「さあみんなお待ちかね。いよいよこの人の紹介だ~。というよりもう説明なんていらないよね。29回の優勝は当然ながらぶっちぎりの大記録。今年は30回の優勝と10連覇がかかった勝負だ! 頼むぜ我らが姉御、豪快な飲みっぷりを見せてくれ!」
マイクを持った司会がでかい声で叫ぶ。
「星熊ぁああ~~~、勇儀ぃいいいい~~~~!!!」
広場の中央ですべての視線を一身に受け止めながら、勇儀は拳を高く掲げた。
瞬間、歓声が爆発した。
地底では喧嘩の強さと酒の強さが物を言う。勇儀はそのどちらもが飛び抜けて強く、この地で彼女の名前を知らない者はいない。
円形状に落ちくぼんだ広場の中央には、今日のための特設ステージが用意されている。その周りを取り囲むように、地底中から集まった観衆達が大騒ぎを起こしている。歓声が飛び交うステージの上、勇儀を含めた23人の参加者が堂々と胸を張って立っている。
酒舐祭。
それが今日行われる祭りの名前だ。
一年に一度開催されるその祭りは、どれほどの酒を飲めるかを競い合うというものだ。
ただの祭りなどと思ってはいけない。
この地底において酒舐祭の実績は大いに評価される。
酒舐祭は地底の英雄を決める戦いだ、というのは過去の優勝者の1人が放った言葉だ。一度でも優勝すれば人生が変わる。事実、その発言をした彼は優勝を機に商売が大繁盛。今や地底の大富豪の仲間入りだ。自分の名前を書いた額縁を飾っておけばそれが勝手に客を呼んでくれる、と彼が後に語ったほどである。優勝者の名前にはとんでもないほどの価値が付け加えられるのだ。
それ故に、29回優勝の勇儀は別格だ。
会場を包む大歓声。巻き起こる勇儀コール。会場は今やこの女の独壇場と化した。ここにいる妖怪達全ての視線が勇儀に集まっている。それは羨望であり嫉妬であり、そして怖れでもある。自分とは次元の違う存在を見つめる目である。
しかし、会場の高まる熱気とは逆に、勇儀は勝負への気持ちが冷めていくのを感じていた。
理由は、はっきりとしている。
あの男がいないからだ。
今年で60年目を迎える酒舐祭。
過去、59回のうち、勇儀が参加したのは約半分の30回。なぜ約半分しか参加していないのかというと、自分以外に優勝者が出ないのは申し訳ない、という最強の名にふさわしい理由からだ。
事実、参加した30回のうち優勝が29回。参加すればほぼ優勝。鬼の中の鬼である勇儀と良い勝負ができるとすれば伊吹萃香くらいなものだろうが、彼女がこの祭りに参加した事はない。いわく、「自分のペースで飲めないのはめんどくさい」との事。
そんなわけで、勇儀に飲み比べで勝てる存在はもういないと思われていた。今からちょうど10年前の今日までは。
勇儀はステージの上に並ぶ参加者達の姿を眺めた。ぐるりと辺りを見渡して、最後に隣にひっそりとたたずんでいる小柄な人物に視線を移す。
そして、ため息。
勇儀が唯一負けたのが10年前。それから毎年、リベンジに燃えて酒舐祭に参加しているのだが勇儀を負かした男が現れる事はなく、優勝という輝かしい成績を残しながら勇儀の胸の内が晴れる事はなかった。
酒舐祭が始まって60年という節目であり、今年こそはと思ってやって来たわけだったが、どうやら期待はずれに終わるようだ。
ひどく落胆した。
それでも勝負をするからには負けられない。それが鬼としての誇りだ。
「オーケー。みんなが勇儀さんの事が大好きだってのはわかったが少し静かにしてな。次の参加者を紹介しなきゃならないんでね。さて、24人目、……と、その前に」
勇儀の隣、そこにはこの祭りに似つかわしくないほど小柄な人物が立っている。
焦げ茶色のマントを羽織って、頭にはすっぽりと覆い被さったフード。顔はまったく見えない。
司会がその人物に向かって言う。
「残念だけど、酒舐祭では姿を隠したままの参加は認められていないんだ。参加したいならそのフードは取ってもらわなきゃ」
マントの下に隠れた体を固まらせたのが、はっきりとわかった。
「どうしてもダメですか?」
「特例は認められない」
その人物はわずかに逡巡した素振りを見せたが、すぐに意を決したようで、マントについたボタンをひとつひとつ外していった。
そしてすべてを外し終えると、片手でマントの外側をひっつかんで、一気に脱ぎ捨てる。
ばさりとステージの外に一枚の布が落ち、その中にくるまっていた少女が姿を見せた。
瞬間、その場にいた全員が驚き、息を飲んだ。
陶器のように白い肌と桜色の髪の毛。
そして何より特徴的な部分。胸元で静かに存在感を発揮している第三の瞳。
誰かが声を発した。
――覚り妖怪だ!
その声は波紋のように広がり、ざわざわとしたどよめきが巻き起こる。
勇儀もまさかの人物の登場に驚いた。
地底において最も有名な存在は勇儀であるが、2番目に有名なのがこの古明地さとりだった。忌み嫌われた者達が集う場所がこの地底。その中でも最も嫌われ怖れられている存在。それが覚り妖怪であり、古明地さとりだ。
会場を包む空気が異様なものに変わった。人々の心からあふれ出た憎悪が空気の中に混じってしまったかのようだった。さとりに集まる、ねっとりとした視線。
世界中のどこにだって存在するものがある。それは差別だ。妖怪の世界だってそれに違いはない。
覚り妖怪は他人の心を覗き込んであざ笑っている。覚り妖怪は他人の心を断りもなくのぞき込み、踏みにじり、馬鹿にする。それがこの地に住む者達の認識だった。
真実がどうなのかは関係ない。とにかくこの地ではそれが信じられていて、さとりはどうしようもないほど嫌われている。それが現実だ。
嫌な空気が漂い始める中、
「これでよろしいですか?」
さとりが平坦な口調で言うと、
「もちろんオーケーだ」
司会は重く頷いた。
「さ~~て、24人目の参加者の紹介だ~。まさかまさかの人物。あの地霊殿の主にして、地底一の……、げふん、ああいや失礼、地底でも有名なあの人物! 古明地さとり~~~~!」
会場のあちこちからブーイングが飛んだ。客の多くがさとりの参加に反対しているのだ。今にも石が投げつけられてきそうな雰囲気である。
さとりはまったくの無表情。
司会は「やれやれ」といった感じの表情。
そして、勇儀はといえば。
右足で力一杯地面を踏み込んだ。凄まじい衝撃が発生する。冗談ではなく広場にいた全員が地面の震動により30センチほど空中に浮き上がった。
広場を埋め尽くす観客をぎろりと睨みつける。それはまさしく鬼の形相。
それだけでブーイングは消え去り、後には異様なほどの静寂が残った。勇儀は言葉こそ発さなかったが、誰もが彼女の言いたい事を理解していた。つまり、参加者への礼儀を欠いたらその首をへし折るぞ、というわけだ。
ここで勇儀に逆らえる奴なんているわけがない。誰もが壊れたおもちゃみたいに首を大きく縦に振った。
「お前さん、ここに来たからには覚悟はあるんだろうね? そこらの飲み比べとはわけが違うよ、この酒舐祭は」
勇儀がさとりに語りかける。
「当たり前です」
さとりは視線を合わせず、それだけ言った。
勇儀は考える。
なぜこんな場所にさとりがやって来たのか。これほど人目につく場所もない。嫌われている事を自覚しているさとりが酒舐祭に参加してくるなんて誰が予想しただろう。
参加するからには何か考えがあるに違いないし、何より勝負に自信があるに違いない。伊達や酔狂で出場できるような酒舐祭じゃない。
そのちっこい体でどこまで飲めるか見てやろうじゃないか。口元に笑みを浮かべた勇儀はそう思った。
彼女にとっては覚り妖怪がどうのこうのなんてものは関係ない。同じ土俵に立つ対戦者の1人だ。
「え~~さて、ちょっとごたごたがありましたが、とりあえずこれで全員かな。もう他に参加者はいないよね? いないようなら開催宣言に移るけど」
司会はステージの上から観客席の方へ視線を送る。
ごたごたから回復した観客達の関心は早くも優勝者予想へと移っていた。とは言っても、百人中百人が星熊勇儀の名前を挙げるだろう。
至る所で賭けが行われているが、1位を当てるだけでは賭けにならないので、2位までを予想させている。だから正確に言うならば、人々が意見をぶつけ合っているのは、果たして誰が最後まで残り、勇儀と一対一の勝負を見せてくれるのか、という事についてだ。
そんながやがやとした雰囲気の会場に、男が1人足を踏み入れた。
白髪を後ろに束ねた男は年老いていた。だが目つきは鋭く、ただ者ではないと悟らせるだけの威圧感がある。腰にぶら下げた2本の刀は飾りではないだろう。
男は黙々と歩を進める。男の姿を目にした観客は言葉を失った。そしてその姿を多くの者達が目にし、同じように誰もが口を閉ざした。男の足取りと共に不思議な静寂がゆっくりと広場の中央へ向かって広がっていく。
勇儀も場の空気の変化を感じ取り、視線を彷徨わせた。その視線がある男を捉えた刹那、全身の血が沸き立つような感覚を覚える。
「来た」
思わず口に出した。
彼こそ、勇儀がこの10年待ちわびた相手だった。最強の鬼を唯一打ち負かした伝説の男。
男はゆっくりとステージに上がって来る。誰もが言葉を失っていた。あの飄々とした司会ですら呆然と立ちつくしていた。
男が声を発した。
「まだ参加は受け付けているかね。もし受け付けているのなら、拙老の参加を認めていただきたい」
この言葉を聞き、はっと司会は自分の役割を思い出した。それからマイクに向かって声を張り上げる。
「おいみんな大変な事が起こったぞ~! この男がついに帰ってきた。10年前、唯一あの星熊勇儀を負かした老剣士。あの日の名勝負は忘れられないね~。居酒屋に行って、知らない顔にこう話しかけてごらんよ。『おう、お前さんあの日の死闘は知ってるか?』すると返事はこうだ。『たりめえだろうが。俺は間近で見てたからな。目に焼き付いて離れやしねえ』。一時期このやり取りが挨拶みたいなものになったもんだ……。懐かしいね、あれからもう10年だ、10年。その間すっかり姿をくらましていた男がついにこうして再びこの地にやって来た。どこで何してやがったんだよこの野郎! お帰りなさい! さあさあ本日最後の参加者、紹介しちゃうよこの男をよお!」
司会は大きく息を吸い込んだ。そして吐き出すと同時に叫んだ。
「その名も、魂魄ぅうう、妖忌ぃいいい~~~~~!!!!!」
止められていた時間が急に動き出したかのように妖怪達の歓声が弾け飛ぶ。王の帰還を祝福する民衆達の有様だ。
誰もがもう一度見たいと願いながら叶わなかった勝負がようやく目にできると、その場にいた全員が心を躍らせる。
魂魄妖忌。その存在はもはや都市伝説の類ではないのか。最近ではそう言われるほどになったが、第50回酒舐祭の優勝者の欄に書かれたその名前は幻や偽りではない。事実、彼はこうして皆の前に帰ってきた。
各地で行われていた賭けにも妖忌の登場に動きが見えた。賭場に客達が殺到して有り金全てを放り投げる。1位妖忌、2位勇儀、この並びが今や1番の人気になり、その逆の並びが2番人気になった。どちらにせよ、この2人の内どちらかが優勝という予想で満場一致だ。
早くこの2人の勝負が見たい。ステージを眺めるたくさんの顔には期待がありありと浮かんでいる。誰よりもその勝負を楽しみにしていたのが星熊勇儀だった。
妖忌の姿を目にしてから体の震えが止まらない。気持ちが勝負を求めている。ここまで気分が高揚したことも今までなかった。
勇儀は妖忌をにらみつける。敵対心を向けたつもりはなかったのだが、他の者から見れば今にも妖忌の喉元に食いつきそうなほどの異様なオーラを身に纏っていた。
妖忌が彼女の視線に気が付いた。
「これは勇儀殿。お久しぶりですな。相変わらずすごい力をお持ちのようだ。こうして対面すると恐ろしいほどの威圧を感じます」
「ふん。妖忌、貴様が今まで一度も姿を見せなかった事については何も問うまい。だがな、私はあの日から一度として貴様を忘れた事はないぞ。この10年、私は伊達に過ごして来たわけではない。今日は覚悟しておけ」
勇儀が歯をむき出しにして笑うと、妖忌もひげの生えた口元をわずかに歪める。
「勇儀殿にそう言われては、怖じ気づいてしまいますな」
「心にもないことを! 私は嘘が嫌いだぞ!」
怒鳴り声が響く。そこらの雑魚妖怪なら小便をまき散らすほどの迫力があったが、妖忌はまったく意に介していない様子で声を上げて笑った。
そして、勇儀に鋭い視線を送り返す。
「では、今日は久方ぶりに鬼退治と洒落込みましょう」
勇儀が笑った。あまりにもでかい声で笑ったため隣にいたさとりが咄嗟に耳を両手で覆ったほどだ。広場の端っこで警備に当たっていた鬼が中央で爆弾でも爆発したのかと振り返り、何だ姐さんが笑っているのかと納得し、楽しそうでいいなと観客達に羨ましそうな視線を送った。
「面白い。前回は貴様に負けたが、今の私はあの時の私ではない。全力で返り討ちにしてやる」
妖忌がさとりの左横に並ぶ。左に妖忌、右に勇儀、2人の怪物に挟まれたさとりは居心地が悪そうだった。
勇儀はそんなさとりにぎろりと目をやる。
「お前の実力も確かめてやる。自信はあるんだろう」
さとりは何も言わず肩をすくめただけだった。
「さ~~~~あ、いよいよ始まるよ。今年の最強の酒飲みを決める戦いが! 一体誰が最後まで残るのか、楽しみだ! スタッフゥ~、じゃああれ渡しちゃって~」
酒舐祭で使う器は枡である。
古来より量の計測に用いられてきた枡を使う事により、1杯の量のばらつきがなくなる。参加者の間での不平等を防ぐという目的もあるが、何より枡で酒を飲む姿は趣がある。
そして酒舐祭で使う枡はそこらの居酒屋で出てくるような枡ではない。
でかい。
1杯がどれだけの容量なのか酒舐祭の決まりで明言された事はないが、多くの参加者達は手渡されたその枡の大きさに目をむく。これを持って肩に手ぬぐいでも掛けていれば、これから銭湯に行く江戸っ子にしか見えないだろう。
枡が全員に行き渡ると、今度はそれになみなみと酒が注がれる。一度目はその大きさに驚き、二度目に酒が入ったそれの重さに驚く。両手で支えなければならないほどの重たさに参加者達はお互いに目を合わせ、冷や汗を掻きながらもこれから始まる戦いに沸々と闘志を漲らせる。
勇儀が枡を持つ姿は堂々としたものだ。妖忌の姿も実に絵になる。その間に挟まったさとりは童女が桶を持って遊んでいるようにしか見えなかった。
――おうい覚り妖怪。せめてその1杯は飲み干せよ!
近くにいた観客が野次を飛ばす。しかし今のさとりにはその声は聞こえていない。濁りの一切ない透き通った酒をじっと見つめている。
「準備も整ったみたいだから始めるよ~。じゃあ、会場にお集まりの皆さん、それぞれ手にお酒をお持ちになって、ご起立をお願いします」
司会の声に倣って客達が立ち上がる。1杯目はその場にいる全員が一緒に酒を飲み干すのが決まりだ。当然、飲む量は参加者と観客では比べものにならないが。
「それでは、毎年死人が出るぞと言われ続けはや60年。奇跡的にまだ死人は1人も出ていないこの戦いが今年も無事に終わりますことを、そしてプライドとプライドのぶつかり合う熱い勝負が繰り広げられることを願いまして! 行きますよ~~~、第60回酒舐祭に、かんっっぱぁあ~~~~い!」
一斉にそれぞれが持っていた酒があおられた。
酒を飲み干した後のため息が各所で上がり、参加者達がその枡に注がれた酒を飲み干す姿に視線が集まる。
勇儀はあっという間にそれを飲み干し、妖忌は静かに飲み干した。他の参加者達もさすがは酒飲みとして鳴らしてきた猛者だけあって次々と酒を飲み干していく。
最後まで残ったのはさとりだった。
さとりはまず、なみなみと注がれた酒をこぼさないように口で吸い込む。まるで池の水を飲むかのような動作で酒の量を減らしていく。ある程度まで減った所で今度は枡に口をつけ、音も立てずにあおる。1杯の量が尋常ではない枡だ。飲み干すのは当然時間がかかる。特にさとりは他の参加者よりも体格が圧倒的に小さい。その分後れを取るのも当たり前の事だ。何度も喉を鳴らしながら、少しずつ少しずつ酒を飲み進める。
ゆっくりとしたペースではあったが徐々に枡が傾いていき、枡が口から離された。
それを合図にその場にいた全員が手に持っていた器を高く掲げる。そして、中身が残っていないことを見せるためにそれをひっくり返す。
途端、観客達が雄叫びにも似た歓声を上げる。ここまでが参加者に限らず全員でやる事として酒舐祭で決められているのだ。
勝負の始まりにいよいよ客達の興奮は限界を超えようとしていた。持っていた器に次の酒を注ぎ込む者、参加者に野次や声援を飛ばす者、掲げた器を地面に投げつけて叩き割る者、色々な反応を見せて喜びを爆発させる。
これが酒舐祭の開催宣言であり、勝負の始まりでもある。
客達の反応をステージの上から一望していた勇儀は舌なめずりをする。
最初の1杯は格別だ。今までありとあらゆる酒を飲んできた勇儀だが、酒舐祭で飲む1杯目ほどうまい酒はないとすら思う。火に油を注ぐように、胃の中に収まったそれはたちまち体中に拡散し、闘志をたぎらせる。
勇儀は無表情のさとりに対して話しかける。
「1杯でダウンなんて事はないだろうね?」
「まさか」
「それを聞いて安心したよ」
その向こう側にいる妖忌にも声を飛ばす。
「10年の間に酒に弱くなっていた、なんてのは許さないよ」
妖忌は軽やかに笑ってみせた。
「焦りなさるな。それはいずれわかることです」
ふんと勇儀は鼻を鳴らす。
早くも参加者達の枡に2杯目の酒が注ぎ込まれる。これから参加者達は酒を飲み干しては、空になった枡に酒を注ぎ込まれ、そしてまた飲み干す、という動作を延々と繰り返す事になる。どこまで耐えられるかは己の体と、そして精神力の強さによる。
「さあ~て、2杯目、行っちゃおうか~!」
司会がマイクに向かって声を発すると、その声に呼応するように観客が沸く。観客達の声は空気の振動となってステージの上に立つ者達を鼓舞する。
2杯目も勇儀は瞬きをする間に飲み干す。すかさず枡を高く掲げ、ひっくり返す。2杯目からは飲み終わった者から順にそうやって枡を逆さにするのだ。
勇儀のあまりにも鮮やかな飲みっぷりに誰もがうっとりとしたため息をつき、手を叩き、称賛を送る。
他の参加者もそれに続き、持っていた枡を逆さにして、腹にしっかり酒を収めたことを証明する。2杯目も最後まで残ったのはさとりだった。
観客はさとりに対して野次を飛ばす。この野次も酒舐祭の一興のひとつであり、あまりにも下品なものでなければ許容される。
おう覚り妖怪、早く飲め。もしかしてもう限界とか言うんじゃないだろうな。ステージを取り囲む観客達がはやし立てる。
しかしさとりはペースを崩すことなくゆっくりと酒を飲み干した。
3杯目も同じ様子が展開された。さとりはあくまで自分のペースを乱す事なく、少しずつだが着実に飲む戦法を取っている。
さて、酒舐祭の最初の関心事といえばまずは誰が最も早く脱落するかである。観客の多くはさとりが最初に脱落するであろうと予想している。他の参加者達と比べて1杯を飲み干すのにかかる時間は倍以上であり、その体に収まるだけの量なんてたかがしれていると誰もが思っている。
客達の視線が集まる中、3杯目の枡をくるりと返したさとりがぼそりと呟いた。
「美味しいお酒ですね」
ほう、と勇儀は感心する。誰もがその量にびびって酒のうまさにはなかなか気付かないものだ。
酒舐祭で使われる酒はそこらにある普通の酒とは一線を画す。地底において古来より酒を造り続けている伝統ある酒蔵がある。そこで造られる酒はまず市場には出回らないほど貴重なものだが、その中でも職人が選びに選び抜いたものがこの日のために用意される。
味は濃厚でありながらもすっきりとした飲み口であり、口の中に広がる辛みにはいやらしさがまったくない。それらの要素が実にバランス良く仕上げられている。
だが、この酒の魅力は何といっても飲んだ者を「酔わせる」力である。
どれほど酒豪として知られた者でもこの酒の前ではいつも通りというわけにはいかない。勇儀はこれまでの戦いでその様を何度も目にしてきたのだ。
そして今年も例外ではない。ステージに立つ参加者にその様子が現れたのは、ついに2桁に突入した時だった。
10杯目。
ここに来て参加者の中で最後に酒を飲み干すのがさとりという図式が崩れた。さとりが相も変わらず同じペースで酒を飲み干し、枡を高く掲げた時、観客からはどよめきが起こった。そのどよめきは10杯を飲み干したさとりに対してでもあり、最後に残った徳田孝之助に対するものでもあった。
半分まで飲みながらも、まだたっぷりと残る酒を冗談か何かのように見つめる徳田はすっかり顔が赤らんでいた。
「おおっと~エントリーナンバー1、徳田孝之助がつらそうだ~! 魔の10杯目が重くのしかかる~」
魔の10杯目。節目となるその数字に到達しなかった者はこれまでの大会では出ていない。しかし、10杯目を飲み終えてからぶっ倒れた例は過去にいくつかある。この日のために用意された酒から放たれる魔力からはどんな酒豪であっても逃れる事はできない。
徳田は残っていた酒を一気に飲み干した。右手で枡を掲げ、左手でこれまでに飲んだ酒はここにあるぞというように自分の腹を叩いている。
観客は大いに盛り上がる。まだまだ行けるだろう! 男を見せろ! 覚り妖怪に負けるな! ある者は酒を飲みながら、ある者はつまみをむさぼりながら、思い思いにそれぞれが酒舐祭を楽しんでいる。
勇儀はまだまだ余裕といった様子で他の参加者達を見渡す。つらさを表情に出している者はほとんどいないが、酔いは必ずやって来る。唐突に、まさに落とし穴に落ちるがごとくやって来るのだ。
妖忌と目があった。この程度でどうにかなるような男ではない。目つきは依然として鋭く、鷹が獲物を狙っているかのようだ。
面白いと勇儀は思う。その目がとろんと可愛く丸くなる様子を拝んでやろうじゃないか。
最初の脱落者に対する観客の予想は10杯目で徳田が弱みを見せたことにより、おそらくこの男が最初になるであろうとの見方に切り替わった。だが依然としてさとりに対する期待はなく、20杯に到達する前に消えるだろうとの予想が大半だ。
しかし、今年の酒舐祭は観客の予想が大きく外れる年となった。
「おお~~っと、最初の脱落者がついに決まった~~~~。エントリーナンバー5、如月邦彦が20杯を飲み干した所でギブアップ! しかし20杯飲むだけでも大したものだ。この男に拍手を送ろう」
司会が声を上げ、ステージにどしりと座り込んだ如月に対して観客が拍手を送る。如月は一歩もその場から動けない様子で、スタッフが持ってきたタンカによって運ばれていった。
――今年はなかなか良い勝負じゃねえか。
――その通りだな。去年は確か12杯目で最初の脱落者が出た。20杯に到達する前にギブアップしたのは5人だ。そう考えれば今年はハイレベルな戦いだ。
――何より勇儀さんと妖忌さんの戦いがまた見られるとはこれ以上の楽しみはねえ。
――それにあの覚り妖怪も結構頑張ってるな。見直したぜ。
――へっ、どうせもう限界よ。あいつがリタイアするのも時間の問題だ。
10杯の時にはまだ余裕といった表情を浮かべていた者も多かったが、さすがに20杯を迎えるとほとんどの参加者達に変化が見られた。顔を真っ赤にし、体が震え、視線が定まらない。いよいよ酒舐祭の本当の戦いが始まった証であり、ここから続々と脱落者が出ていく合図でもある。
残る24人の内、まったく表情を変えていないのは6人。その内の2人が過去の酒舐祭に何度か参加経験のある黒田と川中。それに今回初参加で酒蔵を営んでいる鬼瓦平吉。そして残る3人は勇儀、妖忌、さとりである。
「20杯を飲んでまだ平然としてるとは、お前さん見かけによらず強いねえ」
勇儀がさとりに向かって口を開くと、胸元に収まっていた瞳が勇儀をにらみつけた。
「そういうあなたもまったく酔ってはいないようですね」
「ふん。私を誰だと思ってるんだい」
いくらこの酒が強力だろうと勇儀を酔わせるには相当は量が必要だ。なにせこの酒を飲んだ量を合わせたらぶっちぎりで1番なのが彼女だ。他の参加者とは経験が違う。
勇儀は視界の先に妖忌の姿をはっきりと捉え、いまだ大人しいライバルの様子に口の端を僅かにつり上げた。
結局、30杯を数えるまでに脱落したのは合わせて6人だった。
過去の例と比べてみれば今年はかなり生き残っている方だ。この数になると、もはや体は限界に到達し後は気力でどれだけ粘れるかという状態に陥っている参加者も多数で、疲弊の色を隠しもしない顔は赤から青へと変色している。
「ああ愉快」
勇儀はそんな対戦者の様子を面白そうに眺めて呟いた。
さすがの勇儀でも30杯を飲めば酔いが来るがそれはとても心地がいい酔い方であり、今にも腹に溜まった酒をぶちまけそうな勢いの奴らとは訳が違う。
「いや~~、今年の戦いは熱いね。30杯を飲み終えて残っているのが19人。さあて、どこまで粘れるかな」
司会の声が響く。
旧都はかつて地獄として機能した地であるが、今はその機能を失っている。だが今この瞬間、この場所だけは地獄であった。馬鹿みたいに酒を飲み続けなければならない地獄だ。
そんな地獄に耐えきれなくなり、いよいよ残っていた参加者達の多くが悲鳴を上げ、脱落し始める。
石のように硬くなって眠りに落ちた者もいれば、軟体動物のようにぐにゃりと折れ曲がって「死神が一匹、死神が二匹……」とうわごとを繰り返していた者もいる。「もう飲めませんもう飲めません」と泣き叫びながらもその手にはしっかりと枡が握られ離そうとしなかった者もいる。
脱落の仕方は人それぞれであったが、どれも観客を楽しませ大いに沸かせた。
49杯を飲み終えた時、未だに残っていたのは10人だった。ほとんどは息も絶え絶えで、いつ意識が途絶えるかもわからないような状態だった。そんな状態になりながらもここまで残ったのは、酒飲みとして認められたいという強い意志があったからだ。
「すごい、すごいよ~~! まさか50杯目を迎えて、まだこんなに残ってるなんて今までなかったんじゃないかな。振り返ってみればこれまでに色々な戦いがあったね。歴史の数だけ伝説も生まれるもんだ。最強の王者星熊勇儀。それを唯一負かした魂魄妖忌。他にも酒舐祭で名を残した者の数は多くいる。別に優勝者だけが注目される訳じゃない。負けたとしても素晴らしい飲みっぷりを披露すれば、歴史に名を残せずとも多くの人々が名前を覚えてくれる。道ばたでふとすれ違った拍子に『おめえ酒舐祭に出てた奴だろ。すごかったぜ』なんて声を掛けられるようになったと、過去の参加者が嬉しそうに私に話してくれたもんだよ」
司会が語り始めた事で、50杯目を目前にして小休止を与えられた参加者達はほっと息を吐いた。司会はあれこれと酒舐祭で起こった出来事をあげ、観客に向かって話を続けた。
この50杯目を目前にした司会の語りは毎年行われる。参加者達に休息を与える事を目的として司会が場を繋ぐのだ。だがしかし、その休息は何も参加者のためを思って行っているのではない。むしろその逆で、今まで続いてきた緊張をあえてそこで緩和する事によって、自分がとっくに限界に来ている事を改めて思い知らせるために行っているのだ。ほっと一息ついた後では、再び勝負の気持ちに火を付けるのは難しい。司会の意図に気付き、集中を切らさなかった者だけが次のステージに進める。
司会が話を切り、スタッフに酒を持ってくるように指示を出す。新たに注ぎ込まれる酒を見て表情を変えなかった者が真の猛者だ。
50杯という巨大な壁を越えて行けるのは選び抜かれた屈強な戦士だけであり、毎年どれだけその壁を越える事ができるかが注目されている。50杯を飲み干せば酒豪の中の酒豪として誇りに思ってさえ良い。
3人が脱落した。司会の術中にはまり、枡に口を付けることさえできなかった。
勇儀は飲んだ。誰よりも早く、そして豪快に。それに続くのは妖忌。二人とも一瞬たりとも気を緩めることはなかった。
さとりはここに来てもまったく同じ様子で、1杯目から続くさとりペースを貫いている。その様子を観客達は固唾を呑んで見入っている。さとりの小さい口から枡が離され、ひっくり返されたそれが空である事が証明されると、誰もが呆気に取られる。
まさかあの覚り妖怪が50杯の壁を越えていくなんて誰も想像していなかった。
最後に残ったのは徳田孝之助だった。
10杯目ですでに弱みを見せていた彼だった。ここまで残ったのは不屈の精神力によるものだ。その精神力も50杯目の壁を前にしてもはや風前の灯火だ。
最後の気力を振り絞って無理やりに酒を飲み下す徳田だったが、不幸が訪れる。平衡感覚をとうに失っていた徳田は大きくよろけ、その拍子に持っていた枡を落としてしまった。「あっ」と声を出した時には遅く、中に入っていた酒がステージにぶちまけられる。
酒舐祭で酒をこぼす行為は失格にはならない。しかし反則行為としてもう一度その枡に酒をいっぱいまで注ぎ込まれる。どれほど枡に入っていた酒を飲んでいようと途中で酒をこぼした場合やり直しとなり、再びなみなみと注ぎ込まれた酒に心をくじかれリタイアするケースは多い。
徳田もきっとリタイアするに違いない。誰もが思った。
ギブアップの一言で地獄から逃れられるのだ。蜘蛛の糸はいつだって目の前に垂れ下がっている。
唇を噛み締め、苦悶の表情を浮かべていた徳田が叫んだ。
「俺の名前は徳田孝之助! しがない商店を営んでいる! 儲けも大したことねえ、商売の才能は当然ありゃしねえ! 見た目だって良くはねえし、嫁とは3年前に別れた! だが酒に強いと自負している。それだけが俺の取り柄だ! これからこの酒を飲み干してそれを証明する。良く見ておけ、男徳田、一世一代の大勝負だ!」
そう啖呵を切った徳田はすかさず酒に口をつける。目を瞑り、懸命に飲む事だけに意識を向ける。
その姿を観客は真摯に受け止め、何も言わず黙って眺める。
時間にして僅か30秒。たったそれだけの時間でも徳田にとってはこれまで歩んできた人生よりも長く感じられただろう。しかし徳田は飲みきった。空になった枡を天高く掲げ、獣のような咆哮を上げる。
歓声が会場を包み込む。人々が発する声により地響きが引き起こる。
徳田はしかし、その歓声を耳にする前に意識を失った。ステージの上に大の字に倒れた彼の元にスタッフが駆け寄り、力の抜けた体がタンカに乗せられる。
運び出される徳田に対して観客達はこれまでで1番の歓声を送る。良くやったぞ、男を見せたな、その名前覚えたぞ。拍手は大健闘を見せた戦士の姿が見えなくなった後も続けられた。
「いいねえ。実にいい。これでこそ酒舐祭だ。俄然やる気が出てくるってもんさ」
徳田が見せた男気に、熱に浮かされた客達に、勇儀はさらなる闘志を燃やした。
「熱いな。老いぼれの身にはこの熱は少々厳しいものだ」
妖忌が不敵な笑みを浮かべながら言う。言葉とは裏腹に胸の内では勇儀と同じように勝負への気持ちが高まっている。
さとりだけが無表情を貫いていた。その顔からは何を考えているのかは見て取れない。
50杯を越えて未だに立ち続けている者は6人。
その内の1人である黒田が52杯目で、もう1人の川中が54杯目で脱落した。どちらも過去の酒舐祭経験者だった。
そして59杯目を飲み干した所で、今まで黙々と飲み続けていた鬼瓦平吉がついに棄権した。過去の優勝者達にも引けを取らないほどの実力者だった。しかし残念ながら今年は彼を越える化け物がまだ3人も残っている。
「ついに60杯目を迎えるこの勝負。残ったのはこの3人だ~! その存在自体がもはや奇跡。たくましく鍛えられた肉体には限界がないのか。星熊勇儀! 老いてなお強し。歩んできた人生は剣の道か酒の道か。魂魄妖忌! そしてそして~~~! 意外や意外。まさかここまで残るとは。地霊殿の主。その胸元にある三つ目の瞳が見つめる先は優勝の二文字か。古明地さとり!」
勇儀が残るのは当たり前。妖忌が残るのも予想通り。
ここに来て皆が注目するのは、その2人に挟まれているさとりの存在だ。
――おいおい、まだあの覚り妖怪の奴、残ってやがるぞ……。
――いやもうさすがに限界だろう。見てみろ。あの体のどこに酒が入る隙間があるってんだ。
――でもよ、もう限界だろうって言われ続けて結局ここまで来ちまった。これはもしかしたらもしかするぞ。
――馬鹿野郎! てめえまさか勇儀さんや妖忌さんがあんな奴に負けると言ってやがるのか! んなわけねえだろうが!
観客達のざわめきをよそに、さとりは平然としたものだった。60杯目の酒が注がれた枡を見つめる目は1杯目を見つめるそれと何も変わらなかった。
「さあ~、60杯目! どうぞっ!」
これまで司会のかけ声にいち早く反応し、誰よりも早く酒に口を付け、誰よりも早く飲み干していたのは勇儀だった。だがこの60杯目という大台であの男が勝負に出てきた。
さすがの勇儀もここまで来れば頭に酔いが回る。司会の声に素早く反応したものの、酒に口を付ける前に、一度深呼吸をした。
およそ3秒。
勇儀が見せた一瞬の隙だった。それを見逃さなかった妖忌は、そこですかさず酒を一気にあおると信じられない早さで枡を空にし、堂々とひっくり返して見せた。
それから、ふたつの眼で勇儀をにらみつけた。
勝負の世界では精神が大きく勝敗を左右する事を妖忌は誰よりも理解している。伊達に年を食っているわけではない。
自分はまだまだ余裕であり、力は存分に残っているとアピールする事で相手にプレッシャーを与える。例えそれがはったりであろうと、相手が信じ込めば大きな効果を発する。
問題は「いつ」相手に圧力をかけるかである。タイミングは最も重要といえるが、妖忌はそれを見抜くのが絶妙にうまかった。
初めて先行された勇儀の内心は穏やかではなかった。
鉄だってかみ砕けそうな歯ぎしりをして、自分を見つめる目をにらみ返して対抗心を燃やす。
今まで大人しかった妖忌がついに剣を抜いたのだ。その切っ先は間違いなく勇儀の喉元に向けられている。
鬼退治。
その言葉が頭の中に蘇る。
面白い、と思う。
口の端が裂けるほどの笑みを湛えた勇儀は、持っていた酒を乱暴に飲み干した。枡を頭上で掲げ、一滴も残っていないのを見せると、そのまま流れるように腕で口元を拭った。
面白い。面白い。面白い。面白い面白い面白い面白い面白い面白い面白い面白い面白い面白いおもしろいおもしろいオモシロイ。
これだと思う。自分がこの10年間待ち続けていたのは、まさにこれだ。妖忌のいない酒舐祭は、はっきりって張り合いがなかった。勇儀が限界を迎える前に勝手に対戦相手が脱落していってしまう。
自分はまだ飲めるのに、次の酒が出てこない。
優勝しながらも心が晴れなかったのは、きっとそれが原因でもあったのかもしれない。
だが今日は違う。
最強の相手がいる。自分を満足させてくれる相手が。最強だと信じて疑わなかった自分に、上には上がいるのだと教えてくれた相手が。
倒す。
何がなんでも倒す。
真っ向から勝負を挑んでくるのなら、受けて立つ。
鬼の血が騒ぐ、なんてもんじゃない。もはや体中が熱くて沸騰しそうだ。全身の血液が、飲み干した酒がたっぷり入り交じった赤い液体が、戦いの喜びに打ち震え、心の臓を破裂させるほどの勢いで流れていく。
笑った。
笑った、と思う。少なくとも勇儀本人は笑ったつもりだった。
腹の底から絞り出した声は、今度こそ爆弾だった。
ステージの近くにいた観客は勇儀が笑い声を上げた瞬間、全身を空気の塊で押し出され、後ろに大きく吹っ飛ばされた。
全員が呆気に取られた。
「面白い! 妖忌ぃ、貴様がその気ならこっちだってやる気を見せてやらなきゃねえ。ここからが本当の勝負だ。この10年で私がどこまで強くなったかを、思い知らせてやる!」
勇儀が吠えると、妖忌はほんのわずかに笑みをこぼした。鋭い眼光の奥に、確かに燃えたぎる感情が見て取れた。
61杯目。
司会の合図にほぼ同時に反応した2匹の怪物は、ほぼ同時に酒を飲み干した。ほぼ同時に枡が高く掲げられ、ほぼ同時にひっくり返された。
どこまでも鋭く相手を突き刺すような視線と、圧倒的な力で何もかも飲み込んでしまいそうな視線が交差して、今にもそこから火が吹き出てきそうだ。
そんな視線の下で、さとりは涼しい顔をしてゆっくりと、ゆっくりと酒を飲んでいる。
62杯目。
観客から見ればほぼ同時に思えた2人の飲み比べ。しかし勇儀本人はわずかに相手より遅れていたのを感じ取っていた。
思わず舌打ちがこぼれる。別に相手よりも早く飲めば勝ち、なんて決まりはない。最後まで立っていた奴が本当の勝者だ。だがしかし、妖忌がこうして真っ向から勝負を仕掛けてきたからには、真っ向から受けて立つのが勇儀の性分だ。
結果的に勝てば良い、なんて考えはない。すべてにおいて勝つ。それが勇儀の生き様だ。
さとりはやはり、2人の勝負には目もくれないでただ黙々と自分のペースを守って飲み続けている。
63杯目。
今度は勝ったと勇儀は思う。ほんの数秒の差だが確かに勇儀の方が枡から口を離すのが早かった。やはり勝てば気分が良い。澄ました妖忌の横顔に一瞥くれてやる。
客達が騒いでいる声が大きな波となって押し寄せる。それはそうだ。こんな激しい勝負を目の当たりにして、興奮しない奴なんてこの地底にはいない。
世界の中心がこの場所だとは言わないが、世界で1番熱い場所があるとすれば今この瞬間は間違いなくこの広場で、その中で堂々の戦いを繰り広げている勇儀は間違いなく世界で1番熱い存在の1人だった。
熱と熱が飛び交って、広場の中にうねる龍のような空気の流れができ、それがまたこの場所にいるすべての存在に降り注いで、さらなる熱を生み出していく。
そんな熱に浮かされることもなく、さとりはひたすらに表情を変える事なく枡を傾けて喉を鳴らしている。
64杯目。
あり得ない。
ここに来て、まさかさらにペースを速めるなんて事ができる奴がいるという驚き。妖忌は今までで1番短い時間で枡に入っていた大量の酒を一息に飲み干してしまった。
あまりの芸当に観客は声すら上げられず、勇儀もまた同じように驚きを隠す事ができない。
妖忌から後れる事、およそ10秒。勇儀は64杯目の酒も見事に飲み干した。しかし勇儀は心を乱されていた。わずか10秒の時間が、決して埋める事のできない圧倒的な実力差として自分の目の前に突きつけられているような気がする。
落ち着けと自分に言い聞かせて、何とか平常心を取り戻そうと努力する。努力しなければならないほどに追い詰められている自分に気付き、焦りが生まれる。
焦りはイライラに変わる。そのイライラの矛先は、相も変わらず恐ろしいほどゆっくりと酒を飲んでいるさとりに向けられた。
勇儀と妖忌の二人が飲み終えた後も、さとりはそんな2人にはお構いなしに自分を貫き通している。酒舐祭は参加者がギブアップするか、もしくは司会がもう無理だと判断するまでは失格にはならない。失格になっていない参加者が1人でも残っている限り、次の杯に移る事はできない。
だから、勇儀と妖忌はさとりが飲み終えるまで待っていなければならないのだ。その空白が今の勇儀にとってはかなり厳しい。
大きく息を吸い込んで、どっしりと吐き出す。気持ちを落ち着ける。
さとりは64杯目も同じように飲み干した。
65杯目。
もはやこの男を止められる存在はいないのではないか。観客達は目前の出来事につばを飲み込む事しかできない。
妖忌が枡を頭上に掲げるまでの時間は、先ほどよりも確実に短かった。
さらに間隔を引き離され、勇儀は平常を保つ事ができなくなっていた。
そして、勇儀は気が付いてしまった。
妖忌の顔に目をやったその時、その妖忌の表情には何の変化も見られない事に。酒を飲み始める前に、鬼退治に洒落込むと言って朗らかな笑みを浮かべていたあの表情と、一寸の違いすら見えない、まったくいつも通りという顔に。
ぶるりと身体が震えた。枡を持つ腕に鳥肌が立つ。
まさか奴はまだまったく酔ってはいないのか。これだけの量を飲んでおいて、なぜそこまで平然としていられるというのか。
勇儀の心に暗い影が忍び寄る。胸の中で燦然と輝いていた自信が、鈍く濁っていく。
途端に、身体がずっしりと重みを増した。
まとわりついて来る熱気を含んだ空気が、鉛にでもなったかのように重くのし掛かってくる。体重は百倍になって、自分の身体をうまく支える事ができない。
思わずふらついた。
「おお~~~~~っと、ここでついにあの星熊勇儀が弱みを見せた! さすがにここまで来れば厳しいか!? 当たり前と言えば当たり前だ、普通の奴ならこんだけ飲めばとっくに三途の川を渡ってる頃だよ。まったく呆れるね!」
司会がわめき、観客は悲鳴にも似た声を上げる。
――さすがに限界か!?
――勇儀姐、しっかりしてくれ!
――そうだぁ! まだまだ行けるだろう! アンタの根性を見せてくれ!
どこからか飛んでくるそんな声に、勇儀はふんと鼻息をならして、
「……ったく、うるさいねえ。人の気も知らないで。……負けやしないよ、同じ相手に二度も負けてちゃ、星熊勇儀の名が廃るってもんだ」
そこで妖忌が、
「無理はしない方がよろしいのではないかな。酒は楽しんで飲むものだ」
「馬鹿言え、私ぁ、すこぶるこの状況を楽しんでるよ」
「それは結構」
妖忌は満足げに頷いた。
さとりはそんな2人の会話を聞きながら、管の繋がった目だけを左右に動かして、やはり変わらないペースで同じように酒を飲んでいた。
66杯目。
化け物め。
勇儀は心の中で毒づく。
化け物うごめく旧都。その中でもとりわけ化け物を選び出せと言われたら、まず間違いなく妖忌の名を口にする。この男、まったく底が知れない。
勇儀は身体の限界を感じ始めていた。
酒が回り回って、手や足を思い通りに動かすのだってしんどい。指先が勝手に震えだして、それがばれないように何とか抑えこむのに必死だ。
67杯目
きつい、きつい、きつい。
平衡感覚はとうに失われている。坂道で片足立ちしているような気分だ。それでも勇儀は何とか酒を飲む。
目を瞑ればそのまま深い闇の中へと迷い込んでしまいそうだった。気合いで目を見開き、根性で地に足着ける。まだ戦えると自分に言い聞かせる。
68杯目
勇儀が10年前の酒舐祭で妖忌に破れたのが、この数字だった。これを飲み干しはしたものの、次に行くことができなかった。
だが今年は違う。
68杯目を妖忌に後れを取りつつも、しっかり飲み干す。
あの時とは違う。あの時は、もう意識と無意識の境界をさまよっていたのに、今の勇儀はまだはっきりと意識を保ち続けている。意識だけは何とか持ちこたえていて、勝負の気持ちは燃え尽きるどころかさらに勢いを増している。
子供が見たらそれだけで卒倒しそうな笑みを浮かべて、
丸太かなんかのようにぶっとい両足で踏ん張って、
額から赤く伸びる角を天に向かって堂々と見せつける。
どんな時だろうと、鬼は気張ってなければいけないのだ。
69杯目。
いよいよ妖忌が達成した記録であり、酒舐祭の最高記録でもある69杯。
勝負の行方を誰もが息を飲んで見守る中、妖忌は手を緩めることなく鮮やかな飲みっぷりを見せる。観客が首を振って腹の底からため息をつく。
ため息の尾が切れる前に、今度は勇儀が枡を空にして見せる。ため息から喝采へと変わり、ステージの上で巻き起こる壮絶な打ち合いに観客達は酔いしれる。
勇儀は吠えた。
過去の自分の屍を乗り越えて、偉大なる1歩を踏み出す。
負けるわけにはいかなかった。同じ相手に二度負けるなど誇りが許さない。
妖忌を倒すその瞬間を何度も頭の中に思い描いてきた。こんな所でぶっ倒れる訳にはいかないのだ。
妖忌は依然として澄ました顔をしている。1ミリだって苦しさを見せてはいない。
逆に勇儀は顔を赤くし、頭が揺れ動き、足を開いて踏ん張っていなければ立っていられないほどだった。少しでも油断すれば尻餅をついてしまいそうだ。
そんな勇儀の隣で、まだ酒をあおっているのがさとりで……、
ふと思う。
まださとりは残っている。
過去29回優勝の勇儀ですら、やっとの事で到達した69杯。それなのに、この覚り妖怪はまだ生き残っているのだ。
妖忌との勝負に夢中になって熱くなっていた頭が、途端に冷静さを取り戻した。
こいつ、なぜまだ残っていられるんだ。
そして、ふうと静かに息を吐いたさとりは、頭のほんの少し上に枡を掲げ、小さな動作でひっくり返して見せた。
飲み切りやがった。
「なんてことだ~~~~、古明地さとりが69杯目も飲み干してしまった~~。まさかここまでの猛者だとは、さすがの私も思わなかった! みんなもそうだよね!?」
司会の興奮する声なんて、もはや勇儀には聞こえていなかった。
そっと、自分の隣でたたずむさとりの横顔を、覗き込む。
酒に酔って赤らんでもなければ、瞳が半開きになったりもしてはいない。その顔には何の変化も見られなかった。
ぞくり、と悪寒が走った。
あり得ない。妖忌もそうだが、さとりもそうだ。なぜここまで来て、なぜそうまでして澄ました顔をしていられるのだ。
あり得ない、と思う。だが現実に起こっている事だ。
妖忌にばかり気を取られていたが、もしかしたらこのちっこい身体の少女もその内に鋭い牙を持った怪物なのではないか。いや、間違いなくそうだ。
なぜか笑い声が漏れた。
勇儀自身よくわからなかったが、無性に可笑しかった。
面白い。
どんな奴が相手でも、最後に立っているのはこの星熊勇儀だ。この祭りが終わった時、観客の歓声を一身に受けるのはこの星熊勇儀でなければならない。
「勝つのは私だ」
返ってくる言葉はなかったが、2人がその言葉を受け取ったのはわかった。
3人の枡に、いよいよ70杯目の酒が注ぎ込まれる。ずっしりとこれまでで1番重みのある酒だ。
「さあ~~~、いよいよ前人未踏の70杯目だ! どこまで記録を伸ばせるか見物だね! そして最後まで残るのは果たして誰か!」
司会が叫んだ。
「70杯目、どうぞ!」
3人が酒に口を付けた。
◇
会場からほど近い商店街はいつになく混雑していた。
この日は年に一度の書き入れ時であり、観光客がひしめく表通りで商店の店主達が大きな声を張り上げている。
すぐ近くで繰り広げられている戦いに関心があっても、とんでもない数の人で埋め尽くされている会場に足を踏み入れるのはためらわれる。でも、せめて祭りの雰囲気だけでも味わいたい。
そんな考えを持った妖怪達が多く集まるのがこの商店街で、特に通りに面した居酒屋は大盛況だ。結局は人で溢れかえるのだから会場に足を運べばいいのに、というのは野暮だ。彼らは彼らなりに楽しんでいるのである。
そんな通りの一角、特に多くの人で賑わう場所に1人の男が猛然と走ってきた。
「大変だ大変だ!」
息を切らしながらも良く通る声でその男が叫んだ。
近くの居酒屋で立ち飲みをしていた細長い妖怪が声を掛ける。
「おうどうした。決着がついたか? 誰が勝った? 勇儀さんか、それとも例の剣士さんか」
俺は剣士さんに賭けてるんだよ、と細長い妖怪は笑い、すぐ横で飲んでいた小さい妖怪が、俺も俺も~、と嬉しそうに声を上げた。
男は息を整えると言い放った。
「妖忌さんはギブアップした。今残ってるのは勇儀さんと覚り妖怪だ!」
その声に顔を見合わせたのは、細長いのと小さいの、だけではない。道ばたにいた全員が男の方を振り向き、それからお互いに顔を見合わせ、そして、
「何を言ってるんだお前は」
細長い妖怪が全員の意見を代弁した。
「嘘や冗談じゃねえぞ! いま91杯目だ! 覚り妖怪はそれを飲み干しちまいやがった。勇儀さんはまだ飲めてねえ。と、とにかくみんな見に来い!」
時間が止まる。
ほんの数秒の静寂。
それから怒濤の勢いで妖怪達が駆けだした。向かうはもちろん戦いの場。
男の声から発せられた情報は瞬く間に広がっていき、それを聞いた者はすかさず走り出す。
店主ですら店をほっぽり出す始末。
居酒屋で酒を飲んでいた妖怪にも噂は広まり、たちまちにして中にいた奴らが大移動を開始する。
中にはかなり酔っている奴もいて、左足に誰かの下駄と右足に女物の草履を履いてっちまった馬鹿もいる。でも良く見ればみんなちぐはぐな履き物で走ってるから気にする事はない。
さてそんなわけでただでさえぎゅうぎゅうだった会場が、容量の限界を越えてさらに多くの妖怪達を受け入れていく。
もう誰もが右と左にいる奴と頬がくっつきそうなくらいにすし詰めで、そんな状態だってのにまだ入ってこようとする奴らがいるもんだから世も末だ。
そんな広場の中央、未だに立っている2つの影。
星熊勇儀。
古明地さとり。
2人の並んだ姿は、まるで先ほど酔った妖怪が間違えて履いた下駄と女物の草履の組み合わせを思わせる。
ごつい身体の勇儀とひょろっとしたさとり。対照的な2人の姿。しかし、勝負で1歩先を行ったのはさとりだった。
91杯目の酒を先に飲み終えたのはさとりで、勇儀はその姿を呆然と眺めていた。
そして自分が持っている手つかずの酒に目を落とし、色々な感情をごちゃ混ぜにした表情を浮かべる。
そんな様子を誰もが固唾を呑んで見守っている。
時間を少し戻そう。
89杯目。
やはりここでも1番早く飲み終えたのは妖忌だった。
黙々と飲み続けていた彼だったが、そこで突然、
「古明地さとり……と申したか。貴女はなぜ酒を飲む?」
さとりは胸元にある瞳だけを妖忌に向けた。
それから長い時間をかけて、飲んでいた酒を空にすると、
「答えなければいけませんか」
妖忌は何も言わず、さとりに刺すような視線を送っていた。
さとりは怯むことなくしばらく黙っていたが、静かに口を開いた。
「楽しいですね」
「楽しい?」
「ええ。とても……。今までお酒を飲んできた時間の中で、今この瞬間が間違いなく1番……」
「なぜ?」
妖忌が問う。
さとりが目を――胸元にある方ではなくて――右から左へと走らせた。広場を眺め渡すように。
「こんなにたくさんの人と一緒にお酒を飲んだのは、初めてだから」
今このステージの上に立っているのは3人。しかし最初は25人いて、途中まで一緒に酒をあおっていたのだ。そして、辺りを見渡せば数え切れないほどの、人、人、人。それらの人の手には今もなお杯が握られていて、3人の戦う姿を肴に酒を飲んでいる。立場こそ違うが、一緒に飲んでいるといえば確かにそうなのかもしれない。
「結構」
妖忌が笑みを浮かべた。今までずっと鋭さを失わなかった目つきが、その瞬間だけふっと和らいだ。
そして90杯目。
その酒を飲み終えた妖忌は、地面に枡をそっと置いた。
それからぽつりと一言、
「老兵はただ去るのみ」
それだけを言い残して妖忌はステージの上から降りると、観客達が突然の出来事に呆気に取られている中を、毅然とした背中で去っていった。
あまりにも潔いギブアップ宣言だった。
そして再び時間は91杯目へ。
勇儀は手元の酒に視線を落としている。
これを飲み干してしまえば妖忌に勝った事になる。ただ妖忌があまりにも突然に姿を消した事が信じられなかった。これだけの酒を飲んでいるのだから妖忌にも限界が来たっておかしくはないものの、実際にその瞬間が来てみると事実としてうまく受け入れられない。ただただ驚いた。
だが驚いている暇なんてない。倒すべき相手は、まだ残っているのだから。
古明地さとり。
いまや最強のライバルとして居座るのはこの少女だ。
91杯目すら今までと同じペースで飲み終え、単独首位に立った彼女はその小さな身体に反して何よりも大きな存在感を放ちながら、勇儀の横で静かにたたずんでいる。
一方の勇儀は今にも意識が吹っ飛んでしまいそうだった。
限界だった。いや限界なんてとっくの昔に通り過ぎている。
景色がぐらつく、なんてもんじゃない。視界に映るのは景色などではなく、もはやぐにゃぐにゃとした「何か」に成り果て、何がどうなっているのかとか誰がどこにいるのか、なんて判断する機能は酒に流されてどこかに行った。
それでも立ち続ける。
勇儀を支えているのはプライドだった。鋼よりも硬い意志だ。
91杯目。
飲んだ。
ずっしりと重たい、まるで柔らかい鉄を飲んでいるような感覚を覚えながらも、気力だけで飲み干す。
「おおおお~~~星熊勇儀! 古明地さとりに続いて91杯目も飲み終えた~! これで魂魄妖忌を抜き去り、ここから2人の一騎打ちだ!」
歓声が弾ける。
会場が巨大なひとつの生き物になったように、統一された感情が獣の咆哮となってこだまする。
観客が、興奮し、叫び、手を叩き、足を鳴らす。
くそうるさいハーモニーが、ステージ上に立つ2人を鼓舞する。
勇儀はついに妖忌を越えた。
これで10年間溜め込んだ思いを晴らしたことになる。が、嬉しさはない。
勝負はまだ続いている。
さらにここに来て観客にも変化が訪れた。
――ここまで来たら勝ってみせろよ、さとり!
さとり。
今までずっと「覚り妖怪」としか言わなかった客達が、ついに「さとり」と口に出した。種族としてではなく、個人として認めたのだ。
誰かが発した声が引き金となった。
――そうだぁあ! 応援してるやるから最後まで立ち続けてみろ!
――さとりぃ~~、勇儀さんが負けるところを見せてくれー。
――なんだてめえら、俺は勇儀さんに勝ってもらいてえんだよ。
たちまちにして勇儀コールとさとりコールが巻き起こり、2つの勢力がぶつかり合う。
「何だか大変な事になってるねえ」
勇儀がつぶやいた。
周りの雑踏なんてほぼ頭に入って来なかったが、変化を肌で感じ取っていた。
さとりは何を考えているのか、うつむいている。
勇儀には唯一さとりの姿だけがしっかりとした形で捉えられていた。はっきりと姿は見えていても、さとりのあまりの変化のなさに、勇儀には得体の知れない何か、火星人か何かに見える。
「おやおや~とんでもない事になってきたね。いやはや2人の勝負はどうなるか。さあ、92杯目だ。信じられない。おかしいよ。でも実際にここまで来てしまった。……92杯目、どうぞ!」
さとりが機械的な動きで酒を飲みにかかり、勇儀が野生的な動きで酒に挑む。
何から何まで対照的な2人の姿。
92、93、と出される酒をその腹に収めていく。
そして、新たな動きが見えたのが94杯目。
一息に飲むなんて無理な話で、勇儀は一口飲んでは一呼吸置きを繰り返している。
一拍置く度に、「もう無理だ」とか「腹の中のもの全部ぶちまけてやろうか」とかいう雑念が湧き上がってきて、再び酒に口をつける為にはそれらをすべて捨てなければならなかった。
勇儀は時間を掛けながらも、意地で飲み干した。枡を掲げて、底に酒が残っていないのを見せつけた時には、フルマラソンを三日間ぶっ続けてやり通した後よりも苦しそうな顔で大きく息を吐いた。
濃縮された酒臭さが観客まで届き、数人がその吐息によって酩酊し、膝から崩れ落ちた。やべえぞ、気をつけろ、と近くで警備をしていた鬼が地に倒れた者に手を貸しながら叫んだ。毒ガスの発生源でも見つけたみたいに、客達がステージから一斉に距離を取った。
勇儀は燃え尽きる寸前だった。あれだけ燃えさかっていた闘志は、蝋燭の火よりも弱くなっていた。
何よりも怖いのは火が消える事。酒を吐き出して地面にぶちまけるよりも、意識が途切れてぶっ倒れるよりも、この火が消えて自分の意志から負けを選択する事が、何よりも怖い。
今すぐにでも「ギブアップ」と口に出してしまいたかった。
早く楽になりたいと心の底から願っている。
こんな勝負に何の意味がある。もう十分戦った。誰だって自分の健闘をたたえてくれる。これ以上続けたって苦しいだけだ。さあ、その手に持った枡を置いて、妖忌のようにステージから降りてしまえ。
頭の中で何かがささやく。その甘い声に従いそうになる。
だがプライドが許さない。
鬼としての誇りが、星熊勇儀としての誇りが、それを許さない。
隣にいるさとりをにらみつける。
未だに残るライバルの姿を視界に入れて、戦う気持ちの燃料にする。
さとりはまだ枡を傾けて、ゆっくりと酒を飲んでいる。
が、勇儀は気付いた。
勇儀はこの1杯を飲むのにかなり時間を掛けた。今までよりもずっと飲み干すまでに時間がかかった。というのに、さとりはまだ酒を空にできていない。
今までずっと同じペースを守り続けて来たさとりが、まだ飲み干せていない。明らかに遅れている。
それから数10秒経って、ようやくさとりは酒を空にした。手にした枡をひっくり返した途端、それは起こった。
さとりの身体が大きく揺れて、倒れそうになった。ぎりぎりの所で足を踏ん張って持ちこたえたが、その膝は大笑いしている。
さとりは膝を叩いて鎮めようとするが、膝は言うことを聞かない様子だ。
勇儀はやっと気付いた。
「なんだ、お前さん。まるで平気な面してると思ったら、実のところかなり限界に来てたみたいじゃないか」
さとりが顔を上げて勇儀を見やった。
「限界なんてとっくに通り過ぎました。周りの様子はぐるんぐるんしてるし、少しでも気を緩めれば湖を作れそうなくらい吐き出しそうです」
「なんで、そこまでして……」
「勝ちたいから」
それまでずっと感情の読み取れなかったさとりの瞳に、強い気持ちがはっきりと浮かんだ。
「私は、勝ちたい……! 私は一緒にお酒を飲みたい。色々な人と、好きなお酒の種類でも語りながら、一緒にお酒を楽しみたい……!」
さとりが強い口調で言い放った。
それだけで勇儀はすべてを理解した。
なぜさとりが、あの地底一の嫌われ者である覚り妖怪が、こうして人前にやって来たのか。
彼女は酒舐祭で優勝しに来たのだ。
今回は60回という節目であり、とりわけ注目度が高い。おまけに勇儀の30回目の優勝と10連覇がかかった勝負だ。これ以上の舞台は当分お目にかかれないといっていいだろう。
そんな中で、もし勇儀をぶっ倒して優勝などしようものならどうなるか。
一度でも優勝すれば、どんな平凡な名前にもたちまち黄金以上の価値を付け加えてしまうほどだ。今までにないほどに注目された今回の大会でもし優勝する事ができれば、どれほど名に汚れがついていようと、綺麗さっぱり消し去ってしまえるのではないか。
それが例え、地底一の嫌われ者、という汚名でも。
これほどの実力を持ちながらも、彼女が今まで酒舐祭に参加する事がなかったのは恐らく待っていたからだ。
リンゴが美味しく熟れるのを待つように、自分の汚名さえ消し去る事ができるであろう最高の舞台が、整うのを。
「ああ、そうか。それがお前さんの戦う理由か。そりゃそうだ、酒は1人で飲むより、誰かと飲んだ方がうまいに決まってる。お互いの杯に注ぎ合って飲む酒は、確かに格別だ」
勇儀は自然な笑みを浮かべ、
「古明地さとり。それがお前さんの望みか」
「あなたにはわからない。私がどれほどあなたの事を羨んでいるか。人々の羨望を一身に受けて、いつだってあなたの周りには人がいる。一緒にお酒を嗜む相手に困るなんて、あなたは今までの人生で味わった事があって?」
さとりがじっと見つめてくる。
勇儀は一言、
「ない!」
「では、私は勝たなければなりません」
95杯目の酒が、勇儀とさとりの持つ枡に注ぎ込まれる。
勇儀はどこまでも透き通るその酒を、静かに眺める。
勝たせてやりたいと思う。
そこまで強い気持ちを持って、この場所にやって来たさとりを優勝させてやりたいと思う。
きっと今までずっと孤独だったのだろう。酒飲みは誰だって一緒に酒を飲める相手を求める。これだけ酒が飲めるのだから、その思いも一段と強いのだろう。
優勝者の肩書きを背負わせて、どこでも自由に顔をフードで隠す事もなく歩けるようにしてやりたい。居酒屋にふらっと訪れて、そこに集まる者たちと立ち話でもしながら酒を楽しめるようにしてやりたいと思う。
だが、
勇儀は笑った。
嬉しくて涙がこぼれそうだ。これほどまでに強い相手を、これほどまでに強い思いを背負ってやって来た相手を、今日という日に与えてくれた事に感謝を捧げたい。
倒すべき相手が強ければ強いほど、その相手が並々ならぬ思いで勝負に挑んでいればいるほど、星熊勇儀という存在は燃えるのだ。
「さあ、戦おう。私は誇りを賭ける」
「私はこれからの酒飲みとしての人生を賭けましょう」
限界なんて遥か昔に通り過ぎた2人は、酒のたっぷり注ぎ込まれた枡を、酒がこぼれない程度にこつんとぶつけ合った。
客達がわめき散らし、司会が大声を上げる。
「95杯目ぇ~~~、どうぞぉ!」
勇儀の記憶はそこからはっきりとしない。定まらない視界の端っこで、ぐにゃぐにゃとした影になった客達のざわめきと、隣にいる小さな小さな巨人と、それから酔えば酔うほどにはっきりと重みを増していく酒が、断片的に頭の中に浮かび上がってくるだけで、ほとんどの部分の記憶が欠如している。
自分がどうやって酒を飲んだのかすら思い出せない。
とにかく闇雲に飲み続けた。
そんな中、暗闇の中で突然明かりを点けたみたいに、司会の叫び声が鮮明に耳から頭の中に飛び込んできた。
「ついに、ついについに~~~、100杯目だ~!!! ありえねえ~! 果たして2人は飲む事ができるのか。どう見たってもう限界だ。もしかしたら勝負の分かれ目になるかもしれないな」
そうか100杯目なのか、とその時の勇儀は思った。という事は99杯を飲んだわけだ。その99という数字が意味する事も、これから挑む100という数字の圧倒的な存在感も、正確に感じ取る術を勇儀は持っていなかった。
ただ飲まなければいけないという使命感だけがあって、なぜ飲まなければいけないのかすら忘れ果てていた。
そして、勇儀は限界の極北を見た。
限界というのはある程度越えたところで、まだ道は続いているのだ。道は続いていて、どの程度続いているかは人それぞれなのだろうが、とにかく続いている。普通ならあまりの苦痛にその道の途中で歩みを止めてしまう。それでも歩みを止めずに歩き続けると、道の終着点が姿を現す。
今、勇儀は見た。
道の途切れた先には何もなく、そこには闇も光も存在しなくて、ただ何もない空間が広がっている。まったくの別世界。法則も規則もでたらめな世界。あまりにも何もかもが違うその先には、足を踏み入れる事すら許されない。
限界の限界。
勇儀には、あと1歩分だけの距離が残されている。それだけはわかった。
「さあ、100杯目、行っちゃおう!」
観客の視線は2人の姿へ。
客達はこの勝負の行方がどうなるのか見届けるためにかっと目を見開いて、瞬きすら惜しむように2人の動作のひとつひとつを見守っている。
ステージからほど近い場所で、地霊殿のペットの姿がある。
来るんじゃないと主人に釘を刺されながらもこっそりやって来た2人は、主人の戦う姿に対して両手を合わせて祈りを込めている。
勇儀は額から生えた角に負けないくらい顔を赤くし、さとりは髪の色に似た桜色の頬をしている。勇儀の方が不利にも見えるが、目の肥えた客はどちらが勝ってもおかしくない状況である事を肌で感じ取っていた。
勝負の決着が近い事も、それが数秒先に訪れたとしても不思議ではない事も、わかっていた。
だから、勇儀が最後の勝負に出た事もすぐに理解できた。
何百もの視線を一身に受けながら、勇儀が酒の入った枡を胸元の辺りまで持ち上げた。
そして、
「観客ども! 耳の穴かっぽじってよ~~く聞け! 姓を星熊、名を勇儀。地下に名を轟かせる鬼の中の鬼たぁ私の事だ! これからこの100杯目を飲んで見せる。いいか、目ぇ開いて良く見てろ! 私の意地を、私の生き様を、しかと見届けよ!」
勇儀は思う。
これが最後だ。
精神で持ちこたえてきた身体も、砂で作られた城のように今にも崩れそうだ。
最後にこれだけは飲みきる。啖呵を切ったからには逃げられない。
勇儀の唇が、枡に近づき、憎いほど美しい酒に、静かに触れた。
一口飲む毎に、細胞という細胞に染み入ってくる。内側からすべてを破壊してやろうとでも思っているのだろうか。感覚が何もかもめちゃくちゃだ。
まだ半分も行っていないのにすべてが逆流しそうになる。激流となって押し寄せるそれを、新しい酒で強引に押し戻す。そんな無茶ができるのはきっと勇儀だけだ。
観客が固唾を呑む音が聞こえる、気がする。
身体の内側から火が燃え上がっているような、気がする。
残りが3分の1ほどになった所で、深い海の底に叩きこまれて水圧で押しつぶされているような気にもなって、新鮮な空気を欲した。
鼻からできるだけたくさん空気を吸い込むと酒気も一緒くたになって入り込んで来る。それが余計に苦しみを生み出していく。
海底に沈み行く船の中、残りわずかの酸素で必死に命を繋いでいるような状態。
今の勇儀にとって酸素は気力であり、気力が尽きるのが先か、酒がなくなるのが先か、その勝負となっていた。
そして、勇儀が酒に口をつけてからおよそ一分。永遠にも等しいほどに引き延ばされた時間を乗り越えて、口から枡が離された。
頭上に掲げられた100杯目の枡が、くるりとひっくり返された。
一滴の酒もこぼれず、その四角い空間にあるのは空虚だけだ。
歓声。
熱風。
狂喜。
遙かなる偉業を成し遂げた存在に送られる賛歌。
熱狂の渦の中、勇儀はだらりと腕を下げ、首だけを持ち上げて地底のほの暗い天井を見上げた。
それから、すべてをやり遂げたと言わんばかりに目を閉じた。
飲みきった。
これ以上はもう無理だった。後は、待つだけだ。
観客の熱気は一時的に収まり、打って変わって物音ひとつしない、静寂が辺りを包み込む。
こうなったら注目はただ一点。
古明地さとり。
勇儀が隣で飲んでいる間も、特に動きを見せなかった。もはや動く事すらできないのか、それとも動くタイミングを計っているのか、どちらなのかはわからない。
しかし勇儀が先に飲んでしまった以上、何かしらの動きを見せなければならない。
――さあ、どうなる。
すべての目が集まる。
地底にいる存在すべてが1人の少女を見つめている。
マグマのように熱い関心と、氷のように冷たい緊張がせめぎ合う空間の中、
さとりが、
動いた。
へその辺りに抱えていた枡を、そっと持ち上げる。
胸の高さまで上がり、さらに首の辺りまで持ち上がった。
ゆっくり、ゆっくりとその枡が、さとりの口へと運ばれて、そして――
――ぐごぉおおおお
異音。
仄暗い洞窟の奥底から響いてくるような、くぐもった音がこだまする。
その音の発生源はさとりのすぐ隣。つまり勇儀だ。
――ぐごぉおおおおお……
音は、勇儀の、喉から。
だらりと大きく開けられた口の奥から、発せられている。
今もしかと地に足を踏ん張りながらも、その目は閉じられている。
誰の目にも明らかだ。
勇儀は寝ていた。今もしかと地に足を踏ん張りながらも、寝ている。
誰かが叫んだ。
――立ち往生だ!
――なんと天晴れな!
呆気に取られながらも率直な言葉が飛び交った。
ある者は笑いながら、ある者は呆れたと言わんばかりに首を振って、様々な反応を示す。
と、そこで、異音とは真逆の方向性の音が、人々のざわめきを縫っていった。
石清水のように美しく、澄んだ音色だった。
「ふふふ……」
それは笑い声。
「ふふっ……、あははははは」
さとりが笑っていた。
鈴を鳴らしたみたいに凛とした、可愛らしくも美しい声が響く。
隣で大きないびきを上げてアホ面晒しているでかぶつを見上げて、その顔が可笑しくてしょうがないとさとりが朗らかな笑みを浮かべている。
次から次へと呆気に取られ続けた観客は、やはり声も出せず、そして最後の時を迎える。
笑い声が急にぴたりと止み、次の瞬間にはさとりの身体が大きく後方へ傾いた。持っていた枡から酒がこぼれ落ち、顔中で受け止めながらついに地面に崩れ落ちた。
ほんのわずかな空白の後、
「決着ぅううううううう! 第60回酒舐祭優勝は星熊勇儀ぃいいいいい!!!」
今日1番の歓声と熱気。
妖怪達は大騒ぎで、今日起こった信じられない出来事を振り返り、今日起こった信じられない出来事にも負けないくらいの乱痴気騒ぎを起こした。
誰も彼もが熱い勝負を繰り広げた2人に称賛を送り、この騒ぎは祭りが終わった後も尾を引き続け、次の日になっても収まる事はなかった。
◇
2週間後。
とある居酒屋。
勇儀は壁際の席に着き、ある人物を待っていた。
手元にあるのは水。
約束の時間より少し早く来てしまった。先に1人で飲んでいようかとも思ったがそれも何だか悪いような気がして、結局注文を取りに来た店員を睨んで追い返した。
ガラス製のコップにまとわりつく水滴を手持ち無沙汰に眺めていると、カランとドアについたベルが鳴った。勇儀が背後を振り返る。
大きな紙袋を抱えたさとりが、両手を塞がれて苦労しながらもドアの隙間から身をよじって入ってくる所だった。
さとりは居酒屋をぐるりと見渡し、勇儀がさっと手を挙げてやると、すぐに気が付いて駆け寄ってきた。
紙袋をテーブルにどさりと置いて、息を吐いた。
「なんだいそれは」
「ここに来るまでにいっぱい貰っちゃって……」
紙袋の中身は温泉饅頭であったり、地酒であったり、漬け物やお風呂グッズなど、さとりがどういうルートを辿ってここまで来たのかを示すような物ばっかりだった。
酒舐祭以降、地底の妖怪達がさとりを見る目は変わっていた。
中にはまださとりを受け入れられない妖怪達もいるにはいるが、あの勝負を間近で見ていた者達の間では、見た目に反して異常なほど酒に強いさとりの存在はすっかり認められていた。
そんなわけで彼女が商店街を通れば、まるで可愛い孫娘がやって来たみたいな感覚であれこれと店の商品をただで押しつけられる。
「すっかり人気者だな」
「また顔を隠して歩かないといけないかもしれませんね」
さとりは困ったように笑った。だけど、その顔は満更でもない。
「さっそくだが飲もう。これ以上は我慢できない」
店員を呼びつけ、すぐに酒を注文する。
勇儀とさとりはあれ以来、酒を飲み合う仲となった。昨日の敵は今日のなんとやら、という奴だ。勇儀は新しい友人ができた事を喜び、さとりはペット以外の初めての酒飲み仲間ができた事を喜んだ。
酒が来た所で乾杯をした。
酒と言ったら日本酒だ、と勇儀は思っている。もちろん酒ならどんな種類だって好みではあるが、やはり最初に飲むのは日本酒に限る。
どうやらさとりも同じ意見を持っているようで、すっかり意気投合してしまった。見た目はソファーに座って片足を組みながら、でっかいグラスに入ったワインを飲んでいそうなのに。
「ところで、だ」
「はい」
勇儀が言う。
「あの時の事なんだが、」
あの時、というのは妖忌がギブアップした時の事だ。あの時こそ勇儀は酔っていて相手の事を考える余裕もなかったが、こうして振り返ってみると、あの時の妖忌はまだまだ余力が残されていたのではないかと思えてくる。限界に到達する前に自ら負けを選択したのではないか、と。
心を読む事ができるこの少女なら、もしかしたら知っているのではないかと勇儀は思い、その事を訊いてみようとして、
「いや、なんでもない」
やめた。
もし仮にあの老剣士がまだ本当に実力を見せていなかったとしても、どうしようもない。どうせ彼が再び酒舐祭の舞台に帰ってくるのはずっと後の事になるという予感があった。
真実はとりあえず闇の中に入れておいて、また相見える時を楽しみにしておく事にする。
「そうですか」
さとりはそれだけ口にして、何も訊いて来なかった。
「ま、当分は酒舐祭に参加するつもりはなくなったよ。5回分は飲んだ気分だ」
「奇遇ですね。私も同じ気持ちです」
さとりはそう言って微笑んだ。
その日は遅くまで2人で飲み明かした後、その場で別れた。
また、近いうちに一緒に飲む約束をして……。
最後にさとりについて少し話をしておこう。
地霊殿から活発に外出するようになったさとりは、勇儀と飲む事もあれば、ペットを引き連れて飲みに行く事もあり、または1人でふらっと居酒屋に訪れる事もある。
1人で飲んでいる姿を、そこに居合わせた客が見つけると、飲み勝負になる事もしばしばある。当然ながらさとりの相手になるような者はなかなかいやしない。あっけなく返り討ちだ。
客達も勝てるような相手ではないとわかってはいるが、どうしても挑みたくなる。
なぜなら100杯目の時に上げた、あのさとりの笑い声を、もう一度聞いてみたかったからである。
酒舐祭準優勝の肩書きもそうだが、なにより人の心を惹きつけたのはあの笑い声だった。
次から次へと勝負を挑む者が後を絶たない。そんなわけで居酒屋には死体の山が築き上げられる事となった。
しかし残念ながら今の所は、あの鈴の音のように澄んだ笑い声を聞いた者はまだいない。
ようき強いですね
案外鬼みたいな純粋な強者は追い込まれにくいから意外と色々な意味で技を知らないのかも知れません
しかし、皆が笑って終われたから。気持ちの良い読後だ
期待以上に面白かった
気持ち良い終わり方でした
次回作楽しみに待ってます!
その場にいるような臨場感も味わえて非常に読んでいて楽しかったです。