考えるものは少なかった。
そして、そう考える者たちは、私の怒りに触れることを恐れた町の人間に諭されあきらめる。
だからこそ、私たちは警戒され疎まれながらも今まで平和に暮らせられていた。
だが、人間の子供に手を出したとあらばそんな関係は消え去る。
すぐにでも私たちを殺そうと専門の武器や人材を集めることだろう。
「私あの子に何もしてないよ!」
私の思考はこいしによって中断させられた。
つい口を滑らせてしまったからか、こいしは慌ててその口を閉じた。
「事実は人間が作ります。たとえこちらが無罪だったとしても関係ありません」
うちの子供が妖怪に連れ去らわれた、と誰かが騒げばどれだけこちらが否定しようがその子供が否定しようが誰も聞く耳を持つことなんてないだろう。
「とにかく、もう絶対に人間には近寄らないこと。これを約束しなさい」
「……」
「こいし!」
「…だ」
「え?」
「いやだ!」
はっきりとした拒絶の声。
それは、何度も聞かされてきたもの。
だが、こいしからは一度もなかったもの。
「なんでそんなこと言われなくちゃいけないの!?私はただあの子と遊びたいだけなのに!何も悪いことなんてしてないのに…」
こいしは自分の力がどれだけ嫌われるかを知らない。
私が絶対に近づけなかったから。
この娘に与えた生物と触れ合う機会は私たちを好む動物たちだけだった。
だからこんなことが言えるのだ。
何も知らないが故に、世の不条理を嘆いているんだ。
そうなったのは、私のせい。
だから、私が何とかしないと。
「…こいし、あなたに真実を教えます。私があなたから隠してきたものを」
え?と、地団駄を踏んで泣いていたこいしは私の方を見た。
「ただ、これは酷く心を苛むものです。できればあなたには見せたくない。でもあなたがどうしてもその子に会いたいと願うなら、覚悟を決めてください」
少しの恐怖心と好奇心がこいしの心を支配した。
そして、それでも人間に会いたいという思いが現れた。
「…仕方、ないですね」
私は自分の心に〈想起〉した。
ここでは絶対に考えないようにしていた、外の世界について。
その光景は異質なものだった。
いや、人間にとっては当然なのかもしれないが。
町を歩く少女。ただ歩いているだけの少女。
その少女に対しすれ違う人々は様々な言葉をぶつける。
化け物、恐ろしい、気味悪い、怖い、帰れ、消えろ、………死ね。
少女―――古明地さとり―――は何もしていない。
ただ、買い物をしているだけで、何も悪事などしていない。
ただ、覚り妖怪というだけだった。
それだけで、人々は忌み嫌い、恐れ、恨みをぶつける。
気味悪がり逃げるもの、言葉を思い浮かべる者、叫びわめくもの、石を投げつけるもの。
そのすべてを一身に受け、家路につくさとり。
反撃するでなく、逃げるでもなく、ただただ、帰路をたどるだけ。
それでも人間は、さとりがまた現れるなら同じことをするだろう。
何度も何度も彼女の心を抉るだろう。
それが覚り妖怪というだけで…
「うそ…だよ…」
こいしが呟いた。
今の私の記憶が信じられないといった意味で。
「嘘ではありません。これは実際に起こっていることです。あなたならわかるでしょう」
私は自分の心を〈想起〉した。
そして、こいしはそれを読んだ。
だから、今の映像に嘘はあり得ない。
それは、同じ覚り妖怪であるこいしが一番よくわかること。
「でも、あの子は私のこと分かってもこんなこと言わなかった」
「子供は純粋です。親の教育によってはそうなる人もいますが、年を重ねるごとに結局周りと同じになっていきます」
そんな人間も何度となく見てきた。
「これで分かったでしょう。もう二度と人間には…」
「違う!こんなの違う!!」
「こいし!?」
バタンッ!と扉がいきよいよく開かれた。
こいしが逃げ出した。
おそらく、こいしの会ったという人間のもとへ。
「待ちなさい!っ!」
すぐに追いかけようとするが、胸を刺す痛みに邪魔をされた。
「〈想起〉の力、甘く見すぎた…」
〈想起〉は対象のトラウマを見せつける技。
自分に使えばもちろん自分のトラウマを心に焼き付けることとなる。
心が弱ければ精神が破壊され、強くてもしばらくまともに動くことなんてできやしない。
そしてそれは私も例外ではなかった。
今の私の精神は非常に不安定になっていた。
少しの衝撃で壊れてしまうほどに。
だから、私の体が意思に反して動けなくなった。
「早く!早く動け!!でないとこいしが…」
私は少しの間蹲り、何とか動けるようになった瞬間よろける足でこいしを追った。
私がこいしに追いついたとき、町の空気はいつもそれとはまったく別のものになっていた。
弓や剣で武装した人間の大人たち。
ただ立ち尽くしているこいし。
こいしと大人たちを遠巻きに見つめる野次馬たち。
そして、おそらくこいしの会ったという少女が女性の腕の中で暴れていた。
その女性は殺意すら感じさせるような剣幕で子供をしかりつけている。
武装した大人は少なく見積もっても20以上。
多分この町のほとんどの男が集まっている。
まさかこれほどまでに早く警戒されるなんて。
いや、それよりもこいしのほうが心配だ。
こいしは先ほどからこの光景に圧倒されている。
生まれて初めて直接ぶつけられる殺意に立ちすくんでいる。
とにかくこいしを連れ出さないと。
私は走った。
しかし、判断が遅すぎた。
大人たちの一人が矢をつがえていた。
もう数秒もないうちに矢は放たれるだろう。
「こいし!危ない!」
こいしとの距離はそう遠くない。
しかし家からここまで走り続け、今もまだ〈想起〉の影響で足元がふらついている私では到底間に合わない。
それでも私は走った。
無理して足が砕けようとも、たとえ私が命を落とそうともかまわない。
こいしだけは守りたい…!
そう強く願った。
何に願ったのかは分からない。
私たち覚り妖怪に願いを叶えてくれる神なんていない。
それでも私は祈った。
震える足を振り上げながら。
矢はまだ放たれていない。
まだあきらめない。
矢が空気を切る音が聞こえた。
間に合うなんて思わなかった。
できるわけないと分かっていた。
のに、なぜか。
矢は私の肩に深々と突き刺さっていた。
「大丈夫こいし?」
あまりの痛さに気を失いそうになった私は、しかし倒れず、こいしの安否を確かめた。
振り返った私が見たこいしは、かつてないほどにおびえていて、とても口が利ける様子ではなかった。
ただ、どこにも矢は刺さっておらず、血も出ていなかった。
それだけで私は安心した。
そして、私の意識は、別の感情に支配された。
目の前の人間たちは、私の登場にさらに怯えていた。
再び矢をつがえ、剣を持った大人は今にも私たちめがけて突撃しそうだった。
だが、私の心を支配したものは恐怖ではなかった。
今の私にあるものは。
私が今まで発したことのない怒りと、殺意だけだった。
少しの間、私の意識はなくなった。
しかし何が起きたのかは、目の前の惨状だけで十分把握できた。
それは、まるで地獄絵図のようだった。
全ての人間がひざを折り、倒れ伏し、意味のない、言葉にならない悲鳴を上げていた。
あるものは泣き叫び、あるものは地面にのたうち回っていた。
そして、あるものは、何の反応も示さず、ただ、倒れていた。
全ての人間に共通しているのは、この場の人間はもう、人間じゃなくなったという点だった。
言葉を話すこともできず、歩くこともできない。
ただ、その場で自らのトラウマによって精神が壊れるまで嘆き悲しむだけの存在となっていた。
私の力で目の前の人間たちの…いえ、違うわね。
私の読心の範囲は、こんな田舎町程度なら包み込んでしまうくらいはある。
だから、この惨状は今目に映っている程度なんかじゃない。
この町の全てに広がっているのだろう。
私が殺したのか。
いや、そんなことよりこいしは?
振り返ってみても姿はない。
「こいし?どこに行…っ!」
見回すため足を動かそうとする私の意思に対して、私の体がまた反抗し地面に崩れ落ちた。
胸のあたりと肩にそれぞれ違った痛みが走る。
肩の痛みはさっきの矢による傷の痛み。
それなら胸の痛みは?
答えはすぐに分かった。
自分への〈想起〉の代償に重ね、町の人間すべてに対して「想起』を使った反動で私の精神はボロボロになっていたのだ。
それらの痛みによって、もう私の体は動こうとしなかったのだ。
でもそうはいかない。
まだこいしの安否を確認できていない。
それまでは何があっても寝てるわけにはいかないのよ。
私は動かぬ体に無理やり力を込めて体を起こした。
とたん眩暈や立ちくらみに襲われたが、何とか歩けそうだった。
とにかくこいしを見つけないと。
有りえないだろうけどまだ正気の人間がいるかもしれないから。
決意を固め私はこいしを探すために歩き出した。
何とか足を速く動かそうとしても、いつもの半分の速度も出なかった。
一歩踏み出すだけで世界が揺れ、痛む肩と胸が私を倒そうとした。
それでも私は歩き続け、なんとかこいしを見つけることができた。
「なにしてるのですか」
こいしは私が近づいても反応を示さなかった。
ただ、何かを抱いて泣いていた。
「大丈夫で…」
「来ないで!」
私の言葉を遮りこいしは涙を流したまま叫んだ。
その剣幕に私が怯み、思わず立ち止まるとこいしはまた何かを抱いてわんわん声をあげて泣いた。
しばらくそうした後、こいしは涙を流しっぱなしにして、抱いたまま私をにらんだ。
「なんでこんなことしたの」
泣きつかれ枯れた声で、それでも確実に怒っていると分かる声で尋ねられる。
「あなたが危なかったから…」
「だからってこんなになるまでしなくていいじゃん!」
こいしは枯れた声を張り上げ叫んだ。
「それにこの子娘までする必要なんて…」
こいしはまた先ほどのように人間だったもの抱きしめた。
こいしの抱いているそれは、こいしと遊んだという少女だった。
少女はもうすでに精神が壊れ、その瞳は何もとらえず、その体はもう動かなかった。
その顔には青あざがあり、恐怖に歪んでいた。
「なんであの人間が矢を放つのが遅れたか知ってる?」
落ち着いたのかこいしは少女だったものをいまだ離そうとせずに抱きしめながら話した。
内容は私も疑問だったこと。
でも、今は何となく予想がついていた。
こいしがなぜこんなにも嘆いているのかも…
「この子が邪魔してくれたからだよ。だからもたついて射るのに時間かかったんだ」
ああ、やっぱりそうか。
考えれば分かることだった。
少女が捕まっていたのは、私たちをかばおうとしたからなのだろう。
少女の顔のあざは、きっと邪魔をしたから大人に殴られたのだろう。
そこまでして私たちをかばってくれた子を私は…
「この子は私たちのこと嫌ったりなんかしないよ。分かってくれる。なのに…こんな…」
こいしの声は涙にかき消され続かなかった。
うめき声はもうかなり数が減っていた。
静かになった空間に、こいしの声だけが大きく響いていた。
肩の痛みはもうなくなっていた。
あれから数日がたった。
こいしは部屋に閉じこもり、一度も私とは会ってくれていない。
ただ心の声だけが今もこいしが家にいることの証明だった。
私は今日も扉の前に座っていた。
この数日間私はここから動いていない。
ずっとここでこいしが出てきてくれることをただ待っていた。
食事も睡眠もとらなかったから何度か意識が飛んだりもした。
そして目覚めたらまた同じよう、待つだけの作業をし続けた。
でも、こいしはでてきてくれなかった。
変化があったのは、こいしが閉じこもってから10日余りたった時だった。
急にこいしの心の声が聞こえづらくなった。
例えるなら、電波の悪いところでラジオをつけた時のあの、とぎれとぎれに聞こえる時と同じような。
そんなことは普通有りえない。
私たちの能力に電波なんてものはもちろん関係がない。
体調や年齢によって衰えたりするものでもない。
私たちが生きている間ずっとこの呪われた力は健在なのだ。
ならば一体これはどういうことなのか。
「(…く…ろ……閉じ……!)」
だんだんとひどくなるノイズにこいしの声はかき消されていた。
何があったの、と問いかけても返事は帰ってこない。
扉にも鍵がかかって開けれない。
とても嫌な予感がする。
何か、このままだとひどく後悔することになるような。
そんな予感がした。
「こいし!開けなさい!」
扉をたたきこいしを呼ぶ。
返事はない。
ならば、と私は数日ぶりにこの場所から移動しキッチンから椅子を持ってきた。
今までは使うことが憚られていた最後の手段。
もっとも強引でこいしの心を無視した行為。
でも、そうはいっていられない。
そんな余裕はもうない。
私は椅子を弱った腕で持ち上げ――
――扉にたたきつけた。
数回その行動を繰り返し部屋に入った。
その瞬間私の鼻が異常を訴えた。
部屋には鉄――ちょうど雨の日の鉄棒――のような臭いが充満していた。
床に何か赤黒いものが水たまりのような液体が広がっていた。
その中心に、こいしは居た。
「お姉ちゃん」
こいしが両手でサードアイをいじりながら話しかけた。
「あんないい子ってほかにいないと思うんだ」
こいしの指は、赤黒く染まっていた。
「だから、私たちの方から好かれるようにならないとって考えたの」
サードアイが血を涙のように流していた。
「それで思いついたの。考えてみれば当然のことなんだけど」
こいしの指がサードアイに触れる。
「こんな力いらないって」
また、サードアイから大量の血があふれ出した。
「なくなったら、きっと私もお姉ちゃんもあんなひどい目に合わなくて済むんだよ」
こいしの心はノイズだらけでもう何も聞き取れなかった。
「そうでしょ?お姉ちゃん」
ザクッという今まで聞いたこともない嫌な音が聞こえた。
その瞬間、この部屋の主は私の前から消えていた。
「それから閻魔さまがやってきて、私をここへと追放したんです」
私の長い話は終わった。
お燐は終始黙って聞いてくれていた。
心までは、そうとは言えなかったけれど。
「…さとり様にとってこいし様というのは、とても大切な存在なのですね。だからさとり様はいつもつらそうな、苦しそうな表所を浮かべていると」
「顔に出ていたかしら」
「それなりに長い付き合いですから分かりますよ」
そういうものなのね。
できるだけ隠してきたつもりだったのだけれど。
「その枕が二つあるのもさとり様がこいし様のを持ってきたからですか?」
お燐はベッドにある二つの枕を指さす。
「違うわ。あれは私も意識しないうちに持ってきていたもの。多分こいしが私のことを忘れるな、といいたいから持ってこさせたのだと思うわ」
「え、さとり様はこいし様と会ってないのでは」
お燐から疑問の声が上がる。
「いいえ違うわ。こいしはサードアイを閉じると同時に、心も閉じてしまったの。無意識になったってことね」
「心が無だと私でも読むことはできないわ。だから、枕一つくらい私に気づかれず入れるくらいこいしにとっては訳ないのよ」
お燐は半分納得、半分疑問といった感じで、そうですか、と呟いた。
でもお燐が私に聞きたいことはこれだけじゃない。
もっと別で、お燐にとっては重大なことがある。
「ですからこいしを見つけることは不可能です」
「え?」
だから先にできないと断っておく。
お燐に無駄に期待して裏切らせるなんてことしたくない。
せっかくできた家族にそんなむごいことはしたくない。
「あなたは私のためにこいしを探そうと思っていますね。でもそれは無理なんです。だから気にしないでいつも通りでいてください」
「なぜ、無理なんですか」
「あなたは町ですれ違う人の顔を覚えていますか?誰かと話していた時後ろにいた見知らぬ人のことを覚えていますか?こいしはそういう存在になったのです」
こいしは嫌われないためにサードアイを閉じた。
普通有りえないその願いを、神か何かは曲解して叶えてしまった。
感情までもを一緒に閉じ、無意識になったこいしは無意識であるがゆえに誰の意識にも残らなくなってしまった。
その結果こいしは嫌われなくなった。
それどころか、喜ばれることも悲しまれることも怒られることもなくなった。
誰もこいしを気に留めなくなったから。
「…ずいぶんと詳しいですね。まるで調べたみたいに」
お燐に諦める気はないらしく、まだ話を続けようとする。
その気持ちは嬉しいけれど、今の私には厄介なもの。
「さとり様もこいし様のこと捜したんでしょう?でも無理だったからあたいを止めようとしている」
「…そうです。あなたまであんな絶望を味わうことなんてないのですから」
「でもそれじゃああたいが納得できません。あたいはさとり様に幸せになってもらいたいんです。お空とあたいを救ってくれたさとり様に恩返しがしたいんです」
「…なら、何もしなくていいです。私は今でも十分幸せで…」
「そんな訳ないじゃないですか!」
お燐が急に声を荒げた。
私は驚いて、思わず体を震わした。
お燐はそんな私の様子を見て一瞬申し訳なさそうに顔をゆがませたがすぐに引き締めた。
「さとり様はさっき言ったじゃないですか。こいし様がいなくてつらい、と。それなのにどうして今自分が幸せなんて言えるんですか」
お燐は口調を戻し、でも強く私の偽りを非難した。
お燐たちと一緒にいて幸せじゃないのかと聞かれれば、そんなことはないと自信をもって答えられる。
でも、ここにこいしが居てくれたら…と、どうしても考えてしまう。
私にとってこいしは私のすべてだった。
だからこいしのいない世界で私が完全に幸せを感じれるかと聞かれれば、無理だと答えるほかない。
お燐はそのことを言っていた。
「さとり様はさとり様なりに捜し、諦めたのでしょう。それならあたしもあたいなりに捜します。もしかしたら見つけられるかもしれないでしょう」
「そんな都合の良いことなんてありません。お願いですからやめてください」
「嫌です。何もしないままあきらめるなんてしたくありません。たとえ見つけられなかったとしてもあたいは後悔しません」
お燐は私の言うことを聞こうとしていなかった。
今までは絶対に私の指示に従っていたのに。
心では命令無視することを拒む部分もあるようだけど。
でも、それでもお燐は自分の意思を曲げようとはしていなかった。
もう私にはどうすることもできない。
お燐を説得できない。
「…分かりました。好きにしていいです」
「!本当ですか」
「ええ、あなたの満足いくようにしなさい」
どうせ無駄になるでしょうけど、とは口に出さなかった。
お燐ももう重々承知だろうから。
「では今すぐにでも捜索したいので特徴とかを言ってもらえないでしょうか」
「ええ、いいわよ」
私が答えるとお燐は、ちょっと待ってくださいね、とポケットに手を突っ込んでメモ帳とペンを取り出した。
ずいぶんと用意のいいこと。
「とは言っても私だって最後に見たのはかなり前だから変わっているかもしれないけど」
と、前置きして私はこいしの姿を思い浮かべながら説明した。
薄く緑がかった癖のある灰色のセミロングの髪。
白目部分が少ない緑の瞳。
鴉羽色の帽子がお気に入りで、薄い黄色のリボンがついている。
上の服は、黄色い生地に二本白い線が入った緑の襟にひし形の水色のボタン、そして黒い袖。
スカートは緑の生地に同じような白線が二本入っている。
胸の近くには私と色違いで、青色のサードアイがあった。
多分今は無くなっているか眼が閉じていると思う。
忘れているなんてことはなかった。
こいしのことをいつも考えていたから。
こいしと生き別れてからの何年もの間、こいしへの愛情も罪悪感も忘れたことはなかった。
「…分かりました。それではお空にも少し話してから行ってきます」
「ええ、お気を付けて。それから…」
「?なんですか」
「…見つけられなかったとしてもあなたはちゃんと帰ってきてね。あなたも大事な家族ですから」
「!はい。分かりました!」
お燐は意気揚々として出ていった。
…なぜ私はあんなことを?
あんなことを言えばお燐のやる気に火がつくことくらい分かっていたのに。
気持ちと現実の落差をただいたずらに大きくする行為でしかないというのに。
あれが私の本音だというの?
どこまでも卑怯なやつね。私は。
自分で達成できなかった目的をあの娘に押し付けるなんて。
ごめんなさいお燐。
…がんばって。
「…ていう娘見かけてないかい?」
お空にしばらく地霊殿に帰らないと伝えてからあたいはまず旧都の方へと足を向けた。
その途中、たまたま歩いていた勇儀とパルスィにこいし様の背格好を説明してみた。
「私は知らないわ。勇儀は?」
「いや、悪いが私にも心当たりはないなあ」
二人の時間を邪魔したせいかもともとの性格か、パルスィは不機嫌そうに。
勇儀は申し訳なさそうに答えた。
「そっか、じゃあまた別の人に聞いてみるとするよ」
あたいはそう言ってこの場を立ち去ろうとした。
早く見つけてさとり様を喜ばせてあげたいし、ここにいるとパルスィの嫉妬が怖いし。
でもそんなあたいの行動は勇儀の一言によって止められた。
「あ!ちょっとまったお燐。思い出した」
「にゃっ!?」
いきなり大声を上げる勇儀にびっくりしながら振り返ると、パルスィが耳をふさいで勇儀をにらんでいた。
あたいの距離で少し耳に残るんだから間近で聞いたパルスィにとっては、うるさいどころか痛かったんだろうな。
「あ、いやすまん。ってそうじゃなくてだな。心当たりがあるんだよ、お前の言ってたやつに」
「え、それ本当かい?!」
まさかこんな早く手がかりが見つけられるなんて。
案外簡単に済むのかな。
それならいいけど。
「ああ、確か旧都の仲間の一人が言ってたんだ。娘が変なこと言うって」
「変なことって?」
「娘がほかのだれも覚えてない友達がいたんだ、って何回も言っていたらしいんだ。数年前の話らしいがそのせいで一時期周りから変な目で見られるって相談されたことがあったんだ」
覚えてない友達?
確かこいし様は眼を閉じて無意識になったってさとり様は言っていた。
何人かの子供と遊んでいたこいし様のことを、偶然その子は覚えていたってことかな。
子供には子供だけの友達――イマジナリーフレンドだっけー―ってのがいるって聞いたことあるけど、もしかしてそれの正体ってこいし様なのかな。
まあなんにせよ、その子には一度会ってみたいな。
「勇儀、その子に会わせてもらえる?」
「ああ、分かった。今から案内しようか」
「ありがとう。助かるよ」
「…まあいいけどね」
隣にいたパルスィが突然呟いた。
怒っているような悲しんでいるような、何とも思っていないような声で。
「っとすまんパルスィ。今日は…」
「気にしないで。あんたの性格は知ってるつもりだから。ただ、代わりにまた近いうち付き合いなさいよ」
そう言い残しパルスィは去って行った。
「分かった。明日また会いに行くからな」
勇儀はパルスィに聞こえるよう大きな声で言った。
あたいの耳が痛くて何を言ったかは聞こえなかったけど、パルスィはすこし嬉しそうな顔をしてた。
「それじゃ行くか。ってどうしたんだ」
「いや別に、何もないよ」
痛む耳を気にしつつあたいは勇儀を追って歩いた。
勇儀の案内のもとあたいはその子と話をすることになった。
最初は初対面のあたいに警戒していた彼女だったけど、今まで誰もまともに取り合ってくれなかった話を聞いてくれるという期待が勝ったのか、かなり詳しく話を聞けた。
でもあんまりいい情報はなかった。
とりあえず背格好を説明したところそれに間違いないようで、こいし様のことだったということが確かにはなった。
しかし、肝心のこいし様を見つける方法も、なんで彼女だけがこいし様のことを覚えていたのかも分からなかった。
だからあたい達は彼女の友達にも話を聞きに行くことにした。
でも収穫はなかった。
彼女の友人は誰一人としてこいし様のことを覚えているどころか、まだそんなこと言ってるの、とあきれる人すらいた。
あたいと彼女はあきらめ、落胆して家に帰った。
あたいは社交辞令もそこそこに彼女から立ち去ろうとしたその時、突然彼女が声を上げた。
何かあったのかと聞くと彼女は思い出したと、眼を見開きあたいの肩を強く揺さぶった。
もう一度、今度は何を、と聞くとこいし様と初めて会ったときのことを、と答えた。
彼女は子供のころ自分を含め五人でよく集まって遊んでいたらしい。
ある晴れた夏の日のこと、彼女たちはいつものように集まって遊んでいた。
そしてかくれんぼをしていた時に、今思い返すと奇妙なことがあったのだという。
おにになった彼女はほかの四人を見つけた。
でもなぜかその場にいた全員が、まだ一人いると言ってその一人を探すことになった。
そして彼女が最後の一人、こいし様を見つけたという。
それから彼女は何度かこいし様と遊んだらしい。
六人であったり二人きりであったり。
そこが、他の友達とは違う点だった。
あたいは話を聞き終え、お礼を言ってその場を後にした。
彼女が覚えていてほかの友達が覚えていない理由。
それは、彼女だけがこいし様を意識して接していたという点だ。
他の四人はいつものメンバーにいつの間にか混じったこいし様とは何度か遊んでいたようだが、こいし様と二人で遊んだことはなかったという。
でも彼女はこいし様を意識して見つけ出し、その後もこいし様と二人きりで遊んだことがあった。
だから彼女にだけこいし様の記憶が残っていたんだ。
彼女だけがこいし様を「すれ違う見知らぬ人」ではなく「仲の良い友達」として接していたんだ。
つまりこいし様の捜し方は「こいし様を意識すること」だ。
無意識なこいし様を意識して捜すことによってあたいの記憶から抜け落ちないようにすれば、見つけることができるかもしれない。
「無意識」を「意識」して捜すって何か変だけど。
でもやっと手に入れた手がかりなんだから何とかやってみよう。
後はこいし様がどこにいるかだけど。
これには見当がついている。
こいし様は嫌われたくないから眼を閉じたんだ。
誰に嫌われたくないのか、それは人間の子供に決まってる。
人間の子供がいるところといえば…
目的地は決まった。
方法も分かった。
後は実行するだけだ。
最初はできるか半信半疑だったあたいの心に、今は期待と希望が差し込んでいた。
待っててくださいさとり様。
きっと成功させて見せますから。
「夕ちゃん見っけ!」
「あ、くそう見つかっちゃった」
「全員見つけられちゃったかあ。すげえな花子」
「えっへへ~。次何して遊ぶ?」
「え~と。ってもう空暗いじゃんか」
「あ、ほんとだもう帰らないと怒られちゃう」
「んじゃ今日はこれくらいで、明日また遊ぼうか」
「そだね、じゃばいばーい」
「うん、ばいばい。私も帰ろ。あ、ボール片づけておいてね」
子供たちは暗くなったそれを見上げて大急ぎで帰っていく。
最後に残っていた子もボールを私に任せて帰って行った。
女の子から離れたボールが空しく地面を転がり、私の足に当たった。
今日も私は誰にも意識されず遊んでいた。
無視されるわけではなく、でも気づかれることもなく。
私の願いは叶えられた。
誰も私のことを嫌わなくなった。
でもそのかわり、誰も私を意識しなくなった。
…これでいいんだよね。
これが私の望んだこと。
そのはずなんだけど。
なんでかそのことを意識すると、胸が苦しくなる。
感情も捨ててしまったはずの私の心が痛む。
…もうここから離れよう。
早くどこか寝床を確保しないといけないし。
今日はどうしようかなあ。
「そこの御嬢さん。暇ならあたいと一緒に遊ばないかい?」
声がした。
ここには私しかいなかったはずなのに。
私は辺りを見渡した。
そこには、いつの間に現れたのか猫耳の少女がたっていた。
他には誰もいない。
「捜したってほかには誰もいないですよ」
その少女は私の心を読んだかのようにまた私に話しかけた。
「なんで、私のことが見えるの?」
私は今も能力を使っている。
誰にも意識されず誰にも気づかれないはずなのに。
なんでこの猫耳少女は私を見て私に話しかけられるの。
「あなたのことを覚えていた子がいましてね。その子からあなたの見つけ方を聞いたんですよ」
私のことを覚えていた子?
そんな子がいたの?
それに私の見つけ方だって?
いやそれより、なんでこの少女は私を捜しているんだろ。
「申し遅れました。あたいはさとり様のペットの火焔猫燐。よくお燐って呼ばれます」
「さとり…?もしかして」
「古明地さとりですよ。覚えていますよねこいし様」
古明地さとり。
覚えていないはずがないその名前。
私の、たった一人のお姉ちゃん。
そのお姉ちゃんのペット?
…ああ、そういえば見たような気がする。
私自身無意識に自分のしたいことをしてるせいかあんまり人の顔って覚えてないんだよね。
「それで、なんで私を捜していたの?」
「さとり様に会わせるためです」
「…それはお姉ちゃんの指示?」
「違います。あたいの意思です」
「そう。どっちにしろ私は行かないよ」
もう何年もお姉ちゃんとは会っていないし、最後の別れ方からして今さらどんな顔して会えっていうのか。
それに、私はお姉ちゃんに会うわけにはいかないんだから。
「こいし様はまだ許していないのかもしれませんが、とにかく一度会ってみてください。さとり様はあなたのことでひどく気に病んでいるのです」
許す?
…ああ、話したんだ。あのこと。
それだけこの子は信頼されてるってことか。
良かったじゃんお姉ちゃん。
そんなに信頼できる人が近くにできて。
「勘違いしてるみたいだけど私そのことはもう怒ってないよ。むしろ後悔してるくらい」
「なら…」
「でも、私は帰らない」
「な、なぜですか!」
お燐と名のった少女が声を荒げた。
驚きの含まれた声だった。
よっぽど必死なんだろう。
それだけお姉ちゃんのことを想ってるということだろうから私もうれしい。
けど、今は少し面倒かな。
「私の話を聞いたんだったら、私のしたことも知ってるんでしょ?今さら私がお姉ちゃんにどんな顔して会えばいいっていうの」
「そんなことさとり様は気にしませんよ」
「そうかな?そうだったとしても私は帰らないよ」
そういって私は逃げようとした。
無意識を操ればこんな妖怪猫一人どうってことないと思った。
でも、それが間違いだった。
「おっと、逃がしませんよ」
「!?な、なんで」
私は確かに能力を使った。
お燐の無意識を操り私へ意識を向けないように仕向けたはず。
なのに私の腕はお燐につかまれていた。
「残念ですがあたいにそれは効きませんよ」
「は、離して!」
私は腕を振り回して何とか脱出しようとしたけど、お燐の力は思ったよりも強くて逃げられなかった。
「あたいはこいし様のことをずっと意識してみてたんです。いくら無意識で逃げようとしたってそもそも無意識じゃないあたいには意味ないんですよ」
「そしてあたいがこいし様を捕まえたからにはもう絶対に逃げられません。意識しようがしまいがこの手を離さなければいいだけですから」
お燐は私の腕をつかみながら、さあ一緒に来てもらいましょうかと、腕の力を強めながら言った。
マズイ、この展開は酷くマズイ。
「私にはお姉ちゃんに会えない理由があるんだよ!」
「理由?なんですかそれは」
お燐は私を逃がさない程度に力を緩めた。
…しまった。
つい焦って言わなくていいことを…
「なんなんですかその理由って。早く言わないと連れていきますよ」
「…私に会うとお姉ちゃんが不幸になるから」
「は?さとり様が不幸?そんな訳ないじゃないですか。こいし様に会えなくて悲しんでるのに」
心底納得いかないといった様子でお燐が食って掛かってくる。
まあ何の説明もしてないからこうなるのも当然だよね。
「私を見たらお姉ちゃん、きっとあの事を思い出して罪悪感にかられると思うの。だから私はお姉ちゃんに会いたくないんだ」
「そんなの、さとり様と仲直りすればいいだけでは。こいし様も後悔してるんですから」
そう簡単にいけば苦労しないんだけどね。
「お姉ちゃんって責任感強すぎると思わない?」
「え?確かにそう思うときもありますけど」
「でしょ。だから、仲直りなんてしてもお姉ちゃんはずっと引きずることになると思うの」
「ただでさえお姉ちゃんにひどいこと言った私がこれ以上お姉ちゃんを傷つけたくないの」
「…でも、それはそれでさとり様は苦しんでいますよ。こいしに許してもらえないと思って」
それについては私に考えがある。
お姉ちゃんのために私だっていろいろ考えているんだから。
というかむしろ私がお姉ちゃんに会えない理由はこっちの方が大きく関係してるし。
「お燐は今日私を見つけられた。それも偶然じゃなくて自らの意思で」
「え、ええそうですが。それが?」
「だからお燐はきっとしばらくは私のこと覚えてると思うよ。しばらくは」
「それはあたいがこいし様を意識しなくなったら忘れてしまうと言いたいのですか?」
「おしいね。ちょっと違う。意識しようとしてなくとも、お燐から私という存在が消えてしまうんだよ」
「消える?忘れるではなくて?」
お燐は納得のいかない声を上げる。
まあ私自身いまいち説明しづらいから仕方ない。
「忘れるだったらふとしたことで思い出すかもしれない。でも、私の場合消えるから思い出すこともできないんだよ」
「ですが、あの子は思い出しましたよ」
あの子。
きっと私を覚えていたという酔狂な子の話か。
「まだ完全には消えてなかったんじゃないかな。周りの人に話してたりしたら記憶にも残りやすいから」
「でも、お姉ちゃんはきっとそのうち私のこと思い出せなくなれるよ。あなたのおかげで」
「あたいのおかげ?」
「お姉ちゃんはあなたのおかげで話し相手ができた。誰からも嫌われ恐れられる覚り妖怪のお姉ちゃんが」
「このままあなたと暮らしていけば、きっとお姉ちゃんから私の記憶は消えていくよ。無意識に」
無意識である私のことを覚え続けるなんてふつう無理な話だ。
いくら意識しようと長く付き合おうと。
今まではお姉ちゃんは私との記憶を頼りに生きていた。
それがいい思い出か悪い思い出かはともかく。
「消えてしまえばお姉ちゃんが私に苦しめられることもない。そうなれば私も幸せ。だから私はお姉ちゃんには会えないの」
「…さとり様がこいし様のことを忘れるなんてことはあり得ないと思うのですが」
「そんなことないと思うよ。前までのお姉ちゃんはもっと真っ暗で希望なんて何もないみたいな顔してたもん。今はだいぶ明るい顔も増えてきた」
私自身無意識に行動しているせいであんまりしっかり覚えていられないんだけど、お姉ちゃんは前より確実にいい顔になってきている。
お姉ちゃんのこと今でも大好きな私にとってこれほどうれしいことはないからか、これに関してはほかの記憶よりもはっきりと覚えている。
「分かった?私がお姉ちゃんと会えないって。分かったら離してくれる?」
私はもう一度腕を振り回してみた。
でもお燐の腕は私から離れなかった。
「…あなたはどうなんですか」
「へ?」
「だから、こいし様はどうなんですか。本当にそれで幸せなんですか!」
「わ、私?私はお姉ちゃんが幸せならそれでいいよ。もともと私が報われないのは当たり前なんだから」
「嘘ですね」
え?嘘?
「いやいや、嘘なんかじゃ…」
「じゃあなぜさとり様が地下に来るときご自分の枕をもっていかせたんですか」
「…!そ、それは…」
「本当はさとり様に会いたいのでしょう?自分のこと忘れてほしくなんてないのでしょう!?」
その通りだった。
あの行動は私の本能が、無意識が、お姉ちゃんに私を忘れてほしくないと望んだからだった。
いくらお姉ちゃんが幸せならそれでいいなんてきれいごとを並べても、私自信本当はお姉ちゃんに愛されたいなんて身勝手な思いを抱いている。
でも、
「だからって今さら私がお姉ちゃんに会うなんて虫が良すぎるじゃんか!」
お姉ちゃんのことを理不尽に怒って、トラウマまで作って。
そんな私がお姉ちゃんと一緒にいていいはずがない。
許されるはずが…
「こいし様はさとり様がそんな性格だと思うのですか?」
え?
「さとり様がこいし様のこと、許さないなんて思うのですか?」
それは…
「何年も一緒にいたのにさとり様のことをそんなふうに思っていたんですね」
「ち、違う!お姉ちゃんはそんな人じゃない!」
「なら、謝りに行けばいいじゃないですか。そうすれば全部解決じゃないですか」
「う、うるさいっ!離せ!」
私は力いっぱい腕を振り回した。
すると、お燐の腕は拍子抜けするくらい簡単に振りほどけた。
自由になった私はお燐に背を向け走り出した。
とにかく逃げないと。
でないと今までの私が全部無駄になる。
能力も使わず周りも確認せず私は走り出した。
が、すぐに止まった。
何かにぶつかって。
「いった!」
「だ、大丈夫ですかこいし?」
「あ、うん。大丈夫。そっちこそ…」
え?
あれ?
今の声、聞き覚えがあるような。
「そうですか、ならいいのですが。あ、それと少しお話しさせてほしいのですがよろしいですか」
「え、うん」
いやいやなにがうん、だ。
全然よくない。
だってこの声の主は。
感情がなくなろうと、無意識になろうと。
私が絶対に忘れなかった。
私の大好きな。
「お姉…ちゃん?」
「はい、なんですか?」
「なんで、ここにいるの?」
「お燐が地上に行ったと聞いたので心配で」
「そっか、お姉ちゃん優しいもんね」
いや、こんな談笑してる場合じゃない。
一刻も早くここから離れないと。
せっかく今まで私が我慢してきたことが無駄になる。
「ってお姉ちゃん、離してくれると嬉しいんだけど」
お姉ちゃんは私の腕をしっかりと両腕で捕まえていた。
「駄目です。お燐がここまで頑張ってバトンを渡してくれたのですから無駄にはできません」
「え、バトン?…お姉ちゃんもしかしてさっきの話?」
「お燐がこいしに詰め寄ったあたりから…」
お燐が詰め寄った?
それってつまり…
「私の本音全部聞かれてるじゃん!」
なんてこと。
まさかこんな伏兵がいたなんて…
「もしかしてお燐がいきなり口調強くなったのって」
「あ、はい。さとり様に気付いたので無理やりにでも本音を聞き出しておこうかと」
「なんて用意周到なんだこの二人…」
なんで?なんで今までちょっとシリアス気味だったのにこんなんになるの?
「こいし」
「ひゃい!?」
めっちゃ変な声でた。
恥ずかしい。
「私たちはどうやら壮絶なすれ違いをしていたみたいね。私はあなたに許されないとあきらめていて、あなたはあなたで私に同じように思って」
「そ、そうだね」
「でも、思うことは同じだった。二人ともまた一緒に暮らしたいと。そう思っていたんですよね?」
「う、うん。私お姉ちゃんと一緒に居たい」
「なら話は決まりです。過去のややこしいことは忘れて今を生きましょう。こいしさえよければ、ですが」
そんな自信なさそうな声で聞かれても、こうなってしまったら私の答えなんて一つしかありえないじゃない。
「いいよ!いいに決まってるよ!…私の方こそ、お姉ちゃんが許してくれるか気になるんだけど」
お姉ちゃんはクスッと笑って、そして、私を抱きしめてから。
「もちろん。いいですよ。こいし」
笑顔でそういってくれた。
「まったく。お二人とも心では同じようなこと思ってるくせに見事に裏目に出てるから話してて笑いそうになりましたよ」
「ごめんなさいねお燐。面倒なことになって」
「ありがとお燐。ちょっと釈然としないけど私がお姉ちゃんに素直になれたのはあなたのおかげだったよ」
「気にしないでください。あたいがしたくてしただけですから」
地霊殿への帰路の途中。
私たちは並んで三人仲良く話しながら帰った。
今までのこと、これからのことなんかを話しながら。
隣には妹の、もう一方ではペットの笑顔がある。
そして私にも…
こんな日がこれからずっと続くように頑張ろう。
そう、心に固く決意した。
もちろん家族みんなの力を借りて。
「映姫様。あの人たちへの罰。厳重注意だけでいいんですか?」
「こら、小町。今は仕事中です。四季と呼びなさい」
「今は休憩時間なんだからいいじゃないですか」
ここは地獄の食堂。
映姫様とあたいは持ち込んだお弁当を広げて食べている。
「休憩時間といっても仕事場です。けじめはつけなさい」
「はいはい。相変わらずお堅い方だ。まあそんなところがかわいいんですけど」
「…だから、そのような発言は控えなさいと」
あ、顔赤くなってる。
こんなんですぐ恥ずかしがるんだからこの人はやっぱかわいいは。
「それでなんでしたっけ。…ああ、あの二人への罰の件でしたね」
「え?ああそうですそうです」
「あなた自分で振っておきながら忘れていたのですか」
映姫様ににらまれる。
でも、まだ頬が微かに赤く染まっているせいでいつもの迫力が全然ない。
「むしろかわいい。抱きしめたい」
「…声に出ています。慎みなさい!」
悔悟の棒の一撃があたいの脳天をとらえる。
「いった!ちょ、休憩中ぐらい勘弁してくださいよ!」
「あなたが不適切な発言をするからです」
「う~」
痛む頭を押さえて何とか痛みを和らげようとする。
「…さとりさんには少し思うところがあったので、それに何も問題はなかったですからあれぐらいでいいんですよ」
「思うところ?」
「結果だけで見れば重罪ですが彼女の待遇を考えればもっと考慮してあげたかったのですよ。だから、今回の件はその帳尻合わせということで」
「はあ、そうなんですか」
「理解していませんね」
「はい。あ、この卵焼きおいしいです。どうやったんですか?」
「…人の話を聞くときはものを食べない!」
「ぎゃん!」
時間を遡ることお燐とさとりが地上にいるころ。
「はあ~さとり様大丈夫かなー」
「まあお燐もいるし大丈夫だと思うけど」
「私も行きたかったなあ。地上」
「でも仕事あるからなあ」
私は灼熱地獄でほかのペットたちとここの管理をしていた。
ただ、していたといっても心が上の空でいつものような業務はできていなかった。
そ、そのとき
〈侵入者発見!侵入者発見!〉
「へ?侵入者?」
ここの警報装置が起動していた。
こんなところに侵入するなんて奇特な人もいたものだなあ。
なんて思いながら警報のなる方へ飛んでいく。
「そこのお前。このあたりで一番強い地獄烏を知っているか」
侵入者と思われる人を見つけたらいきなりそんな質問をされた。
一番強い地獄烏?
私かなあ。
人型になれるし、人語話せるし。
「多分私だと思うよ。で、あなた誰?」
「そうかおまえか…」
「ちょっと?」
私の声が聞こえていないのか無視しているのか。
目の前の侵入者はしばらくしてやっと反応を示した。
「なら、お前に八咫烏の力を授けよう」
「へ?なにそれ」
「太陽の力を司る神の力だ。これがあればお前はより強くなれる」
「ふ~ん?くれるっていうならもらうけど私何も持ってないよ」
「見返りなどいらん。今はな…」
そういったかと思うと侵入者はいつの間にか消えていた。
そして、私の体にも変化があった。
両足が変な靴を履いていて、右腕に大砲みたいな筒がはめられていた。
そして、胸には大きな赤い球体。
でも、それ以上に私は、私の体に走る新たな感覚に戸惑っていた。
力がみなぎってくる。
どんなことでもできると、そう思えるくらいに強い力が。
でも何しよう。
力があったって使う必要がなかったら意味がない。
…そういえばさとりさまってなんで地下に来たんだろう。
もともと地上にいた妖怪が地下に来るのは、何かしら問題を、それも大きな問題を起こしたものだけだってどっかで聞いた。
でもあの温厚で優しいさとり様が自分からそんなたいそうなことするなんて思えない。
となれば答えは一つ。
地上のだれかに、そうせざるを得ない状態をつくられたんだ。
さとり様はそいつのせいでこんなところに住むことになったんだ。
きっとそうだ。そうに違いない。
…地上か。
このみなぎる力、試すにはちょうどいい相手だ。
さとり様の敵もろとも焼き尽くして、地上に新たな地獄を作り出そう。
東方地霊殿へ続く
人によってはこの力のことを羨むことがあるのかもしれないが、それは愚かな間違いだと私は言うだろう。
確かに他者の心とは時として知りたいと思うときはあるだろう。
周りからの自分への評価や価値、他人の思考は知れればそれだけ得になるときがあることは否定しない。
だがど想像してみてほしい。
もし、あなたの友人知人が心の内ではあなたに罵詈雑言を浴びせかけていたとしたら、どう思うか。
もし、媚び諂っている相手にあなたの心の悪態を知られてしまったら。
私たちはそんな恐怖とともに生きることを余儀なくされた種族だ。
そんな私たちに与えられる運命は、すべての思考する者たちから忌み嫌われるというものだった。
こんな呪われた種族にあこがれる者なんていない。
もちろん、今までの生の中で一切心に嘘を付かず、善なる心でしか思考をしなかった者ならこんな思いを抱かないかもしれない。
しかし、一体どれだけの者がこのようなことを語れるだろうか。
語れるはずがない。
生存本能に従い思考することのない獣や昆虫たちならいざ知らず。
つまるところ私はこの能力を呪っている。
いや、違うわね。
呪ったのは、周りの環境。
私たちさとり妖怪は、妖怪の割に身体的な力はあまり持ちあわせていない。
せいぜい人間と同じぐらいだろう。
なので自給自足だけで生活を成り立たすには一人では到底難しいことだった。
安定を求めるのなら、他人と交流を持たなければならない。
忌避されることを知りながら町に出て必要なものを買い揃えなければならない。
そして、私が呪った周りの環境。
頼らなければいけない存在は。
一番近くに住む種族は。
人間だった。
この世で最も貪欲で醜い出世欲にかられる種族。
心と言葉を一致させることがほとんどなく、故に私たちの能力を一番恐れ嫌う者たちが住む里だった。
私は毎日この醜い種族のもとに赴いて食材などを買いに歩いた。
この環境にも何年も続ければ慣れる、とは到底言えない。
言葉で語られるのではなく心で直接非難されるのだ。
口という媒体を介さずに直接痛みを受ける辛さは、私たち覚りにしか分からないだろう。
例えるなら、こちらは全くの無防備でみぞおちを殴られるようなもの。
ただ、私は人間に希望など持ち合わせておらず、その心にも幾分かは耐性がついた。
人間も私が最低限でしか接点を持たないことを知っていたので、心の内はどうあれ私に危害を加えることはなかった。
もしくは、近づきたくなかっただけかもしれない。
ところで、私にはこいしと言う妹がいる。
彼女は人間にあったことがない。
というよりほとんど外にも出していない。
出したとしても、人間と距離をとって建てられた私たちの家の周りだけだ。
もしこいしが人間と遊びたいなどといったなら、私は力尽くででも止めるだろう。
私はこいしを幽閉しているといっても過言ではないのかもしれない。
無論何の理由もなしに愛する妹にこんな残酷なことはしない。
私はこいしには穢れを知らずに生きてほしいと切に願っている。
世界の穢れを、醜さを、汚点をその一切を知らずに。
綺麗で、美しい世界にこいしを住まわせたい。
これはこいしの幸せを願ってのことなのか、それとも今は思い出すことのできない幼少期、穢れを知らなかった私がそれに触れた時に生じた叶わぬ願いか、それは分からない。
でも、これが私の、呪われた忌まわしい生の中で唯一の希望であり願いだった。
これが間違っていたのか、それは分からない。
いや、間違っていたのか。
でなければこいしが――私の生の中で一番大切で愛おしい妹が――消えてしまうことなどなかっただろうから。
「こんなものかしら」
私はもとより少しだけ膨らんだリュックを叩き、呟いた。
案外生活必需品というものは少ないわね。
珍しく労働をした私の体は少しだけ悲鳴を上げていたが、達成感があふれた私はそこまで気にしなかった。
「準備できましたか?」
外から女性の声が響いた。
私を地底へと追放するため交渉に訪れ、今まさにその道先案内人となる彼女の声が。
名前は確か…四季映姫・ヤ、ヤ…ヤクザさん。
何か外から殺気が発せられたような気がしますが気のせいでしょう。
「はい。…あ、いえ、もう少しだけ待ってください」
答えた私はリュックから取り出した紙と筆を手に机に向かい一筆認めた。
今は消えてしまった私の妹、こいしにあてた手紙を。
消えた。それは少し語弊のある表現かもしれない。
でもそれが一番今のあの娘をよく体現していると思う。
彼女は私の前から消えてしまった。
あの日を境に。
でも、もしかしたら…と、希望を手紙に託しておく。
内容は、私はもうこの家に住むことはないこと。
新しい家は地底にある地霊殿と呼ばれる建物であること。
それだけを書いた。
これ以上私は彼女に望むことはできない。
彼女に来てほしいと伝えることは、許されなかった。
本当は私のもとに戻ってきてほしい。
こいしのいない世界はひどく色あせている。
あの太陽のように明るい笑顔で、また私に生きる希望を授けてほしい。
でも私にはあの娘に償いきれない罪があるから…
「まだですか」
外の女性の声が再び耳に届いた。
その声は先ほどと同じ声色だけど、少しだけ急かさせるような威圧感が含まれていた。
「今行きます」
短く伝え、私は手紙を置き、リュックを肩にかけ外へ出た。
「お待たせしました」
外の女性へと謝罪をこめ頭を下げて私はそう伝えた。
「まあ、いいでしょう。…荷物はそれだけなのですか?」
綺麗な明るい緑色をした髪を大きく特徴的な帽子で覆い、紅白のリボンを付けた彼女――四季映姫――は、私の荷を見て少し驚いたような顔を浮かべた。
「ええ、この家に大切なものなどないですから」
そう、この家に私にとって大切なものなど何もない。
生活に必要だと思えるものを持ち出せば、私の旅支度は完了する。
その程度の価値しかこの家には残されていなかった。
何年も二人で住んでいたこの家には。
「そうですか、では参りましょう」
四季様はすでに私に興味をなくしたようで、一人歩みを進めていた。
私の監視、連行を行うはずの彼女が私に注意を向けないとは…
前を行く彼女のその力強さ、ふてぶてしさに私は恐れとも安心ともいえぬ感情を抱きつつ、彼女の後に続いた。
目指すは地底。
地上の者に疎まれ、忌避された者たちの住まう世界へと。
地底目指して歩き出して何刻かたった頃、私たちは目的の建物へとたどり着いた。
「ずいぶんと大きいですね、地霊殿は」
私は膝の笑いを抑え感想を述べた。
「あなたの仕事場はいくつかありますから、そこを目指しながら話しますね」
こちらを見もせずに、地霊殿へと入ってしまった四季様。
仕方がないので笑う膝に鞭打ち私も追いかけた。
ここに来るまでの道中。
私は好奇心や憎悪の言葉を聞かされた。
どうやら地底にはすでに私がここを統治する役目を授かったことが伝わっているらしい。
その突然の来訪者、侵略者にはふさわしい出迎えだった。
無法地帯をいきなりよそからやってきたものが統治するのだ、ああなるに決まっている。
「ここ、灼熱地獄跡では主に…聞いていますか?」
そんな声を耳が捉え、私は現実へと帰還した。
「ええ、聞いてます。書類作りに、鬼や怨霊たちの統治、そしてここ、灼熱地獄跡ではなにを?」
彼女は、聞こえているのならいいですと言わんばかりにまた前を向いて説明に戻った。
しかし、暑い。こんなところでも仕事か。
そのうち倒れるかもしれないわね。私虚弱だし。
まあ、倒れたら倒れたでいいか。
こいしのいないこの世界に私の生きる意味なんてないのだし。
「以上です。何か質問はありますか」
一通りの説明を終え、私と四季様は外に出た。
私は答えの代わりに沈黙を送った。
「…では、私は帰ります」
「はい。ありがとうございました」
業務的な挨拶が行われ、私と彼女は分かれた。
最後まで私を見ようとしなかったですね。四季様は。
まあ、さとり妖怪なんて見たくはないか。普通。
だけど彼女の中に今まで感じたことのない、普通でない感情も混じっていた。
彼女の心は常に私への同情で一杯だった。
なぜあそこまで私に対して負い目を感じていたんでしょうか。
結果だけを見れば明らかに私は黒だというのに。
そして彼女は当事者ではなかった。
つまり結果でしか判断できない立場なのに。
私は解決しない疑問に頭を悩ませ、すぐにそれを忘れた。
なんであろうと、どうでもいいか。
その一言で。
「は~、終わった」
私はたった今出来上がった書類をまとめ、机の端に置いた。
そして、大きく伸びをした。
ぱきぱきぺき、と小気味のいい音を鳴らす私の体。
しばらく音を楽しんだ後、また別の姿勢で筋を伸ばす。
ぺきぺきぱき。
また、いい音が鳴る。
少しは運動するべきかしら、なんて心にもないことを漏らしてまた悦に入る私。
一通り仕事終わりの娯楽に浸った後、私は机に突っ伏した。
することがない。
今日の仕事どころか今月分の書類整理まですでに終わってしまった。
かといって今から町に出るのも灼熱地獄跡に行くのもあまり乗り気にならない。
そしてこの地霊殿には娯楽のようなものは一切置いていない。
さてどうしたものか。
そんなふうに思考の世界に浸っていた私は、外の異変に気が付くのに一拍を要した。
外が騒がしい。
様々な心の流れが私の頭に流れ込んでくる。
私の能力は、町と少し離れたこの地霊殿にいる限り発動することはほとんどない。
というのにこの騒ぎは。
「さとりとやら、いるかい」
部屋の外から一人の女性の声が届いた。
心を見る限り町にいる鬼の集団がこの地霊殿を囲んでいるようだ。
そして今私に声をかけた女性はその集団のボス扱いの者らしい。
「扉は開いています」
無視して扉を破られれでもしたら後々面倒なことになるだろうからとりあえず答えた。
失礼するよ、と前置きをして、その女性は姿を現した。
流れるような金髪に動きやすような質素な服、そして何より目立つものは額にある一本の角。
「いきなりこんな無礼なことをしてすまないね」
彼女――星熊勇儀と名乗った――はひとまずこの非礼をわびた。
「わびなんてどうでもいいです。何用ですか」
私の問いに彼女は驚いたようだった。
「さとり妖怪は心を読むんだろう。それで分からないのかい?
彼女はおかしそうに、皮肉を込めて言い放った。
なるほど。私の能力に誤解があったのか。
「さとり妖怪は今相手が思い浮かべていることしか読めません」
当たり前だ。心を読むのだから心にないことなんてわかるわけがない。
そして今私の前にいる大柄な彼女には私に対し、ひょろっちいなこいつ、という思いしかなかった。
「なるほど、そりゃまた失礼」
くくっと笑んだまま彼女は言った。
「端的に言おう。私らはあんたを怪しんでいる」
顔を取り換えたように表情を変えた彼女は真面目顔で話を切り出した。
「いきなりよそ者が私たちの土地を治めるってんだ。反発が出ることぐらいわかるよな」
ああ、やっぱり。
私は言葉に出さずそうつぶやいた。
最初に私が地底に来たあの日。
ほとんどの者が私を敵視していた。
だからこうなる日が来ることも予想できた。
しかし実際起こってみると、めんどうなものね。
すでに彼女の心から今日のこれからを読んだ私は話の途中で立ち上がった。
「案内してください。その公開処刑場へ」
いきなりの私の行動に少し面食らった様子の彼女は、しかしすぐ体制を整え私に向き直った。
「わかった。ついてこい」
彼女とともに部屋から出た私に、外で待っていた鬼たちの視線が集まる。
恐怖、嘲り、激怒、憎悪、好奇心、様々な感情が私にぶつけられる。
私は内心ため息をつき前を行く彼女の背中を追いかけた。
「ついたぞ」
旧地獄街の少し開けた場所。俗に言う広場と呼ばれる場所へと私は案内された。
私の前には星熊勇儀が。
そして周りには鬼たちが囲んでいる。
外に出て数分、時間がたつにつれ私の周りを取り巻く鬼たちの姿は増え続け、ここに着いた頃には心のざわめきがあたり一杯を渦巻いていた。
「さて、もう内容は分かってるだろうがいちよう口頭で説明しておくぞ。でなきゃ気分的にやる気が出ない」
私に対してとも、周りに対してとも、自分に対してとも取れるものいいで彼女はこれからの流れを説明しだした。
いきなりの支配者に対し鬼たちは反発を抱いた。
ので、代表として星熊勇儀が私がこの地底を治めるにふさわしいかテストするということだ。
簡単に行ってしまえば気に入らない私を私刑にかけようということだ。
ただ、身体的強さでの争いでは明らかに私が不利ということで、能力の使用はありとされた。
そんなことされても無駄なのに。
「以上だが質問はあるか」
確認作業を終えた彼女は私に最終確認を申し出た。
私は代わりに沈黙を投げかけた。
「そうか、では始めよう」
彼女の言葉を合図に、一人の鬼が私たちの間に歩み出た。
開始の合図をするようだ。
「…はじめ!」
その鬼が合図を出した。
それを皮切りに彼女は私へと駆け寄ってきた。
始まってしまった。
勝ち目のない闘いが。
すでに私の目の前までに迫ってきている彼女の心を読み回避に移る。
最初の一撃は右手から繰り出される私の腹部一直線の拳。
彼女から見て右に動く私。
読み通り彼女の拳は私をとらえることはなく、代わりに空気を震わせた。
分かってはいたけれど化け物ね。
そんな関係ないことに思考を割いているうちに彼女は次の行動に移ろうとしていた。
体を右へと回しながら私をつかむため左手を伸ばす。
読んだ私は急いで後退した。
が、慣れない運動は私の思い通りに体を動かすことを許さなかった。
かわした私の足はもつれバランスを崩してしまった。
「捕まえた」
それを見逃す彼女ではなく、即座に向き直り私につかみかかった。
こうなってしまうと私には何の手立てもない。
心が読めて先が分かったとしても、かわせないのでは意味がない。
彼女の脳裏に私を地面へたたきつけるイメージが浮かんだ瞬間、背中に鋭い痛みが走った。
「あうっ!」
痛みが全身を支配しこのまま目を閉じそうになる。
しかし私は気を失いそうになる頭をたたき起こして次の攻撃に備える。
私の顔めがけた拳。
それを間一髪避ける。
外したとき彼女はなぜだか一瞬安心したような顔を浮かべた気がした。
その隙に私は体勢を立て直し、私を打つためにかがんでいる彼女の後ろへ回り込んだ。
そのまま、彼女の首に腕を絡め絞めた。
彼女は苦しそうに呻いた。
その時、私たちの周りを取り囲む鬼たちの声が大きくなったのを感じた。
その声には怒りが大半を占めていたが少し驚嘆の声も交じっていた。
しかし暴れる鬼を私が抑えれるはずもなく私の体はすぐに引きはがされ5メートル程吹き飛ばされた。
左半身が地面と擦れ、血が滲み出てきた。
やっぱり、私に勝てるはずがない。
彼女は私にゆっくりと近寄ってくる。
私を確実に仕留めるために。
それがわかっていながら、私の頭は回避することを考えていなかった。
こんなうるさいところが私の死に場所か、なんて、それを軽く受け止めていた。
理由は簡単、こいしが私の前にいないから。
私の唯一の希望で望みだったこいしが居ない世界で生きていたってしょうがない。
そんなふうに考えて、私の理性は目を閉じようとしていた。
しかし、私の意思に反して私の本能は生きようとしていた。
いつの間にか彼女にサードアイが向いている。
〈想起〉の力を使おうとしている。
私を殺すものの精神を破壊しようとしている。
「ダメっ!!」
私は思わず叫びサードアイを両手で抱きしめて体に隠した。
この力は絶対に使わないと決めたもの。
あの悲劇を忘れないための戒め。
こいしに対して私にできる唯一の償い。
これだけは破ることはできない。
死んだって守らなければいけない。
「…」
私の叫び声がこだましてから数拍、この場を静寂が支配していた。
彼女も足を止めて私を見ていた。
しかしその静寂はすぐに掻き消えた。
彼女の、星熊勇儀の言葉で。
「参った」
静かだったこの場に、その声はひどく響いた。
しかし、この場にいる者たちはその言葉を理解できなかった。
それは私も同じだった。
参った?
それはどういう意味なのか。
参った、とは一般的に負けを意味する言葉。
それをなぜ彼女が今口にする?
圧倒的有利な立場の彼女が。
今や静寂はどこかへ旅立ち、様々な声がこの場を支配していた。
混乱する声、唖然とした声、驚愕の声。
中には自分の耳がおかしいのかと周りに確認するものや、彼女に聞きに行く者もあらわれた。
参ったとはどういう意味なのか、と。
もしかしたら彼女にしか分からない意味があるのかもしれないというおもいで。
しかし、彼女は当たり前だろうと言わんばかりの態度で私たちの思っている通りのことを言った。
「私の負けだって意味に決まっているだろ」
むしろ、お前大丈夫か、とその鬼を心配する言葉まで付け足された。
「私はお前に能力も使っていいと話したはずだ。お前が圧倒的に不利だから」
周りのざわめきを無視するように彼女は説明しだした。
「だがお前は私の後ろをとった時、能力を使わずなぜか物理的な行動に出た。簡単に振り払われることぐらいわかっていたはずなのに」
「そして、さっきお前は私からその変な目を遠ざけた。私の攻撃を喰らっても上げなかった悲鳴まで上げて」
「その行為にどんな意味があったかなんて私にはわからないが一つ言えることは、私はお前に守られたように感じたということだ」
「負ければ殺されると分かっている勝負で私のことをかばったんだ。そんな奴をこれ以上殴れるわけないだろう」
彼女は周りから注がれる驚愕や敵意の視線にあきれたように肩を落とした。
「私たちがこの騒動を起こした理由は何だ?こいつを殺したかったのか?まあそういうやつもいるかもしれないが」
「本当の目的はこいつがこの地を治めるにふさわしいかを見定めるためだ。そしてこいつは十分な度胸を見せた。だから認めようと思う。意義はあるか?」
彼女の大きく力強い言葉を聞いた鬼たちは最初黙っていたが、一人の鬼が拍手を始めた。
それに呼応するようだんだんと人数は増えていき、音も大きくなっていった。
やがてすべての鬼たちから奏でられる音を聞いた彼女は手を上げそれを制止させた。
私の前に彼女が近づいてきたときにはまたもとのように静かになっていた。
「というわけださとり。これからよろしく」
彼女のその声に応えるよう鬼たちが歓声の声を上げた。
私の度胸を称える声、勇儀の度量の深さに感心する声、私に対する畏怖の念。
そんな、私が感じたことのない感情があたりを飛び回っていた。
「どうしたさとり、もしかして立てないのか?」
私が面食らっていると彼女が心配そうに手を差し伸べてきた。
「大丈夫です。ただ、慣れない状況に呆然としていただけですから」
私はその手をつかまずに立とうとし、痛みで左ひざから崩れ落ちた。
「無茶するなよ。地霊殿まで送ってってやるから」
「結構です。って何するんですか!?」
彼女は倒れた私を無理やり抱きかかえ、背中に乗せた。
「降ろして下さい!」
「それじゃ私はこいつ送ってくるから勝手に解散しといてくれ」
彼女は私の異論を無視して近くの鬼に話しかけた。
「それじゃしっかりつかまっていろよ」
「だから降ろして下さいって!」
そんな不毛な言い争いをしながら私たちは地霊殿へと向かっていった。
「結局なんでお前は能力を使わなかったんだ?」
地霊殿への道中、勇儀が私に話しかけてきた。
「さっきあなたが自分で言っていたじゃないですか」
「いやぁ、あの時はその場を取り成そうと思って言ったことだから、合ってたのかなと気になってな」
「つまり適当だったと?」
「半分本気で半分適当って感じだったな」
はっはっは!と、彼女はまるで冗談でも言ったかのように高笑いして答えた。
この鬼はなんなんでしょう。
さっきまでの真面目さはどこに置いてきたのか。
本当にさっきまでと同じ人物なんでしょうか。
「…理由はもっと別です。言うつもりはありませんが」
私は目を細めながら言った。
「そうか、まあいいや」
どうでもいいみたいに話を終える。
自分から話してきたくせに。
「なら、こちらからも質問していいですか」
「あ?そんなの一々断らなくてもいいだろ。なんだ?」
心を読んだ限り本心でそう思っているみたい。
さっきまで戦っていた相手なのにこのフランクさ。
鬼にとっては普通なのかもしれませんが、こっちとしてはあまりなれないです。
「なぜ私に対し同情の念を持っていたんですか」
「同情?」
そう、同情。
あの時は闘いに集中していて気付かなかったけれど、彼女が私に抱いていたものは間違いなくそれだろう。
「私を地面に倒して追撃を外したとき、妙に安心したような表情になったじゃないですか」
あ~あれかと前置きし、彼女は答えた。
「単純にお前がかわいそうだなって思ったんだよ」
「かわいそう?私が?」
「ああ。地上で何やらかしたか知らんがいきなりこんな無法地帯に押し込められて、しかも嫌われるような役職に着かされたお前が不憫に思えたんだよ」
…意味が分からない。
私が、かわいそう?
そんな感情向けられたことがなさ過ぎて理解できない。
「だからお前の行動にもよったけど、最初っからあんな感じに治めようって思ってたんだよ」
思ったより簡単に事が進んでよかったよ、と、彼女はまた高笑いをした。
混乱している私をよそに。
「…そう…ですか」
私に言える最大限の返答はこれぐらいしかなかった。
それぐらい余裕がなかった。
すべての者に嫌われる宿命のさとり妖怪である私にかわいそうだなんて。
どうやらこの星熊勇儀という鬼はかなり変わった鬼のようだ。
それからは私たちは話すことも尽き、また無言で歩いて行った。
少し移動したところで、私は何やら巨大な嫉妬の波動を感じ取った。
その凄まじさに私は、柄にもなく小さく震えた。
「ん?どうしたさとり?」
「いえ、その…」
私はそれが流れてきた方向へと目をやった。
そこにいたのは、少し小柄な体格にふんわりとした金色の髪を携えてこちらを睨んでいる女性だった。
「あの人は誰ですか?」
「ん、あーパルスィじゃないか」
私が指差したほうへ目を向けた勇儀はその女性の方へと向かっていった。
「こんなところで何してんだ?」
警戒する私とは裏腹に、勇儀はどんどん彼女に近づいて行った。
「勇儀、その娘が無事ってことはあんたの計画はうまくいったのね」
「まあな。何とかなって良かったよ」
…なんで彼女、まだ睨んだままで普通に会話できるんだろう。
それになんで勇儀はそれを気にしてないんだろう。
「あ、悪いさとり。こいつはパルスィっていうんだ」
私の怪訝な視線に気づいたのか、勇儀は私に説明をしだした。
今聞きたいのはそこではないですけど。
「水橋パルスィよ。よろしく古明地さとり」
相変わらず睨まれたままであいさつされた。
なんなの?この人は顔がこれしかないの?
「ところでなんでそんなに険しい顔してるんだ?パルスィ」
よく突っ込んでくれたわ勇儀。
というかやっぱりその顔素ではないのね。よかった。
「…」
無言で睨まれる私。
…あ、そういうことね。
心の声に集中してみれば一発で分かったわ。
つまり、私の現状が妬ましいと。
そういわれても私の故意ではないしむしろ私として一刻も早く降ろしてほしいのだけど。
でも都合の良い理由ができた。
これを使えば勇儀から逃れられるかもしれない。
ただ、どう言えばいいのか。
口に出したら絶対パルスィが面倒なことになるでしょうし。
「もしかしてさとりに嫉妬してるのか?」
あ、この馬鹿、やってしまった。
一発で地雷を踏み抜いてしまった。
私は恐る恐るパルスィの方へと目を向ける。
エルフ耳まで巻き込んで見事に真っ赤に染まってらっしゃる。
「な!?そ、そんなんじゃないわよ!何言ってるのよこの馬鹿!」
彼女が真っ赤な顔で勇儀に向かって怒鳴った。
まあこうなるわ。
いくら図星とはいえそんなこと人前で言われたらテンパるわよね。
勇儀は勇儀で、あれ、違ったかなんてのんきなこと言ってるし。
まったく。このままじゃ帰れなくなるどころか修羅場に巻き込まれそうね。
仕方ない。何とかしよう。
「勇儀さん。ちょっと聞いてください」
「なんだ?」
パルスィに聞こえないように耳打ちをする。
「ここまでくればもう地霊殿はすぐそこなので私を降ろして下さい。そしてあなたはパルスィさんをなだめてください」
「大丈夫なのか?」
「ええ。むしろここでパルスィさんに嫌われてしまってはせっかくあなたが私の印象をよくしてくれたのが彼女を中心に瓦解してしまいますから」
なんとか勇儀を説得してこの場から逃げる。
パルスィも嫉妬対象がいなくなれば幾分かは落ち着くでしょう。
彼女が今テンパっているのは私がいる場で本音を言い当てられたからなのだから、二人きりになって勇儀が適当になだめれば何とかなると思います。
ならなくても私には関係ありません。
「そうか?分かった」
勇儀はいまいち分かっていないようですがまあいいです。
私は勇儀の背中から降りて、急いでこの場を後にした。
まだ体中痛むけどこのままあの場にとどまるよりはましでしょう。
キャーキャーと騒がしい声を耳にして私は地霊殿へと向かって走り去っていった。
何とか地霊殿にたどり着いた私は、体の汚れを落として寝間着に着替えた。
そのままベッドにはいかず、キッチンでコーヒーを飲みながら一服していた。
「は~、疲れた」
今日のことを振り返ってみると、思わずため息が出る。
一月分の書類仕事、鬼との戦闘、ラヴコメ。
一日で済ますには少し濃厚すぎるわね。
明日は多分筋肉痛で動けないでしょう。
でも、それだけ面倒事を済ませた甲斐あってこれからは楽ができそうね。
鬼たちとは、今日の一件で反発も減ったでしょう。
仕事もひとまず落ち着いたし。
そんなことを考えつつ、私は飲み終えたコップを軽く水洗いしてキッチンを出た。
「相変わらず無駄に広いですね」
私一人しか住んでいないくせに地霊殿にはいくつも部屋があり、廊下も広い。
そんなところを一人で歩くのはなかなか落ち着かない。
早く慣れないと。
もう、地上での生活には戻れないのだから。
そう吹っ切れた私の隣で、もう一人の私が呟いた。
こいしが居てくれたら…と。
私はあわててその考えを振り払った。
何を言っている。
今さら戻れるわけがない。
こいしが許してくれるわけない。
落ち着かない足取りで私は自分の部屋に着いた。
もう、何もしないで寝よう。
本当は今日のことを振り返ってみようなんて思っていたけど、そんな余裕はすでになくなった。
さっさと扉を閉めてベッドにもぐりこむ。
もう一人の私が近づかないよう毛布にくるまって。
それでも不安な私は、枕を手探りで手繰り寄せ、体を丸くしながら抱きしめた。
そのまま何も考えず目を閉じて眠りに落ちた。
ベッドの上にあるもう一つの枕を見ないようにして。
―――こんな力いらない。
―――なくなってしまえばいいんだ。
―――そうでしょ?お姉ちゃん。
「待ってっ!!!」
私は自分の叫び声で目覚めた。
「…また、あの夢か」
夢。
こいしがサードアイを自分の手で閉じて、私の前から消えたあの日の夢。
私はこれを何度となく見せられてきた。
まるで私を許さないというかのように。
「…少し散歩でもしましょう」
今日も仕事はある。いつまでも悔いている暇はない。
気晴らしに散歩でもして、今日も乗り切ろう。
そう思い立ち私は寝間着から着替えることにした。
しかしその想いはいったん思考の隅に追いやられた。
私の足に当たった枕のせいで。
枕といっても自分の物なら何も思わない。
私のベッドには二つの枕がある。
一つは私の枕。
もう一つは…こいしの枕。
それが私の足に当たった。
この枕、私が持ってこようと思って鞄に入れたのではない。
いつの間にか入っていた。
そしてなぜか私はそれを、無意識に私のベッドに置いた。
どかそうと思ってもできない。何かに邪魔されてまたいつの間にかここに戻ってきている。
私に罪の意識を忘れるな、と咎めるためなのだろうか。
私のことを忘れるな、とこいしが言っているのだろうか。
「…ごめんさい」
何度もつぶやいた言葉をまた呟いた。
意味などない謝罪の言葉。
だれも聞いてくれない言葉。
…こうしていても仕方がない。
私は無理やり気持ちを入れ替えて着替えに移った。
地霊殿の周りならだれにも会わずにいられるだろう。
先日の一件ががあったとはいえさとり妖怪に会いに来るような物好きはいないから。
「…行ってきます」
私はこいしの枕から逃げるように部屋を後にした。
「?誰か居る」
散歩の経路が半分ぐらい過ぎたあたりで私は地霊殿の中に何者かの気配があることを感じ取った。
物取り?
そんなわけないか。
さとり妖怪の住処に忍び込むなんてリスクが高すぎる。
そもそも地霊殿に盗るようなものなんてない。
じゃあいった何が…
―――パリーン!。
「きゃっ!?」
何?何の音!?
急いで音のした方へ振り返ると、そこには魚をくわえた黒猫がいた。
「(見つかった!?逃げなきゃ!)」
そんな思考が流れてきたかと思うと、黒猫は私の横を通り過ぎ逃げていった。
「ちょ、待って」
私が口を開けたのは、その猫が視界から消えてからだった。
…まさか本当に盗みに入られるなんて。
戸締りしっかりしておかないと。
いや、それより割れた窓を何とかしないと。
はあ、めんどうくさい。
私は散歩を切り上げ地霊殿へと目指して歩いていた。
考えることは先ほどのこと。
盗みをするってことは多分野良猫だと思うけど、それにしては疑問点がある。
盗みに入っているくせに逃げる時に窓ガラスを割るなんてするかしら。
そんなわざわざ自分がいることを主張するみたいなこと。
そもそも逃げる時に周りを確認しないところもおかしい。
もしかして飼い猫だけど脱走したとか捨てられたとかかしら。
…まあ、考えても仕方ないか。見つかったからにはもうここには来ないでしょうし。
そろそろ地霊殿の入り口に着く。
いろいろあったけど気分転換にしては良かったかしら。
「わ、ちょ、暴れるなって」
ん。何か聞こえた?
しかも今の声は…
ああ、また面倒事に巻き込まれるのか。
私はあきらめ気味に声のした方へ歩いた。
行きたくはなかったけど。
なんでそこで騒ぎを起こすのかなあ。
「何をしているんですか勇儀さん。人の家の前で」
私はため息交じりに目の前の猫と烏をつつかれ噛みつかれつつ捕まえている鬼に話しかけた。
「おおさとり。ちょうどいいところに。助けてくれ」
「離してあげたらどうですか。嫌がられているだけのようですし」
困った顔で助けを求めてくる勇儀。珍しいもののような気がするけれど別にうれしくはない。
「いやそういうわけにはいかないって痛って!」
「(お空を離せ!)」
また噛みつかれてる。
この姿からはこの人が鬼の代表とはとても思えないわね。
あれ。この猫さっきの黒猫じゃない。
なんでこんなところで捕まっているのかしら。
「なんで離せないのですか?」
「説明めんどうだからお前の力で理解してくれ」
…ここまで私の力を利用とする人も珍しいわね。
まあ成り行きとはいえ首を突っ込んでしまったのだしそれぐらい協力しますか。
私は勇儀に絡みつく二匹の思考に邪魔されながらなんとか用件を聞きだした。
どうやら旧都のほうでペットが逃げ出したようだ。
そいつが勇儀に相談したからいちよう私の方にも連絡を知るためにここまで来た。
そして来てみればその逃げ出したペットがいたと。
まさか私の予想が当たっていたなんて。
「分かったか?」
「(離せでかぶつ!)」
「(離せ―)」
いつの間にか二匹とも地面に押さえつけていた勇儀が話しかけてきた。
「まあ大体わかりましたよ」
やはり私にとって面倒事だということが。
「それでどうするんですかその二匹」
いつまでも捕まえたままで動こうとしない勇儀。
「んー、こいつらを見つけるまではあいつのところに連れてこうと思ってたんだが」
あいつとは飼い主のことでしょう。
「思っていた。ということは今は違うのですか」
そうだな…。私の問いに一言漏らして考える素振りを見せる。
もちろん二匹とも押さえつけたまま。
ずいぶんおかしな光景ね。
「あいつのところにいたこいつらにも何回か会ってるんだけど、いっつもどこかしら怪我してたんだよな」
まるで自分に説明するようにうんうんとうなずきながら勇儀話し出した。
「でも今のこいつらは怪我してない。別にそれだけなら問題ないけど、あいつの性格を考えるとちょっと気になるんだよな」
思考をぐるぐる回しながら話すから速度かかなり遅い。どうやら頭を使う作業には慣れてないようね。
しかたない。手助けしましょう。
「ようはその飼い主が虐待していたのではないかということですね」
「そう!そういうこと!」
私が代弁すると勇儀は嬉しそうに私の発言に同意した。
心ではさとりってほんと便利だなとか考えながら。
ここまで私の能力を利用できるのは鬼の首領故か。いや単に能天気なだけなんでしょうね。
「あいつは別に悪い奴ではないんだけどな。よく媚を売ってる姿を見るからストレスたまる生き方してるなって思ってたんだよ」
またうなずきながら話し出す勇儀。
「それで私にどうしろっていうんですか」
「簡単なことだよ。虐待がほんとかどうか調べてくれればいい」
「どうやって…ああ、そういうこと」
「そういうことだ。頼んだ」
私はさとり妖怪。私に嘘は通じない。たとえ種族が違えど言葉が通じなかろうと。
「こいつら多分言葉ぐらい理解できるだろうからできるだろ」
「乗り掛かった船だからしますけどもし本当に虐待だったらどうするんですか」
「そんときはそんときだ」
何にも考えてないわねこの鬼。
仕方ない。さっさと済ませてしまおう。
「あなた達の主は虐待していたの?」
私は勇儀に押さえつけられたままでいる二匹に話しかけた。
もう暴れてはいなかった。
「(…してたよ。してたからあたい達は逃げ出したんだ!)」
「してたらしいですよ」
読み終えて私は勇儀へと視線を戻して聞いた通り伝えた。
後はこのお人よしが勝手にしてくれるでしょう。
やっと地霊殿に戻れる。
今日は…灼熱地獄跡の管理か。
よりによって一番面倒な仕事の日じゃないの。
「やっぱりしてたのか。しょうがない。さとり、こいつらを引き取ってくれ」
「は!?」
今なんて言ったこの鬼。
今日の仕事内容なんて比じゃないぐらい面倒なこと言ったように聞こえたけど。
「だって私が連れ帰ったらあいつに見つかるかもしれないだろ。そうなったら返さないといけないことになる」
ここならだれも来ないしちょうどいいだろ。なんて、屈託のない笑顔で話す勇儀。
「いや、無理ですよ」
「なんで?」
「なんでって、この子達すでに妖怪になってますよ。つまり自我があるってことですよ」
動物は私の能力を好いてくる。
でもそれは本能で生きるが故に感情を読まれることを恐れないからだ。
つまり妖怪化しているこの二匹は私の能力を好きにはならない。
「大丈夫だろ。また虐待されるよりはマシだろうから」
「全然マシじゃないと思いますよ。あなただって自分の考えが周りに漏れてたら怖いでしょう」
「漏れて困るようなこと考えてないから大丈夫だが?」
ちっ、この人なら本当にそうな気がして反論できない。
「じゃ、こいつらに聞いてみようか。それではっきりさせるってことで」
「…分かりました」
どうせ私は選ばれないだろうしいいか。
「おまえら今の飼い主かこいつ、どっちがいい?」
いまだに押さえつけたまま問いかける。
抵抗してないしいい加減離してあげたらいいのに。
「(…この人。まだマシそう)」
え、
「(この人かな。優しそうだし)」
ちょっと、
「なんて言ったんだ?」
「…前のほうがいいと」
とたんこの静寂の場に響く二匹の鳴き声。
「嘘ついたろお前」
「…はい」
「なんでそんなこと…まあいいや。じゃ、こいつらのこと頼んだぞ。あいつにはうまく言っとくから」
「…分かりました」
「(…お世話になります)」
「(よろしくお願いします!)」
私とプラス二匹がこの場に残された。
ただの散歩のはずが、どうしてこうなった。
二人との生活が始まって数日たった。
といっても私から何かをするということはほとんどなかった。
あの子達はすでに妖怪化しているから、しつけなんてしなくてもしてはいけないことくらいわかっている。
だから結局私は前とあまり変わらない生活のままだった。
お空が私にべったり懐いてくるのと、それを遠巻きに疑心感半分羨ましさ半分で眺めてくるお燐の視線が気になるぐらいで。
ただ、残念ながらそんな日常も今日までだった。
「聞いてんのかお前!」
「聞いてますよ。この子を返せって話でしょう」
私の前にいるこの男。
こいつのせいで私の日常は今非日常と化している。
こいつはどうやらあの子達の元の飼い主のようだ。
勇儀に押し付けられたあの日、偶然地霊殿のほうへ走っていくこの子達の姿を見ていたようだ。
まったくあの鬼、何が私がうまく言っとくだ。全然ごまかせてないじゃないの。
はあ、どうしよう。
別に私としては返してしまってもいいのだけれど。
でもそうしたら勇儀に潰されそうだしなあ。
それに今私の後ろで震えてる猫――お燐というらしい――を見捨てるというのも酷なものね。
「返せと申されても、この子があなたの猫である証拠はあるのですか?」
「はあ!?証拠だあ?そんなもんなくてもどう見てもそいつは俺の猫だろうが!」
しゃべり方乱暴だなこの人。
ペットに逃げられた怒りとすぐに返さない私への怒りと私への恐怖心でいろいろ限界になってるのかしら。
「そう言われましても、地底には多くの猫又がいます。そんな中どうしてこの子があなたの猫だと分かるのですか」
「自分の飼ってるペットぐらい見りゃ分かるわ!」
「ですからそれでは…」
「うっさいな。お前。なんやかんや言って返すのが嫌なだけだろ」
とたん男は立ち上がりいきなり私の胸ぐらを掴んできた。
「てめえ勇儀さんに気に入られたからって偉そうにしてんじゃねえぞ」
「そんなこと思ってません。ただ、この件はしっかりと話し合った方がいいと言っているだけで…」
私が話し切る前に男は私を思い切り壁に投げつけた。
背中に痛みが駆け巡る。
勇儀ほどではないにしてもこいつも鬼。力は冗談みたいに強い。
「別に俺は力ずくで取り返したっていいんだぞ?」
すでに力を行使してきたくせによく言う。
でもどうしようか。さすがに殴り合いになったらどうしようもない。
とは言っても、いつの間にか駆けつけて来た烏――お空というらしい――と一緒に部屋の隅で震えるお燐。
あんな風に怯えきってる二人を素直に渡すなんてできない。
さて、どうやってこの絶望的な状況を切り抜けようか。
「さとり、大丈夫か?」
いきなり玄関の戸が開かれた。
しかもこの声は…というかここに足を運ぶ人なんて一人しかいないわね。
「勇儀さん!?なんでここに」
星熊勇儀。私の力を恐れない常識外れな鬼。
「旧都のやつがお前が地霊殿の方に行ったって聞いたから見に来たんだよ。それにしてもずいぶん派手にやってんな」
「あ、いやこれは…」
勇儀の登場で一瞬のうちに男の勢いは消えた。
そういえばこいつはよく媚を売ってるなんて言ってたわね。
それなら勇儀には絶対頭が上がらないということか。
「何があったが知らんがこいつは私らの上司みたいなもんだ。あんまり暴力は振るわない方がいいと思うぞ」
「いやでもこいつが、私のペットを返さないから」
先ほどの喧嘩腰はどこに行ったのか。おどおどとしながら勇儀に言い訳をしようとする男。
「ペット?あの隅で怯えてるやつらか?」
部屋を一見し、お燐たちを見つけた勇儀がまるで初めて見たかのような反応をした。
「はいそうです。どう見ても私のなのにあいつが全然返してくれなくて」
と、いまだに痛みで倒れている私を指さす男。
まださっきのほうが本音でしゃべっていただけましでしたね。
必死に敬語で話して心では悪態をついているというギャップが吐き気をもよおすほど気持ち悪い。
「ふ~ん。でも私にもあいつらがお前のペットのようには見えないな」
「え、そんな馬鹿な。勇儀さんも私の家には何度か来てますよね?」
「もちろん。その時にお前のペットも見かけてたけど、もっとまだら模様があったような気がするんだが。青色の」
そう言いつつ心では巻き込んですまないと謝る勇儀。
器用なことしますね。
「いやそんな模様はないですよ私のペットに」
「そうなのか?でも私は確かに見たんだよなああの、青あざみたいな模様」
青あざ。その言葉に男が反応した。
「もしお前があの二匹を自分のペットと言い張るなら、脱走してから傷がなくなったってことだよな。つまりお前が…」
「いや違いますあいつら似てるだけで全然私のペットと違います!」
いきなり踵を返し失礼しましたと言い残して男は外に逃げていった。
「鬼は嘘吐かないんじゃなかったでしたっけ?」
「嘘は吐いてないから問題ない」
なんて、にかっと気持ちのいい笑顔で答えられる。
そういう問題ではないでしょうに。
「そんなことより巻き込んで悪かったな。痛かっただろ」
そして、いきなり真顔に戻って謝罪される。
調子狂うなあ。
「痛いなんてものじゃないです。それに今もまだ痛いです」
「そりゃお前が鍛えてないからだ。というか私を耐えれたんだからそこまでじゃないだろ」
「それとこれとは別ですよ」
ようやく痛みもそんな軽口をたたける程度に引いてきた。
「ほら、立てるか?」
そう言い手を差し出される。
「大丈夫です」
私はその手を取らず一人で立とうとした。
そしてよろけて壁にぶつかった。
「おいおい、無茶するなよ」
「っ大丈夫です」
体を支えられるけどそれを振りほどく。
「あの子たちに辛い様子を見せるわけにはいかないんですよ」
「あの子達?ああ、そういうことか」
私はなんとか平気そうな素振りで部屋の隅にいる二人に近づいて行った。
「(さ、さとり様大丈夫なんですか?)」
お空が私に心配の言葉をかけてくれる。
「ええ、大丈夫です。慣れてますから」
お燐は言葉を探してるようでまだ固まっている。
これが私が気丈にふるまわないといけない理由。
せっかく守ったのだからこの子達にいらぬ罪悪感を持たせたくない。
さっきはどっちでもいいなんて思っていたけど、せっかく一緒になったのだから守ってあげたくなるのは当然よね。
「(…なんであたいたちをかばったんですか)」
そうこう考えている内にお燐も口を開いた。
「なんで?家族を守るのに理由なんていらないでしょう」
「(!家族…)」
家族…か。
さっき別に返してもいいか、なんて考えていたくせによくもまあこんなことが言えたわね。
でも、実際にこの子たちを手放すかもしれないとなったとき、私はそれを認めようとしなかった。
もしかしたら私は一人になることが嫌だったのかもしれないわね。
今まではずっとこいしと二人だったから。
お燐はそれっきり黙っていた。
この子はずっと虐待されてきたから、家族なんて知らなかった。
唯一一緒だったお空は、自分が守らなきゃって思っていたから誰かに甘えることもできなかった。
実際あの男のところではお燐がいつもお空をかばって怪我してたらしいし。
だから今家族といわれて、甘えられる立場になって、いろいろ思うところがあるのでしょう。
「今すぐじゃなくてもいいからね」
そう言い私はお燐の頭を優しくなでてあげた。
「(…)」
「(あ、ずるい。さとり様わたしも!)」
「はいはい」
お空も撫でてあげる。
気持ちよさそうに目を細めた。
こんなことするのも久しぶりね。
…こいし。
こうしてるとどうしてもあの娘のことを思い出してしまう。
何かあの娘が失敗したりして落ち込んでたらこうやって頭を撫でてあやしていた。
あの娘がここにいればいいのに。
あの娘は動物が好きだった。
きっとこの娘たちのことも気に入るでしょう。
「(さとり様?)」
感傷に浸っていると二人が心配そうに私を見上げていた。
「なんでもないわ。大丈夫よ」
そういってまた撫でてあげる。
今はこの娘たちのことを考えよう。
せっかく守ってあげられたのだから。
「…私は帰るぞ。完全に忘れられてるみたいだし」
と寂しそうに言う勇儀の声が聞こえた気がした。
さとり様があの最低な男のところからあたい達を助け出してくれてから何日かたった。
最初あたいはさとり様をあの男と同一視して警戒していたけど、その疑いも晴れて、今ではお空と一緒にさとり様のペットになれたことを幸せに思っている。
でも、そんなあたいの生活は、順風満帆とは言えなかった。
その原因がこれである。
「さとり様。あたいに手伝えることってないですか?」
「あらありがとう。それなら地霊殿周りを見回りしてくれるかしら」
「…分かりました」
あたいは何度かこういったやり取りをしていた。
さとり様と生活を始めて気付いたこと。
それはさとり様のお仕事は大変なんだってこと。
何が書いてあるかわからない紙にハンコを押す仕事。
灼熱地獄跡?ってところの管理。
怨霊の統治。
ぱっと思いつくだけでもこんなにある。
だから、あたいたちを飼ってくれるせめてもの恩返しに何かお手伝いをしたいと思っているのだ。
でも、結果はこの通り。軽くあしらわれてしまって何も手伝えやしない。
何かをしてあげたいのにしてあげれない。もどかしさを感じる毎日。
…分かってる。あたいなんかじゃさとり様のお手伝いなんてできっこないってことぐらい。
人語を話せるようにはなったけど、姿はまだ猫のままなあたいではお仕事の邪魔にしかならないって。
分かってる…分かってるけど。
悔しい。
さとり様に何もしてあげれない自分が憎い。
せめて、一番大変そうな灼熱地獄跡の管理だけでも代わってあげられたら。
火車であるあたいと地獄烏のお空は暑さに耐性がある。
でも地上生まれなさとり様はそれがない。
あたいでも少し暑いなって感じるぐらいなんだからさとり様はもっと暑く感じてるはずだ。
そんな大変な場所に体の丈夫でないさとり様を行かせたくなんてない。
でも、そういってもさとり様ははぐらかして、結局あたいをそこに近づけてくれない。
…人型になれたらお手伝いできるのになあ。
なんて、いつなれるかもわからない妄想をする毎日。
「ただいま戻りました」
地霊殿を何周かし終えて、さとり様の部屋に戻ってきたあたいは、ベッドでグダってるお空を見つけた。
「あ、おりんおかえり」
「ただいま。何してんのさとり様のベッドで」
「きゅうけーい。さとりさまのにおいがしておちつくよ」
「休憩ってなにさ、あんたなんもしてないだろ。てかさとり様のにおい独り占めとか許さんあたいにも嗅がせろ」
「へ?ちょあぶな!」
あたいは言うが早いかベッドに飛び込び気持ちのいいふわふわの毛布に受け止められた。
…ほんとはお空にのしかかるつもりだったのに直前で避けやがった。
「なにすんのー」
と、お空の抗議の声が聞こえるけど無視。
今はこのさとり様のにおいを堪能しないと。
すー、はー。すー、はー。
香水なんてつけてないのになぜかいい匂いのするさとり様。
このにおいが何なのかわからないけど、例えるとしたらお母さんのにおい、かなあ。
子供のころの記憶なんてほとんどないからわかんないけど。
あったかくて優しくて、なんだかすごく安心する。
ずっとこのままで居たいとさえ思えてくる。
でも、さっきからお空が突っついてきていまいち感傷に浸りづらい。
「お空さっきから痛いんだけど」
「むしするから悪いんでしょ」
「いいから後でにしてよ。さとり様が帰ってくるかもしれないんだから…?」
あれ?
「お空。今日さとり様どこに行くって言ってたっけ?」
「え?たしか灼熱地獄跡じゃなかったっけ」
そう。今日さとり様は灼熱地獄跡に行くと言っていた。
でも、いつもなら遅くても正午にはあたい達と食事をするために戻ってくるはずなんだけど。
壁に掛けられている時計を確認する。
…午後2時。とっくに正午を超えてる。
「お空、さとり様が帰ってきたところ見た?」
「え、見てないけど…え、2時?」
お空もあたいの視線を追いかけて時計を確認した。
やっぱり2時なんだ。あたいの見間違いとかじゃなく。
…嫌な予感がする。
「お空!行くよ!」
「うん!」
あたい達は毛布を投げ捨てて走り出した。
目指すは灼熱地獄跡。ここらで一番暑いところ。
気のせいであってください、と願いながら。
「…ここは」
目が覚めた私の視界には見知った天井があった。
「おはようさとり」
すぐ隣で声がした。
まだ意識が朦朧としているけれどその声に聞き覚えがあることはすぐに分かった。
「…何があったか説明していただいても?」
私は彼女の方を振り向きながら言った。
彼女とは、この間勇儀とラヴコメしてた水橋パルスィのことだ。
「別にいいけどあんたなら心読んだ方が早いんじゃない?後、まだ動かなかない方がいいわよ」
またか。地底に来てから私の能力が利用されること多くないですか。
普通ならこんな能力嫌われるはずなのにあの鬼といいこの鬼といい。
「頭が覚醒しきってないので説明していただけると助かるのですが」
「あ、そう。まあいいけど。というか何にも覚えてないの?」
「そうですね…」
私は目覚めきっていない頭を動かして記憶を呼び覚まそうとした。
「灼熱地獄跡の管理をしていたところまでは覚えているのですが…」
そこからか…と、面倒くさそうにつぶやくパルスィ。
「あんた、失神してたのよ。熱中症で」
「失神?ということはあなたが助けてくれたのですか?」
勇儀ならともかくなぜこの人が地霊殿に?
「別に助けたくて助けたんじゃないわ。誰があんたみたいな奴のところに好き好んでいくのよ」
あいつを除いて、と苛立ちながらつぶやかれる。
いつも浴びせられるような悪態を吐かれる。
でもいつものような悪意のためではないように感じられた。
この感情は、嫉妬かしら。
もしかして勇儀がたびたび私のところを訪れるからそれで恨みを買われている?
…あの鬼はどこまで私に面倒事を押し付けてくるのかしら。
「この傷を見なさい。あんたの馬鹿烏に突っつかれたのよ」
そう言い彼女は右腕の袖をめくる。
なるほど確かにくちばしで突かれたような傷がある。
「お空が?なぜでしょう?」
「失神したあんたを助けるために私を呼んだのよ。その時に勢い余ったってわけ」
「それは…ご迷惑を」
「まったくよ。まあいいわ」
パルスィは袖を伸ばしながら話を続ける。
「それで連れてかれた先に倒れたあんたと猫がいたのよ。後は私があんたをここに運んで手当したってわけ」
苛立ちながら締めくくるパルスィ。
あんな風に大事に想われるなんて妬ましい、とか言いながら。
「なるほど。ご迷惑をおかけしましたね。そしてありがとうございます」
少し楽になってきた私は上体だけ起こして頭を下げた。
「礼なんていらないわよ。無理やりやらされたんだから」
と、悪態をつかれる。
でも、本気で苛立ってるわけではなさそう。
「あんたも自分の身の管理ぐらいちゃんとしなさい。あんたは良くても心配する奴らだっているんだから」
「そうですね。分かりました」
説教まがいなことをされる私。
案外面倒見がいい鬼なんですね。
「あんた見た目通り体弱いんだから、ペットも協力させたらどう?あの子らなら暑さにも強いでしょ」
「そんなわけにはいきませんよ!」
彼女の提案を即座に否定する。
そうするわけにはいかない理由があるから。
「どうして?人型になれないからと言って何もできないってわけじゃないでしょ」
「確かに彼女たちに手伝ってもらえればいくらか楽にはなるでしょうけど」
「あそこは怨霊がたくさんいます。そこらの幽霊なんかよりずっと危険な。そんなところに彼女たちを連れていけませんよ」
せっかくできた家族なんだ。危険な目に会わせたくはない。
もう二度と家族を失いたくなんてない。
「ふーん…つまらないわねあんた」
一瞬私は気圧された。
怒りのこもっているような彼女の声に。
「つまらない?どういう意味です」
「あんたが嫉妬するにふさわしくないからよ」
嫉妬?
全ての者に忌み嫌われるさとりにとって最も縁遠いといってもいいような言葉。
そんな言葉を吐かれるなんて。
「両思いなら何も問題ない。そんな奴だと思っていたのに、本当は片思いでしかないなんてね」
両思い?片思い?何を言っているの?
「あんたはあの馬鹿烏や猫に大切に思われてるくせにあんたはそれを返してない。ただ自分のしたいことをしてるだけ。そんなの誰だってできるわよ」
「な、私があの娘たちを大切に思ってないとでも?」
「だからそういってるじゃない」
なんて失礼な。
私の話を聞いてなかったのか。
「そんな訳ないじゃないですか。大切に思っているから危ないことをさせたくないと…」
「だからそれが自分勝手な思いだって言ってんのよ」
私の言葉がさえぎられる。
確実に怒りが込められた声量で。
「あいつらはそんなこと気にしてないわ。危険だろうがあんたが楽になるのならそれが一番いいと、本気でそう思っているのよ」
急に肩を掴まれ叫ばれる。
痛みはない。
「でもあんたはそんな気持ちに応えず、結局無理して倒れた。あいつらがどれだけ自分を責めたか分かってるの!?」
ただ、捕まれた肩から彼女の思いが伝わってくるような気がした。
「それは…でも、私だって彼女たちのことを思って…」
「片思いのなれの果ては不幸しかないのよ」
と、捕まえた肩を離しながら寂しそうに、悔しそうに呟いた。
「どこかの馬鹿みたいに、片思いを引きずって最悪の結果になるのなんて見たくないのよ。そんなの誰も得しない」
いつの間にか冴えていた私の頭に彼女の心が流れ込んでくる。
彼女が絶対思い出したくない、恐怖の記憶が。
「…ごめんなさい。そんなことを言わせてしまって」
「気にしなくていいわよ。自分で勝手に言ったことだから」
彼女はどこかすっきりしたような、吹っ切れたような声で答えた。
「そんなことより、あんたは自分のことを考えなさい。あんたの今しなければいけないことは?」
「あの子たちに謝る…ですか」
彼女の頭が大きく横に振られる。
さとりじゃなくてもわかるぐらいはっきりと否定された。
「いいえ。あいつらにもっと頼るようにすることよ」
頼るように…でも、やっぱり。
「私だってあの子たちを想う気持ちがあります。あの子たちを危険にさらすくらいならと考えてしまいます」
「それなら心配いらないわ」
自信たっぷりに彼女は答えた。
「さとり、妖怪は思いに依存するところが大きいって知ってるわよね」
「もちろんです」
妖怪にとって肉体の損傷はそこまで危険なことではない。
たとえ体が吹き飛んだとしても数日、力の弱いものでも数週間と休めば元通りになる。
妖怪は誰かの強い思いにっよって作り上げられた存在。
それは恐怖だったり愛情だったりと様々だ。
その思いが語り継がれていれば妖怪は死ぬことはない。
この世にその思いとともに縛り付けられるのだ。
しかし、そんな妖怪にも死ぬことはある
一つは弱点などを突かれ、完全に肉体が消滅したとき。
そしてもう一つは、その妖怪の存在理由が消えてしまったとき。
誰からも忘れ去られたり、その妖怪の存在が否定されると、どれだけの力を持っていようがその妖怪は消える。
逆に、多くの者がその妖怪を恐れたりすればそれに比例して妖怪は強くもなる。
外の世界に妖怪が少ないのは、化学が妖怪を否定してしまったから。
「それがどうしたのです」
「あいつらは十分強いのよ。あとは心が望めばそれは力へと変わる」
「?何の話です」
と、その時。部屋の外からドタドタとうるさい足音が響いてきた。
その音はだんだん近づいてきて、私たちの部屋の扉の前まで来た。
「パルスィさんさとり様の様子はどうですか!」
「さとり様まだ起きないですか!」
扉が開かれ、二人の妖怪が姿を現した。
一人は赤髪でおさげの少女。
一人は黒髪で長髪の少女。
どちらも私は見たことない。
「タイミング良いわね。ついさっき目覚めたところよ」
パルスィはこの二人のことを知っているみたい。
パルスィの知り合い?でもなんでこんなところに。
「パルスィさんは知っているのですかこの二人…」
「さとり様!ご無事でよかった…」
「さとり様大丈夫ですか?しんどくないですか?」
私の質問は二人に完全に阻害された。
「え、ええ。大丈夫よ。それより…」
あなた達は誰ですか、と聞こうとした私にパルスィが私のサードアイを指差していることに気づいた。
心を読めってことですか。
…!?
まさか、そんなこと…
「どうしましたさとり様?」
「やっぱりまだどこか具合が悪いんですか?」
まったく、それならそうと早くいっておいてくれればいいものを。
パルスィは心底楽しそうに私を見ている。
悔しい。ですが今回は不問にしておきましょう。
それどころではないですから。
「大丈夫ですよ。お燐、お空」
「ほんとですか?本当に大丈夫なんですか?」
お燐は私を心配するように訊ねてくる。
「ええ。心配かけましたね二人とも」
「いえ、そんなことは」
お空もお燐も私が無事だと分かるとほっとしたような表情を浮かべた、
けど、
「すみませんさとり様」
と、二人同時に頭を下げた。
「さとり様が大変だと分かっておきながらあたいたちは何もしてあげられず…」
私はお燐の言葉をさえぎって、二人を抱きしめた。
「わっ!」
同時に二人が声を上げる。
「謝るのは私の方です」
二人を強く抱きしめながら私は続けた。
「あなた達は私を助けようとしてくれたのに、私はその手を掴まなかった」
「あなた達の想いを分かっていながら無視していた。それがあなた達をどれだけ傷つけていたかも知らずに。いえ、知っていたのに理解しようとしなかった」
二人は黙って聞いてくれている。
「でも、私はようやく気付くことができた。私の愚かさを」
「こんな駄目な私に、これからもついてきてくれるというのなら、これからは一緒に生きていきましょう」
「っはい!!」
いつの間にか私も二人に抱きしめられていた。
強く、優しく。
こんなにも私を想ってくれていたというのに、私はなんて馬鹿なことをしていたのか。
でも、いいわよね。
これから協力し合って生きていければ。
「見せつけてくれて…妬ましいわ」
部屋から出ていくパルスィは笑顔でそう言っていた。
あたいは今、仕事が終わりルンルン気分で地霊殿内を歩いている。
時刻は午後7時。食事とかを済ませてちょっとしたらおやすみの時間だ。
そしてあたいはその時間のためにこの数日間を乗り切ってきたといっても過言ではないぐらい今日の夜が楽しみだ。
理由は…
「どうかしたのお燐。ずいぶん機嫌がよさそうだけど」
不意に後ろから声をかけられる。
あたい達の主の声が。
「さとり様!どうしたの、じゃないですよ」
「え、何がですか?」
あたいの鬼気迫る様子に少しおびえるさとり様。
かわいいなんて思ったら失礼なのかな。
「今日はさとり様と一緒に寝る日ですよ」
そう。これが今日あたいの機嫌がすっごくいい理由。
さとり様と二人っきりで寝るという素晴らしいご褒美のある日。
「ええそうね。でも昨日も一緒だったじゃない」
「何を言ってるんですか!それとは別ですよ!!」
またも少しおびえさせてしまう言い方になってしまった。
でも、これはさとり様が悪い。
心が読めるくせにあたいの真剣な気持ちに気づけてないのだから。
「昨日はお空も一緒だったじゃないですか」
あたい達の一緒に寝るサイクルは、一人で寝る、お空と寝る、さとり様とお空と寝る、さとり様と二人っきりで寝る、の四つで回っている。
だから、昨日と今日じゃ全然違う。
もちろんお空のことも好きだけど、さとり様のことも大好きだからこの四日ぶりの日がすごく楽しみで仕方なかった。
だってさとり様そんじゃそこらの奴らなんか比べ物にならないくらいかわいいんだから。
少しくせっげな紫髪も、整っていながら幼さが残るお顔も、園児服を彷彿とさせる洋服もすべてがかわいらしくて仕方ない。
「…その、ありがとうお燐」
「あ、いやさとり様これはですね…」
まずいちょっと興奮しすぎた。
心を読まれるんだからあんまり下手なこと考えて嫌な思いさせたらいけないのに。
「さ、さとり様はどうしたんですかこんなところで」
「え?…あ、そうそう。ご飯できたから呼びに来たのよ」
「そうだったんですか。では行きましょうか」
あたいはその場から逃げるように食堂に向かっていった。
これ以上あの場にいたら余計さとり様に不快な思いを抱かせることになるかもしれないと思ったから。
う~ん、心が読めるって便利だけど少し厄介だなあ。
「…また、あの夢か」
寝起き最悪な気分で私は目覚めた。
悪夢の内容は相変わらずこいしの夢。
何回見たってなれることのない苦痛が今日も私を苦しめていた。
でも、最近では久々かしら。この夢を見たのは。
お燐やお空と一緒に寝ていたからかここ何日かこの夢を見ることはなかった。
…あ、そういえばそのお燐は?
ベッドの周りに視線をめぐらせ、部屋を眺めてみてもあるのは見慣れた私の部屋だけだった。
お燐が私より早く起きるなんて珍しいわね。
まあいいわ。とりあえず着替えを済ませないと。
「あ、さとり様起きてましたか」
扉が音を立てずに開かれ、お燐が入ってきた。
「いつもこんなにお早いんですか。ちゃんと睡眠足りてますか?」
「え、ええ。お燐こそずいぶんと早いじゃない。」
お燐はすでに普段着に着替えていた。
手には、ついさっき入れられたであろうホットココアがあった。
「あ、これ飲みます?あたいは後でまた淹れますから」
私の視線に気付いたのか、お燐が少し遠慮気味に申し出てくる。
「いいえ。それはあなたが飲めばいいわ。それより今日は何かあったの?こんなに早く起きるなんて」
時刻は午前の4時。
いつもの私でも少し早いこんな時刻にお燐が起きるなんて普通ではありえない。
そう思い私はお燐に尋ねてみた。
「…ちょっと夜中にもよおしてしまって起きたんですよ。その時に…」
お燐は言いづらそうに言葉を濁していたけど、私の力を思い出して話を続けた。
「さとり様の寝言を聞いてしまったんですよ。とても苦しそうな、悲しそうな声を」
「…そうですか」
声に出ていたのか。私の嘆き。
お燐は私を心配するような目で見つめている。
「さとり様。あなたに何があったのですか。地上で一体どんなひどいことが。それにこいしって誰なんですか」
せき止めていた水があふれ出すように、お燐は私に質問攻めをしてくる。
私にとって触れられたくない過去の記憶について。
でも、
「…そこまで聞かれちゃったのなら、もう隠してもあなたが悶々とするだけね」
私はこいしのことを話すことに決めた。
お燐に問い詰められたから、というのもあるけれど、私自身誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
ずっと一人で悩んできたから。
誰かに相談できるなんて思ってもなかった。
だから、それができると分かってしまったらそれに甘えようとしてしまう。
弱いお姉ちゃんよね。ごめんなさい。
私は妹のこいしと二人で暮らしていた。
親はもうとっくに他界していて、私に家族といえるつながりを持つものは、このこいししかいない。
だから私はこいしに何不自由ない生活を送らせてあげるために様々なことをしていた。
こいしのほしいものはできるだけ手に入れたし、やりたいことも自由にさせていた。
ただ一つ、私の決めたルールだけを除いて。
私はこいしに許可なく家から出ることを禁じた。
こいしを人間に触れさせないために。
それ以外のことなら何でも叶えてあげたが、これだけは絶対に認めなかった。
一度だけ、こいしが外に興味を持ったことがあった。
だけど私は「絶対に駄目だ」と言って聞かせた。
ただ、私の見える範囲、つまり家の周辺だけなら外に出ることを許していた。
あの娘は生き物が好きなんだろう。
虫も動物も植物も…そして、人間さえも。
だから私はあの娘を外に外に出すわけにはいかない。
大好きな人間から裏切られるなんて、悲しい目にあわせたくないから。
「ただいま、こいし」
右手の荷物を地面に置き、扉を開けて家の中へと入る。
「おかえりさないお姉ちゃん!」
とたん元気で嬉しそうな声とともに私に飛び込む様に抱き付いてくる少女。
「きゃっ!?…もう、危ないから飛び込むのはやめなさいっていつも言ってるでしょ」
「えへへ、ごめん」
私はその少女の勢いに負け、しりもちをつく形で倒れた。
いつもと同じ小言を言うけれど、いつもと同じ答え、いつもと変わらぬ心が聞こえて結局次もこうなるのだろうなあ、なんて想像をする。
「さすがお姉ちゃんよくわかってる」
少女はにこっと笑みを浮かべて私の方を見る。
「…それを口に出しますか」
「だって意味ないもん」
「まあそうですね」
結局何の反省もしていない少女にため息をついてみる。
しかし、本心を読まれてしまうから演技だとすぐばれてしまう。
少女の名は古明地こいし。
私のたった一人の肉親で、大切な妹。
「そろそろどいてくれませんか」
いまだに私を押し倒したまま動かないこいし。
「え~もっとお姉ちゃんと一緒にいたい」
「今日はもう出かけませんから、ずっと一緒ですよ」
不満な声を上げるこいしに私は何とかなだめようとする。
こんなことを言っているけれど、私も本心から迷惑しているわけじゃない。
愛する妹の好意が嫌なわけがない。
「そりゃそうだけど、まださっきまで一人でいた分のサトリニウムが不足してるんだよ」
「サトリニウムってなんですか」
意味不明なことを言いつつ私を抱きしめ余計に動けなくするこいし。
「サトリニウムはお姉ちゃんからしか取れない私の栄養素だよ。これが不足すると動けなくなっちゃう。ちなみに一日の使用量は1億個」
「ずいぶん燃費悪いのですね」
意味不明な言葉に意味不明な説明を重ねられる。心の中ではなぜかどや顔で。
しかし、次の瞬間、こいしの心は真逆の模様になった。
「うん。だからずっと一緒にいようねお姉ちゃん」
不安そうに、顔を見せずに呟かれる。
私を包むからだは少し震えている。
「もちろんですよ。私は絶対こいしとずっと一緒です」
荷物を離しこいしを抱きしめてやる。
絶対に離さないように強く。
こいしの不安が少しでも減るように。
もう家族が私一人しかいないこいしにとって、私はこいしのすべてなのだ。
だからこいしに寂しい思いをさせるわけにはいかない。
こいしを守ってあげないといけない。
私の腕の中で震えるこいしを見つめて、その決意をより一層強めた。
「あ、今日の晩御飯何?」
突然体を離し私を見て何の関連性もない質問をする。
「ハンバーグですよ」
「ほんと!?やったー!」
こいしは立ち上がりその場で小躍りする。
気持ちの切り替え早すぎません?
まあ、そんなのは今さらな話ですか。
割といつもこんな感じですからね。
それに、いつまでも引きずって暗くなってるよりはこっちの方がこいしらしくていいですし。
「お姉ちゃんいつまで倒れてるの?買ってきたもの冷蔵庫に入れなきゃ」
そういって手を差し出される。
「そうですね。そろそろ入れないと痛んでしまいます」
あなたが倒したんでしょとは口に出さないでおいた。
出そうが出すまいがこいしには意味のないことだから。
「片方持つよ、って結構重いね。お姉ちゃんって見た目と裏腹に力持ちなの?」
「慣れただけですよ」
こいしとそんな雑談をしながら家の奥に向かっていく。
こんな日がずっと続けばいい。
こんなふうにこいしと一緒に楽しく暮らせる日々が。
それが私の細やかで一番な願い。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なんですかこいし」
今日もまたいつものように数日分の食料を買って家に帰ると、いつものようにこいしがじゃれてきたあと、いつもとは違う話を切り出してきた。
「人間ってどんな生き物?」
「!…」
人間。
その言葉がこいしから聞かされるなんて。
「…なぜ、そんなことを知りたいのですか」
「う~ん。たまにお姉ちゃんの心から『人間』って聞こえてくるから、なんとなく気になって」
「なら、今すぐ忘れなさい」
「え?」
こいしは私の態度に驚いたのか、間の抜けた声を出して私の方を見てきた。
人間のことは忘れなさい。
二度目は口に出さずに言った。
こいしの心を疑問の声が埋め尽くす。
なんで?と。
「何でもです。いいですかこいし。絶対に人間と関わりを持とうとなんて思っては駄目です。外に行きたいのなら連れて行ってあげるから」
「う、うん…」
あまり納得はしていないようだけど無理やり押し通した。
こいしには人間との関わりを持たせるわけにはいかない。
何があろうと絶対。
この娘に辛い思いなんてさせるものか。
この日の生活はひどくつまらない、静かなものとなった。
「ただいま」
今日もまた買い出しに行ってきた。
人間のところに何度も足を運ぶのは嫌だけど、自分で狩りできるほど身体能力に自信もない。
それに、身近な動物は大抵こいしのペットになっているから余計に手が出せない。
少しだけ不便だけど、私が我慢すればいいだけだしまあいいかなんて思っていた。
そんなことを考えていたせいか、違和感に気づくのに時間がかかった。
こいしが飛び出してこない。
いつもならとっくにこいしに押し倒されているのに、今日はそもそもこいしが来ない。
でも、家にいないわけではない。
さっきからこいしの心の声が聞こえている。
なぜか私におびえているような声だけれど。
何かあったのかしら。
「こいし、どうしたの」
家に入り、台所を通り過ぎるついでに荷物を置いて、私はこいしのいる居間にやってきた。
「お…おかえり、お姉ちゃん」
こいしは私が来ることを分かっていたはずなのに驚いたように背中を跳ね上げてこっちを見た。
心には焦りと恐れ、それに罪悪感が入り乱れていた。
「なにかあったの」
「な、なんでも…」
ないとは言い切らず口を閉じた。
そんなこと、言ったところで何の意味もなさないと分かっているから。
こいしが私の質問を受け止めた時点でもはや手遅れなのだから。
一瞬浮かんだその言葉を、私に覚られるよう必死に消そうとするこいし。
忘れろ、考えるな、と。
だがその言葉は一瞬だったが私にはひどく心に残るものだった。
「…人間にあったのですか」
「!う、うん…」
居づらそうにうなづくこいし。
私はわざとらしくため息をついて、こいしに問いかけた。
「どこで、どうやってですか」
「…家のすぐ近くで」
一度ばれてしまったものはごまかしようがないと思ったのか、こいしは観念して話しだす。
家の近く?そんなところまで人間がくるなんて。
「その、迷子だったみたいで、それで…」
「気にかかって話しかけた、と」
こくり、と小さくうなずく。
「で、でも、あの子そんな悪い子じゃないと思うんだけど…」
「黙ってなさい」
普段とは違う声色におびえたこいしはもう何もしゃべらなかった。
どうしよう怒られる、と焦るこいしの心の声が聞こえてくるが、私にはそんなことをしている暇はない。
どうやってこいしを守るか、ただそれだけを考えないと。
人間が私のことを気味悪がっても何もしてこないのは、ある意味信頼関係が結ばれているからだ。
何年も人間の町に来るくせに一度も人間を襲ったことのない私を人間たちは嫌悪はするが殺そうとまで考えるものは少なかった。
そして、そう考える者たちは、私の怒りに触れることを恐れた町の人間に諭されあきらめる。
だからこそ、私たちは警戒され疎まれながらも今まで平和に暮らせられていた。
だが、人間の子供に手を出したとあらばそんな関係は消え去る。
すぐにでも私たちを殺そうと専門の武器や人材を集めることだろう。
「私あの子に何もしてないよ!」
私の思考はこいしによって中断させられた。
つい口を滑らせてしまったからか、こいしは慌ててその口を閉じた。
「事実は人間が作ります。たとえこちらが無罪だったとしても関係ありません」
うちの子供が妖怪に連れ去らわれた、と誰かが騒げばどれだけこちらが否定しようがその子供が否定しようが誰も聞く耳を持つことなんてないだろう。
「とにかく、もう絶対に人間には近寄らないこと。これを約束しなさい」
「……」
「こいし!」
「…だ」
「え?」
「いやだ!」
はっきりとした拒絶の声。
それは、何度も聞かされてきたもの。
だが、こいしからは一度もなかったもの。
「なんでそんなこと言われなくちゃいけないの!?私はただあの子と遊びたいだけなのに!何も悪いことなんてしてないのに…」
こいしは自分の力がどれだけ嫌われるかを知らない。
私が絶対に近づけなかったから。
この娘に与えた生物と触れ合う機会は私たちを好む動物たちだけだった。
だからこんなことが言えるのだ。
何も知らないが故に、世の不条理を嘆いているんだ。
そうなったのは、私のせい。
だから、私が何とかしないと。
「…こいし、あなたに真実を教えます。私があなたから隠してきたものを」
え?と、地団駄を踏んで泣いていたこいしは私の方を見た。
「ただ、これは酷く心を苛むものです。できればあなたには見せたくない。でもあなたがどうしてもその子に会いたいと願うなら、覚悟を決めてください」
少しの恐怖心と好奇心がこいしの心を支配した。
そして、それでも人間に会いたいという思いが現れた。
「…仕方、ないですね」
私は自分の心に〈想起〉した。
ここでは絶対に考えないようにしていた、外の世界について。
その光景は異質なものだった。
いや、人間にとっては当然なのかもしれないが。
町を歩く少女。ただ歩いているだけの少女。
その少女に対しすれ違う人々は様々な言葉をぶつける。
化け物、恐ろしい、気味悪い、怖い、帰れ、消えろ、………死ね。
少女―――古明地さとり―――は何もしていない。
ただ、買い物をしているだけで、何も悪事などしていない。
ただ、覚り妖怪というだけだった。
それだけで、人々は忌み嫌い、恐れ、恨みをぶつける。
気味悪がり逃げるもの、言葉を思い浮かべる者、叫びわめくもの、石を投げつけるもの。
そのすべてを一身に受け、家路につくさとり。
反撃するでなく、逃げるでもなく、ただただ、帰路をたどるだけ。
それでも人間は、さとりがまた現れるなら同じことをするだろう。
何度も何度も彼女の心を抉るだろう。
それが覚り妖怪というだけで…
「うそ…だよ…」
こいしが呟いた。
今の私の記憶が信じられないといった意味で。
「嘘ではありません。これは実際に起こっていることです。あなたならわかるでしょう」
私は自分の心を〈想起〉した。
そして、こいしはそれを読んだ。
だから、今の映像に嘘はあり得ない。
それは、同じ覚り妖怪であるこいしが一番よくわかること。
「でも、あの子は私のこと分かってもこんなこと言わなかった」
「子供は純粋です。親の教育によってはそうなる人もいますが、年を重ねるごとに結局周りと同じになっていきます」
そんな人間も何度となく見てきた。
「これで分かったでしょう。もう二度と人間には…」
「違う!こんなの違う!!」
「こいし!?」
バタンッ!と扉がいきよいよく開かれた。
こいしが逃げ出した。
おそらく、こいしの会ったという人間のもとへ。
「待ちなさい!っ!」
すぐに追いかけようとするが、胸を刺す痛みに邪魔をされた。
「〈想起〉の力、甘く見すぎた…」
〈想起〉は対象のトラウマを見せつける技。
自分に使えばもちろん自分のトラウマを心に焼き付けることとなる。
心が弱ければ精神が破壊され、強くてもしばらくまともに動くことなんてできやしない。
そしてそれは私も例外ではなかった。
今の私の精神は非常に不安定になっていた。
少しの衝撃で壊れてしまうほどに。
だから、私の体が意思に反して動けなくなった。
「早く!早く動け!!でないとこいしが…」
私は少しの間蹲り、何とか動けるようになった瞬間よろける足でこいしを追った。
私がこいしに追いついたとき、町の空気はいつもそれとはまったく別のものになっていた。
弓や剣で武装した人間の大人たち。
ただ立ち尽くしているこいし。
こいしと大人たちを遠巻きに見つめる野次馬たち。
そして、おそらくこいしの会ったという少女が女性の腕の中で暴れていた。
その女性は殺意すら感じさせるような剣幕で子供をしかりつけている。
武装した大人は少なく見積もっても20以上。
多分この町のほとんどの男が集まっている。
まさかこれほどまでに早く警戒されるなんて。
いや、それよりもこいしのほうが心配だ。
こいしは先ほどからこの光景に圧倒されている。
生まれて初めて直接ぶつけられる殺意に立ちすくんでいる。
とにかくこいしを連れ出さないと。
私は走った。
しかし、判断が遅すぎた。
大人たちの一人が矢をつがえていた。
もう数秒もないうちに矢は放たれるだろう。
「こいし!危ない!」
こいしとの距離はそう遠くない。
しかし家からここまで走り続け、今もまだ〈想起〉の影響で足元がふらついている私では到底間に合わない。
それでも私は走った。
無理して足が砕けようとも、たとえ私が命を落とそうともかまわない。
こいしだけは守りたい…!
そう強く願った。
何に願ったのかは分からない。
私たち覚り妖怪に願いを叶えてくれる神なんていない。
それでも私は祈った。
震える足を振り上げながら。
矢はまだ放たれていない。
まだあきらめない。
矢が空気を切る音が聞こえた。
間に合うなんて思わなかった。
できるわけないと分かっていた。
のに、なぜか。
矢は私の肩に深々と突き刺さっていた。
「大丈夫こいし?」
あまりの痛さに気を失いそうになった私は、しかし倒れず、こいしの安否を確かめた。
振り返った私が見たこいしは、かつてないほどにおびえていて、とても口が利ける様子ではなかった。
ただ、どこにも矢は刺さっておらず、血も出ていなかった。
それだけで私は安心した。
そして、私の意識は、別の感情に支配された。
目の前の人間たちは、私の登場にさらに怯えていた。
再び矢をつがえ、剣を持った大人は今にも私たちめがけて突撃しそうだった。
だが、私の心を支配したものは恐怖ではなかった。
今の私にあるものは。
私が今まで発したことのない怒りと、殺意だけだった。
少しの間、私の意識はなくなった。
しかし何が起きたのかは、目の前の惨状だけで十分把握できた。
それは、まるで地獄絵図のようだった。
全ての人間がひざを折り、倒れ伏し、意味のない、言葉にならない悲鳴を上げていた。
あるものは泣き叫び、あるものは地面にのたうち回っていた。
そして、あるものは、何の反応も示さず、ただ、倒れていた。
全ての人間に共通しているのは、この場の人間はもう、人間じゃなくなったという点だった。
言葉を話すこともできず、歩くこともできない。
ただ、その場で自らのトラウマによって精神が壊れるまで嘆き悲しむだけの存在となっていた。
私の力で目の前の人間たちの…いえ、違うわね。
私の読心の範囲は、こんな田舎町程度なら包み込んでしまうくらいはある。
だから、この惨状は今目に映っている程度なんかじゃない。
この町の全てに広がっているのだろう。
私が殺したのか。
いや、そんなことよりこいしは?
振り返ってみても姿はない。
「こいし?どこに行…っ!」
見回すため足を動かそうとする私の意思に対して、私の体がまた反抗し地面に崩れ落ちた。
胸のあたりと肩にそれぞれ違った痛みが走る。
肩の痛みはさっきの矢による傷の痛み。
それなら胸の痛みは?
答えはすぐに分かった。
自分への〈想起〉の代償に重ね、町の人間すべてに対して「想起』を使った反動で私の精神はボロボロになっていたのだ。
それらの痛みによって、もう私の体は動こうとしなかったのだ。
でもそうはいかない。
まだこいしの安否を確認できていない。
それまでは何があっても寝てるわけにはいかないのよ。
私は動かぬ体に無理やり力を込めて体を起こした。
とたん眩暈や立ちくらみに襲われたが、何とか歩けそうだった。
とにかくこいしを見つけないと。
有りえないだろうけどまだ正気の人間がいるかもしれないから。
決意を固め私はこいしを探すために歩き出した。
何とか足を速く動かそうとしても、いつもの半分の速度も出なかった。
一歩踏み出すだけで世界が揺れ、痛む肩と胸が私を倒そうとした。
それでも私は歩き続け、なんとかこいしを見つけることができた。
「なにしてるのですか」
こいしは私が近づいても反応を示さなかった。
ただ、何かを抱いて泣いていた。
「大丈夫で…」
「来ないで!」
私の言葉を遮りこいしは涙を流したまま叫んだ。
その剣幕に私が怯み、思わず立ち止まるとこいしはまた何かを抱いてわんわん声をあげて泣いた。
しばらくそうした後、こいしは涙を流しっぱなしにして、抱いたまま私をにらんだ。
「なんでこんなことしたの」
泣きつかれ枯れた声で、それでも確実に怒っていると分かる声で尋ねられる。
「あなたが危なかったから…」
「だからってこんなになるまでしなくていいじゃん!」
こいしは枯れた声を張り上げ叫んだ。
「それにこの子娘までする必要なんて…」
こいしはまた先ほどのように人間だったもの抱きしめた。
こいしの抱いているそれは、こいしと遊んだという少女だった。
少女はもうすでに精神が壊れ、その瞳は何もとらえず、その体はもう動かなかった。
その顔には青あざがあり、恐怖に歪んでいた。
「なんであの人間が矢を放つのが遅れたか知ってる?」
落ち着いたのかこいしは少女だったものをいまだ離そうとせずに抱きしめながら話した。
内容は私も疑問だったこと。
でも、今は何となく予想がついていた。
こいしがなぜこんなにも嘆いているのかも…
「この子が邪魔してくれたからだよ。だからもたついて射るのに時間かかったんだ」
ああ、やっぱりそうか。
考えれば分かることだった。
少女が捕まっていたのは、私たちをかばおうとしたからなのだろう。
少女の顔のあざは、きっと邪魔をしたから大人に殴られたのだろう。
そこまでして私たちをかばってくれた子を私は…
「この子は私たちのこと嫌ったりなんかしないよ。分かってくれる。なのに…こんな…」
こいしの声は涙にかき消され続かなかった。
うめき声はもうかなり数が減っていた。
静かになった空間に、こいしの声だけが大きく響いていた。
肩の痛みはもうなくなっていた。
あれから数日がたった。
こいしは部屋に閉じこもり、一度も私とは会ってくれていない。
ただ心の声だけが今もこいしが家にいることの証明だった。
私は今日も扉の前に座っていた。
この数日間私はここから動いていない。
ずっとここでこいしが出てきてくれることをただ待っていた。
食事も睡眠もとらなかったから何度か意識が飛んだりもした。
そして目覚めたらまた同じよう、待つだけの作業をし続けた。
でも、こいしはでてきてくれなかった。
変化があったのは、こいしが閉じこもってから10日余りたった時だった。
急にこいしの心の声が聞こえづらくなった。
例えるなら、電波の悪いところでラジオをつけた時のあの、とぎれとぎれに聞こえる時と同じような。
そんなことは普通有りえない。
私たちの能力に電波なんてものはもちろん関係がない。
体調や年齢によって衰えたりするものでもない。
私たちが生きている間ずっとこの呪われた力は健在なのだ。
ならば一体これはどういうことなのか。
「(…く…ろ……閉じ……!)」
だんだんとひどくなるノイズにこいしの声はかき消されていた。
何があったの、と問いかけても返事は帰ってこない。
扉にも鍵がかかって開けれない。
とても嫌な予感がする。
何か、このままだとひどく後悔することになるような。
そんな予感がした。
「こいし!開けなさい!」
扉をたたきこいしを呼ぶ。
返事はない。
ならば、と私は数日ぶりにこの場所から移動しキッチンから椅子を持ってきた。
今までは使うことが憚られていた最後の手段。
もっとも強引でこいしの心を無視した行為。
でも、そうはいっていられない。
そんな余裕はもうない。
私は椅子を弱った腕で持ち上げ――
――扉にたたきつけた。
数回その行動を繰り返し部屋に入った。
その瞬間私の鼻が異常を訴えた。
部屋には鉄――ちょうど雨の日の鉄棒――のような臭いが充満していた。
床に何か赤黒いものが水たまりのような液体が広がっていた。
その中心に、こいしは居た。
「お姉ちゃん」
こいしが両手でサードアイをいじりながら話しかけた。
「あんないい子ってほかにいないと思うんだ」
こいしの指は、赤黒く染まっていた。
「だから、私たちの方から好かれるようにならないとって考えたの」
サードアイが血を涙のように流していた。
「それで思いついたの。考えてみれば当然のことなんだけど」
こいしの指がサードアイに触れる。
「こんな力いらないって」
また、サードアイから大量の血があふれ出した。
「なくなったら、きっと私もお姉ちゃんもあんなひどい目に合わなくて済むんだよ」
こいしの心はノイズだらけでもう何も聞き取れなかった。
「そうでしょ?お姉ちゃん」
ザクッという今まで聞いたこともない嫌な音が聞こえた。
その瞬間、この部屋の主は私の前から消えていた。
「それから閻魔さまがやってきて、私をここへと追放したんです」
私の長い話は終わった。
お燐は終始黙って聞いてくれていた。
心までは、そうとは言えなかったけれど。
「…さとり様にとってこいし様というのは、とても大切な存在なのですね。だからさとり様はいつもつらそうな、苦しそうな表所を浮かべていると」
「顔に出ていたかしら」
「それなりに長い付き合いですから分かりますよ」
そういうものなのね。
できるだけ隠してきたつもりだったのだけれど。
「その枕が二つあるのもさとり様がこいし様のを持ってきたからですか?」
お燐はベッドにある二つの枕を指さす。
「違うわ。あれは私も意識しないうちに持ってきていたもの。多分こいしが私のことを忘れるな、といいたいから持ってこさせたのだと思うわ」
「え、さとり様はこいし様と会ってないのでは」
お燐から疑問の声が上がる。
「いいえ違うわ。こいしはサードアイを閉じると同時に、心も閉じてしまったの。無意識になったってことね」
「心が無だと私でも読むことはできないわ。だから、枕一つくらい私に気づかれず入れるくらいこいしにとっては訳ないのよ」
お燐は半分納得、半分疑問といった感じで、そうですか、と呟いた。
でもお燐が私に聞きたいことはこれだけじゃない。
もっと別で、お燐にとっては重大なことがある。
「ですからこいしを見つけることは不可能です」
「え?」
だから先にできないと断っておく。
お燐に無駄に期待して裏切らせるなんてことしたくない。
せっかくできた家族にそんなむごいことはしたくない。
「あなたは私のためにこいしを探そうと思っていますね。でもそれは無理なんです。だから気にしないでいつも通りでいてください」
「なぜ、無理なんですか」
「あなたは町ですれ違う人の顔を覚えていますか?誰かと話していた時後ろにいた見知らぬ人のことを覚えていますか?こいしはそういう存在になったのです」
こいしは嫌われないためにサードアイを閉じた。
普通有りえないその願いを、神か何かは曲解して叶えてしまった。
感情までもを一緒に閉じ、無意識になったこいしは無意識であるがゆえに誰の意識にも残らなくなってしまった。
その結果こいしは嫌われなくなった。
それどころか、喜ばれることも悲しまれることも怒られることもなくなった。
誰もこいしを気に留めなくなったから。
「…ずいぶんと詳しいですね。まるで調べたみたいに」
お燐に諦める気はないらしく、まだ話を続けようとする。
その気持ちは嬉しいけれど、今の私には厄介なもの。
「さとり様もこいし様のこと捜したんでしょう?でも無理だったからあたいを止めようとしている」
「…そうです。あなたまであんな絶望を味わうことなんてないのですから」
「でもそれじゃああたいが納得できません。あたいはさとり様に幸せになってもらいたいんです。お空とあたいを救ってくれたさとり様に恩返しがしたいんです」
「…なら、何もしなくていいです。私は今でも十分幸せで…」
「そんな訳ないじゃないですか!」
お燐が急に声を荒げた。
私は驚いて、思わず体を震わした。
お燐はそんな私の様子を見て一瞬申し訳なさそうに顔をゆがませたがすぐに引き締めた。
「さとり様はさっき言ったじゃないですか。こいし様がいなくてつらい、と。それなのにどうして今自分が幸せなんて言えるんですか」
お燐は口調を戻し、でも強く私の偽りを非難した。
お燐たちと一緒にいて幸せじゃないのかと聞かれれば、そんなことはないと自信をもって答えられる。
でも、ここにこいしが居てくれたら…と、どうしても考えてしまう。
私にとってこいしは私のすべてだった。
だからこいしのいない世界で私が完全に幸せを感じれるかと聞かれれば、無理だと答えるほかない。
お燐はそのことを言っていた。
「さとり様はさとり様なりに捜し、諦めたのでしょう。それならあたしもあたいなりに捜します。もしかしたら見つけられるかもしれないでしょう」
「そんな都合の良いことなんてありません。お願いですからやめてください」
「嫌です。何もしないままあきらめるなんてしたくありません。たとえ見つけられなかったとしてもあたいは後悔しません」
お燐は私の言うことを聞こうとしていなかった。
今までは絶対に私の指示に従っていたのに。
心では命令無視することを拒む部分もあるようだけど。
でも、それでもお燐は自分の意思を曲げようとはしていなかった。
もう私にはどうすることもできない。
お燐を説得できない。
「…分かりました。好きにしていいです」
「!本当ですか」
「ええ、あなたの満足いくようにしなさい」
どうせ無駄になるでしょうけど、とは口に出さなかった。
お燐ももう重々承知だろうから。
「では今すぐにでも捜索したいので特徴とかを言ってもらえないでしょうか」
「ええ、いいわよ」
私が答えるとお燐は、ちょっと待ってくださいね、とポケットに手を突っ込んでメモ帳とペンを取り出した。
ずいぶんと用意のいいこと。
「とは言っても私だって最後に見たのはかなり前だから変わっているかもしれないけど」
と、前置きして私はこいしの姿を思い浮かべながら説明した。
薄く緑がかった癖のある灰色のセミロングの髪。
白目部分が少ない緑の瞳。
鴉羽色の帽子がお気に入りで、薄い黄色のリボンがついている。
上の服は、黄色い生地に二本白い線が入った緑の襟にひし形の水色のボタン、そして黒い袖。
スカートは緑の生地に同じような白線が二本入っている。
胸の近くには私と色違いで、青色のサードアイがあった。
多分今は無くなっているか眼が閉じていると思う。
忘れているなんてことはなかった。
こいしのことをいつも考えていたから。
こいしと生き別れてからの何年もの間、こいしへの愛情も罪悪感も忘れたことはなかった。
「…分かりました。それではお空にも少し話してから行ってきます」
「ええ、お気を付けて。それから…」
「?なんですか」
「…見つけられなかったとしてもあなたはちゃんと帰ってきてね。あなたも大事な家族ですから」
「!はい。分かりました!」
お燐は意気揚々として出ていった。
…なぜ私はあんなことを?
あんなことを言えばお燐のやる気に火がつくことくらい分かっていたのに。
気持ちと現実の落差をただいたずらに大きくする行為でしかないというのに。
あれが私の本音だというの?
どこまでも卑怯なやつね。私は。
自分で達成できなかった目的をあの娘に押し付けるなんて。
ごめんなさいお燐。
…がんばって。
「…ていう娘見かけてないかい?」
お空にしばらく地霊殿に帰らないと伝えてからあたいはまず旧都の方へと足を向けた。
その途中、たまたま歩いていた勇儀とパルスィにこいし様の背格好を説明してみた。
「私は知らないわ。勇儀は?」
「いや、悪いが私にも心当たりはないなあ」
二人の時間を邪魔したせいかもともとの性格か、パルスィは不機嫌そうに。
勇儀は申し訳なさそうに答えた。
「そっか、じゃあまた別の人に聞いてみるとするよ」
あたいはそう言ってこの場を立ち去ろうとした。
早く見つけてさとり様を喜ばせてあげたいし、ここにいるとパルスィの嫉妬が怖いし。
でもそんなあたいの行動は勇儀の一言によって止められた。
「あ!ちょっとまったお燐。思い出した」
「にゃっ!?」
いきなり大声を上げる勇儀にびっくりしながら振り返ると、パルスィが耳をふさいで勇儀をにらんでいた。
あたいの距離で少し耳に残るんだから間近で聞いたパルスィにとっては、うるさいどころか痛かったんだろうな。
「あ、いやすまん。ってそうじゃなくてだな。心当たりがあるんだよ、お前の言ってたやつに」
「え、それ本当かい?!」
まさかこんな早く手がかりが見つけられるなんて。
案外簡単に済むのかな。
それならいいけど。
「ああ、確か旧都の仲間の一人が言ってたんだ。娘が変なこと言うって」
「変なことって?」
「娘がほかのだれも覚えてない友達がいたんだ、って何回も言っていたらしいんだ。数年前の話らしいがそのせいで一時期周りから変な目で見られるって相談されたことがあったんだ」
覚えてない友達?
確かこいし様は眼を閉じて無意識になったってさとり様は言っていた。
何人かの子供と遊んでいたこいし様のことを、偶然その子は覚えていたってことかな。
子供には子供だけの友達――イマジナリーフレンドだっけー―ってのがいるって聞いたことあるけど、もしかしてそれの正体ってこいし様なのかな。
まあなんにせよ、その子には一度会ってみたいな。
「勇儀、その子に会わせてもらえる?」
「ああ、分かった。今から案内しようか」
「ありがとう。助かるよ」
「…まあいいけどね」
隣にいたパルスィが突然呟いた。
怒っているような悲しんでいるような、何とも思っていないような声で。
「っとすまんパルスィ。今日は…」
「気にしないで。あんたの性格は知ってるつもりだから。ただ、代わりにまた近いうち付き合いなさいよ」
そう言い残しパルスィは去って行った。
「分かった。明日また会いに行くからな」
勇儀はパルスィに聞こえるよう大きな声で言った。
あたいの耳が痛くて何を言ったかは聞こえなかったけど、パルスィはすこし嬉しそうな顔をしてた。
「それじゃ行くか。ってどうしたんだ」
「いや別に、何もないよ」
痛む耳を気にしつつあたいは勇儀を追って歩いた。
勇儀の案内のもとあたいはその子と話をすることになった。
最初は初対面のあたいに警戒していた彼女だったけど、今まで誰もまともに取り合ってくれなかった話を聞いてくれるという期待が勝ったのか、かなり詳しく話を聞けた。
でもあんまりいい情報はなかった。
とりあえず背格好を説明したところそれに間違いないようで、こいし様のことだったということが確かにはなった。
しかし、肝心のこいし様を見つける方法も、なんで彼女だけがこいし様のことを覚えていたのかも分からなかった。
だからあたい達は彼女の友達にも話を聞きに行くことにした。
でも収穫はなかった。
彼女の友人は誰一人としてこいし様のことを覚えているどころか、まだそんなこと言ってるの、とあきれる人すらいた。
あたいと彼女はあきらめ、落胆して家に帰った。
あたいは社交辞令もそこそこに彼女から立ち去ろうとしたその時、突然彼女が声を上げた。
何かあったのかと聞くと彼女は思い出したと、眼を見開きあたいの肩を強く揺さぶった。
もう一度、今度は何を、と聞くとこいし様と初めて会ったときのことを、と答えた。
彼女は子供のころ自分を含め五人でよく集まって遊んでいたらしい。
ある晴れた夏の日のこと、彼女たちはいつものように集まって遊んでいた。
そしてかくれんぼをしていた時に、今思い返すと奇妙なことがあったのだという。
おにになった彼女はほかの四人を見つけた。
でもなぜかその場にいた全員が、まだ一人いると言ってその一人を探すことになった。
そして彼女が最後の一人、こいし様を見つけたという。
それから彼女は何度かこいし様と遊んだらしい。
六人であったり二人きりであったり。
そこが、他の友達とは違う点だった。
あたいは話を聞き終え、お礼を言ってその場を後にした。
彼女が覚えていてほかの友達が覚えていない理由。
それは、彼女だけがこいし様を意識して接していたという点だ。
他の四人はいつものメンバーにいつの間にか混じったこいし様とは何度か遊んでいたようだが、こいし様と二人で遊んだことはなかったという。
でも彼女はこいし様を意識して見つけ出し、その後もこいし様と二人きりで遊んだことがあった。
だから彼女にだけこいし様の記憶が残っていたんだ。
彼女だけがこいし様を「すれ違う見知らぬ人」ではなく「仲の良い友達」として接していたんだ。
つまりこいし様の捜し方は「こいし様を意識すること」だ。
無意識なこいし様を意識して捜すことによってあたいの記憶から抜け落ちないようにすれば、見つけることができるかもしれない。
「無意識」を「意識」して捜すって何か変だけど。
でもやっと手に入れた手がかりなんだから何とかやってみよう。
後はこいし様がどこにいるかだけど。
これには見当がついている。
こいし様は嫌われたくないから眼を閉じたんだ。
誰に嫌われたくないのか、それは人間の子供に決まってる。
人間の子供がいるところといえば…
目的地は決まった。
方法も分かった。
後は実行するだけだ。
最初はできるか半信半疑だったあたいの心に、今は期待と希望が差し込んでいた。
待っててくださいさとり様。
きっと成功させて見せますから。
「夕ちゃん見っけ!」
「あ、くそう見つかっちゃった」
「全員見つけられちゃったかあ。すげえな花子」
「えっへへ~。次何して遊ぶ?」
「え~と。ってもう空暗いじゃんか」
「あ、ほんとだもう帰らないと怒られちゃう」
「んじゃ今日はこれくらいで、明日また遊ぼうか」
「そだね、じゃばいばーい」
「うん、ばいばい。私も帰ろ。あ、ボール片づけておいてね」
子供たちは暗くなったそれを見上げて大急ぎで帰っていく。
最後に残っていた子もボールを私に任せて帰って行った。
女の子から離れたボールが空しく地面を転がり、私の足に当たった。
今日も私は誰にも意識されず遊んでいた。
無視されるわけではなく、でも気づかれることもなく。
私の願いは叶えられた。
誰も私のことを嫌わなくなった。
でもそのかわり、誰も私を意識しなくなった。
…これでいいんだよね。
これが私の望んだこと。
そのはずなんだけど。
なんでかそのことを意識すると、胸が苦しくなる。
感情も捨ててしまったはずの私の心が痛む。
…もうここから離れよう。
早くどこか寝床を確保しないといけないし。
今日はどうしようかなあ。
「そこの御嬢さん。暇ならあたいと一緒に遊ばないかい?」
声がした。
ここには私しかいなかったはずなのに。
私は辺りを見渡した。
そこには、いつの間に現れたのか猫耳の少女がたっていた。
他には誰もいない。
「捜したってほかには誰もいないですよ」
その少女は私の心を読んだかのようにまた私に話しかけた。
「なんで、私のことが見えるの?」
私は今も能力を使っている。
誰にも意識されず誰にも気づかれないはずなのに。
なんでこの猫耳少女は私を見て私に話しかけられるの。
「あなたのことを覚えていた子がいましてね。その子からあなたの見つけ方を聞いたんですよ」
私のことを覚えていた子?
そんな子がいたの?
それに私の見つけ方だって?
いやそれより、なんでこの少女は私を捜しているんだろ。
「申し遅れました。あたいはさとり様のペットの火焔猫燐。よくお燐って呼ばれます」
「さとり…?もしかして」
「古明地さとりですよ。覚えていますよねこいし様」
古明地さとり。
覚えていないはずがないその名前。
私の、たった一人のお姉ちゃん。
そのお姉ちゃんのペット?
…ああ、そういえば見たような気がする。
私自身無意識に自分のしたいことをしてるせいかあんまり人の顔って覚えてないんだよね。
「それで、なんで私を捜していたの?」
「さとり様に会わせるためです」
「…それはお姉ちゃんの指示?」
「違います。あたいの意思です」
「そう。どっちにしろ私は行かないよ」
もう何年もお姉ちゃんとは会っていないし、最後の別れ方からして今さらどんな顔して会えっていうのか。
それに、私はお姉ちゃんに会うわけにはいかないんだから。
「こいし様はまだ許していないのかもしれませんが、とにかく一度会ってみてください。さとり様はあなたのことでひどく気に病んでいるのです」
許す?
…ああ、話したんだ。あのこと。
それだけこの子は信頼されてるってことか。
良かったじゃんお姉ちゃん。
そんなに信頼できる人が近くにできて。
「勘違いしてるみたいだけど私そのことはもう怒ってないよ。むしろ後悔してるくらい」
「なら…」
「でも、私は帰らない」
「な、なぜですか!」
お燐と名のった少女が声を荒げた。
驚きの含まれた声だった。
よっぽど必死なんだろう。
それだけお姉ちゃんのことを想ってるということだろうから私もうれしい。
けど、今は少し面倒かな。
「私の話を聞いたんだったら、私のしたことも知ってるんでしょ?今さら私がお姉ちゃんにどんな顔して会えばいいっていうの」
「そんなことさとり様は気にしませんよ」
「そうかな?そうだったとしても私は帰らないよ」
そういって私は逃げようとした。
無意識を操ればこんな妖怪猫一人どうってことないと思った。
でも、それが間違いだった。
「おっと、逃がしませんよ」
「!?な、なんで」
私は確かに能力を使った。
お燐の無意識を操り私へ意識を向けないように仕向けたはず。
なのに私の腕はお燐につかまれていた。
「残念ですがあたいにそれは効きませんよ」
「は、離して!」
私は腕を振り回して何とか脱出しようとしたけど、お燐の力は思ったよりも強くて逃げられなかった。
「あたいはこいし様のことをずっと意識してみてたんです。いくら無意識で逃げようとしたってそもそも無意識じゃないあたいには意味ないんですよ」
「そしてあたいがこいし様を捕まえたからにはもう絶対に逃げられません。意識しようがしまいがこの手を離さなければいいだけですから」
お燐は私の腕をつかみながら、さあ一緒に来てもらいましょうかと、腕の力を強めながら言った。
マズイ、この展開は酷くマズイ。
「私にはお姉ちゃんに会えない理由があるんだよ!」
「理由?なんですかそれは」
お燐は私を逃がさない程度に力を緩めた。
…しまった。
つい焦って言わなくていいことを…
「なんなんですかその理由って。早く言わないと連れていきますよ」
「…私に会うとお姉ちゃんが不幸になるから」
「は?さとり様が不幸?そんな訳ないじゃないですか。こいし様に会えなくて悲しんでるのに」
心底納得いかないといった様子でお燐が食って掛かってくる。
まあ何の説明もしてないからこうなるのも当然だよね。
「私を見たらお姉ちゃん、きっとあの事を思い出して罪悪感にかられると思うの。だから私はお姉ちゃんに会いたくないんだ」
「そんなの、さとり様と仲直りすればいいだけでは。こいし様も後悔してるんですから」
そう簡単にいけば苦労しないんだけどね。
「お姉ちゃんって責任感強すぎると思わない?」
「え?確かにそう思うときもありますけど」
「でしょ。だから、仲直りなんてしてもお姉ちゃんはずっと引きずることになると思うの」
「ただでさえお姉ちゃんにひどいこと言った私がこれ以上お姉ちゃんを傷つけたくないの」
「…でも、それはそれでさとり様は苦しんでいますよ。こいしに許してもらえないと思って」
それについては私に考えがある。
お姉ちゃんのために私だっていろいろ考えているんだから。
というかむしろ私がお姉ちゃんに会えない理由はこっちの方が大きく関係してるし。
「お燐は今日私を見つけられた。それも偶然じゃなくて自らの意思で」
「え、ええそうですが。それが?」
「だからお燐はきっとしばらくは私のこと覚えてると思うよ。しばらくは」
「それはあたいがこいし様を意識しなくなったら忘れてしまうと言いたいのですか?」
「おしいね。ちょっと違う。意識しようとしてなくとも、お燐から私という存在が消えてしまうんだよ」
「消える?忘れるではなくて?」
お燐は納得のいかない声を上げる。
まあ私自身いまいち説明しづらいから仕方ない。
「忘れるだったらふとしたことで思い出すかもしれない。でも、私の場合消えるから思い出すこともできないんだよ」
「ですが、あの子は思い出しましたよ」
あの子。
きっと私を覚えていたという酔狂な子の話か。
「まだ完全には消えてなかったんじゃないかな。周りの人に話してたりしたら記憶にも残りやすいから」
「でも、お姉ちゃんはきっとそのうち私のこと思い出せなくなれるよ。あなたのおかげで」
「あたいのおかげ?」
「お姉ちゃんはあなたのおかげで話し相手ができた。誰からも嫌われ恐れられる覚り妖怪のお姉ちゃんが」
「このままあなたと暮らしていけば、きっとお姉ちゃんから私の記憶は消えていくよ。無意識に」
無意識である私のことを覚え続けるなんてふつう無理な話だ。
いくら意識しようと長く付き合おうと。
今まではお姉ちゃんは私との記憶を頼りに生きていた。
それがいい思い出か悪い思い出かはともかく。
「消えてしまえばお姉ちゃんが私に苦しめられることもない。そうなれば私も幸せ。だから私はお姉ちゃんには会えないの」
「…さとり様がこいし様のことを忘れるなんてことはあり得ないと思うのですが」
「そんなことないと思うよ。前までのお姉ちゃんはもっと真っ暗で希望なんて何もないみたいな顔してたもん。今はだいぶ明るい顔も増えてきた」
私自身無意識に行動しているせいであんまりしっかり覚えていられないんだけど、お姉ちゃんは前より確実にいい顔になってきている。
お姉ちゃんのこと今でも大好きな私にとってこれほどうれしいことはないからか、これに関してはほかの記憶よりもはっきりと覚えている。
「分かった?私がお姉ちゃんと会えないって。分かったら離してくれる?」
私はもう一度腕を振り回してみた。
でもお燐の腕は私から離れなかった。
「…あなたはどうなんですか」
「へ?」
「だから、こいし様はどうなんですか。本当にそれで幸せなんですか!」
「わ、私?私はお姉ちゃんが幸せならそれでいいよ。もともと私が報われないのは当たり前なんだから」
「嘘ですね」
え?嘘?
「いやいや、嘘なんかじゃ…」
「じゃあなぜさとり様が地下に来るときご自分の枕をもっていかせたんですか」
「…!そ、それは…」
「本当はさとり様に会いたいのでしょう?自分のこと忘れてほしくなんてないのでしょう!?」
その通りだった。
あの行動は私の本能が、無意識が、お姉ちゃんに私を忘れてほしくないと望んだからだった。
いくらお姉ちゃんが幸せならそれでいいなんてきれいごとを並べても、私自信本当はお姉ちゃんに愛されたいなんて身勝手な思いを抱いている。
でも、
「だからって今さら私がお姉ちゃんに会うなんて虫が良すぎるじゃんか!」
お姉ちゃんのことを理不尽に怒って、トラウマまで作って。
そんな私がお姉ちゃんと一緒にいていいはずがない。
許されるはずが…
「こいし様はさとり様がそんな性格だと思うのですか?」
え?
「さとり様がこいし様のこと、許さないなんて思うのですか?」
それは…
「何年も一緒にいたのにさとり様のことをそんなふうに思っていたんですね」
「ち、違う!お姉ちゃんはそんな人じゃない!」
「なら、謝りに行けばいいじゃないですか。そうすれば全部解決じゃないですか」
「う、うるさいっ!離せ!」
私は力いっぱい腕を振り回した。
すると、お燐の腕は拍子抜けするくらい簡単に振りほどけた。
自由になった私はお燐に背を向け走り出した。
とにかく逃げないと。
でないと今までの私が全部無駄になる。
能力も使わず周りも確認せず私は走り出した。
が、すぐに止まった。
何かにぶつかって。
「いった!」
「だ、大丈夫ですかこいし?」
「あ、うん。大丈夫。そっちこそ…」
え?
あれ?
今の声、聞き覚えがあるような。
「そうですか、ならいいのですが。あ、それと少しお話しさせてほしいのですがよろしいですか」
「え、うん」
いやいやなにがうん、だ。
全然よくない。
だってこの声の主は。
感情がなくなろうと、無意識になろうと。
私が絶対に忘れなかった。
私の大好きな。
「お姉…ちゃん?」
「はい、なんですか?」
「なんで、ここにいるの?」
「お燐が地上に行ったと聞いたので心配で」
「そっか、お姉ちゃん優しいもんね」
いや、こんな談笑してる場合じゃない。
一刻も早くここから離れないと。
せっかく今まで私が我慢してきたことが無駄になる。
「ってお姉ちゃん、離してくれると嬉しいんだけど」
お姉ちゃんは私の腕をしっかりと両腕で捕まえていた。
「駄目です。お燐がここまで頑張ってバトンを渡してくれたのですから無駄にはできません」
「え、バトン?…お姉ちゃんもしかしてさっきの話?」
「お燐がこいしに詰め寄ったあたりから…」
お燐が詰め寄った?
それってつまり…
「私の本音全部聞かれてるじゃん!」
なんてこと。
まさかこんな伏兵がいたなんて…
「もしかしてお燐がいきなり口調強くなったのって」
「あ、はい。さとり様に気付いたので無理やりにでも本音を聞き出しておこうかと」
「なんて用意周到なんだこの二人…」
なんで?なんで今までちょっとシリアス気味だったのにこんなんになるの?
「こいし」
「ひゃい!?」
めっちゃ変な声でた。
恥ずかしい。
「私たちはどうやら壮絶なすれ違いをしていたみたいね。私はあなたに許されないとあきらめていて、あなたはあなたで私に同じように思って」
「そ、そうだね」
「でも、思うことは同じだった。二人ともまた一緒に暮らしたいと。そう思っていたんですよね?」
「う、うん。私お姉ちゃんと一緒に居たい」
「なら話は決まりです。過去のややこしいことは忘れて今を生きましょう。こいしさえよければ、ですが」
そんな自信なさそうな声で聞かれても、こうなってしまったら私の答えなんて一つしかありえないじゃない。
「いいよ!いいに決まってるよ!…私の方こそ、お姉ちゃんが許してくれるか気になるんだけど」
お姉ちゃんはクスッと笑って、そして、私を抱きしめてから。
「もちろん。いいですよ。こいし」
笑顔でそういってくれた。
「まったく。お二人とも心では同じようなこと思ってるくせに見事に裏目に出てるから話してて笑いそうになりましたよ」
「ごめんなさいねお燐。面倒なことになって」
「ありがとお燐。ちょっと釈然としないけど私がお姉ちゃんに素直になれたのはあなたのおかげだったよ」
「気にしないでください。あたいがしたくてしただけですから」
地霊殿への帰路の途中。
私たちは並んで三人仲良く話しながら帰った。
今までのこと、これからのことなんかを話しながら。
隣には妹の、もう一方ではペットの笑顔がある。
そして私にも…
こんな日がこれからずっと続くように頑張ろう。
そう、心に固く決意した。
もちろん家族みんなの力を借りて。
「映姫様。あの人たちへの罰。厳重注意だけでいいんですか?」
「こら、小町。今は仕事中です。四季と呼びなさい」
「今は休憩時間なんだからいいじゃないですか」
ここは地獄の食堂。
映姫様とあたいは持ち込んだお弁当を広げて食べている。
「休憩時間といっても仕事場です。けじめはつけなさい」
「はいはい。相変わらずお堅い方だ。まあそんなところがかわいいんですけど」
「…だから、そのような発言は控えなさいと」
あ、顔赤くなってる。
こんなんですぐ恥ずかしがるんだからこの人はやっぱかわいいは。
「それでなんでしたっけ。…ああ、あの二人への罰の件でしたね」
「え?ああそうですそうです」
「あなた自分で振っておきながら忘れていたのですか」
映姫様ににらまれる。
でも、まだ頬が微かに赤く染まっているせいでいつもの迫力が全然ない。
「むしろかわいい。抱きしめたい」
「…声に出ています。慎みなさい!」
悔悟の棒の一撃があたいの脳天をとらえる。
「いった!ちょ、休憩中ぐらい勘弁してくださいよ!」
「あなたが不適切な発言をするからです」
「う~」
痛む頭を押さえて何とか痛みを和らげようとする。
「…さとりさんには少し思うところがあったので、それに何も問題はなかったですからあれぐらいでいいんですよ」
「思うところ?」
「結果だけで見れば重罪ですが彼女の待遇を考えればもっと考慮してあげたかったのですよ。だから、今回の件はその帳尻合わせということで」
「はあ、そうなんですか」
「理解していませんね」
「はい。あ、この卵焼きおいしいです。どうやったんですか?」
「…人の話を聞くときはものを食べない!」
「ぎゃん!」
時間を遡ることお燐とさとりが地上にいるころ。
「はあ~さとり様大丈夫かなー」
「まあお燐もいるし大丈夫だと思うけど」
「私も行きたかったなあ。地上」
「でも仕事あるからなあ」
私は灼熱地獄でほかのペットたちとここの管理をしていた。
ただ、していたといっても心が上の空でいつものような業務はできていなかった。
そ、そのとき
〈侵入者発見!侵入者発見!〉
「へ?侵入者?」
ここの警報装置が起動していた。
こんなところに侵入するなんて奇特な人もいたものだなあ。
なんて思いながら警報のなる方へ飛んでいく。
「そこのお前。このあたりで一番強い地獄烏を知っているか」
侵入者と思われる人を見つけたらいきなりそんな質問をされた。
一番強い地獄烏?
私かなあ。
人型になれるし、人語話せるし。
「多分私だと思うよ。で、あなた誰?」
「そうかおまえか…」
「ちょっと?」
私の声が聞こえていないのか無視しているのか。
目の前の侵入者はしばらくしてやっと反応を示した。
「なら、お前に八咫烏の力を授けよう」
「へ?なにそれ」
「太陽の力を司る神の力だ。これがあればお前はより強くなれる」
「ふ~ん?くれるっていうならもらうけど私何も持ってないよ」
「見返りなどいらん。今はな…」
そういったかと思うと侵入者はいつの間にか消えていた。
そして、私の体にも変化があった。
両足が変な靴を履いていて、右腕に大砲みたいな筒がはめられていた。
そして、胸には大きな赤い球体。
でも、それ以上に私は、私の体に走る新たな感覚に戸惑っていた。
力がみなぎってくる。
どんなことでもできると、そう思えるくらいに強い力が。
でも何しよう。
力があったって使う必要がなかったら意味がない。
…そういえばさとりさまってなんで地下に来たんだろう。
もともと地上にいた妖怪が地下に来るのは、何かしら問題を、それも大きな問題を起こしたものだけだってどっかで聞いた。
でもあの温厚で優しいさとり様が自分からそんなたいそうなことするなんて思えない。
となれば答えは一つ。
地上のだれかに、そうせざるを得ない状態をつくられたんだ。
さとり様はそいつのせいでこんなところに住むことになったんだ。
きっとそうだ。そうに違いない。
…地上か。
このみなぎる力、試すにはちょうどいい相手だ。
さとり様の敵もろとも焼き尽くして、地上に新たな地獄を作り出そう。
東方地霊殿へ続く
読みやすいけど地の文に作品を支える力強さがないのが残念。
時に彼女たちをサポートする勇儀とパルスィの面倒見のいいキャラも素敵でした。
そして一難去ってまた一難とはよく言ったもので、少し急な気もしましたが、作品の内容を踏まえつつ本編の騒動に繋がるという流れもまとまっていました。
一つだけ、差し出がましいことかもしれませんが、感嘆符や疑問符の後にスペースを入れる、三点リーダは二つ続けるなどといった、いわゆる作法は小説を読みやすくするためのものでもあるので、導入してもいいかもしれません。
個人的に特にその二つが気になってしまうので……
ただ一点だけ、老婆心ながら申し上げるとすれば、一つの投稿作の中で視点を何度も変えられてしまうと、ちょっと混乱してしまうかも知れません。
返す言葉もございません。ですがいい作品と言ってくださりありがとうございました。
2様
ありがとうございます
3様
感想ありがとうございます。そしてご指摘も。
すいません知りませんでした。確かに家にある本を読み漁ってみてもその通りでした。
今後生かしていきたいと思います。
4様
ありがとうございます
7様
えっと、すみません「スライド」とはいったい何のことなんでしょう。学がなくて申し訳ございません。
8様
優しいコメントありがとうございます。
ご指摘通り、確かに分かりづらくなっていましたね。次回から生かしていきます。
コメント返信遅れて誠に申し訳ございませんでした