それがやってきたのはある雨の日のことだった。
なにやら外が騒がしいのだ。使用人を呼んで何をしているのかと問い詰める。わずかに苛立ちが混じり、詰問するような形になってしまった。この使用人は何も悪いことなどしていないというのに。こういうことはよくあることだった。私は自分の立場に甘えている。
過酷な運命を背負っている人間なんだ。立場のある偉い人間なのだと。心のどこかに常にその意識がある。もちろん元をただせばこのような生き方をしているのは自分で決めたことなのだから、それに苛立ったり、ましてやそれを立場の弱い人間にぶつけるなんてありえないことなのだけれども。
詰問されしどろもどろになる使用人は、よくわからないけれどとにかく聞いてきますということで、慌てて走っていった。戻ってくるころには再び私のイライラが充填されていて、わがままに応えて奔走してきたのに怒られる羽目になった。哀れな使用人。そう思うなら態度を改めてやればいいのだけれど。
何でも見知らぬ妖怪がうちの軒先で雨宿りをしていたそうだ。それを衛視が追い出そうとして揉めているのだという。くだらない。追い出すなら追い出すで、もっと毅然と、たたき出せばいいのだ。うちは天下の稗田家なのだから。あるいは天下の稗田家なのだからこそ、広い懐で雨宿りぐらいさせてやればいいのかもしれない。どちらにしても、どっちつかずの対応で当主を苛立たせるのは無しだ。その衛視の名前を聞いておく。覚えていたら減給してやろう。まあ、忘れるわけないんだけどね。
いけないいけない。こんなこと、また紫に怒られてしまう。私の悪癖だ。たくさんあるうちのひとつだけれど。
時計をちらりと見る。4時を指していた。気だるい雨の午後。
私は気まぐれにその雨宿り妖怪とやらに会ってみることにした。あんまりイライラしたのでその面を拝んでやろうと思ったのがひとつ。イライラで仕事にならないから暇つぶしがほしかったのがひとつだ。イライラしすぎだ。
里の名士である稗田の家が雨宿りする野良妖怪を追い出すなんてみみっちいことをしているのが知れたらどうするのだと、まあそういう理由をでっち上げて応接間に招かせ、お茶を出させた。別にそんなことでうちの評判は落ちないだろうし、さらにいえば評判が落ちたところでなんだという気もするけれど。
表向きは元々、対妖怪のための知識の収集役を期待されての今の稗田家であるから、妖怪に対してあんまりフレンドリーでないほうがいいのだろうけどね。
応接間に行くと、思いのほか地味な奴が座っていた。栗色の髪に紫のカチューシャをしているのが特徴といえば特徴か。逆に言えばそのほかに特筆すべきこともないような女だった。白いブラウスに黒いスカート。スカートにはこの妖怪の唯一妖怪的な外見特徴である半透明の光の線のような”弦”がまとわりついていた。
九十九八橋。
まだキチンと個別に編纂していない木っ端妖怪の一人だ。話だけは聞いていた。例の小槌の一件で目覚めたたくさんの怪異の一角で、魔力の回収による消滅を免れた少数派。元になった楽器の由来がそこそこよかったのか、それなりの力を持った妖怪だ。
確か弁々という吸血鬼もびっくりのネーミングセンス、まあそれはいいけれどそんなのがいつも一緒だったはずだ。血がつながってないのに姉妹とか抜かしているそうだけど、妖怪に血の繋がりなんて、それも笑える話だ。
八橋は提供された紅茶――来客用のいいやつ――を飲みながら落ち着かない様子できょろきょろしていた。追い出されそうになっていたのに急に客人扱いされれば、まあこんなものだろう。
「あの、なんなのこれ?」
「私の、まあ暇つぶしですよ。九十九八橋さん」
暇つぶしに、なんていったのに、彼女の反応はごくごく淡いものだった。大体幻想郷の妖怪はこのぐらいの浅い煽りでも乗ってくる瞬間湯沸し気みたいなやつばかりだから、この反応は珍しい。
「怒らないのね」
「手慰みで鳴かされるのは慣れてるからね」
それはそれで面白くない反応だった。
すぐ怒るやつは取り扱いが難しくて好きになれないが、ぜんぜん怒らないやつもそれはそれでなんだこいつ、と反感を覚える。ま、誰にでも反感を抱いてばかりの私だから、しょうがない。
「何してたの?雨が降るのは空を見ても龍を見ても分かってたでしょうに」
「龍?」
「ああ、知らないのね。里の広場に置かれた龍の石像。目の色を見れば天気が分かるのよ」
八橋はこの幻想郷で暮らし始めてまだ日が浅いから知らなかったのだろう。私はといえばそんなせせこましいことをしなくても、使用人が天気を調べておいてくれるし、そもそも雨が降ったところで使用人が傘を指しかけてくれる。地位とは、権威とはそういうものだ。
「ああ、あれそんな意味があったのね。時々色が変わるから”化けかけ”かと思った」
「あなたたちみたいなのが早々頻繁に生まれる場所じゃないわここは。あれは河童のからくりよ。それよりどうしてうちで雨宿りなんかしてたのか、まだ聞いていないけれど」
質問に答えない妖怪は嫌いだ。べらべらしゃべる妖怪も嫌いだけれど。
「今日はちょっと仕事でね。少し急いでたから朝、天気を確認する余裕がなくってさー。こう見えても楽器だから湿気は苦手で。立派な庇があったから、ちょっと借りてやるかーと思って」
なんともノリの軽いやつ。
じとじとした日が続くから、それも悪くはないけれど。
「仕事なんてやっているの?木っ端妖怪なのに」
「仕事くらいするさ。木っ端妖怪だからね」
怒らない。面倒なやつ。
「芝居小屋で演奏したり、寄席の出囃子をやったりね」
「例のバンド活動とかいうのも?」
「あれは趣味」
いまいち差が分からないけれど。
私は趣味が仕事のような女だから、むしろ趣味が生態のようないきものだから、その辺の感覚はよく分からないのだろう。たぶん。
「よく集会場とか、太陽の畑とか、あちこちでやってるあれね。いまいちな演奏ばかり」
「おや、とげのあるいい方じゃんね」
ずっととげとげしてたつもりなんだけど。ようやく響いたみたい。まあ楽器だからこの手の話題には食いつきがいいんだろう。フィッシュ。
「プリズムリバーも鳥獣なんちゃらも聞いてられないのだもの。クラシックもパンクもね」
あれをクラシックとかパンクとか言っていいのか分からないけど。
小鈴はいつも、音楽はジャンルで楽しむものじゃないなんていうけれど、私からすれば世の中のすべてのものはジャンルわけ出来て、それらが世界をよりわかりやすくするのだ。あの子はミーハーだから、この姉妹や堀川という賢しらなドラム女の演奏も、もう聞いたのだろう。あの明らかに堅気じゃない胡散臭い眼鏡の女と。くだらない。
「あら、稗田のお嬢さんは音楽はお嫌い?」
「まさか。音楽は嗜むわ。いい音楽をね」
「じゃあ今度、私たちのコンサートにきちゃいなよ」
懲りるということを知らない女だ。私の嫌味に気がつかないのか?
幻想郷の妖怪連中に多い厚顔無恥な連中の一人かと、興味を失くす。
「家でレコードを聴いているほうが好きだからいいわ」
「どんなの聞いてんの?」
へこたれない。
「あなたは知らないでしょう。ビートルズとか、コクトーツインズとか」
「知ってる。外の音楽聞いてるやつなんて幻想郷にいるんだね」
「え、え、知ってるの?ザ・フーとか分かる?」
「詳しくはないけど分かる」
前言撤回。
こいつはいい妖怪だ。よく見ると格好もなかなかイカしてる。
しかし珍しい。幻想郷において音楽はそもそもライブで聴くものであって、私のようにレコードで聞く人間はほとんどいない、というかレコードプレーヤー自体普及していない。ものがないわけじゃないのだけど、やっぱり郷の住人にとって音楽は目の前で奏でられるものがすべてなのだ。
私はといえば、ここまででまあ分かると思うが、昔から偏屈だし堪え性がなく、他人にも当り散らすし神経質であったから、周囲からはよく心配されていた。紫が見かねてプレゼントしてくれたのがレコードプレーヤーで、そのとき一緒にもらったアビイ・ロードはレコードがだめになるまで聞き込んだ。流れ出す音が熱となって、私を慰めた。しかし私の中の熱は吐き出す場所を見つけられなかった。語れる相手もいなかったのだ。じわりと、しかし確かにくすぶる熱が胸に疼いて、それがまた私を神経質にしていた。
「部屋を移しましょう」
「はえ?」
私は決断的に彼女の手を引いて、使用人にもあまり入らせないレコード観賞用の部屋に引きずり込んだ。いい迷惑だ。でもしょうがない。
「おお、コレクション」
「少ないけどね」
何しろここでLPを手に入れる手段は少ない。偶然流れ着く以外には、外のものを仕入れている妖怪の組合に安くはない金額を支払わねばならないし、それも長い待ち時間がある。
「それにしてもどうしてあなたのような妖怪が外の音楽を?」
ふと気がついた。
もっと早くに、当然に浮かぶべき疑問であったのに。そう思うとここまでの私が相当に私らしくもなくはしゃいでおり、記憶から抹消したい行動ばかりだ。残念ながら抹消できない。
「私と姉さんが妖怪になった後、あ、姉さんって言うのは血は繋がってないけど……」
「それはどうでもいいわ」
「聞けよ。まあいいや、で、小槌の魔力がなくなっても消えてしまわないように外の世界の魔力を取り込んだんだよ。たぶんそのときによく考えずいろんな奏者の魔力を引っ張ってきたから、外の音楽の記憶が私の中にあるのかもしれない」
「ふむふむ」
まあありふれた手法だ、私にとっては。原理のほうはどうでもいいが、しかしその副次効果には興味を抱かざるを得ない。もちろん一番に興味を抱くべきは、魔力に記憶が紐付けされるのかというところであって、それは専門家としての興味であるのだけれど、今の私にとって重要なのは、その偶然が私にとっての幸福であるということだ。
「八橋とかいう妖怪さん。ちょっとお話しましょう。ビートルズの話を」
私の話は長引いた。
お話といった割には、会話というより独演会の様相を呈していたが、八橋は優秀な聞き手であった。なんとも気の抜けた軽い合いの手が、心地よく私の口にシュプールを引かせた。彼女にもいろいろ都合があったのかもしれないけれど、この際そんなことどうでもいい。もちろんよくはないのだけれど、少なくとも彼女はここにいてくれて、私と音楽について語り合っているのだ。
「なんだか、ずいぶん溜まってた?のかな?」
「む、なんですかその言い方は」
なんだか見透かされているような笑いが気に食わない。しかしにらみ付けようとしても、視線の端に喜悦がにじみ出てしまっているのが自分でも分かるくらいで、ああもう恥ずかしくって記憶を消したい。消したいのだ。
「でも稗田のお嬢さんが……」
「阿求と呼んでください」
私の中であなたはすでに、そして一方的に、友人であるのだから。
「阿求サン?が音楽が好きなんてはじめて知ったよ。聞く限りじゃあ堅物で……」
「いつもイライラしてて、ヒステリック?」
「いやそこまでは知らないけどさ。でも遠い世界の人だった。そういう人がいる、ぐらいの認識だったのに。雨宿りして楽しいつながりが出来て、私はうれしいな」
私のほうがうれしいに決まってるのに、馬鹿かこの妖怪は。
なんて口に出して言えたら友達が紫と小鈴だけ、なんてことになってはいないだろう。
「庇にいたのが話の分かる妖怪だったのは不幸中の幸いでしょうね」
これだもの。
「それより阿求サン?話もいいけどさ、音楽は聴いてこそだよ」
「それもそうです」
当然のことだ。今の今までそのことに気がつかなかった私は、やはり普段の冷静で知的な私ではないらしい。お気に入りのLPを取り出して針を落とそうとする。
それを八橋が、指で掬ってとめた。
「レコードもいいけどさ、ミュージシャンが目の前にいるのにそれはないよ阿求サン?」
八橋はスカートに煌めく光の弦を束ねるように右手でつかむと、それをえいやと引き抜く。次の瞬間彼女が握っていたのはギターのネックであり、その瞳はアーティストのそれであった。
「弦楽器なら割となんでもいけるんだよ。いっちょワンマンライブならぬワンマンフォーワンマンライブだぜ」
私のための、私だけのための音楽。
レコードでなく、また通常のコンサートでもない。
「何が聞きたい、阿求サン?」
こんなことがあっていいのだろうか。
こんなことが。
私のような可愛げのない、高圧的で、偏屈な女に。
「聞きたい曲があるんです。あったんですずっと」
夢想したことならある。
大多数の見えない誰かのために歌われる歌でなく、私に。
歌にこめられた願いは、決して、たくさんの聞き手に伝わるうちに希釈されたりはしないのだろうけど。でも独占欲の強い私のような女は、それでもいつか、ポールが、私だけのために奏でてくれるのではないか、なんて。
夢想するのだ。
でも彼に来てもらう必要は、今、ない。
ずっと聞きたい歌があった。
初めて聞いたとき、まるで幻想郷を歌ったような歌だと思った。
この郷の儚さを。
夢のような現実感のなさを。
今、あなたの声で歌って。
「ゴールデン・スランバーを、聞かせて?」
私のポールは弦に指を這わせ、私を見た。
やがて歌になる、空気を吸い込んで。
.
なにやら外が騒がしいのだ。使用人を呼んで何をしているのかと問い詰める。わずかに苛立ちが混じり、詰問するような形になってしまった。この使用人は何も悪いことなどしていないというのに。こういうことはよくあることだった。私は自分の立場に甘えている。
過酷な運命を背負っている人間なんだ。立場のある偉い人間なのだと。心のどこかに常にその意識がある。もちろん元をただせばこのような生き方をしているのは自分で決めたことなのだから、それに苛立ったり、ましてやそれを立場の弱い人間にぶつけるなんてありえないことなのだけれども。
詰問されしどろもどろになる使用人は、よくわからないけれどとにかく聞いてきますということで、慌てて走っていった。戻ってくるころには再び私のイライラが充填されていて、わがままに応えて奔走してきたのに怒られる羽目になった。哀れな使用人。そう思うなら態度を改めてやればいいのだけれど。
何でも見知らぬ妖怪がうちの軒先で雨宿りをしていたそうだ。それを衛視が追い出そうとして揉めているのだという。くだらない。追い出すなら追い出すで、もっと毅然と、たたき出せばいいのだ。うちは天下の稗田家なのだから。あるいは天下の稗田家なのだからこそ、広い懐で雨宿りぐらいさせてやればいいのかもしれない。どちらにしても、どっちつかずの対応で当主を苛立たせるのは無しだ。その衛視の名前を聞いておく。覚えていたら減給してやろう。まあ、忘れるわけないんだけどね。
いけないいけない。こんなこと、また紫に怒られてしまう。私の悪癖だ。たくさんあるうちのひとつだけれど。
時計をちらりと見る。4時を指していた。気だるい雨の午後。
私は気まぐれにその雨宿り妖怪とやらに会ってみることにした。あんまりイライラしたのでその面を拝んでやろうと思ったのがひとつ。イライラで仕事にならないから暇つぶしがほしかったのがひとつだ。イライラしすぎだ。
里の名士である稗田の家が雨宿りする野良妖怪を追い出すなんてみみっちいことをしているのが知れたらどうするのだと、まあそういう理由をでっち上げて応接間に招かせ、お茶を出させた。別にそんなことでうちの評判は落ちないだろうし、さらにいえば評判が落ちたところでなんだという気もするけれど。
表向きは元々、対妖怪のための知識の収集役を期待されての今の稗田家であるから、妖怪に対してあんまりフレンドリーでないほうがいいのだろうけどね。
応接間に行くと、思いのほか地味な奴が座っていた。栗色の髪に紫のカチューシャをしているのが特徴といえば特徴か。逆に言えばそのほかに特筆すべきこともないような女だった。白いブラウスに黒いスカート。スカートにはこの妖怪の唯一妖怪的な外見特徴である半透明の光の線のような”弦”がまとわりついていた。
九十九八橋。
まだキチンと個別に編纂していない木っ端妖怪の一人だ。話だけは聞いていた。例の小槌の一件で目覚めたたくさんの怪異の一角で、魔力の回収による消滅を免れた少数派。元になった楽器の由来がそこそこよかったのか、それなりの力を持った妖怪だ。
確か弁々という吸血鬼もびっくりのネーミングセンス、まあそれはいいけれどそんなのがいつも一緒だったはずだ。血がつながってないのに姉妹とか抜かしているそうだけど、妖怪に血の繋がりなんて、それも笑える話だ。
八橋は提供された紅茶――来客用のいいやつ――を飲みながら落ち着かない様子できょろきょろしていた。追い出されそうになっていたのに急に客人扱いされれば、まあこんなものだろう。
「あの、なんなのこれ?」
「私の、まあ暇つぶしですよ。九十九八橋さん」
暇つぶしに、なんていったのに、彼女の反応はごくごく淡いものだった。大体幻想郷の妖怪はこのぐらいの浅い煽りでも乗ってくる瞬間湯沸し気みたいなやつばかりだから、この反応は珍しい。
「怒らないのね」
「手慰みで鳴かされるのは慣れてるからね」
それはそれで面白くない反応だった。
すぐ怒るやつは取り扱いが難しくて好きになれないが、ぜんぜん怒らないやつもそれはそれでなんだこいつ、と反感を覚える。ま、誰にでも反感を抱いてばかりの私だから、しょうがない。
「何してたの?雨が降るのは空を見ても龍を見ても分かってたでしょうに」
「龍?」
「ああ、知らないのね。里の広場に置かれた龍の石像。目の色を見れば天気が分かるのよ」
八橋はこの幻想郷で暮らし始めてまだ日が浅いから知らなかったのだろう。私はといえばそんなせせこましいことをしなくても、使用人が天気を調べておいてくれるし、そもそも雨が降ったところで使用人が傘を指しかけてくれる。地位とは、権威とはそういうものだ。
「ああ、あれそんな意味があったのね。時々色が変わるから”化けかけ”かと思った」
「あなたたちみたいなのが早々頻繁に生まれる場所じゃないわここは。あれは河童のからくりよ。それよりどうしてうちで雨宿りなんかしてたのか、まだ聞いていないけれど」
質問に答えない妖怪は嫌いだ。べらべらしゃべる妖怪も嫌いだけれど。
「今日はちょっと仕事でね。少し急いでたから朝、天気を確認する余裕がなくってさー。こう見えても楽器だから湿気は苦手で。立派な庇があったから、ちょっと借りてやるかーと思って」
なんともノリの軽いやつ。
じとじとした日が続くから、それも悪くはないけれど。
「仕事なんてやっているの?木っ端妖怪なのに」
「仕事くらいするさ。木っ端妖怪だからね」
怒らない。面倒なやつ。
「芝居小屋で演奏したり、寄席の出囃子をやったりね」
「例のバンド活動とかいうのも?」
「あれは趣味」
いまいち差が分からないけれど。
私は趣味が仕事のような女だから、むしろ趣味が生態のようないきものだから、その辺の感覚はよく分からないのだろう。たぶん。
「よく集会場とか、太陽の畑とか、あちこちでやってるあれね。いまいちな演奏ばかり」
「おや、とげのあるいい方じゃんね」
ずっととげとげしてたつもりなんだけど。ようやく響いたみたい。まあ楽器だからこの手の話題には食いつきがいいんだろう。フィッシュ。
「プリズムリバーも鳥獣なんちゃらも聞いてられないのだもの。クラシックもパンクもね」
あれをクラシックとかパンクとか言っていいのか分からないけど。
小鈴はいつも、音楽はジャンルで楽しむものじゃないなんていうけれど、私からすれば世の中のすべてのものはジャンルわけ出来て、それらが世界をよりわかりやすくするのだ。あの子はミーハーだから、この姉妹や堀川という賢しらなドラム女の演奏も、もう聞いたのだろう。あの明らかに堅気じゃない胡散臭い眼鏡の女と。くだらない。
「あら、稗田のお嬢さんは音楽はお嫌い?」
「まさか。音楽は嗜むわ。いい音楽をね」
「じゃあ今度、私たちのコンサートにきちゃいなよ」
懲りるということを知らない女だ。私の嫌味に気がつかないのか?
幻想郷の妖怪連中に多い厚顔無恥な連中の一人かと、興味を失くす。
「家でレコードを聴いているほうが好きだからいいわ」
「どんなの聞いてんの?」
へこたれない。
「あなたは知らないでしょう。ビートルズとか、コクトーツインズとか」
「知ってる。外の音楽聞いてるやつなんて幻想郷にいるんだね」
「え、え、知ってるの?ザ・フーとか分かる?」
「詳しくはないけど分かる」
前言撤回。
こいつはいい妖怪だ。よく見ると格好もなかなかイカしてる。
しかし珍しい。幻想郷において音楽はそもそもライブで聴くものであって、私のようにレコードで聞く人間はほとんどいない、というかレコードプレーヤー自体普及していない。ものがないわけじゃないのだけど、やっぱり郷の住人にとって音楽は目の前で奏でられるものがすべてなのだ。
私はといえば、ここまででまあ分かると思うが、昔から偏屈だし堪え性がなく、他人にも当り散らすし神経質であったから、周囲からはよく心配されていた。紫が見かねてプレゼントしてくれたのがレコードプレーヤーで、そのとき一緒にもらったアビイ・ロードはレコードがだめになるまで聞き込んだ。流れ出す音が熱となって、私を慰めた。しかし私の中の熱は吐き出す場所を見つけられなかった。語れる相手もいなかったのだ。じわりと、しかし確かにくすぶる熱が胸に疼いて、それがまた私を神経質にしていた。
「部屋を移しましょう」
「はえ?」
私は決断的に彼女の手を引いて、使用人にもあまり入らせないレコード観賞用の部屋に引きずり込んだ。いい迷惑だ。でもしょうがない。
「おお、コレクション」
「少ないけどね」
何しろここでLPを手に入れる手段は少ない。偶然流れ着く以外には、外のものを仕入れている妖怪の組合に安くはない金額を支払わねばならないし、それも長い待ち時間がある。
「それにしてもどうしてあなたのような妖怪が外の音楽を?」
ふと気がついた。
もっと早くに、当然に浮かぶべき疑問であったのに。そう思うとここまでの私が相当に私らしくもなくはしゃいでおり、記憶から抹消したい行動ばかりだ。残念ながら抹消できない。
「私と姉さんが妖怪になった後、あ、姉さんって言うのは血は繋がってないけど……」
「それはどうでもいいわ」
「聞けよ。まあいいや、で、小槌の魔力がなくなっても消えてしまわないように外の世界の魔力を取り込んだんだよ。たぶんそのときによく考えずいろんな奏者の魔力を引っ張ってきたから、外の音楽の記憶が私の中にあるのかもしれない」
「ふむふむ」
まあありふれた手法だ、私にとっては。原理のほうはどうでもいいが、しかしその副次効果には興味を抱かざるを得ない。もちろん一番に興味を抱くべきは、魔力に記憶が紐付けされるのかというところであって、それは専門家としての興味であるのだけれど、今の私にとって重要なのは、その偶然が私にとっての幸福であるということだ。
「八橋とかいう妖怪さん。ちょっとお話しましょう。ビートルズの話を」
私の話は長引いた。
お話といった割には、会話というより独演会の様相を呈していたが、八橋は優秀な聞き手であった。なんとも気の抜けた軽い合いの手が、心地よく私の口にシュプールを引かせた。彼女にもいろいろ都合があったのかもしれないけれど、この際そんなことどうでもいい。もちろんよくはないのだけれど、少なくとも彼女はここにいてくれて、私と音楽について語り合っているのだ。
「なんだか、ずいぶん溜まってた?のかな?」
「む、なんですかその言い方は」
なんだか見透かされているような笑いが気に食わない。しかしにらみ付けようとしても、視線の端に喜悦がにじみ出てしまっているのが自分でも分かるくらいで、ああもう恥ずかしくって記憶を消したい。消したいのだ。
「でも稗田のお嬢さんが……」
「阿求と呼んでください」
私の中であなたはすでに、そして一方的に、友人であるのだから。
「阿求サン?が音楽が好きなんてはじめて知ったよ。聞く限りじゃあ堅物で……」
「いつもイライラしてて、ヒステリック?」
「いやそこまでは知らないけどさ。でも遠い世界の人だった。そういう人がいる、ぐらいの認識だったのに。雨宿りして楽しいつながりが出来て、私はうれしいな」
私のほうがうれしいに決まってるのに、馬鹿かこの妖怪は。
なんて口に出して言えたら友達が紫と小鈴だけ、なんてことになってはいないだろう。
「庇にいたのが話の分かる妖怪だったのは不幸中の幸いでしょうね」
これだもの。
「それより阿求サン?話もいいけどさ、音楽は聴いてこそだよ」
「それもそうです」
当然のことだ。今の今までそのことに気がつかなかった私は、やはり普段の冷静で知的な私ではないらしい。お気に入りのLPを取り出して針を落とそうとする。
それを八橋が、指で掬ってとめた。
「レコードもいいけどさ、ミュージシャンが目の前にいるのにそれはないよ阿求サン?」
八橋はスカートに煌めく光の弦を束ねるように右手でつかむと、それをえいやと引き抜く。次の瞬間彼女が握っていたのはギターのネックであり、その瞳はアーティストのそれであった。
「弦楽器なら割となんでもいけるんだよ。いっちょワンマンライブならぬワンマンフォーワンマンライブだぜ」
私のための、私だけのための音楽。
レコードでなく、また通常のコンサートでもない。
「何が聞きたい、阿求サン?」
こんなことがあっていいのだろうか。
こんなことが。
私のような可愛げのない、高圧的で、偏屈な女に。
「聞きたい曲があるんです。あったんですずっと」
夢想したことならある。
大多数の見えない誰かのために歌われる歌でなく、私に。
歌にこめられた願いは、決して、たくさんの聞き手に伝わるうちに希釈されたりはしないのだろうけど。でも独占欲の強い私のような女は、それでもいつか、ポールが、私だけのために奏でてくれるのではないか、なんて。
夢想するのだ。
でも彼に来てもらう必要は、今、ない。
ずっと聞きたい歌があった。
初めて聞いたとき、まるで幻想郷を歌ったような歌だと思った。
この郷の儚さを。
夢のような現実感のなさを。
今、あなたの声で歌って。
「ゴールデン・スランバーを、聞かせて?」
私のポールは弦に指を這わせ、私を見た。
やがて歌になる、空気を吸い込んで。
.
ノリのいい二人の会話がよかったです
この返しがたまらなく良かった。
素晴らしく良かったです
阿求がいちいち正確悪くて粋があります
それにしても前言を撤回しすぎです
八橋の方も良い性格をしていると思います
偶然の出会いから始まる関係、良いじゃないですか
小気味よいキャラ、流行ると良いなぁ。
この二人すごくいい。
ちゅっちゅさせたい。