【 奉献式 】
実物審査の前日。
大天狗が帰って来たという事で、椛は屋敷に顔を出した。
「これ、お土産のマカダミアナッツ」
「国内であったんですよね?」
裏面までビッシリと異国の言葉で表記された菓子を受け取り、椛は困惑する。
「それで良い出会いはありましたか?」
「話は変わるけどさモミちゃん。よくボクシングの試合で、どちらの選手も攻撃しないで睨み合いが続くと『お見合いしてんじゃないんだぞ』ってヤジが飛ぶじゃん?」
「それが何か?」
「お見合いの最中にさ『ボクシングしてんじゃないんだぞ』って言われる事あると思う?」
「ないでしょ普通」
「だよねぇ……」
「何があったんですか?」
「いや、実はね」
船上で開かれた婚活パーティでの出来事を、大天狗は赤裸々に語り出した。
「今回。気性が荒かったり、なんかの拍子で暴走しちゃうタイプの参加者が多かったみたいでね」
「物騒な集まりですね」
「一対一でテーブルトークする企画があって。私の最初の相手がその類だったのよ。ライカンスロープの系統らしくて」
「…」
結末が椛には予想できた。
「そいつ、急に暴走し始めてね。まぁ私が速攻ワンパンで沈めたから、何事も無かったんだけど」
「災難でしたね」
「問題はその後よ、なんか他のテーブルでも暴走する奴が出始めてね。会場は大混乱」
混乱が混乱を呼び、会場は地獄絵図と化した。
「会場が落ち着いた頃には、参加者が半分に減ってたわ」
そして、残った参加者で一対一のテーブルトークを再開させた。
「で、そこでまた暴走するのが続出してね。そこから更に数を半分に減らして再開」
「でも、真っ当な相手もいましょう?」
「三人目でようやく正常な男に当たったけど、女性軽視の色々とムカつく奴でね。あんまりにも舐めた態度だったから途中で手が出ちゃったわ」
「なにやってんですか」
大天狗がその相手をノした頃、他でも似たような事があったのか、参加者の数がまた大幅に減っていた。
「暴走するわ、戦闘不能になるわ、命の危機を感じた連中が辞退するわで、どんどん数が減っていって。最後は私ともう一人だけになってたわ」
「貴女も辞退すれば良かったのに」
「あの過酷な状況を生き残った男なら、かなり見込みがあると思って、残ったのよ」
「それで、決勝の相手は誰だったんですか? さぞ名のある大妖怪なのでしょう?」
期待を込めて尋ねる。
「バンシー」
「へ?」
「バンシー」
「アイルランドとかいう国の妖精。確か女性でしたよね?」
「うん」
生き残るのが、男とは限らないという事を、この時まで完全に大天狗は失念していた。
「その妖精って確か、同性婚希望だったような」
「初対面で滅茶苦茶気に入られた。その場でプロポーズされた」
「保守派の首領といい、妙齢の女性にやたら好かれますね貴女は」
「断ったら『力尽くでモノにして差し上げますわ』とか言ってラストバトルよ。すんごい苦戦したわ」
「それもうお見合いって言うより…」
「そうよ! モンスタートーナメントよ! 婚活パーティだと聞いて、蓋を開ければ妖魔一武闘会よ!! はいコレ記念品! 高級洋酒の詰め合わせ!」
のしが付いた箱を椛の前に置く。
「今の話を聞くと、優勝の景品にしか見えませんね」
「本当よ畜生!」
なんとも言えない気持ちで、椛は大天狗の屋敷を後にした。
にとりの工房。
椛にとって、ついにその時がやってきた。
「出来たよ椛。鮫皮も上手く巻けた」
大天狗お墨付きの刀匠が打ち、天魔が認めた研師が磨いた刀身に、にとりが用意した柄が取り付けられている。黒漆の塗布された鮫皮が妖しい光沢を放っている。
「持ってみて」
抜き身の刀がにとりの手から椛の手に、慎重に移される。
「…」
刀身に浮かぶ自分の顔を見詰める。
「カガミ?」
カタコトの言葉で、にとりに問う。
「違うよ。椛だけの刀だよ」
「カガミ?」
(駄目だ。高価な物を身に着けると身体が拒否反応を起こす病気が発症してる)
高価な装飾品を手に取ると、正常な判断が難しくなる椛特有の発作。
治すためには、椛が今手にしているのは武器だとはっきり意識させる必要があった。
「ほら椛。試し斬りしようよ」
急ぎ、部屋に藁を巻いた竹を立てる。
「タメシギリ?」
「手に持ったそれで、あの竹をズバっと斬るの。わかる?」
「アッ、ハイ」
両手で柄を握り、竹の前に立つ。柄を強く握った瞬間、椛の顔付きが変わった。
「はっ!」
腹から声を出して刀を振るう。その刹那、竹が四等分に切断された。
「すごい。一回だけ振るうつもりだったのに、勢い余って三回も」
通常運転に戻った椛は、その切れ味と扱い易さに驚く。
「大量生産の剣は、切れ味はイマイチだし、金具は緩いし、柄は直線で、重心はブレブレ。対して、椛専用の刀は椛本来の力が存分に発揮できるよう、柄の形状や、刃の反り、重量に至るまで。全部計算してあるからね」
出した分の力が、そのまま刀に伝わるよう、にとりは設計していた。
「どう? その刀が高価な装飾品じゃなくて、自分の武器としてちゃんと自覚できた?」
「はい。ばっちりです」
その時、工房の戸が開いた。
「おう、刀が届いたんだってな?」
「待ってたよジイさん」
近所の鞘師の老河童が工房を訪ねて来た。
「ほら、出来上がったぞ」
その手には白鞘があり、椛は受取ると、慣れた手つきで刀を納めた。
(まるで初めから、ひとつの物だったかのようにピッタリだ)
まずは納刀の感触に驚く。まるで吸い込まれるように、するりと刀身が納まった。
鞘の中の刃は、何物にも触れることなく空中で静止している。
刀身の図面を見ただけで、ここまで正確に作れるのかと感嘆する。
「鞘で重要なのは納まりの良さじゃない。河城、少し離れてろ」
「 ? 」
にとりがその場から下がったと同時に、老人は懐からゴム毬を取り出して、椛の顔めがけて投げた。
「ッ!」
一閃、ゴム毬は真っ二つとなり、背後の壁にぶつかる。
「抜いた感触はどうだった?」
刀を天高く掲げた姿勢で停止する椛に問う。
「まったく抵抗なく抜刀できました。いえ、それどころか、まるで刀が意思を持って飛び出て来たみたいでした」
「当然だ」
その感想に、彼は満足げに頷いてみせる。
「鞘は刀の寝床じゃない。刀がすぐ役割をこなせるようにするための、舞台袖でなけりゃあならん。どうやら、ちゃん組めたようだ」
「貴方にお願いして良かった」
心からそう思い、口にした。
「どれだけ雑に扱っても良い。いくらでも新しいのを用意してやる。しかし、一つ約束しろ」
「約束、ですか?」
「その鞘を使っている間は、絶対に死ぬな。それだけだ。嬢ちゃんを泣かすなよ」
そう告げて、踵を返し、彼は退室した。
「死ぬな、ですか。中々難しい注文ですね」
「大丈夫。椛なら守りきれるさ。私が保証する」
にとりは全く心配をしていない。
「さて。鞘も揃ったし、あとは細かい箇所の調整が残ってるけど、おおむね完成だね」
「完成ですね」
「…」
「…」
しばらく無言で見つめ合う。
「出来たーー!」
「出来ましたーー!」
歓声を上げて、抱き合う二人。
「予定してた鍛冶屋が潰れると聞いた時は、どうなるかと!」
「それがまさか補助金が出る上に、最高の刀匠が打ってくれる事になるなんてね!」
抱き付いたまま、部屋中を飛び跳ねる。
そして部屋を三周してから、大の字になって倒れた。見慣れた天井を二人は仰ぎ見る。
「思えば、誰の命令でもなく、自分の為だけにこんなに必死にあっちこっち動いたのは初めてかもしれません」
「楽しかった?」
「とても」
迷いなく答えた。
「ところで、にとり」
「なにかな?」
椛は刀を天井に向けて掲げた。
これからこの刀を扱うにあたり、どうしても確認しておきたい事があった。
「刀は何かを斬るための道具。それ以上でも、それ以下でもありません」
「そうだね」
「私はこれから、この刀で、誰かを傷つけ、最悪、死に至らしめるかもしれません。設計者として、それに耐えられますか?」
「それは愚問だよ椛」
にとりは顔を横に向け、刀を指さす。
「その刀のナカゴ(柄で隠れている刀身の根本)には、椛の本当の名前『※※※』を刻んである」
刀は無銘で申請しているが、ちゃんと名前が決まっていた。
完成した刀身に、にとりが鏨(たがね)で打ち込んである。
「その子を、椛の分身だと思ってる」
そういう存在になってくれるよう願い、設計した。
「椛とその子の決断を、私は信じる。たとえその刀が血に染まる日が来たとしても、私はその結果を全力で肯定する」
「貴女には、本当に敵いませんね」
椛は腕を下ろし、にとりの胸元に刀を持ってくる。
「最終の調整、どうかよろしくお願いします」
それをにとりは両手で力強く受け取る。
「任された!」
最終調整をにとりに託し、椛は工房を後にした。
椛がにとりの工房を出た頃。
秋姉妹との鍛錬を終えたはたては、崖に腰掛けて、カメラの画面を眺めていた。
――― そちらの私へ、貴女は今、どうしてますか?
カメラに備わっているメモ帳機能に文字を入力していく。
――― こっちは、貴女の助言のお陰で、最悪の結末だけは回避できたかと思います。
こんな事をしても伝わるかどうかわからない。ただ心の整理をするために、綴っておきたかった。
――― 椛が報われる方法はまだ見つかりません。
一瞬だけ画面を切り変える。崖の木々を背景に、両手を広げて満面の笑みを浮かべる椛が映っている。
撮影者の文から教えて貰い、念写した。
はたての宝物が一つ増えた。
――― でも大丈夫、きっと見つかります。
一歩ずつ着実に進んでいるという実感はあった。
――― さて、貴女がこちらに来た時。貴女は私に、貴女の記憶を少しだけ見せてくれたのを覚えていますでしょうか?
別世界の未来の自分が歩んだ陰惨な道を、はたては垣間見た事がある。
己の過ちが招いた悲劇、己の力不足が招いた損失。それによって心に圧し掛かって来た沈痛と罪悪感と後悔。一生癒える事のない心の傷。最悪の未来だった。
――― これから先、私もそれと同じような道を歩むのかどうはかわかりません。
どれだけ強くなろうと、何度正しい選択肢を選んだとしても、確実に回避できるという保証はどこにもない。
――― もしこの文章が、寺子屋の先生や天魔様に当てた手紙だったら、ここで『そうならないように頑張ります』と書いて筆を置くでしょう。
しかし、これは他ならぬ自分自身に宛てた文章。なので本音を書く。
――― 怖いです。怖くて堪りません。いつかその日が来るのではと想像しただけで、苦しくて夜も眠れません。
出来る事なら、今の日常が永遠に続けば良いと、心から願った。
――― どうして内気だった貴女が、あんな攻撃的な性格になったのか、今ならわかる気がします。
似ても似つかぬその性格だったが、ようやくその理由がわかった。
――― 貴女は守りたかったのですね。自分の日常を。あらゆる災難を跳ね除け、外敵を排除するための力を欲しくて天魔になったのではありませんか?
失いたくないから、強くなろうとした。怖い事を考えないようにひたすら自分を鼓舞した。
そのなれの果てがあの姿なのだと理解できる。
――― 私の未来が貴女と同じになる可能性はまだ十分に残っています。ですが…
「あ、まずい。そろそろ鷹君が来る時間だ」
時間が迫っている事に気付いたはたては、急ぎ、黙々とカメラに文字を入力する。
自分が言いたい事を最後まで入力し終わると、画面を額に当てた。
「送信……は、出来ないか」
有りもしない機能を唱えて、シャッターボタン押し、立ち上がった。
「よし、やるか」
その場で屈伸を数回繰り返してから、カメラを崖に放った。
するとすぐ、背後から飛んできた鷹がカメラを両足でガッチリ掴み、眼下の森へと滑空を開始した。
「今日こそ捕まえよう」
はたてはその後を追う。
これも鍛錬の一環として、あの日から続いていた。
(始めた頃よりは、周りが良く見える)
何度も繰り返し行ったこともあり、視野が広がっている事を実感する。
(鷹君の動きも、だいぶ目で追えるようになった)
鷹の動きを先読みし、最短ルートを見極める。
(このルートで)
自身が通れるギリギリの隙間に、恐れることなく飛び込む。
(絶対に追いつく)
もうすぐ森を抜けて、河原に出る。
(今日こそっ!)
初日に腹を打ち悶絶させられた太い枝。今、はたてはそれを踏み台にして、加速する。
(届け!!)
すぐ目の前には、椛の写真データが入った大切なカメラがある。それに向かい、全力で手を伸ばす。
が、しかし。
「あっ」
指先の爪が触れるか触れないかの距離。
(今日も駄目か)
はたての手は空をきった。
(あ、これはヤバイ)
掴む事に全神経を集中させていたはたては、着地する事はおろか、受け身を取ることさえ考えていなかった。
脳裏に紅葉卸の映像が浮かび、観念して目を閉じる。
「まったく世話が焼ける」
想像していた衝撃も、苦痛もなかった。
天魔がはたての体を受け止め、抱えていた。
「集中すると他が見えんくなる癖を早く直せ。命がいくつあっても足りんぞ?」
「ピィーィ」
天魔から降ろされると、鷹が近づいてきて、首を傾げる。
「大丈夫、どこも痛くないよ。心配してくれてありがとう」
自身の身を案じてくれる鷹の顎下を指先で撫でて礼を言う。
「惜しかったですね。もう少しだったのに」
女中がカメラを手渡してくれた。
「惜しいものか。着地の事を考えておらんなど、言語道断じゃ」
「すみませんでした」
「それとお主」
「なんでしょう?」
「何か陰鬱な事を考えておらんか?」
「えっとそれは…」
先程までカメラに入力していた文章のせいか、そんな気質を纏っていたらしい。それを見抜かれた。
「無理にとは思わんが、迷ったら頼れ。色々と背負い込むには、お前はまだ若い」
「そうします」
頷いてから、カメラが壊れてないか確認する為に電源を入れ直す。
立ち上がった画面には先ほど入力した言葉の続きが映っていた。
――― ですが、その時が来るのは今じゃありません。
――― 一人で全部抱えて進めるほど、私は大人じゃありません。私はどうしようもない弱虫です。
――― だからまだしばらくは周りに甘えようと思います。
――― 私の事を気にかけてくれる人たちから学ぼうと思います。
――― いつか来るかもしれないその日までに、貴女とは違う、私なりの道と見つけておきます。
そう綴られていた。
「行くぞはたて。腹が減ったろう?」
天魔が踵を返して歩いていく。
「はーい。ただいまー……ん?」
携帯型カメラが一瞬だけ振動したような気がして、再び画面に目を向ける。
――― せいぜい頑張りな。
そこには、入力した覚えのない文字が浮かんでいた。
「 ? 」
眼を擦り、再度画面を見た時には、その文字は消えていた。
(気のせいだったのかな?)
はたてはカメラをポケットにしまうと、天魔たちを追いかけた。
大天狗は椛が去った後外出し、守矢神社を訪れていた。
「そっちから出向くとは、一体何用かしら?」
神奈子が大天狗の応対をする。
「ちょいと商談を」
「まずは場所を変えないかしら?」
神奈子がそう提案する。二人は守矢神社に続く石階段の中腹あたりの位置に、並んで座っていた。
「別に聞かれても問題ないし……あっ、そこのお兄さん。カッコイイね。夕飯どう?」
「ウチの信者を誘惑しないで」
「信仰と恋は別モノでしょう? ねーお兄さん、これから可愛い天狗が集まる合コンがあるんだけど、参加しない?」
「だから止めい! 彼は私も気になってるんだから!」
「アンタにはタケミナカタがいるでしょうが!!」
「あんな腑抜け、こっちから願い下げよ!!」
ギャイギャイと言い合っている間に、信者である人間の青年は行ってしまった。
「で、商談って何かしら?」
ようやく本題に入る。
「スポンサーになってあげようかなぁと思って。守矢神社の」
「スポンサー?」
「ちょっと内部で『天狗はいつも異変の時、後手後手に回っている』って声が上がってね」
「ほう」
「早苗っちって、異変の調査に良く乗り出してるし、解決の実績もあるじゃん?」
「それで?」
「異変時は守矢を全力でバックアップするから、今後は『天狗の依頼で異変の調査に乗り出す』って恰好にしてくれない?」
「なるほど。大体見えてきたわ」
大天狗の狙いを察した神奈子は頷く。
「早苗に協力する見返りに、早苗が調査してわかった異変の情報を渡せと」
「天狗のバックアップで異変解決の実績が増えて、天狗は威厳を幻想郷にアピールできる、ウィンウィンじゃない?」
「魅力的な提案だけど、私達には人間の信者もいる。天狗の手先だなんて思われたらタマッたものじゃないわ」
どこかの巫女じゃあるまいし、と苦笑いする。
「そこは好きに説明してくれればいいわ。『天狗が調べてくれと泣きついてきた』『依頼される前から異変解決に乗り出していた』『ただ利用しているだけ』好きに触れ回りなさい」
「それでそっちの面目は保てるのかしら?」
「十分よ。異変の最新情報が手に入って、『守矢を顎で使っている』っていう名分さえあれば、上層部の溜飲が下がるわ」
「高いわよ。ウチの風祝様は?」
「望む所よ。そうでないと投資のし甲斐がないわ」
二人は同時に手を差し出す。
「せいぜい利用してあげるわ」
「せいぜい利用させて貰おう」
不敵に笑い、固く手を結んだ。
守矢神社の本殿。
「早苗、今、里で怪異が頻発している事は知ってるね?」
「ええ、色々と噂になってます」
「解決に行っといで」
「……しかし」
諏訪子のその提案に、早苗は浮かない顔をする。
「当面は力を蓄えるために、大きな行動は控えるのでは?」
「大丈夫。今まで早苗が頑張ってくれたお陰で、守矢は持ち直せた」
諏訪子は早苗の蛙の髪飾りに触れる。
髪飾りに諏訪子の神徳が注がれていくのを感じた。
「行きたいんだろう異変解決に? 見てればわかるよ」
博麗の巫女や、白黒の魔法使いが異変を解決したという新聞記事を見る度に、早苗が表情を曇らせるのを諏訪子は知っている。
「もう我慢しなくてもいいから、思いっきり暴れておいで」
「ちょいと待ちな」
本殿に神奈子が姿を現した。
「なんだオイ? 邪魔しようってか?」
諏訪子は敵意を剥き出しにするが、神奈子はそれを涼しい顔で受け流す。
「良い話と悪い話、どちらから先に聞きたい?」
「何言ってんだお前?」
「では、悪い話を先にお願いします」
「ちょっと早苗!」
早苗の回答に神奈子は頷く。
「これからは、異変に関わる情報は全て天狗に渡す事になった」
「良い話というのは?」
「天狗どもが早苗を全力でバックアップしてくれる事になった。うんとコキ使ってやりなさい。何か壊しても、天狗が賠償してくれるわ」
「そりゃあ良い。好きなだけ暴れられる」
手を叩き喜ぶ諏訪子。
「これで心置きなく異変解決に行けるわね」
神奈子の手には、蛇を象った新しいデザインの髪飾りがあった。
「今まで、雑に扱ったり、色々と気を遣わせてしまったりと、苦労をかけたね」
触れずとも、ありったけの神徳が補充されている事が早苗にはわかった。
「どうですか?」
新たに受け取った髪飾りを着ける。
「ああ、似合ってるよ早苗」
「前のはダサかったからね」
二柱それぞれが感想を述べる。
「では、守矢神社風祝の東風谷早苗、異変の調査に行って参ります!!」
「頼んだよ。遠慮なく私達を頼ってちょうだい」
「危ないと思ったら、すぐに帰って来なよ」
人里に向い飛翔する早苗を、神奈子と諏訪子は見えなくなるまで見送った。
山道。
「あーー痛って。強く握り過ぎだっつーのあの神様」
握手した手を振りながら、大天狗は自身の屋敷に向かっていた。
「おや」
最近見なかった人物を見かけて声を掛ける。
「おーーい。雛姉ぇさーん」
木陰で涼んでいる雛に手を振る。
「今日は厄神様のお仕事はお休み?」
そう尋ね、隣に座る。
「今日は良い日ね。快晴でみんなの気分が明るいせいかしら、厄が全然見当たらないわ」
山の向こう側に広がる入道雲を眺め、伸びをしながら答える。
「そういう日もあるのね」
「毎日がこうなら良いのに」
「本当ね」
背後の楓の木にもたれ、頭の後ろで手を組む大天狗。
見渡すと道の両脇には楓が生い茂っていた。
「この道は紅葉時期がとても見頃なんだろうけど、こんな緑一色ってのも悪くないわね」
「そうね。秋にはない、力強い命の息吹のようなものを感じるわ」
「こんな素敵な並木を、一緒に歩いてくれる彼氏が居れば、文句無いんだけどね」
「人によって周期はそれぞれ。百年の者もいれば、二百年、三百年と、生前に背負った業に応じて異なるの」
「何の話?」
突然の話題に訝しむ。
「戦によって歴史に名を残したのなら、雪ぐべき業は、常人の何倍になるのかしら?」
「だから何の事?」
「源平合戦から八百年。そろそろ頃合いかもね?」
「なにが言いたいの?」
「出会うなら、そろそろなんじゃないかしら? って事よ」
立ち上がり、大天狗がやって来た方向へと歩いていく。
「雛姉ぇさん?」
「魂っていうのは不思議なもので、前世に縁のあった場所や者に自然と引き寄せられるものよ」
「おーい?」
「またしばらく遠出するわ。当分、この山に私の出番は無さそうだから」
大天狗は、小さくなるその背を見送る他なかった。
「なんだったのかしら一体?」
気にしてもしょうがないと自分に言い聞かせ、大天狗もその場から離れる。
「おい、そこな餓鬼んちょ。守矢神社はそっちじゃないわよ」
途中、人間を見つけて呼び止める。
「ごめんなさい。裾野で山菜を採っていたら、出口がわからずに」
「いやいやいや。誰にも見つからずにこんな所まで来れる人間なんて…」
振り向いた青年の顔を見て、大天狗の言葉が途切れる。
先程の雛の言葉の意味を、大天狗はなんとなく理解した。
「ボーイミーツガールってやつね」
青年はかつて育てた人間と、顔立ちや雰囲気が酷似していた。
「 ? 」
「ああ、こっちの事。ついて来なさい。麓まで案内したげるわ」
手招きして彼を誘う。
「ところでアンタ、虐められ体質だったりする? ……あーやっぱりねー」
二人は楓並木を歩き出した。
にとりの工房を出た椛は、自身の隊の詰所のすぐ近くを通る。
「もう一本お願いします!」
「よかろう」
詰所の前で、白狼天狗の青年と巨躯の男が木刀を手に鍛錬を行っていた。
「驚いたぞ。前に一度剣を合わせてから、まさかここまで腕を上げているとは」
「ありがとうございます」
「精が出ますね」
椛は非番ではあったが、詰所の前までやってきた。
「最近、こいつに鍛錬に付き合ってくださり、ありがとうございます」
「気にするな。彼はとても鍛え甲斐がある。こちらまで楽しくなってくる」
「ヒマな時はぜひ付き合ってやってください」
「心得た」
そして椛は詰所から去って行った。そんな彼女の後ろ姿を男はじっと見つめる。
「あの、ひょっとして大将さん。ここ最近、貴方がこの詰所を訪ねてる理由って…」
「ふんっ!!」
「危ねぇ!!」
突然の一撃を、彼は間一髪で受け止める。
「鍛錬を続けるぞ」
「アンタも隊長狙いか! 上等だ! ぜってぇ負けないからな!!」
詰所を離れた椛は山道を進む。
強い日差しを受けた木々は、むせ返るほど濃い深緑の香りを放っていた。
(落ち着く匂いだ)
「散歩ですか?」
そんな事を考えて歩いていると、文が上空から話しかけて来た。
「そちらは?」
「新聞のネタ探しです」
文は椛の隣に降り立ち、並んで歩く。
「ところで椛さん。ずっと前にした約束、覚えてますか?」
「どの約束でしょう?」
貴女と交わした約束はたくさんある。
「貴女を、勝たせるという約束です」
「ああ。あれですか」
呪われた笛という噂で奔走し、解決した後の宴会で、密かに交わした約束である。
「あれから一度でも、私は貴女を勝利に導く事ができたでしょうか?」
「…」
椛は考え込む。
「保守派の壊滅。発電所建造の阻止。勝利とは呼べなくないですか?」
「私にとってあれらは引き分け、痛み分けです」
「引き分け、ですか」
椛に勝利の実感を与えられず、文は俯く。
「しかし」
そう言って椛は続ける。
「こちらも、相手も生きている。多少の被害はあっても、誰も死ななかった。今の私にとってそれは、勝つことよりも喜ばしいことです」
「それは何よりです」
それを聞き、文は満足げに笑った。
「いよいよ明日、実物審査です」
「心配ですか?」
「いいえ。全く」
大勢の者から協力を得て作られた刀。通らぬ道理などなかった。
「通るに決まってます。なんたって、最近の私は色々と絶好調ですか……ら?」
突然、下駄の鼻緒が切れた。
「え、待って。なぜ今?」
縁起の悪さをこれ以上にないくらい、感じさせられた。
「あやややや。これはちょっと幸先悪いですね」
「まぁ、いつもの事です」
明日が審査日である。
長かった一ヶ月が終わりを迎えようとしていた。
月明かりが眩しい満月の夜。
「…」
自宅の居間に立つ椛は、これは自分の夢の中だとすぐにわかった。
縁側に座る二人の白狼天狗は、どちらもこの世にはいないからだ。
縁側に座る少女の一人は、かつて全てを失った椛にとって初めての仲間であり、頼れる先輩であった。
「どうした浮かない顔をして? 明日はお前のお披露目日だろう?」
椛が『先輩』と呼び慕った白狼天狗の少女は、隣に座る幼い子供にそう問いかけていた。
「良いのかな? 一緒に居ても。またこの名前を名乗っても?」
縁側に座るもう一人。先輩に比べ、遥かに低い背丈の白狼天狗の女児は俯きながら答える。
「私は、犬走※※※は、犬走椛が生き残るために切り捨てた部分だから」
「もう捨てませんよ」
幼い自分の隣に椛は座る。
「貴女のこともちゃんと背負って、私は前に進みます」
「本当に?」
「ええ。約束します」
「そっか。じゃあまた一緒だ」
幼い椛は無邪気に笑った。
「良かったな」
先輩が女児の頭を撫でる。
「うん!」
大きく頷くと、彼女の身体は徐々に色を失い、やがて空気に溶け込むように消えてしまった。
彼女が座っていた場所には、一振りの刀が残っていた。
「良い刀だ。製作に関わった者達の想いが繋がって一本の刀になってる」
鞘から抜き、刀身を月光に照らしながら先輩はそう告げる。
ひとしきり眺めてから鞘に納めて、椛を見た。
「奉献式しようか」
「奉献式?」
「こんな良い刀なんだ、完成したのを受け取ってハイ終わりじゃ、いまいち締まらないじゃないか?」
「そうかもしれませんが」
「いいからやるぞホラ、こっちを向いて片膝を突け。目線は下な」
「相変わらず強引なんですから」
言われた通りの姿勢になる。
すると彼女も椛の方を向いて正座し、両掌の上に、橋を掛けるように刀を乗せた。
「コホンッ。さて、犬走椛」
「はい」
「日頃より妖怪の山の平和の為、日夜戦う汝を讃え。その証として、この刀を授けん」
椛の前に刀を差し出す。
「犬のように忠義に厚く。仲間の為に走り。椛のような可憐さを持ち。清廉潔白で、狼のように強く。天狗の誇りを忘れず。これを振るう事を切に願う」
「多くないですか注文?」
「お前なら全部こなせるだろ。でなきゃコレは渡さん」
「盟約致します」
両手で受け取り、頭を深く下げた。
「さて、お前の顔も見れたし。そろそろ行くよ」
手から刀が離れると、彼女は立ち上がり、玄関へ向かって歩いていった。
「あっ、ちょっと」
その後を椛は追う。
「あの、先輩」
「どーした?」
玄関で屈む彼女に呼びかける。
「また、会えますか?」
「会えるさ。お前が良い子にしてたらな」
玄関で屈んだまま、何かごそごそとやりながら答える。
「あの、先輩?」
何をしているのか尋ねようとした時。
「よーいドンだ椛」
「え?」
「ここから先は楽しい事が目白押しだ。まったり歩くのも結構だが、しばらくは突っ走ってみるのも悪くないんじゃないか? よっし出来た」
そう言って立ち上がり、玄関を開けて出て行こうとする。
「走れますかね? 今の私に」
「今のお前なら大丈夫。誰かに支えて貰わなくても、独りで走れるさ」
差し込んだ月明かりが彼女を優しく照らす。彼女は、確かに笑っていた。
そこで視界が途切れた。
早朝。
「…」
静かに椛は目を覚ます。
(とても、懐かしい夢だった)
縁側に出ると外は快晴で、どんな憂鬱さもかき消してしまうと思えるほど明るかった。
「今日も良い日だ」
朝食の支度をして、身支度を整える。
通知書を受け取ってから、今日で丁度一ヶ月。実物審査の日である。
「椛さーーん!」
「椛ぃーー!」
外から良く知る声が聞えて来た。文とはたても、実物審査に同行する約束を交わしていた。
「すぐ参ります」
玄関に移動し、いざ下駄を履こうとした時、ある事に気付いた。
「あれ、鼻緒が?」
昨日、切れたハズの鼻緒が直っていた。
応急処置で結び直したのではなく、まるで新品のように元通りになっていた。
夢の中で先輩がしていた事を思い出す。
「あの人にはいつも本当に」
そう呟き、下駄を履く。戸を開けると、少し離れた場所で、文とはたてがこちらに手を振っている。
『ここがスタート地点だぞ椛』
背後から声がした。
『独りで走れるか?』
「大丈夫です」
振り返る事無く答える。
振り返っても誰もいない事はわかっているし、今見るべき方向は過去ではない。
『準備は良いか?』
「いつでも」
ここまで来るのに、随分と掛かってしまったと椛は思う。
『位置について』
幼い頃、全てを奪われ。復讐という負の感情を糧に立ち上がった。
『よーい』
そこからは挫折と絶望の連続だった。未来に背を向け、後ろ向きに歩いていた。
(大丈夫、今の私なら)
文とはたてを見る。二人のお陰で前を向けた。
(ここが新しい出発点だ)
『ドン!』
犬走椛は、自分の意思で走りだした。
とても楽しかったです。
相変わらず小ネタは面白く締めるところはきっちり締めてるので素晴らしかったです。
もっともっと番外編を続けてもいいんですよ?(チラッ
本当に素敵なお話をありがとうございます。
今度こそ幸せにね! 大天狗様!
大天狗様完全に巨人族扱いでワロタ
しかしようやく彼氏見つかったと思いきや、まだ少年だと…サイコレズに命狙われそう
ヒグマや恐竜を馬にしてる天魔様も大概謎ですな
はたての血族はわけわからん特技を持ってる人が多いんやな
それと、発見した誤字です>ナイルワイ
今回はギャグが多く、振り返りみたいなものも少なかったですね
でもそれがやっと「前回で完結したんだなあ」と実感させられました。
小ネタではにやにやしながら読み進めていましたが
未来のはたてと先輩のところは胸がいっぱいになりました。
こういうのって卑怯だと思います。最高でした。
―
一度切り捨てた過去を拾い直すまでの物語、楽しませていただきました。御見事。
しかしながら一番ハッピーなのは業の清算の終わった大天狗なのでは!?椛も女の幸せを掴めるといいね!
個人的には、ポセイドンの件で大爆笑し、鞘師の話でグッと来てしまい、先輩の話でワクワクしてしまいました。あと大天狗様つえーっす!
続編があればまた読みたいです!
それと、イチバリキくんを初めて見つけた時の、天魔と女中さんの会話で、天魔様のセリフであろうところが女中さんのセリフになってるところがありましたー
椛も幸あれ!
ありがとうございました!
素敵なお話でした。100点お納めください。
堅物白狼天狗が椛狙いとはまた一波乱ありそうですね。青年白狼天狗が椛に慰められてる場面なんて、おいそこ変われ!いや変わって下さい
最後のあたりを読んでてもう終わったんだなと実感しました。物語の最終巻をみてる気分です
また貴方様の作品が読みたいです。
良い作品をありがとう!
本編は椛が自分にけりを付けるお話でしたけど、本番外編は未来に向けて進む話と感じられて、本当に救われたんだなあと実感できて凄く良かったです
妖怪の山のさらに続く日常という感じで良かったです。
誤字報告
>女性の手も握れる極度の堅物
握れぬ
こんなにも魅力的な天狗社会はなかなかない。
椛に幸あれ!
大天狗様に春がくるとか大異変では・・・?
天狗じゃ!天狗の仕業じゃああああああああ!
これで今年も戦える
爽やかな余韻の感じられるエンディングでした。
椛の物語はこれで終わりなのでしょうか?
どんな形にしろ、作者様の幻想郷がもっと見たいです
次の作品を期待して敢えてこの点数で
それぞれのキャラのその後が見られて嬉しいです!
シリーズ通して最高の時間をありがとうございました!
そんな感じの番外編って思った(粉ミカン)
走り出したモミジに幸多からんことを
一気に全部読みましたが、もう一周その場で読んでしまうほどに熱中出来ました!
最高の作品をありがとうございます。更に続編があると嬉しいです。
続編ありがとうございました。
貴方の書く作品を読みたくて
開いています。又書いて下さい。
山に嫌われても、大好きと言えるもみじが、最高です。
ついに、自分のために刀を捜し出したもみじ。
彼との関係も進み始めるのでしょうか?
そして大天狗様はサイコレズとくっつくと思ってた(笑)
もう直っているかもしれませんが、ホームページの方の以下の部分、再開は、再会としたほうが良いかもしれません。
>文にとっても、この場所は辛い経験しかない。
>「唯一あるとしたら、先輩と再開できたという事だけでしょうか」
本作も大変楽しく読ませていただきました。
先輩が鼻緒を直さなかったらどうなっていたんだろうと考えるとちょっと怖いです。
「もしかしてここで落とす展開が来るか?」という気配を見せてハラハラさせながら、結局は丁寧に丸く収めていく過程が、今までの毒のある展開を上手く利用する形になっていてゾクゾクしました。
射命丸ーッ!俺だーッ!その写真のネガをくれー!
毎作品必ず誤字があって、誤字の発生を親切な人から指摘されて、その指摘箇所を正すだけ。指摘された箇所以外の誤字はほったらかしの状態。
この事から、投稿前にも、更には誤字指摘を受けてもなお、自己の作品を読みなおす事をしていないと推察されます。
せっかく13作品も高評価を受けているのに、いや、高評価を受けているからこその慢心なのでしょうか?
一つミスをしたのなら、更なるミスもしているのではないかという疑いを持って自己の作品と向き合われたらよいのではないかと思われます。
今の時間までかけて13作一気読みして、面白い作品だと感じたからこその批判でした。
初めてコメントさせて頂きます
今後も1年……いや、2~3年に一度でも良いから新作を読ませて頂きたい
そう祈念して止みません
本質様の描かれる大天狗様の大ファンです
もし、今後もお書きになる方向性が真っ新であるならば
『最強にして最長老の天狗たる天魔様』にスポット当てて下さったりしたら嬉しいです
非情な決断を、心の中で血涙を流しつつ下す天魔様
少なくとも子孫がいるというなら、男天狗とのロマンスがあった天魔様
何らかの欠陥を抱えた血族を見続けてきた苦悩する天魔様
期待させて下さい
素晴らしい作品を読ませて頂き、感謝致します