Coolier - 新生・東方創想話

惑溺のテンプテーションリバース

2015/05/18 18:20:52
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↓こちらの惑溺のテンプテーションを既読前提のものです
http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/205/1431738018
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以下、惑溺のテンプテーションリバースを開始します





 計画に失敗して、もうすぐひと月といったところか。
 行き倒れていたところを彼女に拾われたのは、幸運と言えるだろう。
 気だるげにカップを温めながら、嘆息していると、玄関から物音が響いた。
「おかえり」
 帰宅した家主を、作り笑いを浮かべて出迎える。
「人形劇の評判はどうだった?」
 本心を言えば興味など欠片も無かったが、家主の機嫌を損ねたくは無い。
 体は癒えたが、ほとぼりが冷めるまで、放り出されるわけにはいかない。
 だから、記憶喪失などと騙って、ずるずると居ついている。少なからず迷惑しているようだが、天邪鬼として、彼女が嫌がる行為を読み取り、徹底的にそれを避ける。という手段により、追い出されないように立ち振る舞っている。
 悲しいかな天邪鬼と言う種族は弱い。それ故、あるがままに振舞えば、いとも容易く不快害虫のように駆逐されてしまう。適当なところで折り合いをつけねば生きていけなかった。
 故に、基本的に篭って研究をしている魔法使いという種族に拾われたのは、正邪にとってやはり幸運だった。彼女らの多くにとって、一番の興味は研究であり、その邪魔にならない者に対してはおおらか、言い換えれば無関心であるからだ。
 目の前でミルクティーで喉を潤し、満足げな笑みを浮かべる彼女――アリス・マーガトロイドに話しかける。
「随分とご機嫌なようだけど、何か良い事でも?」
「ふふ。まあね」
 軽くはぐらかされるが、おそらく劇の成功辺りだろう。
 というか、そうでなくては困る。
 居候という立場を継続するには、居ても居なくても良い。という訳にはいかない。居ても良い。くらいにはならなければならない。
 その為に、演出やらに口出しをして、助言等と言う吐き気のする行為までしたのだから。
「最近。そろそろ出て行け。とは言わないんだな」
 視線を逸らし、やや申し訳なさそうに振舞って見せながら尋ねると、アリスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「言われたい?」
「言われたら困る」
 暖かな寝床を失うのも、小槌の魔力の回収が落ち着くまでに、手荷物を外に出すのも困る。
 魔女の家だからか、正邪が所持していたアイテム達は、ここにある間は魔力を回収される気配がない。
 放り出され、すべてを失い、寄る辺も無い弱小妖怪の行く末など、ハエのようなものだ。
 内心で至るその結論に憮然としている正邪に、アリスが微笑む。
「でしょ? だから、もうしばらくは付き合ってあげるわよ」
「……ありがとう」
 思い通りに答えてくれて嬉しいよ。という言葉を飲み込む。
 ともかくこれで、明日明後日急に放り出される心配は無くなった。
 後は、落ち着いて次の手を考えていかなくてはならない。
 といっても、迂闊に外に出る事は出来ないし、幻想郷全体をひっくり返すようなアテもない。
 せめて針妙丸のように便利な駒を――。
 はたと気づき、内心で笑う。
 なんだ。このままでいいじゃないか。
 そんな言葉を飲み込んで、アリスに笑顔を向ける。
「後の予定は? お嬢様」
「今日はもう終わりよ」
 不意を突かれた様子のアリスは、目を瞬かせて答え、意地の悪い笑みを浮かべた。
「でもそうね。あなたを医者に連れて行く。なんてどうかしら?」
「勘弁。医者は嫌だ」
 そういう場所は情報も集まっているだろう。身元が割れては困る。
 記憶喪失などと騙っている以上、そこに誘導されるのは当然ではあるけれど。
「たまには外に出ないとキノコが生えるわよ」
「上海達がしっかり掃除してるから大丈夫さ」
 正邪の答えに、アリスは不満げに唇を尖らせて見せるが、それ以上言及して来る事は無かった。
 断り続けているし、いい加減諦めてるだろう。そもそも本気だったら無理やりにでも連れて行けば良い。
 それでも不満げに見せるのは、自分への軽いあてつけのようなものだろう。
 そう解釈していると。アリスがぽつりと零した。
「まあ、いいけどね」
「ん?」
「何でもないわ」
 取り繕うように立ち上がり、伸びをして研究室へ向かうアリス。その背中を見送って、正邪は口の端を少しだけ吊り上げた。




 それから数日、実験材料集めに出かけたアリスを見送り、正邪は久々に一人で羽を伸ばしていた。
 まあ、とは言え、周りには人形の目が常にあるし、どこから伝達されているかも良く分からないので、多少気楽にごろごろしているに過ぎないのだが。
 適当に茶の準備をしてから、魔力の篭った道具達を確認する。
 やはり、魔力回収の影響を受けていない。
 付喪神化の影響も無かった様子だし、おそらくこの家自体に何かしらの細工をしてあったと見るべきだろう。
「僥倖だ」
 魔力の安定が進んでいる。このままいけば、便利な道具として自分の力となってくれるだろう。
 ますますもって追い出されるわけにはいかなくなった。
 上機嫌でアイテム達を仕舞いなおし、ベッドの下に押し込んでいると、外から話し声が聞こえてきた。
「ん? 妖精か……?」
 悪戯に不法侵入しようとするかもしれない。まあ、アリスの人形達が有る程度対応すると思うが、念のために自分が手を打つ準備はしておこう。
 そう考えて、声のする窓の影に隠れる。
「でさー。白黒魔法使いが泥だらけになってて」
「なんか割りといつも通りって感じもするわね」
 漏れ聞こえる会話に耳を澄まし、その内容を把握して、内心で胸を撫で下ろす。
 どうやら、通りすがりか何かで、井戸端会議をしているに過ぎないらしい。
 外の連中への興味を失い、ベッドに横になろうかとしかけて、再び窓の影から盗み聞きを始める。
 妖精か妖怪か分からないが、外に出れない現状を考えると、多少なりとも外の状況を把握するのには繋がるだろう。
 そう考えての行動だったが、5分、10分と過ぎるにつれ、どんどん面倒になってくる。
 会話の内容は声の主たちの身の回りの出来事であり、特に目立った情報が得られる気配はない。一介の妖精や妖怪が、社会情勢などを語るものでもないとは思うが、心底興味の無い他人の生活についてなど、面白いものでも無い。
 このままこうしているのも辛くなってきた時、正邪の耳に少し以外な言葉が入ってきた。
「そういえば、あの噂聞いた?」
「妖怪の賢者がどうのってやつ?」
「そうそう。指名手配とか、かっこいいよね」
「もしそうなったら、私達も捕まえにいかない?」
「でも異変の黒幕なんてかないっこない気がするけど」
「噂だとそいつ自体は弱いらしいけど」
「本当? じゃあ、頑張ってみようかなぁ」
「ちょっと楽しみね。でもそろそろおやつにしない?」
「そうね。頑張るのはおやつの後でいいわ」
 その会話を最後に、声は遠ざかって行き、内容が聞き取れなくなる。
 正直その後の会話は正邪としても興味も惹かれないし、どうでも良かったが、最後に聞き取れた会話の内容が問題だ。
 妖怪の賢者、指名手配、異変の黒幕。
 それらの単語から、自惚れを差し引いても、凡そ自分の事で間違いは無いだろう。
(まずいな)
 事が思ったより大きくなり過ぎる。
 噂そのものとしての広まりは既におきているだろうが、今の所自分の特徴その他までは流布されていない様子だ。
 だが、本当に指名手配とまでなれば、いくら引きこもりがちな魔女とは言え、その話は耳に入り、アリスが気づくのも遠くは無い話と予想出来る。
 そうなってしまうと、本格的に匿ってもらわなければならない。それも、すべてを知った協力者として。
 逃げるにしても、行くあてなど無い。正邪が逡巡している内に、玄関が開く音が響いた。



「おかえり」
 用意しておいたタオルをアリスの髪にかけてやる。
 霧の湖は、名前通り年中霧が見られる場所だ。
「ありがと」
「どういたしまして」
 それほど濡れなかったにしても、体が冷えると見て良いだろう。
 家主へのポイント稼ぎは必要な作業だ。
「霧の湖を飛ぶとやっぱり冷えるわね」
「思ったより濡れてきたみたいだけど」
 通り雨に降られたような姿が気にかかり、訳を聞いてみると、アリスは肩を竦めた。
「チルノよ。氷の妖精の。他の妖精と弾幕ごっこしてたみたいだけど、流れ弾がね」
「あ~あ。まあ、怪我が無くてなにより」
 うっかり怪我でもして誰かに運び込まれたら、自分が見つかってしまうかもしれない。
「チルノも悪い子じゃないんだけどね。やっぱり妖精だから」
「頭が悪い。と」
「有り体に言えばね」
 妖精だしそんなものだろう。自然の一部であるあいつらが複雑な何かを考え目指すのは、妖精という自己を否定しかねない行動でもある。
「お待たせ」
「ありがとう。着替えたら頂くわ」
 用意しておいたジンジャーティーを差し出し、内心で嘆息する。
 欲求と逆の事をしたり、させたりするのが、天邪鬼の本分だ。
 だから、相手が望んでいるだろう事を嗅ぎ取るのは、正邪には難しい事ではない。だが、それを叶えているという現実は、はっきり言って気持ちが悪い。
 にやけ笑いを浮かべて上機嫌なアリスを見ていると、適当な罵声の一つでも浴びせてやりたくなる。
 とはいえ、刹那的な衝動に流されて、今の宿を失うわけにはいかない。
「ああ、結局パチュリーの所に顔を出せなかったわ」
「ずぶ濡れで尋ねるわけにもいかないし、仕方ないんじゃないか」
 アリスの言葉に思考を打ち切り、適当に相槌を返す。
「ん。そうね。まあ、ちょっと気になる噂もあるし、明日改めて行って来ようと思う」
「ふぅん。気になる噂って?」
 先ほどの立ち話を耳にしていたお陰で、凡そ見当はつく。そして、このアリスの様子から言って、まだ詳細までは出回ってないのだろうという推測を、強く確信した。
魔理沙が変な事を言ってたのよね。あいつが重い腰をどうのとか、レアなお宝がどうのとか」
 お宝という単語に、正邪は内心で首を傾げる。
 自分が所持しているアイテムが、今も小槌の魔力をまだ保持しているのは、おそらく自分以外は知らないはずだが……。
「まるでトレジャーハンティングみたい」
「全くね。まあ、具体的に何も分からないから、何か聞いてないかと思って」
「直接魔理沙から聞いたらダメなのか?」
 あの白黒魔法使いがどこまで知っているのか? というのは、正邪としても気になる事柄ではあるが、アリスはにべも無く首を振った。
「それはイヤ」
「意地っ張りなお嬢様だ」
「まあ、魔女の嗜みよ」
 それ以上食い下がるのを諦めて肩を竦める。どうせ対抗心か何かだろう。無理にせっついて心証を下げる必要は無い。
「ねえ」
「ん?」
 空になったカップを手の中で転がしていたアリスに呼びかけられるが、しばらく待っても彼女から次の言葉が発される様子は無かった。
「どうかした?」
 正邪が何か外で自分に関する話を聞いてきたのかと警戒するが、アリスは逡巡の後、誤魔化すような笑みを浮かべて言った。
「やっぱり、何か呼び名を決めない?」
 内心で安堵しながら、いつもの断り文句を言う。
「別に良いじゃない。二人だけなんだから」
 正直適当な名前を付けられても微妙だし、外で自分の話がうっかり出るようなのもなるべく避けたいので、適当に断っていた話だ。
「でもほら、客人が来た時とか、困るでしょ?」
「その時は私が席を外すよ」
「もう。社交性が低いんだから」
 拗ねるように頬を膨らませるアリスに、正邪は苦笑を浮かべる。
「私はアリスだけでいいからさ」
 ちょっとしたリップサービスを兼ねた言葉に、アリスが膨らませていた頬を主に染める。
「そういう言い方はずるいわよ」
「ふふ。褒め言葉にしか聞こえないな」
 笑って流し、正邪はカップを洗いに席を立った。



 翌日、再び霧の湖に出かけたアリスを送り出し、椅子に腰掛けながら正邪は思案に暮れていた。
 やはり現状としては、このままアリスをどうにかして、潜伏を継続するのがベターだろう。
 本格的な指名手配となり、似顔絵なり何なりが出回る前に、アリスを説得しきらなければならない。
 自信が無い訳ではない。ようは、針妙丸を煽った時のように、情と信用を稼ぎきれば良いのだ。
「問題は、時間だ」
 拾われてからこっち、この宿に潜伏し続ける為、こまめにポイントを稼げているとは思う。
 正直、ほぼ面識が無い野良妖怪と自分なら、間違いなくアリスは自分を信用すると踏んでいる。
 だが、アリス・マーガトロイドは、八雲紫や博麗霊夢と面識がある。
 アリスが彼女らとどれほどの信頼関係を築けているか、そして、それを上回る信用を得られるか?
 不確定な要素が多すぎる。
 だが代案も無い。
 アイテムだけ持って飛び出す方が危険度が高いのは間違いない。
 なら、やるしかない。
(アリスの中での、お前達と私の信用をひっくり返す)
 正邪は奥歯を噛み締め、声に出さずに宣言した。


「おかえり」
「ただいまよ」
 昨日と同じようにタオルをかけられたアリスは、随分と気落ちした様子だった。
 まあ、原因は一目瞭然、昨日に輪をかけてびしょ濡れなせいだろう。
「随分とひどい有様だけど」
「メイド妖精に水をひっかけられたのよ」
「まあ、不運が続くこともあるさ」
「もう、他人事だと思――くしゅっ」
 着替えの最中に出た小さなクシャミを耳ざとく聞き付け、正邪は気遣わしげな表情を作ってアリスの顔を覗きこむ。
「風邪か? 濡れて帰って来るから」
「昨日今日と続けてだし、可能性は否定できないわね」
 少しとろんとした眼差しを見せるアリスに、正邪は内心で歓声をあげる。
 運が向いてきたと思った。何せ、体調を崩している者は精神的に弱くなりやすい。
「少し、熱っぽいかな」
 額をくっつけて検温しているフリをする。医学知識など無いし、そもそもこの方法で計る体温など当てにならないが、相手の視界いっぱいに距離を詰め、気遣いを見せるには効果的だ。
「顔も赤い。今日はもう寝た方が良い」
「こ、これはちょっと違くて」
 息がかかるほどの距離で心底心配そうに声をかけ、何事も無かったかのように離れる。下心の類に勘違いされない為の予防線だ。
「無理は良く無い。昨日も遅くまで研究していただろう。体は資本だ」
「むぅ……」
「どうかしたか?」
 頬を赤らめて不満げな顔を見せるアリスに、しれっと尋ねてやるとアリスは拗ねるように視線を逸らした。
「……別に」
 悪くない反応だ。この調子で距離を詰めていこう。
「大丈夫?」
「……お茶が飲みたい」
「用意しておくよ」
「ん」
 その要望に笑って頷くと、アリスは気だるげにベッドに潜りこんで行った。
 そして、すぐに寝息を立て始めたアリスに、そっと忍び寄る。
 といっても、先も言ったように、正邪に医学知識など無い。だから、いわゆる風邪の対処法と間逆の事を処置しておく。
 そっと布団を持ち上げ、布団の中の熱を外に逃げるようにし、乾ききっていないアリスの髪に、あまり絞ってないタオルを載せ、水気を補充する。
 本当に些細な悪戯レベルの処置を済ませてから、約束したとおりにお茶を用意した。
 それら作業を終えてから、アリスの隣に座り、その手を握って、いつ目覚めても良いようにスタンバイする。
 すぐに目を覚ます事も無いだろうと、のんびりしているうちに、正邪は気づけばうとうとと睡魔に誘われていた。



 妖怪が生きる為の箱庭、幻想郷。
 そこに居てなお、天邪鬼という種族は住み辛かった。
 天邪鬼の本分は嫌われる事であり、嫌がられる事であるが、幻想郷は妖怪の数に対して土地が狭すぎる。
 だからこそ、人間達が力を蓄える事なく、檻の中の家畜のように育まれ、バランスを保っているのだが、この土地の狭さは、妖怪同士の生息圏に影響をもたらす。
 大抵の妖怪なら生息圏が重なっても、共存していくものだが、天邪鬼はその中において、極めて弱く、迫害されうる存在だった。
 当然だ。嫌われるのが生業なのだから、それと仲良くしようとする者はそうそう居ない。
 力の強い妖怪に嫌われればあっさりと殺される。さりとて、嫌われるのを放棄すれば、それは既に天邪鬼ではない。
 だから、天邪鬼は幻想郷に居てなお、妖怪として己の存在意義を全うする事が難しかった。
 アリスは正邪の角を見て鬼の一種だと思っているようだが、狭義での鬼は、天邪鬼にとって大敵とも言える。
 嘘をつき、騙し、相手を陥れ、あざ笑い、嫌われるのが本分である時点で、真っ向勝負を望む鬼に好かれる要素など無いに等しい。
「反逆するのは、正邪にとっても正義なんだよね」
 馴染みのある声に視線をめぐらせると、そこには手乗りサイズの小さな人影があった。
「ええ、そうですよ。だから、今は協力してるんです」
「今はそれでいいよ。私は小人族の名誉を取り戻す」
 自分の体ほどもある小槌を抱きしめるようにして語る彼女の姿に、正邪は言い知れぬ既視感に襲われた。
「でも正邪、私が為政者になっても、天邪鬼の自由は約束出来ない」
 小さな彼女は、その愚直さに見合わぬ。決意の輝きを瞳から放って、絞り出すように言葉を重ねた。
「天邪鬼の本分は、和を乱す事でしかない」
 彼女は天邪鬼という自分の、数少ない理解者だっただろう。
「すべてが終わったら」
 利用されている事を覚悟して、自分を利用する事に決めたのは、英傑の血筋による豪胆さかもしれない。
「正邪。私は正義の為にお前を討つ」
 もっとも、大義そのものが、正邪が用意した偽りと気づかなかったのは、お人好しとしか言えないが。
「構いませんよ。私は何度でもひっくり返します」
 意志と関係なく発された自分の言葉に、ようやく、これが過去のやり取りであった事を思い出す。
 正邪の言葉に、彼女は少し寂しそうなな笑みを浮かべるも、すぐに表情を引き締め、力強く頷いた。
 確かこのとき、自分はこう思った。
 正義を言葉通り『正しい意義』とするなら、天邪鬼は逆らう事こそが正義。その正義を認めない世間一般の正義とは、天邪鬼の存在そのものを認めない。そんな傲慢な正義など、クソ食らえだ。と。



 過去の夢から醒めると、既に部屋はかすかな月明かりに照らされるのみの、暗闇だった。
 ぼんやりとしたまま、手の中の体温に導かれるように視線を彷徨わせる。
 自分を見つめているアリスに気づき、ようやく現状を思い出した。
「体調はどう?」
 微笑んで尋ねると、アリスは少し辛そうに頭を振った。
「……ダメね」
「お茶、淹れなおしてこようか?」
「今はいい」
 短い返答のまま、そのまま熱に潤んだ眼差しを注がれる。
 微笑んだままの正邪の手が、きゅっと握り締められた。
「なんだか、嫌な夢を見たの」
「奇遇だね。私もだよ」
 嘘ではない。正直、思い出して気分が良いとは言えなかったし、信頼や理解を得るのは、天邪鬼として喜ばしいとは思えない。
「何故か、寂しくて」
 アリスが不安そうに瞳を揺らす。
 正邪としても、ここまで踏み込めていたのは、正直予想外だ。
「いる?」
「いるよ」
 短く答え、優しく微笑んでみせる。
 会心の手ごたえを感じていた。
「……いる?」
「ここにいるよ」
 繋いだ手を握り返し、重ねて答える。
「隣にいるよ」
「ずっと居てね」
「ずっと居るよ」
「ウソじゃない?」
「鬼は、ウソを嫌うものだろう?」
 功を焦って見透かされたかと、一瞬戸惑ったが、角を指して笑ってみせる。
「……そうよね」
「大丈夫さ。私は絶対にアリスの味方だよ」
 顔を寄せ、耳元で囁くように告げてやると、アリスはそっと目を閉じた。
「ありがとう……ね」
 再び夢の世界に没していくアリスに、正邪は一人ほくそ笑んだ。



「治りかけだからな。養生しておけ」
 三日三晩が過ぎ、凡そ回復したアリスにそう言い付け、正邪はその傍を離れた。
 この三日間、正邪はこれまで把握してきたアリスの性格から、的確な距離を取ってきたつもりだ。
 一人で過ごし慣れた者の多くは、過ぎた干渉を嫌う。そして、自由を優先した結果、温もりを蔑ろにし、気づかぬ間に飢えて行く。
 だから、干渉したいという欲求は知らぬ間に蓄積している。干渉されるのを嫌がるが、干渉するのは好む。という実に面倒な状態になっていて、それだからこそ、自由に甘えられる都合の良い相手に弱い。
 効果は出ていると思う。スキンシップとしてのボディタッチには、多少の照れを見せるが、抵抗する様子は全く見られない。
 この様子なら、快気次第、次のステップに踏み込むべきだろうか、と漠然と思案に暮れる。
「ねえ」
「ん?」
 不意にアリスから声を掛けられ振り向くが、目が合うと少し慌てたように視線を逸らす。
「何か話してくれる?」
 何か、と言われても難しい話だ。
 自分は記憶喪失と言う事になっているし、この家から外にも出ていない。
 逡巡し彷徨った視線が、上海人形で止まる。
「んー……完全な自立って何だろうな?」
「私の研究の事?」
 まさしくその通りだったが、研究について語られても、長くなりそうだし面倒だ。
「いや、単純に、言葉通りにだよ。自立、自由、独立。誰かの影響を受けないものなんてあるのかな」
 答えの出そうに無い問いに切り替えると、アリスが苦笑を浮かべる。
「随分と哲学的ね」
「かもしれない」
「誰の影響も受けないには、誰とも触れ合わないのが一番確実よね」
「それはそうだろうけど」
 生物、特に他者の感情を食らう妖怪には無理な注文だ。
「エネルギーを得る為には食事をしなければならない。食事をするには、植物なり動物なりを犠牲にしなければならない。で、あるならば、行動そのものが一人で行うものであっても、行動のエネルギー源である他者の犠牲が無ければそもそも行動出来ない」
 アリスがすらすらと歌うように語り、再び苦笑を浮かべる。
「そこまで関連付けるのは既に屁理屈か哲学よ」
 確かに屁理屈だろう。しかし、それは現実として事実でもある。
「影響を受けるのも、与えるのも、仕方の無い事なんじゃないかしらね」
「そんなものかな」
 曖昧な返答をする正邪に対し、アリスが柔らかく微笑んだ。
「そんなものよ」
 アリスに言い切られ、正邪は内心で憮然とした。
 正邪のひっくり返すという野望を曖昧な物と言われた気がしたからだ。




 アリスの熱も下がり、平時と変わらぬ生活を送り始めて数週間が経った頃。
 正邪は蝕むようにアリスへの誘惑を重ねていた。
「調子悪そうだな。今日は休むか?」
「ありがとう。でも、もう少しだけ……」
「さっきから全く手が進んでいないじゃないか。無理をするな。スランプは誰にでもある。焦らずゆっくり進めればいいよ」
「……そうね。ありがとう」
 頷くアリスに正邪は満足げな笑みを浮かべ、その手を取った。
「今日のおやつはリンゴにしよう。たまには新鮮なままで食べるのも良い」
 ここに至るまで、正邪としては仕掛けるには性急だったと思っている。
 しかし、余裕があまり無いと判断出来たし、多少のギャンブルには目を瞑った。
 たとえギャンブルに失敗したとしても、正邪の手法は、悪意の有無を追及出来ぬものだ。
 ただひたすらに優しく腐らせる。
 決してアリスを不快にさせない。そして同時に、成長も促さない。
 現状のアリスを全て肯定し、何一つ否定しない。
 生き物は、肯定される事に、認められる事に喜びを感じる。
 そして逆も然り、否定されるなら、認めさせるか、否定し返すようになる。
 天邪鬼は本質として、嫌がられるのを好む。
 否定し、否定し返されるのが正しい有り様だ。
 だから、見える。
 アリスは今、自分の中で、自分を否定しあっている。
 甘い腐敗に甘んじていく自分と、進化の為にそれを叱咤する自分。
 個人の中での意見対立は精神を疲弊させ、与えられる腐敗に縋る。
 そうすればそうするほど、叱咤する内なる声が強まる。
 不快感にもだえるアリスの心は、とても甘美だった。
 この時期の姿を見るのは、本業ではない正邪にも、苦労の甲斐があったと思える。
「ちょっと疲れているんだよ。気にする事は無い」
 理性との争いに疲れ、もたれかかるように寄り添うアリスの頭を、正邪は優しく撫で、微笑を浮かべる。
「そうかも……しれないわね」
 ひと時の安らぎに、虚ろな視線を彷徨わせるアリス。外から響く雨音と一緒に、彼女の心が少しずつはじけていくのが見える。
 現状を引き伸ばした方が楽しいのは間違いないのだが、生憎あまり悠長にはしていられない。
 現時点でもほぼ堕ちたと言えるだろうが、さらに確実なものとする為、正邪はアリスの耳元に顔を近づける。
「大丈夫だよ。アリスはとてもステキな人だ。私が保障する」
 雨音が強くなり、すべてを洗い流していく。アリスの心と一緒に。
「……ありがとう」
「ずっと私はこうしていたいよ。二人でね」
「……私もよ」
 強い安堵から、抱きつくようにもたれ掛かるアリスを受け、正邪は一瞬だけ、会心の笑みを浮かべる。
 ――堕ちた。
 そう確信し、表情を繕ってから、そっとアリスの前髪を掻き分け、その肩を抱き寄せ――。
 玄関からノックの音が響く。
「おーいアリス! いるんだろ!?」
 あの白黒魔法使いめ、良い所で邪魔をしてくれる。と内心で舌打ちをしながら、苦笑を浮かべてアリスの顔を覗きこむ。
「――お客さん。だね」
「そうね……」
 欲心と気恥ずかしさの入り混じった顔のアリスだったが、まだ僅かな理性の色が見られる。
「開けないと、蹴破られちゃうかもしれないわ」
「ん。分かった」
 無理に制止しても、アリスの言葉通りの事態になるのはまずい。
 それに、今のアリスなら、手配の仔細を知った所で、自分を売るような真似はしないだろう。
 そう計算して、大人しく身を離す。
 正邪が寝室に入って間もなく、アリスが魔理沙に応対する。
 やり取りを盗み聞きする必要は無いだろう。後で聞き出せば良い。
 むしろ不測の事態に備えて、隠れておくべきだ。
 ベッドの下から自分の手荷物を引っ張り出し、窓に手をかける。
「――でさー」
「あははは。バカみたい」
 外から聞こえてきた声に、舌打ちする。
 屋根の上にでも隠れていようと思ったが、この雨の中、外に出ているアホな妖精がいるらしい。
 見つかれば騒ぎになるのは容易に想像できた。
 どうする? ベッドか、クローゼットか、どちらかに身を――。
「なっ――」
 背後から扉が開く音と、聞き覚えのある声。
 思ったより早い。宝探しの嗅覚はさすがと言うべきか。
 再び舌打ちし、わざとゆっくりと魔理沙に歩み寄る。
「お、お前――」
「やあ、久しぶりだな。霧雨魔理沙」
 口をパクパクして驚きを表す魔理沙に、正邪は歩みを止めずに余裕げな笑みを浮かべてみせる。
 本音を言えば余裕など全くない。
 魔理沙の口封じなど試みれば、成功したとしてもアリスは協力してくれないだろうし、最悪この場で捕縛されかねない。
「何でお前がアリスの家に居るんだ!?」
「知りたいか? 知りたいよな? それはな――」
 だから、今打てる手は、ただ一つ。
 言葉の途中で魔理沙の肩を掴み、一気に引きずり倒した。
「うわっ」
 逃げの一手だ。
 バランスを崩して倒れかける魔理沙をかわし、正邪は外へ向けて走り出す。
 もう少しで手駒と安定した住居が手に入ったというのに、邪魔な白黒め。
 内心で罵倒し、玄関で呆然としているアリスを慌てて避ける。
「くっ」
 現状への理解が追いついていないアリスを見て、やはり篭絡は成功していたとはっきり確信するが、継続しての潜伏は不可能だ。
 もったいないが、仕方ない。
 きっぱりと諦めて、雨の中に飛び出す。
 魔法の森を走って、走って、びしょぬれになりながら、足を動かし続ける。
 空はまずい、珍しいものではないが、目立つのは確かだ。
 そこそこの距離を走り、手近な木に体を預け、空を仰ぐ。
 手配書は出回りきっているだろう。手駒を得るのは難しそうだ。
 荷物を抱きかかえ、座り込む。
「ふん。上等だ」
 お前達が否定する私が、お前達を否定してやる。
 都合の良い楽園に群れ、無意識に排斥してきた連中に降伏などしてやるものか。
 胸中の苛立ちと共に唾を吐き捨て、降りしきる雨の中、正邪は嘲笑った。
もったいぶった割りに大した内容でなくて申し訳ありません。
リバースじゃない方でも記載しましたが、続きは予定していません。救いがないので。

お付き合いいただきありがとうございました
ゲスロリの今後の活躍にご期待下さい。
鳴海ナルミ
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コメント



0.460簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
他人と関わりながら自分を持とうと思えば結局騙すというか演じるというか営業になりますのですかね
ゲスっちゃゲスですけどそう考えたら皆そんなもんですし、人に受け入れられない信念や価値観を持つなんて案外大したことないのかも知れませんね
単に恥と罪悪感がなく逆に人を馬鹿にし軽蔑している、それ以外は殆ど普通の人と同じなのかも知れません
他人と生きていくことは単に一種のビジネスに過ぎず、人と接することも所詮営業に過ぎないのかも知れません

精神的自由なんて単に罪悪感と恥を感じず見下す相手が何処かにいれば良い
その程度のものかも知れない

正邪頑張れ!
6.40名前が無い程度の能力削除
完全に個人的感想でしかないのですが、どうしても被害者意識が先に立って、読んでいて気分が悪くなってしまいました。騙されるのはいいんですが、嘘を吐かれるのは気分が悪いというか。
また、最後まで読んでも「正邪が加害者でした、アリスが被害者でした、終わり」という印象しか浮かびませんでした。「加害者としての正邪」を軸に書いたなら当然なのかも知れません。
多分、人物の描写や関係のリアルさなどは上手いんだろうなとは思います。
8.80名前が無い程度の能力削除
頭が良い悪いとコミュニケーション能力は別物だからなー
アリスは永夜抄でも不測の事態には魔理沙に窘められるほど狼狽してたし自分で主張するほど精神強くなさそう
他人に興味を持たず生きてきたアリスには精神攻撃を主とするさとりや正邪タイプは鬼門なんだろうね
9.50名前が無い程度の能力削除
アリスの感情の落としどころも、読者の感情の持っていきどころもなかったのでこの点数で
物語としてはどうしても途中で終わった様な印象がぬぐえません
10.90名前が無い程度の能力削除
良いように利用されて…アリスかわいそう
11.80名前が無い程度の能力削除
精神力があるやつが騙されると厄介
行動力と度胸があり頑張るからミスも派手にやらかす
案外自分は自分と割り切っている場合精神力や優秀さの割に世間から距離をおいていることもあるから
現実でも優秀なやつがアッサリ騙されたりするし無駄に行動力があるせいで面倒なことになることは多々ある
永夜抄は本来ビビるのが正解で魔理沙の余裕は幼さ未熟さの成せる技だし