Coolier - 新生・東方創想話

心魂旅行

2015/05/10 04:08:16
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このお話は、
 作品集 57『七曜×七色≠七(曜×色)』
 作品集 69『図書館を出よう!』
 作品集149『ひとりっ娘』
 の続きです。
 前作をお読みになったことのない方は、そちらを先にお読み頂くと諸々分かりよいと思います。
 また、
 ジェネリック45『夢見る人形』
 ジェネリック47『悋気応変』
 ジェネリック95『なんでもない、風味。』
 となんとなく関係が有ったり無かったりしますが、こちらは読まなくても問題ありません。

 前作と合わせるとそこそこの分量がありますので、時間のあるときにでもお好きな飲み物を用意してどうぞ。
 多分結構な分量の「俺設定」が含まれます。許せる方のみお読みください。
 文中の無駄知識はあまり信じない方がいいです。
 問題なければ、このまま下へどうぞ。

























 あなたは湿った土の感触に目を覚ます。
 あたりは薄暗いが日が翳っているわけではない。
 背の高い木々にさえぎられ、日光がまばらにしか地面に届いていない。
 あなたが座り込んでいる木の根元にも、雑草ではなく苔がはえている。
 しっとりと湿り気を帯びたそれらは長く座っているのには向かず、あなたはゆっくりと立ち上がる。
 風は殆ど無い。蒸すような湿度ではないけれど、快適とは言いえない。空気はよどんでいる。
 とはいえ湿度が高いだけで天気は悪くないし足元もしっかりしている。
 あなたは試しに深呼吸をしてみる。
 決して気持ち良くはない空気が呼吸器を満たす。
 「はふ」と、音にもならないほど幽かな吐息を漏らし、あなたは歩き始める。
 背の低い雑草を踏みしめながら、ゆっくりと確かな足取りで歩みを進めると、視界の隅に緑色の少女の姿がある。
 目だけではなく頭ごと向きを変えて視界の中心にその少女をおさめると、その少女もあなたをみとめて近づいてきた。

「あなた、私が見えるの?」

 あなたは首肯する。
 次の瞬間、手を引かれたあなたはその少女に連れられ歩き始める。
 しばらくぐいぐいと引っ張られるに任せている。
 少女があなたの手を引くたびに、あなたの体勢は崩れ前に倒れそうになる。
 そこで足を一歩踏み出し自分の体を支えると、少女はまたぐいっと手を引っ張る。
 その繰り返しでどんどん前へと進む。
 倒れないように只只足を前に踏み出し続けていると、あなたはいつのまにか明るい日差しの下にいる。
 そして、いつからかあなたの足は地面についていない。
 自らの重さを支えるのは少女に引っ張られている右腕だけになっている。
 風があなたの長い髪の毛を乱し、スカートの裾をはためかせる。
 少女は前を向いたまま掴んでいる手をたぐり寄せあなたの腰を抱く。
 緑色の紐のようなものであなたを自身に縛り付けると、そのままの速度で飛び続ける。
 空へ。空へ。空へ。
 引っ張られるというよりは、風に舞い上げられるように。
 あなたはすべてを少女に任せる。
 足も動かさず、手も動かさず、髪も服も風に乱れるに任せ彼女に抱えられている。
 視界の端を鳥が飛んでいる。
 見回しても、青空と遠くに見える雲ばかり。
 空へ。空へ。空へ。
 すると、突然少女は下へ向かって落ち始めた。
 下へ。下へ。下へ。
 どんどん速度は上がっていく。
 飛び上がったのよりもずっと長い時間、少女は落ちる。
 下へ。下へ。下へ。
 そして日差しがいつの間にか消え薄暗い場所に入ったかと思うと、あなたは赤と黒の巨大な洋館の前にいる。
 しゅるしゅると緑色の紐が勝手に解けて、あなたは再び自分の足で地面に立つ。
 足元には赤髪に黒服の知らない少女が踏み潰されていた。
 門を開けると少女はまたずんずん歩く。
 はいほーやらでぃんどんやら口ずさみながら、大股で迷い無く進む
 あなたはそれに只只ついていく。
 長い廊下を引き摺られるように進み少女のあけたドアをくぐると、その部屋にいた人物がこちらを向く。

「お姉ちゃん、この子ここにおいて」
「あら、こいし。ええ、かまわないけど」

 お姉ちゃんと呼ばれた少女は、紫色の髪の毛を払うと少し目を細めてあなたを見る。

「成り立てなのかしら。あなた、心が。……まあいいわ。なんていうの?」

 あなたは何も言わない。

「ふむ。勝手に読ませてもらいますよ。……あら」

 赤い紐のついた目玉をこちらに向けると、少女は困ったような表情になる。

「こら、こいし。あなたは……」

 振り返りながら声をかけるが、こいしと呼ばれた少女は既にそこにいなかった。
 少女は眉間のしわを深めながらあなたに向き直る。

「そのうちお燐にでも言いつけて元いた場所に戻してあげますから、しばらくはここにいて頂戴。このごろ見かけていないから今すぐにとはいかないだろうけれど」

 こうして、あなたはこの建物にしばらく住むことになった。


  □■□■□


 湖の中に小島があり、そこには吸血鬼の住む館がある。
 そこに住むのは館の主にしてスカーレット家当主のレミリア・スカーレットとその妹であるフランドール・スカーレット。
 その彼女達に仕える人間離れしたメイド人間、十六夜咲夜。主に門の前に立っている系の職業に従事する妖怪、紅美鈴。
 そして地下図書館に居候する魔女、パチュリー・ノーレッジ。
 他にも多くの妖精メイドや門番メイド、パチュリーに使役される小悪魔がいる。 
 数の多さは活気の証。吸血鬼の館というイメージとはかけ離れた、賑やかな空間だ。
 「人間」は一人しかいないというのに。
 そんな館で一番静かな場所といえば、知識の魔女が支配する地下図書館だろう。
 構成員の大半を占める妖精にとっては、広大な空間を埋め尽くさんばかりに格納された知識の集積物は興味の対象とはならないようである。、
 自然、そこにはパチュリーと彼女の世話をする小悪魔がいるばかりで、たまに用事を言いつけられたメイドや暇をもてあました館の主とその妹、就業時間中の門番などが訪れる程度であった。
 それが今では、定期的に魔法の森の七色人形遣いが訪れては茶飲み話に花を咲かせ、魔法の森のモノクロ魔法使いが蔵書目当てに弾幕を撒き散らかして行く。
 本日の迷惑来訪者は、七色人形馬鹿ことアリス・マーガトロイドだった。

「悪意を感じるわ」
「私がアリスに悪意なんて抱くわけ無いじゃない」
「今、ものすごく渋々読んでる本を閉じたわよね」
「丁度佳境だったから」
「日を改めましょうか?」
「アリスと過ごす時間はプライスレスよ」
「タダ同然ってことかしら」
「いいえ、空気のように不可欠ということね」
「いずれ交換不可能なんでしょう。プライスレスなんだから無価値ね」
「アリスとの時間を邪魔するものはたとえアリスであろうと許さない」
「全く完全に意味不明よ。時々その口を塞ぎたくなるわね」
「口で?」
「息の根を止めてやろうかしら」
「あら恐い。さすがは死の少女」
「それはもう返上したわよ。どこぞの亡霊のほうが今は似合ってるし」
「六ボス?」
「いえ、一ボス」
「そう。で、自律人形の進捗は?」
「呼吸の機能をつけたけどずっと喋らないから何故かと思ったら、あの子そもそも呼吸が必要ない設計だった」
「まあ、そうよね。人形だし」
「で、呼吸することで魔力の循環を促すようにしたら息をするようにはなったわね」
「呼吸しないと死ぬ、ではなくて、呼吸した方が楽っていう設計ね」
「ただ、自発的には喋ってくれないのよね。ある程度形式的な質問には答えるんだけど」
「必要が無いもの。息をしなくても何も失わない。失われないものは命ではないわ。あの人形にはまだ命が無い」
「どういうこと?」
「単純な論理学よ。命は失われるものである。つまり失われるものでないなら命ではない。ところで呼吸を必要としないならそもそも失いようが無い。呼吸をしなくても死ぬことが無いのならば、呼吸はあの人形にとって“命”ではない。だいぶおかしい話なのだけれど」
「いや、論理の話じゃなくてね」
「じゃあ命の話かしら。命はいのち。命の“い”は息の“い”よ。息のうち、つまり息をしている間と言うことね。もしくは“ち”が霊性をあらわす場合もあるから息の力となるかもしれないけれど。のづちとかみづちの“ち”ね。息が生命にとって根本的なものであるっていうのは洋の東西を問わない発想よ。Dum spiro, spero.だとかインスパイアだとかプネウマだとかプラーナだとかまあまあその辺よ」
「プシュケーとかアニマも息ね。サイキックとかアニマルとか魂だし」
「そう。気血の気。命にとって重要なのは気と血なのだけど、残念ながら私は喘息と貧血に悩まされるか弱い魔女に過ぎない」
「あなたを見ていると、か弱いという形容詞は浮かんでこないわね」
「じゃあ何よ」
「脆弱」
「誰が虚弱貧弱無知無能な人の子よ。そもそも人の子じゃないわ」
「誰も人の子なんていってないし、どちらかといえばもやしの子よね」
「植物でもない。さておき呼吸と体液は生命活動の本質。循環と変化こそが生命の本質よ。呼吸が乱れると思考も乱れるでしょう。心が千々に乱れると鼓動も乱れる。喘息が起こると詠唱も出来ない。割と死活問題ね」
「病人が言うと説得力があるわね」
「魔法使いなんて大なり小なり病んでるものでしょう」
「私は健全な人形遣いだけど?」
「ヒトガタ遣いはココロを病んでそうよね」
「パチュリー」
「悪かったわ。口が過ぎた」
「まあ、呼吸機能をどうするかは今後の課題と。後は体液ね。血とリンパ」
「そういえば、久しくエイダの姿を見ていない。この間あなたが連れてきたのが最後じゃない?」
「ええ。先週ね。随分子煩悩だこと」
「いいじゃない。わが子の成長は気になるものよ。まだ言葉もわからず文字も読めないとなれば、私にできるのは直接会うことぐらいだもの」
「その辺はまだ仕方ないわよ。片言でもじぶんから話してくれないことには」
「それについて少し試したいことがあるのだけど、これから会いに行ってもいいかしら」
「かまわないけど、突然ね。何のおもてなしも出来ないわよ」
「別にいいわ、そんな他人行儀なことしなくても。私とアリスの仲じゃない」
「どんな仲よ」
「披露宴でケーキ入刀するくらい?」
「結婚した記憶はないわね」
「新婚旅行は月がいいかしら.ロケットくらいなら作るわよ」
「月がからむといい思い出がない」
「そうね。前に新婚旅行は旧地獄がいいって言っていたから地底に行きましょうか」
「一言も言ってない。言ったのは寧ろパチュリーだったと思うけど」
「よく覚えてるわね」
「言われるまで忘れてたわ」
「私は楽しみにしていたのだけど」
「年中引きこもってるくせに?」
「アリスが隣にいるなら外出も吝かでない」
「まあ、そのうち」
「では今日のところはアリスの家までで手を打ちましょう」
「ん。行きましょうか」

 二人は立ち上がると、片づけを小悪魔に任せて図書館を出て行った。


 
  □■□■□


「よろしくね、ええと、エイダ?」

 「はい」とあなたは言う。少しあけて「お姉ちゃん」とも。

「それは私の名前ではないわね。私は古明地さとり。この地霊殿の主よ。あなたはアリス・マーガトロイドの関係者ね」

 「はい。古明地さとり。私はアリス・マーガトロイドによって製作された自律発展式人工知能搭載型自律人形試験機A.D.A.I.固体名、エイダです」と、あなたはすらすらと声に出す。

「宜しく。といっても、まだあなたには魂がないようだけれど。それと、ここでは私のことを、そうですね、“さとり様”と呼んで頂戴。そんな趣味は無いのだけど、体面がね。主なんてやってると面倒なものですよ」

「呼称の変更を完了しました、さとり様」

「はいご苦労様。この建物以外では好きに呼んでいいですからね。では、そうね、こいしが戻ってきたら相手になってあげて頂戴。建物は好きに見て回ってかまわないですよ。部屋は、必要かしら」

 何か考えているようだったが、あなたはその場にじっと立っている。
 “さとり様”の発言の殆どに対して、あなたは反応できるように作られていない。


  □■□■□


「エイダがいないのよ」
「いないわね」
「何で落ち着いてるのかしら」
「なんでそこまで取り乱してるのよ。冷静に物事を判断しなさい。これだから未熟者は」
「関係ないでしょ。何で冷静でいられるのかしら。所詮男親だからかしらね」
「男ではないわ」

 アリス・マーガトロイドは自宅でパニックに陥っていた。
 パチュリーと一緒に帰宅したアリスがエイダの不在に気付き、現在に至る。

「きっとエイダが可愛らしすぎるから誘拐されたに違いないわ。ああ、あんなに可愛らしく作ってしまった私を許してー」
「あー?」
「ああかわいいかわいいエイダー。どこへいってしまったのー」
「あー。気が済んだかしら、お母さん」
「ええ。派手に嘆いて気も晴れた。糸をつけてあるから行き先は大体わかるしね」
「いきなり騒ぎ出すから、何事かと思ったわ」
「ふりでも取り乱してないと落ち着かないときってあるじゃない」
「取り乱してるのか落ち着いているのか微妙なところね」
「こういうのは気分よ」
「あー。気分は大事よね、気分は」
「で、行き先だけど」
「飛び出していかないっていうことは、危ない場所ではないのね」
「まあ。でも妙なのよね。あの子、まだ立って歩いていくつかのキーワードに反応するくらいしか出来ないはずなのに」
「喋るの?」
「と言うか、音声を発するって感じね。意志の疎通は多分無理」
「意志の疎通とはいうものの。果たして意思とはいったい何なのかしらね」
「あー」
「疎通しようにも意志の正体がわからなければ――」
「それ、長くなるわね?」
「長くしてよければ」
「いいわ。エイダを迎えにいく支度をするから、その片手間でよければ聞きましょう」
「では座らせてもらうわね。会話にはテーブルが必要だから」
「会話にはお茶も必要かしら」
「ありがとう。で、どこへ出かける予定なの?」
「そうねぇ。この反応だと多分そこそこ遠出になるわね」
「具体的に」
「正直、行っていいものか迷うのだけれど」
「アリスとならどこへでも行くわよ」
「ありがとう。じゃあ、パチュリー」
「ん?」
「新婚旅行に行きましょうか」

 アリスは、それはそれは魅力的に微笑んだ。


  □■□■□


「ふむ。映像も音声も記憶としてはあるようですね。個人の識別も一応は可能、と」

 地霊殿のさとりの私室で、あなたは“さとり様”と向かい合っている。
 赤く大きな目玉が時々ぎょろりと動く。
 口元を手で隠しながら、彼女はあなたのつま先から頭のてっぺんまでねっとりと視線を這わせる。

「ちょっと失礼」

 あなたの手を取ると、そのままソファーへと座らせる。

「成程。では立ち上がって」

 あなたはゆっくり上体を前に倒し、重心を前に移す。
 そのまま多少勢いをつけて立ち上がる。

「よろしい。では、私について歩いてください」

 そのままドアを開けると廊下に出る。
 少し進んで、あなたのほうを振り返る。
 幽かに目元を緩めると、そのままいくつもあるドアのうちの一つの前でたちどまる。
 あなたもそのまま歩を進め、彼女の後ろで立ち止まる。
 
「あなたの記憶にある図書館ほどではないけれど、うちにもそれなりに蔵書があるのですよ。文字は読める?」

 あなたは首を横に振る。

「ふむ。では、読み聞かせてあげましょうか。何がいいかしら」

 彼女はドアを開ける。
 そこは本で囲われた空間だった。
 本棚の高さはあなた二人分はあるだろう。カーテンのかかった窓以外の壁面はすべてその本棚で埋まっている。
 本棚の幅は一面およそ二十歩。四面でおよそ八十歩。
 広い空間ながら、高くそびえる本棚は威圧感を放つ。
 狭いという感覚は無い。けれども広いという印象でもない。
 ただ、大きい。

「私の手記など読ませるようなものでもないわね。ああ、これなんかどうでしょう」

 あなたは部屋を歩き回っていた。隅から隅へと目的も無く。
 巨大な本棚にぎっしりとしまいこまれた本には、背表紙に何か書いてある。
 しかしあなたはその文字を読むことが出来ない。
 その内容に興味を惹かれることも無い。
 ただ、自分のいる空間を確認するために歩く。

「さあ、こちらへ来てお座りなさい。読んであげましょう」

 あなたは呼ばれるままに、部屋の中央にしつらえてあるソファーに向かう。
 彼女は既に座っており、あなたは空いている側へと腰を下ろす。 
 あなたが座ったのを確認すると、彼女は手に持った本を開く。
 軽く壁払いをすると、ゆっくりとした調子で言葉を発する。

「Dorothy lived in the midst of great Kansas prairies,...... あら? ええと、日本語でないと駄目よね。えー。ドロシーはカンザス大草原の真ん中で、農夫のヘンリーおじさんとその妻のエムおばさんと暮らしていました――」

 彼女はゆっくりと訳しながら、あなたに読み聞かせる。

 
  □■□■□


「地底へ行くって事かしら」

 パチュリーは、用意された紅茶に口をつけながらアリスに尋ねた。 

「ええ。以前魔理沙が異変解決に向かった、地霊殿ね」

 アリスは遠出に備えて身支度を進めている。
 あちらこちらの戸棚を開け閉めしては、パチュリーの座っている前に置いていく。

「何故エイダがそんなところに?」
「さあ。あの子が自分の意志で向かう、なんてことは無いはずだけど」
「そう、意志。そういえば意志の話だったかしら」
「ええ。あなたは意志の話をしようと意志していた気がするわ」
「自覚的な意志はおいときましょう。話題として広げやすいのは意識以前の意志ね」
「無意識ってこと?」
「それに近いわ。今回エイダに試してみたかったのもそれよ」
「あの子に意識は……。あるのかしら?」
「ここで意識とは何かを問う前に、意志の話をしましょう。例えば私は紅茶を一口飲む時、右手でカップを持って口元まで運び温度を気にしながら口に含み嚥下した後で砂糖が足りないと思うでしょう」
「砂糖壷なら食卓の隅においてあるわよ」
「見えてる。そしてカップをソーサーに置いてシュガーポットの蓋をとり、砂糖を一さじ紅茶に入れるわ」
「ふたはきちんとしておいてね。湿気で固まるから」
「わかってる。で、ティースプーンでかき混ぜてまた一口飲むわけよ。うん、丁度いい」
「私のもお願い」
「ん。砂糖は二杯だったわね? で、飲んだ紅茶は食道を過ぎ胃に落ち腸へと流れ体内をめぐる水分として吸収されるわけね」
「まあ、飲食は必要ない体になったんだけど」
「そう。大概いい具合に出来てるものだわ。まあ、ふつうは消化吸収があるわけで、そんなことまでいちいち意志しなければ出来ないほど、人間の体は不便ではない」
「そのへんは、代謝機能がそれこそ無意識にやってることよね」
「そう。つまり意志は意識や自我の元に制御されるものではない。何らかの行動に理由として与えられる“意志と呼ばれるもの”がもし実在するとしたら、それは無意識にこそ存在するものよ。脈動や呼吸は無意識のもの。生命活動を行う意志に基づく活動」
「それが、今のエイダに欠けているもの?」
「まあ大体は。しかしそれでは変化が無い。欠けたものを満たすだけ。成長の観点が欠けている。じゃあ意識を持つ存在が備える意志とは何かといえば。自らの成長と変化を求める意志ね」
「人間は無意識に自らの成長と変化を求めるって?」
「そうね。自らの権力を拡大しようとする」
「あなた引きこもりだけど?」
「人間じゃないもの」
「それもそうね」
「というか、そういう話ではない。私は見ようと意志して世界を見ているのではなく、意志が解釈した世界を観測しているに過ぎない」
「自分が見ているんじゃなければ、誰が見てるの?」
「誰かしらね。多分パチュリー・ノーレッジとかいう名前の魔女なんだけど」
「あなたは誰なのよ……」
「鏡に向かって“おまえはだれだ”って言い続けると気が触れるらしいわよ?」
「今まさに“気が触れちゃった会”よ」
「マッドティーパーティーね。アリスと私と、後二人ほど足りないようだけど」
「あなた一人で三人分くらい喋ったらいいと思うわ」
「喘息もちには拷問ね」
「喘息魔女とか今更あんまり説得力がさぁ……」
「あんまり酷いと、おまえもぜんそくにしてやろうかとか言い出すわよ」
「蝋人形じゃないのね」
「それはアリスの専売特許だし」
「棲み分けは大事よね。棲み分けは。で、あなたは誰なんだっけ」
「私はパチュリー・ノーレッジ。だけど、私の無意識はなんていう名前なのかしらね。果たして名前は人格と関連付けられたものなのか物理的身体と結び付けられているものなのかさえも明らかではない。いや、多分人格なんだけれど。さておき構図としては、意志は自意識とか自我とか人格以前の存在となるのだけど、ここまではいいかしら」
「ええ。話半分でよければ」
「十分よ。まあ意志って言っているけれど、ちゃんと言うと“権力への意志”なのよね」
「あら、権力志向があったのね」
「無いから図書館に引きこもっているのよ。まあ、人間多かれ少なかれそういう傾向を本質として備えているということね」
「で、権力がどうしたの」
「単純に言い換えると欲望ね。あれがしたい、これが欲しい。そういうものが行為の原因として説明されるわけだけど、それはつまり意志なのよ。もうちょっと根源的なものだと生への意志になるのかしら。おなかがへったから何か食べたい。喉が渇いたから何か飲みたい。これならわかりやすいかもね。生理的な欲求よ」
「図書館で言ってた、無くなると死ぬものね」
「正確には、なくなると死ぬものに対する欲求なのだけどね。ここで疑問なのだけど、エイダに欲求はあるの? あの子は何がないと死ぬのかしら」
「……あー。それはつまりエイダには意識が出来上がる準備が整ってないっていうこと?」
「ほぼそういうことね。ただし、呼吸が肝要である設計にはなっているようだから、可能性が無いではない」
「あー、うん。なるほど?」
「という訳で実際に会ってみたかったんだけど、残念ながらお出かけしていた、と」
「予想外なことにね」
「そして、迎えに行くのもまだしばらく後になりそうだし」
「ん? もうじき支度は終わるけど」
「雨が降るわよ。さっき飛んでる時に空を見たらね」
「え」
「いやしくも魔法に関わるものであれば、天候には常に注意を払うべきね」
「……未熟だわ」

 アリスはそう言うと。パチュリーの向かいに座り紅茶を飲む。
 窓の外は、太陽を雨雲が隠し始めたところだった。


  □■□■□


「 "It must be inconvenient to be made of flesh," said the Scarecrow, thoughtfully; "for you must sleep, and eat and drink. However, you have brains, and it is worth a lot of bother to be able to think properly."ふむ。なかなか皮肉ですね。“肉で出来てるのって不便だね”と案山子は考え深げに言いました。“だって眠ったり食べたり飲んだりしなきゃいけないんだもの。だけど、君は脳みそを持ってる。物事をきちんと考えられるんだから、それくらいは苦労のしがいがあるってものだろうね。”といったところでしょうか。おや、脳みそがいらないといえば吸血鬼、ですか。誰がそんなことを。ああ、本人ですか。それはまた信憑性のある話ですね。肉さえも本来必要なさそうですし。彼女の本体ってなんでしょう。そもそもあるんですかね」

 あなたは“さとり様”の膝の上にいる。
 本の挿絵を見せながら読むにはこれが一番楽だから、と言って。
 彼女はあなたの肩にあごを乗せ、耳元で本の内容を読み聞かせている。
 
「あなたはなかなかいい話し相手ですね。喋っているのは私だけですけれど、あなたは色々な物事を記憶している。その記憶を見せてもらえれば、あなたが話せなくとも私との間でなら会話が成り立ちますから。意志の疎通とは行きませんけれどね。しかし、記憶を読まれるのを厭わないのはなかなかいませんから。久しぶりにお喋りをしている気分ですよ。つやつやしちゃいます」

 先程から少し読み進めてはそれについてあれこれと話をして、思い出したように本を読み進めるのを繰り返している。
 
「それにしても、吸血鬼の彼女の正体、ですか。蝙蝠なんて安直なオチではないのでしょうね。それを象徴するものがその本体であるというのは、まあ、無さそうです。正体ね。私の正体はなんでしょう。サトリという妖怪の正体は狸だったり狐だったり天狗だったり猿だったりそれは色々様々なのですよ。そして、大体は火中の栗とか竹とかに驚いて逃げるんです。不意打ちには弱いんですよね。基本的に不意なんてありませんから。どれだけ偉そうな態度をとっていても不意をつかれるとそれまでの虚勢がふいになってしまうんです。これ笑うところですよ」

 少しの沈黙の後、彼女はフンと鼻を鳴らすと、続ける。

「海の向こうでは祝い事のときに爆竹を鳴らすようですが、そんなに全力で私みたいなのを追い出そうとしなくてもいいじゃありませんか、ねえ? まあ、私は狐狸の類でも天狗でも猿の経立でもありませんので、爆竹なんてうるさいだけでなんともありませんけれど」
「ばーん」
「……」
「お姉ちゃん」
「なんですかこいし」
「涙でてるよ?」
「……なんでもありません」
「驚かせちゃった?」
「いえ、不意をつかれただけです」
「不意をつかれてかっこいいふりがふいになった?」
「あなたいつから聞いていたんです」
「なかなかいい話し相手だとか言ってたあたり」
「いるならいるといいなさい」
「はーい。ねえ、その子連れて行っていい?」
「……ええ。もともとはあなたが連れてきた子ですからね。ああ、この本も持っていきなさい」
「わーい。じゃあ行こう」

 そう言うと、“こいし”はあなたの手を引き歩き出す。
 あなたは“さとり様”の膝から立ち上がり、本を受け取ると引っ張られていった。


  □■□■□


「雨だわ」
「雨ね」
「出かけられないじゃない」
「そうね」
「パチュリー、降らせてないでしょうね」
「アリスとこうして話が出来るのは魅力だけど、そこまで疲れることはやらない」
「疲れなければやるみたいな言い方ね」
「やるけれど?」
「なんでよ。別に外でだって会話くらい出来るでしょう」
「あら、会話にテーブルは不可欠よ。歩きながらできるのは議論が精々ね」
「議論こそ座ってやりなさいよ」
「あら、歩きながら議論するのは哲学の伝統よ。逍遥学派ね」
「不思議な伝統ね」
「有名なのだけど。アリスタートル」
「私は海亀じゃない」
「アリストータスだったかしら」
「陸亀でもない」
「アリスは私達に多くのことを教えてくれたわ」
「Alice taught usってことかしら」
「アリス」
「何よ」
「結婚して頂戴」
「毎日こんな漫才みたいな会話をする気にはなれないわね」
「夫婦漫才、結構なことだと思うけれど」
「夫婦善哉の方がいいわね」
「ぜんざいおいしいわよね。で、アリストートルね」
「アリストテレースくらいすっと言いなさいよ」
「実のところ師のプレイトーも歩きながら講義や議論をしていたらしいわ」
「プラトーンね。なんでいちいち英語読みなのよ」
「気分。さて、プラトンといえばイデアが持ちネタなんだけど」
「哲学者を芸人みたいに言わないの」
「まあ、でも芸人のほうが親しみがわくでしょう。私なんかも七曜芸人だし」
「私は人形劇の人になっちゃうわね」
「七割あってると思う」
「よし、表でなさい」
「人をびしょぬれにしてどうする気なのかしら。濡るとも花のかげにかくれんというやつかしら。花は咲いてないわよ」
「閉め出すだけよ」
「情け容赦無しね」
「雨の中で講義でもしてなさい」
「二人でずぶぬれも悪くない」
「最悪よ。まったく、親の顔が見てみたいわ」
「親ねぇ。存在するのかしら」
「木の股から生まれたとでも言うの?」
「股とか腹とかは関係ないところから生まれたわ。マクベスもびっくりよ」
「マクダフもびっくりしそうね。あなたの生まれに興味が無いでもないけれど」
「聞かれたからには答えましょう。しらざぁ言って聞かせやしょう」
「泥棒なら隣人で間に合ってる」
「そう。で、私がどうやって生まれたかと言えば、気付いたら本を読んでいる私がいたということになるのだけど」
「魔女って有性生殖しないのね」
「人間上がりの魔女にはするのもいるわよ。あくまで私の場合。当分退屈しないだけの量の本があったのでただただ本を読み続けたわ。夜も昼も無く。睡眠も休息も飲食さえ必要の無い身として生まれたから」
「部屋から出ようと思わなかったの?」
「何故出る必要があるのか、と逆に問いたいわね。そんなこと頭の片隅にも無かったわ。そして本棚をいくつ読み終えたかしら、突然部屋の扉が開かれたの。眩しくて目を細めながらそちらを向くと“驚いた。この館に私達以外のモノがいるなんてね”と、そいつは扉を開けたままの格好で開口一番言い放ったわ。ナイストゥーミーチューもアンシャンテもアンゲネームもピアチェーレもなしでよ。無作法だと思わない?」
「それがレミリアとの出会い?」
「ええ。私の存在が他者から承認されることを誕生というなら、そこで私が生まれたとも言えるでしょうね。それから“で、お前は誰だい?”って言うのよ」
「どうせ“名前を尋ねるなら、まずは自分から名乗りなさい”とか返したんでしょう」
「さすがアリス、分かってるじゃない。まあ、その後大体想像通りの展開を経てその館に住むことになったのよ。元々住んでいたのだけど、改めて家主の承諾を得たわけね」
「力づくで?」
「言葉づくでよ。魔法の腕より口のほうが立つからね」
「要するに丸め込んだのね」
「私が丸め込んだというより、レミィが引き際を作るのが上手かったわ。レミィは負けず嫌いだけど、それでいて負け方も上手いのよ。貴族の嗜みとか言ってた」
「まあ、どっちかが死ぬまでっていうのはねぇ」
「妥協点を作れないと向こうじゃ生き残れない。外の世界は原理的に一極支配ってできないようになってるのよ。覇権を握ると、その覇権の維持に必要なコストで疲弊するように出来ているからね」
「レミリアとか、世界征服大好きに見えるけど」
「脳みそが必要無いなりに、そのあたりの分別を弁えた振る舞いは、それこそ本能的にやってるみたい。それに、理想のために犠牲を払えるのは人間くらいのものよ」
「化け物を倒すのはいつだって人間らしいしね」
「というわけで、私は元々人間ではないわけよ」
「じゃあどうしてあなたは生まれたのかしら」
「アリストテレスに戻るなら、自然発生説じゃない?」
「冗談」
「でもないのよね。正しくも無いのだけれど。以前した話なのだけど、例えば雨が降っているのは誰かが降らせているからだという考え方があるわね」
「今降ってるのはパチュリーのせいじゃないみたいだけど」
「そう。でもなにかが変化すると人はそこに原因を求める。変化に限らず、人は目に映る多くのものに理由を求める。充足理由率ね。ある出来事が成立している理由があるはずだ。もしくは、ある行為はある意志の元に行われている」
「食物の消化は無意識という意志の元に行われている?」
「そうね。自我以前に意志が存在すると考えれば、そうなるわ。ところで、本があったらそれを読む人間もいて当然だと思わない?」
「えーと、文車妖妃?」
「あれは書かれた文にこめられた念が形を持ったものだから、私とは違う存在。私は寧ろ書かれた物を読むだけの存在よ。大量の書籍を読む奴がいるだろう。で、私という存在が仮定されたわけね。私の本質は読むこと。実存が本質に先立たない、単なる知識の魔女だったのよ」
「地縛霊みたいなものかしら。図書館の幽霊。でも、今は私の家に来てるわよね」
「ここは幻想郷だもの。本質に実存を与える世界よ。イデアが実体を持ってしまう世界ね。形相に質料を与える世界とも言えるかも知れない。その結果、私は滅多に動かない大図書館になった」
「その割には最近よく移動図書館してるけど」
「人を移動教室みたいに言わないで」
「それって教室自体は移動しないでしょう」
「図書館自体も移動はしてないわ」
「まあ、そうだけど」
「まあ、その。……その辺は実存が本質に先立ってしまったからこその変化よね」
「わかりにくい」
「鈍感」
「ん?」
「It must be inconvenient to be made of flesh.ってことよ」
「わかり易く」
「……察して」
「ふふ。まあ、いいでしょう。ブリキの木こりが心を手に入れてしまったということなのかしら」
「意地が悪い」
「あなたほどじゃないわ、悪い魔女さん」

 アリスは、それはそれは蠱惑的に微笑むと、パチュリーの手を取る。
 まだしばらく雨はやみそうに無い。


  □■□■□


 あなたは先程の部屋よりもやや狭い部屋に連れてこられている。
 普段と違う環境にいるからだろうか、魔力の循環が上手くいかず、あなたは深呼吸をする。
 息を深く吐き、深く吸う。
 三度繰り返し、いつも通りに体が動くことを確かめると、部屋を見回す。
 大きなベッドと黒い天蓋、寝具はモスグリーン。絨毯はワインレッドと黒の市松模様。
 部屋中に多数の人型のオブジェが置いてある。

「ねえ、あなた私が見えるんだよね?」

 声のした方を向いて、あなたは首肯する。

「じゃあ私とかくれんぼしよう。見つけたらタッチしてね。それじゃあ、後ろを向いて三十数えたらこっち向いてね」

 あなたは言われた通りに後ろを向き、三十秒数える。
 振り返ると、多数のオブジェに紛れて“こいし”がポーズをとっていた。
 言われた通りに小石に近づくと、その肩をたたく。

「あれー。これ見えちゃう? んー。よし、じゃあもう一回だね」

 あなたはまた後ろを向くと、三十秒後に振り向く。
 こんどは視界の範囲にはいないようだ。
 あなたは部屋の隅に向かうと、そこから部屋全体を見渡す。
 見あたらないので、今度は逆の隅に向かうと、そこから部屋を見渡す。
 そうして四隅を回っても姿が見当たらないので、あなたはベッドに近づき寝具を剥ぐ。
 シーツにはしわ一つ無い。
 寝具を元に戻すと、あなたはベッドの下を覗き込む。
 そこには、“こいし”の下敷きになっていた赤髪黒服の少女が詰め込まれていた。
 目を覚ましてはいないようだ。
 あなたは立ち上がると、再び部屋を見回す。

「もしもし、私こいし。今あなたの後ろにいるの」

 その声にゆっくり振り向くと、そこには“こいし”がいた。
 あなたは彼女の肩に触れる。

「目はいいけど耳は良くないのかな?」

 彼女0は腕組みをして首をかしげている。
 そのまま部屋の中を、首を左右にかしげながら歩きはじめる。
 あなたは彼女の移動に合わせて視界を動かす。
 畝に視界の中央に彼女の姿をおさめるように、首を振る。
 彼女はあなたを見て、急に走り出す。
 走る彼女を視界の中央に捉え続けられように、あなたは体ごと動いてそれを追いかける。
 やがてあなたの動力は再び不調になる。
 そのまま彼女を視線で追い続けていると、体が動かなくなる。
 あなたはその場に倒れこんでしまう。
 彼女はあなたに近寄ってくる。、

「あなた、多分心がないのね。心がないから魂も行き場が無いんだわ。怨霊には嫌がられそうね。取り憑きやすい形をしているのにとりつくしまもないんだから。あ、ここ笑うところよ」

 そういうと彼女は、笑いながらそのまま部屋を出て行ってしまった。
 あなたは倒れたまま深く息を吐き、深く息を吸う。
 しばらく深呼吸を繰り返す。
 あなたの方へ向かう足音が聞こえてくる。
 視線を向けると、先程ベッドの下にいた少女が歩いている。
 あなたから少し離れて立ち止まると、こめかみを掻きながら声をかけてくる。

「えっと、誰だい?」 


  □■□■□


 雨は次第に弱くなってきていた。
 それでもまだ外出するには向かない天気であることに変わりはない。
 ずれた帽子を直しながら、パチュリーは茶葉を練りこんだクッキーをかじっている。
 アリスは歌を口ずさみながら紅茶を淹れなおす。

「機嫌よさそうね、アリス」
「ええ。なかなかいい気分よ」
「それはそれは。で、どうするの?」
「何が?」
「エイダよ。迎えにいくのかしら」
「迎えに行かないわけにはいかないでしょう。地底に向かうのはちょっと憚られるとはいえ、こちらには一応正当な理由があるわけだし」
「そう。じゃあ弾幕ごっこもありえそうね」
「出来ればあまり目立つ振る舞いはしたくないわ。大手を振って歩ける立場ではないもの」
「それには同意するけど」
「相手のテリトリーに入っていって戦うのは下の下策」
「戦争でも始めそうな発想ね。あなた時々考えることが危険よ」
「危険じゃなくて過激なの」
「大差ないわ。で、具体的には」
「行ってみてから考えましょう」
「ちょっと」
「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応するのよ」
「ようは行き当たりばったりね」
「というわけでノープラン」
「弾幕はブレインとか言ってなかった?」
「しょうがないじゃない。状況が分からないことには策も何も」
「まあ、ねえ。いてもたってもいられない親心という奴かしら」
「あなた、自分は親じゃないみたいな物言いね」
「まあ、産んでないし」
「認知してくれないの?」
「ああ、私が父親役でいいのね、わかったわ。養育費を払いましょう」
「なんだか話が生臭くなってきたわね」
「生臭くしたのはアリス」
「まあともかく、一刻も早くわが子に会いたいのが親心ってものでしょう」
「心はままならないわね。頭ではいけないと分かっていても肉体はどうしようもない」
「いやらしい言い方しないの」
「心というのは肉体に由来するものだし仕方ない」
「いや、物心二元論って言うじゃない」
「でも意志は無意識に由来するし、無意識は身体的な機構の総体よ?」
「じゃあ心って何なのよ、って聞くとまた長いのかしら」
「そこそこ。雨が上がるまでには終わるわ」
「ならどうぞ」
「まずは感情について考えて見ましょう。感情と言うのはリアクションね。ギリシャの昔はペーソスだったりパトスだったりするけど、つまりパッション。この場合は熱情ではなくパッシブなもの。心にわきあがるものという意味ね。刺激に対する反応よ。肌に感じる温度とか、鼻腔をくすぐる香りだとかいったそういう刺激に対する反応。官能的な刺激によって引き起こされるもののことを言うわ。いやらしい意味じゃないわよ」
「はいはい。つまり五感ね」
「ざっくりとした理解ありがとう。ついでにエートスとロゴスというものがあって、一応エートスはエチケット、倫理ね。ロゴスはロジックで、論理よ。人が話をする場合、この三要素が重要とされたわけね。で、この三要素のうちパトス、つまりパッションは身体的反応のこと。二元論的に身体と区別できるものではないのよ。二元論と言うのは、独立した実体が二つあるという意味よね。脳はなくても思考は出来る、みたいなものよ」
「レミリア?」
「レミィはまあ、あれだから。で、二元論みたいな話は、時代が進むと物自体の世界と表象という形で認識論として整理されるわね。人は物自体の世界を直接認識することは出来ない。もっとざっくり言うと、人はその認知能力によって制限された世界しか認識することは出来ない。例えば犬笛なんかがそうで、人間の聴力では聞き取れない音も犬は聞き取ることが出来る。人の表象は世界の姿をそっくり写し取っているわけではない」
「巫女は鳥目、みたいなものね」
「ヤツメウナギが売れるわけよ。今このカップに注がれている紅茶の色は、太陽の光に当てたらまた違う色に見えるでしょうけど、紅茶の色自体が変わったわけではない」
「で、感情の話は?」
「そうそう。感情というのは身体と不可分。もっというと刺激に対する生物的な反応が感情ね、意志も感情も自意識以前の身体に由来するもの。なんならイドとエゴとスーパーエゴの関係を持ち出したっていい。精神というぼんやりとした心的実体を仮定したくなるのは、明らかに物心二元論の影響よ。心という実体は、当たり前に考えたら存在しないわ」
「ちゃぶ台返しな発言だけど、大丈夫?」
「ここは幻想郷だもの。当たり前に考えたらやってられない」
「結局心って何なの?」
「まあ、幻想でしょうね。だからこそ幻想郷には存在するんだけど」
「身も蓋もない」
「哲学者なんて身も蓋もないことしか言ってない。言ったでしょう。哲学は日常から幻想を取り除くのよ」
「それはつまり、哲学は役に立たないってことかしら」
「そうね。幻想を排し突き詰めた結果残るものもそれはそれで綺麗だけれど、どちらかと言うと排除されたものの方が役に立つ」
「結論が見えないわね。じき雨もやみそうよ」
「いい加減オチまでいきましょうか。心というのは非物質的なものではなくて、物理的身体に由来するものよ。幻想的な言い方をするならば、心とは魂の器のこと。魂を受け入れるための身体こそが、心の正体。三魂七魄、魂(コン)天に帰して魄(ハク)地に帰さず、以て鬼(キ)と成りキョウシとなる。魂魄の魄の方だと思ってもいいんじゃないかしら」
「キョンシーにも心はあるってこと?」
「理屈の上ではあるんでしょうね。その辺は門外漢だからなんとも。ブリキの木こりはもともと人間だった。ある女の子に一目ぼれしたけれど、結婚するためにはもっと仕事をしなければいけない。仕事中に怪我をするたび木こりとして働くためにブリキの体と交換していって、ついには全身ブリキになってしまう。そうして木こりは仕事のせいで恋する心を失ってしまったのでした。ちゃんちゃん。さてオズの魔法使いはそんな木こり心をあげたみたいだけど、魂はどうしたのかしら」
「さあ」
「ねえオズ?」
「私はアリス。それに、ネクロマンシーは趣味じゃない」
  
 パチュリーはにやにやと笑みを浮かべる。
 アリスはそっぽを向く。
 雨は、もうじき上がりそうだ。


  □■□■□


「さとり様。この子がこいしさまの部屋にいたのですが、どうしましょうか」
「こいしは?」
「見当たりません。あたいもさっき玄関でこいし様に踏みつぶされて気付いたらベッドの下にいましたから」
「……こまったものね」

 あなたは、本が沢山あった部屋の向かいの部屋に連れてこられていた。
 大きさは同じくらい。本棚は少なく、大きな机と大きな椅子が正面に置いてあり、“さとり様”はそこでなにか書き物をしている。
 
「あなたはどうしたい? と聞いても、特に何もと言う感じですね。何も気にしなさそうです。いいものですね」
「さとり様?」
「とりあえずはまだいいでしょう。お燐は下がっていいですよ。これに片がついたらこいしを探して聞いてみましょう」

 “さとり様”は手に持った紙をひらひらと振ると、紙を持っていないほうの手をひらひらと赤髪黒服の少女に向けて振る。
 少女は「失礼します」と言うと部屋を出て行った。
 あなたは、そのまま立ち続ける。

「ああ、座っていいですよ。まだかかりますから待っていてください」

 そう言いながら、傍らにある椅子を指す。
 あなたは“さとり様”の方へ歩いていって、その膝に座る。

「いえ、そういう意味ではなくてですね……」

 そして、手に持った本を開く。

「なるほど、そういえば途中でしたね」

 くすりと笑うと、あなたから本を受け取り、続きを読み始める。
 先程と同じ体勢で、物語は進んだ。

「ところでエイダ。もう一度“お姉ちゃん”と呼んでみませんか」
「呼称の変更を完了しました。“お姉ちゃん”」
「ふむ。これはこれでなかなか」

 そのまましばらく、“お姉ちゃん”はあなたの肩にあごをあずけて黙っていた。
 やがて、“お姉ちゃん”は細くため息をつく。
 その息にあなたの髪が揺れる。
 二度三度それを繰り返す。

「おねーえちゃん」
「なんですかこいし。いるならいると言いなさいと言ったでしょう」
「いるよー。また出かけてくるね」
「あなた、この子はどうするんです。もう帰してしまっていいのでしょう?」
「うん。そうだね。いてもいいけど」
「では、あなたのしたいようにしましょう。今すぐで良ければそのように手配します」
「じゃあ、私が連れて行くよ。さっきの場所から散歩の続きするから」
「では、くれぐれも丁重に扱うんですよ。どうせ何も言わずに置いてくるだけでしょうから、私から一筆したためておきます。ちょっと待ってなさい」

 そういうと、手元の髪にさらさらと何事かを書き付ける。
 あなたに本を渡し、それに今書いた紙を挟むと、あなたを膝からおろす。

「本は貸してあげます。では、かかとを三回鳴らしてみましょうか。銀の靴は履いていませんけれど、おまじないです。読み終わったらまたおいでなさい」

 そういうと、また書き物に戻った。

「ありがとうございます。さようなら、“お姉ちゃん”」
「あなた、私の妹になったの?」
「……さとり様と呼びなさい」
「呼称の変更を完了しました。“さとり様”」
「では、息災で」

 あなたはかかとを三回鳴らす。
 それを待っていたのかは分からないが、来たときと同じように緑の少女に手を引かれ、歩いて、走って、飛んで、落ちて。
 気付くと、あなたは薄暗い森の中にいる。
 手には本を持っている。


  □■□■□


 アリスは玄関から出ると、空を見上げる。
 雨雲はとうに過ぎてしまったのか、一面青空が広がっていた。
 パチュリーもげんかんから出ると、同じように空を見上げる。

「虹ね。七色よ、アリス」
「ええ。見事に虹よ」
「さて、それじゃあ虹を越えて飛んでいきましょうか」
「いえ、もう少し待ちましょう」
「それは、勘?」
「いえ、糸の反応がこちらに近づいているわ」
「アリス。そういうのは知っててもいわないのがロマンというものよ」
「お約束過ぎてもね。そこにロマンはあるのかしら」
「さてね。じゃあ、私は中に戻るわよ。読みかけの本があるの」
「うちに置いていくの減らしてくれないかしら。あなたの部屋、掃除のしようがないのよ」
「私はかまわないけれど」
「私がかまうのよ」
「善処するわ」

 パチュリーが指を鳴らすと、奥の部屋から本が飛んでくる。
 それを受け取ると、ダイニングにあるソファーに座り読書の体勢に入る。

「もうちょっと本を離して読みなさいよ。目に悪いわ」
「目は本を読むように適応するのであって、悪くなるわけじゃない……」

 そんなパチュリーの言葉を聞き流して、アリスは玄関の傍まで歩いてきたエイダを迎えに出ていた。

「子煩悩だこと」
「あら、嫉妬してるの」
「うんにゃ。母親だなと思っていただけよ」
「羨ましいでしょう? 父親」
「あーはいはい」

 エイダはそのまま玄関からダイニングに入ってくる。

「座って待ってなさいね、エイダ。今お手入れしてあげるから」

 その言葉を聞くと、エイダはソファーに向かって歩き、パチュリーの膝の上に座る。

「ん? どうしたの、エイダ?」

 そして、手に持った本を開く。
 まるで読んで欲しいとせがむように。

「ちょっと、アリス」
「どうしたの? って、パチュリー、ずるいわ。代わって」
「後でね。それより、この子本を持ってる」
「え? ああ、そうね。どうしたのかしら」

 アリスは本を受け取ると、紙が挟まっているページを開く。

「あら、地霊殿の主からお手紙よ。妹が勝手に攫ってきてしまった、ですって。本を読んであげている途中だったから、続きを読んであげて欲しいそうよ」
「ええ。しかもよりによって『The Wonderful Wizard of Oz』ですって。ねえ、オズ?」
「……さとり妖怪って地底からここまで能力が届くのかしら」
「いえ、偶々でしょうね。もしくは、心底性格がねじれているか」
「まあいいわ。じゃあ、読んであげましょうね」
「いや、私が読むわよ。アリスは用事を済ませていていいわ」
「あら、自分の本はいいの?」
「ええ。母親がなかなか子供に会わせてくれない分、ちょっとくらいは交流をね」
「世の男親はそうやって配偶者を悪者に仕立て上げるのかしら」
「さて。私は男ではないから分からないわね。さあエイダ、あっちを向いて座りましょうか」
「はいはい。じゃあ、片付けが終わるまで相手をお願いね、パチュリー」
「待ってるわよ、ママン」
「あなたいつからフランス人になったのよ」

 アリスは支度していた荷物を片付けにキッチンに向かう。
 パチュリーは膝の上のエイダの姿勢を直すと、本を広げて読み始めた。
 丁度、ライオンに出会うところだ。

  □■□■□


 あなたはまばらに光の差し込む森の中を歩いている。
 手には地霊殿から借りてきた本を持って。
 持ち歩いても汚れないように、パチュリーが保護魔法をかけてくれた。
 あなたが帰ってきてから、アリスとパチュリーが何度も読み聞かせてくれた本だ。
 あなたは湿った苔やぬれた落ち葉を踏みながらぼんやりと歩いている。
 木々の隙間から光が差し込んでいる場所を見つけて、立ち止まる。
 本を開くと、ぱらぱらとめくる。
 文字はまだわからないが、絵なら大丈夫だ。
 絵を眺めながら、あなたは声を思い出す。
 パチュリーの細く澄んだ声。
 アリスの暖かく包み込むような声。
 そして、ちょっと角のある“さとり様”の声。
 ふと本から視線を上げると、緑色の少女が視界に入る。

「ねえあなた。うちに来る?」

 あなたは――
 こちらでは四年ぶりです。もはや初めまして。
 ヰと申します。
 エア例大祭をやってみたかったんです。
 前回、ファイブスター物語が連載再開するくらいには次回、なんて言っていたのですけど。
 連載再開してまた休止しちゃいました。
 まさか再開するとは。
 さておき、今回も漫談にお付き合い下さいましてありがとうございました。
 もしお待ち下さっていた方がいらっしゃいましたら、お待たせしました。
 すみません。
 ちなみに、オズの魔法使いは日本語訳が青空文庫で読めます。
 英語原文もプロジェクト・グーテンベルグで挿絵つきで読めます。
 興味がありましたら、ぜひ。
 それでは、よきパチュアリがあらんことを。

http://hachisuba.blog122.fc2.com
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コメント



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2.90名前が無い程度の能力削除
人形があなたとなってるせいで
終始女装したブ男をさとりんらが愛玩するシュールな絵図らに…

アリスとパチェリーの話が難しすぎてわけがわからないよ
個人的に心は主観で主観は目が目を見ることが出来ないように意識出来ないものだと思う
物事の判断の基準軸というか感性というか

4.無評価名前が無い程度の能力削除
終始淡々。
5.80名前が無い程度の能力削除
四年って…嘘やろ…?
それだけの間が空いてなお変わらぬパチュリーとアリスの哲学的問答に乾杯。
6.無評価名前が無い程度の能力削除
「東方SS」を書くことよりも自分の知識をひけらかすことへの欲望が強く出すぎてて、そのうえ過剰に気取りすぎで、文章と雰囲気をかなり下品なものにしちゃってると思う
8.無評価削除
お読みいただきありがとうございます。

>>2様 
 オリキャラ一人称を書こうと思って、このキャラそもそも主観がないじゃんとなって、じゃあ二人称かな、と。
 代わりに考えてあげてください。
>>4様
 ありがとうございます。
 ヤマとオチと意味は反りが合わなくて家出してしまいました。
>>5様
 指折り数えて愕然としました。
 自分の芸風のワンパターン加減にも愕然としました。
>>6様
 不快感を与えてしまったようで申し訳ありません。それなのにコメントを頂きありがとうございます、
 語りすぎるのは品がないとは思うのですが、語らない事には話を進められない性質でして。失礼しました。

 一連のお話もおしまいにしたいと思います、
 綺麗にオチが付けられる性質のものではないので、消化不良ではありますけれど。
 お付き合いいただきありがとうございました。
9.100名前が無い程度の能力削除
凄く…久しぶりの作品ですね。

相変わらずの薀蓄の応酬。楽しめました。
10.80名前が無い程度の能力削除
洋画みたいな雰囲気好きです
魔女二人の会話って独特の空気ありますね
13.100名前が無い程度の能力削除
よっしゃヰさんだこれで勝てる!
14.100名前が無い程度の能力削除
4年間、待ったかいがありまきた。私の読んできた作品の中でヰさんのパチュリーがとても理想に近くて好きでした。知識の日陰の魔女を地で行くパチュリーが、上手く書かれていると思います。
そんな知識だらけで意味不明なパチュリーさんとそれに頑張って絡んでいくアリスの関係が生き生きとしていて、このシリーズが大好きでした。このパチュアリがまた見られたらいいなと密かに願っています。