「良いこと探しをすることにした?」
はは、やっぱり。お姉ちゃんが三つの目をまん丸にして驚いてる。
自分でもそういう節はあるなーと思っているけど、軽いのりで思いついた素っ頓狂なことを姉に言ってみた。
「そう!私ね、これからの人生…サトリ生を楽しいものにしたいんだ。だからこれから毎日楽しかった出来事、いいなーって思った出来事を日記にして書いていくの。
ね、だからお姉ちゃん、私日記帳が欲しいの」
「そうなの……文章を書くのは私も好きよ。実は私も日記をつけているわ。……来年のぶん、と思って買っておいた日記帳があったと思う。それをこいしにあげるわ。
あと……私が使ってた羽ペンもあげる。大事に使うのよ」
そう言ってお姉ちゃんはその小さい背丈(私も同じような身長だけど)よりも大きな本棚に向かい合い、本の背表紙をなぞりながら日記帳を探してくれる。
薄暗い部屋にこもって書き物をしているせいで目が悪くなったのか、いつも眠そうに薄開いた目をさらに細めていた。
「……あったわ」
よいしょ、っと。姉の背丈より頭ひとつ分高いところにあったそれをゆっくりと引き抜く。それは赤い革の表紙をした、厚い日記帳。
「こんなに書けるかな?」
「いっぱい楽しいことを見つければいいのよ」
お姉ちゃんが笑ってる。お姉ちゃんが笑うと、胸の奥がくすぐったい気持ちになる。
姉の笑顔を見るのは久しぶりかもしれない。いつも仕事をしているときは、イゲンが、とかセキニンカンって言って難しい顔をしてるから。
「これが羽ペンで……インクはこれを使うといいわ」
お姉ちゃんが手渡してくれたのはすらっとした真っ黒な羽で出来たペン。それと、セピア色のインクだった。
羽ペンを受け取って、いろんな角度からまじまじと見つめる。つやつやして真っ黒だと思ったそれにランプの光を当てると、緑とかピンクとかいろんな色が浮かんだ。きれいだなぁ。
「その羽はお空がわけてくれたのよ。風切羽根の一番短いのをもらうの」
「ありがとうお姉ちゃん。お空にもお礼を言いたいな」
「ふふ、どういたしまして。お空もすごく喜ぶわ」
今までお姉ちゃんと話すときは、お姉ちゃんの部屋のくすんだ赤い絨毯としか目を合わせてなかったから、もっと早くお姉ちゃんの顔を見て、こんな優しい表情をして私と話してくれるんだって知ってれば良かった。
さっきから胸の奥をお姉ちゃんにくすぐられてるみたいだ。
お空にお礼を言った後、私は地霊殿のエントランスに来ていた。
さぁ準備万端だ。楽しい出来事よ、私のもとに来い!なんて思っていたけど、どうやら楽しいことって自分から動かないと見つからないみたい。
てくてく、ふわふわと周りを歩いて、浮き回る。
「たのしいことー。たのしいことー」
そうだ、また外の世界に出てみよう。
お姉ちゃんはきっとこの日記帳を外の世界で「買った」んだろう。どんなところで買ったのかしら。赤い日記帳のほかにも、いろんな色をした、いろんなものが「売って」るのかしら。
私はまだお店に入ったことがない。お店ってものがよくわからない。
「確かお店では……お金、ってものを渡せば素敵なものがもらえるのよね」
お金。私にはお金はあんまり必要ない。欲しいって思ったものは、みんな私の部屋にあるから。
でも、お店でものを「買う」ってなったら、お金が必要。
「あったかしら……」
自分の部屋に戻る。私はあんまり移動に苦労をしない。気づいたら、いつの間にか目的地にいるからだ。
「……やっぱりあったわ」
ベッドの横のサイドテーブルの引き出しの中。そこにしまってあるポーチには無造作に紙のお金と金属のお金が入っていた。
あとは、よくわからないけど一枚のお札。
ぺらぺらとそれを手で玩んだあと、ポーチをポシェットに入れて、いつもの帽子を被る。
鏡には素敵な女の子が映っている。にこっと一回微笑んでみる。
あ、これ三個目の「嬉しい」ことかもしれない。
ちなみに一個目は、お姉ちゃんが日記帳をくれたこと。
二個目は、お空にお礼を言ったら、感極まったお空が風切羽根を突如として抜きまくり、「こいし様にだったらもっとあげちゃいますもん!」とにこにこしていたことだ。
……羽根、なくなっちゃうんじゃないかって、はらはらしたけど。お空って気持ちの良い子だわ。
あっと言う間に町に着いた。
町にはいろんなお店がある。とりあえずの私の目標は本屋さんだ。
きっとお姉ちゃんに本が読みたいって言ったら、たくさんの本を貸してくれるだろう。
でも、お姉ちゃんは読書家で、難しい本ばっかり持ってる。私はペットたちと一緒に読めそうな、絵本が欲しかった。
「ん……?」
本屋さんを探していると、町のはずれのあたりに気になったお店がひとつあった。
「ここは、帽子屋さんかしら?」
奥まった場所にあった洋風の建物。そこには大きい帽子、小さい帽子。いろんな形をした帽子が綺麗に並べられたマネキンの頭に被せられていた。
「頭がいくつあっても足りないわね……」
私は帽子をひとつ持っている。だからこの帽子がなくなるまで、他の帽子はいらない。
でも、ちょっとだけ……そう思って帽子屋に入り、一歩、また一歩と中を歩く。
薄暗い店内は、本来居るはずの「店員さん」の姿が見えない。
ただひたすらいろんな帽子がオレンジ色のランプの明かりに照らされている。
「……ちょっとこわいなぁ」
きょろきょろとあたりを見回す。色々な帽子があるけれど、見回して初めてどれも暗い色をしていると気づく。
お店の中はシーンとして、私の足音がこんこんと響くだけだ。
「かえろっかな……」
そう呟いたその時。私の目に真っ白な帽子が目に入った。
「私の帽子と形がそっくりだわ……」
ぱっと見てわかったそれは、私の帽子の双子、もしくは兄弟のような帽子だった。
おんなじ形をしているけど、私の帽子は黒。この帽子は白で、淡い水色のリボンが巻かれている。
「……お姉ちゃんに似合いそうね」
そういえば、私お姉ちゃんに日記帳のお礼をしてなかったわ。この帽子を買って、お姉ちゃんにプレゼントしよう!
ごそごそとポシェットからポーチを取り出す。
紙のお金三枚、丸い金属のお金が六枚。
帽子に「値札」が付いている。どきどきしながらひっくり返してみると、そこには50000、と判を押されていた。
「……なんだか合わない気がする……同じくらいじゃないと、買えないのよね?」
諦めよう。お姉ちゃんには、他のものをあげよう。
これからまた本屋さんを探すから、素敵な本を絵本と一緒に買ってあげよう。
……でも、あの帽子。お姉ちゃんに似合うだろうな。
お姉ちゃんと私、一緒に帽子を被ってお出かけできたら―――
あの帽子が、欲しいな。
ぼんやりしながら帰り道を歩く。
あの後、結局本屋さんが見つからずに残念な気持ちのまま帰路についてしまった。
「良かったこと、まだ三つしかないわ」
あの時、あの帽子を買えていれば―――
私は悔しくなって、帽子を握り締める。
そろそろ夜が来る。帰らなくちゃ。
久しぶりに外に出たのにな。
「おかえり、こいし」
地霊殿に着くと、お姉ちゃんがエントランスまで上がって来ていた。
いつもだったらこの姉の行動に喜んだと思うけど、今はあんまりお姉ちゃんの顔が見られない。
「ただいま、お姉ちゃん」
「何かいいことがあったのかしら?」
「……んー、ちょっとだけ」
赤と黒のタイルを見つめて、床を踏む。
こうしていると、いつもお姉ちゃんは何かを察してほうっておいてくれるからだ。
でも、今日は。
「……部屋に戻るよ。お姉ちゃんも、お部屋戻っていいよ」
「……どうしたの?こいし……」
「どうもしないよ」
お姉ちゃんが困りながらもやけに粘る。
でも、私だってこんなに話しかけられたら、複雑な心境の今だもん。困ってしまうよ。
「でも……あら、こいしが持ってるその帽子、素敵ね」
「え?」
お姉ちゃんは何を言ってるんだろう?私の帽子なら、見慣れているはずなのに。
「その、白い帽子。とっても可愛いわ」
え?
……私は、白い帽子を右手に握っていたことに初めて気がついた。
「あ、これ、その」
「? 大丈夫、こいし……?顔が真っ青だわ」
「ち、違うの。え?な、なんでだろ。えっ……?」
がくがくと、全身が震える。
私、知ってる。
これって、泥棒っていう、悪いことだ。
「こいし、落ち着いて、何があったの?話してみて」
「おね、おねえちゃん、わたし」
私は思わず、泣き出してしまう。悪いことをしたら、どうすればいいんだろう。それも、無意識に。困った。
頭の中も、握り締めた指先も真っ白になってしまう。
落ち着かない。どうしよう。お姉ちゃんに知れたら、すごく怒られちゃうよ。すごく、嫌われちゃうよ。
その時、私のほっぺたにお姉ちゃんが少し冷たい手を当てた。
ほっぺた、目蓋、おでこ。
「こいしはあったかいわね」
「えっ……」
「あっついくらいだわ。……私の手、冷たいでしょう。ちょっと頭を冷やしなさい」
「あ、う」
「大丈夫だから」
「……」
「落ち着いたら、何があったかこいしが、私に何があったら教えてほしいわ」
「……う」
「大丈夫よ。こいしの心は読めないけど、そのおかげで、こいしの言葉が聞けるのよ。ゆっくりで良いから」
「う、う……」
「私に話をしてほしい」
わんわんと泣いた。
今まで不思議と欲しいものが手に入っていたこと。
あんまり使わなかった、お金がいつの間にか部屋にあったこと。
……帽子のこと。
泣きながら、あんまり言葉になっていなかったと思うけど。
お姉ちゃんはゆっくり、時間をかけて全部聞いてくれた。
「そのお店に行きましょう。私も一緒に行くわ。一緒に話をする。だけどこいし、あなたが謝らなければいけないわ」
「うん……」
「あと、あの巫女がいる、神社にも」
「? ……うん?」
「謝らなければいけないわ……多分、すごく怒ってるから」
最初に行ったのは、神社だった。
霊夢は、予想外にあまり怒っていなかった。
「家庭の事情ってものがどこもあるわよね」
そう言って、のんきにお姉ちゃんが渡した菓子折りの包み紙をびりびり開けていた。
「あら、おせんべいじゃない。あなた、心が読めるだけあるわね。私ちょうどおせんべいが食べたかったのよ」
「偶然だと思いますよ。私の能力は遠くまでは使えないので」
「ふーん」
巫女が出してくれたお茶を飲み、あんたも食べたら?これ美味しいわよ、なんて言っておせんべいを一枚くれた。
お姉ちゃんにも勧めていたけど、「これから行くところがあるので」と断られていた。
もうすっかり夜遅く、空にはおせんべいみたいなまん丸の月が浮かんでいた。
そして町に着いた。
「こいし、その帽子屋さんはどこにあるの?」
「えーと、少し奥まった……町のちょっとはずれの……このへんだと思う」
正直、謝るのはすごく怖い。
さっきから心臓がどきどきしっぱなしだ。
「……ここ?」
「うん!……あれ?」
昼間、確かにあった帽子屋がない。
あれだけ色々な帽子が並んでいて。
あれだけランプがあって。あれだけしぃんとしていたお店が。
お姉ちゃんと私が見つめる先。そこは大きな花や小さな花が咲いた、静かな花畑だった。
「え?」
「確かにここなの?」
「うん、そうだよ!ここで……私」
「……そう、やっぱり」
「?」
「町のこのへんにはね、確か帽子屋は一軒もなかったのよ」
「えっ……?」
お姉ちゃんは何を言っているんだろう。驚く私をよそに、言葉は続けられる。
「誰の仕業かしらね。こんな……こいしに悲しい思いをさせて……でも、これでこいしがもう不安になることは少なくなるかもしれないわ」
「お、お姉ちゃん?どういうこと?」
こいし、「帽子」を見て御覧なさい。お姉ちゃんがそう囁く。
「あっ……!」
いつの間に。
両手に抱えていた帽子が、真っ白な花束へと変わっていた。
さらさらと白色が夜の闇に溶け、花びらがほろほろと崩れて腕から逃げていく。
「あっ!ああ……」
帽子だった花が、花だった粒子が、静かにふわふわと天へ昇っていく。
「神様は見ているわ。不思議なことがあっても、ここなら不思議じゃないわ」
「え?」
「もののたとえよ。それっぽいものは、近所に居るけど」
「あっ!あの……」
「そう、ほら……山の」
「あー!」
帰り道、お姉ちゃんと話をした。
「私ね、お姉ちゃんに日記帳のお礼がしたかったの。あー、でもなぁ。出来なかった……」
ぷー、と頬を膨らませながら。それを見て、お姉ちゃんはくすっと笑う。
「ふふ、日記帳のお礼ねぇ……じゃあ、こいしが一日の終わりに、日記を書くとき。楽しかったことを教えてほしいわ」
「そんなのでいいの?……うん、でも明日からね。今日は楽しかったこと、三つしかないから」
「あら?そんなことないんじゃない?」
「え?」
日記帳を見て御覧、そう言われてポシェットに入れていた日記帳を取り出す。
すると……
「あれっ!?三つじゃないよ!?」
楽しかったことが、倍の六つに増えていた。
「ほら、私に発表して」
「え、えっと」
こいしの楽しかったこと日記
一つめ。お姉ちゃんが、日記帳をくれた!嬉しいな。
二つめ。お空がなんだか面白かった。
三つめ。私、可愛いかもしれない。
四つめ。素敵な帽子を見つけた!お姉ちゃんに似合いそう。
五つめ。霊夢からおせんべいをもらった!おしょうゆ味。
六つめ。お姉ちゃんと、外の世界で歩きながら、お話できた。お姉ちゃんはいっぱい話を聞いてくれた。お姉ちゃん、手は冷たかったけど、すごくあったかいよ。
私の楽しかった日記帳の記念すべき一ページ目。
そこには無意識の丸文字が軽やかに、しかし確かに存在を示すように踊っていた。
はは、やっぱり。お姉ちゃんが三つの目をまん丸にして驚いてる。
自分でもそういう節はあるなーと思っているけど、軽いのりで思いついた素っ頓狂なことを姉に言ってみた。
「そう!私ね、これからの人生…サトリ生を楽しいものにしたいんだ。だからこれから毎日楽しかった出来事、いいなーって思った出来事を日記にして書いていくの。
ね、だからお姉ちゃん、私日記帳が欲しいの」
「そうなの……文章を書くのは私も好きよ。実は私も日記をつけているわ。……来年のぶん、と思って買っておいた日記帳があったと思う。それをこいしにあげるわ。
あと……私が使ってた羽ペンもあげる。大事に使うのよ」
そう言ってお姉ちゃんはその小さい背丈(私も同じような身長だけど)よりも大きな本棚に向かい合い、本の背表紙をなぞりながら日記帳を探してくれる。
薄暗い部屋にこもって書き物をしているせいで目が悪くなったのか、いつも眠そうに薄開いた目をさらに細めていた。
「……あったわ」
よいしょ、っと。姉の背丈より頭ひとつ分高いところにあったそれをゆっくりと引き抜く。それは赤い革の表紙をした、厚い日記帳。
「こんなに書けるかな?」
「いっぱい楽しいことを見つければいいのよ」
お姉ちゃんが笑ってる。お姉ちゃんが笑うと、胸の奥がくすぐったい気持ちになる。
姉の笑顔を見るのは久しぶりかもしれない。いつも仕事をしているときは、イゲンが、とかセキニンカンって言って難しい顔をしてるから。
「これが羽ペンで……インクはこれを使うといいわ」
お姉ちゃんが手渡してくれたのはすらっとした真っ黒な羽で出来たペン。それと、セピア色のインクだった。
羽ペンを受け取って、いろんな角度からまじまじと見つめる。つやつやして真っ黒だと思ったそれにランプの光を当てると、緑とかピンクとかいろんな色が浮かんだ。きれいだなぁ。
「その羽はお空がわけてくれたのよ。風切羽根の一番短いのをもらうの」
「ありがとうお姉ちゃん。お空にもお礼を言いたいな」
「ふふ、どういたしまして。お空もすごく喜ぶわ」
今までお姉ちゃんと話すときは、お姉ちゃんの部屋のくすんだ赤い絨毯としか目を合わせてなかったから、もっと早くお姉ちゃんの顔を見て、こんな優しい表情をして私と話してくれるんだって知ってれば良かった。
さっきから胸の奥をお姉ちゃんにくすぐられてるみたいだ。
お空にお礼を言った後、私は地霊殿のエントランスに来ていた。
さぁ準備万端だ。楽しい出来事よ、私のもとに来い!なんて思っていたけど、どうやら楽しいことって自分から動かないと見つからないみたい。
てくてく、ふわふわと周りを歩いて、浮き回る。
「たのしいことー。たのしいことー」
そうだ、また外の世界に出てみよう。
お姉ちゃんはきっとこの日記帳を外の世界で「買った」んだろう。どんなところで買ったのかしら。赤い日記帳のほかにも、いろんな色をした、いろんなものが「売って」るのかしら。
私はまだお店に入ったことがない。お店ってものがよくわからない。
「確かお店では……お金、ってものを渡せば素敵なものがもらえるのよね」
お金。私にはお金はあんまり必要ない。欲しいって思ったものは、みんな私の部屋にあるから。
でも、お店でものを「買う」ってなったら、お金が必要。
「あったかしら……」
自分の部屋に戻る。私はあんまり移動に苦労をしない。気づいたら、いつの間にか目的地にいるからだ。
「……やっぱりあったわ」
ベッドの横のサイドテーブルの引き出しの中。そこにしまってあるポーチには無造作に紙のお金と金属のお金が入っていた。
あとは、よくわからないけど一枚のお札。
ぺらぺらとそれを手で玩んだあと、ポーチをポシェットに入れて、いつもの帽子を被る。
鏡には素敵な女の子が映っている。にこっと一回微笑んでみる。
あ、これ三個目の「嬉しい」ことかもしれない。
ちなみに一個目は、お姉ちゃんが日記帳をくれたこと。
二個目は、お空にお礼を言ったら、感極まったお空が風切羽根を突如として抜きまくり、「こいし様にだったらもっとあげちゃいますもん!」とにこにこしていたことだ。
……羽根、なくなっちゃうんじゃないかって、はらはらしたけど。お空って気持ちの良い子だわ。
あっと言う間に町に着いた。
町にはいろんなお店がある。とりあえずの私の目標は本屋さんだ。
きっとお姉ちゃんに本が読みたいって言ったら、たくさんの本を貸してくれるだろう。
でも、お姉ちゃんは読書家で、難しい本ばっかり持ってる。私はペットたちと一緒に読めそうな、絵本が欲しかった。
「ん……?」
本屋さんを探していると、町のはずれのあたりに気になったお店がひとつあった。
「ここは、帽子屋さんかしら?」
奥まった場所にあった洋風の建物。そこには大きい帽子、小さい帽子。いろんな形をした帽子が綺麗に並べられたマネキンの頭に被せられていた。
「頭がいくつあっても足りないわね……」
私は帽子をひとつ持っている。だからこの帽子がなくなるまで、他の帽子はいらない。
でも、ちょっとだけ……そう思って帽子屋に入り、一歩、また一歩と中を歩く。
薄暗い店内は、本来居るはずの「店員さん」の姿が見えない。
ただひたすらいろんな帽子がオレンジ色のランプの明かりに照らされている。
「……ちょっとこわいなぁ」
きょろきょろとあたりを見回す。色々な帽子があるけれど、見回して初めてどれも暗い色をしていると気づく。
お店の中はシーンとして、私の足音がこんこんと響くだけだ。
「かえろっかな……」
そう呟いたその時。私の目に真っ白な帽子が目に入った。
「私の帽子と形がそっくりだわ……」
ぱっと見てわかったそれは、私の帽子の双子、もしくは兄弟のような帽子だった。
おんなじ形をしているけど、私の帽子は黒。この帽子は白で、淡い水色のリボンが巻かれている。
「……お姉ちゃんに似合いそうね」
そういえば、私お姉ちゃんに日記帳のお礼をしてなかったわ。この帽子を買って、お姉ちゃんにプレゼントしよう!
ごそごそとポシェットからポーチを取り出す。
紙のお金三枚、丸い金属のお金が六枚。
帽子に「値札」が付いている。どきどきしながらひっくり返してみると、そこには50000、と判を押されていた。
「……なんだか合わない気がする……同じくらいじゃないと、買えないのよね?」
諦めよう。お姉ちゃんには、他のものをあげよう。
これからまた本屋さんを探すから、素敵な本を絵本と一緒に買ってあげよう。
……でも、あの帽子。お姉ちゃんに似合うだろうな。
お姉ちゃんと私、一緒に帽子を被ってお出かけできたら―――
あの帽子が、欲しいな。
ぼんやりしながら帰り道を歩く。
あの後、結局本屋さんが見つからずに残念な気持ちのまま帰路についてしまった。
「良かったこと、まだ三つしかないわ」
あの時、あの帽子を買えていれば―――
私は悔しくなって、帽子を握り締める。
そろそろ夜が来る。帰らなくちゃ。
久しぶりに外に出たのにな。
「おかえり、こいし」
地霊殿に着くと、お姉ちゃんがエントランスまで上がって来ていた。
いつもだったらこの姉の行動に喜んだと思うけど、今はあんまりお姉ちゃんの顔が見られない。
「ただいま、お姉ちゃん」
「何かいいことがあったのかしら?」
「……んー、ちょっとだけ」
赤と黒のタイルを見つめて、床を踏む。
こうしていると、いつもお姉ちゃんは何かを察してほうっておいてくれるからだ。
でも、今日は。
「……部屋に戻るよ。お姉ちゃんも、お部屋戻っていいよ」
「……どうしたの?こいし……」
「どうもしないよ」
お姉ちゃんが困りながらもやけに粘る。
でも、私だってこんなに話しかけられたら、複雑な心境の今だもん。困ってしまうよ。
「でも……あら、こいしが持ってるその帽子、素敵ね」
「え?」
お姉ちゃんは何を言ってるんだろう?私の帽子なら、見慣れているはずなのに。
「その、白い帽子。とっても可愛いわ」
え?
……私は、白い帽子を右手に握っていたことに初めて気がついた。
「あ、これ、その」
「? 大丈夫、こいし……?顔が真っ青だわ」
「ち、違うの。え?な、なんでだろ。えっ……?」
がくがくと、全身が震える。
私、知ってる。
これって、泥棒っていう、悪いことだ。
「こいし、落ち着いて、何があったの?話してみて」
「おね、おねえちゃん、わたし」
私は思わず、泣き出してしまう。悪いことをしたら、どうすればいいんだろう。それも、無意識に。困った。
頭の中も、握り締めた指先も真っ白になってしまう。
落ち着かない。どうしよう。お姉ちゃんに知れたら、すごく怒られちゃうよ。すごく、嫌われちゃうよ。
その時、私のほっぺたにお姉ちゃんが少し冷たい手を当てた。
ほっぺた、目蓋、おでこ。
「こいしはあったかいわね」
「えっ……」
「あっついくらいだわ。……私の手、冷たいでしょう。ちょっと頭を冷やしなさい」
「あ、う」
「大丈夫だから」
「……」
「落ち着いたら、何があったかこいしが、私に何があったら教えてほしいわ」
「……う」
「大丈夫よ。こいしの心は読めないけど、そのおかげで、こいしの言葉が聞けるのよ。ゆっくりで良いから」
「う、う……」
「私に話をしてほしい」
わんわんと泣いた。
今まで不思議と欲しいものが手に入っていたこと。
あんまり使わなかった、お金がいつの間にか部屋にあったこと。
……帽子のこと。
泣きながら、あんまり言葉になっていなかったと思うけど。
お姉ちゃんはゆっくり、時間をかけて全部聞いてくれた。
「そのお店に行きましょう。私も一緒に行くわ。一緒に話をする。だけどこいし、あなたが謝らなければいけないわ」
「うん……」
「あと、あの巫女がいる、神社にも」
「? ……うん?」
「謝らなければいけないわ……多分、すごく怒ってるから」
最初に行ったのは、神社だった。
霊夢は、予想外にあまり怒っていなかった。
「家庭の事情ってものがどこもあるわよね」
そう言って、のんきにお姉ちゃんが渡した菓子折りの包み紙をびりびり開けていた。
「あら、おせんべいじゃない。あなた、心が読めるだけあるわね。私ちょうどおせんべいが食べたかったのよ」
「偶然だと思いますよ。私の能力は遠くまでは使えないので」
「ふーん」
巫女が出してくれたお茶を飲み、あんたも食べたら?これ美味しいわよ、なんて言っておせんべいを一枚くれた。
お姉ちゃんにも勧めていたけど、「これから行くところがあるので」と断られていた。
もうすっかり夜遅く、空にはおせんべいみたいなまん丸の月が浮かんでいた。
そして町に着いた。
「こいし、その帽子屋さんはどこにあるの?」
「えーと、少し奥まった……町のちょっとはずれの……このへんだと思う」
正直、謝るのはすごく怖い。
さっきから心臓がどきどきしっぱなしだ。
「……ここ?」
「うん!……あれ?」
昼間、確かにあった帽子屋がない。
あれだけ色々な帽子が並んでいて。
あれだけランプがあって。あれだけしぃんとしていたお店が。
お姉ちゃんと私が見つめる先。そこは大きな花や小さな花が咲いた、静かな花畑だった。
「え?」
「確かにここなの?」
「うん、そうだよ!ここで……私」
「……そう、やっぱり」
「?」
「町のこのへんにはね、確か帽子屋は一軒もなかったのよ」
「えっ……?」
お姉ちゃんは何を言っているんだろう。驚く私をよそに、言葉は続けられる。
「誰の仕業かしらね。こんな……こいしに悲しい思いをさせて……でも、これでこいしがもう不安になることは少なくなるかもしれないわ」
「お、お姉ちゃん?どういうこと?」
こいし、「帽子」を見て御覧なさい。お姉ちゃんがそう囁く。
「あっ……!」
いつの間に。
両手に抱えていた帽子が、真っ白な花束へと変わっていた。
さらさらと白色が夜の闇に溶け、花びらがほろほろと崩れて腕から逃げていく。
「あっ!ああ……」
帽子だった花が、花だった粒子が、静かにふわふわと天へ昇っていく。
「神様は見ているわ。不思議なことがあっても、ここなら不思議じゃないわ」
「え?」
「もののたとえよ。それっぽいものは、近所に居るけど」
「あっ!あの……」
「そう、ほら……山の」
「あー!」
帰り道、お姉ちゃんと話をした。
「私ね、お姉ちゃんに日記帳のお礼がしたかったの。あー、でもなぁ。出来なかった……」
ぷー、と頬を膨らませながら。それを見て、お姉ちゃんはくすっと笑う。
「ふふ、日記帳のお礼ねぇ……じゃあ、こいしが一日の終わりに、日記を書くとき。楽しかったことを教えてほしいわ」
「そんなのでいいの?……うん、でも明日からね。今日は楽しかったこと、三つしかないから」
「あら?そんなことないんじゃない?」
「え?」
日記帳を見て御覧、そう言われてポシェットに入れていた日記帳を取り出す。
すると……
「あれっ!?三つじゃないよ!?」
楽しかったことが、倍の六つに増えていた。
「ほら、私に発表して」
「え、えっと」
こいしの楽しかったこと日記
一つめ。お姉ちゃんが、日記帳をくれた!嬉しいな。
二つめ。お空がなんだか面白かった。
三つめ。私、可愛いかもしれない。
四つめ。素敵な帽子を見つけた!お姉ちゃんに似合いそう。
五つめ。霊夢からおせんべいをもらった!おしょうゆ味。
六つめ。お姉ちゃんと、外の世界で歩きながら、お話できた。お姉ちゃんはいっぱい話を聞いてくれた。お姉ちゃん、手は冷たかったけど、すごくあったかいよ。
私の楽しかった日記帳の記念すべき一ページ目。
そこには無意識の丸文字が軽やかに、しかし確かに存在を示すように踊っていた。
読んでて心地よくて楽しい気分になれました
個人的には、こいしちゃんの無意識でおおわれている部分の一部で、読み手にもっと伝わる部分があればさらに素敵だと思いました。
もしかして時事ネタでしょうか?
さとりに似合う白い帽子の値段もなるほどという感じです
花束はこいしとさとりの姉妹に向けた「誰か」からの祝福ですね
花束が天に還っていくシーンでは
彼女たちを天から見守っているような気持ちにさせられました
(値段は桁数が違ったから深読みしすぎたかもしれません)