「はぁ!? ふざけんなよッ! こんなはした金にしかならないのか!?」
差し出された小銭を目にしたわたしは古道具屋の店主である半妖の眼鏡を怒鳴りつけた。店主はわたしの怒声を歯牙にもかけず、カウンターに広がったマジックアイテム達を手のひらの上でいじり始める。余裕ぶった態度だ、こいつ嫌いだ。
「値が付くだけでもありがたく思いなさい。ただの道具に戻ってしまった元マジックアイテム。残った魔力の残滓で魔女の儀式用に遣えないこともない、という程度の代物だ。この値で納得できないというのなら、お引取り願おう」
正論だった。そもそもわたしがこいつらを手放そうと思ったのも異能が発動出来なくなったからである。いくら長い逃亡生活を支えてくれてた道具だろうと使えなくなれば持っていても荷物になるだけだ。わたしは道具に愛着が湧くようなセンチな性格をしていない。むしろそういった使えない奴は容赦なく切り捨てていくタイプだ。どっかの間抜けな小人みたいに。スキマ妖怪の傘がまだ機能していたなら使えない道具だろうと収納も苦にならなかったのだが。
腹立たしい。
「クソ半妖! メガネ! けちんぼ! 潰れちまえこんな店!」
わたしは捨て台詞を吐いて小銭と小槌のレプリカを引っ掴み駆け出した。古道具屋を飛び出すついでに進行方向にある小道具を苛立ちに任せて蹴っ飛ばしながら。「こら、やめないか!」とかいう声が聞こえた気がしたが勿論無視した。
腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい!
わたしの苛立ちの原因は道具に安値しか付かなかったことではない。一週間ほど前から、以前は絶え間なく襲ってきていた追っ手や刺客がさっぱり来なくなってしまったからである。襲撃者スキマ妖怪を最後に、示し合わせたかのように。
――いや、スキマ妖怪の襲撃を最後に、と言うと語弊がある。わたしのマジックアイテムの魔力切れを最後に、というのが正確である。あのいけすかないスキマ妖怪は、冗談のような密度の弾幕でわたしを追い詰めておきながら、あと一歩のところで攻撃を中断した。
『もう十分ですわ。天邪鬼。これで貴方は何も出来ない』
どうやってわたしの道具達の魔力切れを察したのかは定かではないが、そんな台詞を残してあの女は去った。思い出すだけでハラワタが煮えくり返る、ふざけた態度だ。ああいう余裕のある強者が一番気に入らない。死んでしまえ。
ともかく、襲撃は止んだ。そのことに気が付くのに三日ほどかかったが。気づいてからわたしは安心するより先に、怒りで目の前が真っ赤になった。奴らは、道具のなくなった天邪鬼なんてわざわざ出向いて相手取る必要はないと判断したのだ。殺す価値もない妖怪。
ふざけるな。ならば、生かす価値もないはずだ。殺しに来るべきだ。幻想郷をさんざん引っ掻き回したこの天下の天邪鬼を。
止んでしまった襲撃は暗に幻想郷の住人全てが、わたしに何の価値もないとでも言っているようだった。耐え難いほどの屈辱。わたしは弱者としてさんざん悔しい思いをしてきたが、ここまでコケにされたのは始めてである。
悔しい。方向も定めず走っていたわたしは盛大にすっ転んだ。小道具を蹴飛ばしたときに足を痛めていたらしい。転倒ついでに口内に砂利が侵入する。悔しい。がりがりと砂を噛み締めて、人里に通じる往来のど真ん中でわたしは倒れたまま震える。唯一持ち出したマジックアイテムのレプリカ小槌で地面を叩く。この道具だけは未だ魔力が残っていて、それなりの破壊力があった。当たり前だがこの地を破壊するほどの威力は有さない。せいぜい河童の土木工事のような震動が響く程度である。
「正邪、なにしてるの……?」
――聞き覚えのある鈴の音のような声。思考が一瞬停止した。小槌の震動が、どうやら厄介なものを呼び寄せてしまったらしい。伏していた顔を上げると、そこには少名針妙丸の顔があった。茶碗の蓋を被った四頭身ほどの小さな体躯。しかし、元のサイズを考えると相対的にかなり大きくなっている。つまりそれだけ小槌に魔力が戻っているということだ。
「し……ひ、姫。また会いましたね。探していました」
呼び捨てにしようとして数瞬迷い、結局わたしは針妙丸を敬称で呼ぶことにした。探していた、というのも咄嗟についた嘘である。下手に敵対すると分が悪いと瞬間的に判断したのだ。ほんの一週間と少し前、完全に袂を別ったというのに我ながら往生際が悪い。
「えーっと。そうなんだ。私も会いたかった」
しかし針妙丸はそれ以上に能天気だった。わたしの『探していた』という出まかせを信用しているのか、若干笑みすら見える。しかも、『私も会いたかった』だと? 間抜けめ、背を見せた瞬間頭を叩き割ってやる。わたしは立ち上がり、針妙丸と頭身を合わせるように身を屈ませる。初めて出会ったときから彼女と会話するとき、わたしは努めて目線を合わせるようにしていた。
「ああ、いいよ正邪。無理に膝付かなくて。膝怪我してるんでしょ? 曲げると痛いよ」
察しのいい奴だった。わたしの嘘には気づかないくせに。
「気遣い感謝します」
「というか、どうしてそんなにかしこまってるの。もしかして、反省した?」
反省だと? アホか。それはわたしの性分からもっとも遠い言葉だ。
「はい……。度重なる襲撃にわたしも辟易していまして。次に貴女に会ったときは許しを請うつもりでいました」
わたしは頭を下げながら反吐のような台詞を垂れ流す。こういったプライドのない行動を瞬時に取れるのがわたしの長所だと自負していた。わたしの台詞に納得したのか、うんうんと首を縦に振りながら針妙丸は笑った。
「よかった。……でもあれ、襲撃ってこの前から止んでるはずだけど」
針妙丸は疑問符を浮かべる。しまった、そうだった。こいつはわたしを手配した張本人である。襲撃が止んでいることを知らないはずがない。
「はい。実はそのことも訊きたくて貴女を探していました。いったいどうしてわたしを追うのをやめたのか」
機転を利かせて切り返した。理由はわかっている。道具の魔力切れだ。わたしのことを、道具なしだと無価値で無害な妖怪だと判断したのだろう。その言葉が針妙丸の口からこぼれ出たら、その瞬間に怒りで奴を絞め殺してしまうかもしれなかったからわたしは全身を強張らせた。まだ襲い掛かるには時期が悪い。
「八雲紫から聞いたの。『もうあの天邪鬼は無力です。道具の魔力が尽きたようだから』って。だから手配を解除したの。道具なしだと、流石のあんたでも不可能弾幕相手じゃ命が危ないもの。捕まえたいとはそりゃ思ってたけど、私あんたにはなんだかんだ言って死んでほしくなかったから」
照れたように彼女は言う。覚悟していた侮辱の台詞を聞いて、しかしわたしは予想していたほど怒りが湧いてこなかった。あまりにもお人好しなこの小人の言動に呆れたのだろう、と自己分析する。
「でも霊夢や魔理沙辺りはまだあんたを退治する気まんまんだから注意したほうがいいよ。私はもう、捕まえようって気はそんなにないけど」
「そうですか。相変わらず人がいいですね」
「だからあんたに騙されたんだけどね」
今も騙されているけどな。もしくはわたしの殺意を看破しているぞ、と釘を刺しているつもりの台詞なのだろうか。針妙丸は笑顔である。判断はつかない。
ぐぅーっと空気を読まずに間抜けな音が鳴る。わたしの腹の音だ。そういえば朝から何も食べていない。忘れていたが、そもそもお腹が空いたから道具を売って金を作ろうと思い至ったのだった。
「おなか空いてるの?」
「空いていません」
「お団子あるけど、食べる? もともと霊夢のために買ったものなんだけど」
霊夢というのは博麗の巫女の名前だったような。こいつら、一緒に生活しているのか。針妙丸は布の手提げから団子を取り出した。ここは人里近くである。おそらく買出しにでも来ていたのだろう。
「いりません」
そう言ってわたしは針妙丸から団子を奪い取った。抗議される前に団子を口に入れる。美味い。このとろけるようなみたらしには覚えがあった。よくわたしがこの女に買い与えていた甘味処のものだ。
「まずいですね、これ」
「それはよかった」
針妙丸はわたしに倣って団子を食べる。
「こうしてあんたと並んでお団子食べるのって久しぶりだね。このみたらし団子、あんたがよく買ってきてくれてたのなんだけど、味覚えてた?」
「いいえ。まったく気づきませんでした。団子の味なんてどこも変わりませんからね」
「そう。それはよかった」
知ったような口を利く。わたしは団子を食い終え、竹串を奥歯で噛み潰しながら針妙丸と並んで歩く。今なら殺せる。そう思った。すこし歩調を遅らせて後ろを取り、小槌で後頭部を叩けば、一撃だ。柄を握る手が無意識に汗ばむ。
「ねえ、正邪」
「……なんでしょう」
歩調を遅らせようとすると針妙丸はわたしの顔を凝視した。もしかして、勘付かれた?
「もし、行く場所がないんなら、また私と――」
そこからの針妙丸の言葉は、声にならなかった。わたしは瞬時に片手で針妙丸の首を捕らえ後ろに回りこむ。博麗の巫女の姿を視界に捉えたからだ。針妙丸の話じゃたしか、奴は未だにわたしを退治する気でいるはずだ。わたしは針妙丸が盾になるよう首を支点に彼女の身体を持ち上げた。
「アマノジャク! あんたなにしてんのッ! というか、針妙丸を放しなさい!」
博麗の巫女は針を構える。いつの間にか奴の周囲には陰陽玉まで浮いている。ほんとに殺る気らしい。
「はっ! やなこった! そこから動くなよ。こいつの首をへし折るぞ」
ハッタリだった。わたしの腕力では首を折るどころか、片手で針妙丸の身体を持ち上げるのもやっとだ。元々の小さいサイズだったらおそらくわけないのだろうけど。わたしは針妙丸の喉に掛かった指にすこしだけ力を込めた。
「ぐっ、げほっ。げほ。……正邪……なんで……」
苦しいだろうに、締められたまま針妙丸は声を出す。どうやら本気でわたしの敵意には気づいていなかったらしい。「なんで?」だとさ。最高に笑える。
「ふん。なんでもクソもない。おまえを探していたなんて、うそに決まってるだろ。反省してるだって? アホか、反吐が出る。わたしは一生永遠に金輪際一切合財反省も後悔もしない。また騙されやがって、この間抜けめ」
止せ。わたしはいつも以上に調子のいい口を抑えようと意識した。しかし、止まらない。決壊したかのように、針妙丸を貶める言葉が止まらない。
「何度も何度もなーんども騙されやがって。いい加減、気が済んだか? 学習能力ってのがないのか!? ホント、お人好しを通り越した大馬鹿者め。だからおまえは喰いものにされるんだ」
止めろ。これ以上言えばもう本当にこの女を利用できなくなる。わたしとこの女の確執が決定的になってしまう。わたしの言葉に傷ついているのか、針妙丸の震えが伝わる。腕力も限界なので足が着くように地面に降ろしているから苦しくて生理的に震えているってことはないだろう。
「おまえのような間抜けは、いつかのように地面に這いつくばってるのがお似合いで――」
「やめなさいアマノジャク! 針妙丸は、あんたを……ッ!」
何故か博麗の巫女のほうが先に怒り始めた。偽善的な奴だ。わたしはこういう奴が一番嫌いだ。
「おっと動くなよ博麗の巫女。おまえがそれ以上近づけばわたしはこいつを」
「正邪のッ――」
声がした。それに遅れて胸の辺りを圧迫する衝撃が走り、わたしは針妙丸から手を放し思いっきり真後ろに後退した。
「正邪のバカーッ!!」
怒声に併せて放たれた後ろ回し蹴り。体重が乗っていないにも関わらず、なんて威力だ。痛みのあまりわたしは涙目になりながら蹴られた胸部を押さえた。針妙丸は輝針剣を懐から取り出し、蹴りの勢いを殺さないままわたしを切りつけた。
「ぐッ!」
斬撃をかろうじでかわしたが、余波だけでわたしの体躯は吹き飛んだ。輝針剣は『鬼』に特攻を持つ妖剣である。天邪鬼という種族は鬼でもなんでもないのだが、そのくせ鬼の弱さや弱点というものは諸々引き継いでいた。理不尽な話である。弱いわけだ。
輝針剣の余波のせいで全身の節々が痛んだが、立ち上がれないほどではなかった。わたしは針妙丸を迎え撃つために小槌を構えた。針妙丸もいつの間にか小槌を構えていた。こんなタイミングで同調するなんて。おかしな話だ。
「こいよ! 針妙丸! 叩き潰してやる!」
威勢のいい台詞を吐くわたしとは対称的に針妙丸は無言で小槌を振りかぶる。表情は悲痛に満ちているようだった。
果たして小槌は、たった一合打ち合っただけで砕け散った。勿論偽物の、つまりわたしの持つ方の小槌が砕けたのである。タイマンだと、わたしは小人にすら勝てないのか。
悔しい。だが、何故か腹は立たなかった。先刻さんざん毒を吐いたからすっきりしてしまったのだろうか。
尻餅をついているわたしを見下すように、針妙丸が立つ。小人に見下ろされる日が来るなんて、わたしも落ちるとこまで落ちたものだな。輝針剣を眉間辺りに突きつけられる。しかし、そこで針妙丸の動きは止まった。表情は、さっきと変わらず涙を浮かべた悲痛なもの。そんなに傷ついたのか?
騙されまくっているのだから、多少は耐性が付いていると思っていたのだが、どうやら慣れるものではないらしい。だからおまえは弱いのだ。最後にそう言い捨ててやろうと思ったのだが、その前に博麗の巫女が動いた。どうやらいつまで経ってもわたしにとどめを刺さない針妙丸に痺れを切らしたらしい。
「針妙丸! あとは、わたしが殺るわ」
言うが早い。博麗の巫女は間を置かず針をわたしに飛ばした。すさまじい潔さだ。この小人もすこしは見習ったほうがいい。
そしてわたしは博麗の巫女の水差しを好機と踏んだ。すべてをひっくり返す能力。わたしの持つ唯一の異能だ。すべて、とはいうが実はこの能力で出来ることは限られている。それでも針妙丸とわたしの立ち位置をひっくり返すことぐらい訳ない。この距離なら、十分わたしの能力の有効範囲だ。
わたしを穿とうと迫る針。それに合わせて能力を行使しようとするが、何故だかわたしは逆符を発動させることができなかった。
理由は、よく分からない。無意識に、針妙丸を身代わりにするのは気が引けたのだろうか。
だとしたらクソのような結末だ。わたしともあろう者が、小人の能天気に毒されてしまったとでもいうのか。わたしは諦めて、完全に脱力した。涙目になって死を待つ。まあ、小人に殺されるよりかは、巫女に殺されたほうが箔が付く。後悔しない性格のわたしは、そんな風に考えていた。
だというのに、せっかく諦めが付いたのに、それを邪魔するように針妙丸は振り向きざまに輝針剣で巫女の針を叩き落した。わたしは何が起こったのか理解が追いつかず呆然とした。博麗の巫女も同じようで、続けて針を飛ばさず目を丸くしている。
針妙丸は、小槌をわたしに向けた。
――ああ、なんだ。自分の手でわたしにとどめを刺したかっただけか。なら、そういえばいいのに。
「小槌よ」
小人は小槌に願う。わたしはどうかむごたらしい死に方をこいつが願わないよう祈るだけだった。後悔しないわたしだが、痛いのはやはり嫌だ。
「小槌よ、鬼人正邪を追っての来ない場所まで逃がしておくれ」
針妙丸の願いは、わけが分からなかった。
何故だ。何故、わたしを逃がすんだ。疑問を問いかけようとわたしは声を張った。しかし、わたしの身体は既に別の空間への跳躍を始めているようで声帯の振動が伝わらない。伸ばした手は針妙丸を掴めず空を掻く。
そして、暗転。気が付くと、薄暗い場所にわたしは居た。
上等な建物が立ち並ぶ、息が詰まるような圧迫感を覚える薄暗い場所。この場所の光源は行灯や蝋燭の火だけだった。空に太陽はなく、代わりにごつごつとした岩が覆っていた。
地底だ。わたしはすぐに思い当たった。強いくせに野心のない負け犬どもが集う場所。わたしはここの奴らが嫌いだ。
気に入らない場所だったが、生き延びた。わけがわからないのは相変わらずだが。一体どうして針妙丸はわたしを逃がしたのだ。
「ククク。なんでもいいさ。針妙丸、わたしを逃がしたことを後悔させてやる」
口ではそう言うが、奴のことを考えると胸の中が針でも刺さったように小さく痛むのを感じた。わたしはその痛みを無視する。休めそうな場所を探さなければ。
まだ、終われない。
差し当たって先ずは、ここの有力者に取り入るところから始めよう。
針妙丸のことを頭から追い出すために、わたしは今後のプランを必死に練りながら痛む身体を引きずった。
「針妙丸。どうしてやつを逃がしたのかしら」
咎めるような口調でなく、純粋に疑問を問いかけるように霊夢は針妙丸に訊いた。
「何度も騙されて。あんな救いようのないやつ、助ける意味なんてないでしょ」
霊夢の問いに針妙丸は首肯する。。
「そうね……あいつは嘘つきだわ。私はもう何度も騙されてるし、救いようのないやつってのもそうだと思う」
だったら何故だろう。針妙丸は無意識に霊夢の針を払った。そして考えた。何故、自分は正邪を憎めないのだろう。
「でもね、霊夢。あいつと過ごして楽しいって感じた私の気持ちは、嘘じゃなかったわ……」
そうだ。正邪と過ごした日々は、幸せだった。
正邪は鬼の国の隅に追いやられて、息苦しい生活をしていた針妙丸を連れ出てくれた。見下されがちな弱小種族の自分と初めて対等に接してくれた。
たったそれだけのこと。
だとしても、嘘だったとしても。あのとき感じた恩や幸福感は褪せないまま針妙丸の中に残っている。
針妙丸の答えを聞いて、呆れたように霊夢は息を吐く。
「……ほんっと、あんたは甘いやつね」
霊夢は針妙丸の頭を乱暴に撫でた。
差し出された小銭を目にしたわたしは古道具屋の店主である半妖の眼鏡を怒鳴りつけた。店主はわたしの怒声を歯牙にもかけず、カウンターに広がったマジックアイテム達を手のひらの上でいじり始める。余裕ぶった態度だ、こいつ嫌いだ。
「値が付くだけでもありがたく思いなさい。ただの道具に戻ってしまった元マジックアイテム。残った魔力の残滓で魔女の儀式用に遣えないこともない、という程度の代物だ。この値で納得できないというのなら、お引取り願おう」
正論だった。そもそもわたしがこいつらを手放そうと思ったのも異能が発動出来なくなったからである。いくら長い逃亡生活を支えてくれてた道具だろうと使えなくなれば持っていても荷物になるだけだ。わたしは道具に愛着が湧くようなセンチな性格をしていない。むしろそういった使えない奴は容赦なく切り捨てていくタイプだ。どっかの間抜けな小人みたいに。スキマ妖怪の傘がまだ機能していたなら使えない道具だろうと収納も苦にならなかったのだが。
腹立たしい。
「クソ半妖! メガネ! けちんぼ! 潰れちまえこんな店!」
わたしは捨て台詞を吐いて小銭と小槌のレプリカを引っ掴み駆け出した。古道具屋を飛び出すついでに進行方向にある小道具を苛立ちに任せて蹴っ飛ばしながら。「こら、やめないか!」とかいう声が聞こえた気がしたが勿論無視した。
腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい!
わたしの苛立ちの原因は道具に安値しか付かなかったことではない。一週間ほど前から、以前は絶え間なく襲ってきていた追っ手や刺客がさっぱり来なくなってしまったからである。襲撃者スキマ妖怪を最後に、示し合わせたかのように。
――いや、スキマ妖怪の襲撃を最後に、と言うと語弊がある。わたしのマジックアイテムの魔力切れを最後に、というのが正確である。あのいけすかないスキマ妖怪は、冗談のような密度の弾幕でわたしを追い詰めておきながら、あと一歩のところで攻撃を中断した。
『もう十分ですわ。天邪鬼。これで貴方は何も出来ない』
どうやってわたしの道具達の魔力切れを察したのかは定かではないが、そんな台詞を残してあの女は去った。思い出すだけでハラワタが煮えくり返る、ふざけた態度だ。ああいう余裕のある強者が一番気に入らない。死んでしまえ。
ともかく、襲撃は止んだ。そのことに気が付くのに三日ほどかかったが。気づいてからわたしは安心するより先に、怒りで目の前が真っ赤になった。奴らは、道具のなくなった天邪鬼なんてわざわざ出向いて相手取る必要はないと判断したのだ。殺す価値もない妖怪。
ふざけるな。ならば、生かす価値もないはずだ。殺しに来るべきだ。幻想郷をさんざん引っ掻き回したこの天下の天邪鬼を。
止んでしまった襲撃は暗に幻想郷の住人全てが、わたしに何の価値もないとでも言っているようだった。耐え難いほどの屈辱。わたしは弱者としてさんざん悔しい思いをしてきたが、ここまでコケにされたのは始めてである。
悔しい。方向も定めず走っていたわたしは盛大にすっ転んだ。小道具を蹴飛ばしたときに足を痛めていたらしい。転倒ついでに口内に砂利が侵入する。悔しい。がりがりと砂を噛み締めて、人里に通じる往来のど真ん中でわたしは倒れたまま震える。唯一持ち出したマジックアイテムのレプリカ小槌で地面を叩く。この道具だけは未だ魔力が残っていて、それなりの破壊力があった。当たり前だがこの地を破壊するほどの威力は有さない。せいぜい河童の土木工事のような震動が響く程度である。
「正邪、なにしてるの……?」
――聞き覚えのある鈴の音のような声。思考が一瞬停止した。小槌の震動が、どうやら厄介なものを呼び寄せてしまったらしい。伏していた顔を上げると、そこには少名針妙丸の顔があった。茶碗の蓋を被った四頭身ほどの小さな体躯。しかし、元のサイズを考えると相対的にかなり大きくなっている。つまりそれだけ小槌に魔力が戻っているということだ。
「し……ひ、姫。また会いましたね。探していました」
呼び捨てにしようとして数瞬迷い、結局わたしは針妙丸を敬称で呼ぶことにした。探していた、というのも咄嗟についた嘘である。下手に敵対すると分が悪いと瞬間的に判断したのだ。ほんの一週間と少し前、完全に袂を別ったというのに我ながら往生際が悪い。
「えーっと。そうなんだ。私も会いたかった」
しかし針妙丸はそれ以上に能天気だった。わたしの『探していた』という出まかせを信用しているのか、若干笑みすら見える。しかも、『私も会いたかった』だと? 間抜けめ、背を見せた瞬間頭を叩き割ってやる。わたしは立ち上がり、針妙丸と頭身を合わせるように身を屈ませる。初めて出会ったときから彼女と会話するとき、わたしは努めて目線を合わせるようにしていた。
「ああ、いいよ正邪。無理に膝付かなくて。膝怪我してるんでしょ? 曲げると痛いよ」
察しのいい奴だった。わたしの嘘には気づかないくせに。
「気遣い感謝します」
「というか、どうしてそんなにかしこまってるの。もしかして、反省した?」
反省だと? アホか。それはわたしの性分からもっとも遠い言葉だ。
「はい……。度重なる襲撃にわたしも辟易していまして。次に貴女に会ったときは許しを請うつもりでいました」
わたしは頭を下げながら反吐のような台詞を垂れ流す。こういったプライドのない行動を瞬時に取れるのがわたしの長所だと自負していた。わたしの台詞に納得したのか、うんうんと首を縦に振りながら針妙丸は笑った。
「よかった。……でもあれ、襲撃ってこの前から止んでるはずだけど」
針妙丸は疑問符を浮かべる。しまった、そうだった。こいつはわたしを手配した張本人である。襲撃が止んでいることを知らないはずがない。
「はい。実はそのことも訊きたくて貴女を探していました。いったいどうしてわたしを追うのをやめたのか」
機転を利かせて切り返した。理由はわかっている。道具の魔力切れだ。わたしのことを、道具なしだと無価値で無害な妖怪だと判断したのだろう。その言葉が針妙丸の口からこぼれ出たら、その瞬間に怒りで奴を絞め殺してしまうかもしれなかったからわたしは全身を強張らせた。まだ襲い掛かるには時期が悪い。
「八雲紫から聞いたの。『もうあの天邪鬼は無力です。道具の魔力が尽きたようだから』って。だから手配を解除したの。道具なしだと、流石のあんたでも不可能弾幕相手じゃ命が危ないもの。捕まえたいとはそりゃ思ってたけど、私あんたにはなんだかんだ言って死んでほしくなかったから」
照れたように彼女は言う。覚悟していた侮辱の台詞を聞いて、しかしわたしは予想していたほど怒りが湧いてこなかった。あまりにもお人好しなこの小人の言動に呆れたのだろう、と自己分析する。
「でも霊夢や魔理沙辺りはまだあんたを退治する気まんまんだから注意したほうがいいよ。私はもう、捕まえようって気はそんなにないけど」
「そうですか。相変わらず人がいいですね」
「だからあんたに騙されたんだけどね」
今も騙されているけどな。もしくはわたしの殺意を看破しているぞ、と釘を刺しているつもりの台詞なのだろうか。針妙丸は笑顔である。判断はつかない。
ぐぅーっと空気を読まずに間抜けな音が鳴る。わたしの腹の音だ。そういえば朝から何も食べていない。忘れていたが、そもそもお腹が空いたから道具を売って金を作ろうと思い至ったのだった。
「おなか空いてるの?」
「空いていません」
「お団子あるけど、食べる? もともと霊夢のために買ったものなんだけど」
霊夢というのは博麗の巫女の名前だったような。こいつら、一緒に生活しているのか。針妙丸は布の手提げから団子を取り出した。ここは人里近くである。おそらく買出しにでも来ていたのだろう。
「いりません」
そう言ってわたしは針妙丸から団子を奪い取った。抗議される前に団子を口に入れる。美味い。このとろけるようなみたらしには覚えがあった。よくわたしがこの女に買い与えていた甘味処のものだ。
「まずいですね、これ」
「それはよかった」
針妙丸はわたしに倣って団子を食べる。
「こうしてあんたと並んでお団子食べるのって久しぶりだね。このみたらし団子、あんたがよく買ってきてくれてたのなんだけど、味覚えてた?」
「いいえ。まったく気づきませんでした。団子の味なんてどこも変わりませんからね」
「そう。それはよかった」
知ったような口を利く。わたしは団子を食い終え、竹串を奥歯で噛み潰しながら針妙丸と並んで歩く。今なら殺せる。そう思った。すこし歩調を遅らせて後ろを取り、小槌で後頭部を叩けば、一撃だ。柄を握る手が無意識に汗ばむ。
「ねえ、正邪」
「……なんでしょう」
歩調を遅らせようとすると針妙丸はわたしの顔を凝視した。もしかして、勘付かれた?
「もし、行く場所がないんなら、また私と――」
そこからの針妙丸の言葉は、声にならなかった。わたしは瞬時に片手で針妙丸の首を捕らえ後ろに回りこむ。博麗の巫女の姿を視界に捉えたからだ。針妙丸の話じゃたしか、奴は未だにわたしを退治する気でいるはずだ。わたしは針妙丸が盾になるよう首を支点に彼女の身体を持ち上げた。
「アマノジャク! あんたなにしてんのッ! というか、針妙丸を放しなさい!」
博麗の巫女は針を構える。いつの間にか奴の周囲には陰陽玉まで浮いている。ほんとに殺る気らしい。
「はっ! やなこった! そこから動くなよ。こいつの首をへし折るぞ」
ハッタリだった。わたしの腕力では首を折るどころか、片手で針妙丸の身体を持ち上げるのもやっとだ。元々の小さいサイズだったらおそらくわけないのだろうけど。わたしは針妙丸の喉に掛かった指にすこしだけ力を込めた。
「ぐっ、げほっ。げほ。……正邪……なんで……」
苦しいだろうに、締められたまま針妙丸は声を出す。どうやら本気でわたしの敵意には気づいていなかったらしい。「なんで?」だとさ。最高に笑える。
「ふん。なんでもクソもない。おまえを探していたなんて、うそに決まってるだろ。反省してるだって? アホか、反吐が出る。わたしは一生永遠に金輪際一切合財反省も後悔もしない。また騙されやがって、この間抜けめ」
止せ。わたしはいつも以上に調子のいい口を抑えようと意識した。しかし、止まらない。決壊したかのように、針妙丸を貶める言葉が止まらない。
「何度も何度もなーんども騙されやがって。いい加減、気が済んだか? 学習能力ってのがないのか!? ホント、お人好しを通り越した大馬鹿者め。だからおまえは喰いものにされるんだ」
止めろ。これ以上言えばもう本当にこの女を利用できなくなる。わたしとこの女の確執が決定的になってしまう。わたしの言葉に傷ついているのか、針妙丸の震えが伝わる。腕力も限界なので足が着くように地面に降ろしているから苦しくて生理的に震えているってことはないだろう。
「おまえのような間抜けは、いつかのように地面に這いつくばってるのがお似合いで――」
「やめなさいアマノジャク! 針妙丸は、あんたを……ッ!」
何故か博麗の巫女のほうが先に怒り始めた。偽善的な奴だ。わたしはこういう奴が一番嫌いだ。
「おっと動くなよ博麗の巫女。おまえがそれ以上近づけばわたしはこいつを」
「正邪のッ――」
声がした。それに遅れて胸の辺りを圧迫する衝撃が走り、わたしは針妙丸から手を放し思いっきり真後ろに後退した。
「正邪のバカーッ!!」
怒声に併せて放たれた後ろ回し蹴り。体重が乗っていないにも関わらず、なんて威力だ。痛みのあまりわたしは涙目になりながら蹴られた胸部を押さえた。針妙丸は輝針剣を懐から取り出し、蹴りの勢いを殺さないままわたしを切りつけた。
「ぐッ!」
斬撃をかろうじでかわしたが、余波だけでわたしの体躯は吹き飛んだ。輝針剣は『鬼』に特攻を持つ妖剣である。天邪鬼という種族は鬼でもなんでもないのだが、そのくせ鬼の弱さや弱点というものは諸々引き継いでいた。理不尽な話である。弱いわけだ。
輝針剣の余波のせいで全身の節々が痛んだが、立ち上がれないほどではなかった。わたしは針妙丸を迎え撃つために小槌を構えた。針妙丸もいつの間にか小槌を構えていた。こんなタイミングで同調するなんて。おかしな話だ。
「こいよ! 針妙丸! 叩き潰してやる!」
威勢のいい台詞を吐くわたしとは対称的に針妙丸は無言で小槌を振りかぶる。表情は悲痛に満ちているようだった。
果たして小槌は、たった一合打ち合っただけで砕け散った。勿論偽物の、つまりわたしの持つ方の小槌が砕けたのである。タイマンだと、わたしは小人にすら勝てないのか。
悔しい。だが、何故か腹は立たなかった。先刻さんざん毒を吐いたからすっきりしてしまったのだろうか。
尻餅をついているわたしを見下すように、針妙丸が立つ。小人に見下ろされる日が来るなんて、わたしも落ちるとこまで落ちたものだな。輝針剣を眉間辺りに突きつけられる。しかし、そこで針妙丸の動きは止まった。表情は、さっきと変わらず涙を浮かべた悲痛なもの。そんなに傷ついたのか?
騙されまくっているのだから、多少は耐性が付いていると思っていたのだが、どうやら慣れるものではないらしい。だからおまえは弱いのだ。最後にそう言い捨ててやろうと思ったのだが、その前に博麗の巫女が動いた。どうやらいつまで経ってもわたしにとどめを刺さない針妙丸に痺れを切らしたらしい。
「針妙丸! あとは、わたしが殺るわ」
言うが早い。博麗の巫女は間を置かず針をわたしに飛ばした。すさまじい潔さだ。この小人もすこしは見習ったほうがいい。
そしてわたしは博麗の巫女の水差しを好機と踏んだ。すべてをひっくり返す能力。わたしの持つ唯一の異能だ。すべて、とはいうが実はこの能力で出来ることは限られている。それでも針妙丸とわたしの立ち位置をひっくり返すことぐらい訳ない。この距離なら、十分わたしの能力の有効範囲だ。
わたしを穿とうと迫る針。それに合わせて能力を行使しようとするが、何故だかわたしは逆符を発動させることができなかった。
理由は、よく分からない。無意識に、針妙丸を身代わりにするのは気が引けたのだろうか。
だとしたらクソのような結末だ。わたしともあろう者が、小人の能天気に毒されてしまったとでもいうのか。わたしは諦めて、完全に脱力した。涙目になって死を待つ。まあ、小人に殺されるよりかは、巫女に殺されたほうが箔が付く。後悔しない性格のわたしは、そんな風に考えていた。
だというのに、せっかく諦めが付いたのに、それを邪魔するように針妙丸は振り向きざまに輝針剣で巫女の針を叩き落した。わたしは何が起こったのか理解が追いつかず呆然とした。博麗の巫女も同じようで、続けて針を飛ばさず目を丸くしている。
針妙丸は、小槌をわたしに向けた。
――ああ、なんだ。自分の手でわたしにとどめを刺したかっただけか。なら、そういえばいいのに。
「小槌よ」
小人は小槌に願う。わたしはどうかむごたらしい死に方をこいつが願わないよう祈るだけだった。後悔しないわたしだが、痛いのはやはり嫌だ。
「小槌よ、鬼人正邪を追っての来ない場所まで逃がしておくれ」
針妙丸の願いは、わけが分からなかった。
何故だ。何故、わたしを逃がすんだ。疑問を問いかけようとわたしは声を張った。しかし、わたしの身体は既に別の空間への跳躍を始めているようで声帯の振動が伝わらない。伸ばした手は針妙丸を掴めず空を掻く。
そして、暗転。気が付くと、薄暗い場所にわたしは居た。
上等な建物が立ち並ぶ、息が詰まるような圧迫感を覚える薄暗い場所。この場所の光源は行灯や蝋燭の火だけだった。空に太陽はなく、代わりにごつごつとした岩が覆っていた。
地底だ。わたしはすぐに思い当たった。強いくせに野心のない負け犬どもが集う場所。わたしはここの奴らが嫌いだ。
気に入らない場所だったが、生き延びた。わけがわからないのは相変わらずだが。一体どうして針妙丸はわたしを逃がしたのだ。
「ククク。なんでもいいさ。針妙丸、わたしを逃がしたことを後悔させてやる」
口ではそう言うが、奴のことを考えると胸の中が針でも刺さったように小さく痛むのを感じた。わたしはその痛みを無視する。休めそうな場所を探さなければ。
まだ、終われない。
差し当たって先ずは、ここの有力者に取り入るところから始めよう。
針妙丸のことを頭から追い出すために、わたしは今後のプランを必死に練りながら痛む身体を引きずった。
「針妙丸。どうしてやつを逃がしたのかしら」
咎めるような口調でなく、純粋に疑問を問いかけるように霊夢は針妙丸に訊いた。
「何度も騙されて。あんな救いようのないやつ、助ける意味なんてないでしょ」
霊夢の問いに針妙丸は首肯する。。
「そうね……あいつは嘘つきだわ。私はもう何度も騙されてるし、救いようのないやつってのもそうだと思う」
だったら何故だろう。針妙丸は無意識に霊夢の針を払った。そして考えた。何故、自分は正邪を憎めないのだろう。
「でもね、霊夢。あいつと過ごして楽しいって感じた私の気持ちは、嘘じゃなかったわ……」
そうだ。正邪と過ごした日々は、幸せだった。
正邪は鬼の国の隅に追いやられて、息苦しい生活をしていた針妙丸を連れ出てくれた。見下されがちな弱小種族の自分と初めて対等に接してくれた。
たったそれだけのこと。
だとしても、嘘だったとしても。あのとき感じた恩や幸福感は褪せないまま針妙丸の中に残っている。
針妙丸の答えを聞いて、呆れたように霊夢は息を吐く。
「……ほんっと、あんたは甘いやつね」
霊夢は針妙丸の頭を乱暴に撫でた。
テンポの良い、引き込まれるような作品でした。
限界まで怒ってもとどめを刺せない針妙丸がいかにも原作っぽくてとても好きです。