5月といえば鬱である。
五月病とはなんという流行病だろうか。僕なんかここ最近一歩も部屋から出ていないというのに罹ってしまったらしい。
いやだからこそなんだろうけど。
しかも今日はあいにくの雨。
外に出るのが億劫になるのはもちろんのこと、部屋の中にいても、雨の音が聞こえ、孤独を感じるものである。
この雨が作物を育てるのだろうとも思うのだけれど、窓をみればしとしとと雨の音がより大きく感じられて、ますます陰鬱な気分となる。
外の世界では五月初頭に祝日が集まっていて、ゴールデンウィークなどと呼ばれているらしいが、幻想郷の住人には祝日がない。いや、あるにはあるが外の世界ほどはない。お盆と正月ぐらいのものだ。外の世界の人間は多忙だというが、祝日は不思議と向こうの方が多い。休みでもなければやっていけないほどに毎日が大変さなのだろうか。最近はクリスマスだのバレンタインだの外の世界の多種多様な行事が伝わり流行っているが、里のお店はそんな事情で休むことなく、平常営業だった。よそはよそ、であり、仕事は仕事、というわけである。まあどこぞのゴールデンな髪の娘は祝日ということで店は閉めて遊びに出ていたようだが、(というかずっとうちに遊びに来ていた)あそこは毎日が祝日みたいなものであるので数えるべきではない。
だがもうそんな頃合いも終わり、五月半ばである。外の世界もこの先はしばらく休みのないようで、里もそんなお遊びムードは一旦とぎれて、畑仕事に精をだしていることだろう。
しかし、今日は雨の日。五月雨。みんなは一体何をして時間を潰しているのだろう。当然家からでなければ知ることは出来ない。僕、森近霖之助はコーヒーでも飲みながら本を読むことにした。
当然こんなお日柄の悪い時に店を訪れるような人がいるはずもなく、香霖堂は今日も閑古鳥である。
店はとても静かで、いつ置いたのかさえ忘れた古時計の音が、雨音をかき分けて時を刻み続けていた。
もう午後なのだろうか、時間の感覚が全く狂ってしまった頃、不意に表から音がした。
コンコン、と戸を叩く音のように聞こえたが、こんな雨の日に来る客がいるはずもなし、鳥かなにかだろうと無視を決め込んだ。
すると今度はドンドン、としっかりと扉を震わせるノックが始まったので、仕方なく本を閉じて戸を開けに行った。
一体こんな雨の中誰が来たのだろうか。魔理沙ではないだろう。だとしたらノックしないし。霊夢か、それとも稗田のところのお嬢さんだろうかと考えながら戸を開くと、そこには予想外の人物が笑顔で立っていた。
「こんにちは。お久しぶりね。」
花の大妖怪、風見幽香だった。
一瞬ぽかんとしてしまったが、笑顔のまま鋭い目線を投げかけられ、僕は慌てて彼女を招き入れた。
「まったく。こんな雨の日に客を外に立たせておくとはね。そんなんだから店が潰れるのよ。」
そんなことを言いながら彼女は店に入った。濡れた傘を持ったままで。外の傘立てはゴミ箱と勘違いされたのだろうか。
「こんな雨の日だからこそ来客なんて考えもしなかったんだよ。だいたい店潰れてないし。」
「あ、そうなの?
看板がボロかったからてっきりもう潰れてるのかと思ったわ。」
言いながら傘の水を払う。
一応先を外に向けてやってくれているのはわずかな良心のようだが、水はほとんど店内に散っているので結局は無駄である。
「で、一体何用なんだい?」
「何用?」
ふいに笑顔が消える。鋭い目だけが残ってこちらを見ていた。
バッと傘の先が僕に向けられた。ビームかなにかが出るのかと思ったが、幸い消し炭になることは無かった。
「コレの修理よ。」
僕が傘を修理している間、彼女は店の中を物色していた。この傘は特注品で、日傘でありながら雨も防ぎ、UVカット100パーセント、そして弾幕まで防げてしまう優れものである。まあ、その高機能のかわりに定期的に修理が必要なわけだが。主に最後の用途のせいで。
「相変わらずどれもこれもガラクタばかりねぇ。違いが分からないわ。」
彼女は「プランター」とかいう穴の開いた土入りのバケツを眺めていた。植物を育てられるらしいのだが種を植えても全く育たないので放ってある。
「失礼な。どれも正しく使えば役に立つものばかりだよ。」
「使い道を知っていても使い方を知らなければ使いようがないでしょう。そういうものをガラクタというの。」
耳に痛い。
「その点この傘は優秀ね。傘としての機能を全て備えてる。」
「銃として使うのは傘の使い方ではないと思うよ。」
「傘に穴をあけてそこから銃で打つと自分には返り血硝煙その他余計なものが飛んでこないのよ。体を清潔に保ちたい犯人御用達の品、推理小説なんかではよくある使い道だわ。」
よくあるか、それ…?
と思いながら修理の仕上げに入る。そもそもここまで雨傘として使って来たことから分かる通りたいして壊れているわけではないのだ。骨組みの若干の歪みを直して、開くところに油をさせば終了である。
「はい、どうぞ。」
ちゃんと柄の方を向けて渡した。
「はい、どうも。」
ぱっと傘をとると、彼女は少しそれを傾けて眺めた。もう何十年もやっている修理だ。不備もあるまい。トントンと床をつつけば、室内にくぐもった音が響いた。コクリと頷くと傘を持ち直し、顔を上げる。どうやらご満足いただけたようだった。
「お代はあげないわ。」
「せめてこっちにいらないと言わせてくれ。」
「あら、言ってくれるつもりだったの?」
「………。」
「ケチくさい奴ね。やっぱりガラクタ集めがピッタリだわ。」
彼女は外来の「テレビ」なるものに腰掛けた。
「こんな黴の生えたとこにいたら腐っちゃうわ。たまには外に足を伸ばしたら?」
「無縁塚には行くけど。」
「そうじゃないわ。暇なんだから、機会あらば普段行かない所を訪ねてみるというのがいいのではないかしら?」
「嫌だね。特に行くあてもないし、行く理由もない。」
「行くあても理由もない。へぇ、そうなの。」
ああ、すごく嫌な目だ。こういう時の彼女は非常に面倒である。目だけでこちらを睨みながら、口元が少し釣り上がっている。微笑みが恐ろしい。何か悪いことでもしたかな。
「教えてあげるわ。何もしないというのも立派な罪なのよ。」
心を読まれたのかと少し驚いたがそんなことはないようだった。なおと思いたい。
僕が気まずそうに目をそらすと、彼女は何か思いついたかのように手を打って、商品棚に向き直った。
「そうね、あなたにはこれをあげましょう。」
そういって幽香が指差すと、プランターに一輪の黄色い花が咲いた。
「あとこっちはお代ね。」
といって何かをポケットから取り出す。それはいくつかの小さな種だった。
「あれはすぐ枯れるわ。養分も何もあったもんじゃないもの。次使うなら、ちゃんと土を入れ替えることね。」
なるほど、土の方が枯れてたのか。謎が一つ解けた。
「そっちの種まきは9月ごろね。ちょっと拗ねやすいひねくれ者だけど、ちゃんと育ててやれば、綺麗な赤い花が咲くわ。」
手元の種をみる。たった数粒しかない。これではちゃんと咲かせられるのはせいぜい一本ぐらいだろう。なんでまた僕に育てろというのか、と思いつつ顔を上げると、彼女は既に店を出て行こうとしていた。いつのまにか雨は止んでいた。
「じゃあ、またね。」
戸の閉まる音がする。雨音はもう消えていて、静寂に時計の音だけが響く。
ふとプランターに目がいった。たった一輪の黄色い花。僕はようやくその花の種類に気づいた。
それはカーネーションであった。
なるほど、まったく気づかなかった。色こそ違うが、その重なり合った花弁は雄弁に自分の名を主張していた。カーネーションとは思いの深い花である。しかしどうしてこう黄色いと、嫌味ったらしく、目に染み付くように思われるのであろうか。何か苦々しい思いにとらわれる。
ふとその気になって、傘を取り出し、外に出てみた。外の雨音は一段と激しい。彼女の姿はもう見えなかった。看板を見上げてみると、なるほど風雨にさらされだいぶ傷んでいる。
店名も読みづらくなっており、特に「香」の字は随分と霞んでしまっていた。
香霖堂。
この看板を掲げたのはいつだっただろうか。僕の人生で見ればつい最近のことなのに、随分と昔に思える。そろそろ看板も新しくした方がいいだろう。
店の中に戻る。早くも黄色いカーネーションは萎れ始めているように見えた。窓横の小棚の上に飾って、貰った種は袋のままその横に置いておく。忘れないように9月頃とメモを添えた。来年こそは、この花を携えて、少し無縁塚から足を延ばすとしよう。
次はちゃんと会いに行くからさ、母さん。
五月病とはなんという流行病だろうか。僕なんかここ最近一歩も部屋から出ていないというのに罹ってしまったらしい。
いやだからこそなんだろうけど。
しかも今日はあいにくの雨。
外に出るのが億劫になるのはもちろんのこと、部屋の中にいても、雨の音が聞こえ、孤独を感じるものである。
この雨が作物を育てるのだろうとも思うのだけれど、窓をみればしとしとと雨の音がより大きく感じられて、ますます陰鬱な気分となる。
外の世界では五月初頭に祝日が集まっていて、ゴールデンウィークなどと呼ばれているらしいが、幻想郷の住人には祝日がない。いや、あるにはあるが外の世界ほどはない。お盆と正月ぐらいのものだ。外の世界の人間は多忙だというが、祝日は不思議と向こうの方が多い。休みでもなければやっていけないほどに毎日が大変さなのだろうか。最近はクリスマスだのバレンタインだの外の世界の多種多様な行事が伝わり流行っているが、里のお店はそんな事情で休むことなく、平常営業だった。よそはよそ、であり、仕事は仕事、というわけである。まあどこぞのゴールデンな髪の娘は祝日ということで店は閉めて遊びに出ていたようだが、(というかずっとうちに遊びに来ていた)あそこは毎日が祝日みたいなものであるので数えるべきではない。
だがもうそんな頃合いも終わり、五月半ばである。外の世界もこの先はしばらく休みのないようで、里もそんなお遊びムードは一旦とぎれて、畑仕事に精をだしていることだろう。
しかし、今日は雨の日。五月雨。みんなは一体何をして時間を潰しているのだろう。当然家からでなければ知ることは出来ない。僕、森近霖之助はコーヒーでも飲みながら本を読むことにした。
当然こんなお日柄の悪い時に店を訪れるような人がいるはずもなく、香霖堂は今日も閑古鳥である。
店はとても静かで、いつ置いたのかさえ忘れた古時計の音が、雨音をかき分けて時を刻み続けていた。
もう午後なのだろうか、時間の感覚が全く狂ってしまった頃、不意に表から音がした。
コンコン、と戸を叩く音のように聞こえたが、こんな雨の日に来る客がいるはずもなし、鳥かなにかだろうと無視を決め込んだ。
すると今度はドンドン、としっかりと扉を震わせるノックが始まったので、仕方なく本を閉じて戸を開けに行った。
一体こんな雨の中誰が来たのだろうか。魔理沙ではないだろう。だとしたらノックしないし。霊夢か、それとも稗田のところのお嬢さんだろうかと考えながら戸を開くと、そこには予想外の人物が笑顔で立っていた。
「こんにちは。お久しぶりね。」
花の大妖怪、風見幽香だった。
一瞬ぽかんとしてしまったが、笑顔のまま鋭い目線を投げかけられ、僕は慌てて彼女を招き入れた。
「まったく。こんな雨の日に客を外に立たせておくとはね。そんなんだから店が潰れるのよ。」
そんなことを言いながら彼女は店に入った。濡れた傘を持ったままで。外の傘立てはゴミ箱と勘違いされたのだろうか。
「こんな雨の日だからこそ来客なんて考えもしなかったんだよ。だいたい店潰れてないし。」
「あ、そうなの?
看板がボロかったからてっきりもう潰れてるのかと思ったわ。」
言いながら傘の水を払う。
一応先を外に向けてやってくれているのはわずかな良心のようだが、水はほとんど店内に散っているので結局は無駄である。
「で、一体何用なんだい?」
「何用?」
ふいに笑顔が消える。鋭い目だけが残ってこちらを見ていた。
バッと傘の先が僕に向けられた。ビームかなにかが出るのかと思ったが、幸い消し炭になることは無かった。
「コレの修理よ。」
僕が傘を修理している間、彼女は店の中を物色していた。この傘は特注品で、日傘でありながら雨も防ぎ、UVカット100パーセント、そして弾幕まで防げてしまう優れものである。まあ、その高機能のかわりに定期的に修理が必要なわけだが。主に最後の用途のせいで。
「相変わらずどれもこれもガラクタばかりねぇ。違いが分からないわ。」
彼女は「プランター」とかいう穴の開いた土入りのバケツを眺めていた。植物を育てられるらしいのだが種を植えても全く育たないので放ってある。
「失礼な。どれも正しく使えば役に立つものばかりだよ。」
「使い道を知っていても使い方を知らなければ使いようがないでしょう。そういうものをガラクタというの。」
耳に痛い。
「その点この傘は優秀ね。傘としての機能を全て備えてる。」
「銃として使うのは傘の使い方ではないと思うよ。」
「傘に穴をあけてそこから銃で打つと自分には返り血硝煙その他余計なものが飛んでこないのよ。体を清潔に保ちたい犯人御用達の品、推理小説なんかではよくある使い道だわ。」
よくあるか、それ…?
と思いながら修理の仕上げに入る。そもそもここまで雨傘として使って来たことから分かる通りたいして壊れているわけではないのだ。骨組みの若干の歪みを直して、開くところに油をさせば終了である。
「はい、どうぞ。」
ちゃんと柄の方を向けて渡した。
「はい、どうも。」
ぱっと傘をとると、彼女は少しそれを傾けて眺めた。もう何十年もやっている修理だ。不備もあるまい。トントンと床をつつけば、室内にくぐもった音が響いた。コクリと頷くと傘を持ち直し、顔を上げる。どうやらご満足いただけたようだった。
「お代はあげないわ。」
「せめてこっちにいらないと言わせてくれ。」
「あら、言ってくれるつもりだったの?」
「………。」
「ケチくさい奴ね。やっぱりガラクタ集めがピッタリだわ。」
彼女は外来の「テレビ」なるものに腰掛けた。
「こんな黴の生えたとこにいたら腐っちゃうわ。たまには外に足を伸ばしたら?」
「無縁塚には行くけど。」
「そうじゃないわ。暇なんだから、機会あらば普段行かない所を訪ねてみるというのがいいのではないかしら?」
「嫌だね。特に行くあてもないし、行く理由もない。」
「行くあても理由もない。へぇ、そうなの。」
ああ、すごく嫌な目だ。こういう時の彼女は非常に面倒である。目だけでこちらを睨みながら、口元が少し釣り上がっている。微笑みが恐ろしい。何か悪いことでもしたかな。
「教えてあげるわ。何もしないというのも立派な罪なのよ。」
心を読まれたのかと少し驚いたがそんなことはないようだった。なおと思いたい。
僕が気まずそうに目をそらすと、彼女は何か思いついたかのように手を打って、商品棚に向き直った。
「そうね、あなたにはこれをあげましょう。」
そういって幽香が指差すと、プランターに一輪の黄色い花が咲いた。
「あとこっちはお代ね。」
といって何かをポケットから取り出す。それはいくつかの小さな種だった。
「あれはすぐ枯れるわ。養分も何もあったもんじゃないもの。次使うなら、ちゃんと土を入れ替えることね。」
なるほど、土の方が枯れてたのか。謎が一つ解けた。
「そっちの種まきは9月ごろね。ちょっと拗ねやすいひねくれ者だけど、ちゃんと育ててやれば、綺麗な赤い花が咲くわ。」
手元の種をみる。たった数粒しかない。これではちゃんと咲かせられるのはせいぜい一本ぐらいだろう。なんでまた僕に育てろというのか、と思いつつ顔を上げると、彼女は既に店を出て行こうとしていた。いつのまにか雨は止んでいた。
「じゃあ、またね。」
戸の閉まる音がする。雨音はもう消えていて、静寂に時計の音だけが響く。
ふとプランターに目がいった。たった一輪の黄色い花。僕はようやくその花の種類に気づいた。
それはカーネーションであった。
なるほど、まったく気づかなかった。色こそ違うが、その重なり合った花弁は雄弁に自分の名を主張していた。カーネーションとは思いの深い花である。しかしどうしてこう黄色いと、嫌味ったらしく、目に染み付くように思われるのであろうか。何か苦々しい思いにとらわれる。
ふとその気になって、傘を取り出し、外に出てみた。外の雨音は一段と激しい。彼女の姿はもう見えなかった。看板を見上げてみると、なるほど風雨にさらされだいぶ傷んでいる。
店名も読みづらくなっており、特に「香」の字は随分と霞んでしまっていた。
香霖堂。
この看板を掲げたのはいつだっただろうか。僕の人生で見ればつい最近のことなのに、随分と昔に思える。そろそろ看板も新しくした方がいいだろう。
店の中に戻る。早くも黄色いカーネーションは萎れ始めているように見えた。窓横の小棚の上に飾って、貰った種は袋のままその横に置いておく。忘れないように9月頃とメモを添えた。来年こそは、この花を携えて、少し無縁塚から足を延ばすとしよう。
次はちゃんと会いに行くからさ、母さん。
傘越しに撃っても硝煙は付くのではなかろうか。雨(水)が匂いを溶かす事は有りそうだが
こういうお話だから仕方ないのかもしれませんが、もっと霖之助の味を出せるともっと面白くなると思います
練り込みと厚みが足りなかったか。
精進します。
それを踏まえて読み返してみるとなるほど確かにこれ上京した息子のところに突然やって来たおかんだw
一度で二度と楽しませていただきました。