「文さんってストーカーなんですか?」
厳格な妖怪の山の階級社会と言えど、気の知れた仲間とは普通に飲みたいものである。
だから時々こうして、白狼と鴉の種族の壁を越えて――といってもこの三人くらいのものだが――こうした昔からの知己と無礼講で飲んだりすることがある。
結構楽しいもので、敬語なく話したり本音をぶつけ合うのも乙なものなのだが……。
「いえ、そういえば文さんは年齢が低ければ誰でもいいんでしたね」
酒を飲み始めた椛の第一声がこれである。相変わらず椛の放つ言葉にトゲがある。
そう、無礼講は時に喧嘩の温床になりうるというわけだ。
「椛ぃ、そんな事実無根の話をしてどうするんです?」
「いや、無根ってわけでもないっしょ?ストーキングはしょっちゅうしてるじゃない文の奴は」
「あれは取材よ、しゅ・ざ・い!取材相手つけなくてどうやって密着取材するってのよ!」
「え、念写すればいいじゃん」
「あんただけでしょ。しかもそれ大概私の写真じゃない」
もう酔いが回ってるのかはたての顔がほんのり赤く、私のむきになった反論にけらけらと笑い返してきた。
弱いのは相変わらずだが、これはないだろう。
「取材と言ってますけど、最近は訪ねていく方が多いようですが?」
「そこ、お気に入りとか言わない。……監視よ監視。あんただって、上の方からその『眼』で観察するよう言われてるでしょ」
妖怪の山で巫女一行と一戦やり合ってからというもの、天狗上層部は博麗巫女との接点を重視し始めた。
形だけの弾幕ごっことはいえ、(手加減したものの)私を破り、上に越してきた神様をも倒した実力を持っているのだ。
八雲紫とも深いつながりを持つ彼女とコネクションを作り、かつ彼女の接触を監視しこちらに驚異とならないようにする――それが私たちに課せられた仕事だった。
監視とは言っても四六時中おはようからおやすみまで見つめるわけではなく、活動時間の様子を監視するだけ。椛の担当。
だれと会って、可能ならどんなことを話しているのか、私の担当。プライベートにも少し突っ込んでいるような状況だ。
「その眼で監視している間、ほとんどと言っていいほどあなたがいるんですがねぇ」
「だから監視だって」
「寝てますよね」
「………」
ああもう、これだから生真面目な奴は――人のことを言えないが、私以上にこいつは頑固だ。
相手に腹を見せることで警戒心を解き、諜報をスムーズに行うという策が思いつかないのだろうか。
しかしまるで向こうがバカにしているかのような目で、驚くべきことを問いかけてきた。
「文さん、あなた、寝てる間に接吻されたこと、気づいてます?」
……はっ?
「えっ?なになに?あや、ちゅー?」
べろんべろんに酔って思考がまとまっていないらしいはたて。
「やっぱり完璧に寝てるじゃないですか。気付かないなんて」
ちょっと待って!接吻?霊夢が?わたしに!?
ふっと想像してしまう。霊夢が、無防備な私の顔にその口を近づけてくるのを。
あの私以上に黒くて艶のある髪が顔を覆い、立ちの整った霊夢の顔だけしか映らないようにする。
顔が、熱くなる。
「いやいやいや、まさかそんな……!」
「まぁ嘘なんですが。というかそもそも、私博麗の巫女とは一言も言ってませんし」
その言葉を聞き、はっと我に返る。
(乗せられた……!)
椛がにやにや、はたてが相変わらずわっはっはと笑い転げている。
「へぇ、そういうことなんですねぇ~」
謀ったな!謀ったな椛!
コイツはいい同僚だけど……くっそムカつく!
酔った勢いで暴言を浴びせ浴びつつ、宴もたけなわになったあとで私は宴会場を後にした。
体内にアルコールがたまっていたので燃料として幻想郷を飛び回る。
体の熱が未だ覚めない。いじらしい。
太陽が眩しい。いつの間にか日が昇っている。
下に博麗神社が見える。ここから山に帰るのは大変億劫だ。ここにお世話になろう。
「ふぁ……」
ああ、今日もだ。
なぜかはわからないが、この神社に来ると急激に眠気が襲ってくる。
決してお酒のせいではない。決して。
「ふあぁあ……」
私のが移ったのだろうか、同じくあくびをしながら掃き掃除をしている霊夢の姿が目に入った。
そっとそばの鳥居に降り立つ。鳥なだけに。
「おはよぉございます霊夢さん」
「もう昼だけどね」
こちらを見ずに挨拶を返すあたり、彼女の勘が鋭いものであることを知らしめてくれる。
いつごろから私に気付いているのだろう。毎回私のほうに目線を合わす前に気づかれているようだが。
そしてそのまま縁側へとなだれ込む。
ほどよく日の光に当たった縁側は気持ちよく温まっている。
「ふぅ……」
柱に背をかけてゆっくりする。疲れが襲ってきてだるだるになる。まさに「羽を伸ばす」という言葉通り、翼も遠慮なく出させてもらおう。
自宅以外でこんなに気を抜ける場所は、まさにここくらいなのだから。
「………」
妖怪なのに、なぜかこの神社に来るととても落ち着いた気分になる。
対の存在であるはずなのに、ここの巫女はそんな雰囲気を醸し出すことは、異変などの一時を除いてほとんどない。
警戒の必要もない。ただただ気を楽にして、眠りにつける。
「あーやーぁ」
声をかけられ、飛んでいた意識が半ば戻ってくる。目線の先にある霊夢の顔、結われた黒い髪が私の眼を釘付けにする。
いつのまにか霊夢が横でお茶を飲んでいた。気怠そうな声に反しその背筋はぴんと正しく真っ直ぐしていて、普段は隠れている彼女の教養深さが垣間見える。
霊夢は不思議な巫女だ。
博麗の巫女は全てにおいて平等とはいえ、ここまで妖怪に手をださないのは珍しい。
先代巫女はどんなのだったか。……そうだ、あの人、スペルカードがない時代に似合って結構な肉体言語主義だったからガンガン退治してた記憶がある。
というか霊夢より前の世代は結構真面目で、八雲紫以外の妖怪とはあまり付き合いがなかったはずだ。顔の広い私も、面と向かって話した機会は少ない。
対して、霊夢はとにかく無関心な人間だ。
異変を起こしたり機嫌が悪い時にちょっかいをかけなければ、よほどのことでない限り退治はされない。まぁそれが仇となって、この神社は妖怪神社と化してしまっているのだが……。
そんな霊夢のそばに集まる妖怪は多い。かくいう私もそんな一人で、ここに来る頻度が多かったりする。
カシャ!
「ぅへぁ!?」
聞きなれた音が自分に向けられたことで意識が覚醒する。
その方向を見ると、私のカメラがいつの間にかとられていて、しかも写真まで取られている。
……そういえば前に使い方教えたんだっけ。
「ぷくく……『うへぁ』だって!はははは!」
「ちょっ……なに撮ってるんですか!?」
霊夢がお腹を抱えて、頭の上を指す。
取り返そうと動き出すのと同時に、頭襟の上から何かが富んで行った感触がした。
「返してください!」
「まぁまぁ、少しは撮られなさいよ。ぷくく……!」
しかも笑いながら器用に取り返そうとする私の手を避ける。
寝起きでなければ、この程度の戯れなど……。
そのあと一瞬の隙をついて取り返した。
「まったくもう、許可もなく人を撮るだなんてひどいです」
「姿見でも持ってきたほうがいいかしら」
まぁなんとひどい言い草か。
許可はとっていますぅ。ただ私が早すぎて返事がもらえてないだけですぅ。
「しかしまぁ、巫女の住まいであるこの博麗神社で昼寝だなんて、最速の烏天狗も落ちぶれたものね」
「私としてはそれを許す霊夢さんのほうに問題があると思うんですが」
「減らず口をたたいてると追い出すわよ?」
「追い出す気もないくせによく言います」
案の定、霊夢は反論しない。わかりきったこと。
私がどれだけ長くここに通っていると思うのよ。
「ちょっと、本気で寝る気なの?」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい」
「……紫といい萃香といい、ここを宿と勘違いしているんじゃないかしら」
「少なくとも神社とは思われてないでしょうねぇ。この妖怪の寄り付き方じゃ」
間欠泉騒動の一件以来、お二人方とは何かと縁がある。主に霊夢絡みで。
誰のオプションをどうたらこうたら私が一番だどうたらこうたらと、子供顔負けの争いだった。
霊夢も霊夢で全オプション装備するとか言い出すし、異変解決時はいつもこうだったのかしらと思うほどのグダグダさだった。
……あの異変も、どれくらい前の話だったことだろうか。
「けど、ここまでくつろいでもいいとはいってないわよ」
「二日酔いも会議疲れも同じですよぉ」
「知るか」
こちらをちらりとも見ずに一蹴された。
相変わらず冷たい人だ。飲んで酔っているのは本当の話なのに。
「……大体、あんたこんなところで寝てていいわけ?」
「へ?別に今日は予定もありませんし」
しいて言えば日課もとい任務の監視くらいか。取り立てすることはないが。
だがそんな私の気楽さとは裏腹に、霊夢の鋭い視線が刺さる。
「監視、でしょ?わたしの」
「……はて?」
内心、ビクリとした。
取り合えず笑って誤魔化すが、彼女の前では何の意味をなさないのを私はよく知っている。
「とぼけてんじゃないわよ。白々しい」
やはり、効かない。
「これでもボロは出してないつもりで、まぁそもそも私はそういうつもりではなかったんですが、山としては否定しません。……いつごろお気づきに?」
ダメ元ながら、あくまで自分は無関係に装ってみる。
「アンタはまぁよかったとしても、遠くからずっと見つめられたらねぇ」
「遠くから?」
「千里眼って奴?あのよくアンタと一緒にいるワンコの……楓だか、笹だか」
「ああ、椛ですね」
犬走椛。いけ好かないやつだが、いい馴染みなのだ。できれば名前を憶えてやってほしい。
良くも悪くも職務に忠実な彼女だからそれこそ穴が開くほど真面目に監視していたに違いない。じっと。
「二人がかり見張られれば私じゃなくてもわかると思うけど」
「あやややや……」
「天狗様の意図はわからないけど、妙な気を込めた視線はほどほどにしてほしいわ」
しかし千里からの視線を感じ取るとは……実はこの巫女こそ本当の妖怪でなかろうか。
「というか監視ならばれないようにやりなさいよ」
「だから私は監視要員じゃないですってば」
「………」
騙しの肝は、あたかも本当であるように誤魔化し続けること。中途半端に折れてはいけない。
霊夢の目線が痛い。彼女の真直ぐな視線が私の心を探っている。
だが耐えるのよ射命丸文。何年彼女とやってきて、何年これからやっていくつもり?
「……まぁどっちでもいいわ」
何とか耐えた。千年被り続けた天狗の面は伊達じゃない。
そう安心した矢先、空間に突然裂け目ができ一人の妖怪が現れる。
「あら霊夢、天狗の口先三寸は信用ならないわよ?」
八雲紫――妖怪の賢者にして幻想郷の守護者を兼ねる一人。
その役割ゆえか、霊夢とかなり接触がある。互いに信用もあるようだ。
「少なくとも胡散臭さはアンタよりはマシよ」
「ひどいわ霊夢。私はこんなにもあなたを信用しているというのに」
ただその扱いは結構ぞんざいである。
いい年した大妖が泣きまねなど、霊夢か西行寺の亡霊前くらいでしか見せないだろう。
「で、何の用よ」
「いいえ、これと言って用はないけどね」
「じゃあかえれ」
先、霊夢は妖怪に手を出しにくいといったが、彼女はどうも例外のようだ。
なにかとすり寄ってくる紫を払う霊夢。どうもその行為が霊夢の機嫌の悪さに触れてるらしい。
こうしてみると、まるで年頃の娘が母親に反抗しているような図に見える。いや、どちらかというと子離れできない母親だろうか。しかし霊夢も気難しい年頃だ、反抗期があってもおかしくない。
……母親をほとんど知らない彼女にとって、八雲紫は母親の代わりになっているのだろうか。
そんなことを考えていると、奥から誰かがのっそりとやってくる。
(げ……)
私にそう言わしめたのは、酒瓶を持った鬼――伊吹萃香さんだ。
「れいむ~のも~」
「うわくっさ!アンタ昼間っからどれだけ飲んだのよ!」
「いやぁ、紫がいいお酒があるっていったからさぁ」
いや、実は神社に来た時から萃香さんがいることは長年の勘でわかってはいた。が、どうせ酔いつぶれて寝ているだろうと気にしていなかった。
面倒事に巻き込まれるのはごめんなので自分の気配を消しておく。もっとも、八雲紫が来たあたりから薄くはなっていたが……。
「紫ぃ?」
「たまにはいいじゃない、こうやって昼から飲むのも」
「お酒に時期は関係ないない。せっかくおいしい酒なんだし飲もう呑もう!」
「妖怪が昼から騒ぐなんて聞いたことないわ、全く」
だめだ、やめて。萃香さんと、しかもいいお酒でご機嫌な彼女と宴会なんて、飲み潰れる未来しか見えない。
いや、別に宴会が嫌いなわけじゃないんだけど、今の私は飲み明かしなのよ。
今そんな量を呑めば、確実にマスタースパーク間違いなし。
「そ、それじゃあ私はこれで」
三十六計逃げるに如かず、惜しいがここは戦略的撤退だ。
「あらぁ、つれないじゃない。飲み会は人がいないと」
そんな私の目の前にスキマが現れ、私の行き先を阻み、
「おぉい文ぁ、お前も飲んでいこうよぉ」
「あややや……」
後ろからは鬼の小さな手が肩にかかった。
霊夢、いや霊夢さん、助けてください……。
「霊夢さん助けてくださぁい!」
「良いじゃないの、アンタも飲んでいきなさいよ」
「えぇー……」
最後の望みも絶たれた……。そういえばこの人も結構な酒好きだったか。だからか時折こう誘われる事がある。
……しかし、彼女は静かに飲む方が好きだったはずだが。
日が暮れ始め、夕方になる。
ちゃぶ台の向こうでは八雲紫と萃香さんがなにやら盛り上がっている。こうしてみるとこの二人はかなり仲がいいようだ。ところどころに霊夢の話が飛んでくると、ちょろっと霊夢が口をはさむ。それを肴にまた二人が酒を飲む。
能力はあるがだらしない二人を親に持つ娘の夕食時のようだ。
……先考えたように八雲紫が子離れできない母親であるなら、萃香さんは飲んだくれの放任な父親なのだろうか。ちょっと嫌だ、と思ったのは内緒。
そして当の霊夢と言えば、二人の向かいにいる私のとなりでちびちびとお酒を飲んでいた。
ただ私は酒が進まない。鬼の手前でというのもあるが、昨日も結構飲んだため食欲ならぬ飲み欲が薄いのだ。
「ほら、アンタも」
「は、はぁ」
にもかかわらず、霊夢が私を見やり、大雑把な酌をしてきた。
「……ほんっと裏表激しいわね。萃香の前じゃその勢いもげっそり削げて」
「まぁ、上下関係の厳しい社会に属するとはそういう顔を持たなきゃいけないってことですよ」
「苦労するのね。もう鬼は地底に行ったんだからもっと気楽でいいんじゃないの?」
「あやややや、それがそううまくできないものですよ。百年単位の慣れというものは恐ろしいものです」
社会人でないあなたにはわからないでしょうけどね。
めんどうな社会。見栄と上っ面が占める社会。自由な巫女様にはわからないだろう。少しうらやましくもあり、哀れにも思える。
しかし、なんだか言葉を交わす霊夢の機嫌がよろしくない。
結構な時を付き合っているとはいえ、彼女の逆鱗を未だに掴めないのは怖いところだったりする。
「その敬語、どうにかならないの?」
「敬語、ですか?」
どうやら地雷は意外なところにあったらしい。言葉遣い、それも敬語に対してとは。
「会議にでも出てるわけじゃあるまいし、普通に話してもいいじゃないの」
「いやまぁ、ここには萃香さんもいることですし」
「ここは酒の席」
「いや、でもですね」
幻想郷トップの賢者と元上司、この二人の前でタメ口を使うなど恐れ多い。
しかしそんなことで霊夢の腹が収まるわけはない。
「この際だから言ってやるわ。アンタが私に敬語使うって、すっごい気色悪いのよ」
「気色っ……!?」
「普段はなんとなく話してくるくせに、取材でもなく敬語使ってくるなんてうすら寒いの!」
そういうことを何のためらいもなく吐き出してくるのはやめてほしい。……いやまぁ、幻想郷の大半は躊躇わない奴らだが。
たしかに新聞記者は罵倒の的になるから慣れている。
それでも、あなたに言われるのだけは辛い。耐え難い。
「だから、私と話す時は敬語はなしね」
「別に敬語でもいいじゃないですかぁ」
「ここは私の神社、私が主人よ。主人の言うことに従いなさい」
彼女はいっつも、自分勝手、マイペースだ。しかもその自由奔放さは周りを容易く巻き込む。その奔放さに、皆惹かれるのだ。
私も、その一人。
「……はぁ、霊夢らしい横暴だわ」
「そうそう、それでいいのよ」
「何の意味が、あるのやら」
私らしい、か。
人間相手には結構記者としての顔がメインだと思っていたんだけど、霊夢にとってはそうでなかったのか。
一杯に注がれたお猪口をこぼれないよう突合せる。なかなかいい音がした。
「はぁ……」
くいっと一気に飲み干して、力を抜いて壁に背を預ける。
ああ、やっぱりここは落ち着く……。
ちらっと横の霊夢の顔を見る。
先ほどの不機嫌さは消え、ゆったりとした彼女の顔に戻っていた。何よりだ。
小さい体齢十くらいのくせに、巨大な力を持った人間。
周りには無関心で、なにかあっても自分の振舞いたいように動く奴。
妖怪である私を追い払うことなく接してくれる、本当にお気楽な巫女。
(ほんと、よくわからない子)
だから、私はこの人が気になるのかもしれない。
椛がいいキャラしてて嬉しかった
文は来るべき日が来たときにははたしてどういう選択をするんでしょうか……
まあ「どちら」とせず両方の間を駆け抜けて別の道を探す方が「らしい」感じはしますが