一、
昔、霊夢はひどい泣き虫だった。
霊夢がまだ博麗の巫女なんて呼ばれてなくて、私もただの道具屋の娘だった、幼い頃のことだ。
私たちはその頃からよくつるんで遊んでいた。他に年の近い子供もおらず、私たちは姉妹のように共に過ごしてきた。あるいは実の姉妹よりも多くの時間を共有してきたのかもしれない。
その時は、それが当たり前だと思っていた。
霊夢は気が弱く、いつも私の背中に隠れているような奴だった。そのせいか私は霊夢のお姉ちゃんのつもりで、偉そうに色んな事を知ったかぶり、色んな所に引っ張って歩いた。だから霊夢の泣き虫っぷりは一番よく知っており、度々呆れさせられてきた。
霊夢は実に何でもないことですぐに泣く。道で軽く転んだだけで泣き、私と少しはぐれただけで泣き、またはひとりでトイレに行けないのだと言って泣いた。
あの頃は、妖怪などは目を合わせただけで泣き出してしまうほど、霊夢は弱虫だったのだ。
ある時は、なんで泣いているのかわからないこともあった。
それは私たちが二人だけで、里の近くを流れる川に遊びに行った時のこと。とても暑い日で、私は川の中に入れない霊夢を置いて、どんどん深い方へ進んでいった。
ふと振り返ると、川岸で霊夢が泣いていた。しまった、置いて行かれたと勘違いしたのだろうと思った。私はすぐに引き返した。私が悪かったと謝った。だけど霊夢は泣き止まず、私は途方に暮れてしまった。
寂しかったのかと聞いたら、違うという。泳げないのが恥ずかしいのかと聞いたら、それも違うという。訳が分からなくて、こっちの方が泣きたくなった。
結局、その日は泣いている理由が分からず、私は泣き続ける霊夢をあやしながら神社に送っていった。神社からは先代の巫女が出てきて、いつもありがとうと霊夢を引き取った。私は、いいえついでですからと、誰かの口真似をした。霊夢の泣き声は、段々小さくなっていった。
後日、改めてなんで泣いたのかを霊夢から聞いた。いわく、川が怖かったのだという。なんでと聞くと、何故かわからないが怖いのだという。あれは流れも緩やかで浅い川だ。何がどう怖いのか、私にはわからなかった。仕方がないから、もうあの川には連れて行かないと約束した。
そんな風に怖がりで泣き虫だったものだから、私が霊夢を守ってやったことは何度もあった。霊夢が年長のいじめっ子からちょっかい出された時は、私が盾になって逃がしてやったし、妖怪が怖いという霊夢を背中に隠してやったこともあった。
その度に霊夢は、掠れるような小さな声で「ありがとう」と言った。私は霊夢の手を取って、強くならなければ駄目だぞ、と言った。霊夢はいずれ博麗の巫女になる。泣き虫のままでは駄目だ、私みたいに強くならなければ駄目だぞ、とお姉ちゃん風を吹かせた。
霊夢はうんと頷いた。
その後しばらくして、霊夢の博麗の巫女としての修業がはじまった。その頃には私も両親と折り合いが悪くなっていたのもあって、あまり霊夢と一緒に行動しなくなった。霊夢はつらい修行を積み重ねて力を蓄えていき、私は道具屋を飛び出して魔法使いの道を目指した。そうして時間が過ぎ、久しぶりに会った時には、霊夢はもう昔の霊夢とは違っていた。
今の霊夢は、異変が起きればひとりで解決に向かい、何もなければひとりで神社で過ごす、皆が知る博麗の巫女としての霊夢だ。話をしても弱々しさは見えないし、それどころか淡々としながらも自信に満ちているように見えた。幼いころのように道で転んだりはしないし、ひとりで平然とトイレに行き、妖怪には嬉々として針や札を投げつけた。
今の霊夢は私が守ってやらなければならない存在ではない。泣き虫だった霊夢はどこかへ行ってしまった。
私はそれを良いことだと思った。
二、
「宝探しをしましょう」
いつからか恒例になっていた、霊夢との弾幕ごっこの後の事だった。社務所の縁側に二人で並んで茶をしばいていると、隣に座っていた霊夢は唐突に言った。
私は視線で続きを催促する。詳細な説明が欲しい所だった。
「宝探しは宝探しよ。うちの蔵の奥にね、誰も知らないお宝眠っているのよ。一緒に探してみない?」
霊夢はさもいい考えだという風な口調で言った。
はあ、と私は息を吐いただけのような生返事を返す。
眉を吊り上げた霊夢が、ぐっと顔を近づけた。
「魔理沙ってばこういうの好きじゃない。お宝とか、貴重な品とか、マジックアイテムだとか」
「まあ、それなりにな。でも蔵なんて要はただの物置だろ。宝物庫ならともかく、そんな所に貴重なお宝があるのか」
「だから誰も知らないお宝、なんじゃない。宝物庫にあるものなら私が全部知っているわけだし」
なるほど。一理ある。得てして価値のあるものほど意外なところに眠っているものだ。
だけど。
「それじゃあ何で蔵に宝がある、なんて分かったんだよ。存在を知られてないなら有無もわかりようが無いじゃないか」
「それは……勘よ!」
「勘か」
「お告げよ!」
「お告げか」
私は一呼吸して、水飲みに口を付ける。冷たい。麦茶のようだ。霊夢は茶葉をけちって薄めに作っていたが、水がいいのか十分美味い。
顔を上げると、緩やかな風が吹いた。山の木々が騒めく。空が青い。私は新鮮な空気を吸い込んで一息つく。また、水飲みに口を付けた。
「本当はね……」
「なんだ。まだ続いていたのか」
「真面目な話なんだからちゃんと聞いてよ」
霊夢はじろりと睨み付けてくる。わかったよと私は肩を竦める。
いわく、蔵にあるお宝のことは、今は神社から離れた先代の博麗の巫女から聞いたらしい。
「私が先代からここを引き継いだときにね、その話を聞いたのよ。私がいつか十分に成長したと思えた時、その宝を探してみなさいって」
「ということはあれか。引き継ぎの最後の試練みたいなものか」
「ん?」
試練、という言葉を聞いた霊夢は、意外なほど反応を示した。我が意を得たり、というか、見事だワトスン君、というか。
にんまりと笑う霊夢はさらに顔を近づける。
「そう、試練よ。試練。代々の巫女に科せられし最終試験」
「つまりそれを終えていない霊夢は、まだまだ半人前だったってことだな」
「……私もいくつかの異変を解決してきたし、そろそろ挑戦しもいいかなって思ったわけよ」
ふうん、と私は唸る。実はまるきり忘れていて、今になって思い出しただけじゃないかとも思わないでもなかったが、口には出さない。ただ唸る。
「でもそれなら、霊夢が自分の手で見つけなきゃ意味ないんじゃないか。試験なんだろ?」
試験というのは自分との戦いだ。己が求められている力量に到達しているか否か、他人、或いは自分自身でそれを試し、測ること。今回の場合は博麗の巫女としての資質を測るのだから、霊夢個人の力量を試さなくては意味が無いのではないか、と思う。
だが霊夢は、してやったりとでも表現すべき顔を浮かべ、こんなことを言う。
「自分の手で打ち負かした下僕を使う分には問題ないわ」
「おいこら。その下僕っていうのは私のことか」
本日の弾幕ごっこは霊夢の圧勝によって終わっている。というより最近まったく勝ててない。妹分の成長を喜ぶべきか、不甲斐ない自分を憐れむべきか。
ご主人様気取りの霊夢は哀れな下僕に言う。
「どうせ魔理沙だって暇してるんでしょ。いいじゃない少しくらい手伝ったって」
「私は使われるのが嫌いなんだよ。とくに身近な人間に顎で使われるのは一等腹が立つ」
「別に顎で使おうってんじゃないわ。私もちゃんと動くし、ただ少し協力してって言ってるの」
ぴりっと、独特の緊張感が私たちの間に広がる。私もそう簡単に動くほど安くはないが、霊夢もなかなか強情だ。
霊夢はふと視線を逸らし、実に自分に都合のいいものを見つけた。手元に合った水飲みを持ち、くいと一口飲み込む。
「……このお茶。私が淹れたんだけどなあ。私の家の水で」
「汚いな。お茶で脅迫するのか」
「茶葉だって無料じゃないんだけどなあ。あんなにごくごく飲んでたのになあ」
霊夢はさも可哀想ぶって嘆き悲しむ振りをする。ああ、霊夢はついに恐喝を覚えてしまった。お姉さんは悲しい。だいたい茶葉は全部貰い物で、霊夢は一円たりとも出費していないことを私は知っている。それにお茶くらいなら私だって淹れることはあるし、宴会ともなれば食材も酒も全て他人に持ってこさせるのが博麗霊夢だ。
その手には乗らない。お茶ごときで買収されたりしない。
……だけど私は、自分の負けを薄々感じ取っていた。
「ねえ、お願いだから手伝ってよ魔理沙。……ね?」
霊夢は私の正面にやって来ると、下から見上げるようにして顔を向けた。上目遣いで唇を尖らせて、「……駄目?」などと可愛らしく聞いてくる。
まったく悪い奴だ。恐らく全部演技だろう。口の端が笑っているから簡単に分かる。霊夢を知る他の誰かに見せたって、こんな霊夢は偽物だとすぐに見破るだろうし、その心の内にあるだろう打算を警戒するはずだ。
こんな話に乗ったって碌なことはない。私にだってそれくらいは分かる。分かっているのに――、
やっぱり、私は霊夢には勝てないのだ。
「……まあ、博麗の隠し財宝ってのには興味あるな」
「本当? じゃあ――」
「手伝ってやるよ。だけど見つからなくたって私のせいにしないでくれよ」
霊夢はぱっと花が咲いたように笑った。現金なものだと思ったが、不思議と悪い気はしない。もちろん、癪だったから殊更に嫌そうな顔を作ってみせたが、それも長続きはしなかった。
思えば、霊夢が私を頼るなんていつぶりだろうか。博麗の巫女を引き継いだ霊夢は、何でも一人でするようになり、誰かを頼る事なんてしなくなった。どんなに危険な異変に立ち向かうときでも、自分から誰かの協力を仰ぐことなんて絶対なかった。
今、その霊夢が私を頼りにしている。そのことが私の気持ちを確実に高揚させている。
もしかして私は、もっと霊夢に頼られたかったのかもしれない――。
そんな考えが頭に浮かんで、私は慌てて首を振った。
三、
霊夢のいう蔵は神社の端の方にあった。博麗神社というのはもともと山の頂上に建てられており、四方は下る斜面に囲まれている。一方を幻想郷、人里のある方へ向かう斜面だとすれば、その反対は外界に繋がる結界、それらを挟んで本殿や社務所がある。
蔵はそういった主だった施設からは少し離れた、間欠泉のでた地下坑道の入口付近にあった。
蔵の前に立てばすぐ近くが斜面であるため、見晴らしは良い。とはいえ緑の山が続いているだけで何か珍しいものがあるわけでなく、殺風景とも取れる。私は後者に取る。何もないのは退屈である。
さてこの蔵。神社の本殿やらと比べるとものすごく古い。博麗神社は地震で倒壊して建て直された過去を持つが、どうやら端にあった蔵はその被害を免れているようだ。すべて木造の日本建築で、見るものが見たら歴史的価値を付与しそうで、中々威厳もある。
というか、蔵というより納屋である。
床は持ち上げずに地面から入口、室内までがすべて平坦で、恐らく物の出し入れを考えてそうしたのだろうと思われる。
私と霊夢は連れだって蔵もどきの中に入った。暗いが、外が晴天のため作業できないことはない。ただしうんざりするようなガラクタの山には少々目眩がするが。
「はじめに聞いておくことがある」
「なに?」
「最後に蔵の掃除をしたのはいつだ」
「えっ、蔵って掃除するものなの?」
あまりに本気で驚いたものだから、それ以上の追及はしない。
ただ、私の肩だけががっくり落ちる。
「まあいいさ。とりあえずこんな状態じゃ探し物なんてとても出来ないから、まずは蔵の整理をしよう」
「はあい」
気の抜けた声と共に、私たちは蔵の中の整理を始めた。掃除なんてするものなの発言は伊達ではなく、取りあえず邪魔なものをどんどん押し込んでいったような有様だ。霖之助のところから頂いたであろう電気ストーブや扇風機(電気が通っていないので使用不可)はまだいいとして、でんと鎮座するダルマ人形数体はどうしたことか。
「なあ、ここにはゴミしかないのか」
「そんなことないわよ。弾幕ごっこで使う針とか札とかは、いつもここに仕舞ってあるんだから」
「ということはあれか。お前はいつもゴミをばらまいて勝負してたのか」
なんともいい加減な巫女である。そんな巫女に負け続けている自分が情けない。
「そんなこといって魔理沙のところだって似たようなものでしょう。あんなゴミ屋敷、蔵だけなうちの方がマシよ」
「馬鹿いえ。うちにあるのは全部貴重なお宝なんだ。一緒にされちゃ心外だぜ」
「他人が見たらただのゴミだって話よ。うちにあるものだって価値を付けようと思えば付けられないこともないんだから」
不毛な言い合いをしながらも、私たちは手を動かす。とはいえどこから手を付けたらいいか迷う有様だ。
私はひとまず、大いに視線を奪うダルマ人形の一つに手をかけた。ちょんと押すと微かに揺らいで元に戻る。大きく押してみても、ぐらりと揺らいでまた元に戻る。
何これ、ちょっと楽しい。私は童心に返って幾度もダルマ人形と戯れた。
「……」
霊夢が睨んできたので、童心から卒業する。再び蔵の中の物を漁り始めた。大小様々な棚が並ぶ中、興味本位でそれらを突いてみる。小さな子供用の服などが出てくる。
それにしても本当に物が多い。こんな中からお宝を探し出すというのは中々骨だ。霊夢は親切な友を持ったことを幸いに思わなければならない。
そして私は、手近にあったひとつの小箱を手に持った。無論鍵など掛かっておらず、思うように箱は開いた。中には何か入っている。おおっ、何ともセクスイなそれは……。
「こぉらぁああ!! 何やってるのよ!!」
そうしてお宝は、再び封印された。
その後も暫く興味本位で適当に漁ってみたが、これでは埒が明かないということに私たちはようやく気付いた。取り敢えず蔵の中の物を外に出して、ひとつひとつ調べてみる必要があるだろう。
方針を決めた私たちは、まず大きめのガラクタを外に出すことにする。手始めに斜めに倒れていた箪笥を、二人がかりで持ち上げた。それほど大きくはないがしっかりとした造りで、そこらの安物には見えない。
「うっ、結構重いな。しっかり持ってくれよ」
「魔理沙こそ、途中で手を離したら許さないんだから」
浮き上がったそれを持って、私たちは蔵の外まで歩いていく。足元が見えないので慎重に歩かざるを得ない。こんな時、蔵の外へ出るのに段差がない事は幸いだった。段差があれば面倒は今より遥かに増しただろう。
そんなことを考えながら歩いていると、
「あっ」
霊夢が奇妙な声を発した。それ以上反応が無いので声をかける。
「どうした、霊夢」
「なんでもない。はやく運ぼう」
急かす霊夢に促され、私はしっかりと箪笥を抱え直す。少し急ぎ足で歩いて蔵の外まで来ると、持っていた箪笥をそっと地面に置いた。それからふうと一息ついて、霊夢の様子を見る。
霊夢は蹲って足の指を握っていた。
「霊夢、まさか」
「小指、ぶつけた。何かわかんないけど、硬いもの。がつんって、当たった」
「そりゃあ、聞いているだけで痛そうだな……」
霊夢はぶつけたであろう箇所をぎゅっと手で握った。痛いのは分かるが、こればかりはどうしようもない。泣き出してしまうかなと思ったが、霊夢はしばらく手を当てて、また、傷になっていないかを確かめると、すぐにひとりで立ち上がった。まずは小さいものから運び出そう、と言う。
「大丈夫か。すこし休憩しても」
「まだ何もしてないでしょ。傷にはなってなかったから何も問題ないわ」
霊夢はそう言って蔵の中に入っていった。もう痛がる素振りも見せないし、もちろん涙などまったく浮かべていない。それをごく自然のように振舞って、日常の風景にしてしまっている。
これがあの、少し転んだだけで泣いていた霊夢の今の姿だ。霊夢はもう泣き虫ではない。痛くない訳はないだろうが、それを堪える気力と忍耐を手に入れている。
「そうだな。私も早く終わって帰りたいし」
そうして私も、すぐに後を追って蔵の中に入った。
それから暫くして、私たちは蔵の中の物をすべて外に出し終えた。額には汗が浮かぶ。適度な疲労を感じつつも、私は蔵の中に収まっていた物たちをぐるりと見渡した。
こうして出してみると、改めて圧巻する量だ。大小さまざまな棚や小箱、ずらりと立ったダルマ人形、無造作にほっぽり出している針や札、季節ものの衣類などなど、生活品やガラクタが所狭しと並んでいる。
「感想は? 霊夢」
「大したことなかったわね」
「言ってろよ」
しかしこれでようやく本来の目的に戻って来られる。私たちは蔵の整理がしたい訳ではなく、蔵の中に眠っているというお宝を探しているのだ。
霊夢はさっそく出したものの中を探し始めた。私もそれに倣い作業を再開する。すぐ近くに合った一体のダルマ人形に手をやった。
そっと突いてやれば、揺らいでまた戻る。大きく押してやってもぐらりと揺らいで元に戻る。まるで人間の在るべき姿のようだ。倒されても倒されても立ち上がるダルマ人形。私はそれに……。
「……」
霊夢はじろりと睨んでダルマ人形を奪っていった。やれやれと肩を竦めて見せる。ほんの冗談だ。
霊夢は運び出したものの中にお宝がないかは自分が確認すると言って、私には蔵の中をよく探してみてくれと指示を出した。哀れな下僕はご主人様の言いなりになって蔵の中に入る。蔵はようやく床板が見えていて、外から差し込む陽光を反射して、少しだけ若返って見えた。
床板も蔵と同様かなり古いものだ。
「大体こういうのは、隠し部屋とか隠し通路とかがあるんだけどな」
博麗の先代巫女が最終試練として出すくらいである。ただ単に蔵の中に保管してあったとは思えない。どこかわかりにくい所に隠しているはずだ。
とはいえ蔵の壁は隠し部屋を作れるほど厚くないし、天井は屋根裏と梁がそのまま見えている。あるとすれば地下、この床板の下であろう。
私はそう思って床板に触れてみた。床も木板を敷いただけの全木造だが、軽く叩いてみれば、とん、と響く。与えた振動が何かに反射して増幅されたようだ。確信をもって床板の隙間を見ると、わずかだが昇って来る風を感じた。
やはりと思って蔵の外に出る。外周を回りながら、蔵の下部を観察していく。残念なことに床下へ繋がる穴は見つけられない。
「……問題は入り方だな。床を八卦炉で壊して入れば楽だけど、それじゃあお宝ごと破壊しかねない。床板を一枚一枚剥がして入るって方法もあるが、これは手間がかかり過ぎるし復旧も面倒……」
そもそも試練というのにそんな物理的な解決方法でいいのか、とも思う。というか巫女の引き継ぎのときにお宝のことも引き継がれているのなら、その度に床板が新しいものに更新されてしまうはずだ。しかし見た通り床は古い状態で保たれている。何かもっと別の方法があるに違いない。
それにそのお宝というものの正体も気になる。博麗の巫女が代々引き継ぐ隠し財宝。幻想郷そのものにも影響を与える重要な品ではないだろうか。だとすればそれはどういった物で、どんな力を持っているのだろうか。
考えながら蔵の周囲を歩いていると、また入口まで戻ってきた。何とも雑多なガラクタが私を迎える。しかしそのガラクタの中に霊夢の姿が見えない。
「あいつ、まさか逃げたんじゃ――」
自分から誘っておいて逃げ出すとは何たること、と一瞬思ったが、逃げるも何も霊夢の家はここである。蔵の外に出したものは後で元に戻す必要があるだろうし、私に帰られて困るのは霊夢だ。
お茶でも用意してくれているのだろうと結論付け、私も脳を休めることにした。ガラクタたちを弄り回し、霊夢が帰って来るのを待つ。棚や小箱の中は検められており、一応霊夢も仕事をしていたのだと感心する。
「しかし本当にガラクタだらけだな。よくもまあここまで要らないものを溜めこんで……」
倒れては起き上がるダルマ人形を突きながら、私は遊ぶ。ダルマ人形は数体ある。これだけ揃えたのだから、よほど好きだったのだろうと窺える。
そんなことをしている私の視界に、ふと気になるものが写った。地面に無造作に放り投げていたから気になった。こんな風に扱うのはよくないだろうと思って拾う。それは絵で、大きさは両手で持って違和感が無いくらいの普通の絵。ただ随分昔に描かれたのであろう、絵の具などを使わない水墨画だった。
絵は中央で左右に分かれており、片方には何か騒いでいるらしい人間たちの姿。もう半分は力強いタッチでうねうねと線が引かれている。人間の方には民家も描かれているから人里だろう。ならばこのうねうねは里の近くを流れる川に違いない。
そう、川である。
川と言えば思い出すのはあの小さい頃の霊夢。ただの川が怖いと言って泣き出した泣き虫の霊夢。霊夢は何かあるとすぐに私の後ろに隠れた。ぎゅっと私の服を握り、涙を溜めて震えていた。私は霊夢を守らなければいけないと思っていた。
でも、霊夢が博麗の巫女になってからそれは変わった。霊夢はもう泣き虫なんかじゃなくなって、私の助けは要らなくなった。足の小指をどこかにぶつけても泣かないし、今や弾幕ごっこでは完全に霊夢の方が上だ。
今の霊夢は、あの川を見て泣き出すだろうか。
絶対にあり得ないと私は思った。
「――ああ、洪水の絵ね」
突然後ろから声がした。振り返ると腰を屈めた霊夢が、私の持っている絵を覗き込んでいる。なんとなくばつが悪くなって顔を逸らした。
「結構たくさん死んだんだって、この洪水で。確か私の前の前の前くらいの巫女の時に、こういう大きな洪水があって……」
「じゃあこれは、そのときの絵なのか」
改めて絵を見てみると、確かに川は暴れまわっているように見えるし、里人は慌てふためいているように見える。絵は災害の記録として描かれたのだろう。ならばこれは、歴史的資料として大いに価値のあるものではないか。
「ところで霊夢。今までどこに行っていたんだよ。作業を放り出して」
「ん? 便所よ。大の方」
「……もう少し言葉を選んだ方が良いと思うぜ」
仮にも女の子なんだし。まあそれだけ気を許しているともとれるか。
「ちなみにうちは水洗便所です」
「誰も聞いてねーよ」
そんなプチ情報はどうでもいい。というか電気は通っていないのにやたら文化的だ。憎たらしい。
霊夢の方は一切気にせず話の続きをする。
「この川ね。実はこの山の麓から流れているのよ。水源はもっと遡らなきゃいけないけれど、川自体はすぐ近くにあるわ」
「じゃあ神社の方も危なかったのかな。いや、山の上だから関係ないのか」
「山の斜面がごっそり削られている所ならあるよ」
霊夢は蔵のある場所から一番近い斜面を指した。蔵から十数メートル程度の距離か。数本の木々が生えているだけで他には何もなく、斜面というより切り立った崖のようでもある。
私は少し興味を覚えたので行って覗いてみる。すると、確かに斜面の途中にやや削れたような不自然さが残っている。斜面が削れるくらいだから余程の大雨が降ったのだろう。
「それよりそろそろ休憩にしない? お互いに分かったことを話したいし」
一緒になって斜面を覗いていた霊夢は、やがて飽きてしまったのか背を向けてしまった。
相変わらずマイペースな奴である。
「そうだな。喉も乾いたし」
とくに反対する理由が無いので私もそれに続く。絵を元の場所にあった棚の中に戻して、既に歩き出していた霊夢の後ろを歩いた。揺れる後ろ髪をぼんやりと眺める。
前を歩く霊夢の背中は、ぴんとしっかり伸ばされており、足取りも実に堂々としたものだった。自分の家だから気を張るつもりもないだろうけど、それが自然となっているのに違いない。
少し猫背な自分の影をみて、私はこっそり姿勢を正す。
「さっきの」
声をかけても、霊夢の足は止まらなかった。
「川の洪水とか。全部自分で調べたのか。私なんか今まで聞いたこともなかったのに」
「……一応この神社を預かっている身だし、幻想郷であったことはなるべく知っておいた方がいいでしょ」
「そうだな。博麗の巫女さんだもんな」
霊夢は、まあね、と少し恥ずかしそうに言った。否定も謙遜もしなかった。
今の霊夢はあの頃のように幼くはない。自分で調べて、自分で考えて、そして行動に移すことが出来る。今の霊夢は、ちゃんと博麗の巫女なのだ。
そんなことは、私にだってわかっている。
私たちは、例の縁側で休憩に入った。
時刻は正午をとっくに過ぎ、陽気も相まってもっとも眠たくなる時間帯。私は縁側に腰かけて、足をぶらぶらさせながら雲の数を数えている。霊夢はいつの間にかいなくなって、少しすると急須に冷たい麦茶を淹れて現れた。私は悪いなと言って水飲みに注ぎ、ぐいと飲み干す。やはり薄いが美味い。
霊夢も同じようにして茶を飲み干すと、また自分と私の分とに茶を注いだ。
どうだった、と私の方から水を向ける。
「私の方は駄目ね。引き出しとか箱の中とか、片っ端から調べてみたけど、それらしいものは何もなかった」
「まあ、そうだろうな。何たって博麗の試練だ。そう易々と見つかるとは思えない」
また一口茶を含む。さも当然のように答える私を、霊夢がじっと見ている。霊夢はもう、私がある程度の答えを見つけたのだと見抜いている。
「多分、地下室の中だろうぜ」
私がそう言うと、霊夢の眉がぴくりと動いた。地下、という単語が引っ掛かるのだろう。まさかそんなものがあるとは思っていなかったに違いない。
「霊夢。あの蔵は木造だ。木造建築物の最大の弱点って何だと思う?」
私は敢えて煽るように言ってやった。霊夢がううむと首を傾ける。
「……火?」
「火もそうだが火なら誰だって気を付けるだろう。答えは誰にも気づかれずひっそりと建物を侵食していくもの――、湿気だ」
木造建築は湿気に弱い。湿気によって木材を腐敗させる菌やシロアリが発生するからだ。そのため古来より木造建築は湿気への対策、つまり通風を考えて設計されるのだが、その中でも建物の土台部分の湿気対策として有名なのが高床式だろう。床を持ち上げて換気をよくし、湿気による腐敗を軽減させる。古くからある木造建築物ほど、この高床式が採用されている。
ところがこの博麗神社の蔵の場合、すべて木造であるにも関わらず床は地べたに接しており、風通しが良いとはお世辞にも言えない。それなのに、蔵はこの神社の中でトップクラスの長寿を誇っている。
ならば床を上げるよりほかに、換気のための工夫があるに違いない。それが地下室の存在なのだろう。
「恐らく地下室は外に繋がっていて、そこから空気を取り入れているんだ。その証拠に床板の間からわずかだけど昇って来る風があった」
「ふうん。じゃあ宝はその地下室にあるってこと?」
「十中八九そうだろうな。だけど問題は入口だ。蔵の中にも外にもそんなものは無かったし、もしかしたら結構遠い所から空気を取り入れているのかもしれない」
空気の取り入れ口こそが地下室の入口と考えているが、だとしたら探し出すのは非常に困難だ。なにせ探索範囲が蔵だけから神社全体に広がったのだから。
霊夢もそれが分かったらしく、ため息交じりに肩を落とした。
「手間がかかりそうだし、今日の宝探しは終わりにしようか。蔵から出したものも何とかしなきゃいけないし」
「そうだな。今日は疲れたよ。裏の温泉入ってゆっくりしたい」
「まあそれくらいは許してあげる。でも見つかるまでは付き合ってもらうからね」
「わかってるよ。ったく」
舌打ちをひとつして、また水飲みに口を付ける。冷たい麦茶が喉を通って胃に運ばれていく。体の中に溜まった熱が引いていく。本当にいい水だと思う。
「美味いな……」
「そりゃあ私が淹れたんですもの」
「違う。お茶じゃなくて水が、だ」
残っていた茶を一息に飲み干す。少し気になったので訊いてみることにした。
「これ、井戸水なのか」
「え? 違うわ。うちの神社、放っておいても地下水が湧いてくるのよ。結構質が良いのが採れるの」
「へえ。いいな、それ」
ふふん、と自慢げに胸を張る霊夢。いわく水道管を引いて生活用水として利用しているらしい。
まあ温泉が出るくらいだから昔から地下水が染み出ていてもおかしくはない。うちからも地下水出ないかと少々羨ましくなる。
「……そうか。地下水か」
「どうしたの、魔理沙」
私は間欠泉が出たという方に顔を向けた。地底への道が開かれた時、同時に神社の近くから間欠泉が噴き出した。今でこそ整備されて温泉として利用出来るまでになったが、それは結構な威力を持っていたようで、地底への道を閉ざしていた地表の岩盤も吹き飛ばしてしまった。
よく神社が無事だったと思う。少し逸れていたから助かったが、直撃していたらまた建て替えを余儀なくされていただろう。
「熱湯が噴き出るってことはそこに大量の水があったってことだろう。地底世界には川も流れていたし、何でも雪も降るという。そりゃあ豊富な水源があっただろう」
「魔理沙……?」
霊夢は困惑の顔を浮かべて首を傾げる。霊夢は未だわかっていないようだ。それも仕方がない。私だって確証があるわけではない。ただ、霊夢風に言うなら、勘が働いた、というだけに過ぎない。
だけど私には、この勘をただの妄想として処理してしまうには、あまりにも条件が整いすぎていると思った。
なあ霊夢、と呼びかける。
「お宝。もしかして今日中に手に入るかもしれないぜ」
四、
私たちは暗い穴の中をゆっくり歩いていた。二人分の足音が長い洞穴に響く。
足元はそう悪くないが、こちらには旧都にあるような光源はないようだ。うっかり転んでもつまらないので、ミニ八卦炉で作った灯りを頼りに慎重に足を進めていく。
ひゅう、と脇を乾いた風が通り抜けていった。
「ねえ魔理沙」
後ろを歩く霊夢から、咎めるような声が聞こえてくる。
「なんでこんな道があるってわかったの」
霊夢は少し不機嫌そうだ。この場所の存在が想定外だったようで、私に先に見つけられてしまって不貞腐れているのだ。
少し気分がいい。中々そんな霊夢は見られないのだから。
私たちが歩いているのは、地下から地底世界へ降りる道、間欠泉の吹き出しによって露わになった地下坑道からの横道だった。坑道を素直に進めば嫉妬妖怪なんかがいる地底界の入口に出るが、その道の脇にはまた別の道もあったのだ。
神社を倒壊させた地震の影響か入口は塞がっていたが、逆に言えばそういう崩れているところを目指せばいいので入口を探すのは楽だった。八卦炉で瓦礫を飛ばして入口が現れると、霊夢は目を丸くして驚いた。
「そうだな。まず博麗神社の地下に莫大な量の水源があったというのはいいな。そいつは地表に染み出して生活水として利用されたり、あるいは地底の熱で沸騰して間欠泉として噴き出していた」
「それはわかってるわよ。でもなんで坑道に横道なんかが……」
繋がりが見えない、霊夢はそんな顔をしている。
私は構わず先を続ける。
「思うにあの地下坑道は最近できたものじゃない。弾幕ごっこも出来るような広さだ。きっともっと昔からあったのだろう。最近の間欠泉は、その道を塞いでいたものを取り除いただけだ」
「まあそうかもね。あんなに広いんだし。でもそれがこの横道と何の関係があるのよ」
「坑道が出来たのは、やはり水の浸食によるものだからさ」
恐らく間欠泉、あるいは水流の噴き出しは大昔からあったのではないか。地下水源はもちろん、かつての地底には地獄があった。地獄の都、灼熱地獄、そういった膨大な熱を持っていた地底は、今よりもっと水流の動きが激しかったはずだ。地表に噴き出すことも何度となくあっただろう。そうした水の動きによって地下坑道は出来たのだ。
「水流の吹き出しは昔からあった。そこで問題なんだが、普通そんな不安定な土地に神社を建てたりするだろうか。無人のものならともかく、幻想郷にとって重要な博麗の人間が住んだりするだろうか」
霊夢は少し考えるような素振りをして、やがて首を振った。
「普通はしないでしょうね。少し前の間欠泉はたまたま神社に影響が無かったから良かったけど、吹き出す場所が少しでもずれていたら神社も危なかった」
「だけど博麗神社ここに建っている。理由なんかは知らないけど、もしこの不安定な土地にどうしても住まなければいけないなら、誰だって工夫をするだろうな」
「工夫?」
「対策を立てるってことさ」
博麗神社は、いつ水流の噴き出しがあるか分からない場所に建っている。そしてその水流とは、大きな坑道を作るほど激しく、長く続いていたものだ。
だけど水流の噴き出しやすい場所、地下坑道の存在を予め知っていたらどうだろうか。このまま地表に噴き出すのは不味い。ならば、人はどうするだろうか。
「つまり私たちがいるこの横道こそが対策なんだよ。水流は坑道から地表に向かって噴き出している。だったら、その坑道に横穴をあけて、神社の方で噴き出さないように逃がすことも出来るだろう」
「ああ、噴き出す場所をコントロールするってことね」
最近の間欠泉があんなところから噴き出したのは、地震のせいで逃げ道が塞がっていたせいだ。水流は弱い所を探しあぐねた挙句、あの場所から噴出した。しかし、本来はこの横道を通り、別の場所に逃がされるはずだった。
「そして水流を逃がしていたこの横道こそがお宝への道……。この横穴はな、蔵の真下を通っているんだぜ」
霊夢から昔あった洪水の話を聞いたとき、霊夢はそのとき崩れたのだと言って山の斜面を見せた。それは蔵のある場所の近くで、蔵よりは低い位置にあった。その場所ももう崩れて塞がっていたけど、本来はそこから水を逃がしていたに違いない。
「蔵が先か横道が先かは知らないけどな、この道は蔵の換気にも使われていたんだ。水流の噴き出しと言ったって、そんな大規模なものは百年に一度あるかないかだろう。だったら普段は風が通るだけだし、換気にも丁度良かったはずだ」
そして博麗のお宝もそこにあると思っている。蔵の中にお宝が無いなら地下しかない。そして地下にこういう道が通っているなら、そこにあると考えるのが自然だ。
第一近くにこんな地下道があるのに、それ以外にも地下室を作るというのは、地盤の強度からみても問題だろう。
「じゃあお宝は……」
「もうすぐ、のはずだ。大分歩いてきたし、そろそろ蔵の真下まできているだろう」
そこで私たちは今までより開けた場所に出た。左右と上部が広くなり、巨大な空洞となっている。わずかだが昇っていく風もあるようで、やはり丁度真下に来ているのだと確信する。
霊夢の方を見ると、霊夢はぐるりと辺りを見渡して、何かお宝らしきものが無いか探しているようだった。私も同じように当たりの様子を観察する。お宝というくらいだから、その辺りに無造作に放ってあるわけではないだろう。
「あった。あれだ。社がある」
そして私は、この空洞の上部に古い社が建っているのを見つけた。岩の壁にぽつんと掛けられたような社。拵えは立派だがとても小さく、人一人がようやく入れるくらいの大きさだ。あの中に博麗のお宝が眠っているに違いない。
ふと気付くと、霊夢がこちらを見ていた。
「……なんか、ありがとね。魔理沙」
霊夢がはっきり聞き取れる声量で言った。意表を突かれて少々戸惑う。
「なんかって何だよ。なんかって」
「何て言うか、助かったというか」
霊夢は堪らず顔を逸らす。頬が赤く見えるのは気のせいではないだろう。
ふん。素直にこの私を褒め称えればいいものを。だが私は、自分の気持ちがはっきり高揚していくのを、巧妙に隠さなければいけなかった。
素直でないのはお互い様だ。
「まあこれで試験も終了だな。ほっとしたか?」
何となく気恥ずかしくなって冗談めかしに尋ねる。だが、不思議と霊夢からの反応はなかった。
どうしたのかと様子を窺うと、霊夢は空洞の上部にある社をじっと見つめている。無表情で、何を考えているかは分からない。
返事はもう二、三拍置いてから返ってきた。
「そう、だったわね」
「何だよ。もっと喜べよ。霊夢はもう立派な博麗の巫女さんだ。誇っていい」
この試練を終えたら、霊夢はもう一人前だ。後は自分の力だけで乗り切らなければならない。この神社は一人でやりくりしていかなければいけないし、異変だって一人で解決するだろう。私も本格的にお払い箱だ。
……いや。或いはもう、霊夢はとっくに一人前だったのかもしれない。ただ私が認めていないだけで、霊夢はもう十分ひとりでやれていたのかもしれない。だとすると、この試練に私を巻き込んだのは、私にそれを悟らせる為で――。
「昔、私は泣き虫だった」
霊夢がぽつりと呟いた。独り言のような、自分に言い聞かせるような声量だった。
「ああ、知っているよ。ずっと見ていたからな」
「いつも魔理沙の後ろに隠れてばかりで、一人では何もできなかった。私はそんな自分が嫌だった」
昔の霊夢は泣き虫だった。少し転んだだけですぐ泣いて、妖怪と目が合ってはすぐ泣いて、ただの川が怖いといってすぐ泣いた。いつも私の後ろに隠れていて、自分からは何もできないような奴だった。
私はそんな霊夢に強くなれと言った。私のように強くなれとお姉ちゃん風を吹かせて言った。
その度に霊夢はうんと頷いた。
「博麗の巫女になれば、私も変われると思った」
蔵の中にはダルマ人形があった。弾幕ごっこに使う針や札、季節ものの服など日常の品と一緒に、それは保管されていた。
倒されても倒されても、ひとりで立ち上がることが出来るダルマ人形。もしかして霊夢は、そんなダルマのようになりたかったのかもしれない。
私は、ただの道具屋の娘でいるのが嫌で、魔法使いの道に飛び出した。今も後悔していないし、それしか道はなかったように思う。でも、それは霊夢だってきっと同じで、泣き虫だった霊夢は、自分を変える為に立派な博麗の巫女を目指したのだ。
誰だって変わっていく。いつまでも同じままではいられない。寂しいと思ってしまうのは私の我儘……。私は霊夢も姉貴分としても、今の霊夢を受け入れる必要があった。
「じゃあ、さっさと一人前になってこようぜ。お宝はもう目の前だ」
これはきっと私の、霊夢の姉貴分だった私の最後の仕事。これでもう、私は霊夢のお姉ちゃん気分を卒業しなければいけない。そしてその事に胸を張らなければいけない。
そして私たちは、宝の眠るだろう社の前まで飛んだ。飛べば分かるが地下水道は本当に広い。そんな水道を使わなければいけないほど、ここの地下水源は猛威を振るったのだろう。
社の前に立つと、社はしっかり扉が閉められており、中の様子はよく見えなかった。だが、八卦炉の明かりを翳せば中に薄っすらと影が見え、何かが入っていることだけは確認できる。霊夢が社の前に立って扉を調べるが、結界の類は施されていないようだ。
「それじゃあ、いよいよお宝を拝ませて頂くとするか」
「何で魔理沙がそんなに嬉しそうなのよ。言っとくけど魔理沙にとっては何の価値もないものよ」
とは言っても蒐集家の血が騒ぐというもの。どうせ引き継ぎの時くらいしか使わないのだから、それまでの間は貸してくれてもいいじゃないか、とも思う。
そうこうしている内に霊夢が社の扉をそっと開いた。暗くてまだ中に入っている物がよく見えない。私が灯りを点けた八卦炉を霊夢に渡すと、霊夢は腕を上げてその影を照らし出した。ようやくお宝の姿が私にも見えてくる。
「えっ――」
思わず、息を呑んだ。一瞬それが何なのか理解できなかった。理解した後、何故こんなところにあるのかが理解できなかった。
どくどくと動悸が激しくなる。余り見たいものではない。過呼吸に似た症状に襲われる。やっぱりここに居たんだ――、霊夢がそんなことを呟いた。
蔵の地下、社の中に入っていたのは、白骨化した人間の死体だった。
五、
地上に戻ると、空はもう赤みがかっていた。流れる風に少しだけ冷たいものが混じる。私と霊夢は例の縁側まで戻ってくると、無言のまま腰を掛けた。
急須に入れた麦茶が温くなっている。かあかあと、どこかでカラスが鳴いている。急に喉の渇きを思い出した。
「明日も晴れそうだな。今夜は良い天気だろう」
私は急須から水飲みに茶を注いだ。器に口を付けたが、何となく躊躇って飲むのを止めた。
「そうね。蔵の片づけは明日でいいかしら。正直もう動きたくないわ」
「だな。仕方ないから明日も来てやるよ」
かあかあとカラスが鳴いている。私は空の端に一羽だけの影を見つけた。影は真っ直ぐに翼を広げ、迷いなく森の方へ帰っていく。
「温泉はやっぱりいいや。着替えも持ってきて無いしな。また今度にさせてもらうぜ」
「そう。入りたくなったらいつでも入っていいから」
私たちは互いに顔を合わせることなく、ぽつりぽつりと言葉を漏らした。何となく億劫だ。蔵の整理に身体を使ったせいで、少し筋肉痛になっている。恐らく、霊夢の方も似たようなものだろう。
或いは、一人前の博麗の巫女は、そんな俗な悩みなど持たないのかもしれない。
そう思うと、私はようやく尋ねることが出来た。
「……あの死体」
「なに」
「あれも博麗の巫女だよな。何代か前の」
「気付いてたの」
「気付くさ。着ているものを見れば誰だってわかる。この神社の地下にいたんだから当然、博麗だろうってこともな」
社の中にいた白骨死体は、白の小袖に緋袴を身に着けていた。昔は巫女も博麗だけだっただろうから、その巫女は博麗の巫女に違いないだろう。また、遺体が白骨化して相当年月が経っているようだったから、少なくとも最近の巫女ではないことがわかる。
「ついでにあれが自殺だってのもわかるぜ。社の扉には鍵は掛かっていなかった。逃げようと思えばいくらでも逃げられたはずだし」
「馬鹿。鍵は関係ないでしょ。あの巫女は死んだ後にあそこに入れられたのかもしれないんだし」
「それもそうだな」
即座に否定され、私は素直に納得する。どのみちやる気のない推理だった。
霊夢はそんな私に向かって軽く笑った。
「でも自殺、っていうのは大体当たりかな」
「大体?」
「あの巫女は生け贄になったのよ。地下から噴き出してきた水流を押し留めるために、自分から」
洪水の絵をおぼえている? 霊夢からそう言われて私は思い出す。蔵の中にあった一枚の絵。慌てふためく人里と、絵の半分を埋める川の増水。霊夢は、その洪水は危うく人里を飲み込みかねないほど危険なものだったと語った。
私はなんとなく話の先が見えてしまった。
「地下から逃がした水、だな」
「多分そうね。蔵の地下にあった地下水を逃がすための横道、それが魔理沙の言うような使い道だったとしたら、逃がした水は斜面を下って麓まで流れることになるわ」
「そしてこの山の麓には人里に繋がる川が流れている、か。じゃあ地下水の噴き出しが大きすぎて……」
地下水は蔵の地下を通って斜面を下り、人里近くを流れる川を下っていく。しかし地下水の噴き出しがあまりに多かったとき、それは川を増水させ、人里を飲み込みかねないほどの危機を生んだ。それがあの洪水の絵なのだ。
そして先に霊夢が言った生け贄の言葉を思い出せば、その災害に立ち向かうために博麗の巫女は……。
現在人里に、少なくとも私の耳に入るくらい有名な話として、過去の大洪水は語られていない。当然、その時に当代の巫女が何をしたかも伝わっていない。彼女は誰にも知られず、誰にも顧みられず、小さな社でひっそりとその生を終えた。
「霊夢は最初から知っていたんだな」
「何を?」
「宝の正体。社を開けた時、やっぱりって、そう言ってただろ」
「ああ……」
霊夢は少しばつの悪そうな顔をする。どうやら無意識の発言だったらしい。
「声がね、聞こえた気がしたのよ。蔵の地下から。私はここに居るって。誰が何で呼んでいるのか、その時は分からなかったけど」
「勘って、最初に言ってたもんな。お告げ、とも」
「うん。だから蔵のもの全部運び出して地下室に向かおうと思ったんだけど。でもまさか、地下水を逃がす横穴があったとは思わなかったわ」
声、或いは勘によって蔵の地下に死体があることを知った霊夢。だけどその時点では、何故地下に死体があるのかはわからなかったし、地下への行き方もわからなかったらしい。取り敢えず入口を探すため蔵の整理を敢行したが、私の話した地下水道と死体の巫女装束を見て、初めて話が繋がったのだという。
「じゃあ博麗の試練っていうのも嘘なんだな。要は人手が欲しかっただけだろ」
蔵の中はもので溢れて酷い状態だった。地下室の入口が蔵の中にあると思っているのなら、本格的な整理が必要だっただろう。そしてそれは一人の力では少々手間だ。宝だ試練だなどと言ったのは、私を話に乗せるための方便に過ぎない。
横穴のことも、本当に知らなかったかどうか定かではない。どちらにせよ人手があったほうが効率的だし、ちょっとした方便で利用できる人間がいるのなら利用した方が楽だ。
「……ごめん。魔理沙」
「いいさ。私ももっと早く気付くべきだった」
肩の力がふっと抜けた気がした。不思議と怒る気にはなれなかった。怒るべきことなのかもわからなかった。
思えば私もどうかしていた。博麗の試練だなんて話を本気にしてしまった。もし仮に博麗の試練なら、霊夢は何が何でも一人の力で乗り切るだろうし、その実力は十分備わっている。私なんか必要としないし、居ても役には立たなかっただろう。
きっと私は、思い上がってしまっただけなのだ。久しぶりに霊夢が私を頼って来たものだから、昔のように私が引っ張ってやらなければいけないと、そう思ってしまっただけだ。
「なあ、霊夢」
気怠い声で呼ぶ。霊夢は背筋を伸ばして、まっすぐ前を見つめていた。
「もし、霊夢が同じ立場だったらどうする。あの博麗に巫女のように、生け贄となって幻想郷を救うのか」
「……決まっているわ。私は博麗の巫女なのだから。自分の役目を果たすだけよ」
「そうか。霊夢は立派だな」
社の巫女は確かに幻想郷を救ったのだろう。霊夢は確かなことは言わないが、あの巫女が生け贄となったことで洪水は収まったに違いない。その命を神に捧げて、自らを地下水を押し留めるための栓としたのだ。
霊夢もきっと、その時が来たら、自らの命と引き換えにしてでもこの郷を守ろうとするのだろう。博麗の巫女として確かな実力と自負を持っている霊夢だ。きっと霊夢は、役目を果たすことを幸福なことだとでも思いながら、その身を投げ打ってしまうのだろう。
夕陽を見つめる霊夢の力強い眼差しを見て、私はそれがわかってしまった。
「……よし、最後にもう一回弾幕ごっこでもするか」
「何よ。もう疲れただのなんだの言ってたくせに」
「何となくな、身体を動かしたい気分なんだよ」
霊夢は仕方ないわねえと言いながらゆっくり立ち上がった。そうして弾幕ごっこで使う針や札などを用意し始める。
もしこの勝負で私に負けたとしても、霊夢は絶対に泣かないだろう。平然とした顔で地上に降り、今日は負けちゃったわねで済ませるだろう。霊夢は泣き虫だった自分を心の奥に押し込めて、水源に栓をしてしまったのだ。
これから先も、何があろうと決して泣きはしない。強くなれと言ったのは私だった。
私は水飲みに口を付けた。温くなったお茶を口に含み、すっと飲み下していく。
あんなに美味かったはずのそれは、ひどく苦いものに感じた。
昔、霊夢はひどい泣き虫だった。
霊夢がまだ博麗の巫女なんて呼ばれてなくて、私もただの道具屋の娘だった、幼い頃のことだ。
私たちはその頃からよくつるんで遊んでいた。他に年の近い子供もおらず、私たちは姉妹のように共に過ごしてきた。あるいは実の姉妹よりも多くの時間を共有してきたのかもしれない。
その時は、それが当たり前だと思っていた。
霊夢は気が弱く、いつも私の背中に隠れているような奴だった。そのせいか私は霊夢のお姉ちゃんのつもりで、偉そうに色んな事を知ったかぶり、色んな所に引っ張って歩いた。だから霊夢の泣き虫っぷりは一番よく知っており、度々呆れさせられてきた。
霊夢は実に何でもないことですぐに泣く。道で軽く転んだだけで泣き、私と少しはぐれただけで泣き、またはひとりでトイレに行けないのだと言って泣いた。
あの頃は、妖怪などは目を合わせただけで泣き出してしまうほど、霊夢は弱虫だったのだ。
ある時は、なんで泣いているのかわからないこともあった。
それは私たちが二人だけで、里の近くを流れる川に遊びに行った時のこと。とても暑い日で、私は川の中に入れない霊夢を置いて、どんどん深い方へ進んでいった。
ふと振り返ると、川岸で霊夢が泣いていた。しまった、置いて行かれたと勘違いしたのだろうと思った。私はすぐに引き返した。私が悪かったと謝った。だけど霊夢は泣き止まず、私は途方に暮れてしまった。
寂しかったのかと聞いたら、違うという。泳げないのが恥ずかしいのかと聞いたら、それも違うという。訳が分からなくて、こっちの方が泣きたくなった。
結局、その日は泣いている理由が分からず、私は泣き続ける霊夢をあやしながら神社に送っていった。神社からは先代の巫女が出てきて、いつもありがとうと霊夢を引き取った。私は、いいえついでですからと、誰かの口真似をした。霊夢の泣き声は、段々小さくなっていった。
後日、改めてなんで泣いたのかを霊夢から聞いた。いわく、川が怖かったのだという。なんでと聞くと、何故かわからないが怖いのだという。あれは流れも緩やかで浅い川だ。何がどう怖いのか、私にはわからなかった。仕方がないから、もうあの川には連れて行かないと約束した。
そんな風に怖がりで泣き虫だったものだから、私が霊夢を守ってやったことは何度もあった。霊夢が年長のいじめっ子からちょっかい出された時は、私が盾になって逃がしてやったし、妖怪が怖いという霊夢を背中に隠してやったこともあった。
その度に霊夢は、掠れるような小さな声で「ありがとう」と言った。私は霊夢の手を取って、強くならなければ駄目だぞ、と言った。霊夢はいずれ博麗の巫女になる。泣き虫のままでは駄目だ、私みたいに強くならなければ駄目だぞ、とお姉ちゃん風を吹かせた。
霊夢はうんと頷いた。
その後しばらくして、霊夢の博麗の巫女としての修業がはじまった。その頃には私も両親と折り合いが悪くなっていたのもあって、あまり霊夢と一緒に行動しなくなった。霊夢はつらい修行を積み重ねて力を蓄えていき、私は道具屋を飛び出して魔法使いの道を目指した。そうして時間が過ぎ、久しぶりに会った時には、霊夢はもう昔の霊夢とは違っていた。
今の霊夢は、異変が起きればひとりで解決に向かい、何もなければひとりで神社で過ごす、皆が知る博麗の巫女としての霊夢だ。話をしても弱々しさは見えないし、それどころか淡々としながらも自信に満ちているように見えた。幼いころのように道で転んだりはしないし、ひとりで平然とトイレに行き、妖怪には嬉々として針や札を投げつけた。
今の霊夢は私が守ってやらなければならない存在ではない。泣き虫だった霊夢はどこかへ行ってしまった。
私はそれを良いことだと思った。
二、
「宝探しをしましょう」
いつからか恒例になっていた、霊夢との弾幕ごっこの後の事だった。社務所の縁側に二人で並んで茶をしばいていると、隣に座っていた霊夢は唐突に言った。
私は視線で続きを催促する。詳細な説明が欲しい所だった。
「宝探しは宝探しよ。うちの蔵の奥にね、誰も知らないお宝眠っているのよ。一緒に探してみない?」
霊夢はさもいい考えだという風な口調で言った。
はあ、と私は息を吐いただけのような生返事を返す。
眉を吊り上げた霊夢が、ぐっと顔を近づけた。
「魔理沙ってばこういうの好きじゃない。お宝とか、貴重な品とか、マジックアイテムだとか」
「まあ、それなりにな。でも蔵なんて要はただの物置だろ。宝物庫ならともかく、そんな所に貴重なお宝があるのか」
「だから誰も知らないお宝、なんじゃない。宝物庫にあるものなら私が全部知っているわけだし」
なるほど。一理ある。得てして価値のあるものほど意外なところに眠っているものだ。
だけど。
「それじゃあ何で蔵に宝がある、なんて分かったんだよ。存在を知られてないなら有無もわかりようが無いじゃないか」
「それは……勘よ!」
「勘か」
「お告げよ!」
「お告げか」
私は一呼吸して、水飲みに口を付ける。冷たい。麦茶のようだ。霊夢は茶葉をけちって薄めに作っていたが、水がいいのか十分美味い。
顔を上げると、緩やかな風が吹いた。山の木々が騒めく。空が青い。私は新鮮な空気を吸い込んで一息つく。また、水飲みに口を付けた。
「本当はね……」
「なんだ。まだ続いていたのか」
「真面目な話なんだからちゃんと聞いてよ」
霊夢はじろりと睨み付けてくる。わかったよと私は肩を竦める。
いわく、蔵にあるお宝のことは、今は神社から離れた先代の博麗の巫女から聞いたらしい。
「私が先代からここを引き継いだときにね、その話を聞いたのよ。私がいつか十分に成長したと思えた時、その宝を探してみなさいって」
「ということはあれか。引き継ぎの最後の試練みたいなものか」
「ん?」
試練、という言葉を聞いた霊夢は、意外なほど反応を示した。我が意を得たり、というか、見事だワトスン君、というか。
にんまりと笑う霊夢はさらに顔を近づける。
「そう、試練よ。試練。代々の巫女に科せられし最終試験」
「つまりそれを終えていない霊夢は、まだまだ半人前だったってことだな」
「……私もいくつかの異変を解決してきたし、そろそろ挑戦しもいいかなって思ったわけよ」
ふうん、と私は唸る。実はまるきり忘れていて、今になって思い出しただけじゃないかとも思わないでもなかったが、口には出さない。ただ唸る。
「でもそれなら、霊夢が自分の手で見つけなきゃ意味ないんじゃないか。試験なんだろ?」
試験というのは自分との戦いだ。己が求められている力量に到達しているか否か、他人、或いは自分自身でそれを試し、測ること。今回の場合は博麗の巫女としての資質を測るのだから、霊夢個人の力量を試さなくては意味が無いのではないか、と思う。
だが霊夢は、してやったりとでも表現すべき顔を浮かべ、こんなことを言う。
「自分の手で打ち負かした下僕を使う分には問題ないわ」
「おいこら。その下僕っていうのは私のことか」
本日の弾幕ごっこは霊夢の圧勝によって終わっている。というより最近まったく勝ててない。妹分の成長を喜ぶべきか、不甲斐ない自分を憐れむべきか。
ご主人様気取りの霊夢は哀れな下僕に言う。
「どうせ魔理沙だって暇してるんでしょ。いいじゃない少しくらい手伝ったって」
「私は使われるのが嫌いなんだよ。とくに身近な人間に顎で使われるのは一等腹が立つ」
「別に顎で使おうってんじゃないわ。私もちゃんと動くし、ただ少し協力してって言ってるの」
ぴりっと、独特の緊張感が私たちの間に広がる。私もそう簡単に動くほど安くはないが、霊夢もなかなか強情だ。
霊夢はふと視線を逸らし、実に自分に都合のいいものを見つけた。手元に合った水飲みを持ち、くいと一口飲み込む。
「……このお茶。私が淹れたんだけどなあ。私の家の水で」
「汚いな。お茶で脅迫するのか」
「茶葉だって無料じゃないんだけどなあ。あんなにごくごく飲んでたのになあ」
霊夢はさも可哀想ぶって嘆き悲しむ振りをする。ああ、霊夢はついに恐喝を覚えてしまった。お姉さんは悲しい。だいたい茶葉は全部貰い物で、霊夢は一円たりとも出費していないことを私は知っている。それにお茶くらいなら私だって淹れることはあるし、宴会ともなれば食材も酒も全て他人に持ってこさせるのが博麗霊夢だ。
その手には乗らない。お茶ごときで買収されたりしない。
……だけど私は、自分の負けを薄々感じ取っていた。
「ねえ、お願いだから手伝ってよ魔理沙。……ね?」
霊夢は私の正面にやって来ると、下から見上げるようにして顔を向けた。上目遣いで唇を尖らせて、「……駄目?」などと可愛らしく聞いてくる。
まったく悪い奴だ。恐らく全部演技だろう。口の端が笑っているから簡単に分かる。霊夢を知る他の誰かに見せたって、こんな霊夢は偽物だとすぐに見破るだろうし、その心の内にあるだろう打算を警戒するはずだ。
こんな話に乗ったって碌なことはない。私にだってそれくらいは分かる。分かっているのに――、
やっぱり、私は霊夢には勝てないのだ。
「……まあ、博麗の隠し財宝ってのには興味あるな」
「本当? じゃあ――」
「手伝ってやるよ。だけど見つからなくたって私のせいにしないでくれよ」
霊夢はぱっと花が咲いたように笑った。現金なものだと思ったが、不思議と悪い気はしない。もちろん、癪だったから殊更に嫌そうな顔を作ってみせたが、それも長続きはしなかった。
思えば、霊夢が私を頼るなんていつぶりだろうか。博麗の巫女を引き継いだ霊夢は、何でも一人でするようになり、誰かを頼る事なんてしなくなった。どんなに危険な異変に立ち向かうときでも、自分から誰かの協力を仰ぐことなんて絶対なかった。
今、その霊夢が私を頼りにしている。そのことが私の気持ちを確実に高揚させている。
もしかして私は、もっと霊夢に頼られたかったのかもしれない――。
そんな考えが頭に浮かんで、私は慌てて首を振った。
三、
霊夢のいう蔵は神社の端の方にあった。博麗神社というのはもともと山の頂上に建てられており、四方は下る斜面に囲まれている。一方を幻想郷、人里のある方へ向かう斜面だとすれば、その反対は外界に繋がる結界、それらを挟んで本殿や社務所がある。
蔵はそういった主だった施設からは少し離れた、間欠泉のでた地下坑道の入口付近にあった。
蔵の前に立てばすぐ近くが斜面であるため、見晴らしは良い。とはいえ緑の山が続いているだけで何か珍しいものがあるわけでなく、殺風景とも取れる。私は後者に取る。何もないのは退屈である。
さてこの蔵。神社の本殿やらと比べるとものすごく古い。博麗神社は地震で倒壊して建て直された過去を持つが、どうやら端にあった蔵はその被害を免れているようだ。すべて木造の日本建築で、見るものが見たら歴史的価値を付与しそうで、中々威厳もある。
というか、蔵というより納屋である。
床は持ち上げずに地面から入口、室内までがすべて平坦で、恐らく物の出し入れを考えてそうしたのだろうと思われる。
私と霊夢は連れだって蔵もどきの中に入った。暗いが、外が晴天のため作業できないことはない。ただしうんざりするようなガラクタの山には少々目眩がするが。
「はじめに聞いておくことがある」
「なに?」
「最後に蔵の掃除をしたのはいつだ」
「えっ、蔵って掃除するものなの?」
あまりに本気で驚いたものだから、それ以上の追及はしない。
ただ、私の肩だけががっくり落ちる。
「まあいいさ。とりあえずこんな状態じゃ探し物なんてとても出来ないから、まずは蔵の整理をしよう」
「はあい」
気の抜けた声と共に、私たちは蔵の中の整理を始めた。掃除なんてするものなの発言は伊達ではなく、取りあえず邪魔なものをどんどん押し込んでいったような有様だ。霖之助のところから頂いたであろう電気ストーブや扇風機(電気が通っていないので使用不可)はまだいいとして、でんと鎮座するダルマ人形数体はどうしたことか。
「なあ、ここにはゴミしかないのか」
「そんなことないわよ。弾幕ごっこで使う針とか札とかは、いつもここに仕舞ってあるんだから」
「ということはあれか。お前はいつもゴミをばらまいて勝負してたのか」
なんともいい加減な巫女である。そんな巫女に負け続けている自分が情けない。
「そんなこといって魔理沙のところだって似たようなものでしょう。あんなゴミ屋敷、蔵だけなうちの方がマシよ」
「馬鹿いえ。うちにあるのは全部貴重なお宝なんだ。一緒にされちゃ心外だぜ」
「他人が見たらただのゴミだって話よ。うちにあるものだって価値を付けようと思えば付けられないこともないんだから」
不毛な言い合いをしながらも、私たちは手を動かす。とはいえどこから手を付けたらいいか迷う有様だ。
私はひとまず、大いに視線を奪うダルマ人形の一つに手をかけた。ちょんと押すと微かに揺らいで元に戻る。大きく押してみても、ぐらりと揺らいでまた元に戻る。
何これ、ちょっと楽しい。私は童心に返って幾度もダルマ人形と戯れた。
「……」
霊夢が睨んできたので、童心から卒業する。再び蔵の中の物を漁り始めた。大小様々な棚が並ぶ中、興味本位でそれらを突いてみる。小さな子供用の服などが出てくる。
それにしても本当に物が多い。こんな中からお宝を探し出すというのは中々骨だ。霊夢は親切な友を持ったことを幸いに思わなければならない。
そして私は、手近にあったひとつの小箱を手に持った。無論鍵など掛かっておらず、思うように箱は開いた。中には何か入っている。おおっ、何ともセクスイなそれは……。
「こぉらぁああ!! 何やってるのよ!!」
そうしてお宝は、再び封印された。
その後も暫く興味本位で適当に漁ってみたが、これでは埒が明かないということに私たちはようやく気付いた。取り敢えず蔵の中の物を外に出して、ひとつひとつ調べてみる必要があるだろう。
方針を決めた私たちは、まず大きめのガラクタを外に出すことにする。手始めに斜めに倒れていた箪笥を、二人がかりで持ち上げた。それほど大きくはないがしっかりとした造りで、そこらの安物には見えない。
「うっ、結構重いな。しっかり持ってくれよ」
「魔理沙こそ、途中で手を離したら許さないんだから」
浮き上がったそれを持って、私たちは蔵の外まで歩いていく。足元が見えないので慎重に歩かざるを得ない。こんな時、蔵の外へ出るのに段差がない事は幸いだった。段差があれば面倒は今より遥かに増しただろう。
そんなことを考えながら歩いていると、
「あっ」
霊夢が奇妙な声を発した。それ以上反応が無いので声をかける。
「どうした、霊夢」
「なんでもない。はやく運ぼう」
急かす霊夢に促され、私はしっかりと箪笥を抱え直す。少し急ぎ足で歩いて蔵の外まで来ると、持っていた箪笥をそっと地面に置いた。それからふうと一息ついて、霊夢の様子を見る。
霊夢は蹲って足の指を握っていた。
「霊夢、まさか」
「小指、ぶつけた。何かわかんないけど、硬いもの。がつんって、当たった」
「そりゃあ、聞いているだけで痛そうだな……」
霊夢はぶつけたであろう箇所をぎゅっと手で握った。痛いのは分かるが、こればかりはどうしようもない。泣き出してしまうかなと思ったが、霊夢はしばらく手を当てて、また、傷になっていないかを確かめると、すぐにひとりで立ち上がった。まずは小さいものから運び出そう、と言う。
「大丈夫か。すこし休憩しても」
「まだ何もしてないでしょ。傷にはなってなかったから何も問題ないわ」
霊夢はそう言って蔵の中に入っていった。もう痛がる素振りも見せないし、もちろん涙などまったく浮かべていない。それをごく自然のように振舞って、日常の風景にしてしまっている。
これがあの、少し転んだだけで泣いていた霊夢の今の姿だ。霊夢はもう泣き虫ではない。痛くない訳はないだろうが、それを堪える気力と忍耐を手に入れている。
「そうだな。私も早く終わって帰りたいし」
そうして私も、すぐに後を追って蔵の中に入った。
それから暫くして、私たちは蔵の中の物をすべて外に出し終えた。額には汗が浮かぶ。適度な疲労を感じつつも、私は蔵の中に収まっていた物たちをぐるりと見渡した。
こうして出してみると、改めて圧巻する量だ。大小さまざまな棚や小箱、ずらりと立ったダルマ人形、無造作にほっぽり出している針や札、季節ものの衣類などなど、生活品やガラクタが所狭しと並んでいる。
「感想は? 霊夢」
「大したことなかったわね」
「言ってろよ」
しかしこれでようやく本来の目的に戻って来られる。私たちは蔵の整理がしたい訳ではなく、蔵の中に眠っているというお宝を探しているのだ。
霊夢はさっそく出したものの中を探し始めた。私もそれに倣い作業を再開する。すぐ近くに合った一体のダルマ人形に手をやった。
そっと突いてやれば、揺らいでまた戻る。大きく押してやってもぐらりと揺らいで元に戻る。まるで人間の在るべき姿のようだ。倒されても倒されても立ち上がるダルマ人形。私はそれに……。
「……」
霊夢はじろりと睨んでダルマ人形を奪っていった。やれやれと肩を竦めて見せる。ほんの冗談だ。
霊夢は運び出したものの中にお宝がないかは自分が確認すると言って、私には蔵の中をよく探してみてくれと指示を出した。哀れな下僕はご主人様の言いなりになって蔵の中に入る。蔵はようやく床板が見えていて、外から差し込む陽光を反射して、少しだけ若返って見えた。
床板も蔵と同様かなり古いものだ。
「大体こういうのは、隠し部屋とか隠し通路とかがあるんだけどな」
博麗の先代巫女が最終試練として出すくらいである。ただ単に蔵の中に保管してあったとは思えない。どこかわかりにくい所に隠しているはずだ。
とはいえ蔵の壁は隠し部屋を作れるほど厚くないし、天井は屋根裏と梁がそのまま見えている。あるとすれば地下、この床板の下であろう。
私はそう思って床板に触れてみた。床も木板を敷いただけの全木造だが、軽く叩いてみれば、とん、と響く。与えた振動が何かに反射して増幅されたようだ。確信をもって床板の隙間を見ると、わずかだが昇って来る風を感じた。
やはりと思って蔵の外に出る。外周を回りながら、蔵の下部を観察していく。残念なことに床下へ繋がる穴は見つけられない。
「……問題は入り方だな。床を八卦炉で壊して入れば楽だけど、それじゃあお宝ごと破壊しかねない。床板を一枚一枚剥がして入るって方法もあるが、これは手間がかかり過ぎるし復旧も面倒……」
そもそも試練というのにそんな物理的な解決方法でいいのか、とも思う。というか巫女の引き継ぎのときにお宝のことも引き継がれているのなら、その度に床板が新しいものに更新されてしまうはずだ。しかし見た通り床は古い状態で保たれている。何かもっと別の方法があるに違いない。
それにそのお宝というものの正体も気になる。博麗の巫女が代々引き継ぐ隠し財宝。幻想郷そのものにも影響を与える重要な品ではないだろうか。だとすればそれはどういった物で、どんな力を持っているのだろうか。
考えながら蔵の周囲を歩いていると、また入口まで戻ってきた。何とも雑多なガラクタが私を迎える。しかしそのガラクタの中に霊夢の姿が見えない。
「あいつ、まさか逃げたんじゃ――」
自分から誘っておいて逃げ出すとは何たること、と一瞬思ったが、逃げるも何も霊夢の家はここである。蔵の外に出したものは後で元に戻す必要があるだろうし、私に帰られて困るのは霊夢だ。
お茶でも用意してくれているのだろうと結論付け、私も脳を休めることにした。ガラクタたちを弄り回し、霊夢が帰って来るのを待つ。棚や小箱の中は検められており、一応霊夢も仕事をしていたのだと感心する。
「しかし本当にガラクタだらけだな。よくもまあここまで要らないものを溜めこんで……」
倒れては起き上がるダルマ人形を突きながら、私は遊ぶ。ダルマ人形は数体ある。これだけ揃えたのだから、よほど好きだったのだろうと窺える。
そんなことをしている私の視界に、ふと気になるものが写った。地面に無造作に放り投げていたから気になった。こんな風に扱うのはよくないだろうと思って拾う。それは絵で、大きさは両手で持って違和感が無いくらいの普通の絵。ただ随分昔に描かれたのであろう、絵の具などを使わない水墨画だった。
絵は中央で左右に分かれており、片方には何か騒いでいるらしい人間たちの姿。もう半分は力強いタッチでうねうねと線が引かれている。人間の方には民家も描かれているから人里だろう。ならばこのうねうねは里の近くを流れる川に違いない。
そう、川である。
川と言えば思い出すのはあの小さい頃の霊夢。ただの川が怖いと言って泣き出した泣き虫の霊夢。霊夢は何かあるとすぐに私の後ろに隠れた。ぎゅっと私の服を握り、涙を溜めて震えていた。私は霊夢を守らなければいけないと思っていた。
でも、霊夢が博麗の巫女になってからそれは変わった。霊夢はもう泣き虫なんかじゃなくなって、私の助けは要らなくなった。足の小指をどこかにぶつけても泣かないし、今や弾幕ごっこでは完全に霊夢の方が上だ。
今の霊夢は、あの川を見て泣き出すだろうか。
絶対にあり得ないと私は思った。
「――ああ、洪水の絵ね」
突然後ろから声がした。振り返ると腰を屈めた霊夢が、私の持っている絵を覗き込んでいる。なんとなくばつが悪くなって顔を逸らした。
「結構たくさん死んだんだって、この洪水で。確か私の前の前の前くらいの巫女の時に、こういう大きな洪水があって……」
「じゃあこれは、そのときの絵なのか」
改めて絵を見てみると、確かに川は暴れまわっているように見えるし、里人は慌てふためいているように見える。絵は災害の記録として描かれたのだろう。ならばこれは、歴史的資料として大いに価値のあるものではないか。
「ところで霊夢。今までどこに行っていたんだよ。作業を放り出して」
「ん? 便所よ。大の方」
「……もう少し言葉を選んだ方が良いと思うぜ」
仮にも女の子なんだし。まあそれだけ気を許しているともとれるか。
「ちなみにうちは水洗便所です」
「誰も聞いてねーよ」
そんなプチ情報はどうでもいい。というか電気は通っていないのにやたら文化的だ。憎たらしい。
霊夢の方は一切気にせず話の続きをする。
「この川ね。実はこの山の麓から流れているのよ。水源はもっと遡らなきゃいけないけれど、川自体はすぐ近くにあるわ」
「じゃあ神社の方も危なかったのかな。いや、山の上だから関係ないのか」
「山の斜面がごっそり削られている所ならあるよ」
霊夢は蔵のある場所から一番近い斜面を指した。蔵から十数メートル程度の距離か。数本の木々が生えているだけで他には何もなく、斜面というより切り立った崖のようでもある。
私は少し興味を覚えたので行って覗いてみる。すると、確かに斜面の途中にやや削れたような不自然さが残っている。斜面が削れるくらいだから余程の大雨が降ったのだろう。
「それよりそろそろ休憩にしない? お互いに分かったことを話したいし」
一緒になって斜面を覗いていた霊夢は、やがて飽きてしまったのか背を向けてしまった。
相変わらずマイペースな奴である。
「そうだな。喉も乾いたし」
とくに反対する理由が無いので私もそれに続く。絵を元の場所にあった棚の中に戻して、既に歩き出していた霊夢の後ろを歩いた。揺れる後ろ髪をぼんやりと眺める。
前を歩く霊夢の背中は、ぴんとしっかり伸ばされており、足取りも実に堂々としたものだった。自分の家だから気を張るつもりもないだろうけど、それが自然となっているのに違いない。
少し猫背な自分の影をみて、私はこっそり姿勢を正す。
「さっきの」
声をかけても、霊夢の足は止まらなかった。
「川の洪水とか。全部自分で調べたのか。私なんか今まで聞いたこともなかったのに」
「……一応この神社を預かっている身だし、幻想郷であったことはなるべく知っておいた方がいいでしょ」
「そうだな。博麗の巫女さんだもんな」
霊夢は、まあね、と少し恥ずかしそうに言った。否定も謙遜もしなかった。
今の霊夢はあの頃のように幼くはない。自分で調べて、自分で考えて、そして行動に移すことが出来る。今の霊夢は、ちゃんと博麗の巫女なのだ。
そんなことは、私にだってわかっている。
私たちは、例の縁側で休憩に入った。
時刻は正午をとっくに過ぎ、陽気も相まってもっとも眠たくなる時間帯。私は縁側に腰かけて、足をぶらぶらさせながら雲の数を数えている。霊夢はいつの間にかいなくなって、少しすると急須に冷たい麦茶を淹れて現れた。私は悪いなと言って水飲みに注ぎ、ぐいと飲み干す。やはり薄いが美味い。
霊夢も同じようにして茶を飲み干すと、また自分と私の分とに茶を注いだ。
どうだった、と私の方から水を向ける。
「私の方は駄目ね。引き出しとか箱の中とか、片っ端から調べてみたけど、それらしいものは何もなかった」
「まあ、そうだろうな。何たって博麗の試練だ。そう易々と見つかるとは思えない」
また一口茶を含む。さも当然のように答える私を、霊夢がじっと見ている。霊夢はもう、私がある程度の答えを見つけたのだと見抜いている。
「多分、地下室の中だろうぜ」
私がそう言うと、霊夢の眉がぴくりと動いた。地下、という単語が引っ掛かるのだろう。まさかそんなものがあるとは思っていなかったに違いない。
「霊夢。あの蔵は木造だ。木造建築物の最大の弱点って何だと思う?」
私は敢えて煽るように言ってやった。霊夢がううむと首を傾ける。
「……火?」
「火もそうだが火なら誰だって気を付けるだろう。答えは誰にも気づかれずひっそりと建物を侵食していくもの――、湿気だ」
木造建築は湿気に弱い。湿気によって木材を腐敗させる菌やシロアリが発生するからだ。そのため古来より木造建築は湿気への対策、つまり通風を考えて設計されるのだが、その中でも建物の土台部分の湿気対策として有名なのが高床式だろう。床を持ち上げて換気をよくし、湿気による腐敗を軽減させる。古くからある木造建築物ほど、この高床式が採用されている。
ところがこの博麗神社の蔵の場合、すべて木造であるにも関わらず床は地べたに接しており、風通しが良いとはお世辞にも言えない。それなのに、蔵はこの神社の中でトップクラスの長寿を誇っている。
ならば床を上げるよりほかに、換気のための工夫があるに違いない。それが地下室の存在なのだろう。
「恐らく地下室は外に繋がっていて、そこから空気を取り入れているんだ。その証拠に床板の間からわずかだけど昇って来る風があった」
「ふうん。じゃあ宝はその地下室にあるってこと?」
「十中八九そうだろうな。だけど問題は入口だ。蔵の中にも外にもそんなものは無かったし、もしかしたら結構遠い所から空気を取り入れているのかもしれない」
空気の取り入れ口こそが地下室の入口と考えているが、だとしたら探し出すのは非常に困難だ。なにせ探索範囲が蔵だけから神社全体に広がったのだから。
霊夢もそれが分かったらしく、ため息交じりに肩を落とした。
「手間がかかりそうだし、今日の宝探しは終わりにしようか。蔵から出したものも何とかしなきゃいけないし」
「そうだな。今日は疲れたよ。裏の温泉入ってゆっくりしたい」
「まあそれくらいは許してあげる。でも見つかるまでは付き合ってもらうからね」
「わかってるよ。ったく」
舌打ちをひとつして、また水飲みに口を付ける。冷たい麦茶が喉を通って胃に運ばれていく。体の中に溜まった熱が引いていく。本当にいい水だと思う。
「美味いな……」
「そりゃあ私が淹れたんですもの」
「違う。お茶じゃなくて水が、だ」
残っていた茶を一息に飲み干す。少し気になったので訊いてみることにした。
「これ、井戸水なのか」
「え? 違うわ。うちの神社、放っておいても地下水が湧いてくるのよ。結構質が良いのが採れるの」
「へえ。いいな、それ」
ふふん、と自慢げに胸を張る霊夢。いわく水道管を引いて生活用水として利用しているらしい。
まあ温泉が出るくらいだから昔から地下水が染み出ていてもおかしくはない。うちからも地下水出ないかと少々羨ましくなる。
「……そうか。地下水か」
「どうしたの、魔理沙」
私は間欠泉が出たという方に顔を向けた。地底への道が開かれた時、同時に神社の近くから間欠泉が噴き出した。今でこそ整備されて温泉として利用出来るまでになったが、それは結構な威力を持っていたようで、地底への道を閉ざしていた地表の岩盤も吹き飛ばしてしまった。
よく神社が無事だったと思う。少し逸れていたから助かったが、直撃していたらまた建て替えを余儀なくされていただろう。
「熱湯が噴き出るってことはそこに大量の水があったってことだろう。地底世界には川も流れていたし、何でも雪も降るという。そりゃあ豊富な水源があっただろう」
「魔理沙……?」
霊夢は困惑の顔を浮かべて首を傾げる。霊夢は未だわかっていないようだ。それも仕方がない。私だって確証があるわけではない。ただ、霊夢風に言うなら、勘が働いた、というだけに過ぎない。
だけど私には、この勘をただの妄想として処理してしまうには、あまりにも条件が整いすぎていると思った。
なあ霊夢、と呼びかける。
「お宝。もしかして今日中に手に入るかもしれないぜ」
四、
私たちは暗い穴の中をゆっくり歩いていた。二人分の足音が長い洞穴に響く。
足元はそう悪くないが、こちらには旧都にあるような光源はないようだ。うっかり転んでもつまらないので、ミニ八卦炉で作った灯りを頼りに慎重に足を進めていく。
ひゅう、と脇を乾いた風が通り抜けていった。
「ねえ魔理沙」
後ろを歩く霊夢から、咎めるような声が聞こえてくる。
「なんでこんな道があるってわかったの」
霊夢は少し不機嫌そうだ。この場所の存在が想定外だったようで、私に先に見つけられてしまって不貞腐れているのだ。
少し気分がいい。中々そんな霊夢は見られないのだから。
私たちが歩いているのは、地下から地底世界へ降りる道、間欠泉の吹き出しによって露わになった地下坑道からの横道だった。坑道を素直に進めば嫉妬妖怪なんかがいる地底界の入口に出るが、その道の脇にはまた別の道もあったのだ。
神社を倒壊させた地震の影響か入口は塞がっていたが、逆に言えばそういう崩れているところを目指せばいいので入口を探すのは楽だった。八卦炉で瓦礫を飛ばして入口が現れると、霊夢は目を丸くして驚いた。
「そうだな。まず博麗神社の地下に莫大な量の水源があったというのはいいな。そいつは地表に染み出して生活水として利用されたり、あるいは地底の熱で沸騰して間欠泉として噴き出していた」
「それはわかってるわよ。でもなんで坑道に横道なんかが……」
繋がりが見えない、霊夢はそんな顔をしている。
私は構わず先を続ける。
「思うにあの地下坑道は最近できたものじゃない。弾幕ごっこも出来るような広さだ。きっともっと昔からあったのだろう。最近の間欠泉は、その道を塞いでいたものを取り除いただけだ」
「まあそうかもね。あんなに広いんだし。でもそれがこの横道と何の関係があるのよ」
「坑道が出来たのは、やはり水の浸食によるものだからさ」
恐らく間欠泉、あるいは水流の噴き出しは大昔からあったのではないか。地下水源はもちろん、かつての地底には地獄があった。地獄の都、灼熱地獄、そういった膨大な熱を持っていた地底は、今よりもっと水流の動きが激しかったはずだ。地表に噴き出すことも何度となくあっただろう。そうした水の動きによって地下坑道は出来たのだ。
「水流の吹き出しは昔からあった。そこで問題なんだが、普通そんな不安定な土地に神社を建てたりするだろうか。無人のものならともかく、幻想郷にとって重要な博麗の人間が住んだりするだろうか」
霊夢は少し考えるような素振りをして、やがて首を振った。
「普通はしないでしょうね。少し前の間欠泉はたまたま神社に影響が無かったから良かったけど、吹き出す場所が少しでもずれていたら神社も危なかった」
「だけど博麗神社ここに建っている。理由なんかは知らないけど、もしこの不安定な土地にどうしても住まなければいけないなら、誰だって工夫をするだろうな」
「工夫?」
「対策を立てるってことさ」
博麗神社は、いつ水流の噴き出しがあるか分からない場所に建っている。そしてその水流とは、大きな坑道を作るほど激しく、長く続いていたものだ。
だけど水流の噴き出しやすい場所、地下坑道の存在を予め知っていたらどうだろうか。このまま地表に噴き出すのは不味い。ならば、人はどうするだろうか。
「つまり私たちがいるこの横道こそが対策なんだよ。水流は坑道から地表に向かって噴き出している。だったら、その坑道に横穴をあけて、神社の方で噴き出さないように逃がすことも出来るだろう」
「ああ、噴き出す場所をコントロールするってことね」
最近の間欠泉があんなところから噴き出したのは、地震のせいで逃げ道が塞がっていたせいだ。水流は弱い所を探しあぐねた挙句、あの場所から噴出した。しかし、本来はこの横道を通り、別の場所に逃がされるはずだった。
「そして水流を逃がしていたこの横道こそがお宝への道……。この横穴はな、蔵の真下を通っているんだぜ」
霊夢から昔あった洪水の話を聞いたとき、霊夢はそのとき崩れたのだと言って山の斜面を見せた。それは蔵のある場所の近くで、蔵よりは低い位置にあった。その場所ももう崩れて塞がっていたけど、本来はそこから水を逃がしていたに違いない。
「蔵が先か横道が先かは知らないけどな、この道は蔵の換気にも使われていたんだ。水流の噴き出しと言ったって、そんな大規模なものは百年に一度あるかないかだろう。だったら普段は風が通るだけだし、換気にも丁度良かったはずだ」
そして博麗のお宝もそこにあると思っている。蔵の中にお宝が無いなら地下しかない。そして地下にこういう道が通っているなら、そこにあると考えるのが自然だ。
第一近くにこんな地下道があるのに、それ以外にも地下室を作るというのは、地盤の強度からみても問題だろう。
「じゃあお宝は……」
「もうすぐ、のはずだ。大分歩いてきたし、そろそろ蔵の真下まできているだろう」
そこで私たちは今までより開けた場所に出た。左右と上部が広くなり、巨大な空洞となっている。わずかだが昇っていく風もあるようで、やはり丁度真下に来ているのだと確信する。
霊夢の方を見ると、霊夢はぐるりと辺りを見渡して、何かお宝らしきものが無いか探しているようだった。私も同じように当たりの様子を観察する。お宝というくらいだから、その辺りに無造作に放ってあるわけではないだろう。
「あった。あれだ。社がある」
そして私は、この空洞の上部に古い社が建っているのを見つけた。岩の壁にぽつんと掛けられたような社。拵えは立派だがとても小さく、人一人がようやく入れるくらいの大きさだ。あの中に博麗のお宝が眠っているに違いない。
ふと気付くと、霊夢がこちらを見ていた。
「……なんか、ありがとね。魔理沙」
霊夢がはっきり聞き取れる声量で言った。意表を突かれて少々戸惑う。
「なんかって何だよ。なんかって」
「何て言うか、助かったというか」
霊夢は堪らず顔を逸らす。頬が赤く見えるのは気のせいではないだろう。
ふん。素直にこの私を褒め称えればいいものを。だが私は、自分の気持ちがはっきり高揚していくのを、巧妙に隠さなければいけなかった。
素直でないのはお互い様だ。
「まあこれで試験も終了だな。ほっとしたか?」
何となく気恥ずかしくなって冗談めかしに尋ねる。だが、不思議と霊夢からの反応はなかった。
どうしたのかと様子を窺うと、霊夢は空洞の上部にある社をじっと見つめている。無表情で、何を考えているかは分からない。
返事はもう二、三拍置いてから返ってきた。
「そう、だったわね」
「何だよ。もっと喜べよ。霊夢はもう立派な博麗の巫女さんだ。誇っていい」
この試練を終えたら、霊夢はもう一人前だ。後は自分の力だけで乗り切らなければならない。この神社は一人でやりくりしていかなければいけないし、異変だって一人で解決するだろう。私も本格的にお払い箱だ。
……いや。或いはもう、霊夢はとっくに一人前だったのかもしれない。ただ私が認めていないだけで、霊夢はもう十分ひとりでやれていたのかもしれない。だとすると、この試練に私を巻き込んだのは、私にそれを悟らせる為で――。
「昔、私は泣き虫だった」
霊夢がぽつりと呟いた。独り言のような、自分に言い聞かせるような声量だった。
「ああ、知っているよ。ずっと見ていたからな」
「いつも魔理沙の後ろに隠れてばかりで、一人では何もできなかった。私はそんな自分が嫌だった」
昔の霊夢は泣き虫だった。少し転んだだけですぐ泣いて、妖怪と目が合ってはすぐ泣いて、ただの川が怖いといってすぐ泣いた。いつも私の後ろに隠れていて、自分からは何もできないような奴だった。
私はそんな霊夢に強くなれと言った。私のように強くなれとお姉ちゃん風を吹かせて言った。
その度に霊夢はうんと頷いた。
「博麗の巫女になれば、私も変われると思った」
蔵の中にはダルマ人形があった。弾幕ごっこに使う針や札、季節ものの服など日常の品と一緒に、それは保管されていた。
倒されても倒されても、ひとりで立ち上がることが出来るダルマ人形。もしかして霊夢は、そんなダルマのようになりたかったのかもしれない。
私は、ただの道具屋の娘でいるのが嫌で、魔法使いの道に飛び出した。今も後悔していないし、それしか道はなかったように思う。でも、それは霊夢だってきっと同じで、泣き虫だった霊夢は、自分を変える為に立派な博麗の巫女を目指したのだ。
誰だって変わっていく。いつまでも同じままではいられない。寂しいと思ってしまうのは私の我儘……。私は霊夢も姉貴分としても、今の霊夢を受け入れる必要があった。
「じゃあ、さっさと一人前になってこようぜ。お宝はもう目の前だ」
これはきっと私の、霊夢の姉貴分だった私の最後の仕事。これでもう、私は霊夢のお姉ちゃん気分を卒業しなければいけない。そしてその事に胸を張らなければいけない。
そして私たちは、宝の眠るだろう社の前まで飛んだ。飛べば分かるが地下水道は本当に広い。そんな水道を使わなければいけないほど、ここの地下水源は猛威を振るったのだろう。
社の前に立つと、社はしっかり扉が閉められており、中の様子はよく見えなかった。だが、八卦炉の明かりを翳せば中に薄っすらと影が見え、何かが入っていることだけは確認できる。霊夢が社の前に立って扉を調べるが、結界の類は施されていないようだ。
「それじゃあ、いよいよお宝を拝ませて頂くとするか」
「何で魔理沙がそんなに嬉しそうなのよ。言っとくけど魔理沙にとっては何の価値もないものよ」
とは言っても蒐集家の血が騒ぐというもの。どうせ引き継ぎの時くらいしか使わないのだから、それまでの間は貸してくれてもいいじゃないか、とも思う。
そうこうしている内に霊夢が社の扉をそっと開いた。暗くてまだ中に入っている物がよく見えない。私が灯りを点けた八卦炉を霊夢に渡すと、霊夢は腕を上げてその影を照らし出した。ようやくお宝の姿が私にも見えてくる。
「えっ――」
思わず、息を呑んだ。一瞬それが何なのか理解できなかった。理解した後、何故こんなところにあるのかが理解できなかった。
どくどくと動悸が激しくなる。余り見たいものではない。過呼吸に似た症状に襲われる。やっぱりここに居たんだ――、霊夢がそんなことを呟いた。
蔵の地下、社の中に入っていたのは、白骨化した人間の死体だった。
五、
地上に戻ると、空はもう赤みがかっていた。流れる風に少しだけ冷たいものが混じる。私と霊夢は例の縁側まで戻ってくると、無言のまま腰を掛けた。
急須に入れた麦茶が温くなっている。かあかあと、どこかでカラスが鳴いている。急に喉の渇きを思い出した。
「明日も晴れそうだな。今夜は良い天気だろう」
私は急須から水飲みに茶を注いだ。器に口を付けたが、何となく躊躇って飲むのを止めた。
「そうね。蔵の片づけは明日でいいかしら。正直もう動きたくないわ」
「だな。仕方ないから明日も来てやるよ」
かあかあとカラスが鳴いている。私は空の端に一羽だけの影を見つけた。影は真っ直ぐに翼を広げ、迷いなく森の方へ帰っていく。
「温泉はやっぱりいいや。着替えも持ってきて無いしな。また今度にさせてもらうぜ」
「そう。入りたくなったらいつでも入っていいから」
私たちは互いに顔を合わせることなく、ぽつりぽつりと言葉を漏らした。何となく億劫だ。蔵の整理に身体を使ったせいで、少し筋肉痛になっている。恐らく、霊夢の方も似たようなものだろう。
或いは、一人前の博麗の巫女は、そんな俗な悩みなど持たないのかもしれない。
そう思うと、私はようやく尋ねることが出来た。
「……あの死体」
「なに」
「あれも博麗の巫女だよな。何代か前の」
「気付いてたの」
「気付くさ。着ているものを見れば誰だってわかる。この神社の地下にいたんだから当然、博麗だろうってこともな」
社の中にいた白骨死体は、白の小袖に緋袴を身に着けていた。昔は巫女も博麗だけだっただろうから、その巫女は博麗の巫女に違いないだろう。また、遺体が白骨化して相当年月が経っているようだったから、少なくとも最近の巫女ではないことがわかる。
「ついでにあれが自殺だってのもわかるぜ。社の扉には鍵は掛かっていなかった。逃げようと思えばいくらでも逃げられたはずだし」
「馬鹿。鍵は関係ないでしょ。あの巫女は死んだ後にあそこに入れられたのかもしれないんだし」
「それもそうだな」
即座に否定され、私は素直に納得する。どのみちやる気のない推理だった。
霊夢はそんな私に向かって軽く笑った。
「でも自殺、っていうのは大体当たりかな」
「大体?」
「あの巫女は生け贄になったのよ。地下から噴き出してきた水流を押し留めるために、自分から」
洪水の絵をおぼえている? 霊夢からそう言われて私は思い出す。蔵の中にあった一枚の絵。慌てふためく人里と、絵の半分を埋める川の増水。霊夢は、その洪水は危うく人里を飲み込みかねないほど危険なものだったと語った。
私はなんとなく話の先が見えてしまった。
「地下から逃がした水、だな」
「多分そうね。蔵の地下にあった地下水を逃がすための横道、それが魔理沙の言うような使い道だったとしたら、逃がした水は斜面を下って麓まで流れることになるわ」
「そしてこの山の麓には人里に繋がる川が流れている、か。じゃあ地下水の噴き出しが大きすぎて……」
地下水は蔵の地下を通って斜面を下り、人里近くを流れる川を下っていく。しかし地下水の噴き出しがあまりに多かったとき、それは川を増水させ、人里を飲み込みかねないほどの危機を生んだ。それがあの洪水の絵なのだ。
そして先に霊夢が言った生け贄の言葉を思い出せば、その災害に立ち向かうために博麗の巫女は……。
現在人里に、少なくとも私の耳に入るくらい有名な話として、過去の大洪水は語られていない。当然、その時に当代の巫女が何をしたかも伝わっていない。彼女は誰にも知られず、誰にも顧みられず、小さな社でひっそりとその生を終えた。
「霊夢は最初から知っていたんだな」
「何を?」
「宝の正体。社を開けた時、やっぱりって、そう言ってただろ」
「ああ……」
霊夢は少しばつの悪そうな顔をする。どうやら無意識の発言だったらしい。
「声がね、聞こえた気がしたのよ。蔵の地下から。私はここに居るって。誰が何で呼んでいるのか、その時は分からなかったけど」
「勘って、最初に言ってたもんな。お告げ、とも」
「うん。だから蔵のもの全部運び出して地下室に向かおうと思ったんだけど。でもまさか、地下水を逃がす横穴があったとは思わなかったわ」
声、或いは勘によって蔵の地下に死体があることを知った霊夢。だけどその時点では、何故地下に死体があるのかはわからなかったし、地下への行き方もわからなかったらしい。取り敢えず入口を探すため蔵の整理を敢行したが、私の話した地下水道と死体の巫女装束を見て、初めて話が繋がったのだという。
「じゃあ博麗の試練っていうのも嘘なんだな。要は人手が欲しかっただけだろ」
蔵の中はもので溢れて酷い状態だった。地下室の入口が蔵の中にあると思っているのなら、本格的な整理が必要だっただろう。そしてそれは一人の力では少々手間だ。宝だ試練だなどと言ったのは、私を話に乗せるための方便に過ぎない。
横穴のことも、本当に知らなかったかどうか定かではない。どちらにせよ人手があったほうが効率的だし、ちょっとした方便で利用できる人間がいるのなら利用した方が楽だ。
「……ごめん。魔理沙」
「いいさ。私ももっと早く気付くべきだった」
肩の力がふっと抜けた気がした。不思議と怒る気にはなれなかった。怒るべきことなのかもわからなかった。
思えば私もどうかしていた。博麗の試練だなんて話を本気にしてしまった。もし仮に博麗の試練なら、霊夢は何が何でも一人の力で乗り切るだろうし、その実力は十分備わっている。私なんか必要としないし、居ても役には立たなかっただろう。
きっと私は、思い上がってしまっただけなのだ。久しぶりに霊夢が私を頼って来たものだから、昔のように私が引っ張ってやらなければいけないと、そう思ってしまっただけだ。
「なあ、霊夢」
気怠い声で呼ぶ。霊夢は背筋を伸ばして、まっすぐ前を見つめていた。
「もし、霊夢が同じ立場だったらどうする。あの博麗に巫女のように、生け贄となって幻想郷を救うのか」
「……決まっているわ。私は博麗の巫女なのだから。自分の役目を果たすだけよ」
「そうか。霊夢は立派だな」
社の巫女は確かに幻想郷を救ったのだろう。霊夢は確かなことは言わないが、あの巫女が生け贄となったことで洪水は収まったに違いない。その命を神に捧げて、自らを地下水を押し留めるための栓としたのだ。
霊夢もきっと、その時が来たら、自らの命と引き換えにしてでもこの郷を守ろうとするのだろう。博麗の巫女として確かな実力と自負を持っている霊夢だ。きっと霊夢は、役目を果たすことを幸福なことだとでも思いながら、その身を投げ打ってしまうのだろう。
夕陽を見つめる霊夢の力強い眼差しを見て、私はそれがわかってしまった。
「……よし、最後にもう一回弾幕ごっこでもするか」
「何よ。もう疲れただのなんだの言ってたくせに」
「何となくな、身体を動かしたい気分なんだよ」
霊夢は仕方ないわねえと言いながらゆっくり立ち上がった。そうして弾幕ごっこで使う針や札などを用意し始める。
もしこの勝負で私に負けたとしても、霊夢は絶対に泣かないだろう。平然とした顔で地上に降り、今日は負けちゃったわねで済ませるだろう。霊夢は泣き虫だった自分を心の奥に押し込めて、水源に栓をしてしまったのだ。
これから先も、何があろうと決して泣きはしない。強くなれと言ったのは私だった。
私は水飲みに口を付けた。温くなったお茶を口に含み、すっと飲み下していく。
あんなに美味かったはずのそれは、ひどく苦いものに感じた。
ダルマの話や麦茶の話等々、どれもその場の情景描写のための飾りつけに見えて、
魔理沙の心情を表す小道具であったり落としどころに持ってくる技量も素晴らしかったです。
でも、その苦さが良い
洪水に栓を差させたのは他ではない親友…苦いですね…