Coolier - 新生・東方創想話

歩け! イヌバシリさん ― 東行西走/刀工製想 ―

2015/06/21 03:50:39
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※超絶オリジナル設定注意。
作品集201の『歩け! イヌバシリさん vol.12(完)』の後日談になります。



《登場人物》

犬走椛:哨戒部隊の隊長を務める白狼天狗。数々の死闘を経て、ようやく平穏を手に入れた。
    先日、部下に誘われて参加した料理教室で、クッキーカッターは拷問用の道具でないという事を初めて知った。

射命丸文:鴉天狗の新聞記者。椛の事を好いている。
     先日、愛用の葉団扇の先端がなんかパリパリし始めたので、新しいのに買い替えた。

姫海棠はたて:鴉天狗の新聞記者。天魔の唯一の血縁者。そのせいか、やたらと高機動。
先日、普段よりもすごい念写が出来るのではと思い、高価なポラロイドカメラにチョップしたが、ただ壊れただけだったので、三日くらい凹んだ。

河城にとり:河童のエンジニア。とんでも発明を繰り返す。椛との友達歴は非常に長い。
      先日、キュウリの栄養価が他の野菜よりも低い事を知り、軽いショックを受ける。

天魔:最強・最古の天狗にして、天狗社会の最高統括者。はたての血縁者。見た目は童女。妖怪の山屈指の甘党。
   先日、カカオ99%チョコレートを食べて死にかけた。

大天狗:天狗社会の序列二位。椛とは長い付き合い。長身の女性天狗。永遠の花盛り。
    先日、身長を測ったら去年より2cm伸びていた。















大天狗の屋敷。
事の始まりは、ここの家主である妙齢の女性と犬走椛の雑談から始まった。


「彼氏欲しい」
「獲物を探す猛禽類みたいな目をして言う言葉じゃないですよね?」

もう何千回聞いたかわからない上司に言葉である。

「地面から生えてこないかしら?」
「そんな都合の良い」
「人里じゃ、色んなモノが付喪神化して、美男美女の数が増えたそうじゃない。私の私物も良い男になんないかしらね」
「そういえば、どこかの家に祀ってあった宝刀が美少年になって、持ち主と入籍したって記事を最近読みました」
「マジでっ!?」

思わず身を乗り出す大天狗。

「その記事によると、付喪神化した刀剣は、美男になる確率が高いんだとか」
「刀剣ねぇ、家に喪神化しそうな古い名刀、なんかあったかしら…」

顎に手を当てて「刀剣、刀剣」と呟く。

「昔、牛若丸に上げた今剣(いまのつるぎ)くらいしか、思い当たるのがないわね」
「あの剣、貴女様のだったんですか?」
「うん。元々は超長い私専用の太刀だったんだけど、餞別として小刀に打ち直して、守り刀としてプレゼントしたのよ」
「そんな逸話が」
「返ってこないかしら今剣…」
「もう無理だと思いますよ」

今剣の行方は、以前不明のままである。

「そうそう。刀で思い出したけど。モミちゃんの刀、書類審査が通ったわよ」
「やっとですか」

哨戒の任に就く白狼天狗の武装は、支給された物以外は携帯禁止となっているが、隊長格には『審査が通った武器・防具に関しては携帯を許可する』という特権があった。
椛は、守矢神社との発電所騒動がひと段落した折に、にとりが自分専用に設計してくれた刀を申請していた。
哨戒中も身に着けておきたかったためわざわざ申請した。

「これでようやく作る事ができます」

これから製造する武装を申請する場合、書類審査が通るまでは製造に着手する事が禁止されていた。

「はいこれ。書類審査通過の通知書」

達筆な文章が羅列し、複数の上級天狗の印が捺された和紙を受け取る。

「設計図を見た技術部門の連中が褒めてたわよ。『実用性に優れ。あらゆる場面で取り回しが利くだろう』って」
「当然です。にとり渾身の一作なのですから」

刀の銘は自分の真名である『※※※』であるため、にとりはかつてないほど真剣に設計に取り組んでくれた。

「こんな良い刀なんだから、名前くらい付ければ良いのに」
「いえ。無銘のままで結構です」

もっとも、申請書には『無銘』で提出しており、その刀の真の銘を知る者はごく一部である。

「勿体無いわね、材質も良い物を使ってるし、完成したら間違いなく名刀になるのに」

大天狗は椛が申請した書類をぱらぱらと目を通す。

「製造を依頼してる鍛冶屋だって、結構有名な所だし……ん?」

申請書類の一つである、製造工程表(どのような手順で作るかが記された予定表)を見ていた大天狗は、怪訝な顔をした。

「この鍛冶屋って確か」

刃は本職に任せた方が良いと判断したため、刀身の作成は鍛冶屋に依頼してあるのだが、その鍛冶屋の名に大天狗は引っ掛かるものを感じた。

「思い出した」
「どうしました?」
「裏情報だから本当は言っちゃ駄目なんだけど、近々そこの鍛冶屋、無くなるわよ」
「はい?」
「今の当主から腕が大幅に落ちちゃってね。来週にでも、大手製鉄会社の河童重工に吸収合併の予定よ」
「じゃあ、私の依頼は…」
「なかった事にされるでしょうね」

椛の顔が青ざめる。

「実物審査は、一か月後ですよね?」
「そうよ。一か月後にちゃんと出来上がった刀を持って来ないと駄目よ。その通知書には偉い連中の印鑑が捺してあるんだから、一日の遅れも許されないわよ?」

出来上がった武装を提出し、確認を受けるのが実物審査である。図面通りに出来ていると認められれば、晴れて携帯が許可される。

「用意できないと、どうなります?」
「今後一生、その刀が申請を通る事はないわね」
「…」

静かに頭を抱える。大して思い入れの無い武器だったら諦めただろうが、今回は事情が違う。

「鍛冶屋に頼まず、にとりに造って貰うって事は?」
「隊長格が身に着ける装備になるのよ? 天狗から認定を受けてる鍛冶屋以外で作ったら駄目って規約になかった?」
「普通に見積もって、これから鍛冶屋を探す所から始めて、一ヶ月以内に特注の刀って作れます?」
「無理じゃないかしら? 普通の白狼天狗じゃ」

依頼を受けてくれる鍛冶屋を飛び込みで探すのだ、ツテやコネがなければ不可能である。

「そもそもなんで一ヶ月しかないんですか。短すぎでしょう」

制度に八つ当たりをする椛。

「ぶっちゃけると。この制度を作った上層部が『白狼天狗が製造に一ヶ月以上掛かる武装を所持するなんて生意気』っていう思想を持ってるから」
「…」
「できる?」
「そこまで言われたらやってやりますよ! どの道、作るしかないんです! 完成させてやりますよ! あっちこっち走り回ってでも!!」





歩け! イヌバシリさん ― 東行西走 / 刀工製想 ―


======== 〔 工程表 〕 ======== 

 mission1:刀匠確保 ~ 大天狗 ~

 mission2:研師確保 ~ 天魔 ~

 mission3:鍛冶鍛錬の安全祈願 ~ 守矢神社 ~

 mission4:柄の素材集め  ~ 河城にとり ~

 mission5:鞘師確保 ~ 姫海棠はたて ~

 mission6:手入れ道具購入 ~ 射命丸文 ~

 奉献式

========================





【 mission1:刀匠確保 ~ 大天狗 ~ 】


「とは言ったものの…」

たった今、威勢よく啖呵を切ったものの、アテがない椛はすぐさま縮こまってしまう。

「そんな刀造りで焦るモミちゃんに朗報です」
「なんですか突然?」
「実は私が贔屓にしてる鍛冶屋があるんだけどね。腕は妖怪の山で一二を争う腕前の」

何も書かれていない巻物を見せる。

「私がこれに一筆したためて印鑑を押せば紹介状になるわ。持ってけば、優先で刀を打ってくれるわよ。欲しい?」
「そりゃあ、当然です……しかし」

朗報であるにも関わらず、彼女の顔は浮かない。

「どうしたの?」
「大天狗様が贔屓にするって事は、かなり高い依頼料って事でしょう? そんな予算はありません」
「あれ? モミちゃん、製造前に申請する事のメリットを知らないの?」
「なんですかそれ?」
「『書類審査通過後、予期せぬアクシデントで製造が困難になった場合、一定の補助を行う』って規約があるのよ?」
「規約?」
「申請書に、刀の製造で掛かる予算を記入したでしょう? その予算からオーバーした分は、こっちが負担するわ」
「そんな事してくれるんですか!?」

異例過ぎる好待遇に驚愕する。

「偉い連中の印鑑が捺されてるのよ。それくらいの面倒は見るわよ。元々この制度自体『日頃頑張ってる下級天狗へのご褒美』っていうのが表向きだし」
「では、大天狗様の紹介状があれば問題なさそうですね」
「ただ。紹介状を書くにあたって、一個お願い聞いてほしいんだけど」
「そんな事だろうと思いましたよ」

餌を目の前にチラつかせて、厄介事を押し付ける。何度こんなやり取りをしたのかは、もう数えきれない。

「今度は誰を始末するんですか?」

冗談っぽい口調で椛は言う。

「そんな物騒なモノじゃないから。まずは、いつもの二人を呼んで来てくれない?」
「あの二人ですか?」
「これを一緒に見て欲しくてね」

部屋の隅に目をやる。本の山が四つあった。全冊合わせれば、天井に届くだろう。

「なんですかこれ?」
「お見合い写真」
「見合い?」
「世界規模で運営してる人外向け結婚相談所があるって知って会員登録したら、これが送られてきたのよ」

本は一つ折のアルバムで、開くと右側に全体写真、左側にプロフィールと理想とする女性像が記載されている。

「とうとう異国の怪物まで守備範囲に入れちゃいましたか?」
「……そろそろ真剣に、子孫を後世に残しておかないとヤバイ気がして」

顔を背けながら答える。

「なんかもう、『女として』と言うより、種族の本能として婿探ししてません?」
「いやいやいや。まだ女としての幸せを掴みたいって気持ちの方が強いからね?」
「どれくらいの割合で?」
「女としてが六、種族としてが四って所かしら」
「かなり接戦じゃないですか」

話をお見合い写真に戻す。

「んで今月、この写真のメンツが集まる婚活パーティがあるのよ」
「参加するんですか?」
「当然よ。これで良い出会いがあれば、私が天狗初の国際結婚者ね」
「昔、夜叉天狗の奴が、異国から渡って来た霊獣と結婚して、姿をくらませてますよ?」
「相手は中国の霊獣でしょ? あの国と天狗は昔からちょいちょい交流があるし、ノーカンよノーカン」
「まぁ別に、私は誰が初だろうと、どうでも良いですけど」
「それに、私がこれから会う妖怪達は欧州出身よ。今回は日本勢と欧州勢の婚活パーティなの」
「おーしゅう?」

言われても全然ピンとこなかった。

「ヨーロッパとも言うわね。噂じゃアッチの妖怪は、若い奴はお洒落で爽やか。老ければ顔の彫りが深くなってダンディ化するとか。私の眼鏡に適いそうなのが沢山いそうだわ」
「どこ情報ですかソレ?」
「それで、今の内にお見合い写真の中から、旦那候補を選定しとこうかと思ってたんだけど、この量じゃない?」
「人手が欲しいと?」
「そう」

自分一人で全てに目を通すのは骨が折れるため、気心の知れた相手に協力を仰ぎたかった。

「文ちゃんは、取材で他の人妖と接触してるから選球眼が高いし、はたてちゃんは若い子のトレンドに詳しいから」
「あの二人への報酬はちゃんと用意してあるんでしょうね?」
「もちろん。ちゃんと労働に見合う対価は用意しとくわ」

そう約束して、大天狗は使役する鴉を数羽、庭から飛ばした。










妖怪の山の、とある森の中。

「わああああああああああ!!」
「ひいいいいいいいいいい!!」

射命丸文と姫海棠はたては、絶叫しながら森の中を全力で駆け抜けていた。

「はたての嘘つき! 何が『スカイフィッシュの巣を見つけた』ですか!?」
「だってあんな見た目じゃ誰だってそう思うじゃん!!」

飛行する、透明で細長い物体の大群が、二人を追いかけていた。

「あれは妖怪化して巨大化&飛べるようになったホウネンエビの群れです!!」
「それはそれでスゴくない!? スクープじゃん!」
「あんな、見ただけで呪われそうなフォルムの化物をカメラに納めても、B級記事にしかなりませんよ!」

木々が邪魔して思うように速度を上げられない二人。群れとの距離が徐々に狭まっていく。

「彼らを撒きますよ! 合わせてください!」
「うん!」

文は着地し、扇を手に身を翻す。

「はぁ!!」

扇を一閃。彼女を中心に竜巻が起こり、巻き上げられた土砂が煙のように周囲を覆う。

「今です!」
「わかってる!」

はたてが携帯型カメラを正面にかざす。シャッター音と同時に、空間の一部が立方体に切り取られ、その空間だけ視界がクリアになる。
そこが再び土砂で曇るよりも先に、二人は通り抜けた。






森を抜け、文とはたては立ち止まる。
二人とも全速力だったため、両肩で荒い呼吸を繰り返していた。

「ここまで来ればなんとか」
「も、もう走れない」

振り返り、追ってこない事を確認する。

「来てる?」
「いえ、いませんね」
「良かったー」

安堵し、座り込むはたて。

「私達が巣に不用意に近づいたから襲ってきただけで、それほど好戦的ではないのでしょう」
「何匹かがぶつかったけど、プニョプニョして全然痛くなかった」

見た目が不気味なだけで、無害だった事に気付く。

「まぁ、あれはあれで記事になるでしょうし。第一発見者の貴女が記事にしなさい」
「良いの?」
「私はもっと面白そうなのを探してみます」

そんな時だった。大天狗の鴉が二人の前に降り立ったのは。











招集を受けた文とはたては大天狗の屋敷に足を運ぶ。

「というワケなのよ。お礼もちゃんとするからさ、協力してくれないかしら?」
「それくらいお安い御用ですよ。椛さんの刀造りのお手伝いにもなりますし」
「私で良ければ」

大天狗から一通りの事情を聞かされ、それを二人は快く引き受けた。

「それじゃあ早速。このお見合い写真の中で、良物件だと思うのがいたら教えてちょうだい」

本の山を均等に分けて、三人の前に置く。

「紹介状ちゃんとくださいよ?」
「あ、ちなみにこれって、記事にしても良いですか?」
「大天狗様にとっての良い人が見つかるよう頑張ります」

「スゲェ。私の将来を応援してくれる子が一人しかいねぇ」

そして作業が始まった。





数十分後。

「私の分は終わりましたよ」

椛が数冊の本を持って、大天狗の前までやって来る。

「家柄がしっかりしてて、大天狗様と気が合いそうなのを見繕ってみました」
「どれどれ」

写真を並べ、一人ずつ指をさして説明する椛。

「ミノタウルスなんてどうです?」
「筋肉隆々なのは趣味じゃないのよ」
「では、この方なんてどうです? サイクロプス」
「単眼趣味はちょっと無いかなー」
「オークとか」
「体臭キツそう」
「ケンタウロス」
「ちょっと顔が老けすぎてない?」
「フォモールは? 巨人族の出身のようです」
「毛深いのはあんまり」
「相変わらず選好みしますね」

持って来た本の半数が一蹴され、ムッとした表情で大天狗を見る。

「理想が高すぎるんじゃないですか?」
「私からも一言いいかしらモミちゃん?」
「なんでしょう?」
「なんでマッチョ推しなの!?」

大天狗は椛が持って来た残りの写真を指さす。

「ベヒーモス、ヒバゴン、バクベア、トロール……どいつもこいつも鉱山労働者みたいなガタイじゃん!?」
「似た者同士で波長が合うと思って…」
「私の種族、天狗だからね。小型のジャイアントオークとかじゃないから」
「そうなんですか?」
「そうです!」

腑に落ちない顔で本を抱えて戻る椛を見送り、大天狗は黙々と仕分けを行う文に近づく。

「どう文ちゃん。目星ィのはいた?」
「すみません。まだ見てる途中なもので」
「こっちに積んであるのは、良物件の奴等?」

離れた位置に積まれている山が気になり、手を伸ばす。

「あっ! そこに積んである方々のは…!」

文の言葉を待たず、大天狗は手に取って眺め始めた。

「おっ、この種族知ってる。ヴァンパイヤね」

プロフィールに目を通す。

「『人間社会では財閥のトップを務め、政界にも顔が効く』か、見た目も好青年だし。コイツは要チェックね」
「ただ、その方なんですけどね。もう少し読めばかると思いますが」

大天狗の視線が、理想の女性像と書かれた欄を見る。

「えーとなになに『15歳以下の処女希望』…」

写真を持つ手が小さく震える。

「ロリコンかよこの野郎。まぁ良いわ。次」

同じ山から新たに一冊取る。笑顔をキープする文の額に汗が浮かぶ。

「『種族はハイエルフ。島を私有地として所持。昔から営んでいるリゾート業で、毎年高額納税者ランキングに名前が載る』ね、顔も私好みだわ」
「その方も、その…」
「希望の相手は『フェアリー種』と」

『低身長・幼い容姿の者も要相談』と書いてあった。

「あの、大天狗様?」

拳を強く握る大天狗に文が控えめに声をかける。

「大丈夫よ。この程度じゃキレないわよ。愛宕山の天狗、太郎坊の奴だって言ってたじゃない。『忍耐なくして道は開かず』って」

めげずに次の本を取る。

「なにコイツ? 鬼?」
「ユニコーンという種族と人間の混血児らしいです」
「コメント欄にデカデカと『処女オンリー』って書いてあるし」
「まぁ、ユニコーンですから」
「で、こっちの本は狼男か、『欧州でも屈指の実力者』ね。やっぱり強い男でないと…」

理想の相手の欄を見る。『赤ずきんが似合う少女』と書かれていた。

「んだよコイツらよぉ!!」

荒ぶる大天狗。

(すみません大天狗様。そこに積んであるのは全部、若い女子を好む方々のアルバムなんです)

大天狗が見ても機嫌を損ねるだけなので、こっそり隠すつもりでいた。

「世のオス共は、そんなに若いオナゴが好みか!? 年上の包容力ナメんな!」
「大天狗様、堪えて。ここで激昂してもしょうがありませんよ。今一度、愛宕山の太郎坊様のお言葉を思い出して…」
「誰それ!? 知らない!!」

まるで瓦割りのように。
手刀で、幼女趣味者の本が積まれた山を真っ二つにした。



その場で何度も深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻してからはたての方へ向かう。

「なんか知名度高そうなのいた?」
「えっと、バンシーさんっていうのが、今のところ一番高そうです」

ちょうど今、はたてが読んでいる本の人物のようだ。

「どんなの?」
「アイルランド出身の妖精さんです。あっちじゃかなり名のある方みたいです。セレブ界のトップで、ヨーロッパ圏では負け知らずの実力だとか」
「仕事は?」
「不幸がありそうな家の前で叫ぶことだそうです」
「なにそれ怖い」

はたてから本を受け取る。

「あれ? コイツ女じゃん」
「同性婚を希望されているようです」
「なんで同性婚希望者が参加してんのよ」
「あっちはそれほど性別に拘らない文化らしいです」

他の本を眺めてみると、同性狙いの参加者がちらほら見受けられた。

「狙ってた男が、違う男とくっ付くとか、一番あったらいけないと思うんだけど」

その後も根気よく本に目を通していく。
一通り見終えて大天狗は軽く頭を抱える。

「ロクな奴がいねぇ! 地雷ばっかじゃん!?」

本日、二度目の荒ぶりである。

(この人も十分地雷なんだよなぁ)

あえて口に出さない優しさが椛にはあった。

「では、行くの止めますか?」
「ううん。行く」
「大天狗様のその、地雷を踏み抜いていく姿勢。嫌いじゃないですよ」
「動かなきゃ、何も始まらないわ。それに会場は船の上らしいし、滅多にない体験だから」

パーティの詳細が書かれたチラシを椛達に見せる。

「豪華客船を貸切で使って、海上で婚活パーティするらしいわ」
「それはなんとも洒落た催しですね」
「エスポワール号っていって、過去に色んな催し物に使われた、有名な船らしいわ」

“島流し”という単語が三人の頭に同時に浮かんだが、誰もそれを言葉にするつもりはなかった。








その後、大天狗は巻物に紹介文を記し、自身の身分を保証する印を捺す。

「はいこれ。転売しちゃだめよ」
「しませんってば」

両手で紹介状を受取る。

「当時、私の愛刀だった今剣を、打ち直させた刀匠の家系だから、腕は確かよ」
「ありがとうございます」
「ただそこねぇ」
「なにか?」

大天狗が言い淀む。

「専属の研師がいないのよ。打った刀身を磨く技術士がね。だから研師は他で探してくれない」
「そうなんですか」
「ごめんね。中途半端で」





早速椛達は、大天狗から紹介された鍛冶屋を訪れる。

「大天狗様の命ならば、今の依頼が片付き次第すぐに取り掛かりましょう。来週から打ち始めになりますが、よろしいですか?」
「構いません」
「この設計図通りとなると、作業に十日ほどいただきます」

その後、金額の折衝も終えて、工房を出る。

「次は研師探しか」

どうしたものかと、頭を掻く。

「目星はありますか?」

文が心配し、尋ねる。

「いいえ。これっぽっちも」

研師には全くアテが無かった。
そもそも、ここの刀匠に見合う腕前を持った研師は数える程しかいない。
そんな彼らが急な依頼を受けてくれるとは到底思えなかった。

「とりあえず私は一度戻ります。にとりに状況を説明しないと」
「お疲れ様です。私達のほうでも、研師を探してみますね」
「私達で手伝える事があったら、なんでも言ってね」
「ありがとうございます」

こうして、椛の前途多難な刀造りは幕を開けた。





【 mission2:研師確保 ~ 天魔 ~ 】

大天狗から紹介状を貰い3日が過ぎた。
この日、椛は哨戒部隊の報告書を提出するために、大天狗のもとを訪れていた。

「子供って可愛いわよねぇ」
「どうしたんですか急に?」
「私が乗馬用に飼ってる馬いるじゃん?」
「あの象みたいにデカイ馬ですよね。世紀末覇者が乗るような」

暴れれば一個師団くらい軽く捻り潰せるような、まさに大天狗が乗るに相応しい馬である。

「それの嫁が子供を産んでね。これがまた可愛いのよ」
「それはめでたいですね」
「…」

急に浮かない顔をする大天狗。

「どうしました?」
「また飼い馬に先を越されたわ」
「馬と天狗の寿命を考えたら、普通比べます?」

よっぽど追い込まれているのだと椛は察する。

「しかし、赤ん坊の名前何にしようかしら? いずれ私を乗せるんだし、カッコイイ名前にしてあげないと」
「親の名前から取ればいいじゃないですか」
「父が『キセイジジツ』で母が『コトブキタイシャ』だから……『デキチャッタコン』か『サズカリコン』なんてどうかしら?」
「ここまで酷い馬主、そうそうお目に掛かれませんね」

馬に同情したのは生まれて初めてだった。

「ところで、引き受けてくれそうな研師見つかった?」
「まだです」

にとりが知っている研師を回ったが、どこも他の客の依頼で手いっぱいな状況だった。

「そもそも、貴女が紹介してくださった刀匠の知名度が高過ぎて、半端な研師からは断られてしまいます」
「そっかー」




大天狗の屋敷を出た椛は、鴉天狗が多く暮らす集落へ向い、そこの茶屋で待ってた文、はたてと合流する。

「研師は見つかりましたか?」

隣に座る文が尋ねる。

「いいえ、全然です」

完全にお手上げだと、テーブルに突っ伏してしまう。

「わかりました。研師については、私とはたてが何とかします」
「何かアテが?」

頬をテーブルにくっ付けながら訊く。

「ええ、トビキリの」
「有難い申し出ですが、お二人ともお忙しいのでは? あまり負担になるような事は」
「何を仰いますか。これ以上に優先すべき事はありません。ですよねはたて?」
「そうだよ」

その後、腹ごしらえを終えた三人。
会計を済ませ、椛と別れた文とはたては、研師探しを開始する。

「ところで文、アテってどこの事?」
「貴女が良く行く所ですよ」
「へ?」





文が向かった先は天魔の屋敷だった。

「まさか天魔様にお願いするの?」
「そうですよ。天魔様の紹介状があれば、どんな研師も思うが儘です」
「そうかもしれないけど、書いてくれるのかな?」
「書いてくれますよ。その理由をはたてが一番知っているハズです」
「どういう事?」
「ごめんくださーい」

はたての質問には答えず、文は門を叩いた。




「あら、貴女方でしたか。どうぞお上がりください」

当然の訪問にも関わらず、女中は二人を快く迎え入れた。

「天魔様にご用ですか?」

廊下を進みながら女中が尋ねる。

「お願いしたい事がありまして。今、天魔様はお忙しいですか?」
「いえ、午前の執務を終え、自室で寛がれているところで……あっ」

廊下から、庭を一望できる縁側に出た所で、女中は足を止めた。

「天魔様、こんな所で寝ないでください」

縁側に寝転がり、猫のように体を丸めて日陰で涼む寝巻姿の天魔がいた。

「起きてください。こんな所を寝ていては下の者への示しがつきませんよ?」
「ここが一番風通しが良い」
「もうっ」

完全に寝ぼけているようで、その場から動こうとはしない。

「儂の事は漬物石が何かだと思って跨いでくれ」
「何言ってるんですか。ほら、文さんとはたてさんが来てますよ?」
「んん~? 文とはたてじゃと?」
「はい。すぐそこに。はたてさんが呆れた顔で貴女を見てますよ」
「………なぬっ!」

女中の嘘に、寝ぼけ眼をカッと見開く。
その直後、天魔の姿が残像を残して消え、すぐ近くの彼女の私室から、ドタバタと激しい音がし出した。

「もう準備できましたね?」

女中が部屋の襖を開けた。

「二人ともよく来たのう。ゆっくりしていくが良い」

正装に身を包み、威厳に満ちた声でそう言った。

「取り繕っても、もう遅いですよ天魔様」
「くっ……まぁ良い。それで何の用じゃ? その雰囲気、雑談をしに来たというワケではあるまい?」

文の表情から、そう看破する。

「御見それしました。実は、一つお願いしたい事が」
「申してみよ」

文は、椛の刀製造の為に、腕の良い研師を探している事を告げる。

「なるほどのう。それで儂に研師を紹介して欲しいと。日付がないため紹介状付で」
「はい。何卒、聞き届けてはいただけないでしょうか」
「お願いします天魔様」

正座していた二人は、同時に畳に手を突いた。

「ふぅむ。どうしたものか」
「良いじゃないですか天魔様。はたてさんが日頃からお世話になっている御方です。師として、保護者として、お礼の意味で協力して差し上げては?」
「わかっとる。儂とてそこまで恩知らずではない。お前は早く茶を用意せい」
「はい、では失礼しますね」
「茶菓子も忘れるな」

女中を追い出して、天魔は考え込む。

「確かに、あやつの言う通り。犬走椛には、はたてを脱引篭りの頃から面倒を見て貰っておる。その恩に、未だ報いておらん」

天魔自身、今回の件は感謝の意志を伝える良い機会だとは思った。

「でしたら」
「しかしなぁ、うぅむ…」

短い腕を組み、しばらく唸ってから、顔を上げる。

「白狼天狗の隊長の為に、儂が直々に書を認(したた)めるには、それ相応の理由がいる。わかるな?」
「それもそうですね」

天魔という立場上、イチ白狼天狗に紹介状を書くとなると理由が必要になる。
『血縁者が世話になっているから』という確固たる理由があるのだが、はたてと天魔の繋がりを公にする事はできない。
何か別の口実が必要だった。

「外部から詮索されず、紹介状を書くにはどうしたものか…」

考え込んでいると、大慌てで女中が戻って来た。

「大変です天魔様! 今、下馬先から連絡がありまして!」
「どうした騒々しい」
「イチバリキ君がっ! 脱走したそうです!」
「なんじゃと!?」

声を荒げる天魔。

「あの、イチバリキ君とは?」
「天魔様が飼ってるお馬さんだよ、私も見た事はないけど」

訝しむ文にはたてが説明する。

「困ったのう、アレは気性が荒い。誰かを襲わねば良いが」
「…」

ここで文がある事を考え付く。

「あの、天魔様。そのお馬さんの捜索。私とはたてにやらせてください」
「なぜ引き受ける?」
「その代わり、見事連れ戻したら、その功績を私達ではなく、犬走椛の功績として扱ってください」
「なるほど。良いじゃろう」

馬を連れ戻してくれた礼という名目で、椛に紹介状を渡す。

「そうと決まれば。行きますよはたて」
「うん!」






天魔の馬を預かる下馬先へやってきた文とはたて。
早速、現場検証を始める。

「すごい力で紐が引き千切られてますね」
「この紐って、特別な素材で出来てて、簡単に切れないんじゃなかった?」

紐の断面を見て、はたては身震いする。

「天魔様のお馬さん、絶対ただの馬じゃないよ」
「その通り。イチバリキはただの馬ではない」
「天魔様?」
「元々は我々の不始末です。手伝わせてください」

天魔と女中も下馬先へやって来た。

「飼われている馬は、妖獣の類ですか?」

文の質問に、女中が首を横に振る。

「彼は霊気も妖力も持っていません」
「調べてみると異国の馬のようでな。他の馬を圧倒する力を持っていながら小柄で、儂の背丈でも問題無く乗れる故、重宝しておる」
「ちなみに彼に会うまでは天魔様、ヒグマに跨ってたんですよ。イチバシン君と呼んで可愛がっておりました」
「大天狗殿に『金太郎』呼ばわりされて、乗らんくなったがな」

二人を加えて、手掛かり探しを再開する。

「それにしても妙ですね。足跡がない。いくら踏み均された地面でも、ヒズメの跡も残ってないなんて」
「アヤツは身軽で用心深い。痕跡は残っておらんかもしれんな」

再開してすぐ、捜査は難航してしまった。

「仕方ありません。鼻の利きそうな白狼天狗の方に協力を要請し……はたて?」

こちらに背中を向けるはたてから、異様な雰囲気を感じる文。

「…ぁぐぅ」

小さく呻くと、彼女は片膝を突いた。

「どうしたんですか!?」

慌てて駆け寄る。

「はたて!?」
「天魔様のお馬さん。たぶん、あっちのホオノキが沢山生えてる所にある、沼にいると思う」

はたての手の中にある携帯型カメラの画面には、ぼやけているが四足の動物らしき影が映っていた。

「貴女、一体何を? それ、普通の念写ではありませんね?」
「あれほど使うなと言ったのにこの馬鹿者が」

天魔が厳しい目付きではたてを見る。

「天魔様、はたてが何をしたかご存知で?」
「体に大きな負担を強いる対価として、念写可能な範囲を無理矢理広げたんじゃ」
「そんな事が出来たんですか?」
「ごめん。別に秘密にしてたワケじゃなくて、言う機会が今までなかったから」

振り向くはたて。左目が著しく充血し、鼻の左側の穴からは血が滴っていた。

「緊急時以外には絶対に使うなと釘を刺しておいたというのに」
「椛の刀が懸かってるんです。私にとっては緊急事態です」
「ここで言い合っていては、折角はたてさんが無茶して掴んだ情報が無駄になりますよ?」

女中がはたての額に水で濡らしたハンカチを当てながら、進言する。

「説教はイチバリキを捕まえた後じゃ、お主はしばらく休んでから来い。女中よ、はたてを頼むぞ」
「かしこまりました」

天魔は、女中にはたてに付き添うよう指示して、文を連れて念写された場所へと向かった。







下馬先で休むこと十数分。

「大分、楽になりました」

鼻血も止まり、頭痛も治まったはたて。

「イチバリキ君。まだ捕まってないのかな?」
「かもしれません」

捕獲したのであれば、ここに連れてくるはずである。戻ってこないという事は、そういう事なのだろう。

「そろそろ、様子を見に…」
「あの。まだ休んでいた方が」

文達に合流しようとするはたてを女中が止める。

「平気です。これくらいの痛みには、慣れてますから」

そう言って、歩き出した。
女中は仕方ないという表情でため息を吐いてから、はたてに付き添った。









はたてが念写した沼の付近。
文達の追いかけっこは佳境を迎えていた。

「こっちは通行止めじゃぞイチバリキ」

逃げ惑う『馬』の前に、天魔は立ちはだかり道を塞ぐ。

「今じゃ文!」
「はい!」

その隙に文が。『馬』の首に僅かに残っていた手綱を握り、ついに捕えた。

「はい、どうどうですよ」
「まったく、人騒がせな奴じゃ」
「でも、これで一安心ですね」

華奢に見える文の腕だが、『馬』がどれだけ頭を振ろうとしても、ビクともしなかった。

「おーーい!」

そこへはたてと女中がやって来る。

「もう動いて平気なのか?」
「はい、なんとか。それでお馬さんは?」
「貴女のお陰で、ほら、ここに」

文は捕えた『馬』をはたての前に連れて来る。

「…」

その『馬』を見たはたては絶句し、酸欠の金魚のように口をパクパクとさせた。

「お主のお陰で、被害が出る前に捕まえる事ができた。礼を言……どうした?」

口の開閉を繰り返すはたてを、天魔は不審に思う。

「ヴェ」
「べ?」
「ヴェロキラプトルだぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」

あらん限りの力を振り絞り、その生物の名を叫んだ。
母が残してくれた生物図鑑のお陰で、はたては目の前の生物が何者かわかった。

「これ恐竜ですよ恐竜! 小型だけど肉食の! 馬じゃなくてUMA!!」

小型の肉食恐竜を指さして、隣に付き添う女中の袖を掴んで訴える。

「恐竜といえばあれですよね? カンブリア紀から三億年後の中生代頃に出現しはじめた哺乳類型爬虫類ですよね? それがこんな所にいるのですか?」
「なんでそこまで詳しいのに分かんないの女中さん!?」
「恐竜はとっくの昔に絶滅したと伺っていますし」
「そうですよ! 一体どういう経緯で捕まえたんですか!?」
「どうと言われましても。天魔様が地層が剥き出しになっている崖を散歩されている時、岩塩層の部分に埋まり立ち往生していた所を偶然見つけただけですよ?」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


天魔「いつ見ても、崖のこの部分は綺麗じゃの。飴玉のように透明じゃ」
女中「食べては駄目ですよ?」
天魔「そこまでボケておら……ん?」
女中「どうしました?」
天魔「中に何かが埋まっているようじゃぞ?」
女中「動物のようですね。どこかの隙間から潜り込んで、挟まってしまったのでしょうか?」
天魔「助けてやるか。この辺りでは見かけない動物じゃし、興味がわいた」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


岩塩層を砕いて引っ張り出した後、妖術での治療を施したら目を覚ましたらしい。

「やっぱり恐竜じゃないですか!! 地層で塩漬けにされて、当時の姿のまま保存されてたんですよ!」

天魔の治療により、奇跡の復活を遂げたと思われる。

「これが恐竜なんですか?」

手綱を掴む文は首を傾げる。

「文も知らなかったのッ!? あとなんでそんな近くにいられるの!?」
「そりゃぁ彼が本当に非鳥類型恐竜の獣脚類だったら怖いですが、どう見てもタダの馬ですよ?」

真顔で言い放つ文。

(なんだこの既視感…)

かつて、とある体育館で遭遇したゴリラの姿をしたヒグマロボとの一幕を思い出すはたて。
そんな彼女を余所に天魔は恐竜に近づき、文から手綱を受け取っていた。

「余り困らせるでないぞイチバリキ。最近構ってやれなかったから拗ねておるのか?」
(絶対、一馬力以上の力持ってるよアレ)
「ほれ、帰…」
「ガブッ」

天魔は頭を噛み付かれた。

「うわああああああ天魔様ぁぁぁぁ!!」
「落ち着いてはたてさん。ただジャレてるだけです。いつものスキンシップです」

鉤爪が付いた前足で天魔の肩を掴み、鋭い歯で頭をガジガジと噛む光景を、女中は微笑ましそうに見守る。

「首と胴体を引き千切ろうとしてるようにしか見えませんよ!」
「でもまぁ馬の噛み付きですから」
「天魔様の耐久力が高いから平気なだけですって!」

噛み付いたまま、頭を上げて、天魔の身体を振り回し始める。

「これこれ、はしゃぐでないイチバリキよ」

静止の声を聞かず、ビタンビタンとそこらじゅうに彼女をぶつける。

「嬉しいのはわかるがそろそろ止めんか」

無視して首を振り回し続ける。

「おい」

木や地面に押し付けられる天魔。

「おい」

呼びかける天魔の声が段々と低くなる。

「おい」

小さな手が握られた。

「伏せい!!」

その瞬間、恐竜は脳天にゲンコツを貰った。
脳震盪を起こし、眠るように地面に伏した。

「どうやら甘やかし過ぎたようじゃ。これは躾けが必要じゃな」

天魔は細長い尾の先を掴み、そのまま引きずって行った。

(躾けられるほどの知能があるのかな)








天魔の屋敷に戻り、待つこと小一時間。

「二人とも良く働いてくれた。約束のものじゃ」

二人の前にやって来た天魔が、一本の巻物を広げる。漂う墨汁の香りから、つい先程書いたものだとわかった。
宛先には、はたてすら知っている有名な研師の名が記されていた。

「これは犬走椛に直接渡したい。すまんが、呼んで来てはくれんだろうか?」
「かしこまりました。行きますよはたて」
「うん。天魔様、本当にありがとうございます」

深く一礼して、二人は去って行った。




「失礼します」

それほど経たぬ内に、椛は天魔が待つ大広間へやって来た。

「すまんな。急に呼びつけて」
「事情は二人から聞きました。この度は、書状を認めていただき、心より御礼申し上げます」

『八の字』になるよう、両手を畳の上に突き、鼻先が畳に触れるほど深く礼をする。

「頭を上げよ。これは礼じゃ。日頃からはたてが世話になっておる事へのな」
「お礼だなんて、私の方がはたてさんに助けられているくらいです」
「謙遜せずとも良い。はたてはお主に憧れることで、大きく成長した。お主以上に、はたての成長を促せる者はおらんかったじゃろう。引篭りだったアヤツを救ってくれて心から礼を言う」

本心からそう言って、天魔は頭を下げ返した。

「思えば、こうして一対一で話すのは、はたての脱引篭りの依頼をした時以来じゃな」
「左様ですね」

あの時は、今以上に緊迫した雰囲気だった事を思い出す。

「正直に言うとな。文が、はたての脱引篭りの協力者としてお主を推薦した時、儂は不安でしょうがなかった」

天魔は椛の眼をじっと見る。

「あの時、顔を上げたお主と眼があった時、儂はゾッとした」
「…」

椛は黙って言葉の続きを待つ。

「あれは、生きながらにして地獄を見て来た者の眼じゃった。お主がこれまで、どれほどの差別、迫害、辱め、絶望、恐怖、裏切りを味わってきたのか、儂には想像もつかん」

天魔にはあの眼が、この天狗社会の陰を映す鏡のように見えた。

「そのような眼をする者と、はたてを一緒にして良いものか、悪影響にしかならんのではないか、復讐の対象にされるのではないかと、その時は危惧した」
「そう考えるのは自然な事です」

穢れた身である自分が、清らかな彼女と一緒にいても良いのか、椛自身わからなかった。

「憤ってくれて構わんのじゃぞ? お主が苦しむ原因を作ったのは、統括者である儂じゃ、それなのに、そのような心配をするなど、愚かで矮小で極まりない事じゃ」
「貴女様に咎はありません。貴女様は天狗社会の為に常にその身を犠牲にしてきた気高い御方です。大天狗様が申しておりました。『天魔は一度も同胞の骸(むくろ)を足蹴にした事はない』と」
「どう評価されようと、儂の力不足でお主たち白狼天狗に辛い想いをさせたのは事実じゃ。お主を救う事ができなんだ。どう詫びて良いかわからん」
「確かに、あの頃の私は心の内であらゆる者を恨んでいました。天魔様とて、例に漏れずです」

正直に白状する。

「しかし、一番恨んでいた相手は自分自身でした。白狼天狗として生まれてしまったこの身を、最も憎んでいました。けれど、あの二人に会えて、私は前に進めました」

はたての脱引篭りの協力を依頼されたこの場所が、新たな人生のスタート地点だった。

「先ほど貴女様は、私がはたてさんを救ったと仰いましたが、逆です。救われたのは私の方なんです」

二人が自分の為に沢山心を砕いてくれたからこそ、今、こうして穏やかな気持ちでいられるのだと実感している。

「私は運が良かった。あの二人に会えたからこそ、こうして真っ当な道に戻れた」

全てが敵に見える濁った眼は、もうどこにも無い。

「以前の私のような白狼天狗はまだまだ大勢います。どうかその者達に、一日でも早い救いの手を差し伸べてください」
「残りの人生を賭けて、尽力しよう」

そう約束して、巻物を差し出した。













椛は受け取った紹介状に書かれていた研師を訪れる。

「天魔様からの紹介付で、かの刀匠の打った刃を研げるとは、研師冥利に尽き申す。腕が鳴りますな」

武道家のような太い腕を持つ坊主の男が、力強く頷く。

「刀身は来週から打ち始め、十日で打ち終わる予定です」
「今の仕事はその頃には終わりましょう。研ぐのに一週間ほどいただいても?」
「構いません。よろしくお願い致します」

刀匠の時と同様、価格の折衝を行い。契約を交わした。

(実物検査の一週間前には刀身は完成か)

組立をする時間を考えると、かなり際どい納期だった。

(だがひとまず、完成の目途はついた)

名高い刀匠と研師である。納期が遅れるという事はあり得ないだろう。
片付けなければならない問題はまだ多いが、刀身が確保できた事で、肩の荷がだいぶ軽くなった。








【 mission3:鍛冶鍛錬の安全祈願 ~ 守矢神社 ~ 】

書類審査が通ってから一週間が経過した。
明後日から、ようやく刀匠が刀を打ち始める。


この日の早朝。椛と大天狗は、明日行われる行事の打ち合わせを行っていた。

「開会の挨拶をしていただいた後は、閉会式まで特にお願いする事がないので、大天狗様は自由にしててください」
「オッケー」

椛が説明をし終えると、大天狗は親指と人差し指で丸を作る。

「しっかし、剣技大会とかマジめんどいわ。本当なら明日は遊ぶ予定だったのに」
「『めんどい』って、貴女が大会の主催者じゃないですか」

明日、哨戒に所属する白狼天狗限定で、剣技を競う大会が行われる。
椛は実行委員に任命されており、大会当時までは大天狗への伝達係を頼まれていた。

「乗り気がしないのよねぇ」
「ここ数年やらなかったのをワザワザ復活させておいて?」
「今回は、実はこういう経緯があってね」

大天狗は今回の大会が開かれる事になった経緯を語り出した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 一か月前 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

八坂神奈子が大天狗の屋敷を訪れた。

「わざわざ出向いてやったのよ、感謝しなさい」

大天狗の正面に座り、開口一番そう告げた。

「何しに来たの?」
「山道を歩いたから、喉が渇いたわ」
「従者。お茶用意して、三百度くらいの冷たいお茶を」
「いくらなんでもそれは…」
「遠慮はいらないからやんなさい! 天狗火使うのよ! 天狗火!」

従者は戸惑いながら退室した。

「それで、今度は何を企んでるの?」

懐疑に満ちた眼差しを、神に向ける。

「企むだなんて人聞きが悪い。天狗の伝統行事について、協力できないかと思っただけよ」
「またそれ? ここ最近ウチらのイベントに合わせて、祈祷だの祭事だの催して玉串料せしめるの勘弁してくれない? 正直ウザいんだけど」
「前の騒動で金欠と神徳不足でね」

発電所の建造計画が頓挫した事で、守矢は信仰不足と財政難の状態が続いていた。

「人間の参拝客なら、積極的に通してあげるでしょうが。まだ足りないっていうの?」

発電所を巡る騒動の後、天魔と大天狗、神奈子と諏訪子は今度こそ和解した。
それ以来、人間の参拝客が山を訪れた際、白狼天狗には無下に彼らを追い返さず、丁重に案内するよう通達を出してある。

「ええ足りないわ。それに貰った玉串料分のご利益は、山にしっかり還元してるわよ。死に銭にはならないと思うけど?」
「はっ、どうだか」
「ご利益に関しては今度じっくり説明するわ。今日私が話しに来たのは、ここ数年開いてない剣技大会についてよ」

神奈子は本題を切り出す。

「あのー。お茶をお持ち致しましたけど」

ちょうどそのタイミングで、従者が盆を手に慎重な足取りで部屋に入って来た。

「待ってたわよ。早くカナちゃんの前に置いてあげなさい。喉乾いてるらしいから」
「しかし…」
「さっさと置く」

従者は半ば脅される形で、溶岩のように煮えたぎる湯が満たされた湯呑を、ヤットコで摘まみ神奈子の前に置いた。

「あの、八坂様。五分もすれば飲める熱さになると思いますので、それまでお待ちくださいね」

しかし、そんな彼の気遣いを無視して、神奈子は湯呑を素手で掴むと、一気に飲み干した。

「随分と渋いわね。口直しに甘い物が欲しくなるわ」
「従者ぁ! 大天狗印の特製団子用意しなさい! くっそ甘いトリカブト練り込んだヤツ!!」

両腕を組み、神奈子を睨みながら叫んだ。

「流石にそれは洒落になりませんよ」
「とにかく持ってくるの! ダッシュ!」

手をパンパンと叩き急かす。従者はもの凄い困った顔をして襖に手をかける。

「龍殺すつもりで作りなさい!! 元暗殺組合幹部の底力見せるのよ!」

出ていく彼の背中にそんな言葉を投げつけた。

「えーと、どこまで話したっけ?」

座り直して、神奈子に尋ねる。

「天狗社会は、もう剣の大会を開かないのかしら? 数年前から行われてないみたいだけど?」
「アンタらが山を引っ掻き回わすから、その余裕が無かったのよ」

大勢の白狼天狗が参加する行事である。守矢という不安要素を抱えた状況で、開催する余裕はなかった。

「それは申し訳ない事をしたわね。償いの為、場所も資金も積極的に出すわよ」
「もーやんないわよ。面倒くさいし。山の警備が手薄になるし」
「そう言わないで。私達のせいで文化が廃れただなんて事になったら、心苦しいわ」
「本音は?」
「天狗が剣の大会やるなんて言ったら、大勢の参拝客が集まってくるわ。だから是非ともやりましょう」

あっさりと白状する。

「あの大会は士気を高めるのが目的で、内々でひっそりやる行事なの。見世物じゃないわ」

山の外の武芸者に天狗の技を見せたくない、というのも理由のひとつである。

「では規模を縮小しましょう、自由参加って事にすれば人手も金も小規模で済むわ」
「だからやんないって言ってるでしょうが」
「それに『こんな強い天狗が、山の警備に当たっているんだぞ』ってアピールになると思わない?」
「しつこいわね」

大天狗が苛つきだした頃。

「あのー、失礼します」

恐る恐る従者が盆を手に入室する。両手をゴム手袋で保護した姿で。

「おー待ってたわよ」

満面の笑みで部下を出迎える。

「さぁカナちゃん。たんとお上がりなさ…」
「すぐに返事をしなくても良いわ。じっくり考えて頂戴」

すかさず立ち上がる神奈子。

「あっ! ちょっ! 逃げんなコラ!!」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「っていう事があってね」
「反対してたのに、開くんですか?」
「天魔ちゃんがやりたいってさ。諏訪子からアプローチがあったんでしょうね」
「無駄に仲良いですもんねあの二人」
「それにしてもごめんね。運営委員に指名しちゃって」

椛は運営委員に選抜されたため、試合には参加できないでいた。

「本当ですよまったく」
「あれ? ひょっとして参加して優勝するつもりだった?」
「出る気なんてこれっぽっちもありませんよ」
「じゃあどうしてそんな機嫌悪いの?」

心なしか、椛の顔付きが険しく感じられたため、そう尋ねる。

「委員会の会合に時間を取られて、部下たちの鍛錬にあまり付き合ってやれませんでした」
「あーそれは悪いことしたわね」

すまなそうな顔をして頬を掻く。
椛を委員に任命したのは他ならぬ大天狗だった。

「でも、部下の為にそこまで考えられるモミちゃん素敵よ」
「褒めたって時間は返ってきませんよ。この後も、委員会の会合があるんですから」
「わかってるって、なんか埋め合わせ考えとくわ」
(埋め合わせ?)

気になる言葉を残しつつ、椛は雑談を切り上げて、会合が行われる会議所へ向かった。





会議場。

「以上で会合を終わります。それでは明日は、よろしくお願いします」
「お疲れ様でした」

明日の最終確認は一時間ほどで終わり、そこで椛は解放された。

(午前中で終わってくれたのは有難いな)

どこかで昼食を取り、詰所に戻ろうと考えた時。

「あら、イヌバシリちゃん」
「雛さん」

会議場を出た門のすぐ前で、鍵山雛と出くわした。

「ご無沙汰してます。ここ最近、見なかったもので心配してましたよ」
「困ってる人は大勢いるもの。厄神も意外と多忙なのよ?」

雛と顔を合わせるのは、発電所の騒動以来で実に久しぶりだった。

「守矢とひと悶着あって以来、そんなに厄は集まっていないようね」
「お陰様で」
「そういえば、刀の申請が通ったんですって? おめでとう」
「毎回、貴女はどうやって個人情報を仕入れてるんですか?」
「それは企業秘密♪ で、いつ完成するの?」
「まだまだ先です。やっと三日後に刀身を打ち始めます」
「これからなら、打ち始める前に安全祈願をしておいたら?」

思わぬ提案をされた。

「祈願ですか?」
「そう。『誰も怪我する事無く、無事に刀が完成しますように』っていう願掛けを」
「必要ですかね?」
「貴女の場合は必要なんじゃないかしら?」
「……否定できませんね」

厄介ごとが他人より集まりやすい体質だという自覚はあった。

「その祈願というのは、貴女がしてくれるんですか?」
「私が出来るのはせいぜい厄払いと厄落とし。そういうのは、神社にお願いしなさい。例えば守矢とか」
「あそこですか?」

露骨に嫌な顔をする。

「逆に祟られそうな気がしてならないんですが」

妖刀になるのでは、という不安すら感じる。

「大丈夫よ、あの二柱は清めの水や貴金属に精通してるから」
「あそこにモノを頼むのはどうも………あれ、雛さん?」

椛が悩んでいると、いつの間にか雛の姿は消えてしまっていた。

「祈願か」

その言葉が、椛の心に深く残っていた。

(とりあえず行ってみるか。あくまでも守矢が何を企んでるか探る為に。剣技大会で悪巧みをされては堪らないからな)

誰にでもなくそう言い訳して、椛は守矢神社へ向かった。









守矢神社。その最奥にある本殿。
碌に明かりの差し込まぬ薄暗い空間の中、幼い少女の声が響く。

「おい神奈子。来年さ、御柱祭じゃん?」

蛙の置物の上に腰かける洩矢諏訪子は、床に広げられた山の地図を眺める神奈子に語り掛ける。

「そうね」
「祭りの半年前くらいになったらさ、『御柱の先頭に座り坂を無事に滑り終えた者は、巫女と結ばれる』って噂を流そうと思う」
「確実に死人が出るわよ?」
「良いよ別に、早苗に男はまだ早い。それに早苗とお近づきになりたいなら、それくらいの試練、余裕で乗り越えてくれないと」
「まぁ選別の意味でも、その噂は流しても良いかもしれな……あっ」

頷き諏訪子を見た神奈子。しかし、次の瞬間、諏訪子の背後に立つある人物と眼が合い、固まってしまった。

「……」
「……」

神奈子は、本殿の入り口に立っている椛と、僅かな時間見つめ合った。

「…」

無言で踵を返す椛。そのまま神社の出口を目指し歩いていく。

「…」
「…」

神奈子と諏訪子は無言で立ち上がり、椛を早足で追う。
しかし、椛が一歩早く玄関の戸を開けた。

「信者のみなさーーん! ここの神様がぁぁぁぁ!!」
「待てこの野郎!!」

諏訪子は椛を羽交い絞めにして、建物の中に引きずり込んだ。







「何しに来たんだよお前?」

本殿の中まで椛を引っ張ってから諏訪子が問う。

「貴女方が不穏な動きをしてないか調べに」
「もう大人しくしてるわよ」
「あんな話をしておいて、どの口が言うんですか?」
「いやそもそも、どうしてココまで入れた?」

諏訪子が解せない顔をする。本殿には『許可された者しか通れない』という特殊な結界が張ってある、部外者はまず入れない。

「あの、私が通しました」

早苗が小さく手を挙げながら本殿に現れた。

「鳥居で掃き掃除をしていたら、椛さんがいらっしゃいまして」

早苗にとって椛は恩人であり、好意の対象であるため、快く本殿へと通した。

「そう。早苗が通したなら仕方ない。良く来たわね椛。歓迎するわ」

神奈子は本殿の下座を、椛に勧めた。









本殿で椛と三柱が膝を交える。

「とにかく、私達は明日の行事では何も企てていないわ。今は信仰と資金の調達で必死なの」
「わかりました。今回は信じましょう」

神奈子の潔白の訴えに、とりあえず頷く椛。

「お騒がせしました。それじゃあ、私はこれで」
「お前さん。本当は、何か他に用事があるんじゃないのかい?」

帰ろうとした椛を神奈子が呼び止める。

「そ、そんなワケないじゃないですか」

上擦った声で答えてしまう。

「これまでどれだけの来訪者を迎えて来たと思ってるの? 雰囲気でわかるわ。別の用があるんじゃないの?」
「神奈子、多分アレじゃないか? こいつ、マイソード造るらしいから、その祈願の依頼じゃない?」

諏訪子が思い出したように言った。

「なんで知ってるんですか?」

雛といい、守矢といい、どうしてこうも自分の個人情報が抜き取られているのかと、軽い頭痛に苛まれる。

「まさか、付きまといなんて気持ち悪い事してるんじゃないでしょうね?」
「…」

その言葉の直後、早苗の体が硬直する。

「早苗さん?」
「ほら。早苗はお前さんに何度も助けられただろう? で、何か恩返しがしたいと色々とお前さんの近況を調べていたようでな? 悪気があったわけじゃないんだけどね」

神奈子が事情を説明し、フォローを入れてやる。
そしてそのすぐあと、諏訪子が椛の胸ぐらを掴んだ。

「早苗泣かせてみろ。涙一滴につき、一リットルの血で償ってもらうからな?」
「相場がおかしくないですか?」

抗議の言葉を唱えつつ、早苗を見る。

「えっと、早苗さん。今のは失言でした。別に刀の事は何か月も前から準備していた事ですし、別に秘密にしてる事じゃありませんでしたし」
「良かったです。それを聞いてほっとしました」

その言葉で、なんとか早苗は普段の調子を取り戻した。










「まぁ、ざっとこれくらいかしら」

神奈子から、安全祈願に掛かる玉串料を提示される。

「高っ!? 祈願ってそんなにするんですか? 人件費以外に掛かる原価なんてほぼゼロなのに?」
「神事に原価とか持ち込んでくる奴初めて見た」

祈願・祈祷は補助の対象外のため、全て椛の自腹になる。願掛けにそこまで払う気には正直なれなかった。

「私は無償でも構いませんよ。なんなら安産祈願も…」
「待ちなさい早苗」
「待て早苗!」

神奈子は前者の台詞に対して、諏訪子の後者に対して待ったをかけた。

「いい早苗? いくら椛に借りがあるとはいえ、守矢は今財政難。無償は無理よ」

神奈子が諭すように言う。

「そうですか…」
「だからと言って、貧乏人だから救わないでは神に非ず。そして何より、他ならぬ宿敵からの依頼だ」

神奈子はずいと椛に顔を寄せる。

「お前さん。明日の大会には出るのかしら?」
「いいえ。実行委員の一人なので、出場はしません」
「では、部下の者が一人でも予選を突破し本戦に出場したら、祈願をしてしんぜよう」

明日の大会には予選と本戦があり、五試合した中で成績の上位者が本戦に上がれるという形式になっていた。

「なぜ条件が本戦出場なのですか?」
「本戦は守矢神社の敷地内で行われる。つまり奉納試合になるわけだ。その礼という事にしてやろう」
「そういう事ですか」

納得し、椛は部下達の顔を思い浮かべる。

「けれどアイツら……弱くはないが、かと言って上位に入るほど強くもないしなぁ」

まだまだ実戦経験の浅い若者達である。中堅に当たれば、勝ち上がるのは難しいだろう。

「だからこそよ。困難な道を渡り切った者の願いを、神は聞き入れたくなるのよ」

部下の本戦出場を条件に無料で祈祷を行うという確約を取り、神社を出た。








部下が待つ詰所へと向かう椛。
詰所まであとわずかという場所で椛は足を止めた。

「静かだ」

普段なら、この場所からでも聞える彼らの掛け声が、届いて来なかった。

「何かあったのか?」

不審に思い、眼に力を込める。
他を寄せ付けぬ圧倒的な視力が、木々の僅かな隙間から、その原因を捉えた。








「忙しいモミちゃんの代わりに私が稽古つけてあげるから、光栄に思いなさい!」

竹刀を手にする大天狗。彼女の前に、隊員達が整列させられていた。

「私と数回打ち合うだけでも、すごい経験値になるわよ。きっと終わったらしばらくは『テレテレッテテー♪』ってファンファーレが鳴りっぱなしよ」
「生きてればっスよね?」

短髪の少女が、恐る恐る訊いた。

「いいから掛かって来なさい! 十秒持ち応えたらご褒美にキスしたげるから!」
「それはちょっと…」

困惑する隊員達。

(おい、お前行けっス。今までどんな相手にも物怖じせず挑んだガッツを見せろっス)

短髪の少女が、かつて巨躯の白狼天狗に挑んだ青年を肘で小突く。

(そのつもりでいたんだが、接吻されるっていうんじゃ…)
(違いないっス)

仲間内でしか聞こえない声で話す。

「ちょっとー、ほんとに誰もこないのー? 今ならデートする権利も付けちゃうわよー。二人っきりで夕飯食べに連れてってあげるわよー」
(ヤバイ。どんどんハードルが上がっていく)
(勘弁してくれ)
「これはチャンスよ。あんた達の冴えない人生を哀れに思った幸運の女神が、ネイルケアしながらうっかり垂れ流した蜘蛛の糸的な?」
(なんだその不安要素の塊)

気まずい沈黙が続くこと数十秒。

「むぅ、仕方ない」

大天狗は人差し指を隊員達に向ける。

「どーーれーーにーーしーーよーーおーーかーーなーー」

軽快なリズムで指先を躍らせ始めた。

「見回り行ってきます!」
「俺も!」
「そろそろ炊き出しの支度しなきゃ!」
「アタシも手伝う!」

隊員達は一斉にその場を離脱した。

「なんて速さの散開。蜘蛛の子を散らすように」
「そりゃぁ。危険を感じたらまずは散れって教えてますから」
「ああ、おかえりモミちゃん」

大天狗は振り返り、帰って来た椛を出迎える。

「何しに来たんですか?」
「うっ」

椛から滲み出る凄みに大天狗がたじろぐ。

「ト、トップブリーダーになりたくて」

顔を背けて呟く。

「ちゃんと私の眼を見て、話してくれませんかね?」
「だって今のモミちゃんの眼、密猟者を見つけたジャングル大帝と同じなんだもん」
「まさかこれが朝に申していた『埋め合わせ』ですか?」
「まぁ、そんなところ」
「ウチの連中は真剣にやってるんです。邪魔しないであげてください」
「いや、でも。私に稽古つけて貰えるってスゴい事よ? 牛若丸みたいに出世街道まっしぐらよ?」
「出世しても、早死にしたら意味ないでしょうが」

とは言ったものの、このまま追い返すのも気が引けるため、指導を頼むことにした。




散った隊員を集め直し、整列させる。
大天狗と椛が彼らの前に立つ。

「よくぞ集ったわ若人(わこうど)達よ。私がコーチする以上、限界突破は約束されたようなものよ!」

椛の許可を得た事で、大天狗は先ほどよりも威勢が良かった。

(まぁ、なんだかんだんだで、大天狗様は手加減が上手だか…)
「泣いたり笑ったりできなくしてやる!!」
「解散! 駄目だ駄目! 明日に備えて今日はもう休め!」

椛は両手を振って終了を宣言した。










夕刻。
椛は大天狗に誘われ、彼女行きつけの店で夕飯をご馳走になっていた。

「ホントに帰しちゃって良かったの?」

夜勤組だけを残して、他の隊員達を帰した事について尋ねる。

「今更、ジタバタしても結果は変わりませんよ」
「一人くらい、本戦に出場できるかしら?」
「無理でしょうね。二勝できれば御の字です」
「そうね」

彼らが優秀な白狼天狗である事に間違いはないが、まだまだ若い。
実戦不足な彼らが勝ち上がるのは難しいと大天狗も思っていた。

「負けて落ち込んだ部下は、ちゃんとフォローしてあげなさいよ?」
「慰めたり、励ましたりしろって事ですか?」
「そうよ。何て声を掛ければ良いか、モミちゃんわかる?」
「『真剣だったら死んでたぞ。良かったな』とか『これが今のお前の実力だ。悔しさを噛みしめろ』とかですか?」
「なんで折れそうな心にトドメ刺すのよ」
「じゃあ、どうしろと?」
「しょうがないわね。大天狗お姉さんが正しい部下の励まし方を教えてあげるから、メモの準備しなさい」













大会当日。式典等で使われる公共の広場。それが予選の会場だった。
各所に設けられたコートの中で白狼天狗達は木刀を激しくぶつけ合い、通路には河童の屋台が並び、会場は大いに賑わっていた。
そんな多くの人妖がごった返すお祭り騒ぎの中、腕に『委員会』の腕章を付けた椛は眼を光らせながら歩いていた。

「通路で座らないでください。試合を控えている選手は速やかに移動してください」

実行委員の一人として、大会がスムーズに進行するよう見回っていた。

「ここでの素振りはご遠慮願います」

往来の隅で素振りをする白狼天狗の男性を見つけ、注意する。

「あ? うるせぇよ」
「試合を前に逸る気持ちもわかりますが、素振りは指定の場所で」

注意されてなお続けようとする彼の前に椛が立ち、素振りを阻んだ。

「邪魔するなら容赦…」

椛の肩を掴んだ瞬間、男は浮遊感に包まれた後、身体が縦に一回転していた。
彼は明確な死をイメージし、走馬灯を垣間見た直後、尻から優しく地面に下ろされた。

「素振りするよりも、対戦相手の視察をしておいた方が勝率が上がりますよ」

彼が落とした木刀を手渡し、そう助言して椛は去った。
彼は仲間が呼びに来るまで、呆然としていた。







「ここは通り道です。ゴザを敷かないでください」

今度は道の半分を占領する集団に、片付けるよう督促する。

「なんだ姉ちゃん? 俺らになんか用…」

十秒後。

「すんませんでしたホント」
「すぐ片付けるんで勘弁してください」
「邪魔にならない所に移ります」

頬を腫らして、いそいそとゴザを巻き始める男達の姿があった。
そして追い立てられるように、彼らは行ってしまった。

『お疲れ様でした犬走さん。聞きしに勝る強さですね』
「いえ、それほどでも」

椛の懐の御札から女性の声がした。

『犬走さん。今度は西門に酔っ払いが出ました。取り押さえに行ってください』
「ひょっとして、私が選ばれた理由って、用心棒としてですか?」

この御札は実行委員に配られた無線機で、これから聞こえる指示をもとに椛は行動していた。

『私達はそう伺っていますよ。チンピラは全部、犬走さんに任せれば片してくれると大天狗様が』
「あの人は本当に…」

苛つきを抑えながら、指示された場所へ向かった。








(これは思ったより面倒な相手かもしれない)

酔っぱらっていたのは、熊と見紛うほどの大柄の男だった。

「ヒック、なんでぇアンタ?」
「実行委員の者です。会場での飲酒は禁止となっており。酒気を帯びた方は、申し訳ありませんが。お引き取りいただきます」
「んだとぉ、オイ?」

椛の眼の前で、飲みかけの一升瓶を高く持ち上げる。そのまま振り下ろせば、大惨事は免れない。

(選手じゃないし良いか。別に手加減しなくても)

キツめの灸を据えようと思ったその時。

「皆の真剣な姿を酒の肴にしようとは、良いご身分だな」

むんず、と大きな手が男の頭を掴んだ。

「誰だてめぇ……た、大将っ!?」

自身を掴んだ者の顔を見て、赤色の顔が一気に白くなった。

「恥ずかしいと思わんのか?」

巨躯の白狼天狗の男性は、片腕だけの力で酔っ払いを立ち上がらせた。

「よ、酔いを覚ましてきます!」

頭を掴む手から身を捩って逃れた男は、会場の外へ向い千鳥足で駆け出した。

「感謝します。お陰でアイツを担架で運ばずに済みました」

椛は握っていた拳を解き、追い払ってくれた巨躯の白狼天狗に礼を言う。

「奴とは旧知の仲でな」
「ああ、だから大将と呼んでいたのですね」

『大将』とは彼の愛称である。

「知り合いが迷惑をかけた。すまなかった」

上半身が地面と水平になるよう九十度腰を曲げる。

「頭を上げてください。貴方は何も悪くないじゃないですか」
「しかしだな…」
「本当に馬鹿真面目ですね貴方は」

相変わらずさに苦笑する椛。
彼はかつて、椛と同じ、大天狗が創立した“組合”に所属しており。組合解体後から今日まで、哨戒部隊の隊長を務める古株の白狼天狗だった。
馬鹿が付くくらい真面目な性格が、彼の長所であり短所だった。



「見回りは大変そうだな。手伝うぞ?」
「それは有難いのですが貴方の試合は?」
「どういうワケか、俺は『シード枠』とか言う、予選をせずとも本戦に進める立場らしい」
「納得の扱いですね」

その言葉に甘えて、しばらく彼と会場を巡回する。

「運営委員に当たってしまうなんて不運だったな。お前も出るつもりだったんだろう?」
「そんなつもりはありませんよ。こういうのは向いてませんし」
「それもそうか」

真っ向勝負は彼女の分野でない事を、長年の付き合いから知っている。

「そもそも、大昔に出場禁止喰らってますし」
「何をしたんだ?」
「大天狗様にとって優勝すると都合が悪い奴がいたものでして、大天狗様の命令で、そいつとの試合で反則技を少々」
「災難だったな」

椛とその対戦相手、両方に向けての発言だった。

「そういえば、あの子達はどうしてます?」
「あの子たち?」
「貴方の主人。元保守派の首領さんに育てられた白狼天狗の三姉妹ですよ」

眼鏡をかけた長女と、双子の妹達。ゆくゆくは工作員として育てられるはずだったが、椛の活躍により、普通の少女としての人生を取り戻した子供たちである。

「あの子達なら、引き取られた先でも、通う寺子屋でも、楽しくやっているようだ。寺子屋が無い日は、三人であちこち回っていると聞く」
「それは何よりです」
「噂をすれば」

「犬走様ー!」
「大将殿ー!」

三つの小さな影が、二人に駆け寄って来た。

「ご無沙汰しております犬走様。大将もお疲れ様です」

眼鏡の少女が礼をすると、後ろにいた双子も頭を下げた。

「貴女達は見学ですか?」
「はい! 主(ぬし)様が『色々と勉強になるから、見て来なさい』と仰られて」
「主様というのは、首領さんの事ですか?」
「左様です」

椛の脳裏に、文と共に死力を尽くして戦った鼻高天狗の女性の顔が浮かぶ。

「未だに何か変な事、吹き込まれてないでしょうね?」

振り返り、巨躯の男に尋ねる。

「案ずるな。今の主様にこの子達をどうこうする気はない。単純な親心からそう仰られたのだろう」
「なぜそう言い切れるんです?」
「工作員にする予定だったとはいえ、十年近く面倒を見ていたのだ、情が移るのも当然だ」
「だと良いのですがね」

それから男と姉妹達は、椛の巡回に付き添う形で、会場を練り歩く。

(なぁなぁ姉者)

双子の一人が、眼鏡の少女にひそひそ声で話かける。

(どうした?)
(倭ぁは、大将殿が女の人と並んで歩くのを初めて見る気がしまする)
(それ、倭ぁも思っておりました)

もう一人の双子も、半身の言葉に同意する。

(言われてみれば確かに。大将殿は部下たちの間で『男色家』か『女性の手も握れぬ極度の堅物』で論争が起こるくらい、女性との浮いた話が無いという)
(では何故、犬走殿と? 女性として見ておらんのでしょうか?)
(倭ぁは、その逆で。犬走殿を好いているのはないかと)
(うーん。わからん)

「お前たち」

そんな小声で話す彼女達に、男が話しかけた。

「今日は暑いな」

唐突にそんな事を言いだした。

「え、ええ。まぁ…」
「日射病にならないか、心配だな?」
「えっと…」
「ならないか?」
「な、なりまする!」

厳つい顔が目の前まで迫ってきて、本能的に同意した。

「そうだろう? だからお使いを頼まれてくれ」

素早い手付きで、長女に小銭の入った巾着を握らせた。

「向こうに河童の屋台がある。ラムネを五本買って来てほしい。つり銭は好きにしていいぞ」
「好きにして良いと仰いますが、これだとお釣がかなり余りますぞ?」
「ならばついでに、スカイフィッシュの丸焼きを買って来てくれ」
「そんなの売ってるのですか!?」
「冗談だ」
「大将の冗談は相変わらず解り辛いです」

長女は口を尖らせる。

「面白くなかったか?」
「面白い以前に、真顔で仰るせいで、冗談かどうか判別に困ります」
「ジョークというのは難しいな」
「真っ直ぐに目を見て言うものですから、思い切り信じてしまいましたぞ」
「それはすまなかった。だが、つり銭の件は本当だ。リンゴ飴でも、綿菓子でも、好きな物を買うと良い。ラムネは全部回ってからで構わない」
「ありがとうございます! 行くぞお前たち!」
「やったな姉者! 向こうに変な面が売っておりましたぞ! 見に行きましょう!」
「倭ぁ、射的やりたいです射的! 射的!」
「馬鹿者! まずは腹ごしらえだ!」

大声で何を買うかを相談しながら、姉妹は屋台に向かって走り出した。

「少し甘やかし過ぎじゃありませんか?」

男の大盤振舞に苦言を呈す。

「兵士として育てていた頃、色々な事に我慢を強いていた。これくらい許されよう」

そう弁解する彼だが、彼女達に屋台へ向かわせたのは別の理由があった。
椛と二人きりになりたかった。






会場の端まで二人は辿り着く。隅っこという事もあり、周囲に人は疎らだった。

「戻りましょうか」
「なぁ犬走よ」
「どうしました?」
「そっちは何か、浮いた話はあるのか?」

不器用な彼は、話の流れを作れない。だから強引に切り出した。

「何を藪から棒に」
「いるのか?」
「いませんよ別に、そういう貴方はどうなんですか?」
「いない」
「なんですかそれ」

てっきり出来たからそういう話題を振ってきたのかと思った。

「貴方なら、求愛する相手は多くいるでしょうに」
「そんなわけあるまい」
「まだ妹さんの事を引きずっているのですか?」

彼の妹は、彼がまだ若い頃、とある天狗の高官の手により、非業の最期を迎えていた。
間接的に仇は討てたが、それでも彼の心には今も大きな爪痕が残っている。

「未だに、自分と歳が大きく離れていたり、少しでもか弱いと感じてしまう女性は、どうも食指が動かん」

妹と重なり、恋愛の対象として見ることが出来ないでいた。

「それじゃあ。貴方と歳が近くて、貴方を撃退した事のある私くらいしか条件に合わないじゃないですか」
「そうだな。だが、それで良いと思っている。なぁ椛よ」
「はい?」

突然下の名前で呼ばれたものだから、思わず顔を上げて、彼の眼を見る。

「疎遠な時期もあったが、何度も背中を預け戦い、様々な苦楽を共にしてきた。もうお互いを知らぬ仲ではあるまい?」

彼は真剣な眼で椛を見つめる。

「俺では駄目か? お前とて、死ぬまで誰とも寄り添わず、子を残さぬまま、一生を終えるつもりはあるまい?」
「貴方の夫婦(めおと)になれと?」
「そうだ。お前を妻に迎えたい」

彼にとって、一世一代の告白だった。

「返事を聞かせ…」
「ははっ。相変わらず、真顔で冗談を言う癖は直っていないんですね」

笑い、手をパタパタと振る椛。

「待て、け、決して冗談では…」
「さぞ周りも苦労してるでしょう」
「頼むから話を…」
「貴方もいい加減、過去に囚われず前に進んでは如何ですか?」
「だからこそ俺はだな…」

男は身を屈め、膝を突いて椛の両肩に手を置き、自分は本気なんだと改めて説明しようとする。

「誰よりも誠実で、優しく、力持ちで、顔立ちだって悪くない。もっと磨けば、こんな素敵な殿方を放っておく女はいないでしょう」

彼の気持ちなど知らずそう言って、襟の皺を直してやる。

「頑張ってください」

優しく、柔らかく微笑んだ。

「…」

初めて向けられたそれに、彼の時間は停止する。
組合時代。日夜血しぶきを浴びていた頃の彼女を知る彼にとって、それはあまりにも眩しく、真冬の陽光のように温かさすら感じた。

「……いつかお前もその女の一人に加えてやるからな」
「やっとマシな冗談が言えるようになりましたね。その調子です」

『もしもし犬走さん?』

そんな時、椛の懐の御札が光る。

『今どこですか? 定時連絡会の時間ですよ?』
「ああっ、そうでした。すぐ向います!」

定例を忘れていた事に気付き慌てる。

「先に戻ってます! それではご武運を!」

その場で膝を突いたままの男を残して椛は去って行った。




「ラムネ買ってきましたぞ大将」

椛と入れ違いに三姉妹が帰って来る。両手には飴細工やら水風船やらを持ち。それぞれの頭には狐や翁、ヒョットコの面が引っ掛かっている。

「…」

彼は全く動こうとはしない。

「神社に佇む灯篭のように固まってしまっている」
「電池切れのヒグマロボみたいになってしもうた」

双子は同時に首をかしげる。

「あり得ぬ。大天狗様のボディブローを食らっても、立っていた御仁だぞ?」

解せんと長女は呟く。

「この場にいない犬走様がやったのだろうか?」
「そうとしか考えられませぬ」
「ほんにスゴイなぁ犬走殿は」

こうしてまた一つ。彼女達の中で椛の伝説が生まれた。

(俺は、諦めないからな)

不器用な彼の恋は、まだ始まったばかりだった。











「やっと戻れる」

会場の見回りもひと段落し、休憩時間を得た椛は、隊員の成果を確認しに向かった。

「キィィィ、あと一勝で本戦だったのに、悔しいッス!!」
「相手は他の隊の隊長だったんでしょう? なら仕方ないじゃない」
「蹴り技がありなら俺の勝ちだったぜ」
「嘘吐け」

部下たちの様子を見るに、あまり良い結果ではないようだった。

(あいつは何処だ?)

あたりを見渡す。探していた人物は、集団の隅っこで膝を抱えていた。

「その様子じゃ負けたみたいだな」

日頃から椛に積極的に剣の鍛錬を頼んで来る青年。
剣術馬鹿と呼ばれる彼が、ここまで落ち込む姿を見るのは初めてだった。

「面目ないです。隊長にはいつも稽古つけて貰っているのに」
「こいつスゴイ頑張ったんですよ隊長! 三勝一分けして最後の一人に、ギリギリで判定負けだったんですから」

間髪入れずに仲間が彼の奮闘を報告する。

「うるせえ。負けは負けだ…」

身を更に縮こまらせて、とうとう俯いてしまう。

「お前のような若造が少し頑張れば上に行けるほど、白狼天狗は弱くないという事だ。大丈夫、お前ならいつか追い越せる日が来る」
「……どうも」
(まだ元気がないな)
「俺、実家の豆腐屋を継ごうかな」
(こりゃ重症だな)

こんな彼を見るのは、気持ち悪くてしょうがなかった。

(こいつは将来、剣士として間違いなく大成する)

剣に対するひた向きさ、才能、体躯。このまま鍛えればいずれ剣で名を馳せるという確信が椛にはあった。

(そういえば大天狗様が言ってたな、落ち込んでいる男を一発で立ち直せる方法を)

昨日彼女の言っていた事を思い出す。

(えーと、まずは)

試しに実行してみることにした。

「三勝もしたんだ。すごいじゃないか。偉いぞ。誇って良いんだ」

後ろから抱きしめて、頭を撫でててみる。

「た、隊長?」

想像すらしていなかった出来事に、落ち込んでいた彼の表情が一瞬で驚愕に変わる。

「偉い偉い。お前は頑張った。自慢の隊員だ。普段から努力してたもんな。ちゃんとわかってるぞ」

彼を肯定する言葉を並べて励まし、優しく頭を撫で続ける。

「本当に良くやった、十分、胸を張っても良い…」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「わっ!?」

彼はその場で勢い良く立ち上がる。

「次は勝ちます! 来年こそ絶対本戦行きます!」
「そ、その意気だ」
「はい!!」
(なんとかいつもの剣術馬鹿に戻ったか)

平時に戻り、とりあえず椛は安堵した。

(しかし、手痛いな。自腹での祈祷か)

誰も本戦に出場できないため、安全祈願は全て自分の負担になるという懐具合に胸を痛めていると。

「どうしたお前達?」

ぞろぞろと椛の周りに他の隊員が集まって来た。

「私だって女子の部で三勝したんスから! ハグしてください!」
「俺二勝したんです! 撫でて貰ってもバチ当たらないですよね!」
「某は一勝致しました。励ましの言葉を何卒!」
「僕、全敗しましたけど。参加賞とかありますか?」

どうやら先程の彼とのやりとりを見て、色々と触発されたらしい。

「わかった! とりあえず話は聞いてやるから並べ!」

亡者のように詰め寄って来る隊員たちに揉みくちゃにされていると。

『あの、すみません。犬走さん』
「な、何か?」

札からの声に返事をする。

『シードで出場するはずだった選手が一人、急きょ出られなくなり、三勝一敗一分の青年が繰り上げで本戦出場になりました。探すのを手伝ってください。特徴は…』


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