Coolier - 新生・東方創想話

阿求とゆく農業講座

2015/06/10 22:17:03
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 阿求とゆく農業講座

ピエロ役の為に稗田一族の性格が全般的に駄目な感じになっています。


 稗田家といえば人里でも一目置かれる存在ですから、私の家には里中の問題が昼夜問わず舞い込んできます。
 世俗を生きる人間であれば悩みはつきもの、当然ながら集団で暮らしていれば悩みの数は人の数だけ発生し、中には深刻な悩みも生じます。個人の手に負えないと判断すれば人は、よく近くにいる同種族の人に相談しますが、最終的に難しい問題はお偉い同種族の所まで昇ってきます。このお偉いさんの一つが稗田家ですね。それゆえ稗田家で扱う問題は難しいものばかりです。稗田家は賢しいとされているのだから当然のこと。そしてそれは事実でもあります。
 しかし、長くそのような諸問題に頭を悩ませ続けていると精神を病むものです。そのためか稗田家の人間は代々メンタリティが弱い。豆腐の如く……。
 いよいよ追い詰められてくると、普段は巌のように強面の父でさえ、
「はわわ」
 とか言います。
「アナタ。しっかりして」
「ああ、すまない」
 母に介抱されて父は気を取り直し、毎度毎度これでもかとばかり厄介事を持ち込んでくる農家の方と向き合います。
「申し訳ない。もう一度要件をお伺いしたいのだが」
「へえ」
 農家の方が恭しく首を下げ、事の経緯をもう一度説明します。私はもう覚えてしまったので、かいつまんで説明しますと以下の通り。
 ステップ1:農家の人達は害虫被害に悩まされていた。
 ステップ2:最近、強力な農薬が幻想入りしたのでそれを使用した。
 ステップ3:害虫が駆除されて一時期は平和だった。
 ステップ4:害虫被害が復活した。しかも今度の害虫には農薬が効かない。妖怪も怒っている。
「……どうしましょうか」
「はわわ」
 そこまで聞いてから、父がよよよと母にもたれ掛りました。
 妖怪退治法を考案し、あるいは収集し、そうやって蓄えた知識を使い、稗田家は日銭を稼いでいます。頼られてお金を稼いでいるようなものです。つまり、信用が第一なのであり、下手に断ってばかりいると信用されなくなってしまうのです。
「ぐぅぅ。稗田家を父から受け継ぎ早二十年。不断の努力も甲斐無く稗田の名誉は地に落ちてしまうのか。何ということだ」
 チラ、と父は私の方を見ました。
「おじいさまが隠居されてまだ五年なのに二十年は盛り過ぎですよお父さん」
 それに当主は私です。しかし、忙しい私に代わり、実質取り仕切ってくれているのは父でした。この慣習は三代前ぐらいから続いています。
「まあ阿求。またお父さんが倒れてしまったわ。どうしましょう。これで本日三度目よ。ずぅっと虫取り少年の如く戦闘術や退治法ばかり収集していたツケが回ってきたのかしら。このままでは他所さまと比べて稗田家が農学に疎いことが露見してしまうわ。私は嫁いだ身だしそんなに学はないし。その点、阿求は賢いわよね。どうしましょう。一体どうすればこの窮地を抜け出すことができるのでしょうか」
 母は隠す気もなく私に話を振ってきました。
 "御阿礼の子が生まれた代は楽になる"とはもはや稗田家の常識ですが、今回の両親はそれでも苦心しているようです。父は商業に通じ、母は建築に通じています。里の中において、いや、妖怪達の賢者衆も含めて、その分野で彼らより優れている者はなかなかいないことは私も認める所です。学がないとかのたまう母は才能を買われて土蜘蛛と一緒に大天狗のリフォームなんかも任されていますからね。
 農学。
 それは歴代稗田家唯一の弱点であり、最近ではホットな分野です。
「しかしお母さん。私も農学に疎いことは知っていますでしょう。私が蓄えた知識も妖怪怪奇を如何に御するかばかり」
「まあ。阿求にも分からないとなると、ホントにお手上げですわね」
 と母。
「最近の農業分野は爆弾だからな。迂闊には答えられん」
 と父。
「だいたい外界から流れ着いてくる農薬が絡んでいますからね。どんな危険があるのか分かったものではありません。化学系に長じている人も里には少ない」
「いたとしても、稗田家に協力するはずがないだろう。他所が既に囲っているだろうし」
 つまり他所が囲っている学者なんぞに頭を下げるのは嫌だという意味です。
 土壌の汚染。PH値。断片的な単語ばかりで、体系的な知識を記した書物は里には少ないためなかなか学ぶことはできません。あったとしても必ず誰かが買い占めています。知識の独占ですね。これは社会にとっては良くない傾向だと、外界の書物の中でもヒゲのおじさまが熱烈に説いています。
 ひそひそ堂々と行われる稗田家族会議を前に、相談者さんが口を開きます。
「阿求さまは歴代御阿礼の子の中でも妖怪と親しい方だとお聞きしますが」
「はあ。そのような覚えはないですが」
 まあスペルカードルールが敷かれてからはかつてよりも妖怪が身近に感じられるようになった気はします。
「害虫被害なのですが、どうも農薬を散布した前と後で、作物を齧る虫が変化しているようなのです」
「と、言いますと?」
「かつては無害だった虫が、農薬によって害虫に変化したのかもしれません。奇々怪々。もしや妖怪の仕業なのではないでしょうか?」
「ふーむ。言われてみると確かに不思議ですねえ」
 農家さんの説を聞いて、私は興味が湧いてきました。もしかすると本当にそういう作用を持つ妖怪がいるのやもしれません。
「お。阿求が乗り気になったか」
「お母さん嬉しいわ」
 先程まで苦痛にあえいでいた父はもうケロッとしていました。
 ホントに人任せです、この人達。
「いいでしょう。私が調査してみます」
 私はにこやかに言ってからすぐに、この仕事を誰かに押し付けられないかなあと考え始めました。



 ○
 博麗神社方面の森を目指して歩き、森の中を少し歩いた所に洞窟があります。この中には人嫌いの賢者様が住んでいるそうですが、今回の目的はその方ではありません。
 私はおもむろに鈴を取り出して、それを軽く振りました。
 ちりんちりんと高い音が鳴り響き、それに呼応して、近くの茂みが揺れました。
 中から出てきたのは白と黒のシンプルな洋服を着た少女でした。金髪に赤い髪飾りをつけています。
「……あら! なんだか素敵な音がする! 鈴の持ち主に親切なことをしてあげたくなるような気分にさせる音がする! そんな穏やかな気分にさせる音がするわ!」
 効能はルーミアさんが説明してくれた通りです。
「こんにちは、宵闇の妖怪さん。貴方のお友達で、リグル・ナイトバグという子がいたでしょう。彼女の居場所を知りたいのですが」
「構わないよ。だって、なんだか気分が良いのだもの。貴方のお名前は?」
「稗田阿求です」
「私はルーミア」
「ええ。今後ともどうぞよろしく」
 ルーミアさんは彼女は竹林の近くの森に住んでいると教えてくれましたので、里を経由してそちらの方を目指しました。ルーミアさんもつれていきました。昼間、彼女の気性は穏やかであると私は知っているからです。
 竹林付近の森に入る手前、男の子のような恰好をした少女と出会いました。頭から虫の触角を生やしています。彼女こそがリグル・ナイトバグに違いありません。
「あら、ルーミア。そちらのお嬢さんは?」
「稗田さんよ。稗田さん。わたあめ買ってくれたの。良い人よ」
「阿求で構いません」
「……ん? それ、どこかで聞いた名前なんだけど」
「里では名が知れていますからね」
「はあ。お嬢様がこんなところに護衛もなしで」
「代わりに護符を沢山持っていますから大丈夫です」
「それでも危ないって。ま、昼間だけどね。まあいいさ。それで二人はどうしたの?」
 リグルさんが首を傾げます。触角がひょこっと揺れました。
「リグルさんにお伺いしたいことがありまして」
「へえ。私に?」
 取りあえずリグルさんを里まで案内し、妖怪にも寛容な茶屋で事の経緯をかくかくしかじか語ると、リグルさんは渋い顔で言いました。
「あちゃあ。分かってもいないのに外界の薬に手を出しちゃだめよ。あれ、成分が分かっていたとしても後始末が面倒なんだから。沈黙の春とか……知らないかな」
「いえ」
 ルーミアさんもついてきて私の鈴とじゃれついてます。まるで猫のよう。
「そっか。いいかい、阿求。草は何からできていると思う?」
「えっと、土と水でしょうか」
「おおむねその通りだね。全ての植物は根からの養分と水、そして空気で生きているんだ。光合成といって、光が当たると葉っぱの中の葉緑体が水と、そして空気の中にある二酸化炭素という気体を混ぜ合わせて、グルコース……栄養を作る。これを元に成長しているわけだね」
「はあ。空気から栄養を作りだすとは奇怪な……」
「成長するには土の中の栄養も必要だよ。リンや窒素、これが土の中にあれば、植物はすくすく成長する」
「それは、動物の糞尿から得られると聞きます」
「その通り。だから肥やしが肥料として使われるんだ。欧米では同じ畑で家畜と畑作を交互に行って、畑の栄養の回復を待つような手段もある。この辺りじゃ田んぼに水をはって稲作をしているから、水に栄養が溜まる。栄養がなくなったり、逆に飽和して腐りそうだったら水を抜いて、新しい水を入れる。まあ植物について大まかに言えばこんな感じだね」
「勉強になります」
「で、近頃よく幻想入りしている薬品というのは、たぶんDDTのことだと思うんだ。知り合いが言うには、放棄された倉庫がそっくりそのままこっちにきちゃって、で、見つけた人が勝手に売りさばいちゃったんだね。この薬品には強い殺虫成分があって、しかも植物には無害。簡単に作ることができるから外じゃ爆発的に売れてたんだ」
「過去形と言うことは、そのでぃーでぃーてぃーは禁止されたのですか?」
「うん。外界では発がん性があるとか騒がれて禁止祭りだったんだよ。けれど、実はそうでもないっぽいらしいことが分かってね、それからは感染症予防のためだったり、ほどほどに使われているよ。便利だからね。で、ここが大事なんだけど、幻想郷にやってきたDDTというのは、どうも人間達に忘れさられた危険性を持って入ってきているみたいなんだ」
「その、危険性とは?」
「……農薬を使い始めてから、虫の姿は消え、鳥は姿を消した。春になっても生命が息吹く音は聞こえない、沈黙の春が訪れた。まさにこの通りの意味ね。虫が薬に汚染され、それを食べる鳥も汚染される。しかも薬は植物そのものに無害ってだけで、人間には毒性がある」
「まあ。良くない事ずくめですね」
「利用法次第なのだけどね」
 それにしてもやたら詳しいですね、この人。
「田んぼの害虫は復活したそうですが、薬の効果に打ち勝ったのでしょうか」
「幻想郷の虫たちは、外よりずっとタフだし、なにより世代交代のサイクルが早い。薬の耐性を持つ個体が現れるのは簡単だろうさ。けど、作物を喰い散らかし始めたのは、薬を巻く前と違う虫だったのでしょ?」
「ああ。そういえば」
「まあ取りあえずその畑に行ってみてから考えたいよ。案内してくれる?」
「え、あ、それはまあ、いいですけど……」
 途端、私の口調は歯切れ悪くなりました。
 農薬を撒いている田んぼに行けば、自然代表としてそのことを抗議しにくる妖怪と鉢合わせる可能性があるからです。口論も起きるかもしれません。
 そうこうしているうちにリグルさんとルーミアさんは立ち上がると、通りの方をぶらぶらし始めました。いけません。このままでは私がついていれば妖怪たちも大人しくなるというイメージを広める作戦が台無しになってしまいます。それはいけません。
 私は急いでお勘定を済ませ、二人の元へ走りました。



 件の田んぼにつくと、予想通り例の妖怪さんがいました。緑色の髪に、赤い瞳。チェックのスカートに、遠くからでもよく目立つ日傘。華の妖怪風見幽香さんが農家さん達を相手に肩をいからせていました。村人たちが農薬を使う度に幽香さんは抗議に来ます。彼女は自然を愛していますし、言うことは正しいのですが、農薬を使うなと言われても、それでは作物が育たない。しかし追い払おうにも幽香さんは力の強い妖怪なので無下にもできず村人たちは困り果てています。
 農学が爆弾だと父が言ったのは、彼女と対立する可能性も一部含まれているのです。
 引き返したくなってきました。逃げましょうと豆腐メンタルが囁いています。よし逃げよう。稗田家が長く続いてきた秘訣はこの冴えた逃走思考にあります。
「やっぱり稗田だったのね。……こいつらに農薬を使うようしむけたのは」
 踵を返した私の目の前にいたのは何を隠そう、幽香さんでした。まさか瞬間移動的なサムシングを習得していたとは。
「い、いえいえ。とんでもありませんっ」
「貴方、名前は何と言ったかしら」
 幽香さんはずいと顔を近づけてきます。
 あまりのおっかなさに私の精神はもうぱんぱん。
「ひぅえだのあきゅうでふ」
 つい噛んでしまいました。
「あらまあ、ひぅえださん」
 私は込み上げる悔しさに歯ぎしりしました。
 稗田の血統は残念ながら悔しさに耐えるようにはできていません。ブルジョワですから悔しさを植え付ける側なのです。
 それにしても人の揚げ足を取るとは、幽香さんはなかなか性根のねじまがった妖怪でした。まったく、気性の荒い妖怪というものは面倒で、まず話し合いになることがありません。彼らはすぐに手が出ますからね。スペルカードルールが始まってからその傾向は顕著になりつつあります。やれやれ困った蛮族ちゃんです。
「今、やれやれ困った蛮族だなとか思ったでしょう?」
「はわわ」
「はわわって言うな。ブチ殺すわよ」
 幽香さんの額に青筋が浮かび上がります。
「"はわわ"……ああ、思い出すだけでも憎たらしい。稗田共め」
 彼女の様子から分かる通り、幽香さんと稗田家の仲は海溝よりも深いものでした。どうも、私のご先祖様(記憶にないのでおそらく私が生まれていなかった代)に、彼女と何かのっぴきならない抗争があったらしく、それ以来、稗田家伝統の感嘆詞"はわわ"を耳にする度、彼女の虫の居所は凄まじく悪くなります。
 で、その理由がどうも農学らしいのです。先程も説明した通り、稗田家は農学に長じていません。が、見栄っ張りな血筋が疼いて、ついついうっかりと指図してしまうのです。無理に川の護岸工事を行って洪水させたのは稗田です。交雑、今でいう、品種改良したハエ取り蜘蛛を沢山放って、うっかり魔物化させたのも稗田です。麦を植えて全然育たなくて大赤字を出したのも稗田です。うっかり山火事稗田です。そんな事実は全てもみ消しましたがね。そのあたり稗田は優秀です。
 ええ。里の農林水産にまつわるあれこれ、だいたい稗田が悪いのです。
「で、稗田が何の用なの? 何の邪魔をしにきたの?」
「邪魔だなんて人聞きの悪い。農薬を散布してから再び害虫被害が出たと聞いて、その調査をば」
「そんなの見ての通りよ。大地に毒が溜まり、植物はそれを吸い上げて毒を持ち、虫は生きていられない。鳥もこの場所を裂けるようになったし、毒が溜まって妖精も住みづらくなる」
 畑を眺める幽香さんの顔は憂い顔でした。
「わあ」
 私は驚きを表すために両手を大きく広げました。
「大変ですねえ」
「そ!の!他人事精神がムカつくのよ!」
 幽香さんに胸元を掴まれて吊り上げられます。足がぷらぷらしています。幽香さんの食い殺さんばかりの勢いを見かねたリグルさんが割って入ってきました。
「まあまあ幽香。阿求さん頑張ってるんだよ。きっとプライドが邪魔して農業のことを里の人に頼れないから、危険も承知で私達を訪ねに来たのよ。分かってあげなよ」
「……リグルが言うなら仕方ないわね」
 リグルさんに言われて、幽香さんは気を取り直します。下ろされた私は着物のずれを正します。
「で、稗田。今すぐ、農薬の使用を止めさせなさい」
「しかし農薬を使わないとなると、収穫高が下がります」
「毒の混じった食べ物を作るよりはマシでしょう」
「一理あります。ですがよく考えてください幽香さん。これは農家さんにとっては死活問題なのです。まず野菜の見栄えが悪くなるでしょう。一昔前はそれが当然だったかもしれませんが、今では虫食いの穴があると誰も買いません。他の畑で採れた野菜を買うに決まっています」
「それなら、どこの畑でも農薬を使わないようにすればいいじゃない」
「そう簡単にはいきません。人間は利己的な生き物ですし、なにより怠惰な生き物ですから、一度手に入れた便利さを手放すとなると猛反発になるでしょう。そもそも利権がからんで、稗田家の一言で止めるわけにはいきません」
「む……。稗田のくせに」
 この人は稗田を馬鹿の代名詞にしているのかもしれません。
「じゃあ、どうするのよ」
「ふむ」
「何とか言いなさい」
「どうしましょうか」
「まさか、無策だったの?」
「………」
「おい」
「はわわ」
「はわわって言うなぁ!」
 正直な話、当初の予定としては幽香さんにさえ出くわさなければ農家さんに農薬の量を増やすように言って、それで帰るつもりでした。リグルさんから農薬の危険性について聞き、やっぱり危ないんじゃないかなあとちょっぴり考えはしましたが。人間、万能ではありません。全ての事柄に思慮深い聖人でもありません。それは記憶が豊富な私とて例外ではないのです。秀でていない分野や理解の及んでいない分野には誰しも熱意を向けることはなく、無関心になります。言い訳ですね。
 私は幽香さんに胸ぐらを掴まれ、足をプラプラさせながら、リグルさんにバチコーンとウインクを送りました。
「まあまあ幽香」
「仕方ないわねえ」
 着ずれを正して、私は幽香さんに向き直ります。
「とまれ、リグルさんの調査を聞いてから考えましょうよ」
「ちゃんと回答を聞くから覚悟してなさいよ」
 そういえば農家さんはどこにいったのかと私は探してみましたが、遠く離れた場所から私を見守っていました。保身的な方です。
 それからリグルさんは畑の周りの畔の茂みや近くの林でしゃがみ、熱心に何かを探していました。時折、何かを拾い上げては肩に乗せています。虫でした。さすがは妖蟲、小さな虫たちはリグルさんの肩の上で大人しく整列しています。
 やがてリグルさんが戻ってきました。と同時に彼女の肩に乗せられたゲテモノ達が近づいてきました。私は一歩退きました。
「うん。農薬の影響かもしれないけど、この前までここにいた虫がいなくなってる。代わりにこの子が増えてるね」
 "この子"とは、リグルさんの小指の上にとまった、米粒の十分の一もないような小さな虫でした。名前は、ちょっと分からないです。
「稲を食べる虫さ。食べるというか、この長細い口を見ても分かる通り液を吸う子だね。この子の中には稲に病気をもたらす菌があって、それが米を駄目にしちゃうんだ。それと、ここで使われている農薬の種類はDDTではないね。名前は分からないけど、それより効果は薄い。だからこうしてある程度なら虫がいるみたいだよ」
「へえ。それなら農薬をちょっとぐらい使っても大丈夫なのでは?」
「駄目よ。妥協は許されないわ」
 おっとフラワーマスターさんは厳しい。
「許さないわ稗田」
「どうして二回言うのですか」
「中途半端な農薬だと世代交代した虫がすぐに耐性を作ってしまってて復活するのがいつものパターンなのだけど、今回の場合は少し違うね。私の推測だけど、農薬は害虫となる虫、これを"一の虫"と呼ぶけど、ちゃんと効果を発揮して"一の虫"を根絶したんだと思う。ただ、その虫がいなくなったことによって、"この子"……"二の虫"の数が増えたんだ。この子の種族はよく"一の虫"に食べられていたんじゃないかな。元々"二の虫"も稲を食べていたんだよ。ただ、"一の虫"に食べられていたことで常に数が少ないから誰も気がつかなかった。天敵がいなくなって、数が増えて、"二の虫"の食べる量も増えてからやっと私達は異変に気がついたんだ」
「一種類の虫を潰しても、他の虫が群がってくる。キリがないわね」
 どうやら幽香さんも考えてくれるようでしたが、彼女は花の妖怪のはずなのにリグルさんほど知識が無いようです。それにしてもリグルさんは一体どこから情報を仕入れているのでしょうか。不思議を通り越して不気味でさえあります。
「しかし防ぐ手段はやはり農薬しかないのでしょう?」
「いや。他の生き物を飼って、彼らに食べさせるという方法があるんだ」
 リグルさんが言いました。
「そんな都合のいい生き物がいるのかしら」
「ほらカエルとかね。昔は、ほとんどの所が田んぼの中のカエルを大切にしていたんだ。餌も与えることはないから、放し飼いだね。今じゃ数が少ないけど」
 それで田んぼではよくカエルを見かけたのですね。
「しかし、カエルだけで害虫をすべて殺すのは難しいのでは? 田んぼは広いですし、虫は相当いますよ」
「全部は無理だろうね。カエルと同様に、他には蜘蛛」
 蜘蛛! それは嫌です。
「カモ」
 まあアリでしょうか。遠目で見れば可愛いですし。
「カモを使える所は結構限られているのだけどね」
「待って。農薬だらけの田んぼにカエルを放しても、生きていけるのかしら。毒が抜けきるまで時間がかかるわ」
 幽香さんがなかなか鋭い意見を言いました。
「そうだねえ。薬のせいでカエルが住みにくくなっているんだ。すぐには難しいよ」
 博識なリグルさんでも行き詰まりのようでした。
「あ、そうだ。幽香さんが見張っていればいいのでは?」
「どうして私がそんなしち面倒なことを……」
「はわわ」
「はわわと言うな」
 幽香さんに吊り上げられます。いえ、持ち上げられるのが楽しくなっている訳ではありませんよ。本当です。後、私の腰にルーミアさんが抱き付いてじゃれていますが彼女と私は違います。
「よ、妖怪を雇って、日夜監視させるのです。眠らない妖怪ならば苦にはならないでしょう」
「人と妖が交わってはいけないわ」
 幽香さんは拘束を解き、私は地面に下りたちます。
「そうでしたね。ここは妖怪の楽園。農業のような事業で大々的に人が妖怪を使うようになれば、関係性は妖怪にとって致命的に変化することでしょう」
 私は着ずれを正しました。
「あら。貴方達の楽園でもあるのよ。未来永劫変化することのない桃源郷」
「それはおそらく老子さんのような方にとっての楽園ですよ。大衆向けではないですね」
 そう、これです。こういう分野ならば私は普段からよく考えています。人々の行く先とか、幻想郷の在り方とか。だから自然と話が弾みますね。妖怪である幽香さんは私にはない視点を持っていますから新鮮なのです。
「話が逸れたわね。さて稗田。回答を聞こうじゃないの」
 と思っていたら話をぶった切られました。私ちょっと悲しい。
「もう少し考えさせてくれませんか?」
「いつまで?」
「えっと、一月後ぐらい?」
「長い!」
「はわわ」
「はわわって言うな!」
 幽香さんに吊り上げられます。
 私は助けを求めてリグルさんにウインクしましたが、リグルさんは腕を組んで唸っていました。
「リグルさん?」
「それだよ、阿求」
「へ?」
「見張りをさせるんだ」
 リグルさんは自信満々に言いました。



 次の日の早朝です。リグルさんと私は畑の傍で立っていました。幽香さんが袋を持ってやってくると、「待っていたわよ」とルーミアさんが言いました。彼女はどうしてこの場にいるのでしょうか。
「貴方の言われた通り、植物の種を持ってきたわ。で、どうするの?」
「田んぼの周りに植えるのさ」
 リグルさんが言います。
「田んぼの周りは虫が寄り付かないように定期的に刈っておくものなのでは?」
 それぐらい私でも知っています。
「いいや、この植物は少し違うんだ。幽香。一つ取り出して成長させてみてよ」
「いいけど……」
 幽香さんは袋から種を取り出して地面の上に置き、手のひらをかざして成長させました。ひょろりと驚くべき速度で生育したのは、大きな花弁を二枚持った花でした。花弁……なのでしょうか。緑色です。この"花弁"らしきものの淵には棘が無数についています。
「見ての通り、魔物よ」
「………」
 ……んー。
 あ、今なんか嫌な予感がしましたね。
 そんな私の心情をよそにリグルさんは得意そうに解説を続けます。
「ハエトリグサが魔物化したものさ。北アメリカに自生してたのが日本に入り込んできたのだろうね。ハエトリグサとは見ても分かる通り、この二枚の葉が咢の役割をして、蠅を食べてしまうんだよ。もちろん蠅だけじゃないよ。この葉と葉の間には虫を寄せ付けるいい香りがしてね、それでやってきた虫をぱくりさ。この植物はそれよりもっとすごいよ。なんと自立して動くんだ!」
 うねうねと元気良く動くハエトリグサ。
「……これを?」
 私は尋ねました。
「植えよう! 田んぼの周りに!」
 リグルさんはぎゅっと拳を握りしめます。
「リグル。流石だわ」
 幽香さんも腕を組んで満足そうに頷いています。
 これで解決、というムードが漂っています。
 いけません。これ絶対人身被害が出ます。絶対です確実です。この草、自立して動いて人にばっくり噛みつきます。誰だってわかりますよ、いわんや、サヴァンの私ならもう目に見えて分かっています。阻止せねば。
「待った!」
 私は両手を振りました。しかし言葉が思いつかない。ならばせめて正直に語ろうと思いました。
「やっぱり農薬に戻しましょうっ! 見て見ぬふりして臭いものに蓋をして、放置して! そして、そのツケを次世代に払わせましょう。その時になればきっと今よりもいい案が出ているはずですよきっと!」
「何を言っているのよ、稗田」
 幽香さんが言いました。
「今できる中で最善を尽くす。それが私達にできる唯一の事よ」
 それは……その通りなのですが!
 立札をしていればいいのかもしれませんが!
 けが人が出たら稗田の責任問題なのです。いや、出ますって。子供が遊んでて転んで全身がぶがぶ噛みつかれて血まみれになればすぐに新聞に載って責任問題が……。
 そんな私を他所に、もう二人は準備運動を始めています。
 ああ、そんな良い表情しないでください二人とも。私には眩しすぎます。
「さあ、これから力仕事になるよ阿求。頑張ろうね」
「え、いや……」
「ふむ。農家の人達は呼べないわね。私は恐がられているし。頑張りましょう、稗田」
「いやです、いやですって……」
 追い込まれた稗田の精神は逃げ場を探して暴れまわりましたが、やがて観念すると、リグルさんから手渡された袋を受け取り、こくんと力なく頷きました。

「……は、はわわ」



 ●
 人生初の田植え作業は過酷を極めました。私の主観ですが。リグルさんと幽香さんは人外らしく、凄まじい運動効率を発揮して、私がいち植え終わる頃には十植え終わっていました。やがて私のノルマの半分をリグルさんが持っていき、もう半分を幽香さんが持っていき、私は木陰で休んでいることになりました。
 終わるなっ、終わるな、と念じていると、あっという間に種まきは終了しました。
「じゃあ後は幽香。よろしく」
「ええ」
 幽香さんが両手を広げると、田の周りに撒かれた植物はにょきにょきと成長して、風もないのに不気味にそよぐ草原が完成しました。この世の終わりのような光景ですね。私もおしまいです。
 父と母にはなんと謝罪すればいいのか分かりません。
 さめざめと泣きながら呆然として乾いた笑いを浮かべていると、幽香さんがやってきて、肩をぽんと叩かれました。
「貴方、名前はなんて言ったっけ?」
 私は幽香さんを怨嗟のこもった目で見上げました。
「阿求です。稗田阿求」
「阿求か。気に入ったわ。ねえ阿求。貴方、ひねくれた稗田の中でも見込みがあるわよ」
「見込みがあるって、貴方と私は昔に何度も出会っているでしょうに」
「それは阿求ではないでしょう」
 幽香さんは陽気に言います。
「だって、いつもの稗田なら逃げ出して見なかったことにするのだもの。逃げ出さずにここにいるのは阿求、貴方だけなのよ。それを誇りなさい」
 私は幽香さんの笑顔から目を逸らして、田んぼの光景を眺めました。地獄のような光景です。対照的に空は抜けるように青く、平和を感じさせてくれました。
「記憶はね、日記を読むだけでも引き継ぐことができるわ。精度は低くなるでしょうが。私の出会ったどの稗田もそれぞれ個性があったけれど、同じ人間ではない」
「……かもしれません」
 私が小さな声で答えると、幽香さんは一層笑みを深めました。私の表情が可笑しかったのか、それは分かりませんが。
「貴方が世に残した変化ならば、やり遂げなさいな。その方が面白いわ」
 とにもかくにも、まずは立札をたてよう。そう私は決意しました。



 ●後日談

 四方に立札を立てたにも関わらず、やっぱり血まみれになった人間はあらわれました。田んぼの持ち主の農家さんでした。あれほど口を酸っぱく注意したにも関わらず派手に転んだそうで、全身やられていました。幸いハエトリソウの威力は弱く、大事には至らなかったようで私はほっと胸をなでおろしました。
 それでも新聞には載りました。謝りまくりました。謝罪の嵐でした。ですが、農薬を使わなかったことは一部で評価されているようです。ほんのごく一部ですが。両親は意外にも私を叱ることはありませんでした。少し驚いた顔をしていただけです。そのことが私にとっても驚きでした。
 慌ただしい毎日でしたが、その間、私は夢心地でしたので大きく落ち込むことはありませんでした。理由は分かっていました。彼女に明確に阿求として評価されたのが私の心のスイッチ的なものに触れたのでしょう。私の挙動不審さたるや、あの能天気な小鈴に引かれるほどでした。
 それから、ごく稀に幽香さんが生息していると思われる花園へ足を運びました。そこで他愛ないやりとりをするまでの仲にはなりましたが、彼女は相変わらず稗田家を憎んでいるようでした。それは私が稗田家伝統の感嘆詞を使う度に持ち上げられることからも分かります。
 彼女は私の事を阿求と呼びますが、それは小鈴が私を阿求と呼ぶこととはまた違った特別な意味が込められているような気がするのです。稗田ではなく、私を私として。どうやら彼女は私にとって特別な存在になりつつあるようです。
 そんなことを考えながら私は幻想郷の妖怪たちについてのメモをパラパラとめくっていると、偶然にも彼女の項を見つけました。

『風見幽花……友好度 超絶悪』

 やれやれ前任様ったら。いくらなんでも超絶は言い過ぎですよね。
 私はその二文字を墨で塗りつぶし、新たに一文字を加えました。

『風見幽花……友好度 最悪』
阿求と幽香の不仲設定を思いついてシリアスなのを書いていたら化学反応を起こしてちょっとおかしな感じになりました。駄目稗田家のあれこれはその名残です。不仲のこともカップリングと言っていいのかちょっとよく分かりませんが、自分はボケとツッコミでいいと思います。
園原七実
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コメント



0.290簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
ダメなはわわ稗田面白いです
ゆうかりんの怒りもやむなし
なんだか知的で穏やかなリグルにも心を惹かれます
>そのツケを次世代に払わせましょう
なまじ知識と立場があるから出てくる選択肢なんでしょうが、笑ってしまいました
農業に限らず日本の年配の政治家や経済界もこんな感じの思考なんだろうなと思うと、いたたまれない気分にはなりますが
2.100名前が無い程度の能力削除
おもしろかった
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
農業以外は(恐らく)有能なのだろうけど、よくこれで稗田家は存続できてるなと笑ってしまった。
はわわあっきゅん可愛いよ。

8.90名前が無い程度の能力削除
紫が付きっきりじゃないとこの稗田家は滅んでしまいそうですねですがぽんこつ阿求もいいものですね一の虫、二の虫あたりの説明は、現実では殆ど例を見ないものだったのでそこだけが引っ掛かりました(主食が稲でかつ雑食でもある害虫となるとバッタやコオロギが考えられますが、これらはかなり耐性のある種ですし・・・)幻想郷には幻想郷の独自の生態系があると考えればそれまでですが
9.無評価園原七実削除
>8
ご指摘ありがとうございます。その通りでした。
一の虫は二の虫を食べているという描写が間違いで、どちらも稲の養分を吸って生きている虫でした。競争相手であった一の虫がいなくなったことで二の虫が増長して、初めてそれが害虫であることが発覚したというエピソードを聞いて、この話にいれてみたのです。
話で聞いてメモしてた程度なので虫の名前とか分かりませんでした。被害にあったのは米だったと思います。多分。
10.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです。メンタルよわよわな阿求可愛いよ。
リグル、幽香、阿求、それぞれの賢さというか、筋の通った考え方が伝わってきて面白かったです。
12.70爆撃!削除
なんと、書いてる途中のネタと似ている部分があったので参考に。
怪ハエトリソウがきっちり後半に使われていたところに、にやりとしました。
本筋とは外れるかもしれませんが、農薬を使わないリスクというのも相応にあるので、そちらにも触れると公平感があるかと思いました。
また、リグルが農薬に詳しかったり虫の駆除に力を貸しているところは少し理由が気になり、掘り下げると面白くなるところかと思いました。
13.90よみせん削除
はわわ(稗田感嘆詞)

コミカルで面白かったです
14.90名前が無い程度の能力削除
何ちゅう政治家思想の稗田家だw
自分で移動できるハエトリグサは大発生しそうだなぁ…
17.90名前が無い程度の能力削除
ゆうかりんが良かったです。
ただ幽花って、誤字でしょうか?
18.70愚迂多良童子削除
農薬で虫が死ぬことや、ハエトリソウに虫が食われることについてリグルは平気なんだろうか。そこが気になりました。
自然の摂理と思って案外気にしてないのかな。

>>鳥もこの場所を裂けるようになったし
避ける